レタスのイナエさんおすすめリスト 2015年3月29日12時17分から2016年7月12日9時25分まで ---------------------------- [自由詩]開胸手術/イナエ[2015年3月29日12時17分] その男は  幾つも電球を並べた灯りの下で ぼくの胸を切り開き不機嫌な心臓を取り出した 心臓の中に豚を入れ調子よく動かそうというのだ 更に男は心臓のあった空洞を覗き込み ぼくさえ知らない潜み物を探っている  ぼくは少年の頃から  沢山の秘密を隠してきたが  心臓の裏には隠していない  大事なことは脳の奥深く  秘密基地に隠してあるから    心臓の周りにいた*イトメは 動きを止めてひっそりと成り行きを見ている おしゃべりな口がハアハア言い出した 危ない 大事な秘密を漏らすかも知れない それを察してか女の人が口を塞いでくれた  と思ったのは甘かった  ぼくが抵抗出来ないことにつけ込んで  気道に管を突っ込み  喉に絡んだ潜み物を吸い出しはじめた  うっかり漏らしてしまった尿も  袋に溜めて潜み物を探っている その間に男は 冠動脈に潜み物がいて血流を止めているのを見付け ぼくの腕から血管を一本抜き取り バイパスを作ってしまった 男が豚の入った心臓を取り付けると イトメが一斉に 元気よく踊り出した     大変だ  血流がスムーズになって  秘密基地に隠した大事なことが流れ出そうだ     {注イトメ=観賞魚の餌になるイトミミズ} ---------------------------- [自由詩]娘よ/イナエ[2015年5月11日22時25分] 疲れた顔で見舞いに来ないでほしい わたしの看護のために あなたを育てたのでは無い あなたはあなたの生き方で 社会の仕事を果たさねばならない それがあなたの人生 わたしの看護が加わって 疲れると言うのなら 見舞いなどに来なくて良い 看病疲れの様子で来られたら 考えることの少ない長い夜の病床で 心配が渦巻きわたしを責める もし 社会の仕事で疲れているなら わたしのベッドで休んでいけ そして元気を取り戻せ わたしのところへ来るときは 明るく 生き生きとしていてほしい これがわたしの我が侭な願い ---------------------------- [自由詩]こころころころころがって/イナエ[2015年5月25日15時31分] ちょっとした異性の情けに 心が前を向き 元気になって意気上がり 意気上がり 浮かれ心の有頂天 天に昇れば あとは 落下 後ろを見ては 沈む心 取り巻く人の 心を上目遣いに覗き込み 見えもしないのに疑心暗鬼 ああ 心には 幾つもの呼び名があって 意気 意志 意思 遺志  意図 気分  気分良ければ心が弾み こころころころこがって  女心と秋の空 男心も秋の空 ---------------------------- [自由詩]人間といったところで/イナエ[2015年5月31日8時51分] 人間といったところで 革袋に詰め込まれ 骨に抱えられた 一本の管 ---------------------------- [自由詩]カタツムリ/イナエ[2015年6月8日11時55分] 家を背負っているのではない としても 先祖代々の戒名が殻に閉じ込められ 捨てることなど出来無い重み ああ 家を捨てたナメクジよ お前は… ---------------------------- [自由詩]夜空を夢が流れて/イナエ[2015年6月14日21時08分] 熱帯夜に 惑わされて腐乱した睡眠から 止め処なく垂れ流れるゲルは 黒い卵を内包していた 寝息が言葉に染まって 過去の幻像を描くとき 醗酵したゲルは悪臭を放って 野を枯らし 街を枯らし 人を浚って  国々を吹き抜けていく  熱気の淀みに落ちた卵子は  ゲルを抜けだし はだかになって  不規則な細胞分裂を繰り返し  未熟なまま発芽した  闇の中で成長する黒い芽  やがて空を覆い   星を隠し  髪振り乱して   