大村 浩一のおすすめリスト 2020年11月29日21時00分から2021年3月12日19時59分まで ---------------------------- [自由詩]詩の日めくり 二〇一四年九月一日─三十一日/田中宏輔[2020年11月29日21時00分] 二〇一四年九月一日 「変身前夜」  グレゴール・ザムザは、なるべく音がしないようにして鍵を回すと、ドアのノブに手をかけてそっと開き、そっと閉めて、これまた、なるべく音がしないようにして鍵をかけた。家のなかは外の闇とおなじように暗くてしずかだった。父親も母親も出迎えてはくれなかった。妹のグレーテも出迎えてはくれなかった。もちろん、こんなに遅くなってしまったのだから、先に寝てしまっているのだろう。父親も母親も、もう齢なのだから。しかも、ぼくのけっして多くはない給料でなんとか家計をやりくりしてくれているのだから、きっと気苦労もすごくて、ぼくが仕事を終えて遅くなって帰ってくるころには、その気苦労のせいで、ふたりの身体はベッドのくぼみのなかにすっぽりと包みこまれてしまっているにちがいない。申し訳ないと、こころから思っている。こんな時間なのだから。妹のグレーテだって、眠気に誘われて、ベッドのなかで目をとじていることだろう。グレゴールは自分の部屋のなかに入ると、書類がぎっしり詰まっている鞄を机のうえに置いて、服を着替えた。すぐにでも眠りたい、あしたの朝も早いのだから、と思ったのだが、きょう訪問したところでの成果を、あした会社で報告しなければならないので、念のためにもう一度見直しておこうと思って、机のうえのランプに火をつけると、その灯かりのもとで、鞄のなかから取り出した報告書に目を通した。セールスの報告は、まずそれがよい結果であるのか、よくない結果であるのかを正確に判断しなければならず、そのうえ、その報告の順番も大事な要素で、その報告する順番によっては、自分に対する評価がよくもなり、よくなくもなるのであった。グレゴールは報告する事項の順番を決めると、その順番に、こころのなかで、上司のマネージャーに伝えるべきことを復唱した。朝にもう一度目を通そうと思って、机のうえに書類を置いてランプの火を消すと、グレゴールはベッドのなかに吸い込まれるようにして身を横たえた。グレゴールは知らなかったし、もちろん、グレゴールの両親も、彼の妹も知らなかったし、彼らが住んでいる街には、だれ一人知っているものはいなかったのだが、先月の末に焼失した大劇場跡に一台の宇宙船が着陸したのだった。宇宙船といっても、小さなケトルほどの大きさの宇宙船だった。宇宙船は、ちょうどグレゴールがすっかり眠り込んだくらいの時間に到着したのであった。到着するとすぐに、宇宙船のなかから黒い小さなかたまりが数多く空中に舞い上がっていった。その黒い小さなかたまりは、一つ一つがすべて同じ大きさのもので、まるで甲虫のような姿をしていた。グレゴールの部屋の窓の隙間から、そのうちの一つの個体が侵入した。それは眠っているグレゴールの耳元まで近づくと、昆虫の口吻のようなものを伸ばして、グレゴールの耳のなかに挿入した。彼はとても疲れていて、そういったものが耳の穴のなかに入れられても、まったく気づくこともなく目も覚まさなかった。昆虫や無脊椎動物のなかには、獲物にする動物が気がつかないように、神経系統を麻痺させる毒液を注入させてから、獲物の体液を吸い取るものがいる。この甲虫のような一つの黒い小さなかたまりもまた、グレゴールの内耳の組織に神経を麻痺させる毒液を注入させて毒液が効果を発揮するまでしばらくのあいだ待ち、昆虫の口吻のようなものを内耳のなかからさらに奥深くまで突き刺した。そうして聴力をも無効にさせたあと、その黒い小さなかたまりはグレゴールの脳みそを少しすすった。すると、自分のなかにあるものを混ぜて、ふたたびグレゴールの脳みそのなかにそれを吐き出した。それは呼吸のように繰り返された。すする量が増すと、吐き出される量も増していった。そのたびに、黒い小さなかたまりは、すこしずつ大きさを増していった。もしもそのとき、グレゴールに聴力があれば、自分の脳みそがすすられ、そのあとに、もとの脳みそではないものが、自分の頭のなかに注入されていく音を聞くことができたであろう。「ちゅー、ぷわー、ちゅー、ぷわー、ちゅー、ぷわー、ちゅー、ぷわー。」という音を。「ちゅるるるるー、ぷわわわわー、ちゅるるるるー、ぷわわわわー、ちゅるるるるー、ぷわわわわー、ちゅるるるるー、ぷわわわわー。」という音を。交換は脳みそだけではなかった。肉や骨といったものもどろどろに溶かされ、黒いかたまりに吸収されては吐き戻されていった。そのたびに、黒い小さなかたまりは大きくなり、グレゴールの身体は小さく縮んでいった。やがて交換が終わると、黒い小さなかたまりであったものは人間の小さな子どもくらいの大きさになり、グレゴールの身体であったものは段ボールの箱くらいの大きさになっていた。すべてがはじまり、すべてが終わるまでのあいだに、夜が明けることはなかった。もとは黒い小さなかたまりであったがいまでは透明の翅をもつ妖精のような姿をしたものが、手をひろげて背伸びをした。妖精の身体はきらきらと輝いていた。太陽がまだ顔をのぞかせてもいない薄暗闇のなかで、妖精の身体は光を発してきらきらと輝いていた。妖精が翅を動かして空中に浮かびあがると、机のうえに重ねて置いてあった書類の束がばらばらになって部屋じゅうに舞い上がった。妖精は窓辺に行き、その小さな手で窓をすっかりあけきると、背中の翅を羽ばたかせて未明の空へと飛び立った。もとはグレゴールであったがいまでは巨大な黒い甲虫のようなものになった生き物は、まだ眠っていた。もうすこしして太陽が顔をのぞかせるまで、それが目を覚ますことはなかった。 二〇一四年九月二日 「言葉の重さ」 水より軽い言葉は 水に浮く。 水より重い言葉は 水に沈む。 二〇一四年九月三日 「問題」  1秒間に、現実の過去の3分の1が現実の現在につながり、その4分の1が現実の未来につながる。現実の過去の3分の2が現実の現在につながらず、その現実の現在の4分の3が現実の未来につながらない。1000秒後に、いま現実の現在が、現実の過去と現実の未来につながっている確率を求めよ。 二〇一四年九月四日 「うんこ」  西院のブレッズ・プラスというパン屋さんでBLTサンドイッチのランチセットを食べたあと、二階のあおい書店に行くと、絵本のコーナーに、『うんこ』というタイトルの絵本があって、表紙を見たら、「うんこ」の絵だった。むかし、といっても、30年ほどもまえのこと、大阪の梅田にあったゲイ・スナックで、たしかシャイ・ボーイっていう名前だったと思うけど、そこで、『うんこ』というタイトルの写真集を見たことがあった。うんこだらけの写真だった。若い女の子がいろんな格好でうんこをして、そのうんこを男が口をあけて食べてる写真がたくさん載ってた。芸術には限界はないと思った。いや、エロかな。エロには限界がないってことなのかな。そいえば、「トイレの落書き」を写真に撮った写真集も見たことがあった。バタイユって、縛り付けた罪人を肉切り包丁で切り刻む中国の公開処刑の写真を見て勃起したみたいだけど、あ、エロスを感じたって書いてただけかもしれないけれど、人間の性欲異常ってものには限界がないのかもしれないね。20代のころ、夜、葵公園で話しかけた青年に、初体験の相手のことを訊いたら、「犬だよ。」と答えたので、「冗談?」って言うと、首をふるから、びっくりして、それ以上、話をするのをやめたことがあるけど、いまだったら、じっくり聞いて、あとでそのことを詩に書くのに、もったいないことをした。ちょっとやんちゃな感じだったけど、体格もよくって、顔もかわいらしくて、好青年って感じだったけど、犬が初体験の相手だというのには、ほんとにびっくりした。ぼくは性愛の対象としては人間にしか興味がないので、他の動物を性欲の対象にしているひとの気持ちがわからないけれど、まあ、人間より犬のほうが好きってひとがいても、ぼくには関係ないから、どうでもいいか。えっ、でも、それって、もしかすると、動物虐待になるのかな。動物へのセックスの強要ってことで。同意の確認があればいいのかな。どだろ。ところで、そいえば、ゲイやレズビアンの性愛とか性行為なんか、もうふつうに文学作品に描かれてるけど、動物が性対象の小説って、まだ読んだことがないなあ。あるんやろうか。あるんやろうなあ。ただぼくが知らないだけで。 二〇一四年九月五日 「イエス・キリスト」  きょう、仕事帰りに、電車のなかで居眠りしてうとうとしてたら、そっと手を握られた。見ると、イエス・キリストさまだった。「元気を出しなさい。わたしがいつもあなたといっしょにいるのだから。」と言ってくださった。はいと言ってうなずくと、すっと姿が見えなくなった。ありゃ、まただれかのしわざかなと思って周りを見回すと、何人か、あやしいヤツがいた。 二〇一四年九月六日 「本」  地面は本からできている。本のうえをぼくたちは歩いている。木も本でできているし、人間や動物たちも、鳥や魚だって、もともとは本からできている。新約聖書の福音書にも書かれてある。はじめに本があった。本は言葉あれと言った。すると言葉があった。本の父は本であり。その本の父の父も本であり、その本の父の父の父も…… 二〇一四年九月七日 「カインとアベル」  カインはアベルを殺さなかった。カインのアベルを愛する愛は、カインのアベルを憎む憎しみより強かったからである。そのため人間の世界では、文明が発達することもなく、文化が起こることもなかった。人間には、音楽も詩も演劇もなかった。ただ祈りと農耕と狩猟の生活が、人間の生活のすべてであった。 二〇一四年九月八日 「存在の卵」 二本の手が突き出している その二本の手のなかには ひとつずつ卵があって 手の甲を上にして 手をひらけば 卵は落ちるはずであった もしも手をひらいても 卵が落ちなければ 手はひらかれなかったのだし 二本の手も突き出されなかったのだ 二〇一四年九月九日 「生と死」  みんな死ぬために生きていると思っているようだが、みんな生きるために死んでいるのである。 二〇一四年九月十日 「尊厳詩法案」  今国会に、詩を目前にして、なかなかいきそうにないひとに、苦痛のない詩を与えて、すみやかにいかせる、という目的の「尊厳詩法案」が提出されたそうだ。 二〇一四年九月十一日 「チュー」  けさ、ノブユキとの夢を見て目が覚めた。ぼくと付き合ってたときくらいの二人だった。ぼくの引っ越しを手伝ってくれてた。あと3年、アメリカにいるからって話だった。じっさい、ノブユキは付き合ってたとき、アメリカ留学でシアトルにいた。シアトルと日本とのあいだで付き合ってたのだ。ぼくが28才と29才で、ノブユキは21才と22才だった。夢中で好きになること。好き過ぎて泣けてしまったのは20代で、しかもただ一度きりだった。ぼくが29才の誕生日をむかえて何日もたってなかったと思うけど、そんな日に、ノブユキから、「ごめんね。別れたい。」と言われた。アメリカからの電話でだった。どうやら、むこうで新しい恋人ができたかららしい。「その新しい恋人と、ぼくとじゃ、なにが違うの?」って聞くと、「齢かな。ぼくと同い年なんだ。」との返事。そのときには涙は出なかった。齢のことなら、仕方ないよなって思った。「いいよ。それできみが幸せなら。」そう返事した。涙が出たのは、別れたんだと思って、いろいろ思い出して、三日後。好きすぎて泣けてしまったのだと思う。別れてから8年後に、偶然、ノブユキと大阪で出合ったことを、國文學に書いたことがあった。あるとき、ノブユキに、「なに考えてるか、すぐにわかるわ。」と言われたけど、ぼくには自分がなにを考えているのかわからなかった。なんか考えてるだろうって、友だちからときどき言われるんだけど、なにも考えてないときに限って言われてる、笑。きょうの昼間、買い物に出たら、「あっちゃん!」って言われたから、振り返ったら、すこしまえに付き合ってた男の子が笑っていた。「いっしょにご飯でも食べる?」と言うと、「いいよ。」と言うので、マクドナルドでハンバーガーのランチセットを買って、部屋に持ち帰って、いっしょに食べた。食べたあと、チューしようとしたら、反対にチューされた。 二〇一四年九月十二日「普通と特別」 ふつうのひとも、とくべつなひとだ。とくべつなひとも、ふつうのひとだ。 二〇一四年九月十三日 「確率生物」 「確率生物研究所」というところがイギリスにはあって、そこで捕獲されたかもしれない「雲蜘蛛」という生物がちかぢか日本にも上陸するかもしれないという。なんでも、水でできた躰をしているかもしれず、水でできた糸を編んで巣を張るかもしれないらしい。部屋に戻って、パソコンつけて、ツイッター見てたら、そんな記事がツイートで流れていて、ふと、なにかが落ちるのを感じて振り返った。部屋の天井の隅に、小さな雲が浮かんでいて、しょぼしょぼ水滴を落としてた。これか、これが雲蜘蛛なんだなって思った。見てたら、ゴロゴロ鳴って、小さな稲妻をぼくの指のさきに落とした。ものすごく痛かった。しばらくしてからもビリビリしていた。 二〇一四年九月十四日 「真実と虚偽」  真実から目をそらすものは、真実によって目隠しされる。虚偽に目を向けるものは、虚偽によって目を見開かされる。 二〇一四年九月十五日 「湖上の吉田くん」 湖の上には 吉田くんが一人、宙に浮かんでいる 吉田くんは 湖面に映った自分と瓜二つの吉田くんに見とれて 動けなくなっている 湖面は 吉田くんの美しさに打ち震えている 一人なのに二人である あらゆる人間が 一人なのに二人である 湖面が分裂するたびに 吉田くんの数が増殖していく 二人から四人に 四人から八人に 八人から十六人に 吉田くんは 湖面に映った自分と瓜二つの吉田くんに見とれて 動けなくなっている 無数の湖面が 吉田くんの美しさに打ち震えている どの湖の上にも 吉田くんが 一人、宙に浮かんでいる 二〇一四年九月十六日 「戴卵式」 12才になったら 大人の仲間入りだ 頭に卵の殻をかぶせられる 黄身が世の歌を歌わされる それからの一生を 卵黄さまのために生きていくのだ ぼくも明日 12才になる とても不安だけど 大人といっしょで ぼくも卵頭になる ざらざら まっしろの 見事なハゲ頭だ 二〇一四年九月十七日 「「無力」についての考察」 力のない無力は無であり、無のない無力は力である。 二〇一四年九月十八日 「詩集」  タクちゃんに頼んで、京都市中央図書館に、ぼくの詩集の購入リクエストをしてもらって、いままで何冊か購入してもらってたんだけど、きょう、タクちゃんちに、京都市中央図書館のひとから電話がかかってきて、借り出すひとが皆無だったそうで、田中宏輔の詩集は、京都市中央図書館では二度と購入しませんと言われたらしい。購入したって図書館から通知がきたら、借り出すようにタクちゃんに言っておけばよかったなと思った。 二〇一四年九月十九日 「指のないもの」  指のない街。指のない風景。指のない手。指のない足。指のない胸。指のない頭。指のない腰。指のない机。指のない携帯。指のない会話。指のない俳句。指のない酒。指のないコーヒー。指のないハンカチ。指のない苺。 二〇一四年九月二十日 「指のないひと」  そいえば、むかしちょこっと会ってたひと、どっちの手か忘れたけど、どの指かも忘れたけど、指のさきがなかった。どうしてって訊くと、「へましたからや。」って言うから、そうか、そういうひとだったのかと思ったけど、お顔はとてもやさしい、ぽっちゃりとした、かわいらしいひとだった。背中の絵は趣味じゃなかったけど。 二〇一四年九月二十一日 「緑がたまらん。」 「えっ、なに?」と言って、えいちゃんの顔を見ると、ぼくの坐ってるすぐ後ろのテーブル席に目をやった。ぼくもつい振り返って見てしまった。柴田さんという68才になられた方が、向かい側に腰かけてた若い女性とおしゃべりなさっていたのだけれど、その柴田さんがあざやかな緑のシャツを着てらっしゃってて、その緑のことだとすぐに了解して、えいちゃんの顔を見ると、もう一度、 「あの緑がたまらんわ〜。」と。  笑ってしまった。えいちゃんは、ぜんぜん内緒話ができない人で、たとえば、ぼくのすぐ横にいる客のことなんかも、「あ〜、もう、うっとしい。はよ帰れ。」とか平気でふつうの声で言うひとで、まあ、だから、ぼくは、えいちゃんのことが大好きなのだけれど、ぜったい柴田さんにも聞こえていたと思う、笑。ぼくはカウンター席の奥の端に坐っていたのだけれど、しばらくして、八雲さんという雑誌記者のひとが入ってきて、入口近くのカウンター席に坐った。以前にも何度か話をしたことがあって、腕とか、とくに鼻のさきあたりが強く日に焼けていたので、 「焼けてますね。」 と声をかけると、 「四国に行ってました。ずっとバイクで動いてましたからね。」 「なんの取材ですか?」 「包丁です。高松で、包丁をといでらっしゃる方の横で、ずっとインタビューしてました。」 ふと、思い出したかのように、 「あ、うつぼを食べましたよ。おいしかったですよ。」 「うつぼって、あの蛇みたいな魚ですよね。」 「そうです。たたきでいただきました。おいしかったですよ。」 「ふつうは食べませんよね。」 「数が獲れませんから。」 「見た目が怖い魚ですね。じっさいはどうなんでしょう? くねくね蛇みたいに動くんでしょうか?」 「うつぼは底に沈んでじっとしている魚で、獰猛な魚なんですよ。毒も持ってますしね。 近くに寄ったら、がっと動きます。ふだんはじっとしてます。」 「じっとしているのに、獰猛なんですか?」 「ひらめも、そうですよ。ふだんは底にじっとしてます。」 「どんな味でしたか?」 「白身のあっさりした味でした。」 「ああ、動かないから白身なんですね。」 「そうですよ。」  話の途中で、柴田さんが立ち上がって、こちらに寄ってこられて、ぼくの肩に触れられて、 「一杯、いかがです?」 「はい?」 と言って顔を見上げると、陽気な感じの笑顔でニコニコなさっていて 「この人、なんべんか見てて、おとなしい人やと思ってたんやけど、この人に一杯、あげて。」と、マスターとバイトの女の子に。 マスターと女の子の表情を見てすかさず、 「よろしいんですか?」 と、ぼくが言うと、 「もちろん、飲んでやって。きみ、男前やなあ。」 と言ってから、連れの女性に、 「この人、なんべんか合うてんねんけど、わしが来てるときには、いっつも来てるんや。で、いっつも、おとなしく飲んでて、ええ感じや思ってたんや。」 と説明、笑。 「田中といいます、よろしくお願いします。」 「こちらこそ、よろしくお願いします。」 みたいなやりとりをして、焼酎を一杯ごちそうになった。 えいちゃんと、八雲さんと、バイトの女の子に、 「朝さあ。西院のパン屋さんで、モーニングセット食べてたら、目の前をバカボンのパパみたいな顔をしたサラリーマン風のひとが、まあ、40歳くらいかな。そのひとがセルフサービスの水をグラスに入れるために、ぼくの目の前を通って、それから戻って、ぼくの隣の隣のテーブルでまた本を読み出したのだけれど、その表紙にあったタイトルを見て、へえ? って思ったんだよね。『完全犯罪』ってタイトルの小説で、小林泰三って作者のものだったかな。写真の表紙なんだけど、単行本だろうね。タイトルが、わりと大きめに書かれてあって、ぼくの読んでたのが、P・D・ジェイムズの『ある殺意』だったから、なんだかなあって思ったんだよね。隣に坐ってたおばさんの文庫本には、書店でかけられた紙のカバーがかかってて、タイトルがわからなかったんだけど、ふと、こんなこと思っちゃった。みんな朝から、おだやかな顔をして、読んでるものが物騒って、なんだかおもしろいなって。」 「隣のおばさんの読んでらっしゃった本のタイトルがわかれば、もっとおもしろかったでしょうね。」 と、バイトの女の子。 「そうね。恋愛ものでもね。」 と言って笑った。 緑がたまらん柴田さんが 「横にきいひんか?」 とおっしゃったので、柴田さんの坐ってらっしゃったテーブル席に移動すると、マスターが、 「田中さんて、きれいなこころしてはってね。詩を書いておられるんですよ。このあいだ、この詩集をいただきました。」 と言って、柴田さんに、ぼくの詩集を手渡されて、すると、柴田さん、一万円札を出されて、 「これ、買うわ。ええやろ。」 と、おっしゃったので、 「こちらにサラのものがありますし。」 と言って、ぼくは、リュックのなかから自分の詩集を出して見せると、マスターが受け取った一万円札をくずしてくださってて、 「これで、お買いになられるでしょう。」 と言ってくださり、ぼくは、柴田さんに2500円いただきました、笑。 「つぎに、この子の店に行くんやけど、いっしょに行かへんか?」 「いえ、もうだいぶ酔ってますので。」 「そうか。ほなら、またな。」 すごくあっさりした方なので、こころに、なにも残らなくて。  で、しばらくすると、柴田さんが帰られて、ぼくはふたたび、カウンター席に戻って、八雲さんとしゃべったのだけれど、その前に、フランス人の観光客が二人入ってきて、若い男性二人だったのだけれど、柴田さん、その二人に英語で話しかけられて、バイトの女の子もイスラエルに半年留学してたような子で、突然、店のなかが国際的な感じになったのだけれど、えいちゃんが、柴田さんの積極的な雰囲気を見て、「すごい好奇心やね。」って。ぼくもそう思ってたから、こくん、とうなずいた。女性にはもちろん、ほかのことにも関心が強くって、 人生の一瞬一瞬をすべて楽しんでらっしゃるって感じだった。  柴田さん、有名人でだれか似てるひとがいたなあって思ってたら、これを書いてるときに思いだした。増田キートンだった。 八雲さんが 「犬を集めるのに、みみずをつぶしてかわかしたものを使うんですよ。 ものすごく臭くって、それに酔うんです。もうたまらんって感じでね。」 「犬もたまらんのや。」 と、えいちゃん。 このとき、犬をなにに使うのかって話は忘れた。なんだったんだろう? すぐにうつぼの話に戻ったと思う。あ、ぼくが戻したのだ。 「うつぼって、どうして普及しないのですか?」 と言うと、 「獲れないからですよ。偶然、網にかかったものを地元で食べるだけです。」  このあと、めずらしい食べ物の話が連続して出てきて、その動物たちを獲る方法について話してて、うなぎを獲る「もんどり」という仕掛けに、サンショウウオを獲る話で、「鮎のくさったものを使うんですよ。」という話が出たときに、また、えいちゃんが 「サンショウウオもたまらんねんなあ。」 と言うので、 「きょう、えいちゃん、たまらんって、四回、口にしたで。」 と、ぼくが指摘すると、 「気がつかんかった。」 「たまらんって、語源はなんやろ?」 と言うと、 八雲さんが 「たまらない、こたえられない、十分である、ということかな。」 ぼくには、その説明、わからなくって、と言うと、八雲さんがさらに、 「たまらない。もっと、もっと、って気持ち。いや、十分なんだけど、もっと、もっとね。」  ここで、ぼくは、自分の『マールボロ。』という詩に使った「もっとたくさん。/もうたくさん。」というフレーズを思い出した。八雲さんの話だと、サンショウウオは蛙のような味だとか。ぼくは知らん。 どっちとも食べたことないから。 「あの緑がたまらん。」 ぼくには、えいちゃんの笑顔がたまらんのやけど、笑。  そうそう。おばさんっていうと、朝、よくモーニングを食べてるブレッズ・プラスでかならず見かけるおばさんがいてね。ある朝、ああ、きょうも来てはるんや、と思って、学校に行って、仕事して、帰ってきて、西院の王将に入って、なんか定食を注文したの。そしたら、そのおばさん、ぼくの隣に坐ってて、晩ごはん食べてはったのね。びっくりしたわ〜。人間の視界って、180度じゃないでしょ。それよりちょっと狭いかな。だけど、横が見えるでしょ。目の端に。意識は前方中心だけど。意識の端にひっかかるっていうのかな。かすかにね。で、横を向いたら、そのおばさんがいて、ほんと、びっくりした。 でも、そのおばさん、ぜったい、ぼくと目を合わせないの。いままで一回も目が合ったことないの。この話を、日知庵で、えいちゃんや、八雲さんや、バイトの女の子にしてたんだけど、バイトの子が、「いや、ぜったい気づいてはりますよ。気づいてはって、逆に、気づいてないふりしてはるんですよ。」って言うのだけど、人間って、そんなに複雑かなあ。あ、このバイトの子、静岡の子でね。ぬえって化け物の話が出たときに、ぬえって鳥みたいって言うから、 「ぬえって、四つ足の獣みたいな感じじゃなかったかな?」 って、ぼくが言うと、八雲さんが 「二つの説があるんですよ。鳥の化け物と、四つ足の獣の身体にヒヒの顔がついてるのと。で、そのヒヒの顔が、大阪府のマークになってるんですよ。」 「へえ。」 って、ぼくと、えいちゃんと、バイトの子が声をそろえて言った。なんでも知ってる八雲さんだと思った。  ぬえね。京都と静岡では違うのか。それじゃあ、いろんなことが、いろんな場所で違ってるんやろうなって思った。そんなふうに、いろんなことが、いろんな言葉が、いろんな場所で、いろんな意味になってるってことやろうね。あたりまえか。あたりまえなのかな? わからん。 でも、じっさい、そうなんやろね。 二〇一四年九月二十二日 「時間と場所と出来事」  時間にも困らない。場所にも困らない。出来事にも困らない。時間にも困る。場所にも困る。出来事にも困る。時間も止まらない。場所も止まらない。出来事も止まらない。時間も止まる。場所も止まる。出来事も止まる。時間も改まらない。場所も改まらない。出来事も改まらない。時間も改まる。場所も改まる。出来事も改まる。時間も溜まらない。場所も溜まらない。出来事も溜まらない。時間も溜まる。場所も溜まる。出来事も溜まる。 二〇一四年九月二十三日 「家でできたお菓子」  ヘンゼルとグレーテルだったかな。森のなかに、お菓子でできた家がありました。といった言葉ではじまる童話があったような気がするけど、ふと、家でできたお菓子を思い浮かべた。 