アハウの吉田ぐんじょうさんおすすめリスト 2009年8月4日9時56分から2009年9月11日1時52分まで ---------------------------- [自由詩]わたしが無職だったころ/吉田ぐんじょう[2009年8月4日9時56分] わたしが無職だったころ 茹で卵と塩むすびだけはんかちに包んで 毎日河原へ出かけていた それしかやることがなかったのだ アンケート用紙とかに 無職 と書くのが厭だったので 仕事を探してはいたものの どういうわけかやりたい仕事は ちっとも見つからないのだった ハローワークは くすんだ色の服を着た うつむいた人たちでいっぱいで その中だけ冬みたいにうすら寒かったから あまり行こうとは思わなかった 春だった 河原には一面に菜の花が咲いていて うらうらと粉っぽいにおいが流れていた その中に座って 塩むすびと茹で卵を黙って三十回噛んで食べた はんかちはきちんと畳んで鞄へ入れた 鞄なんてなぜ持っていたのだろう あのころ大事なものなんて ひとつもなかったのに ポッケットに手を突っ込むと 指先に必ずライターが当たった 洗濯したての服を着ていても どういうわけか入っていたから ことによると ライターというものは 輪ゴムや耳かきと同じように 勝手に増殖してゆく類のものなのかもしれない あれからしばらく経って 新しい鞄を買った時 あの鞄は捨てたのだけど ファスナーを開けてさかさまにすると ハンカチと洗濯バサミ それとグリコのおまけが中から出てきた 全部出しても 掌におさまるくらいの量だった 心のよりどころだったのかもしれない グリコのおまけは プラスティック製のちんけな電話で 永遠に鳴らないかたちをしていた ---------------------------- [自由詩]スーパーへ行く人/吉田ぐんじょう[2009年8月5日14時55分] 毎日 夕暮れ時になると 必ずスーパーマーケットへ行ってしまう 何か買うべきものがあるように思うのだ 冷蔵庫の中には 肉も野菜もそろっているのに 心の片隅がすうすうして それを埋めるものを買いたい 自動ドアが開くと 許されたようで安心するんだ そのまま 棚と棚との間を回遊魚のようにふらついて カップラーメンをいくつか籠へ入れた 子供のころ 日曜日に父親と二人きりだと 昼食は毎回カップラーメンだった 大きいやかんで沸かした熱湯を 二人で大騒ぎしながら線まで注いだ そのためか今でも カップラーメンを食べるときは 少し嬉しくなってしまう Mサイズ無精卵十個入りを 手に取ってしげしげと眺める 養鶏場で 卵を産むことを強制されているめんどりは 一体どのくらい居るのだろう 無精というところがなんとなく残酷だ 卵をうみきったら 最後には生きたままミンチにされてしまう かわいそうなめんどり そんなめんどりのことなんかお構いなく ぐちゃぐちゃに卵をかき混ぜて食べるわたし 牛乳の棚の前で立ち止まる あまり牛乳ばかり飲むためか 今でもわたしは背が伸び続けている こないだの健康診断では 医者に 百年たったら東京タワーを追い越すくらいになる と言われて おそらくだけどわたしはあと百年も生きられないと思います と答えた 百年後の世界に思いを馳せながら たぷんとしたやつをひとつ籠へ入れる レジ打ちのひとの横顔は びっくりするほどあおじろい 小銭を出しながらいつも思う このひとは このスーパーの中に住んでいて 長いこと外へ出ていないのかもしれない カップラーメンや乾物に囲まれて 案外安らかに眠っているのかもしれない と 会計を済ませて表へ出ると もうすっかり暗くなっている 突っかけてきたビーチサンダルは 昼間の熱がまだ残っているアスファルトの上で ぱすぱすと心もとない音を立てた 心には未だ すうすうと風が通り抜けていて とても静かだ ぶら下げたマイバッグの中には 死んだものばかり詰まっていて ---------------------------- [自由詩]電車ごっこ/吉田ぐんじょう[2009年8月12日18時48分] 。 