チアーヌのおすすめリスト 2008年12月4日8時13分から2020年3月8日2時39分まで ---------------------------- [自由詩]秒針の一周で/umineko[2008年12月4日8時13分] 秒針の一周で 思い出すこと 君の瞳 君の笑顔 君のくちびる 君の言葉 君の仕草 君の指先 君の髪の色 君の肌の色 困ったとき見せる君のさみしい目 ふくれっつらしてほんとにふくれる頬 コンタクトレンズはずすときの大胆 化粧しながらくれるアカンベ 季節メニュー眺めるときの真剣 グラスワインでオッケーの燃費の良さ 助手席で急に歌いだす帰り道 くもった窓についたおでこのあと 空を見上げるときの無邪気 キス 君との朝 君との空間 重ねた手 温度 守るための嘘 壊すための本当 カレンダー ぬいぐるみ キーホルダー オルゴール 喧嘩 無口 頑固 受容 閉じた瞳 胸元 ライン 少しだけ、開いた、口元 甘える声 のぞきこむ視線 てのひら じゃあねの後は振り向かない 見かけないスカート姿 水着の残り火 ダイビング 約束 お守り 並んで歩く堤防 勇気 電話 不安 大胆 時計 雨 季節    メロディ ごめんなさいってうつむく肩 あふれる涙 僕のものだった時間 声のない声 昨日とは違う何か 見上げる空 秒針の一周で 思い出すこと       ---------------------------- [自由詩]革命の火に告ぐ、嘘からの断絶/狩心[2009年3月24日17時11分] とりあえず死んでくれと言われて 刺された私は魚の釣り針になった 奥歯は虫歯になっている 口内炎はもう十年前の話だ 腐れ縁がドン引きする 人工の地下通路が張り巡らされている ただっ広い荒野の果てに 深呼吸や炭酸ガス 挙句の果てにはマントを着たドラキュラ 馬の乳搾りに励んでいる ざらついた床の上 地球上の生命が吐息に 吹っ飛ばされてた日 シーツの上には米虫 手を洗い過ぎて赤切れが起きている墓標 遊適 お前には誰も聞いた事がない 言葉 あげよう 言葉は要りません 身体 ください ハーレムナイトに赤いブランコが釣り下がる墓標 魚の骨は身体中に張り巡らされている ロボコップが見境も無く乱射する ビルとビルの隙間に伸びる映写機 斜体 警笛 光は繋がり群がり ×のようにクロスして弾ける その時に欠片 落下する描写 煮え過ぎた荷物持ちに 古びた茄子や豚骨を投げ付け お前 此処から出たらドン引きする荒野 痺れた舌先 研磨 お前の身体 ハーモニカにしてやる 皿の上でホワイトソース エンジョイしてるキャバレー ハーレムナイトに赤いブランコが釣り下がる墓標 顔に痺れた真っ青なベーブルース、マリリンモンロー、突然現れるマイケルジャクソンに 手を繋ぐマリリンマンソン、誰も知らない、誰も知らない、、お前の呼吸器、、、 もう とっくにドン引きしている掛布 半身の 夕暮れ今夜が蝉の声だ 僕の中に弾ける勇気力、幽隊列の座禅 火の海 肋骨辺りで座礁するタコやイカの群れ 繋がり群がり ×のようにクロスして…… もう誰も期待していない お前 シーツの上には米虫 口内炎はもう十年前の話だ 諦めろ、ベッドの音が急上昇する事は 止められない事だ 直視せよ、ふらふらと手足を取り外し付け直す淫らな行為を ベンガルの虎がセネガルを攻め立てる! 畜生!!コウナッタラおれはどこになっても炭酸ガス!!! 卑怯な真似を…… お前の蕁麻疹が今、 山に見える徐々に 歩く度に可決したドラキュラの歯を オークションに掛けるか 歯医者に送り届けるかを 今、釣った魚の上、 海のど真ん中で考えている、、 魚さん。、 僕はどうしたらいいのですか・。・ ざらついた床の上 蝶々結びされてく内側の俺の鼻毛全て 笑うな・・・・僕は真正面にストレートを投げるから逃げるな 僕の身体 言葉 要らないから、今から電熱線との契約を断絶したい 灰色のTシャツを引き千切りながら テンポUP 僕は電柱から電柱まで細い敗戦の上を綱渡りに夢中 君の瞳 アンバランスで 時計仕掛けのオレンジみたいで チェリー 甘そうな爆弾 爆発したら 脳味噌が吹っ飛ぶ 優しい吐息に 僕の意味が着床された日 君の胎盤の恐ろしさに負けて 夕暮れ今夜が蝉の声だ 何も語りたくないそれは 体験だった 語る前に跳ね返り 座礁し 群がり 繋がる 今もぼくの意識とは別に身体が動いていて ロボコップが見境も無く乱射している 小さなぺんぺん草 温かみの無いお風呂場 静かな匂い じゃれ合う疲れと 頭の痛くなる光 ビビッタ事に それは全て空想だった こんなとこに着ちゃダメだ そしてぼくは置き去りにされた クリスマスのモミの木が 目まぐるしく回転している 目の前がもじゃもじゃしていて ジャングルの中に迷い込んだ子犬を牛乳に変装させて すっきり、のみ口 コンビニ辺りで売り出したい もう時間の感覚が無くなってきている 激しいお隣さんが怒ってるのが分かる 小さな羽虫の音が大きくなって 壁中が幼虫になっていくのが分かる 内側は回転している 皮膚と赤い夢のナイフに 緑の白線は十字架を掲げ ドラキュラの歯をテレビ画面に投げ付ける リモコンが壊れた それだけでテレビ画面は永遠に語り続けた 反応が無い ついさっきまで其処に居たのに この置き物、もしくはテーブル、もしくはマウス、。 もしかしたら壁、空になった缶コーヒー、食べ残した弁当のカス、 未払いの請求書や、クーラーの風の音、ヴぁいぶれーしょん どれかが、過去を封じ込めるタイムカプセル的な炊飯器かもしれない と、亀仙人が言ってた、兎に追い抜かれながら…… 雲の切れ間から 胸の谷間 それを見て鼻血 または鼻から牛乳 ちゃらり〜♪ 鼻からぎゅ〜にゅ〜♪ ゲエップワァ〜 頭が破裂する とぼとぼと歩く空の中を テレビの映像が連射している 背景として 生きてきた、優越感など投げ捨てた、 今はもう、 静かに呼吸をしている 鼻から牛乳 温かな陽射しが それを蒸発させた あの頃の孤児は 正しい事を述べていたが、 行動が伴っていなかった 行動が身体に制約されていた 今はもう、身体を必要としない 行動が、身体を釣りに行く 僕の中に弾ける勇気力、幽隊列の座禅 ---------------------------- [自由詩]小人/m.qyi[2009年3月25日22時14分] 小人 小学生がわたしのとこに来て キャッチボールしようという なんで女のわたしときゃっちぼーるなのよ とおもったけれどいいよ 坊やがじゃあいくよという ちっちゃなグローブから青い玉を投げる 空に投げるから 青くて見えない おでこにボールがおっこちる ごつん あら、ふつうのしろいボールじゃない? なんでよ! ってなげかえすと チいさくあおくなって すっトちいさなぐろーぶに収まる じゃあ行くよっていうから、 かまえると ごつん ちょっとこころもちボールが小さくなった 投げかえすと なげ返されて また ごつん  また ごつン こづん  また ごツん ごつん  また コつん コツん っッン ボールは白い胡麻粒ぐらいになった。 そらいくわよ 、  坊やはもう天から降りてこないんだね。さようなら。 ---------------------------- [自由詩]薔薇のパラグラフ/小池房枝[2009年5月21日23時53分] 薔薇を見に行かなければいけないね 薔薇を見に行かなければならない 薔薇なんて柄じゃないなんて言わずに 心と体を 自分の気持ちと五感とを ひと一人分 薔薇の中に置きに行かなければ 風の中の薔薇は遠い 鉢植えのミニバラは小さい ひとんちの垣根に寄り添いすぎるのは憚られる 折り取ってきた野茨は つぼみの最後のひとつまで咲ききって果てた 薔薇を見にいかなければね 薔薇に擦り寄ってもいい薔薇園に行かなければならない 燦燦たるセビリアーナにぐるりと囲われた芝生に腰を下ろして ジャルダンドゥフランスの豊かさに圧倒されなければ 時には触れて 口づけしてしまえるほど顔を近づけて 手の届くピース 届かないピース 幾つもの幾つものピンク、真紅、クリーム、スノウホワイト くすんだモーブ、ムーブ、揺れる 出自や命名の由来を書いたプレートの中には 「うどんこ病にとても強い」なんていうプロフィールまであって 世話をしてる人たちの心からの声が聞こえて来るようだ コンクールの入賞歴なんかよりも うん、それはとても素晴らしくて大切なこと 風に強い 寒さに強い うどんこ病に強い でも今咲いている花々は つまりみんなそういうことだ 今日までの何もかもを乗り越えて咲いた今年の花 だからこそ 薔薇を見に行かなければならない 何度も行った薔薇園に 秋を待たずに今の五月に 薔薇たちの咲く前の姿も咲いた後の姿も知っている薔薇園に 本の中で色あせている組ひもの栞のいっぽんのように 自分をはさみこみに ---------------------------- [自由詩]月明かりの僕たちに/いとう[2009年12月16日3時23分] 僕たちが狩りをするのは 生き残るためだったはず いつのまに 狩りをするために 生きていることになったのだろう などと僕たちが 思うはずもない 僕たちは今まさに 狩りをしているのだから 夜の月明かりに群れるものたちを 僕たちは息を潜めて待つことなく むしろ僕たちが月明かりとなって 誘き寄せ、食む ことなくいつしか 息をすることを忘れたように それが呼吸だと気づかないうちに 僕たちは満たされているのだ 何を狩ったのかも 思い出せないで 空腹すら 思い出の向こうへ 僕たちの中には いくつかの悲劇と苦難があったはずだ それを忘れたとしても それは血肉となって巡っている としても その記憶が閉ざされた夜明けには 僕たちはまた 失ったことを忘れている としても 生きている、そのことを、 忘れていないのはもはや 何かの呪いのだろう それは僕たちが忘れてしまった 僕たちが狩ったものの、祈り、が、 僕たちにとっての呪いであることを 忘れてしまっている僕たちへの 警鐘であることすら 僕たちはすでに 僕たちの内部に取り込めていない のではなく 取り込んでいることを忘れていることそのものが 呪いであることに気づかないことこそが すでに新たな呪いなのだ  喪失とは  失うことではなく  忘れていることに  気づかないこと 閉ざされた夜明けに 月明かりは意味をなくし 僕たちこそが忘れられる 失われた僕たちはそこに在って 影を残すが その影こそが 僕たちの証で もちろんそれは すべての祈りに 忘れられている 影を祈るものは どこにもいない 祈ったことこそが 忘れられるのだから ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]【批評祭参加作品】停滞が継続していくこと。/いとう[2010年1月13日0時51分] さて。 40歳になったら隠居すると前から言っていて、 そのとおりに隠居しながらもう三年くらい経った。 