夏美かをる 2013年11月27日17時17分から2015年11月25日17時25分まで ---------------------------- [自由詩]さくら色の息吹/夏美かをる[2013年11月27日17時17分] 膝下五センチのスカート丈 三つ折りの白い靴下 おかっぱに切りそろえた髪 私は校則通りの平凡な中学生 ふくらはぎ下までのスカート丈 伸ばしたままの靴下 パーマがかかった茶髪 そう、あなたは いわゆる不良だった 校内暴力が吹き荒れていた中学校で あなたはまさに台風の目 次から次へと問題を起こすあなたのせいで 教師達の顔はいつも引きつっていた だけどあなたは 私のような普通の子には決して手を出さなかったから 私には極めて平穏で平凡な学校生活だった 部活と定期テスト、私の頭の中はそれだけで一杯だった だから 二年生になってあなたと同じクラスになっても あなたと私の接点など何もないと思っていた なのに… ある日の休み時間  あなたがつかつかと私の前にやってきて 突然大声を張り上げた 「小杉があんたのこと好きなんだってよ。  あんた小杉と付き合っちゃいなよ!」 その瞬間クラス中の視線が私に集中して 私は呼吸ができなくなった おかげで翌日は生まれて初めてずる休みをした それからしばらくは 教師達と同じ目線で あなたを見つめていたかもしれない あなたと小杉君のいる教室は針のむしろのようで あなたのことを本気で怨んだ ついでに小杉君のことも あなたを見る目が少し変わったのは 平穏で平凡な日々が戻ってきた時のこと あなたのとりまきの子が 職員室に呼ばれた後泣きながら教室に帰って来たら、 あなたはその子の頬をピシャリと叩いて、こう言ったのだ 「叱られて泣く位だったら  初めからするなよな」 冷たい炎のようなあなたの覚悟は やわい私の心をジュッと焼き 永遠に消えない瘢痕を残した 再び季節が変わり 梅がほころび始めた頃 私は転校することになった 最後の登校日、あなたは突如私に耳打ちをして 私を廊下に呼び出した 動悸を覚え、ふらつきながら出て行くと 不意にあなたの左手が私の前髪を掴んだ 驚きの余り後ろにつんのめってしまうと、 あなたはクスリと一瞬笑顔を見せたのち さくら貝の飾りのついたピンをそっとつけてくれた 黒の毛止め以外は校則違反だったので すぐに外してしまったけれど、 握り締めていた手の中で それはいつまでも温かかった あれから私は再度引き移り 懐かしい消印が押された風の便りでさえ 届くことがないこの地で 更に幾つのも春を見送ってきた 海の向こうに置き去りにしてきたものの 刹那に胸が疼く感謝祭の前日 ふと鏡台から色あせたピンを取り出し あの時と同じように握りしめてみれば やはりそれは ほのかに温かい 三十五年前のあなたと私の 不器用で真剣な早春が 今もそこで息づいているかのように― ---------------------------- [自由詩]サイバー・ラフォーレ【電脳の森】/夏美かをる[2013年12月19日15時09分] その人に投げかけた孤独が 勢いよく跳ね返されてきて 私の胸に鮮やかな痣がプリントアウトされた夜 傷だらけの そのくすんだ球を 手毬のようにつきながら 迷い込んでいくサイバー・ラフォーレ クリック、クリック 弾む私の球が緑葉を反す度に放たれる この人の角ばった孤独… あの人の棘だらけの孤独… それらを順に掬い取り 稚児を抱く仕草で 私の痣に押し当ててみる 冷え切った心とは裏腹に 狂おしく放熱し続ける私の乳房に護られて 稚児はそっと目を閉じる やがて寝息が整うにつれ、 少しずつ まあるくなっていく 脆くいたいけな魂を  私は両のたなうらにそっと乗せ 起こさぬよう、 傷つけぬよう、 慎重に葉の上に戻していく 赤文字のメッセージと共に 今度は私の番 宙に向かって手を伸ばし 私の球を『送信』してみれば― 間もなく私の葉っぱにも届けられる 赤い文字 森羅の狭間に潜んでいる 『イカノカタ』という名の精霊達のぬくもりに すっかり暖められた私の心は ふわふわと浮かんでいく 東の天空に貼り付いている×印の赤月を抜け、 ベッドの上にポトリと落ちた私は そのまま胎児のように丸くなって眠る いつのまにか見えないくらい透き通って おとなしくこの胸に収まっている私の孤独を しっかりと抱き締めながら ---------------------------- [自由詩]味噌漬けと詩集/夏美かをる[2013年12月27日17時36分] 今年も届いた母からの小包 まずは ?AKB48みたいな洋服がほしい? という娘達のリクエストに応え 母が見つくろってくれた  チェックのワンピースやミニスカート その下には ハローキティの柄のついたトイレットペーパーが4つ 更に  おせんべい、和菓子、ほんだし、かつおぶし、昆布、ふりかけ、お茶 そして私の大好物の大根の味噌漬け 中ほどには品質のよい日本の下着がいっぱい 子供用のパンツも入っている 『お母さん、こちらには子供用でもハイレグのビキニみたいのしか  売ってないんだよ』と私が話したことを覚えていてくれた あったかそうなババシャツをめくると 折り紙とハローキティのノート二冊 丁重に包まれて 一番底に収められていたのは 鮮やかな瑠璃色のカバーを纏った冊子 私が頼んでおいたもの 旦那は?You don't have to come.?と言って 子供達を連れ、自分の家族に会いに行った 私は大根の味噌漬けをお茶漬けにして食べながら その良質の詩集をひも解く 娘達が生まれて、もう故郷には戻らない覚悟をし、 色々なことを諦めてきて… 十四回目のクリスマスイブに辿り着いた 味噌漬けの素朴な味と 美しい日本語で彩られた珠玉の連なり 娘達は異国の言葉をより流朝に話し 夫は私の国の文化に関心を示そうとしない この家の中でも 外でも 日本人は私だけ だけど私は日本人を辞められない はるばる海を渡って来た ひとかけらの味噌漬けと一冊の詩集が こんなにも優しく私のDNAを慰めてくれる限り 添えられていた手紙には 『私も体があちこち弱ってきたけど、なんとか一人で暮らしています。 どうか、アメリカで幸せになって下さい。それだけが私の願いです。』 と筆ペンで大きく書かれていた  ---------------------------- [自由詩]スノーマンと雪だるま/夏美かをる[2014年1月12日15時05分]  カーテンを開ければ あたり一面銀世界 「朝食食べたら、雪だるまを作ろう」 ホストファーザーが誘う 「えっ!