mizu Kのおすすめリスト 2011年5月23日21時29分から2015年4月27日23時46分まで ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]ウォーホルの雪だるま/「Y」[2011年5月23日21時29分]  ニューヨーク近代美術館の地下ギャラリーに、「ウォーホルの雪だるま」はあった。  その雪だるまが彼の手によって作成されたのは、1965年のことだ。    僕がそれを見たのは大学を卒業した年の春のことだったから、ずいぶん昔のことになる。  ニューヨークには、格安のチケットを二枚手に入れて、そのとき付き合っていた恋人の真里と一緒に行った。  「ウォーホルの雪だるま」を見る計画は、旅行に行く前の一番最初の段階から、プランに組み込まれていた。真里がウォーホルのことを非常に好いていたからだ。ウォーホルの偉大さがどんな質を備えているのか、残念ながら僕にはよく分からない。ただ、ウォーホルというアーティストが、いかに偉大な存在であるのかを、彼女が僕に向って懸命になって説明する様子は、とても面白くて印象的ではあったのだけれど。  その年のニューヨークの春は、記録的な寒波に見舞われていた。  ウォーホルの雪だるまより、むしろその烈しい寒さの方が、僕の記憶の奥に刻みつけられているほどだ。  真里は雪だるまを見る前から、とても興奮していた。 「だって、ウォーホルの雪だるまだよ。汗をかいて、せっせとこしらえたんだよ。あの人が自分で。ねえ。信じられないくらい、凄いことじゃない?」  瞳を輝かせながら、真里は僕に向かって言った。  ギャラリーの中央を貫く廊下の突き当たりに、「ウォーホルの雪だるま」はあった。僕たちは、名だたる芸術家の大作をスルーして、「雪だるま」へと向かった。  低温に保たれた透明な水槽を思わせる小部屋の中に、雪だるまは置かれていた。手前には、証明書らしきものが展示されている。 「……これが、アンディ・ウォーホルの雪だるま?」 「ウォーホルの雪だるま」は、どう見ても、雪だるまには見えないのだった。単なる雪の塊だとしか言いようのない代物なのだ。もちろん、目も鼻も口も無い。 「だけど、作品集には、ちゃんとした写真が載っているのよ」  うつろな目で、透明な小部屋の内側にある雪の塊を眺めていた真里が、ぼそりと呟いた。 「……じゃあ、目とか口とかも、あったのかな」 「もちろん、あったよ」 「じゃあ、なんでこの実物は、ちゃんとしていないのかな」 「この前説明したでしょう?警備員が、空調設備のスイッチを切ったのよ」 「なんで?」 「その警備員が、アンディの熱狂的なファンだったから」 「なるほど」    その晩、5番街にある安ホテルのベッドの上で、僕は真里に言った。 「やっぱり、あの雪だるま、面白かったよ」  真里は僕に訊ねた。「どんなところが?」 「半分溶けてしまって、雪だるまじゃなくなってしまうところがさ」  そのあと僕と真里は、雪だるまの展示室の空調をOFFにした、若い警備員のことについて話し合った。器物損壊の罪は重いが、なかなか面白いことをした。というのが、僕たちの結論だった。  あの旅行から半年後に、僕は真里と別れた。彼女は勤務先の同僚と結婚し、それから二年後、その結婚相手と冬山で遭難し、二十六歳で命を落とした。登山は結婚相手の趣味だった。  僕は三十歳になる前に結婚し、平凡な勤め人を続けていたが、昨年の春先から肺に癌が見つかり、その日から闘病を続けている。まだ生きる気でいるし、主治医も大丈夫だと言ってくれるけれど、転移性の癌だから、どうなるか分からない。  正直なところ、妻や娘の僕に対する態度が、あまりにも優しすぎるので、もしかしたら駄目なのかもしれないと思っている。  夜、病室のベッドの上で横たわっていると、なぜか、ウォーホルの雪だるまを思い出す。警備員に冷房を切られて、ゆっくりと溶けていった、あの雪だるまのことを。  あの雪だるまは、まだ、あの場所にいるのだろうか? ---------------------------- [自由詩]貝殻遊び/渡邉建志[2011年7月7日2時15分] (マンホールの蓋、ペットボトルの蓋 (潰れ果てた牛乳パック あろーん あろーん と目覚ましがなる (おにいさん、おにいさん、どうせ起きたってあろーん 夜の陰謀だ むっそり起きだして (どうせひとりだもんね) 怒り^2 の計算を解きはじめた 10分後、解は携帯電話だった とにかく話そうとした、けれど 「… の声はどっか向こうに飛んじゃって 気が付けば水底に沈んでて 死んでいた 怒りは灰色に錆びて死んでいた 僕はそれに乗ってシーソー遊びしていた するとはるか上のほうから 鮭の死骸がふわふわ降ってきて すぐにまわり一面鮭だらけになった ---------------------------- [自由詩]「やっぱチョッパーっすね」/モリマサ公[2011年7月10日9時16分] 先週 友人の通夜のあと これ幸いと 「フクシマ」 であれでしょう?部長 とかいって 一週間会社から はやめの 「節電」夏休みをとって で南米を ヒッチハイクでうろついた ときおりペヨーテをかじり 日焼け止めをぬりたくり 寝袋を背負い よぼよぼのラッコの 最期みとったりして 一晩ともにすごしたが ラッコはリアルに生き返ったり しないってこととか わかってよかった 帰国して 「生きているということ」って ずっと 人類を含めた あらゆる種族との 決別に 対面し続ける ことなのよね 何気なく語ると むこうも流す感じで 「へえ、すごいね」 っていった あまり感情もなく 何気ない会話のなかで 都合良く生まれた 「へえ、すごいね」 人生通算2136回目は 悪く なかった これが 錬金術だということは NASAの科学者の連中と 吉祥寺の本屋ブックスルーエの 「カリスマ店員兼詩人」の 花本武しか まだ知らない 電車の広告にこう書いてあった 「だれにもまけないくらやみがほしい!」 ユーリちゃんがこういった 「死体とか亡霊とか過去とか ぜんぶステージにつれてくんな!」 自動販売機にこう書いてあった 「七月に読める詩なんかまだない!」 地面ぎりぎりにおちてくるカフェイン ガタン 常に 蒸発していく 水分に補給される ボス  ジョージア  ジャマイカ  コスタリカ  レインボウ 上手に メディアを リテ ラシー する  「ゲンパツの デモで もりあがる 動画」 セシウム ベクレル 皇潤 やずやのにんにく卵黄 一体 何歳まで 生きる つもり なんだろう ピースな愛の バイブスを 放つ MC銀河系 「見つけ出す宝のありか 俺こわしてくバリア」 アナログのテレビには こうかいてあった 「宇宙の色がきまったとき 少しだけざわざわした」 ニューヨークタイムズに こうかいてあった 「独特な世界観ですよね すごく独特な世界観ですよね いやぁ何ていうか世界観が 独特ですよね いやぁもう独特が世界観ですよね」 なんかー 最近ー 俺たち「不可思議」とかいう文字にー 急に敏感になっちゃったんですよー え、よくわかんないですよ えーマジ泣ける系ですか? やっぱワンピースですかねー マジ泣けますよー いや俺はー やっぱチョッパーっすね モリマサは? 結婚して子供を産んでしばらくすると 夫がドラッグディーラーとして ひっぱられ 小菅刑務所に 服役し 協議離婚が 成立したこと 日本にでかい津波がきて 何万人もひとがしんだこと そしてフクシマ という地名 が 地上 全ての 新聞に その国の言葉でかかれたこと かなー それとー 不 可 思 議 あと ワンピースは ゴーイングメリー号だね スタジオジブリ をとうの昔にみかぎり きみたちの 夏休みは始まり 今夜も放射能入り の 雨は土砂降り   ---------------------------- [自由詩]手紙を結ぶ/春日線香[2011年7月30日3時20分] 駅から 山の手に上る道 建物に入れば建物から出る 犬には 餌をやらない ---------------------------- [自由詩]創作/メチターチェリ[2011年10月10日21時40分] ばりばり書いたばりばり 「ざんねんながらその話  すでに書かれたものなのです」   ばりばり書いたばりばり 「失礼を承知で申します  あまり面白くありません……」     ばりばり書いたばりばり 「悪いけど今忙しいから手短に  要件だけ話してくれ」       ばりばり書いたばりばり 「そんなことより聞いてえええええ  昨日の合コン、マジ当たりだったのおおお♪」         そんなこと??           ばりばり書いたばりばり 「下らない」             ばりばり書いたばりばり 「つまんない」               ばりばり書いたばりばり 「難しい話は分かりません」                 ばりばり書いたばりばり 「残念ながら今回はご期待に添いかねる形となりました  今後のご健勝、ご活躍を心よりお祈り申し上げます」                   ばりばり書いたばりばり 「それから?」                     ばりばり書いたばりばり 「…………(笑)」                       バリバリ書イタバリバリ 「ヒネリが足りないな」                         БАЛИБАЛИ書ИТАБАЛИБАЛИ 「お書きになったプロットは電波が強すぎるか  必然性がないため嵌りません」                           ばりばり書いたばりばり 「日記みたいなもんなんだろう」                             罵詈罵詈書いた罵詈罵詈 「あなたのことが嫌いです  もう話しかけないでください」                               ばりばり書いたばりばり 「いいかげん幻影から目覚まして  本当に中身のあるモノ探した方がいいと思うの」      bari…           baribari… 欠いた 「ただいま留守にしています」 ばり 「『ピー』という発信音の後にメッセージを残してください『ピ―――――――――――』」 「ばりばり書いた」 「       」 baribari 「    」 baribari 「」 bariririri ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]疲労薬/「Y」[2011年10月31日21時01分] 「疲れる薬だと言うと変に思うかもしれませんが、これは正真正銘の医薬品です」  あのとき、高木はそう言った。 「疲労薬」と印刷された赤唐紙が、半透明の茶色い瓶に貼り付けられている。私は彼の説明を聞きながら、瓶の中に入っている褐色の小さな丸薬を見つめていた。 「仕事のしすぎなどで疲れを感じない体質になってしまう人がいるのです。疲れ知らずというと聞こえは良いのですが、これは衰弱の一形態なのです。放っておくと、自分が疲れている、ということにすら気付かないまま、いつの間にか死んでいたということになりかねません。