乱太郎のイナエさんおすすめリスト 2013年10月7日22時11分から2016年10月21日10時31分まで ---------------------------- [自由詩]命名/イナエ[2013年10月7日22時11分] 長い間育った母の胎内から 外にでいたあなたの前には 無限の白紙が広がり あなたの人生が始まりました あなたを記した最初の文字は   二〇一三年 誕生  男    血液型 A型 RH+   父 一朗  母 あい子 大声上げるあなたを眺め あなたのパパとママは   命名 元気 と筆を入れました ママから離れて 一人で歩み始めるあなたの人生に  パパとママが与えた 最初の そして 唯一の 文字になるのでしょう 腕を広げ足を伸ばし 世界を探っているあなたは これから先 あなたの前に広がる世界に どんな文字を書くのでしょう ---------------------------- [自由詩]年を取るとはこういうことか3/イナエ[2013年11月26日13時49分]      医師はどこにも病気が      見あたらないというのだがー 汚れた世界をばかりを見続けていた  とも思えないが 硝子体に埃が溜まって 見つめる視野の中心が霞み  左目で見る妻には唇がなく だが  右目で捉える画像の女は臀部がまぶしい 脳は 目を通して結んだ像は旅の幻想だと判じ 光学レンズを通った光を信じて DVDに固定した風景が確かな美だと言い張る 海馬は現実から疎外され  記憶を喰うことが出来ずやせ細って 湿原に広がる花の名前をどこに置き忘れたか 似つかぬ名前が湿原を飛び交い 遙かにつづく木道に立ち止まった記憶は 進むことも退くことも出来ず遭難している レストランにずらり並んだご当地の魚介 肉 野菜  舌のほしがる美味には 寿命を縮める毒がメタボリックに臭って それでも 旅の思い出に一通り味を確かめれば  胃に重く滞り  温泉の効能を信じたわけでもないが 胃腸病 疲労回復の湯に浸ければ 残りわずかな体力が 温湯に浸みだし 夕闇の外気に冷えて 流れ去る ---------------------------- [自由詩]スケール/イナエ[2014年1月30日22時11分] ぼくはまだ生まれていなかったから知らないけれど シーボルトさんはこどものお年玉に一両あげていたでしょうか ぼくの祖母さんは裏藪で竹の皮を集めて 一厘とか五厘とか 子どもだったお父さんの小遣いを作ったと言う でもぼくは厘など使ったことが無い 近所の菓子屋に十銭玉を持ってあめ玉買いに行ったけど… シーボルトさん  千両箱には小判が何枚入っていたのでしょうか 江戸時代に生まれた祖父さんは一円を一両と言っていたけれど 今の千円は小判より軽い一枚のペラペラの紙  お年玉には幼い子だって三枚は入れないと… となりにあった「銭湯」  入湯料は○○円になっていたけれど「円湯」とは言わなかった 今でも両替は両替 円替ではないよ 両と円は違うようなのだ ぼくが小学生の頃 日本では食料が少なくて配給制度になっていた お米の配給は大人一日に二合五勺と決まっていた 国語の時間に習った宮沢賢治の詩 「一日玄米三合と・・・」とあった 級友が聞いた「一日三合って 贅沢ではないですか」 先生はお百姓さんはよく働くからねって教えてくれた 今その詩を読むと 「一日四合」とある 升が替わったのだろうか ねえシーベルトさん 日本では基準が変わるんだよ ぼくが子どもの頃 同じ三尺でも布地と杉板では長さが違った 鯨尺と曲(かね)尺が在って 今は 「一円を笑うものは一円に泣く」って言うよね 子どもの頃は一銭を笑うものは だった 祖父さんのころは一厘を笑うものは だったかも知れない ぼくはまだ生まれていなかったから分からないけれど ---------------------------- [自由詩]余計なお世話だけれど/イナエ[2014年4月4日11時16分] 食べ物買うのに言葉はいらない ましてや売る人の心など 風邪薬は効き目を買う 心配そうな言葉など鬱陶しい 