でも私会社に行かなくちゃ!」 「えっ!何を言ってるんだい?こんな日に会社に行くバカいないよ」 「えっ!でも日本では雪ぐらいで会社休む人いないし…」 「えっ!こんな雪の中車を運転するなんて無茶だよ!」  ボスに電話してみなさい」 恐る恐る上司の番号を押す 「ああ、今日は雪だるまでも作ってなさい。  特別休暇あげるから」 そう、ここはアメリカだったんだ!   「ほらね!ボスまでそう言ってるんだから  早く雪だるまを作らないと!」 ホストファーザーの目がキラリと光る ホストマザー特製のブルーベリー入りワッフルを食べ終わるや否や 早速庭に繰り出す 八三歳と七九歳と三六歳 天から降り注ぐ白い魔法が三人を一瞬子供に戻す 大きな雪玉の上にちょっと小さな雪玉を載せて 石で目をつくって、人参の鼻をさし、 小枝で口をつけてあげれば ハイ、できあがり! 隣を見れば あれ? もう雪玉が二つできあがっているのに、 仲良く三つ目の雪玉をころがしている 「えっ!雪玉三つで雪だるまを作るの?」 「当たり前だろ!だって、頭と胴体と足じゃないか!  君のはもう完成なの?足がないじゃないか!なんで?」 「なんでって…う〜ん、だるまだし…」 「だるまって何だい?」 ホストマザー特製のポテトスープで昼食を取った後 三人で散歩に出かければ すらりとした長身のスノーマンが そこにもあそこにも誇らしげに立ってる ずんぐりむっくり体型の 我らが日本男児は いささか居心地悪そうに 曖昧な笑顔を浮かべて佇んでいる いつの間にか魔法の粉は降り止んでいて 雲間から光が差し込んでいる きっと明日の朝 スーツを着込んだ私が車に乗り込む頃には 彼らはただの雪の塊になっているんだろう ---------------------------- [自由詩]ミクロの脅威 マクロの奇跡/夏美かをる[2014年1月31日4時47分] 次女の髪を梳いた櫛に付着していた 薄茶のフケのようなもの それが動いた! 二ミリにも満たない生物が 私に与えた衝撃 一体どこでうつされたのか? GHQが散布した白い粉によって やつらは絶滅したのではなかったのか? 長女の咳がなかなか治らない 「手をちゃんと洗わなかったでしょ。  だから風邪の素が体に入っちゃったんだよ」 といじわるを言ってみる 風邪ウイルスの大きさは 一ミリの十万分の一、すなわち 人間が地球の大きさだとすると ウイルスはネズミ大とのことだ 手を洗ったくらいでは侵入を防ぐのは難しい 父の命を奪ったがん細胞 そいつは 直径一センチの腫瘍組織の中に 十億個もうじゃうじゃいるらしい おぞましい勢いで日夜増殖を続け 父の内臓を次々に喰い尽くしていった その不気味な生命体は 一体どこから生まれたのか? 何故父の体に宿らないといけなかったのか? 娘達のためにおにぎりを握るこの手にも しぶとく残っているであろう細菌の数は 数千なのか? 数万なのか? 彼女達の免疫システムに頼るしかないとは 何と無力なことか! 宇宙に色々なものを飛ばす時代だというのに ある日 理由も意味もなく生まれた たくましい一匹のネズミによって 滅ぼされてしまうかもしれない地球 子宮口の外で待ち構えている現実は 淀んだミクロ空間から這い出てきた 無量大数の脅威に 四六時中晒されている おぼつかない日常の連続 そこには答えなど何一つ用意されていない それでも赤ん坊は生まれてくる 全身を真っ赤にして叫びながら 生まれてくる、ただ生まれてくるのだ 無防備な姿で 何もお構いなしに― 一秒間に二人とも四人とも言われている その勢いこそ、 脈動するマクロ世界をまっすぐに貫く たった一つの輝く奇跡 ---------------------------- [自由詩]節分 in アメリカ/夏美かをる[2014年2月4日17時17分] 2月3日 午後8時 そうだ、今日は節分ではないか! 豆まきをやらねば、と突然思いつき 子供達を呼ぶ 「ねえ、豆撒きやるよ〜。おいで〜。」 「豆撒きってなあに?」 「節分の豆撒きだよ。」 「節分ってなあに?」 「鬼が来るから豆で追い払う日。  そして幸せをお家に呼び込む日」 「ふ〜ん…」 「さあ、始めよう!」 ああ、でも豆なんかないわ! そうだ、2年くらい前に煮豆を作ろうと思って 日系スーパーで買った黒豆が戸棚に残ってるはず! 「よし、じゃあ、ドア開けるから “おにはーそと!”と言って外に撒くんだよ。」 「でも、恥ずかしいよ」 「じゃあ、小さい声で言いな。そら!」 (呟くように) 「おには〜そと!」「おには〜そと!」 「じゃあ、今度は家の中に撒くよ。 “ふくはーうち”って言って。」 「え〜、いいの?ちらかっちゃうよ。」 「今日だけはちらかってもいいよ。ほら、やって!」   「ふくは〜うち!」「ふくは〜うち!」 ジャラ、ジャラ、ジャラ、ジャラ 旦那登場 「何してるんだ?」 「見ての通り、豆撒いてる。」 「一体なんで、豆を撒く必要があるんだ?」 「今日は、日本で豆撒く日だから。」 「だからなんで、豆なんか撒くんだ?」 「う〜ん、鬼が来るからね〜。  でもって、家の中に撒くとグッドラックなの。」 (英語で説明面倒臭いね〜) 「まじか!?  これはどう見てもねずみのフンが家中に転がってる図だな。」 腑に落ちない表情で旦那退場 「あ、そうだ、年の数だけ豆を食べないと!  よし、ポップコーン、作ろう  豆からできるものだからね♪」 「わ〜い、節分って楽しい。来年もやってもいい?」 かくして、なんちゃって節分 in アメリカ無事終了! ---------------------------- [自由詩]矯正/夏美かをる[2014年2月21日12時54分] Vの発音 Vの発音 Vの発音 Vの発音 言語聴覚士に何度も発音を矯正される だけどまだできない 標準的なVの発音 ボールを投げて キャッチして ボールを投げて キャッチして 作業療法士に何度もフォームを矯正される だけどまだできない 標準的なボールの投げ方と受け方 分数の計算 分数の計算 分数の計算 分数の計算 担任の先生が特別に宿題をくれる だけどまだできない 分数の計算 四年生の算数の標準 この社会の標準は 娘が娘のままでいることを 何一つ許してはくれないらしい 娘の口の中を覗きこんだドクターでさえも 事も無げに言い放つ 「このままではガタガタになりますね。  すぐに矯正を始めた方がいい」 数日後 装置をはめられた娘が 何も言わずに ぽろりと一粒の涙を流した ---------------------------- [自由詩]雛人形は海を渡らない/夏美かをる[2014年3月3日16時26分] 雛人形は海を渡らない 「今日は雛祭りよ」 「雛祭りってなあに?」 