石川和広 2006年2月10日19時18分から2009年5月20日17時30分まで ---------------------------- [自由詩]やめない/石川和広[2006年2月10日19時18分] 帰るから もう帰るから といいながら 帰らないでいる ひとりの男 夕陽眺めて 空は大きい 空は小さい どちらだろう 飛行機がきりとる空 ロッカーから見ている 空 彼は深く沈んでいるが 必ず空はやってきて ひとみの奥を貫く 今日は いい空だ 薄い雲が ビルをだきしめている 小さな窓に切り取られるけれど 仕事をやめた男の眼には 薄暗い空が 体に染み込んでいくように感じる けして 後悔がないわけではない 透き通った気持ちでもない だから こんな時は 空だけを残して 生きるのが疲れた なのに続いていく 涙流れない 母はどこか 父はどこか 異常に大きい太陽 雪がかかる屋根 ああ ああ 幻だった 僕は 仕事を辞めて 四年になる それに 辞めたときの景色 あんなだったかな でも不意に浮かんだ 今は精神科デイケア に通っている 少し疲れる 帰り道 空をみる あ、まだ青い もうすぐ 暗くなる ひとりぼっちの家へ 帰る みんなにサヨナラ行って 僕は暗くなる空 一人で電気をつけて 上着を脱いで 米をたく 女が 帰ってくる間 少し 煙草を吸う 夜がなつかしくやってくる きっといいにおいだ だからデイケア やめない ---------------------------- [自由詩]手のひら/石川和広[2006年2月24日19時32分] いのちの外れをふらついて 月が見える窓にもたれる 二月の終わり ねむいは深い深い深い ベッド 指先がまくらの影をつきさして おきあがれない おきあがれない 芽がふくらむ季節 わたしの詩はだめなのか それすらもわからず 書けることにやみくもに感謝 書く 書くという行いの中に たたずむ光 おきあがれない 倦怠を生きるわたし ほら 呆けているような 強い葛藤があり 思うままにならない記憶 よみがえってくる よみがえってくる 生まれる前まで やがて昼過ぎ ふらり 目が開いた 目が開くまでの時間 おねしょをするわけでもなく おはよう こんにちは するわけでもなく ヘルパーだったわたしが空から わたしをみている ひたすらに世話を焼くこと 野蛮なまでに それでいて越権は許されない どこか紳士の世界 健常者と障害者のはざまで ことばを沈黙を翻訳し続けていた そうだ おはよう 手の甲をわたしに向けて手を振る自閉症の人に 「ほらこっちやで」 手のひらはこっちやで 手のひらはこっちやで ああつながった 目 合わせた 専門家はあわせられないっていうけどね おきあがるまでの時間 手のひらはこっち こっちって どっち? それは外へ 自分から外へ 外に向ける事で自分のものになる さようなら こんにちは おはよう 布団をめくる おきあがれない それでも立ち上がる 「はい 起こしますよー 1,2,3」 そうだ 起こしますよーと言いながら 自分の背骨をおしあげて 腰をすえて 立ち上がる自分がいた 手のひらはこっちやで ほら やっと こっちに振ってくれた そんな体験が確かにあったのだ 玄関で 布団で ---------------------------- [自由詩]それぞれの時間/石川和広[2006年2月27日17時23分] 車いすを押して歩いた そんな日があった Oくんはひざかけをして 「石川さん、こんにちは」と云った 「こんどな お父さんと…奈良いくねん」 寒い道だ 空が透明な血のかたまり ぼくは夢の中を歩いている気分だ そうなんや ええなあ 車いすの背中から ぼくはそう云って いくつかの 曲がり角を曲がって 段差でガタンとならないよう気をつけながら グループホームについた ただいま 靴を脱がせる Oくんの指先がけいれんしている バンドをはずし 上着を脱がせ 室内用車いすにうつしかえる ちょっと気つけてや 「わかった」 それから部屋まで押していく ダイニングの床をとおりすぎ 同居人のHさんはテレビつけっ放しにして ねている Hさん 帰ったで 「Hさん何してんの」 Hさんは「いやん」と言いながら 起きて笑って近づいてくる Hさんは40代で 仕事もしていたが挫折した人だ 酒には時々だらしないが 人間はできている人だ 度のつよいメガネをふく スラックスにセーター 知的障害者で大卒だ みんなでTVをみる 「まだ阪神はじまらへんの」 うん、今、冬やしな 「阪神優勝するかなあ」 「せえへん」とHさん みんなで笑いあったり ぼくは後から来た介護者と 米をたいたり 洗濯物を取り込んだり Oくんが「おしっこ」という だからぼくは「おしっこ」をとりにいく 静かな時間が流れる 流れた もう4年もたった どんどんわからないことが増える みんなで過ごしたことも その意味も確かにあるのだけれど 歯が浮くような疑問だが 障害って何だろうね ぼくも病んだ心をもった まっすぐに伸びる手 折れまがっていく 段差もあるけど 段差だけじゃないだろう もう一度お話できるか考える そのあとさきにふれる 今はこうとしか書けない とてももどかしい でも記憶は生きているんだ ---------------------------- [自由詩]三月/石川和広[2006年3月6日18時26分] 歩く すきまだらけのからだに すぐさま 圧倒的に 言葉の貝がらが入ってきて それは ひとのにおいがして たいそう悲しい春先の光となる 光だけだと寒いから あなたは空とつながって どうか言葉の貝がらを拾ってほしい ぼくは寝ているから ぼくは少しの間死ぬから 嵐の後の砂漠のように 見知らぬ女の子が泣いていた いのち みたい それに春先の光が当たって あなたがまだ少しだけ足りない 呆けたおじいさんは熱い湯船につかった シルバーシートには会社員男性が つかれてねむっている 三月 もの憂げな戦い もうなにもないかのような あふれる季節だろう ---------------------------- [自由詩]飛行/石川和広[2006年3月29日17時08分] 「悩んでいます」という場所の 奇妙な安定感  むさぼる後ろ向きの安逸 それらに苛立つ しかしそれははじまり 冷たい風がふく ゆっくり歩いている スタンバイする 内観する 飛行へ からっぽがふくらんで 大きく大きく風がふいていく中を 降下していく鳥 鳥たち わたしたち ぼくは過去におそわれている おそわせている 大いなる生きることの限界まで 落ちていく ぼくは鳥 生きている ウィルスをまきちらす ウィルスのように広がり 繁殖し多数になること 抵抗すること やわらかくあらがって迎え入れる空間を作ること でも届かないかもしれない 詩人の そしてその外へと 詩へと とんでいく 風にもまれている 届けばいい 詩人の 詩人の そしてその外へと 詩へと ---------------------------- [自由詩]潮目/石川和広[2006年5月3日18時42分] わざわざ心に波を立てて詩を書くのはどうか どうか 波は不思議な力で打ち寄せるもので 波がない時は、ない 海を見るものはもっとよく知っているだろう ぼくの目の前には、海は現にない ぼくの後ろに海がある かもしれない から 今日、森山直太朗の「さくら」を 精神科デイケアで、人一倍大きくうたった 桜は緑にかわっている 少し気になることはあっても それほど波立たず 二本、電話をかける(一本は不通、一本は父親の声) 死者の目と病者の目が お別れを告げに来ない日がある そう思うとふと告げに来る 不安 まだ、ここにいられるのか いつづけるのか タバコをふかして、そう思う もちろん老後のことではない 決して、まっすぐには立てていないし 疲れは、すぐにやってくるが 最近のぼくは奇妙に明るい 奇妙である 前より寝覚めがよく まっすぐではないが、斜にもかまえていない 波はうずまいて いい天気が暮れてゆくと そこには救急車の音 四月の終わり しつこいぐらい ベランダに止まりにくる鳩 充分ではないが平和であり 充分ではないが破壊が進行している ぼくらが悪魔の目にみつめられ、ねじくれる日が いつ来ないといえようか ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]つれづれに思う詩の世界/石川和広[2006年5月26日23時29分]  高野五韻さんが今日現代詩フォーラムで、すばらしい散文を発表していた。(http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=75981)以前ブログで発表していたので、読んだことがある。ぼくも、詩の世界について、発言できればなあと思った。しかし、自分が納得のいく作品を書く積み重ねの中から、既成の権威などを批判するスタンスが固まってくるだろうなと思った。というよりも、書く積み重ね自体がはらむ運動というものを大事にしたい。詩にたずさわる人が、それは、どんな人でもいいのだし、開かれているべきだし、それが当然なのだが、言葉との関係をどのように作っているかなのだと思う。そういう実態こそが求められている。破壊でもでっちあげでもなく、そういう場所が日々の暮らしの中で、資本の論理に左右されながらも、つまり働いたり、食べたり寝たりの運動の中で守られているかなのだ。  資本主義では、何にお金をかけるかが大事で、それと時間、それを割いて、いろんなものが形作られ、優先順位が決まる。それは、仕方の無いことだが、小熊秀雄賞がつぶれたり、そういうとこにお金がまわせないという感じになっているところもあると思う。それは正直言っていいとも悪いともいえないと思うけれど。  それから、たずさわる人も限られている。  別に資本主義に抵抗すると息巻く必要はないが、詩は、お金との関係が、もっとも、とりにくい分野になったのだと思う。一方でぼくらは、ネットでコスト感覚無しに、ただで、たくさん発表できるようになった。駄作もたくさんでるし、いいのも出る。これも資本の力で、ITに資本が集まらないとそういう環境は生まれなかった。そういう詩をダメだといっているだけではだめな気もする。とにかく埋もれてもいい覚悟で、実践しかない。  お金に変えられないものを守るというのではなくて、なんといえばいいか、抵抗の姿勢を守りながら、というか、資本の論理にさらされているということに自覚的になったほうがいいんじゃないか。そういう層みたいなものがぶあつくなってくればと思う。その上で、文化は自分たちが作るもので、そこには一定の排他性があることもわきまえて、変にイベント化するのではなく(イベントは否定しない。ただどこまで残るものになるかだと思う。もちろん解散するバンドみたいにすぐれて消えていくものもある)、地道に書いたり読んだりする素養を培うほうがいいんじゃないか。 自分は少しずつ書きためていこうと思います。すぐネットに発表せずに、ためをつくる、書くことを楽しむ。夢中になってみる感じを取り戻してみたい。ぼくの生の中心課題である魂の体験をたくさん書いて、さらにノイズがありながらも、澄んだものにしていきたい。あとそのために毎日の生活が大事。やっぱり観念と具体のバランスは大事だと思う。ぼくのような思い込みの強い人間には。  ネットでは詩を書くこと、読むことに色んな意見が飛びかっているけど、夢中になる時間を大切にしていけば、議論をしている時間が惜しくなってくるんじゃないかなと思う。  本当に申し訳ないけれど、僕は病気のせいもあってか今ものを読むこと自体がしんどい。だから批評を書ける人は積極的にいいと思った詩をどんどん紹介していくといいと思う。すごくシンプルな意見で申し訳ないけど、紹介することは大事だと思うのです。しかも、タイムリーな詩だとか、そういうのを度外視できる環境ができればいいな。活字で。そんなの出来そうもない気もするけど。  気になるのはこういう議論をするとき、結局、うわついてる感じがすることだ。高野さんのは浮ついてなかった。それがよかった。 ---------------------------- [自由詩]ふたつのキ/石川和広[2006年6月13日15時37分] 気になる 気にする 木になる 木にする おなじ「キ」なのに、「木にする」はおかしい 何を木にするのだろう あの人を木にすると魔法使い ぼくが木になるとお友だち 知らない人を木にすると犯罪? いやちがう 木になることはすてきなことかもしれない 山がそう云うのだろうか 云うのだろうか そう云うと思う 思ってみる 公園に行く 友達と行くのがいいな ぼくは友達の口の形とか手のひらとか 考えていることを気にする 気になってくる 気も木もいのちなので ぼくの気が友達を木にする ぼくは友達にいろんなことをたずねる ぼくらが仲良いのかどうか そんなこと聞けない 友達が木になってぼくは狂いそうになる そういえばメールなんでこないんだろう メールは一枚の葉っぱより軽い だからつないでおかないと消えてしまいそう 風が吹く 小さな公園 ぼくは友達が手を振るのをみる 手はやはり葉っぱだ ふたりで川の向こうへいこう そしてきみはぼくを木にしているだろうか それならふたりじっと立っている 朽ち果てるまで立って この世界の行く先を見ているだろうか ぼくは少し木になっただけなんだ きみのことが ちゃんと眠って ちゃんと忘れたら また きみのこと正しく思い出せる気がする きみが木になって ちょっとしたきっかけで木になって それからぼくは正しくまた君に会う 気になる姿で ---------------------------- [自由詩]昼下がりのテーブル/石川和広[2006年12月18日17時16分] コーヒーカップの横に、本がある。 