四角い硝子の内側に ぶわぶわしたひとびとが 等間隔に産み付けられた卵のように ぎっちりと隙間なく座っている 人間ではないふりをした顔は 電灯に照らされて 生気がないように青白い 各駅停車はのろのろと進み 中吊り広告は猟奇的な事件を こぞって書き立て そこだけ人間臭いような雰囲気が漂っていた 窓から見えるのは 夥しい数の信号機とお墓ばかり 一体なんのために生きてきたのだろう そんなにまでしてどうして生きてゆくのだろうか わたしも知人も知らない人も みんな重たい荷物をひっぱりまわして 。 駅の喫茶店で手紙を書いている キオスクで買った百円のボールペンで 精一杯ていねいな文字で だけど 書きたいこととは違う方向へ どんどん逸れていってしまう おわかれの手紙を書いているのに 気づくとカモノハシの生態について 便箋を埋め尽くす勢いで書いてしまっていたので 諦めてペンを置いた カモノハシは眼をつぶって水中を泳ぐ だけどいまそんなことはどうだっていいのだ あんまり明るすぎるせいなんだろうか 窓の外を見てみると 通りすぎてゆく人々はよそよそしく すこし透き通って さんさんと陽が射していた 口に含んだアメリカンコーヒーだけ 雨の味がして親しくて 遠くのホームの発車ベルが聞こえる (あ、遅れてしまう) 。 雑踏の中から帰宅した夕暮れ ふとズボンのポッケットへ手を突っ込むと 果実のような形をした 誰かの心臓が入っていた 急いで降りた駅へ戻り 遺失物の確認をしたのだが ―心臓を落とされた方ですか ―いなかったようですけどねえ 新月の夜に似た濃紺の制服を着た駅員は 何かの帳簿をいじくりまわしながら つまらなそうに言った その日からわたしは ズボンの尻ポケットへ心臓を入れたまま 町じゅう歩き回っている もくんもくんと動き続ける心臓を 早く持ち主に返さないといけない そうしなければ 誰かがそばにいるような気がして 誰かがそばで わたしに笑いかけているような気がして 安心してしまうから困るのだ ---------------------------- [自由詩]わたしたち三兄妹/吉田ぐんじょう[2009年8月25日16時32分] ・ 幼いころ 妹はお風呂が嫌いで 兄は爪を切られるのが嫌いで わたしは歯を磨くのが嫌いだった だからそのころのわたしたち三兄弟ときたら 妹は髪から極彩色のきのこを生やし わたしはのどの奥に 蝶々をいちわ飼っていたために滅多に喋らず 兄は癇癪を起しては長い爪でそこいらを切り裂いた 一葉だけ残っている あのころの 三人並んで撮った粒子の荒いカラー写真の中では わたしたちは手をつないで こわいものなしの小人たちみたいに笑っている いっそのこと あのまま三人で森へ行ってしまっていれば 子供のままで 永遠に生きられたかもしれなかった ・ わたしたち三兄妹は とてもよく似ていた 声も歩き方も姿勢も 階段をのぼる足音さえも 区別がつかないほど似ていた わたしたちを見分けられるのは わたしたちだけだったから 母はそれぞれに一本ずつ 唯一の武器みたいに 黒のマジック・ペンを持たせて 自分の持ち物には 自分の名前を書くよう言い聞かせた 夏の日 居間で三人はだかになって お互いの背中に お互いの名前を書きあったことを 今でも昨日のことのように思い出す 抱き合うと心地よくて 三人でひとりの大きい人間みたいな気持だった 帰宅した父にこっぴどく叱られて すぐに浴室で洗い落とされてしまったけれど 完全には落ちなかったから 今でもわたしの背中には 不器用な兄が書いたわたしの名前が 傷痕のようにうっすらと残っている ・ やがて 兄に声変りがおとずれ わたしが初潮をむかえ 妹の体に体毛が生えそろうと わたしたちは突如として