童話を聞かせるように 雛祭りの話を聞かせる 「ふ〜ん」 それはまるで  おとぎ話よりも遠い世界のお祭りごと 女雛の神秘的な笑みに 底知れぬ畏れを抱いていた私のこの血は 娘達の中で薄まって そのまた子供達の中でさらに薄まって やがて一滴も残らず 取って代わられるだろう 春には夢中でイースターバニーを追いかける血に 雛人形は海を渡らない だから私はタブレットを取り出す 「ほら、これが雛飾りよ」 「ふ〜ん」 「雛祭りの歌を教えてあげるよ」 「その歌なら知ってる。  日本語の幼稚園の先生が教えてくれた」 「じゃあ、歌おうか?」 やがて遺言通りに流されるであろう 私の白い欠片が ある春の日に息を吹き返す瞬間 あなた達の愛くるしい娘達の 透き通った歌声を 海風が届けてくれるというのなら 私はきっと故郷(ふるさと)の海に還っていけるだろう 雛人形は海を渡らない だけど 和の国の美しい旋律は 一瞬で天空を超え 私の唇から娘達の唇へと注がれていく イースターバニーの住む国で その唄が永久(とわ)に歌い継がれていく夢を 弥生の曇り空にそっと飛ばす 今日は一七時間遅れの雛祭り ---------------------------- [自由詩]二千十四年三月十一日に/夏美かをる[2014年3月15日12時14分] 生と死、幸と不幸を分ける境界線の なんと曖昧なことか 一体彼らが何をしたというのだ? 彼らと私の違いなど何もないではないか 奪われた二万千五百十名もの尊い命 決して癒えきれぬ悲しみを不意に背負わされた遺族達 三年を経て未だ避難生活を続けている二十六万七千もの人々 一体彼らは何を怨めばいいのか? 己の運命か? 黒い悪魔と化した海か? それとも 突如暴れ出した地球か? あの日以来 揺さぶられ続けている私達の魂 フッコウというプロパガンダが吹き止まぬ中 学者達が尚も冷静にはじき出したおぞましいデータ 次のミゾウに備えるためのヨチ ナンカイトラフジシンが起こる確率 三十年以内に七十% シシャのカズのヨソク… 私の脳が受け止められない数字 なんということだ! 地球が呼吸を続ける限り 私達を許すことはないのか? 慌てた様子で ボウサイ、ボウサイと叫びながら 小さな袋にありったけを詰め込んでみたりする これで命が助かるのか? 大切な人の命を本当に助けられるのか? けれど他に何ができる? 逃れ住む場所など どこにもないではないか! 揺れる大地に生まれ堕ちてしまった私達は 一体何を怨めばいい? 天の沼矛を振りかざして 我が国の礎をその場に誕生させた イザナギノミコトか? 矛の先から滴る一滴を その場に導いた悪戯な運命か? いつ突然崩れるとも知らない うすっぺらな幸せの上に 大切なもの全てを託すしか術はないというのに 私達はどう生きればいいのか? 一体どう? 何一つ答えは見つからないというのに 二千十四年三月十一日という日もまた つつがなく私の前から流れ去ろうとしている 健やかな寝息を立てる娘の頬をそっとなでながら あの日からも私が ただつつがなく生きていることの 免罪符を淡い闇の中に探し求める そう、無責任で気まぐれな地球という生き物にとってみたら 甚大な試練を与える対象は 彼らであっても  私と私の家族であっても 何ら違いはなかったのだから ---------------------------- [自由詩]プレミアムヨーグルトを今日も買いに/夏美かをる[2014年3月23日3時20分] 「会社が潰れるかもしれない…」 夫が青白い顔でポツリと言う 「そう。じゃあ、じたばたしても仕方ないわね」 私は、パッションフルーツ入りの プレミアムヨーグルトを食べながら答える 視線はスクリーン上の詩に貼り付けたまま そして次の日も買いに行く ザクロ入りのプレミアムヨーグルト 子供にもあげない それは私のためだけに買うのだから 極上の詩を読みながら 3ドル69セントのプレミアムヨーグルトを食べる そんな小さな余裕さえ手元にあれば 私は生きていけるのだ あとは家族がいれば言うことはない あっという間に空になった容器を ポイっとごみ箱に投げ捨てる そう、じたばたしても仕方がないのだ ---------------------------- [自由詩]頼りないショパン 不器用なベートーベン/夏美かをる[2014年4月9日14時12分] 目を瞑って鍵盤にそっと乗せるだけで 軽やかに舞い始める私の十本の指 やがて目の前にお洒落なショパンが現れて 揺れる私の肩をそっと抱いてくれる 「お母さん、私ピアノを習ってみたい」 五歳の私の唐突なリクエストに応え 早速母は近所の教室を見つけてきてくれた だけどそこの女教師は 小さな私の指を叩く 叩く 叩く 違う、違う、違うと言いながら この音楽が終わったらピアノ教室に行く時間― 3時のワイドショーのテーマ音楽が聞こえてくると 私は息苦しさを覚えるようになった                        ある日 私はついに告白した 「もうピアノ教室に行きたくない」 だけど母は聞こえなかったのか、 何も言わずに私の手を引いて  馴染みの商店街をぐんぐん歩いて行った そして 教室に着くと いつものように買い物にはいかず 隅の椅子にそっと腰掛けた 緊張してますます動かなくなった私の指 なのに 初めて叩かれなかった やがてお帰りの歌がやっと終わって 先生にお礼を言うために立ちあがった時 母のよく通る声が突然教室に響いた 「先生、お世話になりました。  この子が辞めたいと言っているので  今日で最後にします」 一瞬呆気にとられた後 その教師は白々しく言った 「あら、残念ね〜。  この子は才能があると思ったのに」 私のお洒落なショパン様の夢を 惜しげもなく踏みつぶしておいて… それ以来私はピアノを弾いていない 九歳の私の娘はピアノを習いたいなど 一度も言ったことがなかった だけど作業療法士の先生に勧められた 二か月悩んだ後 メモに書かれた七桁の番号を押した 「あの、うちの娘はこういう子なんですけど…」 背中に汗を一杯かきながら説明する私に その先生は 「とにかく連れてきてみて下さい」 と それだけ言った あれから一年 未だ全部一緒に動いてしまう娘の指が ポロリ、ポロリと奏でる 『歓びの歌』 それでも先生が 娘にも聞こえる大きな声で話し掛けてくる 「あなた、知ってた?  この子は天才よ。  