石川和広 2005年10月27日21時05分から2006年2月4日17時55分まで ---------------------------- [自由詩]ぼくのもちもの/石川和広[2005年10月27日21時05分] むなしいって 云ったらいけない? むなしいって 云ったら詩は終わり? なんだよう 声だよう 冷たい風が騒いでいる フランツ・カフカの骨は崩れている むなしい 誰に云おう 母さん もっていけないよ 母さん かつげないよ かあさん 言葉をむなしいって言葉を 砂であれ 砂である フランツ・カフカ 冷たい水逆らって泳いでいく ぼくは 生きて感じている それだけでうれしい日があって 戦って 人を踏み殺す上にも空があって 電車が掠めていって 日曜日があって その日も殺しあって それからぼくは生きのびたよ 母さん むなしいって云ったらいけない? フランツ・カフカの法廷に入ろう 彼の持ち物じゃないし 裁きは延長されて 生かしあい殺しあう 誰でもすぐに友だち ねえ母さん ---------------------------- [自由詩]こきゅう/石川和広[2005年10月28日21時21分] はてることのない くらしやかなしみに のまれながら わたしとあなたは いる うつくしくなんかない ぼくだけのひめごと あなたのことば かいだんをのぼるように そのうえに うっすらしたつきが はえて あいたい あなたとわたしの あいだにとうめいな ぐたいてきな やみがひろがっている おもい かたくよごれたゆき みたい しんでいくほしたち どうして じぞうにぶつかる じぞうのかなしみ くやしい しずかだ あなたは そこにはいなくて わたしはあふれだしたことばを あたまからたれながして あきのおとをきく さいれんをきく しなない あなたのこえなくても ただからだがだるい あなたがいない くもにいのる あめにいのる おおきくわらう いきをはきだす すう はく はきだす こんくりーと せきをする えんやこらせ あーけーどのなかからかえって せなかまるめたまま めーるをまつ まつ いきをはきだす はく はきだす それだけわたし できるから あなた ふぁいと きてね いつでも きてね ---------------------------- [自由詩]切断/石川和広[2005年10月31日17時25分]                     切り裂いた 青空が くちづけをと ささやいた 何という時間の移行 せつなの青の破壊 風がひんやりとしている 流れがひずみながら 人のかたちが通る その中を くちづけをと ささやいた わたしとあなたは遠くて 坂傾きながら 少し悲しい おちこんでいく町に わたしはひとり 青空のささやきをキイテイル くちづけを 何に? 問いを浮かばせる空 肉に あなたの うつくしい月は砕ける さまざまな声 色めき達 電波 発する人の人というものの その間を 潜り抜け あなたは働いている わたしは歩いている せいいっぱい せいいっぱい こわしたくなる くちびる そもそも壊れている 発声とその受信 風にキクシカナイ ああ青いエーテルの片言 くちづけを ぼくらは聞いているはずだ それぞれの妄想という わたしの妄想 距離で 好きだ そんなもんじゃない ヒカラビタうめぼし 人 人々 の中を歩く足音 がらんどう 重く くちづけを 届く 届かない どっち どうでもいい やわらかい耳を感じられれば 切り裂いた 青空が くちづけをと ささやいた 2005.10.31 ---------------------------- [自由詩]かなしい帝國/石川和広[2005年10月31日18時18分] 1 にいちゃん わたしな どこへもいけへんねん うばすてやまにすてられたみたいや ほんよんでるだけやねん 夕暮れ わたしは掃除しながら 聞いていて そんな今 むかし 2 歩いていると ひとつの土くれが落ちている 何気なく見ると 誰もいない通り 空を見上げると ニヤニヤ笑う人がいる そこが穴だ そこが穴だ 3 まばたきしている間に 終わってしまった わたしの夕暮れ 4 あたりまえのこと 箸の握り方 つまずいて 砂漠を歩いて かけざんがわからなくなって ひとつ ふたつと すき間ができている間 たくさんの紙切れがおちてきて わたしはどこまでも 遅れる その遅れのさなかに 世界があくびして わたしはたまらなくなる 5 いのちということばの 氾濫 あるいは反乱 息継ぎが下手で コップの水を飲み干して ここまできました そしていのちです いのちは 顔で それぞれひとりで 言葉で つきつけてきて それぞれこぼれて 流れていきます 泳ぐ魚のうろこといっしょに 6 今日は しんどいなあ と大阪弁をつぶやく わたしは 人の間を落ちこぼれて すりきれて その傷口から 野バラが咲きました 7 爆弾をとる 落ちてくるのを とる いっぱいピースがあって 爆弾を本屋に置いた子供も テロリストも みんな 甘酸っぱくて 明日もとりに行きます 8 攻撃につぐ攻撃 恋につぐ恋 そして誰もいなくなった お母さんとお父さんが 透明になってふえていく それから泡いっぱいのビールを飲む コップに汗がつたっている 9 あたたかい酒 ついでもらうとき 思い出す うっかり空にかばんを忘れて うっかり新しい命が植えられて うるさいけど まあいいや 10 