れつらのおすすめリスト 2006年12月11日0時48分から2020年3月9日19時51分まで ---------------------------- [自由詩]ラブとつぶやくやつらを殺せ/構造[2006年12月11日0時48分] フリースタイルで リラックスしながらラブをつぶやくとか なんつーか、 無理 ちんこちぎれて 死ねっつーか おい、貧乏人ども めぐまれた子供たちが ラブをつぶやくなら 殺すんだ やり返されないような なにかで決着をつけて やつらを殺す 地べたはいずって はした金かせいで その上で高級スーツを レンタルして ドレスそろえたバックコーラスをそろえて 叫べよ ラブって言葉の裏に かくされた本質を おれを苛めるな 馬鹿にすんな っていう そんだけのことを できるだけ、女を味方につけ できるだけ、野郎に殴られないように それでも今まで生きてきた人生のプライドを 守りきるくらいには もしくは一発逆転に成功する程度には でっかい声で ころしたやつらの怨念が すっかり体にしみつく程度には かっこよく ---------------------------- [自由詩]1両編成/Tsu-Yo[2006年12月26日11時05分] 戦争のあとにはいつも 殺されなかった死体が転がっている それが君の言うところの 正しさなのだろう ぱたりと本を閉じる 車窓の外へと目を移せば 淡い色の田畑が広がっている 「次の列車は一両編成で運行しています」 という駅のアナウンスが 唐突に頭の中で甦った いったいどうすれば たった一つだけのものを 上手に編成できるというのか ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]ポイントについて/黒川排除 (oldsoup)[2007年1月8日9時22分]  写真が嫌いだ。風景写真は好きだが人間が写り込んでいる写真が大嫌いだしじぶんが写り込んでいようものならその写真を処分するためにおまえの妹の身柄を確保して交換条件にしたいぐらいに嫌いだ。思い出は必要だがそこに生身のじぶんが写り込んでいる必要なんてどこにあるんだと思う。他のものに頼らずおぼえられるだけの範囲が思い出でいいんだよ、とじぶんの中で見切りをつけていたらまったく物覚えの悪い子に育ってしまって、バイト先の常連さんの名前が全然おぼえられずに先日「もういい加減おぼえてよ」って笑いながら怒られたぐらいでにんげんってこんな不自然な表情ができるんだあ! と夜道を用心せずにはいられなかったがおれはそれほどまでに物覚えが悪いが変なことばっかりおぼえている。くやしいこととかは特に。  現代詩フォーラムはポイント制だ。そしておどろくなかれ、oldsoupはポイントが欲しいのである。どれぐらい欲しいかというとログインしたあとの現代詩フォーラムというロゴの下の赤い文字にびっくりしないようにログイン直後は目を背けているか目を閉じているかブラウザで違うページを見ているかするぐらい欲しいのである。まあ大抵別の意味でビックリするんだけど。  とはいえ難しいものでポイントが欲しいと書くことでポイントを得たとしてもそれはそれでスネてしまうところがあるが矛盾しているものを解決できてないだけなので気にしないように。おれだけ気にする。気にするといえば結局ポイントが入らないというこの……なんていうんですか……事実……があるわけだがその点に関しても平静を装う必要がある。元号が平成だからといってそうやすやすと平静を装うことができるわけじゃないが口さえ開かなければポイントが当たらないことに関してみにくい姿をさらけ出していやらしいわたしを見てッということもないのだがこの点に関しては本当にポイントがいらないポイント界のガンジーみたいなひともいるだろうからおれがおれがという点だけに絞って書く。それにしても新しく入会(にゅうフォーラム?)したひとで10作品ほど出しているのに二進法みたいなポイントの取り方してるひととかいるもんだがよくめげないなあと思うわけではある。精神構造が違うのかなあ。爪のあかを煎じて飲まさしてください。手料理を作ってください。ピラフが好きです。  その一連のおれの中の、見ているひとたちにはどうでもいい羞恥プレイ的な情動がくやしさである。残念なことのひとつには今書いてきたようにくやしさを隠しに隠してきたためにくやしいと思う感覚が麻痺してしまったということがある。そしてもうひとつがサイトのトップページにログインすると見られるトップ10である。ためしに現在のトップ10をコピーアンドペーストしようかと思ったが別に最近のはいつ見てもかわらないのでいいや。昔はあれを見ては悔しがっていたものだと思い出すわけよね。それはもう店の常連さんの顔も名前も憶えないほど記憶力の悪いおれが猛烈に記憶するぐらいに。どれぐらい昔かというととっぷてんに並ぶ作品ことごとく一桁のポイントであった頃ぐらいのむかしだったが、そのころには、正確な題名は失念したけど「テーブルの上のフランチェスカ」が13ポイントか14ポイント取っていてくやしくてくやしくて昼食のラーメン食ってる箸が震えて麺を取りこぼすぐらいにくやしくて仕方がなかったわけだ。今そのトップ10を見てもなにもくやしくはない。これはスネているのではない。断じて違う! かわいそうな目で見るな!  さてはてソレはなんでだと考えたときに思うのはバリエーションがないというか見慣れた特定のひとがいつもトップ10にいるということだ。KinKi KidsやB'zがいつもオリコンのトップにいるような不信感を感じるわけじゃないがトップページのトップ10がいわゆる常連さんで占められるようになるとさすがに物覚えの悪いおれも名前を憶える、じゃなくてトップページにそのひとの特設コーナーが儲けられてるようなマンネリを感じる。酒屋に入ってすぐアサヒ、のようなマンネリを。この場合は別にアサヒスーパードライとトップ10の常連が一緒くたでもよい。人気があって取っ付きやすく、中身も優れているからね! アハハ! つまりこのばあい彼(彼女)という名前のカテゴリーがトップページに常に存在しているようなものである。余計なカテゴリーは存在しない方がいい。どうせのちのち個人個人の頭の中で増えるカテゴリーをわざわざ増やしてもらう必要もない。おれが批評祭に参加していないのも余計なカテゴリーをおおやけに示したくないからだ。だがこう言っても良かろう、すげえ目立ちたいのだ! おまえ批評散文エッセイの項目みたかよ! 黒い四角ばっかりだぜ! そんな中で黒い四角を付けるよりは付けない方が目立つだろう! あ、あと、今更参加したってもうだめだよ! という諦めもあるなあ  フォーラムに参加している人数が多いのにあるところからポイント数が頭打ちになって100を超えるか超えないかのところでいったりきたりしているのもそういういまさら!的なバランス感覚がうまく働いているものだと感じる。そういう頭打ちなところもトップ10に限界を感じる点のひとつだがやはり、「そのひと」という名前のカテゴリーが常に存在している状態がキツい。いつのまにか、うわあ、あのひと人気あるんだなーとは思ってもそれ以外のことはなにも思わなくなってしまった。トップ10である理由が作品の質なのか作者の人気なのか分からず混乱するようになってしまった。むかしのようになぜその詩にポイントが集まったかを考えて貪るように読み貪るように書くような目線でトップ10に接することが出来なくなってしまった。ここまで書いておいてなんだが別にトップ10が何の役割も果たしてないと考えているわけじゃないんだ。有用に使ってるひともいるわけだし。楽しむ方法がないわけでもない。ポイントが高くなる前の作品からポイントを投じておいて、後日ポイントが増えるとともに「昔はあんなひとじゃなかったのに……彼は変わったわ」とか報告するキャサリンになっても楽しいが。  とはいえ、トップ10をx(バツ)できる機能があれば喜んでクリックするつもりだ。mixiかここは。つまりどの作品に人気があるのかは別に知りたくないというわけだ。本当は無数に日付け順に立ち並ぶ作品群のどれがどのひとの作品かということもわかりたくない。匿名ってやつですよ旦那。古くからこういう願望は他のひとの胸にもありときおりその考えが暴力的に立ち回るのを見ることもあった。ただおれの場合は、ハハッ、そのひとの作品だと隠してもらっても後日タネあかしがあって「この作品は、このひとのものでしたー」って言われた時点で普通に幻滅してしまうようなダメにんげんなので単なるわがままである。ジコチューである。じぶんスキスキスーである。「じぶんの作品は本当は優れていて名前さえ隠してもらえればたくさんポイントがもらえるはず」とかいう妄想にしょっちゅう駆られるぐらいである……ッ。そしてその惨憺たる結果も予想済みだ! また、相手の立場で「もしじぶんが毎回あんなに高得点をもらっていたら結局ポイントはじぶんの作品を判断する基準にはならないだろう」ということもかんがえずみ!! まあこの辺は中居正広の番組のCMも中居正広、みたいな考え方なのでサクッと流し読みしてもらってもかまわないが、とかくそういういらなくもありむなしくもある想像をポイント状況から喚起しはしてもそこから燃えるような熱情をくみ出すことは困難になってきた。  ここまでポイントについて長々と書いてきたがおれはポイント制度が気に食わないわけでもない。むしろ好きだ。なにかいびつで形骸化したような感想をつけられるぐらいならさっとポイントを付けられた方がジェントルでブリティッシュだ。そういったポイントをたくさん稼いでいるひとも作品も全然悪くない。多分すごい。だけど実際には無関係な感情とリンクしている、感想のように形骸化したポイントがありそれがいかに無味乾燥としたものであるかを書きたかった。そんなポイントを与える側にそれが無意味であることを伝えるべき、伝えたい、アナタニ、ツタエタイ……のだけど、無数に付いてるポイントの性質を見極めて一個一個キミキミ、だなんて不可能であるからもう諦めた。読んだひとだけ感じて。ポイントは目的地じゃなくて燃料なんだということを。 ---------------------------- [自由詩]よるにとぶふね/haniwa[2007年2月19日3時38分] 1. 男の精液ってさ タンク一杯の梅酒みたいだよね タオルを集めていると香恵ちゃんがつぶやく なにそれどういうこと 上の部屋に オーナーがおいてった梅酒があるんだけど 灯油タンク一個ぶんの あたしそれいつも寝る前に飲んでんだけど まずくてさ 飲んでも飲んでもタンク一個ぶん残ってるんだよね でもいつかはなくなるってこと? そうそう ピロさんのこと思い出してさ ピロさんは二年前のオープン当初からほぼ毎日 三階のビデオボックスに通っていた中年の男で 最初の数回を除いていつも香恵ちゃんを指名して オプションのフェラチオをしてもらい 香恵ちゃんはいつもそれを飲んでいたという だがある日 彼は射精できずに帰った 次の日は いくら頑張っても勃たなかった その次の日 彼は香恵ちゃんと話をした それは長い話で 延長を二回くらいする必要があるほどで 香恵ちゃんと彼の間で交わされた初めての会話だった そのまた次の日 彼は来なかった 今日までずっと 来ていない 何を話したか香恵ちゃんはあまり覚えていないといった ただ人生に関することだったような気がするとだけ 延長二回ぶんの 人生に関する会話 五階のタンク一杯の梅酒は ようやく半分になったらしい 2. 一階の案内所には まだいくらか人がいたようで 鍵を持って階段を下りた僕に ゴウくんが困り笑いをみせる ちょっとまっててください そういわれて僕は暗い階段の途中で待機する 階下からはピンク色の光が漏れている    すいません もう閉店なんですよ       ええ このビルは全店2時閉店です 階段の入り口から顔だけ出して おわりました とゴウくんが声をかける 僕は階段をおりて ビルの入り口に鍵をかけにゆく ドアを閉める瞬間 追い出された男の一人が 僕をものすごい形相で睨んでいるのが見えた 案内所のピンクの照明に照らされて それは なんだか人間とは思えない 別の生き物に見えた ゴウくんにそのことをいうと ああそれはたぶん二時間ぐらいここでうろうろしてたやつかもしれない といった おれが話しかけるのを待ってたのかもしれないですね そうゴウくんはつぶやいた 僕は彼の話が長くなるのを知っていたので じゃあ おつかれさま とだけいって 上へ戻った ゴウくんはマジメすぎるから 二年たったいまでも このビルに彼の話し相手はいない 3. 