『「待つ」ということ』 そう本がささやいている。 私の心に問われた。私は何を待っているのか? コーヒーをかきまぜてみる。 耳が頭がカラダがざわざわしている。 ある日 バスを待っていた 私はバスに待たれていない 単純な事実 ぼんやりと立っている 運転手は時間を追いかける 乗客には用があり 私も学校に行くだけだ 雨のふる日 さむい朝 思い出すあいだ、私はわからないくらいの速度で、年をとる。 小さく小さく年をとる。 バスを待っていた私は、あんなに赤い頬をしていたのに。 それから あの人の言葉を待っていたことがあった 言葉ではなく心だったのかもしれない すごく天気がよくて 仕事が休みの日に あの人と公園にいき あの人はブランコに乗り 私は背を押した ぶうーん ぶうーん ゆれるのは視界も同じで 加速がつきはじめて あふれそうになり 小さな背を押しながら 私はあの人の言葉を待っていた 今、私はそんなに用事がなく、せきたてられていないのに、あせる時がなぜかある。 何か大きな山のようなものが、待っているのかもしれないと思う。 そして私はその山に待たれている。小さな緊張が、波となって、よせてはかえす。 なにかはわからないものの前に、立ち、少しずつ生きている。 コーヒーが冷めはじめている       *鷲田清一『「待つ」ということ』角川選書       ※初出「かたつむりずむ」1号 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]■批評祭参加作品■田村隆一の「腐敗性物質」について少しー初期の田村の詩世界/石川和広[2007年1月8日10時18分] *講談社文芸文庫版「腐敗性物質」http://www.amazon.co.jp/%E8%85%90%E6%95%97%E6%80%A7%E7%89%A9%E8%B3%AA-%E7%94%B0%E6%9D%91-%E9%9A%86%E4%B8%80/dp/4061975633/sr=8-1/qid=1168219174/ref=sr_1_1/250-0220875-5691474?ie=UTF8&s=booksは田村隆一の自選詩集で、「四千の日と夜」、「言葉のない世界」、「腐敗性物質」、「恐怖の研究」、「緑の思想」が抜粋で入っていて、「奴隷の喜び」が全編収録されている。  田村隆一をはじめてみたのは、NHKの特集だった。パジャマ姿で、晩年だったが、寝そべって語る。その語り口が面白かった。あと雑誌で、人生相談をやっていた。それから「宝島社」の「おじいちゃんにもセックスを」のポスターで、コート姿で出ていたのがかっこよかった。  僕は、田村ではなく、親交の深かった北村太郎から詩に入ったので、田村の詩世界から、ちょっとずれた位置から入った。とはいえ、「荒地派」である。両者とも、スマートな表現者だが、北村のほうが哲学を感じる。でも両者とも生き方の美学を形象化した点では同じだ。  挫折という視点から読むと、北村のほうが、実生活は深刻だった気がする。妻や子の死。しかし、文明論的に、みれば、田村のほうが、深刻に大戦の影を、斜めからではなく、正面から受け止めているように思う。あくまで、「文明論としての大戦」だが。そういう構えのようなもの、概念性は堅固だ。また鮎川を入れると別なのだろうけど。詩を挫折という視点から眺めたくなったのは、自分がここ数年挫折の連続だったからだ。田村は、僕はキーワードでいうと、「叫び」、「心」、「部屋のない窓」というのが気になった。戦争で「人間的なもの」が壊れたときに、どう人間の自由の領域を守るか、というのがテーゼになっているように思う。いわば文明の挫折を一身に引き受けた。「四千の日と夜」はゲルニカを思わせる絵のような詩だと思う。一大絵巻のような。ゲルニカが絵画として、戦争に対するテーゼとして、両者から興味深いように、田村の詩も、芸術としても、文明論としても、両者から、味わえる広さを持っている。  で、谷川俊太郎(「旅」における)との共通点が、詩と詩でないものの分割線が、明瞭に引かれていること。けど、俊太郎は詩を超えるものとして、自然がポジとして描かれているけど、田村の場合、「ネガ」(見えないもの、聞こえないもの)として、「叫び」や「心」が描かれている点だ。これは、巨大な危機に対する反応だったと思う。ヴィトゲンシュタインがそうであるように、主体の届かない「沈黙」の領域を残したのだ。この点で、両者の対比は興味深い。田村の詩の外部性は、大きな影としての「人間」「声」だったろう。  田村の場合、詩は「部屋のない窓」、つまり内部のない入り口としてあって、詩の世界を克明に描かず、空白として描く。これは、田村が「世界」を守ろうとする気持ちから、とられた手法だろうと思う。どちらかといえば「情」で書いていた人だと思う。知的に処理していって、仕切れないものをぎりぎりのところで書いている。それが記号としての「言葉」の拒否につながっていると思う。やわらかな「情」が、硬い形式を選んでいった気がする。そこから「自然」への愛が出てくると思う。女性へのナイーブさも現れていると思う。思ったより素直な表現だと思った。「死体」という表現も出てくるが、否定の、さらに否定の核に、柔らかな肯定があると思う。戦争から離脱して読めるという意見があり、そうだろうと思った。実際の戦争体験は思ったよりないし、表現も独立して読める。それでも、戦争がなければ田村は書く必然を覚えなかっただろうと思う。危機があるから、独立した表現空間を作ろうとした。そして、戦争詩という枠を超えて残った。そういうことだろうと思っている。戦争は危機に瀕しているという表象であり、それが表現を要請したし、表現が危機に瀕しているという表象を必要とした。そういう感がある。オリジナルに危機を彫りつけ自由な表現というものをきたえようとした。そう思う。 ◎気に入った詩―「四千の日と夜」では「叫び」、「Nu」。「声」の領域を残すような書き方。叙情的な詩がいいと思った。「言葉のない世界」では「見えない木」「言葉のない世界」対照的だけどどちらも世界に対して熱いと思った。それが素直に表れたり、(見えない木)激しく表れたりしている。「緑の思想」では「水」「枯葉」などが素直でいいなと思った。 ---------------------------- [自由詩]風塵/石川和広[2007年12月18日13時32分] けっこうそれは近いのだ もし呪いだとしたら あまりにも空白であり ところで私は充たされているのだ あまりにも空白であり 公園の側の枯れた並木を通る あまりにも空白であり ところで私は充たされているのだ 死を見たと 空の姿 その思い 電線の、看板の看板 すきまの空は空気ではないだろう 物理的宇宙を滅却して ものは現われを過ぎこして あまりにもここにありすぎる 建物の 茶色の建物の ところで私は充たされているのだ それは空白であり そこにいるようであり すばらしい幼児のフードつきの 母親のかげろうの、幼児の叫ぶ声の あまりにも見ることができる 知ることのない あなた、かなたであり 知らないうちに ポカンと 切り抜かれたあなたが 街頭をどんどん光らせていくようで 寒くなっていく けっこうそれは近いのだ もし呪いだとしたら あまりにも空白であり ところで私は充たされているのだ それが根源的な罪であり そして街頭はまぶしい 見ることができる この世界にあらわれる全てのもの 霧になり夜風になり 私は歩いた ここにいて、歩いた 見つけて見つけて ひきとめることのできない 遅さの中で ひとつひとつの光が どうしても星になれず それが喜びのように 満ち足りたように あなたを感じることができた という ささらさら あまりにも 無闇で どこまでも光で 静かに それは息苦しかった 大きく息を吐いた 木々がざわめいた いつまでも無からさらに無へ移行して 風が波になり光が風になり波がおりかえして ゆるやかな人影をつくり また会うことができるように 大きく微笑んでいた ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■狐のかわごろも/石川和広[2008年1月28日21時52分]  なぎら健壱のアルバムを聴いた。詩も面白いし、演歌だか民謡だか流しだかフォークだかパンクだか前衛だかわからないセンスの良さ。さらに美声。しょぼいはずなのに全然貧乏くさくない。もっとふざけた人かと思ったが、半端な感じではない。昔読んだ彼の『私的フォーク大全』という70年代フォークの列伝も面白かった。知性とか理性が、泥臭さを排除することなくなりたっているので、上品なんだと思う。ほめすぎかもしれない。    駅のゴミ箱に 頭をつっ込んで  ゴソゴソ かき回す奴らを笑えるか  奴らの目ざすものは 東京スポーツ  東スポ中毒笑えるか 本当に笑えるか  ゴミ箱で見つけた そうした新聞が  工業新聞だったとき 意識がとうざかる  それでも やっとさがしだす 東京スポーツ  きたないものでぬれている しっかり汚れている  (なぎら健壱作詞‘ラブユー東京スポーツ‘より)  曲の題名は「なみだ〜のとおきょう」で、おなじみのアレです。「笑えるか」という問いかけは大まじめだし。  また、「工業新聞」も、いいです。  「きたないものでぬれている」は、かなりいいです。  正直、題材が古くなっているんですが、大阪でいうと地下鉄の千日前線 って、感じでしょうか。東スポなんですが。駅のゴミ箱って、オウム事件の辺りで激減しましたね。ある時代の平和や大衆や貧乏なんだけれど、ルポルタージュ風に何かを定着している気がします。  なんだろう。「きたないものでぬれている しっかり汚れている」って叙情で歌っている形で、相当リアルなのかなと。新聞の質感から漂うどうしようもない感じ、読み捨てられるためにある虚ろさでしょうか。    中原中也の有名なフレーズに「汚れつちまつた悲しみに」って、ありますね。あれと東スポの汚れは遠いのか近いのか。なんでしょうね。「つ」という撥音が二回出てくると変ですね。例えば…  汚れつちまつた悲しみは  たとえば狐の革裘(かわごろも)  革裘?調べました。何で狐なのかな。妙に気になります。こういう諺があるようです。 引用します。 「狐裘羔袖」(こきゅうこうしゅう) 全体としては立派に整っているが一部に不十分な点があるたとえ。また少々の難点はあるが全体から見れば立派であること。 高価な狐の皮衣に子羊の皮の袖をつける意。「狐裘にして羔袖す」と訓読。 http://yojijukugo.hp.infoseek.co.jp/15.files/sonota.htm どうも狐のかわごろもってのは高価で立派。でも、それだけじゃないようです。中国で「狐のかわごろも」がもっている神話的な力について。 『春秋緯』では「帝伐蚩尤乃睡夢西王母遣道人、披元狐之裘以符授之」と黒い狐の裘が特別な力を持っていたとしている。 裘に限らず九尾の狐や白狐、玄狐などは古来より神聖な力を持っているとされ、その姿を現わすことは吉兆や不幸の前触れとされていた。九尾の狐については現在では『封神演義』で有名な殷王朝を滅ぼした狐精の美女妲己の話が有名である。『封神演義』は明に書かれたものだが、「狐が妖獣であるイメージは古くからあり、紂王をその魅力で誑かした妲己の狐説は古くから信じられていた」[一一]と二階堂善弘氏は言っている。 http://www.hum.ibaraki.ac.jp/kano/student/00takahoshi.htm (中国志怪小説の研究―狐のイメージの変遷―高星さおり)  例えば日本では狐憑きやらがありますね。ある種の狂気というかトランスというか。中国では霊力さえあるんですな。  何が言いたいかっていうと、中也の言葉が「狐の手袋」だったらまたイメージがちがいます。「子ギツネこんこん」とか。その後雪も出てきますし。でも、それらにも通じているし、また古代中国だけでなく日本でもそうだけど得体のしれないエネルギーのことでもある。かわいくて、こわくて、あやしくて、警戒心が強くて。変なんだけど高貴で、音楽に満ちている着物。着物ってのは、裸をかくす衣装だから、それによって他人を誘惑します。中也における誘惑的な他者性あるいは魂なのかなあと。    中也の詩は独特の古代的な調べがあるから、よけい遠くへいける。引用します。  汚れつちまつた悲しみは  なにのぞむなくねがふなく  ここもすごいですね。のぞむ、ねがふ。それぞれちがう言葉なんだけど、近いような。 調べもいいですね。次も引用。  