由木名緒美のそらの珊瑚さんおすすめリスト 2014年5月6日8時59分から2014年10月18日13時25分まで ---------------------------- [自由詩]楽隊/そらの珊瑚[2014年5月6日8時59分] 覚えたての縦笛から 頼りない汽笛のような音が 飛び出したから 思わず笑って 私は手をふる どこかへいくの? またかえってくるよ 音を作るこどもたちが 今でもほら とても楽しげに 単線路の向こう 黄色い菜の花になって 揺れている ---------------------------- [自由詩]おとむらい/そらの珊瑚[2014年5月9日9時14分] ちいさな命が逝きました なにもできないことが くやしくて 何度も名前をよびながら 一度も 空をとぶこともなかった 幼い翼を撫でておりました スポイトからこぼれた水を 君は果たして飲んだのか 柔らかなくちばしは 誰一人傷つけることなく うずくまるようにして ときを待っていたのですね ちいさな命が逝きました 君と過ごしたのは たった一週間でしたが とても愉しく大切な時間でしたから 悲しみは 胸にしまえず ちらかっていますが 魂は重いという事実を 手のひらに 確かめています 朝が来て 黒い瞳は閉じられていました さえすりが聴こえたのは そらみみだとしても ねえ、 傍らに 君は居るのでしょう 2014年5月8日 命を手放して 君は えいえんを手に入れたのだと思います 君の世界は 私の世界の ほんの少し手を伸ばしたところに 在るのでしょう ---------------------------- [自由詩]公園/そらの珊瑚[2014年5月10日9時55分] 広い平和な公園の片隅に 行ってはいけない 小山があった 5月になると 咲いたツツジに誘われて 子が行こうとすると 親はきまって こう言う 行ってはいけません とだけ ダンボールハウスがあるからという 理由を 口にすることなく かつて私も ---------------------------- [自由詩]カミツレの花/そらの珊瑚[2014年5月11日8時20分] 朝はこんなにも鳥の声であふれている それが そらみみでないことを知ったあと 染み出てくる 当惑を 奥歯でそっとかみしめて (愛おしいシーツの皺を伸ばすように) こんなふうに 人は日常に戻ってゆく コーヒーに溶けていく ミルクは穏やかな希釈を与え 固くなったフランスパンは 産まれなかった卵に浸す 喪失を攪拌したら 君のくちばしの色と同じ黄色だったよ ダイアモンドの針は 円にみたてた溝の上を歩き ――円を伸ばせばかけはしのような道に等しく ピアノの音を再生させる (空間を埋めていくように) 日常という電熱線の上でバターは 泡をともなった液体になり 君のさえずりのない 食卓に 静かな日常が戻ってくる 小さな墓に供えた カミツレの花は すっかりしぼんで (転調されたしらべのように) いつのまにか そこは塔の立つ神殿になっていた ---------------------------- [自由詩]MIX(もらったもので出来ている)/そらの珊瑚[2014年5月12日9時46分] かあさんは白 とうさんは黒 ばあちゃんは茶色で じいちゃんは巻き尾 そのまたばあちゃんが どんなだったか知らないけど たぶんボクの中にいるんだろう 抜け落ちた 冬毛のなかに いろんな色が 混ざり合ってて 「きれいだね」って ふわり キミが拾った ---------------------------- [自由詩]差し出された皿/そらの珊瑚[2014年5月20日8時20分] さあ、どうぞと皿が私に差し出される その上にきれいに盛られている とてもいい匂いのする料理は 食べやすいように切り分けられている 中には苦いものもあるけれど 健康でいたいでしょう? それを飲み込めば健康でいられるのよ 何事にも多少の犠牲は仕方ないからと 私が口に入れるのを ほくそえみながら 待っている 生きるためには 食べなければならない 狩りもせず 自ら栽培せず 差し出されたその皿に載っているもの それはとても魅力的であると同時に 正体を暴けば実に不可解なもの 肉の形をした何か 野菜の色をした何か まがいものと見抜けないように 操作している何か さりとて その何かを知るために 私は思考しただろうか わかったことはひとつ 母さんは本当に料理が巧い 手にとったスプーンに ツクリエガオの人がほほえんでいる それはさかさまで 私のほんとうの母さんかと 少し疑う けれどただの気の迷いの類だったのだろう 私は与えられていた 私は甘やかされていた 蚕の蛹を食べたことはなく 芋のつるも食べたことはなく 飢えたことなどいちどもなかった 私は幸せを与えられていた この平和な国で 差し出された皿に 隠された真実を知る努力もせずに さあ、どうぞと皿が私に差し出される 