夏美かをる 2012年12月14日3時57分から2013年11月11日2時28分まで ---------------------------- [自由詩]吐く/夏美かをる[2012年12月14日3時57分] 「吐きたかったら 吐いちゃった方がいいよ。 その方が気分が良くなるからね。 吐くと 体の中の悪いものが一緒に出るんだよ。 だから吐いた方がいいんだよ。 そう、上手に吐けたね! 偉い、偉い! そうやって吐くごとに治っていくからね。 大丈夫だよ!」 子供の背中をさすりながら そう励まし続ける夜更け ああ、でも本当は私が励まされたい… “偉いね、偉いね! 自分も疲れているのに 頑張って子供の看病してるね 大丈夫だよ! その子は明日には良くなってるよ” なんてこと お願いだからどなたか言ってくれませんか? 子供が病気になる度 心細さと心配と看病疲れで頭がくらくらする そんな私のことは 一体誰が心配してくれるの? ああ、それにしても疲れた… 思考回路が壊れていく… 『吐きたかったら 吐いちゃった方がいいよ。 その方が気分が良くなるからね!』 いくら吐きたくなっても 50近いおばさんには こんな優しい言葉を掛けてくれる人など所詮いるわけがない だから人知れず書いている 詩(のようなもの) 難しいことなんか 何一つ分からない 文学的価値など これっぽっちもなくてもいい! しかるべき人に評価されなくたって ポイント一杯もらえなくたって そんなの気にするか! 吐きたいから 素直に吐いてるだけ! 何か文句ありますか!? (あれ?何で私急に怒ってるんだ?) 本当はね、 『そう、上手に吐けたね。 偉い、偉い!』 と、誰かに言ってほしい― 50近いおばさんだって 誰かにいつも励まされたいんだよ 褒められたいんだよ いや、50近いおばさんだからこそ 誰かにかまってほしいんだよ… (あれ?今度は何で泣いているんだ、私?) ヤバいな… 疲れがピークに達しているな… ゲ〜〜〜〜〜〜〜っ! あっ!また吐いた! 思考回路、回復! 「今度も 上手に吐けたね。 偉い、偉い! また今体から悪いものが出たよ! 明日にはきっと良くなってるからね。 大丈夫だよ。 ママがついているからね」 ---------------------------- [自由詩]アメリカという国の学校という場所/夏美かをる[2012年12月20日9時00分] その金曜日の午後 いつものように黄色いスクールバスから降りてきた 娘達の笑顔を確認してから 思い切り抱き締める 「ねえ、ねえ、今日学校でこれを描いたんだよ」 私の腕を振り切る勢いで バックパックの中から 何やら取り出して見せ始める娘達  小学三年生と一年生 道草しながらやっと家にたどり着き ホットチョコレートを飲んで 一息ついたところで 用意していた話を始める 「ねえ、聞いて。 もしも、もしもね、バン、バン、バンって 花火みたいな音がしても “何が起きてるのかな〜?”なんて思って 音がする方に行ってみては絶対にダメよ。 だってその音は銃の音かもしれないからね。 バンって音がしたら 近くにある何かの陰に 体を小さくして隠れなさい」 「銃ってなあに?」 「ガンだよ」 「ふ〜ん。ねえ、それはお母さんが側にいない時の話?」 「そうだよ。お母さんが近くにいたら お母さんがあなた達を守ってあげるけれども お母さんはいつもあなた達と一緒にはいられないでしょ。 たとえば、学校にいる時とか…」 そこまで言って、何かが胸に込み上げてきた 幼い娘達にこんな話をしなければならない現実 彼女達がいざという時に自身を守るために こんな話しかできない現実 危険な精神異常者の手にも簡単に銃が渡ることを許している 社会の中で暮らしている現実 週が明けて 今朝も娘達は黄色いバスに乗って出掛けて行った この恐ろしい国にありながら 施錠もされず 金属探知機も警備員も見当たらない あまりにも無防備なその場所に 義務教育という名のもと 私の二人の娘達を委ねる その小学校には 娘達の他に 六百九人の美しい子供達が通っている ---------------------------- [自由詩]サンタになんか永遠になれない/夏美かをる[2012年12月27日15時44分] 子供が生まれて初めてのクリスマス・イブの朝 旦那がプレゼントは何を用意したか?と訊いたので 「絵本とぬいぐるみ」と答えると 「そんなんじゃ、全然足りない!」と言い放って家を飛び出して行き、 まだクリスマス云々も全く分からない赤ん坊のために、 使えもしないおもちゃやがらくたを20個も買ってきた なんでも、大きなクリスマスツリーの足元いっぱいに プレゼントが並んでいないとだめらしい クリスマスの日に旦那の親戚が集まって必ず食べるものはハム つけあわせはニンジンとグリーンピース パイは食べるけれども、いわゆるクリスマスケーキというものは この国には存在しない そして大人・子供併せ、家族、親戚達にプレゼントを贈りまくる そのためにローンを組む人までいるとか! なんと言っても一番大事なことは、家族、親戚一同が集まってお祝いすること この日に恋人とデートなんて、もってのほか 同じクリスマスでも随分違うものだ もっともキリスト教が根付くこの国の祝い方が正統といえば正統なんだろうけど   今年のイブの夜は 娘達が眠ってから 親戚の分も併せて、40個のプレゼントをラッピング 終わったのは夜中の2時 当日は興奮して朝6時に目を覚ました娘達に起こされ 仕方ないので、そのまま パーティに持っていく食べ物を作る “何か日本的なものをお願い”とリクエストされたので おはぎを持っていくつもりが、寝ぼけて水加減を間違い、大失敗 ご飯を炊き直しておにぎりに変更 とんだてんやわんや でもね、結局、何を作って持って行っても、私の皿だけ殆ど手をつけられない なのに毎年頼まれる“日本的なもの” お飾りでいいのなら、来年からは蝋でできたサンプルを持って行きましょうか? そっちの方がずっと見かけが奇麗ですよ  しかも毎年使えるし… 日付が変わって 家の外側と庭のデコレーションライトを消す 大きなツリーの前散らかしっぱなしのフロアーに静寂が戻る やっと終わった アメリカに来てから13回目のクリスマス 最初の何回かは、 パーティの帰り、車の中で決まって涙が溢れた 家族と離れて暮らしたことのない旦那には理解できない涙 まだいくらか私にしおらしさが残っていた頃のこと 娘達はプレゼントの山に囲まれ大満足しながら眠りに落ちた その寝顔を見て 母の声を思い出す 「サンタさんが入ってこれるように今晩は玄関のカギを開けておくからね」 家族5人で下町の団地に住んでいた頃 この日に食べる大のご馳走は鶏の丸焼き 普段何もしない父が、この時だけはナイフを握り きれいに切り分けてお皿に乗せてくれた デザートは勿論真っ赤な苺の乗ったショートケーキ そして枕元に置かれていたプレゼント そのたった一つのスペシャルな宝物を 幾夜も抱いて寝たっけ お母さん… 誰かの幸せって 誰かの犠牲の上に成り立っていたのですね 娘達はもうすぐサンタの正体を知るだろう だが 人を喜ばせることを心から喜ぶ余裕もない、 自称仏教徒のアメリカに住む日本人である私は 