二階のキャバクラでも 洗濯機を回しているらしい 足下から ごうんごうんといううなり声が聞こえてくる しばらくすると上からも 洗濯機の音が聞こえてきた ヒロシくんが しかめっ面でタオルを洗濯機に放り込む その様子が目に浮かぶようで 僕はすこし笑った いつも洗剤を二杯くらい入れちゃうんだよな 環境に良くないよね ほんとはあれスプーン半分くらいで充分らしいんだよ 昨日洗った洗濯物を干しに 屋上へ上る途中 四階のルーム清掃をしているヒロシくんが そう声をかけてきた でもやっぱ不安じゃない? おれが客なら洗剤けちって洗われたタオルなんか使いたくないよな そうだね あ そういえばこの前貸してもらったやつすげーよかったよ あー だろ? やっぱディランは聴いとくべきだって Jokermanとかとくによかった なんか泣けてきたよ いみわからんけどさ そんな会話をしながら 洗濯かごを抱えて階段を上るタイミングをはかる 僕は どこへ行こうとしてるのか 瞬間的に訳がわからなくなる たぶん僕は Like a rolling stoneと Tangled up in blueが ごっちゃになって 何をいいとおもったのか忘れてしまっていた 4. Jokerman dance to the nightingale tune Bird fly high by the light of the moon おおおーおおーおおおーおおジョーカーマーン やっと思い出したJokermanのサビの部分を 小さな声で歌いながら洗濯物を干していると 五階のタコ部屋の中でいちばん下っ端の トモちゃんも洗濯かごを持って屋上に上がってきた あ おつかれさまです 何の歌ですか?それ? うるさいな 子供はさっさと寝なさい ほんとに小さな 小さな声で歌っていた 自分の耳に聴かせるためだけの歌を 盗まれたような気がして僕はつっけんどんな態度をとる ひどいなー あ パンツとか干すんで見ないでくださいね 見ないよ さっさと干してお休み 明日も早いんだろ? いえ 明日はお休みです そうなんだ いいな おれなんか一ヶ月休みナシだよ へー大変ですね さすが支配人 支配人じゃねえし ただの洗濯係 そんな会話をしながら 物干し竿を埋めていく 白いタオルやピンクのタオル 白いブラやピンクのパンツ 白いキャミやピンクのドレス でも夜だから色なんてわからない 周りを高層ビルに囲まれた 四角の夜空だけが見える 目をこらすと 星が見えないこともない けれども 目なんてこらさない いつもは 五階の洗濯機が脱水を始めたらしい ごごごごごごごと 低いうなりが足に伝わる しばらくすると 四階の洗濯機も 三階の洗濯機も 二階の洗濯機も この小さなビル全体が振動してるようだ 小刻みに 何かをまわして 振り落とそうと ふね みたいですね なにそれ? ほら スクリューの回る音とか 洗濯物とか 帆を張ってるみたいに 思えません? そういうこというと いたい人だとおもわれるから やめたほうがいいよ 普通は おれが詩人でよかったね そうですねw 気をつけます ほんとに今度リーディング連れてってくださいね そうね おれが休みのときな あした行きましょうよ あした水曜日ですよ あしたって おれは休みじゃないし 早起きしたらいいじゃないですか むり 五時前には起きれん あたし起こしますから トモだって 暗くなるまで起きれないっていってたじゃん がんばって起きます 絶対ですからね というわけでじゃあ あたしはもう寝ます おやすみなさい トモちゃんはいつのまにか空になった洗濯かごをもって 階段を下りていった 詩人といっても もう読むべき詩なんか なにもない なにもないのだ僕には しょうがないから あしたは ヒロシくんのディランのベストを又貸しして かんべんしてもらおうと僕は思った そして タバコに火を付ける 洗濯物が物干し竿にぶらさがっていて 四角い夜空にはかすかに 星が 5. ぼくらの船は夜に飛ぶ 三相交流モーターを回して 星明かりにかざす布きれのような帆 とどかない昼へむけた手紙 それは結局 幾光年離れた星々だけが読める 信号のように ”ボクラハココニイマス” 詩と呼ぶには短すぎる ”ボクラハココニイマス” ---------------------------- [自由詩]書店で働くということ/吉田ぐんじょう[2007年4月25日18時01分] 本を読む人の眼は 例外なく真っ黒い色をしている それはもちろん 眼が活字のインキを吸収してしまうからである 本を読みすぎて 白眼まで真っ黒になってしまった人が こちらを向いてにいっと笑ったりすると 結構怖い きちんと見えているんだろうかと思う 棚に沿って ずらりと立ち並んだ人たちの間を縫って 雑誌を整頓していると 時々 樹になってしまった人を見つける 帰りたくなくなってしまったのだろう そういう人には丁重に声をかける お客様 お客様 二度呼ばっても人に戻らない場合は 他の店員に手伝ってもらって 根元から伐採し 店の外に放り出す 今までにそういう人はたくさんいたらしく うちの店の前には 材木がたくさん積んである 夏になったらキャンプファイヤーをやろう と言うと 漫画本にフィルムを巻いていたアルバイトさんが いいですね 肉も焼きましょう と言って笑った 書店で働き始めてから一ヶ月になるが 本というのは不思議なものだ 腕の中でさまざまに形を変えるのだ 一度 単行本を整頓しているときに ふと気づいたら 腕の中で赤ん坊がわらっていたことがある それは 将来わたしの生む赤ん坊のように見えた たまらなくいとおしくなって ベイビー と呟きながら 背表紙にくちづけをしていたら 先輩社員に叱られた だが そんな先輩社員も 漫画本の並んでいる棚が 初恋の人に見えることがある ということをわたしはちゃんと知っている たまにうっとりした顔で抱きついているからだ 店が閉店するのは午後の十時である わたしは床にモップをかけ 剥がれ落ちた活字や お客様の残した性欲の欠片なんかを 丁寧に隅っこに集めて捨てる すばやく捨てないと 活字と性欲とが反応しあって どろどろの 得体の知れない固まりになってしまうので 注意が必要だ お疲れ様でした と頭を下げて ふと手のひらを見ると いつも真っ黒に汚れている その手で眼をこするので わたしの眼はだんだん大きくなってゆく 多分近い将来は 一つ目になってしまうことだろう あまり知られていないことだが 書店の店員は みんなそれで辞めていくのである ほぼ一つ目になった先輩社員が 月明かりを背に お疲れ様 明日もよろしくね と鷹揚に笑った ---------------------------- [自由詩]error/ピッピ[2007年5月11日20時52分] 27日 多分知っていることだった。 今日のニュースで、中華街に泊めてあった自動車が突然爆発す 28日 首が回らない。お菓子を食べよう。そう言えば昨日は。私は松井です。特にありません。柔よく剛を制す。フランシスコ・ザビエル。爪をよく磨きます。これはペンです。T///hi///s///is///a//p/ッエ/轟 ///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////// 失礼しました。 30日 昨日の記憶がない。 31日 ファッションと言うものに興味を持つ。 白い服には白い靴、だそうだ。 では赤い服には 赤い靴 今日も良好である。 1日 青い服には? 赤い靴 黒い服には? 赤い靴 緑赤いい服靴[データ送信を終了します。] 2日 特になにもない。 3日 バックアップを行ったが、特に意味の無さそうな行為だ。 デバッグも二日に一回は必要だ。この調子だと、また狂うのではないだろうか。 稀に、ふっと不安になることがある。 それは、自分が壊れてしまう、ということよりも、 新しい機種への恐れ、と言うべきだろう。それは、 (以下解読不能) 4日 fa244n1-gnsnga-gznngs-gada;mgagdagdgdagdkladgdgn;ndgag@hau-6^zmlmzbbclzzgag::gzx,vnglsojae;lmtlm;lg;loetmlq;etqtm ;gjakjgjdiag;aldajkgwioahgietawktktatkaljihe95hngn;soajta9tnmant3;gnsh;7; nsangna89bnalgla[データ送信を終了します。] 5日 涙を流せるようにして貰ったが、新型には勿論最初からついている機能だ。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]ポイントポイントうっせぇなぁ。/いとう[2007年5月17日9時56分] だいたいポイントもらうために詩を投稿するってのがまず本末転倒だし、 ましてやポイントのために詩を書くなんて言ったら それこそ何考えてるのか全然わからん。 つかさぁ、こんな小さな限定された場所でのポイントに一喜一憂するってのがもう、 「私は見識の狭い人間です」って白状してるようなもんじゃんか。 恥かしくないんだろうか? 俺は恥かしい。 個人的な話をさせてもらえば、 俺はここのポイントなんてどうでもいい。ここで宣言しておく。 (ただしエリオットのポイントは除く。エリオットではポイント欲しい) この場所でのポイントをまったく信用してないし、 むしろここで大量にポイントが入るような詩なんか書きたくないと思っている。 間違ってもトップ10なんか入りたくない。 ポイントなんて結果の一つにしか過ぎないし、 そんなの気にするヒマがあるなら、自分の詩作能力の向上に心血を注ぐ。 片野さんが「POETRY SNS」って名付けちゃったのは、 じつは痛烈な皮肉なんじゃないかと、勝手に思ってたりもする。 詩のサイトじゃなくて、仲良しこよしサイトになっちゃったのねって。 なんつーか、もっと志を高く持とうぜ。 もうアーカイブでいいじゃん。作品のアーカイブ。作品倉庫。 ポイント制度なしで現代詩フォーラムみたいに作品をweb上にみんなが保存できる場所、 誰か作ってくんねーかなぁ。そろそろアンチテーゼが出てきてもいい頃なんじゃないの? つか、どっかにありそうだな。そんな場所。誰か知らない? ---------------------------- [未詩・独白]ドーナツの星/はな [2007年10月14日23時52分] 金色が ふる まちがすこしずつ つめたいもようをかさねた ゆうがたのこと きみが 道路の真ん中で おおきく手をふっている さけぶ声はきこえなくて きらきらと ざつ音ばかり ひかる 冬なのに 汗かいてる   泪でくもる きらきらとゆれ 歩道橋が そっと宙に浮かんだ 「もういいかげんにして  おふろからでたら?」 とびらのむこうをふさぐあなた ながくながく たちのぼってゆく湯気のなかで ただ どこかの ちいさな声を ききたかった つまらないことで さみしくなる きみからの電話のさいごが きゃっちほんだ とか 前はもっと かなしいことがあった気がする 惰性かも しれないけれど よる だれもいなくなった、地球で ながれていた星 あれは今も とおい 気の遠くなる場所を めざしているのかもしれない 冬の朝を 何度もおもいだす、みみなり あれはドーナツの星 きみが 昨日の電話の最後に てきとうに名づけて だから おちないんだよ と、言った 青い網のすきまから ときおり まぶしく 小さな声がふってくる ---------------------------- [自由詩]よしこちゃんのピアノ/縞田みやぎ[2008年1月24日1時09分] よしこちゃんは ピアノをもっていかなかった 彼女が五十一のとき のこっていたじいさまが死んで よしこちゃんはもう 親のない子になった その家は 彼女が大人になる頃に建って 夏と冬の休みには 住み慣れない家に ただいまをした そこに帰ることも そこを発つことも よしこちゃんは ずうっと 旅をしていた 人のない家は穴があくので 整理をはじめたのは五十二のとき 子どもたちに食器を分けて 服と本と写真をくくり 手紙のたばをもちかえった 手を入れて 壁を貼って 誰ともなしに 貸しに出すのだ 紙鍵盤を弾いたんだ と 笑わないで話す わたしの時分にはこれがなかったから 紙にかいたのをもらって たたいて 毎回レッスンのときに はじめて音をきいた こづかいで楽譜買ってならべて これが来たときには くちがきけなくて 妹が弾いてた わたしは くちがきけなくて よしこちゃんは ずうっと 旅をしていた 子どもが生まれると彼女は 自分の家にピアノを買った 子どもたちがつまづいて弾くのを せんたくと炊事の耳できいた ブルグミュラーの牧歌くらいなら 今でもきっと弾けると思う と 笑わないで話す 大人になってから少しだけ もう一度習ったけれど いそぐことでもないし と もう その前に座ることもない 二十年ともっとすぎて 妹が家を出て ばあさまも死んで ピアノの弦は少しずつ黙り ぐいと押すと 間延びて音がゆれた これ付きで貸しに出そう 言いだしたのは五十三のとき ピアノはもっていかない