平和でいたいでしょう 何事にも多少の犠牲は仕方ないものよ ---------------------------- [自由詩]流跡/そらの珊瑚[2014年5月22日9時13分] つたったあとを つたうものあれば つたったあとを つたわないものもいて 誰かのまなざしのあとを なぞるものもあれば 誰かの言葉のあとを なぞらないものもいて きょうのまことが あすのうそになっても すべてゆるされて 競うこともせず 流れていくまま 支流のような小川が つたう この窓が好き ---------------------------- [自由詩]水彩/そらの珊瑚[2014年5月24日10時08分] いやさなくて いいよと それはいう かなしみは いやされることなど のぞんでやいないさと 筆先でなでていく 涙の成分は 瞳に必要なものだという いわさきちひろの描く こどもの瞳が 今日に限って ひどく近くで わたしをみつめている ---------------------------- [自由詩]よそいき/そらの珊瑚[2014年5月26日9時09分] よそへいくための服は 襟のレエスがまぶしくて びろうどのスカートが重くて ぴったりしずぎてきゅうくつで 母さんが 帰宅するやいなや 着替えさせてくれるとき ほっとして わたしは すこし しぼんで わたしに戻った カットソーにジーンズ よれよれの普段着の悲喜こもごもが この上なく似合ってしまう 今の自分もいいと とりあえず納得してはみるものの よそへ着ていくあてもない よそいきを バーゲンセールでもないのに この夏のために一枚買ったのは ほんの きまぐれ もしくは庭の薔薇が咲いたせい ---------------------------- [自由詩]ことづて/そらの珊瑚[2014年5月27日12時14分] ようやく咲き始めた 耳たぶを かすめるように 散ってゆく くたびれた きのうの薔薇 美しい季節はいっとき 残酷な まやかしのようでもあるけれど 改行される刹那こそ 愛おしい はなむぐりは 黄色い花粉まみれで むさぼるように 花芯と遊び やがて去っていくだろう 静寂に覆われた この庭で 交わされる 別れの言葉の代わりの 花詞(はなことば) ---------------------------- [自由詩]から/そらの珊瑚[2014年6月5日8時44分] ことがら は 昨日の記憶 そばがら は 今夜の枕のなかで ひとがら を 朝のヒカリで描きこむ うまれたての雛のあたまに 残された 一片の から どこからと問うこともせず ここからと答えることもせず 守るという役割から 解放された からたちが そこかしこに 転がって 自由を謳歌している ---------------------------- [自由詩]とめがね/そらの珊瑚[2014年6月13日9時39分] 金属製の留め金は 時折きしむ わたしを ここに 留めておくもの 家族とか 四季咲きの薔薇だとか 増えていくばかりの本棚とか 愛すべきものたちばかりなのに 長雨のあと 造成地の崖は崩れ落ち たわんだ留め金と 樹々の根が 土砂の中で見え隠れしている 伸び縮みする 無用心な輪ゴム そんなものに とりかえてみる とめがねのかわりに 髪を留めておくには ひどく無粋ではあるけれど 夏にむかって ゆるく束ねる ---------------------------- [自由詩]はずれくじひいたみたいなすかすかのオレンジを憎んでみたりする朝に/そらの珊瑚[2014年6月23日9時39分] ちゅんとしか 啼けないでなく ちゅんとしか 啼かない くちばしの 下にある 君の発音器官が そう決めたから 多くの言葉を持つ人は たくさんの選択肢を持つけれど ほんとうに伝えたい事柄を あえて置き去りにすることもある 永遠に解くことのできない たったひとつの音が なぜこんなにも愛しいのだろう 心の底まで 無邪気に潜り込んできて その音は 硬質であって柔らかい ---------------------------- [自由詩]バーゲンセール/そらの珊瑚[2014年7月3日8時59分] 小さな靴の愛おしさを ときおりこうして取り出してみる 小さな足はもう消えてしまったけれど バーゲンセールは年々前倒しにやってくる 梅雨が明けてもいないうち 夏服には割引の赤いタグがつけられ 買うあてのない 子供服売り場のなんて楽しいこと 「何かおさがしですか?」 生真面目な店員の言葉さえ なぜかほほえましい  さがしているのはふたたびは戻ってこない季節なんです。 