本当のサンタになんか永遠になれないのかもしれない ---------------------------- [自由詩]私の前にある…/夏美かをる[2012年12月31日3時08分] 主婦が三日寝込んだだけで 高く高く それは高く 見事に築き上げられた お皿の山 洗濯物の山 子供が引っ張り出したガラクタの山 塵・埃・ゴミの山… 実家を離れて初めて知った 美味しいご飯が食べられるのは それを作ってくれる人がいるから 清潔な衣服を着ていられるのは それを洗ってくれる人がいるから 整頓された家に住めるのは そこを掃除をしてくれる人がいるから…という真実 毎日毎日 半世紀以上もの間 母が務めてくれていた 家事という崇高な奉仕活動 誰にも感謝の言葉すら掛けられないのに 弱音も吐かず 愚痴もこぼさず 疑問も持たずに 黙々黙々と 当然のように 休むことなく 半世紀以上もの間 毎日毎日 太古の時代から 男は家族を喰わせるために外で戦い 女は家を守ってきたのだ 母は母の母から世襲したその役割を果たしてきただけだと 事も無げに言うだろう  せめて私は 唇は噛みしめても 家事に無能な 夫に文句は言うまい “ああ、私が居なくなったら この家は山々に押し潰されるのだ” 大きな溜息を一度だけ ふーと吐き 山々に襲い掛かる ひとつ崩し ふたつ崩し… 石垣りんの言葉が浮かんでくる “それはたゆみないいつくしみ 無意識なまでに日常化した奉仕の姿” 山々を総なめにしたら 自分のためだけに淹れたとびきりのコーヒーを一杯飲んでから もうすぐここに集ってくる家族のために 美味しい晩ご飯を作ろう 私の前にある 圧力鍋と炊飯ジャーとIHコンロで そうして出来上がった滋養のある野菜を 娘達がいかに嫌おうとも ---------------------------- [自由詩]はちゃめちゃな年越し/夏美かをる[2013年1月3日6時21分] 大晦日 日系スーパーまで高速を飛ばして 注文していたお節を2組取りに行く 太巻きとシアトル巻き、上の娘の好物のイクラの瓶詰と、 私しか食べない刺身も一緒に買う 「Japanese noodlesは嫌い」と上の娘が言うので 年越し蕎麦は買わない 「これを食べて日本人は何人も死んでいるのだろう? 命を掛けてまで食べる食べ物とは到底思えない。 娘達にも食べさせることを禁ずる」 と旦那がしつこく言うので、お餅も買わない お節1組を大晦日の夜に食べる 1組44ドルもしたのに、唐揚げとか入っている 栗きんとんは入っていない それでも私以外の3人は何の疑問も感じていない 下の娘は結局唐揚げしか食べなかった 6時からTV-Japanで紅白歌合戦が始まる 「嵐では誰が好き?」などとしつこく娘達に訊いて 無理やり盛り上がろうとする母 上の娘は櫻井君、下の娘は松潤とのこと その娘達はPrincess Princessの登場を楽しみにしている 13年前アメリカに来た時に持ってきた唯一のCDは プリプリのベスト盤 母の影響ですっかり娘達もプリプリのファン 「このTVショーのどこがそんなにスペシャルなんだ?」と旦那が突如割り込む 「選び抜かれた日本のベストシンガーしか出れない年末恒例の歌のコンテストなんだ」 と答える 興味もなさげに「お〜や〜?」とだけ言って、旦那は別室のテレビをつける 娘達はプリプリの登場を待ち切れずに 「テープにとっておいてね」と言い残して ベッドルームへ退散 未だに自分達だけでは寝れないので、旦那は添い寝しに行く 1人残って紅白の続きを見る 『ヨイトマケの唄』に感動する ちょうど大トリで中居君がソロを歌っている時に旦那再登場 なんだかドキドキしてしまう 案の定旦那が呟く 「ん?これが日本のベストシンガー?」 「いいの、彼の場合はこれで。いい味出してるんだから」と言いたかったけど、 “いい味”のうまい英訳が出てこないし、中居君キャラの説明も面倒なので、 とりあえず無視する 無視された旦那はそのままベッドルームへ直行 ということで、2013年幕開けの瞬間も一人リビングで迎える 外の花火の音があれだけうるさいのに、誰も起きてこない 翌日“A Happy New Year”の挨拶もしないで 「キッチンのシンクの蛇口が外れてしまったので買いに行こう!」と旦那が提案する 蛇口を求め Home Depotを徘徊する元旦のよき日 そのHome Depotは私達のような家族連れで賑わっている ランチはマック マックも私達のような家族連れで賑わっている 夕方いつも通り子供達は体操教室に行き ディナーはもう1組のお節 テレビではお待ちかね、プリプリが歌っていて 娘達はノリノリ 私が一緒に歌ったら「ママ、歌わないで!」と2人から同時に突っ込まれる 寝かせる前に「お節で何が一番好き?」って訊いたら 「イルカ!」と上の娘が答える 「唐揚げ!」と下の娘が答える 娘達の学校と旦那の仕事は明日2日からもう始まる 何やら日本人の目には はちゃめちゃに映るだろうけど 娘達にとったら、これが普通の年越し 大体こんな過ごし方をこれからも10年20年と繰り返して行くことだろう いや、繰り返して行きたい! 家族4人が同じ屋根の下で 無事新年を迎えられれば それでいいのだ これ以上望むことなど何もない!と 今年も私は私に言い聞かせる ---------------------------- [自由詩]使命/夏美かをる[2013年1月10日14時20分] 「ママ!ママぁ!」 真夜中私を激しく呼ぶ声の元に行き いつも通り右手を差し出すと 大事なお人形を愛でるかのように それを自分の胸の前でぎゅっと抱き締め 再びすやすやと寝息をたて始める この あまりにも弱く幼き存在 人の才能を羨み 人の成功を妬み 人の幸せを素直に喜べない おまけに今日は 感情をむき出して怒鳴りつけ、泣かした そんな半人前で醜い私でしかあり得ないのに この 娘は、  私の娘は こんなにも、 こんなにも 私を必要としている しっかり絡みついたままの その小さな手を振り解くことができずに しばし体を横たえていると トクリ、トクリ… 私の右手を通じて 娘の心臓の鼓動が伝わってくる その神聖なリズムに呼吸を合わせながら 今宵も窓の外で 私達をただ静かに見下ろしているはずの 月の形を思い描く ふと考える 私が生かされている理由は この子を護る役割を 天より授かっているからに過ぎないのかもしれない―と それならば それでよい 若い頃あんなに求めても  見つからなかった答えが今はある トクリ、トクリ、トクリ… 娘の命が刻む確かな脈動を 私の全身で受け止める 云い様のない絶対的な畏れと共に ---------------------------- [自由詩]ああ無情…でも負けない!/夏美かをる[2013年1月17日16時30分] (以下英語で) 「カスタマー・サービスです」 「あの、レ・ミゼラブルの上映スケジュールを知りたいのですけど…」 「それでしたらウェブサイトで調べて下さい」 「さっき調べたのですが、サイトによって違う時間が載っていたんで電話したんですけど…」 「では、こちらの音声サービスに掛け直して下さい」 えっ?あなたが教えてくれないの!!!  