汚れつちまつた悲しみは  倦怠(けだい)のうちに死を夢む  「けんたい」っていうと、倦怠期みたいですけれど、「けだい」って読むのですね。「けたい」だと「懈怠」で仏教の言葉のようです。ある「懈怠」の解釈について引用します。 『法相二巻抄』には、 もろもろの善事の中に怠りものうき心なり。 といわれている。善事をしないのである。おそらくは、しなければならないという気持ぐらいはあるのだろうが、実行できない。善事が実行できなければ、後退あるのみということになる。人間は生きている限り、前進か後退のどっちかである。とどまることはあり得ぬから、前進しなければ後退のみが残るということになる。 ピアノのことであったのだろうか。一週間練習を休めば誰にもわかる。三日休めば、一般の人にはわからなくても専門家にはわかる。一日の怠慢は、聴衆の誰にも気づかれなくても、本人にだけははっきりわかるというのを聞いたことがある。これはピアノに限ったことではないであろう。人生万事、きっとそうに違いない。 http://www.plinst.jp/musouan/yuishiki30.html  中也のいう「倦怠」は、この文でいうと「一日の怠慢」にあたるような「聴衆の誰にも」気づかれない場所で感じる過失に近いのではないでしょうか。それは誰にも気づかれなくても何かが見ている。けれど、何が失敗であるか感じているのだけど、表出できないために苦労するどうしようもないものかもしれない。中也のこの詩は恐らく青年期の心理みたいにも読めるでしょうけれど、謎の欠落を抱えているためにどうしようもなく愛したり愛されたりする。そして、そのことに盲目であるためにどうしていいかわからなくなる人間の条件ではないでしょうか。  例えば子どもの頃、夢は何かと聞かれて「サッカー」と答えますよね。理由は「かっこいい」とか。でも、いつのまにかサッカー選手でなくて、ただの工員になってたりする。この仕事が好きだという自信はなくて、なぜその仕事しているのと聞かれて、「生活があるから」と答える。でも、中也は「なぜ生活するの」まで聞いてしまう。あるいは、「なぜ生活するんだろう」と思いながら、進めない。例えが間違っているかもしれませんが。  しかし、時々、だれでも「なぜかな」って考えることもあるかもしれない。考えてなくても感じていて悩みがある。けれど、目の前のことをかろうじて、やって何かしら糊している。中也はそういう役割とか脈絡が外れている。むき出しの欠落です。それは、青年期とか何とかではなくて、そういうぶらりとした状態をかろうじて我々は「愛」や「私」で埋めているのかもしれない。けれど、生きているのは、そういうかろうじて埋めている状態なのです。中也は欠落を埋めなくて、そのことにも罪を感じています。そういう形で、そうとしか生きられないんだけれど、それが限界なんで、それはいい悪いの問題じゃないといっている。    いわば、中也は、生活と生活からはみ出してしまうもののうち、生活を切り落とす。生活を切り落としてしまったら、生活からはみ出してしまうものは空白というか存在しないものになります。幽霊とか、確かに狐のかわごろもみたいな得体の知れない何かになってしまう。幽霊だとしたら死ねないわけで、だから「死を夢む」なんだと思います。  なぎら健壱から離れてしまいましたが、「思へばとほくへきたものだ」ということでお開きです。でも、中也は常識の常識みたいなことを述べている気がしてしかたないのです。  それは「悲しみ」にしては「汚れ過ぎていて」、もう何の変哲もない残骸のように感じられる何か。無理やりこじつければ、ぬれた東スポみたいな。そのもののしょうがなさのような。愛おしさのような。  どうしようもない物狂い。物狂おしい感じ。やっぱり「ラブユー」かなあ。 2007.1.18 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■走るレプタイル/石川和広[2008年1月28日22時03分]    エリック・クラプトンの『レプタイル』http://wmg.jp/artist/ec/WPCR000011100.html。これは愛する伯父にささげられているようだ。レプタイルは「ろくでなし」とかそんな意味だっけ。村上春樹がその著書『走ることについて語るときに僕の語ること』の中でジョギングしながら聴いているとしっくりくるし、聴けば聴くほどいいと書いていたのだ。影響を受けやすい僕はツタヤでレンタルしてMDに入れた。ただし僕はジョギングはしない。というか走るのがまるっきり苦手なのである。春樹さんは長編とか骨太の小説を書くには肉体的な持続力が大事だから走っていると書いていた。それ以前に春樹さんは「一人でコツコツ」やる内省的な作業が好きなようなのだ。春樹さんにとって「走ること」と「長い小説を書くこと」は近い作業のようなのだ。体の状態やモチベーションを徐々にその作業に馴らしていくことや、最初苦しいのもある地点を過ぎると、とても気持ちよくなることや、その結果この作業が止められないような麻薬性をもつことなどである。  この本も、『レプタイル』も、別にランナーでなくてもいいと感じられる。僕は学生時代、通知表に「いつもコツコツやっています」と書かれていたのだが実は非常に飽きっぽい。また春樹さんのように「自分に向き合う」のが実は苦手で誰かと一緒の方が安心する。どうしようもなく淋しがりやの人間なのである。  しかし春樹さんの言うこともよくわかる。たぶん自分の人生に起こる出来事や、自分の生きているこの世界のことに何らかのこだわりみたいなものがあって人は書くことに向かう。驚きとか怒りとか悦びとかとっかかりは何でもいいのだが、それを何とか形にできないか、保存しておくことはできないかと思うから創作に向かうのである。  けれども、世界はたえず流転し、私の存在もかよわいウタカタのものである。たちまち流されてしまいかねない。  だから自分のスタイルを作る。春樹さんのこの本はそのスタイルの一例を語っているように思われる。ここで引用。  生まれつき才能に恵まれた小説家は、何をしなくても(あるいは何をしても)自由自在に小説を書くことができる。泉からこんこんと湧き出すように、文章が自然に湧き出し、作品ができあがっていく。努力をする必要なんてない。そういう人がたまにいる。しかし残念ながら僕はそういうタイプではない。自慢するわけではないが、まわりをどれだけ見わたしても、泉なんて見あたらない。鑿を手にこつこつと岩盤を割り、穴を深くうがっていかないと、創作の水源にたどり着くことができない。小説を書くためには、体力を酷使し、時間と手間をかけなくてはならない。作品を書こうとするたびに、いちいち新たに深い穴をあけていかなくてはならない。しかしそのような生活を長い歳月にわたって続けているうちに、新たな水脈を探り当て、固い岩盤に穴をあけていくことが、技術的にも体力的にもけっこう効率よくできるようになっていく。だからひとつの水源が乏しくなってきたと感じたら、思い切ってすぐに次に移ることができる。自然の水源にだけ頼ってきた人は、急にそれをやろうと思っても、そうすんなりとはできないかもしれない。  人生は基本的に不公平である。それは間違いのないところだ。しかしたとえ不公平な場所にあっても、そこにある種の「公正さ」を希求することは可能であるように思う。                  (村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』p65)  まあ村上春樹も成功者だからちょっと嫌味かもしれないがその辺は仕方ない。あるいは詩はまたちがうかもしれないが、この「水源」にたどり着くのに途方もない時間と粘り強さが必要なのはどのような事業でも同じ。けっこう肉体的なものなのかもしれない。少なくとも村上春樹はフィジカルに「書くこと」を捉えている。  走ることはたえざる持続である。毎日あるペースでやらないと体がなまってしまう。書くこともそう。春樹さんは別に「毎日書け」と云っているわけではない。そうではなくて、書くことも毎回新しい動機があるのだから、それをいかに持ちこたえることができるのか。一般的な方法論があるわけではないので、自分なりのスタイルを作った方がいいと言っているみたい。そのスタイルは不変ではない。世界も自分も変わって行くからだ。春樹さんは「老化」を語っているが新しい「呼吸法」を見つけていくことは「走る」のにも「書く」のにも大事な事なんだろう。  新鮮な呼吸が体にとってフィードバックであるように書くことも自分と世界との対話であるだろう。    クラプトンはブルースを白人の側から再解釈したと言われているが、どうなんだろう。もしかしたら黒人のものを収奪したといえるのかな。黒人のミュージシャンは成功している人も多いけど、貧しい人はその何百倍もいる。安易に人種だけで貧困の問題は語れないんだろうけれども。本物の黒人音楽って何だろうと思った。こないだ森進一が歌う「ラブイズオーバー」を聴いて、これはソウルミュージックかもしれないと思った。こぶしを利かすのではなく一言一言切るように切り裂くように語りかけてくるその様子は素晴らしかった。歌は、どうしようもない、ろくでもない境遇のそばにいる。普通にはそうおもわれていないが村上春樹のジョギングだって、そのようなやるせなさの中で生きていくひとつのあり方である。 2007.10.27初出(後部分的に改稿) ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■砕かれていること/石川和広[2008年1月28日22時20分]  作品を提出するときに、やっぱり自分だけではこれがいいものかどうか、とても心もとない気がいつもしています。  僕はおうおうにして物知りのように大きく語るわけなんだけれど、何となくいいものだという予感はあっても、どきどきする。作品を出すというのはこの弱気の虫があるから尊いのではないかと思ったりする。  ニーチェや最近ではバタイユにひかれるのは、彼らは自分の着想に自信を持っていた反面、自信のなさや、仮説を立てては、ああ、ちがうという予感に砕かれて、何度もやり直すということがあるからだ。  バラバラに砕かれて、頭が真っ白になって、へたりこんでしまう。こういう体験が彼らのテクストの表面からは見えないけれど、フランス風のエッセイ思考を好んだニーチェは、だから、その瞬間の着想を短く書き留めるという方法を取ったのではないかと思う。小林秀雄の言うようにニーチェは健康の問題を抱えていたからそうだともいえるけれど。僕は小林とは違う感じを持っている。  彼らが何に砕かれていたかというと、昔風に言うと神の啓示といえるかもしれないが、「神は死んだ」や「無神学大全」の人たちはそう表現できない。  ニーチェは「人は三分とひとつのことを考えることができない」といったが、時間と思考はそういう関係にあるのだろう。集中力があろうがなかろうが同一性が砕かれ、時間の中に断絶が出来る。こちらの方が人間の思考の生理に近い。  時間というのは線でありつながっているというイメージが強いが、実はそうでもないようなのだ。こないだ統合失調症の病理に絡んで、計見一雄という精神科医が云っていたが、彼は道元を引用している。  道元は時間というのは生まれて(現成)してはその瞬間に無に帰すといっている。時間は不連続なのだ。  だとすると、時間はずーっと延びているのではなく、真っ白の瞬間がある。人間だってしょっちゅう呆けていることになる。健康な人間は適当に呆けることができるのかもしれない。ずーっと呆ける事ができず緊張している人はこの世界から糸が切れたように深い混迷に入る。  ニーチェも晩年呆けてしまった。バタイユの父は進行性の梅毒で脳をやられ精神障害だったそうだ。そのことがバタイユに影を与えている。  バタイユは、真っ白になってしまう時間にも精緻な思索と等量の価値を与えたのではないかと思う。詩を書く上でも、自分の底に「白痴の自分」を置くこと。それは自己の作品をより完璧にすることではなく、より儚いもの、砕かれたもの=死のようなものとして提示することに必要である。  一方に完成の意志が働いていることが重要である(バタイユには大向こうにヘーゲルがいたし、ニーチェにはプラトンやいろんな人がいた。それとの勝負で「弱さ」が重要だったのだ)が、自分がより砕かれバカになって行くことは詩には必要だと思っている。自分がそこに届いているかはわからないけれど、だからこそ、こういうふうに書いておく。きっと粉々に砕かれた人は私が書くようには書かない。力説するより、その過程を黙って曝しているはずだ。  三つ子の魂百までという。僕は自分の変わらなさを味わう。けれど、僕は自分の変わらなさをとことんまでは味わっていないと思う。自分のどうしようもない変わりがたさを味わい続ける過程が恐らく「内的な変化」といえるはずだ。その変わりがたさは一生くみつくせることはないだろう。そのようなわからなさが恐らく意味の源泉である。意味とはわからないものが放つ無限の色彩と音楽だろうか。 