るるりら 2009年9月29日22時54分から2011年8月20日11時53分まで ---------------------------- [携帯写真+詩]私は いつも 自由だった/るるりら[2009年9月29日22時54分] 母のことが なぜあんなに嫌いだったのだろう 殴られたことがあるからでもなく 押入れに閉じ込められたことがあるからでもなく 蹴飛ばされたことがあるからでもなく わたしは母の愛情に満ちた視線が苦手だった 母の片目は失明していて わたしは たいてい視野の外にいたから いつも自由だったのに 母と乗る車が走る あれが海だよというのに ちらと 壁や民家の隙間にある海だと 母の目には映らない 母にとって視野に居ない私は 気配だけの影だから 私であって私でなくて ときどき敬語で話かけられたり  車の飾りに反射してできた光が虹になって てのひらにおちた 魔法のようだと 見惚れていたら ほとんどの物を見ることのできないはずの艶めいた声 「それ なあに」 太陽の方角やガラスの角度や うんぬんかんぬんの約束ごとで できた わたしたち親子の形 笑いは 刹那の虹みたい かたくなさを すりぬけてゆく ---------------------------- [自由詩]ひとめ あなたに/るるりら[2009年11月17日20時13分] いつまでも たたえることなく ともだちでいよう 手動で電気をおこして蓄電できるタイプのラジオって 頼りにしすぎると心臓に悪い 今日の日はさようなら またあう日までを歌っていた ラジオによると どうも明日が 世界は終わると言う そんなこといいながら歌は あんな途切れ方 私には 讃えたい人がいる。 今日は 相当 歩いたよ。 昨日より だいぶ歩いたと思う。 家を出るとき いちばん可愛かった赤い靴が でこぼこになってしまった。 泥もたくさんついて こうなると さつまいもみたいよ。 私には あるんだ。 あなたはきっと 可愛いって言ってくれる自信が。 ノストラダムスの予言のときは 天変地異はおこらなかった けれど、今度のは いろいろ起こるものだと 関心しちゃう。 あなたに会いたいって はっきり解るし、 私には あいたいとおもう人がいる。 もし あなたも私をめざしていてくれたら  もしかしたら明日に出会えるかもしれない。 だから きれいに磨こう。さつまいものような靴。ちゃんと赤く輝くように 女の敵は、地球滅亡なんかより  おやすみなさい。赤い靴は  抱いて寝ます。  ---------------------------- [携帯写真+詩]ひかりとかげ/るるりら[2010年1月20日11時41分] ひかりとかげ ひかりとか げ ひかりと かげ ひかれ 私は蜥蜴 ひかれ げげげ ひかれ かげで 銀色の緑が 芽吹く   しろい陶器のような世界 真綿にくるまれて ゆきをみる ひかりとか げ ひかれ蜥蜴 群所色の土 ほんのすこし見えた まぶゆいよ 土のいろ なにもかもをかくれているのに いきていることだけを てらしだす ---------------------------- [自由詩]わたしが 音楽だったころ/るるりら[2010年2月24日15時56分] わたしが音楽だった頃 わたしの髪は風になびいたの 軽く、ほがらかに わたしが音楽だった頃 わたしの頬は朝やけのたびに ほころんだの  心の奥で太陽の灼熱が わたしを中から炎と燃えて 風に揺らいで 夢をみたの わたしが楽章だったとき 恋の辛さとその幸せに焦がれたの わたしがブレスだったき あなたに出会ったの 戦慄すらも旋律になり 遠き人も いつも、信じて  夢をみたの わたしが リフレインだったころ 苦しんでいるときも なやんでいるときも 音楽で在りつづけることを誓ったの わたしが音楽であった頃 なめらかだった皮膚も しなやかだった姿も 鳥と高さを競った声もうしなったの 神様に音楽で居させてください と それだけは お願いしたの そして、私は 88の鍵盤になったの ---------------------------- [自由詩]マルボロ/るるりら[2010年6月18日8時22分] 【マルボロ】 かあさん あのね わたしがうまれた世界って 本当の本当は しろい正方形だったのでしょう そこはとても清らかな場所だったのでしょう? エタノールで消毒した 清らかな部屋で わたしは清らかに包まれて生まれたのでしょう? おぼえてないけれど わたしがはじめてみたのは白い人たちで しりようがないけれど わたしがおわる日にも白い人たちに囲まれるのかしら? 清らかでないものの 愛おしさったら ないわ  清らかではない土の匂いとか 清らかでない汗とたばこの匂いとか とうさんの おしえてくれたものは  そんな清らかではないものばかり こんな清らかな部屋では説明できないものばかり 清らかとはいえない工場の煙や 清らかとはいえない汗やたばこの匂いや 清らかとはいえなくても大切な青い空 青い海 とうさんが教えてくれた多くのものを説明できるものが この部屋にはすくなくて かあさん、わたしは あなたと白い人がいるこんな部屋でうまれたのでしょう でもなんで とうさんが こんなしろい正方形の部屋に 横になっているのだろう とうさんが もういちど 清らかでない土の匂いや 清らかでない たばこの部屋に 還れたらいいのに 2005/01/11 マルボロ 日本WEB詩人会 初出 ---------------------------- [自由詩]かみなり/るるりら[2010年7月11日8時53分] かみなり ひんまがり 醜く よじれてペンダコのように頑なな私が 理想としているのが 渡り鳥の抑揚のように柔らかい けんこうこつだよ ほしいよ 