まあ、アメリカのカスタマー・サービスだからな…仕方ないか… 気を取り直して、教えてもらった番号に掛け直す 「こちら自動音声サービスです。 発信音の後にお出かけになる映画館の名前を言って下さい」 えっ?映画館の名前?  一度電話を切って、映画館の名前を調べて、掛け直す 「こちら自動音声サービスです。 発信音の後にお出かけになる映画館の名前を言って下さい」 「エー・エム・シー サウスセンター」 「エー・エム・シー サウスセンターですね。了解しました。 では発信音の後にご覧になる日にちを言って下さい」 「1月10日」 「1月10日ですね。了解しました。では発信音の後にご覧になる映画名を言って下さい」 「レ・ミゼラブル」 「認識できません。もう一度言って下さい」 「レ・ミゼラブル」 「認識できません。もう一度言って下さい」 「レッ・ミゼラーブル!」 「認識できません。もう一度言って下さい」 「レェッ!・ミゼラァ〜ブル!!」 「認識できません。もう一度言って下さい」 「レェッ!・ミゼロァ〜〜〜(ここ思い切り巻き舌で)ブルゥズ!!!」 「申し訳ありませんが、お客様の声を認識することができません。 お電話ありがとうございました」 ツー、ツー、ツー… えーーーーーーーっ!? まじ? 一応これでも、日本にいた時に猛勉強して TOEIC960点、英検1級取ったんですけど… 英語を使った仕事もしてたんですけど… アメリカに来て以来崩れ落ちる一方の自信と自尊心 「何 レ・ミゼラブル、レ・ミゼラブルと叫んでいるんだ?」 向こうの部屋にいた旦那がやってくる かくかく しかじか… 「なんだ、それならば僕が掛け直してあげるよ」 いい、それはいい! あなたに頼みたくない 私は私の友達と映画に行くの、 だからあなたには関係ない あなたは私よりも7歳も年上だから 将来こんなことにも私一人で対処しなければならない日がきっと来る だからあなたには頼りたくないの 日系情報誌に載っていた スピーチ勉強会に参加することにした 息子・娘でもおかしくない年頃の学生さん、 駐在のサラリーマンにアメリカ企業でバリバリ働いている人 私のようなおばさん、御年配の方、 そして間違って来てしまったけどそのまま入会を決めたインド人らと一緒に 土曜の朝英語スピーチの特訓をしている この地を自らの足で渡り歩いて行くために それぞれ皆頑張っている いい同志ができた 夜な夜な原稿を書いて 心臓をばくばくさせながら 震える声で発表する 改善点も沢山あるんだろうけど とりあえず褒められる 自信と自尊心の種が再び植えつけられる 次回も期待してると言われる 次回も頑張ろうと思う おばさんだってやる時はやる! 自動音声サービスなんかに馬鹿にされたままでは終わらせられないものね! ---------------------------- [自由詩]ホチキス/夏美かをる[2013年1月25日4時30分] 娘と一緒にドラッグストアーに行って 「好きなものをひとつだけ買ってあげるよ」 と言ったら 「ホチキスが欲しい」と言う 「ホチキスならうちに二つもあるでしょ。 塗り絵の本とか色マジックのセットは?」 と言っても 「私だけのホチキスがずっと欲しかった」 と言う 仕方がないからホチキスを買って持たせてあげると まるで生まれたての子猫を受け取るかのように 慎重に両手を差し出し、そっと胸の前で抱える娘 もうすぐ九歳になる 車の中でも小さな袋を離さなかった彼女は 家に着くなり 乱暴に包みを破ってそれを取り出し 広告の紙やリサイクル紙を 片っぱしから留めにかかる パチリ、パチリ、パチリ 不器用にしか動かないその指先から 不格好で不揃いなノートブックが何冊も何冊も ぱらぱらと舞い落ちる あっと言う間に床一面に散りばめられた ノートブックのひとつを拾い上げ 今度は何やらぶつぶつ独りごとを言いながら 彼女にしか読めない文字を書き始めている よく聞くと独り二役で学校ごっこをしている 「このページにこれを書いて下さい」 「先生、何を書きますか?」 などと拙い英語で言っている いつになく穏やかな口調だ 今度のクラスは居心地がいいのだろうか? 「今日 新しい男の子が違う町から来たよ。 黒い子だった」 「それから支援の先生と一緒にランチを食べたよ。 先生の部屋で私とレイだけが食べたよ」 学校では殆ど口を利けない娘が 翌日学校から帰って来て  学校のことを話し始める ぎこちない言葉で 嬉しそうに話し始める 膨らみかけた桃の蕾のようなその唇から 花珠色した言の葉の連なりが はらはら溢れ出ているのを不意に見つけた私は 慌てて私のホチキスを取り出して パチリ、パチリと束ね留める ほんの小さな一片でさえ無くさぬように 連なりの全てをしっかり束ね留める そうやって出来上がった 不格好で不揃いで 表紙もないノートブックが 娘の名前のついた引き出しに これから何冊も何冊も仕舞われていったらいい 「今日は支援のクラスでカップケーキを食べるんだよ。 シルビーが最後だから」 そう言って、娘はまたスクールバスに乗って行った 柱時計の音だけがこだまするリビングの テーブルの上 花瓶の隣 無造作に置かれたホチキスが 大きな口をポカンと開けて 今日も娘の帰りを待っている ---------------------------- [自由詩]私は私に抱かれて眠る/夏美かをる[2013年2月1日16時24分] 冷たい布団に潜り込んで 悴んだ体を丸め 膝を抱えて ゆっくり目を閉じる 呼吸を整え心臓の鼓動に重ねると 間もなく私の意識は解き放たれ 私を形作っている六十兆の細胞の波間を ゆらゆらと漂い始める 絶え間なく分裂を繰り返す細胞は その度に熱を放出し 熱が血液に伝わり 血液は心臓によって全身に運ばれる 私の中の脈打つわたつみは 張りめぐらされた朱色の熱線により 常に程よく暖められ 六十兆種の更なる連鎖を育む どんなに暗く寒い夜でも 私の心臓は動き続け 私の血液は流れ続け 私の細胞は生まれ変わり続ける ただそれだけの真実があれば 営みは続き 海は波打ち やがて私の体から 暖かい海流が溢れ出す 冷たい布団に潜り込んで 悴んだ体を丸め 膝を抱えて ゆっくり目を閉じる 呼吸を整え心臓の鼓動に重ねると 間もなく私の羊水が私を呑み込み 凍えたその魂を浚って 子宮の淵へと誘(いざな)うだろう ---------------------------- [自由詩]その日/夏美かをる[2013年2月7日5時24分] その日 私は独り鉄棒に腰掛けて 夕日を眺めていたいだけだった 鍵を掛けて体の奥に仕舞っていたはずの シキュウという箱の中に エイリアンの胎児が 突如侵入してきたみたいで ただ不快で気持ちが悪くて 吐きそうだった なのに 「おめでとう」と姉は笑顔で言い 「今日は赤飯炊いて待ってるからね」 と母は呑気に言ったりした だけど私は家に帰りたくなんかなかった 泣きたい気がしたのに ちっとも泣けなくて 叫びたい気がしたのに 全く叫べなかった その日 私は独り鉄棒に腰掛けて 夕日を眺めていたいだけだった 町工場の屋根の上 茜色の空に いつまでも沈まない真っ赤な夕日を ---------------------------- [自由詩]亀の唄/夏美かをる[2013年2月15日15時32分] 担任の先生 支援学級の先生 児童心理学の先生 作業療法士の先生 言語療法士の先生 そうそうたる先生達に囲まれて 亀ちゃんについてのミーティング 亀ちゃんのテストの結果 チノウノハッタツがぴーちく ぱーちく シャカイセイノハッタツがぴーちく ぱーちく シンタイノウリョクノハッタツがぴーちく ぱーちく ゲンゴリカイリョクがぴーちく ぱーちく ゲンゴソウサノウリョクがぴーちく ぱーちく クウカンニンチリョクがぴーちく ぱーちく ヒョウジュンヘンサがぴーちく ぱーちく 異国の言葉で ぴーちく ぱーちく みんな揃って ぴーちく ぱーちく ぴーちく ぱーちく あ〜 うるさい! 