これは、そうした症状を治す薬なのです」  昭和末期のバブル時代に、漢方薬局で店員として働いていたことがあった。  その店で扱っていた「疲労薬」という名の薬を、私は印象深く憶えている。  いまでは、疲労薬を扱う薬局はどこにも見当たらないし、インターネットで検索しても何も出てこない。  疲労薬がこの世から消えた理由は、需要が無いからだ、ということになるのだろう。しかし、すくなくとも当時は、疲労薬は売れない薬ではなかった。    高木は虎月堂という名称のその薬局の経営者で、小太りで愛想の良い老紳士だった。  ピンク色の肌は常に光沢を備えていて、唇は紅を差したような赤色をしていた。  その容姿は周囲の者に健康的な印象を与えていたと思う。だが、あまりに健康的すぎる人が、逆に不健康に見えたりすることはないだろうか。私には高木の過剰な若々しさが、どこか人工的な、まがい物じみたものに思われてならなかった。  最初の一週間ほどの間、私は高木から様々な薬の効能について教わった。  疲労薬についての簡単な説明を受けたのも、その時のことだ。  高木の説明に不可解な点は無かったが、薬瓶に貼り付けられた「疲労薬」という文字から受けた違和感は、私の中に残り続けた。  ひと月ほど経つと、高木が店に顔を出すのは開店前の一度だけになった。  店に来るのは常連客が多かった。  彼らの中に、特に強く記憶に刻みつけられている客が一人いる。  園田という名の三十絡みの女だ。  彼女は月に二度ほど、閉店間際に店を訪れ、疲労薬を買っていった。  黒い服を細身の身体にまとい、どことなく陰鬱な雰囲気を漂わせていたが、容姿そのものは美しかった。  彼女は疲労薬を買ったあと、きまって、店内で十分ほど休んでいった。店員と客の立場で言葉を交わすようになったのも、ごく自然な成り行きだった。 「失礼ですが、疲労薬はお客様が飲まれるのですか」  ある日私は思い切って彼女に訊いてみた。  彼女はいつも疲れたような顔をしていて、疲労薬を必要としているようには見えなかったからだ。 「わたしはこんなものは飲まないわ」  彼女は即座に答えた。「これはわたしじゃなく、主人に飲ませるの。こっそりとね」 「ご主人にですか」  そうよ、と彼女は言い、左の唇の端を意味ありげに歪ませながら微かな笑みを見せた。 「原因はご主人の働き過ぎですか」  こっそり、という言葉に不審を抱きつつ、更に彼女に質問を投げかける。 「そうね。そういうこともあるかもしれないけれど」  そこで彼女はなぜか口をつぐみ、何かを考えているような表情をすこし見せたあと、不意に言葉を吐き出した。 「夜のおつとめが、激しすぎるのよ」  これまで聞いたこともない服用の理由を耳にして呆然としている私に向かって、追い打ちをかけるように彼女は言った。 「何度も求めてきて、体がもたないの。この店の主人の、内縁の妻なんです。わたし。」  そのあとの彼女とのやり取りの内容を、私はもう憶えていない。いま私の中に残っているのは、彼女の妖しげな微笑みだけだ。  あれから私はさまざまな職を転々とし、今は小さなリサイクルショップの雇われ店長をやっている。  私は思う。疲労薬は、都心で地上げ屋が暗躍し、にわか成金たちが繁華街にカネをばら撒いていたあの時代の、徒花みたいなものだったのではないかと。  今はあの頃に比べて、疲れている人が増えたように思う。疲労薬だなどと言ったところで、振り向く人がいるとは思えない。  虎月堂はいまから十一年前に、店主の高木が急死したことを受けて消滅している。  風の噂によると、高木の死因は「過労死」だったという。  もしかしたら、あの女が高木に疲労薬を飲ませすぎたのが原因であったのかもしれない。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]忘却のうらしまたろう/オイタル[2011年11月5日20時18分] おはなし? おはなしをしろってか? テレビはいいのか、テレビは。 んー、おはなしか そうか。 おはなししろなんてこども、さいきんみたことねえからな。 いやむかし、おはなしってのを きいたことがあるな。 もういろいろわすれちまったけど。 じゃ、ちょっとな。 んーとな、 むかあしな、おったんだと ん、たろうな、たろう。 そうだ、あたり。うらしまたろう。 あるひ、つりにいってな、なんかつってたんだと なんか、かにとか、うにとか、わにとか。 しゃけとかな。 ところがな、 そのひにかぎってなんもひっかからねえ つれねえな、っつうわけで 帰ろうとしたときだ、 かめがな、 いたんだと、かめ。な。 あの、背中のかたいやつだよ、六角形の。うん。 でな、……えーとかめがな、このかめが、 なにしてたかっというとな、 ……えーと、かめだ。な。 このかめが、ま、かめだから なんか食ってたんだろうな。 ああいう不気味ないきものはとにかく、 なんか食ってっからな、年中。 たぶんな。 で、まあ、このかめが、うらしまたろうと、な、 あったわけだ、なんかな。なんだかしらねえけど。うはは。 で、このかめが、 うらしまさん、 と、こうゆった。 で ま、 はい、と、 うらしまさんが、ゆった。 で このかめが、 うらしまさん、うらしまさん、 と、ゆった そしたら、うらしまさんが、 はい、はい、 と、ゆった。 で、このかめが、 えーと、うらしまさん、 と、ゆった。 でえ、このかめが…… えーと…… まあ…… ま、このかめが うらしまさん、 とゆった。 うらしまさん、りゅうぐうじょうへ、 そうだ、りゅうぐうじょう、 りゅうぐうじょうへいきませんか と、ゆった。そうだ、 な。 ゆったんだ。 で、なんで、そうゆったかってゆうと、 ま、くわしい話は……あれだから、 だけど、 そうゆわれれば、な、 だれだって、ほら、 いきたいわな、な? わは。な? でまあ、いろんな事情は、 あったんだろうけど、 いくことになったんだ。 で、 りゅうぐうじょうに、いった。 そしたらな、 おひめさま、 これがいたんだな。 きれいなおひめさまだ。んん。 で、おひめさまが、 うらしまさん。 と、こうゆった。 でうらしまさんが……えと、 はい。 と、こうゆった。 で、おひめさまが、 うらしまさん、うらしまさん、 とゆった。 で、えーと……かめが、いやいや、 うらしまさんが、……えーと、あーと、 うらしまさん、と、……また、ゆった。いや、 で、うらしまさんが、ゆったんだ。 はいとゆった。 で。 でまあ、いろいろあって、 あそうだ、 あれだ、あの踊り。 たいやひらめだ。な、その、 たいやひらめや きりこんぶとかきざみねぎとか まあそういったやつらが、 まいおどり、を、したんだな。 まあ、おどりだ。 「マーイ、マイ」 とかってゆって、おどるんだな。 歌の文句だな、「マーイ、マイ」ってな。うはは。 で、 二、三日飲んで食って そしたらうらしまが、 帰ります、 ってゆったんだ。そして帰ったんだ。 で、ただも帰せないじゃないか、 でな、えーと、あれだ、 あのおみやげ えーっと、すずりじゃなくて、 かしわじゃなくて あれ、なんだっけ あのお化けが運んでくるやつ。 かいわれじゃなくって えのきじゃなくって しょうぼうしょじゃなくって あのー、 はこ。ほれ、あの たまてばこ。 そう、それだ、それを、なんだっけ? うらしまが、拾ったんじゃなくて、 もらったんじゃなくて 見つけたんじゃなくって もらったんだよ、もらったんだ。 おみやげでもらったんだよ。 で、 お土産だから な、あけたわけだ、 で、あけたら、 えーと あけたら、 えーと、なかなかあかなくてな、これが。 で苦労して、えーと、 こう、やっとあけて、 あけてびっくり、たまてばこ。 えーとびっくりしてな、 うらしまたろうが、 おじいさんになってしまったんだと。 だからまあ、世の中、 きちんとくらしていけよと、 こういうわけだな。     (筒井やすたかに倣って) ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]美香/「Y」[2012年2月19日0時20分]  ワンルームのドアをノックする音が聞こえた。  濡れた髪をタオルで拭いていた昌は、動作を止めて、反射的に壁の時計を見た。夜の十一時だった。  ドアスコープの向こう側に、白いフェイクファーを纏った見知らぬ女が立っている。  まるで、昌がそこにいるのがはっきりと見えているかのように、彼女はドアの外から真っ直ぐに視線を投げ返してきた。  栗色の長い髪。華奢な手足は、まるで少女のもののようだった。  関東地方は昨晩から寒波に見舞われている。  ドアの向こう側で、小さく飛び跳ねるように身体を揺らしながら白い息を吐いている女の様子に、なぜか痛ましさのようなものを感じた昌は、反射的にドアを開けてしまった。  彼女は「ありがとう」と嬌声を上げるように言い、ドアの内側に飛び込んできた。 「ねえ、知ってた?今夜はもの凄く寒いの」  昌の鼻先にぐっと顔を寄せて笑顔を作った後、ブーツを乱暴に脱ぎ捨てる。 「悪いけど、人違いじゃない?」  昌はようやく彼女に声を掛ける。「君のこと知らないし」  そんなことないよ、と彼女は言った。「私は、あなたのことを知っているもの。それより、ほら。これ、チョコレート!」  彼女は両手を真っ直ぐに伸ばして、赤い紙に包まれた小箱を昌に差し出す。  自身の行動に呆れながらも、昌は女からのプレゼントを受け取ってしまった。 「ねえ。本当に憶えてない?就活のとき、展示会場で見なかった?私のこと。私はずっとそこにいたんだけど」  俄には信じがたい話だった。  就活中の学生を集めた大規模なイベントの最中、人型ロボットのパビリオンで、彼女の姿を見た記憶がある。 「……ロボット?本当に?」  彼女はニヤリと笑い、頷く。 「ロボットとか言われるの、一番嫌なんだ」    美香、という名前だった。  パビリオンでの職務を放棄して、ここにやって来たらしい。 「バレンタインに男の人にチョコレートをあげるっていうのを、やってみたかったんだよね」  彼女はソファに腰掛け、はにかむような笑みを浮かべている。「あげるんだったら、あなただと、決めていたの」 「ありがとう」と昌は言う。「だけど、どうして俺なんだろうね」 「どうしてって……」  美香は戸惑った表情を浮かべる。  昌は、その表情に、なぜか魅力を覚えた。そして、なんとも言いようのない気分になった。 (この複雑な表情は、本当にロボットのものなのか)という思いがある。 「なんでだろう」と、呟くように美香が言った。 「本当に、私にも、よくわからないんだ。どうしてなんだろう」 「いいよ。別に悩まなくても」 「最近、本当によくわからないの。私は、今はあのパビリオンで働いていて、こういう不適切な行動をとらないようにプログラムが組まれているはずなのに、そういう風にはなっていないみたいだし」  そのとき昌は、まるで生身の女に対して抱くような好意が、自分の内側に沸き起こってきている事に、不意に気付いた。    結局昌はその晩、美香と一緒に寝た。  ベッドに入る前に、彼女は言った。 「本当は、抱いて欲しいの。あなたに。