石川和広 2005年8月11日20時59分から2005年9月12日19時04分まで ---------------------------- [未詩・独白]よんでいる/石川和広[2005年8月11日20時59分] なかなか おとこのこであることがやめられない じぶんが ばらばらだからかな? おとこのこの のこりかすがもえくすぶっている たぶん おんなのこがもえるのとは ちがうにおいがするはずだ そんなきがする おとこのこが もえくすぶるとき なかない ばらばらになった むねのにくへん だけがなるのだ だれもとらないべるみたいに かのじょのまえでは おかあさんのことおかあちゃんとよぶ おかあさんのまえではおかあさんとよぶのに よびなは だいもんだいだ よびなは あいのかたち かもしれないからだ ぼくのなかのおとこのこ と すこしおとなのぼくが ちいさいこえで ぎろんしている やっぱりおかあさんのまえでは おかあちゃんとよべないな おとこのこのぼくがいう でも かのじょのまえでは おかあさんのこと おかあちゃんとよぶんだ おかあちゃんのことすきなんだろ と すこしおとなのぼくがいう ひきさかれたにくへんが ひめいをあげる そのしたにはおかあさんがいて どうこえをかけていいか とまどっていると そうぞうすると どきどきする かってな そうぞうであるのか おかあさんは じぶんのじんせいが おもたいのかもしれない そうおとなのぼくは おとこのこのぼくにいう どこかで ちいさいおんなのこがないている おとこのこのぼくには きこえる おとなのぼくは そんなしんぱいしなくていいよ というが どこかとおいこえになっている ---------------------------- [自由詩]こわくない/石川和広[2005年8月13日21時17分] 鳥の死んだ目 亀の 平べったいの 動かない 体は来ない のに心に来る 心が立ちすくむ 昔は いきものが苦手だった 来るものの 怖さを 小さい僕は よく知っていたのだろう 今日彼女の実家に 行った 犬がいた まだ一才にもならない 雌犬だ 家族のものより 来訪者である僕たち のほうに突進 してくる 彼女の母親は 冗談めかして コラ!この子は どこの子やっていう ふところに入って なめる なめる なめられている ほとんど会ったことの ない僕は毛だらけ 来る 来る 麻痺してるのか 犬の力なのか 怖くない 撫でてさえいる 手が手でなくなる 動いている 犬の上を 不思議だ 鈍感になったのかな 僕は クルクル回る犬だ 犬は暑いので 水を飲みに行く また撫でる 毛波に 怖さが 滑り落ちていく 迎えられている 犬に もう僕は なすがままに されている 両方とも 精一杯生きている 対等だ 犬の命は短い こわさが なくなったのでは なく 小さい頃の 来るこわさが ひょんと この犬カワイイ に飛んで行く 小さい頃の 怖さを知っていた 僕が 知らない僕 もっともっと なすがままに されている いきものの僕に 逆に 歩き出す まだ ぎこちないけど ---------------------------- [自由詩]焼肉を食べにいく/石川和広[2005年8月14日18時35分] 明日は 焼肉を食べに行こう 彼女の 生まれた日だから なぜか 戦争に負けた日 諸説あるけどね いくぢなく からみつかれて からみあって 生きている 普通じゃないくらい 生き返る日々 なんとか もちこたえよう 焼肉を食べよう ビールを飲もう 遠い 近い? 戦争に負けた日に 彼女が生まれた日に 死んだ人たちよ 僕は生きている 死んだおじいちゃん 戦争に行って 傷付く前から たくさん傷付いて 生き延びた そして死んだ 優しいおじいちゃん 僕は生きている 呼び掛けても届かない ただ焼肉のことを 考える 何かが届く 飛んで行く 普通がうらやましい 僕 普通は変わっていく 僕が知らないうちに 生き始め 変わっているように 生きは往き 生きは息 生きは域 生きは遺棄 生きは意気 生きは粋 明日になれば わかる 知らない日の 知らない味 明日 焼肉を食べに行く 彼女が生まれた日に 戦争に負けた日に ---------------------------- [自由詩]渡れ/石川和広[2005年8月14日23時22分] 君 言葉の深淵を 明るく渡れ アイスコーヒーを 飲みながら かろうじて ぶらさがる 吊り橋 上から 光と荷物と レシートが落ちてくる それらすべての 降り注ぐ雨に うたれながら それらを糧と思え 忘れながら 氷が溶けていく 夕暮れにさらされ 話つづける 話ながら 百万回 生死をくりかえす 生まれる 夜の照明へ 僕と 影と喫茶店を 出る? ---------------------------- [自由詩]深海魚のふるさと/石川和広[2005年8月16日18時24分] 夕暮れに! 