……とある蛙のたまさんおすすめリスト 2011年11月16日9時29分から2019年4月24日17時20分まで ---------------------------- [自由詩]河口の地図 2011/たま[2011年11月16日9時29分]  1) 庇には樋がなかった コールタールの屋根をはげしく打って  雨は黒い路地に、まっすぐ流れおちた ひくい窓を大きくあけて わたしは雨の音を聴いたはずなのに 路地に敷きつめられたコークスの 燃えつきた  かすかな炎の匂いだけを いまは覚えている 貝柄町の祖母の家で 夕飯がはじまった せまい土間に面した居間の板かべに くすんだ茶箪笥がならんだ一角があって まだ、育ち盛りだった叔父たちと 大きな丸いお膳をかこんだ 祖母は首にタオルをかけて 汗を拭きながら お櫃の横にすわった 丸い顔に太いまゆ毛と、胡坐をかいた鼻 一家の主は祖父ではなく  たくましい祖母であった 夕飯を食べおえると 祖母はりんごを剥いてくれた 外はまだあかるく  だれかが紙芝居の拍子木を カチカチと打ち鳴らしてあるいている 一切れのりんごを手にもって わたしは路地に飛びだした 紙芝居のおっちゃんはいつも 土手のちいさなトンネルの入り口に 自転車をとめて 黄金バットをみせてくれた 茜色の夕陽を浴びてはしる電車は 大門川の鉄橋を渉り  わたしと黄金バットの頭上をこえて 北の空に消えた  2) 大門川と二本の鉄路が交差した 三角地帯に三十軒あまりの民家が軒をかさねていた 祖母の家族がいつのころから その一角に住みついたのかはわからないが わたしが母や姉たちと離れて 祖母の家で暮らしたのは五、六歳のころだった 西に面した鉄路は、高い土手の上にあって リヤカー一台分のちいさなトンネルが 土手の底にぽつりと開いていた 祖母の家を出てトンネルをぬけると 砂ぼこりの道がまっすぐ 中之島小学校の校庭に向かってのびていて 夏の日の夕暮れ  道はまだあたたかくて ちいさなサンダルからはみ出した急ぎ足の小指が 小石を抓んでむずむずと痛痒くなった ポリ袋に入った鋳物の飛行機が ひくい軒下でまぶしくかがやいている 駄菓子屋の前をすぎて 校門の前の角を右折すると 歌舞伎小屋のような貝柄町の銭湯にたどりつく 今夜はどうしても 祖母の家の五右衛門風呂には入れない 月光仮面の夜だったから おとなも嫌う熱い湯に首までつかるのが わたしのひそかな自慢だった 銭湯の番台の上には 大きな目玉のようなテレビがあって 月光仮面のおっちゃんは 骸骨姿の悪人をかっこよくやっつけると 白いバイクにまたがって消えてしまうけど おっちゃんはなぜか悲しそうだった あんなに強いのに いちども笑ってくれなかった 日が落ちて薄暗くなったトンネルをぬけて帰った せまい路地に流れるラジヲの音 裸電球が温かくにじむ祖母の家で おむつのような白い腹巻をして眠るわたしは 仔犬とおなじ夢をみていた 3)        祖父はとても耳のとおい人だった 自転車の荷台にくくりつけた大きな木箱に 粗末な釣り道具を投げこんで 雨さえ降らなければ、荒浜までボラを釣りにいく 荒浜の海はいつも  紀淡海峡を越えてきた北西の風がつよく 紀ノ川を流れ下った木片や雑多なごみが  砂浜に打ちあげられ さらに、隣接する石鹸工場から流れてきた汚水など けっして、きれいな海とはいえなかった 松林の裾からまっすぐ海に向かって 伸びる波止があった 日焼けした男たちがにぎやかに群れて 丸太ん棒のようなボラを釣りあげていた 波止の先の赤灯台が すっかり夕日に染まるころ 男たちは背をまるめて無口な街に消えた 祖父はボラを売って たばこ銭を稼いでいたようだ 売れ残った日は夕飯のおかずになる 大きなボラにはヘソがあって 塩焼きにすると こりこりとしてとても旨いものだったが 祖母や母にとっては ありがたくない魚だったらしい 中庭に腰かけて機嫌のよい祖父は 友とふたり遊ぶわたしに 頭でカチ割れよ、といって 十円玉をひとつくれた 小さな駄菓子屋へ飛んでいったふたりは あめ玉を買って五円ずつなかよくわけた 祖父の働く姿はいちどもみなかった 仕事をもとめて 本宮の山深い里を捨てたという 幼い父や、叔父たちを育てるために 好きな酒と煙草を得るために どこでどんな仕事をして生きたのだろうか きっと、あのボラ釣りが さいごの仕事であったはず 自転車の荷台にくくりつけた木箱の背に 大きくつんぼと横書きして とおい記憶の街を駈けぬけた祖父は もう、ふりかえらない 4)    父の笑顔をたったひとつおぼえている 目じりをすこしさげた  面長の父が祖母の家のうす暗い土間にたって わたしを呼ぶ たきじ、単車にのってかえるかぁ うちにかえったら ええおもちゃ買うてきて、おいちゃあるぞ 父の声はきこえない だけどその笑顔はいまも、そう語りかけるのだ 昭和三十年代の紀ノ川河口付近は どこも材木の山であった 市堀川や築地川が水路のように交差した そのせまい川面は 筏が埋めつくす貯木場となって 川の両岸には多くの製材所がならんだ そんな築地橋のたもとで 父は建築資材となる鉄骨を組んで商売をしていた 河口の対岸には製鉄所があって 高炉は、くる日もくる日も  この街の夜空をまっ赤にこがした これからは鉄の時代や そう叫んだかもしれない父は からだも意思も、鉄のような男だったのに わたしはひ弱な鍛冶屋の息子だった 黒い単車の 父の背にしがみついて 貝柄町のちいさなトンネルをぬけたのは いつの日であったか たぶんそんな日がいくつもあって やがて わたしは祖母の家を巣立っていった 5)    丸くてやわらかい 母の背は いつもしあわせの一等席だった 茜色の空の下をはしる電車は 土手の上の鉄路を 北の空に向かう 重なってゆれる車窓の人たちは どんな理由があって あのさみしい空の下に帰ってゆくのだろうか きっと辛い思いをしているにちがいない なぜかわたしは 母の背でそんなことをおもった 灰色の空は冬だった 陽はまだ高い時間であったはずなのに 街はひくく  とおくで物悲しい響きさえした わたしは自転車の荷台にすわって 途方にくれる若い男と 市堀川の橋の上にいた きっと、迷子になったのだとおもった こわばった男の横顔は街をみつめたまま いまもふりかえらない 夕暮れの路地に 焚き木のけむりが漂うころ 祖母の家に帰りついたのだろう 母の背にしがみついて どんなに幸せであったか その日の母はうすいセーターを着ていて それはみどり色であったはずだけど 茜色の空の下を走る電車の色は思いだせない 貝柄町の路地に立つ 母の記憶はたったひとつそれだけ 思いだせない電車の色は いつからか セーターとおなじ色をしている 父の商売はうまく軌道にのった わたしも小学生になって 父や母といっしょに暮らすことになった 間借りしていた築地橋のたもとを離れて 西浜に三百坪の工場と家を構えた翌年のこと 父は夕食の居間でとつぜん倒れ伏したまま 三十四歳の若さで逝った そうして 祖父も、祖母も  父を追うようにして逝った のこされた母は、姉ふたりと八歳のわたしをつれて 土手の上の電車に乗った もう、だれもいなくなった祖母の家に見送られて 紀ノ川の長い鉄橋を渉った 北の空の下には もうひとりの祖母がいて わたしはまた 母や姉たちと離れて暮らすことになった 6) 道はまっすぐ ちいさなトンネルへとつづく 記憶は積みかさなって歪んでいるけど 大気のように透明だから いつも見えているのは一番とおい風景だ わたしはいま、一番とおいところに立っている およそ四十年の月日は、浅い川のようにせわしく 川底をさらっては足元を流れた ちいさなトンネルに入ると 晩夏の陽射しが跳ねるアスファルトの道が途切れた かたくて湿っぽい地肌の道は あのころとまったくかわらない 手が届きそうなほどにひくい天井だった 何歩あるいただろうか すっかり見慣れたはずの記憶の底にでた ほそい路地に沿って無意味な空き地と かたむいた廃屋にまじって まだ生きている人たちがいる ここはかわらへんよ、と 路地のおばさん そうだろうか かわらないのは地肌だけ  もう何も、のこってはいない わたしが愛した河口の街は 貧しい人びとが 鉄を灼き 鉄を曲げて、たくましく生きる街 かわろうともせずに朽ち果ててゆく そんな愚かな街ではなかったはず 何もかもがとおい風景だと知った こみ上げてくる切ない怒りは みちくさをしたあとの後悔とおなじもの 夜店はもうおわったのだ 北の空から電車がやってくる オシロイバナは、あの日とおなじ土手に咲いていた 五歳のわたしが手を伸ばし 晩夏の陽射しを摘んでいる この陽射しが西にかたむくころ どこからともなく 紙芝居のおっちゃんが自転車に乗って やってくるかもしれない 一切れのりんごは まだ、わたしの手のなかにあって 甘い香りがする ---------------------------- [自由詩]午後の詩集/たま[2011年12月6日13時59分] 空いっぱいの夕やけを見たいとHが言う  寒くない?  うーん、だいじょうぶ。  今日はあったかいし絶好の夕やけ日和よ。  どこがいい?  うーん、  海がすぐちかくにあって、川の流れてるとこかなぁ。 