おもいから もっていかない よしこちゃんのピアノは うたうけれど よしこちゃんのピアノは もう うたわないのだ 手入れもじき終わるころ よしこちゃんは 子どもたちに電話をかける あんたはあれを弾いたよね わたし 置いてきてしまったの と 笑いながら話す 下の子も習うのをやめたから ピアノの弦は少しずつ黙る いそぐことでもなし いそぐことでもなし と 笑いながら よしこちゃんは ずうっと 旅をしている ---------------------------- [自由詩]カラビナ、切っていくんだろ/ピッピ[2008年2月11日0時23分] カラビナ、切っていくんだろ お前の自我が燃えている こちらの電車が燃えている スタンダードな鉄柱の かすれた声は裏側に 山手線の内側で 正しい摂理を殺したら 徐に雨が降っていた 足が泣いているのだった 制限時間を設けられた自己問答のように その旅は中途半端なのだった 病院でもない場所で 人がひとり死んでいくこと 停滞した微熱は消えず ただ分散されるだけなのだった 真夜中を感じるには光源の多すぎる世界 宇宙から深夜を見下ろしたなら ここはホタルイカのように不気味に光っていた 南極の氷は溶けても ここは始めから深海のような場所だった 誰も溺れることはないだろう 古びた喫茶店ではいつものように 馬鹿みたいな女が馬鹿みたいな話をしているだろう 何十年後、何万年後でさえも 声が聞こえる、ということが ただ苦しいときもある どうして目はすぐに閉じられるのに 耳はすぐに塞げないのだろう、と思う 耳を指で塞いだら きちんと指先に流れる血流の音がするのである なぜ生きていることから逃れるために 生きていることを実感する過程が必要なのだろう 烏は同じ場所で飢えているのだった ただ真っ黒な場所で見えないだけなのだった いつまでも夜だから 目だけがいつまでも死んでいるんだ カラビナ、切っていくんだろ 道は驟雨でぐちゃぐちゃだ 信号が邪魔するんだろ 信号だって光源だ 自販機が邪魔するんだろ 自販機だって光源だ カラビナ、切っていくんだろ 不正なものの正しさが 朝の色へと染めていく ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]詩という“表現”を選んだあなたへ/いとう[2008年3月17日20時51分] タイトルに「あなた」なんて使って気恥ずかしいのですが、 なんかそういう気分なので(笑)。 さて。 蘭の会(http://www.orchidclub.net/)の「ふみばこ」というコーナーに 谷川俊太郎さんからのお手紙があります。 (http://otegami.orchidclub.net/?eid=82949) 俺はこの文章、大好きなんですよね。 特に、「詩は不実な恋人である」というくだり。 長年付き合ってきた身としては、思い当たることがごろごろあります。 深く知れば知るほどイヤになるんだけど、でも離れられない(笑)。 詩を書き始めるきっかけは、おそらくみんな似ていると思っています。 自分の気持ちを吐き出したりコントロールするために。 「私がここにいる」ことを、誰かに知らせたいために。 詩とのお付き合いは、まず、そこから始まるのでしょう。 けれどもそこは、詩の入り口ではありません。これは断言します。 詩はそこで待ってくれているのではありません。 入沢康夫という、戦後詩に大きな影響を与えた詩人がいるのですが、 彼の有名な言葉に「詩は表現ではない」というのがあります。 実はこの言葉、概念としてはとても難しく一朝一夕に理解できるものではないのですが、 それでも、「表現とは何だろう」「表現するということにどのような意味があるのだろう」 そんなふうにぼんやりと考えていると、この言葉のしっぽくらいは掴めたりします。 詩という不実な恋人が、少しだけ振り向いてくれるような気がします。 「何のために詩を書くのか」を、いつも自問自答してください。 答えはなんだっていいです。そしてその答えを疑ってください。 自問自答することと、その答えを疑うこと、この2つが大切です。 この2つの先に不実な恋人が待っています。詩の入り口はそこにあります。 そして詩は、自分自身をアピールする人にではなく、 詩のことを考えてくれる人に振り向きます。 さらに、どんなに長い付き合いでも、入り口を忘れたとたんに、離れていっちゃいます。 詩という不実な恋人と付き合うには、 詩を書き続けようとする意志よりもむしろ、 日々の生活の中で、自分の吐息ではなく詩の吐息を感じ続けること、 そのことが、大切なような気がします。 「詩は表現ではない」という言葉も、 この不実な恋人との付き合い方を示したものだと、 勝手に思ってたりします。 忙しくて詩がなかなか書けない人もいると思います。 でも、本当はそんなこと関係ないんですよね。 書けなくたって、感じることはできる。 むしろ書くことよりも感じることのほうが大切。 詩の入り口はどこにでもあります。 どこでも詩の入り口になり、 そしてその入り口はあなたにとって唯一のものです。 詩を恋人として選んだのなら、まず、 この不実な恋人の待つ入り口を見つけましょう。 そして、入ったとたんにわかる、詩の領域の広さと深さに驚きましょう。 この恋人の不実さを痛感するのは、その後です(笑)。 ---------------------------- [自由詩]夏至/モリマサ公[2008年5月16日17時44分] 葉っぱたちのとがったきっさきをさっきから風がはげしくゆらして じべたに並べられた各種弾頭のことを考える 雨上がりのひんやりとしたゼリーのような中を ゆっくりと自由に空気を押しながら あたしは記憶や文字のようになってそこにもここにもしみだしている 血のでない体をずるっとひきずって 顔の無い記号のような 鳥が飛び立つ時の感覚で 体から皮膚がうすくはがれて空のように広がる ビルの内側の石綿の天井やカベの記憶 しらない大勢の男達の汗 ベージュ色のグライダーがすいっとよこぎり無音で そのよこを風車が汗ばんだようにぐるぐるとまわっている ここは国境じゃないし あたしは自分の国を捨てようとして信仰のためにあるいてるわけじゃない 柔らかい 肌を 露出し わずかな ひかりを あびている 骨格以外のものがはがされていくような感覚で ぼくたちはひたむきにたちつくす ひろげられた窓のむこうがわでよこぎる飛行機の 中につまっている荷物や 人 全部とても遠く エンジンも声もみんな聞こえない むねや うでや あしの内側をなにかざあざあ流れててやむことがない 父親たちの工場が閉鎖されてもう何年かたち 俺たちの家の鍵は ロックしたままだ 春はまたきた ねえ あたしたちってばらばらだったけど 本当はぜんぜん家族だよね? 妹が電話口でちからづよく占いや方角について説明してて 新聞や雑誌の文字たちはふくらんで 湿りながらくっついて重なり 子供が 腕の中で 重くなり 眠たくて泣いてる 燃えている ほら太陽はいつだって 孤独の中心で自転してる 孤独 という意味の中でつながっているあたしたちは いつも流動的であふれて こうしてここにくっついてる影だってみんな この瞬間もずっと輪郭を共有してて そしてどこまでもつながってて いつか戦いは終わるんじゃないかって ただ なんとなく楽観視してる あったかいスープをちょうだい お皿に1つでいいから 固くなったパンをかみながら 虫の食った毛布をねだって でもおれたちはみじめじゃなかった ここは国境じゃなくて おれは自分の国を捨てようとして信仰のためにすすんでいるわけじゃない おれたちは無差別なテロリストたちが最初はみんな赤ん坊だったことを忘れないが さっきからなにかが よこぎるたびに 忘れてはならないことをまた 今もおもいだしてる 強く 強いひかりがさしてる かげが無くて怖いのがわかる からっぽのバスタブ おいてきたうえきばち とりが目の高さをよこぎっていく ポッケの中の千円札三枚これが全財産 パニクりそうだった のりこえてもおかしくないボーダーがある 開けっ放しの玄関 つけたままの裸電球 ゆれながら あれはさみしかったのかもしれない ひざを折り曲げて 折り込んで ボディーからソールが出そうになるのをおさえこんでる ヘルプミーがやわらかくふくらんでおなかにたまる はりつめた鮮やかなブルーの糸がのびて 小枝たちも腕をのばしてる かげがフエルトのようにやわらかくゆれて ここは国境じゃなくて おれは自分の国を捨てようとして信仰のためにすすんでいるわけじゃない あれはどこ? ボーダーのラインで人がたおれて無音 やらせのテロップが堂々と画面に飛び込んでざわっとなる いもうとがマスカラをおとしながらチャンネルを変えて 箱ティッシュから白くてやらかいかみがひきだされる そもそもデモってだれとだれが? はなをかみながら あたしがシャブ中でもきがつかないふりだけが生き甲斐みたいなパパとママがキモイ あたしたちはみじめだった ここは国境じゃなくて 自分自身をすてようとして何もかもをやめようとしてる人ひとりすら助けられない ねえ あたしたちってばらばらだったけど 本当はぜんぜん家族だよね? 俺たちの家はからっぽになり ここはもうすぐ夏だ ---------------------------- [自由詩]恋/たもつ[2008年10月3日9時30分]   会議室を人が歩く 金属や樹脂などでできた 冷水機のようなものがあって その向こうに浜松町が広がっている どこまで行っても僕には体しかないのに ポケットに突っ込んだはずの 手だけが見つからない 誰かの代わりに死んであげたくなるけれど 本当は僕の代わりに 誰かが死んでいるのかもしれなかった あたたかな陽に包まれて 恋人とそんな恋の話をしていたと思う たぶんずっとしていたと思う     ---------------------------- [自由詩]生き抜くために死んでいる/きんいろの森/きんいろの波/石田 圭太[2008年10月14日22時25分] ふたしかな水を生きて 行方のどこにも底がない くうかんを蹴りあげて 足音を確かめる ひかりは、 柔らかくかげを踏んで どこか遠い国になった。 水 どこまでも水。 ぼく達は はじまる時に発光して それが最初で最後だから 盲目のさかな 覚えている 幾つかのことがら たくさんの種を 植える場所がなくておそろしい。 水 どこまでも水。 砂はうそで 歩くことがむずかしい なみだは溶けてあてにならない 音は上手にはぐれていく 終わればほねはどこにいくのか からだ中でまばたきをして 肌におさめる 戻る必要のないように どこかでたましいが おだやかに発光をはじめる うまれるまでのぜつぼうが ほそながく くうかんを切り解いて 頭からまんなかに押しながす いのちが水を弾き、 弾いた水にひかりがうつる 拡がる波紋 うみだされる無数のひかり ぼく達はイメージができる まるくおおきくせかいのことを 思い出して蹴りあげる 盲目のさかな きんいろの森、きんいろの波 美しいひかりの魚群 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]詩とイメージ  −萩原朔太郎 蛙の死−/リーフレイン[2008年10月25日6時38分] 某所で、 >意味がわからんと言っていた軟弱者が何人かいましたが、 >意味を伝えるだけなら詩なんか必要なないじゃん。 >詩は作者と読者の共同作業であるべき。 >僕が1から10まで語ったら、読者はあと何をすればいいというんだい? という発言を見かけました。 そう、これだけ読んだら実に正しいと膝を打ちます。詩を読むときに、やたら説明くさい詩ぐらいあほくさいものはない。 嬉しい、美しい、悲しい、甘酸っぱい、そうした情感を直接説明せずに、読者に自然に喚起させてくれる詩のほうがはるかに嬉しい。 が、しかし、ここで問題があります。 「意味がわからん と言うとき、読者がいったい何を意図していたか?」 およそ詩を読むというとき読み手は1から10まで論理的な作品を期待しているわけではありません。(それを期待するのであれば散文を読むわけです)何を期待してるか?人それぞれではあるのですが、音楽を聴くときのような、絵画に浸るときのような、現実世界と一線を画したイメージを期待しているのではないでしょうか。 つまり、読者は「説明が足りない」と怒っていたのではなく、「イメージが喚起できない」と怒っていた可能性が高い。 じゃあ詩で喚起されうるイメージとは例えばどういうものか? ーーーーーーーーーーーーーーーー 蛙の死  萩原朔太郎  蛙が殺された、 子供がまるくなって手をあげた、 みんないっしょに、 かわゆらしい 血だらけの手をあげた、 月が出た、 丘の上に人が立っている。 帽子の下に顔がある。 ーーーーーーーーーーーーーーー 一切の説明がないといえば、この詩もないです。