石川和広 2005年2月16日15時04分から2005年8月8日19時06分まで ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]世間が変だ?2/石川和広[2005年2月16日15時04分] 個人的に大体、精神科のまちあいより、繁華街の方がヤバイ暴力的な人は、はるかに多い印象がある まちあいの人が静かなのは1・しんどい。2・目的意識がある。3・暴れると出入りできなくなる。至極単純な理由からだ(と見ているので、というか、夜中に狂う人もいるが救急しか開いてないか…) 要は必死。入ったら医者が「調子どう?」と膝カックンなくらいだ。 当たり前だ。病院だから… とはいえ大体、本人が多少事情説明が下手だし、家族も、息子などが変になっても、自分らは辛くても頑張ってきたいう自負があるから、なかなか手掛りが混雑し、医者は薬を一応出して診る 困り人の対応の仕方を医者しか知らないのと 治療の前に、「行くのが」大変とか、保健所などの機能が あまり伝わっていないという(しかも、場所により質や財政が違いすぎたり3に引用しましたが)問題という感が強い 註(家族のいない人は、自分はそうではないので 書いたら無責任になるから 書かないけど、児童養護施設のことは、3に引いた文章に 出てきていますが、僕はわかりません) ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]世間が変だ?3(関連の最新トピック付き)/石川和広[2005年2月16日15時17分] 要は病気を私たち医者じゃない人がどう捉えるかで、こんなの僕にもわからんが、医者が必要という前提はあっても、自乗自縛に陥り、自分と自分自身に不整合を感じ、それが、カラダや頭や行動を(爆)させたり、疲れてしまうので、これが、精神科の扱う病気と、勝手に仮定できるか。 まあ、したとしてみると、他のしんどさや悩みとかわらんが程度や長さが外身から分かりにくい しかし苦悩してこじれとる。ここを他の病気や悩みと分けていいかは、医者でもかなり議論があるが、権利や義務を社会的に行使しにくい状態を病気やというたらいかがか このあたりで 僕は困るのであるう 権利や義務を社会的に行使しにくい状態を 今までの重症度判定だと 働きたくない感じとか、働けない感じは つかめないので「社会的ひきこもり」なんて かわッた言葉を持ち出す必要が出てくる どれほど、重症で、あっても、はたらきたい人がいる しかし、まさに彼が入退院をくりかえしているとか 逆に働きたくない感じとか、働けない感じを持っている人が 従来いう軽い人(重い人であっても)だったら、どう社会にパスしていくことが できるのか? 書籍でも出ているが、病院で詩や文章や絵を書いてる人もたくさんいるのも あまりしられていない そもそも、心はからだ同様変化をしていく つまり、限られた範囲で自由なのだ それを「社会的ひきこもり」なんて ちゅとはんぱなカテゴリーに入れてしまうのは変だ どんな患者でも、「社会は、こう出来ている」 「人と人はこう関係する」というイメージを持っている それ抜きに保護したり手放ししたりは、どの患者に対してもへんだ。 しかし、しんどさに関し、親、患者、医者、世間、国家 みんなものさしが色々で、こういう中を どんなかたちの苦悩者も、ぐるぐるガッシャーンで 通り抜けていく…行けるのか?俺、行ってる中と考えたいぞ俺 これを人生や成長と言わずして何と言う 以下、世間は変?関連の最新トピックを引用して終わりとする ちょいと興味深いかも http://www5e.biglobe.ne.jp/〜k-kiga/seisinn1.htm から佐藤幹夫(「健康保険」04年1月号掲載)の文、引用  厚生労働省が、平成一五年から精神保健福祉改革の具体的取り組みを始めるとし、そこで示された重点的な施策は以下の四点である。 (1)普及啓発(精神障害に対する社会の正しい理解をはかり、当事者の社会参加の機会を増やす) (2)精神医療改革(病床の専門化し機能分化をはかり、病床数全体を減少する。救急体制と地域ケア体制の整備) (3)地域生活の支援(居住先の確保と雇用の支援、相談機関の充実) (4)「受け入れ条件が整えば退院可能」な七万二千人の早期退院   滝川一廣(精神科)インタビュー引用 「こうした改革は前から言われていたことですが、今回出された提言には、コストについてまったく触れられていませんね。