なんだかネット上で詩を書き始めてから 十数年も経ってしまったこんなロートルがしゃしゃり出ても 百害あって一理なしなのだろう。 老害とはよく言ったものだ。 で。 ネット上の詩を見始めた頃と、今と、 状況は実は、なんの変化もない。 同じ話題や同じ議論が、 数年ごとに場所を変えて浮かんでは、 同じように収束していく。 個人的には「ネット詩」なんて言葉は そろそろ無くなってもいい頃だと思っているのだけれど、 そんな気配すら起こらない。 実際のところ、そんな状況に「飽きた」というのも、 隠居理由のひとつだったりする。 インターネットは蓄積が困難な媒体であるという思いが強く、 たとえばこの批評祭だって、 たった十数年のスパンで見ても、 「なんだか昔どっかで同じようなことやってたよなぁ」 という思いに駆られてしまう。そんなものだったりする。 何度もリセットされる仮想現実を延々眺めているような気分だ。 (もちろんそれがこの祭の批判につながることはない。  行動するものだけがいつも結果を得るのだ) よくよく考えれば、 インターネットの発展というのは、 それは記録の蓄積からではなく、 システムの新築からしか生まれていない。 初めはホームページというシステムだった。 それがブログになり、SNSになり、 最近はTwitterとかなんとか、 新しいシステムが生まれ、それが時流になり、 なんだか発展している(ように見える)、けど、 実際のところ、参加者が行っていることは、 ほとんど変わっていない。 結局“停滞”というのは媒体特性によるものであって、 詩の状況とかそんなもんは、実はまったく関係ないのだろう。 裏を返せば、「ネット詩」なんて呼ばれるもの“だけ”を見続けても、 「詩」については何もわからないままなのだ。 (悪い意味ではなく)「ネット詩」なんてそんなものだと思う。 ただ、そこにあるパワーは、大切にしたい。 そういう状況を見て、「停滞している」「何も始まっていない」 などと述べるのは、なんだかそれこそ、 停滞の渦の中にいるんじゃないかな、と、最近思うようになった。 なんだろね、嘆息ではなく感嘆しながら、 「よくこんだけのリセットが繰り返されるよな。」とか、 「よくこんだけ同じような議論がいつも起こるよな」とか、 なんか、そんな、停滞し続けるパワーみたいなものを感じるのだ。 継続にはエネルギーが必要で、 上昇しない螺旋階段のような場所で、それでも同じ場所を回り続ける、 そんな継続が未だに続いている、 なんだかそれって、 じつは凄いことなんじゃないの?って。 「どこにあっても詩は詩でしかない」というのが持論のひとつで、 それは結局「どこにあるか」で判断されるべきものではないということで、 「ネット詩」なんて言葉が生まれたのは、 「どこにあるか」で判断されてきた経緯の結果であって、逆に、 「ネット詩」なんて言葉が残っているのは、 それが続いているのか、あるいは、 (ネットで詩を書いている人ではなく)ネット上の詩を気にしている人が、 それがもう終わっていることに気づいていないのか、 あるいはもっと別の、何か別の要因なのか、 なんだかそれはわからない。 さっき書いたように個人的には「ネット詩」なんて言葉は そろそろ無くなってもいい頃だと思っているのだけれど、 そんな気配すら起こらなくて、 でもなんか「ネット詩」と叫び続ける人、叫び始める人は、たくさん生まれて、 それを批判する人もいつも同じように生まれて、 それこそそれは「インターネットだから」と言ってしまってもいいんじゃないかと思う。 「インターネットだからこそ」と、言い換えてみようか。 まー結局、実際のところ、 そんなパワーを持ち続ける年齢じゃなくなったというのも、 隠居理由のひとつだったりする。 同じ場所をぐるぐる回れるエネルギーなんて、 ロートルは持ち合わせていないのだ。 老人は、縁側で茶を啜ってればいいのだ。 なんだか毎日ぐるぐる昇ってくる太陽の パワー溢れる陽光に浸りながら。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]『批評祭参加作品』いとう氏へのレスポンス/ダーザイン[2010年1月13日21時08分]  ネット詩などという死後は活字媒体のインターネットが使えない一部の老人たちだけが使う言葉であり、私はネット詩などという意味不明の言葉はもう随分前から一切使わなくなっている。ネット以外のどこに活きの良い詩があるというのか? 老人権力に媚び諂い一私企業にすぎない思潮社の引いた老人ホーム行きのレールに乗る輩は芸術家じゃない。現代詩手帖の発行部数を考えてみるべきだ。思潮社から著者自腹で発行される詩集の発行部数は五百部だ。そんなもの、この情報社会でシェアされていない。存在しないも同然だ。ゼロ年代の詩人という言葉があるが、あそこには本物の現代詩人はほとんどいない。  携帯から世界に接続し始める中高生の目に真っ先にとまる詩は月刊未詳24の吉田群青さんの詩だろう。谷川俊太郎の詩など一つも読んだことが無い彼らが無学だと考えるのはおかしい。シェアされていない情報は、存在しないと同じことなのだ。パソコンを使う世代はすぐに文学極道創造大賞を見つけるだろう。創造大賞受賞者の凄さと比して、H氏賞受賞者の名前を言ってみるとする。ほとんどすべての者が「そいつ誰? そんな奴知らねえ」と応えるだろう。  何故そういうことになるか。ネットに出てこない老人とそれに媚び諂う若年寄たちは、物凄く内閉した発行少部数のおもちゃの城で瞞着しているからだ。  では、本物の現代詩人はどこにいるのか? 文学極道などのワイヤードメディアにいる。情報が無限にシェアされる地平に人様に読まれるべき現代性を担った書き手は姿を現す。  ネットの情報は儚い、継続性が無い、流れ去っていくものだというが、そのようなことは文学極道でも月刊未詳24でもまったくない。文学極道では落選作ですら含むすべての投稿作品にパーマネントurlが与えられ、永遠に視聴可能である。可読性の高さに於いてもパラダイムの巨大な転換が起こったのだ。  歳をとったと嘆く前に、現実に即した詩壇を作らなければならない。文学極道創造大賞受賞者にマスコミから執筆依頼が来るまっとうな世の中になるまで、俺たちは本物の現代詩を守り、見守り続けなければならない。それが、事を起こした人間の責任だ。 ---------------------------- [自由詩]淡い葦/umineko[2010年5月25日10時33分] あなたの声が聞きたい、と 私は願う 空は 雨をしのいで抜ける青 会話している あいだ 私はからっぽ あなたに あなたにとどくかどうか 私は次のことばを選ぶ あなたが 退屈しないよう そのあと 抱き寄せられたり 服を解いたり その無音は心地よい だけど ね 抱き合うたびに 私の中の 何かが 薄れてしまうこと 淡い さみしさとか報いとか 意味を成さなくなっていく 形にならない 声を潜めて わたしは 草木になっていく ねえ さみしい、って どんな気持ちだったっけ もう長いこと ここにいるので 当たり前になってきた . ---------------------------- [自由詩]スケベな首吊り画像/akb48[2010年8月8日8時32分] スケベな首吊り画像 写メ取り放題 パケ代無料            とってもエ   ッチな溺死画像 膨らんだおなか     がセクシー                     腐り始め た体   がセクシー  首吊り画像の眼球くりぬいて電球を入れてピカピカ転倒させる 本当はセックスをしたかったのだが   どう行うのかがわからず 類似の    行為として 喉を切ってしまった           中村家 カドから滑り落ちてくる   向こうは西が下 東が上 俺たちと重力方向が違うようにしながら                       アートの電動ドリルをあそこに突っ込むのは 絶対に気持ちいい訳 が 無いだろうな        た  だ痛いだけだろう 電磁波は嫌いですが すき家は嫌いではありません               なぁおまいら何度も同じ夢を見る                         なぜだろうわからん    しぬんじゃね?  平日の昼間に外を眺めていると 光の中に霧散していく様な錯覚を覚える 夢のはずなのに 起きてみると口の中が血まみれだったりする そういえばガスボンベとライターで火炎放射器みたいにして 女炙ってるの見たことある きらきらしたらまぜろ!  林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ屋上が墓地のキリン大学林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ林ますみは無実だ顔は腫れ上がって鼻血や口内からも出血しまくってます あれって「嬉しいですう」っていいながら 手足は打たれるのをガードしまくってて  打たれたいのか たくないのか分からない反応 アナル舐めなんか変態のやることだ」と拒否する女を蹴りまくって 泣かせまくり          ぐったりしたところを男たちが順番にケツの穴を舐めさせる     脳と知恵くらべをして、脳が出した答えは                        今から一本の線をかいてそこから始まるものをかきつづけますが 字をかくことがおもしろくなってこの文章がおわらなくなりました 10センチ四方くらいのメモ用紙に 5ミリ角くらいの文字で『自律神経』ってびっしり書いてあった 綺麗だ ---------------------------- [自由詩]朗読会の後にセックスをする/馬野ミキ[2010年8月18日4時37分] ゲストで15分枠のところを4分朗読をし 交渉したとおりの交通費をトイレの脇で受け取り 詩は、短ければ短いほどいいと思うのだ 家族の待つ家に帰る気になれず かといって笑笑で あの何行目はどうだと言い合ったり 自分たちがいかに大量の安定剤を処方されているかと言った話はできないので 君と手をつないで 俺たちはセックスに出かける 昭和の匂いの残る飲み屋の末席で ほどほどの日本酒を〔あれが勃たなくなるので〕尺してもらい 煙草に火をつけて 互いの目を見 直感的に振れ続ける話題と 本当の核心には触れないテーマを交互に続け 俺たちはこれから量産されたラブホテルでセックスするだろう 窓を開ければファンが回っていて手を伸ばせば隣の雑居ビルの壁に触れることが出来るだろう 最新ではないカラオケ 冷蔵庫のボタンを押して400円のビールを飲み いままでこの部屋で何千という男女がファックしては別れたという 伝説の404号室で 俺たちはこれからセックスをする 人のいない砂漠で たまたま出会ったというような理由で 水を得るように あっけないのないをセックスを、行う せめてその夜は幻の城の王と王女でいる 俺たちが汚したシーツを 洗濯する人間がいることも忘れて ---------------------------- [自由詩]キリバナ/umineko[2010年8月22日10時30分] 恋の終わりは キリバナ キリバナ 死んでいるのか いないのか ガラスコップの 一輪挿しが あっけらかんと 咲くように 私は あなたを失って 冷たい夏を咲いている もう 何も生まれない もう 何も感じない このまま 朽ちていくだけの 新しい服 買いました ダイエット はじめちゃいました 私は 今日も笑顔で返す しずかに 夏が咲いている       ---------------------------- [自由詩]アイス・エイジ/umineko[2010年11月9日7時03分] 疲れはててソファーで泥のように眠っていました さむい 友人からメールが来ていた 携帯持ったまま寝てた 返信して NHKは 心の旅 ピアノを真剣に弾いている女の人のテレビエッセイ 音が好きなんだ 音が好きなんだ そのことがわかる 音を聞けば 返信して ふっと ことばがきたので つぶやく 忘れないように あとすこしで 起動する 明滅 ダウンロード? 