垂れた乳房が  黒い炎を上げ  都会に襲いかかる  群立するビルの先鋒は 黒霞に舐められ しゃぶられ したたり落ちる涎が 蓄熱した屋根を 転がって弾け散り 夏の夜宙(そら)に 弾痕を穿つ ---------------------------- [自由詩]夏草/イナエ[2015年6月20日9時04分] あなたを焼く炎は 煙さえ立てることなく 空に消えて 後には 黒枠の中で ほほえむあなただけが 残っている    空に 光りの砂  さざめき 大地に広がる 夏草の波 ---------------------------- [自由詩]「おーい おーい」/イナエ[2015年7月31日13時54分] 「おーい おーい」 と誰かが大声で呼んでいる ドラッグストアの狭い通路 こんな時 こんなところで 大声で呼ぶ声なんぞ 知らない人に決まっている 振り返ってはろくなことは無い と知らん顔 おーいおーいが 狭い通路をノコノコ近づいてくる 仕方なく振り向く 笑顔が「久し振りだね、元気?」 わたしは慌てて笑顔を作り 「ほんと ひさしぶり」と会話をつなぎ 「やま…」と姓を言いかけて 言葉を飲み込む 何時だったか 夫が言ったことを思い出す   よく知っている奴が名前で呼ばないとき   そいつは こちらの名をど忘れしているのだ だから こちらも相手に合わせて   名は呼ばない。   それでも会話はできる。 「あんた ちょっと スマートになったね」 つい出てしまった外見変化の感想     スマート 糖尿か癌の疑い…   フックラ メタボリック症候群… ああ 年寄りにはどのように話をつなげば良いのか やはり 「おーい おーい」にはスルーが良いようだが… ---------------------------- [自由詩]臍帯/イナエ[2015年9月2日11時45分] 箪笥の奥深く秘められていたいくつかの小箱 おそらく母の物であろう歯の欠けた櫛に 出合ってわたしの心が波立つ そして 夭折した兄たちの名に混じって ボクの名が乾ききった小箱 それはぼくと母を繋いだ橋であった ふたりの幼い兄を追って 幼児のぼくに面影さえ残さず消えた母 羊水に浮かぶわたしに 母はなにを伝えたのだろう 母の去った道を 何度探し求めたことだろう だが道は何時も閉ざされていた 今 眺める乾燥した管も ことばの路も 視線のはいる隙間も閉じている 困惑して目を上げた先に 鴨居の母の眼 ---------------------------- [自由詩]物を両手には持たないで/イナエ[2015年9月22日17時18分]        ー年を取るとはこういうことか7ー 若者よ ズボンをはくとき ベッドに腰掛けなくても履けるか 家中の者が畳の上で生活していた頃から 立って履くのが常だった 布団の上で寝転がって履くなど 怠け者か病人のすること 今でも立って履くことに変わりはない 時々よろけそうになって壁に手をつくが… 若者よ 両手に荷をぶら下げて階段を下りるか わたしだって… 先日 右手にケーキ 左手に手羽先ぶら下げて リズミカルに下り始めた駅の階段 足下を見ると階段が揺れてリズムが狂い 思わず足を止めたけれど  体は前にのめり 左手が壁をこすって  焼き鳥が階段を下りていく 階段を二段飛ばして下りていく若者よ 両手に荷物を持った人には近づくな 君の若さの雰囲気が 老人のリズムを狂わせて バランス崩して 君を杖と頼ったとき 老人の下敷きになって落ちる覚悟はあるか 両手に土産ぶら下げて 壁にそって階段をゆっくり降りて行く老人よ 不測の事態に 片手の荷物を捨てる覚悟があるか ---------------------------- [自由詩]終着駅/イナエ[2015年10月12日22時13分] 夕陽に向かって走っていた電車が停まった。長い間揺られていた人々は立ち上がった。この先には もうレールはなかった。が 旅が終わったのではない。 ここからは ひとり 自分の足で歩く始発駅でもあった。