ひとりひとりの個人に成った 兄は爪をやすりでととのえ 妹は水生動物になってしまったように 何時間もお風呂につかり続け わたしののどの奥の蝶々は いつの間にか消えてしまった しばらくは何をしゃべっても 喉の奥からせりあがってくる声が ざらざらと奇妙に甲高くて 黒板を爪でひっかく音のように不快で ときどき思い出したように 兄や妹と抱き合っても 隙間だらけですうすうして なんだか気持ち悪かった どうしてこんなことになってしまったのかな 机の一番上の鍵のかかる引出しに しまっておいたあのマジック・ペンも インク切れでもう 何も書くことはできなくなっていて ・ そうしてわたしたちは 完璧に損なわれ はなればなれになってしまった あれからもうずいぶん経つ 三人ともいっぱしの大人の年齢になって もう誰からも 何も間違えられることはないけれど それでもどうしても 一人ではまだ うまく生きることができないのは 何故なんだろう ---------------------------- [自由詩]或る少女の生涯について/吉田ぐんじょう[2009年9月3日1時41分] ・ 私の本当の名前はスマコというらしいです だけど父も母も兄弟もみんなスマと呼ぶので いつの間にか私はスマになってしまいました ときどき本当の名前について考えます コというのはどういう漢字なんでしょう もしかしたら犬をあらわす漢字の 仔 なのかもしれない まったく私は犬みたいに生まれてきました 一番最初の 忠犬ハチ公の銅像が出来上がった年の 宇宙飛行士のユーリ・ガガーリンが生まれた日に 父は湿っぽい布団の上でいごいごとうごめく私を見て なんだ むすめっこか と一言言ったきりだったと聞いています 父に関する事はあまり覚えていないのです ただあの頃の日本の平均的な父親だったような 毎日広い畑で野良仕事をして 休憩中は煙管をふかし 夜になれば質の悪い酒で酔っ払って たまに母や子供を殴るような たったそれだけの それ以上でもそれ以下でもない父親だったと記憶しています ・ 弟が一人います 少し年が離れているため 私は物心ついてからすぐ弟のおもりをしながら 野良仕事をする母をたすけて家事をするようになりました 弟はショウちゃんと云います おさるのおにんぎょさんみたいに可愛い子で 私は姉というよりは母親のように彼をかわいがったものです 実際 私のようなものは 物心ついてすぐに母親の役目を果たせなければ まるで要らない子だったのです このあたりの冬は静かです あんまり静かで気が滅入るほどです ショウちゃんは夜泣きをするたちでしたので 新月の夜なんかにおぶい紐でおぶって どこにも灯りの見えないあてのない道を ゆっくりゆっくり歩きました ただ身を切る寒さだけがそこにありました あの頃の空気は確かに透明な玻璃(ハリ)で出来ていたに違いないと 今となってはそう思います ・ 学校へは時々行きました 野良仕事の忙しくないときだけでしたけど 大人の男や女の先生が 絶えず何か注意しながら歩き回る狭い校庭や 子供たちの風にはためく 絣や紬の着物の袖などを見るのは楽しいものでした 文字を読み算術を習い友達とふざけあって 心臓が石炭のように燃えるまで毎日駆け回りました ですが じきに私は学校へは行けなくなりました ゲンロントウセイというものが始まり 国民服が支給されトロツキイとかいう人が暗殺され 時代はだんだん真夏の夕立前の空のように 暗く暗くなってきたのです ですが学校へ行けなくなったのはそのせいではありません どういうわけかその頃から 私のうちでは作物が狂ったように実りはじめました 採っても採ってもまだまだ実っている果実や稲や野菜は 裏庭に積み上げられ腐ってゆきました 私や父や母が大車輪になって働いても 追いつかないくらい実るのです 恐ろしい予感がしました ・ 戦争のことはきれぎれにしか覚えていません