夕暮れに! またやってくる 憂鬱が ひとりでに しらずに ぼやーんと 空は黄色い セミがないている 深い海の底から 僕はひとり 彼女は出かけた 見えないもので つながっているのに 僕はひとり ぼやーんとしている メールをうっている 詩集が 届いたらしいので うれしいのに その気持ちと 矛盾せず それでもひとりに 戦慄 何が起きているのか ああ憂鬱 底から考える 僕たちは 深いところで やわらかく つながっている なぜ 一人を感じるのか ブックオフに行ってきた 昼の深海魚が 書架の回りを とまっては 目を光らせる 僕の肌ウロコになる ざわめく 落ちていく ひとりであることに 目覚めると さみしさが水面を おおう 黙りながら ここにいて 乞うている 身をふるわせる いつも 大切にされている のに こんな時は 遺棄されている と 感じてしまうのだ その感覚 僕の故郷だ 僕は僕自身に 帰っていく 形のない水の動きに 溺れかけるのだ 彼女が帰ってきたら ふるさとの声を ひきずって おかえりなさいを いうだろうか 僕は単純に おかえりなさいを いうのだ 半身が 帰ってきたように ひとりはさざ波に なり 二人はまた 寄せてはかえす 波に泳ぐ魚になり 詩集が届いたこと 喜ぶだろう ---------------------------- [自由詩]球の上を/石川和広[2005年8月17日19時57分] 絶えず 変化しつづける 球の上を歩いている 感じ 大事だ 毎日 サンダルはかない スニーカー ニューバランス バランスはとらない 揺れるままにしておく 今ご飯を食べていない 食べていない感じ 味わう 静かに 脳裏はざわめいて 外でリリリと 虫が鳴く パソコンつぶれた 揺れる 揺れる 僕の書いたものは いつも未知だ 道だ 球の上を歩く未知だ 地球で生きている ふわふわ不安 生理 麻酔 薬飲む だいぶよくなっている だって怖いけど 歩いているもん ---------------------------- [未詩・独白]今日/石川和広[2005年8月18日23時53分] あかんぼ 胸にうづくまる 僕の同級生の女の子 が産んだんだ その子を僕の母親 が抱いて笑っている 僕は31 子供はいない 頭がからまる あかんぼいいな 僕が笑うと あかんぼは ますます顔を埋める でも口の端に笑みを 浮かべてるのを 僕は見た 最初のほんとうだ 実家のとなりの おばあさんが ホリゴタツの中で 死んでいた ヘルパーさんと うちの父親が発見した 二つ目のほんとうだ こんにちは さようなら 今日 玄関で 最後にあかんぼに 手をふると 正面から 笑ってくれた 謎が生まれた ---------------------------- [未詩・独白]書けない時には/石川和広[2005年8月21日18時16分] 詩を書くこと ばかり考えてる 谷川俊太郎のかげが うしろにある 最近読んでいるのだ こっそりと宇宙と 話した少年 または死について考える老人 詩人は少年と老人が同居する と云ったのは誰だっけ 彼のデビューを飾ってくれた お父さんが亡くなったとき 彼ははだかになって 詩を書いた 寒々しい雨の音が 詩集から 聞こえてきた どんな気持だったんだろう 聞かずともさみしい少年の 無言の呟きが聞こえる 「世間知ラズ」は初めて買った詩集だった 僕のお父さんは 今僕の初めての詩集を 売りに走っている 僕のお父さんが 今死んだら 僕は生きてはいるだろうが 恐ろしい 彼とは違うが 僕も世間知らずだ 世間がなければ 詩もうまれない 詩はとびたつ大地を 失う そう思わないか? 