過去の人生が詰まった荷物を背負い あるいは ベンチに残して身軽になって… これまでに集めた荷物が、この先、歩く自分の足に役に立つのか。重荷になるのか ここは賭だ。 電車の中で知り合った人たちと交わす別れの挨拶が ひととき街のにおいを漂わせる。 出会うことはもうあるまい それが済むと彼は出口で立ち止まり 遥かな彼方を確かめる 茫漠と広がる未体験の領域を前にして 踏み出す一歩に慎重になる。が 迫る夕映えにせかされ、遥かに続く未知へ踏み出す。  どこを選ぼうと、いずれ尽きることは分かっている。それまでにどれほどの道のりがあるか どのような風景があるか 知るものはいない。それは これまでの希望に満ちた出発でも同じだった。 既に薄暮に包まれた駅舎の中では 蛾が二つ三つの円をえがき始めていた。ここまで乗ってきた電車はすでに消え 鈍く光るレールも 先の方は薄暮の中に消えている。もう戻ることはできない。これからは かすかに光を発している灯だけが目標になるのだろう。ひたすら歩くことだ。自分の道を歩きつづけることだ。彼は色彩を失っていく風景の中心に 頼りなく浮かぶ白い道へ踏み出す。 不意に感じる視線。見回しても見付けることはできない。けれども これまでにも どこかで見つめている視線があったように思う。これからも きっと どこかで見つめる目があるに違いない。彼はそう確信する。 と 一歩踏み出すごとに ぼんやりしていた灯りが輝きを増してくるのを感じた。     ---------------------------- [自由詩]【HSM参加作品】狂気の時代/イナエ[2015年10月24日10時15分] 今 冷静に考えればおかしなことは幾つもあった 学生服のボタンが陶器に替わったのは良いとしても 疎開先の山村に棲む父の従兄の大工小屋で 兵隊さんたちが材木を使って 角形の潜望鏡のようなものを作っていた  こんな山奥でも   本土決戦の準備をしているのだ 体の芯から軍国少年だったぼくは 本土決戦が近いことを信じていた しかし  不意に顔を出した好奇心が口を開いた  「何作ってるのですか?」 筒の中を覗き込んでいる兵隊さんが言った  「これはねえ 秘密兵器」 その瞬間 ぼくは聞いてはならないことを聞いてしまった 見てはいけない物を見てしまった気がした 兵隊さんが続けた  「ここに弾を入れて ドカーン」  「でも…これ木でしょ?」思わず聞きかえした これはまずいぞ と言う声が渦巻き始め  ぼくはスパイじゃないよ と付け加えたくなっていた が、兵隊さんは ぼくの不安に頓着なく続けた  「だから 秘密兵器」 周りの兵隊さんたちが ふふんと笑った その夜 どこで仕入れたか父は 「広島にとんでもない爆弾が落ちたらしい」 と押し殺した声で母に言っているのを聞いた 数日後 大工小屋からは 兵隊さんたちの姿は消えていた  いよいよ本土決戦が始まるのだな 壁際に整然と積まれた木材をながめると  後は お前たちが引き継ぐのだぞ 兵隊さんがそう言っているような気がしてきた  その日   戦争が終わったことをぼくは知った  本土決戦も行わないで… ---------------------------- [自由詩]山椒は優しい樹だ/イナエ[2015年10月30日18時38分] 山椒はけなげな樹だ 人に若芽を摘まれ 実を横取りされても 再び芽を出し花をつける 山椒は優しい樹だ 青葉に隠して 揚羽の幼虫を育て 幼虫に臭いをすり込ませ ああこの臭い 幼虫はこの臭いで外敵から身守る 山椒は気づいているか これは山椒の体臭 己の体臭を与え 葉を極限まで与えて育て 報酬は得たか 山椒の老木が切り倒された 広げた枝の棘が人を傷つけるというので すりこぎを作りたいというので 削り作られたすりこぎで 山芋に体臭をすりこませ 人をもてなす ああ山椒は優しい樹だ ---------------------------- [自由詩]未完のまま/イナエ[2015年11月8日18時18分] 閉め切った窓のすき間を