……もっとはっきり言うと、抱かれるために、来たの。そういうことって一体どういうものなのか、知りたくて。だけど、やっぱりやめる」 「やめるって?」 「あなたの隣で眠りたい。だけど、今日はそこまでってこと。あなたの彼女にも悪いし」 「彼女?どうして、そんなことを知っているんだ」 「だって、いるんでしょう」美香が上目遣いに昌を見て、言った。「知っているっていうか、勘で言っただけだけど」 「勘かあ……」と呟き、昌はすこし笑った。 「うん。たしかにいるよ。恋人。だけど、とりあえず、気にしなくてもいいんじゃないかな」 「それって、どういうこと。私が、ロボットだから?」 「いや。別にそういうわけじゃないけど」  美香が、語気を強めて昌に言う。 「産むことはできないけど、それ以外は同じだよ」  その言葉に、昌は妙な迫力を感じ、息を呑んだ。そして言った。 「悪かった。言い方に気を付けるよ」  美香は、昌の隣で寝息をたてている。  ……男にチョコレートを贈るロボット。  白い息を吐くロボット。  ロボットと呼ばれることを嫌うロボット……。  昌は心の中で言葉を呟いていた。 「ねえ。うまく眠れないんでしょう」  暗闇の中、美香が昌に声を掛ける。「私が、人間じゃないからだよね」 「ちょっと違う」と昌は答えた。「美香が、どうしてもロボットに見えないからさ。……それにしても、どうして君は、白い息を吐くことができるんだろう」 「白い息?」 「訪ねてきたとき、ドアの外で寒そうにしてた。白い息を吐いてさ」  美香は小さなため息をつき、言葉を返す。「女の子のデリカシーっていうのを、全然分ってないんだね。一応、人並みに、傷つくような作りになっているんだから。断っておくけど、取り扱い説明書を見せろとか、言わないでよね」 「悪気は無かった。多分、慣れていないせいだと思う」と昌は言う。    翌朝、昌は美香からもらったチョコレートを食べた。美香にもチョコレートを勧めてみる。  彼女は言った。「ありがとう。気持ちだけもらっとく」  そして美香は、頬を赤く染めながら、白くてひらべったい腹を出し、脇腹に設えられたバッテリーに充電を始める。  午前十時を過ぎた頃、ロボット研究所の職員が昌の部屋を訪れた。美香を連れ戻すために。 「済みません。想定外ではないのですが、部外者にここまで惚れるというのは、計算外でした」 「計算外」と昌は呟いた。「惚れっぽいんですか」  職員は大きくかぶりを振る。 「報酬系の神経回路にバグがあるのかもしれない。反応が、あまりにも良すぎるんですよ」  美香はベッドの上に正座して、なかなか動こうとしなかった。  彼女は、明らかに怒っている。 「……帰るのが嫌だと言ったら?」低い声を出して職員に訊く。 「遠隔操作で電気系統を焼き切ることになるね」と職員が答えると、美香は舌打ちして、のろのろと立ち上がる。 「美香」  昌は声を掛けた。「どうして俺に惚れたんだよ」  美香の戸惑った表情を、最後にもう一度見てみたかった。 「人が人に惚れる時と変わりません」  美香が返事をするかわりに、職員が首を振りながら呟いた。「ロボットも同じです。自分と合う相手かどうかを、瞬時に嗅ぎとるんですよ。第六感ってやつですね」  美香の表情には既に、彼女が昨晩見せた当惑は浮かんでいない。強い目で、昌のことを見つめている。 「ねえ。パビリオンに遊びに来てよ。私たち、きっと合うから」  部屋を出る間際に、美香が昌に向かって言い、ウインクしながら、小さくて光るものを投げて寄越した。昌は反射的に右手を出し、それを受け取る。  部屋が静かになった。  昌はゆっくりと右の掌を開き、受け取ったものを見る。  美香の小指だった。  白くて小さな小指。ピンクとパールのネイル・アートが施されている。  根元から、細いコードが顔を覗かせていた。  昌は、すこし首を傾げ、身じろぎもせずにその小指を見つめていた。(了) ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]鎌倉のこと/渡邉建志[2012年2月19日0時30分] 一睡もせず朝四時半、始発で鎌倉へ。まだ暗いうちに円覚寺の門をくぐる。暗い中に人が少し。お堂へ歩いていく。わけもわからずわたしはついていく。靴を脱ぐ。お堂へはいる。広くて寒い。座布団一つと小さな二つの座布団的塊をみんなもっていくのでわたしもそうする。お堂のまわりに長いすのように座る場所が囲んでいてみんなその上に座布団をしき、例の二つの塊をその上にのせ、おしりをその上にのせて胡坐を組む。二つの塊はいすだったようだ。知らなかった。 大仏の隣におっかないかんじでお坊さんが胡坐を組んで座る。何も話されない。皆何も話さない。ときどきおなかがなる。人々の。わたしの。さむい。突然拍子木。ぱーん。ぱーん。そしてかーん、かーん。この組み合わせが突然鳴り、また静けさ。 お坊さんが立ち上がって例の長いやつを持ってこちらへ歩いてくる。薄目を開けて緊張する。どうすればいいのか分からない。わたしは運悪く端っこに座っていたので。お坊さんはわたしの斜め前でじっと立っている。どうすればいいか分からない。薄目で焦る。突然たたれるかもしれない。煩悩はたっぷりあるのだ。 そしてお坊さんはわたしの前を通り過ぎていく。 * 7時に座禅会は終わる。北鎌倉から鎌倉へ歩く。鎌倉駅のスタバで朝ごはんを食べ、うつらうつらすると地震がある。メールが来て、Aちゃんは遅れるという。そのまま待っている。Aちゃんが現れて、こっちのスタバなのかあっちのスタバなのかわからなかった。あっちのスタバはプールがあってきれい、というのであっちのスタバへ行ってプールを見る。夏は泳げるのですか?いいえ。 そして延々と話をする。Aちゃんと僕はいま同業種のようなことをしている。僕のボスがAちゃんのボスに会いに行くことになって、Aちゃんは僕のボスの秘書の電話をとり、スケジュールを決めたりリスケされたりしている。 * 鏑木清方美術館は小さく、好きな絵は展示されてなかった。出し惜しみー、と思った。ルドンの展示が少ない日の岐阜美術館みたいだ。 * フレンチ。むかし教会だったところで。 * すこし離れたお寺へあるく。Aちゃんは、僕が早く歩くのでおどろく。数キロ歩いて疲れてバスに乗る。おそばが振舞われるのが目当てなのだというので、あいかわらず食いしん坊なかんじでかわいいなと思う。Aちゃんはずいぶん美人さんに変わったけれど、いまだに初めて見たときの彼女が書く詩のような清新な印象のままでわたしには写っている。明王院の初不動。護摩をたいているのをはじめてみる。Aちゃんはお寺の娘さんだからいろんなことを教えてくれる。聞いてなるほどーなるほどーという。護摩って言う物事をわたしはしらなかったのである。前から割り箸が回ってきて、後ろの人に渡してくださーい、と前の人から渡される。Aちゃんがそれを受け取って、ねえいまの人、女優のIさんだった、という。よく見たら(見るべきなのか)そうで、しかし最近見ない人をよくそんな一瞬でわかるよね、と驚く。声で分かったんだという。そんなものかとおもう。娘さんが二人いてかわいかった。 * バスに乗った。Aちゃんの家のよこを通って、でっかいスーパーの地下のフードコートみたいなところでソフトドリンクを飲みながらたわいのない話をした。おもにAちゃんの結婚生活について。結婚したことのないわたしはいろいろびっくりした。結婚はしておこうとおもって、といっていた。そうなんだろうなあ、と思った。味方ができるということ、帰る場所があるということ、なのだ、と聞いて、それはそうなんだろうなあ、と思った。 ---------------------------- [自由詩]ホップホップピッチ/しべ[2012年6月12日18時10分] 振れた雨の振動数に寄りかかって あなたの鼓動は直進する 言葉の数々と濡れながら空を飛ぶ カーキのマンションの3階に猫を見る 猫も猫であなたを見ている 卑しさに消え入るザクロの双眸で雨の玉を引っ張る引っ張る で、路面電車が走っていたあたりを右折する 時計屋の看板だ お辞儀しながらくぐり抜ける 歩道橋の影か水か形か乱反射して 傘を無くしたあなたを ずっと走っているあなたをニヤニヤみている あなたは猫より速い、右の踵がシューズを運ぶと 水たまりをノックして 朽ちた車庫を踏み抜いて感電しながら 烏をぶったぎりついつい走る走る で、ずっとずっとまだまだ走っている ---------------------------- [自由詩]帰省#3(即興)/月見里司[2012年6月14日0時05分] 送り盆ではこうするのだと 山のような握り飯を作っている父は 背中だけ見れば 往時のままだった 送り火の陰に 茄子の牛 誰かの出て行った気配とともに 盆はつつがなく終わる ごま塩の握り飯を一口齧り 蝉の不恰好なトレモロは続く //2012年6月13日 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]告白/まきしむ[2012年7月9日19時05分] インド人形ってなに? それを今から検証していこうと思います 一緒についてきてくださいね、はい 黒板を見てください その時校庭では三組の女子、エリコさんが 両足をがっしりと開き腰を軸に すさまじい回転を続けていた 時折のぞき見える白い下着に僕は釘つけになっていた エメラルドグリーンです この目。これが、あなたがたの悪い心を見透かしているんですよ だから、悪い心を持ってインド人形に向かうと、 自責の念であなたがたは悶え苦しむ そういうシステムになっているわけですね、はい エリコさんのことが僕は好きだ、と思う でも僕がエリコさんを好きな度合いを好きと言ってよい ラインとするならば、僕は他にも五人くらい好きな人がいる 入学式、このクラスに決まった時は、衝撃だった こんな大げさな言葉を使ってよいのだろうか、『楽園だ』と思った 実は、いましがた、ここに、まさしくそのインド人形を持ってきておるんです もし、今、不埒なことを考えてる人がいるならば、今すぐにやめたほうがいいですよ ・・・びっくりしたでしょう?ははっ、は でも大丈夫。先生も大人です みんなが善い部分だけでできているとは到底、これ思っていませんからね 『やめろオォォォォォッォ!!!!』 突如教室の背後、隅にある掃除用具箱がガタン、と開き、ミツコさんが出てきた ミツコさんはあまり美人じゃない だから僕は好きではない どうしたのですか?今は授業中です 席に戻ってください ミツコさんはスペシウム光線を出し先生を殺した インド人形の瞳がくるりと反転し、三秒後に爆発した インド人形の破片が教室に飛び散り、教壇付近にいる 生徒を中心に勢いよく突き刺さった エリコさんは校庭で相も変わらず回転を続けている 速度はぐんぐんとまし、いまや残像しか見えない 奇妙な「ブーン」という音がここまで聞こえてくる 今しかない、そう思い僕は教室を飛び出した 右手には『ぼくの好きな人へ』 と書かれたラブレターが握られていた だいじょうぶ、きっとうまくいくよね そう信じる気持が、僕の心で無数のこだまを作った だいじょうぶ だいじょうぶ だいじょうぶ だいじょうぶ ---------------------------- [自由詩]貯金の音 /服部 剛[2012年8月22日21時10分] 茅ヶ崎駅近くのライブハウスにて  カウンターに並んで座った  詩友の欣(きん)ちゃんは、店員の女の子に話しかけた  「名前、なんてゆうの?」  