大理石の有翼女神像すら 空におしあげる あまやかな率直さ 胸のあたりで いつも熱いものが 飛びたがっているよ 海に落ちる かみなりをみたことがあるよ かみなりも 避雷針におちるよりも 自由で嬉しそうだった 今日もまた 子どもの頃と まったく同じ夢をみた カナアミの柵を越えられない夢 私のこころは まだ こんなにも幼い かみなりは 海の中にも ささやかにあるよ 波間の海螢のように わたしも わたしなりの いかづちを持っている ねぇ あまいろ 情熱だけでは飛べないよ あめいろ むしろ翼を重くするだけだなあ はいいろ あなたの声が必要なのですよ あまいろ 囁きは大切ですよ あめいろ 嵐の風の中だよ はいいろ ヨーデルのように ひるがえる あまだれ かみなりってさ 神也なんだってね 虹までの距離は フィートではなく 心でしか計れない *追記* ウミホタルとは 米粒のような姿をしている海の生物。昼間は海底の砂中で生活し、夜間に遊泳して捕食や交配を行う。遊泳活動が盛んなのは春から秋にかけて。水温が低下すると活動が不活発になるようですが、冬季でも完全に冬眠することはなく、雑食性で何でも食べるらしいです。 名前の由来となっているのは青色発光するから。発光の目的は主に外敵に対する威嚇。刺激を受けると盛んに発光する。ウミホタルは負の走光性(光から逃げる性質)を持っているため、発光は仲間に危険を知らせるサインにもなっていると考えられているようですが、そのためか危険を察知すると 海に光のウエーブがおこります。その様子はなかなか幻想的です。 また、海面を波立させず静かにしていると安息の中に 光の群れを 確認できることがあります。求愛ディスプレイとしても発光を用いられることもあるようです。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]やわらかな殻/るるりら[2010年7月19日9時01分] きのう手紙がとどきました。ふるさとのこころの箪笥から。 【前略 私は あなたの本当の母です。あなたは 親に「橋の下でひろってきた」と言われると喜んで、高貴な産まれを夢想するような娘でしたね。卵が先がニワトリが先かは、夕日が先が朝日が先かどうかと似ています。ニワトリが卵の後にみえるけれど、夕日がないと朝日はこないのです。 本当の母は私ですよ。私はいつも あなたの傍にいるのです。夏休みになりましたね。あなたには 何年の前から 私が あなたに課せた 夏休みの宿題を まだしてませんよ。あなたが宿題をするべきときがきたら、わたしは いつかきっと 蝸牛となって あなたの前に現れることでしょう。そのときが あなたの目覚めのときですよ。 早々】  --------やわらかな殻-------- 夜の川は 気配だけで したたります。眠らない 生き物も したたります。眠らない僕は したたりの気配の土手を歩きます。夜の川のながれの中に、一つの瓶が流れていました。 瓶の中身は、大きな地図なのです。「宝とはなにかを知りたければ 進め」 この町を遠く離れることを意味する地図でした。眠らないまま朝がきて 次の朝、ドアを開けるてみると かたつむりがいました。 かたつむりは しゃべりました。 「この宝を知っている。ひとりで行かねばならない。勇気をもたねばならない」ねば、ねぱ、ねばと かたつむりが いうのです。 ぼくは、かたつむりを ひろいあげて連れて行きました。「ひとりっていうけど、きみは つれていって いいってことだよね。きみは 一匹だもの」 地図の示すまま 坂道を 地図の記すまま 下り坂を 急なカーブを 息が切れて なぜか涙がでました。涙じゃなあないやいと思いました。涙か汗かわからなくなりました。 空気がいつもより ねばねばしていて ここは ぼくのしらない町だから涙がでるんじゃあなくて すこしも こわくはないと思いました。 ずっと行くと 宝の近くだとおもえるところに 大きなとびらがありました。 あけようとおもいましたが 鍵がかかっていました。 僕はあわてて、鍵を探しました。 とびらの横、 木のかげ なかなか 見つかりません。 ポケットにいた かたつむりが もぞもぞするので放してやりました。角を静からに ゆらせながら  とうめいな道を かたつむりは作ります。 ぼくは かたつむりって なんて 綺麗なんだろうと 思いました。 良く観ると この扉は なんて綺麗なんだろう 良く観ると この木のかげは なんて綺麗なんだろう 朝露がひかっています ぼくはどうやら 夜通し歩いていたようです。 扉のまわりの花々が朝露をうけて 咲き始めました。 花の咲く 速度が なんというか ゆるぎがないのです。 耳をすましてみると しゃらりしゃらりと ガラスののような音がします。 女の人がちがついていて「綺麗でしょ ダイヤの成るお花ですよ。 それが欲しいのなら 私といっしょに暮らしましょう。あなたの欲しいものは なんでも家来が探してくれることでしょう」 女の人の後ろで扉が開いていました。この女の人は 扉の向こうから来たのだと解りました。 僕は ダイヤの成るお花を まじまじと見ていると なにやら 怖い気がしました。ほんとうのお花のように萎えても やわらかいもののほうが 花らしいと思いました。 女の人に言いました。 「僕は 家来はほしくありません。ダイヤの成るお花は   僕にはどこか怖いのです。」 女の人は だまったまま 何時間かたったでしょう。 おひさまが より 一層 あがります。 女の人は 静かです。 かたつむりが 女神像の背中を這いました。かたつむりは女神像の肩とおしりを 同時に ねばねばと照らします。こんなちいさな像にも 望みがあるのだと知りました。 女の人に朝日が あたりました。