ワケはわからない。しかし読み手の中に凄みのあるイメージがわきあがります。  不協和音で作られた現代音楽に耽溺するときにように、あるいは、雑多な色を混ぜ合わせたような現代絵画に耽溺するときのように、それがたんなる落書きではなく、作品だと感じさせてしまうだけのエネルギーが焦点を結んでいるときに、初めて鑑賞者の内部にイメージが喚起されます。言い換えると、「詩のわかりやすさ」とは、イメージ喚起の容易さであり、「詩の質」は喚起されたイメージの質に通じると思ってもいいのではないでしょうか。 さて、萩原朔太郎の 蛙の死 からイメージ構築の手法を見てみます。 この作品は、大雑把に3つのシーンを描き出しています。 第一のシーン:蛙の死体とこどもたち  第二のシーン:月 第三のシーン:丘の上の人 秀逸だと思われるのは、シーンの連鎖が連続するために、読者の感情の動きをキーに使っていること。 第1のシーンで、ぎくっとした読者は、月という視点のジャンプをはさんで そのぎくっとした怪しい気分をそのまま凝縮したかのような帽子の男というシーンに導かれます。連想手法として通常使われる、ある一つの対象からさまざまに連想したものを書いていくのではなくて、シーンによって導かれる気分をさらにシーンにしたてていく この手法は短いながら詩がダイナミックに動き、かつ一つの作品としてのまとまりを確固たるものにしています。  余談ですが、この作品は大正六年に刊行された「月に吠える」に入っています。ということは、書かれたのはその前数年の間ということでしょうか?およそ90年前の作品なわけですが、この感覚は現代でも十分通用するのじゃあないかと思ったりします。 すごいことだなあとしみじみ思います。 ---------------------------- [自由詩]満足厳禁/大村 浩一[2009年2月16日23時47分] 口語の時代はさむいがその寒さの中に               ※2 自分の裸をさらすほかない時代 ひとつの恐ろしい美が生まれた                  ※3 三角さん、錯覚しなければならない パウンド先生からメチャクチャに切り貼りされたテキストが届く それは不思議な美しさを放っている エリオットは決して満足しないがそれをそのまま「荒地」に載せる イタヅカ先生からメチャクチャに切り貼りされたダダマのテキストが届く それはダダマの不思議な美しさを放っている 私は決して満足しないがそれに猫道を混ぜてステージに乗せる 4時間でこの詩に決着をつけねばならない つまり、デタラメだ 2分30秒でこの詩で決着をつけねばならない つまり、デタラメだ 私は満足しない 身の回りにあるあらゆるものに満足しない 冷蔵庫に洗濯機に地デジ対応TVに満足しない (2011年7月以降はラテカセにチューナーをつけて見る積りです) 「予約限定品! 節分恵方巻(お面・磁石付)」に満足しない ダイヤモンド社「いい家は無垢の木と漆喰で建てる」に満足しない (いつまでおんなじ新聞広告なんだダイヤモンド社) 1階上の住人が夜でもどすどす歩き廻ってうるさい こっちの夜の音もきっと筒抜けだろう 隣りの美人の奥さんはもう居ない 自分の奥さんはこのごろ変に淋しがる どれだけ声が届いても淋しい 満足しない 私は満足しない 守山ダダマに満足しない                     ※4 イタヅカマコトに満足しない ともちゃん9さいに満足しない 服部剛に満足しない 友人だからと言って満足しないのでよろしく ヒエにもバロウズにも猫道にも満足しない (ウッカリ満足してしまうかもしれないが  やはりここは満足しないことにしておこう) 出演者たちに満足しない観客に満足しない そしてここに来ない観客に満足しない ネットの中だけで完結する奴に満足しない ネットの中で完結して良いのは冷凍ミカンだけだ 私は満足しない 夜露死苦現代詩に満足しない ナマ言葉という幻想に満足しない 私たち現代詩の言葉はそもそも塵溜(はきだめ)だ         ※1 1907年8月川路柳虹さんが書いてしまったことば  「そこにも絶えぬ苦しみの世界があって  呻(うめ)くもの死するもの、秒刻に  かぎりも知れぬ生命の苦悶を現(げん)し、  闘つてゆく悲哀(かなしみ)がさもあるらしく、  をりをりは悪臭にまじる蟲けらが  種々のをたけび、泣きごえもきかれる。」 と書き 帝国文学から「実に詩以下の、詩のようなものばかりだ。」 とあざけられた詩がいまの現代詩の始まり 振り返ればやりきれない量産型J-POPが 「ニューミュージック」として地上に溢れだした頃 王様の直訳ロックより恥かしい訳詞カードしか無かったころ 現代詩では防火用水に若いハヤが跳ねたのだった         ※5 プアプアは広電バスの非常口を使ったのだった          ※6 伊藤比呂美がステージでカノコに良いおっぱいを飲ませたのだった 現代詩はパンクだった だからすたれたのか 代わりに「おいしい生活」がJ-POPで不毛なニセ満足を撒き散らした ホラ見ろあの頃J-POPでしこたま儲けたアイツが 今では一文無しで存在しない著作権を売ろうってさ 私たちを裏切って言葉で儲けた罪は重いぞ その言葉を信じて耐えてきた女も居ただろうに ことばをもて遊び、人をもて遊んだ報いだ ほんとうの事を言わなかったから ほんとうの事は起きなかった つまり、楽園だ なぜこんなものにつまづかなくちゃならない ほんとうの事を言えばどうなる         ※1 ほんとうの事が起きる だから俺だちはほんとうのことばをもて遊ぶ 淫している言葉を               ※7 雷神の言葉はライジング!           ※8 雷神の言葉は届きましたか! 風神の予防接種は受けましたか! ムダです! マラカイボ という言葉に妙なトキメキ 引かせ王の余ったフライヤーの裏に書きなぐったこの詩 爽快だ実に爽快だが自分を誤魔化してはいけない ああそうかい へへへと不意に1階上の住人が笑う 初稿 2009/2/8 初演 2009/2/8 守山ダダマ主催「満足せよ2」 大村浩一 註: ※1 藤井貞和 詩集『ハウスドルフ空間』などから引用。 ※2 荒川洋治 詩集『水駅』から引用。 ※3 W.B.イェーツの詩『1916年感謝祭』から引用。 ※4 「満足せよ2」の出演者たち。 ※5 平出隆 詩集『胡桃の戦意のために』から引用。 ※6 鈴木志郎康 詩集『鑵製同棲又は陥穽への逃走』から引用。    但しこの詩集は昭和42年刊で、年代的にはフォーク全盛期である。 ※7 佐々木幹郎 詩集『音みな光り』から引用。 ※8 T.S.エリオットの詩集『荒地』の収録作品の多くは、エズラ・パウンドから    訂正がなされたが、「雷神の言葉」は殆ど訂正されず、エリオットが書いた    ままの形を保っている、と聞いた。     ---------------------------- [自由詩]A fond, A fond,/藤坂萌子[2009年2月20日23時49分] A fond, A fond, もっと 振って もっともっと どこか遠くへいきたいな おねえさんがそうつぶやいたのを聞いた時 世界には どこか遠くがあるのだと知って 突然、彼女はあこがれの地を手に入れたのだった 甘美な言葉だな 知らなかった 気がつくまでは どこか遠く、など 21世紀最初の10年の締めくくりに、 乙女たちのあいだでは、エコバッグづくりが流行中 巷には趣意趣向を凝らしたエコバッグが溢れていて カラフル!だよ みんな、にこにこしている みつめていることしかできない 手に取らないようにしてきたものばかりが 順番にまちかまえている 注意ぶかく わたしには、エコバッグに入れたいものがないのだと言うと 旦那さまが 一人ではないよ、 きみは、一人ではないよ、と云う (とてもそうは思えない) 身体じゅうを振って いつかの大音量の音の中が最高記録だったかもしれぬ 戻りたいわけじゃない A fond, A fond, もっと振って、もっともっと どこか遠くへ まだ、迷子になどなるつもりはない ---------------------------- [自由詩]星どもが産まれたら/ピッピ[2009年3月4日0時34分] 赤血球とか、白血球とか。深夜に光るのはそれだけで、あとはずっとだんまりを決め込んでいる。寒い、と震えるのはあなたの亀頭。許せない、とつぶやくとそれはぱち、と音を立てて消えた。帰ります。ぱち、ぱち、ぱち、ぱち。帰路には何もなくなりました。そうして上を向きましょう。あの星どもには、全て名前がついています。ぱち、ぱち、ぱち。名前のあるものを消していく方が楽しい。赤血球とか、白血球とか、には、名前がない。それがあたしたち。呼吸を続けているあたしたち。呼吸にも名前はない。それが、あたしたち。夢を叶えましょう。武器の少ないあたしたち。手足と、あたまと、他人に使えるものはそれくらい。あとは自分たちで使うもの。時々消えてゆく名前のあるもの。はじけ飛ぶ赤血球とか。あたしたちが増えていく。あたしたちのおとうさん。おかあさん。こども。明日の朝になれば、星どもはありません。星どもを産む誰かが、あたしたちを消していきます。ぱち、ぱち、ぱち。のどの奥で、光は待っています。寒い。ぱち。おやすみなさい。 ---------------------------- [自由詩]深夜放送/たもつ[2009年6月7日18時30分]     花が咲いている 花の中に海が広がっている 散歩途中の 人と犬とが溺れている 救助艇がかけつける 降り注ぐ夏の陽射し 最後の打者の打った白球が 外野を転々とする ボールを追って 僕が花を踏み潰す 守れなかった 花も人も犬も救助艇も なけなしの一点すらも 観客席が眠ったように忙しい 本日の営業時間は終了しました またのご来店をお待ちしています 審判が音を立てないように シャッターを降ろす 僕は汚れたことのない手で テレビのスイッチを切る     ---------------------------- [自由詩]全ての哀しい夜のために/ピッピ[2009年11月28日0時29分] 一人でゲームセンターに行った帰り コンビニの前で黄髪のお兄さんの鋭い一瞥と目が合った 単に喧嘩を安売りしているだけなのか それともただ単に 一つの穴を巡る目眩く争奪戦の一つの 火蓋が切って落とされたというだけなのだろうか 哀しい目差しを差し置いてコンビニに入り 楽しそうに談話をしていた女子高生の気怠い挨拶を受ける 暖めて下さい、とポツリと言うと 店員はおにぎりを電子レンジに乱暴に放り込み お釣りを投てき種目のように渡した 確かにそう、あなたたちはあの瞬間 わたしの敵であったことは事実である それでも 誰かのワギナから生まれ落ちて 心臓からつま先まで血液を送ったり呼吸をしたり そういったことをしているだけで 毎日謝罪のない戦争をしていかなければならないのなら 夜は全て哀しい 陽は落ち星は落ち 空が向こうを面いて何一つしゃべろうとしない 嫌われることによって受けるべき苦痛を誰もが共有して 四次元のもう一つの軸を歩いている 全ての哀しい夜のために カラフルだった昨日を忘れさせてあげよう 道のない明日を迷わないように 泥まみれのフットプリントを殴り殺す 全ての哀しい夜のために まぶたにかかる鎖を外してあげよう 目を開けていても 寂しさの小指がつながっている おやすみ ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]【批評祭参加作品】客観描写ということ(高浜虚子)/古月[2010年1月10日13時32分]  優れた詩に出会うというのは、そうそうあることではない。  それはインターネットの世界も同じことで、ここ現代詩フォーラムにおいても、文句なしに優れた書き手といえる者は全体の1%にも満たないのではないかと思う。  わたしは詩を書き始めて三年になるが、実にそのうちの二年を、ろくに他人の詩を読むことも技巧を学ぶこともせず、無為に過ごした。おそらくフォーラムの参加者にも書き始めて日が浅く、わたしと同じように自己流であてもなく思うままを書き連ね、同じように伸び悩み、表現の壁に当たっている人もいることと思う。  そこで今回は、そうした初学者のために、俳人である高浜虚子の言葉を「玉藻」に掲載されたものから引用し、紹介してみたい。現代詩と俳句、違いはあれど、表現という点では同じである。これをお読みいただいているあなたが虚子の言葉を心の片隅にとどめ、今後の創作活動において役立てていただけるならば、これに勝る喜びはない。 1.主観批判  のっけから乱暴な話をするようだが、読んでげんなりする詩というのは、残念ながら確かに存在している。読み終わったあと「ああ、またか」と思い、何の感慨も催さず、すぐに忘れる。そういう類のものである。  