「デハ、ココニサインシテクダサイ」 あっ、サインですね、ハイ、ハイ! 翌々日 “発達障害児を持つ日本人親の会”のセミナーに参加 「特別支援学級のミーティングでは、  提示される書類に自動的にサインしては絶対ダメですよ。  きちんと内容を確認し、  先生方と充分に話し合った上で、  お子様の能力や現状に合っていない部分があれば  修正や再検査を要求するように。  アメリカの学校で、あなたのお子さんの権利を守れるのは、  親であるあなたしかいません」 アチャチャチャチャ・・・やっちゃった! ゴメン、亀ちゃん、完璧なママになるのは難しいよ でもね、亀ちゃん、 ママは知っているんだよ ぴーちく ぱーちく聞こえてくる唄は 亀ちゃんのことを唄った唄でも 亀ちゃんが聴くべき唄でもない、ということを 亀ちゃんの本当の唄、 世界でただ一つ、亀ちゃんだけに捧げる 亀ちゃんしか持ってない輝きを讃える唄は ママが創って歌ってあげる 音痴なんか気にせずに  周りの人が呆れようが  とんだ親馬鹿だと笑おうが ぜ〜んぜん気にせずに 大きな声でどこででも歌ってあげるよ 亀ちゃん、こんなママを恥ずかしく思っちゃいけないよ そして これからの人生の一瞬たりとも 自分のことをも恥ずかしく思っちゃあいけないよ! なんてったって亀ちゃんはママの自慢の子なんだから! 親馬鹿上等! 親馬鹿になれないでどうするか! ねえ、亀ちゃん、分かった? ママがこんなに鼻息荒くしてるのに 妹とじゃれ合って ケラケラ ケラケラ笑ってる亀ちゃん 9歳のお誕生日 おめでとう ---------------------------- [自由詩]奇跡が連続するキセキ/夏美かをる[2013年2月22日5時31分] 自分や自分の愛する人が 明日隕石に当たって命を落とすとは 恐らく誰も思わないだろう だから いつも通り私達は 目の前の人にお休みを言って 今日という日を 当たり前のように見送る ある数学者によると その確率は 百億分の一だという その数字をどう解釈すればいいのだろう? 限りなくゼロに近い数字だから 大丈夫さ!と 鼻で笑って 忘れてしまえばいいのだろうか? だけどその数字は 決してゼロじゃない もしかしたら 私達はそれぞれ 百億分の九九億九九九九万九九九九の 奇跡の連続の中で 生き抜いているのかもしれない だから明日 いつも通りに朝が訪れて いつも通りに目覚めたら その人の目をちゃんと見つめて ていねいに ていねいに 「おはよう」と言うことにしよう ---------------------------- [自由詩]シャッターチャンス/夏美かをる[2013年3月1日4時46分] 二月生まれの四人の合同誕生会をした 九歳と三十二歳と三十六と九十七歳 九歳は私の娘 九十七歳は私がアメリカに来た当初とてもお世話になった人 三十二歳は九十七歳を通じて知り合った子 三十六歳はその彼氏 九歳はノルウェー系アメリカ人と 東京下町生まれの日本人との混血 三十二歳はグリーンカードが当選した根っからの関西人 三十六歳は南アフリカ出身のアメリカ国籍保持者 九十七歳はシアトル近郊生まれシアトル近郊育ちの アイルランド系 人生って言葉自体もまだ知らない九歳と 自分なりの人生を手に入れるために 日々模索を続けている三十二歳と三十六歳、 人生という路につけてきた沢山の足跡を 静かに振り返る日々を過ごしている九十七歳 直径一万二千七百五十六キロメートルの 球体の座標上で ばらばらに存在していた四人が 不思議な引力で私の目の前に引き寄せられ、 直径二十センチのケーキの上に顔を揃えて 一緒にろうそくの炎を消す 私はその瞬間を狙って 私の丸めた両手にすっぽり収まる 六×八センチメートルの枠の中に 慎重に四人を囲い入れた 四時間後 輝く笑顔が四つ並んだ写真を ダウンロードしながら 私が故郷と呼ぶ場所からは あまりにも遠い陸地に定められたこの座標点に 偶然とも必然ともつかない作用をもたらした その力の存在を改めて意識した時 溢れ出た温かい滴が 向かい風にさらされ硬直した私の心を 少しずつ溶かし始めていることに気がついた ---------------------------- [自由詩]亀のいちばん長い日/夏美かをる[2013年3月8日4時59分] 亀とは 亀のようにゆっくりなペースで成長中の私の長女 この間9歳になった その亀 学校以外の場所では とっても朗らかでおしゃべりなのに 小学校入学以来 教室で全く口を利けない 少人数の支援学級ではお喋りができているらしいが 普通学級では三年間で一言も喋れていない 当然友達など誰もいない ボランティアが終わって休み時間中の校庭を眺めると いつも一人でぐるぐる走っている亀の姿を見かける そんな亀についての話し合いの席で 担任の先生が 「今度の読書発表会には亀にもどうにか参加してほしい。  三年生が終わる前にクラスの子に亀の声を聞かせてあげて  亀は喋れるんだよってことをみんなに知らせたい。  教室で亀が発表するのはとても無理だと思うので  亀の発表をビデオに撮って教室で見せたらどうか?」 と提案してきた おお、それはいけるかも!と 早速なんとか亀をおだてて 原稿を書かせ(いや、正確には殆ど旦那が書き) それを読む亀の姿を撮影することに成功! 旦那がその様子を字幕入りのDVDに仕上げた ところが亀ちゃん 撮影の時にはノリノリだったのに 発表の前日の夜 突然部屋の隅で 膝を抱えてしくしく泣き出した 「やっぱり明日学校でDVDを見せたくない」とのことだ 「あんなに上手に読めたのにどうして?」と肩を抱くと 「私の喋り方が変だからきっと皆に笑われる」と返してきた 「そんなことないよ」とすぐに言ってやれば良かったのだろうが 咄嗟には出てこなかった 確かに亀の喋り方はかなり舌足らずだ DVDを見たクラスメートが思わず笑わないとも限らない なにせ彼らはまだまだ自然体で生きてる小学三年生なのだから… 助け舟を出したのは二歳年下の妹 「笑う子はそっちが悪いんだから 亀ちゃんもそう思えばいいの!」 その言葉にはっとして 「そうだよ、そうだよ、亀ちゃん! 笑う子の方が悪いんだから もしも笑われても気にしなきゃいいんだよ」 とやっと取り繕った 翌朝涙を溜めながらスクールバスに乗った亀を見送り そわそわ時間を過ごしていると 正午過ぎに担任の先生からメールが届いた なんでも亀はいたたまれなくて DVDを上映している間は 応援に来てくれた支援の先生と一緒に 廊下に出て耳を塞いでいたそうだ 上映後に先生が 「頑張った亀ちゃんにお褒めの言葉を伝えたい人はいる?」 