「かれんです、名前負けしてるんですぅ」  その時、私は  酒を3口で火照った頬のまま  瞳をきりっと前に向け  2人の会話に割って、入った  「人は名前に向かってゆくのです」  「おぉ」  「おぉ」  「詩人だねぇ・・・」  「いやいや・・・」  その数分後、私は  入場料1500円で1ドリンクの  チケットを渡し忘れて  650円のピーチカクテルの御代をすでに  払ってしまったことに気づいたのだった  (うおぉ)  決して、決して、声には出せず  私は心の中でのみ、叫んだ  つい先ほど名言を呟いた、この私が  まさか後からドリンクチケットを渡し  お金を返してもらうことなど・・・  いつもならするが  ちょっと粋な会話をしたゆえに  できぬ、断じてできぬ  ライブはもはや佳境に入り  金髪のマスターがギターを抱え  お気に入りのエルビス・コステロを歌う頃――  私は詩友の欣ちゃんと店員のかれんちゃんに  「今日はちょっと早めに――」とさりげなく言い残し  マスターのコステロをBGMに  錆びれた味わいの階段を下りてゆくのであった  (650円を貯金したのだ・・・)  繰り返し繰り返し、言い聞かせる     ちゃりーん  秘密の貯金箱の底に  650円の小銭等が   落ちる音を、いめーじしながら  ひきさかれそうな心のままに  夜の茅ヶ崎駅へと、私は歩くのだった  ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]久しぶりに短い文章。/小池房枝[2012年8月29日3時42分] 久しぶりに短い文章を書きたくなったので書いてみる。短い文章を書いてみると何だかいつも久しぶりだ。嘘だけど。 先日、乗換駅のホームでセミを拾った。まだ生きていた。木のない駅で、人に踏まれるよりは草地に放してやろうと思ったが手の甲から離れない。仕方がないので一緒に急行に乗った。気味悪く思い迷惑がる人もいるかと思ったが、誰も一瞥さえ寄越さなかった。空席を探して一息つくと、やがてセミも、もぞもぞし始めた。タガメではないし血を吸われることもあるまいよとたかをくくってあやしていたら、アイタタタ。口吻を突き刺して来た。血迷うな。私に樹液はない。 やがて終点。改札を通ろうとするとスイカは残高不足。この状態のまま片手でチャージは出来ず、駅員のいる出口で不足料金を払って出たが、駅員も私の手の甲のもぞもぞについてはノーコメント。セミなんか可でも不可でもなく、きっともっと具体的にあれこれやらかす客が毎日絶えないに違いないのだろう。 駅前ロータリーはケヤキの広場だ。タクシー乗り場近くの木の一本に今度こそ手からはがして止まらせようとすると、風の匂いがわかったのか、じじじっと飛び立ち飛行距離約1m未満。その木の幹のすぐ裏側、目の高さにとまった。逃げたおおせたつもりなのか、口吻突き刺して来たり飛んだりその程度の余力はあったくせに、何故こいつは乗換駅にいたのだろうか。急行に乗りたかったのか。 乗り込んだタクシーの運ちゃんに初めて声をかけられた。さっきのセミは良かったね。それでなくても寿命短いんだろうから。セミとひとときをともに過ごして、初めてセミについて話しかけて来たひとだった。 ---------------------------- [自由詩]角の家/遙洋[2012年11月7日23時56分] 朝 窓をあけて光をあびながら 手をのばして 選んで 引き剥がして 食卓の方向にほうりなげる 皿もいらない、私の食事 清流のなかの食欲が室内にみち なまぐさい匂いに木目が視線をそらしたとき そっといつもの引き出しから 安物のはさみをつかんで、またも 窓辺へむかう ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]静かに、なるべく静かに(アスパラガスさん讃1)/渡邉建志[2012年12月16日0時21分] ぼくはスケートリンクにとじ込められた きみの日なた 日なただよ           アスパラガス「スケートリンク」より 詩人の書く言葉は ―いま僕は言葉と書こうとして、声と書いた。 それはいつも声で、とても浮遊していた。 いまでも、密やかに音楽が流れている。 この世界と言う箱ではない別の箱で。 もとより、ふたを開けると鳴りはじめるオルゴールの箱に閉じ込められて、 暗いなかで古い無声映画を見ていたのかもしれない。 一説には、オルゴールの歴史は1814年スイスに始まる。 映画はそれから81年後、1895年フランスに産まれる。 それからシリンダは回り続けているし、フィルムも回り続けている。 同じリズムを刻みながら。 いまでも。 手に汗を握って映画を見ていても、僕らが箱から出てきて興奮しながら話すとき、 それぞれが違う夢を見ていたのに、それに気づいていないということがあったのではないだろうか。 詩を書くとき、詩人は、たとえばとても古い映画館を持っていて、 そこで見てきた夢を話してくれていたのではないだろうか。 もう詩人によって詩が書かれなくなったとしても、この世界ではないどこかにあるその箱で、 きっとその無声映画は上映され続けている。 後ろではオルゴールやチェンバロの音が鳴り続けているだろう。ずっと。 http://po-m.com/inout/04ito.htm (まず、詩をすべて読んで頂いて、そして以下に僕が書くだろう文章の存在を忘れて、ウィンドウを閉じてください。) 夕焼けに 染まった木のしたで モンキーがひとり たそがれている 突然、のっけから、モンキーが黄昏ているところで詩が始まる。 猿、と呼ばず、モンキー、と呼んでいる。 まじめな顔で詩を読もうと、リンクを開くとモンキーと言う言葉が目に飛び込んでくる。 友人と話していて、詩人がしっとりした雰囲気のなかでふとどっきりするような口語を詩に混ぜるよね、 たとえば、下の「でかい」窓とか、この「モンキー」とか。(借りました) そうだね、と思う。 モンキーをひとり、と呼んでいるのは、このモンキーはたそがれているからで、 反省だけでなく青春だって猿にもできるのだ。 文は多義的になってきて、繋がりは複数の可能性を孕み始め、 見者としての詩人はそれを整理しようとはしていないかのようだ。 わたしと かれの オレンジジュースが揺れるのを ぱらぱらと指でめくって 見ている ページのなかの人になり 水分を捨てている ふたり 4、それからたった3で改行されるそのすがたや、リズム、 そのあとに7-5リズムが列なる そのあとにもうひとつ5-7、そしてまた、スペース、4。 そしてまた7-5、それから5-7(8)とくるかと思ったらそこにスペースがあるので、 「捨てているふたり」と8のリズムになれない。 こう解剖したって、何が見えるわけでもないのかもしれないけれど、 詩人の詩を読んでいると、このスペースの多用と、 放り投げられてしまうリズムないし名詞が かの浮遊感を生み出しているような気がしてならない。 わたしとかれのオレンジジュース、なのだろうか。 それが揺れるのを見ているのは誰だろうか。 わたしとかれだろうか。モンキーだろうか。それともページのなかの人だろうか(これだ!)。 でも「見ている」が述語でなく「ページのなかの人」にかかる修飾だったら、 「指でめくって」も「ページのなかの人」にかからなくてはならなくなる... 理屈くさく、こんなことをこねこねしても、つぎつぎと映写されていく射影は、 僕のスクリーンでゆがんでいて、元の姿を現す事がない。 僕に見えるのは、そこに「わたし」と「かれ」がいて、 ページを、ぱらぱらめくるとオレンジジュースも一緒に揺れて、 するとページのなかにも人がいて、ふたりは水分を捨てていくのは、 ページが紙で、ぱらぱらしているからだ、と思う。 心中したという気持ちで 生きている レストランでも 渇いて モンキーの顔を忘れてしまう ふたりは「心中したという気持ちで」あるという。 この一節に、おどろくほど死の匂いがしない。 実際、改行して「生きている」のだという。 たぶん、「見ている」のかもしれないページのなかの人は、 心中したのかもしれない。だけど、それを「見ている」のかもしれない ふたりは、オレンジジュースなんか(見ているようで)見やしないで、 オレンジジュースの向うの心中を見ているが、それは、あくまで、 スクリーンに映った遠い世界に憧れているだけのようであって、 ぱらぱらめくって水分を失ったふたりは、 レストラン「でも」渇いてしまうし、あまつさえモンキーの顔まで忘れてしまう。 だれかが オレンジの皮を 夕焼けにむかって投げた 青春している 新人物が現れる。 それともオレンジの皮をなげたのは、すでに出た「だれか」なのだろうか。 ここで投げられるのはオレンジの皮なのだけれど、 (僕には)それはバナナの皮の可能的な映像を含みながら、 もちろんそんな平凡なことは書かれていない。 なぜなら、オレンジの皮はモンキーに投げられたのではないし、 モンキーもそれをキャッチしたりしないで、「青春している」のである。 (もちろん、青春しているのは、「だれか」かもしれないけれど。) 歌がはじまる。 なぜレストランは渇いたの なぜ夏が終わったの ひとつのレストランと ひとつの夏と 解けない ガラス窓 僕の中で、どうしてもリフレインが止まらない。 「なぜレストランは渇いたの  なぜ夏が終わったの」 の、で繰り返される、この強い訴えかけに対して、 レストランは渇かないよ、という合理的判断はオレンジの皮一つの役にも立たない。 オレンジジュースを飲まないで、レストラン「でも」渇いているのは 「わたし」と「かれ」のはずじゃないか、と合理的判断は言う。 でも、ここで突然歌う人は、レストランが渇いたのだという。 しかもとても強く。 「なぜレストランは渇いたの  なぜ夏が終わったの」 そう訴えかけられてしまったら、合理的判断なんて全部飛んでしまって、 「なんてこった」と思うほかない(借りました)。 詩人の他の詩に「心底なんてこったと思った」、と友人が言って、 ほんとうに、僕も、こんな駄文など書いていないで黙って、 なんてこったい、と言い続けるほうが、きっと正しい。 でも、レストランは渇いてしまうし、夏は終わってしまう。 でもでも、ガラス窓は「解け」ない。それは、 (それが「溶けない」ではないのは、) そのなぞ(なぞ)がだと思います。 レストランは渇くのに、ガラス窓は解けない、という この、固体性、液体性、気体性の、対比。のみならず、その、なぞは、解けていない。 ガラス窓は、ふたりが見ているスクリーンでもある。 (そして、それもいまだ(・・・)解けていない。) 海がオレンジ色に染まって ふたりはそっちに見とれていた 心中したというの このでかい窓の向こうで 向こうで 青春しているの ふたりは、やはり、心中したという「気持ち」で、 実際心中することはなく、ただ、その時間に止まっている。 