二〇一四年九月二十四日 「愛」  二十歳の大学生が、ぼくに言った言葉に、しばし、こころがとまった。とまどった。「恋人と別れてわかったんですけれど、けっきょく、ぼくは自分しか愛せない人間なのだと思います。」 二〇一四年九月二十五日 「過ちは繰り返すためにある。」 まあ、繰り返すから過つのではあるが。 二〇一四年九月二十六日 「神さま」  あなたは目のまえに置いてあるコップを見て、それが神さまであると思うことがありますか? 二〇一四年九月二十七日 「卵」  きょうは、ジミーちゃんと西院の立ち飲み屋「印(いん)」に行った。串は、だいたいのものが80円だった。二人はえび、うずら、ソーセージを二本ずつ頼んだ。どれもひと串80円だった。二人で食べるのに豚の生姜焼きとトマト・スライスを注文したのだが、豚肉はぺらぺらの肉じゃなかった。まるでくじらの肉のように分厚くて固かった。味はおいしかったのだけれど、そもそものところ、しょうゆと砂糖で甘辛くすると、そうそうまずい食べ物はつくれないはずなのであって、まあ、味はよかったのだ。二人はその立ち飲み屋に行く前に、西大路五条の角にある大國屋で紙パックの日本酒を買って、バス停のベンチのうえに坐りながら、チョコレートをあてにして飲んでいたのであるが、西院の立ち飲み屋では、二人とも生ビールを飲んでいた。にんにく炒めというのがあって、200円だったかな、どんなものか食べたことがなかったので、店員に言ったら、店員はにんにくをひと房取り出して、ようじで、ぶすぶすと穴をあけていき、それを油の中に入れて、そのまま揚げたのである。揚がったにんにくの房の上から塩と胡椒をふりかけると、二人の目のまえにそれを置いたのであった、にんにく炒めというので、にんにくの薄切りを炒めたものでも出てくるのかなと思っていたのだが、出てきたそれもおいしかった。やわらかくて香ばしい白くてかわいいにんにくの身がつるんと、房からつぎつぎと出てきて、二人の口のなかに入っていったのであった。ぼくの横にいた青年は、背は低かったが、なかなかの好青年で、ぼくの身体に自分のお尻の一部をくっつけてくれていて、ときどきそれを意識してしまって、顔を覗いたのだが、知らない顔で、以前に日知庵でオーストラリア人の26才のカメラマンの男の子が、ぼくのひざに自分のひざをぐいぐいと押しつけてきたことを思い起こさせたのだけれど、あとでジミーちゃんにそう言うと、「あほちゃう? あんな立ち飲み屋で、いっぱいひとが並んでたら、そら、身体もひっつくがな。そんなんずっと意識しとったんかいな。もう、あきれるわ。」とのことでした。で、そのあと二人は自転車に乗って、四条大宮の立ち飲み屋「てら」に行ったのであった。そこは以前に、マイミクの詩人の方に連れて行っていただいたところだった。で、どこだったかなあと、ぼくがうろうろ探してると、ジミーちゃんが 、「ここ違うの?」と言って、すいすいと建物のなかに入っていくと、そこが「てら」なのであった。「なんで、ぼくよりよくわかるの?」って訊いたら、「表に看板で立ち飲みって書いてあったからね。」とのことだった。うかつだった。メニューには、以前に食べて、おいしいなって思った「にくすい」がなかった。その代わり、豚汁を食べた。サーモンの串揚げがおいしかった。もう一杯ずつ生ビールを注文して、煮抜きを頼んだら、出てきた卵が爆発した。戦場だった。ジミー中尉の肩に腕を置いて、身体を傾けていた。左の脇腹を銃弾が貫通していた。わたしは痛みに耐え切れずうめき声を上げた。ジミー中尉はわたしの身体を建物のなかにまでひきずっていくと、すばやく外をうかがい、扉をさっと閉めた。部屋が一気に暗くなった。爆音も小さくなった。と思う間もなく、窓ガラスがはじけ飛んで、卵型爆弾が投げ入れられ、部屋のなかで爆発した。時間爆弾だった。場所爆弾ともいい、出来事爆弾ともいうシロモノだった。ぼくは居酒屋のテーブルに肘をついて、ジミーちゃんの話に耳を傾けていた。「この喉のところを通る泡っていうのかな。ビールが喉を通って胃に行くときに喉の上に押し上げる泡。この泡のこと、わかる?」「わかるよ。ゲップじゃないんだよね。いや、ゲップかな。まあ、言い方はゲップでよかったと思うんだけど、それが喉を通るってこと、それを感じるってこと。それって大事なんだよね。そういうことに目をとめて、こころをとめておくことができる人生って、すっごい素敵じゃない?」ジミーちゃんがバッグをぼくに預けた。トイレに行くからと言う。ぼくは隣にいる若い男の子の唇の上のまばらなひげに目をとめた。彼はわざとひざを押しつけてきてるんだろうか。むしょうに彼のひざにさわりたかった。ぼくは生ビールをお代わりした。ジミーちゃんがトイレから戻ってきた。男の子のひざがぼくのひざにぎしぎしと押しつけられている。目のまえの卵が爆発した。ジミー中尉は、負傷したわたしを部屋のなかに残して建物の外に出て行った。わたしは頭を上げる力もなくて、顔を横に向けた。小学生時代にぼくが好きだった友だちが、ひざをまげて坐ってぼくの顔を見てた。名前は忘れてしまった。なんて名前だったんだろう。ジミーちゃんに鞄を返して、ぼくは生ビールのお代わりを注文した。ジミーちゃんも生ビールのお代わりを注文した。脇腹が痛いので、見ると、血まみれだった。ジミーちゃんの顔を見ようと思って顔を上げたら、そこにあったのは壁だった。シミだらけのうす汚れた壁だった。わたしが最後に覚えているのは、名前を忘れたわたしの友だちが、仰向けになって床のうえに倒れているわたしの顔をじっと眺めるようにして見下ろしていたということだけだった。 二〇一四年九月二十八日 「シェイクスピアの顔」  塾の帰りに、五条堀川のブックオフで、『シェイクピアは誰だったか』という本を200円で買った。シェイクスピア関連の本は、聖書関連の本と同じく、数多くさまざまなものを持っているが、これもまた、ぼくを楽しませてくれるものになるだろうと思う。その筆者は、文学者でもなく研究者でもない人で、元軍人ってところが笑ったけれど、外国では、博士号を持ってる軍人や貴族がよくいるけど、この本の作者のリチャード・F・ウェイレンというひともそうみたい。あ、元軍人ね。学位は政治学で取ったみたいだけど、シェイクスピアに魅かれて、というのは、そこらあたりにも要因があるのかもしれない。『シェイクスピアは誰だったか』めちゃくちゃおもしろい。シェイクスピアは、ぼくのアイドルなのだけれど、いままでずっと、よく知られているあの銅版画のひとだと思ってた。でも、どうやら違ってたみたい。それにしても、いろんな顔の資料があって、それが見れただけでも十分おもしろかったかな。シェイクスピアっていえば、あのよく知られているハゲちゃびんの銅版画の顔が、ぼくの頭のなかでは、いちばん印象的で、っていうか、シェイクスピアを思い浮かべるときには、これからも、きっと、あのよく知られたハゲちゃびんの銅版画の顔を思い出すとは思うけどね。 二〇一四年九月二十九日 「きょうは何の日なの?」  コンビニにアイスコーヒーとタバコを買いに出たら、目の前を、いろんな色と形の帽子がたくさん歩いてた。あれっと思ってると、その後ろから、たくさんの郵便ポストの群れが歩いてた。きょうは何の日なんやろうと思ってると、郵便ポストの群れの後ろからバスケットシューズの群れが歩いてた。うううん。きょうは何の日なんやろうと思ってたら、だれかに肩に手を置かれて、振り返ったら、ぼくの頬を指先でつっつくぼくがいた。ええっ? きょうは何の日なの? って思って、まえを見たら、ただ挨拶しようとして、頬にかる〜く触れただけのぼくの目を睨みつけてくるぼくがいて、びっくりした。きょうは何の日なの? 二〇一四年九月三十日 「夢は水」  けさ、4時20分に起きた。睡眠時間3時間ちょっと。相変わらず短い。ただし、夢は見ず。さいしょ変換したとき、「夢は水」と出た。 二〇一四年九月三十一日 「返信」  ある朝、目がさめると、自分が一通の返信になっていたという男の話。その返信メールは、だれ宛に書かれたものか明記されておらず、未送信状態にあったのだが、男は自分でもだれ宛のメールであったのか、文意からつぎからつぎへと推測していくのだが、推測していくたびに、その推測をさらにつぎつぎと打ち消す要素が思い浮かんでいくという話。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]詩投稿板「文学極道」の閉鎖に寄せて/一輪車[2020年12月1日5時28分] 「文学極道」という詩の投稿サイトが閉鎖されることになった。 正直、最近はろくでもない詩しか投稿されなかった。 そのなかにはわたしの詩(もどき)もある。 反省なんかしない。 ろくでもない詩だが、それがわたしの限界だから、弁解もしない。 ただ、ほんのすこし申し訳なくおもっている。 コメント欄もひどくなるばかりであった。 だれであれ身元を問わず自由にコメントができたから、精神に異常があるとしか思えない ストーカーもどきのめちゃくちゃな誹謗中傷デマ差別暴言も自由だった。 しかし、このこと自体は美談だとおもっている。 いまから二十年以上も、いや、もっと前か わたしが京都市内に住んでいたころ、下京区の図書館に いって、本を借りたことがある。 身分証明書などを用意していたが、驚いたことに 受付の職員が静かに発したのは次の一言だった。 「京都市民ですか」 わたしが「ええ」とうなずくと、それっきり、だまって 貸し出し手続きをはじめた。 身分証明などは必要なかった。「はい」とうなづくこと それだけが必要事項だった。 わたしがウソをついていたらどうするのか、などとは いっさい考えていないようだった。 わたしが「はい」といったらそれは「はい」なのだ。 正直、感無量だった。 借りた本を前かごに積んで、屋根瓦のつづく京都の落ち着いた たたずまいをみながら自転車に乗って家に帰った。 文学極道はそういうことをやって、結局、ぼろぼろになった。 投稿者やコメンターを信じていたから、だれであれ投稿と書き込みを許した。 精神に障碍を抱えている人達があふれかえる今どきのご時世にそんなことが通用する世の中でないことは 一目瞭然だが、それをやっていた。多くの人たちがコメントの過激さに傷ついて去っていった。 去るのは去る者にも原因と責任がある。だから、 それでもそれを続けていた。 とうぜん、ぼろぼろになっての閉鎖は宿命だったともいえる。 しかし残念だ。 たとえばビーレビのようなところは入会にいろいろ手続きがある。ああいうところはもう それだけで詩の投稿板として最初から終わっている。 これから世界的に行われようとしている個人情報の一元化と人間の信用度の格付け、 驚いたことに世界人類一人ひとりに信用スコアがつくというが、ビーレビのようなところは その雛形でしかない。詩の投稿サイトでもなんでもない。文学を冠した、ただの人間収容所だ。 あんなところに詩を投稿しているニワトリたちの気がしれない。 もとい、ビーレビなんかしょせん、そんなところだからどうでもいいやつらが どうでもいい雑文を書いているだけだ。相手にすることもムダだ。いちいち批判しているほどわたしもひまではない。 純粋であろうとする文学的な精神は必ずこうなる。その典型のような最期であった。 ---------------------------- [自由詩]白亜紀の弁当/道草次郎[2020年12月1日20時34分] 弁当を開けると 見たことも無い空が入っていた 妙に縁どりのギラつく雲と エメラルド・グリーンの空が一つだけ 箸で一口くちに運ぶと ジャリっと歯に何かが当たった たまらず吐き出すと プテラノドンが一匹転がり出る うーんどおりで なんだか古い味がすると思ったよ ためしに空を裏返してみようか そら やっぱりそうだ ゼンマイみたいな裸子植物のおひたしと ごま塩のクレーターもある クワバラクワバラ どうもこれは食べられたものじゃ無さそうだ 弁当にふたをして 近所のコンビニにおにぎりを買いに行く 店員はいつものお気に入りの 恐竜人間(ディノサウロイド)の 可愛い女の子だ ぼくは 相も変わらず そのもつれ合う触手に 恋心の発光を隠せない ---------------------------- [自由詩]はるかな記憶/道草次郎[2020年12月2日8時43分] 何かとても感動した夢を見たのに きれいさっぱり忘れてしまった 忘れたことはまだ辛うじて覚えている だが、もうじき 夢見たことも忘れてしまうはず だからこうして書き残しておく ぼくはいま 前世の記憶を持つ子供たちのドキュメントのことを考えている * もう忘れてしまった でもこうして書き付けておいたので 記憶の残滓、その中の最後の残りかすを瞼の裏に思い出そうとしている 未来と過去に延びた永劫の道のどこかに落とした忘れ物 ぼくはいま 受精から出生に至る十月十日がまるで生命の歴史そのものだという風説を愛している * 保存したはずのメモリーを遺失した 思い出せない 記憶のような何かだった 浅く刻まれた爪痕でさえ時の縫合にその身を委ねるだろう ぼくの頬をいま あどけない地球が転がってゆく ---------------------------- [自由詩]ハレル/ひだかたけし[2020年12月2日19時20分] かなしみの 青が降る 透明、 ただ透明に なっていく 己の体 幾億もの幾兆もの者達が通った道 途、未知、溢れ 枯れ果て、移行する 光の奥の ふるふる震え揺れ 時の間隙縫い 開く 巨大な闇に 私ハ漆黒に 濡レ光ル 宙の裂け目に 呑まれ 沈み消える ベッドで ベランダから 静かに かなしみの 青が躍り 澄む、 ただ澄み渡って いく己の体 幾億もの幾兆もの者達が通った道 途、未知、溢れ 枯れ果て、跳躍する 闇の奥の ふるふる震え揺れ 時の間隙縫い 開く 秘やかな小部屋に ---------------------------- [自由詩]秋の名残り/st[2020年12月3日14時12分] 秋の名残りの ひとしずく 庭の木に ひとつ残った もみじ葉の 夜露に濡れた 別れの言葉 そっと グラスを近づけて 琥珀色の 芳醇な香りを 楽しみながら ブランデーに 落とし込む 用意した 濃いエスプレッソの 豆の香りが ここちよい 砂糖なしの にがい エスプレッソで ワンランク上の もののように 甘味が増した ブランデー 口のなかにひろがる 秋のサヨナラが あつい刺激とともに のどをとおってゆく 吹きぬける 北風のハーモニーを 聴きながら 秋に別れを告げ 冬のはじまりに 乾杯する ---------------------------- [自由詩]詩の日めくり 二〇一四年十月一日─三十一日/田中宏輔[2020年12月5日8時23分] 二〇一四年十月一日 「ネクラーソフ『だれにロシアは住みよいか』大原恒一訳」 血糖値が高くて ブタのように太ったぼくは 運動しなきゃならない。 それで 自転車に乗って 遠くのブックオフにまで行かなきゃいけない。 で 東寺のブックオフに行ったら ネクラーソフの詩集が 108円のコーナーにあって パラ読みしていたら 「ロシアでは あなたたちもよく知ってのとおり だまって頭を下げることを だれにも禁じてはいません!」 って、あって 目にとまった。 これって、 どこかで 近い言い回しを見た記憶があって うううむ と思ったのだけれど 詩集は 二段組で 内容は 農奴というのかな 百姓の苦しさと 百姓のずるさと 貴族の虚栄と 貴族の没落の予感みたいなこととか 宗教的なところとかばっかで 退屈な詩集だなあって思ってしまって さっき読んだとこ どこにあるかな あれは、よかったなって思って ページをペラペラめくって さがした。 あると思ってた どこかのページの左下の段の左側を見ていった。 さがしたら あると思ったんだけど それがなくって 二回 ペラペラしたんだけど あると思ってた どこかのページの左下の段の左側にはなくって 記憶違いかなって思って まあ、よくあることなんだけど こんどは 左のページの上の段の左側を見ながら ペラペラめくっていたら あった。 で もう一度 見る。 「ロシアでは あなたたちもよく知ってのとおり だまって頭を下げることを だれにも禁じてはいません!」 これ 覚えちゃおう って思って この部分だけに 108円払うのも なんだかなあって思ってね。 で 何度か こころのなかで復唱して CDやDVDのある一階に降りて レインのDVDを買おうかどうか迷ってたら うんこがしたくなって 帰って うんこをしようと思って いったんブックオフから出て 自転車に乗って 帰りかけたんだけど 東寺の前を通り過ぎて 短い交差点を渡って なんか、たこ焼き屋だったかな そこの前まできたときくらいに でも ネクラーソフの言葉から そだ。 ふつうのことを禁じるって たしか レイナルド・アレナスが書いてたぞ。 キューバでは たとえ 同性同士でも バスのなかや 喫茶店のなかでも 見つめ合ってはいけないって 同性愛者を差別する 処罰する法律があったって カストロがつくった ゲイ差別の法律があったって そいえば 厳格なイスラム教の国では 同性愛者だってわかったら 拷問死に近い 二時間にもおよぶ 石打の刑という死刑制度があったんだ。 これ 何ヶ月かまえに ニュースになってて 「宗教が違うんだから、 同性愛者が処罰されても仕方がないでしょう」 みたいな発言をしてたバカがいて めっちゃ腹が立った記憶があったから ブタは自転車の向きを変えて たこ焼き屋の前で キュルルンッ と自転車をまるごと反転させて 東寺のブックオフへと戻ったのであった。 二階に行って 108円の棚のところに行くと 白髪のジジイがいて もしや 吾が輩の大切な彼女をば と思ったのだけれど ネクラーソフの詩集の 表紙のなかにいた女性は無事で ぼくの腕のなかに へなへな〜 と、もたれかかってきたのであった。 彼女は たぶん、ただの百姓娘なのだろうけれど とても美しい女性であった。 可憐と言ってもよかった。 その手はゴツゴツしてるみたいだけどね。 そして その目は 人間は生きることの厳しさに耐えなければならない ということを身をもって知っている者だけが持つことのできる 生命の輝きを放っていた。 ブタは彼女を胸に抱き 階段を下りて 一階で勘定をすますと 全ゴムチューブの ノーパンクの 重たい自転車を 全速力で ぶっ飛ばしたのであった。 それにしても イスラム圏じゃ 同性愛者は殺されても仕方ないじゃない って書いてたバカのことは許せん。 まあ、バカには、なにを言っても なにか言ったら こちらもバカになるだけだし ムダなんだけどね。 人間には バカとカバがいてね。 「晴れ、ときどき殺人」 みたいに ひとが簡単に殺人者になることがあるように バカがカバになることもあれば カバがバカになることもあるんだけど ずっとカバがカバだってこともないしね バカがバカだってこともないしね でも、どちらかというと ぼくはバカよりカバがいいなあ。 あ ぼくはブタだったんだ〜。 まっ、 でも、これは 観察者側の意見でね。 あ うんこするの忘れてた。 ところで 途中で寄った フレスコから出たときに スーツ姿の まあまあかわいいおデブの男の子が 図面かな 書類をひらいて見ながら 歩いていたの。 薄緑色の作業着みたいなツナギの制服着て。 ぼくはフレスコから帰るために自転車を乗ったとこだったか 乗ろうとしてる直前で 彼のあそこんとこに目がいっちゃった。 だってチンポコ 完全にボッキさせてたんだもの。 すっごくかたそうで むかって左の上側に突き出てた。 ええっ? って思った。 図面の入った筒を握ってて ボッキしてたのかな。 持ち方がエロかったもの。 かわいかった。 セルの黒メガネの彼。 右利きだよね。 ついて行こうかなって いっしゅん思ったけど それって、おかしいひとに思われるから やめた。 部屋に帰って フレスコで買った 麒麟・淡麗〈生〉を飲みながら ネクラーソフの詩集の表紙のなかにいる 彼女の目の先にある ロシアの平原に ぼくも目を向けた。 二〇一四年十月二日 「みにくい卵の子」 みにくい卵の子は ほんとにみにくかったから 親鳥は そのみにくい卵があることに気がつかなかった みにくい卵の子は かえらずに くさっちゃった 二〇一四年十月三日 「雲」 さいきん、よく空を見上げます。 雲のかたちを覚えていられないのに、 形を見て、うつくしいと思ってしまいます。 覚えていることができるものだけが、 美しいのではないのですね。 恋人たちの表情にも きっと憶えていないもので とてもすてきなものが それはもう、いっぱい、いっぱい あったのでしょうね。 二〇一四年十月四日 「田ごとのぼく」 たしかに 田んぼ 一つ一つが 月を映していた。 歩きながら ときどき月を見上げながら 学校から遅く帰ったとき 月も田んぼの水面で 少し移動して でも つぎの田んぼのそばに行くと すでにつぎの田んぼに移動していて ああ 田ごとの月って このことかって思った。 けれど ぼくの姿だって ぼくが移動すれば つぎつぎ違う田んぼに映ってるんだから ぼくだって 田ごとのぼくだろう。 ぼくが 田んぼから月ほどにも遠くいる必要はないんだね。 月ほどに遠く 月のそばにいると 月といっしょに 田んぼに光を投げかけているのかもしれない。 ぼくも月のように 光り輝いてるはずだから。 違うかな? どだろ。 二〇一四年十月五日 「恋人たち」 「宇宙人みたい。」 「えっ?」 ぼくは、えいちゃんの顔をさかさまに見て そう言った。 「目を見てみて。」 「ほんまや、こわっ!」 「まるで人間ちゃうみたいやね。」 よく映像で 恋人たちが お互いの顔をさかさに見てる 男の子が膝まくらしてる彼女の顔をのぞき込んでたり 女の子が膝まくらしてる彼氏の顔をのぞき込んでたりしてるけど まっさかさまに見たら まるで宇宙人みたい 「ねっ、目をパチパチしてみて。  もっと宇宙人みたいになる。」 「ほんまや!」 もっと宇宙人! ふたりで爆笑した。 数年前のことだった。 もうふたりのあいだにセックスもキスもなくなってた。 ちょっとした、おさわりぐらいかな。 「やめろよ。  きっしょいなあ。」 「なんでや?  恋人ちゃうん? ぼくら。」 「もう、恋人ちゃうで。」 「えっ?  ほんま?」 「うそやで。」 うそやなかった。 それでも、ぼくは i think of you. i cannot stop thinking of you. なんもなくなってから 1年以上も 恋人やと思っとった。 二〇一四年十月六日 「それぞれの世界」 ぼくたちは 前足をそろえて テーブルの上に置いて 口をモグモグさせながら 店のなかの牧草を見ていた。 ふと、彼女は すりばち状のきゅう歯を動かすのをやめ テーブルのうえにだら〜りとよだれを落としながら モーと鳴いた。 「もう?」 「もう。」 「もう?」 「もう!」 となりのテーブルでは 別のカップルが コケー、コココココココ コケーっと鳴き合っていた。 ぼくたちは 前足をおろして 牧草地から 街のなかへと となりのカップルも おとなしくなって えさ場から 街のなかへと それぞれの街のなかに戻って行った。 二〇一四年十月七日 「きょとん」 おとんでも おかんでもなく きょとん きょとん と呼んだら 返事してくれる でも きょとん と目を合わせたら きょとん としなくちゃいけないのね きょとん ちょっとを大きくあけて でへへ えへでもなく でへっでもなく でへへ でへへと言ったら でへとしなくちゃいけないのね でへへ でへへへれ〜 でへへ って感じかな 柴田、おまえもか! つづく 二〇一四年十月八日 「幽霊卵」 冷蔵庫の卵がなくなってたと思ってたら いつの間にか また1パック まっさらの卵があった 安くなると ついつい買ってくる癖があって 最近ぼけてきたから いつ買ったのかもわからなくて 困ったわ 二〇一四年十月九日 「部屋」 股ずれを起こしたドアノブ。 ため息をつく鍵穴。 わたしを中心にぐるっと回転する部屋 鍵束から外れた1本の鍵がくすって笑う。 カーテンの隙間から滑り込む斜光のなかを 浮遊する無数の鍵穴たちと鍵たち 部屋が 祈る形をとりながら わたしに凝縮する。 二〇一四年十月十日 「きょうも日知庵でヨッパ」 でも なんだかむかついて で 帰りは 西院の「印」という立ち飲み屋に。 会計、間違われたけれど 250円の間違いだから 何も言わずに帰ったけど。 帰りに 近所の大國屋に いや そだ このあいだ 気がついたけど 大國屋の名前が変わってた。 「お多福」に。 ひゃ〜 「きょうは尾崎を聞くと泣いてしまうかもしれない。 ◎原付をパクられた。」 って 「印」の 「きょうの一言」 ってところに書いてあって ちっちゃな黒板ね で いいなあって思ったの。 書いたのは たぶん、アキラくんていうデブの男の子 こないだ バカな客のひとりに 会話がヘタって言われてたけど 会話なんて どうでもいいんだよ かわいければさ、笑。 あいきょうさ 人生なんて けせらせら なんだから。 「きょうの一言」 そういえば 仕事帰りに 興戸の駅で 学生の女の子たちがしゃべっている言葉で 「あとは鳩バス」 って聞こえたんだけど これって 聞き間違いだよね。 ぜったい。 ここ2、3日のメモを使って 詩句を考えた。 more than this これ以上 もう、これ以上 須磨の源氏だった。 詩では うつくしい幻想を持つことはできない。 詩が持つことのできるものは なまなましい現実だけだ。 詩は息を与える。 死者にさえ、息を与えるのだ。 逃げ道はない。 生きている限りはね。 勝ちゃん 胸が張り裂けちゃうよ。 龍は夢で あとは鳩バス。 