今日のHは気むずかしいかもしれない そんな気がした 汐が満ちてきたのだろうか 屋根のひくい水上バスが通るたびに、河川敷のひろい 遊歩道に群れた冬日が波にさらわれて、隅田川の川面 にすべり落ちては濡れていく 対岸に林立する高層ビルの蒼く澄みきった視線が、河 川敷に佇むふたりをとらえて離さなかった 真冬の森のように なにもかも落としてしまった素肌の街に ふたりは迷い込んだのかもしれない 佃島の上空を 白い鳥たちが海に向かって飛んでいく  ねぇ、東京のカモメはどうしてあんなに高く飛ぶの?  ウ・・ン、それはねぇ・・。  ねぇ、海はまだとおいの?  ウ・・ン、あ・・、そんなことない。すぐそこだよ。  夕やけ雲・・、見れるかなぁ・・。 Hはわたしの返事を聞いていないようすだった たぶん、自分自身に問いかけているのだろう 肩がふれたまま手をつないで 冬の灯りをまっすぐ受けとめたHの横顔を見つめた 冬がくるたびに 森はそうして美しくなってきたのだと思った 飛びきり美人じゃないけれど わたしのなかでは、いちばんのきれいだった  やだぁ、なに見てるの?  きみの横顔だよ。  ン・・、おもしろくないひとねぇ・・。 Hは時々、そんなふうに感情を隠した どうしてもわたしに見せたくない素肌をどこかに隠し ているのだろうか  あたしね・・、早くおばぁちゃんになりたいの。  え・・。 どうして?  ン・・。 あなたを見つけたから・・。 思いがけないことばが、孤空から落ちてきた それはたぶん、Hの素肌から溢れたことばだったはず すばやく肩を抱きよせて うっすら紅のさしたつめたい耳朶をつよく吸った  あ、ごめん。  そうじゃなくってあたしね、  早くおばぁちゃんになって、ちいさい詩をいっぱい  書きたいの。  それが夢なの・・。 ちいさい詩は、Hの素肌の森から生まれるのだろうか こうしてHの傍にいたら、なぜかこのわたしも、詩が 書けるような気がした  おっ。いいね、それ。  かわいい詩集ができるとおもう。きっとね。  うん。でもね・・。  たいへんなの。おばぁちゃんになるのって・・。  ほら、あんなにたかーい空の雲とおなじ気がするの。 そう言って、Hは隅田川の空を指さした  あーー。  ねぇ、ねぇ、雲がでてきたわよ。  ほんとだぁ。  すこし紅くなってるね。  わー、きれい。  猫のお腹みたいな雲・・。好きだなぁー、こんなの。 一瞬、空は息をとめて やがてなにもかも紅く染めはじめた それは、ふたりで編んだ午後の詩集の紅い表紙だった かもしれない すっかり日が落ちた隅田川に蒼い橋が灯った  ねぇ、すてきね、あの橋。  なんて名前なの?  ん・・、知らないの? あれは永代橋だよ。    ふーん。  あの橋、わたって帰りたいなぁ・・。 あおい橋をわたれば あたらしい年が待っているのよ、とつぶやく Hを抱きしめて渉った ---------------------------- [自由詩]あの日のマリアへ 2011/たま[2011年12月21日12時54分] ね・・、きれいでしょう・・・。 踊り子は楽屋のソファに胡坐をかくように両膝をたてて 物憂い女陰をひろげて見せた ラッパのふくちゃんは太鼓腹をきゅうくつそうに折りた たんでひたいに汗を滲ませて真正面から覗きこんでいた あのころ ぼくの視力は2.0 一秒でも見つめたらすべてがひとみの奥にやきついた まだ熟しきらない淡いピンクの無花果を、両手の親指で ひき裂いたようなかたちして そこは 出口なんだろうか・・・、それとも 入り口なんだろうか ひくい天井の蒼い息をはく蛍光灯のしたで、だるそうな 踊り子の体温さえ感じたけれど ふしぎとセックスの匂いはしなかった その日も いつもの終電に乗って真夜中のアパートに帰った 駅前の商店街のくらい路地には数人のやせた娼婦がたっ ていて、通りすがりの男たちに声をかけていた おにいちゃん・・・。  どうしても初めての女とはセックスができなかったぼく は、娼婦の顔も見ないで足早にまっすぐ歩いた もちろん、そんなお金はなかったし、そのころは年上の 恋人がいて十分に満ち足りていた せまいアパートには年中ふとんがしいてあった いつものようにすこし酔っぱらった恋人が、ショーツ一 枚のつめたいからだにふとんをからめて、筒井康隆の文 庫本を読んでいた ぼくもブリーフ一枚になってその横にもぐりこんだ 煙草に火をつけて仰向けに寝ころんで、いしいひさいち の漫画を読んだ しばらくは、ふたりがめくる頁のかすれた音だけが聴こ えた ねぇ、だれかとしたでしょう・・? 触れてもいない踊り子の匂いを嗅ぎつけたのだろうか 恋人はぼくの腹に顔をうずめてブリーフをひきずりおろ すと、半立ちの根っこを口いっぱいにほおばって舌をか らめた いつも、見飽きることのないその横顔は たしかにきれいだったけど ひとみの奥にやきついた あれは もっと、きれいだった気がした いくつもの夜をわたって ひとひとりいない朝の盛り場を、昼下がりの月のような 顔ですり抜けて 踊り子はどこまで旅しただろうか たとえ切なくても 痛みのない明日を祈り スプーンいっぱいの希望を呑み干して 陽のあたる部屋に、たどり着いただろうか このぼくに似た キリストを産みおとすために ---------------------------- [自由詩]新春お年玉セット/たま[2012年1月1日12時44分]  あけましておめでとうございます。   たま  オロチ 箸は一本でいいと言う。 ふたりの子は箸を一本ずつ持った。 狐の権太はうどん屋に化けて 村の二本松の辻に店を出していた。 「おい、おい、おまえら。箸ならもう一本やるぞ」 ふたりの子は首をふって 「いつもこうしてる」と言った。 見ると器用に食べている。 どんぶり一杯のうどんがあっと言う間になくなって。 権太はおどろいた。 「へぇ、おまえら人の子ちゃうやろ」 「はい、オロチの子です」 「あひっー」 ド・ドーン・・と、二本松が揺れて権太はすっ飛んだ。 双頭の真っ白いオロチだった。  森のお店 青い山が雪化粧をしても、森のお店は開いてます。 ちいさなねずみたちが、ドングリを買いにきます。 ひもじいミミズクが、トカゲのしっぽを買いにきます。 こわい顔したイノシシが、子どもをつれて さつまいものツルを買いにきます。 「御代はいらないよ」 いつも、お店の奥からおばあさんのやさしい声がしました。 三月のまだまだ雪深い日のことでした。 ひとりの男がお店にやってきたのです。 「おばあさん、今日からぼくが店番をします」 「おやっ、あんた。もう定年になったのかい」 お店の奥からおばあさんの声がしました。 「はい。やっとです」 「そうかい。じゃあ、あとはたのんだよ」 しばらくお店の奥でカサコソと物音がしたかと思うと、 一瞬。 どっ、どっ、どっー、と、森が大きくゆれたのです。 その夜、寝不足のクマが干し柿を買いにきました。 「御代はいらないよ」 お店の奥からおじいさんの声がしました。 クマはへんな顔をしてお店の奥をそっと覗き込むと、 小走りで森に消えました。  羊さん 羊さんがいっぴき、羊さんがにひき、羊さんがさんびき・・。 羊さんがひゃくにじゅうごひき、羊さんがひゃくにじゅうろっぴき、 羊さんが・・、 あ、ころんだ・・。 おかあさん、羊さんがころんだよ。 ねぇ、ねぇ。おきてよ、おかあさん。 もう、この子ったら。また、ころんだの。 羊さんはやめて、お猿さんにしなさい・・。 お猿さんがいっぴき、お猿さんがにひき、お猿さんがさんびき・・。 あ、木からおちた・・。 ねぇ、ねぇ。おかあさん。  スーチ スーチは二歳の夏に捕獲された。 バイミヤンの深い森の中だった。 長い戦争が終って 動物園は空っぽだった。 はじめて熊を見た子供たちは大喜びして 何度も、何度も、スーチに会いにきました。 そうして十年が過ぎた。 人びとは少しずつ戦争を忘れていった。 動物園には象もやってきました。 でも、スーチの生活は何ひとつ変わらなかった。 今日も鉄の格子にもたれて 両手の掌を舐めている。 今もかすかに森の味がしたのです。  ぼく カラスがおまわりさんのような足取りで歩いてきた。 「おい、おい、そこのヒナ」 「えっ・・、ぼくのこと?」 ふり向いた時にはもうぼくはカラスの胃の中にいた。 それからぼくは山をふたつ越えた 柿の木の根元に落とされた。 悪いことをしたのはカラスだよと必死に訴えたけど 柿の木は大きなあくびして ぼくを肥やしにした。  夕日 音もたてずに こっそり憑いてくる 道は真っすぐだったから ぼくがふり返ると あいつは 慌てて身を伏せて隠れたつもり 馬鹿だなぁおまえは と 言ってやると それっきり 追いかけてこなかった 半日歩いても 道はまだ真っすぐだったから もう一度ふり返ると あいつは 身を伏せたまま 滲んだ地平線の上にいた ぼくは立ち止まって 眼を細めていたら あいつは ゆっくり沈んで見えなくなった 赤い犬だった  牛馬童子 昔、むかし 熊野のふかい山のなかに 抱きあうようにしてのびる二本の杉の木があって 里のひとたちは夫婦杉と呼んでいました 夫婦杉の根元にはちいさな巣穴があって いっぴきの子狐が棲んでいました 凍てついた真冬の夜のしたで子狐はひもじいお腹をかかえて まんまるい月を見あげていました  お月さまから白いお餅がおちてこないかのぉ。  