お寺に毎日拝みに行く スケベなことばかり願うけど あまり 罰がこないで 大きな神社に えらいひとが拝みに行くと 新聞が大騒ぎしているのを 横目で見て ハトをけちらして それでも ちゃんと死んでいない人が多い そこにも 兵隊さんがならんでいるし 美しいおんなの姿もみえる 別に霊能力者じゃない たぶん いきているから みえている 誰か 手を貸して たぶんなんとかしなくちゃ いけないと思う やさしく 時に クールに ---------------------------- [自由詩]まえをむく/石川和広[2005年11月3日17時27分] きぼうをすてたら おわりがこない かなしみもこない いきだけのこるから いきをする だいちにくちづける でんぱのてがみをまつ まちつづける こない きぼうをすてたらいけない せばまるよくぼうのちへい らくらい いきている かんかくがない あなたは いきているか あるく かいだんをのぼりおり いきをはきだしては すう おそろしいくりかえしから まちがったさんじゅうの あるきなおしがはじまる そらをまとう そらを まだなにもうごかない じかんだけがすぎていく あいしている こんだみちを ひたはしる ほしがいきをふきかえす ゆうぐれ ほほしろく わたしはたびだっていく でんしゃがかすめていく わたしはなきながら たびだっていく ---------------------------- [自由詩]げんき/石川和広[2005年11月9日17時55分] うつくしい よるのきよ わたしはしななければならない あのこのために ほんとうに しずかなよる さわぐ がさついたじょうねつ どうへんじしたら いいか わからないでしょう だから あさ はたらかないあたまで でんぱのてがみを だしつづけたのです かなしいままに やぶけたあさに おおきこえているか よるのきよ わたしはさけんだ そして またしなねばならない あしたのために ねえ いきていますか だまったままのあなた わたしはくるいじかけ いきています いきています そうして かぜをまてずに かぜをひかずに かぜをうけようと ただたちすくんでいる おおかきかたがわからない よるのきよ わたしは あのこのために まいにち しんで またいきなければならない かいきょうをわたります みずみずしいあかし わたしのいしは わたしを げんきだと いいました ---------------------------- [自由詩]かぞえうた/石川和広[2005年11月11日18時11分] ひとつ 数えている間 雨の中を子どもが走って ひとつ 明かりがともると 夕餉をかこむ その間取調室で 自白がひとつ 強要されている 息をしない人の形が凍えて連なる いくつものわざわい そして さいわい ふたつ 雨の音が 地平に当たりながら 一人の人が重力のように渦巻いて 恋をしている 銀河 ふたつの星が生まれれば その前に その手前から遠く ひとつ ひとつ かさねられていく涙 くらし みっつ 呪われた数字 三すくみ それでも わたし 前に進む ここにあるもの ここにあるもの ふるえながら ロマンティックな独り言 すりむいた痛みの中を 文明のかすかな痛みの中を 子どもがどこまでも かけていく あこがれ みっつ数えられればいい そうしたら それでも 朝は来るから     2005・11・11 ---------------------------- [自由詩]出かけなかったんだ/石川和広[2005年11月16日18時26分] 朝日新聞が降りそそいでくる夕べに お茶をのもうとして ぼくは お茶がないことに 気づいて 原稿をおいて タバコすった 今日は 出かけなかったんだ 朝から そうして弱火でぐつぐつと夕べ 少し暗くなるとあっという間 星が半透明から色づいて みえてくるじゃないか たいそう美しいとは思えないけども いい そして 出かけなかったんだ 窓から 6階から あまりうつむいても落ちてしまいそうなんだ 顔を上げて みかんを食べたんだ ファシズムひろがるよね 首たくさん切られていくよね それもうわべかな だって貧しくなっていって 弱きものが素直でいられなくなる 電信柱を飛びこして 君にあてた手紙は何通目だろう 全部朝のにおいがする 君の手紙は4通目です 新聞読んでたら 大切なことなんだけど もう世の中があるみたいで 正しすぎてまぶしい ぼくらは抱きしめあい 守りあわなければならない 正しさから 美しいシナプスの放射の銀河を 少しかさついた白い君の手のひらを そして 耳かきを にせものにつままれない この肉眼を 眼から砂がこぼれおちて 画面を見ていると 涙があふれてきて そのとき悲しくなくて うれしくもなくて 眼の疲れだけかもしれなくて でも それはお知らせで 体を大切にして 何だかお知らせで 予言で 愛しあいたくて うまくいかなくて そもそも届いてないかもしれなくて 君のことを考える 今日出かけなかった 君のこと考える そして新聞がつかまれる 廃墟で ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]◎吉増剛造覚書?ハルキ文庫版「吉増剛造詩集」感想 /石川和広[2005年11月28日14時34分] *私の読んだ「ハルキ文庫」は三部構成になっている。 ?頭脳の塔 ?航海日誌 ?