二〇一四年十月十一日 「音」 その音は テーブルの上からころげ落ちると 部屋の隅にむかって走り いったん立ちどまって ブンとふくれると 大きな音になって 部屋の隅から隅へところがりはじめ どんどん大きくなって 頭ぐらいの大きさになって ぼくの顔にむかって 飛びかかってきた 二〇一四年十月十二日 「音」 左手から右手へ 右手から左手に音をうつす それを繰り返すと やがて 音のほうから移動する 右手のうえにあった音が 左手の手のひらをのばすと 右手の手のひらのうえから 左手の手のひらのうえに移動する ふたつの手を離したり 近づけたりして 音が移動するさまを楽しむ 友だちに ほらと言って音をわたすと 友だちの手のひらのうえで 音が移動する ぼくと友だちの手のひらのうえで 音が移動する ぼくたちが手をいろいろ動かして 音と遊んでいると ほかのひとたちも ぼくたちといっしょに 手のひらをひろげて 音と戯れる 音も たくさんのひとたちの手のひらのうえを移動する みんな夢中になって 音と戯れる 音もおもしろがって たくさんのひとたちの手のひらのうえを移動する 驚きと笑いに満ちた顔たち 音と同じようにはずむ息と息 たったひとつの音と ただぼくたちの手のひらがあるだけなのに 二〇一四年十月十三日 「ある青年の日記を読んで」 その青年は 何年か前にメールだけのやりとりをしたことがあって それで、顔を覚えていたので彼の日記を見てたら 仕事でいらいらしたことがあって 上司とけんかして それでまたいらいらして せっかく恋人といっしょに 出かけたのに 道行くサラリーマンに 「オラッ」とか言って からんだそうで それで恋人になんか言われて 逆切れしたそうで でも、それを反省したみたいで 「あと20日で一年大事でかわいい人なのに こんな男でごめんなさいお母さん大好き」 という言葉で日記は結んであって 「あと20日で一年大事でかわいい人なのに こんな男でごめんなさいお母さん大好き」 という言葉に、こころ動かされて ジーンとしてしまった いま付き合ってる恋人とも そういえば、あと一ヶ月で1年だよねとか もうじき2年だよ とかとか言っていた時期があったのだった きょう、恋人に 朝、時間があるから、顔を見に行こうかな とメールしたら 用事ででかけてる、との返事 最近、メールや電話したら、いっつも用事 しかも、きょう電話したら その電話もう使われていないって電気の女の声が言った 「あと20日で一年大事でかわいい人なのに こんな男でごめんなさいお母さん大好き」 彼の日記 なぜだかこころ動かされる言葉がいっぱいで ある日の日記は、こういう言葉で終わっていた さまざまな単行本や文庫本、それに小説現代という雑誌など 読んだ本を列記したあと 「その時は彼によろしくとか僕の彼女を紹介しますとか あなたのキスを探しましょうとか、不思議なタイトルだな… 」 彼の素直な若さが、うつくしい。 最後に、彼のある日の日記の一節をひいておこう ぼくには、彼がいま青春のど真ん中にいて、 とてもうつくしいと思ったのだった 「何でもないような事が幸せだったと思う」とあるけど まさにそうだと思った。金ないとか、仕事疲れたとか言ってたけど、 そんなのは問題じゃないと。何より大事なかわいい恋人と、コーラとセッターと 健康な体、仕事があればそれだけで幸せなんだとしゅんと思った! もう悲しませることなくしっかり生活しようと強く思った。」 「何より大事なかわいい恋人と、コーラとセッターと 健康な体、仕事があればそれだけで幸せなんだとしゅんと思った!」 「それだけで幸せなんだとしゅんと思った!」 こんなに、こころの現われてる言葉、ひさしぶりに遭遇した。 二〇一四年十月十四日 「日付のないメモ」 京大のエイジくんに関するメモ。 ぼくたちは、いっしょに並んで歩いて帰った。 きみは、自転車を押しながら。 夜だった。 ぼくは下鴨に住んでいて、きみは、近くに住んでいると言っていた。 ぼくは30代で きみは大学生だった。 高知大で3年まで数学を勉強していたのであった。 従兄弟が東大であることを自慢げにしていたので 3年で高知大の数学科をやめて 京大を受験しなおして 京大の建築科に入学したのであった。 親が建設会社の社長だったこともあって。 だから きみと出会ったときの きみの年齢は28だったのだった。 きみは京大の4回生だった。 ぼくたちは、一年近く毎日のように会っていた。 ぼくが仕事から帰り きみが、ぼくの部屋に来て ふたりで晩ご飯を食べ 夜になって ぼくが眠りにつくまで 寝る直前まで、きみは部屋にいた。 泊まったのは一度だけ。 さいごに、きみが、ぼくの部屋に訪れた日。 ピンポンとチャイムが鳴って、ドアを開けようとすると きみは、全身の体重をかけてドアを押して、開けさせないようにした 雪の積った日の夜に 真夜中に 「雪合戦しようや。」と言って ぼくのアパートの下で 積った雪を丸めて投げ合った 真夜中の2時、3時ころのことは ぼくは一生忘れない。 だれもいない道端で 明るい月の下 白い雪を丸めては 放り投げて 顔にぶつけようとして お互い、一生懸命だった。 そのときのエイジくんの表情と笑い声は ぼくには、一生の宝物だ。 毎晩のように押し合ったドア。 毎晩、なにかを忘れては 「とりにきた」と言って笑っていたきみ。 毎晩、 「もう二度ときいひんからな」 と言っていたきみ。 あの丸められた雪つぶては いまもまだそこに 下鴨の明るい月の下にあるのだろう。 あの寒い日の真夜中に。 子どものようにはしゃいでいた ぼくたち二人の姿とともに。 二〇一四年十月十五日 「風の手と、波の足。」 風の手が ぼくをまるめて ほうりなげる。 風の手が ぼくをまるめて 別の風の手と キャッチボールしてる。 風の手と風の手が ぼくをキャッチボールしてる。 波の足が ぼくをけりつける。 すると 違う方向から打ち寄せる波の足が ぼくをけり返す。 波の足と波の足が ぼくをけり合う。 波の足と波の足がサッカーしてる。 ぼくを静かに置いて眺めることなどないのだろうか。 なにものも ぼくを静かに置いて眺めてはくれそうにない。 生きているかぎり ぼくはほうり投げられ けりまくられなければならない。 それでこわれるぼくではないけれど それでこわれるぼくではないけれど それでよりつよくなるぼくだけれど それでよりつよくなるぼくだけれど 生きているかぎり ぼくはほうり投げられ けりまくられなければならない。 二〇一四年十月十六日 「卵」 万里の長城の城壁のてっぺんに 卵が一つ置かれている。 卵はとがったほうをうえに立てて置かれている。 卵の上に蝶がとまる。 卵は微塵も動かなかった。 しばらくして 蝶が卵のうえから飛び立った。 すると 万里の長城が ことごとく つぎつぎと崩れ去っていった。 しかし 卵はあった場所にとどまったまま 宙に浮いたまま 微塵も動かなかった。 二〇一四年十月十七日 「ウィリアム・バロウズ」 下鴨に住んでたころ 十年以上もむかしに知り合ったラグビー青年が バロウズを好きだった。 本人は異性愛者のつもりだったのだろうけれど 感性はそうではなかったような気がする。 とてもよい詩を書く青年だった。 ユリイカや現代詩手帖に送るように言ったのだが 楽しみのためにだけ詩を読んだり書いたりする青年だった。 ぼくは20代後半 彼は二十歳そこそこだったかな。 ブラジル音楽を聴きながら 長い時間しゃべっていた日が 思い出された バロウズ 甘美なところはいっさいない すさまじい作品だけれど バロウズを通して 青年の思い出は きわめて甘美である なにもかもが輝いていたのだ まぶしく輝いていたのだ 彼の無蓋の微笑みと その二つの瞳と 声 カウンターにこぼれた グラスの露さえも 二〇一四年十月十八日 「ウィリアム・バロウズの贋作」  本日のバロウズ到着本、6冊。なかとカヴァーのきれいなほうを保存用に。『ダッチ・シュルツ』は500円のもののほうがきれいなので、そちらを保存用に。『覚えていないときもある』も710円のもののほうがきれいなので、そちらを棚に飾るものにして。 きょうから通勤時は、レイ・ラッセルの『嘲笑う男』にした。ブラッドベリの『メランコリイの妙薬』読了したけど、なんか、いまいちやった。詩的かもしれないけれど、そのリリカルさが逆に話を胡散臭くさせていた。もっとストレートなほうが美しいのに、などと思った。  学校から帰って、五条堀川のブックオフに行くと、ビアスの短編集『いのちの半ばに』(岩波文庫)が108円で売っていたので買ったんだけど、帰って本棚を見たら、『ビアス短編集』(岩波文庫)ってのがあって、それには、『いのちの半ばに』に入ってた7篇全部と、追加の8篇が入っていて、訳者は違うんだけど、持ってたほうのタイトルの目次を見ても、ぜんぜん思い出せなかった。ううううん。ちかく、新しく買った古いほうの訳のものを読んでみようかなって思った。  おとつい、ネットで注文した本が、とても信じられないものだった。 裸の審判・世界発禁文学選書2期15 ウイリアム・バローズ 浪速書房 S43・新書・初版カバー・美本  きょう到着してた。なんと、作者名、「ウイリヤム・バローズ」だった。「ア」と「ヤ」の一字違いね。まあ、大きい「イ」と、小さい「ィ」も違うけど。浪速書房の詐欺的な商法ですな。しかも、作者名のはずのウイリヤム・バローズが主人公でもあって、冒頭の3、4行目に、  私、ウイリヤム・バローズは、パリのル・パリジャンヌ誌特派員として、このニューヨーク博覧会に行くことになった。 とあって、これもワラケルけど、最後のページには  そしていざというときは、鞭という、柔らかい機械が二人を結びつけるだろう。いま、二人に聞こえるものは、路上にきしる、濡れたタイヤの連続音と、彼らの廻りに、うなりを上げている。雨の叫びだけであった。 とあるのである。「雨」の前の句点もおもしろいが、「鞭」を「柔らかい機械」というのは、もっとワラケル。ほかの文章のなかには「ランチ」という言葉もある、笑。翻訳した胡桃沢耕史さん(本に書かれている翻訳者名は清水正二郎さんだけど、胡桃沢さんのペンネームのひとつ)のイタズラやね。おもろいけど。パラパラとめくって読んだら、これって、サド侯爵の小説の剽窃だった。鞭が若い娘の背中やお尻に振り下ろされたり、喜びの殿堂の処刑室とか出てくる。はあ〜あ、笑。この本を出版した浪速書房って、エロ本のシリーズを出してて、たとえば、 世界発禁文学選書 裸女クラブ 新書 浪速書房 ペトロ・アーノルド/清水正二郎訳 昭45 世界発禁文学選書 乳房の疼き 新書 浪速書房 マリヤ・ダフェノルス 清水正二郎・訳 世界発禁文学選書〈第2期 第11巻〉私のハンド・バッグの中の鞭(1968年)  こんなタイトルのものだけど、戦後、出した本がつぎつぎに発禁になったらしいけれど、発禁の理由って、エロティックな内容じゃなくて、この「詐欺的商法」なんじゃないかな。  で、いま、浪速書房のウィリアム・バローズの「やわらかい機械」を買おうかどうか迷っている。ヤフオクに入札しているのだけど、いま8000円で、内容は、山形訳のソフトマシーンのあとがきによると、このあいだ買ったウイリヤム・バローズと同じように、主人がウィリアム・バローズで、またまた女の子を鞭打つエロ小説らしい。 出品しているひとに、ほんとうにバロウズの翻訳かどうか訊いたら、答えられないという答えが返ってきた。贋物だと思う。あ、この贋物ってのは、ウィリアム・バロウズが著者ではないということなんだけど、まあ、話の種に買ってもいいかなって思う。でも、8000円は高いな。キャンセルしてもいいって、出品者は言ってくれたのだけれど、贋物でも、おもしろいから買いたいのだけれど、8000円あれば、ほかに買える高い本もあるかなあとも思うし。あ、でもいま、とくに欲しい本はないんだけど。 ヤフオクでの質問  小生の質問にお答えくださり、ありがとうございました。小生、ウィリアム・バロウズの熱狂的なファンで、『ソフトマシーン』の河出文庫版とペヨトル工房版の2冊の翻訳本を所有しております。ご出品なさっておられるご本の、最初の2行ばかりを、回答に書き写していただけますでしょうか。それで、本当に、ウィリアム・バロウズの『ソフトマシーン』の翻訳本かどうかわかりますので。小生は、本物の翻訳本でなくても、購入したいと思っておりますが、先に本物の翻訳本かどうかは、ぜひ知っておきたいと思っております。8000円という入札金額は、それを知る権利があるように思われますが、いかがでしょうか。よろしくお願い申し上げます。  バロウズの『やわらかい機械』の本邦初訳と銘打たれた本に価値があると思って、最初に8000円の金額でオークションをはじめさせているのだから、ある程度の知識がある人物だと思う。その翻訳が本物かどうか、本文を見ればすぐにわかるはずなのに、それを避けた回答をしてきたので、このような質問を再度したのだった。なにしろ浪速書房の本である。山形裕生さんの『ソフトマシーン』の訳本の後書きでは、それは冗談の部類の本だと思われると書かれている本である。 回答があった。  第一章ニューヨークへの道 一九六四年から五年にかけての、ニューヨークの最大の話題は、ニューヨーク世界博覧会が開かれたことである。私、ウィリヤム・バローズは、パリのル・パリジャンヌ誌特派員として、このニューヨーク博覧会に行くことになった。  ひえ〜、これって、ウイリヤム・バローズの『裸の審判』の1〜4行目と、まるっきりいっしょよ。完全な贋物だ。ああ、どうしよう。完全な贋物。ふざけた代物に、8000円。どうしよう。相手はキャンセルしていいと言ってた。ううううん。マニアだから買いたいと返事した。あ〜あ、このあいだ買った『裸の審判』と中身がまったく同じ本に8000円。バカだなあ、ぼくは。いや〜、バロウズのマニアなんだよね、ぼくは。しかし、この出品者、正直なひとだけど、最初の設定金額を8000円にしてるのは、なんでやったのかなあ。バロウズのこと、あんまり知らなかったひとだったら、そんなバカ高い金額をつけないだろうしな。あ、知ってたら、そんなものをバロウズが書いてたとは思ってもいなかっただろうしなあ。 不思議。でも、完全に贋物でも、表紙にウィリアム・バローズって書いてあったら買っちゃうっていう、お馬鹿なマニアの気持ち、まだまだ持ち合わせているみたい。この浪速書房の本も、きっと、詐欺で摘発、本は発禁処分を受けたんだろうね。 ぼくはただのバロウズファンだったけど、思わぬ贋作の歴史を垣間見た。胡桃沢耕史さん、生活のためにしたことなんだろうね。 ちなみに、あのあと、つぎの二つの質問をオークション出品者にしたけど、返事はなかった。  お答えくださり、ありがとうございました。その訳本は贋物です。先日購入しました、浪速書房刊のウイリヤム・バローズ作、清水正二郎訳の「裸の審判」の第一章の3行目から4行目の文章とまるっきり同じです。本物のウィリアム・バロウズの作品には、そのような文章はありません。きっとその本の最後のページには、次の文章が終わりにあるのではないでしょうか。「そしていざというときは、鞭という、柔らかい機械が二人を結びつけるだろう。/いま、二人に聞こえるものは、路上にきしる、濡れたタイヤの連続音と、彼らの廻りに、うなりを上げている。雨の叫びだけであった。」 それでも、小生はマニアなので、購入したいと思っております。  ちなみに、引用された所からあとの文章はこうですね。「私の所属している、ル・パリジャンヌ誌は、アメリカのセブンティーン誌や、遠い極東日本の、ジヨセイヌ・ジーシン誌などと特約のある姉妹誌で十七、八歳のハイティーンを目標に、スターの噂話や、世界の名勝や、男女交際のスマートなやり方などを指導する雑誌であり、たまたまこの賑やかなアメリカ大博覧会は、近く開かれる東京オリンピツクとともに、我々女性関係誌のジヤーナリストの腕の見せ所であつた。」ご出品のご本は、当時、詐欺罪で差し押さえられ、発禁になりました。亡くなったエロ本作家の胡桃沢耕史(訳者名:清水正二郎)の創作です。本物のバロウズの翻訳本ではありません。 「極東日本の、ジョセイヌ・ジーシン誌」だって、笑っちゃうよね。ほんと、胡桃沢さん、やってくれるわ。  やったー、ぼくのものになった! 中身は贋物だけど、画像のものがぼくのものになった。8000円は、ちょっと高かったけど、いま手に入れなかったら、いつ手に入れられるかわからなかったからうれしい。中身は、胡桃沢耕史さんの創作ね。しかもいま、ぼくが持ってるものとおんなじ内容、笑。早期終了してもらった。じつは、最後に、ぼくは、つぎのような質問をしていたのだった。 質問かな、強迫かな。  そういった事情を知られたからには、出品されたご本の説明を改められないと、落札者の方とトラブルになりかねません。小生は、そういった事情を知っていても、この8000円という金額で、買わせていただくことに依存はありません。ウィリアム・バロウズの熱狂的なファンですから。オークションを早期終了していただければ、幸いです。  贋物だとわかっていたんだけど、バロウズ・コンプリートのぼくは、ちょっとまえに、 世界秘密文学選書10 裸のランチ ミッキー・ダイクス/清水正二郎訳 浪速書房 を買ってたんだけど、その本の末尾についている著者のミッキー・ダイクスの経歴の紹介文って、現実のウィリアム・バローズのものの経歴だった。ちなみに、訳者はこれまた清水正二郎さん、つまり、胡桃沢耕史さん。ほんと、あやしいなあ。このミッキー・ダイクスの『裸のランチ』の裏表紙の作品紹介文がすごいので、紹介するね。 「アメリカの、アレン・ギンスバークと共に、抽象的な難解な語句で 知られる、ミッキー・ダイクスが、詩と散文の間における、微妙な語句 の谷間をさまよいながら、怪しい幻影のもとに画き出したのが、この作品である。ほとんど翻訳不可能の、抽象の世界に躍る語句を、ともかくも、もっとも的確な日本語に訳さねばならぬので、大変な苦心をした。陰門、陰茎、陰核、これらの語句が、まるで機関銃のように随所に飛び 出して、物語のムードを形作っている。しかし、現実には、それは何等ワイセツな感情を伴わなくても、他のもっと迂遠な言葉に言い変えねばならない。かくして来上がったものは、近代の詩人ダイクスの企画するものとははなはだしく異なったものとなってしまった。しかし現実の公刊物が許容される範囲では、もっとも原文に近い訳をなし得たものと自負している。         訳者」 「ギンズバーグ」じゃなくて、「ギンスバーク」って、どこの国の詩人? そりゃ、詐欺で、差し押さえられるわ。ぼくは、500円で買ったけれど、この本、ヤフオクでいま5800円で出品しているひとがいたり、amazon では、79600円とか9万円以上で出品しているひとがいて、まあ、ゴーヨクなキチガイどもだな。  しかし、こんな詐欺をしなきゃ生きていけなかった胡桃沢耕史って方、きつい人生をしてらっしゃったのかもしれない。自己嫌悪とかなしに、作家が、こんな詐欺を働くなんて、ぼくには考えられない。こういった事情のことを、戦後のどさくさにいっぱい出版業界はしてたんだろうけど。いま、こんなことする出版社はないだろうな。知らないけど。  ちなみに、本物のウィリアム・バロウズの『裸のランチ』って、陰門や陰核なんて、まったく出てこないし(記憶にないわ)。むしろ、出てくるのは、ペニスと肛門のことばかり。 二〇一四年十月十九日 「土曜日たち」 はなやかに着飾った土曜日たちにまじって 金曜日や日曜日たちが談笑している。 ぼくのたくさんの土曜日のうち とびきり美しかった土曜日と 嘘ばかりついて ぼくを喜ばせ ぼくを泣かせた土曜日が カウンターに腰かけていた。 ほかの土曜日たちの目線をさけながら ぼくはお目当ての土曜日のそばに近づいて その肩に手を置いた。 その瞬間 耳元に息を吹きかけられた。 ぼくは びくっとして振り返った。 このあいだの土曜日が微笑んでいた。 お目当ての土曜日は ぼくたちを見て コースターの裏に さっとペンを走らせると そのコースターを ぼくの手に渡して ぼくたちから離れていった。 二〇一四年十月二十日 「チョコレートの半減期」 おやじの頭髪の、あ、こりゃだめか、笑。 地球の表面積に占める陸地の割合の半減期。 友だちと夜中まで飲んで騒いで過ごす時間の半減期。 恋人の顔と自分の顔との距離の半減期。 大学の授業出席者数の半減期。 貯蓄の半減期。 問題の半減期。 悲しみの半減期。 痛みの半減期。 将来の半減期。 思い出の半減期。 聞く耳の半減期。 視界の半減期。 やさしさの半減期。 機会の半減期。 幸福の半減期。 期待の半減期。 反省の半減期。 復習の半減期。 予習の半減期。 まともな食器の半減期。 原因の半減期。 理由の半減期。 おしゃべりの半減期。 沈黙の半減期。 恋ごころの半減期。 恋人の半減期。 チョコレートの半減期。 二〇一四年十月二十一日 「魂」  魂が胸のなかに宿っているなどと考えるのは間違いである。魂は人間の皮膚の外にあって、人間を包み込んでるのである。死は、魂という入れ物が、自分のなかから、人間の身体をはじき出すことである。生誕とは、魂という入れ物が、自分のなかに、人間の身体を取り込むことを言う。 二〇一四年十月二十二日 「卵病」 コツコツと 頭のなかから 頭蓋骨をつつく音がした コツコツ コツコツ ベリッ 頭のなかから ひよこが出てきた 見ると 向かいの席に坐ってた人の頭の横からも 血まみれのひよこが ひょこんと顔をのぞかせた あちらこちらの席に坐ってる人たちの頭から 血まみれのひよこが ひょこんと姿を現わして つぎつぎと 電車の床の上に下りたった 二〇一四年十月二十三日 「十粒の主語」 とてもうつくしいイメージだ。 主語のない という主題で書こうとしたのに 十粒の主語 という うつくしい言葉を見つけてしまった。 ああ そうだ。 十粒の主語が、ぼくを見つけたのだった。 どんな粒だろう。 きらきらと輝いてそう。 うつくしい。 十粒の主語。 二〇一四年十月二十四日 「よい詩」 よい詩は、よい目をこしらえる。 よい詩は、よい耳をこしらえる。 よい詩は、よい口をこしらえる。 二〇一四年十月二十五日 「わけだな。」  ウォレス・スティーヴンズの『理論』(福田陸太郎訳)という詩に 「私は私をかこむものと同じものだ。」とあった。 としら、ぼくは空気か。 まあ、吸ったり吐いたり、しょっちゅうしてるけれど。ブリア・サヴァラン的に言えば ぼくは、ぼくが食べた物や飲んだ物からできているのだろうけれど、ヴァレリー的に言えば、ぼくは、ぼくが理解したものと ぼくが理解しなかったものとからできているのだろう。それとも、ワイルド的に、こう言おうかな。 ぼくは、ぼく以外のすべてのものからできている、と。まあ、いずれにしても、なにかからできていると考えたいわけだ。わけだな。 二〇一四年十月二十六日 「強力な詩人や作家」  真に強力な詩人や作家といったものは、ひとのこころのなかに、けっしてそのひと自身のものとはならないものを植えつけてしまう。 二〇一四年十月二十七日 「名前」 人間は違ったものに同じ名前を与え 同じものに違った名前を与える。 名前だけではない。 違ったものに同じ意味を与え 同じものに違った意味を与える。 それで、世界が混乱しないわけがない。 むしろ、これくらいの混乱ですんでいるのが不思議だ。 二〇一四年十月二十八日 「直角のおばさん」 箪笥のなかのおばさん 校長先生のなかの公衆電話 錘のなかの海 パンツのなかの太陽 言葉のなかの惑星 無意識のなかの繁殖 箪笥のうえのおばさん 校長先生のうえの公衆電話 錘のうえの海 パンツのうえの太陽 言葉のうえの惑星 無意識のうえの繁殖 箪笥のよこのおばさん 校長先生のよこの公衆電話 錘のよこの海 パンツのよこの太陽 言葉のよこの惑星 無意識のよこの繁殖 箪笥のしたのおばさん 校長先生のしたの公衆電話 錘のしたの海 パンツのしたの太陽 言葉のしたの惑星 無意識のしたの繁殖 箪笥のなかのおばさんのなかの校長先生のなかの公衆電話のなかの錘のなかの海のなかのパンツのなかの太陽のなかの言葉のなかの惑星のなかの無意識のなかの繁殖 箪笥のうえのおばさんのうえの校長先生のうえの公衆電話のうえの錘のうえの海のうえのパンツのうえの太陽のうえの言葉のうえの惑星のうえの無意識のうえの繁殖 箪笥のよこのおばさんのよこの校長先生のよこの公衆電話のよこの錘のよこの海のよこのパンツのよこの太陽のよこの言葉のよこの惑星のよこの無意識のよこの繁殖 箪笥のしたのおばさんのしたの校長先生のしたの公衆電話のしたの錘のしたの海のしたのパンツのしたの太陽のしたの言葉のしたの惑星のしたの無意識のしたの繁殖 箪笥が生んだおばさん 校長先生が生んだ公衆電話 錘が生んだ海 パンツが生んだ太陽 言葉が生んだ惑星 無意識が生んだ繁殖 箪笥を生んだおばさん 校長先生を生んだ公衆電話 錘を生んだ海 パンツを生んだ太陽 言葉を生んだ惑星 無意識を生んだ繁殖 箪笥のまわりにおばさんが散らばっている 校長先生のまわりに公衆電話が散らばっている 錘のまわりに海が散らばっている パンツのまわりに太陽が散らばっている 言葉のまわりに惑星が散らばっている 無意識のまわりに繁殖が散らばっている 箪笥がおばさんを林立させていた 校長先生が公衆電話を林立させていた 錘が海を林立させていた パンツが太陽を林立させていた 言葉が惑星を林立させていた 無意識が繁殖を林立させていた 箪笥はおばさんを発射する 校長先生は公衆電話を発射する 錘は海を発射する パンツは太陽を発射する 言葉は惑星を発射する 無意識は繁殖を発射する 箪笥はおばさんを含む 校長先生は公衆電話を含む 錘は海を含む パンツは太陽を含む 言葉は惑星を含む 無意識は繁殖を含む 箪笥の影がおばさんの形をしている 校長先生の影が公衆電話の形をしている 錘の影が海の形をしている パンツの影が太陽の形をしている 言葉の影が惑星の形をしている 無意識の影が繁殖の形をしている 箪笥とおばさん 校長先生と公衆電話 錘と海 パンツと太陽 言葉と惑星 無意識と繁殖 箪笥はおばさん 校長先生は公衆電話 錘は海 パンツは太陽 言葉は惑星 無意識は繁殖 箪笥におばさん 校長先生に公衆電話 錘に海 パンツに太陽 言葉に惑星 無意識に繁殖 箪笥でおばさん 校長先生で公衆電話 錘で海 パンツで太陽 言葉で惑星 無意識で繁殖 ポエジーは思わぬところに潜んでいることだろう。 