黒い鳥がとぶ 六階から 下の遊んでいる小学生 の声が聞こえてくる おかしな話だ 生活より前に 詩はあるはずもない と考えているのに 障害年金暮らしだ 払えない 今の政治だと なくなりそうで こわい 一ヶ月前までは書くのは 月一のペースだったのに 自分の馬鹿さ加減に 気付く前に 書くことを考えている頭がある なんでこんなに 焦っているのだろう 煙草すう 詩が目的であっては いけない さっきからいけない ばかり考えている 体を 生活をおいては 詩がついてこれない 詩はゆっくりなのか 詩は出てくるときに 出てくるのだろう 待てない おじさんのくしゃみと 車のエンジン音が 聞こえてくる 今 暖機している あたためている そんなのもしらない ねえ まとめないよ ---------------------------- [自由詩]ブリキのひびき/石川和広[2005年8月22日14時42分] 消えたカラダを 拾い集めに 旅にでる ゴミあさりして 錆びた鉄板を胴とすると 腹からピューピュースキマ風 コンクリートの下から 生えている草を指にすると たよりなくふにゃりとする 足は泥で固めてつくった 少しずつ早く歩けるように なった ときどき水をかけてやらねば 干からびてポロポロ はがれる 私はふるえないトルソー 写真ではわからない ブリキのにんげん 錆びてまがった ホムンクルス 私は 本当の笑いを なくした いつからか 腹から笑えなくなった 腹がないからだ その場しのぎの微笑みは うすぐらい通りに 消えてゆくだけ 知らず知らずに涙が伝う その場しのぎの微笑みは うすぐらい通りに 消えてゆくだけ 雨が降るトントカテン 感情がうずまくんだけど ふつうに悩んだり 泣いたり うらやましい 鉄板の下に 隠したささやかな声は 忘れてしまった 避けているだけかも しれない という過程も家庭も 覚えていない 晴れているトンテカテン 私は愛を受けて育った 私は肝心のことばを 様々ななかまはずれの中で 失ってしまった なかまはずれにされる前から 死んだひとのかたちの前に たちすくんだ 外界を遮断し ただ無限のたましいの壺におち 謎がなぞと感じられなくなり 生きている実感を 失い 白い紙に燃えることばをかき ことば 消えて 消えて また書いて ブリキの胴をもったのだ なぜか 最近腹がぷよぷよするんだけどね ---------------------------- [未詩・独白]旅/石川和広[2005年8月22日23時01分] 僕は恋の中で 生き直す 日々は 単なる 日々に近く 遠い ひびわれた 地表から 静かに 氷であった水が ゆっくりと 溶けて流れる 川 川 べり 皮に滑りおつ ように かなしみに 含まれる 何か鈍いろ の時間の中で 君は 明日少し旅に出てくるの と 支度をしている 僕は ひとりになるね なんて 小さな山の旅 互いに木の時間に 入る 僕は小さな画面から われてしまった 硝子コップを 見るだろう いじけたり すねたり ねむくなったり 引き伸ばされて 留まったり 僕は少し小さくなる いつか ほんとうの時間を いきる 域 息 深い息がつけない もっと 脳裏静かに 明日 いってらっしゃい を云うだろう ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]ナンノタメダロウ/石川和広[2005年8月23日22時42分] 僕は友達が少ない。 いつも思っていることだが、こればっかりは難問だ。さみしい病が襲ってくる。 今日は、彼女が旅行に行ったので実家に帰ってきているのだ。 そんで行動範囲が病気のせいもあってか、もともとなのか、狭い僕は珍しく本屋によったり地元のジャズ喫茶で田村隆一を読みながらコーヒーを飲んだりした。 かなり充実したメニューだった。 医者にはお仕事以前にひとりで過ごせるようになりなさいと言われている段階だ。 これでおわかりのとおり僕は一人が駄目なのだ。普通に一人にすらなれていない時間が多い。別に悩んでてもいいんだけど。 でも友達が少ない。 ジカンガツブセナイ。あやうく頭がからまりそうになる。 というか大失恋とか仕事辞めたとか病気になったりで、人のことを考えることができなくなっていた三年間だった。 と、まとめていいのかも迷う。僕にはカウンセラーがいて、よく話をまとめようとするといわれてしまうからだ。正直痛いところをつかれている。 他のカウンセラーに当たったことはないのでわからないが、僕にはカウンセリングはツボ押しみたいなもんだ。 血のめぐりが悪くなったとこを押すと痛い。でもキク。 僕の場合、ツボは、無理にまとめて自分を安心させようとしてるけど、そのやり方自体無理がきて、きもちが凝っちゃう。 ナニヲヤッテイルノダロウ。 人によって凝りのやりすごしかたはちがうだろう。パチンコやったりとかね。 旅に出ちゃったりとか。旅も案外いい方法でやりたいんだけど金がない。 