あなたは神童を生んだのよ」   私は再び夢を見る ショパンがふわりと現れて  疲れた私に優しく囁いてくれる けれどもそれは なんとも たどたどしく頼りないショパン それでも 限りなく優しいショパン 愛して止まぬ 私だけのショパン様 ああ、この際恋人は 三歩歩けば転んでしまう思い切り不器用なベートーベン様でも 一向に構わないのだけどね! ---------------------------- [自由詩]八本のダフォディル/夏美かをる[2014年4月30日13時44分]  ―あのね〜、お母さん!   今日ね、お弁当の時間にね、   ちーちゃんが一人で笑い出したの。   だから「どうして笑っているの?」って訊いたら   「分からない」って。   それでもちーちゃんが、ずっと笑ってたから   私も可笑しくなって笑ったの。   そしたら、他のみんなも笑い出して   みんなでずっと笑ってたの。   そしたら先生が入ってきて   「どうして笑っているの?」って訊くから   「分からないよ〜」って言って   みんなでもっともっと笑ったんだよ―   教室の前の花壇でも 八本のダフォディルが大きな口を開けて笑っている 理由なんかきっとない ただ笑いたいから笑っているんだね そう言えば団地の横の花壇でも 同じ笑顔が並んでいたっけ? 確かそこでは水仙と呼ばれていたね でもね、呼び名なんて多分どうでもいい 土と水と太陽さえあれば 地球のどこであっても それぞれの場所で すくすく伸びていくんだよ ある時春の息吹を感じたら 真っ直ぐ前を向いて元気よく笑うためにね  理由なんかなくったってさ!  ―今日は“歩こう”の歌を歌ったんだよ。   先生が面白いから楽しいんだよ―   あれあれ? なんで土曜日に学校行かないといけないの? なんで漢字なんか勉強しなきゃいけないの? なんて涙溜めて駄々をこねて 母さんを困らせていた子はだあれ? 混沌としたこの大国の片隅にある 小さな日本語学校の、 生徒八人と先生が入れば一杯になっちゃう 二年生の教室にも ようやく春がやって来たんだね 優しい光を全身に浴びながら 八本のダフォディル達が 大きな口を開けて ただ一生懸命に歌っているよ ---------------------------- [自由詩]君に与えられた色/夏美かをる[2014年5月9日11時43分] 君はクラスの中でただ一人 輝く褐色の肌を纏った男の子 幼児部の時は 「お母さんに会いたい」とよく泣いていた お母さんはさぞかし優しい人なのだろうか? 遠足の日 君のお弁当は ポテトチップス一袋だったけど… 二年生になった君はもう泣かなくなった代わりに クラスメートに手を出して 度々校長室に呼ばれるようになった 教室では先生から一番遠い隅が君の指定席 そこで寝ているか、宇宙人の絵を描いている 「今ここを読んでいるんだよ」 君の落とした鉛筆や消しゴムやノートを拾う度に 教科書をそっと指差す だけど君の大きな瞳が文字を追いかけることはない ―黒人が多く住む地域の学区と統合されることになったら  皆こぞって自分の子を私立校に転校させた― 百年前の話じゃない 夫が子供の頃の話だ マイノリティが多く住む地域を通る時 彼は決まって言う 「ここは治安が悪い」 そして、 「これは差別じゃなくて事実だ」と付け足す 私が何かを言う前に アフリカ系の大統領が選ばれたって そんな大人達と、彼らに育てられている子供達が 君の周りには沢山いる 「ねえ、学校は楽しい?」 一人で廊下を歩いていた君に  思わず声を掛けると 君は無言でいきなり壁を三回パンチした後 逃げるように走り去った   一体何をやっつけたかったのだろう? パーカーのフードを深く被った君の あまりにも華奢な後ろ姿が 淡い五月の霞に溶けていった ---------------------------- [自由詩]私の要/夏美かをる[2014年5月25日14時06分] コーヒーカップを持ち上げただけで走る衝撃 要はこんな時にも陰で働いていたのか? くしゃみでもしようものなら まるで電気ショック 要は体中に回線を這わせて あらゆる身体活動を統率していたのだ 「運ぶの手伝いましょうか?」 あの時― 近くの青年が声を掛けてくれたというのに… 遠慮か?いや見栄だ 虚栄心そのものだ そんなくだらぬものが 私の躯体の要をいとも簡単に砕いてしまった 不安を帯びた瞳を差し向ける上の娘 無様な姿を無邪気にからかう下の娘 必死にすがり、護ってきた この砦の中にあって 母と名付けられた揺るぎない要までは 今はまだ手放すわけにはいかないから 這いつくばるように 目玉焼きを作り、 「ほんとにママはおばあさんみたいだねぇ」 と無理に笑いを繕った瞬間 再び体中を駆け巡る容赦なき電流 ---------------------------- [自由詩]コンパス/夏美かをる[2014年6月30日5時29分]     コンパス ―家でコンパスを使って円を描く練習をさせて下さい― 先生から届いたメール  さあ、早速コンパスを使ってみよう!  こうして物差しで半径の長さを測ったら  紙に針を刺して、クルってやるんだよ、ほら!  長さを測る時は、針をゼロに合わせるんだよ、  それで、そう、紙に針を指して、クルってやってごらん、  クルって回すんだよ、クルって。  ああ、針が動いてしまってはダメなんだよ。  針は動かさないで、クルってやるんだよ、  ほら、また今針が動いたでしょ、  針は動かさないで!  また動いたよ!  う〜ん、じゃあ、両手でやってみな、  ああ、違う、違う、足を開かせないようにしないと!  左手はしっかり針を持って!  右手を回してごらん!  ダメ、ダメ、また足が段々開いていってる!  違うって!左手は動かさないで  右手でこっちの足を回すの!  ねえ、また針が今動いたよ、  ほら、また動いた!  何度言ったら分かるの?  ダメ!またダメ! またダメだよ!!  ねえ、ちゃんとママの言うこと聞いているの?  またダメだ!またダメ!  あなたはコンパスで円も描けないの? 娘の目からこぼれ落ちた涙が 母の態を一瞬で剥がし、 ヒステリックな素が剥き出しになる  もういい!遊んできなさい! 