ほんとうにコストの裏づけがあるのかどうか。救急病棟、地域支援、こうした提言を真剣に実行しようとすると、膨大なコストがかかることになりますが、それがないかぎり、実効性は薄いですね」。確かに今回の提言は、常設の医療のみならず、緊急時支援と日常生活支援(就労、住まい、サービス施設等)の強化がうたわれている。このことがどのようなコスト計算がなされているのかは、提言からは見えてこない。滝川氏は、また次のようにも述べる。「早期退院をいっていますが、裏読みをすれば、それだけ入院費を節約できることになりますね。これによってどれくらいコストが浮くのか。それをどこに、どんなふうに回すのか。そうしたことが論じられていませんね。この提言の本音が、医療コストの削減にあるのか、ほんとうに患者さんのケアや暮らしやすさを考えたものか、ちょっと心配ですね」。  さらに滝川氏は言う。「それから救急医療に力を入れるともうたわれていますが、これはどうしてでしょうか。いきなり急性錯乱で始まる精神疾患は少なく、全体としてはゆるやかに始まっていくわけです。むしろ早期ケアと、患者数に追われて十分話も聴かずに薬だけ出すみたいな現況ではない、こまやかな通院治療がはかれる診療システムを充実させるほうが重要です。救急から医療が始まると考えるのは、そもそもおかしな話です。ですから救急、救急と言っている裏には、社会防衛的な含みがありますね。病床の削減と救急医療とはセットに考えられていて、危ない患者さんは救急で社会防衛して、一方ではどんどん社会に出してしまおう、そういうことなのでしょうか。これで手厚い治療ができるでしょうか」。  しかし長期入院の問題はどうか、日本の精神科病棟の「収容施設」性への批判は相変わらず根強いが、と筆者は尋ねてみた。「そこには日本の社会的な特性がありますね。自分たちの見えないところに問題を押しやっているのです。たとえばストリートチルドレンが日本にいないのは、児童養護施設という決して条件がいいとは言えない集団ケアのなかに囲い込まれているからですね。わが国では千人に一人を超える割合の子どもたちが施設入所児です。もし精神医療の「収容施設」性を批判するのであれば、こちらの方も同じように問題視しなくてはならないですね。障害者であれ子どもであれ、一度家族から見捨てられたり家族のサポートがなくなると、とたんに社会のなかで生き場をなくしてしまう。これが日本の社会的特性です。社会的特性全体を考えず、精神医療の特殊性とのみ捉えてしまうと、少し間違えてしまいますね」。そして在院日数の問題を考えるのであれば、「在院日数を伸ばしているのは、昔の、たしかに医療がひどかった時代に発病し、社会への足がかりを失ってしまった人です。近年になって発病して入院した人がどうか、ということはきちんと分けて考えなくてはいけません。大雑把なマスとして捉え、アメリカは二週間で退院、日本は数年。だから日本の精神医療は遅れている、というのは、議論としては荒っぽすぎますね」。 滝川氏はまた、アメリカ型の精神医療(DSM診断マニュアルと、脳の損傷に疾患の原因を求める生物主義、薬物治療への過大な依存に代表される)を、近年、とみに無批判に受け入れている現状に、強く警鐘を鳴らす医師の一人でもある。この改革の方向性はアメリカの精神医療がモデルとされており、それが大きな危惧だ、とも滝川氏は言う。「アメリカの医療改革も、患者さんの人権や長期入院の問題などをうたい、病院開放をやりました。それは表看板で、裏には保険など医療経済の問題がありました。そして病院から開放された患者さんがその後どうなったかというと、膨大なホームレスを作ってしまったのですね。自殺者もたくさん出ました。その教訓をきちっと踏まえているのでしょうか。そうでなければ、アメリカの病院開放の二の舞になりかねませんね」。いままちがいなく、自己責任・自己決定を軸とした競争にもとづくアメリカ型の「新自由主義」が、この国でも急速に進んでいる。精神医療や福祉という「社会的弱者」が対象とされる分野に、そうした理念が相応しいかどうか。「コストの問題を伏せ、理念を先行させたまま改革を進めようとすると、そのしわ寄せを受けるのは、かならず現場であり、患者さんですから」と締めくくった。