オマケに僕のカウンセリングは保険がきく。 一時間みっちり自分の話が出来る。そんで千円ちょっと。僕は友達をどうつくっていいかわからんので、そういう時間は大きい。 でも、いいことばかりじゃない。 痛いツボを突かれただけで、あとはノーヒントなのだ。 友達のつくり方も自分の殻の壊し方も教えてくれない。 というかいつも緊張して固まっている。 ナンノタメカワカラナイ。 いっそ開き直って、自分が壊れていることを認められればと今思う。とりつくろってまとめてしまうのだ。 ナンノタメダロウ。 でも二週間たったら忘れている。 いやもう忘れたほうがいいのだ。 このまま時間にまかせるだけだ。 ただ心配したり、忙しかったり、暇だったりする日がくるまでは。 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じかんを うずまかせる きのうは いつねたんだっけ さけのんで おぼえてない ---------------------------- [自由詩]永遠に近い/石川和広[2005年8月29日18時40分] 足を 風がなでる しばらく眠っていた 永遠に近い あなたはいない すいこまれるみたいに 街は 夕から闇へ 日が早くなった 当たり前のこと おどろき もう暑くなくなる 生き急ぐとき 足をとられそうに なりながら それで 地面の存在を 忘れそうになりながら 明日手紙がつくことを祈る あなたが帰ってきた なんと名づけよう 犬に名前をつけるみたいに 今日を違うものにしてしまいたい 永遠に近い ---------------------------- [自由詩]夕方/石川和広[2005年8月30日18時38分] 曇って 見えない夕陽を さがしていると さびしかった時間が 今と重なる ひんやりとした母の顔 ギザギザにみえて 夕陽道を歩いている 学校の校庭は 黄色い砂漠 ひとり歩く 重い 思い ランドセルをしょって 走らない トイレに行きたいのだけど 逃げ道は四角い箱 の形をしていて 夕日が世界を 焼き尽す 友達は夢の中 誘ってくる子は いたけれど ひとりじりじりと 歩いている 昨日何食べたっけ 時々ふりかえる 昨日は 粘膜で包まれて いつまでも 帰れない あるはずの ひんやりした玄関は 訪れなくて 拒んで 泣くことも選べずに いつまでも 影から逃げながら 甘い手紙を待っていた ひんやりした母の顔 飛行機山に落ちた 街路樹と白い通りを 自転車で走っている そんなシーンに移行 僕は血が通っていた 透明で 流れる記憶の川を 逆らって 走った 走った 曲がっていく堤防 のゆるい坂道 仕事がない 永遠に 手ぶらなのか 橋の下に 人が生きている 青い世界の 粘膜の中を 生きるときが 今もある ---------------------------- [未詩・独白]新鮮とれたて/石川和広[2005年8月31日21時09分] 単純にいえば どこまでも言葉なんだ 言葉は嘘で出来ている 嘘でしかいえないほんとうがある そんで言葉がでなくなるような 舌が癌で侵されている妄想に何年も悩んだ 私も言葉で いつも失われている というか ありもしない私を そしてあなたを おいかけている 鳥だが 鳥はおいかけない そして言葉と言葉で つなぎあわせて 切った貼ったしてしか いえないことがある ことも言葉で いつまでも言葉で 曲がって 会えなくて またねっていって 失われていく何かを 頭の中の独り言で 埋めて 埋まらなくて さみしくて 黒いかたまりのような 逆にホラアナみたいな ものができて そこを渡るために また嘘をかさねて 心細い ほんとう あなたがいない あなたがいる そんな毎日を綱渡りで 送っていると 新鮮とれたての嘘が また来て四角 また来て死角 また来て刺客 だまされないように 信じている 固くなっている カラダを やわらかくしたいけど 硬い そのままで ほんとうの渡世 ---------------------------- [自由詩]凪/石川和広[2005年9月1日23時54分] 風 とまっている 港に静かに 笑いと夜がふってくる ガラス張りの体のなかに 小さな傷跡が 古い子守り歌を 歌っている 明日を懐かしむ 風の歌 稲穂が揺れて はずかしそうだ ---------------------------- [自由詩]手紙が/石川和広[2005年9月2日23時36分] 形容詞が 見当たらない 生き物の震えは 魂だ 猫がないたら 魂だ 