あ・・。 子狐はふっと、なにかを思い出したように ふかい雪のなかを山里のみえる峠まで一気に駆けていきました 峠には牛と馬にまたがった童子のちいさな地蔵があって 地蔵の前にはいつも里のひとたちが供える 紅いとち餅がありました  のぉ、ひとつやらんか。 子狐は童子に紅いとち餅をねだったのです 童子はくすっと笑って言いました  千年たったら一本になる二本はなぁに?  答えたらあげるよ。 子狐は首をひねってウンウンうなったけどわかりません  ほら、おまえがねぐらにしている夫婦杉だよ。  しっかり守ると約束したら餅をあげよう。  うん。 約束するよ。 そうして子狐は千年生きて杉を守ったのです 夫婦杉はいつかしか一本のおおきな杉の木になって いまでは平安杉と呼ばれています ---------------------------- [自由詩]ブリキの金魚 2012/たま[2012年1月11日12時00分] うすっぺらな アスファルトを剥したら 今も蘇る ブリキの街 白く錆びた娼婦の肌が うすい庇の影に やさしく溶けて ぼくを呼ぶ はだか電球ひとつ 布巻き電線が這う天井 タイル張りの まるい湯舟に浮かぶ ブリキの金魚 あなたの柔らかい腕は 湯をはじいて  三つ子の背を離さない 貧しいということばが 生きていた あのひくい街の 空の下で くすぐったい紅の香りが 湯気を染めて おさない情けの海に 沁みてゆく 娼婦は浅い金盥(かなざらい)に 湯を汲んで ぼくの髪を 流しはじめた うつむいた乳房の夢が まどろむ皐月の宵に 汗ばむ肌と肌 重ね合って 見つめ合って 明日をも知らず ---------------------------- [自由詩]だれか買うてんか/たま[2012年1月20日14時43分] 便利やで。このひと。 うれしいと泣く。 哀しいと笑う。 恋もできる。 歌も唄う。 故障は少ない。軽くて丈夫。 充電式やから停電に強い。 環境に順応。 ええ仕事する。みんな欲しがる。 邪魔にならない。 時々、やさしい嘘をつく。 ワンオーナーの中古品。 まだ、十年は使える。 ちょっと、訳有りやけど。 どや、いらんか?  今なら安しとくわ。 お得やで。 現品限りやで。 さぁ、だれか買(こ)うてんか。 おっかしなぁ・・。 なんで売れんのや。 ---------------------------- [自由詩]このわたしを超えていくもの 2012/たま[2012年2月6日11時34分] 短歌を超える詩が、あってもいい 詩を超える短歌が、あってもいい 詩人も、歌人も夜はおなじ寝床で肌をよせあって 眠るのだとおもう 今日はもうなにも書けなくて はやくお風呂にはいってあしたにしよう、なんて のんきにかまえているけど あいにく、このわたしに詩心はなくて あるのはあさましい恋心だけなんだとおもう 歌が先なのか、恋が先なのか それさえわからなくなるほど恋をしては 詩を編んで 歌をうたってきたけれど なぜか、恋はいつも他人でしかなくて 体温をなくした歌だけがのこってしまった とおざかる女たちはいつまでも美しいというのに 詩人は歩くように詩を編み 歌人は息をはくように歌を詠む それはまるで 日々、やすむことなく 遺書を書きつづけているようなものだから いつ、いのちを閉じても悔いはないと いいきることができるだろう 一年の半分は詩を編んでくらしているけど それはもう日常に癒着しているから 多いとも少ないともおもわない ただひたすら 一字一句すくいとっては編むことに没頭している でも、詩を読むことも たいせつなしごとなんだとおもう ふしぎなことに 詩を編む力と、詩を読む力はひとしいから 読む力をおろそかにはできない もうひとつ、読まなければいけない理由は このわたしを超えていくものに 出逢いたいからだとおもう 詩歌に物差しはない このわたしを超えていったものとの 距離をはかる物差しは わたし自身なんだとおもう なんとも心細いはなしだけどしかたがない おのれを信じるしかない だから、詩人も、歌人もがんこ者ばかりなんだ とおい昔、赤毛の仔犬をもらってきた わが家に詩人はふたりいらないから おまえは歌人になれといいつけて も吉と名づけた もちろん、犬が歌を詠むわけではないけれど も吉とふたりして編んだ十五年分の詩歌は いまも、おまえの体温をたもちつづけて 裸のままでしか生きられないわたしを 温めていてくれる 詩人と、歌人の関係は たがいに物いわぬひとなのだとおもう それは ひとと、犬であったり 猫と、ひとであったりしながら 夜になればおなじ寝床に帰りついて においを嗅ぎあい、肌をすりあわせて たがいの体温をわけあって眠るかもしれない そうして 朝をむかえることができたら 詩心なんてどこにもなくて 肌をよせて眠るあなたがいるだけなんだと 気づくはず 短歌であっても 詩であっても ときには、おさな子のいたずらがきであったり 萌え尽きたおち葉の葉脈であっても このわたしを超えていくものがなければ たとえ、明日がこようとも まあたらしい詩を編むことはできないだろう それがなんであっても どんなに離されたとしても その距離をはかる物差しは わたし自身、なのだから [孤独]なんていう、都合のいい尺度はすてて ちょっぴりくやしい想いをあじわったら あとはもう お風呂にはいって寝てしまえばいい いつかきっと、追いつける日がくるから  さよならを育てるように恋をして       それでもいいと言いきるいのち ほら、またひとつ このわたしを超えていく恋がある ---------------------------- [自由詩]立つ/たま[2012年2月23日18時16分] 空も 海も 荒れている 鉛色した浜辺に 鈴をなげる こんな日であっても ひとは 生まれ死ぬのだろうか 鳥たちは 季節を選ぶというのに どんな理由があって 生まれ死ぬのだろうか 戻ってこいと 言えないのだろうか がんばれば もうすぐ 春が立つ 鉛色した 空や 海も そして あなたも もう いちど 立つ ---------------------------- [自由詩]縄文の犬/たま[2012年3月12日11時39分] わたしは縄文の舟を漕いでいる トチノキを刳り貫いた 粗末な舟だ 赤い犬をいっぴき乗せていた これが最後の猟だと わたしは思った 子どもたちは 夏の来なかった時代を知らない もう 危ない猟をしなくても暮らしてゆける 海はあんなに近くなって 魚も貝も たくさん獲れるようになった おい、骨になるときは一緒だぞ わたしの低い声に 赤い犬はふり向いて かすかに笑った 舟は河口の葦辺を渉りきって 深い森に辿りついた 穏やかな春の朝だった ---------------------------- [自由詩]きつねうどん/たま[2012年3月21日11時48分] ゆうてみて あたしのどこがきつねなのか そらぁ お天気の日に雨はおっかしわなぁ そんでもなぁ この雨を降らしたんはあんたやで しょぼくれた顔してうどん食べてたから 声かけたんや ねぇ あのお店の通りに お稲荷さんあったの覚えてる? あたしいつもあんたを見てたんや あたしは今日から あんたの油揚げや あんたはコシのないうどんのままでええ そんな夫婦があたしの夢なんや ほな、なにかぁ ぼくはやっぱし、きつねにだまされたんかぁ? うん、そうしといて 一生、だまされたままでいて たまには天ぷらに 化けてあげるから ---------------------------- [自由詩]きっとね 2011/たま[2012年6月2日21時48分] かたつむりがね いないとさみしいよね 木の葉の影の雨宿り でもね 木のてっぺんにもいるんだよ きっとね だって だって ひなたぼっこしたいから アリさんがね いないとさみしいよね ブランコゆれてる昼下がり でもね 一緒にはあそべないんだよ きっとね だって だって おしごとしてるから  まわる  まわる 地球よ  とおくいのち かさねて   まわる  まわる 地球よ  きみのあした ゆめみて  まわる  まわる 地球よ  あおい  あおい 地球よ   メダカさんがね いないとさみしいよね 田んぼの中の帰り道 でもね 見つからない時だってあるんだよ きっとね だって だって かくれんぼしてるから ミンミンゼミがね いないとさみしいよね 小さな森の夏休み でもね 土の中にもいるんだよ きっとね だって だって 冬はさむいから  まわる  まわる 地球よ  とおくいのち かさねて   まわる  まわる 地球よ  きみのあした ゆめみて  まわる  まわる 地球よ  あおい  あおい 地球よ  あおい  あおい   地球よ   ---------------------------- [自由詩]M 2012/たま[2012年6月25日10時31分] すこし太った と しわだらけのあなたが言う たしかに  しわの数はへっていないけれど わずかに 