娘からコンパスをひったくって 引き出しの奥に放り込む ああ、コンパスなんて大嫌いだ!! コンパスなんかこの世からなくなってしまえ! それは娘の叫び? いいえ、無垢な魂を抱く器など持ち合わせぬ女の叫び この子はこれからコンパスを見る度に思い出すだろう 鬼と化した母の冷たい視線 胸を突き刺す冷酷な言葉 コンパスなんかなければ 真っ白な娘の心に どす黒いシミをつけることもなかった 娘の苦手がまた一つ増えることも…  お腹が空いた 下の娘の声に促され 西日の射し入る台所に立てば 包丁が暴走し、指の肉を切りつける 所詮母という衣しか纏えない愚かな女の鮮血が 白いエプロンをあっという間に汚していく ―練習させましたが、円が描けるようになりませんでした。  どうか、繋がっていない不格好な円でも  私が彼女の自尊心を傷つけてしまった分  先生は褒めてあげて下さい― 就寝前まだ火照っている指先で送信ボタンを押す 翌日受信箱に馴染みの太字がポトリと届く ―一生懸命コンパスを使っていました。  最後にひとつ上手な円が描けましたよ。  褒めたら、ニコッといい笑顔を見せてくれました― いくつものくにゃくにゃな円に囲まれた 奇跡的に美しい円 思い通りに動かない両手で 娘が生まれて初めて描いた たった一つの完璧な円 そのけなげで優しいカーブと 上気した横顔を思い描いて 私は静かに泣き続けた 以来娘のコンパスは引き出しの奥に仕舞われたままだけど… 文具店やスーパーマーケットの片隅に 澄まして整列しているその仲間を見つける度に 鋭く尖った足先が私めがけて一斉に伸びてくる いいえ、コンパスはなくならない あの日娘に与えてしまった痛みを 母として、母である限り、 この胸に深く刻み込んで生きるために 何度でも何度でも 私はその針に突かれなければならないから、 コンパスはこれからもこの世に存在し続けるのだ ---------------------------- [自由詩]ヤクルト/夏美かをる[2014年8月19日14時17分] 今日も同じ場所で立ち止まれば 聞こえて来る 母の明るい声 「あんたはヤクルトが大好きでね、  お風呂上がりに必ず一本飲まないと寝てくれなかった。  ある時買い置きがなくなっちゃった時があってね、  “ヤクルトだけは切らすな!”ってお父さんに叱られちゃったよ。  で、お父さん、ぶつぶつ言いながらも、  わざわざ買いに行ってくれたんだよ。  そんなことしてたら、小学校で初めての歯科検診で  虫歯がいっぱい見つかって、大変だったよ」 「えっ?ヤクルトを寝る前に飲ませて、  歯も磨かなかったの?」 「そうだよ、だってお前、  歯磨きはお風呂の前だったからね。  第一ヤクルトが歯に悪いなんて誰も教えてくれなかったし、  何処にも書いてなかったからね」 小さな手にすっぽりと収まる容器 まだ頼りない親指と人差し指を しっかりと受け止めてくれる真ん中のくぼみ 赤地に銀色のライン入りの洒落た帽子 ヤクルトがYakultになった以外は あの時と何一つ変わらない姿で 五つずつ綺麗に整列している 日系スーパーの片隅 牛乳売り場の隣 シャワーを終えた娘が Yakultをごくりと飲み干して 私の膝の上に ストンと頭を乗せる 「ヤクルトを飲んで歯を磨かないで寝ると  ママみたいな歯になっちゃうからね〜」 立派な金歯、銀歯は 我が家に白黒テレビしかなかった時代の 素朴でぎこちない子育ての証 それを見て娘は「きゃあ!」と小声をあげる 小さな瓶口に合わせて唇をすぼませた可愛い表情を 毎晩午後八時三十分に見つめている 高さ八センチの容器にすっぽり入る大きさの幸せは 切らしたら、それきりになってしまいそうなほど 淡い甘酸っぱさで味付けされている ステテコ姿で夜道を急いだ父が必死に護ろうとしていたもの 私も今 それにすがろうとして手を伸ばす、その先に よそいきのおしろいを塗ったお母さんの肌の色の容器 ---------------------------- [自由詩]夏のアルバム/夏美かをる[2014年9月23日13時56分] 七色に輝く水しぶきを浴びて キャッキャと走り回るあなたを 私だけのファインダーに 永遠に閉じ込めておきたくて 夢中でシャッターを押したのに あなたのぶれた指先や 揺れるスカートのレースしか 捉えることができなかった たった一度しか訪れない あなたにとって九度目の夏 アルバムのページには まだ余白が残っているのに 来年にはもう被れない 麦わら帽子以外には あなたの何一つ そのまま 留めおくことができなかった 学年がまた一つ上がって、 黄色いバスに乗り込んでいく 誇らしげなあなたの背中で 揺れていたバックパックが 少し小さくなったことに はっと気づいたりしながら あなたの夏を見送ることに 私は慣れていくのだろう ---------------------------- [自由詩]浄化/夏美かをる[2014年11月17日16時35分] トイレに駆け込み排便する ああ、すっきり! 尻までしっかり手を伸ばして拭き取った後 レバーを下げれば ばい菌まみれの そのおぞましい物体は あっという間に流れ去る そのうち臭いも消えるだろう 鼻歌交じりに手を洗い、ドアを閉め、 すっかり浄化されたつもりで お洒落着に着替えようとしているけど、はて? 私が垂れ流した汚物は一体どこへ行くのだろう? 誰かが汗水たらして埋めた下水管を通って 辿り着く名も知れぬ処理場のタンク そのモニターの前では 四六時中監視を続ける 誰かの厳しい目線があるのだろう 赤ん坊がうんちをする すかさず慈愛溢れる手が伸びてきて 小さなお尻に優しく触れる そうして 形状、色、臭いまでも 厳格にチェックされた後 それはまるで愛しいものであるかのように 丁重に包まれ収められる ピカピカに浄化された赤ん坊は 再び静かな寝息をたて始める 同じ手が形作る揺りかごの中で 老人が排泄する プロ意識に裏打ちされた手袋をはめた手 或いは悲哀とため息が染み付いて 言うことを聞いてくれない手 とにかく どこからか手は伸びてくる 顔をしかめるくらいは許されるだろう 強烈な悪臭と戦いながら 皺だらけの重い体を回転させて どこもかしこも清めなければならないのだから― 便が飛び散ったシーツまで洗浄して やっと握り締める束の間の浄化 立派なスーツを着込んで バーバリーの傘を振り回しながら 駅のトイレから躍り出てきた紳士 しっかり化粧直しまで済ませて 足早にデートに向かうこぎれいなお姉さん あなた達は浜口国雄氏の書いた 『便所掃除』という詩を読んだことがあるか? さっきあなた達が落としていった糞便は キンカクシの裏にこびり付いたままではないのか? 