佐野権太の銀猫さんおすすめリスト 2007年5月30日20時40分から2010年1月13日2時22分まで ---------------------------- [自由詩]六月の調べ/銀猫[2007年5月30日20時40分] 雨音は冷やかな旋律を奏で 五線譜に無数に付いた蕾は 一瞬、水晶となり地表に還る 傘は持たないのだと わらって言い切るきみの肩は 今頃震えていまいか そう告げればまた きみはわらって いたずらな子供のように わたしから熱を奪ってゆく 寒くは無いと言い張るきみの 列車を見送ると 薄い水の膜を通し、 風景は水晶に飲み込まれて 遠くのひかりを乱反射してみせる ひとつ残された傘は ほろほろと雫を落として 泣けなかった涙を 灰色の足元に散らかしてゆく 約束ごとは 雨の糸にかろうじて繕われ 薬指の先で絡まっては解け いつか、を繰り返す 濡れた髪を耳にかけると 左手でたどたどしく追う音譜のように さ、び、し、い、と雨の声 いつかもこんな音を聴いた ---------------------------- [自由詩]黒点/銀猫[2007年6月15日15時52分] プラットホームに無数に付けられた チューインガムの黒点が 未熟な夏の気温を 幾分か下げている気さえして ぎんいろの屋根に逃げ込む そこから視界に飛び込む紫陽花の 無防備な一片は まだ薄緑を守っていて わたしの感傷など 抱き留めるわけもなく 雨の青を待っている こころに黒点を携えたまま わたしは列車を待つ 空の端が 灰色に滲むのを こころと色彩が 僅かに重なってゆくのを見たい 未成熟な生き様と 季節の僅かな隙とが 重なってゆくのを ほうっと小さくため息をついて ただ、見ていたいのだ ---------------------------- [自由詩]青にとける/銀猫[2007年7月11日15時04分] 淡いかなしみの曇り空が 堪えきれずになみだを落とすと 紫陽花は青 束の間のひとり、を惜しむわたしは 思わず傘を閉じ 煙る色合いとひとつになりたい  街中の喧騒は 雨の糸に遮られ 時折遠くで跳ねる水溜りの音だけが 日々の暮らしを思い出させる 夜明け前の色から 目覚めぬ空が ほろほろと水を地に施すと 紫陽花は青 ひとしきりのひとり、の後 灯り始めた街灯が こころにまでひかりを射し 瞼の潤みをひっそりとあたためる 青やむらさきをくぐり  愛しいほうへ流れる こころの水 やわらかな糸に重なった  愛しい面影   その肩先で季節の目盛りが ひとつすすむ  青、いっそう今日も青く ---------------------------- [自由詩]七里ヶ浜にて/銀猫[2007年7月15日16時26分] 低く垂れ込めた 嵐の雲のなかへ 灰緑色の階段が続き 海は大きなちからに 踏みしめられるように しろく崩れながら 膨らんでは混じり合い海岸線を削ってゆく 風はいっそう強くなり 雨と潮は無造作に からだを刺す 乱暴な空模様に 七里ヶ浜は哭き 砂で作られたくろい腕も 泡と変わり 女の髪のように 頼りなく波に揉まれて沈んでゆく (なぜ、) その問いは 強い風にちぎれて ことばを拾おうとしたわたしの指を切り 呼吸はどこか うすく血の味がした なぜ海が見たいのだろう 夏を待てずに ---------------------------- [自由詩]夏列車/銀猫[2007年8月6日18時58分] 真夏の陽炎の向こうから 短い編成の列車はやって来る そのいっぱいに開かれた窓から ショートカットの後ろ姿が見える 列車の外から 車両の様子は ありありと伺えて 制服の脇に置かれた紺のかばんや 朔太郎の詩集をめくる音さえ 微かに耳に届く (泣いている) 幼さを残す肩が 今、わずかに震えた 想う人と 詩篇の文字とが 絡まり合ったのだろうか    * 真夏の陽炎の向こうから 短い編成の列車はやって来る そのいっぱいに開かれた窓から 色褪せたグリーンの座席に ぽつんと座りながら くす、と笑みをこらえて 手にした筒井康隆の表紙を ぱたりと閉じ 肩を揺らすまいと わざとらしく鏡を覗く、ピンクの口紅 会社勤めにはもう慣れたかい    * 真夏の陽炎の向こうから 長い編成の列車がやって来る ぴっしりと閉ざされ 長袖の気温に設定された空調は これから向かう先が いかにも居心地の悪い場所だと 暗示するように 全身を凍らせてゆく 耳に当てた小さな黒いスポンジ そこから音は一粒も洩れず 虚ろな眼差しが 深いバラードを想像させる そこにいるわたし、よ これからも長い日々を 列車に揺られてゆくのだろ? 