これらの言葉は、瞬時にイメージを形成し、即座に破壊する。 ここでは、あらゆる形象は破壊されるために存在している。 単純であることと複雑であることは同時に成立する。 箪笥がおばさんを直角に曲げている 校長先生が公衆電話を直角に曲げている 錘が海を直角に曲げている パンツが太陽を直角に曲げている 言葉が惑星を直角に曲げている 無意識が繁殖を直角に曲げている 左目で見ると箪笥 右目で見るとおばさん 箪笥の表面積とおばさんの表面積は等しい 箪笥を粘土のようにこねておばさんにする 箪笥はおばさんといっしょに飛び去っていった 箪笥の抜け殻とおばさんの貝殻 箪笥が揺れると、おばさんも揺れる すべての箪笥が滅びても、おばさんは生き残る 右半分が箪笥で、左半分がおばさん 左目で見ると校長先生 右目で見ると公衆電話 校長先生の表面積と公衆電話の表面積は等しい 校長先生を粘土のようにこねて公衆電話にする 校長先生は公衆電話といっしょに飛び去っていった 校長先生の抜け殻と公衆電話の貝殻 校長先生が揺れると、公衆電話も揺れる すべての校長先生が滅びても、公衆電話は生き残る 右半分が校長先生で、左半分が公衆電話 左目で見ると錘 右目で見ると海 錘の表面積と海の表面積は等しい 錘を粘土のようにこねて海にする 錘は海といっしょに飛び去っていった 錘の抜け殻と海の貝殻 錘が揺れると、海も揺れる すべて海が滅びても、錘は生き残る 右半分が錘で、左半分が海 左目で見るとパンツ 右目で見ると太陽 パンツの表面積と太陽の表面積は等しい パンツを粘土のようにこねて太陽にする パンツは太陽といっしょに飛び去っていった パンツの抜け殻と太陽の貝殻 パンツが揺れると、太陽も揺れる すべての太陽が滅びても、パンツは生き残る 右半分がパンツで、左半分が太陽 左目で見ると言葉 右目で見ると惑星 言葉の表面積と惑星の表面積は等しい 言葉を粘土のようにこねて惑星にする 言葉は太陽といっしょに飛び去っていった 言葉の抜け殻と惑星の貝殻 言葉が揺れると、惑星も揺れる すべての惑星が滅びても、言葉は生き残る 右半分が言葉で、左半分が惑星 左目で見ると無意識 右目で見ると繁殖 無意識の表面積と繁殖の表面積は等しい 無意識を粘土のようにこねて繁殖にする 無意識は繁殖といっしょに飛び去っていった 無意識の抜け殻と繁殖の貝殻 無意識が揺れると、繁殖も揺れる すべての無意識が滅びても、繁殖は生き残る 右半分が無意識で、左半分が繁殖 閉口ともなるとも午後とはなるなかれ。 いま言語における自由度というものに興味がある。 美しいヴィジョンを形成した瞬間に そのヴィジョンを破壊するところに行ければいいと思う。 二〇一四年十月二十九日 「卵」 終日 頭がぼんやりとして 何をしているのか記憶していないことがよくある 河原町で、ふと気がつくと 時計屋の飾り窓に置かれている時計の時間が みんな違っていることを不思議に思っていた自分に はっとしたことがある きょう ジュンク堂で ふと気がつくと 一個の卵を 平積みの本の上に 上手に立てたところだった ぼくは それが転がり落ちて 床の上で割れて 白身と黄身がぐちゃぐちゃになって みんなが叫び声を上げるシーンを思い浮かべて ゆっくりと 店のなかから出て行った 二〇一四年十月三十日 「ピーゼットシー」  きょうからクスリが一錠ふえる。これまでの量だと眠れなくなってきたからだけど、どうなるか、こわい。以前、ジプロヘキサを処方してもらったときには、16時間も昏睡して死にかけたのだ。まあ、いままでもらっていたのと同じものが1錠ふえただけなので、だいじょうぶかな。ピーゼットシー。ぼくを眠らせてね。 二〇一四年十月三十一日 「王将にて」  西院の王将で酢豚定食を食べてたら、「田中先生ですよね。」と一人の青年から声をかけられた。「立命館宇治で10年くらいまえに教えてもらってました。」とのことで、なるほどと。うううん。長く生きていると、どこで、だれが見てるかわからないという感じになってくるのかな。わ〜、あと何年生きるんやろ。 ---------------------------- [自由詩]紙屑/宣井龍人[2020年12月8日11時50分] 風に振り回され 壁にぶち当たり 人に踏まれ続け 雨にびしょ濡れ 僕は誰にも読まれない詩 優しいおばさんが ぐちゃぐちゃの僕を拾うと めんどくさそうに広げ 外れた鼻眼鏡で じーと見つめてくれた 間もなく丸められて ゴミ箱に棄てられちゃったけど 最後の最後に見つめてくれた 優しいおばさん有難う ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]母が壊れてしまったあの日から/健[2020年12月11日10時16分] ・あの日 ? 母が壊れてしまったのは、今から15年ほど前の冬の出来事だった。 ? 当時高校二年生だった私は、北海道での修学旅行から帰宅し、うかれた気分で玄関の扉を開いた。 父は海外出張中で、大学生の姉は下宿先で過ごしており、母は一人で私の帰りを待っていた。 ? 荷物を降ろして一息ついていると、母はいつも通りリビングから顔をのぞかせ、「お帰りなさい」と言って出迎えてくれた。 その声はとても優しかったが、どことなく雰囲気が暗いのが気にかかった。 見ているこちらが不安になり、得体のしれない怖さを感じる。そんな空気を感じた。 しかし、スキーや街歩きを満喫し、飛行機の遅延によって予定より大幅に送れて帰宅した私は、とにかくへとへとに疲れていた。 母の様子は気にかかったものの、できるだけ早く横になりたい。 実に適当にシャワーを浴びてベッドにもぐりこむと、あっという間に眠りに落ちていった。 馬鹿みたいに深い眠りだった。 翌朝、起きてきた私の顔を見るなり母は「死にたい」と言った。 正直に言って「また始まったか」と思った。 母は少し前から鬱的な状態になることが多々あり、私はこういった発言にはもはや慣れっこになっていた。 適当にテンプレートのような慰めの言葉を口にし、ひとまず母が落ちついたのを確認してから学校へと向かった。 ? 夕方帰宅すると、家の中に母の姿は無かった。専業主婦であり、外出するのも大抵は昼時である母が、特に何も告げずに不在にするのはそれだけで珍しいことだ。 どうやら母は車で出かけたらしい。 何か嫌な予感がしたが、当時母は携帯電話の類を持っていなかったので、特に何ができるわけでもない。 音楽を聴きながらだらだらと帰りを待った。 ? 母から電話がかかってきたのは30分後ぐらいだったと思う。 重く小さく掠れた声で、何を言っているのか、ほとんどは聞きとれなかった。 拾い上げられたのは、ただ、「死にたい」と言う言葉だけ。 こちらの声が届いているのかもわからないまま、電話は切れてしまった。 ? それから、車が戻って来る音が聞こえるまで、実際には数十分というところだっただろうが、自分には本当に長く感じられた。 ひとまずの無事を知り、私はほっとする一方で、これから先を想像して恐怖を感じていた。 いったいどう母にどう声をかけ、どう接したらいいのだろう。 降りてきた母は呆然とした顔で、私と向き合った。 そして、「死にきれなかった」とぽつりと言った。 ・全部嘘だった ? ここからの記憶は自分でも驚くほどに曖昧で、おそらく今の私が勝手に作りだした事実と異なる記憶もあるように思う。 しかし、 「私が全て悪かった。全部嘘だった。お父さんもお祖母ちゃんも何も悪くない。全部私のせいだった。」 母が泣きながら、絞り出すようにそう言った、その光景だけははっきりと目に焼き付いている。 ・母と私 ? 私は幼少期から根っからの母親っ子だった。 母の言うことを信じ、頼り、依存して生きてきた。 客観的に見てマザーコンプレックスの類だったと思うし、今でもそれはおそらく変わっていない。 そして、母は毎日のように夫や姑への不満を口にしている人だった。それは当時の私にはひどく重たい言葉に思えた。 母と父はよく喧嘩をしていたものの、関係が破綻していたわけではなかったし、普段は笑顔で会話していることも多かった。 しかし、周りに私や姉しかいない時に母がこぼす愚痴や怒りの言葉は、呪いの様に私の頭の中に刻み込まれていった。 「全て私が悪かった。全部嘘だった。」 その言葉は、母にとっては鬱状態の混乱から生じた気の迷いのようなものだったのかもしれない。 何かショックを受けて精神的に不安定になった人が、全てを自分のせいにして抱え込み、負の連鎖に陥ることはそう珍しいことでもないだろう。 しかし、当時の私にとってそれは衝撃的な出来事だった。 大げさに思われるかもしれないが、自分の中の価値観が根本から崩れていくのを感じた。 私は母の目線から見た世界しか知らずに生きてきたのではないか?私の考えは本当に私のものだったのか? そんな思いが私の中にどんどん広がっていった。 そして、その発言をしたあと、「母は壊れてしまった」。 どのタイミングでそれが発症し、どのような経過で重症化したのか、今はほとんど覚えていない。 覚えているのは− 「冷蔵庫から火が出てる!」「警察に逮捕される!」などととくり返し叫んでいる。 ? 怯えた顔でぴょんぴょんとその場で跳ねている、意味もなく、跳ね続けている。 ? 遠方からかけつけた祖父母(母から見た両親)を見ながら「あなた誰?」と問いかける。 −そんな母の姿。 そして、暴れる母を車の後部座席に無理やり乗せて、家族4人で総合病院へ向かったこと。 イヤフォンで耳をふさぐようにして聴いていた曲が、あまりにも綺麗な音色だったこと。 薬か何かでひとまず落ち着きを取り戻し、帰路に就いた母の憔悴しきった顔。 そんな捨てたくても捨てられない記憶の欠片が、今もふとした時に頭の中によみがえってくるのだった。 ・壊れてしまった 2020年の現在は、「統合失調症」という病名が浸透してきたが、15年前はまだ「精神分裂病」という表現が残っており、私の頭に刻み込まれたのもそちらの病名だった。 当時の私にとって、その響きは何か絶望的なものであるように思えた。 これを読んでくれている方、特に病気に関わる当事者の方は、「壊れた」という表現に悲しみや怒りを感じるかもしれない。 しかし、「私の中で」母は確かにこの時壊れてしまった。 それは消しようのない感覚であり、母の症状が軽くなって傍目には普通の生活ができるようになった後も、私の心にずっと重たくのしかかっていた。 あるいは、「自分のこれまでの感覚が壊れてしまったこと」をすべて母のせいにして、心の平穏を保とうとしていたのかもしれない。 それからの私の生活は一変してしまった。 高校にはひとまず通っていたものの、ほとんどのことに集中できず、成績は当然の如くガタ落ち。 家に帰れば、多少落ちついたとはいえ相変わらず妄想の類を語り、死にたいと繰り返し呟く母がいて、部屋にいても跳ねている音がずっと聞こえてくる。 部活に信頼出来る友人達がいたのが救いで、ほとんど部活の時間だけを支えにして過ごす日々だった。 そうして三年生の夏、総体が終わるまでは何とか過ごしたものの、部活動が終わり、完全に周りが受験に集中し始める二学期が始まると同時に、私は学校へ行けなくなった。 ・逃げる日々 結局私はあと数十日通えば卒業できるはずだった高校を中退した。 うしろめたさを感じながら家に引きこもり、パソコンに向かって、音楽や詩、小説のサイトを眺め、吐き出すようにブログを書く毎日。 ありがちなことだが、ネット空間で好きなことにだけ接している時は現実を忘れられた。現実から逃げ続けることで、なんとか日々をつなぎとめていた。 ・予備校と大学と宣告と そんなふうにして半年が経ち、少しだけ気持ちが落ち着いた私は、元担任に促されて受けた高校卒業程度認定試験をどうにか受けることができ、合格。 大学受験の為に予備校へ通うことになった。 そして、本来実家から電車で予備校へ通えば良いところを、わざわざ他県の予備校を選び、寮に入って1年を過ごすこととなる。 父と、そのころにはだいぶ症状が改善しまともな会話ができるようになった母との間で、どういう会話があったのかはわからない。 しかし、母のためを思うならば、私は一緒に暮らしたままの方が良いということはわかっていた。 それでも当時の私は、これ以上「自分の中で壊れた母」と同じ空間にいることに耐えられなかった。 決して楽しいとは言えない予備校生活であったが、学年で言えば一浪生と同期で奇跡的に志望大学に合格。 自身の鬱状態は簡単には改善せず、不安定な日々では続いたものの、どうにかこうにか講義を受け、週に3、4回は部活動へ顔を出していた。 それなりに充実した大学生活だったと言えるかもしれない。 そんな二回生の冬、母は突然の癌宣告を受けた。すい臓がんであり、見つかった時にはもう手遅れに近い状態だった。 それを聞いた時、私は当然動揺し、悲しみ、怒り、「何故」という思いにかられた。 しかし、そうした混乱がひとまず収まった時、どこかほっとしている自分を発見して愕然とした。 「これでまた、逃げられる。」 ・なんだったんだろう 宣告を受けてからの母の様子は、表面的には思ったより落ちついているように見えた。 でもそれは、全てを受け入れていた、というような綺麗な理由ではなく、事実を受け止めきれずに呆然としていたのではないかと思う。 母が入院してから、大学が比較的近かった私は毎日のように病室へ通った。 会話は何気ないものが大半で、ただ言葉もなく静かに時間がすぎるのを待つ時間も長かった。 そして一つだけ、これもまた馬鹿みたいに鮮明に残っている記憶がある。 静けさに包まれた病室で、窓の外を眺める母からこぼれおちた言葉。 「私の人生はなんだったんだろう。」 何も答えることができなかった。 ・あの日から 母は1月13日の金曜日に癌宣告を受けた。3月13日の金曜日に容体が悪化し緩和ケアの施設に移った。  そして呼吸をやめてしまったのは4月2日だった。 なんだか笑えてしまうぐらいに不吉な数字が並んでいて、いっそ命日が4月1日であれば嘘にしてしまえたのかな、なんてことを思ったのをよく覚えている。 私にとっての母の死は二度目だった。 ずっと死にたい死にたいと繰り返していた母が、最後は死ぬのが怖い、怖いと言って死んでいった。 あれからもう10年以上が経ち、母は今も死に続けている。 母が壊れてしまったあの日から、今に至るまで、私は何かフィクションの中で生きているような感覚を抱えて生きてきた。 自分がここにいることへの違和感。 端から見れば中学生の妄想と変わらない、そんな幼い感覚。 そして、逃げるための言い訳を常に探している自分への、どうしようもない嫌悪感。 どうせずっとそれらを抱いて生きていくならば、書くことで見えるものがあるかもしれない。そんな考えで、思い出したく無い記憶を掘り起こし、吐き出してみた。 「私の中の母」はあの日壊れてしまったけれど、本当の、生身の母は、きっと最後まで必死で生きていたのだと思う。 「なんだったんだろう」に答えられなかった、そのことが、今もどうしようもなく悲しいし、悔しい。 行くあてのない「ありがとう」を抱えながら、私は今日も逃げ続けている。 ---------------------------- [自由詩]デュカットは静かだ/春日線香[2020年12月26日22時56分] デュカットは静かだ それからエレミア、彼女の犬 犬は饒舌だ、名前はクーパー クーパーは今日一日元気だった 川辺で古い骨を拾った それは太古の地層から掘り出されたダイナソーの尾 というわけではなく5年ほど前にカーラが投げ捨てたKFCの骨 カーラは長生きして死んだ、彼女が若い頃 伴侶のダグラスは戦場で銃撃を受けた 腿から血が流れた それは脛を伝い、黒っぽい地面に流れた 戦友のゴードンはそれをきれいだと思った ゴードンは終戦後、銀行員になったが 戦場のあのひりつく感じが忘れられなかった 夜には自宅のバスタブで体を洗いながら 黒っぽい船が並ぶベトナムの港を思い出した あの頃の俺が一番輝いていた それが今ではTVショーを眺めながら 一日頭に染みついた数字を振り落とすことしかできない そんな彼の同僚であるところのアオキは いつも職場で性欲を燃やしている 彼の頭の中で戯れる黒い肌の妖精は コールガールであるとともに母親でもあって 巨大な乳房を振り振りスーパーマーケットで買い物をした レジでは43歳のジェーンが対応した 仕事が終わったら明日はようやく休みだ 休みの日にはいつも図書館に行くことにしている 返却本を司書の手に渡して そのハンサムな司書が奥に下がっていくのを最後まで見る それを心の底から堪能している オフィスの四角い扉が開いてまた閉まる一瞬の間に 奥の壁に貼られたポスターがちらりと見える それはカーデシア人デュカットのいかつい顔の大写しだ オフィスの窓から静かに外を見ている 窓の外には川が流れ エレミアの犬が古い骨をくわえて走っていく この骨でずいぶん長いこと楽しめるぞと思っている 犬の名前はクーパー 4歳オス、白と黒のまだらの雑種 この犬がいずれ宇宙を救うことになる ポスターのデュカットはそれを知っているのだ ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]破壊と構築について/アラガイs[2021年1月14日2時55分] とある公共放送の番組で二本のドキュメンタリーをみた。ひとつは海外で創作活躍をしている画家ともう一つは日本で人気のあるバンドメンバーの音楽家だ。そのどちらも若いクリエイティブな創作家であることには違いないのだが、番組の終わりに際してふと疑問点を感じてしまった。無論彼らが目指すものは芸術という魔法で、今までに聴いたことのない刺激的な音楽や、観たこともない多彩な色調の絵なのだろう。彼らは言動でそう主張する。が、しかしその楽曲作りと出来上がった絵画を眺めているうちに、本当にこれでいいのだろうかという戸惑いは否定できなかった。というのも作りあげようと苦悩している音楽も、仲間たちを加えて新たな絵画作りを創作をしているその姿にしても、私にはどこかで聴いたことも観たこともあるよ。という記憶がよみがえるだけなのである。破壊と構築について。このことは今を主流とした若い創作家芸術家たちの間でも流行りの文句ではあるが、破壊と構築、これは結果繰り返されるという点においては今も昔も同じことではないのだろかと。などと考えてみたくもなるのだ。 真の破壊とは、そして構築とは一体如何なるものだろうかと。 その昔ビートルズはアルバム「サージェント.ペパーズ.ロンリー.ハーツ.クラブバンド」において自らが慣れ親しんだ楽曲の音作りを打ち壊してみせた。 そして、今まさに絵画を打ち壊して魅せようとしているのはバンクシーが覆面で行っている創作活動ではないのだろうか。 ビートルズのアルバム「サージェントペパーズ〜」は従来のファンを大いに戸惑わせた。結果離れていったミーハーなファンは多かった。当然ビートルズ自身にも予測はできたのだが、彼らは真の破壊と構築に向き合ったのだと思う。今ではアルバムの評価も皆さんご承知のとおりである。 そしてもう一方のバンクシーである。彼の書く画は額縁という空間を超えて時と場所を選ばない。否、実際は選んでいるのだ。いつ消されてもおかしくない。という空間である。 そのことから考えてみれば、このビートルズの破壊的な革命とバンクシーの革命的な創作活動は構築という概念を覆してしまった。 芸術において本来の目的とはその形づくりである。そしてカタチとは紙幣でもなければそのことから得られる価値でもない。ビートルズとバンクシーの破壊と構築。その両方に共通して云えるのはいままで誰も手をつけられなかった手法。それは結果残さない遺らないでいい。とさえ主張にみられる点ではないのだろうか。 ---------------------------- [自由詩]エンブリヨ・ブラザーナンバーワン/紀ノ川つかさ[2021年1月26日21時40分] さよなら兄弟 俺は生きるぞ 君らの分まで 俺がナンバーワン 子宮のベッドは 空きが一人さ 俺が行くんだ 長いトンネルを抜けて エンブリヨ・ブラザーナンバーワン お別れだ みんなによろしく エンブリヨ・ブラザーナンバーワン 俺は生きてくる 広い世界で 卵子に精子が マイクロピペットで 流し込まれた あの日から 俺達は 五人兄弟 語り合ったよなあ 培養器の中で エンブリヨ・ブラザーナンバーワン 覚えているか 夢の話を エンブリヨ・ブラザーナンバーワン 命の話 そして大宇宙の話 NIPT コンバインドテスト クアトロテスト 全てのゲートをくぐり抜け あの光の中へ…… 光の中へ生まれ出るんだ! 生命工学 進んだ現代 俺達を 認めてくれたクリスチャンさえ あっちを向いて 知らん顔してる もう選ばれなければ 海へ帰るだけさ エンブリヨ・ブラザーナンバーワン どこから命なのか はっきりしてくれよ エンブリヨ・ブラザーナンバーワン それは人それぞれだと言うけれどさ マザーシー おおマザーシー 華麗に育って 見事に選ばれ 母となる人を 得る日まで 俺達の母は あの海さ マザーシー! ---------------------------- [自由詩]コロナという鍋を/二宮和樹[2021年1月27日1時45分] あ〜寒い 温かい何かを食べたい ねーしばらくぶりになべ食べない? いや〜いいねえ どうりで買い込んで来たんだね よかったよ〜 味噌 それとも水炊き? そ〜だね 水炊きにしようか このいっけん世知辛い世の中でも ふたりの温かさは幸せのもとで 何でもないもの コロナ あおる方が豊かなのか しらばっくれる方が豊かなのか したがう方は何なのか まだ 答えはさきの話 鍋を食べ終わる頃にはわかるかもしれない ---------------------------- [自由詩]ペイスリー/妻咲邦香[2021年1月27日12時45分] あなたみたいにゆっくり生きられたなら そう呟きながら その細い指先摘まんで額に押し当てる ひんやりとした感触が あなたの優しさなんだとわかる 私の指はどうやら幸せを掴むためじゃないみたい お財布が見つからなくて お昼ご飯の用意もう間に合わない キッチンガーデンの片隅 露を弾くペイスリー 光を身体中浴びながら そんなに不幸じゃないよと笑う あなただって鳥のように歌えない 私だって真っ直ぐ愛を伝えられない 走れば電車にまだ間に合う 私には2本の足がある 行って来るよ 行って来なよ ペイスリーのサラダは未完成だけれど あなたとこうして話が出来て良かった 誰の心にも深い森があって どんな種も時が満ちて芽吹く 私は幸運を待つ 薄っぺらな鞄と書類の束を抱えながら 名も無いあなたが風を待つように ---------------------------- [自由詩]染みの在処/妻咲邦香[2021年1月28日13時45分] 一人旅を覚えたあの日 握り締めた切符の温もり まだ掌に残っている 初めての出会い 在る筈だった身体の一部のように 再会を喜び、同じ血を通わせた 何処へ行くのも一緒だった 何を見ても、何を食べても スタンプの赤いインクが親指を汚して 思わず拭った まるで子供のように 生まれたばかりの心は風を知らない 何処かで誰かが見ている同じ景色 雲の形が教えてくれた 世界はもっと遠いと思っていた 美しいものは最初から汚れていた 鍵のかかった部屋の何処か あの日の夢が今も眠っている もう通わなくなった血が寝息を立てて 終わった夢を見ている 淡い恋が教えてくれた旅の方法 親指が消えない染みの在処を探し始める いつか乾いた血の跡を子供のように拭き取って 地球はもっと赤いと信じていた その日、切符を財布にしまった私は ホームへの階段を駆け上がっていった 急ぎ足で たくさんの人とすれ違いながら ---------------------------- [自由詩]よさホイのホイ/二宮和樹[2021年1月29日11時02分] 陽が眩しいなぁ 耳を澄ましても生活音と遠くの車の音 ねぇ、そこで丸まってないで 少しは何かしたら? あぁそうだな 一之瀬さんもそう言うしな おもむろに窓を開け 風を感じる 少し冷たい感じが心地よく 小鳥が鳴き 山は佇む 用水路は静々と流れ トンカンという金槌の音が響く そう言えば・・・ 新聞を広げ 気になっていた記事に目を通す こりゃ、この近くだったか と 日の眩しさを手で遮り 改めて世間の狭さを知る 歩き続ける生き方と 寄り道多い生き方と 世間の風は その人がどうしてるのかなどお構いなしに いつの世も風のままにある ---------------------------- [自由詩]富士見/AB(なかほど)[2021年1月29日17時30分] 京急のね 蒲田、平和島あたり通るころ 富士山が見える時があんのよ そしたら何でもない車内で あぁってじんわり沁みてくる それが沁みてくんの 朝はもう乗ってるだけで 鬱になりそうなところ 青く晴れた向こう白い冠 知らずに 薄く声洩れてしまうんだけど 見てるのは俺だけなのかな たまに 夕方に帰れた時に そのシルエットに会えれば ここまで生きてきたよって そう呟いている 生きてきたよ って 帰る場所が判ってるのか 諦めてるのか そんな俺たちがあふれてる時間 にさ   ---------------------------- [自由詩]幽体離脱/妻咲邦香[2021年1月29日21時31分] 貴方の影が優しい 正直に生きるしかなかった私を笑っているようで 噛み締めた唇から、消えかかる花の色が滴り落ちる 畦道、脱輪したワゴン 降りて様子を見ている貴方の背中がまだ大きい 無防備になるなら今 今、今だけ 振り向いたら全部消える もうひとつの時間を此処に置いておくよ ちょっと外の空気が吸いたいから そう言って離れた私を、優しい背中が見送る 花は自らの美しさを知っているのだろうか? 禁煙してたよね? バッグの底探っても出て来やしない 何も 何も、呟きさえも 剥がれた日々が優しい 火の見櫓の陰を踏まないように、軽く飛び越えた 眩しさのフェイクファー 電池の切れた魔法のスティック 振り向いたら全部消えた 走り去ったワゴン いつの間にか、いつの間にか 今頃もう1人の私は幸せだろうか? この私はどちらへ行ったらいい? 