女の人は 左手を しずかに天を指差し 「自由こそ 命。ヘブンブルー!」と言いました。天に突き上げられた左手のテッペンに朝日があたると 女の人の周りに とうめいな ぷにぷにとした巨大な朝露のような ものがとりかこみました。 「もういちど いいます。さあ この手を おとりっ!」そういって右手をぼくに差し出しました。 ぼくは ただ 綺麗すぎて ふるえてしまい でも綺麗すぎて てをのばして一度はそその手をつかもうとしたけれど ひっこめて身をすくませて硬く目を閉じてしまいました。 おそるおそる目をあけると、 そこには一体の女神像が立っているのでした。ただ 像は ぼくの両手におさまるほど ちいさな像なのです。女神像は 両手で石でできた鳥の巣を抱えていました。この人は いつも 石でできた卵を あたためてきたのだなあ。いつもいつも飛ばせたいと思いつづけてきたのだなあ。どんな ちいさなものにも望みはあるのだなあと 思いました。 ---------------------------- [自由詩]そうさ 世界は 美しい。/るるりら[2010年8月10日9時06分] たとえば、わたしは、とても広い大地に立っている。 大自然が 与えた ゆたかな大地。 わたしは、太陽を正面に見据えている。 わたしの 後ろには影ができている。 太陽がまぶしいぶん、影は 麗しい。 麗しいから追いかける。 その影を手に入れようと思って、一生懸命 影を追いかけるから 影はどんどん逃げてゆく 逃げられるから さらに追いかける 追いかけまわすから 光には 出会わない 影を手に入れようとすることだけを やめれば いいのさ 明るい方に目を向けるだけのことさ たとえば、不穏なヤツが 我が家の近辺を徘徊している 生温かい 生活の翳を嗅いでいる たとえば、戦争 膨大な誹謗中傷にであう  悲鳴が ことばでは なくなっている 戦争は いまもどこかで行なわれている わたしをあなたを 全否定する奴がいる それでも 世界は美しい。 NO!とさえ、言えば。 NO!と ともに声をあわすことさえできるなら なにか ほんの ちいさな美しさを みつけることができるなら 人は、美しい。 そうさ 世界は美しい。 ---------------------------- [携帯写真+詩]くちなしの実/るるりら[2010年10月12日13時26分] 【くちなしの実】 夏のわたしの 誕生日、その朝 発した言葉は おはようでも こんにちわでもなく 「くちなし」 だった   喋れなくなるほどに 薫る高貴な色彩の白 雫を讃える 光沢の葉 くちなしという名前の花 秋のあなたの 誕生日、その夕暮れ 一日の終わりの言葉は おめでとうでも おやすみでもなかった 雑踏に揉まれましたか どんな思いですごしましたか 聞きたいことはたくさんあるけど なにも聞かずにお菓子を作ります わたしが うまれたとき 白いくちなしが咲いていたそうよ あなたが うまれた日は 栗のお菓子をつくりましょうね すこしだけ くちなしの実を入れると  わきあがるのは 喜びを讃える 黄金色 あなたが笑えば 世界が笑いだす ---------------------------- [自由詩]揺れる なまざし/るるりら[2010年12月31日19時19分] 今日の太陽は 虹色 うろこ雲の間から のぞいた その光は  魚のような潤いで太陽の位置周辺に 虹の同心円が見える いきもののような 空だ 太陽は 天海を漂っては いない ああやって 太陽は 空の一部で 私を見ている やさしい まなざし 初日の出は 一年に ひとつしか あがらないとは 限らない あの年の日の出は あの人と私には ふたつあった ふたりで暮らしていた おそろしく古いアパートは 煙突ストーブが利用されていた時代からの代物で 時計の隣には 時計と同じ大きさの 煙突穴が空いていて ふたりには 塞ぐ時間もなかった おかげで 雪や雨も ときどき部屋に入った エアコンもファンヒーターも あまり関係なくて わたしたちは 夜毎に おたがいをあたためた たいがいのことが まっいっか で すんでゆく 壁に穴があいてるけど ま いいっか 寝る暇もないほど 働いているけれど ま いっか あの部屋の日の出は ふたつあった 煙突穴の中に 光が入ると 壁に まさしく太陽が昇るかのように 丸い光が投影される ほぼ煙突穴サイズの太陽が上る 本物の初日の出は 壁の向こうの穴の向いた方角にあるはず ま いっか 偽者の太陽に ふたりは  布団の中で手を合わせた ふたりは あたためながら ふたりがふたりであることは幻想で ほんとうは たしかに ひとりだと感じた ほんとうの太陽は 寒風の中だろうけど ふたりの布団の外も 外気と違いがなかった ふたりで 壁に映った太陽を 拝んだ 今日は あの日の太陽と 目が合った 今日は虹色だ 魚の目みたいな顔した 太陽だ 太陽が虹色なまま  あ ゆれた ウインクだ さては あのときの 太陽だな 恥ずかしい ---------------------------- [自由詩]月極姫/るるりら[2011年1月14日11時39分] 山間から 金属的な反響音が聞こえる ブランコのきしみのような音だが大きすぎる音だ 山に反響し どこから 背後から聞こえる気もするし 前方から聞こえる気もする 川岸に下りると クレーンが揺れている この音かもしれないし はるか山から聞こえる気もする この私の町も もはや月極だ 月の者と名乗る連中に占拠されて ひさしい 月極め駐車場が まず かれらに占拠された いまでは 町のあちこちで 金属的な不協和音が聞こえる 人間は 同じということを基本に生きてきた種族だ 人間ではない彼らには 同じということが 解らない 共食いもするし 教育もしない 