映画が、一瞬を垂直に永遠に拡げてしまうように。 このでかい窓の向こう、という、「でかい」は信じられないぐらい美しい。 本当に、この言葉を、「わたし」は言ったのだと思う。 会話そのものだったのだと思う。 心中したふたりは、そこで時をとめて、黄昏のなかで青春を続ける一方、 「渇いた」レストランのなかで(あるいは渇いていない別のレストランで) 「水分を捨てて」いるふたりの時間は、その一瞬はとまっているけれど、 そのあとに普通の生活が待っているだろう。でも、その過ぎ去った一瞬は、 やっぱりふたりの秘密の箱のなかで拡がり続けるのだろう。 そこには、やっぱり死の匂いはせず、濃厚なロマンティシズムがあるばかりだ。 そして最後の四行。 モンキーは 野生 目のまえのオレンジジュースを 飲まずに いられない モンキーはガラスの向こうにいて、木の下でたそがれて、青春していたと思うのに、 いまやわたしとかれのオレンジジュースはモンキーの目のまえにあるし、 そのうえ野生だから、青春を忘れてオレンジジュースを飲まずに/いられない。 合理的判断はそう言っておかしいと言うのだけれど、 わけがわからないものが、わけがわからないまま、 現れては消える、それがただ、真偽を糺さずに現されているとすれば、 それ以上に強いものはない。事実こんなに強い詩行を書いた人を他に知らない。 いつものフレージストたる僕ならば、軽々しくモンキーのごとく飛び上がり、 『モンキーは 野生』 って!そのスペースすごい! 『目のまえのオレンジジュースを 飲まずに いられない』 って!そのリズムやばい!とくに最後の「飲まずに」と「いられない」の間の 改行!! などとわめいただろうし(実際わめいているけれど)、そういった反応まで含めて、 作者が「ばか」と言ってくれていたならば、と思う。 ばか、はモンキーのみに向けられているのではなく、 (心中への憧れを含め)ここで現された箱の世界全体を、 初めて現れるとおくからの作者が、普通の言葉で、ばか、と呼んだに違いなく、 その秘密の箱にいまも憧れつづけている僕や僕たちも、 ガラスのスクリーンの向うの心中に憧れるふたり同様、 ばか、と呼ばれていたのなら、と思います。 ---------------------------- [自由詩]スミ子さん/初代ドリンク嬢[2013年1月8日23時55分] 小さなスミ子さんは 短く刈り込んだ髪で 不安気に わたしの隣に立っていた。 「今日から働いてもらうスミ子さん。いろいろ教えてあげてね」 ナースから少し離れて 私たちは長い廊下を歩いた 何もない部屋の中 空を飛んでいたはずの魚は 窓から飛び込んできたらしい 山積みになってもう死んでいた なぜ、 この小さな窓から 入ってきたのか ヌメヌメした体を横たえて どこを見ていたのか 目はギラリとしていた。 私たちを案内してきたナースは言った。 「この魚を畑に撒いて肥料にするのよ」 「今日からスミ子さんに、この仕事をしてもらいます」 そして、 わたしがその仕事をスミ子さんに教える。 でも、 わたしはその仕事をしたことがない。 わたしとスミ子さんは生臭い匂いに耐えながら 魚の死骸をバケツに集めて 線路のわきにある畑にまいた。 気持ちのいい仕事ではない わたしは今にも吐きそうだった スミ子さんはただ黙って 魚を撒いた。 スミ子さんは喋らない。 年は50過ぎているらしい。 けど 小さなスミ子さんがなぜここに来たのか。 なぜ働かなければならないのか しゃべらないスミ子さんは 何も言わない。 スミ子さんに教えるべき事もなく 私たちは 魚を撒いた イヤになってきた 臭いとかしゃべらないスミ子さんとか 理由はあったのだろうけど 魚を撒くことがイヤになった 私はスミ子さんと 橋を渡り 缶ジュースを飲んだ 手が魚臭くてうんざりした 日はまだ高くて 私とスミ子さんは黙って座っていた 電車の走る音が聞こえる とても暑くて 二人の体からは腐った魚の臭い 私とスミ子さんは魚を撒いた畑へ戻った 最悪 魚は鳥たちに食い散らかされていた 鳥の糞と腐った魚の臭い 「ちょっと待ってて。 どうすればいいか聞いてくるから。 こんなの片付けられないから」 私はナースに聞きに行くこともなく だらだらと橋を渡った ただ、 だらだらと歩いた しゃべらないスミ子さんと 腐って食い散らかされた魚 もう、 うんざりだった どうしてそこに戻ったのかわからない 戻らないといけなかった 私には他に行くところがなかった それをやらなければ・・・ 畑に戻ると スミ子さんがどろどろになった手を持てあまして 膝を抱えて座っていた 畑にはもう 腐って食い散らかされた魚はない 「スミ子さん片付けてくれたの?」 私はスミ子さんを見た ただ一点を うつむき加減にみているだけ 私はスミ子さんを抱き締めたくなった この憎らしいほどのスミ子さんを でも、 抱き締めてはいけないような気がした 気が狂いそうになった 「帰ろう」 私とスミ子さんは 夕焼けの中 橋を渡って手をつないで歩いた スミ子さんがいた 髪を短かく 切りこんだ 小いさなスミ子さん ---------------------------- [自由詩]イモセ/ミゼット[2013年1月18日14時41分] きれぎれのふくをひろってあるく しっているだけ めんをたどって とり いってしまったよ くびをまげて さけぶのじゃあなくて いきをはくみたいに まげて さいしょのとりの さいごのかたちみたいに のこる のこった ぬぐわれもせずにかたく むすぶ どこにいけばいいのか だれにたのめばいいのか てがみ あてもなくはだせない うたってた かいていた わたし みてほしかったの まだ うたいたかった おまえ どこにいるのねむって ねむって そうしてどこかへ みえない きれぎれのふくをひろってあるく しっているだけ めんをたどって きっと さけぶのじゃあなくておしばいみたいに からだにつめをたてて ---------------------------- [自由詩]pteron/紅月[2013年4月27日5時59分] 未明。雨が降っている。殴り付けるような強い雨だ。風は森の木々 を蹂躙しながら北へと向かう。雨だれを引き連れて。しだいに厚い 黒雲がうっすらと明るくなっていく。森のあちこちには輪郭のぼや けた幽霊たちが立っていて、風に逆らえず巻き上げられた彼らやた ましい、あるいは木の葉などが夥しい数の滴と共に宙を舞っている のが見える。地響きのような遠雷が聴こえる。獣たちは息を潜めて いる。慟哭、殴打、示威だけが世界を支配しているように思えた。 けれどもそこではなにひとつ比喩ではなかった。嵐のさなかでわた したちの言葉は容器として存在することができない。それは大昔か らの約束なんだよ、と、死んだ姉は言った。失われることのない語 彙。わたしたちの言葉は容器として存在することができない。慟哭 と、殴打と、示威。雨はまだ降り続いていた。腐った巨木が風に軋 んでいる。ひどく聖なるものだ、とだれかが言った。そしてそれは 大昔からの約束なんだ。 身に覚えのない指先から羽根が生えてくる、 剪定は形骸の衝動なのですか、 比喩が咲いている、 ひとの仕草が溢れてくる、森で、 歌をうたう少女の唇はひどく乾き、 それはわたしであり姉だった、 という比喩を、(踏みにじる、 弱い獣たちの瞳はみな赤い、 赤い、写本、 かつて、や、 いまだ、は、 ここにあってはならない、 もうなにひとつ意味はないから、 豪雨の、あわいで、 わたしを、姉を、 約束することも、 約束しないことも、 立ち尽くすことすらも、 踏みにじる、剪定が、 繁殖するから、だから、 言ってください、 他ならぬ姉の語彙で、 ここには、 なにひとつ実体はない、 なにひとつ比喩はない、 形骸のための形骸ですから、 それが、大昔からの、 (約束、なんだよ、 遠雷が止まない。風は従者を引き連れて北へ向かう。森はひとつに 留まることなどないから、きっと明日にはこの森もどこか遠くへと 行ってしまう。それも約束。風が木々を演奏している。木々が身悶 えている。獣たちは息を潜めている。土はぬかるんでいく。雨、雨 が降っている。殴り付けるような強い雨だ。濡れて凍えた肌が刺す ように痛む。永い未明。姉は死んだ。わたしが殺した。これも比喩 ではない。なにひとつ比喩ではない。わたしたちの言葉は容器とし て存在することができない、それは大昔からの約束なんだよ、と死 んだ姉は言うだろう、他ならぬ姉の語彙で、わたしの語彙で、決し て失われることのない、恒久の、雨、は、語り尽くされ、まもなく 止むだろう、そして、雨がやんだら、森のあちこちに、輪郭を手放 した幽霊たちが立っているから、彼らを摘みに行こう、わたしたち の語彙で、森は留まることがないから、語彙が語彙に変わってしま わないように、いま、ここで、かつて、いまだ、と、花々がきのう 咲きそびれてしまうまえに、それから、そこに立っているのが姉で あっても、わたしであっても、決して歌ってはならないよ、摘み続 けなければならないよ、それが約束なんだよ、と、ふたたびわたし がくちばしるまえに、   ---------------------------- [自由詩]リプライ/オオカミ[2013年7月22日23時17分] 終わりから、こちらを見ているのは ああ、名前がないね そう、もう取り外してしまったの じゃあ、また 花火みたいに千々に光って消えていく あれはおとうさん あれはおかあさん あれはおとうと あれは昔飼ってた ベタ あれは、わたし きょうは仕事で嫌なことがあったの あしたは映画をみにいきます いまは いまは、 鯨と泳ぐ夢を見ている いつか見た 繰り返し消えていく波の中で いつか見る ひとりぼっちの水底 いきてるのに いきしてない しんださかなになって なみだもでない こわいよ もしもあたらしくなって 名前がついたなら わたしは愛されたい そんな手紙を鯨に書いた あしたは映画を見て コーラを飲むの そんな手紙も書いた 全部、持っていけたらいいのにな じゃあ、おやすみなさい ---------------------------- [自由詩]軽口/コーリャ[2013年9月18日2時02分] 新しいノートを開いて。さいしょのページだけ。きれいな字を書くようなひと。僕もいっしょだ。 サイドミラーに映った、中華門のおおきな金文字。鳥居っぽいね、話しかけると。となりでは眠るひとがいた。遅いな、とおもった。38度。暑すぎて、透明な鳥が光の群れではばたいている。 友人は、ついさっきですね、強盗をね、ちょっとしてきたところなんですよ、と、いわんばかりのたくさん小銭の入った袋をかついでいたのに、(たくさんのエリザベス女王たちが、それぞれの年代に応じて雅にする微笑み)銀行からでてくるときは、お札を何枚かぺらぺらしていた。このスキルを世間では両替という。$634もあったんですよ。スカイツリーといっしょですよ。といって。銀貨でできた塔を発見したみたいに笑った。 ですからね。とさっきまで眠っていたほうの男は、会津弁でしゃべるときのように、言葉を北風にとばされないじゅうぶんな速度をたもちながらいった。