消えていくべきか? 空へ 空へ あの大きい背中へ ---------------------------- [自由詩]詩の日めくり 二〇一五年五月一日─三十一日/田中宏輔[2021年2月7日1時08分] 二〇一五年五月一日 「HとI」  アルファベットの順番に感心する。Hの横にIがあるのだ。90度回転させただけじゃないか。エッチの横に愛があるとも読める。もちろん、Iの横にHがあるとも、愛の横にエッチがあるとも読める。 二〇一五年五月二日 「内職」  1週間ほどまえに、授業中にほかの科目を勉強することを、なんて言ってたか忘れていた。つい、さっき、なんのきっかけもなく思い出したのだけれど、「内職」というのだった。思い出したとき、内心の声が、ああ、これこれ、と言っていた。とにかく、なんのきっかけもないのに、思い出せたことに、びっくりした。 二〇一五年五月三日 「なにかを損なう」  なにかを判断したり決定したりすることは、なにかを損なうことだ。しかし、なにも判断せず、なにも決定したりしないこともまた、なにかを損なうことである。そうであるならば、判断し、決定し、なにかを損なうほうをぼくは選ぶ。これもまた、なにかを損なう1つの判断であり、1つの決定であるけれど。 二〇一五年五月四日 「ミシリ」 冷蔵庫からミシリという音が聞こえた。水が氷になる瞬間に遭遇したのだ。 二〇一五年五月五日 「ふわおちよおれしあ」  マクドナルドにアイス・コーヒーを飲みに出たら、交差点で、ブッブーとクラクションの音がするので見たら、車のなかから、まるちゃんが手を振ってくれていて、ぼくもにっこりとあいさつを返して、それから横断歩道を渡ったのだけれど、きょうも一日、充実した休みになると思った。マクドナルドでは、2冊の私家版詩集のうち、『ふわおちよおれしあ』を持って行って、電子データにしていないものに付箋をしていったら、30作ほどあって、このうち、きょう、どれだけワードに打ち込めるかなと思った。ぼくの私家版詩集は、10冊ほどあって、上記のものと『陽の埋葬』は、どちらもA4版の大きさで、超分厚くて、5、6回、頭を叩いたら、ひとを殺せそうなくらいのもので、50部ずつつくったのだけれど、いまどれだけのひとが手元に残していてくれているのかは、わからない。どなたかが神戸女子大学の図書館に寄贈なさったみたいで、そこで閲覧できるみたい。 二〇一五年五月六日 「撥条。」 朝  玄関を出たところで      私の足が止まった。   道の向こうから  蝶々が   いち葉    流れてくる。 手を差し伸べると   蝶々は    私の手のひらの上に   接吻してくれた。 植木鉢の縁に     白い小さな花が    草の花が咲いていた。  妻が出てきた。 あらあらあら    と言いながら   私の足元に     しゃがみこむと 踝(くるぶし)に突き出た     ふたつの螺子を  ぐいぐいぐいと 巻いてくれた。 蝶々は   白い花から離れ     私はまた元気よく   歩きはじめた。 二〇一五年五月七日 「ぷくぷくちゃかぱ。」 ぷくぷくちゃかぱ ぷくぷくちゃかぱ ぷくぷくちゃかぱ ぷくぷくちゃかぱ ぱかぱかちゃかぱ ぱかぱかちゃかぱ ぷくぷくちゃかぱ ぷくぷくちゃかぱ ぷくとぷぷくぷく ぷくとぷぷくぷく ぷくとくぷくぷく ぷくとくぷくぷく ぷくぷくちゃかぱ ぷくぷくちゃかぱ ぷくとぷちゃかぱ ぷくとぷちゃかぱ ぷくとぷぷぷぷぷ ぷくとぷぷぷぷぷ ちゃかぱかぱかぱ ちゃかぱかぱかぱ ちゃぱかぱかぱか ちゃぱかぱかぱか ぷくぷくちゃかぱ ぷくぷくちゃかぱ ぷぷぷぷぷぷぷぷ ぷぷぷぷぷぷぷぷ 二〇一五年五月八日 「ゴルゴンチーズとオレンジの木」  あいまいな記憶だけれど、ディラン・トマスがイタリア旅行したときに書いた手紙の内容が忘れられない。ほかのことは、みんな、忘れたのに。オレンジの木の姿がいいと書いてあった。ゴルゴンチーズがいちばん好きだと書いてあったと思う。なんでもない記述だけれど、この記述がとても印象的で、この記述しか覚えていない。  記憶があいまいなので、『ディラン・トマス書簡集』(徳永暢三・太田直也訳)をぱらぱらとめくって、お目当ての箇所を探した。見つかったので、引用しておく。278─282ページにある、「親愛なるお父さん、お母さん」という言葉からはじまる書簡である。引用は手紙の終わりのほうにある言葉である。  今朝、イーディス・シットウェルから手紙を受け取りましたが、彼女は僕たちがここに来た責任の大半は彼女にあるのです。彼女は、折に触れて作家に動き回るためのお金を与える、著作家協会旅行委員会の委員長なのですよ。お金といえば、銀行は一ポンドを九〇〇リラに換金してくれます。周知の事実ですが、自由市場では一八〇〇リラです。この地域──実のところ、北部のほとんどだと僕は思っているのですが──では食べ物が豊富です。この二日間、最高に調理された素晴らしい食べ物をいただきました。ディナーでは、まずリッチで濃厚なソースをかけた、とてもおいしいスパゲッティ系のもの、次に白身の肉(ホワイト・ミート)、アーティチョーク、ほうれん草にジャガイモ、それからパンとチーズ(ありとあらゆるチーズ。僕が好きなのはゴルゴンゾーラです)が出されて、林檎とオレンジや無花果、そしてコーヒーでした。食事にはいつも赤ワインがつきます。  周りにオレンジがなっているのを眼にするのは愉快なものです。 (D・Jおよびフロレンス・トマス宛、一九四七年四月一一日、イタリア、ラバッロ、サン・ミケーレ・ディ・バガーナ、キューバ荘) 二〇一五年五月九日 「堕落」  客はまばら。数えてみると、15、6人ほどしかいないポルノ映画館の床を、小便のようなものが伝い流れていた。こぼしたジュース類じゃなかった。コーヒー缶から零れ落ちたものでもなかった。しっかり小便の臭いがしてたもの。映画を見ながら、ジジイが漏らしたものなのだろう。しかし、こういった事物・事象の観察が楽しい。人生において、人間がいかに堕落することができるのか知ることは、ただ興味深いというだけではなく、自分が生きていく上で貴重な知見を得ることに等しいのだから。 二〇一五年五月十日 「詩のアイデア」 ──年、──が死んだ。 ──年、──が死んだ。 ──年、──が死んだ。 ──年、──が死んだ。 ──年、──が死んだ。 ──年、──が死んだ。 ──年、──が死んだ。 ──年、──が死んだ。 ──年、──が死んだ。 ──年、──が死んだ。 ──年、──が死んだ。   〇 ──年、──が生れた。 ──年、──が生れた。 ──年、──が生れた。 ──年、──が生れた。 ──年、──が生れた。 ──年、──が生れた。 ──年、──が生れた。 ──年、──が生れた。 ──年、──が生れた。 ──年、──が生れた。 ──年、──が生れた。 二〇一五年五月十一日 「優しさの平方根」  優しさの平方根って、なんだろう? 愛の2乗なら、わかるような気がするけど。 二〇一五年五月十二日 「嫌な物語」  東寺のブックオフで、『厭な物語』(文春文庫)という、厭な物語を集めたアンソロジーを買った。目次を読むと、ハイスミスの「すっぽん」や、シャーリー・ジャクスンの「くじ」や、カフカの「判決」や、フラリー・オコナーの「前任はそういない」とか読んだのがあって、なつかしかった。読んでいないなと思うものに、クリスティーの「崖っぷち」や、ローレンス・ブロックの「言えないわけ」とか、モーリス・ルヴェル(これははじめて知った名前の作家)の「フェリシテ」とかあって、どんな厭な話なのだろうと楽しみである。厭な話を楽しみにしているというのも変だけど。表紙の赤ん坊の人形の顔面どアップが怖い。スタージョンの『人間以上』の、むかしの文庫本の表紙も怖かったけど。ありゃ、オコナーの「前任はそういない」は「善人はそういない」だった。間違ったタイトルでも、おもしろそうだけど、笑。すみません。 二〇一五年五月十三日 「檻。」 どちらが脱獄犯で、どちらが刑務官か なんてことは、檻にとっては、どうでもよかった。 彼の仕事は、ただひとつ。 ──鍵の味を忘れないことだけだった。 二〇一五年五月十四日 「言葉と言葉のやりとり」  物質と物質の化学反応のように、物質と物質のやりとりは興味深い。同様に、人間が交わす言葉と言葉のやりとりも興味深い。人間と人間のやりとりも興味深いと言い換えてもよい。 二〇一五年五月十五日 「無意識領域の自我と意識領域の自我」  夢をつくっているのは無意識領域の自我である。では、夢を見ているのは、意識領域の自我なのか。いや違う。夢を見ているのも、無意識領域の自我なのだ。では、なぜ、夢から覚めたあと、意識領域の自我が夢を憶えているのだろうか。ここに謎がある。無意識領域というのと、意識領域というものの存在の。あるいは非在の。 二〇一五年五月十六日 「B・B・キング」  コリン・ウィルソンの『殺人の哲学』を再読して、チェックした点、3つ。1つ、マックゴナルという詩人の名前を知って、彼の詩が載っている、Very Bad Poetry とか、The World's Worst Poetry といった、へたくそで有名なへぼ詩人のみの詩選集を買ったこと。いま1つ。オーデンの詩句、「人生はやはり一つの祝福だ。/たとえ君が祝福できないとしても」(高儀 進訳)を知ったこと。オーデンを読んだことがあったのだが、こころに残る詩句が一つもなかったので、ぼくのなかでは、どうでもよい詩人だったが、この詩句を知ってから読み直した。読み直してみて、こころに残る詩句はまったくと言ってよいほど、ほとんどなかったが、そこから逆に、では、ぼくのこころに残る詩句とは、どんなものか、ということを考えさせられた。体験することは大切なことだが、その体験が知的な言語パズルとしてつくられていないと、退屈に感じてしまうというもの。芸術は、感性的に言っても、知的パズルにしかすぎない。それ以上のものではない。見事なパズルをつくる者が芸術家であり、その見事なパズルが芸術作品なのである。と、そう思う。あと1つは、笑ってしまったのだが、アメリカのユタ州で、1966年に、同性愛者による連続殺人事件が起こったというのだが、6人の被害者が、みな若くて、美しい青年だったらしくて、警察がつぎのような布告をしたらしい。「すべてのガソリンスタンドに対し、夕方になったら店を締めるか、必ず年配の者──できれば、そのうえひどく不器量な者──を接客係にするか、どちらかにするように要請した。」齢をとって、なおかつ、ブサイクな男は殺されないということである。笑っちゃいけないことかもしれないけれど、読んだとき、めっちゃ笑った。ちなみに、1つ目は17ページに、2つ目は27ページに、3つ目は400ページに載っている。『殺人の哲学』は、角川文庫版だが、これは改題されて、ほかの出版社から、『殺人ケース・ブック』の名前で再刊されたように記憶している。ぼくは、そちらで先に読んだ。  ああ、そうだ。B・B・キングが亡くなったって、きのう、きみやさんで聞いたのだけれど、ぼくがフォローしてるひとのツイートには、ぜんぜん書いてなくって、ちょっとびっくり。 二〇一五年五月十七日 「二言、三言」  きょうは、勤め先の学校の先生のおひとりとごいっしょに、イタリアンレストランで食事とお酒をいただいて、そのあと、ふたりで日知庵に行った。帰りに、西大路通りの松原のコンビニ「セブンイレブン」で、なんか買って帰ろうと思って寄った。そしたら、数週間前に見たかわいいバイトの男の子がいて、シュークリームを2個買って、その子が新聞をいじっていたそばに行くと、その子があいてるレジに行ったので「ひげ、そったの?」と訊くと「似合ってましたか?」と訊いてきたので、「かわいかったよ。」と言うと、横を向きながら(横を向いてなにか作業をするという感じじゃなかった。)レジを操作して、ぼくに釣銭を渡してくれたのだけれど、その男の子の指が、ぼくの手のひらに触れる瞬間に、ちらとぼくの目を見つめ返してくれた目が、かつてぼくが好きだった男の子の目といっしょで、ドキドキした。名前をしっかり見た。かつてぼくが好きだった男の子というのは、下鴨に住んでたとき、向かいのビリヤード屋でバイトしてた九州出身の男の子のこと。住んでたとこの近くで会ったとき、目があって、見つめ合って、ぼくが声をかけたのだった。そのあとは、彼の方が積極的になって「こんど、男同士の話をしましょう」と言ってきて、でも、そのあまりの積極性に、ぼくの方がたじたじとなって、消極的になってしまって。あのとき、どうして、ぼくは、彼のことを受けとめてあげられなかったのだろう。そんなふうに、受けとめられなかった男の子の思い出がいくつもあって。森園勝敏の「エスケープ」を聴きながら、ケイちゃんのことを思い出した。ぼくが21歳くらいで、ケイちゃんは23歳くらいだったかな。ふたりで、夜中に、四条河原町の阪急電車の出入り口のところで、肩を寄せ合って、くっちゃべっていた。お互いに自分たちの家に帰るのを少しでも遅くしようとして。「エスケープ」「ひげ、そったの?」「似合ってましたか?」「かわいかったよ。」こういうのって、二言、三言って言うんだろうけど、なんだか、ぼくの人生って、この二言、三言ってものの連続って感じ。 二〇一五年五月十八日 「道端で傷を負った犬に捧ぐ」  仕事が忙しくて、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの英詩翻訳をほっぽらかしてた。きょう、あした、学校がないので、訳したい。きのう、ちらっと読んでいたら、とてもすてきな詩だったので、日本語にできたらいいなと思った。これからマクドナルドにアイス・コーヒーを飲みに行く。ぼくのような54才のジジイが、赤線いっぱい入れた、英文をにらみつけてる姿を見たら、老人の学生と間違われるかもしれない。知ってる単語でも、最適の訳語を探すために、もとの英文の行間には、赤いペンで、訳語の候補をびっちり書き込むのだ。行間だけでは足りないから、ひきこみ線をつけて、上下左右の空白にもびっちり書き込むのだ。あ、ほんと、高校生か大学生みたい。マクドナルドで、アイス・コーヒー飲みながら、ウィリアムズの詩の翻訳の下書きを書いていた。下訳というのだろうか。英語のままでわかるのに、日本語になかなかできないというのは、じつは、英語でもわかっていないのかもしれない。食事をしたら、下訳に手をつけて、ブログに貼り付けよう。いつものように、しょっちゅう、手を入れることになりそうだけれど。きょう訳したいと思っているウィリアムズの詩、いい詩だと思う。『To a Dog Injured in the Street』だ。これもまた、思潮社の海外詩文庫『ウィリアムズ詩集』に収録されていなかったので、訳そうと思ったのだ。ぼくのように英語の出来の悪い人間じゃなくて、もっと英語のできるひとが、よりいい翻訳をすればいいのになって思う。ほんと、ぼくより英語ができるひとって、山ほどいると思うのに、なんで訳さないんだろう、不思議だ。ウィリアムズは、自然の事物を子細に観察し、それを詩的な表現にまで昇華する能力にたけているのだなと思う。詩人にはぜったい的に必要な能力だと思う。この能力が、ぼくには欠けているらしい。よって、ぼくが自分の能力を傾けるのは、べつの点からであるのだろう。たとえば、詩の構造を通して、言語とはなにかということを模索することなどである。いろいろな詩があっていい。翻訳はしんどいけど、うまく訳せたなってときの喜びは大きくって、とくにウィリアムズの詩は、自然観察に優れた才のあるひとだから、訳してると、ほんとうに勉強になる。まさしく「事物を離れて観念はない」などと思う。   〇 To a Dog Injured in the Street William Carlos Williams It is myself, not the poor beast lying there yelping with pain that brings me to myself with a start─ as at the explosion of a bomb, a bomb that has laid all the world waste. I can do nothin but sing about it and so I am assuaged from my pain. A drowsy numbness drowns my sense as if of hemlock I had drunk. I think of the poetry of Rene Char and all he must have seen and suffered that has brought him to speak only of sedgy rivers, of daffodils and tulips whose roots they water, even to the free-flowing river that laves the rootlets of those sweet-scented flowers that people the milky way I remember Norma our English setter of my childhood her silky ears and expressive eyes. She had a litter of pups one night in our pantry and I kicked one of them thinking, in my alarm, that they were biting her breasts to destroy her. I remember also a dead rabbit lying harmlessly on the outspread palm of a hunter's hand. As I stood by watching he took a hunting knife and with a laugh thrust it up into the animal's private parts. I almost fainted. Why should I think of that now? The cries of a dying dog are to be blotted out as best I can. Rene Char you are poet who believes in the power of beauty to right all wrongs. I believe it also. With invention and courage we shall surpass the pitiful dumb beasts, let all men believe it, as you have taught me also to believe it. 英語の詩句、ぼくの翻訳のようにレイアウトされてます。 現代詩フォーラムに投稿したものも投稿時にそうレイアウトしましたが 反映されませんでした。 道端で傷を負った犬に捧ぐ ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ そいつは、ぼく自身のことなんだ、        そこに横たわっている可哀そうな動物のことじゃなくてね                   痛くって、キャンキャン吠えてるやつじゃなくてね そいつは、ぼくをびくっとさせて正気に返らせてくれるんだ──            爆発の瞬間というものによって                 爆弾のさ、仕掛けられた爆弾のさ 世界中が荒廃している。       ぼくには、なすすべがない                そのことについて歌う以外のことは そうして、ぼくは逃れるんだ          ぼくの痛みからね 眠気を催さすしびれのようなものが、ぼくの感覚を麻痺させる      まるでドクニンジンを飲んだときのようなね               ぼくはそれを飲んだことがあるんだ。ぼくは考える ルネ・シャールの       詩のことを            彼が遭遇したに違いないすべてのことについて 彼が苦しんだに違いないすべてのことについて      でも、そのことで、彼は書くことになったのさ、書くということだけに スゲの茂った川についてね       ラッパスイセンやチューリップが                その根をはわせて水を吸い上げているところ 水がひらたく、ゆったりと流れるその川には                 甘い香りを放つ                    それらの葉っぱや小さな根っこが浮かんでいる そこでは        人びとは               銀河のようだ ぼくはノーマのことを憶えている         子どものころに飼ってたイングリッシュ・セッターで                            彼女の絹のような耳 そして表情豊かだった目を         ある晩、彼女はひと群れの小犬たちを連れてきた ぼくたちが食器を運んだりするところにだよ、それで、ぼくはひと蹴りしてやったんだ             その小犬のうちの一匹を                    考え込んじゃったよ、ぼくはびっくりしたんだ だって、そのとき、小犬たちが彼女を引き裂こうとして                彼女の胸に噛みついちゃったんだもの ぼくはまた憶えている        一匹の死んだウサギのことを                 だれのことも脅かすことなく横たわっていたよ ハンターの               ひろげた手のひらのうえにいるそいつのことを                         ぼくがそばに立って 見ていると     彼は狩猟用ナイフを手にして                そして顔には笑みを浮かべてさ ナイフをぐいっと突き刺したんだ          そのウサギの陰部にさ                 ぼくは気を失いそうになったよ どうして、いま、ぼくはそのことを考えてしまうんだろう?                    殺処分されることになっている                             死にかけの犬の叫び声 ぼくは自分ができることしかできないけれど            ルネ・シャール                あなたは詩人だ すべての過ちを正す         美の力を信じている詩人だ。                 ぼくもまた、その美の力を信じているよ。 創作と勇気があれば        ぼくたちは             あの口のきけない可哀そうな動物たちを越えられるだろう。 すべての人間たちにそのことを信じさせてほしい           あなたがぼくにそのことを信じるよう                      教えてくれたように。   〇 このあいだ訳してみたものも書き込んでおこうかな。かわいらしい詩だった。   〇 DANSE RUSSE William Carlos Williams If I when my wife is sleeping and the baby and Kathleen are sleeping and the sun is a flame-white disc in silken mists above shining trees,─ if I in my north room dance naked, grotesquely before my mirror waving my shirt round my head and singing softly to myself: ‘I am lonely, lonely I was born to be lonely, I am best so!’ If I admire my arms, my face my shoulders, flanks, buttocks against the yellow drawn shades,─ Who shall say I am not the happy genius of my household? ロシアン・ダンス ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ もしも、ぼくの奥さんが眠ってたらね ぼくの赤ちゃんと、ぼくの娘のキャスリンが 眠ってたらね そして、太陽がギラギラと照り輝く円盤みたいで 日に照り輝く樹木のうえにも 絹のような霞がかかってたらね それから、もしも、ぼくが、ぼくの北のほうにある自分の部屋にいたらね ぼくは裸になって、ばかみたいに 鏡を前にしてさ ぼくはシャツを首にひらひらさせてさ 自分に向かってやさしくつぶやくように、こう歌うのさ 「ぼくはひとりっきり、ひとりっきりなのさ  ひとりっきりになるために生まれたのさ  こんなに最高な気分ってないよ!」って。 歪んで小さくなった、その黄色いぼくの影たちを背景にして ぼくは、ぼくの両腕を讃える。ぼくの顔を讃える。 ぼくの両肩を讃える。ぼくの横っ腹を讃える。ぼくのお尻を讃える── ぼくが、ぼくの家族のなかで ぼくが最高に幸福な天才じゃないって、だれか言えるひといる?   〇  塾の帰りに、ブックオフで、フォワードの『竜の卵』を買った。カヴァーにすこしよれがあるけれど、まあ、いいかと思った。郵便受に、手塚富雄訳のゲーテ『ファウスト』第二部・下巻が入っていた。カヴァーの状態がよくないが、まあ、これは読めたらいい部類の本だから、がまんしよう。 