まーつん 2014年9月10日23時22分から2020年8月10日11時05分まで ---------------------------- [自由詩]お日さまの絵/まーつん[2014年9月10日23時22分]  真っ白な紙を見て  僕は、こう考える  ここでは、  何にでもなれる  どんな事でも出来る  どんな世界にも行ける  なにかを  創造するということ  言葉を通じて  それが  僕にとって  ものを書く価値の  総てだった  この手に握った  インク滴る、ペン先は  現実の惨めさを  忘れさせるために  心に打つ麻薬を仕込んだ  注射針のようなもの  それは  嘘を吐くことなのか  現実からの逃避なのか  自分を偽り、他人を騙す  ということなのか  多分、すべて  その通りだろう  だがそれは、同時に、  夢を見るという  ことでもある  詩と、物語の違いとは  そんなところに  あるのかもしれない  架空の出来事を綴る詩もあるが  そこに込められているのは  あくまでも書き手の  心象風景  人は  自分に無いものを  差し出すことはできない  ただ他人は、  誰かの見る夢を  直に目にすることが  出来ないから  夢見る言葉をあざ笑う  空手形を前にした  債権者の様に  絵空事だと唾を吐く  その夢が  美しければ、  美しいほど、  嘘をつくなと  眉をひそめる  そう、確かに  この世界は  醜い時もある  私たちの  内面を映し出す  鏡のように  多くの場合  現実はみすぼらしい  だが、  言葉から始まる  行為があり  すべての言葉が  汚れている訳ではない  小さな希望の呟きが  心の汚れを落とすなら  その  細やかな行いが  現実を変えていくなら  美しい言葉が、あってもいい  まだ見ぬ世界を  描く言葉が  あってもいい  暗い部屋に灯す  明かりのように  …光の正体を   科学はまだ突き止めていない   それは重さも形もなく   ただ闇に隠されたものを   照らし出すだけ   理性では   捕まえられない存在が   この世界には   確かにあるのだ  今日、  僕は表で泣いた  だから、笑える詩を書こう  今日、  外は土砂降りだった  だから、お日さまの絵を描こう ---------------------------- [自由詩]洗濯物と秋の風/まーつん[2014年9月23日18時55分]  干しかけた洗濯物  風の一吹きに掬い上げられ  みんな地べたに、落ちちゃった  シャツにトランクス、靴下にパジャマ  着古した心から、思い出の沁みを洗い落として  まっさらに漂白したっていうのに、  これじゃ元の木阿弥だ  見上げれば、  日が高く天を焼き  蒼い秋空の素肌が光る  忙しない時の指先が  季節の衣を剥いたから  庭先に立つと  裸足を噛む芝草の感触  時計の振り子がくうを打つ音  遊び飽きた蝶が羽を畳んで  静けさを栞に挟み込む  拾い上げた白いシャツ  付いたばかりの汚れの下に  隠されたのは古い染み  落とし切れない薄紅色は  実らぬ恋をもぎ取って  齧った果肉から飛んだ汁  災い転じて福となす、か  古傷の痕を覆い隠した  新たな汚れに苦笑い  風の悪戯に感謝をこめて  おどけた仕草で敬礼しても  目覚めたばかりの秋空は  まだ、笑い返さない  まあ、  気を取り直して  新しい季節の始まりだ   ---------------------------- [自由詩]人間の完成/まーつん[2014年10月6日18時43分]  私たちが  自分を創り終えるのは  いつなのだろう  たとえば、  どこかの建物の一室で  最後の息を一つ吸い  そして、吐き  その胸の鼓動が  ついに沈黙する時  あなたはなにを  やり遂げるのだろう  肉体は生まれ、育ち  やがて散っていく  吹き込まれた息を  いつまでも、永遠に  離さない風船は無く  人の若さも、少しずつ  その身体から漏れ出ていく  限りある命の  傷つき易さを知った時  あなたは恐れを手に入れた  そう、  どんな大人も、一皮剥けば  かつては肌を刺す外気に怯えて  火が付いたように泣く  赤ん坊だった  そんな私たちの頭上で  時計の針は回り出し  その文字盤の目盛り一つ一つに  盛りつけられた豊かな時間を  永遠に等しい一瞬の集積を  少年や、少女となった  あなたは生きた  雨上がりの木の葉から  一つ、また一つと  滴り落ちる雫が  伸び盛りの下生えを育む  あなたにとっては  大きな遊び場だった筈の  この世界が  同じコースを回り続ける  競技トラックに変わったのは  いつの頃からだったろう  掴んでいた  玩具を投げ捨て  何かを追い始めた時  初めての疲れを味わい  微笑みを返さない顔に  出会ったあなたは  気持ちを隠す術を知り  無情の仮面を手に入れた  内と外、感情と体裁  乖離する自己は  二つに引き裂かれ  その耐え難い痛みに  あなたは反発し、抵抗した  周りの人々に牙を剥き  振り回す剣で威嚇し  切っ先が破いた  見せかけの垂れ幕  そこに描かれた  平和な世界は  子供騙しの絵に過ぎず  我に返ったあなたは  幕の向こうを覗き込み  物事の有りのままを見た  綺麗事では済まない、現実を  そして、  深く息を吸い込むと  影斜め射す大人の国へと  足を踏み入れていった  そこから先を  私は知らない  今はまだ  私たちは、なぜ  生きていくのだろう  こんなに苦しい思いをして  