逆銀行泥棒はスーパーに買い物にいった。僕らはショッピングセンターのベンチにすわって涼んでいた。待ちぼうけ。「ですからね。可愛い。なんていうのはよくないす。美人。っていえばいいす」僕はちょっと笑ってしまう。「なんでかというとすね。可愛い。なんてゾウにもいえるす。なんでも可愛くなるす。そうじゃないす。美しいす。」「じゃ、きくけどね。美しい、ってなんなの?」目の前の特設ブースの天井だけ、なぜか雨漏りしていて、誰かを呼びにいったのだろうか、その場で脱ぎ捨てられた着ぐるみは、まるで今までの人生すべてが失敗だったかのように、うなだれていた。落ちる水滴はリズムにのって、白いバケツへと集団自殺的な飛込みをつづける。みているだれかが涙をながしてしまうような、かなしいやりようが、いつまでもみつからないまま、飛び込みつづけた。 じぶんがそんなにかわいそうですか? 僕、革命しますよ。と冗談をいうと、タバコをまぜるのがヨーロピアンスタイルや!でおなじみのR氏は革命をするとしたら、どえらいトンネルを、地球のコアに貫通させて、ブラジルまで二時間で到達できるインフラを整えることを公約してくれた。マグマの海中クルーズ。サブマリンに乗って。透明な怪獣にも会いにいけるかもしれませんね。というと。 透明なねぇちゃんもおるがや、透明なデートや、服を脱がさなくていい、そもそも透明だから。といってみんなを笑わせた。 (街をそうように生きてきたから。これからもそうする。ぐるぐる回る。ひとつのコースばかり走る仮免運転の助手席で、プラスチックカップのなかの氷がいくつか溶ける温さにさだめられた。夏時間の熟した夕暮。ジャカランダの花冠の紫が、いろのある陽光に騙されて、桜色に変わり果てて、それが、夏なのに、並木道で、ゆっくりと、みずからちぎって落とす花占いを、窓から首をだして見上げた僕は錯覚しつづける。(北半球だけが皮むきされて (AとBが双子のように交差したそばから入れ替わり(愛の「あ」と「い」がお互いの向こう岸から。(やさしいこと。降って。半袖と半ズボンがはばたいて。弱いこと。罪深さ。風が咲いて。手をのばす。花が。 過不足ない錯覚。なにもかも? 夜の窓辺が明るい夢を見ている。どこまでも書き綴られることにいみなんてないことが分かったノートは窓際の風にあおられて、一枚、一枚はがしていく自分たちが時のすばやさのなかに・・・・・・? こころや過去 No man is an island. とおくにみえる 漁火が。) そして朝がくると昨日のことをぜんぶ忘れてしまう。夢の破片がくだけちるのをみつめながら目覚める。日課のジョギングをする。僕は走る。走る。走る、が、走れ、にかわる。走れ。僕は走れ。心臓が溶けるまで。僕は、僕を、けしかける。息を、吐き切りながら。かんがえる。僕はいま直線だ。直線的に、あなたに、向かってる。もう二度と、会うことのない、あなたや。名前も、顔も、まだ知らない、あなたへ。あなた、あなた、と、走れ、走れ。だれでもない、あなたへ。強く。 ・・・・・・そして絶句。とりあえずの結末。ノートを最後まできれいな字で書き終えたことがないように、きれいな終わりなんていちども出会ったことがない。だからせめて最後には、透明な怪獣への手紙をきれいな字で書こうとおもってる。透明な挿絵だってそえる。透明なデート。したいな、みたいに。心のなかではいつも冗談をいってる。破ったページでつくった紙飛行機が世界の透明に隠されていく。そんな冗談。もう二度とだれかのために詩なんて書かない。ぜんぶ愛していたよ。憎むことはあったけれど。それも、もちろん。冗談だけれど。さようなら。 と汚い字で書いた。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]不如意な恐ろしさ(アスパラガスさん讃2)/渡邉建志[2013年10月7日2時19分] アスパラガスさん讃 2 彼女は軽やかだし、あまり恐ろしそうではないではないか。という不如意。 この、デザインできない不如意で多義的なラインを、彼女は、推敲と時間によって作り上げることができたと言うのか。 そのために失ったものがあるとすればなんだったのか、そのためにあえて負けていこうとした点があるとすれば、 それは何なのか。 とがっている人は、なにかを、犠牲にしているはずだ(それが、犠牲でないように、反対に美しく見えるような形があるかもしれないが)。 恐ろしさについて、聞いてみたかった。もっと、教えてもらいたかった。教えてもらう、ことではないのかもしれないけれど、なにかを、知っていそうな人だった。 ちなみ 朝がらくたを拾うわたし おおきな車に追われて走る きみの声はしゃがれ 7月のとかげ 波にのまれるときも 性悪 ほかに持ち合わせがないからといって 一枚の紙をかぶせた すぐ逃げた はやかった 朝はいつもおそろしく とかげはいつもおそろしく 軽やかに 声もあげずに あちらを向いて 生き返る わけがわからないよ、わけが わからないな と思うけれど それを言ったら、すごく負けなような気がして そういう、負けなような 高貴さがあるよ 勝手な、感想だけど。それは。ああ、この高貴なわけのわからなさ、 をわけの分からないと言ったら負け、感 なんで、なんでなのさ。 「一枚の紙をかぶせた すぐ逃げた はやかった」 このはやかった、という描写と感想の合いの子のすばやさ。 それが、さいしょの印象。 それだけのためにほかもあって、でもほかもなければいけなくて、 でもほかは主張してはならず、ただ、ある、高貴なわけの分からなさと、 過度でない音楽やリズムとして。 「朝がらくたを拾うわたし おおきな車に追われて走る」 なんでがらくたを拾うのに追われているの。 ごみ屋さんなのかしら。 「きみの声はしゃがれ 7月のとかげ 波にのまれるときも 性悪」 その意味のないかっこいい脚韻。連想のつながり。 「波にのまれるときも 性悪」そのスペース。とても理由のない、かっこよさ、 それはとかげが性悪なの?という、主語動詞のリンクを明確にすることがどれぐらい 意味あるの 「ほかに持ち合わせがないからといって」 だれがいった だれにいった その、やはり、つながらなさ、 さいしょから、繋がる先を切ってある そして読むほうが見つけてこざるを得ない アスパラさんは誰かに「いって」、 「一枚の紙をかぶせた すぐ逃げた はやかった」 とかげになぜ一枚の紙をかぶせるの 怖いからなの こわいなら持ち合わせがないからとか言う余裕あるの あるいは「といって」は「Aではない。だからといってBではない」の代替としてのといってなのか、 そんなわけない、けど、そうでありえるのが、アスパラガスさんの、多義的なところ。 ・断定しない ・否定しない そして ・かっこつけない メタに行こうとしない、なぜなら、そのままで、わけがわからない 「朝はいつもおそろしく とかげはいつもおそろしく」 なぜ朝がおそろしいのかもわからない次に、とかげを紙で隠した理由が現れる。 「軽やかに 声もあげずに あちらを向いて 生き返る」 死んでたのか。    *     ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)](転載)第一回朗読会;「アスパラガス、詩集。」/キキ[2013年11月7日22時51分] mixiより転載。 2008年6月28日に開催した朗読会のお礼の文章です。 ***** お客様には、いやってほど我々の愛が伝わったのではないでしょうか(笑) もし、お腹いっぱいになって帰ってもらえたなら幸いです。  * 「アスパラガスさんの詩には、自分の詩以上に自分のことが書いてある」とユーリさんが言ってましたが、わたしにも何人かそう思える詩人がいて、アスパラガスさんもやっぱりそのひとり。読みながら、ときどき心が持っていかれて、詩の風景に一瞬トリップする瞬間があります。自分がどこにいるのか忘れちゃう、みたいな。 朗読会はまたやろうと思って第一回とつけたのですが、アスパラガスさんの詩を取り上げるのは一回きりのつもりでいました。その分入魂したのですが、あんまり楽しかったので、そう遠くない日に、再演もしくは、構成を変えて続けていくのもいいかもしれません。夢がふくらみます。。  * イベントだけでなく人生においてもそうですが、「好きなことを好きな人と好きな場所でやっていればとにかく大丈夫」と思っていて、でも意外とこんな簡単なことを実行するのが難しくて、しょっちゅう壁にぶちあたります。油断するとここに惰性とか自分のへんなプライドとか卑屈さとかがまじりこんでくるんですね。大事なことはいつもシンプルなのだけど、常に意思と努力と希望が必要、とも思います。 詩は、仕事とは違うものだからこそ、自分自身の自尊心をかけたものでありたいです。てきとうなことはしない、うそはつかないってことですけれど。 そういう風に初心に帰って、しがらみのようなものを全部とっぱらって、ただ詩を大事に、その場に関わってくれた人(もちろんお客さんもです)を大事に、大変なことさえも、こんなに楽しいんだと思ってもらえたらいいな思って企画したイベントでした。 実際無料で、ゲスト扱いでのイベントなのに、ワニラは何回も練習をしてくれて、運営もたくさん手伝ってくれて、主賓のアスパラガスさんにいたっては、当日働かせまくり(ほんとにすみません)、みんながこんなにいいひとだったとは本当のところ知らなかったかもしれません(笑) アスパラガスさんからいただいた「詩集」という名の冊子から、各自でそれぞれ選んでやろうと思っていたのですが、読み返してみたら、これは全部やらねばいかん!と思ってしまい、全部で38篇、読みきりました。構成の段階では(やはりそれぞれの持っているイメージが違うので)喧々諤々、不穏な空気が流れたりもしましたが(笑)、合わせてみたらみんなの周りからキラキラしたものが舞い散って、この練習の段階もとても感動的なものでした。これはわたしの役得ですね。 練習では、何度計っても時間をオーバーしそうな勢いだったのですが、本番では緊張のあまり皆巻き気味になり、実際には朗読は90分もなかったようです。アンケート作ればよかったです。感想プリーズ!です。 でも終わったあと、ユーリちゃんが姉さん事件です!な勢いでおひねりのハコを持って走り出てきて、中を覗いて予想外の多さにみんなで仰天しました。なかなか感想を聞く時間がなかったので、これはたぶんおそらくもしかしたら合格点、と自画自賛して終わりたいと思います。本当にありがとうございました。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]ない日記の感想/渡邉建志[2013年12月1日0時57分] 彼女が日記を閉じるということを知ったとき、わたしはロンドンにいた。初めて彼女の日記を読んだときに、いったいぜんたいどこにいる人なのかわからない日記で、それは遠い国にいらっしゃることだけはわかったので、きっとわたしと線が交わることがないだろう、と思っていた。それはわたしがまだ大学に通っていた時のことだった。それからずいぶんたってわたしはロンドンにいた。