草書で書かれた、川 *これらは直接詩集タイトルではない。 ◎印象 「現代詩」という先入観を破ってくれた印象だった。 思ったより読みやすかった。そういう風に編集されている。さすが角川春樹事務所。稲川方人を選者に持ってきて、初心者でも入りやすいように作られている。それでも近年、カッコや脚注の多い吉増の文章を見て何人の人がアタックするだろうか。僕も読書会という機会がなければ読まなかったかもしれぬ。 さわやかですらあった。非常に明晰である。晦渋とは異なる明晰。これは、どこからくるのだろうか。普通、体験を文字化すると距離ができて体験の鮮度は死ぬ。 しかし、書かれながら、書くという体験を生き、その歩みを一点一点、刻印していく場合は、違うのではないだろうか?その刻印の軌跡が書かれている。まるで、歩きながら書いているような印象は、それと無縁ではないだろう。私の参加したクローズドの読書会では、無駄が多すぎるという人もいたし、宮沢賢治のように歩きながら書いているのではないかという人もいた。 もちろん、ハルキ文庫だけですべては語れないだろう。しかし、文字化した=テキスト化したドキュメントという形は、昔から吉増に現れているように指摘できるのではないだろうか? 紫の 魔の一千行 天山山脈に書きつけようと 旅にでた 恒星は朝になったら文字になる!創造の掟を破壊する刺客として、狩人とし て、旅人として、頑迷なる天動説保持者として、マルコ・ポーロ復讐にゆけ!                 (「魔の一千行―天山断章」より)   そのドキュメントを導き、生かしているものは何か? テキスト論―デリダのようなーは、「生の声」というのはないと指摘する。全ては痕跡なのだと。全て「書かれたもの」から言葉が組織化されていると。そうだろう。 この文庫の解説は石川九楊という書家が書いているが、これは偶然ではない。書とは書かれたものをまた新しくなぞりながら、そのなぞりかたにリアリティーを求めるのである。古代中国の書家たちをお手本として。そういう意味ではデリダの言うように、「書かれたもの」が先行している。 吉増の独特の歩行は、その何者かを忠実になぞる、出来事のなぞりという点で際立っているのではないだろうか?抒情をもなぞり、感覚の火花をなぞる、聞き取られたものを脳内で文字化し、それをなぞる仕方の忠実さが群を抜いているのではないか? そういう意味で、型というものを大事にする古典芸能に通じる自己劇化のドキュメントといえるのではないか いつでも 時代錯誤の 時代おくれなんだ、おまえは 純金の夢夢あるいは狂歌一千年狂草体に文学を崩して爆音たててるつもりがい  つしか後方から騎乗位の美人が追ってきて 壮大につづく宇宙の白壁も消え途  方にくれてる杜子春てわけだ ああ 心凄き 地獄だぞーなに、そうじゃあるまい                         (「渚にて」から引用) 「時代遅れ」=つまり、今ここから遅れた歴史をなぞる位置からの逆爆走。今ある文学を崩して、杜子春に変わる「変化(へんげ)」。古いものに密通しようとするドラマに生きる 「おまえ」=吉増 ○ 第一部   帰ろうよ  歓びは日に日に遠ざかる  おまえが一生のあいだに見た歓びをかぞえあげてみるがよい  歓びはとうてい誤解と見あやまりのかげに咲く花であった  どす黒くなった畳のうえで  一個のドンブリの縁をそっとさすりながら  見も知らぬ神の横顔を予想したりして  数年が過ぎさり  無数の言葉の集積に過ぎない私の形影は出来あがったようだ  人々は野菊のように私を見てくれることはない  もはや 言葉にたのむのはやめよう  真に荒野と呼べる単純なひろがりを見わたすことなど出来ようはずも  ない  人間という文明物に火を貸してくれといっても  とうてい無駄なことだ  もしも帰ることが出来るならば  もうとうにくたびれはてた魂の中から丸太棒をさがしだして  荒海を横断し 夜空に吊られた星星をかきわけて進む一本の櫂にけずり  あげて  帰ろうよ  獅子やメダカが生身をよせあってささやきあう  遠い天空へ  帰ろうよ                        (「帰ろうよ」全文)   非常にメロウな歌だが、単純な抒情でないことは、「無数の言葉の集積に過ぎない私」という言葉から、わかるだろう。逆に言えば「書かれたもの」の中から、さらに死のほうへ、さらに死んだものは生きているという生々流転の瞬間を捕まえているといえるだろう。 「天空」というのは単なる「空」=無への回帰ではなく、古い中国の「天」を想像させる。 他の詩とリズムが違うのだが、吉増の基層低音である生命が捕まえられた瞬間だ。書きながら生きる、そして歩いていくということを打ち付ける一曲だろう。 ただし読み始めは勢いのいい言葉だ。界隈をうろつく、足をたたきつけるリズムと妄想世界めぐりが並べられ叩きつけられ、自動筆記的書き方にしては構成もしっかりして、一語一語に魂が宿っている。しかし重くない。どこか脳の神経細胞が発火する瞬間とスピードに乗っている。世界は脳の中にある。だから「頭脳の塔」と題されたのか。生まれる前に帰りたい芽のような印象。すごく若い。やわらかい印象がある。タイトルがいい。「草原へ行こう」とか「帰ろうよ」とか。 僕は「野良犬」の「やせこけひん曲がったおれたちの音符」とか「玄関」の連呼とか、孤独のうちに連帯を求める詩がいいと思った。