袖を通そうと待っている 名前も知らない 小さな腕、 関節の閉じたくびれ、 てのひら、 うすい爪 その子たちはみな おしなべて汗かきだから やわらかな肌触りの布地がいい 白色を混ぜたような色がいい やっと見え始めた瞳が 世界は優しいものだと映すように 原色の世界へいずれ歩き出すまでは 命はみな小さく生まれてくる 大人の縮尺ではなく ベビーカーで寝ている 誰かの赤ん坊も きっとそんなのを待っている ずっとそのままでいてくれるのなら わたしは このままさがしつづけていたっていい そのうち季節は膨張して 原色の夏がおしよせてくることだろう ---------------------------- [自由詩]古井戸  【詩サークル群青 六月の課題『水』への提出作品】/そらの珊瑚[2014年7月7日19時25分] ひと押し ふた押し み押しするたびに 深いところから 吸い上げられてくる 手応えがあって ほとばしる 夏でも冷たい水、水、水 水という命を手に入れるために 用意された 一連の単純な作業は 再生されないおとぎ絵のなかに 仕舞われている なつかしいのは それが かつては在ったけれど 今はもう存在していないから 地中につながる もしかしたら 地中以外にも通じていると思わせる 地球の中心へ向かう 垂直の深い一本道は 既に埋め立てられていた たどってゆけば おそらく今この時も 水は清冽なものとして湧いているのに わたしは それを汲み出すことが出来ない 取り付けられた やさしい顔をした蛇口ならあるのに その水じゃないと 首をふってみる 逆流してくる 水のままの水、を 小さなてのひらで受け止めた 夏が来るたびに 想い出す ポンプ式の古井戸 跳ね、跳ね、跳ね、 あたりいちめん水びだしにしてゆく ---------------------------- [自由詩]水たまりのひとりごと 【詩サークル群青 六月の課題『水』への提出作品/そらの珊瑚[2014年7月8日15時36分] 雨が降ったあとだけ わたしは この世に生まれます 黒い空から 産み落とされたというのに 見上げれば  ――おもいわずらうことなど最初からなかったように  ――おもいわずらうことは誰でもないじぶんがつくりあげたのだろうよと 空は青く晴れわたり みつめていると いつのまにか 心も身体も 吸い込まれて 幸せな泥水のまま わたしは この世からいなくなるのです ---------------------------- [短歌]梅雨の晴れ間にミスターハロー/そらの珊瑚[2014年7月17日9時33分] 空き地にはヒメジョオンの花盛りラブアンドピースアンド猫      ヒメジョオンってその名のとおり、可愛らしいいでたちで      あるのですが、群生していると、なんだかガールズトーク      しているみたいで、もしや私、話の肴にされてるんでしょう      かという気にもなり……      小さな空き地というものが許されていること、      そしてそこが今日も平和に満ち溢れていることに      感謝したくなります。 電線に等間隔に座ってるつばめ、つばめの愛らしさよ      しずしすとふりだした小雨のなか、洗濯物を取り込もうと      ベランダに出たら電線に並んだつばめがそろいもそろって      こっちを見ている。       じっと見つめられてる……何を見ているんだ、つばめ。      親しき仲にも礼儀あり、つばめも知っているかのように。 インゲンのてんでばららに曲がってる「ありのままの〜」つい口ずさむ      スーパーの産地直売コーナーで見つけたインゲンは      そろいもそろって曲がってて、その曲がり具合も      それぞれで。「のびのび育てたらこんなに曲がりました!」って      キャッチコピーをつけたいくらいでした。レリゴー!      疵もあったけど、普通に美味しくいただきました♪ ---------------------------- [自由詩]おもかげ/そらの珊瑚[2014年7月18日10時58分] 言葉を持たない ほどけゆくはなびらに顔を寄せる 月曜日のこんにちはが 金曜にはさようならになって まだ夏は来ないというのに 固い棘に触れた わたしの指先に 染みのような血だけを残して 生き急いだ 黄色い夏薔薇 あなたの魂のような気がしてならない ---------------------------- [自由詩]小鳥の歌 【詩人サークル群青・七月の課題『歌』へ提出作品】/そらの珊瑚[2014年7月23日12時28分] まばたきは シャッターだから 夜になると わたしのなかは写真だらけになる そうやって 撮り続けた 日常のいくつもの場面を 夜の川に流していく 笹舟のゆくえを追えないように それらがたどりつく岸辺もまた わたしは知らない 朝 わたしのなかは あっけないほどからっぽになる からっぽでみたされて 小鳥の歌が ちょうどよく響く ---------------------------- [自由詩]心だけ小さな舟に運ばせて/そらの珊瑚[2014年8月17日12時13分] やわらかな夜の入口で 関節のありかを ひとつひとつ たしかめていく 