体に脳はひとつじゃない クレーンが故障し 彼らのひとりの 真上に落ちた   体は まっぷたつ にも関わらず 我感ぜずという様子で 彼は頭は頭で動いていたし 胴体は胴体で 足は足で勝手に動いていた  頭だけの ヤツが精密機械は自在にあやつる 月極姫は そんな彼らのリーダーだ かぐや姫のように美しい  透き通る肌 潤いのある瞳 つややかな髪 姫をひとめみた人間は 男であれ 女であれ 惚れっちまう 失神シチマイソウダ 会いたしいよ 狂おしい なんでもいいから捧げたい でも姫は、今日も ショッカーのみなさまが  ショッカーのみなさまの用意したものしか食べない 姫の美しさったら ない そして 姫はいつも 僕らに言うんだ 「あなたがたとは わたしは ちがうのです」 この町は 月極 死のような恋の町 あいしてる ---------------------------- [携帯写真+詩]もうすぐ 節分どすなあ/るるりら[2011年1月30日13時37分] いやあ おにィさん  真っ赤にならはりまして うぶどすなあ 世間の風あたり冷とうおますので この密通がばれたら また おまめさんを なげられますなあ 先日 おにィさんが わてに おしえてくれはったことどすけど あれも秘密どすえ 島根県がどこにあるんかを おにィさんが ご存知ないという話ですがな。 なんでも 島根の おひとたちが知名度日本で47番目に有名な県とか ご自分で言うてはるそうどすけど おにぃさんも 島根って どこなんか ご存知ないちゅう話ですがな。 実はな 出雲には 年に一度 神さんたちが集結しはりますのんや。 せやから おにぃさんには ぱれように 神さんたちがされとったんどす それを おにぃさんが 知ってはることが世間の方もおしりになったら どうなりますのんや わてたちが 仲がいいことが ばれたら あかんと  いけんくらい危険なことどす こわいわあ わて 神さんの居場所がのうなりますわ あんな 島根は日本海側に あるんどすっ♪  ---------------------------- [自由詩]そらおそろしい/るるりら[2011年2月23日16時36分] さかあがりが できないころ さかあがりのあいまに けんかした さかあがりのあいまに 学校へ 行った おまえんちの家の前の空き地に むかし なまくびが ならべられとったんど じゃけえ おまえんち のろわれとるんじゃ けけけ さかあがりのできない日の そらは とびぬけて おそろしい 殺風景という字みたいに おそろしい さかあがりのできた日 ころすふうけいの空き地や そらを 世界を ぐるんぐるんなんどもまわした いまでも わたしは あんなふうに まわしたい 嫌なことをいう子のことも 好きじゃったから ああ そら おそろしいほど 晴れてる ---------------------------- [自由詩]夜明けの鐘/るるりら[2011年3月14日6時51分] わたしたちは はじめなければ いけません これほどまでとは だれもが目を覆います しかし いつもおそれていたことか おきました 鐘をならすのは  だれでもない ひとりひとり はじめから はじめるときが やってきました ---------------------------- [自由詩]鳥の二足歩行/るるりら[2011年3月16日10時42分] すこしでも 勾配のある坂は 極端に あなたの足は遅くなる だからわたしは すこしの斜度の上り坂で  こころが どこかに 泳ぎだす うっかりすると 勾配がつづきすぎていて 極端に あなたの息は早くなる だから わたしは あなたの呼吸を数えだす わたしの呼吸でなく あなたの呼吸のテンポにしてみると また 私の心が泳ぎ始める わたしは 自分の足で歩くときより あなたの呼吸で あるいているときのほうが 空の鳥と 心が通う ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]今こそ、詩を書こう。/るるりら[2011年4月12日10時10分] きのう 被災地の蔵人さんの作ったお酒が とどいて 嬉しかった。タイミング 良すぎで届いたので、涙が ちょちょぎれたくらいに嬉しかった。ネット家計簿ソフトを開くと、被災地にできることが何か解らない、 お花見もしたほうがいいが、気がひけるというカキコミがあった。ぉおそうだそうだ。このお酒のことを教えて差し上げようと 思ったら、もう は完売になっていた。みずからの復興のきざしがあるところなら なおさら お金は 自立にとって 必要なことだと思う。 4/11に、選挙の結果が発表された。広島に 新しい市長が生まれた。それをうけて地元誌の中国新聞に 広島市で初めて公選市長になった 浜井信三という方の自伝「原爆市長」という本が紹介されていた。 「こうなったら全力をふりしぼってやらねばならぬ。」その一方で、「行く手に たちふさがる山を前に、途方にくれる 思いであった」と書かれているらしい。 今では、すべての瓦礫が整理され 以前にあった 多くの町の名前ごとなくなった地域もある。しかし、広島は復興した。当時 原爆市長が口にしていたことは、「お知恵を拝借したい。援けてほしい。広島市は復興したくても、金がなくて復興できないのだ。政府も思わしい補助をしてくれない。」ということも本に書かれているらしい。やっぱり、お金なんだと 思う。 わたしは、広島の被爆なんかより はるかに広陵な地帯が 日本において瓦礫の山になっているこの震災を どう見つめていけばいいのかも わからないまま いまもいるけれど、まだ 先は見えていないらしい。今必要なことは何か。それは お金なんだと思う。 原爆とこの災害の違いは あたりまえのことだけど戦争ではないということ。