rabbitfighterのおすすめリスト 2013年3月12日0時22分から2019年6月25日15時16分まで ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]震災の記憶/小川 葉[2013年3月12日0時22分]     仙台は、あの大きな揺れのあとも、不気味な地鳴りの音が鳴り止まずに、世紀末感、たっぷりでした。それから駅のエスパルから煙があがってた。ヘリが空を飛び、警官は、津波が来るから高台へ!と叫んでた。仙台市バスの駐車場に避難してたら、中に避難してくださいと、職員がバスの中に入れてくれた。それからメールが通じないと、いやしかし、Twitterから連絡がきたと声が上がる。携帯のワンセグを見てるひとの画面には、石巻港が、静かに水に浸っていく様子が見えた。こんなもんなのかな、いやきっと、こんなもんじゃない。津波は、仙台の街中には結局こなかったけど、これは来る!と思ってたら、雪が降ってきた。歩道を人が埋め尽くしていた。ふと家族のことを思い出して、もしダメでもいいように、とにかく無理して笑ってた。笑うしかなかったな。家に着くと、家の前で、妻が隣の、おばあちゃんと話をしていた。その脇で、息子がぽつんと立ちつくしていた。雪の降る中に。家に入ったら、めちゃくちゃだった。家に入ると、余震が来るので、怖くて出たり入ったりした。そうしてるうちに、とにかく食べ物の確保を、となって、コンビニにいくと、大行列。並んでもほとんど何も買えないようだった。あきらめて、家に帰る途中、近所の商店の前に、店の夫婦が立ちつくしていた。なにかありますかと、聞いたら、カップ焼きそば残ってますといった。いいんですか?と念を押して、三つ買ってきた。それが震災当日の、夕ご飯になった。水道が止まりかけていた、残りの水を、石油ストーブで沸かして、一杯分のお湯を、三食分わけた。おれの焼きそばはぬるくてかたかった。それから、寝室で寝ようとしたけれど、寝室にはいるたびに、余震が来て、出たり入ったり繰り返していた。しかたなく、キッチンに布団を敷いた。玄関が近いので、すぐ外に逃げられると思った。眠ろうとすると、またすぐに余震が来て、眠れなかった。ラジオをつけると、荒浜で、数百人の遺体がと聞こえた。昔、海水浴にいった荒浜。嘘のようだったけど、ありえることだなと思いながら聞いていた。しかし、この余震、眠れない。眠らなくていいけど、余震は収まってもらいたい。そうこうしてるうちに、眠っていた。その間にも、眠ることが、できなかった人がいたことを、後に知った。 朝、起きても、情報は得られなかった。とにかく、食べ物と物資を。それを本能のように、求めていた。大きなスーパーには行列ができているので、小さな商店をまわった。そこから少し、また少し、食べ物を手に入れた。普段いかない、小さな店ばかりだった。そこから、食べ物とモノを調達した。なくなり次第閉めますと、書かれていた。百円ローソンは、すぐにしまっていた(後に閉店した)。 三日後くらいの夜、突然、外が、明るくなった。それまで、これまで見たことのない星空が見えていた、家の外が、突然、明るくなった。終わったと思った。そしたら、家の電気がついていた。停電が復旧したのだ。しかしそれから、ガスはしばらくこなかった。その間に、何度か職場に出社した。ガスが通った。仕事も少しずつ、回復した。その間に、私は家で子供とよく遊んでいた。よい、機会だった。その間に、故郷へ帰ろうと考える、よい機会ができていた。 あの震災は、ふるさとの意味を教えてくれた。あの震災がなかったら、ふるさとの意義は今も曖昧だったことだろう。 あの時の記憶の延長に、今の私の意識がある。それは無意識に、今に続いている、と言ったら大げさかもしれないけれど、おもいかえせば、それはとてもきれいに、ここまで続いているのだ。かつてこのような、宇宙の自然現象を、感じたことはない。 それほど、私の人生にとって、大きな出来事なのであった。 震災の追悼とは、こうでなきゃならない。そう思いながら、あの時のことを、思い出していた。思い出したくもないけれど。     ---------------------------- [自由詩]鳥たちはいつも永遠へ向いて鳴く/動坂昇[2013年3月18日0時00分]       手を伸ばす 先に ほどかれていく放物線の 空 いくつも数え切れないほど 通り過ぎるものがあった 今夜 聴いた 天球の音楽 八時間先を東へ回るきみの 夢 これほどまでに異なるというのか n分割された完全八度のなかを満たす音群の密度の推移 いつか勢いよく扉を開けていっせいに走り出した子らの背中へ今にも追いつこうとするn個の銃弾をひとつずつ発射時点以前までさかのぼって消しても消してもまだ消してもなぜだなぜだなぜだと問いながら何度でも伸びる手の先にいくらほどかれても決して消えない夢があった きみの 零除算 消せない夢があった きみの 正午 見えるか 愛 きみの 零度           ---------------------------- [自由詩]タマネギ/花形新次[2013年3月25日15時13分] 都会の空だって 空というからには 晴れの日もあれば 曇りの日もあって それは、それで 当たり前で 取り立てて肯定する必要も ましてや嘆く必要も 無いんだけれど 強いて言えば 都会の雨が好きだってことや 都会の雨にはレインコートがよく似合うってこと レインコートの女性はとても悲しいってこと レインコートの赤は 血に濡れているように見えるってこと 血に濡れた戦場では傘は要らないってこと 綺麗な人の血が綺麗に見えるのは 単にタマネギのおかげかも知れないってことを 都会の生活に疲れた 疲れ切ってしまった 宮田さん若しくは田宮さんに どうしても伝えたくて あと、ひとつ タマネギは生を雨に晒して食べるといいってことも ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]眼科のこと/はるな[2013年3月30日14時47分] さくらも雪柳もなんだってああもこぼれるように咲くんだろう。 