陳列棚から取り出した飲み物 黙って値段を示せばいい すぐに飲もうと だれと飲もうと こちらの勝手だ 電池切れの腕時計 良い時計だとか長持ちするとか 余計なお世話だ 黙って電池を替えればいい 一見の客に マイドアリイなど心にない台詞は吐くな 世の騒音を増やすばかりだ  だが  初めてて入った  全国チェーンのランチ屋  券売機でメニュー選び  コイン押し込み  チケットをテーブルに置き  出てきた丼  無言で食らい  陰のように立ち去る人たち  この後何をするのだろう ---------------------------- [自由詩]花見猿/イナエ[2014年7月2日10時51分] 大勢集まってきたからって 花見に来たんじゃねえよ 人間を見に来たんだ 大声出して カラオケとかいうんだって 酔っ払って歌っている声が 山の中腹まで聞こえてきて でも 聞きに来たんじゃないぜ 人間は俺たちの顔が赤いと言うけれど 人間の顔も赤いじゃねえか 何々 小猿がうろうろして 落ち着いて飯が食えないって 人間だって最初に俺たちに近づいて 餌くれるのコギャルとか言う娘じないかい 猿の世界も同じ  怖いもの知らずの雌のコザルさ 近づきすぎでないかって 大丈夫 此処はおれが仕切っている これ以上は近づかないように 人間と小猿の間をパトロールしている 襲わせはしないから 安心して宴会してな 花見の宴が終わったら 余りもの置いといてくれよな 解っていると思うけれど… ---------------------------- [自由詩]かかと歩き/イナエ[2014年8月9日10時19分] 何処に行くにも二本一組で 助け合って動く足に異変が生じた 左足の指の関節を骨折した 左の指先が大地に触れると 痛みが全身を走り頭に抜ける 医師は左はかかとで歩けという 左足を半歩前に出して かかとを着地 それを支点に体重移動せよ 手には杖を持つと良い そんなに細々と言われなくったって 歩き方くらい自分で工夫出来る 足の怪我は何度も体験しているのだから だが歩き始めて気がついた かかと歩きは  膝を曲げない歩き方  片方の足を引きずる横歩き 両足かかと歩きは楽しいとしても 尻尽きだした非日常歩き 十メートルも歩くと汗がにじむ かかと着地では片足立ちが出来ない 立ち歩くことはこんな大変なことか 嬰児が 二足歩行するまでに一年ほどかかる 四足歩行のヒトが二足歩行するまでに どれほどの年月を要したことだろう ---------------------------- [自由詩]湖底幻想 その二/イナエ[2014年9月26日10時16分] 周りの山を写す湖面の鏡 虹色の橋が架かり 友の誘う声が聞こえても ぼくは そこには行けない 木々に守られていた明るい過去 育った家 育った台所 育った学校  父もいた 母もいた 友人もいた  小さな花壇は四季 花に彩られていた けれども ぼくの場所はもうない 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/イナエ[2014年11月26日9時09分] ぼくの中に少年のぼくがいて ぼくの中をぼくが歩いている ぼくの中を少女が歩いていて ぼくの中を 何人ものぼくが歩いている ぼくの中をあなたが歩いている あなたは背を向け ぼくの中でちいさく 小さく遠ざかり でも 消えない ぼくの中を歩いている 人の群れ 兄が歩き 父が歩き 母が歩き 祖母が歩き 祖父が歩き 遠ざかりながら 近づき ぼくの中に幼いままの あなたがいて ---------------------------- [自由詩]対岸にいて/イナエ[2015年1月9日9時19分] 川を越え海を越えた向こう岸へなど 渡ることは考えもしないけれど 対岸に上がった火の手を見付けて 騒いでいる     ディスプレイの中で   銃を構えてうろつく男を眺め   騒いでいる 向こうに渡って ホースの先を持つことなど 出来ないにしても ホースの途中を持って…   ディプレイに潜り込み   物陰から狙い撃つなど   出来ないとしても   