戦争ではないので みんな 言いたいことを言う自由がある。情報は 氾濫。誹謗中傷なんでもござれ。戦争だったら、憤りの矛先は情報が偏っていたせいで、差別にベクトルが集まるような悲しいこともあったらしい。でも いまの憤りの矛先は、いったい どっちにむいているのかも解かりもしない。一番 怖いのは、憤りの矛先を自分自身もっていってしまうケースが増えてはいないかなと思う。 被災地にいらっしゃる方のお気持ちを 汲むことを促すために多くの情報が流れている。行き場のない憤りが いろんなところに 表れている。 米テロ911のとき トップがくりかえし 訴えたことは「いつもと 同じ暮らしに とつめましよう」と繰り返したらしい。 しかし今回の災害でも 平常心であるべきだという人がいなかったわけではないと 思うけれど、実際には恐怖心から、不必要なものまで 買いだめをして 冷静でなかった自分に後になって後悔したりする人も多くいらしたらしい。 いつもと同じ暮らしをすることよりも 大切なことがある気がする。買いだめをした人は いつもの暮らしがしたかっただけだ。だけど、もっと大切なのは、情報に勝つことのような気がする。情報を自分の中にとりこんで、なおかつ自分を壊さずに 行動できる自分になることだと思う。それには、どうあるべきか。 みんな すべての人が いまこそ。詩を書けばいいと思う。 自分の言いたいことを できるだけ本心からのコトバを まずは出すことだと思う。ただ出すだけでは 終わらず、題をつけ。ひとつの思いとして 形にし、自分がその詩の良き読者になることじゃあなかいなあ。 ヨガの教室で ダイビングの経験もある先生が言っておられたことなのだど、人間は ほっておいたら なんでも心や体に貯めようとするそうだ。溺れる人は、空気を吐くことを忘れるそうだ。自分の中にあるものを 正しく吐こうとするなら、正しく情報も きっと入ってくる。心に泥が詰まっていたら、入ってくるものも 入ってこようにも 入る場所はない。 だから 詩を 書こう。いまこそ、詩を書こう。詩を楽しむ心をもって 生きることを尊び、お酒の飲める人は飲もう。コトバでないほうが自分が出せる人は メロディを奏でよう。絵のほうが 表現になる人は、絵を書こう。 でも、やっぱり詩は 道具がすくなくてもできる。だから 詩は 良いと思う。 ---------------------------- [自由詩]あまがみ/るるりら[2011年4月25日10時51分] 開け放たれた 窓を 飛び出せば どれみふあ空のかなたどちらさまでしょうか わすれがたみということの わずかないたみを もつものです 聞きかじりのリアリティに 意義をとなえる あたしと 鳥は 青いです あの人の みみたぶを あまがみしたいけれど 音楽が あたしのみみを あまがみするから みみたぶ 熱いです こんなふうには あなたのみみを かじれない 音楽みたいに あなたの両みみを あまがみしたい かたほうの耳では、嫌なの あたし 空のからっぽに なにが混じっているか 青空か夕焼けか どちらにしろ からっぽ あたしの 父は ちきゅうよ あたしの 母は はいいろよ 空の純度より その空に飛ばせて ぴぃちく ぱーちく 歌いたい 青い鳥と あたしは つかまえようとしたらダメなの あたしね あなたの 両のみみを あまがみしたい ---------------------------- [自由詩]変態の季節/るるりら[2011年5月12日9時18分] さがしています わかりやすい たいど わかりやすい ことば 澤にいたのでしょうか 青筋アゲハが よこぎります そんなはずはないのに 蝶番のように 澤の景色が見えました 転校生の私に そっとさしだされた一冊のノート 【転校生Aとアゲハ探索日記】 そこには アゲハの目撃情報と同じ 時系列に わたしの行動パターンも しめされていて 白い最後のページまで 読んだとき わたしは、 空は広いんだなあと 澤の匂いがします 青筋アゲハとは ともだちです ---------------------------- [自由詩]ひとでなしという 素敵な言葉/るるりら[2011年5月25日8時03分] 川原で 宮川大助師匠のような顔をした生き物を見た って 言って良いのは 花子師匠だけかもしれないけれど ずんぐりむっくりとしたケモノだった 大きさは 犬と猫の中間くらい 川原を まんまるな物体が のっそのっそと移動する 茶色の毛皮 ホースのような尻尾をひきづりながら 耳は短い おおきさに目を奪われるけれど、全体のシルエットだけを見ると ネズミのような だけれど お顔は大助師匠 タクシーに乗り運転手さんに問うてみる しずかだった運転手さんの意気があがる みんな人の世界のことだけを思っていたのじゃあなかったんだね 嬉しくなる 「テレビでも観たんですけど、どうも最初は 食料として連れてこられて 飼われていたものの 捨てられたんじゃあないかって言ってましたよ」 どうみても 鈍重な動き、あの子は食料だったのか うららかな 喰い詰めものの最期の場所 君自身の食べるモノは ちゃんと あるのか 恋人や家族は居そうにない 君に名前をつけた なえぽよちゃん 君の名は 今日から なえぽよちゃんにしてあげるよ   なえぽよちゃん 今日は いい天気だよ 錦鯉も泳いでいるし おともだちになってもらいなよ 人にやさしいね きみ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ---2011/06/02 14:26追記--- ※なえぽよちゃんの本当の名前が わかりました。 どうやら、ヌートリアという生き物のようです。昔は毛皮として世界各国で飼育されており、日本でも戦時中は、飼育されていたようです。