何も汚さないで、 誰の手も煩わせないで あなた自身を浄化させることなど 到底できやしないのだ ---------------------------- [自由詩]私を閉じ込めないで/夏美かをる[2014年12月1日15時29分] どうか、私を弄んで下さい その熱く燃える掌で 私の輪郭を全て辿って 白く滑らかな肌に頬を寄せて 息を吹き掛けて どうぞ、私の中に入ってきて わき腹を鷲づかみにして 何度も何度も私を翻して 体中の臭いを嗅いで下さい 轟き続けるこの鼓動を あなたの全霊で受け止めて下さい どうか― 私の知らない女からのテキストや さもしく雑多な画像たちと一緒に 私をギガバイトの闇に閉じ込めないで お願いだから、 まるで遊女を買うように 気が向いた時だけ呼び出して 冷たく無機質な液晶の上に 私を横たわせないで下さい たったひとつのこの体を 惜しみなく全てあなたに捧げ やがてあなたの腕の中で ゆっくり朽ちていくために 神泉のほとりに佇む 一本の大樹から生まれてきた 一冊の小さな詩集 それが私なのですから ---------------------------- [自由詩]鳥よ?/夏美かをる[2014年12月5日16時04分] 夜と朝が交差する一瞬 藍色の空めがけて解かれる 淡い黄金(こがね)の帯 その真中を引き裂いて 真っ直ぐに飛んで行く  お前は名も無き一羽の鳥 霊妙なる森の奥深く 未だまどろみから醒めぬ湖の 常盤の色肌を滑るお前の分身が 必死に縋ろうとしているのに 一度も振り返ることなく お前は 完璧な直線を描いて 軽やかに飛んで行く お前はなぜそんなに逝き急ぐのか? お前は知っているのか? お前のDNAが 己をどこへ導こうとしているのか 逝き着く果てに 何がお前を待っているのか? やがて薄藍に溶け込もうとしている 黎明の三日月 その横顔が 静かに手招いているというのに お前は たゆたう暁の靄に 鋭利な裂け目だけを遺して 余りにも速く 飛び去って逝こうとしている 輝く白銀の翼を ただ狂おしく羽ばたかせながら ---------------------------- [自由詩]隣に住む人/夏美かをる[2014年12月18日16時20分] 胸に巣食った小さな影が あなたの時を刻み続ける 砂時計のオリフィスを いつの間にか歪めていたのかもしれないと あなた自身が気づいてから あなたはきっと違う風景を見ている そう、残酷な告知を受けたあの日から あなたを取り巻くあらゆるものの 色彩と輪郭がくっきりと浮かび上がって 研ぎ澄まされたあなたの心が 生まれて初めて捉える 朝食に食べるバナナの、 歩道で踊り狂う楓の葉の、 娘さんのよく動く唇の、 サミーの程よく湿った鼻の、 本当のイロとカタチ 朝が来れば太陽が昇る 夜が来れば星が瞬く そんな当たり前だったことが 実はちっとも当たり前ではなくて 愛するもの達に囲まれた あなたの穏やかな生活は 他ならぬ奇跡の連続だったという、 純然たる事実から滴る鬼胎(きたい)を 残された片方の胸の奥深くに そっとしまい込んで 今日もサミーと一緒に散歩に出かける あなたの揺るぎない第一歩 気まぐれで頼りない シアトルの冬の太陽が すかさずあなたを見つけ、 あなたのためだけに 金色の光線をそっと差し向ければ、 ふと透けた背中に浮かび上がる あなたの凛とした勇気― その鮮やかな燐光が サミーの歩みと共に 規則正しく揺れながら遠ざかって 霞にけぶる街の風景に ゆっくり溶けこんでいった ---------------------------- [自由詩]テディベアと詩集とブランケット/夏美かをる[2015年2月15日12時52分] 『お母さん、最初から一緒に寝てほしいの』 『あのね、お母さんは忙しいの。  後で行くから、最初は一人で寝ないとね』 今夜も娘は テディベアを抱きしめて寝ている その規則正しい寝息を確認して 私もゆっくり目を閉じる 言霊宿る一冊の詩集を しっかりと抱(いだ)きながら そう、人のぬくもりは 暖かくて 気持ちよくて つい身を委ねたくなるけれど そんな心もとない存在に あなたの安らぎを預けてはいけない その人はあなたのために 永遠には存在してくれないのだから 心がくじけた時にはいつでも ただそっと寄り添ってくれる テディベアと詩集 そして自らが発する体温で 自らが温まるように さりげなく包み込んでくれる 一枚のブランケット それらがあれば ぐっすりと眠れるよね たとえいつか目の前の人が いなくなってしまっても しっかりと目覚めて 勢いよく伸びをするために― 一億五千万キロ先の彼方から 毎朝生まれたての光が届けられる限りは ---------------------------- [自由詩]まだ心から笑えないあなたへ/夏美かをる[2015年3月20日3時58分] もう二度と心から笑える日は来ないと思います 見たところ私よりも一回りも若いあなたは これから半世紀以上続いていくであろう (続いていってほしい)あなたの人生を 一度も心から笑うことなく歩んでいくと そう言い切っているのか? 未だ慣れることのない異国の夜闇の中で 具合の悪い娘の手を握り締めながら 会ったこともない、恐らくこれからも会うことのない あなたのことをひたすら考えていた 向けられたマイクに向かって 迷いなくそう答えたあなたの 毅然とした態度を醸す薄い皮膚の内側で 今も渦巻いている慟哭の凄まじさを 今は呼吸が苦しくても、明日になればこの娘は 食事が通るようになっているかもしれない 所詮母親なんて単純で哀れな生き物 我が子が目の前でただニコニコ元気に笑っていれば、 その人生は満ち足りるのだ だけど、あなたのその子は 突然逝ってしまった 二千十一年三月十一日の朝 いつもと全く同じように 「いってらっしゃい」と送り出した あなたのその子はもう二度と あなたの作ったご飯を 美味しそうに頬張ることはないのだ 4年経った今尚、あまりにも深く淀んでいる あなたの涙を湛えた泉 ごめんなさい あなたと同じ体験をしていない私は その神聖な水を掬い取ることができない ただそっと祈ることしかできない 海の向こうの彼の地で 我が子の御霊に恥じぬよう 凛々とその険道を踏み進んでいる あなたと、他の多くの母親達のために たとえあなたが心から笑えなくても 優しく煌く一筋の光が 常にあなたを照らしていますように そして、遥か先の未来で あなたがお子様と再会する時には 母としての、母しか纏え得ない 心からの笑顔でお子様を包めるよう どうか御身を大切に、 うち過ぎ重なりゆく日々を 生き、生きて、 生き抜いて下さいますように *今年の3月11日はとっくに過ぎてしまったのですが、去年も一昨年もこの日に溢れて来る思いにいたたまれなくなって詩にしてきたので、誠に僭越ながら今年も書かせていただきました。 ---------------------------- [自由詩]ビバ、老眼!/夏美かをる[2015年4月13日4時59分]             |                        |            ごく、          近視眼的思考で       詩のようなものを書いたなら      ちょっと離れて それを見つめる      軸がクニャクニャになっていないか     輪郭がグチャグチャになってはいないか     伝えたい思いがフニャフニャではないか    出来る限り頭を引いて 老眼の目で確かめる   軸を真っ直ぐに刺し直し 輪郭を滑らかに整えて   思いをしっかり固め 更にこねこね、ぺたぺたして  いわば小さな地球の形がやっとこさ出来上がったなら  思い切ってふ〜〜っと手のひらから宙へと飛ばしてみる やがてそれは誰かの心にちゃっかり不時着するかもしれないし  別の誰かに弾き返されて孤独な漂流を始めるかもしれない  或いは 誰の心にも引っかからず、かすることさえなく   悠々自適の旅を呑気に続ける事になるかもしれない   それでも じたばた やきもき はらはらせずに    どんなエピローグでもしかと受け止める覚悟で     小さな地球の気ままで壮大なオデッセイを     老眼に蝕まれたこの目で追える限り追う     老眼的ピントがこりゃまたちょうど良い      半世紀生きて老眼になることにも       ちゃんと意味があるってもんだ        詩を書く者にとってはね!         ちっとも悪くないぞ、            老眼!             |             |              ---------------------------- [自由詩]八重よ、八重/夏美かをる[2015年4月26日8時05分] 八重よ、八重、 お前はどこからやってきた? 海の向こうの和の国の 家族がお前も恋しいか? 八重よ、八重、 お前はいつからそこにいる? 出逢った時からお互いに 白髪も相当溜めてきた 八重よ、八重、 お前は何を見つめてる? か弱いこの子の行く末を 共に案じてくれるのか? 八重よ、八重、 お前は何を感じてる? 大枝ばっさり切られても 薄紅の涙こぼすだけ 八重よ、八重、 お前はいつまでそこにいる? 最期の花びら散らすまで 耐えて忍んで踏ん張って 八重よ、八重、 お前は何か言いたいか? きっとなんにも言いたかない ただ‘在る’ことが意志だから ---------------------------- [自由詩]ものさし/夏美かをる[2015年6月24日3時22分] 自然にできたグループに分かれて 植民地時代のボストンの街並みを色画用紙で再現している 春陽に包まれた5年生の教室 その穏やかな空間に一瞬そよ風が吹いて 支援クラスに行っていた娘がひらりと入って来る だけど誰にも気づかれない 先生は出来上がった建物を順に壁に貼っていく作業で忙しい 生徒達もそれぞれの作業で忙しい こちらのグループ、あちらのグループ そちらのグループ、向こうのグループ 娘は次々に覗きに行っている でも誰からも声を掛けられない 私はボランティアで算数の宿題の丸付けをしているが 視界の隅で娘にうろちょろ、うろちょろされては 赤ペンがちっとも進まない そのうち・・・ あれ?娘に羽が生えてきた あっ、娘がちょうちょになった そう、娘は可憐で可愛らしいちょうちょ こちらの花から あちらの花へ そちらの花から 向こうの花へ ひら ひら ひら ひら 軽やかに飛び回るちいちゃなちょうちょの存在になんて 所詮誰も気づかない ああ、ちょうちょよ、ちょうちょ 楽しそうに咲き誇っている桜の花の 花から花へ いや、待って!娘はちょうちょなんかじゃない 思わず立ち上がって近くのグループの子らに声を掛ける 「何か彼女にできることをさせてくれないかな?」 だけど何も起こらない やっぱり娘はちょうちょだったんだ そう、ちょうちょでいいんだ 群れ集う桜の花には たとえ無視されても そのちょうちょは可憐でとっても可愛いのだから、 ちょうちょはちょうちょなりに一生懸命飛んでいるのだから ちょうちょを追い続けているうち眩暈を感じたので 赤ペンの先に再び意識を集中させた時だった 花のひとつが突如ざわっと動いたのはー 男の子だった 「点と点をものさしを使ってつなげて  出来た形をはさみで切ってごらん」 点々がいっぱい描かれた画用紙が男の子の手から ちょうちょに向かって不意に放たれた瞬間 娘は娘の姿になり、 茶色い瞳をキラリと輝かせて まっしぐらにものさしとはさみを取りに行った さあ、娘よ つなげよ、つなげ 点と点と点と点と点と点と点を 真っ直ぐにつなぐんだ! そのものさしで、 お気に入りのものさしで 点と点の最短距離を 真っ直ぐな線で つないで、つないで、つなぐんだ つなぐことだけ考えよ! 止まるな、止まるな、つなぎ続けよ、 はみ出せ、はみ出せ、画用紙からはみ出してしまえ! 画用紙の向こうにも点々はあるぞ 点と点と点と点と点と点と点を  はるか向こうまで辿って行くんだ! 娘よ お前は羽音さえも立てない幼気なちょうちょなんかではない また今度教室でちょうちょになりたくなったなら 机の中にいつもそっと仕舞われているお前のものさしを ぎゅっと握り締めてごらん そして 顔を上げて探してごらん 点々を 輝く点々を お前が怖れている場所にも 必ず存在している それら光り輝く星の数々を  どこまでも、どこまでも  そのものさしで辿ってゆけば お前の健気で真っ直ぐな線が お前を微笑ませてくれる誰かの心と いつかちゃんとつながるかもしれないよ ---------------------------- [自由詩]ダイパー・ドライブ/夏美かをる[2015年8月3日14時02分] 『ダイパー・ドライブやっています』 “おむつのドライブ?” 丁寧な発音 穏やかなトーンの声に 思わず立ち止まる 行きつけのスーパーの入り口 『新生児用のおむつが特に不足しています。  もしできましたら、ご協力下さい』 紳士がにこやかにチラシを差し出す 櫛の通った銀髪 白いポロシャツに アイロンのきいたチノパン 一体何の故あってかような紳士が 新生児のおむつを集めているのだろう? おむつ売り場に行ってみれば 新生児用があと一つしか残っていない 何故か慌てて まるで景品を奪うかのように 最後の一つをカートに入れる 『おしりふきも買いましたよ。  