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]「われわれは、愛と平等を否定」しうるか?−「障害」と「言葉」の関係を繋ぎなおすための考察/石川和広[2005年2月18日21時18分]  脳性まひ者の運動の言葉の中で、私に、とても印象を残したのは、「青い芝の会」という団体の「われわれは、愛と平等を否定する」というものだった。 この言葉は、たとえば、十九世紀末の詩人哲学者であるニーチェのキリスト教の「同情」批判と近い趣があると感じる。ニーチェも、五年間で大学を退職し、あとは、大学からの年金で、転地療養生活を送っている。社会的には今で言う「障害者」だ。  そもそも、かれら(青い芝の会)は、なぜ、キリスト教的語り口の否定=「われわれは、愛と平等を否定する」を、行ったか?かれらの直感では、現実との、精神的あるいは現実的齟齬そして葛藤を無視して、「同じ人間ですよ」と話をすすめられるのは、おかしい。いったい、彼(ら)は、この正体不明な運命に苦しめられ、しかし、そこから、生の実感を掴んでいくほかなかった。そのプロセスを差し置いて、同じだと近寄ってくる連中が、彼らには、何か、話が(それぞれの異なる生を大切にしつつ)でき難いものたちに見えたのではないか? 「障害」ということばがある。これは、近年の障害学の取り組みからは、社会学的、哲学的、海外との比較史的な、または、当事者運動研究といった観点から、様々なアプローチがなされている。 立岩真也は、その代表的な研究者といえるだろう。かれは、「青い芝の会」という団体の「われわれは、愛と平等を否定する」の紹介者だ。また、身体障害当事者の一人暮らしの現場から、レポートを、障害者自身と共に、出したり、それを、梃子にして、障害や、その自立という言葉に潜む、日常性からの微妙な乖離を問題としている。そこから彼は、実際に、障害を持つ人々が、基本的な日常性を、障害を、特殊的な前提にしすぎないで、確保できる社会の仕組みのあり方へと考察をすすめている。 (立岩真也のリンク先http://www.arsvi.com/index.htm)  しかし、3年間、知的障害者のグループホームの現場で、働き、また、けして、そのせいだけではないが、今は心を病み、うつ状態や不安を通過している私にとって、立岩のいささか、厳密、かつ、事象の複雑性を捉えようとして、どんどん、くねっていく文体の長さは、とても疲労感を感じてしまう。  もちろん、彼だけのせいとは、いえないし、彼の論文が、複雑な、かつ従来の哲学研究の文体から、介護、くらしの「現場」の感触を取り戻そうと懸命になっていることも、理解できる。  しかし、彼の著書を紐解くとき、何か、ぼくら介護労働者が、感じてきたことが、これだけ、引き伸ばされたら、なにか、逆説的に、ぼくらの感じてきたことと、かけはなれていくし、そもそも、多くの障害者が、これを読むのは、かなりしんどいのではないかと思うのだ。僕は、障害者が、難しい本を読めないといっているのではない。  要は、語り口の問題である。文学といってもいいかもしれない。 案外、介護や、障害は、即物的な面と、構造的な面が生活の意味空間をつくるのだが、わりあい、平凡なようで、劇的なものがある。そこを丹念にたどろうとする研究者としての哲学者文体は、参考にはなっても、生活にとっては退屈なのかも知れず、焦れてしまうのかもしれない。もちろん、メルロ=ポンティの哲学書が、吃音者だった竹内敏晴に与えた感動を考えれば、長い目で見れば、効き目のある議論なのかもしれない。 しかし、学者との対談では、平たい言葉で、話せる立岩が、なぜという思いは消えない。青い芝の会の言葉を私に教えた彼が私には遠く見えるのは、なぜだろう。 彼は、「障害」というニュアンスを大切にしようとしてそれをこぼしてしまっている気がするのだ。 今、差別語とされている言葉がある。もちろん、そう機能していたからか、使うことが禁じられた過程もある。 ただし… かつては、谷崎潤一郎が、トルストイが、中上健次がこだわったように、「はくち」「めくら」「かたわもの」、こういった今では、「障害」と一括されている人や暮らしの言葉の中に、差別とは異なる「差異」さまざまな「営み」や「匂い」があったし、それを残すものとしても文学は機能していたと感じる。  