と訊いたら、何人かが手を挙げてくれて、 そのうちの四人の子が代わる代わる廊下に出て来ては 亀に言葉を掛けてくれたという 最後に先生も出て来て 亀の手を握りながら 「亀ちゃん、とっても上手に読めてたよ。 みんな亀ちゃんの発表に感心してたよ。 勿論笑った子なんて一人もいなかったよ」 と言ったら、 亀はすぅ〜と再び涙を流したらしい 夕方亀と妹を迎えに行くと 亀は満面の笑顔でスクールバスから躍り出てくるなり 握りしめていた皺くちゃの紙を私に見せた それは最高ポイントの四が並んだ発表の評価票だった 「すごい!すごいよ!亀ちゃん、全部四だよ」 興奮する私と下の娘 更に亀に言葉を掛けに来てくれた四人のうちの一人が “この子と結婚したい”と亀が私だけに秘密で教えてくれた男の子だと その時知った私は余計に興奮してしまった その晩は亀のリクエストにより回転寿司屋に行ってお祝いした 他の子が普通に出来ることの 十分の一くらいのことが かろうじてできるようになっただけで いちいち祝いに繰り出す能天気な家族 だけど、亀の声が初めてクラスの子達に届いたんだ! これを祝わずにいられるか! ねえ、亀ちゃん、 “自分が話すのを聞いて みんなが笑うかもしれない” なんて不安は あの時廊下で流した 最後の一筋の涙と一緒に蒸発しちゃったよね! この先十年経ってもきっと覚えている 亀ちゃんにとっての今日という日のハイライトは 何といっても アンディ君に褒めてもらったこと、 だね!! 亀ちゃん、ハイタッチ! ---------------------------- [自由詩]二千十三年三月十一日に/夏美かをる[2013年3月15日4時28分] 震災関連番組を見ている 私の背中に 六歳の娘が不意に覆い被さってくる 今朝思い切り叱られて 「ママなんか大嫌い」と 涙を溜めた目で私を睨みつけていた娘が 「ママ、大好き」と言いながら 私の首に腕を回してくる その皮膚の温かさを確かめながら 並ぶ数字の重みを反芻する 死者 一万五千八百八十一名 行方不明者 二千六百六十八名 依然避難生活を続けている人 三十一万五千百九十六名 二千十一年三月十一日 午後二時四十六分 この瞬間に崩れ去った 普通の人々の普通の生活 一体彼らが何をしたというのだろう? 彼らと私を隔てるものなど 十時間の飛行時間以外何もないというのに 『復興』という言葉が何度繰り返されても いくら瓦礫が片付いても 無念は、悲しみは、苦しみは もうその地に深く刻印されてしまった 彼らはいかほどの淵に未だいるのか? 私の乏しい想像力では 推し測ることすらできない そのことの罪を 娘と共にこの背に負う 頬をすり寄せてくる娘を無理やり 胸の前に引き寄せ、 娘の体ごと 命ごと 包み込むように きつく抱き締めると 飛び出す「きゃっ、きゃっ!」という 無邪気な歓声 それが胸に突き刺さり 呼吸が一瞬苦しくなる 「ねえ、このテレビつまらないよ。  変えてもいい?」 しばらくして 娘が私の腕を振り解きながら言う 旦那と上の娘は午後の日差しの中で 一緒に本を読んでいる 伸ばした私の手の延長線上で 確かに今息吹いている日常を しっかりと脳裏に焼き付けながら、 海の向こうの 尚もくすぶり続ける大地の上で 静かに眠る魂と 失われた日常に慟哭しながらも 新たなそれを重ねようとしている 決して眠らぬ人々に そっと祈りを捧げる 今日という日のこの瞬間 ---------------------------- [自由詩]白髪を染める/夏美かをる[2013年3月22日2時22分] きちんと一センチ伸びた白髪が またもや月が巡ったことを 立ち尽くす私に伝える 捲り忘れたカレンダーよりも ずっと着実に ずっと正確に 遠い故郷で 私がその顔を拝む前に 燃やされてしまった父は 三十代半ばで総白髪になったという 同じ頃から始めた 月一の儀式 私はそれを いつまで続けるつもりなのか? 尊い遺伝子の顕性であるというのに 人工の墨で覆い隠し 不自然な程の漆黒で ほんの一時繕われただけの髪を 入念に結いあげては 満足げな薄笑いすら浮かべている 鏡の中のそのアホ面に向かって 「この馬鹿ものが!」 ともう一人の自分が渇を入れる そんな私に 飾棚上の父は いつもと変わらぬ 静かな笑顔を向けるだけで 何も語ろうとはしてくれない ---------------------------- [自由詩]中庭のある小学校で/夏美かをる[2013年4月24日9時49分] ?公園に女の子が八人いました。 さらに後から男の子が何人か来ました。 全部で子供は十五人になりました。 公園に男の子は何人いますか?? レスリーは両手の指を曲げたり伸ばしたりしている 「このブロックを使ってみてもいいよ」 と私が言うと ブロックをゆっくり十五個まで数えて、 そらから、更に八個加えて その後は 何度も何度も 一から数え直している 「ねえ、どうすればいいの?」 「ごめんね。これはテストだから教えられないの。 自分で考えてごらん」 レスリーは困った顔をして ブロックをいくつか掴んでは 出したり引っこめたりし始めた 「ファイブ、シックス、セブン、エイト…」 形の整った薄い唇から うっとりする位完璧な英語の音が漏れている きっと今レスリーの心が描く公園には 数字の八と十五の形をした遊具があって その周りを 元気のいい女の子と男の子が 無秩序に走り回っている 長い睫毛がピクリと動いて 眉間に皺が寄る ?一体公園に男の子は何人いるのだろう?? 小学校一年生の子が真剣に悩むことがあるとしたら こんなことや?Thursday?の綴り方、 或いは 真っ白な画用紙に何の絵を描こうか? そんなことだけでいいはずだ それが いじめや虐待や育児放棄… などであっては断じてならない 結局レスリーは 正しい答えを見つけられなかった それでも 「よく考えて頑張ったね。えらかったよ!」 と私が言うと、 初めて真っ直ぐ私を見つめて 「サンキュー!」 と前歯のない口元をほころばせた その瞬間 キラリと輝いた虹彩が 中庭の土を押しのけて ただ上へ上へと伸びようとしている クロッカスの新芽に鮮やかに映え、 私の網膜に 瑞々しい萌黄色の輪をふたつ しっかりと焼き付けた ---------------------------- [自由詩]八重の優しさ/夏美かをる[2013年5月4日3時07分] 娘の担任の先生から突然メールが届く 件名は娘の名前 かすかな心臓の高鳴りを覚えながら 本文を開ける 文字が目に飛び込んでくる “She had an accident!” アクシデント!? ざっと視線を滑らせた後、呼吸を整えて読み返す カーペットの上にみんなが座って 先生の説明を聞いていた時 娘の隣に座っていた子が 娘のお尻の下が濡れていると指摘したそうだ 咄嗟に先生は 誰かが水をこぼした所に 娘が座ってしまったのね、とその場を取り繕い、 休み時間になってから 無言のままの娘を保健室に連れて行ってくれたらしい “保健の先生が、予備のパンツとジーンズに着替えさせてくれたから  大丈夫、クラスの子の誰も気がついてないと思うから、  大丈夫よ  でも、もしも家に帰ってから  誰かに何かを言われたと訴えた場合は  直ぐに連絡を下さいね  彼女しばらくは濡れたままだったみたい  全く可哀想なことをしてしまいました” メールを閉じ 窓の外に視線を移す 八重の桜が咲き乱れている 発達障害のある娘 ああ、だけど、九歳にもなって 学校でお漏らしなんて… 顔が火照る 溜息がこぼれる 午後四時 いつも通り黄色いバスがやってくる 二歳下の妹が先に降りてくる その後に娘が… 満面の笑顔で 躍り出てきた! そして まるで摘みたての苺でも入っているかのように 濡れたズボンとパンツを収めたスーパーの袋を 私の目の前に高々と掲げた 「ママ、お集まりの時間の時チッチが出ちゃったの。  