今じゃなきゃ駄目? 明滅 作品描きました 書くときは1分くらい だって精神なんて 秒速 ミクロの単位だ ことばは追いつけないし こえだってまだまだ まだ少しある 大丈夫かな 私は 大丈夫かな あたし あした まだすこしある 大丈夫かな つかまえろ 濡れたアスファルト 踏みしくタクシーの 乾いたたましいが 夜明けの街を にじむ にじませる 今日がいい日でありますように         ---------------------------- [自由詩]空いっぱいの永遠/umineko[2011年2月20日13時49分] 1年ぶりに 網戸を掃除する お気に入りのミュージック iPhoneから流して きれいにも見える その編み目から 次から次へと 汚れは流れる 堆積する 気づかぬうちに 経験 哀しみさえ 瞬間 私は気づく すべてのものが 老いていくことを 網戸も コンクリートも 音楽も そして愛も 5年 10年 時を経て 薄らいでいく 願わくば あなたへの愛が 私の寿命を 少し 越えて 生きながらえますように そうして私は 愛だけが 永遠だったのだ、 と 誤解しながら 死んでいけますように       ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]五十日目の日記/縞田みやぎ[2011年4月29日0時30分] その日の記録。  宮城県沿岸部某市内,内陸部にある職場にいた。  ちょうど子供らは午前中で解散。仕事区切りをねぎらう昼食会の担当になっていたので,予約してあった菓子と飲み物を店に受け取りに行って帰り,普段は置かない職場玄関前に車を置いていた。  昼食会とその片付けも終わったのが1時。諸々の雑仕事が終わってデスクに帰還,お茶を入れて飲もうと給湯室に向かったのが2時半過ぎ。  その「前」に何をやっていたのだろう,よく覚えていない。自分のカップにお茶は入っていなかったから,たぶん,給湯室にいた人と雑談をしながらお湯が沸くのを待っていたのだろうか。  何人かの携帯が同時に鳴ると共に「ゴー」という地鳴りがし,大きい地震が来るのは直前にわかった。壁に咄嗟に手をつく。やがて本震が始まる。  第一印象は「でかい」。それがすぐに「長い」になり,同僚たちが悲鳴をあげる。ガス台,ストーブの近くの同僚が飛びついて火を消す。「ちょっと,ちょっと,やだ。」「長いよ,長いよ。」「まだだ。まだだ。」「なんでまだ終わんないの。」立っていられずに次々としゃがみこむ。僕はちょうど給湯室の入り口に立ち,柱に手を突っ張りながら体を支える。みっしみっしという音は何によるものか。  窓に目をやる。鉄筋の建物はガラスが割れたら崩れることは,前々の地震の時に聞いた。まだ割れない。視界の端にぶんぶん揺れるもの。非常出入り口の非常灯がブランコのように揺れている。「それ,危ない。」と指差すと,気づいた近くの同僚が,真下にしゃがみ込んでいた同僚の手を引く。  果てないと思った揺れがおさまる。  「何だったの。」と呆然としながら,人々が次々と立ち上がる。と,すぐに突き上げるような余震。しかも何度も続く。悲鳴があがり,人々は立ったりしゃがんだりを繰り返す。「これはだめだ。」と誰とも無く言う。電気はいつ消えたのか分からなかった。隣の事務室を覗くと,室長のデスクを巨大な書棚が押し潰していた。室長はテレビを見ようと席を立ったために間一髪難をのがれたらしい。ともあれ怪我人はいないようだ。  10分ほど経ったか。廊下から「全員退避!」と叫ぶ声が聞こえた。出張から帰還中に地震に遭い,やっと到着した施設長だった。自分や入り口近くに居た同僚が口々に「退避です。出てください。」と復唱する。ほとんどが部屋を出た段階で,自分もすぐそこのデスクから外套とバッグだけをつかんで外へ。  駐車場の空きスペースに,人々が呆然と立っている。ちょうど車が目の前にあった僕は,いざとなったら人を乗せられるよう,後部座席にあった荷物をラゲッジに詰め直し,手荷物を置く。大きな荷物を抱えていた同僚に「とりあえずここに置きな。」と声を掛け,カーディガン一枚でいた同僚に外套を貸す。  雨がぱらつき始めた。防災無線がサイレンを鳴らす。大きな地震がありました。それは分かっている。  「これはだめだ。」という呟き。  携帯を取り出すが,相方,家族,ネット,どこにもつながらない。掛け続ける。  上司がCDラジカセを持ってくるのが見えた。乾電池を詰め込むのを手伝う。「だーれ,最近のはなんだ,ずいぶん電池食うごだー。」「CDついてますからね,しょうがないんですよ。」そんなことをあえて笑って話しながらどんどん詰める。ラジオが付く。「マグニチュード8」「大津波警報」という単語が耳に飛び込んでくる。立ち尽くしている集団に向けて「マグニチュード8です。大津波警報出てます。」と叫んだ。わらわらと人々がラジオを聞きに集まってくる。  しかし余震が収まらない。揺れる度に,建物から外に出る,また集まる,を繰り返す。  「安否確認取れるかー。」と施設長が言う。そういえば僕は子供らの電話番号は,携帯の電話帳にパスワードをかけておいたのだった。一人ずつかけていくがやはりつながらない。いちいちパスワードを入力するのが面倒くさいなと思いながら,次々かける。合間に家族にもかける。つながらない。一度だけツイッターの画面が出た。「とりあえず生きてる。」とだけ書き込む。あとはもうツイッターの画面は出なかった。  「これはだめだ。」とまた誰かが呟く。  「鮎川浜で3.3mの津波を観測。」とラジオが言う。悲鳴と同時に,若干の安堵の表情。「それで済んだなら。」という気持ち。マグニチュードは9に訂正された。ラジオは「津波は何回も来ます。2回目3回目の方が大きい場合もあります。」と繰り返すが,なんとなく我々には「もう終わったのだ。」という気持ちがあった。女川,東松島,気仙沼,牡鹿,雄勝,市内沿岸部に自宅や実家がある同僚を囲む輪があちこちにできる。真っ青な顔。「きっと大丈夫だから。」と背中を撫でさする。  防災担当の同僚が施設内を見回り,被害報告をする。大きな破損箇所は無いとのこと。  雨が雪になり始めた。地震発生から30分が経過していた。施設長始め,幹部たちが集まって対策を討議している。普段であれば一斉送信メールなども使って子供らや不在職員の安否確認ができるが,すでに停電でネットが使用不可のため,それも不可能だ。今までの例から,携帯も丸一日つながらないことが予想される。連絡をとることに関しては,もう今日できることはほとんど無い。  ラジオの内容が変わらない。もう本当に終わったのだろうか。  このあたりで,自分は決定的なミスを犯す。子供らにかけるためにパスワードを入力していたのを,操作を間違え,「電話帳を削除する」ためにパスワードを入力してしまった。全て真っ白になる。血の気が引く。自分の職場と相方の電話番号しか,そらで言えない。ともあれ周囲は自分よりももっと動揺している。黙って相方に電話を掛け続けた。つながらない。  施設長が全体を呼び集め,今後の方策を通知する。「幹部は全員このまま宿泊。月曜日は施設は休業,ただし明日は勤務日とする。全員出勤し,引き続き安否・安全確認作業を行う。各家庭のこともあるので,本時をもって勤務解除,安全に注意して帰るように。」  ママさんたちが一番に帰る。この日は市内は卒業式がらみで午前授業が多く,家に子供がいる家庭が多い。預かっていた荷物を返したり,外套を返してもらったりし,「気を付けて。」と声を掛け合いながら別れる。「あなたの家の近くに自分の担当する子が住んでいる。余裕があったら探してほしい。きっと避難している。」と頼まれる。  たぶんこれは津波が来ている。だとしたら,家族の中で一番危険な地域にいるのは,沿岸部に住んでいる自分だ。自分が大丈夫なのだから,きっと家族はみんな大丈夫だ。母が仕事で外回りをしていたら,妹が大学に行っていたら,と思うが,不安になると手が止まるので「きっと大丈夫だ。」と声に出して言う。  余震の頻度がやや減ったようなので,2階にあるデスクへ。室内はそりゃもう酷いことになっているが,もう今はどうでもいい。自分のデスク周りを見て貴重品を忘れていないことを確認。昨年まで情報機器の管理を任されていたのでPC室もちらっと覗くが,PCが机から落ち盗難防止ケーブルでぶら下がっている。サーバが緊急電源に切り替わり警報が鳴り続けている。どうせこれは復旧まで時間がかかるので,データ保存を優先しサーバの電源を落とす。給湯室の冷蔵庫から水が漏れていた。近くにあった雑巾を敷き詰め,とりあえず水が流れないようにだけする。  身支度をして周囲を見回すと,泊まることが決定した幹部のみが歩き回っている。対策本部を設置するらしい。このあたりでようやく,家に猫たちがいることに思い至る。薄情かもしれないが,この時まで全然思い出さなかった。きっと脅えているし,もし必要があればまた職場に戻るためにご飯を上げて来ねばならない。家に帰れば家族の電話番号も何かのメモや古い携帯のメモリからわかるかもしれない。帰らねば。  職場を出たのは3時半頃だったか。もう外は吹雪となっていた。全ての信号はついていないし,マンホールというマンホールが盛り上がっている。場所によっては突き出している。どの方向に行くにも果てが見えない恐ろしいほどの渋滞。何はともあれ携帯を車内電源につないで充電する。相方にかける。つながらない。もともとエンジンの調子の悪い車であるのと,ガソリンは残り1メモリしかないのと。渋滞にはまっていたら,車そのものがだめになる。渋滞を可能なかぎり避け,多少回り道になってもと地元民の土地勘に頼って走り続ける。ラジオは仙台の被害を告げている。ちょっと待て仙台で津波ってどういうことだ,意味がわからない,三陸じゃないじゃないか。