さて、繰り返すと立岩が紹介している、脳性まひ者の運動の言葉で、私に、とても印象を残したのは、「青い芝の会」という団体の「われわれは、愛と平等を否定する」というものだった。 立岩の業績を、基本的には私は肯定している。なぜなら、こういう言葉が、知りたいときに知られ、残されていくことに、意義があるからだ。  彼ら(青い芝の会)は、もちろんいたづらに違いに拘ろうとしたのではない。しかし、語ることは、困難であり、もちろん彼らも批判対象の特定に苦しんだこともあろう。  これは、しかし、彼らのような特定の人たちに、あてはまる話だろうか?、彼らは、「真の」平等や愛ではなく、葛藤や波乱を含みながらの、愛=他者のわからなさとわかりあいたさ、セクスを、掴みなおしたかったのではなかろうか? ここから、文学における、伝えるときに現れるコミュニュケーションの難しさ、対象のつかみがたさのヒントは得られるかもしれない  例えば俳句は、わが国において、ひろく親しまれる文学である。おそらく、作者、読者は、現代詩をこえて、ひろい。よく、老人の趣味として、親しまれるのは、なぜか? 正岡子規を、考えてみればよい。 彼は明治時代当時、不治の病といわれる「脊椎カリエス」で、寝たきりであったのだ。 今、介護現場で、寝たきりは、「なる」ものではなく、周りが「寝たきり」に「させている」という認識が広がりつつある。 しかし、明治の頃、いい車椅子も、なかっただろう。その時、寝ているしかない、写生しかできない子規の情感溢れる目から見えた風景を、写生としての「俳諧」という絶望の地平に置き換えたと見たらいかがだろうか? そこから様々な可能性。尾崎方哉、住宅顕信… 「五体不満足」の乙武氏とは、ちがう風景が見える。 今も障害という理不尽はある。意匠を変えて、しかし、単に不便のみではないものがあるはずだ。そして、それを沈黙する乙武氏にも、見えない苦味があるのではないか?  それは、やはり、身体の操作性以前の「不遇」の感覚。その子規が時代の制約の中で感じ取らざるをえなかった「不遇」を削り取っているからこそ、彼は、奇妙に「明るく」見える。影を失っている。これは、私たちと無関係か?  子規はbase ballを「野球」と訳したし、乙武氏は、スポーツライターとして本も書いている。二人ともライターであり、観察者だ。が、「野球」はbaseを頭とし、これは塁、基地、とも訳せる。「野球」は、米からの輸入であり、日本は明治以来、長い間アメリカの基地のある地、あるいは、極東の塁=踏み台をなしている。それを「野=フィールド」とも取れる訳し方は「この踏み台、基地=外を内部に含んでいる」日本という「野=フィールド」を意識している。というのは、彼が漱石と並ぶ開化への抵抗者だったことでも、類推できる。独自の身体からの「不遇」への感度、日本に生まれて来た者の。 乙武氏はワールドカップサッカーについて、かなり書いているが、そこには「世界=ヨーロッパ的な、への挑戦」は、あっても、ネイションとしての日本への批評意識は、ライターとしては、かなり欠けているだろう。これで、フィールドを立ち上げることは出来るのか、心許ない。以下、乙武氏のサイトからの引用 http://sports.cocolog-nifty.com/ototake/2004/08/post_6.html  「 自分のため。あるいは自分を支えてくれた近しい人のため。プレッシャーをごく限られた範囲に絞ることで、彼らはその能力を最大限に発揮させたと見ることはできないだろうか。   日本選手団の主将を務めた井上康生に、旗手を務めた浜口京子。他の選手以上に日の丸の存在を意識せざるをえなかった2人がともに残念な結果に終わったことは、はたして偶 然と言えるだろうか。  “長嶋JAPAN”という、やはり日の丸に近い重圧を背負わされた選手たちが準決勝で敗 れたことも、奇妙な共通性を感じさせる。   国家を背負ったなかでは活躍できないほど、メンタリティが脆弱化していると嘆くのか。個がいきいきと輝く、新たな時代に突入したのだと歓迎するのか。とらえ方は、もちろん個々の自由である。   私自身は、後者の輝きとすがすがしさを肯定したい気持ちがある。 だが、「これで勝てなかったら、もう日本へは帰ってこれないというくらいに自分を追いこんで、それを試合で爆発させたい」と挑みながら散っていった、井上康生の昭和の匂いも決して嫌いではない。」