とはいえ、誰しも好んでそんな詩を書いているわけではないだろう。みな、己の心のうちを伝えようと苦心し、自分では最善を尽くしたつもりで、それでもなお陥穽に嵌っている。その陥穽こそが、「主観」なのである。  虚子の言葉を引用してみる。 「手っ取り早く作者の主観を述べた句、若しくは作者の主観に依って事実をこしらえ上げた句等は、私等から見ると外道である。」 「大衆はとかく感情をむき出しに詠いたがる傾きがある。その感情はもう飽き飽きして居る陳腐なものである。それは好ましくない」 「心に感動なくて何の詩ぞや。それは言わないでも分っている事である。ただ、作家がその小感動を述べて得々としているのを見ると虫唾が走るのである。そればかりでなく、そういう平凡な感情を暴露して述べたところで、何の得る所もない事をその人に教えたいのである。」  こうした思いを、あなたも読み手として、一度ならず感じたことがあるのではないだろうか。月並みでありふれた、百万回も繰り返された言葉を、まるで自分の言葉のように語ってみせる詩、あるいは作者のみが了解している不可思議な思想を、さも読み手と共有できているかのようにおしつける詩、そうした詩は案外に多いものである。  読み手は書き手が思うように都合の良い解釈をしてはくれないが、同時に書き手が思うほど愚かでもない。甘ったれた不幸自慢や幼稚な素人哲学の披露といった自己満足に、他人を巻き込むのは控えたいものである。  そうしたむき出しの主観は、それがたとえどれだけ素晴らしい言葉であろうとも、読み手にしてみれば「それに対して感服するよりもむしろ反感が起こる」ものなのだ。  だが、ならば主観を描いた詩はすべて詩として不出来なのか。そうした疑問をあなたも持つだろう。  そこで、ようやく本題である。 2.客観描写    はじめに、客観描写とは何か。  虚子の言葉によれば、それは「客観を見る目を養い、感ずる心を養い、かつ描写表現する技を練ること」であり、「それらを歳を重ねて修練し、その功を積むならば、その客観は柔軟なる粘土の如く作者の手に従って形を成し、(中略)やがて作者の志を述べることになり、客観主観が一つになる」のだという。  このことを、虚子は絵画にたとえて説明している。  「絵も始めはその対象物を向うに置いて形なり色なりを研究するに始まって、その形や色が出せるに従って自然々々にその対象物と作者の距離が近くなって来て、自分の心に感ずるような形や色が自由に書けるようになって来る」。それによって絵は「同時に作者を写」すようになり、「それがいよいよ進んで来ると、如何にもその作者でなければ描けないというものになって来」る。  客観描写であっても、「その人の現われ」を隠すことは出来ない。「これが芸術の尊い所以である。」そして、詩が尊い所以でもある。  あなたが、自分が詩にこめた内面が読み手に思うほど伝わらないと感じるとき、翻ってあなたは自分の内面にどれくらい真剣に向き合えているだろうか。  どうも、自分は散漫に書き散らして楽をしているくせに、読み手には読解の苦労を強い、そうして自分の望む読まれ方をしないと不満を漏らす書き手が多いように思える。  読む努力をしない読み手を責める前に、書く努力を怠った自分を責めるべきである。 3.寡黙の力  「寡黙の力」というものがある。  「寡黙ということは、最も大きな人間の力の表現である」とはまことに同感であるが、それはおそらくは単純に言葉数を減らせということなどではないだろう。  心のうちを一から十まで説明しなくても、情景を描くことで比喩的に心のうちは描き出せると言っているのだ。  とはいえ、これは現代詩とはそぐわないと感じられる向きもあるかもしれない。  難解・抽象は現代詩の性質上ある程度仕方なく、形式の破壊や文章構造の自由、既存の表現では表現しきれないものを追求する姿勢も分かる。  だが、それでも詩が、書き手から読み手へと向けて伝えられるものであるならば「多くの場合は言葉の単純ということが大事」なのではないか。  「不可解難渋であっては、その事に読者の心が労されて、作者の主観を受取ることが出来ぬ」。本稿を書いているわたしはといえば、ともすれば難解なものを好んで書きたがる人間だが、この言葉はいつも自戒として心に留めている。  「一片の落花を描き、一本の団扇を描き、一茎の芒(すすき)を描き、一塊の雪を描き、唯片々たる叙写のように見えていて、それは宇宙の現象を描いたことになる」という虚子の境地に至ることは到底容易とはいえないが、わたしたちはこの精神を忘れずにいたいものである。   「感懐はどこまでも深く、どこまでも複雑であってよいのだが、それを現す現実はなるべく単純な、平明なものがよい。これが客観描写の極意である。」  平板ではなく、平明ということ。この両者の違いをどうか、考えてみていただきたい。  あなたが向き合う対象がもしも形のない心の中の風景だとしたら、この客観描写ということは想像を絶する苦労をともなうだろうと思う。だが、あなたが本当に良い詩を書きたいと思うならば、それは、どれだけ苦労してでもやってみる価値があるはずだ。    最後に、ここまで読んでくださったあなたへ。  もし本稿を読んで異論や反論をお持ちになるようなら、存分にそのことについて考えてみていただきたい。高浜虚子の「客観描写」は、やや頑迷な部分があることはわたしも否定しない。ぜひ、これを叩き台にして、あなた独自の詩論を組み立ててほしい。  どんな形であるにせよ、本稿があなたの心に少しでも何かを残せることを祈りつつ、筆を置くことにする。 * 文中の「」内はすべて岩波文庫「俳句への道」(高浜虚子)から引用。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]現代詩フォーラム50選 (3)/露崎[2010年2月17日16時27分]  現代詩フォーラム50選を発表し、わたしがたのしい。という企画です。  批評祭がずっと前におわっても、平気で大発表してしまいます。ラスト!  最後に、感想を書きました。最終行までお付き合いいただければ幸いです。  031  君から電話が来なくて重要なロックバンドが生まれる / 餅ヴィシャスさん  http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=23847  カッコよさ+ユーモアの融合でしびれまくりました本作。  この作品もすでにレビューしていますが、外せないですね。  なにかをきっかけに爆発する物語。やっぱり好きです。  http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=193073    032  祝福のおわった夜に / choriさん  http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=10  自己愛につらぬかれているのに、不思議とにくめないchoriさんの初期作。  軽やかな語り口にのせて、ふたりの姿が鮮明に浮き上がるようです。  リーディングをされているからか、ひじょうにクチあたりのよい言葉が選ばれていて  リズムやテンポが口ずさむと美しい名作になっているとおもう。  033  ごらん、ゆうぐれる / みいさん  http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=17732  語感の使い手といえば、みいさんは外せないでしょう。「ごらん、ゆうぐれる」  意味をスッキリすべて分かって愉しむという系統の作品ではないものの、  このたどたどしい特異な語感にはあらがえない魅力を感じるのではないでしょうか。  音読すると、よりいっそう言葉の選び方の妙がわかります。推薦。  034  sky / uminekoさん  http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=48600  かならずどこかに気に入ってしまう言葉やフレーズを読ませてくれるuminekoさん。  読後の軽やかさ、爽やかさ、は派手ではないものの長く読み続けたい作者のひとりです。  本作は、9.11というむずかしいテーマをあつかっているにもかかわらず、  重たすぎず、かといって底の浅さなどは一切感じさせない、決意に満ちたすごい作品。  035  うさこ、戦う / 最果タヒさん  http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=178483  でたー、最果さん。作品数は少ないもののえらばずにはいられないさすがの存在感。  なにかを比喩しようとするけれど、伝える意志をわざと途中で折ったり、横道にそれたり  決して中身が空ではないはずなのに、限りなく空にしてみせる「変さ」がおもしろい。  間違いなく表現力では抜けている作者ですが、それを露骨に誇示しない味わい深い一作。  036  飛光 / ワタナbシンゴさん  http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=5050  これは気合いをいれてみなさん読んでいただきたい。衝撃作。  おぎゃあ。という赤ん坊の泣き声からはじまるこの作品。  原始的なまでの生命の力強さが強烈に叩き込まれていて、圧倒されてしまいました。  言葉で表現する。というのはまさにこういうものを言うのだと思います。凄まじい。  037  わたしのさみしさは / 浅見 豊さん  http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=35091  この詩をみなさんにおすすめできてよかったとおもうぐらい、個人的に好きな作品。  「いとしくうまれ、いとしく生き、いとしく死ぬことを思い、生き」この部分に  ぐわーっと掴まれてしまった。切なすぎて、涙腺ゆるんでしまう。  他に「蛍光灯がきれて買いに行く日」なども隠れた名作。必見です。    038  そしてシグナルタワー、女子 / しもつき七さん  http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=161719  タイトルからもうハイセンスな、しもつき七さんの「そしてシグナルタワー、女子」  ふつう使わないような奇抜なフレーズを、疾走する勢いにまかせながら、  それでも読ませてしまう強烈な腕力。根っこにたしかな文章力を感じる鮮烈な一品。  「ハイテク、とつぶやいて」の部分なんて、かっこよすぎるもんなあ。すごい。    039  ところで / みつべえさん  http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=19009  伝説の「そろもん」シリーズ生みの親、みつべえさんの作品から「ところで」  この短さのなかで、ユーモアと味わいを込めつつ、なおかつ読者もつかむという  その研ぎ澄まされたポエム力は圧巻の一言。ほかに「凪の日」なども名作です。  毎日そろもんが携帯電話に送られてくるサービス。絶対加入する。  040  十三月記 / 嘉野千尋さん  http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=27970  なんといっても、言葉のもつあたたかさが何より魅力的な嘉野さんの一作。  アクロバティックな刺激ももちろん最高ですが、さりげなく丁寧な言葉選びで  他者との違いを獲得している素敵な作品。エンターテイメントとしても優秀な  「幻視顕微鏡」や「海辺の詩集」など名作多数の作者です。    041  軽さへのあこがれ / 佐々宝砂さん  http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=151410  最適な文体に最適な長さ。これは詩の基礎にして奥義である。というのは、  今、ぼくが考えた名言ですが、それをまさに体現するような作品。  これも以前レビューしました。http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=173862  何度よみかえしてもほれぼれするような無駄のなさ。  042  遠泳 / 砧 和日さん  http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=87996  わたしの大のお気に入りの作者さんである、砧さんから「遠泳」。  あまりにも詩の内容と自分の経験がシンクロしすぎて、びっくりしてしまう。  そんなことが詩をたくさん読んでいるとごくまれにありますが、わたしは  この作品を読んでいろいろなことを思い出し「うぁぁ」とつぶやかざるを得なかった。  