西洋医学の粋をあつめた薬と 酒や菓子とを栄養にして 人間らしく暮らしてゆくのは 難しいかい 自分の居場所が欲しいなら うたを描きなさい 憂欝はすべて反故にして あの夏、 髪を翻した風の うたを描きなさい そうして生きて転びなさい ---------------------------- [自由詩]九月のみずいろ/銀猫[2007年9月3日20時22分] 雨音が 逝く夏を囁くと 水に包まれた九月 通り過ぎた喧騒は もう暫くやって来ないだろう 踏みしめた熱い砂や 翡翠いろに泡立つ波も 日ごと冷まされて さみしさを少しずつ思い出す 海より先に九月を手にしたわたしは 恋する体温や 沸々としたなみだを語れず 傘に隠れて ひとりきり、を弄んでいる 間もなく通り抜けてゆく 五度低い風を 今年はどうしてかわすのか、 そんなことを考える いつか触れた ぬるい唇の気配だけが ここに残っている きみのかたちは水のいろに溶け わたし、 泣きかたを忘れてしまった ---------------------------- [自由詩]硝子の唇/銀猫[2007年9月20日19時52分] 硝子の風が きりりと秋の粒子で 二の腕あたりをすり抜け 寂しい、に似た冷たさを残して行く 野原は 囀りをやめて そうっと十月の衣で包まれている わたしは それを秋とは呼べず かと言って 陽射しはとうに きんいろを忘れている 萩の赤紫に染まりながら きみの便りを開くと 望んでいた言葉は いつしか感傷に姿を変えていて 掌にふるふると振動し その感触に耐えきれず涙を落とすと もう、きみの気配は消えて 足元でかさり、と 落ち葉のいちまいになる 思い出未満の恋心が 唇をなぞる日、 ひとり ---------------------------- [自由詩]ひとり/銀猫[2007年10月3日18時58分] 十月の、 霧雨に染みて 薄紅いろの細胞膜が、 秋桜、 空に透ける 十月の、 夕暮れの風に惑って 枇杷いろの金木犀、 満ちる、そこらじゅう それらの 秋という色や匂いに混じって 羽虫の擦れ合う音、 音が からだのなかに 静かな水溜りをつくってしまう わたしの、 手、 繋ぐはずの手のひらを 探しあぐねて 今宵、 夢の逢魔が刻にさまよう 寒くなる、 予感と、 掻き合わせた胸と ---------------------------- [自由詩]金木犀 2/銀猫[2007年10月7日10時45分] 予感する、 みどりの枝葉は たわわなきんを孕み ひとときの甘い溜息や戸惑いを その足元に散りばめる 枇杷色の、 おぼろなる気配は 風の匂いに神無月の宵闇を語り 遠くなった声の記憶を ひとすくいずつ飲み込んでゆく きみが語った星座の名前や 遥か彼方から届く光りの 永遠は すでに 此処に無い 天上の星影も せつなく漆黒に溶けて 手に握るのは ただわたしの体温と爪のかたちばかり ひそやかに咲く 金木犀の 香り甘やかに ほろり、ほろろ 足元に零れたこころは ほろろ、 きみの足おとを 待っている ---------------------------- [自由詩]父のこと/銀猫[2007年10月24日20時48分] 呼びかける名を一瞬ためらって 声は父の枕元に落ちた あの日 医師から告げられた、 難解な病名は カルテの上に冷ややかに記されて 希望の欠片も無く 黒い横文字となって嘲い 無情に切り取られた肉塊は 奇妙に生きていたね 麻酔の余韻に熱っぽい顔を 精一杯緩ませて笑う 痛いくらいの強さを知り あなたが父であることを誇りに思う 闘う、ということ 守る、ということ 愛する、というこころ ゆるゆると落ちる点滴に わたしまで何かが滲みる ぽとり、 ぽ とり 泣けば良いのか 笑えば良いのか それすらも迷うわたし、 