(引用) このどっちつかずは、私は?である。なぜなら 「個がいきいきと輝く、新たな時代に突入したのだと歓迎するのか。とらえ方は、もちろん個々の自由である。   私自身は、後者の輝きとすがすがしさを肯定したい気持ちがある。」(引用) この辺りに、「個がいきいき」と言う言葉が、どう機能するか、見ただけの実感を書いたのではない、奇妙なリアリティの無さと無自覚を感じさせる で「だが、「これで勝てなかったら、もう日本へは帰ってこれないというくらいに自分を追いこんで、それを試合で爆発させたい」と挑みながら散っていった、井上康生の昭和の匂いも決して嫌いではない。」(引用)みたいな事も書いちゃう。甘さと言えばいいか。「薄れつつある昭和の匂い」って何か、よく説明の無いわからん記事だ。「根性我慢」とか?昭和が、何をさしてるのか、よく調べた方がよい気がする。「根性我慢」とか? この対極に「もちろん、歓喜の瞬間には国旗を振りかざしたり、胸につけられた日の丸を指し示す選手はいたが、それは国家のために戦った証というより、ある種のファッションとしての行為にも思われた。」(引用) ?「ファッション」国旗とは誰に見られ何のためにあるものか、ここにも考察の浅さが見えてきて、その選手達がそう考えているか、どうなのか、配慮のない論かもしれない恐れがある。その浅さは、まぎれもなく選手を飛び越し、必死の選手を追い込む奇妙な明るさとなっていないか?そして、国旗は、まぎれもなく、所属する国の表示として、他国の人たちには見えるはずだ。その観点を抜かして国旗を流行?衣装?謎だ…  乙武氏は、現代的テクノロジーと自身のがんばり、トレイニングで、かなりの動きが出来る。スポーツも、楽しめることもあるだろう。そして、依然、介助の手は必要である。  子規は、進行性の運動障害になすすべなく、日記と、新聞の切り抜き、病床から見える風景の写生としての俳諧を、絶望の中のユーモアの糧とした。 脳性まひ者は、先天性あるいは後天性、様々なケースがある。しかし、乙武のような、民放で「かっこいい障害者の笑顔」を強要されるかわりに、福祉番組で「がんばってる顔や笑顔」だけを切り取られることも多い。  これは、顔に対する認知にも関わるだろうが、ゆがむ顔、痺れる、強張る身体も、様々な処世や趣味がある。  子規は、俳句というフィールドを作った。 障害には、それぞれの差異とフィールドがある。乙武氏は、日本のマスコミというフィールドを選んだが、差別的=逆差別的な日本のマスコミというフィールドを駆けるための、この国への批評的意識は、彼にあるのか?それは心もとなく、私は、彼の今後を危惧するし、もう、危機は訪れ、彼は富を得られても、障害者としての自分を襲う、彼を見た人や彼自身が削ったかもしれない「不遇」の感覚を、何かで誤魔化していきはしないかと思ったりしてしまう。(まあ、男前なら、それでいいという考えもあるが、かなりのチャンスと覚悟が試されよう) これが、杞憂だといいのだが…逆に、私は、お節介ながら、訪れるかもしれない危機から、彼の失ったものの豊かさと苦を見出して欲しいと願うのである。 それを前にして、つまり、自己の生きる条件のニュアンスを噛みしめて、書き手として、成長していただきたい。 私の好きな、急逝したスポーツライター山際淳二のように。 ---------------------------- [自由詩]窓をあけなくちゃ/石川和広[2005年2月20日16時18分] ねて めざめてね いつも流れる夢小道 顔の皮ふがはがれて 赤い紙になる いつも窓を開けなくちゃって思う 人間を混ぜて、肌と灰色の混じった色の タールができて 壁に塗りつけられる その上に 乾かぬうちに電話番号が いくつも書かれてあって シンナーやタバコの臭いクサイので 眉間がいたくなる 窓をあけなくちゃ 黄色い雨がふって 花火の戦争がはじまって そんな夜空をみたいときも カゼをひくけど 窓をあけたくなるんだ こんなにもキレイな きらきら 夜空に ぬりこめられるのよ 窓をあけなくちゃ ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]「一押しの力?