そのときのレビュー(http://sundayworks.blog.shinobi.jp/Entry/11/)      043  断片集「幸せの庭」 / 簑田伶子さん  http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=71265  断片集シリーズはどれもすばらしくて、贅沢な満足感にひたれるものばかり。  そのなかから「幸せの庭」をえらんでみました。1、3、5、6がとくに好き。  みのださんをRPG風にたとえると、MPが豊富な魔法使いという感じである。  「ドロップって 前世みたいなひびきね」なんて魔法だよなあ。素敵。        044  ポエムの国 / モリマサ公さん  http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=56634    もう一連目からすごすぎるモリマサ公さんの「ポエムの国」。  はじめて読んだときは、意味をこえたところで衝撃を受けてしまった。  ひらがなの多さでかわいらしいようですが、毒を忍ばせてあるようなフレーズがあり  それがなんだかよいアクセントになって、深読みできる多様さにつながっていると思う。  045  かわいい匂い / チアーヌさん  http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=20788  わたしは男なので、母性というものを知ることはできないわけですが、  今まで見てきたような、やさしくてあったかいだけのステレオタイプな母性ではなく、  どこか生々しい新しい母性像をこの詩で目の当たりして、腑に落ちたのを覚えてます。  あたらしい視点や視野を提示してくれるとても興味深い作品。ご一読を。  046  ペダル / ぬくみ りゑさん  http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=144132  ぬくみさんは「エレクトロピカ」など傑作を多数輩出している作者ですが、  今読めるものも良作揃いで選ぶのになやみました。その中でも「ペダル」。  笑っていいのか一瞬考えて、いやいや、だめだ。とあわてて思い直したエピソードの破壊力に加えて、  自転車の描写でとどめをさされてしまいました。傑作です。  047  てん、 / はなさん  http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=158197  女性の詩がつづいてますが、はなさんの作品も女性らしい感受性を  自由に表現しているところが素敵です。「てん、」はビルの屋上からはじまって、  はらはらする緊張感のなか進んでいくところがひきこまれる。落っこちちゃうよ。と  心配しつつ、最終行に「そうかぁ」と感情を動かされました。すばらしい!      048  六月の水球 / 佐野権太さん  http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=186314  父と子の、いとしいやり取りが逆にせつなくなってしまう佐野さんの作品。  子供の無邪気さがこんなに真に迫るのは、ひとつひとつのシーンがとても、  吟味されているからでしょう。じょじょに人は成長していき大人になる。  「かなしみと折り合いをつけるやり方」の部分、響くなあ。名作。  049  chika / れつらさん  http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=4952  れつらさんも名作多数ですが、なかでも「chika」は感情にくるものが大きい。  パソコンでゆっくりとスクロールしながら、一行一行をかみしめるように読むと、  4のハミングの、空白ですら意味を持つようになる。支離滅裂な解体された言葉さえ、  そこに感情を見出すことができる。とても、すばらしい。傑作。  ***  ここまで読みとおした方は根性があるとおもう。おつかれさまでした。  全体を通しての感想を以下。  50選を作成中、えらぼうと決めていたあの作品、あの作者がない。ということが  けっこうありました。すでに書いていたのに、投稿前に退会。なんてこともあった。  そういったかたの作品をここで挙げることはとくにしません。  あと、ほんとうは入れたかった作品、作者のかたもまだまだいるのですが、これは  おいおいということになりそうです。  しかし、以前に投稿したレビューにも、どんどんリンク切れの波がおしよせています。  当然いろいろな事情があって、個人の自由なわけで「辞めないで、削除しないで」と  おしつけるつもりはありませんが、さびしいですね。  わたしがみなさんに伝えたいことは  「あなたの好きな作品も、ある日いつのまにか消えてくなくなるかも」ということです。  そういうときに、なにか感想を言葉にしてつたえておけばよかった。という後悔を  しないで済むなら、しないほうがいいとぼくは強くおもいます。  伝えたいことは、言わなければつたわらない。というのは、みなさん意外としらないので、  ツユサキの名言(笑)として心にとどめておくといいんじゃないでしょうか。  というわけで、以上です。ありがとうございました。  ***  050  It's up to you!! 50個目は君がきめるんだ! コメントに書きこむんだ! ポイントもするといいんだ!   ---------------------------- [自由詩]結婚について/たもつ[2011年2月16日19時41分]        これから結婚について書きます。 その前に男性側の視点であることを前提としなければなりません。 何故なら私が男だからです。 女性側からの視点で書くことも不可能ではありません。 ありませんが、そのためには想像が必要です。 ここでは想像はしないこととします。 女性の方におかれましては、これ以降、有益な情報は無いものと思われます。 したがってご注意ください。 興味のある方は別です。 しかしながら私には興味が有るか無いかはわかりません。 自己責任、ということになろうかと思います。 次に、結婚相手は女性であることを想定しています。 想像はしませんが想定はします。 変ですね、ふふふ。 残念ながらわが国においては同性による結婚は認められていません。 同性しか愛せない方はこれからの話はどうでも良いことと思われます。 ただ一言だけ付け加えさせていただければ愛は愛以外の何ものでもありません。 同性しか愛せない、愛した人がたまたま同性だったなどありますが、 様々なケースが。ここは倒置法です。 愛を惜しんではいけません。 結局、行き着くところは同じです。 おやおや、既に結論が出てしまいました。 結論が出た以上、すべての方がこの先を読む必要はなくなりました。 しかし、私は書きます。 何故ならタイトルにある「結婚について」まだ何も語っていないからです。 そもそもこんなグダグダな文をここまで読んでいる方がいるかどうか疑門です。 誤字があったことに気がつきましたか? そう「疑門」ではなく「疑問」が正解です。 長くなりましたが前置きは以上です。 本題に入ります。 結婚するにあたって先ず必要なものは相手です。 相手がいなければそれは結婚ではありません。 立派な結婚式を挙げても相手がいなければ結婚にはなりません。 もちろん様々な事情で相手も無く挙式されることもあるかもしれません。 大抵は悲しい理由があります。 そっとしておいてください。 次に自分が相手に好意を持っていることを伝える必要があります。 うっかり「好意」を「行為」と書くところでしたが、それはあまりに性急です。 「行為」に至るには「合意」が必須です。 結果的に駄洒落のようになってしまいました。 良くあることです。 例えば、傘がかさばるな、と思ってよく見たら掘り炬燵だったことがあります。 その時わたしはありませんでした、宅配業者でも、引越し業者でも。倒置法です。 なんで自転車。これが体言止めです。 相手も自分に好意を抱いていることが確認できたら次はプロポーズです。 さて、ここで言う「相手」とはある程度のお付き合いをした「相手」です。 お付き合い、と言っても程度は異なります。 敢えて言うならば友だち以上、でしょうか。 友だち以上恋人未満、きますね、きゅんと。三回目の倒置法としては。 間違っても初対面の方や知り合い程度の人にプロポーズをしてはなりません。 例え相手が自分に好意を持っていることが確認できたとしてもです。 学生時代の友人であるO君の口説き文句が「結婚しよう」でした。 ゼミの飲み会で、ふとただの知り合い程度の女性の隣に座り言います。 これがまた決まるんだ。 これがまた決まるんだ。 これがまた決まるんだ。 悔しいので三回程度述べました。 O君がイケメンだった、ということもありましたが、自然な姿勢には嫌味がありませんでした。 ちなみにO君はイケメンでしたが、イエメンは中東にある王国です。 石油の産出量は常に上位です。人口は約300万人。暑い国です。乾燥しています。 知っている知識総動員でイエメンについて語っています。 手元に資料があるわけではないので、すべて記憶です。 想像ではありません。想像はしません。 あくまで私の記憶です。 もし事実と異なっているならば、それは私の記憶が間違っているのではありません。 記憶の引き出し方が間違っているのです。 イエメンに対する正しい記憶は私の海豚にきちんとあります。 ツッコミを入れるところですよ、ここは。 例えば、冷蔵庫にスルメがあったとします。 スルメは冷蔵庫で保存するものなのか疑わしいところですが、そうであったと仮定します。 私はその日、体調が悪く、逆立ちをして、足で冷蔵庫の中の物を取り出すことになりました。 繰り返します。仮定の話です。 ところが、取れたのはスルメではなく生のイカでした。 この場合、スルメが生のイカに変化したわけではありません。 いくら逆立ちして足で取ったとしてもそんなことはありえません。 世の中のすべての法則がひっくり返ります。 よって、スルメといっしょに生のイカも入っていた、と推測できます。 ここがポイントです。 冷蔵庫の中には、正しいスルメと正しい生のイカが入っていました。 正しい生のイカを足で取ってしまった、ということです。 正しいスルメ、つまり正しいイエメンはちゃんと保存されているのです。 ただ、体調が悪かったのが問題でした。 仮定の話だとはいえ、私の体調が悪かったのがすべてでした。 だからこれ以上責めないでください。 私は犬を飼っています。 と、唐突に。 これは自己紹介です。 大事なことを忘れてました。 基本情報として私が男であることは先述したとおりです。 他に私を紹介するにあたり、特筆すべきことを考えました。 私には特筆すべきことはありません。 裏返すと、特筆するならば、すべてが特筆すべき事項です。 私、を語るためには、身体的特徴、性癖、趣味趣向、住所、家系、学歴、環境、DNA情報等。 それらすべてがなければ私を語れません。 しかしこの限られた時間の中で私のすべてを語ることは不可能な状況です。 したがって、ランダムでひとつだけチョイスしました。 私は犬を飼っています。 良いセンテンスです。 さて、本題はこれくらいにして、少し話を脱線しましょう。 プロポーズした相手にOKの返事をもらえれば、次のステップに進めます。 脱線したつもりがいつの間にか本題に戻っていたので驚かれた方もいたでしょう。 ここまで読んでいる人がいるとして。 これからはドミノ倒しのように話は進んでいきます。 正しい比喩かどうか自信はありませんが。 お互いの価値観について話し合う必要があります。 これはプロポーズと順序が逆になるかもしれません。 そんな感じで進んでいくとお互いの親に紹介したり、結婚式の日程を決めたり。 だいたい、式の後で披露宴ですので、披露宴の日程も同時に決めます。 誰を式に呼ぶか。一番もめるところです。 結婚式の前には必ず一度は喧嘩になります。 絶対です。絶対にです。 結婚後の住居も確保しなければなりません。 入籍が先か、結婚式が先か。 ここまでの数行は実に事務的に粛々と進んでとても良い感じです。 晴れて結婚したとしてもそれはゴールではありません。 新たな人生のスタートです。 ちなみに三つの大事な袋は、給料袋、お袋、堪忍袋です。 スピーチでこの話を聞けなかった人は一生後悔して構いません。 結婚は「人生の墓場」という人もいますが、それは違います。 墓場は死んだ人しか入れません。生きているのです。 正しく言おうとすれば「生き地獄」です。 いえ、そんなことはありません。まったく逆です。 「生き地獄」を逆にすると「死に天国」でしょうか。 