「帰ろうよ」は「獅子やメダカが生身をよせあってささやきあう/遠い天空は/帰ろうよ」が素朴な世界への素直な郷愁、本当に帰りたい気がして、いい感じにかわいい。愛しい。   ○第二部―フルブライト留学と、ヨーロッパ旅行の記録。 「黒人は竹馬に乗らないのかしらん」とか詩にも出てくる覚書が笑える。とても真剣なのだが、その真剣さがおかしい。「恋愛詩を書く!」「老年までの恋愛!」とか唐突に出てくるのもいい。スチュワーデスとか合唱団の女の子が「酒井和歌子」に似ていて目が離せないとか、こういうところは目茶、お茶目で健康的なスケベさがいい。この旅行は、マリリアさんとの出会いから結婚まで一気に書かれていて、性にも生活にも世界を見る眼にも時折絶望しながらも発見と転機―稲川方人は「青春」といっているがーあった時期なのだろう。どういう恋愛をし何を見たのかわからないけど、とびとびにドラマチックにそのテンションが伝わってくる。とにかくその出会いからの展開が速い。彼はここで世界を脳内から本当に展開するものとして見たのかもしれない。そのポイントポイントがうがたれている。幸せだ。こういうの僕も書けたらなあ。地獄という言葉が第一部から出てくるけど、吉増の地獄はすごくハイだ。書けない時もハイだ。 ○第三部 冬に来た時、一渡り、五十円だった、千曲川 の、渡し、この夏も、私達は飯山線に乗って 、行った。 私達は軽く、ステップを踏む、 何故なら、私達の歩行は歩行のための歩(が 踏む)不思議な行列を追っていてー。 千曲川のスケッチ(藤村の)、時折、プラッ トホームに立って、体操をしていました。 また、 私達は、身体障害(ハンディキャップ)が、 有様に、やや、傾いて、道路の、傾きのまま 走って、行った。  幾段に、シフトして、 五、七、五、  −語尾のあたりに、バック ギアを、入れて、行った。傾きつつ、後退、 せよ、サイド・ステップを踏み(母親熊も、 テンポイントも)、八月、私達は、熱病にか かった様に、額に、汗を滲ませ、沈み行く。                  (「死馬が惑星を走る日は」から二節引用) 初期に比べ歩行のリズムが障害者のびっこの韻律に変わっている。繰り返すシフトチェンジという言葉がラップのようでいい。ゆっくりラップ。日本語への違和と現象の記述が同時に進行している。そして死んだ走者(円谷)やテンポイントに語りかけるこだまのような声。世界を見た吉増は明らかにローカルなものをかつても歩いていたが、今度は本当に他界(死者たちが走る世界)が見えるように追いかけつつ引き帰しつつ書かれている。しかし憑依の気配はない。明晰さは失われていない。繰り返しが作るリズムに加え、初期とはちがう地名や人名への呼びかけが特徴だ。初期は、自分はここにあるという印だった名詞が、第三部では、それ自体を物語、歌の中で、呼び合い、たくさんの声が重なるように、死者や土地が覚束ない足取りのほうから呼びかけられている。僕は「死者が惑星を走る日は」がタイトル的にもリズム的にも好きだ。「織姫」の「テルさん」という呼び声も印象深い。 どこか彼方への呼びかけという気がする。第一部の垂直性から水平そして段差と、息遣いが深くなった印象である。  高一くらいの女ノ子、三人は室内のひかりに溶けた。  トロッコ?  路床に小石の聲、水に濡れたスカートを幾度も見上げた。  トロッコ、  とろっこ?  テルさん! テルさん!                     (「織姫」から引用) ---------------------------- [自由詩]予行演習/石川和広[2005年11月30日18時15分] とにかく 何にも感じません やさしくされても 自分でやさしくしてあげても どうしてもどうしても それじゃまずいの? 病気治れば大丈夫 そんなことありません なんかこうググッと 来ないから 生きていることの 半分は無です そんなに積極的でもないけども とにかく 包んであげたいんです そうして 下品な話で恥ずかしいですが くるときはくる そうしたいんです 情けない形です ちがうことだけわかるんです ええっと 抗うつ薬の副作用に こんなこといってもいいですか 先生 性機能異常ってありますから 少しずつですね 減らしてほしいんです もうだいぶ落ち着いてきましたし… こんなんでいいのかな 診察まで後二日 ---------------------------- [自由詩]明日から/石川和広[2005年11月30日21時05分] とがる闇の中で 眠っていたから 正確には 眠ったり眠らなかったり 市場をさまよったり、普通の男に、す巻きにされ トツゼンナミガクルヨー それは見たくない足の裏だったから もう生きていけないと 狂うまでにかわいい犬の耳元で 怒鳴り続けていたから私 誰か、そう誰か に いてほしい 一緒に泳いで明日からプールに通う と 頼んだから そうすると私 眠っていない状態になったから ひとにやさしくしたいって思いました それは傷つけること もういなくなること 最後にお話はつづくにすること それだけでいいのです やさしくなれます私 そう やさしくなれます私 グースカ寝ます 明るい部屋 そう 差し込んでくるぎりぎりの シナナイ 朝 車に襲われたらどうしよう ---------------------------- [自由詩]平日昼間のスポーツクラブ/石川和広[2005年12月2日18時24分] 