幾度となく 繰り返してきた 解体のための いとおしい作業 継ぎ目よ さようなら 肉体は部品となって ていねいに仕舞われ 満ちてきた水によって 浄められてゆく 少女が投げた鍵が 湖に波紋を描き 朝が来たことを告げる 塩を含んだ水は しずしずと干き そしてあらわになった底から わたしはわたしを拾う ---------------------------- [自由詩]小児病棟/そらの珊瑚[2014年8月26日11時50分] スパイダーマン バットマン スーパーマンたちが こぞって 窓拭きをしている ヒーローたちは そこでは闘わない 闘っているのは きみたちだから ---------------------------- [自由詩]たくさんのおはよう、いってらっしゃい、ありがとうが行き交う交差点で/そらの珊瑚[2014年8月29日9時51分] いくつかの 起承転結が たとえば レース編みの 小さな花模様のように 点在しているような ひざかけを (今朝、突然に秋が来たので、  それが不意打ちであったため  タオルケットだけの私はくしゃみした) おそらく完成させないまま 編み棒だけを残していくのだろうなあ と 人生について 考えたりする 朝顔の紫色があんまりはかなげだったせいか それとも 燃えない粗大ゴミの日だったせいか 小学校と中学校 合わせて九年間続けてきた 朝の交通当番は今日終わった 黄色い旗を振れば 横断歩道で止まってくれる車もいるし そうでない車もいて けれどたいてい止まってくれて (こんなふうに、ここで、毎日、  子どもたちは社会のあれこれについて学んでいるのだなぁ) 白いヘルメット 名前が刺繍されたポロシャツ 自転車にくくりつけられた青い鞄 陽に焼けた顔、顔、顔 最後の子どもの後ろ姿を見送れば くしゃみが出そうなあのかんじ ――小さな、結 ああ、そうか さむい時だけじゃないんだな くしゃみが出る理由って ---------------------------- [自由詩]いちじく/そらの珊瑚[2014年9月8日16時17分] いちじくがなりすぎて おしうりされて いやになる きみの ことがだいきらいなわけではないけど だいすきなわけでもない いっそきらわれたほうがましとでもいうように そのみはすこしわれていて そのなかにあるのが花なんだよと だれかのうんちくをきくはめになった しぶしぶたべてみれば 熱帯植物系のねっとりさが わたしの口をだめにして またれいぞうこにしまう きのうスーパーで いちじくのパックをかごにいれた みずしらずのたぶん女の人に  「もしよかったら、うちのむのうやくというか   ほっておいたらできてしまったいちじくたちをたべてくださいませんか   いまならほどよくひえてます」 といいたくてうずうずした おそらくいちじくをあいしているだろう もしくはかぞくのだれかがあいしているのだろう そろそろいちじくのきせつじゃのうか? と きたいでむねをふくらませているおじいちゃんとか そのたぶん女の人の(そのひとのしゅうへんにまつわるひともふくめて) こうごうしいまでのせなかを そんなおもいをこめて つまり 熱帯植物系のしせんをおくりながら あとをつけてみたのだが ぜんぜんだめだった ---------------------------- [自由詩]白杖の人/そらの珊瑚[2014年9月11日8時18分] どんなにおそろしいか どんなにふあんか まくらやみのなかで ふみだす そのいっぽ 声をかけられなかった ずっと昔 学校帰りの交差点で その人は白杖を持って 信号待ちをしていた 声をかけたかった もしよかったら何かお手伝いしましょうかと 腕を差し出したかったけれど ありがた迷惑、とか 見えるからってなんだ上から目線で、とか 思われそうで 思考はぐるぐる回りまわって 結局自分が傷つきたくないだけで なにも出来なかった その人のあとから横断歩道を渡り、別れ 違う道を進み いくじのない自分のことなど 私はすぐに忘れた 海の向こうから 朝陽が昇っても 永遠に光のこない日々を 過ごしているその人のことを 私はようやく思い出した たったひとつの白杖だけを  支えにして歩く その人の勇気を 思い出している ---------------------------- [自由詩]猫 【詩サークル 群青 八月のお題「猫」から】/そらの珊瑚[2014年9月16日8時48分] やわらかな鉛筆の芯で ここにはいない君を スケッチしました 身体をおおう毛は 鉛筆を少しねかせてふんわりと ひげは鉛筆を立てながら 細い針金のように それは君の 生きることにまっすぐだった意思のようです 君の命がなくなっても 鉛筆と紙さえあれば 君に逢うことが出来ます 庭の紫陽花が 今年はなぜか返り咲きました 秋というものの優しさに ――濃淡のあわいがまじりあう よりそうような 淡い薄緑色の花は ちぎれてゆく 仔猫のようなあの雲からも 見えていることでしょう ---------------------------- [自由詩]こんにちは。