小さい 白いシーツの海を どうか泳ぎ切って 叱ってください わたしを ---------------------------- [自由詩]雲場池、入水/銀猫[2007年11月10日23時10分] 夕映えを湛えた水面は 紅葉の最後に火照り 林に、ひっそりと隠れて   雲場池 湧き水の注ぐ豊かは 常に清冽を極め 水鳥の、 その羽根の下にある深さを忘れさせる 黄色や褐色の落ち葉を踏みしめ 水際を歩くと 褪せた草があたりを縁取り 冬が近い証を見せている 山間の、此処で透明を貪りたい 感情はどよめいて 靴を脱ぎ、爪先を水に浸す 嗚呼、と小さな声が洩れる 左右の足から欲望が拡がる   この、神聖な凍れる温度を   ふくらはぎまで、両膝まで   誘惑は鋭くこころを冒す   この、甘美な温度で身体を貫きたい そろ、と踏み入れる翡翠の水面 靴を揃えてきただろうか ---------------------------- [自由詩]オムレツ/銀猫[2007年11月15日18時13分] まどろみの向こうで たまごが焦げる かしゅ、かしゅ、と三つを割って 手馴れた指は ぬるく充満した昨夜の空気と 朝とを掻き混ぜたのだろう ふっと白くなる意識と 休日の実感とを 贅沢に行き来しながら 巣に篭っているのは うん、と幸せなことだ むせ返る人混みで 新聞と化粧の匂いに息を詰まらせ 停車駅で、 僅かに入れ替わる澄んだ空気を求めて やっと息を継ぎ 四角い服に包んだ身体を なおさら硬くして 無機質なニンゲンに化けている コンクリートの森では 機械仕掛けの門番を横目に ちいさな秘密と呪文を片手に マーブル模様に巻かれている いったいそれは 幸福の元手だろうか 皿の触れ合う音がする 真ん中に横たえたオムレツに フォークを突き立てれば 人肌の黄色は なごやかな速度で零れ にんげんひとりぶんの体温を 歪んだ四角に注ぎ込む きみ、よ その幸福の指で わたしの殻も割ってくれないか かしゅ、かしゅと ---------------------------- [自由詩]夜のさかな/銀猫[2007年11月25日21時50分] わたしは夜を求める 濃紺の空と赤い星を求める きみは夜を求める 藍の雲としろい月色を求める ふたりが求めた夜の中で 風見鶏は廻ってゆく 流れ着く先を知らず また 愛情、の何かも知らず 緩やかな褥を求める わたしたちは 過去にさかなであったかも知れない 少し濁った水に分け入り そこに茂る苔をついばむ、 ちいさなさかな 透明な水は 少しばかり痛い 夜の灯りが矢のように刺さってしまうから (ああ) なのにわたしたちは夜を求める 月明かりに照らされる、 銀の鱗を誇るように 背びれをくねらせ 遠い朝に怯えながら 星を追う ---------------------------- [自由詩]ふゆの空蝉/銀猫[2007年12月14日11時58分] 灰色に曇った窓の雫を つ、となぞると 白い雨は上がっていて 弱々しい陽射しの予感がする こうして朝の死角で透けていると ぬるい部屋全体が わたしの抜け殻のようだ だんだんと色が濃くなる風景を ぼんやり眺めていると 遠くで、近くで、 音がひとつずつ生まれ 朝陽のタクトを合図に シンフォニーを奏で始め わたしの透明をよそに 今日を連れてくる 冷たくなった指先を唇に押し当て 時が止まるように 淡く願ってみるのは わたしのなかにも 誰かの抜け殻があるせいなのだろう 重なり合う音階に混じって 一瞬、 から、ん、と鳴った わたしの空は そこらへんにあるのかもしれない ---------------------------- [自由詩]刻の砂/銀猫[2007年12月27日14時23分] さらりさらさら、刻の砂 さらら、今日の出口は見つからず さらり、昨日の砂は無い 時計のなかでは あどけない頬が 片隅にほんのりと笑っており 記憶の岸辺に くすくすと 無邪気な声を打ち寄せる まだ幾つかの悲しみを知らず やさしさを知らず また 幾つかの幸福を知らない 無表情に返される天と地との入れ替わり すべての持ち物は様変わり されど 昨日は昨日の 今日には今日の理由があり とくり、とくり、と打つ脈は