男の動きを制御して… しかしそれが 役に立つとは思えない まっとうな火消しの 邪魔する単なる野次馬   しかしそれは   まっとうなゲームに   溺れた単なる幻想 対岸にいて  やきもきして あるいは ディスプレイを覗き込み  ああだ こうだと 雑音を出して 今日も一日暮れる ---------------------------- [自由詩]寒い夏/イナエ[2015年2月2日9時45分] 七月のある日 兄は ぼくを呼んだ 風通しの良い部屋に一人伏せていた兄は 「今度は帰れないかも知れない」という 「弱気なことを…」 ぼくはそう言ったきり次の言葉が出ない 幼少時父も母も病で亡くし  長い間離れ離れに暮らしてきたわたしたち 間にいた兄姉も夭折して 十歳ほど年も離れた兄とぼくだけが成人した 肉親としての特別な情愛は湧かなかったが  他人の顔色をうかがって媚びを売り少年期をおくってきたぼくが この世で唯一心を開ける人  二人で居ると安心できる何かはあった 兄は 早くから軍人になっていた 復員後暫くして見つかった肺結核 何度も入退院を繰り返すことになった   法事などで親戚のものが集まったときなど たいして飲めもしない酒で酔うと戦争の話をした 復員して間のない頃は  八路軍と銃火を交えて何人か殺したとか 襲撃されたあとには 仕返しに近くの集落を襲って略奪や暴行をしたとか 事実か作り話か知れないようなことを陽気に話していた が 時が経つに従って 話は沈鬱になり かつて国の繁栄を信じて死んでいった仲間を思ってか 取り残された無念感にさいなまれていたらしい やがて 生き残ったのは役に立たないからさ が口を突いてからもう戦時の話はしなかった 地道に生きていくことを選んで地方都市の公務員になり 町の一角でひっそりと暮らしていた 一時結婚もしていたのだが その頃にはすでに片肺を失っていたのだ 義姉は入退院を繰り返す兄に嫌気が差したか 他の男の元へ走った そのときも兄は シャバに居るより入院が長いのだから仕方ないさ と言って、連れ戻すと息巻く友人達を制した その頃からこのこと有るを予測していたのかも知れない 役所の同僚達が 兄を病院へ送っていく車で来ると 寝具や僅かばかりの身の回りの物を車に積み込み 此処にあるものは何でも自由に使って良いからね と 薄ら微笑み乗り込んでいった   今 黒枠の写真をちゃぶ台に置き   広くなった部屋に座していると    主の去った家の壁から冷気が押し寄せ   身震いを禁じることが出来ない   まだ 八月になったばかりだというのに                      ー昭和四五年の夏のことー ---------------------------- [自由詩]傷跡の痛むときに/イナエ[2015年3月5日17時44分] 切り裂かれた皮膚から 去っていった細胞が シクシク泣いている あの日開いた傷口は 新しく育った細胞にふさがれて 戻る場所はもうない ---------------------------- [自由詩]親の愛が金になるとき/イナエ[2015年3月27日17時10分]  モシモシ オカアサン  ワタシ・・・・ 長い待っていたひと言 鬱々の闇は晴れる 営々と続いた生命の 未来に続く扉は開いて 愛の儀式に黄金の光が溢れ  モシモシ カアサン  オレ オレダケド・・・ 俄に曇る家  開いた地獄の門 未来に続く一筋の 光は受話器に吸い取られ すがる思いの金の価値 愛よりも軽い金が地獄に消える ---------------------------- [自由詩]自己主張/イナエ[2015年4月16日11時16分] 玩具売り場の前から幼児の泣き声が 人の溢れた地下街広場に響いて 若い夫婦の困惑が子供を叱る 幼児と親と対立する主張は 地下街の雑踏を立ち止まらせ  黙らせる   己の主張が通らないことを   知った幼児の不満と困惑 この爆発した不幸を担いで若い父は階段を上る 体中から発する自己主張は地上に連れ去られ 雑踏は笑みを潜めて再び動き出した   今 わたしに