防災無線が何か叫んでいるので窓を開ける。「避難してください。」避難したいのはやまやまだちくしょう。というかまだ終わっていないのか。まだ来るのか。仙台ではなくここの被害はどうなんだ。  何度も大きな余震があった。車がぼんぼんと跳ね上がる。意味がわからない。すばやくギアをパーキングに入れ,ハンドルにすがって耐える。おさまるのを待ってまた車を進める。繰り返す。帰らなくては。とにかく帰らなくては。  普段は10分で走る道を1時間かかり,4時半ごろ,自宅に続く道の近くまでたどり着く。ここから自宅方面へは混雑が少ない。鉄道をまたぐ陸橋にかかった時に,初めて相方に電話がつながる。「無事?」「無事!」「電車がだめになったらしい。こちらは職場が非常電源使えるからここに今夜はいるよ。」「分かった。もし余裕があったら私の実家を見に行って。明日は出勤になったから行くね。」それだけ話したところで,異音と共に通話は切れた。  陸橋を超えると運河がある。運河を渡る橋の手前,信号から2台目,トラックの後ろで止まった。この先も渋滞か?  いや。何かがおかしい。  何故,反対車線の車も橋の上で止まっていてこちらに進んで坂を降りてこないのか。もしかして,この車列はもう動かないのではないか。いやな予感に押されるように,トラックの左脇をすり抜けて橋の手前を左折する。あちらにも橋があったはずだ。トラックの脇に出た自分の目に飛び込んできたのは海だった。  なんだこれは。  運河ではない。これは海だ。全部海だ。通常であればきちんとおさまっている水が,普段より2mほども高い水位でもって水門も川岸も超えてあふれ出している。咄嗟にブレーキを踏む。目の前の道は,右手の運河からあふれ出した水が住宅地へ向けてどうどうと流れている。ほんの数秒車を停めたが,その間に,ガードレールの下を通っていた水がガードレールの下端に当たりしぶきを上げ始める。だめだ。ここにいてはいけない。目指そうとした橋はまだ水に飲まれていない。あそこまで行けば。  道が運河側を上に斜めになっているので,左車線は水がより深い。思い切って右車線に入りガードレールぎりぎりまでに車を寄せる。あせるな。エンジンに水を入れてはだめだ。慎重にハンドルを切る。水に入る寸前で車の向きを変え,あとは左斜め前に向かって走ることで,エンジンに水が入らないようにする。ばばばばばばばと水が車体にはじけて押される。ほんの数秒のことがとんでもない長さに感じた。  なんとか突破した。振り返らない。あれはだめだ。この橋も土手もだめだ。もう退路がない。だとしたら帰らねば。自宅はアパートの2階だからきっと何とかなる。途中の道はまだ冠水していないが,地震により,深く大きな穴がたくさん道路にあいている。慎重に避けながら走る。  もう防災無線やサイレン,ありとあらゆる緊急車両のサイレンは音として意識できなかった。  家の区画は,おそろしいほど静かだった。津波は来ていない。世帯数の多いアパートだが,車がいない。隣の住人が出てくる。もうみんな逃げたのだという。そりゃそうだ,ここは運河と河に挟まれた土地だ。運河があふれていたこと,道が塞がれてもう逃げ場がないことを告げる。隣の家は子供も父親も帰宅していないのだという。「お互いに猫たちもいるし,2階だし,家にいましょう。何かあったら声を掛けて。」と言い合い,自宅のドアを開ける。  途端,ドアに寄りかかっていた荷物がなだれてくる。ああそういえば地震も酷かったのだっけ。入れない。体重をかけて押し戻す。何もかもが落ちている。いやもともとが散らかっているのだからしょうがない。CDと本の山が崩れてドアをふさぎ,居間に入れない。猫たちが不安に鳴く声が聞こえた。15センチほどのドアの隙間からぐりぐりと体を押し込み,スピーカーの上によじ登り,何とか居間に入る。落ちるものは全て落ちて,床が見えない。液晶テレビが落ちて配線でぶら下がっている。まあ,しょうがない。  「ただいまあ。ただいまあ。にゃんたちただいまあ。」いつもの帰宅のあいさつをする。ほどなく,脅えながら,よるかとねむが出てくる。どこかで鈴の音がするので,きりも無事のようだ。よかった。手回し充電のラジオを掘り出す。くるくると充電し,ラジオをつける。車で聞いていたのとあまり内容がかわらない。喉が渇く。水は出ない。  疲れた。  猫たちにごはんをあげる。僕の顔を見て安心したようで,食べ始める。結構ずぶといなお前たち,と思いながら,ろうそくや古い携帯,手帳を探す。どれも見つからない。台所にちょっと足を踏み入れただけでけたたましくガラスと陶器の山が崩れる。割れるものは全て割れたようだ。これは後に,相方が帰って来てからにしよう。どうせ調理はできない。食器棚にかろうじて手が届いたので,中を見る。揺れで食器棚自体が歪んでしまったのだろう,棚板が全部落ちて中身が雪崩れている。中を探って,非常用のクリームサンドクラッカーを取り出す。  冷蔵庫が40センチほども動いている。電子レンジが棚から落ちかけている。  余震。  相方と言えばと思い出して彼の部屋を覗く。天井までの書棚・CD棚が突っ張りが外れて倒れ,膝上ほどの洪水になっている。これは現場を保存して彼が帰ってきた時に見せてやろう。  日が暮れてきた。ありとあらゆるサイレンがずっと聞こえているが,それはどこか遠く,静かだ,と思った。そういえば津波はもう収まったのだろうか。手回しラジオを首にかけ,財布と携帯,先ほどのクラッカーを持ち,外に出た。食べ物も水も無いので,近所の商店まで行って何か買えれば,と淡い期待もないではなかった。  静かだ。かしゃんかしゃんと音がする方を見ると,屋根に上がり,くだけた瓦を放り投げている人がいる。どの家も電気はついていない。街灯もついていない。このラジオはライトもついていてよかったなと思う。  商店はどれもやっていなかった。まちに人の気配がない。みんな逃げたのか。  河の土手を見上げると,消防車がこちら岸に一台,向こう岸に一台とまっている。消防の人が数人,何をするともなく河を見ている。そちらに向かって歩いてみる。見咎められるかと思いきや,視線は向けられるものの何も言われない。橋のたもとまで行き,家の側に帰るように土手を歩いてみることにした。  まだ完全に日は落ちていない。水位はやや多いくらいか。川岸の様子がおかしいのは,薄ぼんやりと見える中でも分かった。何故こんなところに船が。しかもボートではなく小型の漁船が三艘ほどひっくり返って折り重なっている。この瓦礫の山は何だ。木材の合間にちらちらとプラスチック製品の鮮やかな色が浮かび上がって見える。これはつまり津波の跡なのか。  水面にもたくさんのゴミが浮かんでいるのが見えた。木っ端や松っ葉のような細かいゴミが集まってうねりながら,川下へ向かってゆったりと流れていく。ああそのまま流れていけばいい,とぼんやりと思う。自分の足音が聞こえる。  と。ゴミの流れる速度が遅くなり,やがて止まる。なんだろう。ゴミだまりの一番下流側のあたりが,ぐうっと上に押し上げられる。水位がみるみる上がっていく。橋を振り返る。さっきまで橋のずっと下にあった水が,橋の下にかかりそうなほどに増えている。あれはもしかして波頭か。どんどん高くなっていく水の中に,大きなものが見える。あれは,冷蔵庫だ。  まずい。逃げないと。  小走りに土手を行く。時折振り返る。さきほどの冷蔵庫が川をさかのぼっていく。次に橋の下をくぐってきたのは,半分に折れた船だった。  走った。  家のすぐ裏の土手からの階段を駆け下り,そのままアパートへ。まだ自宅の周囲は乾いていたが,あの波はきっとここまで来るだろう。2階に駆け上がる。猫たちが怪訝な表情ながらも出迎えてくれる。  どうしよう。逃げるか。  逃げるならもうさっきだった。来た方の橋は水没したから,行くとしたら今の橋。しかしあの波は橋を超えるのじゃないか。無理だ,もう今からは突破できない。あの波がアパート裏の堤防を越えたらここまで波が来る。どうしよう。車は無理だ。  余震。  急にサイレンが耳に届く。  大津波 警報が 発令 されて います 高台に 逃げて ください  ずっと同じ声が聞こえている。  大津波 警報が 発令 されて います 高台に 逃げて ください  どうしよう。  猫たちが不安げに足元をうろうろしている。お前たち一緒に行くか。行かないと。でもキャリーバッグもなだれた家財の下でもうわからない。一人で3匹を車に積み込めない。そもそもきりがおびえきっていてつかまらない。ごはんは。トイレは。水が来る車は無理だ。置いていくのか?おいていくのか?おいて一人で?どこへ?  だめだ。間に合わない。  余震。  一緒にいるか。  しんとした。  外は相変わらずけたたましくサイレンが鳴っている。しんとして聞くと,警報,サイレン,救急車,消防車,パトカー,アナウンス,誰かの拡声器,何かがはじける音,ごーーーーーーというトンネルの中のような音。  これが,津波なのかなあ。  窓を開ける。いそくさいのかこげくさいのかあぶらくさいのかほこりっぽいのか,変なにおいがする。まちはみんな暗い。どこまでも暗い。雪はやんでいる。向かいの建物の向こうの空が赤い。火事か。濡れたものでも燃えるのか。それとも関係なく燃えているのか。ここまで見えるのはいったいどんな火だ。みんな燃えるのか。あの火はこっちまで来るのかなあ。  見下ろした駐車場が暗い。水は来ているのかな。どうなんだろう。さっきの波からずいぶん時間がたったような気がするけど。どうなんだろう。車はもうだめなのかな。この建物はどうなるのかな。  窓とカーテンを閉める。もう真っ暗だった。外套もオーバーズボンも身に付けたまま,バッグとラジオを抱えて布団に入る。不安だったのだろう,よるかがすぐにくっついてくる。ごめん,トイレの掃除は明日明るくなってからするね。ごめん,おねえちゃんなんにもならんな。ごめんね。ごめんね。  ラジオはまだ警告ばかりを話していた。被害の状況がわかりません。このまま今日は,ずっとこうなのかな。  疲れた。  余震。  ポケットからクリームサンドクラッカーを取り出して,布団に入ったまま,時間をかけて少しずつかじる。おまえたちのおいしいものじゃないんだよ。携帯も取り出して,念のため相方にかけてみる。コール音すら鳴らない。あとは電池を大事にするしかないな。  ラジオの音が絞るように消えていく。ハンドルを回す。じおじおとダイナモの回る感触と抵抗感は,目が覚めて悪くない。音が帰ってくる。あちこちの地名が話される。北海道や関東でも人が死んだのか。岩手は,宮城は,福島は,どうなっているんだろうなあ。細かな地名が全然出ないなあ。鮎川は3.3mって,言っていたじゃないか。  余震。  音が消える。ハンドルを回す。  外はずっと,ごーーーーーーと,トンネルの中だった。  うつらうつらとしていたら,夜が明けた。  よるかとねむが懐に入り込み,きりがたんすの上から覗き込んでいた。  猫たちにごはんをあげる。カーテンを開ける。窓を開ける。  