でも大丈夫だった。  先生が保健室に連れて行ってくれた。  ママ、すごいんだよ。  保健室にはねぇ、着替えのズボンもパンツも沢山あったんだよ。  保健の先生が私が履いてたズボンと同じみたいだからって  これを選んでくれた。  パンツも選んでくれた。九歳用のパンツはなかったけど  八歳用のパンツがちゃんとあったんだよ、ほら!」 そこまで一気に言った彼女は、シャツをまくって 履かせてもらったズボンを少しずり下ろし、 鮮やかな黄緑色のパンツを自慢げに見せてくれた 「よかったね」 光の腕を精一杯伸ばして 後ろから娘をそっと抱き締めていた太陽が その瞬間ギュッと力を込めて 娘の輪郭を滲ませたので 私はそれ以上何も言えなくなった 桜の木をめがけて 娘と妹が駆け出す 花陰で子猫のようにじゃれ合う二人を見て 「ああ、写真を撮らなければ」とひらめき、 私はカメラを取りに行く ポーズをとらせたら 気まぐれな春風が急降下してきて 花びらを一斉に吹き飛ばす はら はら はら はら 薄紅色のハートが 娘の上に舞い落ちて来る はら はら はら はら 二人の先生が娘に注いでくれた たおやかでやわらかい優しさが 娘のおかっぱ頭に  妹の腕にしっかり抱えられている肩に ピースサインの指の間に 幾つも幾つも 舞い落ちて来ている 惜しみなく 舞い落ちて来ている ---------------------------- [自由詩]順番/夏美かをる[2013年5月11日2時27分] 父の母が亡くなり その後しばらくして 父の兄が亡くなった時 父がぽつりと言った 「今度は俺の番だな」 その順番の通り 父は亡くなった 四十九日が過ぎた時 母がぽつりと言った 「順番が狂わなくてよかった。  私が先だったら、  あんた達に迷惑掛けてたよ。  お父さんは偏屈だったから」 昔母はよく私達に言ってた 「親より先に死ぬことが  一番の親不孝だよ。  順番が違うんだからね!」   娘達の笑顔を見る度私は祈る ―どうか、  どうか順番を狂わせないで― 「いつでも逝けるように  最近は身の回りのものを  片付けているんだよ。  今度は私の番なんだから」 会う度に ひとまわり小さくなっている母が 畳む手を休めずに言う タオル、ズボン、シャツ、下着 靴下… 五十年間変わることのない順番で 折り目までもが あまりにも正しく揃った洗濯物が 次々と鮮やかに 積み重ねられていく ---------------------------- [自由詩]食欲/夏美かをる[2013年5月23日2時32分] 絶対的な漆黒に支配されながら もう消えてしまいたい、と 泣き続けた夜 だけどそんな闇でさえ  萎え始める瞬間がある 私の意志とは関係なく 朝は必ずやって来るのだから― 地球が営みを辞めない限り 何万回でも 何億回でも 夜明け前  私はまっすぐキッチンに行って 白いままのパンを食べた 一枚、 二枚、 三枚、 四枚、 五枚…食べてもまだお腹が空いていた 六枚目に手を伸ばした時 ふと涙が止まった 七枚目を食べていたら 心が空っぽになった 八枚目を食べている途中で 泣いていた理由を忘れてしまった 胃袋が九枚目を要求した時 この食欲が なんだかとても 愛おしくなった 十枚食べたら やっと満腹になったので コーヒーを淹れることにした インスタントはやめて たった一人分のコーヒーを 今日はとびきり丁寧に淹れようと思った やがて沸き立ってきたアロマを 肺に深く吸い込んだ時 私は私の細胞の叫びを聞いた  生きたい、  ただ生きていたい! 私はコーヒーをごくりと飲み込んだ 喉が 食道が 胃が 順に焼けていく 思わず同じ道筋を手の平で辿る 今この中で 私が貪った十枚のパンを 私の勤勉な臓器たちが 懸命に分解している 私の隅々の細胞にまで 確実にエネルギーを送り届けるために… つまりは 私が食べ続ける限り 決して分裂を辞めない 私を形成している六十兆の細胞 全ては 私の意志とは関係なく 繰り返されてきた 純粋で高潔な営み 私という生命がある限り 何万回でも 何億回でも  生きる、  ただ生きていること! それはなんて 難しく、 単純なことなのだろう いつの間にか 暁光に染められたリビングで 香り立つ優しい液体のぬくもりを 体中に感じながら 私は初産婦のように 少し膨れたお腹をいつまでもさすっていた ---------------------------- [自由詩]クローゼットに潜む魔/夏美かをる[2013年5月31日3時01分] ある日クローゼットを開けると 床の上に散らばったネクタイの塊が 視界に飛び込んできた どうしたものか…?と一瞬迷ったが、 とりあえずそのまま扉を閉めた 数日経って再びクローゼットを開けると なんとネクタイが蛇に変身していた 十匹近くもいただろうか? それらは共食いでもしそうな勢いで くねくね体をよじらせながら お互いに激しく絡み合っていた いかにも毒を持っていそうな けばけばしい色合いのものばかりだ 私は吐き気を催しそうになったので 急いで扉を閉めた 更に数日後クローゼットを開けると じぇじぇ!蛇は竜に進化していた 様々な紋様の鱗をはたはたと煌めかせながら 洋服の間を我が物顔で飛び回っていた一団は 私の存在を認めると 一斉に目ん玉をひんむいてシェーッと威嚇した たじろいた私は慌てて扉を閉めた それにしても何故彼は何日も 平気で竜を飼っていられるのか? そのうち奴らはクローゼットからはみ出し 我が家を占領してしまうのではないか? 私は気が気でなかったのだが 竜退治は男の仕事だ! 彼がやる気になってくれるのを待つしかないのだ そのまま半月近くが過ぎた 竜はどうなっただろう? いくらなんでも、もう彼が退治してくれただろう そう期待しながら ある日 そぉ〜とクローゼットを開けると… じぇじぇじぇ!まだいた! しかも数が増えていた! その瞬間 鬼に化けた私は 呑気にゴルフ番組を見ていた彼を捉え、喰ってかかった  何故何週間も竜を放置しておくのか!  おぬし、竜退治なぞ私がやれ、とでも考えているのか! 一瞬ポカンと私を見つめた彼は いつもののほほんとした調子で言った  竜?竜など僕には見えなかった  僕はクローゼットを開けたら  必要なものしか見ないんだ そんな言い訳が通用すると真剣に思っているのか! 更に勢いを増しそうな私の鼻息を認めた彼は やれやれと立ち上がり ぼそぼそ何か呟きながら寝室に向かった これで安心!