これほど真剣に己を主張をすることがあるか   辺りを見回し 無理だと思えば閉じてしまう あの幼児も何時か欲求を己の中に閉じ込めて 忘れさせてしまうのだろうか それが大人になるということだ としても ---------------------------- [自由詩]ビルが朝陽に囓られるとき/イナエ[2015年4月25日10時16分] ビルが朝陽にかじられて 吐き出された陽光は窓をすり抜け 昨夜の恥部を暴き出す 人々は慌ててカーテンを閉じ ベッドを隠し 朝を始める わたしと来たら 病室のカーテンを開け放ち 陽光の中へ全身を投げ入れ 細菌にまぶされた身体を 消毒するのだ 白い少女が来るまでは ---------------------------- [自由詩]年を取る取るとはこういうことかー振り返るー/イナエ[2015年5月5日9時50分] まだ若い老人であったころ 同僚と紅葉の山麓へドライブ旅行にでかけた 秋空のもと 静かな集落を抜けるとき 前方遙かに 背をかがめた人が横切るのを見た 同僚はスピードをやや落として言う 「老人は 何をしでかすか予測がつかない」 と 渡りる寸前老人が来た方向を振り返り 戻り始める 「そら来た 言ったはなから…」 車は老人の往復し終わった道路を何事もなく通過した 朝の台所で味噌汁の具を刻んでいる女房 と食卓の間をすり抜け 冷蔵庫から冷やしたお茶を取り出そうと 狭い通路にさしかかる と 女房が突然身体ごと向きを変え わたしと正対する その手に包丁が尖って わたしを睨んでいる 女房の善意は  恐怖となってわたしを抜ける  ---------------------------- [自由詩]「ハメルーンの笛」に曳かれて/イナエ[2015年6月28日21時10分]    ―歩いていたのは七〇年前― 前方は霧に閉ざされて 先導する人は見えない が 上空に山の頂が透け 笛の音は聞こえる 山の頂き そは 蜃気楼か 実象か 先導する者は知っているとしても 追随するぼくら少国民は知らない  追随   それは前の人影を見失わないように  疑うこと無くひたすらついて進む一方通行   笛は微かだとしても 霧の中に歌が広がる 歌はぼくらを魅了して やがて陥る自己陶酔 もはや上空の山頂など 見ることも無く ましてや吟味すろことなど無く 笛に導かれ 己の歌う歌声に励まされ  疑うことは罪悪だった  疑うことは反逆だった 笛の音が止められ 歌を喪って とまどうぼくら 目覚めさせられて 観たのだ ぼくらの前にある無限の奈落を    そして知るのだ  疑うことは正しいことだと  今日も鳴っている笛の音  疑って 疑って  眺める霧の奥  そこに隠れている物こそ実像  ではないかと ---------------------------- [自由詩]「おーい おーい」/イナエ[2015年7月31日13時54分] 「おーい おーい」 と誰かが大声で呼んでいる ドラッグストアの狭い通路 こんな時 こんなところで 大声で呼ぶ声なんぞ 知らない人に決まっている 振り返ってはろくなことは無い と知らん顔 おーいおーいが 狭い通路をノコノコ近づいてくる 仕方なく振り向く 笑顔が「久し振りだね、元気?」 わたしは慌てて笑顔を作り 「ほんと ひさしぶり」と会話をつなぎ 「やま…」と姓を言いかけて 言葉を飲み込む 何時だったか 夫が言ったことを思い出す   よく知っている奴が名前で呼ばないとき   そいつは こちらの名をど忘れしているのだ だから こちらも相手に合わせて   名は呼ばない。   それでも会話はできる。 