かたわらでぼとぼと落ちている椿の鮮やかに腐れるさま。 きょうも海が見えている。花曇り、ぼうやりとした稜線。 手を閉じたり開いたりしているだけで月が行ってしまう気持ち、海にわかってもらえるだろうか。 いつもの眼科はいつものように混雑していた。ここの眼科にはべらぼうに早口の医師がいる。さくさくとビスケットを割るように検診してゆくのが面白い。わたしの眼球は気球のような絵を見させられ、しゅっと風をふきつけられ、不格好なかたちの検査用の眼鏡(レンズをかちゃかちゃと入れ替えられるやつ)を通してすこし向こうの記号を判別させられる。 問診票へ書き込む自分の氏名と年齢とに戸惑いながら、何年もこうして眼科へきている。 となりで、何歳くらいなんだろう、女の子がたどたどしく絵本のかな文字を読み上げている。母親の目からあふれ出ているやさしさに、よくまあ窒息しないこと。 (サンタ、クロース、の、りぼん。) 小さな子の光に溶けるように細いかみの毛。 サンタ、クロースの、りぼ、ん。 オーロラ、い、ろの。 (オーロラいろは何いろ?) (それはねえ、ほらこんなふうに、いろいろに光っている色だよ) (これ?) (この空の色のぜえんぶでオーロラ色っていうんだよ) (ふうん) 眼科に窓はなく、大きなモニタには動物たちのドキュメンタリーが流されている。肉食獣がえものを捕える瞬間の、スーパースローモーションの映像。 チーターにねらわれた鹿みたいな生きものは、逃げて逃げて、足がもつれたのかはずむように転倒し、それでもまだ逃げて、そこから二歩めでもう一度転んで、のど元へ噛みつかれた。 ---------------------------- [川柳]ちょっとずつ食べられたいな/ふるる[2013年4月5日0時34分] 鏡から手首生えてる二本半 生活臭隠すためだと家を焼く 心臓が別れ話を切り出した 仔羊の肉脳内で水洗い 髪の毛に侵入されて操られ 冬が来る非常ボタンを押しながら 鼻の穴耳の穴には通せない 春が来る「ナースコールは押さないで!」 夢の国あなたの首にかけましょう 爪切りにちょっとずつ食べられたいな ---------------------------- [自由詩]清明 (せいめい)/nonya[2013年4月6日11時01分] 晴れた眼差し 明るい歯並び 踵の擦り減った靴が喜んでいる コンビニまでの三百歩の散歩 晴れた声色 明るい口答え 言葉はうっすらとシュガーコートされて 許容範囲が拳二つぶん広がる いきもの達のにおいを 浅く呼吸しながら またしても春を生きる ゆるやかな風の中で 負の病葉を数枚 こっそり手放しながら のっそり春を生きる 背中のあたりから始まった 赤血球のシュプレヒコールが やわらいだ唇にさしかかる 水色の空を三度吸い込んだら がらんどうは微笑みで満たされて 要らなくなった言葉が春へ 春の爛漫の只中で 消えて無くなった ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]暗転、現実と前提/Ohatu[2013年5月6日14時19分] 希望と文学の関係を知ろうと思った。そして、漠然と、ユーチューブで映画の批評を見てみた。単純に映画という作品のほうがたとえば文学的なものと比べて圧倒的に反応が多い。それ以上の理由は特にない。 漠然とユーチューブを見ると、漠然と人気や話題のある人物や作品にたどり着く。今回の場合、園子温と細田守だった。 園子温監督は、びっくりするほど「普通の監督」だった。インタビューを見ると、とても論理的で、かつ、職人的だ。奇抜だとコメントされる撮影技法ですら、彼の考え方を踏まえると、何ら不思議ではないと感じた。狙った反応を得られるよう、抽出し、誇張する、というシンプルな作業に見えた。しかし、彼と彼の作品から、彼が口にするほどのメッセージ性を感じることはなかった。どこか冷めている。その冷めているとう表現は、彼自身が彼自身をよく観察していて、無理をさせないようにしている、ということに近いかも知れない。 細田守監督も普通の人だと思ったが、周りも本人も宮崎駿監督を意識しすぎているのではないかと思った。一言でいうと、かけた金のもとを取ってはいるがそれ以上のことをしようと欲をかく人間ではない、という印象。園監督は違った意味で、冷めている。 そういう思いから、彼らの作品に対する反応を見てみると、どれも、無意味に大げさに、肯定し、または、批判し、何のためにそこまでユーチューブの動画やコメント、あるいはラジオの1コーナーごときで己を主張せねばならないのかと、理解に苦しんだ。作品への反応というより、作品を借りた自己主張なのだ。