月が見えるとき ただ見ている それなのに 感じながら ただ見ている時間は 魂だ 手紙が 届いた 昔の 彼女から手紙が 届いた 手紙が 届いた 名前が変わっていた 詩集の感想だった この手で 詩集を送った この手で 詩集を送った 封を閉じた 開いた 昔の彼女は 結婚していた 僕は知らなかった それだけ 僕は 好きな人と 暮らしている 不自由だのに なんとかやっている そして くりかえしながら 闇が光と交わる 時間だ ---------------------------- [自由詩]太った犬/石川和広[2005年9月3日18時59分] 空からメスがふってきて、私の体の輪郭をふちどった。夜露をのせた草むらに。誰だと思ったら私の友達だった。友達は私の好きだった人を連れて、空で優しく微笑んでいる。その笑みはまるで一等星のように素敵に光っている。私は不思議に怒りを覚えずに二人が手を繋いで歩いていくのを見ている。私はただ待っている。二人じゃなくて、あの人が来ることを。あの人の顔は地蔵みたいで目を瞑ったり、口の端に微かな笑みの痕跡を残しているが、私は、その人の優しさをひどく憎しんでいる。まるで鍵っこみたいに、草むらで寝転んでいる。釘づけになったまま。遠い雷鳴。水の音。待って。待って。舞わないで。置いていかないで。といっても待ち合わせしていない。 私はただ待っているだけだ。隣を太った犬が通りすぎていく、、 ---------------------------- [自由詩]僕の世界は海になって/石川和広[2005年9月5日18時28分] ミッドナイトプレスを 買った帰り道 天王寺駅構内を歩いていると 笑っている人も うずくまる人も 奇声をはっしている人も 中学生も しゃべっているおばちゃんも みんな真剣だなあと思った ぼくがふざけているのだろうか ひとりひとりの頭の中に 語りかけたい声や 買い物どうしよう とりとめのない声があって うずまいていて 誰かと歩いていて ひとりで歩いていて その中に奇声をはっしている人もいて 僕は昔の仕事が知的障害者施設だったから なれているのかな いやちがう 通りすぎていく人の中で 奇声は何かを 懸命によんでいるようだった それが聞こえて 特別視もしなくて かといって 目の端から切らないで 忙しい人たちの中で 僕はその他大勢で 僕みたいに見ている人もいるかもしれない と思いながらも 奇声をはっしている人の目線の先は たくさんの 百貨店の入り口を行き交う人で それでもその人は どこか僕がしらないものに 体をななめにして はなしかけていて それはなぜか とても大切な そして繰り返される もので そう感じた僕は差別者だろうか どこまでもそうだとしても こうして歩いていて 僕は 障害者になりたてで まだ過渡的で 人生について ふつうに考えるには 段差があって かといって入院した人にも 仲間に入れなくて (一回入院をすすめられた) ポケットには緑色の障害者手帳が 入っていて そのことを詩にしようと 思って書いていたのだけれど 操作ミスで一回消えてしまって 思い出しながら つづけていて 思い出しながら 変わっていくから 思い出すって怖くて 僕の視線は 世界が成り立つ その手前から 光景が成り立つ 直前を さまざまな声の生成を 見ているのか さまざまな声や アイスコーヒーが アイスコーヒー であることを 確かめる前に 飲んではいるが 飲んではいる僕の 手は 手であることを体は忘れていなくて 僕は 当たり前のことを その成り立ちの前から 見ていて 家に 帰ってきて たくさんの本を お金とかえっこした お金は 実は苦手で 算数も 苦手で 帰ったら空が 色なのかと思って 夜は寄るから 全てがうまれて しんでいて あなたも 帰り道への階段を 上って 息遣い 息遣いは何色 といって 僕の世界は 海になって それでも風は吹いていて なにか 少し すっきりした お腹が少し空いた ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]いじめ1ーサカキバラ君について/石川和広[2005年9月6日17時50分] 以前サカキバラ事件があった時、僕はとりたてて驚かなかった。 あれくらいのことは、やらかす可能性のある子はどこにでもいる。 単にやらないだけだ。僕がそう思うのは、いじめられていて、あくまで僕個人の主観から話すが、いじめられていて、こいつなら殺されかねないと直感したことがあるからだ。