獰猛な生き物ではなさそうだと私も観察して感じていたことは 事実だったようです。ホテイアオイなどを食べる草食性のようです。  タクシーの運転手さんは、食料としていたと言っていましたが、それは事実かどうかは解りませんでした。  しかし、なえぽよちゃんは、私が考えた以上に 人とはどういう生き物であるかを 私に示唆させてくれました。  戦時中の なえぽよちゃんの祖先は軍隊の「勝利」にかけて「沼狸」(しょうり)と呼ばれ、1944年ごろには、日本全国で4万頭が飼育 されていたのです。 獰猛さの微塵も感じさせない 風貌の生き物を、私たち 日本人は「しょうり」と呼んでいたのです。 ヌートリアは外来の生物であり、現在では既存の日本の生物の生態系を、おびやかしているとして、駆除なども検討されることもしばしばあるなか、なえぼよちゃんたちは ほそぼそと 生き抜いているようです。 ※なえぼよちゃんの本当の名前について、おしえてくださった方に 深い感謝をささげます。ありがとうございました。 ---2011/06/02 14:26追記--- ---------------------------- [自由詩]昼夜を問わず/るるりら[2011年5月27日18時56分] 三時草の おばちゃん とは 三時草を 私にくれた人のことだ 三時草は おひさまが三時の高さにあるときだけ咲く だから さんじそう 三時草の花が 三時草に咲くためには 三時草による たゆまぬ おひさまに対する洞察があるはずだ だから 三時に咲くことができる 三時草が昼夜を問わず 三時草のいとなみをしている間 三時どころか四時になろうとも おひさまおちて  三時になろうとも 呪いにかけられたかのように 惰性や団結と ともに戦う人にも おやすみ時間があると いい 立ちどまり 耳を澄まし 昼夜のない世界の宇宙から帰還し ささやかな こもれびにであうと いい 三時草の おばちゃんは どうやら 飴ちゃんを配りたがっている 目立たないように 付箋をのぞきみると 「お花し しませんか」そして お花の絵 おばちゃんのかばんのなかは 飴ちゃんが 星の数ほど 入っている ---------------------------- 即興ゴルコンダ参加作品。 ---------------------------- [自由詩]潮/るるりら[2011年6月28日21時13分] 潮 明るすぎる崖 やけに落ち着いた たたずまいで立つ 青すぎる空が 海の照り返しで 光が私に立ち上ってくる 憎悪 わたしの憎悪 おもいだせない 憎悪から ここまできたのに 私は 何を憎んでいたのか それが わたしを ここに 運んだ 紺碧の海が光る場所 この崖の高さに似合うほどの落胆は わたしには ない 波が洗う 潮に夕日が 近づく 生き物の匂いがする ---------------------------- [自由詩]燐光/るるりら[2011年6月30日1時56分] わたしは、思い出す。 緑青色に変化する刹那に わたしは、思い出す。 貴賎の値札を貼らないと不安な人々が まだ陽気だったころ 西欧の文化道理の規範と日本とは別であったころ 学問のすすめを 促したことを わたしは思い出す。 腐敗しないスピリッツ 人々は わたし福澤諭吉を貨幣とした。 死しても わたしの肉体は腐らなかった わたしの内部の脂肪が変性し わたしの体が蝋状になった 死しても わたしは思惟し 繁栄を構築し 死しても豊かさを実現し 死しても わたしは まるで永久の人でもあるかのようだ 【ここから 出たい】 念ずれば動くものだ。扉が 青銅の扉が 嗚呼 開いてゆく、わたしは また新たに なる 命よ 「見込みあればこれを試みざるべからず。  未だ試みずして先ずその成否を疑う者は、  これを勇者というべからず」 命よ  青銅の扉の隙間から見えるあの光は なんだ  蛍か   光は呼応しあい 波うつ  扉の両縁からみると両岸によりそう 蛍のようだ  あれらは だれの思いだ 命よ  扉があけはなたれた  地下水に溶けた銅に浸された わたしの肉体に 光が差し込む  放埓な光が   わたしの表層から剥がれ 舞う  自由だ  鱗のような 光が わたしから 剥がれ  蛍のように飛び  放埓に人々の元に急ぐ  わたしが放たれてゆく      わたしは 学んだ  結局 私は貨幣とか呼ばれているようになった わたしとて  わたしとて 人が恋しい  わたしは、思い出す。  わたしの体が緑青色に変化する刹那に  燐光よ わたしの命よ  わたしは 人が愛おしい    謳歌しておくれ すべての命よ  私の燐光よ  わたしは錠の中では居られない    触れられぬ人を永遠には抱けない   放埓な自由経済よ  人のために 生きよ   西暦1977年 福澤諭吉の棺を開けたところ、 諭吉の棺は、その地下水に洗われるような状態に在り、 諭吉は、着物を着て帯びをしめたまま胸の上で手を重ねて仰向けに地下水に浸ったまま横たわっていた。地上に引き上げられると遺体は大気に触れることによって緑色に変わった。