良い気がしてきます。 結婚するといろいろなことが起こります。 二人で海に行ったり、二人でパーティーをしたり、ドライブをしたり、温泉旅行をしたり。 散歩している途中で将来はこんな家に住みたいね、とか、今日のご飯は美味しかったよ、とか。 地面に落ちている硬貨を拾ったり、名前を呼んだり。 まだまだありますが、疲れることが多々あります。 しかし、最後はやはり愛です。 偽物の愛、という言葉があります。 偽物の愛について語るならば、本物の愛について定義しなければなりません。 その定義は人によって千差万別です。 つまり、世の中は本物の愛で溢れかえっている、ということです。 その結果、世の中は偽物の愛で溢れかえっている、ということにもなります。 けれど、これだけは言えます。 いつ、いかなる時でも 愛を惜しんではいけません。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]ショートレビュー・サンデー 終/露崎[2011年9月1日19時14分] どうも、ツユサキです。これまで「ショートレビュー・サンデー」と銘打ちいくつ かレビューを書いてきましたが、個人的な事情もありこの文章をもっていったん終 了します。今までどうもありがとうございました。そんなわけでメモ程度の文章で 申し訳ないですが、投稿して終わりとします。 (1)参考にしたもの ReadLines http://www.geocities.jp/readlines_temp/index2.html リアルタイムで閲覧していたわけではなく、後で知ったのですが、一つの作品に複 数の人が評をつけるというシステムがとても魅力的に感じたのを覚えている。正直 に白状すればほとんど同じような形態を目指してたし、今も誰かが再起動してくれ ないか願ってます。あをの過程氏の文章が読めるという意味でも貴重なサイト。 フレージストのための音楽 http://po-m.com/forum/grpframe.php?gid=128 Monkさんの散文全般 http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=367 シロン、の欠けラ http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=25997 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=129629 レビューのスタイルとして特に大きな影響を受けたのは上記の3人の方の文章です 。レビュー執筆時につまった時は何度も読み返しました。うまく消化できなかった のが悔やまれるところ。 (2)詩人には2種類ある説 詩書きは大別すると「肉食系詩人」と「草食系詩人」に分類される。という大雑把 な仮説。おもしろい詩、すごい詩、理想の詩を書きたいという欲求を持つ書き手が 肉食系。詩で競う気持ちが薄い書き手が草食系。現代詩フォーラムは肉食系も草食 系も混在していて、文学極道なんかは肉食系のみ募集している。 わたしは肉食系詩人の一生懸命なところも好きだし、草食系詩人のいじらしいとこ ろも捨てがたい。このゆれる乙女心をみんなに理解していただきたいです。ちなみ にわたしは男です。 批評やレビューは、対象の作者がどちらかといえばどっちのタイプなのかというこ とを頭の片隅で考えつつ書くのが、不幸を生み出さないこつであるとおもう。とく に肉食系詩人は草食系詩人を内心けっこうバカにしてるところがあるというのはバ レてるので、こころあたりのある方は胸に手をあててゆっくり息を吐き「これが世 界の選択か」とつぶやいてください。あなたも立派な中学2年生。 (3)レビューは求められていない説を必死で考えないようにする 上の言葉を借りると肉食系詩人は批評を求め、草食系詩人は一行感想のほうがむし ろ気楽でいいというイメージがあり、それはおおむね正解なのではないか。だから わたしの書くレビューは空気だったのではないか。そんな疑念が頭をもたげた。と はいえ、おもしろおかしいレビューを書ければ、たとえ需要が少なかろうとも支持 されるはずなので、今後レビューを書く方は不安にならずわたしという失敗例を糧 にし、レビューいらない説をくつがえしてほしい。そして、環境のせいにするわた しに大恥をかかせるべき。 (4)レビューできなかったが良かったやつ(敬称略) はしばしからふるひかり/あすくれかおす (http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=199633) 言葉の組み立てというか手つきが好きで、どの連も光っているのに、不思議と全体 でバランスがとれてるのは「はしばしからふるひかり」っていう珠玉のタイトルの おかげ。 かんらん石/mizu K (http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=232042) きみとわたしが出会う話っていつ読んでもなんかキュンとするので好きで、これは 特に目に星がつきささる感じとか、きみのくちもとがうるんでいる感じとか新しく てよかった。恋愛ってこうだよなと思う素敵な作品。 Doors close soon after the melody ends/カワグチタケシ (http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=229243) 強い言葉が並んでいるけど、どんどん読み進めるのはリズムが良いから。そこに愛 はあったか。の流れが胸をついた。 でも結局、光がないと生きていけません/雪莉 (http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=225855) おそらく若いかたの作品だとおもうし、うまさとかを追求してるわけじゃないと思 うけど、そのときそのひとにしか書けないものってあるよなとおもう。 遠距離セックス/新守山ダダマ (http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=210724) 終盤にもうひと盛り上がりあったらさらによかったけど、真面目に語りきることで 生まれるこの笑いは見習いたいですと思いました。わらった。 幻視譚/砧 和日 (http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=210820) 完璧な作品だと思いました。ここまで研ぎ澄まされると感心してなにも言えない。 切りがないのでこのへんで。 (5)おまけにおもうこと ぼくはみなさんがどういうつもりで詩を書いてるかなんて知らないし、ぼくがみな さんの詩をどう読もうと自由だとおもうけれども、でも、だからといって作者なん てどうでもいいとは思わっていない。結局そのあたりの信頼をうまく築けないとレ ビューや批評ってあんまりうまくいかないんだろうなとおもう。 逆に書き手であるみなさんは読者をどう思ってるんだろうか。詩を書いて投稿する からには読んでほしいはずで、でも全て読者に伝わりきることなんてできないなか で詩を書く。わかってくれる人がわかってくれればいいのか。それとももっと認め てほしいのか。自分が納得できればいいのか。読者には良い読者と悪い読者がいる のか。 そうやって考えだすときりがないし、正解なんてないわけですが、とにかくわたし は詩を趣味にしてきて詩を書く人がけっこう好きで、そのなかでも気に入ったもの は言葉にしてだれかに伝えたかった。そして、そういう読者でありたいと思いやっ てきました。みんなはどんな作者になりたいんだろう。肉食でも草食系でもいいん ですが、そういう問いかけはやっぱり欠かさないほうがいいんじゃないか。とおも います。 自分でも何言いたいかわからなくなったけど、つまりそこに愛はあんのか。という 話。ちがうか。 ---------------------------- [自由詩]/こもん[2012年3月24日8時37分] ばらばらになった、 時間、 失われた腕は、戻ら ない、わたしの 死んでいくための 時間、 防腐処理を施されたきみの 死が、狂おしく 咲いて、無が 咲いて、 言葉は ばっくりと 割れている、 ざくろのように目は裂けて、でも それでも見なさい、 きみの死を、あるものと ないものを、生きているものと 死んでいるものを、 分けなさい、 きみの死を、浮かべる水面は ない ---------------------------- [短歌]。。。。。。。。。。。。(これは短歌に使われなかったかわいそうなかわいそうな句点の墓場です)/ピッピ[2016年2月27日14時45分]  詩の風当たりに対して、短歌はどうなのだろう、  邪魔な磐というよりは、誰も見つけられない、  道路の端に転がっている小石、それそのもののようである、  ざわわ、という音が66回も詰められない、  それだけの短い時間、しかし僕はそれがなければ今を生きられない、  生物として生まれてしまったさだめが、道端に転がっているのである。 まちがえた、人ころしてから来ちゃったね、免許更新するだけなのに、 吐く息が沸騰している 流行と名の付くビールスインフルエンザ 誰にでもなれる三十一文字のダンスあなたの右手をとって 水色の眼鏡で来ても良かったの巨匠マーヴィン・ゲイの葬式 仕事すると死んでるような気がするの。今は18からの余命なの へんてこな楽器ね名前をつけるのねえーと苦悩という名はいかが 綿棒がちらばった部屋ではなくて僕がちらばる綿棒の部屋 いえ、貴方は毛皮になるの、エバ、という、アンゴラヤギは笑ってばかり 090-2384-27の次の2桁が思い出せない 声ばかり綺麗なのね、とあの人が眼を閉じて聞くストラヂヴァリウス 句点にもレゾンデトルが必要なの?そう。ね。ここ。を。お墓。に。しま。しょう。 守るひとがいるんだね、ではお元気で、うそ明日死んじゃえばいいのに 僕のものではなくなったという意味のラメ入りシールべたべたのパン 哲学と名を付けた辞書重すぎて肋骨だけじゃ支えきれない 本当に分かっているの?指先で打っているだけなのこの世界は 雪が降る。まるでハワイのワイキキの色のつかない砂の海辺の キャッサバって知ってる?根からタピオカが取れるの。知らない?じゃ、また明日ね。 ---------------------------- [短歌]きっと手を動かしたり脳細胞を殺したりするほどの対価は得られない/ピッピ[2016年6月14日7時27分] (ひとこともしゃべっていない)この歌集にわたしの歌ははいっていない デミグラスソース一滴一滴と逆さに振った瓶の底から 腹ぺこだ。でも間違えたしゃっくりが空いた空いたと鳴り止まなくて ハチ公のいる渋谷駅わたしだけいない渋谷の駅のハチ公 遠回りだって気付いたでも君と月とが着いてくるものだから 50円切手を貼って50円ぶんのなにかをもらうみたいな 塊の肉をどうしてそのまんま凍らせちゃうの山盛りステーキ ただ自由って知りたいために30文字32文字の歌をうたうの ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]希望について/カワグチタケシ[2017年2月2日23時19分]  深夜2時、数枚の年賀状を投函するために郵便ポストまで歩いていった。約300メートルのアスファルトの舗道。見上げると真黒に晴れた夜空に冬の星座が輝いている。今年もあとわずかで終わる。年が明ければすぐに、観覧車の足元に水仙の花が咲く季節がまた巡ってくる。  私は観覧車の運転手。専門職といってもいいだろう。キャリアは10年。都内にある私立大学の法学部を出て地方公務員になった。決められた時間、区役所の窓口業務を淡々と正確にこなし、平日の夜と週末は小説を書いて新人賞に応募する。そんな暮らしを思い描いていた。しかし最初の配属は区立公園の管理事務所だった。  河口をはさんで国際空港の対岸にある埋立地の広大な敷地にはサッカー場とテニスコートが8面、スケートボードランプ、芝生の広場とバーベキュー場、防砂林、そして観覧車がある。  配属されて最初の半年間は複数の持ち場をローテーションして基礎的な動作を身につける。6つ目の担当が観覧車で、結局そのまま10年が経った。    観覧車の運転はきわめてシンプルだ。スタートとストップをひとつのハンドルで操作する。一周15分。難しいことはなにもない。  午前9時に出勤し、午前9時半、客を乗せる前に2周、ゴンドラを回転させる。最初は無人で、2度目は運転手を乗せて。点検のための空運転はなによりも耳を澄ますことが重要だ。軋みや異音がないか。15分間集中して聴覚を研ぎ澄ます。