僕個人のことは後に回す。 あくまで僕個人の主観の話である。殺された子は障害者で自分より弱い。しかしなついていた。この、なついていたというところに、いじめの純粋な形がある。 なぜなら、道徳的、法律的にいうと、加害者と被害者の、つまり個人に責任があるかどうかになり、殺した人は悪いに決まっていて、逮捕されているけど、ふたりの間で、気持ちの通いあいはあったと思うからだ。 まるで異星人のように扱われているが、人間には、殺したいと言う気持もあるからだ。 昔の儀式みたいに綺麗な子どもをイケニエにするということもあったではないか。 儀式をひとりでしたのが、サカキバラ君ではないかと思うのだ。 だからといって、正当化はできない。大事なのは、人間にはああいうことをしでかしてしまう可能性まであって、人間の歴史はそういうものを加えないと理解できない。さらにいうなら、きちんと腹をくくっておかないと、またどこかの子が新たな手を考えついて、また新しい悪さをやらかす、やらかしているからだ。どれだけの人が悲しんだだろう。腹をくくって生活するのが、悲しいかな大人のつとめであるが、僕には子どもはいない。でも僕はいつまでたっても人間が怖い。怖さの感覚も大事かもしれない。 いじめは喧嘩ではないから両成敗とはいかない。ふと思うのは、いじめられた方にも問題があるという考え。 直感的に、何かを言い当てている。しかし問題は誰にでもある。 いじめは軽いゲームみたいなものから色々あるが、これも一種の人間関係だと僕は思う。つまり、相手があってお互い影響を与え合いながら作り上げていくものだ。 僕の場合も、一緒に遊んだりしながら、結果は弟が蹴られたり、僕は突き飛ばされて骨折したりした。 もともと弟をなくしてぼんやりしだした頃から目をつけられていた。 どっちが悪いかをいうよりも、誰もがひとりで悩んでいることがあって、僕のクラスは荒れていた。今も僕の被害者意識はなおってない。 特に十才くらいだったから、一人というものに目覚める時期だ。そこで集まって何かをやらかすというのは、みんな不安だったのだ。(続く) ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]いじめ2ー「いじめられた者にも原因がある」という言葉について/石川和広[2005年9月6日21時47分] いじめというくくり方には正直疑問を覚えるほど色んな方法があみだされているが、いじめ当事者にとっては、あの何ともいえない生暖かいような、それでいて凍りつくような、ずるずるとしていて、はっきりした妙な仲間感は、他の言葉では言い表せない。 卒業文集にも書いた。正直恨んでいくことでしか解消できない何かがあって今でも自分の気持ちに寄り添うのは苦手だ。恨んでいると言うより裏切られた感じ。でも相手が転校してしまったから、今どうしているのか、そもそも覚えているのか、今なにしているのか。 そこでなぜ僕にという気持ちは消えない。いじめられると、怒りが内向するというか、誰に向けて良いかわからなくなる。うまく怒りが表せなくなる。自分が悪かったのかもという気持ちと悪くなかったという気持ちが色んなもやもやや気持ちのギクシャクになっている。 僕は最近ではフラッシュバックに襲われなくなったが、人間関係はへただ。 もともと世渡りの前に、一人ぼんやりすることが多い。これは弟が亡くなってから、何か生きることについて色々考えてしまうのだ。 いじめられたほうにも何かがある。自分では気づかない何かが。同時にいじめたほうは、形はいろいろあるけど臭いを感じ取ったんだろう。遊びだというが、それにしては手が込んでいる。結論はないが、実はなんでいきているんだろうという感じが、ヒマによって増幅されていく感じ。僕はもう恨むことは止めている。許したというのとも違う。奇妙な思い出で、被害者意識というか、関係に敏感になっている。 実は今日投稿されたチアーヌさんの詩が、書く事の刺激になったのだ。 僕はこの作品に出てくる人は、怖いかもと思った。そう正直に告白しておこう。 これは僕の反射みたいなもので、刺さってくる感じなのだ。そこに共感も反発も覚えながらポイントを入れた。ポイントなしでコメントをするのは嫌だった。僕のコンプレックスに刺さってくる作品も「よい」作品だからだ。 