丸山薫の詩を声に出した日」/石川和広[2005年2月21日10時18分] 丸山薫の詩を声に出して読むとたのしい。 なかなか他人の詩を声に出して最後まで読み通すには、自分の体力だけでなく、相手の詩にも 言葉を口にするのに「恥じなくていいよ」という「一押しの力」が要る。  この「一押しの力」は朗読の場面だけでなく、生きることそのものが「誰かの言葉」を口にする行為の連なりとしてあるなら、「おはよう」にだって「一押し」は必要である。この一押しは、どっから生ずるのかというと、誰かに「おはよう」といわれた経験からではないだろうか? しかも、この経験は誰もが、知らず知らずのうちに受け入れてきたものだ。  言葉を出す、口にするといったが、朗読の場合、言葉を迎え入れなければ始まらない。たとえ、自分の作品であっても、否、自分の「語り」だが、ここには、きっかけとなる「経験」がない。だから朗読は、いつも新しく言葉を迎え入れ、咀嚼する息吹きとなる。  丸山の詩が、僕には今日は「他人事」とは思えない気分だ。僕はいつも自分に対して、よそよそしい。けれども、丸山の言葉に招き入れられ「こんにちは」されて…僕はいつもよりは、少し楽に、自分の言葉より、なにの言葉より、他人の言葉が読みやすいという「経験」をしたのである。    「自分とは誰か?」という自問に答えはないと誰かが言う。そうなのだ。そして、答えのなさを口承を通じて、自分を反響させる場所をつくりだすものとして丸山の詩を、今日、イイと思った。あつぼったく、キレイで、丸く透きとおる水玉の輪郭のように。 泣けるだけ泣きつくした水 悲哀のない水 陰影(かげ)に姿を失ひかけてゐる水 もう水は見えない この橋桁の闇にはもうゐないだろう 遠く河向こふの薄明の空に尖塔の蝋燭が一本朽葉色の十字 架を燃やしてゐる 水の翼の破片がまだそこにとまってゐるやうだ (「薄明」より引用―「現代詩文庫1036丸山薫詩集」 思潮社1989) ---------------------------- [自由詩]カラス薫る、越え/石川和広[2005年2月22日8時25分] 朝から、青い陽に、 波シブトガラスが 割れそうもない節理を抱いて 泣いているぞ かあハア 丸山薫よ くあーっ 鍬 轍の臭いだ 草の遠く それが、銀河より遠く 発泡スチロールを 口ずさみ 泡食って泣いている その声と わたしの緩慢な苛立ちが 口の中をカラクスル 薫よ 雲高くビルの上だったら 何を啄ばんでいる? アーアーウファアーアー 薫へ 口ずさむ木も 切り裂いて樹液が沸き、 泣くよ 薫よ ---------------------------- [自由詩]はてなミクス/石川和広[2005年2月22日8時44分] 愛しんでいるのか こわしてしまいたいのか このからだ 誰のからだ ある、からだ だ、からだ 涙が感情とずれて 頬を官能的に滑っていく 私が悲しいなんてことは無い ただ、からだの構造上、今のところは いたしかたなく 破壊と愛が、気味悪くミクスされている 布団に走る、日やり水 これは、寝覚めにくる最初の はて、な はてな 風邪引いたら死ぬかも はてな そんなわけないかも なんで 時計の音? なんで時間ですのん です、ノン もう明るいというのを瞬時に感知 そして軽くない頭の回転 夜は愛されなかった 夢が善悪の彼方へと、知り合いが出すぎて 眩暈 わたしの構造お薬は からだとの放し 寂びていく画鋲が病臥挿す ちりりちりり 散華を恐れる ザンゲシタクナル なんで からだ? からだ はて、な いきてほしい 壊さないと持続できない そして あいまいなほうへ ぼくとぼくのからだの 非対称をかためている、からだをな 眉間がいたいが 悲惨、なきよう 全く こんな眠り方じゃうむむ 別に薬に頼っているよ いない人もあるよ そういうことだよと 自己解説 寝ておきますよ 暗い寝室のカーテンは まだ縞模様 茶と白の 診察は、五日後の、誰そ彼 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]◎自分をいつくしむとは??身体と、ことばの育みについて         /石川和広[2005年2月22日18時11分]           1.後進としての「私」 http://www.ittsy.net/academy/instructor/sumio2_1.htm 発達心理学の浜田寿美男氏の文より 自分のことくらいは、自分で決められるのが当然だと思っている節があって、そのことを人にも自分にも要求しがちです。