若き日に燃やした  情熱の残り火を  胸元に抱いて  闇の向こうに  隠された手がかりを  時節、照らし出しながら  出口を求めてさまよう  今の私も、その一人  そしてどこかに  あなたがいる  私たちを隔てるこの闇を  永遠に払ってくれる  そんな光は、ないのだろうか  懐旧は一時の慰め、  悦楽は総ての穴を埋めはせず  人はもっと永続的な輝きを探して  神の門を叩き、科学の生末を見守ってきた  そして  背後から響く  死の足音に怯え  ある者は耳を塞ぎ  ある者は耳を澄ませ  生に満ち足りる者ほど  還ってそれを冷静に見つめ  残された時を、懸命に生きた  生を浪費する者ほど  不思議にそれを恐れて逃げ  度々躓いては、生傷を負った  死への恐れを通じて  私たちは、誰かの痛みを  我がものとすることを学び  それを、共感と呼んだ  そうしてあなたの手は  どれだけ多くの人の  見えない傷を癒したろうか  あるいは己が内に  優しさを求めながら  見つからず悶々として  時々襲ってくる空しさに  生きる意味を問われ続けて  もどかしさに我を忘れて  そうしてあなたの声は  どれだけ多くの人に  見えない傷を残したろうか  誰かの胸に飛び込もうと  崖を這いあがり、谷を駆け下って  どれだけ多くの汗を、流したろうか  そうして  誰かの素肌に手が届いても  心にはなお隔たりがあり  絡み合う二つの体と  お互いの本当を  映さない瞳が  寂しい涙があった  私たちは皆  一滴の雫だ  それぞれが  雨の一粒となって  厚い雲から吐き出され  海の懐へと落ちていく  その孤独に震えて  宙に留まろうと  あがき、しかし否応なく  着水して、波紋を広げてゆく  そして、海とひとつになる  多分、それが生であり  死なのだろう  波立ちは一瞬  気が付けば、  あなたはいない  でも、その瞬間の  なんと豊かな  永遠だったことだろう  涙も汗も閉じ込めた  雫がひとつ、跡形もなく  水面にほどけて  それでも  海は穏やかなまま  何もなかったかの様に  あなたがいつか  去る時がきても  私はもう、  泣きはしない  己を抱きしめ、  空を見上げ  この身を雨に  濡らすだけ  あなたという  命の雨で  濡らすだけ  その恵みが  育む何かを  信じながら  瞼を閉じれば、  大地を埋め尽くしていく  新しい緑が見える  今、この瞬間にも  どこかで誰かが  死んでいく  遠い何処かで  身近な場所で  わたしはまた  さよならの手を振る  もう一人の、゛あなた゛に  さようなら  その身体が  包んでいた命は、  今、記憶となって  あなたを知る総ての人々の  心に溶け、一つとなった  広げた包みから  溢れ出る光よ  あなたは、  この世界からの  贈り物だった  それを  私たちは  ついに、  受け取ったのだ ---------------------------- [自由詩]凍らない水/まーつん[2015年1月25日9時26分]  移りゆく事象に  普遍性を見出そうと  あなたは時を凍らせた  記憶という名の冷却剤で  汗ばむ肌に下着を貼り付け  冷えた板張りの床の上  道に迷った子供となって  膝を抱えて座り込む  綴じた瞼の裏側に  愛しい誰かを閉じ込めて  窓から注ぐ朝の光も  カーテンを揺らす風の息吹も  意識の内から締め出せば  思い出の中から、  歳ふることなき美しさを湛えた顔が  永遠に溶けない微笑みを浮かべ  あなたを見詰め返してくる  でも、知っていますか  時は凍ることのない水  あなたにも、私にも  その流れを止められない  泳ぎ回る私たちは、いずれ  魚のように釣り上げられ  岸へと投げ出される  昨日も、明日もない世界に  時の流れの片隅にある  小さく隠れた吹き溜まりの中で  尾びれを打ち振ることも忘れ  ゆっくり、グルグルと  漂うだけのあなた  傍らに  寄り添っている私の姿に、  どうか、気付いてくれませんか    その瞼を開いて                                 2015.1.25 ---------------------------- [自由詩]勝利とは/まーつん[2015年9月22日23時07分] 力による勝利は、人間性の敗北だ ---------------------------- [自由詩]無知について/まーつん[2015年9月22日23時42分] 命をそまつに扱うのは、命の価値を知らないからだ。 それは、究極の無知だ。 ---------------------------- [自由詩]一欠けらのパズル/まーつん[2015年9月29日10時02分] 君は行ってしまった 一度背中に翼が生えたら 羽ばたかずにはおれない鳥のように 遠い所へと飛び立っていった きっと、その心は この地上に縛りつけておくには 余りにも自由すぎたのだろう 肉体は重しとなって 僕らを日常に引き止める そこに安らぎを見いだせる者もいれば ただ、息苦しさにあえぐだけの者もいる そう、君のように でも、どうして 命を投げ捨ててしまったんだい どうにもならないことで、 自分を責め続けていたのかい 君は、こう言っていたね 自分は間違った絵の中に迷いこんだ パズルの一かけらのようだと どこにも居場所がなく さ迷い歩いた挙げ句に やっと見つけた小さな隙間に 我が身を押し込もうとしても 何かが引っ掛かり、どこかが足りなくて どうしても、ぴったりと収まることができなかった 血を流しながらも 自分の形を変えようとして どれだけ苦しい思いをしてきただろう そんなあがきに疲れて 君は、とうとう この世界に背を向けてしまった でも、きっとどこかに 君という存在がなければ 決して完成しない 美しい絵があるはずなんだ ここよりも、ずっと 素晴らしい世界が ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]kさんのこと/まーつん[2016年2月3日11時59分] 今日は週一回の休日。