それも、ただ自分に能力があるのだということを主張したいだけに見え、哲学や主義、理想に触れるわけでもない。 概して、無駄な時間だったが、気になったことがあった。 細田監督の、おそらく最新作に、おおかみこども、という作品がある。それへの批評で、それはかなり長いコメントだったが、つまり、「女性が母として完璧すぎる、許せない」というようなことだった。このコメントを読んだとき、何とも言えない気持ちの悪さを感じたのだが、それをひも解いてみると次のようなことだろう。 まず、このコメントの主が、若い女性で、未婚で子供も居ないということ。自分が経験していない、母というものに対し、何をもって完璧すぎると言えたのか。 次に、これは映画である。理想的に書かれることはある意味当たり前だ。それについて、このようなコメントをすることに恥ずかしさは無かったのか。あるいは、それを乗り越えても言わずにはおられないような批判だったのか。 最後に、これは自信が持てないのだが、他のコメントを見る限りにおいては、それほど登場人物の女性は楽な、あるいは、順調な経緯を辿っているわけではないと思える。つまり、いわゆるアニメにありがちな苦労をしながらも微笑みを絶やさず…ということが予想されるわけだが、そういう過程を経てすら、コメントの主は何か登場人物の幸福が許せなかったのだろうか。ちなみに、エンディングが、ハッピーエンドかどうか、知らないが。 これから推測されることは、非常に単純だ。このコメントの主は、何かしら良い母にならなければならないとの観念があり、それが難しいことだと感じている。自分にとって難しい(と思う)ことをできてしまう他人が許せない。アニメーションのような架空の世界であっても許せない。単純化すればそういうことだ。 この、単純で、それ故に強い攻撃性こそが、気持ち悪さの正体だ。 そう思い、いろいろなものをインターネットで読んでみた。そして、「できないことを肯定する」「できなくてもよいことにする」「できる人への憎悪を露わにする」というやりとりが一般的に行われているということを知る。これは、大きなショックだった。 なぜ、ショックなのか。彼ら彼女らにとって、美しい世界とは、決して希望を与えるものではなく、ただの憎悪の対象なのだ。努力すれば手に入るもの、というのは彼ら彼女らにとって、無いも同じ。努力をすることさえ、「わたしには才能がないから、努力できない」と言い放つのだから。努力をすることにどんな才能が必要なのか僕には分からないが、少なくともたったひとりの人物がそう語っているというわけではないのだ。ほとんどそれは、自分が幸せになるより、他人が不幸になることのほうが喜ばしいと言っているのと同じだ。そんな負の感情を、公然と、さも当然のことのように晒している。 この恐ろしい闇は、ここ数日、頭にはりつき、なかなか消えていかない。 ---------------------------- [自由詩]空の鳥/砂木[2013年6月30日0時53分] 父は修行中らしい はじめての経験だから 父も大変なのだ だから みんなで助けて 供養して下さいと 和尚様が言う およばずながら いちの子分 長女 私 そのに 長男 次男 そのつれ合い 以下略 手を合わせて 力を送る あなたのこの世 あなたのいるあの世も 私には この世 私も修行中 道なき道 私を父が歩く 父が 私に目覚める 血に 地に さよならのない旅 空に 風が 鳴く ---------------------------- [自由詩]りょんちゃん、たべかすがついているよ/はるな[2013年7月3日19時20分] あい色ごしに赤をみて、 まばたきごとに星が降った あんなにとおい星どうしが かちかちと鳴りあうのも聞こえたよ 草は草なりに濡れ 砂はひと粒ごとに熟れて 笑いあうのが世界だね なんにもいらないよ こんなに分けあえるもの りょんちゃん、そんなに急がないで 口もとに食べかすがついているよ ---------------------------- [自由詩]/さいとう[2013年8月27日23時48分] えりがめくれてるのが気になって めくれてるよ と言ったけど 喉がかすれてこえがでない 声の出し方を忘れてしまった と思って 咳をしてみたら 目に砂が入ったので 目を閉じたら 目が閉じれない 目が閉まらない と思ったら まぶたがなかった びっくりして鏡を見ようとしたら 喉から下が砂になってて まぶたも砂になってた ---------------------------- [自由詩]花の陰/プル式[2013年9月18日23時29分] 花の陰(かげ)は柔らかな光に包まれている そこは決して暗くはなく 日差しを柔らかなぬくもりに変えて まぶしさを穏やかさにする 花の蕾に包まれて私は眠りたい ベッチンの様な花びらの中で眠れるならば それは何と至福な事だろう 甘い蜜の匂いが薫き染めた様に溢れ 私は幸せな夢を見るのだ いつしか私は花に混ざりあい いつしか私は蝶にふれあい いつしか私は私を失い いつしか私が花となる そんな夢を見るのだ 花は美しく柔らかな陰を生んでいる そこは決して暗くはない 私はそこでいつしかを夢に見ている。 ---------------------------- [自由詩]東京23色/街の中にいくつも散らばっていく/水町綜助[2013年10月1日18時07分] 街の中になくした 放り投げるようになくした あなたの 多面体のブロックパズルの面が、 そろわないからと 子供のようにわめいて そろわないままの多面体は 街中の賑わいに似た 何色もの色に塗られているから もうみつからない 東京23区をななめに横切り 地下をえぐり 渋谷区松濤でなんだか胸糞悪い用事を済ませ ため息とともに明日の神話 下北沢駅はごっそり内臓を取り除かれ、 いやにスッキリした顔で何人もの人々をそれはスムーズに吐き出している あの、海へ向かう、 潮風の匂いを思わせる 逆光のガード下で 割られた光がただまぶしいホームはもうない 街は変わる 盗み尽くされたような夜のうちに 布団の中でまるくなって眠っているうちに どこかで重機が動き回り 誰かと立ち往生しながらいろいろな話をした踏切や 線路沿いのバラック街や ある日、多面体と通り過ぎ、 高架のうえから眺めた街々を そこにあった夜と夜と夜とたった一回の昼と 少し悲しいみんみん蝉は東京で 別の街には熱すぎる油蝉の鳴きごえが響いてて 蝉の鳴きごえの違いで分かるという 俺の持論で別々のものに分けた二都市 そこにことし訪れた 意識をぶん投げさせるような暑さの真夏と 肌触りの残滓とTシャツの袖口と トムカーガイによって流された 隙間を伝う汗 を、すべて奪った 変わっていくことは 失って行きながら どこかにたどり着くこと 街をでて 東京23区にたどり着いたこと それとおなじで そして失うことは 僕にこうして書き連ねさせる 失って行くことを いとわない だから手に入れることをいとわない 手に入れることとなくすことは同じだが 失うことはもうあと幾つかを僕に手渡す だからまず手に入れることをいとわない まだいまはそれができる 泣くことや裏切られること裏切っていたことしんでしまうことなにかが変わっていくことそれを悲しいと思うこと怒りを覚えることそれを希望と思うことそれを形に変えることこうしてひとつ失ってこのようにひとつ産まれる、こと それがやってきたこと そろえたかった色はもう五時には暮れる空の色 そろわなかった色は朝日の中に白く輝く笑い顔 そろったきれいな色たちは、街の中にいくつも散らばっていく ---------------------------- [自由詩]わらう風/弓夜[2014年3月8日22時24分] あー、なんてきもちのいいかぜなんだろう とおもっても もうえいえんにこないかぜ たったいっしゅんの もしかしたらわたしのじんせいもそんなふうにすぎてゆくのかな だから つぎのかぜにであえて どきどきわくわくむちゅうになれるんだけど そのあいだも いくつものかぜがふき わたしはたったいっしゅんのかぜだけに むちゅうになって ほかのかぜはちゃんとかんじてないみたい なんかなんでもそんなふうにかんじちゃう はしゃいでいるうちに あたしがきづかないだけで おおきななにかがうしなわれていたりして… そんなふうにあたしはたいてい うしろがみをひかれるかんかくだ なんておもいながらじてんしゃにのっていたら おしかぜがふいて すうーっとはしれた いともかんたんにわたしをおしたかぜは きっとわらっていたにちがいない ---------------------------- [自由詩]不安−詩想との訣別/……とある蛙[2014年3月27日9時56分] 帰宅する 幹線のJRの駅から田舎電車に乗り換え 一五分ほど奥まった田舎の駅 そこが自分の住む家の最寄り駅である。 妻と子が二人、義父母二人 六人が暮らす自分の家だ 自分の父母は随分昔に亡くなった 自分の兄弟も一人兄を残すばかり ついこの間、他家へ嫁いだ姉が 早々と亡くなった。孫の顔も見ずに 帰る家はほとんど、 自分が成人する前には 馴染みの無い顔ばかりだ。 いや随分と経ってから 見知った顔ばかり 夕食はほとんど食べない 仕事場の近くで食べる 朝食は妻の給仕で一人で食べる。 いつも納豆御飯と味噌汁で それ以外朝は口にしない 納豆は自分で捏ねる。 入念に捏ねる 帰宅してから風呂に入る 義父が最初で二番目が息子 自分は三番目 この順番を崩すと 女房にイヤミを言われる。 風呂から出ると 夜半までテレビを寝転がってみるか 小難しい本をやはり寝転がって読む 女房の話に相づちを撲ちながら こんな生活がここ一〇年 身から出た錆とは言え 長い放蕩の後の終着駅だ 家中では誰も自分を尊敬していないし、 尊敬されたくもない。 女房とだけはまともに話をするのだが 最近彼女は異常な頭痛に悩まされている そんな彼女の感情の起伏に 翻弄されている グリオーマ そして 今漠然とした不安と 寂寥感が広がる毎日 過ごしている。 ---------------------------- [自由詩]明日への滑走路/服部 剛[2014年3月29日23時49分] いけ、いけ、リスクを獲れ いけ、いけ、リスクを抉れ いけ、いけ、リスクを掴め 掌で、あの日流した悔し涙を もう一度、握り潰して 額には、汗を滲ませ いざ、中央突破のフィールドへ 繰り出していこう、いこう、いこう おどれ、おどれ、自らをおどれ 自ら、という衣服を脱ぎ去って 輝きを増す 裸のソウルの球体になるまで――   (はばたく翼の風にのる日を、夢に見て) 自力のままに、加速せよ 他力の風よ、吹き渡れ 幾多の障害物が立ちはだかろうとも 旅人よ、君に見えるか 透けた荒野の風景を ひとすじに伸びてゆく 明日への滑走路が   ---------------------------- [自由詩]地下道/かの[2014年6月2日0時59分] 地下道の真っ白な道歩きます 違う、どうのこうの言ってないで 宿題でも片付けなさいチミ 男子高生始皇帝を学ぶ 中国史 遅刻して 中間撃沈 中華帝国の終わり だからゲオに行く道 深夜の入り口 真っ白な鍾乳洞 最寄りの地下道 洋画か邦画か 阿呆が迷って30分 日付の変わる1分前 小脇に抱える紺の袋 心配性の俺のお袋 男子高生自由を求む 地下道彷徨い自由を探す でも今日の晩の棒棒鶏 ぱんぱんになるほど食った俺 いつもサンキュー やっぱり自由 まだいいや今夜トゥナイト 地下道通ってオールナイト ---------------------------- [自由詩]池袋 二十歳/馬野ミキ[2014年7月20日20時06分] 雑司が谷のアパートを追い出された当時二十歳の俺は 池袋の東口で路上生活をしていた 今のタクシー乗り場付近には花壇と その花壇を取り囲むように丁度ルンペンたち横になれるコンクリートのベンチがあった 俺は二十歳になったからには何かやらなくてはと池袋を裸足で歩いていた もちろん恥ずかしい だがこの恥ずかしさを乗り越えなければならないというよく分からない義務感のようなものがあった そして猫を連れていた 裸足で猫を連れてギターを持つ青年か 今思うと我ながら感慨深いというか痛い 池袋の路上で数時間歌えば3000円とか5000円にはなったので生活の苦しみはなかった 稼いだお金を毎日銀行に貯金していた  余分な金を持っていることは外で眠る者にとって危険だ ちょっと目を離した数分間にラジオを盗まれたことがある 性欲は使い始めた個室ビデオでこなした あの頃の個室ビデオは今ほどのラインナップやサービスはなかったな 今ではシャワールームが完備されタオルケットの貸し出しも行われている きついのは雨の日だ 足が濡れると切なくなる 朝が来て駅のシャッターが開くと皆池袋駅になだれこんだが 俺は駅で寝るのは好きではなかった 東口と西口の路上生活者が対立していたり エサ場(マクドナルドなどで廃棄処分になったもの)の取り合いをめぐるささやかな抗争などがあった ビニール傘を右手ににらみを効かせるような・・ だが俺は若かったので可愛がられた 俺が普段歌っている場所に他のストリートミュージシャンが歌いに来ると(今の喫煙コーナーの辺りか) そこはあんちゃんの場所だからどけ!と勝手に場所取りしてくれるような。 いいんですよ誰の場所でもないからと俺が間に入ると 他のおっさんに「ああいうやさしさは受け入れておくものだぞ」と小声でいわれたのを今でも覚えている。 とにかく暇だったので歩いた 猫は水商売の女に盗まれていた 朝が来るまでいけるところまで歩いた 建物があるとその建物を避けて通らないといけないのが当時の疑問だった 道がなめられている気がした なぜ無断で入ってはいけない地上があるのか 見知らぬ公園のすべり台にたたずで夜空を見上げる 深夜徘徊は夜を支配している気がする。 ---------------------------- [自由詩]わたしの三〇三号室/かの[2014年9月7日23時23分] わたしのさんまるさん号室 うさぎみたいなマットレス とろりとしたクリームのシーツ 海底行きのソファ 銀のシンク 手足の伸びきる大理石のお風呂 では、ないんだよなあ 必要なものだけのさんまるさん ふとんとたなと折りたたみ机 エアコン、レンジ 洗濯機はない コンビニまで約一分 スーパーまで約二分 ステーションまで約三分 角の北側わたしのさんまるさん バスタブの上の洗面台 毎朝顔を洗って ひとりごと たまにくるあなたと ふたりごと 隣の人のお客さんと さんにんごと では、ないのかなあ 簡単に響くさんまるさん 学校からは三〇分 新宿からは二〇分 何にもない日の一日中 思考、思想、夢想、絶望 わたしの世界はさんまるさん 小人用の冷蔵庫 さんまるさん製冷麦茶 空になったら 空になったらお出かけだ 一階のポスト 二通の郵便 三〇三のわたし宛て (手紙でもあればいいのになあ  でもまずわたしが送らんと  手紙なんて来んよなあ) わたしの世界はさんまるさん 実家からの着信音 簡単に響くさんまるさん ---------------------------- [自由詩]少女/はて[2015年1月18日0時30分] 通り過ぎた時間の中に 少女という群があったことを 思い出す 離れたところで 嬌声を聞き 恐れて 憧れて そして 離れて 近づくことが怖くて その正体を知ることもできずに 今も謎だけを抱えている 今も至る所に 少女はいる 少女とは 時間の名前なのか それとも生き方の名前なのか 何かを区別するために名付けられたのか 分からない 僕が少女を理解することができる時間は 通り過ぎた 通り過ぎたはずが また目の前に少女となるべき人が 生まれ 日に日に少女へと変化し 僕の知らない世界に 歩んでいく ただ見ているしかないのだが きちんと見ていることができるだろうか 今度は目を逸らさずに ---------------------------- [自由詩]西暦3000年/馬野ミキ[2016年1月21日14時19分] 沈黙を恐れるということは 実は伝わっちゃっているということを薄々知っているからではないか そういう意味でこれからSNSは廃れるだろう 