二〇一五年五月十九日 「ケイちゃん」 「きょう、オレんちに泊まりにくる?」 ぼくは、まだ大学生で 外泊する理由を親に話せなかった。 返事をしないでいると ケイちゃんは残念そうな顔をした。 ぼくはなにも言えなくて 阪急の河原町駅の入口 階段の前に しばらくのあいだ ふたり並んですわりこんでいた。 おろした手の甲をくっつけあって。 ぼくより少し背が高くて ぼくより2つ上だった。 ぼくたちの目の前を たくさんのひとたちが通っていった。 ぼくたちも たぶん、彼らにとっては 風景の一部で でも、若い男の子が 夜に ふたりぴったり身を寄せ合って 黙っている姿は どんなふうにとられていたんやろ。 ケイちゃんはカッコよかったし ぼくは童顔で ぽっちゃりさんのかわいらしい顔だったから たぶん、うつくしかったと思うけど 他人になって ぼくたちふたりを見たかったなあ。 10年後に ゲイ・スナックで会ったケイちゃんは まるで別人のような変わり方をしていた。 かわいらしいやさしそうな表情は いかつい意地の悪い感じになっていた。 なにがあったのか知らないけれど 20代前半のうつくしさは まったくどこにも残っていなかった。 「その子と  きょうはいっしょなんや」 少し前に、ぼくが知り合った子と ぼくを見て。 「きょう、オレんちに泊まりにくる?」 そう言ってくれたケイちゃんの面影は そう言ってくれたケイちゃんに ちゃんと返事できなかったぼくを ゆるしてくれたケイちゃんの面影はどこにもなかった。 ある年齢をこえると がらりと顔が変わるひとがいて 若いときの面影がどこにもなくて そう言うぼくだって 若いときの童顔は 見る影もなく いまは、いかついオジンになってしまっているけれど 付き合った子たちと また会うってことは、ほとんどないのだけれど ひとりだけかな 前の恋人だけど きょうも会っていて ぼくは日知庵で飲んでた。 ヨッパのぼくに 「はよ恋人、見つけや」 そう言われたぼくは笑いながら 「死ね」 って言い返していた。 店の外に出たときに言ったから 繁華街の道を歩いてるカップルたちが 驚いて、ぼくの顔を見ていた。 前の恋人は、別れてからも魅力的で それがいちばんくやしい、笑。 ケイちゃんとはじめてメイク・ラブした夜 ラブホテルで 東山三条かな 蹴上ってところだったかな ゲイでも入れる『デミアン』って名前のホテルでね そこで 「いっしょに行く?」 って、セックスしているときに言われて 「えっ? どこに?」 って、バカなこと言ったぼくだったけど ケイちゃんは、ちょっと困った顔をしてたけど ぼくは、気が散ってしまって けっきょく、ぼくはあとになって いっしょに行けなかった。 とてもはずかしい記憶。 そのときのはずかしさは いまでも そのときの時間や場所や出来事が記憶しているんじゃないかな。 はじめてケイちゃんに会って はじめてケイちゃんと口をきいたときの あのドキドキは 繰り返し ぼくにあらわれた。 違った時間や場所で 違った子との出会いで。 なんて言ったかな あれ あの まるで 風と戯れる ちぎれた蜘蛛の巣のかけらのように。 二〇一五年五月二十日 「手」 手の方が先に動いていることがある。 いや、動き出そうとすることがあるのだ。 かわいらしい男の子や女の子がそばにいると。 手のひらがひらいているのだ。 ふと気がつくと、手のひらが時間を隔てた写真をコマ送りにしたみたいに ひらいていくのだった。 たとえば、それが電車のなかであったなら 急いで手のひらに、ポールや吊り革をぎゅっと握らせなければならない。 歩いている道やショッピングしている店のなかだと、 上着のポケットにすばやく手をすべり込ませなければならない。 知らないうちに、手のひらがひらくのだから いつ、自分の意思を無視しだすかわからないからだった。 やはり、手のほうが、ぼくより個性があるのかもしれない。 戦地なのに幸せ。 センチなのに幸せ。 二〇一五年五月二十一日 「松井先生」  高校のとき、社会の先生に手を握られて教員室を飛び出しましたが、いま考えると、まだ23、4才の可愛いおデブさんの先生でした。ひとの顔って、あまり明確に憶えてないけど、その社会の先生の顔は憶えてる。おデブちゃんで、簡単な描線でかける感じやったから。テニスの上手なスポーツデブやった。当時は、ぼくは、デブがダメやったんやけど、20歳くらいのとき、はじめて付き合った2つ年上のひとがデブで、それからはデブ専に。ぼくは、自分の詩に、個人名も入れてるけれど、これって、もしかしたら、個人情報云々で訴えられるのかな。まあ、名前は書いてないけど、だれだか、同級生だったらわかるけど。でも、事実やったからなあ。まあ、しかし、よく考えたら、ぼくは未成年やったし、向こうが犯罪でしょ。しかし、時効か。ビタミンハウスってショーパブで、バイトをちょっとしたときには、若いおデブのお坊さんに手をぎゅっと握られて、そのときはデブ専やったから、めっちゃ幸せやった。あ、ぼくが大学院生のときのバイトね。女装もちょっとしたけど、化け物やった。化け物好きのひとも、たくさんいたけど、笑。京大のアメフト選手とはちょっとあって、ぼくも青春してたのね。そういえば、暗黒舞踏の白虎社のひとに「あたしたちと踊らない?」と誘われたのも、ビタミンハウスでバイトしてたとき。で、スタンドってバーで、女装してたオカマの友だちと朝まで飲んでたとき。いかつい眉毛なし2人に声をかけられた。金融関係のひとも、オカマ好きが多かった。当時は、お金持ちの客って、坊主と金融関係者ばっかってイメージ。バブルだった。でも、お坊さんって、若いお坊さんばっかだったけど、見た目は、みんな体育会系。ぼくの好きなひとは、だいたい、相撲部、柔道体型だったけど。水商売って、人間の暗部を見るけど、ハチャメチャで楽しいとこもあった。ニューハーフは、はっきり2つにわかれる。えげつないやつと、めっちゃいいひとと。めっちゃいいひとのひとり、自殺しちゃったけど、よくしてもらったから、いい思い出がいっぱい。昼間からドレス着て日傘さして歩いてはったわ。オカマの友だちが居酒屋をするかもしれないから手伝ってと言われてる。かしこいひと相手にできるの、あっちゃんだけやからって、かしこいひとって、相手にしなくても、勝手にしゃべって飲んでるからいいんじゃないって言うのだけど。しかし、塾と学校で、ほかにも仕事は無理やわ。無理よ。 二〇一五年五月二十二日 「油びきの日。」 油びきの日になると 教室も、廊下も みんな、きれいに掃き清められる。 目地と目地の隙間に 箒の手が入る。 掻き出し、かきだされる 塵と、埃と、砂粒たち。 ぼくらがグラウンドから 毎日、まいにち運んできた 塵と、埃と、砂粒たち。 掻き出し、かきだされる 塵と、埃と、砂粒たち。 ぼくらが運動場(グラウンド)から 毎日、まいにち運んできた 塵と、埃と、砂粒たち。 油びきの日になると 床や、廊下が すっかり生まれ変わる。 黒くなって強くなる。 ぼくらも日毎に黒くなる。 夏の日射しに黒くなる。 黒くなって強くなる。 つまずき、転んで強くなる。 赤チン塗って強くなる。 二〇一五年五月二十三日 「13の過去(仮題)」  朝、コンビニで、サラダとカレーパン買って、食べた。通勤の行き帰りでは、ロバート・シルヴァーバーグの『ヴァレンタイン卿の城』上巻のつづきを読んだ。ジャグラーについて詳述されているのだが、それが詩論に照応する。シルヴァーバーグのものは、いつでもそうだが、詩論として吸収できるのだ。『図書館の掟。』と『舞姫。』は別々の作品で、ただ幾つかの設定を同じ世界にしていたのだけれど、きょう、シルヴァーバーグの『ヴァレンタイン卿の城』の上巻を仕事帰りの電車のなかで読んでいて、ふと、『図書館の掟。』の最後のパートと、『舞姫。』のすべての部分をつなぐ完璧な場面を思いついた。それが、『13の過去(仮題)』第1回目の作品になる。どの時期のぼくだったか特定する様子を描く。若いときのぼくを観察する様子を描く。若いときのぼくが、ドッペルゲンガーを見る。若いときに見たぼくのドッペルゲンガーとは、じつは、齢をとったぼくが、若いときのぼくを見てたときの姿だったという話だ。『13の過去(仮題)』の冒頭。バスのシーンで、バスについての考察。地球は円である。高速度で回転している円のうえを、のろのろと走行しているバスを思い描く。ここでも、54才のぼくの視点と15才のぼくの視点の交錯がある。『13の過去(仮題)』において、もうひとりのぼくの存在のはじまりを探求する。マルブツ百貨店での贋の記憶がはじまりのような気がする。あるいは、幼稚園のときの岡崎動物園でみた片方の角しかない鹿が両方に角のある鹿と激しく喧嘩してたシーンのときとか。これもメモだが、八坂神社の仁王像の金網。昔はなかった。子どものときと同じ風景ではない。高野川の浚渫されなくなってからの中州の土の盛り上がりにも驚かされたが。円山公園の池の掃除のとき、亀が甲羅干ししてた。 二〇一五年五月二十四日 「濡れたマッチ」 濡れたマッチには火がつかない。 ぽろぽろと頭が欠けていく。 二〇一五年五月二十五日 「記憶再生装置としての文学」  記憶再生装置としての文学。自分の作品のみならず、他人の作品を読んだときにも、忘れていたことが思い出されることがある。このとき注意しなければならないのは、読んだものの影響が記憶に混じってしまっている可能性がゼロではないということ。まったく事実ではない記憶がつくられる場合があるのだ。 二〇一五年五月二十六日 「磁場としての文学空間」  磁場としての文学空間。電流が流れると磁場が生じる。作品を読んでいるときに、どこかで電流が流れているのかもしれない。言葉と言葉がつながって、電流のようなものが流れているのかもしれない。頭のなかに磁場のようなものが生じているのではないだろうか。そんな気がする。すぐれた作品のみならず。 二〇一五年五月二十七日 「巣箱から蜂蜜があふれ出てしたたり落ちていた」  高知の窪川に、ぼくを生んだ母に会いに行った。ぼくが二十歳のときだった。はじめて実母に会ったのだった。近所に叔父の家があって、その畑があってた。畑では、隅に蜜蜂の巣箱があって、巣箱からは、蜂蜜があふれ出てしたたり落ちていた。その数年後、叔父が木の枝に首をくくって亡くなったという。ぼくが会ったときは、おとなしい、身体の小さいひとだった。いっしょにお酒を飲んだ。若いときは、荒れたひとだったという。 二〇一五年五月二十八日 「ふるさとは遠くにありて思うもの」  きょう、五条堀川のブックオフに行って、24冊売って、1010円。で、『日本の詩歌』シリーズが1冊108円だったので、7巻買って、756円使った。以前に、学校で借りて全巻に目を通していたし、講談社版・日本現代文學全集・108巻の『現代詩歌集』というアンソロジーに主要な作品が入っていたのだが、薄い紫色の小さな文字の脚注がなつかしくて買った。そうそう。草野心平さんの、『日本の詩歌』では、一文字アキだった。丸山薫の詩に影響を受けて、『Pastiche』をつくったのだけれど、いまだに、だれも指摘してくれない。中也は好きではないが、買っておいた。この齢で(54歳である)中也はもう読めないと思うのだけれど。宮沢賢治は、齢をとっても読める詩人であると思う。じっさい、ブックオフでちら読みしていて、イマジネーションが浮かんだからである。西脇順三郎さんのは、何冊も読んだし、ぽるぷ出版の『西脇順三郎詩集』も持っているが、やはり、薄い紫色の脚注の文字がなつかしくて、買っておいた。あっ、唱歌のものがあったけれど、ぼくは学者じゃないからいらないやと思って買わなかったけれど、戦争中の唱歌とかあって、笑ってしまった。戦争讃美の歌を西条八十なんかが書いてたんだね。めっちゃ幼稚な詩だった。あ、おもしろそうだから、買いに行こう。行ってきます。で、ブックオフ、ふたたび、『日本歌唱集』と『室生犀星』を買ってきた。犀星は、「こぼれたわらいなら、どこかに落ちているのだろう」とか、ああ、らりるれろ、らりるれろ」とかだったかな、すてきなフレーズを書いていて、そうだ、「ふるさとは遠くにありて思うもの」ってのも、犀星じゃなかったっけ。 二〇一五年五月二十九日 「そうしていまでは、もうタイトルも思い出せない。」  きょうも朝から本棚の整理をしていた。ここ2日間で、ブックオフで60冊ばかり売って、2000円だった。まあ、売り値は、買い値の10分の1から20分の1の間だということだろう。意外だったのは、売るのに躊躇していた『太陽破壊者』が買い取れないというので戻ってきたこと。ほっとして、いまクリアファイルで、本棚のまえに立てて飾れるプラスティック・ケースをつくって飾っていること。表紙が抜群にいいのだ。買い取られなくて、よかった。60冊の本のなかには、もう二度と読み直すものはなかったと思う。そうしていまでは、もうタイトルも思い出せない。 二〇一五年五月三十日 「ハンキー・ドリー」  学校の帰りに、日知庵で飲んでた。むかし付き合った男の子にそっくりの子がきてて、びっくり。ぼくとおんなじ、数学の先生だっていうから、めっちゃ、びっくり。かわいかった。また会えるかなあ。会えればいいなあ。ヨッパのぼくは、いま、自分の部屋で、お酒に酔った頭をフラフラさせながら、デヴィッド・ボウイの「ハンキー・ドリー」を聴きながら、ボロボロ泣いてる。なんで泣いてるんだろう。わからない。泣きながら寝る。おやすみ。 二〇一五年五月三十一日 「エコー」 想いをこらせば こだまする きみの声 きみの声 ---------------------------- [自由詩]つぶやかない/たもつ[2021年2月21日19時52分] 人が笑っている 人も笑っている 空は何もしない 近所の人が歩いている 犬を連れている 性別は男とオス 海は遠い (午前6:53 ? 2021年2月3日?) 椅子が眠っている 壊れたパンケーキのように 寝言を言わないのは 口がないことに気づいてしまうから 靴を並べてください みんな帰ります (午前7:09 ? 2021年2月4日?) 町内に水族館ができた 綺麗な魚などが見たかったのに 地味な色の生き物ばかり集まってくる 家に帰ると 十数年ぶりに従姉から電話があった 明日は雨だと教えてくれた (午後0:02 ? 2021年2月6日?) 眠れない夜 眠ってばかりの夜 窓を開けて夜の黒をすくう けれど掌にあるのは 無数の星屑ばかり 母は準備を怠らない人だった 準備をし続け一生を終えた (午前9:14 ? 2021年2月7日?) 自転車置き場で春を待ってる 何もない、が時々 風のように吹いて いずれ何もなくなる 見えないはずの自分の後ろ姿が 父に似てきたと思う (午前8:42 ? 2021年2月11日?) 飛行場に触れるあなたの手が 昨日より少し柔らかい 優しい形の飛行場は雨に濡れて いくら言葉を費やしても 飛べない空がある 誰かが窓を開ける 誰かが他の窓を閉める (午後6:05 ? 2021年2月13日?) 魔法使いになった 醤油ラーメンを味噌に変える それが唯一使える魔法 役に立たなそうものが役に立つ というのはよくある話で これまでの功績が世界中で讃えられ この度ノーベル平和賞をいただいた 春の砂浜で 本当は塩が好き、とつぶやいてみる (午前9:08 ? 2021年2月14日?) 葱畑の向こうに気球が落下する 作りかけのオランダスープは すっかり蒸発してしまった 暖かいある日 君からの手紙が届いたと思ったけれど それは見慣れた花びらだった (午前6:54 ? 2021年2月19日?) 陽射しが好きでした 人が思い思いの角度で傾くのもすべて いたる所に象の巣がある街を 川は忘れて流れていく 本日は在席しています 昼間が終わる頃まで 季節の一番奥の方です (午前7:05 ? 2021年2月20日?) ひとつ、またひとつ 命が往来する つぶやきは羽音 雨水の匂いがする 自分の心は 自分の一番近くにあるはずのに どうして仲良くなれないのだろう ただなだらかに 坂道は続いている (午後2:32 ? 2021年2月21日?) ---------------------------- [自由詩]玉葱/為平 澪[2021年2月23日5時03分] 玄関を出るときいつも気になっていた 軒先に干されていた玉葱たち 錆びた脚立の三段目に簀子をまたがせ 置かれた大量の玉葱 大きなビニール袋の下では 腐ってしまうその中身を 丁寧に木板の上に並べていた人 力のない手のひら 動かしにくい指先 (割れないように (長持ちするように 家の軒先 陽当たりを加減して (落とさないように (傷つけないように        * 先週、カレーライスが食べたくて  薄皮を剥いでいった 今週、スパゲッティが食べたくて  表面の皮を破り捨てた 今晩、肉じゃがにするといって 芯を取り除き乱雑に包丁で刻み込んだ 夜、納戸にまで水が浸み込む暴風雨に曝されて 外干ししていた玉葱たちは 転がりながら 行方不明になったり 落ちて傷ついたまま 溝の中で腐っていった 以来、 玉葱を上手に並べて干してある家を尋ねて歩く 玄関の扉は開けっぱなしで 軒下から転がり落ちたものを 必死で並べようとした人を いつまでも  探してみたりして ---------------------------- [自由詩]穴/春日線香[2021年3月4日23時12分] おとこが夜中にやってくる そのおとこは生まれたことがないのである いっしょにゆこう どこへ とおくへ くちびるでかすかに笑っている いそいそと身を起こして 服を着て出ていこうとすると なまぐさい と言われる くさいとはなんだ と怒りたくなるが やっぱりそうなのかとわかっている じわじわと水位が下がっていく おとこは岸に舟を着けて わたしを突き飛ばしざまに ぐいっとやわらかいものをもぎとる よくわかっている 舟はおとこひとりを乗せて とおいとおい穴へと流れていく そこでは無数のかにが ひそやかに触れ合う音をたてて この世をやわらかく憎んでいる わたしは置いていかれて 薬缶のふたみたいにころがっている ふなむしがいっせいに目覚めて 体を食い荒らそうとも 目をあけてころがっている ---------------------------- [自由詩]くりかえしの水/為平 澪[2021年3月6日8時57分] 真夜中の台所で 小さく座っている 仄暗い灯りの下で湯を沸かし続けている人 今日は私で 昔は母、だったもの、 秒針の動きが響くその中央で テーブルに集う家族たちが夢見たものは 何であったのか 遠く離れて何も言えなくなった人たちに 答えを聞くことも出来ず 愚問の正解を ざらついた舌で確かめながら 朝へと噛みしめていく 秒針に切り刻まれながら刻一刻と 日が昇ることを考えていると とてつもない老いが頭や肩に 霜となって固まり始める 今日あったことを 書いたり話せる相手が いつかいなくなってしまったとしても 台所に佇んでいるこの静かな重みは いのちが向かい合って 椅子に並んでいた姿 使い慣れた菜箸で挟みたかったもの、 古びた布巾で包んでしまえなかったもの、 隅においやられた三角ポストが呑み込んだ 役立たず、という言葉と出来事が おたまの底にぶら下がって すくえなかったあの頃 生きることは火で水を沸かすこと、 水で喉を潤していくこと、 くりかえされる水について 不確かなものが取り残され確実なものは流されていく うつらうつらと霞んでいく風景の向こう、 悴んでいた古くさい夜が反省と再生を繰返し 深呼吸をして泪粒ほどの朝日を吐き出す いつしか毎日は 湯気のように立ち上がり 人は再び、光のほうへと目を向けていく ---------------------------- [自由詩]詩の日めくり 二〇一五年九月一日─三十一日/田中宏輔[2021年3月6日10時50分] 二〇一五年九月一日 「明日」  ドボンッて音がして、つづけて、ドボンッドボンッって音がしたので振り返ったら、さっきまでたくさんいた明日たちが、プールの水のなかにつぎつぎと滑り落ちていくのが見えた。明日だらけだった風景から、明日のまったくない風景になった。水面をみやると、数多くの明日たちがもんどりうって泳いでた。  プールサイドには、明日がいっぱい。明日だらけ。たくさんの明日が横たわっている。ひとつの明日がつと起き上がり、プールの水のなかに飛び込んだ。プハーッと息を吐き出して顔をあげる明日。他の明日たちがつと起き上がって、つぎつぎとプールの水のなかに身を滑らせた。ドボッ、ドボッ、ドボッ。  明日には明日があるさ。昨日に昨日があったように? 今日に今日があったように? そだろうか。昨日に今日がまじってたり、今日に明日がまじってたり、明日に昨日がまじってたりもするんじゃないのかな。明日には明日があるなんて、信じちゃいけない。明日には明日がないこともあるかもしれないもの。明日が、ぜんぶ昨日だったり、今日だったりすることもあるかもしれないもの。  明日がプールサイドにいた。プールの水に乱反射した陽の光がまぶしかった。明日がつと駆けるようにしてぼくのほうに近づいてきた。びっくりして、ぼくは、プールに飛び込んだ。プールの水のなかには、さっきのように驚かされて水のなかに飛び込んだ、たくさんのぼくがいた。目をあけたまま沈んでいた。  ホテルの高階の部屋から見下ろしていると、たとえ明日がプールの水のなかに飛び込んで泳ごうとも、飛びこまずにプールサイドに横たわっていようとも、同じことだった。いる場所をわずかに換えるだけで、ほとんど同じ場所にいるのだから。どの明日もひとつの明日だ。どれだけたくさんの明日があっても。 二〇一五年九月二日 「自由」  自由の意味はひとによって異なる。なぜなら何を不自由と感じているかで自由の観念が決まるからである。ひとそれぞれ個人的な事情があるのだ。そこに気がつけば、言葉というものが、ひとによって同じ意味を持つものであるとは限らないことがわかるであろう。むしろ同じ意味にとられるほうが不思議だ。 二〇一五年九月三日 「言葉」  すべての言葉がさいしょは一点に集まっていたのだが、言葉のビッグバン現象によって散らばり、互いに遠ざかり出したのだという。やがて、それらのうちいくつかのものが詩となったり、公的文書となったり、日記となったりしたのだというが、いつの日かまた散らばった言葉が一点に集まる日がくるという。 二〇一五年九月四日 「本の種」  本の種を買ってきた。まだなんの本になるのかはわからない。読んだ本や会話などから言葉を拾ってきて、ぱらぱらと肥料として与えた。あまり言葉をやりすぎると、根腐りするらしい。適度な余白が必要なのだ。言葉と言葉のあいだに、魂が呼吸できるだけの空白が必要だというのだ。わかるような気がする。 二〇一五年九月五日 「ジャガイモ」 『Sudden Fiction 2』のなかで、もっともまだ3篇を読み直していないのだけれど、それらを除くと、もっとも驚かされたのは、バリー・ユアゴローの作品だったが、さっき読んだペルーの作家、フリオ・オルテガの作品『ラス・パパス』にも驚かされた。なにに驚かされたのかというと、中年の男が幼い息子をひとりで育てているのだが、手料理にジャガイモを使うので、ジャガイモを剥きながら、そのジャガイモについて語りながら、世界の様態について、その詳細までをもきっちりと暴露させているのだった。これには驚かされた。たった一個のジャガイモで世界の様態を暴露させることなど、思いつきもしなかったので、びっくりしたわけだが、もしかしたら、これって、部分が全体を含んでいる、などという哲学的な話でもあるわけなのかな。叙述する対象が小さければ小さいほど効果が大きい、というわけでもあるのかな。それとも、これこそが文学の基本なのかな、とも思った。 二〇一五年九月六日 「前世」 田中宏輔さんの前世は 女の 草で 25年間生きてました!! http://shindanmaker.com/561522  サラダと豆腐を買いにコンビニへ。帰ったら、『Sudden Fiction』のつづきを読もう。ぼくの前世は、女の草で、25年生きたらしい。どうして今世では、女の草ではなかったのだろう。それなら、25年くらいの命であったかもしれないのに。54年も生きてしまった。飽き飽きするほど長い。  本を読むのをやめて、電話をかけようと思って、電話の種を植えた。FBチェックして、10人くらいのFBフレンドの画像に「いいね」して、ツイッターを流し読みした。ピーター・ガブリエル?が終わったので、ジェネシスのジェネシスをかけた。電話が生えてきたので手に取って、友だちの番号にかけた。  溺れないとわからないことがある。痛くないとわからないことがある。うれしくないとわからないことがある。おいしくないとわからないことがある。もう失ってしまった感覚もあるだろうとは思うけれど、できるかぎり書き留めて、再想起させることができるように、生活記録詩も書きつづけていこうと思う。 二〇一五年九月七日 「ヴァレリーが『散文を歩行に、詩を舞踏にたとえた話』について」  筑摩世界文學大系56『クローデル ヴァレリー』に『詩話』(佐藤正彰訳)のタイトルで訳されているものに、「散文を歩行に、詩を舞踏に」たとえている言葉があるのだが、ヴァレリーも書いているように、これは、ヴァレリーのオリジナルの言葉ではない。しかし、この言葉は、ヴァレリーの言葉として引用されることが多い。というか、ヴァレリーの言葉として流布しているようだ。その理由として、ひとつは、ヴァレリーの名前があまりにも有名なために、ヴァレリーが引用した詩人の名前が忘れられたということもあるのだろうけれど、より大きな原因として考えられるのが、ヴァレリーが、この言葉をより精緻に分析してみせた、ということにもあるのではなかろうか。ヴァレリーは、「この事について私の言いたいところを一層把握し易くするために、私は私の使いなれている一つの比較に頼ることに致しましょう。或る時私が或る外国の町でやはりこうした事柄を話していた折、ちょうどこの同じ比較を用いましたところ、聴衆の一人から、非常に注目すべき一つの引用を示され、それによって私はこの考えが別に事新しいものではないことを知りました。