浅くはなっている 一年ぶりに 団地にUターンしたのが良かったのか また  独居老人になってしまったけれど 十九で双子の姉を 二十一でこのわたしを 産みおとし 二十八で夫を亡くし それから  ひとりで生きてきた がまんを転がすようにして育てた息子は ことし 五十才 年末の寒波が身にこたえたのか ひとり暮らしの部屋はさむい と めずらしく弱音をこぼした あなたがいま 一緒に暮らしたいひとは 娘でもなく 息子でもなく さきに逝ってしまった父だと  気づいたのは つい最近のこと おかしなめがねかけてなぁ と 息子の老眼鏡を覗いて  くすっと、笑った おかしかったのはめがねではなく すっかりおいやんになってしまった  息子の顔 それと もうひとつ あなたが覗いたのは  三十四で死んだ父の 初老の顔だ 母よ  のこり少なくなった がまんを わがままに変えてもいいから たくましく生きてほしい あなたがいつ逝っても  この息子は 後悔などしない 年老いた  父のすがたになって あなたを 見送ってやれるのなら ようわからん息子や と とぼけた顔して また 笑うかもしれないけれど 学校へ行け とは ひと言もいわなかったあなたが 十八のわたしに アタマとチンボは生きているうちに使え と言った あの日から あなたは母であることを捨てたのかもしれない しわだらけの父になる日は まだ とおいけれど 母よ 百まで生きてみないか ---------------------------- [自由詩]朝の日記 2012夏/たま[2012年7月9日10時20分] あした咲く朝顔は 雨の軒下でこうもり傘みたいに とじています あしたも雨なのかな 朝顔って、おかしな花(ひと)だね 傘をもって 生まれてくるなんて いちど咲いたら もう、とじられない朝顔 みたいな顔して 死んじゃったね みんな泣いてるよ しかたないよね 生まれてきたんだから あした死ぬとわかっていても 予行演習なんてしないよね あしたのことなんか だれにもわからない だから 傘をもって生まれてきても おかしくなんかない 雨のふらない人生なんて ありえないのだから お帰りなさい よくがんばったね 雨の日の部屋で あなたは朝顔みたいな顔して 眠っています あした咲くとわかっていても 朝顔を手折るひとなんていないよね みんな つながっているのだから わたしもいつか咲きます その日がきたら また、会えるから いつものあかるい顔をみせて もういちど 笑ってください ほら、今朝の朝顔のように もういちど 咲(わら)ってください  義妹(いもうと)へ ---------------------------- [自由詩]恋/たま[2012年8月11日20時29分] 昨日とおなじものは いらないのに 明日になったらやっぱり おなじもの? 君はかわっても ぼくはかわらないのかな いくつになっても? うん。 将来のゆめを語るひとでいたい 九十才まで生きて 恋をするの そう、 いくつになっても 昨日とおなじものはいらない ぼくの知らない明日がほしい 今日はもういいの? うん。 とっても いそがしいから ---------------------------- [自由詩]空のピアノ/たま[2012年9月13日13時22分] 空のピアノを見ましたか ほら・・、 二重橋のような、おおきな虹のことです ト音記号と、ヘ音記号のついた おおきな、虹 ドは、どこにあるのかなって 迷いませんか ふしぎなことに 上の虹と下の虹は、配色がちがうそうです まるで ピアノの譜面のようだと、思いませんか ドはいつも、まん中にあります ドを見つけたら、呪文をかけてください お・み・そ・しる・れ・ばーー♪ って ね、もう数えなくても ドレミが、読めるでしょう? あなたはオカリナ。いつもさみしいひと だって、音がたらないの ふたりが重なれば、ピアノになれる どんなKEYの曲でも、唄うことができる だから、 わたしと重なって、ピアノになろう あなたが上なら わたしは下になります 今日の雨がどんなにこわくても 明日からは ひとりで泣かないで ほら・・、もう見えたでしょう? あんなにおおきな 空のピアノ ---------------------------- [自由詩]ぼくのテレパシー 2010/たま[2012年9月26日13時12分] まいにち、テレパシーをとばしている とどいたのかなぁ 今日は雨だけど ・・・ れんちゃんにとって 六月はもう、真夏とおなじだった 朝から暑くてたまらないみたい ひんやりつめたい板間の風通しのよい階段のしたが 日ながいち日 れんちゃんの指定席になる 梅雨入りしたばかりの日よう日の午后 今日は畑しごともおやすみだから窓のしたの座椅子が ぼくの指定席となる とばしても、とばしても かえってこないテレパシー こんな場合はなんていうのかなぁ やっぱし、 おんしんふつう ・・ かなぁ ふと、気になって 階段のしたの、れんちゃんにテレパシーをとばす れんちゃーん ・・・ 心のなかで三回呼んでみた れんちゃん、むっくり頭をあげてぼくをみる おおっ、つうじたかな? って、おもったら れんちゃん、めいわくそうな顔をして ねむい頭を床にもどすと とれーど・まーくのじゃあーきー腹がふうせんみたいに ふくらんで ぷいっと、ため息ついて寝てしまった あれっ ・・・ 無視されたの? なーんてかわいげのないやつなんだろ おんなも四十をこえるとねぇ ・・・ あっ、これはとどくとまずいかも 髪がのびてくると天パーはたいへん 歳とともにほそくなったアンテナがからみ合って あー、これじゃあ、とばないかもね ・・・ でも、れんちゃんにはとどいてるみたいだから だいじょうぶだとおもうけど ねぇ、ママ。れんちゃんにテレパシーがつうじたよ。 ちがうでしょ。 それはね、アイコンタクトっていうのよ。 なんだ ・・・ そっかぁ。 雨の日は耳がうるさい わあわあ、きいきい うまくとばなかったテレパシーが耳のなかで 出口をさがして 右往左往しているみたいだ とおくても近くてもぼくのテレパシーは健気に とんでいくはず はやぶさみたいにね そう、しんじていたい もし、ぼくのテレパシーが半けい五メートルしか とどかなかったら とおくはなれたひとは愛せなくなる なんだかいちばんつらいなぁって、おもう テレパシーだって道にまようことがあるのだろう 知らないまちから招待状がとどいた れんちゃん、ちょっと出かけてくるね。 おるす番たのんだよ。 東京は何年ぶりだろうか 上野から十五両編成のながい列車にのった 小金井行だった 大宮あたりをすぎると都会のにおいがきえた 田植えのおわったばかりの水田の一角に こおばしく色づいた麦畑がみえた 水無月のとなりに麦の秋が佇むうつくしい風景だった 久喜でのり換えてようやく 羽生というまちにたどりつく みわたすかぎり平らな大地に まあたらしい駅舎だけがぽつりと目立つまちだった ああ ・・・  ここならどこまでもとばせるかもしれない 南も北もわからないけれど あてずっぽうにとばしてもだめかもしれないけれど ここならきっととどくかもしれない 何年かかってもかまわない 寄る辺ない遥かな真闇の海を旅したとしても きっとかえってくる はやぶさのように 天の川に蒼白の虹をかけて もえつきた ぼくのテレパシーが あのひとを つれて ---------------------------- [自由詩]月極のひと/たま[2012年10月5日14時26分] 月極(げっきょく)さんは資産家だ 日本全国に空き地を持っている でも、どこに住んでいるのだろう 月極さんのお家がない そう思うと、ちょっとかわいそう パートさんになった 月極で働くひとだ 国民保健は自腹 滞納は認められない 月極で生きるひとになった 黒いスーツ着て 黄金色の田んぼに立っているひとがいる よく見たら、案山子だった スーツを着た案山子は ゴトウ洋服店のセールスをしていたのだ でもねぇ、宣伝効果はあるのかなぁ 案山子の頭のなかに カオスがある カオスとともに生きるひとは 詩人なのかもしれない 屋根のない国に住む 月極さんなんだと思う 看板屋さんに憧れて 美術の先生にレタリングを教えてもらった ケント紙をB1のパネルに水張りしてポスターをつくった ドラッカーの「断絶の時代」 社会にでてほんとうに看板屋さんなった 親方に初めて仕事を任された 月極さんの駐車場だった 失恋をして 看板屋さんを辞めた どこか遠くへ行こうと思った 東京ならかっこいいと思って 十九の春 都会の案山子になった ひとりぼっちは好きだったし 品川にも、月極さんはいてはったから ぼくはなんだかうれしくて ここで生きようと思った ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]眠れないパンジー/たま[2012年11月8日21時07分] もう、十一月だ。 現フォもすっかりサボッてるけど、ここんとこ畑仕事もサボってる。 十一月は関西では玉葱の植え付けシーズンです。休日の朝、買ったばかりのラパンに乗って、玉葱の苗を買いに行きました。