家でまったりしながらこれを書いている。  今の職場には、Kさんという先輩がいる。  僕より二歳年上で、とても仕事ができる女性だ。  物流の現場では、日々クライアントからの指示で商品を出荷する。  だが商品の種類や数は流動的で、事前に予測しづらい。モノによっては千個以上の出荷があり、棚からピックし、各々を梱包しトラックのドライバーに渡す。この工程のそれぞれに、人員を適宜振り分け、全体の流れを指揮するということをKさんはやっていて、その立ち振る舞いはどこかサッカーの監督を思わせる風情がある。  彼女のやり方には、ただ指示するだけでなく、相手の健康状態や心の様子を気にかけて、励ましや叱咤を与える面もあり、朗らかな笑顔で緊張を和らげ、時に冗談も飛ばす。多くの意味で成熟した女性だと思う。  僕はこの人に片想いして一年ぐらいにはなるだろうか。  彼女はいつも僕に優しいわけではなく、かなりきつい言葉を投げることもある。正直Sだなと思うこともある。それほど部下としての僕が突っ込みどころ満載だからということもあるのだろうけど…。期待に応えたくて、もっと頑張ろうと思う半面、一人の女性への想いに振り回される自分が苛立たしくもある。ただ、いつも彼女のことばかり考えているわけでもない。    僕は音楽が好きで、趣味のギターに結構打ち込んでいる。演奏に手ごたえを感じたときは幸せな気分になれる。自分の幸せを異性との関係でなく、趣味や仕事に見いだせたらと思っている。人に弱みを見せたくないからだ。誰かに好かれたり嫌われたりすることに一喜一憂したくはない。だけど、なかなかそこまで強くなれない。どんなに音楽に没頭しても人恋しさが頭にちらつき、虚しさしか感じない時もある。  Kさんは既婚者で、僕としてはただ思い焦がれるだけで、どうしようもない。彼女が休憩時間にいつも僕の隣に座ってくれるという、それだけのことに喜んでいる青臭い自分がいる。この職場は重い荷物や大型車を扱う関係上、体育会系の男たちが多い。いつも時間に追われ、荒っぽい言葉が飛び交うこともある。小柄で細身な体の彼女が、そんな環境に少しもひるむことなく立ち回る様子を見ると、やっぱり尊敬してしまうのだ。いつもは憎まれ口をたたいてしまう僕ではあるが…。  ゛大人の女゛の多くがそうであるように、彼女も僕が寄せる好意を知ってか知らずか、いつも困ったような優しい笑みを浮かべて見つめ返してくるばかりで、胸の内を見せてくれはしない。僕自身ももう若いといえるような歳ではない。ここは職場なのだから、特定の異性に明確な拒絶も親しみも見せないのは当然だけど。  手の届かない相手なら、出会わないほうがよかった、と思うことはないだろうか? 僕は今そんな思いをかみしめている。 ---------------------------- [自由詩]命の航跡/まーつん[2016年8月31日19時49分]  深く蒼い秋空に  一筋、また一筋と  白い傷跡が  泡立ちながら引かれていく  暗い海溝にも似た  幾壽にも奥まる天蓋の懐  ある晴れた日、小高い丘に寝転がり  青草のにおいを味わいながら  私は、宇宙への入り口を見上げている    磨き上げられた  ガラスの球に  無数の爪痕が刻まれていく  それは、命の航跡  無垢な宝石だった星の表に  傷つけ、傷つきながら  生を演じていく魂たちの軌跡が残る  神の指先が  星/球を撫でる度に  その爪の尖りが、無垢な肌を  傷つけてしまうように  星は赤ん坊のように  与えられた運命の元で  傷つきながら成長していく  それを糧として大人になるか  痛みに耐えかねて、死を選ぶかは    痛みを与える私たち  生命の振る舞いに  人の営みに  かかっているのだ  無限に広がる空の大きさが  一粒の星の丸みとなって  この掌の内に  収まるとき  私は、ついに  愛の正体に触れたような気が  してくるのだ   ---------------------------- [自由詩]五線譜の海/まーつん[2017年7月7日0時52分] 静寂は海 途方に暮れた作曲家が ペンを投げだし 付く吐息 白紙の五線譜を 群れ成す音符が泳ぎゆく 虚しい幻 目を閉じて 内なる海を前に 立つ 足元に打ち寄せる 水の感触は 波立つ己の心の甘噛み 裸になって飛び込む 銀色の海に そんな風にして、 作曲家は、己の心に潜水し 魚の航跡に、旋律を読み取る 捕まえるのではない 釣り上げもしない 共に泳いでこそ… その行き先がわかる 色鮮やかな、サンゴ礁か 墓場のような、岩礁か 喜びや悲しみを宿した 震える音の塊は 求める居場所を忘れない くねる体の背や尻に ヒレを生やして 迷いもせずに 道を辿る… ---------------------------- [自由詩]閉じた貝と空気の接点/まーつん[2017年9月28日17時41分]   潮の満ち引きのような周期性を伴って、人々の感情が私の周りに波となって渦巻く。 例えるなら、私は砂浜に転がっている無数の二枚貝の一つだ。 