海か。  結論から言うと,僕の家の家も家財も皆無事だった。たまたまこの区画だけ周囲よりやや高かったのとアパートの敷地が高く作ってあったことで,車のタイヤの中ほどまで水が来ただけで済んだ。2階である我が家も,隣の家も無事だった。ただ敷地の外は腰までの水で「孤立」という奴だった。とかく自分の所属する人たちのところへ行かなくてはならないと思い,一瞬車を動かしたが,すぐに無理な深さになった。しょうがないので徒歩で水の中をこいで陸地を目指した。腰の高さより水が高くなると体が浮いてしまって歩けない(泳ぐような感じになる)ことを知った。水は臭くて冷たくて,ずっと歩いていると締め上げられるように痛苦しかった。にごってまるで中身の見えない油の浮いた汚水の底に瓦礫やガラスがたくさん散らばっていた。水から何とか出たくてブロック塀の上まで登ってみても,陸地としては続かず,また水の中に降りねばならなかった。倒れて浮いている木の電柱一本ですら,僕の腕力ではどかすことができなかった。なんとか土手までたどり着くと,やっと水から上がることができた。昨夜津波を見た河を見下ろす。水かさがまだまだ多い。川岸は家の中の全てをかき混ぜてひっくり返したような瓦礫の山。うつむいて水に伏している背中と,水から突き出した手とを見た。救命ボートが打ち上げられていた。てぶらの人々があてどなく土手をうろうろして呆然と水没したまちを眺めていた。つながれていない犬が歩いていた。犬の散歩をしている人がたくさんいた。携帯は圏外になっていた。河原の公園は土手とのつなぎ目からもぎとられて土地そのものが無くなっていた。道路に打ち上げられた魚がまだぱくぱくと口を開けていた。昨日水を突っ切った道路は酷く陥没して,ガードレールを乗り越えて瓦礫が道路に降り積もっていたが,水はもう引いていた。自分の前で停止したトラックはそのまま停止したままで運転席は空だった。道路にたくさんの車が押し流され積み重なっていた。運転席を覗き込む気にはならなかった。ありえない場所にまでボートが運ばれていた。ずぶぬれだったが,7キロ歩いて職場に行くうち,だんだん乾いた。水にやられていない土地は,ばかみたいに平和で,なんだかがっかりしてしまった。職場は水が来ず,無事だった。そのまま避難所の運営をした。避難所に配る食料は給食室から引っ張り出してきたものと近所の商店が届けてくれたホワイトデー用の菓子と。自分はおにぎりを一個だけもらった。いる間にも避難者がどんどん増えて,布団が足りないとのことだった。前日の昼食会で自分が飲み残した紅茶のペットボトルを持って帰った。帰る頃には水の中の人々はいなくなっていた。土手にはまだあてどなく人々が歩き回っていた。避難所になっている学校もまた,1階部分はすっかり水没していた。女川原発から歩いてきた人に会い,原発は大丈夫ですと言われた。余震でまた新しく壁が崩れていた。また水をこいで家に帰り,玄関で全裸になって新聞紙でがしがしと体を拭き,アルコールでがしがしと拭いた。着替えはまだ数日もちそうだ。持って帰った紅茶に砂糖をがんがん足し,少しずつなめた。明るいうちに家の中を少し片付けて退路だけは確保し,ついでに捜索してあめやちょっとした菓子を拾い集めた。でも何日分で割れば良いのかわからなかった。プロパンなのでガスだけは付くことを知った時は嬉しかった。もう一度外に出て,避難所になっている近所の学校にまでなんとか行き,頼まれていた,うちの近所に住んでいるという子を捜した。見つからなかった。つながれていない犬が歩いていた。消防署の避難者に紛れ,一口チョコレートを2つ貰った。帰宅し,また体をがしがし拭いた。トイレが流せないので気休めに芳香剤を置いた。フライパンにクッキングシートをしいて冷凍保存のご飯をいためて食べた。明るいうちに猫トイレを掃除した。外套をまた着こんでラジオと猫を抱いて布団にもぐりこんだ。とても喉が渇いて,とてもお腹がすいていた。  明日はうちの布団を担いで職場に行こう。  余震とサイレンは一日中,やむことがなかった。  次の日からは,避難所運営と,子供らの安否確認に走り回る日々だった。携帯はずっと圏外だった。布団を担いで職場にまた歩いて行ったら腕がもげそうだった。ヘドロと瓦礫でまだ車が入り込めないまちに徒歩や自転車で強引に入り込んで,生きている人を探した。100個単位でおにぎりを握って手のひらを火傷した。何回か,河をさかのぼる小さな津波を見た。浸水した家の中で2日間起きられなくて今さっき自衛隊に救助されたというおばあちゃんが靴下だけで歩いていた。靴を貸したが,もう歩けないとへたりこんでしまったので,背負って大きな橋を渡った。背中で謝られ続けて「いいがらばあちゃん,しっかりつかまっでございよ。」とだけ言った。相方が,実家の父の運転で帰ってきてくれた。双方の実家の人々も無事だった。それからは2人で一緒に避難所運営と安否確認をした。何人も見つけた。子供らを助けてくれた人に,泣きながら頭を下げた。ヘドロのまちですれ違った,包まれて運ばれていくのは幼児の大きさだった。うちの子供らも,何人も,亡くなっていることを知った。知り合いの訃報が,毎日,毎日,入った。盗人や略奪や暴力を何度も,何度も,何度も見た。道路の脇で疲れ果てた年寄りが座り込んでもう立てないでいるのを,車が人を引っ掛けておいて逃げるのを,水産のトラックの積荷が腐って恐ろしい匂いの汁がぼたぼたと垂れるのを,小奇麗にしたボランティアたちが物珍しそうに記念写真を撮っていくのを,全て見てみぬふりをして通り過ぎた。あの日の火事で避難所ごと燃えた人たちがいた。波に飲まれた避難所がいくつもあった。保育所はお昼寝の時間だった。幼稚園はバスで帰る途中だった。気づかずについた足の傷が,汚水で膿んだ。体がみるみる薄くなって下着ががぼがぼになった。避難所はどこも浸水したままで泥だらけでぎゅうぎゅうで足の踏み場もなくて人が歩く廊下に年寄りの頭がありそして何も足りていなかった。うちの地区の水は結局ぜんぜん引かず,大型のポンプ車が水をパイプで汲みだした。電気が被害の小さい地区から少しずつ,少しずつ,信号,街灯,公共機関,一般家庭の順に回復していった。電気が帰ってきた箇所を見つけては,2人でうわあうわあと声を上げて喜んだ。嬉しくて涙が出ることを知った。泣いていたら通りすがりのおじさんが「お互い頑張りましょう!」と声を掛けていった。我が家も一週間くらい経ってからついた。テレビで初めて津波の映像を見て,これは自分は死んだと思われたのも無理がないと思った。被災地として挙げられるのは全て見知った地名だった。ぼんやりと眺めた。携帯が回復してネットに戻ってこられたのは3月20日。被害の小さい地区から少しずつ少しずつ店が開き始めた。何時間も並んでやっと食べ物や生活必需品を買った。ガソリンに8時間並んだ。店の側の人間ももれなく被災者だった。瓦礫は少しずつ片付けられて主要道路は通れるようになった。生活道路はうずたかく積み上げられた瓦礫,震災ごみが,余震のたびに崩れる。水は結局2週間くらいかかったので,それまでは毎日自転車で水をもらいに行った。洗えない代わりに消毒薬を何回もすりこんだ手足は荒れてぼろぼろと皮がむけた。水が出ても一週間くらいは,緑色に濁って砂が沈み,河のにおいと消毒薬のにおいでとても飲めなかったが,トイレが流せることと石鹸が使えること,酷いにおいのしていた衣服と体を洗えることがなにより嬉しかった。  天罰と言われていたことを知った。  あとはだいたい,ネットに帰って来ての通り。4月から避難所運営は市と自治組織にゆだねて自分は任務を解除され,以前の業務に戻りつつある。クライアントの被害が大きいので,通常運営は5月にならないと始まらない。今は被害の小さかった地域はだいぶ機能が回復し,並ばずとも物が買えるようになり,欠乏感は薄くなってきた。でもまだまだ訃報と別離が止まらない。かなしみはもっと終わらない。このまち,そんなに好きでなかった。不便だし,柄悪いし,変なにおいがするし。でも失ってしまって,ああ,本当に,自分はこのまちに住んでいたのだったのだなあと思う。ひともまちも変わってしまった。みんな泣き笑いと空元気でがんばってがんばってがんばってしょうがないしょうがないしょうがないと言いながら毎日を過ごしている。自分で動かねば生きていかれないから。酷い空気と酷い臭い,酷い風景,酷い思い出からの逃げ場はどこにもない。たくさんの水や寄せる波,引き潮で底が見えている水辺を見るのが怖い。積んである材木や,リサイクル用にブロックになっている古紙,製紙のロールも怖い。それらの水に浮く大きな物が人家や車に刺さったり,押し潰したりしているのをたくさん見たからだと思う。でもテレビに被災地が映ると,釘付けになる。知り合いが映らないか見知った場所が映らないかとじっくり見る。揺れや津波の動画には身震いがするが現実だからしょうがない。日のあるうちに身が空いたらまちの中のまだ行っていない地域に出向く。自分の被害が軽かったからと現地にいながら自らを外部化して終わったことにすることができない。それらの行動は周囲にはあまり健康的な様子には見えないらしく被災地外から「精神的に良くないからやめなよ。」と言われるがしょうがない。いろいろ「何かさせて」と言われたが,僕への支援物資は正直何もいらないからもっと足りないところへ自分の力で何とかやってほしい。その仕切りまでやる余裕は僕にはない。家族やごく親しい人にだけ,時々話をする。それが仕事なのだが,僕が会いに行くと笑う子がいて,ほっとする子がいてその家族がいて,それしかできない自分の無力を家に帰ってから転げまわって何時間も泣く。泣き終わったら自分のために丁寧にお茶をいれる。また次の日は口に食べ物を押し込んで仕事に行く。  生き残ったのだから。  生きていかねばならない。 ---------------------------- [自由詩]死ねばいいのに/虹村 凌[2011年5月9日23時31分] 牛込神楽の夜に帰りたいと思いました 新宿西口から練馬に向かうバスの中でそう思いました 氷屋がアイシーンと言う煙草を吸っていると言う 笑えない冗談を目の当たりにする下らない日常が 右斜線を通過していくのを見ながら 牛込神楽の夜に帰りたいと思いました 女子プロレスを見に行きたいしストリップ劇場にも行ってみたい ソープランドにも行ってみたいし君のパンツを被ってオナニーもしてみたい とか言っておけばどうにかなるかなと考えていました 結局君とは伊勢丹で朝食を共にする事は無く 僕は煙草を吸ってばかりいます バイクの名前が決まらないからバイクを買っていません 月収15万で何年ローン組んだら良いのかな そんな事を考えていました バイクを買ったら月収5万の君を迎えに行くよ タンデムには乗ってくれないだろうけど そんな事を考えていました 一人暮らしの倉庫みたいな部屋には ギリースーツを置いたりスロットの実機を置いたりしたいです マンガとCDとDVDを沢山置いて倉庫にしてしまいたいです 君が全裸で歩き回っても良い様に最上階にしようかな そんな事を考えていました きっと君はこう言うでしょう 死ねばいいのにと ---------------------------- [自由詩]魔女の娘は/佐々宝砂[2011年5月15日2時23分] 私の娘に出会ったら どうか伝えておいてください 何一つ伝えるもの残すものはないのだと ただそれだけを伝えてやってください 私が道のそこかしこに置いた石に あのこが躓こうとも 教えられようとも そんなこと私の知ったことではない あやしげな石像に どんな赤い花を供えたらいいかなど 決して教えてやらないでください ひらひらとてのひらを動かして 口の中で唱える言葉など ひとつたりとも教えてやらないでください あのこの父親のことなど 教えるのはもってのほか ほのめかしさえ禁じるべきです 幼いあのこは やがてはこの冥い道をゆっくりと歩き出すのでしょうけれど そんなこと私の知ったことではない ただ まあ お乳がほしくてなきわめくときだけは 渇きを満たしてやってほしいと そんなことを言う 私はたいへんわがままですが そんなことは伝える必要もなく あのこも理解するはずです 魔女の娘は魔女ですから このうちの東北にこんもりとしげる あの冥い森に ひょこひょこ頭を出す真っ白なきのこ あの使い道なども伝えなくていいのです 私の娘に出会ったら 鼻であしらって おまえの母親はおまえに何も残さなかったし 伝えることもなかったのだと 冷笑しながら伝えてください それですべてが伝わるはずなのですから それですべてが ---------------------------- [自由詩]時間旅行/umineko[2011年9月24日5時28分] 全部全部ネットの上にあるなんて思うのは大間違いだ 本当に伝えたいことはこんな画面の中にはないのだ 夕暮れの空の色がグラディエーションで変わっていく美しさを 言葉で表現することはどだい無理なのだ 私は 不可能を可能にしたいと思っているわけではなく 何かを成し遂げたいという強い野望を持っているわけでもない グラディエーションで変わっていく空のありさまを たとえばそれを誰かと見上げたことなどを 水まきするホースの向こう側に虹を見たことなどを それは私の角度しか見えない  それを誰かと共有もできない 屈折率の違いから水滴のアールを入射角として 自然光が多色光として分離される それよりも 夏の匂いが そらいっぱいの水滴で冷やされていくその有様を 誰とも共有できない そうだ それはたぶん私だけの グラディエーション 暮れてゆく空の哀しみを私はいつかあなたのそばで 哀しみも寂しさもひとりぼっちで だけど 時間は正直に流れていくよ あなたと 私が 隠している心のひだをひとつひとつ重ね塗りして 同じ空を同じ角度 同じ意味で分け合えるなら そこまで 私はゆっくり歩いていこう         ---------------------------- [自由詩]光る闇/umineko[2011年10月3日1時09分] 生きているのかどうか よくわからない 会話して 笑って そこそこのニュース それから それから 罪を犯せば 誰かが泣けば 生きてるって 思えるのかな 愛しても 愛しても 愛しても 愛しても 空に広がる 綿毛みたいに 世界は 何も救わない キス 許したら楽なのかな 生きてるって 感じるために あるいは そこに無限の闇が 明日 私が飛び立つために         ---------------------------- [自由詩]フライング・ソーサー/umineko[2011年10月21日6時59分] 生きてるだけでもうけもん さんまちゃんは言う そうだね ときどき 2ちゃんねるをみる 実にうつくしくないことばの羅列 そうだ ボクらは紙一重で 生きてる 生きてない ここはどこだ 大きなプロジェクトの ほんの一部を 下支えする毎日と 小さな夢つかいを 積み上げていく作業 優劣も 甲乙も 企画書の たった一行 あのね 誰かの心のひだに 私を あわせて ゆらゆら 見えない場所の フライング・ソーサーを あなたのそばで見たいんだ もたれたり 指を重ね それはマナー シクス・センス でもね だいじなことは フライング・ソーサー あなたの中にある やわらかな闇と 私の中にある 仄かな ひかりを あわせて 抱き合って しずかに 泣くんだ アダムスキー 連れ去って 近くて遠い ここはどこだ       ---------------------------- [自由詩]かたちのない夕暮れ/umineko[2012年1月4日0時08分] 傷つけてる? って 聞きたいけど 聞いたところで 変わらないから 愛は かたちのない夕暮れだから 終わりも始まりも ただ 沈みゆく夕暮れだから         ---------------------------- [自由詩]いらない/umineko[2012年1月15日8時25分] ありがとうも ごめんなさいも また今度も いらない 生きている 私たちに また夜が 祝福する エレベータ 昇って  降りて 繰り返す 夜の波だ 打ち寄せる 肩が濡れる 生きている 私たちに ---------------------------- [自由詩]スカイブルー・スカイ/umineko[2012年3月20日22時22分] スカイブルー・スカイ 去年の私は もういない テロメア 擦り減って 私は少し身軽になった あなたのメール まばらになって 私は 一歩踏み出す準備 愛してるって 転写して 欲望 愛情 Copy Copy Copy スカイブルー・スカイ 薄紙を溶くように 季節は やがて春へと向かう 傷跡 自然にはかなわない だが 私には力がある 信じるという 星の掟 もたもた 足はすくむ そこは奈落 ブラック・ホール だけど ゆっくり陽は昇り 空の青 強く射して スカイブルー・スカイ 私らしく 私のために 私はいこう あなたに 短いメールを出すよ 空は こんなに青かったんだ         ---------------------------- [自由詩]Y/umineko[2012年4月11日3時28分] Y あなたは樹木 草原に立ち 両手を広げ Y あなたはグラス 降り注ぐ声を すべて  受け止め Y あなたは交差点 別々の人生が いつしか ひとつに Y ひらがなで書けば ゆ しっぽを抱えて 眠る子猫 Y やさしさの染色体 ゆるやかに満ちてゆく 夜のとばり ---------------------------- [自由詩]都営団地の屋上で/馬野ミキ[2012年8月21日14時02分] ハローワークに行ったふりをした帰りに そうえいばキムからの着信があったなと スリーエフの交差点で電話したら おばさんが出て ミキくん、ブログの作り方を教えてというので 一体あのババアが何をインターネットに発信したいのかと笑いをこらえながら それでも家に帰る気もなく 用事もない俺は 小学校のグラウンドがある十字路を左折して 練馬は高い建物がないから ラピュタが入っている規模の どでかい入道雲をみながら 坂道をくだって 夏休みの宿題や モンゴルの大平原について 思い出した 自転車置き場の雑草は元気がよかった 四階建ての都営住宅にはエレベーターがないので 俺は階段を駆け足であがった このあたりの踊り場にはすべて思い出がある どの消化器の裏にも 俺たちはびっしりと詩を描いた 立て付けの悪い 屋上への扉に 鍵はかかっていなかった ダイヤル式の鍵を キムが 区に変わって管理していた 扉を開けると そこはモンゴルか天空の城のようであった 俺は青い空の引力に吸い込まれそうになりながら 報われている気がした セミがセックスしたいセックスしたいセックスしたいと鳴いていて どこかから甲子園の中継が聞こえたかと思うと 本日は終戦記念日であります。という低くやさしい日本人アナウンサーの声が聞こえて この日本の 俺が行ったことのない知らない土地で 誰かが誰かに無言のまんま、花を添えたりした このように4011のじじいは耳が悪いのでいつでもアクオスをフルボリュームでいる けれど黙祷のときにはみんな静かになった セミ以外。 キムは 汚いビーチパラソルの下で 週刊ジャンプを枕に寝たふりをしていた 日本男児が昼間から働かず 都営住宅の屋上の鍵を改造し、屋上に忍び込み眠っているというのは よくないなと思った 俺は 両手を広げ 爆撃機の音真似をしながらキムに近づいた キムは寝たふりをしながら地対空ミサイルの砲撃準備にとりかかった。 辺りに高い建物がないし、俺はキムにふるちんになるようにすすめた キムは少し恥ずかしがったが 現代人はもう何十年もちんこを太陽に当ててないから何が本当にしたいことなのか忘れてしまってるんだと言って脱がせた 俺たちはサンオイルを塗り ダンボールの上でしばらく寝転んだ 甲子園の中継があっちとこっちからステレオで聞こえる 遠くで誰かがお経を唱えている 太陽は白から銀色になりそうなくらい震えている なんて圧倒的に存在しているんだろうか 俺はキムから奪ったサングラスで太陽を見つめた 太陽はどういう人生を送ってきたのだろうかと思った それから目をつむった セミたちによる求愛のオーケストラに身をおいて、寝た。 ---------------------------- [自由詩]むくろ、と/umineko[2014年3月1日22時48分] むくろと暮らしたことがある たった数日 むくろは 案外しずかで ちょうど 子供がいたずらに 掛け布団の下 座布団を仕込み あたかも眠ったふりをした そんなふうな かつて肉体だったもの かつて父だった人 そんなむくろのそばで 私たちは 何度も予定を反芻する 迎えにくるバス 折り詰めの数 家紋 かもん? そんなのあったっけ? あるんだよ日本中に 父さんなら知ってるかもね たぶん たぶんね 夜 むくろと眠った むくろは座布団みたいだ むくろは案外しずかで 私は むしろ熟睡した 点滴もない 動き回るワゴンの音も なにもない 星も見えない なんてゆうか 落とし前をつけにいく 高校生の気分です 体育館のうら とかね 私 私は生きていく あなたの知らない 世界に降りて むくろと暮らしたことがある たった数日 ---------------------------- [自由詩]死にたいと言うな 助けてといえ/馬野ミキ[2015年2月18日14時36分] 漢字の書き取りをしながら息子が大粒のなみだをぽろぽろとこぼしている 耳という字を書いていた どうしたんだ?と聞いたが俺には言わないらしい その後スマブラをしたんだけど俺の勝ちがちょっと続いたら 息子はかなり取り乱してこたつに潜ってしまった 不安定だな・・ 何か学校で悲しいことが多いのかも知れない だが敢えて楽観してみようと思う あんまり深刻にならずに 弟の写真に手を合わせ目を閉じてみる だけれどもうそこに弟はいない気がする だいたい俺が死んだところで毎年お盆に墓に帰ってくるだろうか 不老不死なんて言葉をたまに聞くが そこまで執着しなければならないほどこの世界は良いところか? 