人々は自分たちがテレパシーを使えるということを それが自分たちの利益にならないという思い込みによって無視し続けているのではないか 超能力のようなものは存在する だが他人にそれを証明したい、信じない人たちを屈服させたいという想念は 超能力の発動条件にみあっていない アスベストの健康被害と同じように コンクリートやアスファルトの健康被害はある タワーマンションは壊れる オートロックは危険 厳重に鍵が閉められた場所を選んで不安と恐怖はやってくるものだ 1200万円する超高性能のセックスアンドロイドで射精した後には 想像を絶する絶望感に襲われる 資本主義でも社会主義でも共産主義でもないシステムがある アイドルやアーティストという存在は1000年後 誰もが必要なときには瞬間的になれるようなものであるし だいいちそれほど執着するような現象でもない お金に執着することにより 多くの不利益を受けていることに人々は気づく 人々はもっと楽に楽しく笑って生きる 人々の職業は現代社会において固定的である 一週間おきにそれぞれの人間の職業が変わるくらい流動的であってもよい ルールは減る あなたは素晴らしい 安定とは? 変化し続けること 新幹線に乗って早く遠くへ行く必要はない インスタントラーメンは3秒でできあがる 高さによって低い人が見下され 深さによって浅い人が劣等感を感じるのならば そういう概念は将来的に必要ないだろう 俺はもうとっくにパリで朗読をしてきた 2025 SMAP問題は俺のせいでもある ロボットが人間を襲うということはない だがロボットが人間を襲うというストーリーを人々は好きである 俺は真実を知らない これらは比喩である クオリティーの高いものを作りなさい そしてそれで金をとるのをやめなさい 夢をもちなさい いっさいの他人に期待することなく 破壊してもよい 批判しないなら 出会いは素晴らしい ?日違う女とセックスしなさい あなたがとても素敵なプレゼントをもっている場合 相手のポケットにどれくらい入るかを考えなさい ---------------------------- [自由詩]キメるのは下品/花形新次[2016年1月31日7時21分] 自称詩人は 最後をキメようとして 取って付けたような クソ1節を追加することで クソを完全なるクソとして 仕上げる 本人は内心 「キマったぜ!」と ほくそ笑んでいるようだが そもそも何も起きていないのに キマる訳がないのだ 人の心象風景は 不連続ではあるが きっちり閉じられるものではない 閉じようとすると そこにはある種の 物語性が生じる 従って 詩を 可能な限り 物語性を排除した 表現としての言葉の芸術と 定義するのであれば キンタマ王子は やはりキンタマ王子であって ---------------------------- [自由詩]「オキシジェンデストロイヤー」/モリマサ公[2016年9月7日16時15分] このなかで白黒のゴジラを見たことがある人は挙手で 天皇陛下のおきもちを聞いた人 スマップにも森君がいたことを知ってる人 天皇陛下が研究しているのがハゼだと言うことを知っている人 J POP ICONS SMAP TO BREAK UP スマップが生前退位ってマジ?! 「テレビをごらんのみなさまこれは劇でも映画でもありません!」 中居・ファンの皆様、関係各位の皆様、我々スマップが『グッとくる解散』をする事をご報告させて頂きまっ 「へー、スマップが『解散』てことだけで世の中がそんなことになってんのかね」 コンビニのチョコレートの供給率5%上昇 「スマップ『解散』よりショックでヤバくて心配することいっぱいあるでしょ、、」 「今回のビデオメッセージもまるで独りの単なる高齢者が その気持を国民に理解してほしい とゆーかのよーな人間性あふれるものだった」 「近い将来スマップはハゼの研究にもっと長い時間を費やせるようになることを望んでいる」 木村・たくさんのおきもちで支えて下さったファンの方々、今は言葉が上手く見つかりまっ 「正直スマップって何人組なのかよく分かってない。」 草?・この度僕たちスマップは『グッとくる解散』をする道を選びまっ 稲垣・今の状況で五人での活動は難しいと思い、 世界に一つだけのハゼ ではありますが『グッとくる解散』という形を取らせて頂く事になりまっ 「涙や同情、祈りすらも必要ありません。私たちが必要としているのは行動なのです」 香取・ファンの皆様、そしてスタッフ関係者の皆様。 僕らスマップは『グッとくる解散』をいたしまっ 「ほんとさ、天皇陛下がどれだけの人間を元気にしてきたと思うの!?」 28年間本当にありがとうございまっ 「ガチなの?本当のおきもちなの?ねえ、なんで奪うの?なんで5人が輝ける場所を も 燃やす り 履歴書 森です マサ公のほうです 森君との約束を果たせぬまま奪っちゃうの?かえしてよ、スマップを、、、お願いだから返して。」 スマップ解散でファンが自殺? 心配する声多数よせられる 「スマップ解散で死にかけているフォロワーがいるので微妙にツイートしにくいですね」 何なのスマップって宗教なの? 殉教ってこと? 40代女性の喫煙率2%上昇 「スマップに曲を提供したい人生だった」 あの頃の未来に僕らは立っているのかなあ 「天皇陛下の全てがすきなんだよそれだけなんだよ!!!」 「涙や同情、祈りすらも必要ありません。