こんな田舎の空にも毒虫のような影を落としてB二十九が飛び 私が母から種を貰って鉢に育てていた花は それが 産卵するかのようにたわいなく落とした爆弾で 目の前で火をあげて砕け散りました この世に人間が太刀打ちできないものがあるなんて 大切なものがこんなに簡単に破壊されてしまう そんな理不尽なことがあるなんて知りもしませんでした さいわいにも私の家はみすぼらしく しかも目印も何もない 広大な土地のはずれに建っていたために 家が花のように燃え上がることはありませんでした ただどうしたことか ある青天の日 畑でもぐらとりをしていた父が 誰かが気晴らしで落としたのであろう 爆弾にあたって死にました 畑の真ん中で焼け焦げた父は まるで 父自体が大きなもぐらのようにも見えました 私たちは父を真ん中にして輪になって立ち 黙って父の死を悼みました 都会から疎開へやってきた知らない人が 私たちのその有様を見て まるで昔からの知り合いのように 素早く丁寧に父の遺骸を埋めてくれました 空が青かったことを覚えています ・ 戦争中は食料が乏しかったため 薩摩芋ばかり食べました そのおかげで私は もうきっと死ぬまで薩摩芋を食べないだろうと思います ・ 戦争というものが終わったとき 私は十三歳で おぼろげに人生というものについて 考えはじめていました 何でもできそうな気がしました だってあのひどい戦争を 戦争が始まる前と同じ体で同じ顔で どこもそこなわずに生き延びられたのですからね 私たちは父の畑を耕し ぼそぼそと何かそこらへんにあるものを植えて育てました 都会から食料を求める人が私たちのところへも来ました そんなとき私たちは決まって 父の遺骸の埋まったあたりに実っている薩摩芋をやりました 耕さなくてもそこには勝手に薩摩芋が出来ていましたし しかもそれは 臓器のようにグロテスクで鮮やかな色だったからです 都会から来た人はどんな人でも 影法師のように見えました 風に揺らぎながらただへなへなと歩いて 時折路傍で煙草をふかしたりしていました ・ 私が結婚をしたのは十七の夏です 結婚相手の男はむかし通っていた学校の 大人の男の先生に似ていました 膝の抜けたみすぼらしい作業ずぼんを履いて 顔を泥だらけにしながらその人は ある日私の前にやってきました そのことはそれだけで十分でした これ以上ないくらいによくわかりました 私たちは夫婦となり ショウちゃんや母をそこへ置いて 実家よりももっと田舎にある 小さな木造の家へ移り住みました 男の人のことをわたしは おめさま と呼びました 名前は結婚後ずいぶん経つまで呼べませんでした 私があの人の名前を呼んだのは あの人の葬式のとき そのときただ一度きりです 都会の人は嗤うでしょうか ・ 私たち夫婦には 息子が二人生まれました 長男はショウちゃんにそっくりだったため 時々間違えてショウちゃんと呼んでしまうことがありました 次男はびっくりするほどあの人に似ていました 今でも私は次男と接するとき なんだか緊張してしまうほどなのです 狭い木造の家で 私たちの生活はなごやかに流れてゆきました ショウちゃんの電話や母の訃報など その生活はしばしば 石を投じられたように乱れはしましたけれど あの人はその間も変わらず縁側に座っていたし 長男と次男は飽きもせずに鬼ごっこをして遊んでいましたから 私はそれだけで安心だったのです ・ やがてあの人が死んでからすぐに長男は家を出て それきりふっつりと音信が途絶えてしまいました 次男は家から通えるところへ就職をし やがて就職先でおよめさんを見つけてきました およめさんは快活でよく働く人でした ああこれで安心して死ねると思って わたしは生前あの人が 農薬なんかをしまっておいた棚を開きました でもあれほどたくさんあった農薬の瓶は ひとつもなくなっていたのです あの人が持って行ったんだと私にはすぐにわかりました