「あんた ちょっと スマートになったね」 つい出てしまった外見変化の感想     スマート 糖尿か癌の疑い…   フックラ メタボリック症候群… ああ 年寄りにはどのように話をつなげば良いのか やはり 「おーい おーい」にはスルーが良いようだが… ---------------------------- [自由詩]臍帯/イナエ[2015年9月2日11時45分] 箪笥の奥深く秘められていたいくつかの小箱 おそらく母の物であろう歯の欠けた櫛に 出合ってわたしの心が波立つ そして 夭折した兄たちの名に混じって ボクの名が乾ききった小箱 それはぼくと母を繋いだ橋であった ふたりの幼い兄を追って 幼児のぼくに面影さえ残さず消えた母 羊水に浮かぶわたしに 母はなにを伝えたのだろう 母の去った道を 何度探し求めたことだろう だが道は何時も閉ざされていた 今 眺める乾燥した管も ことばの路も 視線のはいる隙間も閉じている 困惑して目を上げた先に 鴨居の母の眼 ---------------------------- [自由詩]物を両手には持たないで/イナエ[2015年9月22日17時18分]        ー年を取るとはこういうことか7ー 若者よ ズボンをはくとき ベッドに腰掛けなくても履けるか 家中の者が畳の上で生活していた頃から 立って履くのが常だった 布団の上で寝転がって履くなど 怠け者か病人のすること 今でも立って履くことに変わりはない 時々よろけそうになって壁に手をつくが… 若者よ 両手に荷をぶら下げて階段を下りるか わたしだって… 先日 右手にケーキ 左手に手羽先ぶら下げて リズミカルに下り始めた駅の階段 足下を見ると階段が揺れてリズムが狂い 思わず足を止めたけれど  体は前にのめり 左手が壁をこすって  焼き鳥が階段を下りていく 階段を二段飛ばして下りていく若者よ 両手に荷物を持った人には近づくな 君の若さの雰囲気が 老人のリズムを狂わせて バランス崩して 君を杖と頼ったとき 老人の下敷きになって落ちる覚悟はあるか 両手に土産ぶら下げて 壁にそって階段をゆっくり降りて行く老人よ 不測の事態に 片手の荷物を捨てる覚悟があるか ---------------------------- [自由詩]山椒は優しい樹だ/イナエ[2015年10月30日18時38分] 山椒はけなげな樹だ 人に若芽を摘まれ 実を横取りされても 再び芽を出し花をつける 山椒は優しい樹だ 青葉に隠して 揚羽の幼虫を育て 幼虫に臭いをすり込ませ ああこの臭い 幼虫はこの臭いで外敵から身守る 山椒は気づいているか これは山椒の体臭 己の体臭を与え 葉を極限まで与えて育て 報酬は得たか 山椒の老木が切り倒された 広げた枝の棘が人を傷つけるというので すりこぎを作りたいというので 削り作られたすりこぎで 山芋に体臭をすりこませ 人をもてなす ああ山椒は優しい樹だ ---------------------------- [自由詩]美女と母の胸/イナエ[2015年11月11日9時13分] 美女と母の胸 人間にきわめてよく似た いや 人間以上に人間らしい美女が 幼児Aに「カワイイネ」と言ってキスした 彼は大声で泣き出し母の胸に顔を隠す  きれいなお姉さんにキスされて良かったね と言う母親を小さな手でばんばん叩いて 薄い胸に顔を埋め ちらちら美女をながめては泣く  命を持たないものが  人間のようにしゃべり  人間のような仕草をする気味悪さ  やがて 学習するのだろう  これらのモノをかわいいと表現することを  美しいと言わねばならないことを ---------------------------- [自由詩]あなたに/イナエ[2016年2月2日8時46分] 白い都会の硬い土塁の中 あなたが灯をかかげれば わたしは虹を灯す 遙かなやまの森の中でも あなたが歌えば わたしもさえずる 海の彼方の小さな島で あなたが跳ねれば こころは空を翔ける ---------------------------- [自由詩]睡蓮池の畔にて/イナエ[2016年6月6日9時34分]    昼間の火照りから解放された夕暮れ ビルから流れ出た人たちが 睡蓮の群生する池の畔を帰っていく 池の畔のベンチに若い女が独り 睡蓮の花を眺めている 煉瓦色に夕焼けたビルを映した池に 逆さになった人が 池の畔を歩く人を追いかけていく ベンチの女は おにぎりを取り出しひとくち食べる ハシブトカラスが一羽 池の畔に降りて 嘴を女に向け 羽をたたむ 逆さのビルの間から水鳥が二羽 