/そらの珊瑚[2014年9月20日16時34分] 君は 覚えたての「こんにちは」を わたしがこぐ自転車の前に付けた補助椅子から 道行く人はもちろん 畑仕事をしている人にも 隔てなく投げかける たいていの人は 一瞬驚いたような顔をするものの 「こんにちは」と 笑顔と共に返してくれたものだった わたしたちのほとんどは 見ず知らずの他人のままだけれど 「こんにちは」で一瞬だけ結ばれた見ず知らずを振り返る 梨畑が点在する街の おとぎなばしのように遠くなった思い出を 今朝 インターホンが鳴り モニター越しの「こんにちは」を聴く セールスのそれは人を笑顔にさせない 君は 「こんにちは」のその先にあるかもしれない 煩わしさや魂胆をもう 知ってしまったのだろう 社会のなかで生きていくということは いろんな垣根を巧く作っていくことでもあるし 善い人ばかりでないと知ることでもあるし 人の中には善ばかりではないことを もちろん自分自身だってそうなのだと知ることでもあるのだろう けれど君の 「こんにちは」の魔法を時折使ってみたくなるよ 見ず知らずの おそらくは善も悪もない 枝に止まった小さな鳥に ---------------------------- [自由詩]あかい花/そらの珊瑚[2014年9月26日9時13分] 大切な約束をしたことを いいかげんなわたしは いつのまにか 忘れてしまった むきだしのアセチレンランプの猥雑さざめく夜市 腹を見せて死んだ金魚は 臭う間も与えられずに すばやく棄てられる アルミを貼った期間限定のすてきな水槽 けれどわずか一匹も取れなくて いつだって うすい紙がヤブレテシマウ 本当は自分自身が破ってしまったのだという 自覚もないまま 針なんてどうせ飲まされることなどないだろうって 小指とともに 暗闇に沈んだくずかごに棄てる 夏は逝き 秋が降り立つ 季節のバス停で 増幅していく景色に ついみとれてしまう カレイドスコープ 万華鏡 そう、あれは生まれたての血の色の花 あるいは複雑に入り組んだ迷路 まるで人の心のようじゃないか 花を咲かせるころには その葉はすでに無くて 永遠に会えない仕組みなのに 経路を遡ったみなもとには 燃え立つような 命の 約束があったような気がしてならない ---------------------------- [自由詩]まえぶれ/そらの珊瑚[2014年10月4日11時14分] 秋風のなかに ほんのわずかに残された 夏の粒子が 午過ぎには この洗濯物を乾かすだろう 通夜、葬儀の放送が 朝のスピーカーから流れて 犬が遠吠えを繰り返す 香典の額を算段して 遅い朝食を摂る いつもはどこかに置いたままにしてある 自分の死というものを引き寄せる だれも身がわることのできない 平凡な死というものについて 引き寄せたあとを さざ波がひろがる みなも 熱いコーヒーのなかに ほんのわずかに残された 果実の記憶を飲み干せば 台風が近いという 遠くで風、うなっている ---------------------------- [自由詩]偏愛/そらの珊瑚[2014年10月8日17時06分] もうそろそろだと 祖母は言う おかいこさんのからだが透けはじめると  そのうち糸をはきだして 楕円のおうちで 別者に生まれ変わるのだと その不思議な虫は 一日中 桑の葉を食べている 桑の葉だけを食べている 堂々と偏食している けれど 大人はだれもそのことについて 責めてみたり すききらいはいけません! なんて 怒ったりしないから 偏食を謳歌している 偏食を矯正されたわたしは おそらく どこまでいっても透けない ---------------------------- [自由詩]かりそめ/そらの珊瑚[2014年10月18日13時25分] ドラッグストアの棚に並んだ 石鹸の類い これでもない あれでもない おそらくどこにもないのだろう 探している香りは 高電圧のくしゃみのように 蒸発してしまって 世界のどこにも、ない サボン遊戯 祖母はそれをたっぷりと泡立てて やせぽちのわたしをくまなく洗う          いい匂い、   すてきな匂い、   おひめさまの匂いだね。 そうだよ ほうら べっぴんさんの出来上がりだと ほめそやされて それは わたしの毛細血管の中を駆け巡る 失われた 特別製の香りを ときおり探してみては  ばあば、と  無邪気に呼んでいたけれど  浴室の祖母は  味噌や醤油の匂いを洗い流し  べつのものをまとった  つややかな女であったのかも  しれない 代用品として 選んだこの香りも そう悪くはないと 四百二十円を払った ---------------------------- (ファイルの終わり)