そのころからでしょうか なんだか時間が 早く過ぎてゆくような気がして仕方がないのでした ・ いま私は七十五歳です 次男の建てた家でおよめさんと次男と 孫と孫娘と一緒に暮らしています 洋服も電化製品もふんだんにあり 昔とは全然違う とても色鮮やかで楽しい日々を送っています 長男からの音信は相変わらずありません 先日の昼間 テレビのニュース番組を観ていたときに アナウンサーの背後を長男によく似た男性が横切っていきました アメリカからの生中継です とアナウンサーは言っていましたが 本当に長男だったのでしょうか ぼんやりしていると 少し年老いて でも昔と変わらず快活なおよめさんが ほらおかあさん ごはんがこぼれますよ と笑いながらつっつきます この頃は 孫娘のまねをしてお砂糖も牛乳も入れないコーヒーを ほんのひとくちだけ飲んでみたりするのですよ テレビの前に据え置かれた座イスで うつらうつらしていると 孫が毛布をかけてくれます 幸せ だと 思います だけどもう 眼もかすんで 立つこともできないですし 耳もよく聞こえないのです 毛布をかけてもらっていい気持ちです 昔はもぐらのようになった父の夢や 小さいままのショウちゃんや母の夢をよく見ましたけれど このごろはちっとも夢を見ません 夜の海にたったひとりで ふんわりと浮かんで流されてゆくような眠りです もしかしたら 私はずっと夢を見ていたのじゃないでしょうか あの頃の十二歳のまま こんなにも長い夢を こんな風になるまで ずっと もう起きて家に帰らなくてはなりません そこに立っているのは誰でしょう どこから来たのですか わたしを置いてゆくのですか 何故かしら 眼を開いても眼を閉じても ずっと夕闇の明るさです 二〇〇九年八月の風が吹く日 祖母の語った話を孫娘記す ---------------------------- [俳句]本日は晴天なり/吉田ぐんじょう[2009年9月4日17時29分] 朝寒(あささむ)や子宮の奥へしのびこみ 初秋の路上に晩夏わだかまる 塗りたての青あざやかに秋の空 コンビニで桃缶さがす風邪の人 ほおずきが臓器のようにおちている 盆過(ぼんすぎ)にまちで故人とすれちがう 心臓と同じ重さの梨くらう サヨナラと同じ色して秋は暮れ 玉葱を刻む手を止め月を見る 皿洗う指に夜寒(よさむ)のしみてゆく (字余り) 夜食喰うおおきくなって星を捕るため 捨て団扇にジャニーズの顔笑ってる 面接に落ちた夕暮れ桔梗咲いてて 漂鳥(ひょうちょう)を追いかけ迷い帰れぬ夕べ ---------------------------- [短歌] kill time./吉田ぐんじょう[2009年9月7日15時24分] 陽炎を踏み越え君は手を振って、あちら側へと行ってしまった 家じゅうを掻きまわしつつ探したが、あの日の記憶が見つかりません 路傍にはいつも死骸が落ちている、人かも知れぬ、見ない振りする 正論もニュースも聞かず死にたくて鳴らないラジオ直さずにいる 夕暮れに家へと急ぐ子供らの髪から落ちる空の欠片が かなしがるぼくたちの背が割れてゆく、きっと蝉だね(夏の路上の) 食卓にあぶらまみれで落ちているちくま文庫の文豪の顔 なんとなく子供が欲しくて無精卵あたためてたら割れて流れた 誰もみな何かをおそれて生きている全治不能の傷を抱えて 深更に みし とサキイカ噛んでいるけっして誰も殺さぬように 求人のチラシで折ったひこうきを無くなっちまえとぶん投げてみる 昼間でもつい電燈をつけるのは夜行性のけもののさがです (ドア前に誰か立ってる気がしててだからどこへも行けないのです) kill time…退屈凌ぎ、ひまつぶし ---------------------------- [自由詩]アルバイターと海/吉田ぐんじょう[2009年9月10日3時42分] ・ 職場で必ず着用するエプロンには 