水の中にいると からだが少しだけ重くて しぶきが鮮やかで とても冷静で 水から顔を上げて ゴーグルから水がこぼれて いつまでつづくかわからないけど いつまでも いつまでも 少し苦しい 狂おしい まったくの温水プール みんなからだがちがっていて 昼間は おじさんとおばさんばかりで 笑っているのをみると 少しうらやましくて怖い 少しだけ若い僕は 排除の雰囲気を感じたりもして ひりひりして そして泳いで あまり水泳の得意でない僕だけど 今日一人あいさつをした人がいた 裸に近くて どきりとする それでも 黙々と泳いで いつまでつづくかな 驚くほどけだるくない しずかに夜が来る 2005.12.2 ---------------------------- [自由詩]花/石川和広[2005年12月5日18時59分] 闇雲にかいてたら 白い雲に襲われて 遅くなって 白けた 知らない雲 クモ おんな 走り去って 死んだわたしは 弾かれた 世界から ひとりのおんなが 席をたって わたしを避けた イヤナカンジ そうして そうか 花が咲いているのか 街に 裂いているんだ 旅の中に 消えた わたしは もう一度出かけなければ ならない 無意識の爆風 去った後で 何ができるか 雲にまた聞く 外されたわたしは 駅から 骨が 外された 街は 寒い ぴーぷー 何度となく 往った 暴風とがって 雨 雪 拒絶 わたしは生きた 嫌いなものと そして 悲しいテレビ見ながら また死にそうになった 花 花 花 寒いなか 咲いている ---------------------------- [自由詩]ひらいた/石川和広[2005年12月6日18時16分] ちがいますか そうでしょうか あなたは まちがっていた そして わたしも みんながこおるただしさのなかで きえていったほしたち を おいかけて すなあらしのなか けいじじょう とびこえよ まちがえていた いくさきを みちる うみの みちる うみの しんだひとたちが ばらまかれて すでに みらいにいた きえかかるさかな もういちど あらわれるくさばな あなたは もうどこかへいってしまって わたしは わたしたちは とつげきの ながいはいきょ にゅーよーく さらった とおまきに みちた かぜのなかで ちいさなこえを もじにしようとしていた なぜかかれない れきしからの のうへの のうからのぼんやりと めっせーじ くうかんをつくり わたしたちは あるき そして まわり いきているみぞを へだてながら かきのこし そこを ひらいた ---------------------------- [自由詩]ねじれていたい/石川和広[2005年12月6日18時22分] 消えたイメージ もうそこには いられない あたたかい わたしたちの胸には 消え残る スケープ 展望の ささやかな 望みだけがある のだろうか? 白鳥が舞う 山の端を そして 悲しい 悲しさは 禁じられようとしている そして貧しさは 笑われる 電脳の 首相の 次官の 時間の薄笑い 公園の ブランコの向こうから 牛乳が運ばれてくる みんな どうしているの 誰? 誰? 誰? 手をかざしている 天皇の 悲しみの 届かない 爆撃 そして 料金不払いの 冷え冷えとした空間 雲っている わたしたちは 手を しどけなく 垂らしたまま 水平飛行に 入る 地上が見える頃には 哲学者がむかえ うたがいながら もうすぐ着陸します そう 語ってはならない のだろうか? 難しいことを 語っては ならない のだろうか? わたしが生きているのは 醒めた 古ぼけた大地で 金が死に かわいそうな お母さんたちがまっている 女の子が絵をかいている 逮捕された外国の人は 偽名を使っていたが 逃げるだけの 何から? 少し涙する 人の なんでそうなるのだろう そして 子は どこへ行ってしまった 安置の さむい言葉の もしかすると 弱い者は さらに 哀れまれ 守られようとして 更に 暴力の 地平に たたきつけられ うばわれ 間を裂かれ もう友達になれないのか? 詩は 詩は そのなかで どうしてか ブラックボックス とおまきに あるいは 直線に 行こうとするのか やめなさい せめて ねじれていたい 戦後の山の 重なりの その 遠く ねじれていたい 批評なり 明日から今日へ そして明日へ ---------------------------- [自由詩]通り道/石川和広[2005年12月8日14時54分] 兆し まだ何のためか なんであるか わからないまま 僕は 昼間泳いでいる つかんだ波 はなさないために 好きでいられるように とつとつと 祈る 笑うひと 奪う波 死にゆく影 つかまえようとして あぶくだけ浮かんだ 空 空 から さしこむ 短いひかり 僕は泳ぐ 危ない目に 会いたくない と 身を固くとざしている 開かれた水面に ありがとうが なんで言えないんだろう 何度もつまずいて 水の抵抗をつかまえて わがままと つぶやく声 危なくなりつつある通り道 こんなことで 世の中の溝を こえられるだろうか あせらずに みんな泳ぐかな 僕は泳ぎつづけられるかな。 ---------------------------- [自由詩]暮れ方/石川和広[2005年12月10日17時59分] 傷ついた というより どうしようもなかった 話がある 洗濯物をたたんでいく パンツ シャツ ヨーロッパ 僕の無器用さは消えない どうしても嫌なことは嫌といってしまう 言葉で 嫌われる もう少し無難な対応が出来ないか ひきずってしまうズボンの端くれ 疲れる 夕陽 涙はでない こんなんでまた世間にでて 嫌なやつともいられるかな ここは刑務所ではない きっと出会いが悪かったんだなと 片付かない 部屋 さようなら 悲しくない 深い疲労 傷ついた人はたちつくしたまま 刃物をふるう そんなニュースをみる やるせない 暮れ方のこたつ うまくやりすごせないかなあ 通りすぎていく のが難しい そして疲労は更に深く 不覚 まだ爪が甘い 武道なら指を逆に おられている まだ甘い くだらない奴になりたくない 正直な無謀さ 洗練されたふるまい できない 自分は悪ももっている そんないい奴にはなれないよ つながりはなくなった 深くやわらかい疲労 頭がくしゃくしゃのセーター 傷ついた人は立っている 僕は傷ついたのだろうか? ---------------------------- [自由詩]Park/石川和広[2005年12月11日17時06分] 子犬と走った公園ゆれている 空気かわいて 空からのひかり 子どもたちが集まる この犬かまない? 子どもがきいてくる 光の結晶 地面からのクラシック 氷面ヘ 突き抜ける枯れ木 ごみの吹き溜まりに言葉が身を寄せ合っている ありがとう わたしは楽しかった すこし息が切れたけど ネットでいやなことがあったから 今 その思い出は少し歪んで 無意識の怒り つきあげてくる 氷の塔のように 生きている子どもたち 死んでしまった子どもたち 生きることを大きくしたい もう悲しむだけじゃ いやなんだ ---------------------------- [自由詩]イルミネイション/石川和広[2005年12月14日18時23分] 考え直しても 考え直しても 土は崩れ 不意の後悔 ぼくのからだは 安定を失いながら 考えないことにたどりつけないまま うごめいている まるで イルミネイションを顔に受けて 瞬きを失ったまま 冬 情けの季節 地上の祝祭 多くが聖なるものの傾きに なだれながら ぼくはダウンに心臓を隠し 考え直しても 考え直しても 歩いている ぼくの悪癖が 忘れがたい後悔となって 氷結の地平が ゆるんで泥になりながら ぼくのからだは ちぢみあがりながら あくまでも 横柄な態度で 地上をビッコする イルミネイション つながりの中に入れるのか ぼくの言葉から からだへとつづく通路の 不具合をもてあまし 美しい舗道のふきだまりを 歩きながら かよえるのか かよいあえるのか 地上にきらめく 多くの恋人たちよ 生きているか ぼくはまだ楽しめない 発信する口が渇いている それでも歩く ---------------------------- [自由詩]現実と奇妙にねじれた空間/石川和広[2005年12月19日10時21分] 朝だからね 力入らないけど 別れ話したのだ 昨日から 私小説に近い ほんまに なのにちがう 本当に色々 話したんだ すわって ねて パン食べて いってらっしゃい まあね 中身はな やはり じんわり ぼくのこと 嫌いなんじゃなくて ぼくが彼女を愛せていないんだな なぞはない そんな 長い 短い 話があって まだ希望はあるのか ぼくは さようならを いわないでいる だって また 新しいことが あるかもしれないから 悲しいんじゃなく 書きたいのだ 書きたいのだ とぶ だるくない さわやかでもない 寂しい なんて ああ 現実に ああ ちがうかもしれない 現実と奇妙にねじれた空間 おかえりなさい いえるよな すっきりしない視界 いま 現実 かな ---------------------------- [自由詩]わたしは通路/石川和広[2005年12月19日18時51分] 電車の中で 立ち上がる女の人 意識は遅れて到着する 駅を降りるんだ 立っているわたし 気付かず 立ち上がる女の すいません という 声 肩が押し上げられる そして気付く 女の人に あっすいません 押し上げてくるもの わたしは つきあげられても 混んでいる ダイアが 乱れている 平気 あっ わたしって 通路と直感 そうだね 暮れ 病院帰り デイケアへ行ける わたし 風とおしよくなる かも かたまりだった わたし つつぬけつるつる 穴になる 横へ行く 彼女から電話 なんだか わたしのからだ 交せた かわせた 少し 大丈夫 久々に実家に 飯を食いに行く 重たいものも とおるけど しずかな風が 色のある風がとおる ぎざぎざ いろいろ 星がとおる 暗い空につながる うわすいこまれる 未来は いい加減 ---------------------------- [自由詩]治さない/石川和広[2005年12月27日18時22分] 時々 ドキドキ 疎外された気分に なって 少し雲をみる 覆われるように 垂れこめている 少しの間包んでくれ マフラーを巻きなおす 自分だけのページが出来た 生きている 言い切らずに 口ごもる 疎外されたくない 仲間外れは嫌だ わたしの悪癖を 許してほしい そんな感情に包まれると そこは狭いから 大きな風に 吹かれたくなる 寒いよ 寒いねー 別にいいよ 泳ぐよ 寒いのに 寒いから そうして 彼女と 通り抜けて 買い物 いいんだ 食欲 なに食べたい 