灰色の雲の群れが、草を食む野生馬の群れのように、空の低い所にたむろしている。雲は景色に色を与える日光を遮り、人々は影となって紙でできた街をうろつく。心の滴がこぼれて広がる浸み。 蛇口の栓をひねっても鮮血しか出てこないので、私の喉は乾いている。コップは水切り棚のクロスの上で逆さのまま埃をかぶっている。キッチンの椅子に腰かけて波の音を聞いている。窓から注ぐ淡い光の向こうに海はないのに。 殻の中で夢を見る。 人の姿をかたどって夢の中に目覚め、小さな模様が無数に浮き沈みする壁紙を眺める。思い出すのは波、無数の小さな波が膨らんでは萎む海原の柔肌だ。母に抱かれてむずかる赤子のように、私は打ち寄せる波の上で震える。 いつか殻を開くとき…それは夢の終わり、死の始まりだ。 ---------------------------- [自由詩]僕は一枚の紙/まーつん[2017年10月22日22時01分] 僕は一枚の紙 美しい物語が綴られるはずだった紙 だのに、その表面は虚しい無地のまま 降り止まない雨に打たれて 溶けだしてる ある晴れた日、道行く人々が ふいに風に舞う紙に変わる そこに描かれた各々の生き様を 翼をもった者たちが拾い上げて読み上げる 地上には 沢山の紙が散らばる 読み上げられる無数の人生 それに耳を傾けるのは 雲の上に片肘をついて横たわる 眠たげな神様 彼がパン、と 両の掌を打ち合わせたとき 全ての命が終わり 舞い落ちる紙切れに姿を変えたのだ ---------------------------- [自由詩]空き缶の自画像/まーつん[2017年12月30日9時21分] 一人、 部屋にうずくまりながら 深い海溝に墜落していく そこには冷たい水のかわりに 闇だけがある 孤独、果てしない孤独 膨れ上がる世界と 縮んでいく自分 エゴに押し潰される自画像 酔いを誘う 黄金色の美酒を飲み干した後で 握りしめたアルミ缶のように くしゃくしゃになっていく私の顔を 包み込んでくれる掌がほしい 貴方の 柔らかい手が ---------------------------- [自由詩]人形だって泣けるんだ/まーつん[2018年1月3日21時38分] 沢山の偽物をつぎはぎして 自分という人形を作り上げた 糸と針で縫い合わせた、 建前と奇麗事のパッチワークを ああ、 何も変わっていない 疑いを知らない、無垢な心を この世界に差し出して 何度切り刻まれたことだろう それでも 受け入れられたくて 本心を隠して 偽りの笑顔、偽りの言葉 目をそらさずに鏡を見つめても 記憶に残るのは影絵のような、 漠とした印象だけ どこで誰といても自分だけが 別の星からやってきたような違和感 優越感と劣等感の間を ハムスターのようにせわしなく 行ったり来たりしている 落ち着きのない心 僕が持っている「本物」は唯一つだけ 形も色も重さもないけど 否定しようのない、 己の胸を内側から潰していくような この寂しさだけだ 生まれた時から 影のようにまとわり続けてきて 一度として振りほどけたことのない この悲しみだけ 優しい笑みを浮かべて 手を差し伸べてくる君が怖い 僕から奪わないで、 人のふりする偽物から 奪わないで、この寂しさを もしそれを失くしたら 自分の全てが嘘になってしまう 君に抱きしめられて その温もりに安らいでしまったら 僕という存在は、風に吹かれた霧のように 飛び散ってしまいそうだ 例えば、君の部屋の 箪笥の上に足を延ばして 腰かけている、あの古い人形 あれが僕 あの人形だって泣けるんだ 人に憧れている間だけは 本物の涙を流せる 僕が持っている ただ一つの本物 それは この寂しさだけ ---------------------------- [自由詩]千の色に染まる水/まーつん[2018年1月21日14時37分] 散らかった部屋を掃除したら 埃を被ったガラクタの下から 顔を出す思い出が一杯 浜辺に打ち上げられた ペットボトルの溺死体みたいに 塩辛い記憶を吐き出した 僕は年老いた若者 時の目を掠め忍び行く老人 自慢じゃないけど この狭い部屋の中で 広い世界を旅してきた ある日、窓の向こうを眺めていたら 雲の上に立つ神様が見えた 白いひげの老人のようにも 無邪気に笑う少女のようにも見えた 神様は 始まりの光をその指先で弾いた 光の破片は無数の色になって 薄暗くて汚いこの世界の あちこちに散らばった 千の色は覚えきれない その総てを、美しいとは言えない 僕もまた、自分の心の色に染まっていて だから、君のことを 好きになれるとは限らない 完全な愛を知るのは 完全な透明だけ 総ての色を受け入れられるのは 色を持たない透明さだけ なにものにも染まらない水が 紅い怒りに蒸発し、蒼い冷静さに凍り、 黒い絶望と白い救いの間を 流れ落ちたり、遡ったりして 小さな滴の一つ一つに分かれながら 各々の色を見つけていく 人って多分 そんな生き物なのだ 丘に咲く一面の花は 好きな色で各々を着飾る 部屋の床を埋め尽くす ガラクタの下から 僕だけに見える千の色 その総てを覚えてはいられないけど あの花が着飾った色も すぐに忘れてしまうけど いつかまた思い出す時が来るのだろう 総ての心が流れ着く あの場所で ---------------------------- [自由詩]不幸の天才/まーつん[2018年1月21日19時36分] 優しさには牙をむき、 肩にかけてくれた毛布を切り刻み 寒い風の中怖い顔して笑う君が ノイズ交じりのブラウン管に 白黒で映る 苦しみに 飽きることはない? 