私たちが必要としているのは行動なのです」 「天皇陛下は歌を歌ってるんじゃなくて歌を届けてるって感じがしてすきだったな」 「涙がとまらないよー」 「天皇陛下おきもち?!嘘っていって、、、」(自撮り) 「天皇陛下おきもちとか悲しい!何となく自撮りーっ」 「涙や同情、祈りすらも必要ありません。私たちが必要としているのは行動なのです」 「テレビをごらんのみなさまこれは劇でも映画でもありません!」 「天皇陛下は永遠って当たり前だとおもってた」 「象徴としてのつとめ」 「ハゼを愛している」 ニューヨークタイムズ 「日本の文化状況の一時代の終わり」 「天皇陛下の人生とファンのおきもちとかどーでもいいのか!」 「スマップのおきもちかー15日にぶつけなかっただけましかな」 「テレビをごらんのみなさまこれは劇でも映画でもありません!」 「テレビをごらんのみなさんこれは劇でも映画でもありません!」 「涙や同情、祈りすらも必要ありません。私たちが必要としているのは行動なのです」 ノースマップノーライフ 「さようなら」 「さようなら」   ---------------------------- [自由詩]あっちむいてホイ/末松 努[2017年2月5日15時41分] 通りすがりも 同僚も 家族も 一対一でも 多数同士でも 「あっちむいてホイ」に興じている 電波上の 同じ画面を 見続けていた としても 目を合わせることは 禁忌なのだ 抱擁感さえも失い どこからともなく いつということもなく 向けられる視線に わたしたちは 「あっちむいてホイ」と唱えられては 身動きを隠す その間にも 中継されない委員会は 開かれていて 夕暮れが迎えなくなり 疲れ切った闇の手招きに しぶしぶ帰宅した後の夕餉にも その解説はなかった 電子レンジの呼び鈴が 法案成立を告げる ラップを剥ぎ 作り笑いのおかずが あらわになる ホウレンソウを残したまま 眠った子どもの寝息を 聴くこともなく 発泡酒を飲んだあとも 溜息すらつけない 夜を過ごす 気がつけば 獏の鼻息が 傍に聞こえる 食い尽くしたであろう 夢を まだ待ち構える視線が 「あっちむいてホイ」と言っている 差し出すことに怯え 頸を曲げられなかったので 両手を挙げ 白旗をあげ じっと耐えた あと少し 夜が明ければ 獏は消えているだろうが 「あっちむいてホイ」禁止が 発令される朝が 来る 誰もが 目を合わせ なければならず 調子を合わせ なければならない 日々の なかに いなければならない 生存の 本能が 指の示す方向へ 顔を向ける 従順さを 嘘と同じ 色で 冷めた空気に 上塗りしていく ---------------------------- [自由詩]舌の記憶/梓ゆい[2017年2月9日4時24分] 父の茹でた蕎麦 玉葱と豚こま入りの暖かいつゆに浸せば いつもより沢山胃袋に流れ込む。 つるつると 眼下を流れる釜無川のように。 父の作った黄色いカレー ソースをかければ いつもより滑らかな舌触りになる。 いんげん・鶏肉・人参・ごぼう・カレー粉・小麦粉 昔は蛙の肉を入れて居たんだよ。と 初めて聞く驚きを添えて。 父はもうお家にいないのだが 父の残した鍋と釜は 今日も湯気の狼煙を上げて おいしい。おいしい。の一言で家の中を暖めている。 ---------------------------- [自由詩]インディアン・サマー/田中修子[2017年2月17日21時25分] きみが ふるさとを いとしく呼ぶ あいづ と づ、にアクセントをおいて うかうか 夜行バスで きてしまった きみが歩いた町を 見たくなってさ 雪の白と温泉の湯気 ツララが青く澄み 地面に したたって 水のあまい匂いが たちこめていた 都心に近いわがやに帰り かわりばえのなさに目をとじて よくあさ洗濯のために 窓をあけたら どっと あのあまい匂いが あいづ のほうから いっさいをのみこむ波みたいに おしよせてきている 青いツララのなかには 梅や桃や桜のつぼみ ねぼけたおさかな 光る風 金色のモンシロチョウが しまいこまれて 今日の陽に ぞくりと うきたち ほどけて 今日は、小さくとも かならず 春 あいづ からやってきたきみ わたしの 春 ---------------------------- [自由詩]思い出/……とある蛙[2017年2月21日16時10分] 哀しいこと 思い出一つ 沈んでゆく 猫が降りてくる きみを探しに 二つの命と六つの思い出 あやめが咲く頃 三回忌です ---------------------------- [自由詩]糸瓜の皮にあらず/坂本瞳子[2017年3月6日23時35分] 糸が風に舞う 白い糸が 青い空を背景に 風に流されている その先を辿っていけるだろうか 糸を引いているのは誰だ 糸の先には誰がいるんだ 雨に打たれても 雷に撃たれても 風に靡いて こんがらがることもなく 棚引くように 優雅ささえ伺わせて 風に泳ぐ白糸よ ---------------------------- [自由詩]着心/佐白光[2019年4月27日11時49分]  聞き覚えのあるメロディー  削除できなった電話番号  ワンタップで削除まで  なんの迷いもなく操作していたのに  できなかった  未練ではない  もしかしたらでもない  まだ好きなのだ  気になって 気になってしょうがないのだ  着信の番号を見た時  