2007.9.22初出(後部分的に改稿) ---------------------------- [自由詩]マテリアル/石川和広[2008年5月3日23時27分] 山のあなたの空遠く はっきりはっきり目が覚める 布団を押し上げて 燃えてしまっている あなたが幸いではなく きがかりだ 何の関係もなくきがかりだ そう そういうこと きがかりだ みることは みえないのだから みようとするのだが みえないのだから きいているのよー きこえていないから きいたことにしてしまうけれど あなたの秘密を きいたことにしてしまうけれど それでははじまらない にせものなんだから 余の思いはにせもんなんだから にせもんをあなたになすりつけて 素敵な風景をきどっている じょうろ あなたが花だと思ってみて 水をやる 葉と葉のあいだに つぼみをつけた茎が伸びている まだ咲いていない 山のあなたの 咲いていない 贈り物です ピンポーン 空の配達です 知らない人々のおもいでのつらなり 金の模様である 雲がいずる場所 その地点にはおどろくほど おどろくほど おちていこうとする水の つぶつぶがフリーズしている 山のあなたの 固まっている それは器 器でない 攻撃できない 何もないようだ 水があるというのに それは一瞬で 凝固したアトムさんの集合 よりあつまって激しく静かに 聖している 精している そうだおちかかっていこう おちかかる 棚から牡丹餅 2階から目薬 仕方ないのだから こうでもしないと 山のあなたの あえないのだから 強い風は山にぶちあたり 激しく渦を巻き 山のあなたの幸いの町を こなごなにしてあなたを取り出すまで 余はふりつづけよう ふりつづけよう ※カール・ブッセ 上田敏訳 「山のあなた」より ---------------------------- [自由詩]弦楽、弦楽/石川和広[2008年6月22日22時28分] ふっとうしている ね ふっとうしている で しょう ね ね ね 木が そこから 俺のような 声がする 黙るな それ以上黙るな 息をしてろ ふう、ふう その鳥つかまえられないよ 鳥の声つかまえられないよ あんたの耳の中に 毛が生えてる くすぐりなさい 沈黙を 好きだから うまいよなあ 清められている 誰が 声が 俺は怒っている 好き で 怒っている どこまでも 怒ってはいられない 今 怒っている ガラスが雨をはじく 怒っている もう関心がない 関心が自分から動いていない そこで止まってしまった 鳥が鳴く 怒っている震えだけある ほか 様々ぴんとしている 俺が目指されていながら そこは全く道です 朝の道です ---------------------------- [自由詩]ねがい/石川和広[2008年6月22日23時11分] 毎日をさかのぼる 一瞬があらわれない そう出て来ない さかのぼるから には、そこにみなもとがある けれど ららら ちょっと歌っていたら 買い物を忘れた 買い物も買われるものも 変われないものも どうしたのかな 毎日をさかのぼる そういえば、このあたりで あなたに怒ったから道を間違えたのだろうか 時々考えるのだが 考えてしまうだけだった 駅にたっていた 警察車両が何台もグラウンドみたいなところを 掛け声とともにまわっている そうひとつ駅を乗り過ごして 戻らないといけず もどるってのは面倒なことで 反対側のホームで そんな警察車両をみたのだった いつもそんなものみなかった そこの駅はあんまり降りないけど ちょっとちがってた 横の女の子はぱっと見て かわいいと思った それも初めてだった それもそうだ はじめて見た女の子だから でも、みたことあるのかもしれない けれど 見たことがないことに なってる でも、もう一度見たら さっき見たようなぐっとくる感じがなかった 法隆寺展のパンフを見ながら坐っていると 最近疲れるよなあと思った けど、疲れるというのもあんまり思い出したくなくて 体重が減って ヘソがみやすくなったことを思い出した これを誰に伝えよう それを伝えたら ものすごく楽な気がする ビールを少し飲んでさあ すけべえなしょうもない男の本性で それでしんみりしていると むしょうに綺麗な夜が来て いくつかの灯りが 俺の芯を溶かして 全く作り変えられる そんな夜がいいんだ そういうのが ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]33年後の岡真史、おれ34歳/石川和広[2008年7月18日0時08分]  さいきん岡真史の名をネット上で目にすることが何度かあった。彼は12歳で投身自殺したという少年で僕より一回りくらい上である。かれが亡くなったとき、僕は1歳であった。    知り合いお2人のブログで岡真史の名を見た。それで妙に気になって、昨日本屋に岡真史「ぼくは12歳」を買いに行った。ところが、ブックファーストになく、ちかくのAという本屋へ。Aには検索機があるが、いくら書名や名前をいれても「該当するデータはありません」と出る。不可解である。 次にK書店へ。ここは蔵書数が多いからあるかなと思ったらない。店員に調べてもらっても在庫すらない。 けっこう今でも人気があるのか。時々こういうことがある。で、駅を越えて老舗の本屋に行く。さすがここはあった。すばらしい。  帰って「ぼくは12歳」を読み始める。彼の書いた詩と学校の作文、それから親御さんの手記。読者からの手紙までついている。誰かが上手だけどやはり子どもの詩だといったが、子どもだろうが年寄りだろうが、あるタイミングがくればとんでもない作品を書くのが人間だと思っている。ただ、そのタイミングというか自分の中の高まりとどう向き合うかがとんでもなく難しい。  夕方ただただ声に出して読む。黙読したりもする。ひとりでほうほういっている。  夜、家の者が帰ってきて、一緒に岡真史の略歴を見ていたら、岡真史の亡くなった日があった。それがなんと1975年7月17日。33年前の明日。つまりこれを書いている時点で今日である。ちょっとビビッた。時々必死で梯子して本を探すのだが、怪談にしてはいけないけれど、なんかに突き動かされていたのかな。霊とかいうと、いろんな意味で不謹慎だからいわないけれど。  時々見えてしまった人というのがいるけれど、岡真史の詩を読むと賢さよりも、その見えてしまった後の不思議な風が漂っているようにも感じる。如何に後世から未熟だとか言われても、その時その瞬間ある地点に立ち、そこを過ぎ去ってしまったこと自体は否定できない。  「道でバッタリ」という詩がある。バッタリ何かに出会ってしまったのである。そこで何かがはっきり「わかってしまった」のである。そのように感じる。いかにかわいかったり希望に満ちているような彼の文章を読んでも、見えてしまった後の妙な感じが感じられるのである。僕はアホだから岡真史に何が見えていたかわからないのだ。もしかしたらとてつもなく真っ暗だったのかもしれない。わかったようにいうのは止めたいけれど。  無題という詩がふたつある。 「無題」 にんげん あらけずりのほうが そんをする すべすべしてた方がよい でもそれじゃ この世の中 ぜんぜん よくならない この世の中に 自由なんて あるのだろうか ひとつも ありはしない てめえだけで かんがえろ それが じゆうなんだよ かえしてよ 大人たち なにをだって きまってるだろ 自分を かえして おねがいだよ きれいごとでは すまされない こともある まるくおさまらない ことがある そういう時 もうだめだと思ったら 自分じしんに まけることになる 心のしゅうぜんに いちばんいいのは 自分じしんを ちょうこくすることだ あらけずりに あらけずりに… さいきんモディリアーニをみたので あの描線の正確さは彼が彫刻家志望だったことから来ていると 先輩から聴いた。 その線の捉え方はまさに丁寧に削った感触である。 そこから僕はモディリアーニによくない印象を持ってしまった。 しかし僕の心が弱っていて そういうときにマッチしなかったので モディリアーニが悪い絵描きということにはならない。 僕自身僕の心をいじめていたのだ。 問題は僕の心の疲れそのものなのである。 うまくいかないにも関わらず あらけずりにけずらないと 心の壊れは止まないのだ。 今の僕にとってすごく示唆的である。 「無題」 けりがついたら どっかへ さんぽしよう またくずれるかも しれないけど  それにしても、けりとは何だろう?死とかそういうふうに解釈するのもなんとなくちがうし… ※2008年7月17日ミクシィ日記に書いたもの。 様々な感想をいただきました。それで、もっと色んな人にも読んでいただこうとフォーラムに投稿。 ---------------------------- [自由詩]門で/石川和広[2008年7月22日0時20分] さびしさにふたをした 余計にあふれてきた ふたをしろよ もっとふたを 漬物石 がいい いやもっと軽くてもいい わたがし 和紙 金箔 めでたくなる 重さなんか なんでもいい 自分でふたをすることが肝心 自分がふたをする その自分は明日にはちがう誰かになる そして数えきれない瞬間が奇跡的につながる そこに私らしい人影 いやまちがいなく私がいる さびしさにふたをしたのを誰かに埋めててもらおうとしている そのようなお門違いのために、ひどくみっともない気取りをさらしている ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]敵を知り己を知れば…仲仲治さんに恐る恐る話しかけてみる/石川和広[2008年10月16日10時40分] 仲仲治さん 自分なりのやり方でお考えになっているようだから疑問があっても茶々を入れないようにしてきたのですがどうも行き詰っているというか、もう書くことがないと書いてらっしゃるので話しかけてみます。直接にはこの散文http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=168678とこの散文http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=168500を考えます。 仲仲治さんはそう思っていらっしゃらないかもしれない。けれど、どうもうまく考えられずあれこれの議論に手を広げすぎて逆に焦点がぶれている印象があります。それは私の印象ですから、まちがっているかもしれません。けれども、そう仮定してお話します。 何か問題を考えていて行き詰ったら、どうするか。私もそんなことはしょっちゅうあります。それは、その問題を考えるやり方とか問題設定自体を問い直すということで、仲さんも様々に手を打ってこられた印象がある。けれども、うまくいっていない気がする。 例えば「モラル」もそうですが考えると相当一大事であります。ことはウイキペディアの解説文を引用して解説文に難癖をつけるでは到底済みません。 そういうときに、考えるのを止めるというか今は難しいから止めておこうという場合もある。また、考え続けるにしても経験や学習が足りないからもう少し修行しようということもある。そんなことを考えずに生活するという手もあります。 焦って答えを出そうと力むと余計訳がわからなくなる。見てみれば挙句の果てに人やウィキペディアに難癖をつけるというみっともない仕儀に出てしまっている。 しかし、簡単なことです。別にモラルについて今すぐ答えを出さなければならないという締め切りとかルールはないのですから。あるのならもう少し真剣に考えましょう。そしてそれは生きている限りみんな考え続けたり悩んだり疲れたりすることだと私は思います。(あなたがモラルについて考えていると仮定してですが)今答えをださなくったって恥ずかしいことは何もありません。あるいは答えを出さなければならない切迫した何かがあるのでしょうか。見かけ上は暢気ですが実はそういう内的な事情があるのかもしれない。しかしその問いの中味・内実・論理を―他人のあれこれでなく―あなたにつかまれたものとして提示するかほのめかすかしてほしい。そうしないと他の人も意見の仕様がないから批評もへったくれもない。いくら頑張っても議論が積み上げられない。(これはフォーラムで仲さんのみではなく幾度か見かける光景ですが)最初はあなたももう少しは冷静に見受けられたけれど、今は意地になっているのか話がずれてしまっているように感じる。終盤とかモラルとかその経緯や内的な意味がわからない。 だからひとつには相手しないという考えもある。だけれど、転んでいる人がいたらそしてけがをしたら、一様は駆け寄って様子を聞いたりしますでしょう。私はそれとおなじ程度の小さな親切をやっているつもりです。大きなお世話でしょうか。あなたは「転んでいない、けがをしていない」というでしょうが、私には残念ながらそう見えない。でも出血多量でもない。まあすぐ血はとまるかもしれないし…私はあなたの痛みはとれない。けれど、痛いの痛いの飛んでいけーということはできる。ことは具体的なけがではなく心や言葉です。それは一面では厄介だけど、話しかけてみることは出来る。 ボルカさんとイチイさんのコメントにひとつ共通点がとりだせるかもしれません。