と私は胸を撫でおろした… ところが ほんの数時間後スカーフを取りに行った私は その場で再度息を呑み込むのだった 一匹の残党竜が靴の中から鎌首をもたげ 鋭い眼光で私を睨みつけていたのだ 緋色のボディに薄藍と山吹色のペイズリー柄を携えた いかにもずる賢そうな奴 よりにもよって彼は何故こんな驕奢野郎を見逃したのか? とにかく刺激を与えぬようにと ゆっくり後退りを始めた私の形貌から 鬼の面影はすっかり消え去っていた 以来野郎はクローゼットの中でたくましく棲息している 再び狼藉仲間も増えてきた様子である だが私はその重く白い扉を開けたなら 必要なものしか見ないようにすることにしたので もはや奴らの姿に慄くことはなくった 所詮わらわは辰年生まれの竜女 ってな事実も相俟ったところで 丸く収まり夫婦円満 これにて一件落着!めでたし、めでたし…ってか? ---------------------------- [自由詩]名詩『夕焼け』の娘の感受性/夏美かをる[2013年6月15日3時40分] 何故自ら受難者になる必要があるのか? 四度でも五度でも席を譲ればよいではないか! そして今日は沢山の人を助けられてよかった、と 胸を張って夕焼けを見ればよいではないか! 満員電車の中 三度目押し出されてきたとしよりに 席を譲れなかった心優しき娘 美しい夕焼けも見ずに 下唇をキュッと噛んで 体をこわばらせていた娘の気持ちを どうしても理解できなかった あの時の私 教科書に差し込まれた文学作品はどれも 大人達によって冠された‘正しさ’をちらつかせ  私の読解力を値踏みする‘権威あるもの’だったし、 先生が畳みかけた解釈はあまりにもそつがなく 黒板の枠内にきちんと収まる完璧な四角形をしていた いわゆる優等生カラーの制服の中に 自分を閉じ込めることによってしか 自身の存在価値を護れないでいた私は 大学ノートのまっすぐな罫線上に写し取る文字の隙間から             いつでも勝手に飛び出してしまう自分の感受性が 疎ましく、また悲しかった あれから30年余りが過ぎ 『夕焼け』の娘と同様の生真面目さと不器用さを そうとは知らずに持て余していた無口な中学生は 白髪と皺がしっかり目立つ無駄口の多いおばさんになったが、 相変わらず‘娘’の気持ちは分からない しかしながら 皮下脂肪と一緒にたんまり溜めこんできた もろもろの酸っぱさや辛さが教えてくれたことが幾つかある まず あの頃の私の感受性も 今の私のそれも 決して間違ってはいないこと 娘の気持ちが分からなければ 分からないでよし! 分からないことが、誇るべき私の感受性! 次に 教科書や先生でさえも絶対的ではない!ということ ものごとの意味や価値を決めるのは私自身 他人が定めた基準で自分のものさしをこしらえたって 正しい長さは測れない 私自身の目で見、耳で聞き、心で感じたことのみが 守るべき私の真実 そして 吉野弘という人は とても素晴らしい詩人だということ! それは、私自身の目で見、耳で聞き、心で感じた 揺るぎない事実 「娘の気持ちが分からない」と言う中学生やおばさんを 彼は攻めたりしないだろう 最後に これを読んで?何をくだらないこを言っているか!″と 思ったあなたのその感受性 それもまた正しいということ だから いかなる時も あなたはそれを否定してはならない あなたの感受性を護れる人間は あなた以外には誰一人として存在しないのだから! ---------------------------- [自由詩]マリはマリなのだから/夏美かをる[2013年7月21日15時43分] LDだの、ADHDだの、自閉症スペクトラムだの 九歳になったお前に 世間は余計な名前を被せたがる だけど お前に授けた唯ひとつの名前、 それはマリだ 英語ではMarie 表記上 e が入る 日本語表記はカタカナでマリ 親の身勝手な願いをお前に押し付けることなど 到底出来なかったから 漢字はない アメリカ人とか日本人とかそんな枠を超えて 世界中の人がきちんとお前を呼べるように  簡単で響きの良い名前がいい そんな一途な思いだけを込めて 深く聖水を湛えた泉から透き通った祈りを掬いあげるように お前を名付けた だからこそ 地球上で最も神聖で完璧なはずのお前のその名前に 勝手な肩書きや胡散臭い別名が足されることを この母は許さない 「はい!」という元気な声と共に お前が瞳に好奇の燐光を点す機は たった二文字のお前の名前が 正しく丁寧にゆっくりと呼ばれた時のみでいい マリという名以外に お前を遍く形容する言葉など存在しないのだから             マリはマリなのだから ---------------------------- [自由詩]柑子色のパンケーキ/夏美かをる[2013年8月17日0時28分] 下町の団地の小さな台所で 母が作ってくれたホットケーキには 必ず人参のすりおろしが入っていた 海を隔てた異国の地で 日曜日の朝私が作るパンケーキも やはりほんのり柑子(こうじ)色 頭の中には常に百種の心配事 だけど胸を焦がす切なる願いは 昔も今もたった一つ 母なる大地から絞り落とされた 橙色の滴の中に その生温かい結晶をそっと溶かし込んでみても それだけでは苦い薬のよう 我儘で敏感な舌にすぐさま捉えられ 跡形もなく押し出されてしまう 面影が完全に消えるまで 薄められ 攪拌されて、 甘い蜜にどっぷりと絡まれて… ようやくそれは辿り着く  無邪気に頬を膨らませているこの子達の あまりにも澄んだ無意識の深層に ---------------------------- [自由詩]あなたが初めて泳いだ夏/夏美かをる[2013年8月29日16時13分] ヒトの形をしているのが奇跡と思える位 あまりにも小さくて柔らかかったあなたを 退院後初めてお風呂に入れた時 私の緊張が伝わったのか あなたは火がついたように泣き叫んだ 以来あなたが極端に水を怖がるようになってしまったのは 不器用な私のせいなのかもしれない 七歳になって週に一度のスイミングレッスンに通い始めたあなたは 同時に習い始めた妹がクロールと背泳ぎと平泳ぎをマスターした頃 ようやく顔を水につけられるようになった それからは潜れる時間が少しずつ伸びていき、 突然ハァーっと大きく息を吸い込んだあなたが とうとうバタ足を始めたのは 一緒にプールで遊んだあの夕暮れ時のこと 未だに「ママ、ハグして」と 一日に何度も甘えてくるあなた 臆病で神経質で病気がちで いつでも全力で護ってあげなければ壊れてしまいそうなあなたが その時いつの間にか私の五メートル先にいた 私がいくら手を伸ばしても遥か届かない場所で 輝く笑顔を私に向けていた 不意に上がった水しぶきに言葉をさらわれて ただ立ち尽くしていた私の代わりに 歓声を上げながらハイタッチをしに行った次女の後ろ姿が スローモーションの映像の中で徐々に滲んでいった 水から上がれば纏わりついてくる外気はひんやり冷たく 細すぎるあなたの手足にあっという間に鳥肌が立つ たった一度きりの九歳のあなたの夏が 足早に通り過ぎようとしている 二年半かけて丁寧に丁寧に実らせ、あなたが自らの手でもぎ取った 鮮やかに光るその尊い果実を そっとバックパックの底にしのばせて あなたは間もなく四年生の教室への階段を上っていく 少しずつ遠ざかっていく まだ頼りない背中を 追っていくことは もう私にはできない 来年の夏が逝く頃にはあなたは息継ぎを覚えているのだろうか? 