ページを閉じるけれど、連絡があれば私信をください、と書いてあって、わたしはそれまでずっとおそれていたのだけれど、メールを送った。送る前に、彼女が書いた日記を一番最初から読みなおした。寒くて暗いロンドンのフラットの階段で、無線LANが隣のPUBから入ってくるのがそこだけだったので。厚着をして、マフラーをして、ほぼ外といえるその階段で、読むことを止められずに、夢のなかにいるように読んだ。一番最初から読んだのはそれが初めてだった。ずいぶんの変化があって、わたしが読み始めた夢のようなねじれは最初にはまだなかったのですこし意外だったのを覚えている。 + 彼女の書くものを読むときにいつも夜の冷ややかな空気と、そのなかでの少しの温かさを感じるのは、その温かさは人の肌の温かさではなくて、もっと精神的な、ひかりだった。いつも夜寝る前に書いていたから、とあの人は言った。ええ、その空気をいつも感じて読んでいました、とわたしは言った。わたしが読んでいたのも夜だった。刺すようなロンドンの夜で蕩けるようになりながら読んでいたことを思い出す。どうしてだろう、東京で読んでいた時も、京都で読んでいた時も、そこまで蕩けて読まなかったのに。最初から読んだことが何か印象を変えたのだろうか。一つずつ読むよりも、ずっと流れてこの人の魂の遍歴をおっていくほうが、ずっと。 + なにかを書こうと思って、手元に保存されているあの人の文章に目を通しているだけで、なにかよくわからないものが立ち現れてきて、胸が痛くて死んでしまいそうになる。それは字の形や文の形や余白の取り方から蒸気のように立ってくる物で、それだけで胸が甘くなってしまって、なにかこみあげてしまうので、一つを選べばすべてが消えてしまうのだと思う。わたしが見ていた映像が、一部だけ抜いて選び出しても、何も現れてはこない。あまりにも即物的になってしまう。それだけ抜いたって。 + わたしが泣きそうになりながら読んでいた夜の集まりの日記はどの日だったのだろう。彼女の文の霧は深くて深くて。泣かないでいることなんてできるだろうか、こんなに深い霧のなかで、あの人の声だけ聞こえて、泣かないわけにいくだろうか。 + 一言ずつおっていくこともできないままに、わたしは、ほそくでもこころのそこから、「うううううううううう」という嗚咽が自分の底からきこえてくるのを止めることができない。そしてそれは幻想を生んで、羽ばたいていく。 + 文を終えないこと、と書いても、それが何の意味もなくて。あの土地にいる間、彼女は知的であることをやめたのではないか、感性に任せて生きていらっしゃったのではないか、といつも思う。あるいは知性と感性のものすごく危ういバランスのなかでなんとか保たれている、ような。子供のような目をして、なにかを追いかけて、走っていて。 + 読んだときにきこえた深い深い夜はいまはきこえずに。寒い12月24日に即興で歌い、即興で踊ること、ピアノ室。たぶん木でできていて。地下で。寒くて。でも人々は温かくしていて、ピアノを弾いて、聴いて、踊って。 くちぐちに、次回の企画をささやきあう。 + わたしはリピートしているだけで幸せになれる。リピートしていて。だけど、この幸せな気持ちが、どこへも行かないことも知っている。これはラヴェルといっしょで、閉じられた世界の美しさ、過去においての未来なのだけれど、わたしはそれを過去として遠くから見てその生活感にため息をつくばかりで。 + 12時になって、魔法が解けるまえに、戦場の中庭を走るように。そうやって走っていく人の姿をぼんやりとわたしは見ていた。このときが例の次の会、何人かいて、生きていける、と彼女が思うときに、その日記は事実を書く以上に思ったことに真実なんだと思う。 + 彼女は危険なほどに(それはもう本当に危険すぎるほどに)「生きること」としか、そしてそれと密接にかかわることしかしていない。生きることを忘れたら死んでしまうから彼女は生きることについていつも考える。普通の人は生きるためにではないなにかほかの自己目的化した物事のために生きることを通じて間接的にそれが生きるためになっている(気がつけば)。たとえばお金を稼ぐという目的であったり。尊敬を得るという目的であったり。その目的の最大化を求めて必死でやっているうちに、生きるということに結び付いている。彼女は何をするにおいても生きるということから目が離れない。だからわたしはよんでいて泣きそうになる。苦しい。みんなペダンティックでありたいだけだ、とH君が言った。でもあの人は違うんだ、と言った。わたしはJDを読んでいないので、何とも言えない。いま手元に彼女が送ってくれたJDの「対話」の原著がある。そろそろ手をつけなければならないな、と思う。彼女について書くときには、どうしてもフランス語を介する必要があるはずだ。あの人が通り抜けた森を通り抜けなくてはならないと思う。彼女が生きるということに密接につながり続けて、息苦しい生きぐるしい生を走り抜けている間は、わたしもそれを追いかけていたいと思っている。わたしはまたしても、生身の人間として彼女を見ておらず、生ける文学作品のようにとらえている冷たさなのかもしれない。わたしはたぶんずっと恋をしているのだけれど、でもその恋はあの人をほしいという恋ではない。「生ける詩」に近づいてそれを自分のものにしたいという欲求をわたしはどうしても持てない。それでもその人の道筋をきちんと追っていきたいなと思う。この2009年なんていう年に、まだこんな人が、こんな風に生きているということじたいが、奇跡みたいなことだと思う。生きていてほしい。あの人が夢から覚めるということもまた、悲しいことなのだけれど。わたしが恋焦がれているあの人の夢にしても、あの人にとっては人生の短い一段階、数年のことに過ぎなかったのかもしれない、とも思う。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]絶語の果て/渡邉建志[2014年2月1日14時56分] 夢をみなくとも   軽谷佑子さん http://hibariryouri.web.fc2.com/11/karuya.htm 4行が5つ小さく並んで、どこにも本当の意味での終止形がない(文法で言えば、「わからない」はそうだろう だけどmizu Kさんが指摘するように(http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=285679)これは 、 が終わらないことをわたしたちに伝える――「結露する」はどうだろう 「生活」へかかる連体形ではないけれど、結露する、で終止する気はしない、延々と結露しつづけてその余韻のなかで「生活」と聞こえてくるように思われる) 動詞の終止がないとなれば、う音 でものごとが終わらずに、い音 や え音 でものごとがほうりだされることになる――あるいは名詞  音のことばかり夢見ることが正しいことか、正しい詩の読み方か知らない  実際ぼくはいまこの詩の意味についてひとつも触れられそうな気がしない(そこにある音楽から自分の物語が始まるばかりだ…)この最後に現れる四行を読み終わったあと、ほうりだされて、そのあと無音―無韻のなかに聞こえてくるものは―見えてくるものは自分のなかの物語、自分の中に広がる映像 動詞があって、え音 で終わっていく 続いていく そう、「終わって「いく」(それは続いていく)」という感覚を今わたしは愛していて、そういう愛のなかでかってにこの詩の 離れ  をうつくしいっておもう  意味についての感想が何も言えなくて申し訳ない わたしはわたしのなかのなぜ、をさぐりたくて、この詩のなかで、最も多いというわけではない え音 の改行に、空想のバトンを渡されたような気持ちになって、たとえば最後の 離れ のあとに本を閉じる。 一人の十五歳がいう ― 一人で部屋に籠もって勉強しているとき、何かしら空虚でやりきれない気持ちで胸がいっぱいになってしまうことがある。僕は何のために勉強しているのか。数学や理科を習得したところで、本当にかしこい人間なのか。 空虚感に襲われ、僕は本を開く。あるときは笑い、あるときは透きとおり、あるときは他人の苦悩を背負い、あるときは叶わぬ憧れを抱く。 そして本を閉じる。本を閉じると考えが湧き出てくる。それをノートに書きとめる。そうしているうちに、最初の心の虚ろさが、それが投げかけてくる疑問に対するはっきりとした回答は見出せないにしろ、だんだん晴れてくる。 勉強ができることが何の意味があるだろう。人間としての価値がそこにあるのだろうか。人間が考える葦なのならば。 (並べることが申し訳ないけれど)大好きな武満さんがいう ― 四月はじめ、思いもかけず病いの宣告をうけ、入院生活を余儀なくされることになった。これを与えられた機会と考え、纏った読書でもしようかと、枕頭に単行本や雑誌の類種々を積んではみたが、どうも手を出す気になれない。筋道を追い、人物の心理が綾なす複雑な糸をたぐるような小説の類は、特に、気分がのらない。 結局、イタロ・カルヴィーノの短編と、蕪村の句集を、それも、一行、或は、一句ずつ、味わうように目で追っていた。 たぶんそこには、意味が直ちに完結せず、つまり、因果関係の説明に費されるような文章ではなく対象への観察が精緻で深く、それでいて(或はそれだからか)こちらもかなり自由に、新たな思惟を展くことが可能なような言葉が在るからだろう。それは詩的な言葉である。(中略) 受動的行為であったはずの読書が能動的なものに変わる。その時、自己はこわれ、あらたな自分がつくられている。 読書の様態は、ひとそれぞれ、千差万別である。読書には、映画のように、必要とされる限定された時間というものはない。読書に費す時間は個別のものであり、その速度は一様ではない。時間をかければより内容が把握できるというものでもない。 私の場合は、大きな流れをたゆたいながら、不意に起ちあがる、杭のような言葉やセンテンスのひとつひとつと、その度に交渉をもちつつ、書物それ自体とは一見無縁な寄り道を楽しめれば、それは最も充足した読書(体験)と言える。 だが、そうした遊びをゆるしてくれる本は、そう多くはない。不思議なのは、内容の純度が高いほどにそうした精神のあそびを促しもし、またゆるしてくれることだ。 亡くなる7ヶ月ほど前の、新聞への寄稿。 何を書けばいいのかわからない。何を作ればいいのかもわからない。生きていることの価値が分からなくて死のうと思い続けた日々があった。かなり長く。なにも作れないまま日々― 長い夏休み、とわたしはよんでいた― を抜けて、わたしをひとに印象づけることよりも、想像のバトンをひとに渡したい、と今は思える。そのあと、わたしが書いたことと「一見無縁な寄り道」がそのひとにつづくなら、わたしが生きた価値はきっとある。(性急な結論。たぶん生きる希望はそんなに簡単に語れることじゃない。そんなに簡単に語れることなら、ひとは死なない。) この詩のいちばん多い改行まえの い音 は機能としては え音 と同じはずだ。こなごなになり と みえたものはうせ の語尾は、おなじ連用形、おなじく次があると待つ機能だと思うのに、みえたものはうせ というあとに渡されるバトンのほうが、前者よりもつよく思われるのは、わたしが え音の音楽に、わたし側の理由で魅せられているからだけなのでしょうか。 