それは人を救おうとしても自分に出来ることが限られているという認識だと思います。 誰かが「自殺したい」と散文でいえばとりあえず「どうした?」とか感じたり心配したりもします。けれども、どこの誰かともわからない人にそう簡単に救いの手はさしのべることが難しい。そんなに人は親切ではないということもあります。またそれは自分が巻き込まれたら嫌だというのもありますが、やはり相手に声を届かすのが難しいと感じるからです。それは畢竟相手が馬鹿だからということではなく、自分も時々死にたくなったりしているが、なにがきっかけで凌いでいるかわからないのです。だから立派な答えなんて私はもちませんしもてません。そもそも自殺を考えたことがない人も広い世界ですからいるかもしれません。 また、実際自分の知り合いが死にたいと電話してきて、ビルの屋上に今いますといわれたら、どうでしょう。実際私も経験がなくはないけれど、どれくらい本気かは声でわかるとしても、実際どうしていいかわかりません。いのちの電話などでその対応にあたっておられる方や精神科医で患者・クライエントが自殺した例等多々あるでしょう。医師であれど落ち込むそうです。私はバカだから「死んでくれるなよ」とかそれくらいのことしかいえませんし、取り乱します。それは相手のことを好きだからです。しんで欲しくないからです。わがままです。自分の限界を感じます。好きだけど届かないことがあります。しかし、自殺したいという気持ちはこの世界から消えたいということだろうから、それに匹敵するくらいの思いで対応するか、さもなくば諦めて警察消防専門医の手にゆだねるしかありません。最悪愉快犯の可能性すらある。 ボルカさんやイチイさんの表現を私なりに敷衍していいますとこうなります。まちがっているかもしれません。まちがってたらボルカさん、イチイさん申し訳ない。 非力な私に出来るのは精一杯の気持ちを伝えるくらいのことです。それで適わないならばそれは自分の気持ちが弱かったのかもしれません。しかし実際は相手が大変にややこしい苦悩を抱えているということもあるのです。破滅的に他者もまきこまんとするような自殺もあるのです。心中やテロ、集団自殺。思想や形のちがいはあれど、誰かを巻き添えにしたいのではないか。社会にはたくさんの事件があります。ここ10数年で大量殺人をおこしているケースはかなりそのような自己破滅と他殺が入り混じったものではないか。イチイさんが指摘しておられる例はそうではないかな。 また自分に限界がある。現実に届かないあるいは難しい場合の他にもうひとつあるのは、さして縁もゆかりもないならば言葉がそもそも届かないということがあります。 届かないものにとどかそうとするのは極めて尊いことでこれを突き詰めれば大変大切な問題です。イエスや釈迦が取り組んだ問題だろうと思う。そして無縁の誰かに言葉を届けたいという望みは普遍的なものかもしれない。関係というのは一歩踏み出して作っていくものでもあり逆に不意に向こうから来て巻き込まれていることでもある。だから、非常に語りにくい。また相手への押しつけにしかなっていないことがある。丁寧に語っていきたい。しかし、少し自分の歩く方向がわからなくなれば、知らず知らずの間に変なものにぶつかったり、人の敷地に入り込んでしまっている。もちろん、生きているということは迷子になる可能性があります。たくさんあります。けれど迷子になった責任はあなた自身になくても、他の誰のせいでもないのです。 縁もゆかりもない人と友達や恋人や知人になることは人生の面白さでありこわさです。仲良くなることを共倒れと勘違いしたり共依存になると非常にしんどい。私にも身に覚えがあります。だから距離や礼儀というものがあり、これは安全装置です。恋愛や深い関係に入るときはこの距離を踏み越えますがそれは誰にとっても不安定な状態です。届かないのにいい続ける。相手は押し付けられていると感じる。知らぬ間に相手に例えていうと相手が自分を好きでないのにしつこくつきまとうように見える場合もあります。 話を戻すと私たちは誰かが死ぬと心が痛みます。けれど、実際きわめて関係が薄い他者がいるわけです。また本来他者とは近しい隣人であると同時に、境遇を異にする自分とはまるでちがう人です。その事実を見失いかけてはいませんか。離れていくことは悲しいけれど、しかしそれは自己と他者の本来的な距離なのです。そこに尊厳はあるのです。だから仲良くなりたいのです。離れているから関係を作っていくのです。いきなりべたべたでも冷たすぎてもしんどい。そういう趣味の人もいますが。あなたが昨日の論文で書いた女子高生にしていることはだから、私が叱っても仕方ないのだろうけれど、しっかりしろといいたいのです。 もし自殺しようとする他者に責任が持てるとか介入したいというならば、それはやはり相応の気持ちがなくては誰かを救おうとはできないんじゃないでしょうか。そうでなくてはひどいことになると思います。また、普通わざわざ自分が救ってます!とか宣言しないのではないだろうか。仲仲治さんにはしかしそんな気配はみられない。救うとは宣言しないものの何となく自分が特別だという考えに憑かれて、無理してモラルとか自殺とかいってるのではないかと感じるのです。それは大変無理のある苦しい姿勢ですが、ものを考えるには一方で健康な感覚も必要なはずです。いわばバランスです。 どのような思い・あるいはやり方で自殺したいとする人に話しかけるか再確認してみたい気もする。けれども、これ以上あなたを混乱させるわけにはいきません。それはあなたの心配もありますが、最後のところです。 仲仲治さんがいみじくも最後にいわれていますね。相手に関心をもってもらえないからといって、冗談だとしても「仲仲治に抱かれたい」などといわせようとするのは止めてください。またそれを公言されてもみっともないというかこちらが情けないというか何というか恥ずかしくなります。また余計な一言としては相手から訴えられる危険性もある。衝動の在り処を自覚してください。そんなものわからんけれど私自身も。ネットじゃなかったら叩かれるか猛ダッシュで逃げられますけど。 それにそうやって自分が最低であることをアピールしてどうしたいのでしょうか。そうやって自分が不完全なことをいいたいみたいですが。わざわざそんなことをしなくてもかつてはもう少し丁寧だった論が非常に杜撰になっている。そんな風に露悪を気取っても自分が傷つくだけです。面白がる人はいるかもしれない。けれどどうかご自愛なさってください。わからないことは人に質問しても恥ずかしくないのです。私も含めてこのフォーラムには人に質問したら負けという雰囲気が部分的にだけどある気がするけれど、そんなことはない。世の中では知らないまま意地を張っているほうがよほどみっともないのです。 ふつうにわからない、なやんでいることがあれば、自分の苦悩を打ち明ける。仲さんに今必要なのは他者救済ではなく、仲さんがあなた自身をぬかるみから救うことです。私はあなたを救うまでは思いません。あなた自身が落ち着いて自分を救ってください。できないならば、身近な人の手も借りようではないですか。しかし何が痛く苦しいのかぼんやりとは気づいてください。本人が気づかないままにみっともない状態を放置できない。なぜなら私にもそういう覚えがある。フォーラムでも相当に私は恥かしい振る舞いをしたと思いますから。全部がまちがっているわけではなくても、間違っていることもあった。私は今回自分にしては慎重に考えましたが根がお節介なのかもっと仲さんにも様々な方にも面白い散文や作品を書いてもらったら、このサイトを覗くのが楽しくなると思うのです。そう思っているだけです。正直散文に書く人が限られ、狭くなってしまっているから多様な意見が反映されていないように思うのです。 どうしたらいいかヒントがある気がします。私がこの散文を書き始めた動機を述べます。私もあなたと同様、橋本治や吉本隆明を批評家として大きな存在だと思っています。しかし彼らにも間違いはあっただろうと思います。それは置くとして彼らに共通する方法は自分を問うということです。自分を責めることではありません。仲仲治さんは密かに自らを責めているかもしれないけれど、別にそんなことしなくていいのだと思う。誰も望んでいない。ただ自分がどこで話を逸らしたか、手続きを逸脱したか見つめなおしてください。それは恥ずかしい思いのすることだけど、自分を罰することではありません。自分が今後様々なことを身につけていくのに必要なことです。文学をするとして、文学バカになる必要はない。適応ではなく、ルールやモラルを既存と思うのではなく、ひとつひとつその意味を確かめ他者とすり合わせ、かんがえる作業だけが必要です。それは地味に見えるかもしれませんが、そうすることでしか創造というのは文学においてもないと思います。 吉本には激烈に他者を批判する癖がありますし、橋本には相当根深い他者不信があります。けれど優れているのは自己を問い、自己の間違い・苦しみをなんとか客観化し、人の前に提示することです。それが材料になって、人はそれについてあれこれいえます。つまり感想とかもっと構築されると批評です。私もこういう当たり前のことに気づいたのは最近なのです。 私は仲さんが吉本や橋本の最近のごく限られた作品しか取り上げないのがどうも不満なのです。他にもいいものがたくさんあるのです。たとえば橋本治の『恋愛論』。自分はみっともないけれど、このように恋し世の中を他人を見つめて関わってきたのだと克明に話されています。最近の著作も大事かもしれませんが昭和を総括した『‘89』。その他漫画評論から江戸文化論、歌謡曲、映画に関する評論。どれも昭和や近代ということを検証するため自分の身の回りの事物現象から拾ってきています。 また吉本のある意味の原点は戦中皇国少年だった自分が如何にあおられていたか、自分の眼でしっかりとものを見ていなかったかを考えたところだろうと思っています。『転向論』や『マチウ書試論』では如何に自分を掘り下げ自分の無知や盲目な部分を見つめ、それでもきれいにいきられないでいる。他者を呪う。世界を呪い破滅の方向へ突き進む。その中でも自分の場所をいかにして見失わないかその難しさが語られています。昨今蟹工船がはやっていますけれど、吉本はそれ以降の共産主義がどのように覆いつぶされていったか、それは国家からの弾圧もあるけれど、一方でつづめていうとそこが浅かったからだといいます。 底が浅いというのは自分が生きるということは他ならぬこの社会と関わることだとして、社会の悪い点を見つめる。そこからこの社会と対立する点が出てくる。けれど、対立する社会に自分は生きてきたという視点が欠けていたということです。その社会を否定するだけではことはすまない。自分の中にも社会に染め上げられた・社会と同じだからこそ反応する部分があるのだと。そこを考えないと批評の醍醐味がない。せっかく批評というなら、社会とあるいは世界と切り結ぶ点を模索したいと思いませんか。そのためには、いろいろ人の世話を焼いている時間はないのではありませんか。自分を掘り進めていくともっとちがう景色がみえるかもしれませんよ。単に対立するだけでなく対立する自己とは何者なのかと問う。絶望しているよりももっと絶望したくないですか。吉本批評のたぶん良質の部分は仲さんの言う「じぶん語り」と「他人語り」を並列させてあれこれ論じることとは真逆です。まさに俺は何ものなのかと問い、思い、初めて、ではそれを知るためには実は自分を育て活かしも殺しもする社会や他者を知らなければならないと進むのです。社会や他者もイメージだというのはもっと後のことである時期までは、世の中って嫌だなと思いながらそれでも考えていた吉本がいるのです。この要約は間違っているかもしれませんが、私はそう思います。 己を知り敵をしれば百戦危うからずといいます。敵を知ることは己を問うことと併行したほうがいいし、己を知ろうとしなければ敵を知るきっかけがつかめない。自戒を込めてあなたにこうお伝えしたいと思います。お節介で申し訳ない。 でも納得するまでお好きにやんなさいということもあるけど…実は私が知らないだけでとんでもないテーマをあたためているのかも知れないから。いやそれも確かなことはいえませんが…けど時間はかけてるけど本人は身銭を切っているというがどうもそういう確かさがないんだよな。それは無重力のような。なのに苦しそうだ。 ---------------------------- [自由詩]窓を叩くような/石川和広[2008年11月18日17時05分] 生きてるのかな、この花 どうなんかな、生きてるのかな、この人 肩をゆすると花は俺を睨みかえしたが 恥ずかしそうに向こうに行ってしまった 向こうの車両もその先の車両も女性専用だというのに その先もまたその先もずーっとその先になるとまた話は変わってくるけど それはだいぶ先の話だからなさっきの花は寝ていたから 俺の頭に萎れてきたのでちょっと肩をこずいてしまった そんなつもりじゃなかったのにあの花は行ってしまった 冬空が遠慮なさそうだ どうしても恐くなってくる 窓から夕焼けが見えてしまう 暗い雲に夕焼けがなんか映画みたいに風雲急告げるみたいな ちょっとつまんない喩えだけど けど思い当たる恐い未来の出来事なんかなさそうだ ケータイを見てみたがそんなことしたって仕方が ないか もう降りるべき駅が来てしまった こんな暑いのにコートなんて着てられねえ 手に持つ 手に持ったらなんかみっともないが仕方ない この駅からは夕焼けが見えなくなっている  どうしても人の顔が目に焼きついて仕方がない なんでだ  それとか広告看板とかな 人の顔ってなんでこんなふうに見れば見るほど じろじろ見ないほうがいいぜ知らない人だから だけど俺だってなんだって知らないもの同士なんだぜ なんでかしらんけど あの娘も俺の親父も母も俺とはちがう存在やで ただちがう姿をして遠くへ消えてしまいそうに思う 俺もそのようにかすかに あの小さな男の子のぴょんぴょんはねるような足取りと それと細くて白目が多い目と 帽子と帽子と小さい靴とアニメの絵が描いたある それはさみしいとはちがう 階段を登って店に入ってなぜかスポーツ新聞を買う この店員の胸には「もりさき」と書いてある でもなぜか君が「もりさき」であることが嘘のように思える 実際はちがうねんでけどな なんでか なんでかやけど そんなこといわんけどな もりさきという人のこと それを考えるのは暇人のすることなんだろうか かけがえのないとよくいう それを美しくもなく汚くもなく とにかく感じるのは思ったより難しいぜ いい男やいい女になれたとしても難しい だけども 夕焼けとか車両の先の先のほうにある何かそれは恐い かけがえのない?俺はこわいぜ 100万回かけがえのないと叫び叫ばれたとしても たぶんこわいぜ それはなぜだろうか きわめてさみしいというか、その奥のほうから ささやいている 窓を叩くような 揺れているような 静止しているけれども 自信ないけども 暗い夜道の親密さの方が恐くないぜ 眠って起きられないということもあるかもしれないけど こわくない だけどどっかでぷっつり道は切れているのだな そんなこと具体的には考えきらんし 風の鳴り音とパソコンの起動音はなんかちがう でも似ている 道が切れる先の先がなんであっても その雲の妙な赤さ 人のいない 壁とかあるいは崖とか 人とか牛とか 宇宙とか あと子供とか人参とか 声とかこえとか 目とか目先とか 気づかなかったこととか いまあるもののすべては 道の途切れたところからきて 俺に恐さを与え 恐さの美しさを与えている気が今日はしてしまった ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]その痛みや嘆きや喜びや想いに優先権を与えないと。/石川和広[2008年11月21日11時00分]  白井さんのまどみちお論のところでずいぶん息巻いてしまった。あれこれいってはいるものの僕のいいたいことはシンプルです。  まず、自分でいいなと思ってしまうことはいったり、やったりしたほうがいいということです。僕自身文章や詩を書いたりすることがどれだけうまくできているかは心もとないんですが。でも、人に頼まれもしないのに、おもいついたことを書いてしまうというのは、僕がアホだからということもあるんだろうけれど、たぶん好きだからかなと。  こんなこというとお説教みたいですけど。僕が自信満々の人のようなんですが、そうでもありません。感じたこと、考えたことを裏切ってないことにしてしまうと。そしてそれをいわないでいると、自分が辛くなり心が苦しんで死んでしまうからです。  辛いときに痛いということを我慢して少ししか言わなかったら盲腸が腹膜炎になり1ヵ月も入院してしまいました。  また、悔しいのにニコニコして誤魔化していると非常に同級生からバカにされ、コケにされました。  だからいやだったら、いや。いいものはいいと、とりあえずいうか、自分の中にでもせめて保持しておかないと僕は事実上死んでしまうだろうと思いました。  僕のそういう態度は、おっさんになってもあまり変わりませんでした。少しは賢くなったつもりだったのですが、やはり疑問をもったり、なんか感じたらそれを何か展開させたいんですね。意地っ張りです。ひつこいです。ちょっと変です。展開させて人に触れてもらうことでおうおうにしてけちょんけちょんですがそれはしょうがない。でも腹は立つ。  病気ならまず何か変だということをいう。感じる。いろいろ調べる。どこがおかしいかがなんとなくわかる。病院に行く、みたいに。しかし痛いのに痛くないかもといっていたら伝わりませんね。あるいは死んでしまう。藪医者に当たるとヤバイ。  意外に芸術上の発想、日々の思いもそのようにウタカタのものなので、死んでしまいやすい。自分がいいとおもったものを自ら踏みにじることがいちばんくやしいのです。自分が好きだと思う人にふられるのが一番悔しいです。しかし考えたり感じたりすることをまずは大事にしていかないと、すごく辛いです。作ってみてつまんないということはあるし。ふられてツマンナイ男(女)だったということはあるけれども。別に告白したり作品を即発表することをしなさいといっているわけじゃなくて。浮かんできたものを胸に留めておくということ。  そっからああでもないこうでもないが始まるのです。作品だって書いてみないとしょうがない。そっからこれまずったなあとか感じます。  料理でも語学でもおしゃれでもそうです。へんてこになりながら覚えていくしかありません。そういう試行錯誤をこのフォーラムが涵養しうる場になっているかというとわかんないですが。  けど、自己発見というとくさいですが、これは何だろう?しらんけど面白いそう思う自分は何者で書いたものは何でと考えていく作業をまず大切にした方がいいと思います。白井さんのいうようにわかるわからないは大事ではないかもしれない。しかしひとまずはつかんだと感じたこと、その痛みや嘆きや喜びや想いに優先権を与えないと。これは批判ではありません。  それは誰かにしてもらうとか誰かにこう云ってやったというあれこれとは無関係で、ああ自分はこう思う人間なんだなあということから謎は始まると思うのです。  白井さんの議論とは大幅にずれてしまったように思いますが、僕もまどさんの詩は好きです。しかし、まどさんはわかったりわかんなかったりじゃなくて、どちらかといえば、自分の感覚を分かりやすく書く人ではあれ、わかったりわかんなかったりしながら描いているように見えてまるで逆、つまり自分でつかんだもんを譲らなかった。でないと98まで詩を描き続けるよい意味での図太さは持ちえないと思うのです。けっきょく結論が白井さんの議論と同じことになってしまって、息巻いていた自分が恥ずかしいのですが。。しかし白井さんの議論は優しすぎて、世知辛いこの世界で、書き手がサバイバルしていくには何か足りない気もした。  作品や感覚の元になる根っこは非常に繊細だからこそ全力で風雪に負けないように手塩をかけたい。できてませんがそれが僕の理想です。  僕は実は小心者だからこうしていうのかもしれませんが。。 ---------------------------- [自由詩]ささくれがしおれるまで/石川和広[2009年1月21日9時52分] 夜になったらねむくなるのはすてきだ きもちいいだるい感じなんだ もしイライラして空気がビリビリしているなら そのささくれがしおれるのを待つことだ ただそのささくれが治まらないなら それはかなり疲れてるってことかな そんなときはどうすればいいんだろ 怒りの行く先は簡単であったりして 簡単すぎて つまらねえから イライラするのかな 答えが見えるよりは 何かを誰かを裁くよりは 新しい問いかけの方に行く方がいいのかな 向こうの方へ どんどん伸びていって追い切れなくなると 身体はあきらめて自足する 次の日の問いかけに向うために 布団に包まるんだ ねむれねえ なんかうまくいってねえんだ ねむれねえ時間をつくったり ねむらせない何かや 自分がいるんだ それは一日では 解決しねえか 一生かかってもわからないかも とにかく今日だけの それだけの仕事しか俺らはできねえから 無限に できることが 伸びつづけたら ここがどこだか わからなくなる だから限りがあるってのも すげえことだよなあ 疲れたら息を抜くしかねえなあ それくらいおれらの身体は うまい具合にひ弱に できているの かもなあ だから布団はなるべく干して 風呂に入って 冬を生き延びるしかないのかなあ そんなとき 身を投げる敷布 身にかかる掛け布の一枚もない 誰だろう そんな人のことが シピシピと気がかりに なってきた ---------------------------- [自由詩]さがしつづけてしまう/石川和広[2009年1月21日18時25分] 悪戯がからだに忍び込む その悪戯がうるさいのだよ うるさいのは…なんというか 空を満たす透き通った布切れだとか 電気の波だとか 話し声 それらに押し流される私の意思 意思なんかカケラみたいにどんどんこの この当たり前の世界にそれらしく流されていくのだが その極めて私的な事実が己の力を奪う いや誰が奪うでもないけど けど、骨抜きになってスカスカんなって それはもう不愉快な愉快だ 首を回す 足を伸ばす 身体を左右にひねる ふくらはぎも伸ばして からだを大きく旋回 背骨や筋肉の間に隙間をつくらないと それぞれの間の血流が傷んですぐに くるしくなってしまう かろうじて私自身が奪われないように しっかり体操して自分の身体を毎日思い出すようにしている そうしないとすごく意思と、身体が離れて 繋がりというか命綱が断たれてしまう おまけに体操は肩こりにもよい 冷えにも抜群にいい 実際今年は風邪も引かず 元気にやってたりする 寒い日に雨が降るかもしれない 窓には結露がびっしり 雑巾で拭くことにしている あけそめた光を隠す 厳しい雲がうつる その感じは嫌いじゃない どんどん 塞いでくれたらいい 目の前も 後ろも 以前ならすぐ萎れた草や木は 毎日水を注ぐ量を変えただけで 意外な強さをとりもどす 植物は中が柔らかいからだ 私だって植物の性能は持ってるんだから 見た目は湿気ていてしかしながら魂は枯れたようで いやらしい匂いを放ちながら冷たい空気を あなたの中にはこぶようだが そんな私でも光や黒の間で生きている 外に出ると あなたのことを特に考えていない一瞬を発見する もう会うことがないかもしれない あなたは帰ってこんかもしれん 私も会うのやめようかと思うけど 私がお茶ばかり飲んでいたから 結局は私には相手とつながりがあるという深い感覚が 理解できないのではないだろうか 理解できない自覚はあるがまだそれを育てることを 始められていないのではないか 深く深く心配である そういうつまんない一瞬の断崖が 見えてくる あたりまえのように放つ私やあなたの言葉の中に 私とあなたの混ざり合ったやさしい空気の中に 互いの瞬間の生成りの中で間違いや鈍感を感じ取って 不思議ではなかった 不思議だとしたら 雨が降るときも どこかに息を潜めながら くすぐりあう生き物がいることであり 掛け違えた何かを すこしずつ埋めていく音や光があることだ それが慰みとなって それだけでよくわからないまま私たちは ここに別々に取り残されている それで何が足りないと私は言うのだろう 道のひび割れや 錆び付いた屋根のある もう崩れたような家の間を すこしずつ辿るとき 少し先の 角を曲がっている人影が 僕のようで 自分の片身のようで その人は誰と話すんだろう その声はどこから来るんだろう その先にはたばこ屋があって ついこないだ営業をやめた本屋があって そういうなのがうわっと気になって 疑問やさざなみが私の中に生れてしまう 知らない婆さんが引き戸を開けて 植木鉢をみている まなざしでしかない まなざしですらない あらゆるまなざしの中に どうしてもひび割れた何かを塗りつぶすにかわを しつこくしつこく探してしまう 闇雲に探してしまう 探すことそのものが虚偽や不正に思える 探すことに罪がある 深淵を埋めてしまうことは罪であるように思い込んでいる 生き物はうまく傷を治すのに 細胞は日々生成しているのにそれよりも早く 早くと より早く私の周りにある深淵を 塞ぐにかわを探し続けてしまう ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]忘れたらなんか困ること/石川和広[2009年3月30日23時21分] 論争スレを読んでいて思ったことを書きます。 私は自分が男しかやったことないので、異なる性の気持ち、存在状況とかそういうのがわかるといったら嘘だとは思う。 けど、どんなジェンダーにいてもね、欲望とか欲求ってのはあるよ。 寂しいときにそばにいてほしいとか、手を握ってほしいとか。 そういう欲求の出どころはよくわかんないんだけど、その欲求からはあまり逃れられないよねって。逃れようとしたのはお釈迦様だけど、お釈迦様は生きているからこその苦しみということをいったような理解を私はしている。けど、それは煩悩とか性欲とか、あれこれいろんな言い方があるよ。その出どころがわかんないが故の面白さ、危険性。 だからその逃れられなさ、わかんなさから話をしないと変になると思った。 もし体を寄せるってことが、純粋な混じり気のない性質をもともと持つなら、問題ってあんまりないかもしれないよ。