私の何メートル先で あなたはくるりと振り返って あの時と同じ笑顔を 私に贈ってくれるのだろうか? ---------------------------- [自由詩]無口で運転の上手い人/夏美かをる[2013年9月17日13時16分] 「お父さんは、いつもむっつりしてたけど  家族は結構大切にしたんだよ。  日曜日の度に色々なところへ  連れて行ってくれたんだから。」   週六日精一杯働いて やっと巡ってきた休日なのに 体を休めることもなく 父が連れて行ってくれた 動物園や水族館や遊園地 春は公園 夏は海 秋は山 冬は湖 「お父さんは、若い頃トラック野郎やってたから  運転は上手だったんだよ。」 滑らかに移動するその空間はとても心地良く 行きはきょうだい三人で何曲も何曲も歌を歌い 帰りはお互いにもたれかかってぐっすりと眠った そしてどんな時でも 橙色の三菱ギャランは 着実に私達を目的地まで運んでくれた そうやってひとつ またひとつ 家族五人が寄り添って暮らしていた玉響に 鮮やかな思い出たちが 彩りを添えてゆき…    やがて家族がばらばらになった時 やはり無口で運転の上手い人と 新しい家族を作る決心をしていた ?お父さんのようなむっつりとは結婚しない? そんな生意気を言い続けていたのに 八月最後の日曜日 その人が いつも通りむっつりとしたまま CR-Vを運転している 「疲れたのなら運転代わるけど…。」 「君の運転なんかじゃ 余計リラックスできない。」 それきり弾まない会話 子供達はとうに夢の中で 昼間見たバイソンを絵日記に記している 黄金色に点った杉の木立が 走馬灯のように規則正しく流れて行く 次の瞬間はっと我に帰れば 馴染みのスーパーの灯りが見えてくる 十時間離れていただけなのに やけに懐かしい街並み 左側には相変わらずむっつりしているだけの横顔 無防備に眠っている 異国から嫁いできた嫁と まだあどけない二人の娘達の命が ハンドルを操るその両腕に 重く、限りなく重く のしかかっていたというのに― ---------------------------- [自由詩]食卓/夏美かをる[2013年10月10日4時31分] 「ねえ、これは骨?」 チキンナゲットを食べ慣れているお前達に フライドチキンを与えたら 飢えたライオンの子供のようにそれを貪りながら 何かを思い出したように下の娘が訊く 「そうだよ。鳥の足の骨だよ。  人間の足にも太い骨があるだろう」 「えっ、じゃあ、私は鳥の足の肉を食べているの!」 「そうだよ。鳥の足の肉だよ。  人間の足にもこのように肉がついているだろう」 「ねえ、その鳥はどうやって死んだの?」 お前は今本当にそれを知りたいのか? ならば、いい機会かもしれない  調べてみようか? お前達は疑問を疑問のまま残せない時代に生まれてきたのだ ただここにキーワードを入力すれば 世界中に張り巡らされた情報網が 何らかの答えを瞬時に見つけてきてくれる 運が良ければ映像だって見れるかもしれない お前達が本当にその真実を知りたいと思っているのならば 今すぐに検索してみようか? 実は私もよく知らないことなのだから… いや、やっぱりよしておこう お前達に真剣に向き合ってほしい事実 つまり、お前達のために犠牲になる命があるという事実は いつか私の口から伝えることにしよう お前達とちゃんと向き合って お前達の目をきちんと見つめながら 私の言葉で私なりに伝えることにしよう お前達、 今は何も考えずに食べなさい その肉を残さないできれいに平らげなさい サラダもきちんと食べなさい 牛乳も飲み干しなさい 食卓にのったもの一切を無駄にしてはなりません やがてお皿が空になって 代わりにお前達の胃袋が満たされたのなら 最後に「ごちそうさま」と言いなさい 手を揃えて頭を下げて 「ごちそうさま」と丁寧に言いなさい いいか!未だ無邪気なお前達よ、 今は出された食べ物を一生懸命に食べなさい! ---------------------------- [自由詩]Edge/夏美かをる[2013年10月19日16時06分] あなたの言うことは どんな時でも正論で つけいる隙なんかありゃしない あなたのシャツにはいつだって きっちりアイロンがかけられていて 一筋の小皺でさえ見当たらない あなたの書く文字は まるで教科書体そのもの 計算された通り正確に動く あなたの手はいつも冷たい きっとあなたが線を引けば それはどこまでもずっとまっすぐなんだろうね 長い長いものさしを使ったみたいに だけど、あなたは完璧じゃない あなたの放った直線が 私の胸を引き裂いて ぱっくり裂けた乳房から 真っ赤な血が噴き出しているというのに あなたはその震える輪郭でさえ きちんとなぞろうとはしないのだから ---------------------------- [自由詩]ひとかき ひとけり/夏美かをる[2013年10月28日2時49分] ひとかき ひとけり その分だけ進む ひとかき ひとけり 私の力の分だけ進む ひとかき ひとけり 私が今出せる力の分だけ進む それ以上でも それ以下でもなく しなやかで強かった頃より 余計に ひとかき ひとけり そうすれば 着実に近づいてくる あの時と同じゴール 少し時間が掛かるだけなんだ 何も問題ないではないか! ストップウォッチを持って 待ち構えているコーチはもういないのだし ひとかき ひとけり 腕が動いて 足が動いて 思い切り息を吸って もう一度 ひとかき ひとけり まだ進める力が私には残っている 何も問題ないではないか! 昨日までの私は 一体何を諦めようとしていたのだろう? ---------------------------- [自由詩]赤・青・黄色/夏美かをる[2013年11月11日2時28分] 赤は止まれ 青は進め 黄色は注意 生まれて初めて知った 極めて普遍的な社会ルール それは母が私の手を握りながら 真剣な面持ちで教えてくれた その日パシフィックノースウエスト地方を吹き荒れた嵐が 信号機から突然色を奪えば たちまち巷は無秩序な渦巻の中 急ブレーキ音に 交錯するクラクション ニアミス、衝突 幾つもの中指が立ち Fワードまで飛び交って あっという間に延びる渋滞五マイル…十マイル… あちらこちらで牙を剥くカオスを 目の当たりにして初めて気づく 一定の間隔でリズミカルに点される 鮮やかなこれら三色によって 私達は心地よく管理されていたという事実 大都会東京の環状線でも シアトル郊外のサードアベニューでも 南仏アルルの街道でも ザンビアの埃っぽい市道でも 赤は止まれ 青は進め 黄色は注意 但し日本以外の国では青ではなく緑 日本人独自の色彩解釈で定義された 青色の、非普遍性 それは中国語訛りの無愛想なドライビング・インストラクターが たった一語の英単語で教えてくれた ---------------------------- (ファイルの終わり)