すり抜けた時報のチャイムが 昼寝のベッドへ潜り込み 勝者を確信していた私の手が 上げられる前に目を覚まさせる 惜しいことをした 確かに戦っていたのだ 始めから負け戦だと分かっている試合に 挑むものなど有ろうか 戦って 戦って 例え勝ったと思っても 勝敗は手が上がるまで分からない 浮き石を踏んで滑落したり 落ち葉に足を滑らせ深い渓谷に落ちたり 思いもかけず手が滑って暴投したり 不意に現実が飛び込んだり 夢には完結はない 人生もまた 完結することがあるのだろうか 紆余曲折の行路にも 喜怒哀楽の登頂にも その先には更に続く道があり 他の峰が見えてくる 再び挑む山峰 眼前から迫る落石を岩陰で避け 追ってくる蜂群を地に伏せてやり過ごし 足を掴む蛇を払い飛ばしても  頭上から唐突に落下してくる火山弾や 桟道の曲り角に隠れているかも知れない熊 死は生の途上で唐突に現れる それを人生の完結といえるのか ---------------------------- [自由詩]風/イナエ[2015年11月23日18時14分] ゾウさんのお鼻は 不思議な鼻だ バナナをつまんでお口に入れる 水を吸い上げシャワーする 敵をひっぱたく武器になり ああ きょうは 少年ゾウのまたの間から 鼻を入れおちんちんをいらっている 少年ゾウは困り顔 そこから流れ出した風が見物人の 股間を撫でて ああ  隣の女性が  すうーと離れていった ---------------------------- [自由詩]夕焼けの海/イナエ[2015年12月5日18時16分] 夕陽は波の音を残して 海と空の混沌に溶けていく 松の梢から昼の光が消えると ぼくの中で映像がうずきはじめる  時を忘れて遊んでいたぼくらに  夕餉を告げる母の声がとどくとき  一日の終わったさみしさのむこうに  明日があることを信じて  色褪せていく空を見上げる   「イチバンボーシ ミィーツケタァー」    盛り上がり 陸に攻め入り  子を呑み 母を飲み込んだ海  太陽は鉄骨のシルエットを浮かび上がらせ  破壊された人間の暮らしを抱えて沈んでいく  海藻の間を縫って稚魚の群れが泳ぐ  重い音が残響を引いて遠方から聞こえてくる  魚群の中に子どもの生命が隠れているかのように  若い母が子の名を呼びながら通り過ぎていく 海中に漂う人間の思念は年を取らない その震えた声に海が共鳴するとき 稚魚の背にさざ波が立ち 海底の岩は珊瑚の破片を抱きしめる  夕焼けが人の情(こころ)をうつのは   子を呼ぶ母の声が聞こえるからかもしれない             「蕊」56号  ---------------------------- [自由詩]遺書?/イナエ[2015年12月10日10時11分] 書きたくないねえ なんだか 自分の死を待つようで あんたが死んだ後の片付けだと どうすりゃいいか分からんってか 死んでから見張っていられるでもなし とやかく言うたかて 訃報を出すところ? 友人たちは高齢者だよ 自家用車かタクシーでしか来られない場所 自分で運転してくるにしても慣れない田舎道 事故でも起こされちゃこっちが悪いことしたようで パソコン保存の住所録に年賀欠礼で十分さ 墓? 墓などあると後々面倒だろ 貧乏暮らしが身についたわたしのこと 金使う必要など全く無い 骨? 川に流すのも善し 地に埋めるも善し 遺産分け? 分けるほどの遺産など有りゃしないだろう 後に残った者が自分たちで考えれば良いことだ 子どもたちが喧嘩する? さんざん脛かじっておいて その上 骨までしゃぶろうってか そんなケチな根性の子どもの面倒なぞ ごめんだね それでもって言うのなら これがわしの遺言だと思ってくれ ---------------------------- [自由詩]宴の翌朝/イナエ[2015年12月17日21時33分] 鴉の声が窓ガラスをすり抜け ベッドに潜り込んでくる 戸外では新しい世界が始まったらしい 部屋の中には  昨夜  掘り返した青春が  