十二年間、黒いカブトムシに乗っていたのですが、この夏に故障して修理に出したら、国内に部品がないからと言われてひと月ほど乗れませんでした。また故障したら嫌だし、春から収入が減ったからハイオクで走る車は維持できなくなったし、二十年間、ペーパードライバーの家内が乗りたいと言うし・・、それでカブトムシを廃車にしてラパンを買ったのですが・・。 あ、そや、玉葱や・・。 あれ? おばちゃん、玉葱ないなぁ・・。 そうなんよ、今年は雨が多くてデキが悪てなぁ。お昼に入荷するから予約しとこか・・?。 あ、そうなんや。ほな、晩生200本予約しとくわ。あ、茎ブロッコリーもほしいけどぉ・・。 あ、あれなぁ、今年暑かったから苗できんかったんよ・・。 え、そうなん?。あれ、おかずになったのになぁ・・。 たまに夕食に出るステーキの傍らに、軽く炒めた茎ブロッコリーは最高の野菜だったのに残念だった。でも、収入が減ったからステーキもアテにならないかも・・。ああ、もういらんのかなぁ、茎ブロッコリー・・。 お昼ごはん食べて、苗を取りに行った。 一束600円。二束で1200円。約200本だ。玉葱の苗を知らない人は、茎の直径3ミリほどの細いネギを想像してください。長さは15センチぐらいです。それが100本だと大人の手でひと掴みほどになります。 お店を出ようとして、ふと、店先のパンジーの苗が目に入った。 あ、そうや。ぼちぼち、パンジーも植え付けなあかんなぁ・・。 でも、このお店は高いから安いとこで買うことにした。 ラパンにはエンジン・キーがない。ボタンを押すとエンジンがかかる。軽のくせして、ベンツみたいな車だと思った。あ、でも、ベンツには乗ったことない。ぼくはまだこの先三十年は生きるつもりだから、もうひと稼ぎしてベンツを買いたいと思ってる。まだ、まだ、年金詩人にはなりたくないのだ。ベンツ乗るまで死ぬもんか・・、 よーし・・。 あ、ちゃう、玉葱や・・。 自転車こいで畑に行く。 年間、一万一千円で借りてる我が家の菜園は、すべて玉葱で埋めつくしたら一000本は植えることができるだろう。でも、200本で十分だし、それでほぼ十ヶ月は玉葱を買わなくていい。玉葱は保存ができるからだ。ただし、早生はだめ、梅雨時に収穫する晩生でないと保存はできないのです。だからいつも晩生にするのだけど、そうなると、五月の夏野菜の植え付けシーズンに玉葱が邪魔になる。 ナスビ、トウモロコシ、胡瓜、トマト、西瓜、甘トウガラシ、など、夏野菜はいちばんの楽しみだから、五月の畑には大根や玉葱など冬の野菜はなるべく残したくない。だから、200本はぎりぎりの選択なのです。 日が暮れるまでに苗は無事に植えつけた。 これで来年の玉葱は確保できた。しかし、問題はこれからだ。 あいつらまた来るやろなぁ・・。 耕したばかりの畑は野良猫のフン場になる。少々、濡れていてもあいつら平気で穴掘ってフンをする。 あくる日の夕方、れんちゃんと散歩しながら畑に行った。 あ・・・、やっぱ、やられてる。 畝の中ほどに大きな穴がふたつ、そのまわりに植えつけたばかりの苗が散乱していた。猫の詩は美味しいけど、現実の猫はそうはいかない。たとえ、詩人であろうとここは心を鬼にして怒り狂うしかない。 まったく、もぉ・・。 なぁ、れんちゃん、あんたここで留守番してるかぁ? でも、れんちゃんは猫に馬鹿にされる犬だからそれもできないし、去年はネットを張ったけど今年はもうやる気もないし、どうしようもないなぁ・・、打つ手なしか・・。 あ、そや、パンジーや・・。  と、言ってもパンジーが猫を撃退するのではなくて、この散文はパンジーが主題だということです。では、もう少しお付き合いください・・。 十一月になるとパンジーの苗を植木鉢に植え付けて、玄関先に並べることにしています。いつも多くて五つぐらいだから苗の数はしれている。もう二十年ほどそんなふうにパンジーを楽しんでいるけど、土いじりを始めたころは熱心に園芸書を読んで育てたものです。 パンジーの育て方でいちばん大切なのは、花柄を摘むこと。つまり、咲き終わった花を指でつまんでちぎり取るのです。そうすることでパンジーの開花期を延すことができるのですが、なぜかと言うと、花が終わると必ず種になります。種がたくさん出来るとパンジーはもう花をつけなくなるのです。だから、種がつきはじめた花柄を摘んでやると・・、 あ、こら、あかんわ・・。と言って、 いつまでも花を咲かすのですが、パンジーがそんなこと言うわけありません。・・おい。 ところがそれがたいへんな労力を必要とします。甘く見てはいけません。なんせ春になって株が大きくなるといっぱい咲くのですから、もう毎日の仕事になります。 ある年、ビオラを植え付けました。ビオラはパンジーにそっくりだけど、ひとまわりちいさい花です。それがまたいっぱい咲くのです。おまけに花がちいさいから花柄摘みは相当な根性がいります。さすがのぼくもビオラは三年ほどでやめました。 そんなわけで我が家のパンジーは六月になっても花を見ることができるのですが、これはもう、パンジーにとっては迷惑としか言いようがないでしょう。パンジーは春が来たらさっさと種を宿して眠りたいはずですから。 あ、そうそう・・。 なぜ、こんな散文ができたかというと、山人さんの散文「熊の餌について」を拝読したからです。人は「植物にとっての危機感」を利用することで、花を咲かせたり、実を収穫したりするのですが、植物にとっては迷惑な話しかもしれません。 そんな気がして、我が家のパンジーにひと言謝っておこうと思うのです。 パンジーさん、ごめんなさい。 今年もよろしくね・・。 山人さん、ありがとうございました。 ---------------------------- [自由詩]北の亡者/Again 2012霜月/たま[2012年11月29日12時25分]  も吉と歩く 何もない冬の午後 も吉と歩く はたちの頃 一年ほど日記をつけた 何も残せず ただ消えてゆく日々が とてもこわかった 時間はたっぷりあったのに いつもの散歩道 水路は涸れて 空の色も映らない メダカや鮒はどこへいってしまったのか 雑草のタネを顔にいっぱいつけて も吉は糞をしている 何も残せないからといって あんなに苦しむなんて 冷たい季節風が わたしの生命をあらう よく生きてきたね いろいろあったね まだまだつづくよね そんなふうに呟いては トントンと背をたたくのはきっと 北の亡者にちがいない 冬は蘇生の時 今日は何も残さなくていい そんな気分がうれしくて も吉とふたり 遠回りして歩く              (一九九七年作品)    ※ あれから、いくつ 冬を数えただろうか ことしも星が降るように枯葉が地に落ちて それは 北の亡者の数えきれない足跡なのかもしれない ひとつとして 同じものがない 生きてきた日々のように 遠くからやってくる未来のように 書くことは、読むことだから わたしは、わたしの詩を読みたくて書いている 日記はいまも書かないし、書くこともないだろう だから、こうして 詩を書いているのかもしれない それは、遠い記憶が 未来からやってくるようなもの 再び、出逢って学ぶために わたしの詩は、明日のわたしだけれど 書けない日々があったとしても 何もこわいことはない たぶん も吉と歩いた、遠い日々が 帰ってきたのだと思うから も吉の骨は父の墓のなかにある わたしもそう遠くない未来に白い骨になる そうしたら また、一緒に暮らせるだろう 生きていても、死んでしまっても わたしはこの街にいて おまえもここにいる ずっと、ここにいて ずっと、冬を数えている 未来は永遠にやってきて わたしは歩きつづけるだろう 色とりどりの 北の亡者の足跡を、踏みしめて おまえとふたり いつもの散歩道 ---------------------------- [自由詩]雲の子/たま[2013年2月24日11時08分] 親はいないのか 捨てられたのか たかいのか ふかいのか 風がきつい まぶしい 今日の空 ひとのかたちで 風に捨てられて おまえは なんていう名の雲か 太郎か、次郎か 花子か、雪子か 名づけたら わたしが、親か 雲の子 おまえは自由でいい 手も足も 口も耳もないから 自由でいい ただなんとなく ひとのかたちに 似ていればいい ---------------------------- [自由詩]北の亡者/Again 2013如月/たま[2013年3月4日9時18分]  生きる 乾いた空の木の枝は 去年と同じ姿をしている 彼らは信じて疑わない この冬が やがて春になることを 人はどうして姿かたちを変えるのだろうか 老いることは人も木も同じはずなのに この冬空を信じて生きる人は きっとつよくてやさしくて ウラもオモテもない人にちがいない いつもの散歩道 も吉は慌ただしく糞をする ころころとした健康的なウンチのあと も吉の腰はしばらく曲がったままだ いつまでも坊ちゃんのような顔をしているけれど おまえもしっかり年老いた 北の亡者の許へ おまえを還す日が近いことを わたしは十分承知しているつもりだけれど ほら、あの木の枝のように つよく生きることはできない だから もう少し生きていてほしい 春は近いから あの冷たい木の枝がもうすぐ みどりに萌えるから それをまた一緒に眺めよう この冬空を信じて 生きてゆこう            (一九九九年作品)    ♯ 二月はいつも曖昧に暮らしている。 