野の獣となった君の心は 猟師と勢子に追い立てられ 二枚のコンクリに挟まれた袋小路で 立ち往生してる 解けないパズル 絡みあった糸 温もりと優しさは すぐそばに控えているのに 君は裸の肩を震わせて 冷たい床にうずくまったまま 見え透いた宿題を課して この世界に送り出した神様に 怒りを抱いてた その想いを 火の中から取り出した石みたいに 胸元に押し付けて体を温める でも、 鋭い痛みで気づかされる 燃やしていたのは 自分の一部だと 顔の前に吊り下げられた ニンジンに釣られて走る ロバみたいに 誰かの描いた幸せを 追いかける為だけに走る そんな操り人形になるのは 御免だと 冷え冷えとした 殺風景な部屋に一人 掻き立てた内なる火で 己を温めようとする君は 美しくて、痛々しくて たった今生まれたばかりの 雛鳥みたいに傷つきやすく見えて 血に染まる羽を畳んだ裸の背中 そんな陳腐なイメージを 僕は愛し続ける ほんとの君は もっと複雑 解けないパズル、絡みあった糸 霧を集めて出来た人形 抱きしめたら消えていく ---------------------------- [自由詩]優しい殺し屋/まーつん[2018年1月29日21時23分] そのビー玉の中に 小鳥が住んでるよって言ったら 少女は指で弾くのをやめて、 目を細め、陽の光に透かして 覗き込むようになった そのボールの中に 昔亡くした筈の子犬が 隠れてるよって言ったら 少年は蹴るのをやめて 抱きしめるようになった 少しの間、 追いかけるのをやめ 立ち止まる為の きっかけが欲しくて 大人達がつく、嫌らしい嘘 私たちが、神様から この星の管理人を 任されているのだとしたら 何故とうにクビにされていないのか 不思議でならない 死刑台の列に並ぶ家畜 野獣からへし折った白い牙 ある気持ちのいい日曜の午後 猟銃で頭を吹き飛ばされた小鹿の死は 誰かの気晴らし 銀色に煌めく鱗の群れ 釣り上げるよりも共に泳ぎたい そう思って飛び込んだ子供が 冷たい水に、切り刻まれた それからというもの、誰にも、我が子を 船から飛び降りさせる勇気はなく 釣り針を投げるばかり もう随分と長い間 神様が戻ってこない この美しい緑の庭に 累々と横たわる獣の躯 楽園に咲き乱れる 死の花の間をさまよう 迷子の大人たち どうしたらこの星を 逆に回せるだろう どうしたら すべての過ちを 無かったことにして やり直せるだろう 銃を捨てた 優しい殺し屋が 血にまみれた手で抱きしめる 産湯から掬い上げた 新しい命を 優しい殺し屋に 抱きしめられるとき 君は泣くだろう 何故かもわからないまま 優しい殺し屋の指先が 君の頬を優しく撫で 血の跡を残す時 君は泣くだろう 何故かもわからないまま ---------------------------- [自由詩]目覚めの薬/まーつん[2018年2月11日16時39分] 目覚めの薬 始めたくない一日 ベッドの脇のギター 黙らせた目覚まし時計から バトンタッチされたテレキャスター 僕にやる気を出させようと 甘い声で囁きかける 僕は布団の中から手を伸ばし 彼女の体に触れる、弦をはじく 昨晩から広げたままの譜面を 寝ぼけ眼で眺めて 覚えたての歌を鳴らす つまずかないように、ゆっくりと つまらない仕事、居心地悪い職場 丸まったまま棘を出したがる心を 無理に引き延ばして、薄い朝陽にあててやる 五線を泳ぐオタマジャクシを追いかけて 冷たい水を思い出した体が、いつの間にか目覚めてる 不機嫌なアンプが爆音を吐き出し 近所の雀を驚かせ、雨雲をたじろがせ ゴミ回収車のアナウンスをかき消してくれる そうして僕は 寝床から這い出す 逆立つ髪の毛、はだけたパジャマ 夢の中で発明を思いついた いかれた科学者みたいに カレンダーや箪笥や ベランダの植木鉢が そんなご主人を あきれ顔で見つめてる ---------------------------- [自由詩]春の太鼓/まーつん[2018年3月25日20時56分] ポコポコ、ポコポコ 草なびく大地のどこかから 打ち鳴らす太鼓の響きが 聞こえてくる 訪れる春の気配に小躍りした若木が 己を縛る土のくびきから引き抜いた足で 刻むステップのように、軽快で香ばしい音色が かつて 平らだと信じられていた世界を 宇宙の片隅にある椅子に腰かけた神様が 膝の上に乗せて、両の掌で叩いているんだろう 神様の手を覆う皮は 天地創造と、宇宙の運行を支える労苦に ぶ厚く肥大し、幾本もの皺が寄り カサカサに干からび、白い髭の下の唇は こらえきれない喜びで笑みを結ぶ 古い被り笠のように、頭を覆うぼさぼさの髪 まるでイカれた乞食か、ヴゥードゥーの呪術師のようだが、 この人こそは、すべての父であり母 その力強い手が大地を叩くたびに 木々の枝から雪が払い落とされ 眠っていた地中の虫がびっくりして飛び起き 再び歌うべき愛を思いだした若い雄鳥は 連れ合いを探して広い野に飛び立つ 神の手が大地を叩くたびに 古いしきたりに支えられた王国は 老人の頭の中で崩れ落ち 黒く沸き立っていた憎しみは 拗ね者の瞳から剥がれ落ち 蒸発していく 世界を覆っていた 憂鬱な垂れ幕が落ちて 不意に立ち現れる世界は 新鮮な果実のように熟れて 鮮やかな天然色に彩られ 希望を投げかける そして 僕もまた目覚めた 僕の中の何かが 二度と表に飛び出して 勝手な真似をしでかさないように閉じ込めた 自由を求める心が目覚めてしまった この手で溶接した鋼鉄の檻の中で まだ然程、老いていない肋骨の内側で 脈打ちだした第二の心臓 諦めという腐った土の下に葬った 