551 肉まん 少し並ぶけど だるくはないから 荷物持つよ お正月は 帰ろうか いつ 帰ろうか やさしい鼓動 あふれる家 不幸もいい 自我を持つことは 苦しみを増やすだけだけど ないとないで さみしいかも そうして しがみついていたい 天の世界から 放たれた矢は わたしを 貫け 夜だからって 全部は終らない 片付けたら 違う場所がゴミで あふれるから エントロピーは 下がり また上がる スピードで 暮れていく いかない ふるさとが消える 夜のまちに 灯りがともりはじめる そして 自分の記憶は 明滅しながら もっと深く 傷ついていく 治さない ---------------------------- [自由詩]生誕/石川和広[2005年12月29日17時07分] 夕暮れ 曇っている 電車 走る わいざつな銀河の中を 見えない草をかきわけて 走る その中で すれちがう スレチガッテイク わたし わたしたち 生まれる手前から 死んだ後で 横だおしになっていく コトバ おねえさん しゃべりつづける ひとの形をしてるから わたしは うまれてこなかったらよかった と 思う 絶望ではなく 暖かいものに つつまれて ぜいたく そんなこといっていいのか! うまれてこなかったらよかった 生きていて 穴を掘って 病院にむかって 傷にむかって ぎしぎしと むかいあえなくて 生きてきた コトバ うまれてこなかったらよかった 何度も叫んでいる 叫びたくないのに ひとりで おでかけ 次は京橋 破裂する鼓動 肥大した からだ からだ からだから 影 陽炎は 風をかきわけて 帰り道 生まれる前へ 生きて おみやげ 生きて 買ってくるから 走る 座る 目を閉じる ひとりじゃないから 暴れだしているから スマートじゃなく ぎこちない笑顔で うまれてこなかったらよかった 消えていくコトバ 言い直して 言い直して 消えていくコトバ ---------------------------- [自由詩]シチュー、誕生日/石川和広[2006年1月6日18時09分] かすれた声で おめでとう 実家からもってきた赤飯は 冷たくておいしい 氷のようだ 誕生日 からだが溶けはじめる 誕生日 わたしは 生きていて 頭がざわめいて こんにちは わたし あなたたち 彼岸の 常世 おめでとう 32 年は流れ 闇雲 雲に流された 月日よ みんな元気かな デイケア行こうか 迷っていながら かすれていくタイヤ 今日は泳がなかった そして笑っている ごつごつした日を 滑空する飛行機 のように 寒い前線に乗って 神神が、 ああ 雲りぞら 夜が来る 生まれた時の 記憶 破滅する むなしくなったり とぼけた口調で まじめに話したり 散乱した室内 ありがとう ありがとう 今日はシチューだよ はろー はろー どこへ行くの わたしたち 決まっている 少しだけ滑らかな日々へ 今日はぼくが生まれた日 死の方から まだ遠い はりつめた いらいらした おめでとう ---------------------------- [自由詩]生まれたことを/石川和広[2006年1月6日20時03分] 生まれたことを ふだんから考えているかわからないで 生まれたことにささる月影がきれいで わたしはここにいました 犬が吠えていて 寒くて でも 少しずつ 結晶になる世界 お母さんの顔 もうあまり 迷わなくなってきて 少しずつ 通いあうこと 通いあえないこと あって 字がふるえて 大丈夫かもしれない わたしは 少しずつ 何だか生きているようで 今日は誕生日だから 少し素直になろう まずい詩も書いた今日 はじめての人にあった今日 大雪がふったらしい今日 困っている人に 愛を送れれば でも そこまで まだ 行けない から から わたしは祈ろう なんとなく 大切に つながって 切れて みんなに 祈ろう 素敵な人を 祈ろう ---------------------------- [自由詩]冬空/石川和広[2006年1月13日18時49分] 夜になると 考え事が増えて 朝も考えているけど いつでも 今から 考えることができる たくさんの雪の 物憂げなテレビニュースに押されて 僕は やらなくちゃいけないことを 考える 生きること ぶつかる肩 遠い涙 まばらに その中にいて 人の作品について 語る 少しずつ 見えてくるかな その人の波動 僕の罪 かきわけて 語れるだろうか 生きている そして 夜に 犬が吠えない 室内で 僕は本を読もうとする 屈折した情熱 春は恥ずかしい 灰色の 目を持つだけで ストーリー あるいは ストレス 社会から 浴びる位置に立つ 僕は冬ぞらが憂鬱で 好きな詩が 出来てくるのを待って コーヒーを飲んで 昼寝して 魂が目覚めて 体は眠る力を失っていて 少し 笑える話が聞きたくて 珍しく集中して 重く生きて 何にも関係ない といいたくて それでも 掌を握って一緒に 歩きたいんだ 冬ぞら 君と 僕は 僕のままでしか いられなくて いい意味で 開き直って 君を待っている それは 開け放たれた空間 僕は 僕に もつれたまま いきるよ 話すよ 歩くよ からだのままで ---------------------------- [自由詩]明日が見えるか/石川和広[2006年1月18日21時31分] 自分か 自分ではないか わからない からだを 僕は生きていて そんな突き詰めても 