無言歌 v   細川航さん http://hibariryouri.web.fc2.com/11/wataru1.htm なんどもあらわれる  「て」 沈黙の中にバトンを渡そうとするのではなく、不器用に吃音のなかで、繰り返すから 読むほうが吃音の中に読みとっていこうとするようなかんじ 一方で血を吐くように、決然と断るように、血を吐きながら決然と断るように(それが詩人の通奏低音のようにわたしにはみえる) 指を切るのだという。わたしは、なぜ切らなくてはならないのかとおもう。指を切らなくてはならない理由がある。わたしには見えないけれどそれはある。確実に。そうでなければピアノを弾かないだろう。切ってしまったあとに茫然とピアノなど弾けない。 ここには君がいて、あなたがいる 一行目に現れるあなたは、七行目に現れる君だろうか? 夢をみることと、血を吐きながら周りを断ることが交互にあらわれるようにわたしには思われるこの詩のなかで、夢のような花畑にあなたはいる、そのあと決然とわたしは君に切った小指か薬指を送る――曖昧性はあなたが背負い、決然性を(この詩においては)君が背負うと言ってしまう(えるのだろうか?)と、あなたは あ音 でできていて曖昧だし、君 は い音 でできていて切りつけるような決然と、k音も含んで。 曖昧性と決然性は交互ではなくて並列なのかもしれないし、わたしはそう思う、決然とひとりになるから、曖昧と孤独になって、終わりに流れる音楽のむこうに流れる音楽のところまで行ってしまう。 あきらかに一番大切な言葉は と、 だ 同じ意味をもつ同じ言葉を繰り返しているのに、そのふたつを、「と」でむすぶ、それは雄弁であることから離れ、意味としての吃音となる。と、と訥々とともって、ともる向こうの理由を、雄弁になれない理由を、わたしは探しはじめる。 すべての終わりに流れる音楽 と、そのあとに流れる音楽 音楽。ほうりだされて、終わる、(わたしは想像をはじめる) と、見せかけて「と、」― 終わらない。とても強く意味を込められた「と、」だと思う。終われない理由があったらしい。そして本当に終わってしまうのだけれど、名詞だから、やっぱりほうりだされていて。わたしたちはその音楽を、本を閉じて聴きつづける。 名詞で言い終わる。想像が始まる。待たれる沈黙が一音の助詞に終わる。驚きのように付け加えられた助詞にはたくさんの意味がある。 本日皆様 我々のこの最後のライブ……にっ http://www.youtube.com/watch?v=GJIYZGs4iJs&feature=youtu.be&t=20s ---------------------------- [自由詩]不動の穴/春日線香[2014年5月4日18時30分] 庭でだいこんが生えそろっている 白くみずみずしいだいこんが土に刺さっている 知っているか だいこんの葉っぱには青虫が ものすごくよくつく ほんとうにきりがないほど だから割り箸でそいつの青首をひょいとつまんで 植木鉢の皿などにくねくねくねとのせてやり これをうやうやしく捧げ持ち 不動の穴へ そこからは生臭い息がもれており うららかな春に惨劇の予感を漂わせている おお 虫よ覚悟するがいい 皿の中身をぶちまけるように穴に放つと そこから先は夜 夜の悲鳴でしかないのだ わたしたち付近のものはもうそれで安心して 急いで家に帰って布団をかぶる 頭まで隠した暗闇で くくくと奥歯で笑う 悪い首は切り払わねばならない 悪い野菜の悪霊どもは 不動の穴に何がいるかはわからない 噂では死んだ娘がひとり住んでいるのだという それを確かめようとは 誰も オシャカサマデモオモワナイ ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]二人の遡行者?細川航「ビバーク」/春日線香[2014年5月8日4時09分] 詩誌「雲雀料理」号外に掲載された細川航「ビバーク」について 僕のふたつのねがい、それはきみがいまこの瞬間か らだの奥底から死にたくなること、そしてそのまま に永遠くらい生きてほしいこと ここには二つの方向が同居している。死への意識と、その死の意識が激しさを増したままで続くこと。つまり死の境界線を越える地点で立ち止まり、かろうじて生に留まることが願われている。二方向にぴんと張り詰めた葛藤の状態。「僕」が願い、「きみ」に向けられた言葉は、ある人間から別の人間に向けられたというよりは、一人の詩人の内部で交わされた独語と言ったほうが正しいだろう。 雪という言葉がうすみどりに透けていってきみの喉 がかわいて雨という言葉になる 雪は溶けて雨に変わる。ある状態からある状態への移行、その中心に詩人はいて、言葉を受け渡している。それも喉の渇きを感じながら。もっと直截に言うなら痛みを通して。 雪から雨という状態の変化に注目したい。雪解けは地上を流れる。その言葉の川を差配しているのが詩人であるとして、彼が感じている乾き……痛みとはどういうものなのか。それは詩の中で語られている。 言葉から自分を差し引けないそのさみしさ 自己を滅却する死の意識を持ちながらも、かろうじて生に留まって詩を歌うことが詩人の原理なのだとしたら、この「さみしさ」は引き受けなければならないものだ。両側から引かれて「さみしさ」の軋みを感じている詩人。二方向の力の向きに対して、彼はやがて変化を見せる。 君がきみを殺しても枯れない川を僕は夜どおし登って 引き裂かれた「君」と「きみ」の二人の緊張に支えられた言葉の川を、「僕」は登る。川を登るということはそれが流れてきた上流への、詩人の来し方を確かめる遡行の旅なのかもしれない。 そこで彼は鳥を見る。はばたいて飛び去った羽根の中に手紙を見つける。 わすれていたけど僕はこのてがみを好きだった 書いたあとにはしあわせな心地でねむった 「てがみ」の内容は開かれている。とはいえそれを書いたのはやはり詩人であって、どうやら幸せな眠りをもたらすものであったらしい。言葉の源流に立ち戻った詩人が見つけた幸福な記憶。引き裂かれた二つの半身を持つ詩人が「好きだった」という言葉の川の始原。 遡行の果てにこの地点を確認した詩人は、二つの方向に引き裂かれた半身と半身を和解させたように思える。 きみも、わけていてくれたんだとその日は思って 川辺で ねむることにした 眠りの中に「さみしさ」は追いつけない。たとえそれが擬似的な死の状態であるにしても、次の歌が聞こえてくるまで、今はただ乾きを忘れて静かに眠ってほしい。 ---------------------------- [自由詩]夜中の猫/春日線香[2015年2月15日4時31分] 勝手に死んでしまった猫が 地面の下で 魚が食べたいという いくら魚が食べたいと思っても ここにあるのは石っころかミミズかモグラか 去年あんたが埋めた三輪車くらいなのだからと しつようにしつように要求してくる 冷蔵庫にはひからびたキャベツの切れ端 空のマヨネーズ かちかちの納豆 あいにく魚は買い置きがない ないならあんた買ってきなさいよほんとにぐずなんだから 猫はおんおん吠えたてる 耳のうしろをすうすう風が流れていく もう夜も夜中の丑三つ時で 店はどこもがま口みたいに閉まっている どこに行けば魚が買えるんだろうか そんなの決まってるでしょ子供部屋見てみなさいよと 言われてはっと思い出したが 子供部屋にまん丸い金魚鉢 大急ぎで抱えてきて庭にぶちまけてやれば そういえばあんた 子供はどうしたの? 口の端で猫が言う 曲がった口でにいっと笑う そういえば 去年の春まで緑色の三輪車に乗っていた女の子は どこに行ったんだろう あの子はどこに行ったんだろう 地面の下でさっきから猫が噛んでいる こりこり こりこり あれは一体何なのだろう 猫はどうして笑っているんだろう どうして朝は来ないんだろうか ---------------------------- [自由詩]すとーぶ/アンテ[2015年4月6日23時42分] しんをちょうせつして つつをもちあげて すこしだけすきまをあけて まっちでひをつけて しめるとどうじに まっちをふってひをけす ごっごっ と おとをたてて かなあみまでひがのびて あみめがあかくなって あったかくなる のをみていると ぐしゃぐしゃって あたまをなでてくれた おおきくなったら させてあげるよって おばあちゃんいったのに あるひとつぜん とうゆのすとーぶはいなくなった とてもさむいあさ ふとんのゆうわくにうちかって まだくらいうちに そっとだいどころをのぞいてみる でんきすとーぶも ゆかだんぼうも つんとよそをむいている おばあちゃん すとーぶついてないよー そとでとりがないている ひろこじぶんでつけられるでしょー やかんにおみずをいれる ---------------------------- [自由詩]町/アンテ[2015年4月27日23時46分] 小さな町のはずれで 旅人は力つきて倒れ そのまま動けなくなった かれこれずっと なにも食べておらず 水も一滴も飲んでいなかった 町の空気は乾いていて埃っぽく 川も干からびていたし くすんだ色の葉をつけた木が まばらに見えるだけだった 住民はしばらく 家の陰から様子をうかがっていたが ばらばらと出てきて 旅人を足で突いたり 荷物の中身を探ったりした 旅人はかろうじて息をしていたが ぴくりとも動かなかった 背負っていた大きな荷物には ポケットがたくさんあって 開けると小さなかけらが転がり出た 集めてみると かけらは勝手に組み合わさって 気味悪くうごめいたかと思うと 近くにいた住民を呑み込んで 大きく膨らみだした 住民は慌てて逃げ出し 家のなかから様子を伺ったが それは気だるそうに移動して 近くにあった家を呑み込んで さらに大きく膨らんだ 住民が避難して様子を伺っていると それは次々と家を呑み込みながら 町を縦断して 端まで行き着くと動かなくなった 住民は旅人を叩き起こして水をのませ 意識がもどると 口々に罵りながら なんとかするように迫った 旅人はぼんやりと 人々の顔を見比べていたが つらそうに立ち上がって 荷物を引きずって町の反対側まで行った それは山のように成長していて 不安定に揺れていたが 旅人を襲おうとはしなかった 旅人が手を伸ばして 尻尾のように見える部分に触れると それは突然崩れて 家や町だったものが 原形もわからない状態で散らばった 旅人は長い時間をかけて 廃墟のなかからかけらを拾い集めて ひとつひとつ 荷物のポケットにしまった 住民は恐る恐る近づいて 害がないことを確かめると 旅人を口々に罵って 町から追い出した 旅人は一本道をとぼとぼと歩いて 町から遠ざかり 埃っぽい風にまぎれて やがて姿が見えなくなった 人々は瓦礫を取り囲んで 片付けをはじめるわけでもなく 今後のことを話し合うわけでもなく 旅人を呪ったり 自分の不幸を比べあったりしていたが 日が暮れると 一人 また一人と散っていった そして不安そうに それぞれの夜を迎えた ---------------------------- (ファイルの終わり)