美しい生き物が目を見開き 恐怖ではなく喜びをもたらすゾンビとなって 心の墓場から抜け出してきた まだ生きようというのか まだ苦しもうというのか だが進もうが止まろうが 命はいずれ尽きるのだ だったら好きに羽ばたくがいい、 我が心よ、 絶望し、喜び、泣き、笑い 己の行いの全てを受け止め 跳ね返してくる世界を相手に 抱きしめ、愛し、 その想いを刻み込めるよう 春の呼び声に応えて ---------------------------- [自由詩]鉄塔/まーつん[2018年4月4日11時25分] 小高い丘に 鉄塔が立っている 周辺の家々に 電気を送る為なのだろうが 今はもう使われていない 住む人も絶えた この地域には もういらなくなった このあたりに ポツリポツリと散在する家屋は 窓に板が打ち付けられたり 門の周りに張られたロープに 「売家」という札が下がっていたり どの窓も、みな暗い 割れていも、いなくても 光を失った目が、私を見つめ返す 気持ちのいい筈の 晴れ渡った五月の空の下に 裸の骨組みを押し付ける鉄の墓標と 取り払われた黒い電線、失った絆 だが 私は見た 鉄塔の端々から 何かが風に翻っているのを それらは 光る布のように見えた 蒼穹に誘われた主婦の手で干された 洗濯物のように 鉄塔のあちらこちらに結わえられ 時折、ピカリピカリと光の信号を送りながら 音もなくはためいているのだ 旅行鞄を傍らにおろし それらを見あげていると 私の脳裏にひらめくものがあった どこかの家の芝生の上で 笑いの弾けた子供の顔や 夕暮れ時、なだらかに蛇行する土手の坂を 歩み去っていく女子高生の 小さな背中が そうした 見知らぬ情景にまとわりつく 懐かしさが私を当惑させた 卓越しに微笑んでくる おばあちゃんの笑顔 畳の上ですねる子供の への字に曲がった唇 見知らぬ人々の日常を撮影した 記憶のフィルムの ワンカット、ワンカットが 私の心に押し入ってくる 頭を振って 目をしばたかせながら 再び空を見上げると 今、一羽のカラスが 嘴に誰かの記憶をはためかせて 鉄塔に舞い戻ってきた そして キラキラと光るその布きれを 遥か高みの一角にある鉄骨の繋ぎ目に 器用に結わえつけている ああ、そうかと私は腑に落ちた ある種のカラスには、 光る物を集める習性がある どこかの子供が公園に置き忘れた ビー玉とか うっかり者のポケットから落ちた キーホルダーとか あのカラスは 今はもうここにはいない人々が 日々の営みのなかでなくしてしまった 思い出を集めてきているのだ、と 楽しさや、切なさが伴い、 滑らかなシルクのように 美しい輝きを放つ記憶を もしかしたら、あのカラスは 花嫁を探している若い雄で どこかの雌の気を惹くために、 変わった光物で 巣を飾っているのかも 鳥の生活など知らないが、 私は勝手にそう解釈した 鳥の小さなシルエットと 恐竜の遺骨を思わせる 鉄塔の威容 だが小さな生き物が せっせと飾り立てることで 鉄骨は、ただ虚しいだけの 何かではなくなった 私は、芝生に腰を下ろした 景色のパノラマを見渡しながら 旅路に疲れた足を地べたに投げ出し 煙草に火をつけた カラスよ、 私の思い出は盗むなよ 大して輝いてもいないし、 そう多くもないのだから だが 鳥のお前にも分かることに 私は今、気が付いたよ ささやかではあっても 幸福な思い出だけが 人が持ちうる 色褪せない宝なのだと ---------------------------- [自由詩]壁紙/まーつん[2018年4月13日11時04分] 壁紙が剥がれ落ちていく 鱗のように、枯葉のように ポロポロ、ポロポロと 私は何になりたかったんだろう その答えは 崩れゆく壁紙の向こうに 隠れているのかも 男はじっと立ちつくしている 跳ねた髪に無精髭、 汗で黄ばんだ縞のパジャマ 見開いた眼で壁を凝視する姿は、 まるで囚人のようだが 多分その解釈で間違いない そしてもう一つだけ言えるのは なにかが潮時に達しているという 唯それだけのこと ベランダのインコが一声鳴いた 昨日見たときは、死んでいたのに 籠の底に可愛く横たわって 羽の朱色が熱かった なにか 言葉をしゃべったようだが 気にしなくていい筈 唯の物まねだろうから 物まねといえば私もそう 人の後ばかりついて行き いつしか迷子になっていた 誰かのように愛されたくて 誰かのようにふるまっていた それはもちろん愚かなことだ 壁紙が剥がれ落ちていく ---------------------------- [自由詩]時の果実をかじる夜/まーつん[2018年5月6日13時29分] 時は贈り物だ どんなに惨めで 苦しい時であっても なにやら知った風な顔をして そう言い切るのは、 愚かなのかもしれないが 小さな無人島に立って ヤシによく似た一本の木から 毎夕ぽとりと落ちてくる 果実を受け取る   そうしたら 砂の上にあぐらをかき 果実の殻に石の角を打ち付け パカリと割る 溢れ出てくるのは ピカリピカリと波打つ 時間のジュースだ 熱くなく冷えてもいない 生ぬるい果汁が 口の端から顎を伝う ほろ苦い美味さだ   人生と同じように 笑ってしまう程 月並みな解釈だが 本当だから仕方がない 私にとって、 一人だけで過ごす夕べには そんな愛おしさがある 手のひらに収まる位の 小さな、大切な その、時の実は 昼間、会社で働く私の 苦しさや虚しさを糧に徐々に膨らみ 日が暮れる頃には、プックラと 小ぶりながらも立派に実って 穏やかに波が打ち寄せる 夕暮れの砂浜を背景に 枝の先に揺れている 私はふと気づくと 