今日は二十七日なのに、もうひとつ、日曜日が残 っている気がして、楽しみにしていた。 友人のライブが月末の日曜日にあって、行くつも りで予定を立てていたのだ。 二月の月末って、三十日だったっけ……。 たぶん、そんな曖昧な感覚でいたのだろう。約束 した予定ではなかったから、ことなきを得たが、 気づいたときにはもう、日曜日はどこにもなくて ちょっと、へこんだ。 十六日には朗読会の予定があって、土曜日だった けれど、会社は営業日だから有給をとって、車で 一時間ちょっと走って、道に迷って、ようやく、 現地に着いたら、朗読会場の喫茶店が閉まってて、 もういちど案内状を確かめたら、 あらっ、三月十六日かぁ……って、呆れたばかり だったのに。 書くものが何もなくなってからが、ほんとうの創 作だと、或る作家がいう。小説の場合はたしかに そうも言えるだろう。では、詩作の場合はどうだ ろうか。たぶん、いつも何もない状態だと思う。 だとしたら、詩作は、ほんとうの創作だと言える のか? なんだか、ややこしい話になってしまう。 そもそも、ほんとうの創作ってのが怪しい。 わたしの場合は、年四回発行の同人誌があるから、 何もなくても予定は立てなければいけない。ただ、 それだけの話なら、わかりやすいのにと思う。 二十三日には、若かりしころに所属していた山岳 会の先輩を十数年ぶりに訪ねた。小学校の先生を していた先輩は、定年後に短歌を書き始めた。 雪や岩と、夢中になって遊んでいたころは、お互 いに、詩歌とは無縁だった。二時間あまり、短歌 や、詩の話ばかり、山の話はひと言も出てこなか った。八十二歳だという。 ようやく果たせた、十数年ぶりの予定だった。 今年も春一番が吹いて、消えてしまった二月の予 定は、いつか来る日の、予感だったかもしれない。 も吉と歩いたあのころの、果たせなかった予定は すべて忘れても、残された詩のなかに書き記した 予定は忘れることはできない。それはただひとつ、 生きるということ。何も書けなくなっても、それ だけは果たさなければいけない。 も吉が残した、わたしの主題なのだから。 ---------------------------- [自由詩]北の亡者/Again 2013皐月/たま[2013年5月14日13時33分]  田んぼ 乾いた田んぼに水が入って 追いつけないままに去っていった 春の詩をようやく諦める 花菖蒲は元気に咲いている 紫陽花もゆっくり色づいてゆく 発芽した朝顔は満員電車みたいに ぎゅうぎゅう詰めだから すこし間引いてやる いつもと変わらない梅雨の入り も吉もすっかり冬毛がおちて 午後のアイスクリームが 一番の楽しみ 最近はシニア用のドッグフードなんてのを 食べるせいかすこし肥えてきた 足腰はすっかり衰えたというのに いつもの散歩道 ひと夏休んだ田んぼに水草のような 稲が並んだ ああ、よかった と よろこぶのはトンボや蛙だけじゃない わたしの足も軽くなる ヒトは今も水辺の生きものだから 七年耕しつづけた畑の契約を ことしはできなかった 田んぼも畑も薄っぺらなコンクリートの 大地に変化してゆくが この地表のすべてを ヒトが借り受けた訳じゃない また 春に逢えますように 北の亡者と交わす契約はいつもと同じ 異星のような 梅雨空の下で            (一九九八年作品)   ♯ 勤めていた会社の近くの市民農園を借りて、畑づ くりを始めたのは三十一歳のころだから、ちょう ど、わたしが詩を書き始めたころと同じだ。借り た農園に、ジャガ芋の種芋を植え付けたのはその 年の二月だったと思う。毎日、畑に通っては、ジ ャガ芋の芽が出るのを心待ちにしていた。 詩を書くことは畑づくりと似ていると感じたのは、 ずっと、後のことだけど、畑づくりとともに、わ たしの詩は成長したのだろうか。畑づくりは、土 づくりだと言う。たとえ借りた大地であっても、 それは一期一会のような付き合いが、毎年、春が 来るたびに更新されて続くのだった。人ではなく 、季節もまた、一期一会なんだと気づいたとき、 「北の亡者」が誕生したのだと思う。もちろん、 そこにわたしを導いたのは、も吉だった。 ことしの五月はいつになく気温が低く、トマトや、 ナスビや、トウモロコシといった夏野菜を植えつ けたのは連休明けだった。ただ、それにはもうひ とつ理由があって、この連休は慣れない船旅をし て、三宅島の友人を訪ねたからだ。 三宅島の雄山は、ほぼ二十年ごとに噴火を繰り返 し、今も噴煙と火山ガスを吐き続けている。三宅 は現役の火山島だった。島のいたるところに溶岩 と軽石が堆積して、畑はわずかしかないと友は言 う。五日間の滞在中にアップダウンとカーブの連 続する島の道を何周したことだろうか。そこには 海と山しかなくて、田んぼはおろか、畑さえも見 あたらなかった。 それでもこの島にも五月はやってきて、一期一会 の旅人を迎えてくれた。二〇〇〇年の噴火で枯れ 木の山となった雄山も、すこしずつ土を再生し、 いつかきっとスダジイの原生林が甦ることだろう。 わたしの土づくりも同じこと。いくつもの冬を超 えるたび、真新しい春に出逢うことなのだと思う。 それが、北の亡者と交わしたわたしの契約であり、 そのなかに、詩づくりも含まれているのだろう。 そして、ことばも実を結ぶ。 わたしはその実を、詩果(しいか)と呼んでいる。 ---------------------------- [短歌]玉葱なひと/たま[2013年6月29日9時04分] 乾いてる軒下暮らし梅雨の日もそれが定めとうな垂れて ほんとうに美しい玉葱の芯どうしてもほら泣いてしまいます 玉葱の玉を採ったら葱だらけでもそれは夢二兎(にと)を追うひと 玉葱の芯に隠れて冬の夢凍てついたまま凍てついた夏 この星(ひと)にしがみつくなら玉葱の針のような根アザラシの髭 玉葱の身を剥くひとはいませんか蚊帳に隠れて泣きたい夜に どうしても言えません刃を落とすのはあたしの情け憎いだなんて あなたはいつも食べるだけ涙見せても笑うだけだから男ね 九条の葱に憧れたあんなに細く色っぽく八百屋の軒で 一度でいいのバーベキュー海辺のようなベランダで茄子はいらない 陽だまりの芯は凍えてくしゃみするそんなあなたは玉葱なひと 幾重にも芯を閉ざした玉葱のあたしに似てる陰(ほと)のかたちは あたしたち長い日が好きネギ属の白夜の下で夢語るひと 薄いのは薄情だねって言うけれど皮で染めたの黄色いハンカチ 思いきり刻んで炒って殺してもカレーライスはあなたの味方 今朝の夢肉じゃがになるパパママこの子鍋の底まあるいお腹 玉葱の嘘聴くたびに泣くほんとはねどこにもないの芯なんて  ---------------------------- [自由詩]雨の日の猫は眠りたい 2013/たま[2013年8月1日9時57分] 葉月の昼下がりのどうしようもなくもてあました窓の したで、たったいま、わたしにできることをすべて思 い浮かべてみても、ただ、雨の日の猫のように四つ足 を投げだして眠ることしかできなかった。 そうして浅い夢をいくつも、いくつもわたり歩いては、 エノコログサの生いしげる夢の戸口に立ち尽くして濡 れていた。 長い雨だった。 いつまでも犬のまま雨に濡れて生きるのはやめようと 思った。いないはずの恋人、もしくはあり得ないわが ままをどこまでも、どこまでも、追いかけていたいわ たしはきっと雨の日の犬にちがいなかった。 もう、いいと思った。 芯まで濡れたこのからだを乾かさなければやさしく老 いることもできない。 だからもう、浅い夢をわたり歩くのはやめようと思っ た。雨の日の猫のように明るい窓のしたや、乾いた木 の階段の上から二段目あたりで涼しい顔をして、たっ たひとつでいい、やわらかい猫の手のとどく夢を見て いたい。 まぁるい顔をした牡猫のようなわたしがいつもの食卓 に頬杖ついてあつい紅茶をすすりながら朝のパイプを 銜えていたとしても妻さえ気付かないはず。 それでいいと思った。 目覚めた午後はほどよく冷えた西瓜をたべる。 汗にまみれたTシャツもブリーフも脱ぎすてて居間の 椅子に腰かけて、真新しいタオルを日やけしたほそい 首にかけて肋骨の浮きでたうすい胸を隠し、すこしで てきた下腹とちじれた陰毛の影に、だらしなくぶらさ がった部品の位置を気にしながら張りのないおしりは、 色あせた合成皮革に吸いついている。 午後の日差しはわずかに粗い粒子をともなって白いカ ーテンをゆらしている。窓の外には大きなケヤキの木 があってその梢の上には乾いた宇宙があった。 この地上にたったひとり分の木陰さえあればわたしは こうして裸でいたかった。 ときには犬でもなく、猫でもなく、ヒトでもない。 まるで西瓜のような生きものでしかないわたしをたし かめてみたかった。 階段のしたに眠るちいさな犬をまたいで二階にあがる。 廊下をかねた二畳ほどの板間の小窓から蒼い稲穂の波 打つ海が見えた。