七回忌に鳥取に帰る予定を立てているがまあ母に息子をあわせたいというところが一番強い 夜、布団の中でGyaoのドッキリ動画を観る ドッキリが好きだ ドッキリで食えないだろうかと考える ドッキリを会社の面接に使えないだろうか 人間性が見えるのではないか 朝、玄関で息子を見送る そういえば以前、バイト先の霊感がある奴に ミキさんには狛犬の守護霊がついていますと言われたことがあるのを思い出した 信じているとも疑っているとも思っていなかったが 俺は両手を合わせて 俺の左右にいる狛犬を二匹、息子に憑かせるイメージを抱く あいつを守ってくれと 代々木へ カウンセングを受ける 認知療法をはじめる 例えば俺には階段を降りている時に誰かに突き飛ばされるかもしれないという不安が常にある そんな想像は馬鹿げているという客観性も持ち合わせているが その可能性が0%ではないという事実は拭えない 0,01%可能性があれば俺にとってそれは信じるに値するのだ だがまあ、階段を降りている時に殆どの人はそうは思わない それが認知の差だ 若くかわいいカウンセラーに「なぜ階段で誰かに蹴飛ばされてはダメなのですか?」と言われ 返答に困った そりゃ誰だってそんなのいやだろwww 俺には街で狂人に刺されるという妄想があり 街では常に緊張している だから酒を飲むのだろう あるいは狂人に刺されるくらいなら俺が狂人になったほうがいいのではないかと思ったりする だがそれは逃避だった 俺は自分自身が下品になることによって 世の中の下品から身を守ろうとしたのだ 何もしてないのに通り魔に刺されたり 理不尽な扱いを受けたりする可能性がある世界に生きているという心構えが自分にはないのかも知れませんと俺はカウンセラーに言った カウンセラーはたまに俺の発言に驚く そのおどろく顔がかわいい 付き合いたいと思ってしまう 病院の帰り、 まあ誰かに刺されたり階段で突き飛ばされても そういう可能性はある世界に生きているので致し方無いかなとか少し考えながら歩こうとしたが 大江戸線で傘をコツコツ派手に地面にぶつけながらホームをうろうろしている外人がいて やべーイカれた外人だ刺されるw とか思ったが何事もなかった そうなんだよね たいていはなにもないのだ 薬局に寄る これまたかわいい薬剤師が「大丈夫てすかー?」と言って俺を見て笑う 俺が雨でびしょ濡れだからだ 精神障害者を笑うってアグレッシブな薬剤師だなと思った だって精神障害者って怖いじゃん 急に暴れたりするし意味わかんないし 「夜は眠れていますか?」と言われ「はひ」と言った 本当は夜起きているが、俺が赤裸々に自分を語りだすとこの人も困るだろうと想いもあるし かわいい人が俺に親身だと緊張する 好きにならないように 家に帰り着信のあった母へ電話をかけた 俺と息子の帰郷に興奮しているようだ 甲斐性がなく申し訳ないと思う 息子が生まれた時から会っていない 嫁さんからメールがくる 明日の学校公開、仕事を休んで行こうかなと・・ 息子がいま学校生活で不憫な思いをしていることは俺達にとって共通の重要なテーマだ 別にいじめられているとかそういうことではないのだが 俺の精子から出ただけはあって小学校生活がうまくいかないようだ 俺は、狛犬も飛ばしたしあいつもあいつ自身で問題を解決していける強さを 持たなければならないと返信した 普段なら狛犬のくだりで「何いってんの?おたまおかしいんじゃない」と言われそうだが 「そうだね」という短い返事がきた 母は強しというが俺はそうは思わない 教育を女だけに任せるのは危険だ おたくは女にモテないが日本の女がおたくを育てるのだ 女は、守ることに特化しているがその自覚がない 母親が過干渉な子供は大人になってだめになる だがそれを変えるには男たちも社会も変わっていかないとだめだろうな だいたい得点力のない侍JAPANってどんな侍なんだよ? とか書いてるうちに息子が帰ってきた 雨に濡れている 寒かっただろう 冷たかっただろうと言って抱きしめたら このジャンバーが守ってくれたと言った ジャンバーとは素晴らしいものだ ジャンバーを売っているイトーヨーカ堂は美しい ジャンバーを作っている中国の工場で働く出稼ぎの少女をアカデミー賞の助演女優賞に推薦したい 芸術とはそういった地道な革命作業ではないか 死にたいと言うな 助けてと言え それなら相談にのる 死にたいと言われれば俺は死ねばと思う 助けてと言われればみんなくそったれと思いつつも腰をあげるんだよ 言葉はちゃんと使わないといけないんだ いつか俺が社会的に成功して テレビで素晴らしい歌を歌っていたら カウンセラーや主治医や薬剤師や デイケアの仲間やマンションの住民や 嫁さんの両親が感動するかもしれない さっき小便をしながらそう思った その可能性は0,1%くらいであるがそれは信じるに値する。 ---------------------------- [自由詩]理由/たもつ[2015年6月25日22時57分]     理由のいらない椅子が並ぶ 未明に墜落した紙飛行機の残骸と 食べかけのルーマニア菓子 砂浜の砂の数は 既に数え尽くしてしまった 栞の代わりに挟んだ魚が 静かに発酵して すべてのことはいずれ許されていく そんな様子を見ながら 道化師はひたすら 間違い電話をかけ続けた     ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]”ネット詩”を経由して―/オダカズヒコ[2015年8月19日22時36分] 最近は、ぼくは殆ど詩は書いていませんが、現代詩フォーラムや文学極道に 投稿する際に、たまに新しいのを作ることがあるくらいで、まぁ、ここ5年 くらいは、詩を書くという行為から遠ざかっています。 で、 殆ど、休日は釣りへ行くか温泉へ行くか、山へ行くか、職場が大阪のゴチャ ゴチャした町で、もう人を見るのが嫌になるくらいのところで毎日働いてい るので、どうしても自然のある場所に足が向くわけです。 しかし、そうこうしているうちに、詩を取り巻くメディアの状況というのも 随分、変化したもんだという感慨を、ふとインターネットを開き、ネットか ら見える「詩会」をみるとき、思うのです。 例えば、日本現代詩人会という組織が、ホームページを持っています。 (H賞と現代詩人賞を出している団体ですね。) まぁ、今時、無い方がおかしいんですがね。 日本現代詩人会 http://japan-poets-association.com/ ここの「その他の詩集賞」と記されたアイコンをクリックすると、 「◇第53会現代詩手帖賞 板垣憲司、野崎有 」 といった新着情報と同列に、 「◇第10回文学極道創造大賞 田中宏輔 (5年連続5回目の創造大賞受賞のため殿堂入り)」 などといった情報を入手することができます。 これは、かつて文学極道(http://bungoku.jp/)が、ドグマとして持っていた、紙 媒体とウェブ媒体のある種対立構造というものが、あっさり乗り越えられているこ とを意味します。 紙媒体から側も「ネット詩爆撃計画」といった「ネット詩」に対するある種の 色眼鏡があったわけで、こういった点を踏まえて考えると、隔世の感があります。 こういう動きは、世代が更新されるごとに、進んでいくことでしょう。 逆に、今の若い人たちには、ぼくがここで書いていることの意味はわからないか もしれない。 と同時に、「文学極道」というサイトは、公共性をより広く持つメディアとして の責任が出てきたと考えるべきだと思うのですが、まだまだその点、基盤が弱いと 言わざるを得ないでしょう。 ま、ですが、現代詩フォーラムで書かれている優れた詩書きたち。諸君らも、 文学極道“でも”投稿してみては如何でしょうか? 現フォで“だけ”で書いているよりも、 より大きな社会的な可能性に開かれていると、考えてもよいでしょう。 また、はかいしさん、澤あづささんかな?(ぼくはよく知らない人ですが) 「ネット詩の歴史」 http://matome.naver.jp/odai/2143806400877209701 という野心的な企画を纏めておられます。 そこで、この文脈で気になってくるのが、やはり、 文極の創始者ダーザインこと武田聡人のことです。 ぼくは全く彼とは親しくないです。 mailでやりとりしたことがあるくらいですが、 しかし一体彼はいま何をしているのか? まぁ、変な話。blogを覗いてみるしかないのですが・・(-_-;) blog「企鵝の会ーえいえんの相の下で―」 http://ameblo.jp/da-3835/ 一番最近の痕跡と思われる記述をblogから引用してみたいと思います。   『20150717追記  当たり前だがパーキンソン病がよくなるわけがない。先週も転倒して頬骨を骨折し短期間入院した。病院は転倒を恐れて歩かせないので寝ているよりほかなく、退院後パーキンソンの症状が著しく悪化した。動き辛さ、ただ存在しているだけでさいなまれる全身の苦痛、不快感、、、一日24時間・365日、これから解放されることはほとんどない。生ごみの袋のような体を古くて重い金属の潜水スーツに押し込められ、胸までの泥水が流れる暗渠を行進している。焼き場に向かってだ。心身の痛みを理解し共有してくれる者はいない。私も自信の苦痛に飲み込まれて他を見る余裕皆無だし。』 『』でとじた箇所が引用部です。 パーキンソン病という病名が出てきます。 blogでみられる彼の手記はとても貴重な「資料」ですが、内容がややバカっぽいので 嘘か誠かわからない点もある・・。 しかし、しかしですね。 彼はインターネットと詩を繋いだ、日本の詩会の最大の功績者の一人です。 “詩壇”が彼の窮状をほうっておくとしたら、歴史的な汚点だというほかありません。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]デカメロン/アニュリタ[2020年3月8日2時39分] 【大きな女の話】  さざなみのようなくすくす笑いが船室を満たし、ゆっくりと退いていくのを見届けてから、**夫人は次の語り手を指名した。 「恭子さんもお盛んだこと!わたし、ちょっとどきどきしちゃったわ。  それじゃあ次はお若い殿方がいいわね。どうかしら、水谷さん。あなたのご経験からお一つ、ちょっと変わったお話しをしていただけません? ずいぶんお若いようですけど、あなたほどハンサムで、意志の強そうなかたでしたら、色々なご経験もおありでは? あなたも今夜はおさみしいでしょう。  上手にお話ししていただければ、どなたかマダムなりお嬢さんなりからご褒美があるかもしれませんよ。」  大学を卒業したて、といった雰囲気の青年がウイスキーの入ったコップを開けた。彼が水谷らしい。