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=48230 >病むのが普通で >壊れたほうが >美談 >そういう世界で >誰かの都合のために >生きたくなんかないから >平気な顔して >さらっと言うよ >酷いこと 昨日「僕の世界は海になって」http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=48173 という詩で自分が障害者になったことを書いた。だから 正直自分のこといわれているような気がした。というか、僕が不徹底に障害を美化している可能性がぬぐえないところにささってきた。これは一種の関係づけすぎかもしれないけど。 そして自戒を込めてポイントを入れた。 しかし、平気な顔してというところに、一種の無理を感じないでもない。平気なら、わざわざ 平気な顔しなくても平気だからだ。このフレーズの前段を受けているのは、あきらかに生きることの重圧だ。というか、僕が味わったのとはちがう苦しみだろう。 >酷いこと というのも、底を味わった過敏な精神が感じる酷さであろう。 僕はポイントを入れた。それは、こういう作品から発する悲しみの大きさからであった。僕は正直こうでない言い方で詩を書きたい。そういう触発のされ方をした。触発されるのはいいことで、僕は示唆される作品にはポイントを入れるから入れた。 正直やせ我慢しないほうがいいよといいたくなるのだ。しかし、そういうとこの作品からは、 無視されるだろう。しかし、そこまでえぐりだしているのもいいことだ。そして、そこで行き止まりである。そういう頑なさの像が浮かぶ。芸術は精神の暗い部分にも目を向けるものだからそれでいい。 「いじめられたほうにも原因がある」とは、道徳観念からいえばチアーヌさんの言葉を使えば「酷いこと」である。しかし、それは真実に近い。しかし「酷いこと」は何かの反動から出てきたものである。「原因」というからおかしくなるので、「いじめたほうにも、いじめられたほうにも、そして周りにも事情があり、こういう事態になった」と言うのが近いか。しかし、いじめには、どこか解決しようとすると、道徳観念が揺らぎ、不安になり、どこかに原因を求めるのだ。それは、誰しもが置かれている条件である。 いじめは「道徳観念=いじめは悪いことだ」をがたがたにする。そこで、警察を学校に置けばとかの話もあるが、そういう話も思いついたことがあるが、ここで負けてはならない。人はいじめることもある生き物だ。というか、「酷いこと」はだれでも仕出かしてしまうというかしたくなる時もある。なぜしてはならないのと思うときもある。そういう前提がもっと共有されねばならないのだ。 それだけで、大分変わると思う。 あとは、学校の問題も大きいが、いじめはどこの世界にもあるもので、ちゃんと、起きたことから目を背けずに、丁寧に事情を確認していく作業が必要だ。 しかし、最近「いじめられた」と思い込んで爆発物を投げ込んだものもいる。いじめは精神のドラマであり、そこでは「個」は溶けている。 しかし、思い込みは、生きていく上でつきまとうものだ。僕も被害者意識につきまとわれていたし、今もある生き癖のようなところがある。しかし全ての悪は思い込みから来るのかも知れず、それは生きる条件でもある。 チアーヌさんのところで書いたように、自分と違うものを認める気持ちが大切かもしれない。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]いじめー補遺/石川和広[2005年9月7日19時06分] 僕は「いじめ」に関する二つの文章を書いた。 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=48249 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=48276 そこで、示したかったのは、人間は、ダメと言われても悪いことしちゃうかを考えたかったからです。 基本的に「いじめ」は、理屈を超えて許されないことで、やっちゃダメです。しかし、なぜ繰り返し形を変え起きるのか?また古島さんがhttp://po-m.com/forum/showdoc.php?did=48290で、しめされたように、ストッパー(古島さんのいう補完)が効かなくなったのか? 古島さんの文を読むまでは「補完」という視点は思い浮かばなかったので有難いです。 そもそも悪いことってなんだろうとさかのぼって考え、自分の経験のうちから、何か出していかないと、自分に起きたいじめに納得がいかないからです。 