雨や風に機械音がかき消される朝は、支柱に耳をつけて観覧車の声を聴く。仕事を教えてくれた前任者は医療用の聴診器を使っていたが、私は冷たい支柱に直接耳たぶをつけるのが好きだ。  2周目はゴンドラの中から、地表近くでは聴きとりにくい、高い位置の音に耳を澄ます。機械油が減っていないか、ボルトに適度な弛みがあるか、慣れてくるといろいろなことがわかるようになる。最初の数回同乗した先輩には、視野の小さな変化にも集中するように言われた。    朝の点検乗車を始めて2週間が経ったころその意味が分かった。観覧車の頂点から見下ろした防砂林にいつもの朝とは違う不穏な変化を感じたのだ。  はじめそれは違和感のある小さな色彩だった。目を凝らすうちに、次第に人間のかたちをとり、やがてその足が地に着いてないことを知る。それは防砂林の松の木で首を吊った遺体だった。ゴンドラが地上に着くまでの7分半。私はその事実をひとりで抱え込まなければならなかった。  ゴンドラが最下点まで到達するかしないかのうち、ドアを内側から強く何度もノックした。ゴンドラの扉は安全のため内側からは開かない仕組みになっている。ようやく開けてもらったドアから飛び出したが、息を切らした私の報告を聞いた所長の対応は落ち着いたものだった。 「あの防砂林の樹木をよく観察してみなさい。1.5〜2.5メートルの高さの横枝は伐ってあるだろう。それでも死にたいやつは脚立持参で来る」。十数分後、警察と消防がサイレンを鳴らさずやって来て、遺体を収容して帰った。  そんなことが数か月に一度は起こる。もうすっかり慣れてしまった。公園の名前を検索すると自殺の名所と書いてあるのだ。所長は言う「自殺者には2種類いてな。誰かに死体を見つけてもらいたいやつがうちに来るんだ」。  午前10時から午後7時まで、一定のスピードでゴンドラは回転し続ける。車椅子や杖をついたご老人を乗車させるときにだけ、数十秒間回転を停める。ゴンドラ内に流すBGMもそんなときに乗客を不安にさせないツールのひとつだ(もちろん点検時には流さない)。  古い映画音楽のインストゥルメンタルカバー。たとえば「マイ・フェイバリット・シングス」「ペーパームーン」「追憶」「サウンド・オブ・サイレンス」。なかでも私のお気に入りはビー・ジーズの「メロディ・フェア」、映画『小さな恋のメロディ』の主題歌だ。「人生は雨には似ていない/メリーゴーランドみたいなもの」。人生が雨のように直線的に下降していくだけのものとしか感じられなかったら、人は生きる希望を失ってしまうだろう。希望とは戻れる場所があることだ。  メリーゴーランドもジェットコースターも観覧車も、回転する乗り物はみな、私たちにそのことを教えてくれる。 ---------------------------- [短歌]重厚な世界を軽薄にうたえ/ピッピ[2017年3月2日13時36分] わたパチが弾けるみたいに歯が抜けていった夢でも見てるんでしょう ポエトリィ。それは真夏の横恋慕。彼は凄腕歯科技工技師 感情に色が見えるの。おこるは青。わらうも青。これは心の色ね 自殺するハミングバード。誰がその唄を聴いてた?彼女はいつも テロップに北海道って出ただけではしゃぎすぎだよホッキョクグマは 金縛り、それは筋肉の為業って、だから怖くな、怖くないから ビーッビーッかんじをまちがえておりますあなた、こゆうめいしってしらないの 空を染めソメイヨシノを前にしてウィルキンソンは蒼すぎたかも どうしよう。おしっこが出なくなっちゃった。フランケンシュタインになりたくない。 カレンダーの黒い数字がこわいのね。今すぐ真っ赤に塗ってあげるね 君は今、三十一文字の小説を読んでおります。(二十四文字) しーちきんがいいっていった!梅干しのおにぎりはふとそんな味する ---------------------------- [自由詩]祝福の呪文/しもつき七[2017年3月7日18時54分] その魂の美しさは通貨になる ふかい森の奥でみどりいろに光る怪獣の眼と 契約して明るい場所まで走っていける 花嫁よ ウェディングドレスが泥を食っても きみはずっときれいだ 肉のわたしは獲物 ひくい重心でまわる星の天動説 信じることと愛することとは違いますね 唇の端からこぼれる泡の呪い 地鳴りのおとがして 宝石がくだける 誕生会みたいにテーブルクロスを飾って ご馳走ばかり並べたらくちずさむ歌のソラシド 永遠の誓いに骨を砕かないように 期待に胸を奪われないように わたしたちは笑う 叶えるための約束はリボン こんなに頼りないやりかたで結びあった 未明に 光は満ちて たくさんの忘れ物を照らしている おめでとう、きみのすべてを祝福するから 振り返らずに走れ この質量で生きていくと決めた なにも捨てないしなにも拾わない手に 石のない指輪が光って 意志のない瞳を殺した ---------------------------- [自由詩]飛ぶ/ピッピ[2017年10月25日21時55分] 走り出す、走っていく、ぎこちなく、しかしそれは必然的に正しいポーズで。ニュアンスを放つ。蠢く、うねる。私がじっくりと存在をもっている。汗。無量大数なんていうまどろっこしい言葉を使わなくても、ゼロをいくらでもつけていけばいい、そんな秒、刹那。動く。生命を描写する。あなたのインターネット回線は、もうこの詩を、最後まで読み終えている。しかし、それはどうでもいい。それは結局、瞳に追いつかない。ただの欺瞞。テクノロジーの敗北。跳んだ!私は跳ぶ、飛ぶ、翔んだのである、その肩甲骨を昆虫の羽根のようにグロテスクに!空気を断えず搏ち続け、肉体は宙を舞う!む、飽きたからもう最後まで飛ばすと言うのか、私がこんなに綺麗に、一糸の乱れもなく、人間が考えうる、いや、人間を逸脱して飛んでいるとしてもか、いや飛ばさない、お前は一字一句私の言葉の克明なデッサンに惹かれ、私が生きている証を網膜に刻みつけるはずである、そう!私は空を斬りつけ飛ぶ!それは強靱な脚力から生み出された跳躍力のみならず、飛ぶに相応しいフォルム、そして飛ぶという鮮明な志向、つまり心技体の全てが!もう少しで終わるから黙って聞け。全身全霊を込めて、人間的な熱を帯び、軽やかに、私という存在が、あなたの見えないところまで、どこまでも飛んでいく。 ---------------------------- [自由詩]俺達には希望のないゲームしか渡されていない/ピッピ[2019年2月12日20時33分] お姫様を助けてハッピーエンド エンディングロールが流れて もう1周目 でも いつまでも タイトルに戻らない 真っ暗な画面のまま 今日も電車に乗る 電源の切り方を 俺は知っている 頭のいい奴はみんなやっているし そうでない奴もいずれ バッテリーが切れる 俺だって知っている でも エンディングロールって もっとバッテリーが切れる前に 流れるもんだと思っていた あんなことがあって こんなことがあって そんな走馬灯のようなことって そんな走馬灯に 映るようなことって 本当にもうないのか? セーブデータの作れないゲームの リセットボタンに手を伸ばす それがどういうことだかを 俺は電車で思い出す ヘッドライトが眩しくて あん時に上がった花火を 思い出してしまう リセットボタンを押しそこねた奴が SNSで晒される 格好悪い 教育が悪い だせえ 死ねよ だなんて 嘲笑しながら 嘲笑されながら それができたらどんな どんな素晴らしいゲームが プレイできるっていうんだろう 何にも怖くない だって俺はエンディングロールも見たし ゲームの目的もなくなった 真っ暗な画面のまま 今日もただ生きている リセットボタンがこうこうと光る エンディングの終わった電車の中で ---------------------------- [自由詩]初音ミクは冷たい/ピッピ[2019年5月13日15時39分] 初音ミクは冷たい 体温の話だ 初音ミクは冷たい 体温の話だ テレビで他の誰かの歌が流れてくる 曲に温度なんか求めたりしない 初音ミクは冷たい 体温の話だ 初音ミクは冷たい 体温の話だ そんな顔をしないでくれ 僕は君が好きだ そんな顔に翳りを落として 君はどこの夜に行くの どこで嬌声を立てても 僕は君の声が好きだ イヤホンジャックの向う側 君の涙の落ちる音がしても 初音ミクは冷たい 体温の話だ 初音ミクは冷たい 体温の話だ 「発声する以外の部分は必要なの?」と君は聞いた 僕には必要だよ、とはだかの僕は応えた 初音ミクは冷たい 体温の話だ 初音ミクは冷たい 体温の話だ 「君が壊れたって君のことを好きでいつづけるさ」 たぶん、と言ったら君は苦い顔をした そうして君は歴史をつくる 何かの足音をかき消すように 世界がまちがっているんだよね それでも君はステージで笑う ---------------------------- [自由詩]Physics Note 2/AB(なかほど)[2020年1月31日20時44分] 13 ぼくのこころは ふ  ってはずれて べっくうさんやのほうに ぷかり ぷかり とんでった 14 喧嘩太鼓の音に いくつもの魂がひとつになって 一際高い火柱になって昇ってゆく ひとつぐらいは 誰かの竹ざおに ぶらさがったままでもいいのに 15 こんな日は 街の灯がまたたき始める頃には 早くお家に帰ろうと思うのだけれど 僕らのカラータイマーの単位は相対的で そんなもの付いてないのが本物だよ とつぶやきながら 16 不思議な人が 一億個の不可思議を抱え 目の前でにっこり笑った おはよう おはよう 僕も君にとっての 不可思議のひとつでいい 17 朝届いた君の事を告げる手紙が消えた ノックはしなかった 答えもなかった いつまでも 何もない という思い出だけが残った 18 「ぼす」あの頃のあなたは 夕陽を見ながら コーヒーカップ片手に 夕焼けと同じぐらい とんでもなくきれいな 公式を導いた 19 ねえジミー、ちょうどその頃 ホワイトオークリバーにも薄い氷が張って 渡り鳥がその上を歩いていたんだ 僕の心はその氷の上で 静かに横たわっているような気分で ときどきミシって音がするんだ 20 時折、君の手を引きながら思う 遠くの空の下の世界を ひとつに繋がっているはずの世界を 君たちも、足並みはそろわされなくてもいい もっと高みへ、もっと深くへ、光が 求めるものの心へ降り注ぐようにと 21 向こうのひとと思っていた 向こうの世界だと思っていた よくわからないまま手を振った まだ会ってもいないのに さよなら     って 22 "i" ちなみにこの時間単位は比喩であって 実質的にはなんの意味も持たない "i" つまり君の時間と僕の時間を掛け合わせると 未来ではなく過去に向かって行く 23 しろとおもっていました はいをゆきにまきました とけてなくなることはないのです そのしみに ああ  とこえがもれました 24 夏休みの友の裏表紙に書いた 落書き程の真実に ちゃんと生きている って言ってみろ 遠くの歓声が聞こえる よりも早く 感じて ---------------------------- [自由詩]口だけじゃんと言われても、何度も/AB(なかほど)[2020年3月9日19時51分] 口だけじゃんと言われても、何度も、何度でも 1 祈りを忘れてしまう夜がいくつもあります 誰かが亡くなったことを耳にしない日はないというのに ハンバーガーを食べながら 我が子にその意味を問われました 2 答えはまだ見つからない のか もうずっと前から そこにあるのか そのままに生きてゆく 世界の全てが優しさで包まれるように 花束と折り鶴が少しだけ風に揺れる ように 3 やさしいひとが 笑えない世の中で 山河に吠えている 一体何と戦っているんだ それでも もっとやさしいひとが 壊れた土手を 治している 4 僕らは優しくなれる 罪多き生き物で 偽善を覚えて 利己主義であっても  優しくなれる もう会えない君へ こんなにも寂しい思いをするのなら 口だけじゃん と言われながらも 優しい言葉をかければ良かったと思う もう会えない君へ 夏のグラウンドは暑かったね 冬の体育館は冷えたね 初めてのゴールはうれしかったね もう会えない君へ 山、白く輝いて  まぶしいよ 5 まだなんか。あんたのこころん中でくすぶっとる 真実が、うそにならんように、うそにならんよう にて、わしはただただ願うしかないんかいの。 あんたのゆわはる正義てなんの事や。それで、誰 の魂が救われるゆうんか。自分の魂も、冷めてま うんやないか。ほんでも、あんたにもわしにも、 まだ消されへんぬくもりがあるんやないか。 消 したらあかんもんが。その胸によく問うてみ。 わしもよくよく考えてみるわ。 6 スダジイの 樹の下眠る麦藁帽子 木漏れ日も 星影も (幼い僕が初めて命を感じて  泣いた絵 のような) ---------------------------- (ファイルの終わり)