生地や仕立ての良さそうな、明るい灰色のスーツに細身だが筋肉や骨格はしっかりしていそうな身体を包んで、今夜は緑色の細かい柄のネクタイをしている。金色のタイピンに白く光る石があしらってあった。  こころもち緊張したような笑顔を作って、水谷は語り始めた。 (水谷青年の話) 「私など、皆様に比べたら本当に赤ん坊のようなものですよ。経験も少なく、面白いお話もできないのですが、実は学生時代に年上の、商社勤めの女性に可愛がっていただいたことがあります。苦学していたものですから彼女の経済的な援助は大変ありがたかったし、いろいろな相談にも親身に乗ってくれて、とても優しく、人間的にも大変立派な女性でした。切れ長の目をした、美人でしたしね。  ただ、それが、妙な話なのですが、彼女は当時私が童貞であったことを面白がりましてね。なんでも童貞を連れて歩くのが良いのだとかで、色事もさんざん仕込まれたと言いますか、いや失敬。教えてもらったのですけど、セックスだけはさせてもらなかったのです。 「童貞にとってはなかなか刺激的な、様々な悪所に連れていかれたものです。  そういえばあるときは男性用の貞操帯をさせられて、スワッピング会場に連れていかれましたよ!  いやいや、そんな風にいうと、本当に意地の悪いサディストの女のように聞こえるかもしれませんが、心の優しいひとでしてね。灰色のスーツと白いコートの似合う、とても素敵な人でした。 「すみません。どうも私は御婦人方がいらしゃるところで、こうした話をする機会がなくて慣れていません。お許しくださいませ。脱線しました。  ある夜その女性が、面白いパーティーがあるからと、私を連れて、渋谷を青山のほうへ少しいったところにあるビルに行ったのです。  そこはロココ調の家具で飾られた、広い貸し部屋のようでした。ドアを開けてもらって、入ってすぐ驚いたのは、入り口の両側に番人のように立っていた立派な体格の二人の男性の姿でした。  なんと目の開いていない真っ黒な全頭マスクをかぶって口だけ出しているのです。そしてその口にも口枷がしてありました。さらに両手を後ろ手に拘束されています。  もちろん、その頃には私も、童貞とはいえいろいろ刺激的なことを経験させられましたから、それだけなら驚かないのですけど、その男性は二人とも全裸だったのです。  全身を縛った黒い皮ひも以外は。そしてなかなか立派な、とても太いペニスを勃起させていたのすけど、それが絵具かペンキかで、真っ赤にペイントされていまして、そこにローターが結び付けられているのです。  私を連れてきた女性は二人の男性の下半身を交互に見くらべて、「あらあら」と、声を上げて笑いましてね。そのまま笑いながら受付の背の高い女性と楽しそうに話しながらお金を払い、コートを脱いで受付の女性に渡し、黒のスーツ姿になりました。  二人の話によると、さすがにずっとスイッチを入れっぱなしというわけにはいかないようで、全裸男性二人の胸のあたりにスイッチがあり、受け付けの間は、萎えてきたら受付の女性がスイッチを入れるそうでした。そのあとは、来客の誰かが、気が向いたらスイッチを入れたり切ったりするのですが、案外優しい女性が多くて、二人ともパーティーの最後まで勃起していられる日が多いのだとか。そんな趣向のようでした。  受付の女性はシックなモノクロのメイド服を着て、白いリボンで頭を飾って、ピンヒールを履いた長身の女性でした。  私は彼女から、艶出しの白一色の大きな紙袋、ショッピングバックというのでしたか、それを、  「はい。どうぞ。」と、渡されました。  高く澄んだ声で、不思議と印象に残っています。  かなり大きなバックでしたので、何に使うのだろうと思っていると、  「あなたにはきっと必要になるんですよ。お持ちください。」  と、言って、微笑んでいました。 「中央のテーブルの上では、目隠しをされた女性が股を大きく広げて、全裸で飾られています。会場内はさながらエロティックなサーカスとなっていて、男女が様々な痴態をくりひろげ、それを見せたり、見たり、触ったり、出し入れしたりと、楽しんでいました。  私も一緒に来た女性に言われるままに、非常に整った美人の、しかし小人症というのでしょうか、背丈は小学生ぐらいしかない女性に鞭で打たれたり、乳首に針を刺されたりと、いろいろ経験させられました。  数時間もかけて一回りしたころには、私を連れてきた女性もひとしきり場の発情した空気を愉しんだようで、二人とも上気していました。私は服を脱がされ、下半身の下着1枚を残して裸にされていました。出かけるときは、大抵いつもそうだったのですが、この時も彼女の言いつけで、薄いシルクの下着だったと思います。脱いだものは、受付で渡された白いバックに入れて手にもたされていました。  しかし何といっても、私は童貞でいなければなりませんから、出来ること(させられること?)は限られています。そろそろ帰ろうか、と二人で目配せをし始めたころあいで、どちらが先だったか、会場の端に二百センチ近くもあろうかという、大柄で豊満な女性が半裸でいるのに気づきました。  私たちが近づいてみると、彼女はとてもきつい目をしているのですが、どことなく知的な感じのする黒髪の女性でした。相当太っています。ですが、肌の手入れが良いのか、きめ細かく、ぷりぷりしたチャーミングな感じでした。大きくて太った女性なのですけど、動作は機敏ですし、美人です。前の開いた、エロティックなスケスケのネグリジュを着ていました。ブラジャーはしていないので、乳首が見えていましたし、下半身には黒いレースのパンティーを履いていました。  「私はヒロミ。あなた、やってみる?」  と言われて、私は何のことだかわからなかったのですが、後ろにいた、連れの女性がトントン、と肩をたたいて合図します。(やれ)、という意味です。  「はい。お願います。」と、私は答えました。  すると、その女性よりさらに背の高い、筋肉も隆々の女性がいつの間にか横に来ていて、微笑んで言いました。  「そう。私も手が空いているから、一緒にやってやるよ。私はサエコっていうの。覚えてね。」  優しい声なのですが、なにか企んでいるような、面白がっているような響きが混じっています。金髪に染めた髪を横で結っているのが、野性的な感じの女性でした。  「いいわね。あなたも良かったじゃない。すごいことよ。私が九十五キロ、彼女は百十キロあるから、あなた、二百キロ超えを経験できるわ。なかなかないわよ。」  いわれるままに聞いていると、最初に声をかけてきた黒髪の女性が、私の顔に上から豊満な胸を押し付けてきます。床にはマットレスが敷かれていたのですが、そこに手の代わりに胸で押し倒されるようにして寝かされました。  もうひとりが、私の下半身の上に座ったようでした。  あっと気づいたときには、指一本動かせません。  上半身は先ほどの女性が寝ているのですが、何がなんだかわかりません。どうも顔の上に女性の腹部があるようで、おっぱいらしいものが片側の肩を押し付けています。片手の指は女性に咥えらているらしい。上半身のうち反対側は彼女の下半身の下にあるようで、二の腕のあたりに、隠微な湿り気のある肉が押しあてられていました。  下半身はさらにどうなっているのかわかりませんが、もう一人の女性の下になっています。  (プレスよ。)  と言う声が肉の壁の向こうから聞こえるとともに、どうやったのか、さらにぎゅうっと体が彼女たちに包まれていくのを感じました。もはや肉の布団のなかにすっぽりいるような感覚でした。彼女たちと接している私の体の隅々が、触れている女性の細胞に発情していきます。自分の乳首が激しく勃起し、触覚器官のように、女性の体を知覚します。  (そのコまだ童貞なの。とっておいているので、射精させないでね。)  と、私を連れてきた女性がいってくすくす笑うのが聞こえました。  良い匂いに包まれています。体が勝手にびくびくと動き始めました。  腰が動きたがってるのですが、押し付けられてほんの些細な動きしかできません。それでも少し動くとペニスが下半身を抑えている女性のどこか、柔らかいところの間をこすってわずかに動きます。  (だめよ。)  と、いう声が聞こえて、それを合図に二人の女性が私の体から降りました。  「どうだった?」  と、ヒロミと名乗った女性が訊きます。  「とても柔らかくて…」  それ以上何も言えない私を囲んで、三人の女性が楽しげに笑いました。  「いまのは前戯みたいなのもなんだけど、坊やにはかなり刺激が強かったみたいね。私たちの本領のガンキ、このコにしてもイイかしら?」と、サエコと名乗った女性が私を連れてきた女性に訊きます。  「いいわよ。でもイカせてはだめだし、童貞のまま返してね。」  と彼女が答えて、再び私の体はマットレスに押さえつけられました。  サエコが私の胸にまたがって尻を落とし、上から教えます。  「いい?これからガンキするけど、どうしても息が苦しくなったらマットレスをパンパン叩くのよ。叩く前に意識を失って死ぬ人もいるから気をしっかりもちなさい。それとすぐ叩いちゃダメ。頑張ってみなさい。」  サエコが前に巨体を動かし、私の頭を巨大な太ももが挟みます。巨大で筋肉もりもりで力強いんですが、柔らかですべすべした太ももでした。ゆっくりと、巨大な尻が私の顔を完全に覆って落ちてきます。あと三十センチばかりのところで、一度腰が止まり、彼女の指が伸びてきてパンティーがずらされました。さらに花弁が開かれます。  きれいだな。いい匂いだし、と思う間もなく、花弁に鼻と口をふさがれ、太ももと尻に顔面が完全に覆われました。ヒロミは私の下半身の上に乗りました。ペニスが彼女のどこかに挟まれますが、先ほどと違って体のどこにも全く力が入りません。文字通り指一本動かせず、ペニスの痙攣すらできません。  真っ暗な宇宙空間を遊泳しているような感覚でした。  私は舌を伸ばしました。海に口づけしているような感じがしました。 「マットレスを叩きなさいって言ったじゃない。大丈夫?」と言って、サエコが少し心配そうに私の目をのぞき込んでいました。 「偉いわ。がんばったね。射精もしなかったし。気を失うひとは、大体射精しちゃうんだよ。言いつけを守ったのかな。」 とヒロミが言って笑いました。  私の今夜の話はこんなところで。消暇の具に楽しんでいただけましたかどうか。なにせ若輩ですから、ご不満のかたもいらっしゃるとは思いますが、お許しください。  ところで、これが私の初めてのクンニリングスでした。その後、この時私を連れてきてくれた女性に鍛えられましたし、なにせ最初が命がけでしたから、多少は自信があります。お試しになりたい方は、お声がけを。  ご清聴ありがとうございます。」  集まっていた男女の、笑い声が花開いた。なあんだ、売り込みか。と思ったものもいたし、話をすっかり信じたものもいたようだった。  こうして水谷青年は、彼の物語を語り終わったようだった。 ---------------------------- (ファイルの終わり)