アルコールに萎えて床に散らばり 描き上げた明るい未来が 煙草の匂いにまみれて壁に張り付いている カーテンを開き 窓を開けると なだれ込む町の潮騒 青春の破片は朝の光を避けて シーツのしわに姿を隠し 明るい未来は陽気な外気に気圧され 部屋の隅に色褪せていく 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記憶がこみあげ喉を焼く 都会の底をさまよう脳が 見上げた夜空の淵に 人魚の嬌声が泡立ち   怒りで放った銛は 領巾にからめとられ 振り落とされて 街路樹を焼く   海溝を彷徨い拾い集めた人骨と   交換した安物のアルコール   腹立ち紛れに叩いた街路樹から   厳つい父が浮かび上がって   舌が爆ぜる 転写された人骨の吐息 街路樹に降り積もって 人魚の腐臭が立ちこめ せり上がる胃を路傍に吐き散らす ---------------------------- [自由詩]水に浸かるボール/イナエ[2016年5月1日22時14分] グランドの脇の水路に サッカーボールは半身を浸していた 昨日も今日も橋桁に寄り添って 沈むことも飛ぶことも出来ないで 流れることさえ出来ないで 水面に出た半身が陽に焼かている 赤耳亀が時々ヘディングして遊んでくれるが 人間の子どもは見ぬふりをして通り過ぎる 大人たちの手垢が黴びていたり 動物の排泄物の上を転がったりして 得体の知れない病原菌が 染みついているかもしれない 汚れたボールは捨てよう 新しいボールはほしい 人間の手垢の付いていない 生きものの臭い染みこんでいない 真っ新(さら)なボール 人間の生まれる前の真っ新な地球が 新しいボールを手渡された投手は 唾のついた掌でこねる 真っ新な地球も 誰かがこね回して汚すだろうか ---------------------------- [自由詩]茶色いヒツジ/イナエ[2016年5月4日9時38分] リサは 草原に群れるヒツジを描いた  青い空 緑の大地  日本の大人なら  ほとんどの人が知っている  クラーク博士の指す牧場  に居た薄茶色のヒツジ  の群れ  三々五々  不規則に群がって  大地を舐めるように草を食む  一匹として 顔を上げているものはいなかった みな ひたすら草を食んでいた 休暇が終わって 張り出されたリサの絵 を見た級友は首をかしげた  この茶色い生きものは?  馬でもない 牛かな?  誰かが叫んだ  ブタだ  そうブタだ! リサは抗議した  ヒツジだもん 級友たちは言い返した ヒツジは白いよ 真っ白だよ 茶色いのはブタだよ 可哀想な級友たち  アルプスの高原に群れる白いヒツジと  薄暗い小屋の薄汚れた子豚  しか知らないとは ---------------------------- [自由詩]21seiki/イナエ[2016年5月9日9時24分] 定期便さえない南の離島で ひっそり平和に暮らす家族も 獣道のような細い山道の奥に 密かに暮らす人々も 二十一世紀は容赦なく襲いかかり その存在を世界に知らせてしまう  ここに珍しい十八世紀が住んでいるぞ  ここにおかしな紀元前が生きているぞ  みんな見にいけ  みんで体験してこよう  さあ 食いつくせ  前世紀の食い物を  前世紀の生きるものを 山間い潜む藁屋根を引きはがし 草原にくつろぐパオを折り畳み 十九世紀の団欒を 電場会話に誘い出し ひとりでひっそりと暮らしている者も 二十一世紀のショウに引っ張り出す かくして 地球上の全ての人間は 二十一世紀に染まっていく ---------------------------- [自由詩]摘果/イナエ[2016年5月14日10時20分] 隣近所の思いを気にしながら育てる桃 摘花はほどほどにして花を愛でてもらい 消毒は風のない朝ひっそりと行い 花が過ぎて ようやく形のできてきた実を摘果する このときワタシは 親から切り離される子を思う心を断ち切り 理屈を付けて桃を食らうエゴをむき出しにする  