棺が 開封され 諭吉が火葬として改めて 荼毘に ふされた直後のことだ あの バブル時期が到来するのは ---------------------------- [自由詩]1/2/るるりら[2011年7月4日9時37分] わたしのなまえは ゆきえです わたしは夏にうまれた ゆきえです 夏にうまれたのに ゆきえなのです 幸せと言う字に 恵まれたと書きます わたしの半分は 冬にある  そんなことを おもわせる響きです 対峙する二極の 夏と冬 対峙する二極の 昼と夜 対峙する二極の 男と女 双方が双方を思い かるいキスをする そんなことを思うと 絹のような雨がふります 幸せという字は 綺麗です 左右の上下のバランスのとれた形です おもいあまって 対峙する二極が大雨をふらせたとしても 幸せという字は祈りです 対峙するすべての二極 そのバランスへの祈りです ---------------------------- [自由詩]夏の うてな/るるりら[2011年7月9日8時37分]  夏の うてな カーテンから光がもれていて うごいている ほこりを 照らして きれいだ 光は直線だけど まっすぐなだけではね いつまでも 寝てないで ぎょうずいでもしんさい ぎょうずい しらんの? たらいに 水いれて 水を あびるそどな たらい を しらんの たらい いうたら うちにも 銀色のおおきなのが  そうそう それが た ら い 水をはると 銀に水がゆれて 天井にも 光がゆれて 学研のおまけでつくった プリズムと同じだった プリズムしらんの? 三角のおまけがきとったでしよう それの角度が丁度いいと 虹ができるんよ それが プ リ ズ ム たらいを知らん うちと プリズムを知らん 婆ちゃん 胸がふくらみはじめたことは すてきなことなのかどうか ふしぎなきもちがする たらいで おんなの人もお外で ぎょうずいしてたらしい それって どんな 気持ちなんだろ 雑誌で幸せボクロ っていうのを見つけた のどぼとけのちょっと下にある ほくろのことを そういうらしい プリズムの虹も なんだか そんな風じゃったな ちくびと ちくびと のどぼとけを 結ぶと三角 幸せボクロの色が 濃くなってるみたいなんが 嬉しい じゃけど むかしの人は 銀の たらいで もっと 豪儀な 虹をつくりながら ぎようずい しとったんじゃろうか 婆ちゃんの お胸は しおしおしとるけど 虹を 見とられたんかな お外で ---------------------------- [自由詩]【批評祭遅刻作品】自分の体臭で書かれた詩/るるりら[2011年7月12日9時40分] 道を歩くと つい最近まで、卯の花や すいかづらの匂いがしていたけれど、季節は進み 香の蒸散するスピードも早くなり、このごろでは すっかり緑の陰ばかり探してしまいます。神社の石段下っていると 眼下に鳥居が見えました。なにげに 鳥居のほうに 手をかざすと わたしの手首には 広島市があるなあと たわいもなく 思いました。静脈が広島の川にみえたのです。静脈と腱に囲まれたデルタのような部位は、現在では名前ごと 融けてしまった 中島町だなあと。 そして、身体に怪我がなくても 自らの血の匂いのことを 知っていることを 思いました。1945年のあの日から廣島はヒロシマになりました。ヒロシマでは、それはそれは多くの酷な話が語り継がれてきました。  呼びかけ 峠 三吉 作 いまからでもおそくはない あなたのほんとうの力をふるい起こすのは おそくはない あの日、網膜を灼く閃光につらぬかれた心の傷手から したたりやまぬ涙をあなたがもつなら いまもその裂目から、どくどくと戦争を呪う血膿をしたたらせる ひろしまの体臭をあなたがもつなら 焔の迫ったおも屋の下から 両手を出してもがく妹を捨て 焦げた衣服のきれはしで恥部をおおうこともなく 赤むけの両腕をむねにたらし 火をふくんだ裸足でよろよろと 照り返す瓦礫の沙漠を なぐさめられることのない旅にさまよい出た ほんとうのあなたが その異形の腕をたかくさしのべ おなじ多くの腕とともに また堕ちかかろうとする 呪いの太陽を支えるのは いまからでも おそくはない 戦争を厭いながらたたずむ すべての優しい人々の涙腺を 死の烙印をせおうあなたの背中で塞ぎ おずおずとたれたその手を あなたの赤むけの両掌で しっかりと握りあわせるのは さあ いまでもおそくはない ---------------------------- わたしの父と弟は かつて原発で働いておりました。 わたしは核の恐ろしさを教育されて育ちましたが  わたしの家族は稼動する核に近いところに 居た時期がある訳です。 しかし、その父も弟もそして祖父も ある年に なぜだか同時に亡くなりました。父は癌、弟は 熱中症、祖父は老衰。家族が同時に亡くなったことで、戦争というものが 以前より すこしは解ったような気がしていました。けれど、それも 甘かった。 わたしたちは、感じたらとらなければいけないことがあるのに 感じ取ることができなくなってはいないでしょうか? ネットの世界では、相手の姿が見えないことをよいことに ときに罵詈に際限がなくなることがあります。あれは人々の憎くとも本音でしょう。しかし、私はテレビをつけて ハエと格闘しておられる被災地の方の姿を見させていただいて、ふと思ったのです。 匂いがない、と。ネットの伝達でおなわれるすべてのこと、それから画像や動画で伝達できかねること。それは、匂いです。自由闊達に心をつむぎ合っていますが、わたしたちの言葉には匂いが 欠けがちです。 真空パックされた食品のように 人々は匂いのない文字を組み立てていることが多いと 感じました。  ひろしまの体臭を持つ人の話に なんとか耳を傾ける手段はないものかと思います。それはとても必要な気がします。呪いの太陽は、メルトダウンしました。昨日は震災から四ヶ月が過ぎました。わたしは、今 福島を思わずにはいられません。 ヒロシマナガサキには内部被曝という概念がありませんでした。広島では 植物が育たないといわれていました。それだけに、芽吹いてくれたものに感謝し、がっしがっしと 喰らいついてきました。広島には広島の体臭があった。この峠 三吉 の一遍の詩なら 福島に寄り添える気がします。 呪いの太陽は、メルトダウンしたとしても わたしたちは、終わってないです。 