イオンのそらの珊瑚さんおすすめリスト 2012年9月19日12時07分から2018年4月22日11時36分まで ---------------------------- [自由詩]銀塩写真/そらの珊瑚[2012年9月19日12時07分] 古いフィルムネガ 光にかざせば 見知らぬような 女 ああ 確かに私だろう こびと専用の夜行列車の小窓の中で かすかに笑っているようだが それは条件反射の類だろう 本当に可笑しい時は こんな風に大人しく切り取られはしないものだ レントゲン写真みたいに 病巣が現われてやしないか ほら この白く映っているところがですね 悪いところなんです カタチあるものは感光され まるで 無機質な見取り図になる 写真工場から流れてきた汚水が水路をひっそりと流れると、ラムネ菓子を包んでいるセロファンが溶け出したような色とともに、酸っぱい匂いがたちこめて、今思えばあれは毒であったのだけれど、奇妙なその匂いがなぜか嫌いではなく、友達が秘密基地と名付けた秘密でもなんでもない空き地へ、渋柿しか実らせないという古いポリシーを持つ岩のような肌をした柿の木の下にしつらえたダンボールで作ったおそまつな隠れ家で飼っていた捨て猫、冷酷な祖母は目の開かないうちに川にうっちゃってこいと言い放ったが、たぶんその時人を憎むということを生まれて初めて体験したのかもしれず、そのくせ反発する言葉さえ持たず、まさかそれを実行できるはずもなく(時に名前をつけずに「猫ちゃん」と呼んでいたのは、冬生まれの宿命である短いノラの命を予感していたわけではないけれど、飼い猫に出来ないという大人の道理を受け入れるしかない子供なりのけじめだったのかもしれない)と遊ぼうと駆けていったあとも、今しがた絞ったばかりの山羊の乳の入ったほのあたたかいコップを手にして、立ち去るのが惜しいものでもあるかのように、ほんの少し陶酔気味にしばらくその匂いを嗅ぎ続けているうちに、ぼやけた真実というものがいくらか焦点が合っていき、明日が来るのかななどと考えていた。 実はあの匂いは羊水のそれによく似ている 胎児は 百倍に薄められた酢酸に 漂う一枚のネガフィルムが 立体現像されたに過ぎぬ 男 ドクターと呼ばれる種類の 男 もまた知らず知らずのうちに 毒に蝕まれていて そのせいか複眼となっていたため シャッターを押すまで 長いこと カメラのあちらこちらを操作して 思い悩んでいるうち もう写すべき被写体自体が 風化の末に粒子になってしまったことに 今 ようやく気づいたのだった ---------------------------- [自由詩]メモワール/そらの珊瑚[2012年10月3日8時11分] 治りかけの小さな傷は ちょっと痒くなる 我慢できなくなって その周りをおそるおそる掻いてみたりして 治ってしまえば こんな小さな傷のことなど きれいさっぱり忘れてしまうだろうに 治りかけの傷は たぶんさみしいのだ 自分の存在がやがてなくなってしまうことが 見えない傷はどうしているのだろう 身体の内部で生まれやがて消えていくそんな傷 宿主にさえ知らせることなく 未来永劫痕跡さえ発見されない もっともっとさみしい傷 弟の手のひらに引き攣れたような傷がある 幼児の頃 母がアイロンをつけたままにして置いて それを触って火傷した傷 弟にはその記憶はないが 母はその傷を見るたび もうやり直せない自分の過失を悔やんでいたに違いない 今は子離れして弟と手をつなぐなんてこともない母が そのことを思い出すことがなくなりますように 小さい頃公園に かいせんとう と呼んでいた遊具があった 丸い大きな輪にぶら下がってくるくる回る仕組み ある日数人で激しく回って遊んでいると 理由はわからないのだが 私以外の子が全員手を離してしまった 私は回旋する力にひとり取り残され 重みで輪は傾きしばらく地面に引きずられた 手を離せばいいものを どんくさい その時出来た傷は今も足にあるが それを見るたび、少しだけ切なくなる あの時 おいてけぼりにされた自分を思い出して 