だけど、そこにはやはり無理があります。   そもそも「私」というものが、どうやって成り立ってくるかを考えればわかりますが、「私」というのは身体の後にやってくる。私たちは気がついたら生きていたんですね。「私」の成立以前のところですでに身体はあって、その身体の働きのうえにこそ「私」は、いわば後進のものとして成り立ってきたのです。(引用) 浜田氏の言う論旨は、「子離れ」についてである。「子離れ」は、親の側から言われる。けれども、浜田氏は、親に生み出された身体の、子の意識の側からの引き受けは、いわば親子お互い様の面と、子が、自身の身体を引き受けてゆく作業があり、相互作用と、それとは、次元を変えた子の実存的な面があるといっていると私には思えます。私生活で悩むことも多いことです。様々な想像を誘う議論なので、少し大きく敷衍します。  総合的(身体的にも、精神的にも)には、子はまず、親の心にとって、親の作品です。この、身体の「親性」というか、莫大な背景性を生きることを、浜田氏は「後進のもの」と時空三次元的に見立てる。彼は、親の側の「親性」の認識の欠如に批判的である。これは、自分の意識で、何でも決めて責任を取らせるといった、自己決定論の横行する現状が、親の「親性」の欠如の追認にしか、機能していないからだ。これでは、親は、子を子として見られなくなる、或いは、親業の放棄にいたる。  これが、もたらすのは、子が、自身の身体を、内面化された「親の作品」としての引き受けを見守る視線の崩壊である。そして、それは、内面化された「親の作品」としての、子の身体の新たな引き受けを不能にする。子自身の身体の引き受け、つまり、子による自身の身体の「自己所有性」への感度を下げ、自分のモノではない身体が、流出する。また、それが、他人の身体の愛しみの感覚も、下げてゆくことになるだろう。ネットのエロ画像に感じる「荒廃」の感覚も、こういう事情あたりからくるのではないか?  少し、話がそれた。浜田氏は、そもそも、自分の身体が自分にとって、生老病死をとっても、ままならないことの強調から始める。これは、身体が、単に「親と子」だけから由来するものではないという感覚。あるいは、由来のわからなさ、自分でも制御できない(遺伝ひとつ取っても、そうだ)諸条件に置かれている感覚。それなのに、その身体を生き、自分の身体の豊かさと限界を感ずる感度。これらの感覚の復権といっていいだろうかとも考えた。  つまり、私は、この感覚は、文学において作品、作者、読者、(作者としての読者、読者としての作者も含む)の関係構造と同型をなすと考える。もっと、創作一般といってもいいでしょうか。生み出すものと生み出されたものといいますか、、作品を送り届けるとき、もう先に言った「身体の引き受け」と同じことが始まっている。それを生きていると考えます。身体も、作品も自分のものであると同時に、他人と関係する媒介だからです。       2.「原=わたし」から さて、言葉が交わされる空間に出ていくことは、生身の「わたし」を圧縮、加工したわたしの言葉となることだと考えてみます。 作業仮説として、生身の「わたし」を「原=わたし」と呼んでみる。表現され、手渡されるとき、「原=わたし」は、どうなり、その本質は、どこへいくのだろうか。 テクスト論の文脈では、「原=わたし」は、死ぬことになる。 しかし、死んでなお、あることが多いだろう。死にきっていないとも言えるかもしれない。 私は、その死んだ、あるいは死にきっていないだろう「原=わたし」への、呼びかけが、文の原基もしくは、単位だろうと思う。 わたしらしいかどうかも、身元不明な「原=わたし」は、制度的思考だけでなく、人の情けから、推し量っても、「気味の悪いもの」「その人のものでないようなもの」、フロイトの言う「ウンハイムリッヒ=なじみのない、家の者でない」ものと、感じられている。そう、私は、しばしば感受するのです。ただ、私は、この「原=わたし」の声に、誰もがさらされながら、書いているのだろうと思う。そして、それを「亡きもの」として扱わざるをえないところに、「大人の苦しさ」は現れるのでしょう。  「ぐっと、言葉を呑みこむ」。