ささやかな営みをのせて季節をわた る箱舟がたどりつく港はまだ遠くても、いま、この海 になにを捨てればいいのだろうか。 洗いざらしの生あたたかい衣服を身につけてちいさな 犬と散歩にでかけた。 日にやけたアスファルトの雑多な小径はいく日も降ら ない雨を思い出そうとしては遠ざかる意識をつなぎと めようとしていた。よく手入れされた畑の心地よい表 情や、人の手をはなれた田畑の夏草に埋めつくされた 投げやりな視線のなかをちいさな犬と歩く。 老いることは忙しいか。 ちいさくても犬のかたちをしたおまえは犬のしあわせ を手に入れたか。 恋はしたか。 もうすぐ、わたしの年齢に追いつくことを知っている か。 過ぎ去った日々の晴れた日と雨の日をかぞえてみても、 それは昼と夜の等しい数をかぞえるように無意味なこ とだと思わないか。 季節だけがたしかな暮らしを運んでくる。 晴れた日は犬のように生きて、雨の日は猫のように眠 ればいい。それでも追いつける夢はあるはず。 老いることはどうしようもなく忙しいことだと知って いても、雨の日の猫は眠りたい。 浅くても、ふかくても、この地上にひとつとして、 無駄な眠りはなかった。 ---------------------------- [短歌]茄子紺のひと/たま[2013年9月6日11時12分] 茄子紺に染めてあなたのまわしなら俵踏みしめ恋尽きるまで 長茄子の紫の花何気なく紫紺に染める我が実知ってか 茄子は「成す」花の数だけ実をつけてしあわせになる畦のあなたと 足りないのあなたの肥やし気まぐれだからあたしの愛は食いしん坊 あなた時々浮気する紅いくちびる色っぽいトマトなひとに さそり座の身の上話し朝まで聴いて夜も眠らず実を肥やす 水茄子のどこがいいのよ糠臭いあたしを焦がすキッチンのひと 激辛のスープなんて恐くないそうよあたしはインドの生まれ スイカの隣ネギの畦ジョウロの陰のナメクジのあなたのウワサ たまには痩せる気まぐれなあなたの肥やし心細くて切なくて 雨の日にあなたは来ない日暮しの晴耕雨読の窓辺恋し あなたの愛は去年と同じ空あおく風あおく茄子紺のひとよ 今夜は少し色っぽい麻婆茄子よたまにわね覚悟しなさい ひと夏の恋なんて言わない秋茄子は嫁に喰わすな浮気バレても 天の川流されて夢辿り着く冷やし素麺茄子の味噌和え 長茄子の長月の恋哀しくて畦のひと追う赤蜻蛉ゆく ---------------------------- [自由詩]北の亡者/Again 2013神無月/たま[2013年10月23日12時52分]  ブランコ 息を吸って 息を吐いて 息を吸って 息を吐く いつも意識の片隅で 緊張している 生きるために 前脚を出して 後ろ足を出して 前脚を出して 後ろ足を出す も吉は必死に歩いている 耳も目も遠くなって 鼻だけが頼り でもブランコの柱は 匂わない だからゴツン…… さて わたしはどこまで 生きてきたのだろう も吉の姿はそう遠くない わたしの姿 だとしたらそれは 幸せな姿かもしれない この頃 そんな気がしてきた 犬の時間と人の時間いったい どちらが退屈なのか も吉に尋ねてみようか 息を吸って 息を吐いて 息を吸って ほら 秋はもうこんなに深い           (二〇〇〇年作品)   ♯  ひとは半世紀も生きれば、様々な生きものたち の死に出逢うことになる。  わたしが生まれて初めて出逢った死は父の死だ った。八歳のとき、病室から帰った父が居間の仏 壇の前で横たわっている、その不確かな感触の中 で、からだの芯から凍えきった父の横顔は、わた しのすべてを拒絶して近づくことすらできなかっ た。そのとき、わたしを支配したのは父の死とい う現実のみであって、わたしの感情を揺さぶるこ ともなく、足早に過ぎ去ってしまった。  泣くこともできなかった父の死を、わたしはず っと引きずって生きていたのだろう。幾度となく、 肉親や友人の死に出逢うたびに、死というものを どう受けとめたら泣くことができるのか、という 自意識の壁をわたしは超えることができなかった。  二〇〇一年六月、も吉は十五年の命を閉じて、 北の亡者の元に還った。この「ブランコ」はその 前年の秋に書いたものだけど、「北の亡者」は全 六章あってこれは第六章の最初の作品になる。こ こからも吉の晩年の作品がつづくが、も吉の死が わたしの半生を根底から覆すことになることを、 このときはまだ知らずに書いていた。  梅雨明けをもたらす雨が音をたてて降りしきる 夜、も吉は長い前脚をわたしの両手に預けたまま、 まるでこのわたしにお辞儀をするかのようにコク リ、コクリと三度、頭をふって息をひきとった。 まだ温かいおしっこがお腹のあたりから溢れ出て、 ようやく今生の苦しみから解放されたのだろう、 も吉は乾ききった口をとじて穏やかな顔をみせた。  も吉の死の衝動は父の死を超えて、わたしの頑 なな自意識を木っ端微塵に打ち砕いたのだった。 その夜から数年、わたしは幼い子供のように泣い て暮らすことになる。そうしてようやく、死の受 けとめ方を知って、生きものたちの死を共有でき るひとに、なることができた。  北の亡者というテーマが生まれたのは、も吉が 我が家にやってきた明くる年のことだから、も吉 がわたしのために与えてくれたテーマだと信じて いる。でも、その、も吉はどこで、だれから、そ のテーマを受けとったのだろうかと、つい考える ことがあってふと気づいたことがある。  も吉がやってきた年、わたしの年齢は父の享年 と同い年だったのだ。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]続・詩のしくみについて (折口信夫とわたしの因果関係を妄想する)/たま[2014年7月16日14時24分] 民俗学者折口信夫が唱えた学説は「折口学」と呼ばれますが、わたしはその折口学の信奉者なのです。 といってもその信奉の歴史はごく浅くて、わたしが折口学と出逢ったのは二年ほど前のことでした。それは折口信夫に纏わる評論だったのですが、小説は読んでも評論はあまり読まない方でした。面白くて、ためになる(詩や小説といったわたしの創作に活を与えてくれるのも)そんな評論に出会わなかったということでしょう。それで、たまたまその評論も就寝前の睡眠剤のつもりで、斜め読みしながら、うつらうつらと瞼が心地良く重くなり始めたそのとき、霊魂(たま)と、ルビがふられた漢字が眼に飛び込んだのです。 霊魂という漢字そのものはわたしにとって何の変哲もない言葉だったけれど、そこにふられていたルビをみてわたしは衝撃を受けることになるのです。 わたしが「現フォ」に入会したのは四年ほど前のことで、そのとき、ハンネをどうするか迷って犬好きのわたしは「ぽち」を希望したけれど先客がいました。それで、じゃあ、猫になろうと思って「たま」になったのです。そんな「たま」が(霊魂)に化けるなんて夢にも思わなかったのは、わたしの勉強不足というものでしょう。 折口信夫は霊魂を(たま)と呼んだ。その(たま)とは神のことであるらしい。神社の境内に敷き詰められた玉石は、玉(たま)つまり死者の霊魂が宿る石という意味だという。古代の人々にとって神とは森羅万象に存在するものであったから、海辺に打ち上げられた小石のひとつひとつにも神が内在すると考えた。特に海岸線には神に通じるものがたくさんあるという。それは神が海からやってくるという祝祭が海辺の集落にあったという事実。日本は海辺のクニといえるでしょう。 そんなわけで、わたし(たま)にとって折口学は他人ではなくなったわけです。そうして折口信夫に係わる評論を読み漁ると、驚いたことにそこには「詩の入口」らしきものが待ち構えていたのです。 まさかこんなところに詩があるなんて、という思いが半分と、いや、詩がここにあって当然だという思いが半分。折口学はいわば詩の博物館、もしくは詩のタイムトンネルであるかもしれないという確信が生まれたのです。 折口学といっても、知らないひとは知らない。かといって、ここで説明できるほどわたしも深く知らなくて、でも何も説明しなかったら、知らないひとに申し訳ないから、少しだけ、わかってる範囲でと思いますが、けっして鵜呑みしないようにしてください。 折口信夫(おりぐちしのぶ)は知らなくても、遠野物語の柳田國男は知っている人は多いと思う。折口の民俗学は柳田を師匠として始まったみたいですが、折口は柳田とは異なる方向へと進みます。 というのは、折口には神学というライフワークがあったからです。神学者です。柳田は学者ではありません。政府の官僚でした。だからというのではないが、柳田は折口の古代神学を認めませんでした。日本の神、つまり天皇について、折口は万世一系ではないという大胆な結論に達したからです。天皇もまた神に憑依された人間に過ぎないというのです。(天皇の場合は憑依とは言いませんがややこしいからパスします) その神学と民俗学が結びついて、折口学が誕生したのです(たぶん・・)が、折口学の骨格は「ことば」でした。つまり(言霊)です。神もしくは、詩へと、導くもの、それは唯一「ことば」だったのです。そうなると、わたしはもうすっかり折口学を信用してしまいます。だって、詩人ですもの。 