でも、つきあうから始まって体を寄せるってのは触れるってのはなにかが侵犯し、混ざり合おうとすることだ。そこから深い孤独さえ感じるものだ。 他者と交わるってのはいろんなきっかけや、理由から生じる。 さらに人間って、性交渉とか異性と触れるということに対してかなりいろんなことを考え期待し求め妄想するから、そこからすれ違いというか求めるもののちがいが出て来るの。 でも、触れるということが、ただただきれいでもなく、素敵でもなく、幻滅や邪な心と隣り合わせであり、人間が神でないなら、どんなにいい奴でも正気でいられない部分でありもっとも敏感なレベルの(魂?)の部分を交わらせるってことを忘れたらさ、まずいと思うんです。 人権の尊重、侵害しないってことがきれいごと、不純ではない交流をしましょうという呼びかけやスローガンのレベルで終わってしまう。しかし詩を書いている人なら言葉が空虚なぺらぺらな論で終わるなら、悲しいでしょう。だからって暴力的に訴えたりしても本末転倒で、それはさらに荒んだ気持ちさえ生み出すこともある。だからって、全く無傷な人もいられない話題だ。 それは飛躍するけど、犯罪、民族紛争でも似ていて、つまり、理想的なケースにもっていけるってあまりにも主張すると逆にそこから離れることもあるのよ。正義が大手をふるって町を破壊するみたいなことになるよ。 邪であったり、私欲をもつ人間がだからこそ、その上に美しい関係も作りうるという逆説の部分を入れ込んで話しない限り、人間を尊重し、ひとを大事に、豊かにするという呼びかけは往々にして空無に終わるように思う。 つまり人間が複雑な社会に生きていていろんな種類の孤独をもって、そこからつながりうるということが、あるときは暴力としてでてしまうとしたらどういうことか。わかんないけど。難しいけど。詩だってそこに根ざしているはず。 だったら、そこをとりあえずはじっくり自分の底から、その根底から考えて見ないと他者を説得し暴力や侵害を抑止する力は生れないかなと思う。欲望や関係自体が間から生成するんだから、そういう境界領域が誰かと誰か、自分とあの子の間に生じるものなら、それは良きものをも生み出す諸刃の剣。だって、人と理屈のレベルではなく、深く深く包まれる形で包摂され、しあうということは多くの人が望んでいるだろう。そして時にそういうつながりが恩寵のように訪れることさえあるということ。しかしまさしくそういう優しささえ時によっては絶対的に相手に苦しみを与えるから。 個別の事例に望むときに、その人そのものに関わる時にこういう話は個人的にはおさえたいところだ。忘れがちになるんだけども。だから書いておいたんだ。なんか妙な塩梅の文章になってしまった。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]人が自由を奪われるってのはね、生きていても生きている感じがしないとかそういう体験の恐怖なんだと思う。/石川和広[2009年4月9日12時55分] http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=182801 睡蓮さんの文章を読んで思ったことを書いてみます。 なるほど。セルフ・マスキャリズムについて、勉強になりました。最近石原吉郎という戦時中戦後にソ連の収容所に抑留されていた詩人の本を読んでいますので。 ただ、ひとつなんとなくぼんやりと疑問があるんだけれど。 >どうすればこの呪いを解くことができるのだろう。呪い(のろい)を解くためには新しい呪い(まじない)が必要だ。 そうなのかなあ。まじないで、なんとかなるのかなあって。もちろん呪いとまじないはちがうと思うよ。ただ、そういう魔法っていう感じじゃなくてさ、人間が苦しみや加害や被害から離脱できるとしたらそれはもうちょっとそういう魔術的なものとはちがうもののような気がするんだ。もちろん人間には物語りや言葉は必要なんだ。 けど、くさい言い方になるんだけど、それは「それでも人生にイエスという」ってフランクルはいったけど、じわじわと湧いてくる肯定というか生きている感じであり、それへの信頼であり、それが少なかったりすることが誰でも辛いんじゃないの?つまり自らの生をいろんな事情で肯定しがたいことが、あらゆる被害感情やいじめややっかみや苦しみの根底にあるんじゃないかなと。 すません。曖昧で。話ずれているかな?でもこのまま話すね。 でも、病気でも差別されることでも暴力を受けることでもそうだ。自分が生きていてもいいという感覚が損なわれていることが苦しみなんだと思う。 その人にやさしくできないのは、なぜなんだろう?どこかで、その自分の攻撃性や、自分の傷口に反応しているから、まともにいえないのでは?そんなに一般化してはいけないかな? もちろんそうだね。そうなんだ。 でも、女性はただただ隷属してきた階級に属していたんだろうかという疑問はある。もちろん女の人同士であれ、男同士であれ、「あの女(男)はダメだ。もっとうまくやれよ」といいあうのはけっこう見てて辛い。男なんかもさ会社でもどこでも「もっと男ならしっかりしろ」っていわれるからなあ。いじめにあったら「男の子なんだから反撃しなさい」とかね。 だからまずそれぞれの性差や階級や国籍なんかで、互いがレッテルを貼り合い、苦しめあうことがある。もちろんこの社会は男原理・女原理みたいなので厳然とできていてそこで差別はたくさんある。それは辛い。 しかしさ、俺は思うんだよ。もう単純にね、男だから、女だからも込みで、でもそれからさらになんか空気がうまいとか、景色がきれいとか、手も足もうごかせない人でもなんか気持ちが伝わってよかったとか、ヘレンケラーがウオーターって叫んだとかそういうさ、どういう身体を持ち、どういう社会的属性にいても、同じようには感じないにしても、存在しているからこそ得られる感覚ってあるじゃんか。さんまの名言に「生きてるだけでまるもうけ」ってのがあるように。いやもちろん人間は必ず死ぬんだけれど。 精神的に苦しんだことがあるなら誰でも(つまりこの世界に生きているたぶん全員)わかると思うんだけど、人が自由を奪われるってのはね、生きていても生きている感じがしないとかそういう体験の恐怖なんだと思う。 例えば俺だったら「先生、僕○○くんにいじめられたんです」っていったらさ、「○○くんは男の子で元気でよい。男の子はいたずらくらいしなきゃ」っていったんだよ。これどう思う?おれ息が止まったよ。つまりもうダメだ。いってもダメだ。ここに自由はない。この世界で一生生きるのかって思ったよ。おおげさかもしれないけど。それから俺も男なら強くなきゃならんのかと思ったりもしたし、今もそうだ。 さらにややこしいのは、それを言ったのが女の先生だった。だから睡蓮さんとは話がずれるけど、俺も女の人のことを対等に見られない自分があるよ。やはり異性ということもあり。でも、なんかまずひとつは「人間しっかり生きなきゃいけない教」みたいのがあるんだよ。世の中は苛酷だからわかるんだけど、全部が全部しっかり負けないようにいきなきゃなんねえ訳でもないと思うし。それと、矢野顕子が「ラーメン食べたい」で、「男も辛いけど女も辛いのよ」って歌ったの。したら何十年もたって、奥田民生がライブでラーメン食べたいを歌って。「女も辛いけど男も辛いのよ」って歌ったの。アンサーソング。これがいいことなのかわかんないけど。でも、以前は男にしっかりせえという圧力があって、それを女が支えなさいっていう社会があって、それからしばらくたったら、女もしっかりせえってことになって、だからそれは誰かにしっかりせえという社会の要請ってなんだろうって。それは俺自身の中にもある不安や恐怖でもあるのだろうか。だからそんな単純じゃないけど、いったん、人という生き物の生存の次元まで話を戻したい気もしているの。 差別や差別を支える社会の感覚ってのは、みながどこかでそういう絶望や息の根を止められる体験に苦しんでいるから、そういうエネルギーを養分として育つ。人間が絶望をもつのを禁じているのではない。絶望があるってことはそれを引き起こす心の、社会の現実があるからだ。つまりいいたいのは、例えば性差を起点として、あるいは同じ性の中で差別があるとしたら、それはそのように強いている現実の力があり、それを私たちはせっせと再生産していて悲しみを増やしている。でも、もしそれだけなら人間は生きられるのかってこと。そういう現実をかいくぐりながら生きていこうとする人間の力、あるいはそれとちがう次元で生きて働く人間の知恵があり、それが救いなんじゃないだろうか。 そして俺は小声で言うけど、もし差別とかそういうものをちがうっていえる力があるとしたら、いやその根底にあるのはそれでも生きているからこの現実が感じられているということへの信憑なんではなかろうか。そこを幾度でも確かめ支えないと脆くも私たちは簡単にいがみ合いの、いやなことだらけの現実に墜落していくのではないか。 俺はその先生は許しちゃいない。けどね。だから睡蓮さんの言うことはなんかわかる。 許せないんだけど、そういう現実があって、俺もそこから逃れられない。けど、だからそこで僕やその周囲の人がより自由によりよく生きられるようにしたいという、そういうちょっと単細胞なお花畑な願望があるってことをいいたかった。俺の場合。 俺は精神病でしんどい時期も長くて、今はましだけども。いやなんか俺も人の狂気やなんかみていらいらしたりすることもあるよ。そら人間は理屈だけで動いていないからさ、だからもうすさまじい喧嘩もするって。俺はすごく喜怒哀楽が激しいから、もう感情的で自分でもしんどいんよ。情けないんよ。でも、そこで今は俺もなんかいい知恵がないけど、ちょっとは互いが互いのさびしさや辛さや、それでもなんとか生きているっていうことで、その上ででも、ちゃんということはいいたいなってところまでいけたらなあと思っている。 主観ってのは大事だ。それは社会が作り出し洗脳した部分も多いわけだけど、でも、自分なりにこう思う、こう感じるってのをどうかなあこうかなあっていろいろ試みながら出していくのが表現ってものじゃないのかな。いや、許しあうっていうきれいごとじゃなくてね。それは一重に実はそれを支えるのは自分が生きていて他者も生きていることへの最低限の一ミリくらいの尊重であり、それをたがいがもつことで世界は支えられている。だからそれがいろんな暴力等で損なわれるということは本人も辛いしまわりも辛い。 私たちがどれだけなにごとへも無力かということが深い絶望や不信や嫉妬や優越を劣等感をみたときに、感じられる。それはこれだけ多くの人が傷つきながら生きているという感覚を呼び覚ます。 でも生きてたらへこたれそうでも、不信や絶望にさいなまれながらもそこからが始まりなんだなって俺は思う。病気になったときはもうダメだとは思ったけどまだ生きているよ。生きてバカ面さらしているよ.あるいはそこから始められない人は誰かが肩を貸さないといけないんだ。ごめんねなんか偽善的な物言いかな。睡蓮さんの文章は論としては変でもないんだけどそこがちょっと閉塞してて、見てて辛いからなんかいいたくなっちゃった。他の人の意見もいろいろあるようだけど、今回睡蓮さんの文章から俺はこの文章をはじめた。 そしてこれは強調したいけれど、これは睡蓮さんの文章に示唆を受けて書いたんだけど、睡蓮さんだけに語りかけているわけではない。睡蓮さんの文章で様々に示唆を受けたことを感謝する。その上で、自分自身に対しても、一連?の件に関して、発言した、あるいはしないつまりはフォーラムを見ている様々な人、その向こう、彼方にある何かに対して語りかけている。だから、かっこつけすぎたかもしれないが、「人間」とか「生存」という言葉を使って、なんとか普遍性を持たせたいとは思った。できてないと思うけど、でも、その人に語りかけるってのはその人の心やその広がりに向けて語りかけることであって、ただその人を特定し、糾弾するものではない。いや俺も非力な一個人だから、単なるあてつけや攻撃になっている部分もあるだろう。この件に関してはいろいろわからんとかいらいらすることもあるんだ。でも、それだけを書いていたら、単なる愚痴。だからといって、その高みに立ち過ぎたら、変だし。あくまで折れ個人の意見を睡蓮さんの文章への言及を通して、なるべく色んな人の心に訴えたいと思い書いた。だって主題自体はどこの世界でも存在する大切なものだもの。その展開のさせ方がいろいろあって困っているんだけど。仕方ねえ。 いや現実的になんかヤナことは多いけど、だから俺もよく怒り悩み嫉妬しするんだから、そこを自分でも感じてて…でもねっていう。 ---------------------------- [自由詩]ガラスの川/石川和広[2009年4月20日15時20分] くもりぞら ぴいららら それゆくな ゆくな ゆくな あっちへゆくな ガラスの川で鳥たちが あらんかぎりに ついばんで ぴいぴきぴ 君の鏡をわりました 瞳のガラスに風吹いて 川はガタガタ流れてく もおおういいよなあああ 時間があるっていいよなああ 俺なんて何にもないよ まず恋人がなく 酒がなく 酒を代謝する酵素すら少なく おれのばあさんは もう時間がない 時間がなくてもいい いつお迎えが来たっていいんだっていうう そんな都合よくお迎えなんてこない そういってやりたいが いったってそんなことばあさんははは 聞きたいわけではないのさ ゆくなってゆってほしいのさ つないでくれるなにかああ そうなにかあ 場つなぎって言うだろ 人間〜〜〜 そう風呂入っていたら うちのばあさんふらふらさ ふろがすきなのに〜〜〜 俺の目玉やみみはそういう ばあさんをみると 時間って何て残酷だとはおもわない だって俺たちだって同じだ いやちがうけどちがうけどけどけどな いや俺たちには時間があるとかないとか そういう畳が冷たいみたいな話みたいな 安楽椅子みたいなでんきいすみたいな 執行まであと5分みたいなそういう時間の話がしたいんじゃないぜ だけどばあさんが飛ぶところをみたいいいい だってっさ この川のガラスはさ 樹脂だ 松脂だ煙だ悪だ 死んだ生きたどっちだ ロッカーは狂っている本当はそこに はどうでもいいしかないのさ だから歌うなよひばり 俺たちはそこで戦っても仕方がねえ じらずしらずあるいてくるわけねえ あんたの歌はすげえ でもなあ川がガラスではないのなら 苦労なんて川だって言われてもなんか 納得以下ねえ いかねえ俺はそれだったら鼻くそをうたう 木を歌う仏が生まれるそんなわけねえ えええええええええ ばあさん聞いているかあ紙があるとかねえとかそれは罠だ ああ ああカラスだガラスだ みんな話をそらしてこの目の前にある そのままの空気や水や歌や沁みや石や 幸せやピーナッツを見せなくして支配する そんな目の前のものを否定させる 作戦なんだよんなわけもねええ さくせんって〜 ---------------------------- [自由詩]さみしさ/石川和広[2009年4月20日17時46分] わたしの 話が終わる前に あの方は去って いかれました あの、途中なんだけど と言いかけて わたしの話に終わりなんか ないだろう でもね もしかしたら 勝手に うまく終われた かもしれぬよ あの方が去って わたしは 口をふさいでほしかったのかな キスでもいいし 殺されるのは 嫌だが まああの方に 殺してもらえるなら いいか でも あの人の手袋や 淡い緑のコートを 血で染めたくない だからわたしの 話の途中で あの方が回転して 去っていったのは よかった だけど 言葉はいつ 流れを止めるか いつまで も吐きつづけて なくなるなんて そんな そんな 言葉が あるとかないとか 思うだけで 誰かの影をまねき よせてしまう ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]頽廃芸術と呼ばれて?昨日NHK日曜美術館をみました。/石川和広[2009年5月18日12時06分]      http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2009/0510/index.html   (NHK日曜美術館のページ)   昨日新日曜美術館の再放送でパウル・クレーやってました。      クレーは好きな画家。   http://www.paul-klee-japan.com/paulklee/index.html   (日本パウルクレー協会より人物紹介)   ナチスにより「頽廃芸術」と名づけられた画家は多数いた。彼もそのひとりで迫害を受けて、スイスで晩年絵を描き続ける。  興味深かったのは、スイスの片田舎で、クレーがちょいちょい寄っていた家のおばあさんの話。おばあさんはもちろんクレーが生きていたときには少女だった。目をキラキラさせながら、クレーに「ちっちゃい人」の絵を見せてもらったことを話していた。おばあさんにはそのクレーの綱渡り芸のちっちゃい人をみたことが昨日のことのようだった。 そこの家の麻袋を紙の代わりにして書いた作品もあるそうな。 「死と炎」という。次のリンクの一番下にある。 http://www1.odn.ne.jp/〜cci32280/ArtKleeTop.htm (なお後述する「忘れっぽい天使」もこのページにある。絵をクリックすると拡大されて出てきます) その麻袋が入っていた倉は今は自転車を置いてある。  晩年皮膚硬化症に苦しむクレーであったがそのころクレーは年に1200もの線描画を描いた年もある。 シンプルな線描画は「天使」にまつわるものが多い。鉛筆で書いていて落書きのような感じ。でもいい。なんでかというと、自由だし何かの本質そのままそこにあらわれるから。    絵にうまい下手は。ある意味ではない。しかし見る私たちには意外と歴然と良いものは良い。そこではなぜかしらないが、作品と見る私がお話したりできるような入り込める開かれた感覚があるからだ。面白くない作品はどこかでこちらを信用していない。こちらもある疑いをもってしまう。これは技術的なレベルの話だけではなく、作品と自分自身の関係性というかコミュニケーションが一番大事だといいたい。  僕にとってクレーの絵は入りやすい。しかしどこかで押しとどめられるような頑なさも感じる。そこに自分にとっての謎がある。だから兵庫で行なわれているクレーやピカソの展覧会は見に行きたいが、そして生で確認したいが、今現在インフルエンザの情勢がまだわからずいけないでいる。                *  たしか岩波文庫のベンヤミンの評論集の表紙絵にもなっていたはず。ベンヤミンは第二次大戦、戦前戦中の独創的なユダヤ系ドイツ人思想家である。 子供向けの本を残していることもクレーに近いものがある。 ベンヤミンも未来から吹く風を受けて現在や一切の過去の廃墟をみつめる「天使」という話が「歴史哲学テーゼ」に出てきたと思う。  http://www.amazon.co.jp/%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E6%89%B9%E5%88%A4%E8%AB%96-%E4%BB%96%E5%8D%81%E7%AF%87-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB%E2%80%95%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%A4%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%81%AE%E4%BB%95%E4%BA%8B-%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC-%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%A4%E3%83%9F%E3%83%B3/dp/4003246314 ベンヤミンもスイスに逃げたりしていてスペインに入国拒否され最中に自殺してしまった。おそらく似た時期にスイスにもいたように感じる。 ベンヤミンは迫害を受けた上に、仲間とも離れてヨーロッパをさまよっていた。ホルクハイマーやアドルノ、フロムなど戦後徹底的にファシズム批判を行なった人は次々とアメリカに亡命した。フロイトはイギリスに向った。仲間の医者達はナチにとらえられていった。多くのユダヤ系の社会科学者、心理学者、科学者、社会福祉関係の学者などはアメリカに亡命し戦後華々しい活躍をしたものも多数いた。友人だったアドルノらもそうだ。  しかしベンヤミンはどこへもいくところがなかったようだし、自ら退路をたったのかなとも思っている。  さて、クレーの天使、これはかわいい。素敵だった。今は孫が所蔵していたりする。「忘れっぽい天使」「みにくい天使」「まだみにくい天使」などタイトルも面白い。スタジオではファシズム抵抗的側面を強調ばかりしていたが、現地のおばあさんや孫には今でも思い出になっている素敵な面もあるのではないかとも感じた。それは現実逃避ではなく日々生きる上でのsomethingでもあったはず。  戦争への抵抗という側面だけで測れないのが芸術だとも思う。それよりさらに広い生き物や世界への希求がなければ、あるいは身近なものへの細やかな観察抜きに芸術は存在しにくいと思う。  しかしスイスに逃げるという契機はもちろん画家の孤独に大きく影響しただろう。    当時ゲッペルスは「頽廃芸術」と名づけたゴッホやクレーの絵画をスイスの画商にオークションさせ、その売り上げをナチスの収益にしていた。今そのスイスの画商を継いだ三代目は「クレーたちの絵を売ることで、私の祖父は戦争協力者でもあるし、海外へ絵を逃げ延びさせたことで、絵を守ったともいえるので、その間で非常に葛藤しています」といっていた。  かなり散逸したクレーの絵もドイツのある県の美術館が6億円を投じて80点ほど買い戻したらしいが、どこかへ消えてしまったものもその何倍もあるという。    こないだ弟が個展やっている画廊の人は「ナチスの経済政策」という本を読んでて、「経済政策はともかくその是非は置くとしても、大規模な公共事業や福祉政策は一応当時としては効果があった面もあるらしいけれど、芸術をナチは破壊しましたといっていた。」僕はそれもこれも戦争を目的とした国家の両面だろうと思った。  自由よりは規律、拡散よりは全面的な統合の果てには、軍隊としての組織化とそれに沿わないものを全面的に排除するという共同体運営の末路であると思う。これはナチスに限らず、今の日本でもどこの国でも危険はある。  とくに不況だから敵意を外やすんなりと理解できない隣人に向けていくというのは一番安易なやり方だから。弱い社会が取りがちな方法だ。ナチスを生み出した社会も民主主義的な国家だったが、如何せん人びとの生活の疲弊・絶望感は巨大だったのだろう。そこに一挙解決の方法を提示するものがあらわれたのだ。  でも戦争が進行するにつれ、何が解決すべきなのかどんどんわからなくなって、戦争が自己目的化していったのが真相のような気もする。  もはやそこには意味を失った暴力があった。それを芸術はどこか別のところから、感じている。ちょうど天使のように。 ※昔読んだクレー関係の書籍。 http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%B5%B5%E6%9C%AC-%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC/dp/4062078244/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1242616047&sr=8-1 (谷川俊太郎がクレーの絵に詩をつけている) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4002601773/hatena-ud-22/ref=nosim (これ復刊しないかな) ---------------------------- [自由詩]どこまでもどこへもどこでもなく/石川和広[2009年5月20日17時30分] 草っていうのは 好きなことばのひとつです あといくつか好きなことばがあるのですが そこに石があってもいいし土も あるだろうし水たまりもあるし 雨がふっていてもそれはそれで 場合によりますけどね 悲しいときに草を見ると 自分が今ここにいることが 何にも支えのないことのような 身体のおもさだけあって それ以外はなんのかかわりもない 空間というかそういう囲いのなさみたいな そういう 気づかされて かろうじて感じていられるような 草が そういうとき自分にとって目に入ってきた ということは 覚えていますね 何年前のことかしらないですけど 緑の薄い、どういうんだろ なんかヘラみたいに二〇センチくらい上にのびてるだけの それが何本か ずいぶん 前のことです ひどく悲しいときにシミだらけのコンクリート塀の 横の細い道を歩いていてですね その前にバスを降りました 大学にいってた頃ですか バスに乗っている間に曇りから どんどんむっとした感じの空気になってきて 大学のそばのバス停で降りたら すごく爽やかな雨で、傘はもっていましたが そういうのがあったって 何の支えにもならなかった そういうとき雨つぶがぼこぼこのコンクリートの道に いっぱい当たっててひどく田舎の学校で 河があり、むこうにはため池や田んぼや自分の大学があり どうしてそんなに悲しかったのか 単位を落としたわけでも そのとき授業があったわけでもないようです だけど 大学に向って夕方わたしは歩いていました 歩けないような感じで 実際歩けていました そのとき大学生だったか もう卒業していたのか ただ長い付き合いのある先生に 会いにいってたのかもしれない その悲しみが何だったか そのとき見えた草や 向こう側のクリーム色の家や 坂道がなんだったか そこにいたわたしはなんだったか どこまでもどこへもどこでもなく そこでそのときなんです けれども ---------------------------- (ファイルの終わり)