背広姿のまま その無人島にいて ああ、今日もまた  ここに来たなと思いながら ヤシの木によく似た 黒々と毛深い幹を見上げ 細長い緑の葉を 空に向けて 剣のように尖らせる枝の下 風に揺れる果実を受け止めようと 手を差し出している ---------------------------- [自由詩]星の鼓動/まーつん[2018年6月4日11時51分] 覚束ない手で握った 透明な定規を まっさらな星の肌にあてて まだオムツを付けた子供たちは ぶつぶつ言いながら 線を引く 柔らかく上下する面を よちよち歩きを覚えた足が 飛ぶ暇もなく抑え込む 欲しがることが 生きること そうしつけられた足が 目当てのものに 駆け寄るたびに 周りの景色をかき混ぜて いつしか独りぼっち 歩みつかれた時間が 道の向こうで立ち止まると 風がやんだ あなたはそれに倣い 泉の岸辺に立ち尽くす 擦り切れた足の裏に 伝わってくる星の鼓動 水面に映る顔には 皺と影が増えた 細くなった髪が 触って、とねだる 絡みつく昨日を 惜しげもなく払うと 水の鏡に横たわる 誰よりも早く走り 誰よりも多くを手に入れたから 誰よりも疲れているんだね ずるいずるい、 そう叫ぶ人々の手が あなたの美しい皮を剥ぐと 時は後ろ向きに歩き出す 迸る光が 人々の目を焼いて なにも見えなく させるまで ---------------------------- [自由詩]踏み固める/まーつん[2019年2月23日7時24分] いつか そのうえで踊るため 香ばしく腐りゆく土を 踏み固める 汚れていく裸足が 大人になっていくようで 誇らしい 肌に刺さるほど近い景色を 押しのけると、それは霞みがかり、 甘い誘惑、羨望の対象となった 砂糖菓子のように ある朝 私は踊り始めた 汗をかき、白い息を吐きながら 振り乱す髪が、時の色に染まるまで 己の美しさに酔って そして 土は耕し、植えることもできると知ったのは 足元の地面が、ひび一つ入れられないほど 冷たく固まった後だった 暮れなずむ空の下 私は泣きながら横たわった 服を編む綿も、米を結ぶ稲も 今となっては植えることはできない 飢えて凍える裸の私を拒む程 土を頑なにさせてしまった 愚かなプライドという踵で 踏み固めた心の土壌を 爪が剥がれるまで掻き毟った 私は 私を変えることはできない この土を ほぐさない限りは ---------------------------- [自由詩]熱の色/まーつん[2020年1月19日10時43分] 赤は一番派手な色 身体の内をめぐる色 目立たぬように歩みを運んでも 一皮むけば飛び散る血潮 命の滾る熱の色 だから、 冷たい振りなどするな 表情を捨てた仮面を被るな 撫でれば悶え、叩けば泣いて 身体を丸めて喉を鳴らすか 牙を剥いて吠え猛る そんな心を隠せはしない 火にかけられた水のように 意識はたやすく沸騰する 赤い血潮がその証 生まれながらに熱い奴 ヌルい春よりアツい夏 涼しい秋より凍る冬 極みの果てを知りたがる 懲りないやつらの寄せ集め 神も見放す健忘症と 仏も激怒する思い上がりの 醜く愛らしいでくの坊 そんな我ら 人間ども ---------------------------- [自由詩]私の居所/まーつん[2020年3月21日8時56分] 私を、ここに居させてほしい。 ここが、好きなわけではないけど、 一番手近な場所だから。 何者でもない私を どうか、踏みつけないでほしい 権利も義務も見えない目で ただ、空を見上げているだけの私を 私を、咲かせてほしい 種を撒かなくても、蜜が湧かなくても ただ風に揺れる花弁のままで いさせてほしい ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]ボール/まーつん[2020年3月22日10時07分]  僕は歳をとった。  もちろん生きとし生けるものすべては、常に老いているわけだけれど、ある時から、肉体はそれ以上成長することをやめ、ゆっくりと衰え始める。空に放ったボールが高く高くあがりながら、やがてゆっくりと天に向けた加速をやめ、束の間静止し、再び地面へと還っていくように。その飛距離は生きた時間に比例し、生まれて間もなく死ぬ者もいれば、百の齢を重ねてなお生きる者もいる。どちらが幸せであるにせよ、時は優しく、そして残酷だ。  ボールが再び投げた者の手元へ帰ってくるかどうかはわからない。そもそも、ボールを投げた者は誰だろう。神様?  高みに至ったのは、肉体だけではなく、心もまた。喜びであれ、悲しみであれ、空色の壁紙を背にして、束の間静止するとき、人生という舞台で、私たちという存在は肉体的にも、感情的にも、何らかのピークを迎える。そういう瞬間が、誰の人生にもあるのかもしれない。  天使が投げたボールを悪魔がキャッチしたら? その人生は喜びから悲しみへと、充実から虚しさへと、白から黒へと移り変わる色彩のグラデーションを帯びながら、夕暮れ時、ゆっくりと山の峰の向こうへと弧を描いて飛んでいくのだろうか。炎のように高揚する朱色、孤独に沈みゆく青、様々な色に染まりながら遠ざかっていくボール。  そんな風に、人生の、いや、一つの命の行く末の比喩として考えると、ボールというのは面白い。連想はどこまでも広がる。今僕の脳裏に思い浮かんだのは野球のボールだ。うっかり者の外野手が摂り損ねたゴロのボール。  どこに転がっていくのだろう?  まるで僕の人生みたいだ。