これもないと困りますからね』 『ありがとうございます』 紳士の青い瞳がより美しく輝き 私の心にほのかな灯を点す いくら祈り続けても 世界から戦争は無くならない いくら願い続けても 学校からいじめは無くならない 決して浄化されることのない地球という星 だが、この心美しい紳士に私が託した 三十ドル分のおむつとおしりふきが せめていっときでも ある小さなおしりを浄化することができる ピカピカ、ツルツルになった 生まれたての瑞々しいおしりのことを ただ一生懸命想像している…そのうちに おやつは桃のコンポートで決まり! なんていつの間にか考えていたりしてー 今日は優しいお母さんになれるかもしれない それもこれも ただ単に あの紳士が思いがけず素敵だったお陰に他ならない ---------------------------- [自由詩]ボーイが八匹/夏美かをる[2015年8月27日16時31分] お母さん、私ね、学校にin loveなboyが八匹もいるんだよ 金魚に餌をあげていたら  次女が後ろで不意に大きな声を出すものだから 目の前の水槽に 突然金魚が九匹飛び込んできて、 そのうちに男の子の顔をした人面魚八匹が 次女の顔をしたポニョみたいな金魚を 一斉に追いかけ始めたから、あら大変! いやいや、よく見たら ポニョが八匹を追いかけ回しているではないか!!! (次女は実際にポニョ似なのである) 遥か愛おしい国の美しい言葉と いつまでも私には異国でしかないこの地の言葉を 少しのためらいもなくごちゃまぜにして お前は 私の知り得ないお前の世界を お前独自の言葉遣いで あまりにも豊かに表現するものだから 私の空想癖はくすぐられてばかり この国の複雑な社会の中で 未だビクビク生きている私を尻目に 八匹のボーイを追い回しているお前の逞しさよ 混沌とした私の未来へ真っ直ぐに伸びていく 一筋の希望があるとしたら それはお前のその生きる力だろう 古びた価値観やしみったれた郷愁の念などは いずれ私と共に滅び去る運命 そう、それでいいのだ お前を留め、縛るものなど いかようにもあってはならないのだから 不思議な言葉を話すポニョはアメリカ生まれのアメリカの子 いいえ、どこの国の子でもない ?ポ〜ニョ、ポニョ、ポニョ 地球の子  青い星へと 生まれてきた? いつまで経ってもうまく泳げない母など置き去りにして 果てしなく広い大海をスイスイ自由に泳いで行け 八匹のハンサムで素敵なボーイ達と共に *『崖の上のポニョ』の主題歌を拝借しました。 ---------------------------- [自由詩]磨くという行為/夏美かをる[2015年10月1日12時00分] 夫と言い合いになった日の深夜 冷蔵庫の前に這いつくばって 冷たい床に雑巾で輪を描いた 何度も何度も同じ輪郭を辿って ただ一心不乱にひとつの輪を描いた 怖い顔で子供を見送ってしまった朝は 東側の窓の右下に輪を描いた 使い古した五十肩が悲鳴をあげるまで ただ夢中でその場所に輪を描いた ネットの言葉に心が乱れた時には 鏡をキャンバスにした 息をはぁはぁ吹きかけては 狂おしい勢いで手を回した さもないと 私の陰気臭い顔が そこに映ってしまいそうだったから いつのことだっただろう? 泣きながら便器の側面を擦っていたのは そう、信用していた人の裏切りに気づいた時だ 台所や居間やバスルームのあちらこちらに 私がこうして刻みつけた 境界の滲んだ輪形の傷 それらがほんのり熱を帯び 煌々と輝きだすのは 決まって家族が寝静まってからだ だから私だけが知っている 殺伐とした世界の片隅にあって 何かしらざわついている我が家にも 漏らした溜息の数だけ ひっそりと息づいている神秘的な輪の存在 深層で渦巻いているものの暗さを覆うように 凛とひかめくループの光の、その圧倒的な眩さを ---------------------------- [自由詩]歌はもう歌わないと決めたけど/夏美かをる[2015年11月25日17時25分] もう二度と歌は歌わない そう決めたのは 合唱コンクールの練習の時 隣の子がクスッと笑ったから 以来本当に僕は歌を歌わなかった 音楽の時間は口パクで通したし 歌のテストの日はズル休みをした 所詮僕は“歌声”と共に生まれて来なかった 父も母も“歌声”を持っていない 遺伝という言葉で片付ければ納得がいくこと そもそも“歌声”などなくても困ることはなかった 代わりに僕のクラリネットが 思い切り歌ってくれていたし 君が隣のクラスに転校してきたのは 新緑のまばゆい季節だった 肩を揺らしながらぎこちなく歩く君の姿を 以来何度か見かけた けれど君とは一度も会話を交わすこともないまま 季節は目まぐるしく流れ去って 再び風が薫る頃 君はまた転校していった 後から噂で聞いた 君の転校先は養護学校であること 君は筋ジストロフィーという病気であること 君と偶然再会したのはそれから一年後 母に連れて行かれたチャリティコンサート その舞台の上に電動車椅子に乗った君の姿 五曲めに訪れた君のソロパート 天井を貫き天空へと真っ直ぐに伸びていく 澄みきった君の歌声    もうすぐ失われてしまう君のボーイソプラノ 初めて聞く君の声 ああ、君、君は“歌声”を持って生まれてきたのだね 硬直していく体中の筋肉に 残された力の全てをたぎらせて 絞り出された君の打ち震える声が 乾いた僕の皮膚を突き破り やがて六十兆の細胞の隅々にまで染み渡って 僕の血を躍らせ、 僕の魂を揺さぶり、 知らぬ間に僕の唇を突き動かす 僕が何不自由なく学校生活を送り 呑気にクラリネットを吹いていた間にも 君の自由は容赦なく奪われていったのだね 君の愛するお父さんとお母さんから その奇跡の“歌声”と共に 忌々しい病気をも授かってしまった君の 胸の奥底で渦巻いている鈍色の湧水を 僕には掬い取ることができない その他大勢の観客の一人であることを享受してきた僕から 遥か壇上の神聖な光の中にある君までの距離は 余りにも遠くて 僕は君に寄り添えない だからせめて今は 君と一緒に歌いたいと思った 君、一緒に歌わせてくれないか? "歌声"は持っていないけど、 歌はもう二度と歌わないと決めたけど 僕は歌っていた 君と共に君の歌を歌っていた 目の前で今まさに美しく燃え立つ君の命を 僕だけのやり方で そっと祝福するために  僕はその歌を歌っていた 君と一緒に歌っていた ---------------------------- (ファイルの終わり)