大きなポッケットが付いています わたしはその中に いろいろなものを放り込むのが癖です ポッケットが膨らんでいないと 落ち着かないのです 膨らんでいて少し重いと安心です 職場では時々 所在なくて浮いてしまうときがあるので これらは重しの役割をしているんだと思います 暇な時間帯には ポッケットの中のものを出して ひとつひとつ並べてみたりします 消毒薬 ばんそうこう 安全ピン ボールペン カッター ヘアゴム 接着剤 磁石 それと少々の砂 砂なんてどこで拾ってきたのかわかりませんが それはとてもさらさらした白い砂で ことによると いつかの雨の日に 海のことを考えながら 仕事をしていたためかもしれません ・ 夏と秋とがちょうど空で交差するこんな季節は 空気が妙に青味がかって見える日があります レジに背を向けてその色を眺めていると お客さんが来たので いらっしゃいませ と振り返りました お客さんは大きな海老でした 白目のない眼でじっとこちらを見ています 季節の変わり目には きっとあらゆる境目がなくなってしまうのでしょう 海老のお客さんはどこから持ってきたのか 月刊海老 というみたこともない雑誌を買って 袋いらないです といい声で言ってから出てゆきました あとに残ったのは びたらびたらと生臭い水ばかりです なんだかぼんやりしてしまいます ここは一体どこなんでしょうか ・ 仕事を終えるころには 大抵もう真っ暗です タイムカードをジジジと押しますが タイムカードというのはどうしてこんなにわびしい 死にかけの虫みたいな音で 刻印されるのでしょうか 夜勤のアルバイトさんは思い詰めたような眼で 着替えをしています 石膏のようにすべすべした横顔の夜勤さんのことを ほんの少しだけ好きです 着替える前 たまに麩菓子をかじっていたりするその歯は 退化した深海魚みたいに見えて 好きです と言ってしまわないうちに 裏口から素早く職場を出ます 職場から家までは歩いて十五分ほどですので 夜空を見ながら歩いて帰ります 真っ黒でだたっ広い夜空は いつか夜の海へ泳ぎだしていって それきりもう帰ってこなかった 子供たちや大人たちのことを彷彿とさせます 街灯の下に落ちる影は夏よりいくぶん濃くなって ひたひたと揺らぎながら 意志とは関係なく 離れていってしまいそうに見えて 煙草をくわえて でも火をつけるのはためらいました 橙の光に かたちのないものたちが 集まってきそうな気がしたからです じき家へつきます ---------------------------- [携帯写真+詩]はいどあんどしーく/吉田ぐんじょう[2009年9月11日1時52分] 昔から 隅に居るような子供だったので かくれんぼでは 何時も鬼をやらされた 両腕で眼を覆って だけど じゅう数えるまでは どうしても待てない いち、に、もういいかい すぐ振り返ってしまう 隠れきれていない友達が そこに居ると安心した ちゃんとやってくんないと かくれられないじゃん 友達は 憤慨したように言った だけど 隠れてくれなくていいのだ 眼の前から 消えてしまわないでほしいのだ もういいかい、と振り返って 誰もいなくて 木々が風に揺れているだけとか そんな光景が 眼前に広がっていると 慄然とする 世界が 終わってしまったんじゃないかと 隠れるのも下手だった 狭いところで 息を殺しているだけで おそろしくなってくる みいつけた と友達ではない 誰か知らない人が来たら厭だ そんなことを考えているうちに つい ここにいるよ と叫んでしまう 今でも わたしはかくれんぼができない 夜中の台所でゆっくり数を数えてみるが やっぱり じゅう数えるまでは どうしても待てない もういいかい 呟いてみると もういいよ と誰かが 答えたような気がした ---------------------------- (ファイルの終わり)