ハの字を描いて睡蓮に向かう ハの字は交差して池の面を揺らし 夕焼の空を揺し ビルを揺し  人も揺れて歩みが乱れ 池の畔の人からはぐれ 睡蓮は揺れることなく はぐれた人を保護して 静かに佇んでいる   女も静かに睡蓮を眺め おにぎりを ぽつりと口にはこぶ 池のビルにひとつ灯火が揺れて ハシブトカラスの嘴が 太くなったようだ            ---------------------------- [自由詩]ある男の命日に/イナエ[2016年6月20日10時56分] その川は病院の屋上にあった 男はゆっくりと川に入った   早暁の屋上には看護師はいなかった   監視カメラも男をとがめなかった 男の中で長年…  そう 半世紀ものあいだ 渡りきれなかった大陸の川 少し先を同期の戦友が泳いでいく 銃が濡れないように捧げて 向こう岸は靄に沈んでいる 身体が重い 戦友の姿はどこに消えたか 遠く聞こえていた砲弾の音は聞こえない 身体が沈む 背嚢を捨てた  軍靴も捨てた 身軽になると向こう岸が  彼岸が靄の中に明るく 華やかに浮かんでくる 男の唇が笑む 目にはなにも見えなかった 見る必要も無かった 男はゆったりと抜き手を切り 水を蹴った   監視カメラを覗く者がいたならば   風呂に静かに浮いている男を見ただろう 男は静かに息を吐いた が 再び吸うことはなかった 男はゆったりと 屋上の川を渡っていった ---------------------------- [自由詩]八月の光景/イナエ[2016年7月29日8時36分] もう七二年も昔になりましたか  第二次世界大戦が  マスコミの話題になるとき  浮かんでくる光景は 地方都市の国民学校3年生の教室 腕白な少年どもに囲まれて おまえはスパイだと 小突かれていた級友がいた 通りかかった先生に腕白のひとりが言った 「こいつスパイだ 高射砲陣地を見つけたって」 先生は少年をじろりと見たが 何も言わず通り過ぎた 数日後 先生は授業で ルソン島に上陸した米国の隊に 切り込んでいく兵士の話をしていた途中  例の少年の何が気に入らなかったのか 軽々と持ち上げ床にたたきつけた 少年は涙も見せず堪えていたけれど その後 ぼくの家は戦火に焼かれて 一家は山奥にある祖父の家に身を寄せた 先生は志願して戦場に行ったままと 聞いた 数年後 腕白どもは 野球少年に変身したらしく 夏の大会の選手として 地方新聞に名が出ていた 小突かれていた少年は どうしたのだろう ---------------------------- [自由詩]ミーアキャット/イナエ[2016年10月15日18時59分] 曙時に穴から這い出し 尻尾を立て太陽に体を向ける 体温増加が目的ならば 一匹ぐらい 背中を暖めていてもいいだろうに どうして皆が同じ方向を向いているのだろう 父は ぼくと弟を傍らに並ばせ 東を向いて 地平線を離れる太陽に手を合わせた しかし  大人になったぼくは 冬の朝 背に光を受け 西に沸き上がる雲をみつめるのだ ---------------------------- [自由詩]狭い部屋/イナエ[2016年10月21日10時31分] 広い邸宅など要らない ベッドは 身体を横に出来るスペースがあれば良い 食卓には 茶碗の置ける隙間があれば飯は食える とうそぶいて 新聞が 雑誌が 広告が  テーブルに積み重なり ベッドの上の空間に張り渡したロープに 洗濯の済んだ下着が空間を埋めて ソファーは外出に使ったコートが居座る 台所を見れば 買物袋の中からはみ出した大根ジャガイモ 床に缶詰を転がして かたづける手間も 取り出す手間も省いた 菓子の空き箱を活用した筆箱には ボールペン シャープペンシル 色鉛筆 直線定規にはさみまで放り込んだ 手を伸ばせば そこには欲しいものがいつでもある はずなんだが ボールペンを使おうとすると ボールペンはない 赤色鉛筆を使おうとすると ボールペンがやたらに出てくるのだ ---------------------------- (ファイルの終わり)