メロディーを聞いた時  嬉しっかった  私の心はあの時から  着心していた ---------------------------- [自由詩]ケロイドのような思春期を纏って/ホロウ・シカエルボク[2019年6月24日23時15分] 思考が樹氷になるのではないかと危ぶまれてしまうほどの凍てついた夜の記憶が、どっちつかずの六月の夜に蘇るパラドクス、同じころに叩き潰したしたり顔の羽虫の死体は気付かぬうちにカラカラに渇いていた、艶加工された安価のテーブルの上でもう土にも還れない、大量生産の極みのような薄っぺらい紙に包まれてダストボックスに投げ込まれ、同じような運命を背負わされた仲間がたくさん居るだろう処理場への便をただ待っている、それを人生の縮図だなんて例えてみるのは簡単だけれど…今夜は不思議なほどに往来を行き来するものが少ない、先の週末の夜が奇妙なほど賑やかだったせいでそんな風に感じるのかもしれない、スケールは簡単に伸びたり曲がったりしてしまう、比較対象がないので変形に気づけない、そんな誤差を抱え続けたまま生きたものの真実は肥大し過ぎた宗教団体が唱えるお題目のようなものになってしまう、祈りに指針を設けてはならない、真っ直ぐ進もうと意識すれば、足取りは乱れてしまうものだ―思考は行動を補佐するものだ、思考から先に動いてしまっては本末転倒というものだ、頭でっかちというのはそういうことだ、歩き続けた先でたまに居所を確認するための地図のようなものだ、もっとも、それにはマーカーなど記されてはいないし、新しく記すことも出来ないけれども…白紙のページが静かに降り積もり続けるような時間だ、新雪に埋もれるように俺はそこに横たわっている、生者の中でもっともカタコンベに近付けるのはこの俺だ、それには多重的な意味があり、誇りのようでもあれば自嘲的でもあり、あるいはその両極の間に含まれるすべての感覚が含まれている、本当の詩を言葉で表そうとしてはいけない、それが真理なら音楽は楽譜を見るだけでいいということになってしまう、俺の言ってること判るかい、言葉は楽譜だ、詩はボーカリゼイションなんだ、あるいは様々な楽器のプレイだ…それは技能で語られてはいけないが、感情だけが特出していてもいけない、高い温度か低い温度かどちらかだけではいけない、おそらくそれは一番変動し続けているものになるだろう、それは定まらないままに定義されなくてはならない、旋律の云々や、歌唱の云々、演奏の云々だけで語られるものであってはいけない、どこか一部にフォーカスを定めてしまうのは真剣なだけの愚か者がすることだ、それはトータルで語られなくてはならない、トータルで受け止められなければならない、見知った誰かを新しく知ろうとするみたいに検分されなくてはならない、自分以外の個体を自分が決定することにはまるで意味がない、それは解答を得るための行為であってはならない、すべては当たり前に起こる現象に過ぎない、ほら、先に言った通り―動いてはいけないものから動いてしまうとすべては有耶無耶のうちに終わってしまう、結論は賢者の手段ではない…そんな解答欄には必ず斜線が引かれてしまうだろう―梅雨時の湿気は容赦なくまとわりついて来る、縦長の俺の家ではエアコンの恩恵はかろうじて感じることが出来るくらいだ、だけどそれぐらいの環境でないと、体温は正常ではいられない、判るだろう?アンテナを意識することだ、受信している情報がひとつだけだなんて考えないことだよ、一局しか受信しないラジオなんて見たことあるかい?俺が言ってるのはそういうことさ…ヘリのローターのようなアイドリングをしているバイク、あれはそこそこ大きいやつだろう、アクセルを吹かせば走り出せる、でも、それはやつがそういうシステムを構築されているせいだ、俺たちはアクセルを持つべきではない、あるいはアクセルがあることを過信してはならない、スピードスターのつもりで暴走車に成り下がってるやつなんてごまんといる、俺はアクセルを緩める…愚かしいものを身をもって知るために思春期が用意されている、でも俺はその機会を存分に生かすことは出来なかった、俺は愚かになれなかった、そういえばこれまでずっとそうだった、俺には自分以外に崇めるものがいなかった、これは自惚れではない、それがつまり指針というものだ、俺の指針は俺の邪魔など決してしなかった、俺にはどんな信心もないが、神を知っているし、祈ることも出来る、それは俺が俺自身から始まっているからだ、俺自身は他のものであったことがないからだ、そこには様々な理由があるだろう、意識的なものもあるし、無意識的なものもあるだろう、けれどそれが俺自身というものに集約されたわけは、俺がなにも見失わなかったせいなのだ、テーブルが天井灯を跳ね返している、その跳弾は銃口へ返る、俺はその間抜けな銃口を見上げる―白色電灯しか選べない理由がこんな夜の中には落ちているはずなのだ。 ---------------------------- [自由詩]理由がない人たちへ/中山 マキ[2019年6月25日15時16分] きっとあともう10年生きたら ぼくたちの人生は白紙だと気付く もがき、苦しみ、泣き、叫んだ日々も だから理由がないことに 怒らなくてもいいのだ 大丈夫 なにが大丈夫か分からなくても 生きているだけで嬉しい 何者でなくても そんな究極が そこに待っているはずだ ---------------------------- (ファイルの終わり)