少なくともそれは、ただ私にとってだけしか新しいものではなかったのです。/その引用というのはこうです。これはラカン〔割注:一五八九─一六七〇。田園詩を得意とし、一六〇五年よりマレルブに師事、師についての記録を残す〕がシャブラン〔割注:一五九五─一六七四。当時の文壇に勢力があったが、詩人としてはボワロー等に冷笑されたので有名である〕へ送った手紙の抜萃で、この手紙を見るとマレルブ〔割注:一五五五─一六二八。古典主義詩の立法者といわれる抒情詩人〕は──ちょうど私がこれからしようとしているように、──散文を歩行に、詩を舞踏に類(たぐ)えていたということを、ラカンはわれわれに伝えています。」と言い、はっきりと、自分よりさきに、「散文を歩行に、詩を舞踏に類(たぐ)えていた」のは、マレルブであったと述べているのである。そして、ラカンがシャブランに送った手紙のなかにつぎのように書いていたところを『詩話』に引用している。「予の散文に対しては優雅とでも素朴とでも、快濶とでも、何なりとお気に召す名前をつけなさるがよい。予は飽くまで我が先師マレルブの訓戒を離れず、自分の文章に決して諧調(ノンブル)や拍子を求めず、予の思想を表現し得る明晰さということ以外の他の装飾を求めない覚悟である。この老師(マレルブ)は散文を通常の歩行に、詩を舞踏に比較しておられ、そしてわれわれがなすを強いられている事柄に対しては、多少の疎漏も容赦すべきであるが、われわれが虚栄心からなすところにおいて、凡庸以上に出でぬということは笑うべき所以であると、常々申された。跛者(ちんば)や痛風患者にしろ歩かざるを得ない。だが、彼らがワルツや五歩踊(スインカベース)〔割注:十六世紀から十九世紀に流行した三拍子の快活な舞踏〕を踊る必要は全然ないのである。」この手紙の引用のあと、ヴァレリーは、「ラカンがマレルブの言ったこととしているこの比較は、私は私でかねて容易に気附いていたところでしたが、これはまことに直接的なものです。次にこれがいかに豊穣なものであるかを諸君に示しましょう。これは不思議な明確さを以って、極めて遠くまで発展されるのであります。おそらくはこれは外観の類比以上の何物かであります。」と述べて、このあと精緻に分析しているのだが、それをすべて引用することは控えておく。いくつかの重要なものと思われる部分を引用しておくにとどめよう。ところで、ヴァレリーは、「散文を歩行に、詩を舞踏に」の順にではなく、「歩行を散文に」、「舞踏を詩に」なぞらえているのであって、「散文を歩行に、詩を舞踏に」たとえているのは、あくまでもマレルブ(の言葉)であったことに注意を促しておく。前述したように、この言葉がヴァレリーの言葉のように流布したのは、ヴァレリーの分析の見事さによるところ大なのであろうと思われるのだが、具体的な記述をいくつかピックアップしていく。「歩行は散文と同じくつねに明確な一対象を有します。それは或る対象に向かって進められる一行為であり、われわれの目的はその対象に辿り着くに在ります。」、「舞踏と言えば全く別物です。それはいかにも一行為体系には違いないが、しかしそれらの行為自体の裡に己が窮極を有するものであります。舞踏はどこにも行きはしませぬ。もし何物かを追求するとしても、それは一の観念的対象、一の状態、一の快楽、一の花の幻影、もしくは或る恍惚、生命の極点、存在の一頂上、一最高点……にすぎませぬ。だがそれが功利的運動といかに異なるにせよ、次の単純極まる、とはいえ本質的な注意に留意せられよ。舞踏は、歩行自体と同じ肢体、同じ器官、骨、筋肉、神経を用いるということに。/散文と同じ語、同じ形式、同じ音色を用いる詩についても、全くこれと同様なのであります。」、「されば散文と詩は、同一の諸要素と諸機構とに適用せられた、運動と機能作用との或る法則もしくは一時的規約間の差異によって、区別せられます。これが散文を論ずるごとくに詩を論ずることは慎まねばならぬ所以であります。一方について真なることも、多くの場合、それを他方に見出そうと欲すると、もはや意味を持たなくなります。」、「われわれの比較を今少し押し進めましょう。これは深く究められるに耐えるものがありますから。一人の人が歩行するとします。彼は一つの道に従って一地点から他の一地点に動くが、その道は常に最小労力の道であります。ここに、もし詩が直線の制度に縛られているとしたら、詩は不可能であろうという事に留意しましょう。」、「再び歩く人の例に帰ります。この人が自分の運動を成し遂げた時、自分の欲する地点とか、書物とか、果物とか、対象とかに到達した時、直ちにこの所有ということは彼の全行為を抹消します。結果が原因を啖(くら)い尽し、目的が手段を吸収してしまいます。そして彼の行為と歩き方の様相がいかなるものであったとしても、ただその結果だけしか残りませぬ。マレルブの言った跛者にせよ痛風患者にせよ、向って行った椅子に一度びどうやら辿り着きさえすれば、敏活軽快な足取りでその席に辿り着いたこの上なく敏活な男とでも、着席していることには何の変りもないのであります。散文の使用にあってもこれとまったく同じです。今私の用いたところの言語、私の意図、私の欲求、私の命令、私の意見、私の問い或いは私の答えを表現し終えた言語、己が職責を果したこの言語は、到達するや否や消滅します。私は自分の言辞がもはや存在せぬというこの顕著な事実によって、自分が理解されたということを識るでありましょう。言辞はその意味によって、或いは少なくとも或る意味によって、換言すれば、話しかけられる人の心像、衝動、反応、もしくは行為によって、要するに、その人の内的変改乃至再組織によって、ことごとく且つ決定的に置き換えられてしまうのであります。しかし、理解しなかった人のほうは、それらの語を保存しそしてその語を繰り返すものです。実験は造作ありません……。」、「他の言葉で申せば、種類上散文であるところの言語の実用的或いは抽象的な使用においては、形式は保存されず、理解の後に残存しない。形式は明晰さのなかに溶解します。形式は働きを済ませたのであり、理解せしめたのであり、生をおえたのであります。」、「ところがこれに反し、詩篇は用を勤めたからといって亡びませぬ。これは明瞭に、己が死灰より甦り、今まで自からが在ったところに無際限に再び成るように、できているのであります。/詩は次の著しい効果によって識別されるのであり、これによってよく詩を定義し得るでもありましょう。すなわち、詩は己が形式の中に己れを再現しようとし、詩はわれわれの精神を促してそれを在るがままに、再建させるようにするということ。仮に敢えて工業上の術語から借りた語を用いるとすれば、詩的形式は自動的に回復されるとでも申しましょう。/これこそすべての中でも特に讃嘆すべき特徴的な一固有性であります。(…)」、「しかし繰り返し申しますが、文学的表現のこの両極端の間には無数の段階、推移形式が存在するのであります。」云々、延々とつづくのである。ヴァレリーのこの追求癖がぼくは大好きなんだけどね。「散文を歩行に、詩を舞踏に」たとえたのが、ほんとうはマレルブが最初なのに、ヴァレリーが最初に述べたかのように多くのひとが誤解しているのも、このヴァレリーのすさまじい分析的知性のせいなのだろうけれど、このような誤解というのも、あまりめずらしいことではないのかもしれない。だって、リンカーンの言葉とされるあの有名な「government of the people, by the people, for the people 人民の、人民による、人民のための政治」っていうのも、じつはリンカーンがはじめてつくった言葉じゃないものね。ぼくの記憶によると、たしか、リンカーンが行った教会で、牧師が説教に使っていた言葉を、リンカーンが書き留めておいて、あとで自分の演説にその言葉を引用したっていう話だったと思うけれど、違うかな。ノートがなかったので、教会の信者席で、持っていた封筒の裏に書き留めた言葉だったように思うのだけれど。 Ainsi, parall?lement ? la Marche et ? la Danse, se placeront et se distingueront en lui les types divergents de la Prose et de la Po?sie.  ここかな。ヴァレリーが「散文を歩行に、詩を舞踏に」たとえたってところは。フランス語ができないので、フランス語ができる方で、どなたか教えてくださらないでしょうか。この原文からコピペした箇所であっているでしょうか。よろしければ、教えてください。  ちなみに、件の箇所が載っているヴァレリーの『詩話』(『詩と抽象的思考』というのが原文のタイトルの直訳です。)の原文がPDFで公開されています。フランス文学界ってすごいですね。ここです。→ http://www.jeuverbal.fr/poesiepensee.pdf 二〇一五年九月八日 「子ども時代の写真」 ぼくは付き合った子には、かならず子ども時代の写真を見せてもらう。 二〇一五年九月九日 「言葉じゃないやろと言ってたけど、」  愛が答えだと思ってたけど、答えが愛だったんだ。愛が問いかけだと思ってたけど、問いかけが愛だったんだ。簡単なことだと思ってたけど、思ってたことが簡単だったんだ。複雑だと思ってたけど、思ってたことが複雑だったんだ。言葉じゃないやろと言ってたけど、言ってたことが言葉じゃなかったんだ。 二〇一五年九月十日 「吐く息がくさくなる言葉」 吐く息がくさいとわかる言葉だ。という言葉を思いついた。 吐く息がくさくなる言葉だ、という言葉を思いついた。 吐く息がくさくなるような言葉だ、という言葉を思いついた。 二〇一五年九月十一日 「おでん」  きょうは塾の時間まで読書。『Sudden Fiction』も、おもしろい。いろんな作家がいて、いろんな書き方があって、というところがアンソロジーを読む楽しみ。詩人だって、いろいろいてほしいし、詩だって、いろいろあったほうが楽しい。トルタから10月に出る、詩のアンソロジーが楽しみ。『現代詩100周年』という詩のアンソロジーだけど、100人近くの詩人の作品が収録されているらしく、ぼくも書いている。ぼくのは、実験的な作品で、見た瞬間、好かれるか、嫌われるかするだろう。  お昼は、ひさしぶりにお米のご飯を食べよう。さっき、まえに付き合ってた子が顔をのぞかせたので、「ダイエットしてるんやけど、足、細くなったやろ。」と言って足を見せたのだけど、「わからへん。」やって。タバコ買っておいてやったのに、この恩知らず。と思った。あ、気が変わった。ひさしぶりにブレッズ・プラスに行って、BLTサンドイッチのランチセットを食べよう。たまにはダイエットをゆるめてもいいやろと思う。足が細くなったような気がするもの。これはほんと。  ああ、おでんが食べたい。そのうちつくろ。ダイエットと矛盾せんおでんはできるやろか。だいこんは必須や。嫌いやけど。油揚げは、ああ、大好物やけど、あかんやろなあ。竹輪はええかな。あかんかな。卵も大好物やけど、あかんな。昆布巻きはええかな。いっそ筑前煮にしたろかな。憎っくきダイエット。涙がにじんでしもたわ。情けない。齢とると、こんなことで悲しなるんやな。身体はボロボロになるし、こころもメタメタ弱ってる。でも、それでええんやと思う。いつまでも最強の状態やったら、弱ったひとの気持ちがわからんまま生きて死ぬんやからな。それでええんや。ゴボ天が大好物やった。忘れてたわ。あと、コロも食べたい。スジ肉も食べたい。巾着も食べたい。タコはいらんわ。あれは外道や。おでんの出しの味が悪くなる。いや、筑前煮にするんやった。おでんのほうが好きやけど。こんにゃくも好き。三角のも、糸こんにゃくも好き。  彼女を筑前煮にしてみた。けっこうおいしかった。鶏肉より豚肉に近かったかな。椎茸とか大根とか人参とかの味がしみておいしかった。ちょっと甘めにしたのがよかったみたい。 二〇一五年九月十二日 「コップのなかの彼女の死体」  コップのなかに彼女の死体が入っていた。全裸だった。ぼくがコップに入れた記憶はないのだけれど。コップをまわして、彼女の死体をさまざまな角度から眺めてみた。生きていたときの美しさと違う美しさをもって、彼女はコップのなかで死んでいた。コップごと持ち上げて、それを傾けて彼女の死体を皿のうえに落とした。彼女の死体は音を立てて皿のうえに落ちた。アイスペールのなかの氷を一つアイストングでつかみ取り、氷を彼女の死体におしあてた。うつ伏せの彼女の肩から背中に、背中から腰に、腰から尻に、尻から太もも、脹脛、踵へとすべらせると、アイストングの背で彼女の死体を仰向けにして、氷を、彼女の顔から肩に、肩から胸に、胸から腹部に、腹部から股に、股から太もも、膝、膝、足首へとすべらせた。彼女の死体のうえでゆっくりと氷が溶けていく。彼女の死体のうえを何度も何度も氷がすべる。小さくなった氷をアイスペールに戻して、彼女の死体にナプキンの先をあてて水気をとっていく。皿に零れ落ちた水もナプキンの先で吸い取る。さあ、食事だ。クレーヴィーソースを彼女の死体にかけて、彼女の死体を切り分けていく。フォークの先で彼女の二の腕を押さえ、ナイフで彼女の肘関節を切断する。ほんとによく切れるナイフだ。思わず笑みがこぼれてしまう。鋭くとがったフォークの先で、切り取った彼女の腕を突き刺して、口元にもっていった。 二〇一五年九月十三日 「彼女の肉、肉の彼女」  買ってきた肉に「彼女」という名前をつけてみた。レジで支払ったお金に「彼女」という名前をつけてみた。部屋に入るときにポケットから出す鍵に「彼女」という名前をつけてみた。ベランダに置いてあるバケツに入れた洗剤をうすめてつけておいた洗濯物の一つ一つに「彼女」という名前をつけてみた。 いま、彼女が洗濯機のなかでくるくる回っている。 二〇一五年九月十四日 「なぜ詩を書くのか」  きょうは学校だけ。しかも午前中で終わり。楽だ〜。帰りにブレッズ・プラスによって、BLTサンドイッチのランチセットを食べよう。はやめに行って、ルーズリーフ作業でもしよう。『Sudden Fiction』に書いている作家たちの「覚え書」に詩論のためになるような、ものの見方が書いてある。とはいっても、70人近くの作家たちのうちの数十人の数十個の覚え書のうち、ルーズリーフに書き写して、ぼくの見解を付け加えるのは、4、5人のものだけど。それでも、この本はそれだけでも価値はあった。「違いがないものを区別する」とか考えさせられる言葉だ。「名前を決めるのは、それへの支配力を唱えるようなものだ」というのだけれど、ここから「言葉を使って詩句にするのは、その対象となっていることをまだ理解できなかったためではないのか。言葉にすることで理解しようとしているのではないだろうか」と思ったのだ。 二〇一五年九月十五日 「ダイエットの結果」  9月は仕事がタイトなのだけれど、その9月も半分近く終わった。すずしくて読書をするにはふさわしい時節だし、大いに読書したい。日知庵でお茶を飲んで、ししゃもとサラダを食べた。えいちゃんが体重計を出してくれたので載ったら82・6キロだった。服の重さを引くと81キロ弱。1か月前と比べると、4キロの減量だから、このまま順調に減量できたら、月に4キロの減量で、20カ月後には体重ゼロだ。帰りに、ジュンク堂で、ジーン・ウルフの短篇集と、ジャック・ヴァンスの短篇集と、池内紀訳のゲーテのファウスト・第二部を買った。第一部はブックオフで買ってた。 二〇一五年九月十六日 「なぜ詩を書くのか」  中学1年のときにはじめてレコードを買った。ポール・マッカートニーの『バンド・オン・ザ・ラン』だ。小学校のときから、ビートルズやプロコムハルムといったポップスやガリ・コスタやマロといったラテンを親の影響で聴いていたが、自分でLPを買ったのははじめてだった。所有するということの喜び。音楽を所有することのできた喜びは、ほかの喜びとは比較にならないくらいに大きかった。25才までに本を読んだことはあった。でも、自分で買った本は1冊もなかった。すべて親が持っていた本を読んでいたからだ。親が純文学だけでなくミステリーとSFも読んでいた。親が外国文学を好きだったので、当時に翻訳されたミステリーやSFはほとんど読んでいた。親のもとを離れて一人暮らしするようになり、小説家を目指して勉強をしないといけないと思い、ギリシア神話や聖書を、また外国の古典的な作品を一通り読んだ。でも、本をいくら買っても所有しているという喜びはなかった。40代になって、不眠症にかかり、鬱状態になってはじめて、SF小説のカヴァーの美しさに気がついた。そこで、手に入るものはすべて手に入れた。ようやくここで、本を所有する喜びにはじめて遭遇したのだった。おそらく、それは病的なまでのものであったのだろう。古書のSFの場合、カヴァーのよい状態のものを手に入れるために、同じ本を5冊買ったりもしたのだった。きのう買ったジーン・ウルフの新刊本にクリアファイルでカヴァーをつくるときに、表紙の角を傷つけてしまって、しゅんとなったのだが、むかしなら新しく買い直したかもしれない。でも、少し変わったのだろう。あきらめのような気持ちが生じていたのだ。表紙は本を所有することの喜びの小さくない部分であったのだが、しゅんとはなったが、なにかが気持ちに変化をもたらせたのだ。年齢からくるものだろうか。若さを失い、見かけが悪くなり、身体自体も健康を損ない、みっともない生きものになってしまったからだろうか。そんなふうに考えてしまった。そして、ここから言葉の話になる。ぼくが作品にしたときに、ぼくが対象としたもの、それは一つの情景であったり、一つの出来事であったり、一つの会話であったり、一つの表情であったり、そういった目にしたこと、耳にしたこと、こころに感じたことを、なんとか言葉にしてみて再現しようとして試みたものであったのだろうか。ぼくの側からの一方的な再構築ではあるし、それはもしかしたら、相手にとっては事実ではないことかもしれないけれど。しかし、言葉にすることで、ぼくは、姿を、態度を、声を、言葉を所有したような気がしたのだ。『高野川』がはじめて書いた詩だと言っている。事実は違っていて、中学の卒業文集に書いた『カサのなか』がはじめて書いたもので、のちにユリイカの1990年の6月号の投稿欄に掲載されたのだが、詩という意識はなく書いたものであった。自分が意識して詩を書いたものとしては、ユリイカの1989年8月号の投稿欄に掲載された『高野川』がはじめてのものであった。この『高野川』は事実だけを書いた。ぼくの初期の詩は、いまでも大部分そうだが、事実のコラージュによってつくったものが多くて、『高野川』は、ぼくが大学3年のときに付き合っていたタカヒロとのときのことを書いたものだった。書いたのは28才のぼくであったので、5年前に終わっていた二人のことを書いたのだが、2才年下の彼の下宿に行くときに、高野川のバス停でバスを待っているあいだのぼくの目が見た川の情景と、その川に投げ捨てたタバコの様子について書いたものだったのだが、この『高野川』を書いたときにはじめて、そのときの自分の気持ちがはっきりとわかったような気になったのだった。言葉を紙のうえに(当時は紙のうえに、なのだ)書いて、詩の形をとらせて言葉を配置して、何度も繰り返して自分で読み直して、完璧なものに仕上げて、はじめて、自分のそのときの気持ちを、その詩のなかに書き写すことができたと思ったのだ。『高野川』を書くことで、自分の過去の一つをようやく所有することができたと思ったのだった。そのことは、タカヒロと付き合ったさまざまな時間と場所と出来事を思い起こすことのできる一つの契機となるものだった。詩を獲得することで、ぼくは自分の時間と場所と出来事を獲得したのである。そういった詩をいくつも所有している。そりゃ、詩を書くことは、ぼくにはやめられないわけだ。実験的な詩は、こういった事情とは異なるが、根本においては変わらないと思う。さまざま音楽や詩や小説を読む喜びに通じるような気がする。『全行引用詩』や『順列 並べ替え詩。3×2×1』や『百行詩。』や『数式の庭。』や『図書館の掟。』や『舞姫。』や『陽の埋葬』などは、じっさいの体験の痕跡はほとんどない。「先駆形」でさえ体験は少ない。では、なぜ詩にするのだろうか。事実とか、じっさいの時間や場所や出来事だけが、ぼくの生の真実を明らかにするものではないからだ。言葉自体をそれとして所有することはできないが、言葉が形成する知や感情というものを所有することはできる。事実とかじっさいの時間や場所や出来事ではないものが、ぼくが気がついていなかった、ぼくが所有するところのものを、ぼくに明らかにしてくれるからなのであった。ぼくは欲が深いのだろうか。おそらくめちゃくちゃ深いのだろうと思う。54才にもなって、まだ自分の知らない自分を知りたいと思うほどに。最終的に、ぼくは言葉を所有することはできないだろう。ぼくは、ぼくの詩を所有するほどには。しかし、それでいいのだ。言葉はそれほどに深く大きなものなのだ。少なくとも、ぼくは言葉によって所有されているだろう。ぼくの詩がぼくを所有しているほどには。いや、それ以上かな。すべてのはじまりの時間と場所と出来事がいつどこでなにであったのか、それはわからないけれど、ぼくがつぎに書こうとしている長篇詩『13の過去(仮題)』は、それを探す作業になるのだなとは思う。すべてのものごとにはじまりがあるとは限らないのだけれど。いや、やはり、すべてのものごとにははじまりがあるような気がする。それは一つの眼差し、一つの影、一つの声であったかもしれない。それを求めて、書くこと。書くことによって、ぼくは、ぼくを獲得しようと目論んでいるのだ。なぜこんなものを書いたのかと言うと、『Sudden Fiction』に収録されているジョン・ルルーの『欲望の分析』に、「私は愛している。でも私は愛に所有されてはいないのだ」(村上春樹訳)という言葉があって、「愛」を「言葉」にしてふと考えたのだった。 二〇一五年九月十七日 「セックスとキス」  セックスがじょうずだと言われるよりも、キスがじょうずだと言われるほうがうれしい。なぜだかわからないけど。 二〇一五年九月十八日 「正常位と後背位」  正常位にしろ、後背位にしろ、どちらにしたって、みっともない。だからこそ、おもしろいのだろうけど。 二〇一五年九月十九日 「動物園」  彼女と動物園に行った。彼女を檻のなかに放り込んだ。檻のなかは彼女たちでいっぱいだった。 二〇一五年九月二十日 「栞」  聖書、イメージ・シンボル事典、ギリシア・ラテン引用語辭典、ビジュアル・ディクショナリーをのけて、府民広報のチラシにはさんでおいた彼女を取り出した。栞にしようと思って、重たい本の下に敷いていたのだった。ぺらぺらになった彼女は、栞のように薄くなっていた。本の隙間から彼女の指先が覗く。 二〇一五年九月二十一日 「写真」  付き合ってた子たちの写真を捨てようと思って、ふと思いついて、ハサミとセロテープを用意した。顔のところをジョキジョキと切っていった。何人かの耳を切り取って一つの顔の横にセロテープで貼りつけた。いまいちおもしろくなかった。ひとつの顔から両眼を切り取って、別の顔のうえに貼りつけてみた。これはおもしろかった。めっちゃたれ目にしたり、つり目にしたりした。そのうちこれにも飽きて、いくつかの首を切り取って首長族みたいにしたりしてみた。こんなんだったら付き合ってないわなとか変なこと考えた。ぼくの恋人たちも、ぼくの写真で遊んだりしたのかな。 二〇一五年九月二十二日 「読んでいるときの自分」  詩や小説で陶然となっているときには、自分ではないものが生成されているような気がする。詩集や本を手にもっているのは、ぼくではないぼくである。ぼくという純粋なものは存在しないとは思うのだけれど、あきらかに、その詩集や本を手にとるまえのぼくとは異なるぼくが存在しているのである。そういった生成変化を経てなお存続つづけるものがあるだろうか。自我はつねに変化を被る。おそらく存続しつづけるものなどは、なにひとつないであろう。おもしろい。むかし、ぼくは30才くらいで詩を書く才能は枯渇すると思っていた。老いたいまとなっては笑い草だ。こんど思潮社オンデマンドから出る『全行引用詩・五部作』上下巻も、来年出す予定の『詩の日めくり』も、齢老いたぼくが書いたものなのだ。上質の文学作品に接するかぎり、よい影響があるであろう。未読の本のなかにどれだけあるかわからないけど、がんばって読もう。 二〇一五年九月二十三日 「平凡な言葉」  ジャック・マクデヴィッドの『探索者』を読み終わった。凡作だった。なんでこんな平凡なものが賞を獲ったのかわからない。ルーズリーフにメモするのも一言だけ。「恋っていうのはいつだってひと目惚れですよ」(金子浩訳)。これまた平凡な言葉だ。きょうからお風呂場で読むのは、フィリップ・クローデルの『ブロデックの報告書』にする。ひさびさに純文学である。絶滅収容所でユダヤ人の裏切り者だったユダヤ人の物語らしい。徹底的に暗い設定である。まあ、ダン・シモンズの『殺戮のチェスゲーム』もえげつなかったけれど、あれはファンンタジーだからねぇ。お風呂に入るまえに、先に読んでいるのだけれど、ユダヤ人を裏切ったというのじゃなくて、ドイツ人に犬のように扱われたから犬として過ごしたということらしい。名誉を重んじたユダヤ人は処刑されたらしい。絶滅収容所、なんちゅうところやろか。20世紀の話である。 二〇一五年九月二十四日 「さいきん流行ってること」  さいきん言葉を飼うのが流行っているらしい。水槽に入れて飼っているひともいれば、鳥籠に入れて飼っているひともいる。ぼくも自分の頭のなかに飼うことにした。餌はじっさいの会話でもいいし、読んだ本でもいいし、たえず言葉をやることに尽きた。ぼくは新鮮な言葉をいつもやれるようにしてやってる。  さいきん感情を飼うのが流行っているらしい。水槽に入れて飼っているひともいれば、鳥籠に入れて飼っているひともいる。ぼくも自分の心の中に飼うことにした。