答えはわからなくて 答えは 深いところにないから 僕は表面を泳ぐのです 自分には 許されがたい罪があって 恐ろしいことに 吊されて 恥をさらせなくなるのは嫌だ 死ぬときは どんな 格好になっても それは困るから 恥ずかしい死に方を しないでおきたい どれだけ恥ずかしい思いをしたら 神様は勘弁してくれるだろう そこで 熱いお茶を飲んで 菓子はいらねー お茶を飲んで ニュースを 見ていると 自分が映っているようで さらにやるせなく 勘弁してほしい 何度 同じ間違いを 繰り返せば 川の向こうにいけるだろう そして西遊記 青い空 むなしく 楽しい旅 釈迦までたどりついても 釈迦は世界だから 裏にまわれない ありがたい 飯でも食って 帰るか 今日は思い出ばかり なりやまぬお経に 明日が 見えるか ---------------------------- [自由詩]静かな海/石川和広[2006年1月19日14時22分] よろよろと海岸線を歩いていると 月が見えた タバコの煙が風に乗って流れた ああ俺は 照らす光におびえながら立っている それから海に向かって眼をやった 錆びた商店街が背中にあった 波は無限に近く色を変えながら どぶ川の色で 俺とは無関係に東のほうへ流れていく 漁船が見えた うすもやに鬼火のようにちらちらと 眼の中を光が曳いてゆく さっき夕方まで、子どもと海辺の公園で 砂遊びをしていた トンネルを作って子どもの手を 静かに握った 「おっちゃん、トンネルつながってるなあ」と子どもはいった 最近の時勢このままでは誘拐犯とまちがわれるなあと思いながら それでも、遊んでくれるので、遊んだ 部屋に帰って薬を飲んでテレビをつけっぱなしにしながら 眠った いつもの海に近くない俺の部屋だった その部屋は夢だった 鷺が「死にたくないよう」と鳴いた 俺みたいな顔をしていた 寝言で起きた 死にたくないようといったようだった それから、夢に向かっている友達の夢を見た そいつは、ぼくをはげましながら、みづからも世間を恐れている いいやつかもしれないと思って 手を握ろうとしたけど、そいつは透明だった 生活が散文の羅列になり、文字が何千行浮かび上がっては消えた もう詩が書けないと思うと、父が出てきて、母と空を飛んで 「和広ラーメンを食べなさい」といった それから、二人は黒い鳥になって、闇の中に消えた 最後にいつもの部屋で俺は、コタツに入って うつらうつら考え込んでいると、まぶしい光が差し込み いやに明るいのに惑いふらふらと立ち上がると そこは繁華街の裏の路地でコケが生えて 二人がセックスしていた 俺はつまずいてつまずいて どこへもいけないとおもうと起きた 静かな海に入って眠ろうと思う そうすれば仕事どうするかの答えは出るだろう ---------------------------- [自由詩]遠い手紙/石川和広[2006年1月31日16時16分] 孤独な日には時雨る 空気が重い わたしは一日中寝た 黒人が 国道脇を歩いていく 何人も わたしは絶望しない 楽天でもありえない 遠き友より手紙きたりて わたしは 寂しい夢を追い返す 外は霧 昨日は疲れた 速いくらい 人が集まってくる わたしは集まりの中に入れない わたしの狂気は わたしを人の外へ おいやろうとする わからない顔が何度も 浮かんで それに逆らえずに また うつら うつら うつの中に 空っぽの中に わたしがつまっていて 遠い手紙はわたしを 勇気づける とてもいいことだ 最高だ 古いうたが聞こえて 夕方になる 空は白 城 わたしは 少しいきかえる そう いろんなことがあったね これからもあるね 悪いことばかりじゃないよね 黒い部屋に 昼から 電灯がぽつり たばこ四本 缶コーヒー 時間がとまる テレビの上の花は 正月から 枯れてない 障害者手帳 不意に句読点がくる 今日は 空が見えない 遠い手紙よ それも空だ ---------------------------- [自由詩]曲がり角/石川和広[2006年2月4日17時55分] いのちだもんね 乱れるもんね 明るいもんね 光と葉っぱ うねる赤ちゃん バス通りのサイレンス 突き破っちゃったよ 人の中 無防備なまま 完全に狂ってるよ そう いのちが いのちが 曲がれないで 走ってるの 時に気持悪いよ 悪酔いだよ 夢見ず眠れ 曲がり角のサイエンス だって、薬で頭は治るのかい 薬の中で生きるのは からだだ からだけど 曲がった筒で 困った人間 だから、生きていることは ずっと実験 実験 恐ろしいくらい試すんだ 試されてるんだ こんな 小さなぼくだって ラケットだって 打ち返す玉だって 虫だって 湯呑みだって すべて走ってるの そんな中 僕は ふるえながら 煙草を吸い そうだ 僕も生きているんだ と 知らない兄ちゃんと話す 正直緊張するし ここは病んだ者の くるところ 誰も病んでいない すぐには 答えを上手にいえないだけ だから、いろんな人が病んでいて、病んでなくて、その中で認識を高めていくんだ だから、みんな 別れていくんだね 最近 やっとわかった 怖いけど やってみるもんだ 病気だから いつまでも 悲しんではいられないんだ そうして 魚みたいに さっと 流れをからだで つかみ 泳いでいくんだ 曲がり角を 空気を 水を ---------------------------- (ファイルの終わり)