ささやかな歴史を巡る さらり、さらさら時の砂 さらら、どこから注がれて 明日に零れてゆくのやら 下弦の月は知らぬふり もしも天の星砂ならば 少しは煌めこうものの ---------------------------- [自由詩]さくら予報/銀猫[2008年2月16日14時34分] 玉葱の味噌汁に なみだを一滴入れてみたものの 塩加減は少しも変わらず だれも悲しくなりませんでした 風の強い庭先に鳴く野良猫に 思いつきで名前を呼んでみました ずざ、と塀を駆け上がる音を残しただけで すこしも温かくなりませんでした 風が桜色に染まるのを わたし、夢見て過ごしています 通勤の乗り換え駅では きみの住む街の名前だけ いつも開花しています 青い表紙の詩集に こっそりしたためた きみの横顔は笑うでもなく ただいつも俯いて こちらを向いてはくれません 遠い、とは そういうことでしょうか 暮らす、とは こんなものでしょうか わたし、オーデコロンを変えました ---------------------------- [自由詩]湘南、春の片隅で/銀猫[2008年3月10日21時39分] 丸みの無い水平線の向こう、 空と海の境界が 白く曖昧になるあたりで 春、が転寝している 寒気から噴き出した風が止み 陽の降り注ぐ砂浜には くろい鳥のような人影が 水面に微笑みを向け 沖ではヨットの帆が 海風と蝶のように戯れ 春、に流れている 海沿いのテラスで トマトの匂うカクテルを透かしながら 砕けた氷の解ける様を 冬と重ねて わたしも春のひとひらになり こころをふっと 翡翠色の波に流してみると 帆を持たぬ小さな船は 波打ち際で横倒しになりながら 少しずつ沖の、 春のいる方へ流されてゆく 弥生月、 埃と潮と花の匂い 呼吸は 浅く。 ---------------------------- [自由詩]桜ときみと、ひとさしゆび/銀猫[2008年4月9日22時29分] ふわ、り 風に追われた桜 川面にちいさな州を作り その薄紅のしたを きみの遠い息遣いが流れる いつか それはシロツメクサの匂い立つなかで 流れていたのと、きっと同じ けれど今日は 不思議な一線が引かれている 春はいつも きみのかたちをしていた   さびしい、と口にしながら   枝に残る桜のひとつを   ひとさしゆび、となかゆびで挟んで   このまま少しだけ   ちからを入れたなら   きっとそれは真実に、   思い出に変わるだろう わたしのこころは 流れの遥かを越えた向こうに 忘れてきたらしい ためらい、 ちぎる、 さくら、 指先が 四月 ---------------------------- [自由詩]日向の匂い/銀猫[2008年6月1日13時31分] 灰色の雨が上がって ようやく緑が光り始めた 葉脈を辿る水の音さえ 響いてくる気がする 穏やかな五月の庭で 白いシャツが揺れる 遠くから届く草野球の掛け声が 太陽を呼ぶ きみも こんな陽射しの下で 空を仰いでいるのだろうか きみの背中も 日向の匂いがするのだろうか きみにまつわる物語は むしろ神話のようで 幾つもの川に隔てられて 向こう岸に渡れずにいるわたしは 暖かすぎる空気が哀しく 爪を噛んでみたりする 思い出はときに こころに針を刺し 寂しさに膨らんだ胸を ぱん、と破裂させる けれど 今日も笑顔で暮らすのだ こんな悲しみ方がどこかにあっても いいのかもしれない ---------------------------- [自由詩]海蛍 (一)/銀猫[2008年6月22日14時37分] 爪先で掻き分ける、 さりり、 砂の感触だけが 現実味を帯びる ひと足ごとに指を刺す貝の欠片は 痛みとは違う顔をして 薄灰色に溶けている こころの真ん中が きりきりと痛んで 夢遊病、 もしくは 遁走、 それに似た列車を乗り継いで 夜を泳ぎにこの海へ来た 魚影を縁取る青白い海蛍と 黒い音を引き連れて 膨らむ水面 生命はそこここに散らばり 誰の存在感も 等しく消されている 音の無かった鼓膜に 夜、が響いて 生温いわたしの生命が目覚める さりり、 砂、の音 ひと足ごとに 小さな赤が滲み 胸に蒼い火が灯る ---------------------------- [自由詩]ふゆの背中/銀猫[2009年1月4日6時01分] オリオンが その名前を残して隠れ 朝は針のような空気で 小鳥の声を迎えうつ わたしは 昨日と今日の境目にいるらしく まだ影が無い 太古より繰り返す冬の日 あたたかい巣箱から 掴み出される予感が 背中を震わせる (朝はまだすこし遠くにいる) 車両基地に並んだ列車が 轍を軋ませ 仄暗い街の中へ 悲鳴を放つ この凍える次元の 希望はどこに隠れている? かろうじて 温もっている獣の背中に 或いは さっき抜け出した毛布の中に 見落としてしまったろうか 星の名前より、水 暁いろより、風 靴音の気配 そういうものの中にだけ 蹲っているのかもしれない わたしの影は まだ無い ---------------------------- [自由詩]美しいひと/銀猫[2009年1月28日16時56分] 白梅も微睡む夜明けに あなたしか呼ばない呼びかたの、 わたしの名前が 幾度も鼓膜を揺さぶる それは 何処か黄昏色を、 かなしみの予感を引き寄せるようで 嗚咽が止まらず あなた、との 始まりの記憶を手繰り寄せてみる   そっと触れると   その深くなった額の皺が   川、という文字を描いて   あなたの潔さや   懐の深さで   豊かな水の流れをつくっている   薄くなるまで使ったてのひらには   ささやかな歴史が   花びらのように握られ   しろい冬の匂いを放って   あなたの安らぎを約束する 明日あなたが風になるとき なみだはきっと不似合いだろう こんなにも 美しいひとが 空に溶けるのだ 傍らで 風は子守唄を唄い続ける 語り継がれる血の 温もりを護るように あなたが指差していた先には 幸福のかたちが見え隠れしている      (二〇〇八年一月、友の愛するご家族の追悼のために) ---------------------------- [自由詩]雨の日のおるすばん/銀猫[2009年4月25日1時57分] 予報どおりに 夜半から雨 街灯に照らされた水滴の連なりは、 白く 夜の一部をかたちにしてみせる 舗道の片隅ムスカリは 秘密を蓄え 雨に味方する さわ、わ さわさわ風に 雨糸揺れて 季節の目盛りよ、一ミリ進め さわ、 さわわ 夜更けに降るのは 散ったさくらのお弔い いつかの宴はもう遠く 花びら集めた冠は 枯れて散りちり、 もう枯れて 摘んだてのひら 冷たくなった 細かい静かな雨粒は 若葉の葉脈に隠れて 明日晴れるを 恨んでいる さわわ、 わたしはこころに傘さして 今夜の夢見を願ってる (だれか髪を (そっと撫でてください ---------------------------- [自由詩]トマトジュース/銀猫[2009年5月14日21時48分] 目覚めのひと呼吸が かなしかった日は ふい、と 砂漠に連れて行かれるようだ そこは盛り上がった砂地/育ちかけたトマト/の/墓標が整列/黄色い花が手向けられている/生ぬるい南風が/背中/を突つく/急かされる/左足/初夏のサンダル/小指が破れる/時折/人魚姫の痛みが走る くろい尾びれを残したまま ひとまわり小さくなったわたしは 歩幅をまた縮めて (すこし前へ) 海だった場所は とっくに消えているだろう (すこし前へ) きらめく鱗/いちまいずつ剥がれ/うぶ毛の葉/掠めて/舞い落ちる/これがかなしみの正体ではない/それを知っている/トマトの墓標が続く/続くのだ 尾びれにまだ 血が滲んでいる ---------------------------- [自由詩]初夏のメルヘン/銀猫[2009年5月27日12時47分] 晴れた日の自転車は ちりちりと 陽射しが痛くて 風を切ると 明るいシャツに羽虫のシミがぽつり 白や黄色の 果実の予感を湛えた花は 土埃の上で 清しく開き 匂いを放つでもなく ただじっと ちからを溜めて 夏に向かう そういう季節のめぐりに きみは周到に隠れて 乾いた洗濯物の感触や ありふれたいのちのやわらかさで わたしを 夏に運んで行く それはおそらく 少しも珍しくない光景で とりとめもなく過ぎ去る、 風に似た一瞬 (日向の焦げくささ) (海岸通りの干からびた海草の匂い) きみの匂いは もっと太陽に近かった ---------------------------- [自由詩]とかげ/銀猫[2009年6月22日18時23分] うすい水の膜を通して いちにちの過ぎるのを待つ 泳ぐに泳げない、 不器用な蜥蜴の成れの果ては にんげんに良く似ているらしい わたしは髪を切る 意地の悪い快感をもって 不運の絡んだ毛先を切り落とす 背中はすうっと軽くなり 背後に捨てた茶褐色が ひくひくと打ち震えている 風が冷たい首筋も 明日には慣れてしまうだろうが きっと不幸のくちばしは そこに留まり わたしの行方を追えないはずだ 窮地を逃げ去る、 髪を切る 銀のはさみで 再び伸びた尻尾を さくり、 切ってしまえば いくらかずつ厄介は離れてゆくのだろ? 切ってやる 切ってやる わたしはいつでも蜥蜴になって 尻尾を掴まれるその日まで (今日も青い朝顔が見張っている) ---------------------------- [自由詩]あおむし/銀猫[2009年7月6日23時13分] 草いきれと湿った地面の匂いがする (夏だ) こっそり張られた蜘蛛の巣を 黙って許すことにした いのち、を 思ったわけではないのだが 今日はこの国や 内包する宇宙にも とりわけ関心がなく 眠りを貪っているうち 羽根を失い アオムシになったらしい きっぱり残った触角で 棘をよけながら からだを伸縮し この世を這っていくのが (ゆるり) (のらりくらり) 約束事だったように ごくふつうのことだ アオムシは思わない しあわせについて あるいは明日について (ゆるり) (へたり) 不意を突き、 鳥に呑み込まれても きっとそれも約束のうち アオムシ、短く、夏。 ---------------------------- [自由詩]夏の軌跡/銀猫[2009年8月27日21時28分] 眩しい舗道に 蝉、おちた 鳴くのをやめて 飛ぶのをやめて 褐色の羽根に ちりちりと熱が這い上っても 黙って空を仰ぐ      湿った真昼をまとい   木陰にくっきり分けられた、   アスファルトの白黒を辿ると   燃え残った蝉時雨が降り注ぎ   髪の奥まで濡れそぼる   わたしには   蝉ほどの潔さもなく   夏を葬る風から   後ずさり   後ずさり 小さなからだは 間もなく轍のあとかた そうして時が止まれば 夏を失うこともない 樹液より緩やかに滴る、 単調な音色は 刹那の七日 それ限り かなしみはない 永遠もない 次の夏を待つばかり  (待つ、ばかり) ---------------------------- [自由詩]安曇野/銀猫[2009年9月1日22時01分] 海より遠い、 安曇野を思う 穂高の山々を わさび田の清流を あるいは ただその空を思う 閉め切った窓の硝子に反射する、 ピアノ曲に誘われ ふっと解けた封印は 気付けばとっくに色褪せて その内側に何を凍らせていたのか よく覚えてさえいなかった きっとわたしのことだから だれかの思い出が さびしい夜にはしゃがないよう、 無かったことにしたのだろう めぐった月日は今日になって いとしさに眩暈がする 列車を乗り継いで行ったことはない 地図を買った覚えも無い ただこの旋律が わたしをのせて安曇野へ流れる 海より遠い、 安曇野の空が僅かに切り取られ ここへ落ちてきた ただその空を思う ---------------------------- [自由詩]青空/銀猫[2010年1月13日2時22分] 冷たいゆびで 摘まんだ雪は わずかにかなしい方へと傾斜し 山裾の町は 湖の名前で呼ぶと 青い空の下で黙って わたしの声を聞いている 凍った坂の途中から 見渡すと 連なる峰の稜線が 町中を影で包み 薄く宵の気配を 漂わせて 気持ちを急かす ここからは 戻る列車のレイルは見えず わずかに 灯油の燃える匂いが こころもとなさを緩めて きみの背中を思い出した 過ぎた駅を こころの隅に置いて 毛布のなかで 体温を探ろう わたしのかたちを 覚えておくために 地図はきっと もういらない ---------------------------- (ファイルの終わり)