この実は成長が遅いから  この実は付いた場所が悪いから  この実は他の実と競合しているから 虫に喰われることも 人に喰われることもなく 生を終えてしまった子らを集め ワタシは自分の手を眺める  いずれ親に振り落とされると弁解しても  より大きな より甘い桃を食いたいという欲求に応え  幼い生を切り落とした無慈悲な手 眼を背けた桃の根元には 陽光を求めて花柄を伸ばし 数輪の花を付けたオダマキが虫を呼んでいる ---------------------------- [自由詩]スマートフォンの間で/イナエ[2016年5月30日11時34分] 朝の光に濡れた電車には 七人掛けのシートに七人が腰を下ろし つり革にも人の手がゆれていた 厳つい男と痩せた男の間に 若い女がはまり込み ゆらーり ゆらりと 自分の世界で揺れ始めた 厳つい男の肩が 女の肩を押し返す 揺れて女は 痩せた男の肩に当たる 痩せた男は 体をよじり尻をずらすが 隣に座った化粧の強い眼の端が 放った視線に射られて 動きは止まり 肩がこわばる 二つの肩の間で女が揺れる 厳つい男はスマートフォンを取り出し 流れる経文を見つめて仏像になる 女の肩は痩せた男の肩に挑む 痩せた男は 肩を前によじり 後ろに逸らして 女を避ける 電車は波打つ  女は揺れる  男は逃げる スマートフォンを手に男は 思いがけない女難に遭って 勤行のできない困惑に あたりを眺め 救けを探す 揺れる電車の人々は波に乗り  それぞれが手にしたスマートフォンに 描きだされる穢土の世界を 思い思いにさすらっている ---------------------------- [自由詩]睡蓮池の畔にて/イナエ[2016年6月6日9時34分]    昼間の火照りから解放された夕暮れ ビルから流れ出た人たちが 睡蓮の群生する池の畔を帰っていく 池の畔のベンチに若い女が独り 睡蓮の花を眺めている 煉瓦色に夕焼けたビルを映した池に 逆さになった人が 池の畔を歩く人を追いかけていく ベンチの女は おにぎりを取り出しひとくち食べる ハシブトカラスが一羽 池の畔に降りて 嘴を女に向け 羽をたたむ 逆さのビルの間から水鳥が二羽 ハの字を描いて睡蓮に向かう ハの字は交差して池の面を揺らし 夕焼の空を揺し ビルを揺し  人も揺れて歩みが乱れ 池の畔の人からはぐれ 睡蓮は揺れることなく はぐれた人を保護して 静かに佇んでいる   女も静かに睡蓮を眺め おにぎりを ぽつりと口にはこぶ 池のビルにひとつ灯火が揺れて ハシブトカラスの嘴が 太くなったようだ            ---------------------------- [自由詩]犬眠る、そして ー歳を取るとはこういうことか23/イナエ[2016年6月23日11時31分] ハーネスを付けた老犬が 散歩している ヨタヨタと… 仔犬の頃から 遊びあった犬 散歩中に私を見つけると 尻尾を回し飛びついてきたのだが 「マリリン」呼んでみる 近寄ってこない 尻尾の先が僅かに動いて 遠いところを見ているような 飼い主は「眼が見えなくなった」という 路の真ん中で足を止める 飼い主の引たリードが張る 犬は動かない 飼い主は「眠ってしまった」という 桜の下の日溜まりの 路肩の石に腰掛けて 私は眠った犬をぼーっと見ている 不意に犬が動く 私は我に返る どうやら 眠っていたらしい ---------------------------- [自由詩]亡霊/イナエ[2016年7月12日9時25分] 僕は 僕を操作していたボクを殺した 僕の墓場に埋葬した死体は 決して生き返らせることはない その夜僕は酔っていたのか 口から出てくる死体 スパンコールの衣装に身を包み 光の輪の中で高笑し言うのだ   ボクを殺すことなどで出来るものか   おまえが一番嫌だと思うとき   何度でも生き返ってやる   ボクが死ぬのは   おまえが灰になったときだけだ と… ---------------------------- (ファイルの終わり)