詩はどこにあるのか? それはわたしの長年の課題でした。そこにたどり着くための入口が日本の古代神学にあったとしても不思議ではありませんし、拒む理由もありません。その古代について折口学から学ぶことも、決して間違っているとは思いません。折口の神学は歴史以前の台湾や琉球といった地方の古い祝祭を検証した上で生まれたものです。だから、頷けるです。それで、その神学についてはややこしいのでパスしますが、折口はその当時の西洋神学についても探求していますから、日本古代の神学であっても地球大の神学といえます。 そもそも、神はどこに存在するのか、そして、いつ、我々の元にやってくるのか? それは神学の永遠のテーマではないかと思います。神そのものについて、日本は一神論ではありませんから、様々な姿かたちした神が存在するのです。 それで、詩も同じではないかということです。様々な詩が存在するのです。問題はどこに存在して、いつやってくるのかということです。 そうなると、もうひとつのテーマが生まれても不思議ではありません。つまり、わたしたち人間は神に近づくことができるか? というものです。折口学には有名なマレビト論があります。これは神が人間に憑依して、マレビトなる人間神が誕生するというものです。 マレビトとは平たく言えばシャーマンです。神の使いというものですが、わたしはそうとは受け止めません。間違いなく神そのものになるのです。それはたぶん、人間の能力のひとつだという確信のようなものがあります。だからこそ、人間は時として神の空間に存在して詩が書けるのです。 わたしたちは様々な神と共存するが故に、神になることもできるということです。 詩はどこにあるのか? 別に、どこにあってもいいような気がします。なのに、どうしてそんなことを気にするのでしょうか。わたしにとってその理由はたったひとつです。 「新しい詩」もしくは「新しい小説」を生み出したいという願望があるからです。 そのためには、詩の存在を証明し、自明にする必要があるとわたしは考えたのです。しかし、それは哲学ではありません。わたしは「しくみ」だと想うのです。それで、その「しくみ」を支える力、たとえば、重力のようなもの。それがどこかに存在するはずだという推論です。 もういいでしょう。その力とは(神)だったのです。 そして、その力を得るために、わたしたちは神になるのです。 でも、それは永遠ではなくて、ほんのひととき、または数日間といえるでしょうか。詩を書くためにはそれで十分だからです。贅沢な言い分ですが、永遠は拒否します。わたしたちは新興宗教の教祖になりたいわけではありません。詩を書きたいと望むだけですから。 それで、神になって「新しい詩」が見えたかというとそうでもないのです。わたしたちはもうすでに神になって詩を書いています。もし、「それ以上」を望むのであれば、生まれ変わることです。 つまり、いますぐに死を選んで、新たな神に生まれ変わるということです。 できるでしょうか?  文字通り、それが「詩の入口」なのです。 では、さいごにもう一度、言います。 詩と死は同意語。 神と紙は同意語・・・、それでいいのです。              詩のしくみについて (了) ---------------------------- [自由詩]山田さん/たま[2015年10月19日11時14分] 地下二階で 小説を書いている と、謂ったのは誰だったかしら すっかり忘れてしまった ね、詩人はどこで詩を書くの? 地上? 地下? 雲の上? あ、そうだ 地の底かしら 小説と謂えども地上の出来事を書くのだから、何も、地下二階で書くことないと思うけど、それは詩も同じだと謂えるはず そうかしら  わたしはもうそんなこと、どうでもよくなったの 地上で書くから薄っぺらくて、誰も認めてくれないとか 地下一階ではまだ浅いとか 地下二階まで降りて書かなきゃあ、小説とは謂えないよとか それで、詩も同じでしょって謂われても それは 違うでしょうって どう違うかは わからないけど だからもう そんなことどうでもいいの 地下二階で 童話は書きたくないでしょう  ね? 私が、わたしに 謂い分けしなければ 新しい 小説も、 詩も、 生まれない きっと悔しいはずなのに それは誰にも謂えなくて 明日になればそんな謂い分けも色褪せてしまうから、幾日も眠って忘れてしまう 今までも  そうしてきた ずっと、そうしてきた 夜が 明けるまで それがもう、できない理由があると謂うならば せめて、このまま 地上で死にたい 地の底の虫たちには喰われたくはない きのう巣立った  鴎の餌になりたい そうしてずっと、遠くまで運ばれたい 海の上を ずっと、 ずっと、 恋も詩も育たない 火山島まで 山田さんに 会いたくて ---------------------------- [自由詩]火の山峠 2016/たま[2016年9月11日20時25分] 次郎さんの家は、火の山峠へとつづく 坂道の途中にあって、そのちいさな車 は、登るときも下るときも、まるで不 機嫌な家畜のように、激しく四肢を踏 み鳴らすのだった。 直径八キロ余りの島の真ん中に、レコ ード盤の穴のような火口があって、ア ップダウンの勾配と、ゆるいカーブの つづく海辺の道は、この島の輪郭をほ ぼ正確に描いていた。次郎さんの案内 で半日かけて右回りに島を一周したあ と、翌日は左回りに半周して、そこか ら先は、右も左も同じであることに気 づく。さらにこの島には海のある方向 と山のある方向しかなくて、西も東も 見つからない不安を抱くことになる。 東京から一八〇キロ。かめりあ丸に乗 船して三宅島の次郎さんを訪ねた。団 魂世代の次郎さんが、たったひとりで 三宅島に移住したのは五年前のこと。 「山と海しかないとこだからね」でも、 山も海も、ひとつずつしかなくて、雄 山と呼ばれるその山は二十年に一度噴 火するという。 五日目の朝、火の山峠へとつづく林道 を次郎さんと歩く。平成十二年の噴火 で、白い骨と化したシダジイの原生林 が、皐月の空に蘇る。幾多の罪人がこ の峠を越えただろうか。右も左も、西 も東もなくて、さらに、今日という日 も、明日も見つからないとしたら、そ の昔、この島にひとが流された理由も わかる気がする。きっと、わたしは流 されたのだ。戦争を知らない時代に生 きて、償うすべのない罪を重ねて、わ たしというささやかな流罪人の、残さ れた明日と、わずかな希望を、この手 に授かるために。 「あした帰るの?たぶん、飛行機は飛 ばないよ」明日も西の風が吹くという。 次郎さんはもうすっかり島のひと。火 の山峠の展望台を過ぎて林道を下る。 人恋しげなカーブ・ミラーの前に立っ て、ふたりの記念写真はカーブ・ミラ ーの瞳の中に。次郎さん、ありがとう。 三池港の桟橋に向う日、そのちいさな 車は、物静かな牛のように坂道を下る のだった。     ---------------------------- [自由詩]朝の日記 2042夏/たま[2019年4月24日17時20分] 九十歳になった 築五十年の家にしがみついて まだ生きている 妻はもういない  子もいないからもちろん独居老人だ  介護施設には入らない 煙草が吸えないから 死ぬまでこの家にいる 死に方は決めてある 餓死がいい 財産はこの家だけだから欲しい奴にやる 葬式はいらない 適当に焼いてくれ 終活は何度もやったから 家財はもうほとんど残っていない 涼しい廊下に  雌犬が一匹いる 俺より先に死ぬなと言い聞かせているが もう十六歳だから 俺と同い年かふたつ若い 九十歳になれば ひとも犬も同じ 喰うことと 寝ることと 排便 身体が動くうちはいい 動けなくなったら 歩けなくなったら 這うしかない 一日中這いつくばって 生きている 楽しみはパソコン 世間の動きもよくわかる Windows16はテレビみたいなもの ベッドに寝転がって リモコンタブレットをいじる 現代詩フォーラムはもうないけど 似たようなサイトはいくつかある 知らない詩人ばかり 昔の人たちは死んじゃったのかも 戦争があって死んだ若者や 日本から逃げ出した人たちが大勢いた ほんの十年ほどで 日本の人口は半分になった その人口も半分は外国人だ いま国内に政府はない 日本の政府はワシントンにある まあそれは 俺が生まれたときからずっとだから わかりやすくていいけど 昭和平成と生きて令和で死ぬつもりだった 元号のない日本なんて どこの国だかわからない 名のない時代に死ぬなんて この歳まで生きて たったひとつ心残りだけどしかたない ここは日本人居留地だ 築五十年の だから餓死がいい 適当に焼いてくれ 家は外国人にくれてやる 日が射す部屋に ゴムの木を一本残しておく 妻と結婚した年に買った鉢植えだ 部屋中に枝を伸ばして動こうとはしない 部屋の窓をぶち破って 屋根まで伸びている 遠くから見ると大きなゴムの木に見えるだろう 築五十年の 俺の家 もう誰も 俺を動かすことはできない 飛行石なんて アニメーターの嘘だったけど 夢は 嘘じゃなかった ---------------------------- (ファイルの終わり)