回旋塔はその後撤去されてしまった 治っても消えない20センチほどの手術痕が 私の胸にある 時間をかけてゆっくりと薄くなってきた それを見てももう辛くはない それどころか愛おしいくらいだ いろんな傷を吸収して 今 ここに存在する このくたびれた身体もまた 愛おしい ---------------------------- [自由詩]残り雪/そらの珊瑚[2013年2月2日8時30分] 人は たくさんの事柄を 忘れながら 生きています 朝起きてみれば 隣の空き地は 白く覆われて ただひとつの足跡もない とてつもなくやわらかい 真新しい道に思われました そのように美しい世界の下に 冬枯れた草があることを 見えなくなれば いっときでも忘れてしまえることでしょう 人は たくさんの事柄を 思い出しながら 生きていきます 雪が降ったのは いつのことだったでしょうか 日陰を選んで降った あの雪は いつまでも溶けずに 心の底に残っています かたみのように 36.5℃では 雪解けに少し足りないのかもしれません ---------------------------- [自由詩]わたしたちの靴下はいつだってずり下がってはいけなかった/そらの珊瑚[2017年1月19日11時31分] 昔昔のことです 「ソックタッチ」という商品名の速乾性液状糊のスティックがあった 糊といっても紙を貼りつけるものではない 靴下と足を貼りつけるものなのだ ずり下がるという引力の法則に抗うことの出来る その画期的発明品によって 中学の白いスクールソックスは校則通り 足首より二十センチメートル上の定位置に張り付くことが出来るようになった 靴下のゴムが多少ゆるんだってそれさえあれば怖くはなかった 気の利いた女子は制服のポケットにそれを入れ 体育の後などにソックタッチの糊がはがれるという (糊付けが半分はがれた靴下の様は見るも無残なありさま) 緊急事態に陥った友に貸してやるのだった わたしたちの友情は一丸となって ソックタッチによりあっちこっちにくっついた 学校が終わり家に帰って風呂に入る前に べりりとわたしたちは靴下をはがす 日々の塗りごとのためその辺りの皮膚は傷つき赤く悲鳴をあげている 親にいえば皮膚科につれていかれ ソックタッチは没収されるだろう 権力者の前では持たざる民は無力な存在だ それを思えばこんな痛みや痒みはなんということはない 身体の苦痛は信仰をより強固に心にくっつける十字架なのだ 風呂で足首二十センチメートルの場所に ぐるりとめぐらされた糊状のものを 湯で落とす時 乾いた粘液がぬめりとなって流れていった 諸行無常のことわり通り 数年してS教はあえなく信者を失っていくことになるのだが その理由として あのぬめりの気持ち悪さが大きかったのではないかと密かに思っている わたしたちの友情は 友情と呼んでいたものはどこへ行ってしまったのだろう ぬめりさえ感じることもなくはがれた先で風に吹かれているのか 毎日不毛とも呼べるそんなことを繰り返すことの出来た あの頃のわたしたちの真っ直ぐなバカさ加減が 今頃になってひどく愛しい(怖ろしい)のだけど ずり下がるままにまかせた今のわたしの靴下を(靴下以外のものにも) ソックタッチで貼りつけまくって引力に逆らってみたい気持ちも どこかにあるような気もする、今今のことです ---------------------------- [自由詩]トランジット/そらの珊瑚[2018年4月22日11時36分] 父母が買った墓を見に行く 高台にあるそこからは 海が見渡せ なんのわずらいもない風が吹き渡り 小さな飛行機が雲間に光る このお墓に入ったら この景色を見て暮らす、という母に いいなあ、わたしもここに入りたいと笑う 人は 死んだあとのことを笑って話せる 奇妙な生き物 どこにでもあるような ありきたりな故郷の街並みに どこにでもあるかのような会話を だけど今しかない春休みに わたしたちは ひっそりと上書きしていく ---------------------------- (ファイルの終わり)