古島さんは自身の経験から、今のいじめは虐待だと言うのですが、そしてそれは、暴力を許さないという古島さんご自身のポリシーをも示し力強いのですが、虐待が起きてくるのは、それぞれケースがあり、また、いじめという言葉は古島さんは反対しておられたけども、その独特の、今のバラバラになった個々がもつ最悪の関係の形だとおもうので、いじめのまま、今も書いております。 言葉というのは、安直な意味を持つことも多々あり、適切に事柄を記述しないこともあり、古島さんの言うように「援助交際」は、罪悪感を軽減してしまいます。 しかし、いじめを受けたものとしては、あの経験は虐待、暴力を含んだもっと、複雑な心理と現実の総体であって、そのニュアンスは今のところ「いじめ」と呼ぶしかないもの、他にもっとしっくり来る言葉があれば、いいのですが、、 要は、その最中にあるものにとっては、言葉の問題よりも、何か理不尽さと呼ぶしかないものがあるのです。 それを「悪にさらされている時の無力感」と呼んでもいいでしょう。 さて、ここまで書いてみました。古島さんの示唆は、いくつかの点で興味深かったです。いじめを別の呼び名で呼ぶ、本来、暴力という言葉にもどすというところは、そのいじめという悪が暴力であるというところ、にふと立ち戻らせることが出来て少し、自分の頑なさがほぐれました。 ただ、暴力も人間関係の形です。許されないけど、そうです。そこを解かなければ今の形のような個がバラバラになった中での暴力の形を考えられないと思います。 ---------------------------- [未詩・独白]そのまま海/石川和広[2005年9月8日20時12分] こどもみたいに 世界の底 天井がつきぬける ように書きたいが 不自由な気持ち 気持ちとは無器用なものだから なかなか 屈折率 もって 言葉はくねっていく 詩らしい詩はもういやだ 殺したい気持ちに なったことは 最近ない 子どもの頃は 青ざめた 錆び色の残虐模様 かがやいて とてもてんしんらんまんであった 美しい夜 虫が鳴いているあわれ もっと もっと 無器用に書きたい そのままで 広い海 ---------------------------- [自由詩]ふれる/石川和広[2005年9月9日21時32分] 手のひらを じっとみる 樹木 にキス 傷つけている 怪しい空 魔法じかけの空 手のひらの中の空 伸びる空に 手首に傷 手首にキス 闇を空に 病みを空に 目がつかまえた空に キス 透き通る指 静かな指 波の指 フォルテシモの指 崩れる指 ねえ、そちらの空は どんな手のひらの形を してる? 雲が鳴いてる サンダー 消えるのよ あの人 ガラスに走ったヒビみたいに ねえ みんなこわれものみたい 薄汚れた町で きれいな手のひら にぎりたい おじさん おばさん うつくしい女たち 奇妙な肩をした男たち みんなこわれものみたい 手のひらの空かくしてるの ---------------------------- [未詩・独白]すべりおちていく/石川和広[2005年9月11日18時46分] ことばは しずかに すべりおちていく せなか まるく じてんしゃを あめのなか こいでいく だいぶたいりょくがついてきた さかをのぼる としょかんへいくんだ しはまいにちかけない まいにちしねないから きおくゆるんで とりこぼす いっさいがっさい うつくしい ほどけていく もちーふ ごはんがたけたにおいがする きょうはなんぼんたばこすっただろう むしがないている いま わたしのことばは あわれなものをつかまえられない ---------------------------- [自由詩]骨/石川和広[2005年9月12日19時04分] 戦争ということばは ことばでしかないような そんなおじいちゃんの傷跡は 僕が 大学をでるころ 白と灰のまじった骨になって それをみたぼくは その前に においがきたのだ 骨が炎で焼かれたにおい あのとき火葬場の裏山をみた もんたーじゅな風景 黒くしゃべらない僕たち 昨日選挙だった 誰もえらべない 議会制民主主義のこわさは 大学で学んだまま 本当だったんだな 静かだったおじいちゃんと 死ぬ前 夜の電車で 向かい合って おじいちゃんは 自分にいい聞かすように 言った 云うことはいわななと 云うこといえてるか? という前に なんか喉がひっかかってしようがない ---------------------------- (ファイルの終わり)