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]ある疑問/まーつん[2020年5月24日13時12分] 「なぜ人は誰かを傷つけるの?」  と、娘が問いかけてきた。それは、私が常日頃胸に抱き続けている疑問でもあった。 「それは、自分が傷つくことを恐れているからだよ」と、私は答えた。  春の木立を歩きながらも、私たちの眼はいつしか下に向いていた。歩を進めるごとに小さく揺れる、おさげを結んだ娘の頭。それを見下ろしながら、私は今の答えを幼いなりのつたない一途さで咀嚼しているのが伝わってくるような気がした。 「どうして、人を傷つければ自分は傷つかないと思えるの?」  再び問いかけてきた娘の言葉には、歳に似合わない利発さがあった。 「相手が自分を恐れるようになるからだ。人は恐れる相手を安易に攻撃しない。恐れる相手に出会った時、人は逃げるかへりくだるかの選択を迫られる」  娘は眉をひそめたようだった。 「そんなの、どっちも嫌だよ」  楠の枝から落ちていく一枚の葉。僕はさらに続けた。 「だけど、もう一つの選択肢がある。勇敢に立ち向かうという道だ」    娘はしばらくその答えについて考えているようだった。そして失望した声で言った。 「じゃあ、結局相手を傷つけるんじゃない」  その通りだった。だが、娘は間違ってもいた。僕はこう答えた。 「それは立ち向かう相手がだれかによる」  娘はしばらく黙ってから問い返した。 「どういうこと?」   僕は答えた。 「もし自分の中の恐れに立ち向かうなら、そしてそれを乗り越えられたら、君は相手と和解できる。だが、自分の中の恐れに屈服するなら、君は相手を傷つけることで、復讐を遂げるだろう」   娘は立ち止まった。そして怒りを孕んだ眼で僕を見上げた。 「自分を傷つけた相手と仲良くなんかなりたくない」 僕は静かに答えた。 「だけど、自分を傷つけた相手の本当の姿が、君には見えているだろうか ? 」 「見えているよ。ただのいやな奴だよ」 「なら、その人はなぜ君に嫌なことをしたのだろう?」 「そんなこと、知らないよ。あたしのことが嫌いなんでしょ」  娘の声はそう叫んでいた。どこかで鶯が鳴き止んだ。 「その人は、君のことを嫌いになれるほど君のことをよく知ってはいないかもしれない。だって本当の君を知ったら、嫌いになんてなれないはずだから」  そう言って屈みこむと、僕は娘の頭を撫でてやった。  娘は悔しそうな表情を浮かべて泣き出した。ピンと伸ばされた両腕の先で小さな手は拳を作り、微かにふるえている。僕は娘を抱きしめながら、自分が最高の偽善者になったような気もしていた。ある宗教はこう語っている、「汝の敵を愛せ」、と。僕は今、本当の敵は自分の中にある恐れなのだ、と娘に伝えた。だが娘がそのことを真に理解するまでに、どれほどの傷を心に負わねばならないのだろうか、と考えると、暗澹とせざるを得ない。     こうした知識は言葉ではなく、経験によってのみ身につけることができる。そして現代の殺伐とした社会は、そんな機会を惜しみなく娘に与えることだろう。いやむしろ嬉々として、悪意を持って投げつけるだろう。悲観的過ぎるだろうか。  どこかで鶯が鳴き始めた。 ---------------------------- [自由詩]血栓(1)/まーつん[2020年8月10日9時58分] 1 晩夏の夜、郊外。 棟を連ねる家々の窓明かりが 街路に光を落としている そこを、通り過ぎる人影が一つ 彼はうつむきながら こんなことを考えている …人は互いに繋がりあって、 家族という細胞を作る。 それらの細胞が互いに連なって、 社会という生き物を作る 今、家族を作らず 一人きりのまま大人になった自分は 言うなれば、社会という生き物の血管を旅する 小さな異物だ。 「社会」、 その大きな生き物の腸は 俺を消化できない、 溶けることを拒む、この硬すぎる心を 無理に僕を取り込もうとすれば 腹を壊すだろう、何故なら俺という人間は 何処か、腐っているから 俺は 細胞になれなかった分子 自分の心を細かく噛み砕いて 作り直すことができず 社会の一部になれないままに 時の回廊を転がり続ける、頑迷な小石 やがて血栓となり この社会という生き物の血管を 詰まらせるだけ ---------------------------- [自由詩]炎と花の色/まーつん[2020年8月10日11時05分] 銅、リチウム、カリウム これらの金属は ある種の状態で 炎に炙れば燃え盛るが 緑、紅色、薄紫という風に それぞれが、違った色合いの 火を吐き出す 情熱が その上昇気流が 人の顔から建前の仮面を吹き飛ばし、 高らかに本音を歌わせるように 炎によって、物質は 冷ややかな常態から遠のき 個性的な本質を さらけ出すのだろうか 燃焼、燃え尽きる事 朽ちるでも欠けるでもなく 燃えるということ 熱は粒子を活動させる 熱が電子を励起させる 花を広げるように ミクロの世界で 原子は束の間 その姿を変える 緑、紅、薄紫は 萌木、山茶花、藤の色 私たちもまた 座して動かぬうちは 種を撒かなければ 芽が出ず、幹も伸びず、葉が茂らず どんな色の花も 咲かせることはできない そんな、無理やりなオチを付けて 今日も、人生に躓いた自分を 立ち上がれ、と励ますのだ 走れなければ、 歩けばいい 歩けなければ 這ってでも 熟成もまた燃焼の一つ ゆっくりとではあっても 内なる何処かで 燃えているのだから 見上げれば まばらな星と 暗い空 コロナ禍故、遠くなった 夏の夜の花火を偲んで ---------------------------- (ファイルの終わり)