餌はじっさいの体験でもいいし、読んだ本からでもいいし、絶えず感情を喚起させること。ぼくは新鮮な感情をいつでも絶やさないようにしてる。  さいきん知識を飼うのが流行っているらしい。水槽に入れて飼っているひともいれば、鳥籠に入れて飼っているひともいる。ぼくも自分の頭のなかに飼うことにした。餌はじっさいの会話からでもいいし、読んだ本からでもいい。たえず知識を増やすことに尽きた。ぼくは新鮮な知識をいつもやることにしてる。  さいきん父親を飼うのが流行っているらしい。水槽に入れて飼っているひともいれば、鳥籠に入れて飼っているひともいる。ぼくも自分の思い出のなかに飼うことにした。餌はじっさいの思い出でもいいし、空想の思い出でもいいのだ。たえず思い出をやることに尽きた。ぼくは新鮮な思い出をいつもあげてる。  さいきん水を飼うのが流行っているらしい。ふつうに水槽に入れて飼うひともいれば、鳥籠に入れて飼うひともいる。ぼくも頭のなかに水を飼うことにした。頭をゆらすと、たっぷんたぷん音がする。水の餌には水をやればいいだけだから、餌やりは簡単プーだ。ぼくもいつも新鮮な水を自分の頭にやっている。 二〇一五年九月二十五日 「読むことについての覚書」  作品を読んで読み手が自分の思い出を想起させて作品と重ね合わせて読んでしまっていたり、作品とは異なる状況であるところの読み手の思い出に思いを馳せたりしているとき、読み手はいま読んでいる作品を読んでいるのではない。読み手は自分自身を読んでいるのである。 二〇一五年九月二十六日 「表現」  言葉だけの存在ではないものを言葉だけで存在せしめるのが文学における技芸であり、それを表現という。 二〇一五年九月二十七日 「さいごの長篇詩について」  きょうから、『アガサ・クリスティ自伝』上下巻を読む。今朝から読んでいる。上流階級の御嬢さんだったのだね。ぼくん家にも、お手伝いさんがいたのだけれど、クリスティー家には、ばあやのほかに料理人や使用人もいたのだった。ぼくは親に愛されなかったけれど、クリスティーの親は愛情があったみたい。ぼくは、ぼくのほんとのおばあちゃん子だった。うえの弟の乳母の名前はあーちゃんだった。したの弟の乳母は、ぼくは、中島のおばあちゃんと呼んでいた。親もそう呼んでいたと思うけれど、弟たちだけに乳母がいるのは、とても不公平な気がしたものだった。ふたりの乳母は同時期にやとってはいなかった。うえの弟の乳母のほうが、もちろん先で、下の弟が生まれたときにやめてもらって、新しいお手伝いのおばあさんになったのだった。どうしてうえの弟がなついていた乳母をやめさせて新しいお手伝いのおばあさんにしたのかはわからない。うえの弟は、なにかというと、ぼくをバカにしたので大嫌いだった。ぼくのほんとのおばあちゃんは、ぼくだけをかわいがったので、親は弟のために乳母をやとったのかもしれない。だからなのか、ぼくは、うえの弟の乳母のことも嫌いで顔も憶えていない。ただ、したの弟の乳母よりは太っていたような気がする。顔が丸みをおびた正方形だったかなとは思うのだけれど、記憶は定かではない。その目鼻立ちはまったく不明だ。いま、ぼくと弟とは縁が切れているので、弟の写っている写真が手元にはなく、写真では確認できないけれど。ぼくの新しい長篇詩『13の過去(仮題)』は、このような自伝を、引用のコラージュと織り交ぜてつくるつもりだ。現実のぼくの再想起だが、時系列的に述べるつもりはない。あっちこっちの時間を行き来するし、ぼくの過去の作品世界とも出入りするので、幻想小説的でもあり、SF小説的でもあり、ミステリー小説的でもある。『図書館の掟。』、『舞姫。』、『陽の埋葬』の設定世界のあいだに、現実世界の描写を切り貼りしていくのだ。いや、逆かもしれない。現実世界のなかに、それらの設定世界を切り貼りしていくのだ。また、それらの設定世界同士の相互侵入もある。まあ、もともと、ぼくは、ぼくが書いたものをぜんぶ一つの作品の一部分だと思ってきたから、自然とそうなるようなものをつくっていたのだろうけれど。引用だけで自伝をつくる試みも同時にしていくつもりだけれど、そのタイトルは、そのものずばり、『全行引用による自伝詩の試み。』である。『13の過去(仮題)』をつくりながら、楽しんでつくっていこうと思う。これらがぼくに残されたぼくの寿命でぼくが書き切れるぼくのさいごの長篇詩になると思う。10年以上かかるかもしれないけれど、がんばろう。 二〇一五年九月二十八日 「戦時生活」  戦争がはじまって、もう一年以上になる。本土にはまだ攻撃はないけれど、もしかすると、すでに攻撃はされているのかもしれないけれど、情報統制されていて、ぼくたちにはわからないだけなのかもしれない。町内会の掲示板には、日本軍へ入隊しよう! などというポスターが何枚も貼られていた。というか、そんなポスターばかりである。第二次世界大戦のときには、町内会で防火訓練などが行われたらしい。こんどの戦争でも、そんな訓練をするのだろうか。そういえば、祖母が、国防婦人会とかいう腕章をつけた着物姿で何人もの女性たちといっしょに、写真に写っていた。当時の女性たちの顔は、どうしてあんなに平べったいのだろう。ならした土のように平らだ。鼻が小さくて低い。いまの女性たちの鼻よりも小さくて低いのだ。食べ物が違うからだろうか。そういえば、祖父は軍人で戦死したので、天皇陛下から賞状をいただいていた。まあ、戦争のことは、おいておこう。いまのところ、ぼくの生活にはほとんど影響がない。むかしの戦争では、一般市民が食べ物に困るようなことがあったらしい。それに資料によると、戦地では兵士たちがたくさん餓死したという。考えられないことだ。そんな状況なんて。現代の戦争では、兵士はべつに戦地に赴く必要はない。遠隔操作で闘っているからである。戦地では、ロボットたちが敵を殺戮しているのである。それには、ミリ単位以下のナノ・ロボットたちから、30メートル級の巨大ロボットまでが含まれる。ぼくの部屋にはテレビはないし、テレビ自体、もう30年以上も目にしていないのだけれど、チューブにアップされている映像や、ネットのニュースで見る限りでは、日本は負けていないようだ。もう一年以上も戦争がつづいているのだから勝っていると言えるとは思わない。読書に戻ろう。『アガサ・クリスティー自伝』上巻、半分くらい読んだ。メモするべきことはそれほどないのだが、驚くべき記憶力に驚かされている。それと、クリスティーが数学が好きだったこと、小説家になっていなければ数学者になっていただろうという記述があった。数学が好きで、また得意であったらしい。ミステリーの女王らしい記述であった。読書に戻るまえに、お昼ご飯を買いにセブンイレブンに行こう。さいきん、サラダとおにぎりばっかり買っている。このあいだ、ネットのニュースを見ると、平均的サラリーマンの昼食らしい。 二〇一五年九月二十九日 「二十八歳にもなつて」  ブックオフでホイットリー・ストリーバーの『ウルフェン』を108円で買った。ストリーバーは、ぼくのなかでは一流作家ではないけれど、集めていたから、よかった。『ウルフェン』は意外に手に入りにくいものだった。ハヤカワ文庫のモダン・ホラー・コレクションの1冊である。きのう、『アガサ・クリスティー自伝』のルーズリーフ作業をしたあと、塾に行ったのだが、引用したページ数の484が気になっていたら、ふと、484が22の2乗、つまり22×22=484であることに気がついたのであった。でも、そのことはすぐに忘れてしまって、塾で授業をしていたのだった。ところで、けさ、学校に行くために通勤電車に乗っているときに、ふと、147ページとかよく引用するときに目にするページ数があるなあと思ったのであった。147という数字になにか意味はあるだろうかと思って、まずこれは3桁の数であるなと思ったのだった。1と4と7を並べると、3ずつ大きくなっているなと思ったのだが、それではおもしろくない。ふうむと思い、一の位の数と百の位の数を足して2で割ると、十の位の数になるなと気がついたのであった。そういう数字を考えてメモ帳に書いていった。123、135、159、111。そして、これらの数がすべて3の倍数であることにも気がついたのであった。なぜ3の倍数になっているかといえば、と考えて証明もすぐに思いついたのであった。一の位の数を2m−1、百の位の数を2n−1とすると、十の位の数は(2m−1+2n−1)÷2=m+n−1となり、各位の数を足すと、2m−1+m+n−1+2n−1=3m+3n−3=3(m+n−1)=3×(自然数)=3の倍数となり、各位の数を足して3の倍数になっているので、もとの数は3の倍数であることがわかる。まあ、たった、これだけのことを地下鉄電車のなかで考えていたのだけれど、武田駅に着くと、なぜ147ページという具体的な数字が、ぼくの記憶に強く残っているのかは、わからなかった。いつか解明できる日がくるかもしれないけれど、あまり期待はしていない。数字といえば、きょう、『Sudden Fiction』を読んでいて、333ページに、「死体は五十四歳である。」(ジョー・デイヴィッド・ベラミー『ロスの死体』小川高義訳)という言葉に出合った。ぼくは54才である。そいえば、はじめて詩を書いたのが28才のときのことだったのだが、アポリネールの詩を読んでいたときのことだったかな。『月下の一群』を手に取って調べよう。あった。「やがて私も二十八歳/不満な暮しをしてゐる程に」(アポリネール『二十日鼠』堀口大學訳)これと、だれの詩だったか忘れたけれど、「二十八歳にもなって詩を書いているなんて、きみは恥ずかしいとは思わないかい?」みたいな詩句があって、その二つの詩句に、ぼくが28才のときに出合って、びっくりしたことがある。その二つの詩句は、どこかで引用したことがあるように記憶しているので、過去の作品を探れば出てくると思う。お風呂に入って、塾に行かなければならないので、いま調べられないけれど、帰ってきたら、過去に自分が書いたものを見直してみよう。あまりにも膨大な量の作品を書いているので、きょうじゅうに見つからないかもしれないけれど。  塾から帰った。疲れた。きょう探すのはあきらめた。クスリのんで寝る。あ、333も、一の位の数の奇数と百の位の数の奇数の和を2で割った値が十の位の数になっているもののひとつだった。111、333、555、777、999ね。 すでに二十八歳になった僕は、まだ誰にも知られていないのだ。 (リルケ『マルテの手記』第一部、大山定一訳) 二十八歳にもなつて、詩人だなんて云ふことは 樂しいことだと、讀者よ、君は思ふかい? (フランシス・ジャム『聞け』堀口大學訳) やがて私も二十八歳 不満な暮しをしてゐる程に。 (アポリネール『二十日鼠』堀口大學訳) 二〇一五年九月三十日 「吉田くん」  吉田くんは、きょうは、午前5時40分に東から頭をのぞかせてた。午後6時15分に西に沈むことになっている。  吉田くんが治めていたころの邪馬台国では、年100頭の犬を徴税していたという。そのため、吉田くんが治めていた時期の宮殿は犬の鳴き声と糞尿に満ちていたらしい。犬のいなくなった村落では、犬がいなくなったので、子どもたちを犬のかわりに飼っていたという。なぜか、しじゅう手足が欠けたらしい。  吉田くんは太く見えるときは太く見えるし、細く見えるときは細く見える。広口瓶に入れると、太く見える。細口瓶に入れると細く見える。いずれにせよ、肝心なのは、ひとまず瓶の中に入れることである。  吉田くんは空気より軽いので、吉田くんを集めるときは、上方置換法がよい。純粋な吉田くんを集めようとして、水上置換法で集めることはよくない。吉田くんは水によく溶ける性質をもっているので、水上置換法で集めることは困難だからである。  1個のさいころを投げる試行において、偶数の目が出る事象をA、6の約数の目が出る事象をBとする。事象A∩Bが起こったときは吉田くんの脇をくすぐって笑わせ、事象A∪Bが起こったときは吉田くんの足の裏をくすぐって笑わせるとする。このとき、吉田くんがくすぐられても笑わない確率を求めよ。  吉田くんを切断するときは、水中で肩から腹にかけて斜めに切断すると、水に触れる断面積が大きくなるのでよい。水中で切断するのは、空気中では出血した水が飛び散るからである。切断面から水を吸収した吉田くんは、すぐさま元気を取り戻して生き生きとした美しい花をたくさん咲かせていくはずである。  吉田くんは立方体で、上下の面に2本ずつの手がついており、4つの側面に2本ずつの足がついている。顔は各頂点8つに目と鼻と耳と口が対角線上に1組ずつついている。吉田くんを地面に叩きつけると、ポキポキと気持ちのよい音を立てて、よく折れる。 二〇一五年九月三十一日 「ナボコフ全短篇」  チャールズ・ジョンソンの『映画商売』という作品が『Sudden Fiction』に入っていて、それなりにおもしろかったのだけれど、最後のページに、「論理学では必要にして充分とかというのだろうが」(小川高義訳)というところが出てきて、びっくり。高校の数学で出てくる「論理と証明」で、「必要」と「十分」という言葉を習ったと思うのだけれども、「十分」であって、「充分」ではないし、それにそもそも、「十分」と「充分」では意味が異なるのに、この翻訳者には、高校程度の数学の知識もないらしい。翻訳を読む読者にとって、とても不幸なことに思う。  きょうは、お昼に、ジュンク堂に行った。コンプリートにコレクトしてる3人の作家の新刊を買った。イーガンの『ゼンデキ』、R・C・ウィルスンの『楽園炎上』、ブライアン・オールディスの『寄港地のない船』。それと、持っている本の表紙が傷んでいるので、池内紀訳『ファウスト』第一部を買い直した。 大気の恋。偶然機械。  ナボコフの『全短篇集』を読む。獣が自分のねぐらを自分で見つけなければならないように、人間も自分の居場所を自分で見つけなければならない。そもそも、人間は自分が歓迎される場所にいるべきだし、歓迎してくれた場所には敬意を払い感謝すべきものなのである。敬意と感謝の念を湧き起こせないような場所には近寄る必要もないのだ。この言葉は、「さあ、行きなよ、兄弟、自分の茂みを見つけるんだ」(ナボコフ『森の精』沼野充義訳)を読んで思いついたもの。まあ、ふだんから思っていることを、ナボコフの言葉をヒントにして言葉にしてみただけだけど。まだ短篇、ひとつ目。十分に読み応えがある。 世界とは、別々のところに咲いた、ただ一つの花である。  これは、「もはや、樹から花が落ちることもない、」(ナボコフ『言葉』秋草俊一郎訳)を目にして、「花はない。」を前につけて、全行引用詩に使えるなと思ったあとで、ふと思いついた言葉。ちょっとすわりがわるいけれど、まあ、そんなにわるい言葉じゃないかな。 「その湿り気のある甘美な香りは、私が人生で味わったすべての快きものを思い出させた。」(ナボコフ『言葉』秋草俊一郎訳)なんだろう、このプルーストっぽい一文は。初期のナボコフの短篇は修飾語が過多で、ユーモアにも欠けるところがあるようだ。直線的な内容なのにやたらと修飾語がつくのである。偉大な作家の習作時代ということかもしれない。世界的な作家にも、習作時代があるということを知るためだけでも読む価値はあるとは思うけれど、なんで、文系の詩人や作家のものは修飾語が多いのだろうかと、ふと思った。ぼくの作品なんか、構造だけしかないものだ。  天使の顔の描写に、「唯一の奇跡的な顔に、私がかつて愛した顔すべての曲線と輝きと魅力が結晶したかのようだった。」(ナボコフ『言葉』秋草俊一郎訳)というのがあって、ここは、ヘッセの『シッダールタ』のさいごの場面からとってきたのだなと思われた。偉大な作家も、習作時代は、他の詩人や作家の影響がもろに出るのだなと思われた。ホフマンスタールを読んでいるかのような気がした。ナボコフはドイツ文学が好きだったのかな。いま読んだ2篇とも、描写に同性愛的な傾向が見られるのも、そのせいかもしれない。ホフマンスタールがゲイだったかどうかは知らない。ただホフマンスタールの書くものがゲイ・テイストにあふれているような気がするだけだけれど。まあ、ドイツ系の作家って、ゲーテみたいに、バイセクシャルっぽい詩人や作家もいる。ゲオルゲはたしかゲイだったかな。まあ、そんなことは、どうでもよいか。  3篇目の『ロシア語、話します』は完全にナボコフだった。さいしょの2篇は『全短篇集』から外した方がよかったと思われるくらい、出来がよくなかったものね。でも、まあ、ナボコフ好きには、あまり気にならないのかもしれない。ぼくはナボコフの作品を大方集めたけれど、途中で読むのをやめたのが2冊、売りとばしたのが2冊、未読のものが多数といった状態で、この『全短篇集』は、気まぐれで読んでいるだけである。『プニン』『青白い炎』『ロリータ』『ベンドシニスター』『賜物』はおもしろかった。そいえば、書簡集の下も途中で読むのをやめたのだった。  ナボコフの4つ目の短篇『響き』(沼野充義訳)もナボコフ的ではあったが、習作+Aレベルだった。雰囲気はよいのだが、おそらく、このレトリックを使いたいがために、この描写を入れたのだなあ、と思わせられるところが数か所あって、そこでゲンナリさせられたのだった。作品のたたずまいはよかった。しかし、この作品で用いられたレトリックには、思わずルーズリーフ作業をさせるほどのものがあった。自分を森羅万象の写しとしてとらえる感覚と、瞬間の晶出に関する描写である。どちらも、ぼくも常々感得していることなので、はっきりと言葉にされると、うれしい。ルーズリーフ、いま3枚目、いったいどれだけのレトリックを短篇に注ぎ込んでるんじゃとナボコフに言いたい。ぼくが自分の作品に生かすときにどう使うかがポイントやね。ぼくのなかに吸収して消化させて、ぼくの血肉としなければならない。まあ、ルーズリーフに書き写しているときにそうなってるけど。というか、書いて忘れること。書いて自分のなかに吸収して、自分の思想のなか、知識の体系のなかの一部にしちゃって、読んだことすら忘れている状態になればよいのである。100枚以上も書き写してひと言すら覚えていないジェイムズ・メリルもそうして吸収したのだ。  ナボコフの『全短篇集』の4篇目『響き』、習作+Aって思ってたけれど、ルーズリーフを6枚も書き写してみると、習作ではなかったような気がしてきた。佳作と傑作のあいだかな。佳作ではあると思う。傑作といえば、長篇と比較してのことだから、短篇は『ナボコフの1ダース』でしか知らないので、まだよくわからない状態かもしれない。  5つ目の短篇『神々』で、またナボコフの悪い癖が出ている。使いたいレトリックのためだけに描写している。見るべきところはそのレトリックのみという作品。そのレトリックを除けば、くだらないまでに意味のない作品。木を人間に模している部分のことを言っているのだが、とってつけた感じが否めない。  6つ目の短篇『翼の一撃』を読んだ。中途半端な幻想性が眠気を催させた。横になって読んでいたので、じっさいに何度か眠ってしまった。ナボコフはもっと直截的な物語のほうがいいような気がする。読んだ限りだが、幻想小説を長篇小説で書かないでおいたのは、正解だったのだろうな。退屈な作品だった。  まだまだ短篇はたくさんあるのだけれど、きょうは、もう疲れた。クスリをのんで寝る。寝るまえの読書は、R・C・ウィルスンの『楽園炎上』にしよう。ジャック・ヴァンスも、ジーン・ウルフも、オールディスも、今秋中には読みたい。 ---------------------------- [自由詩]たまゆら/帆場蔵人[2021年3月6日15時04分] 耳から咲いたうつくしい花の声たち 眠っているときだけ、咲く花がある あなたはそれを観る事はないだろう 生きた証し、誰かの 言葉に耳を傾けた証し 母さんの声は咲いているか 愛しいあの娘の声は 知らない人の知らない花も咲いている 家族の親しい声も、忘れさられた声も 等しく咲いて花弁は散り朝の陽に濡れる前に 枯れていく、花弁を一枚口に含めば あなたの事がもっとわかるだろうか 耳を傾けてあなたの声が咲くのをみたい けど誰も自分の耳に咲く花を観る事はない 仰向けで手を組むあなたの耳を見つめて いる、過去と現在を行きつ戻りつ、揺れる声たち ---------------------------- [自由詩]ついーと小詩集2/道草次郎[2021年3月7日19時29分] 「大地」 大地がぼくを落とさないでおくのは それはやはり 大地がやさしいからだ そうかんがえないと 「今」にいられない 「ゆきがふる」 あの子 ゆきにさわりたいから ゆきにさわって うわあ と言った 人に それいじょうの行為は ない気もする ゆきがふる 「知らないってことが」 知らないってことが どれだけ有難いことか知れないから 雨の音に遠く耳をすまし 雨のおくに眼をおいていく ひとつずつひとつずつ ゆっくりと そうしたらまた ひとつずつゆっくりと ゆっくりと ゆっくりになってゆく やっぱり さみしいなって 笑いながら 「もう」 もう どうしてよいものやら このかんがえは かんがえにすぎないと たくさんの しょもつはいう もう どうしてよいものやら つかれているのだろうか こずえのとりが みんなもずにみえる きっと つかれている もう どうしてよいものやら ふくじゅそうのわきには みにすいせん つんつんつんつんつん まだおはなはさきのこと もう どうしてよいものやら もう ほんにどないしよかしら もう もう もう あ、うしみたいだ もう はるはあやうし 「にこっ」 きみがにこっとすると 赦される きみがもいちどにこっとすると むねが痛む きみがさいごににこっとすると にこっとしている みっつの表情がこんなにも ぼくを揺すぶるなんて 全く 思いもしなかったよ 「はな」 お花さん お花さん あなたのせいざはなんですか あたしは ねずみどしよ 「はる」 ちょうちょさんがね けっこんしきあげるんだよ だからお花が さくんでしょう? 「用途」 詩集を買いました 良い重しです 用途をその詩人は やさしく定めませんでした ---------------------------- [自由詩]天文少女のうた/梅昆布茶[2021年3月8日19時45分] 大好きな女と離島で暮らす 大嫌いな奴と仕事をする 愛情たっぷりの野菜を食べる つまらないことでも悩むのだけれどもね まあ確かにいいかなって とても酷薄な人生のやり口だ 計画経済や計画社会は 長続きはしないようだ 調和と平穏 危機管理という悪夢 人間がIT化してゆくわけもないので 2進法に慣れるしかしょうがないのでしょう 天文少女に逢う 無機質な電位の移動 言葉を扱えないくせに 意味をあたえられないのに 僕がここにいるのは何故 ---------------------------- [自由詩]歩行/ひだかたけし[2021年3月9日20時37分] 行くあても無く歩行する 真っ青な夜に靡く草原を やがて月の照る浜辺に出る 遠く漁り火が燃えていて 忘却された団欒のようだ 月光がつくる海の道が伸び 僕は何処までも歩いていく ---------------------------- [自由詩]つぶやかない(二)/たもつ[2021年3月12日19時59分]     塩水を買って帰る 安かったから、と妻に渡すと またこんなもの買ってきて そう言いながらも大事そうに抱えて 海に帰っていく 今日のおすすめはこれです テレビの人が言った (午前7:07 ? 2021年2月22日?) 耳の音が鳴る 理由も隙間も溶けてしまえ 雪の降り積もる動物園を思いながら 今日初めて爆弾を作った 役場の防災行政無線から 美しい音楽が流れる 季節で時刻が異なると最近知った (午後6:29 ? 2021年2月25日?) バス停で何台も バスをやり過ごしました そうすればいつか 春になると教わりました おはようが好きなので これまで何度もおはようしました 好きでなければしませんてした 今、門から人が出てきた あれが私の家です (午前6:56 ? 2021年2月26日?) 神様がレジ打ちをしていた 不手際があったようで お客様に怒られていた 申し訳なさそうにしていたけれど それが感情なのかはわからなかった 予報より早く降り出した雨 傘を忘れた神様も私も 濡れて帰るのだろう (午前11:04 ? 2021年2月27日?) ねえ、しるべすた 今朝、すたろおんを 無くしてしまった どこかに落としてそれっきり しるべすた、 すたろおんは大事なもの すたろおんは大切なもの でも、いつか忘れて 生きていける 死んでいける しるべすた、今日もわたしたち 風に向かって息継ぎしている (午前6:49 ? 2021年3月1日?) 子供たちが手遊びをしていた 楽しそうだった 多分楽しい遊びなのだろう 雨上がり、滑りそうなものを 踏まないように歩く 町外れまで行くと 小さなお葬式があった (午前6:54 ? 2021年3月4日?) 飛行機が墜落した 幸いなことに紙飛行機だったので 乗員乗客は軽症で済んだ 黄色いジャケットを着た男の人が 皆を整然と並べていく 良い季節になりましたね、と 毎年人は言ってしまう (午前7:30 ? 2021年3月5日?) 両親がいて 兄がいて 僕がいて 僕だけがいない 郊外にある壊れた ファミレスの前を皆で通る よくここで食事をしたね 不在の僕が 思い出を話すように話す (午後3:46 ? 2021年3月7日?) 駐車場の隅にあった 湾の清掃をする 沖合では数隻の漁船が操業している その間にも階段は増設され続け 繁栄の驕りは時として 爽やかな風を吹かせる やがて駐車場は満車となり 湾は閉じる (午前7:25 ? 2021年3月10日?) 舌の根が乾く 嘘はまだ温かい 路地に面した窓を開ける 安い油の臭いがする あらかたの友人は 正確な声も忘れてしまった 今日一日を 何かに感謝して生きても 許されると思う (午前6:55 ? 2021年3月12日?) ---------------------------- (ファイルの終わり)