わたしたちは、いまからでも おそくはないです。 自らの心に問い、ほんとうの言葉を さがしましよう。 ---------------------------- [自由詩]いま まさに/るるりら[2011年7月15日20時45分] 新聞によると、都会では 妖怪やむなし が 多く 出回っているそうだ このあたりでも 妖怪いけしゃーしゃー が、つぶなら瞳を ぎらつかせている だが、挨拶をかわせるのは なんか妖怪とだけだ 田舎道を歩いてると 突然 はなしかけられた 「 ピープル 」ひとりであるいていても 人類とおっしゃる どうやら、今日の なんか妖怪は 鳶に化けているらしい 蛙たちが、なんか妖怪を崇め 叫ぶ wing it ぬかるみから 叫ぶ wing it 地にあっても あなたさまの知恵を聴くことができます wing it wing itとは 蛙の言葉で 「愛してます。」と、いう意味だ wing it wing it wing it  もう すでに 大音量だ 山が震えている そして 大声援を翼に受けた なんか妖怪は おおきく旋回し 青い空のかなた すっかり 遠くて見えない けれど わたしには やるべきことが見えてきた ---------------------------- [自由詩]心星/るるりら[2011年7月21日9時16分] 風は ふいに吹いて 窓を叩く 黒板の向こうに 鯨がゆく 地学の時間のあくびと 古生代 わたしが 海から来たのなら うたたねで見た あの鯨は 真実、わたしの古い友人だ だれかが私を呼んでいる たしか寝ぼけているのだけど 声が聞こる 【おいで  わたしは、闇だよ。やみくもに闇さ もっと深くへ 】 わかってる あれは私の本心 なんどもなんども 聞き飽きた 天体の時間 星は またたくまに はやく回り 一点だけ止まっている 歴史の時間 人々に賞賛された歌の数々 時代を超えた おおらかな友好  僕の心は闇だとしても 光をみた人の影を追える そうおもうと、 またたくまに ひとつ星を中心に 雑多なものが 攪拌し 分散していった 霧が晴れてゆく さあ 旅だちは近い 鯨のように 彷徨えば、歌は星の歌 ★即興ゴルコンダ参加作品 お題は小原 明季さん  「しんぼし」北極星の和名とのことです。 http://poenique.jp/cgi-bin/h5d88sf_4s44ds/cbbs.cgi?mode=one&namber=40378&type=0&space=0&no= ---------------------------- [自由詩]虹に向かう力/るるりら[2011年8月5日13時39分] 虹が美しいのは 雨のあとだから 虹が美しいのは 光の さしこみ すると 虹に向かう力は その盾は どちらさまの しわざなの? 広島はいつも晴れ 八月六日は なぜか いつも晴れ なぜか 雨が降らない みんな伏して 祈る 祈りは虹を呼んでいる この日をお墓参りの日に決めている そんな人の背中 暑かったでしょうと 墓石に水をかける そんな人の背中 あのとき どこにいたかで 相手の話がとぎれとぎれでも その人を推量しようとする そんな人々の背中 ああ わたしは そういう人々に 守られてきた あのことについて語らない無数の背中 あのことについて語ってくれた有数の背中 水を そんな背中に捧げます みなさんは 虹です  ただの光ではありません わたしは 水を捧げます 水を受けて さらに光る わたしたちの盾 ---------------------------- [自由詩]竜の匂い/るるりら[2011年8月17日10時10分] 回転鮨が回ります ひさしぶりです 回遊魚が回ります ななつの海を 回転鮨が回ります なまえを呼ぶと応えます 回遊魚が回ります 親潮黒潮リマン海流対馬海流 暖流寒流に抱かれて 回転鮨が回ります ちゅうしんに 愛をさけびながら 食べます 回遊魚が回ります 先日までいた出雲の孤島で蛸が異常に豊作で食べ過ぎましたが 回転鮨が回ります 今日は カウンターです 東北の魚もすこし入りました     回転鮨の 兄ちゃんは、元気です     世界の中心で魚の名前が飛び交います     世界一 の漁場 日本の中心 鮨屋の兄ちゃんは、元気です 韓国のゴミ 中国のゴミ オホーツクのゴミ すべてが ここにはたどりつくこの国は 大陸と くっついたりはなれたり すべてが ここにはたどりつくいつも揺らいでいる国です 魚たちの伝説では この国は竜なんです この国は すなわち竜なんです すべての魚の創造主です    揺らぎのたびに 竜が生命を産み落とす     出雲の孤島で 砂にぬれたフィンをみました    魚のような泳ぎの青年は 海の中では 鳥です    ぬれたフィンを いつまでも 眺めていたかった    竜の匂いがしたんです        クーラーの店内にいても忘れません あれは竜    蛸が豊作だったことナマコが豊作だったこと    あれは、きっと竜の仕業です         ---------------------------- [自由詩]瑪瑙の島/るるりら[2011年8月20日11時53分] それは 透明な砂だった すこし おおきな石は ふたつあわせて叩くと 火花が散った そんな 透明な砂の上に あなたの フィンがあった 瑠璃の穴を飛ぶ鳥のように 泳いだ証の あなたのフィンは わたしには巨大な柩のような深い淵の匂いがする これまで 観たことのない獲物の不思議を あなたは 話す 透明な砂の上に座り 透明の重なりのせいで  ここでは だれもが青い人になり 遠い 遠い 遠い淵のような洞察で 隣の人を抱きしめたいと 思うのでした ---------------------------- (ファイルの終わり)