これはしかし、「原=わたし」の謎の呼びかけに呼応しない姿勢ではないでしょうか。あるいは、そうでは、ない場合もあると思いますが、前者で話を進めます。  もちろん、わけのわからない「わめきちらし」をしないのは、節度あるものでしょうね。 他者への返答とはちがうところに、「原=わたし」の呼びかけに呼応しようとする言葉の営みがあって、少し見苦しいなと感じられないこともないと思う。 それに対する、自己/他者に対する、遇しかたも、様々でしょう。 しかし、まずは、出現していないとはいえ、「原=わたし」との会話、媒介なしに、私の発語はないので、一見、他者への応答責任を果たしていると見える、真面目な「大人」の発語も、それが例え、冗句のかたちをとってさえ、やせがまんにしか見えない。そして、死んだ「原=わたし」の蘇りの亡霊めいた姿に、驚くことになるのです。 それは、他者の発言に、亡霊を認め、お祓い、排除する姿勢につながりかねませんから、自戒を持って、注意したいものですな。  ただ、注意ばっかりも、疲れるし、言葉の命が枯れていきかねません。その「原=わたし」の「亡霊」に対応するジタバタが、逆に私は言葉の元気になるときもあるだろうと思う。これは、書き始めの人も、多少慣れた人も、常に問われていると、私は感じるんですよ。だから、締めとしては、こうなるかな。 あんまりキッチリ、他者に応答する日々ばかりも、疲れるし、木でゆうと枯れてくるので自分を思い切り、抱きしめてやることも大切かな。 ちょっと、かっこつけすぎのような気もしてきたけど、最近、各所、様々な場面で、自他に感じることで…人に対して言葉で良い仕事をするには、ウオームアップも必要だと痛感する日々です。 ---------------------------- [自由詩]朝の雲の城/石川和広[2005年2月22日20時48分] 城に迷う 古城 朝から 指が動きにくい 朝 触っている感じが薄い朝 遠い朝 朝の雲の城 飛竜、城を囲む朝 巻かれてタバコの煙 指がすきとおり、幻想界から 想像階へ、ふるえながら 親とは、話したけど、朝 昨日だったけど、今感じられる 朝 城の中で燃え落ちるか、せんりつ 私のいのち、親のイノチ染み 燃えてもいいなんて 生きるの怖いなんて 結ってみる おんなに 揺ってみる 言葉は音叉 宴さ 泣くさ 城、無視の城 朝焼けの城 カラスが集る死の城 黒く燃える、青空 朝 ---------------------------- [自由詩]めくりかえしたい/石川和広[2005年2月24日16時01分] 詩だけでは あなたの全ては表現できませんよね とカウンセラーが去年の暮れ云いました これから、僕に訪れる事態 そうだと思うと答えてから ずっと考えている その間 いなづまや女や男が僕を引きちぎろうとする いくつかの請求書を破った 気持ちのままいきたい 第三者の目は勝手に内臓されているので 薄明かりの時間をさまよっている ほんとうは未来も昔も 今の中に詰まっていて 今は僕で 僕は僕の外側から観察を 続けている僕で 観察地から ひこうきの爆音が いくつかきて、すぎさった虚しさで りんごジュースをひとくち飲んだ りんごも人類の無菌の手のいくつかが 回路を巡り、山、街、道へスーパーへと 絞り殺したもので 今は僕の口で 筋繊維のいくつかが、ぴくついて それは、原罪の信号で 現在進行しては、世の中を汚してしまうが 奇妙に手荒れした手で 汚れた清潔とも手をつなぐ 汚れているより 濁った感じを感じるのが 僕は好きなだけ 観察地をめくりかえしたい 椅子の上で背筋を伸ばす 地面に向かって ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]宮沢賢治の詩メモ/石川和広[2005年2月26日18時25分] 宮沢賢治の詩を読むのは、とても辛い 自分の苦に、まといついてくるみたいだから 彼は、いつもじたばたしている「デクノボー」であるから 辛いけど、あざとい詩もあるけど、美しいから困る 日本語がうつくしいというより、彼はエスペラントを勉強したり、サハリンまで行ったりしている。色んな言葉の奥底をたどって、それらをぶつけ合って苦しんでいる。妄想している。声を聞く。その音色が彼の詩である、か。 様々な不協和な音をミクスチュアーする。その楽器・音の箱が賢治だろう。 そして、音たちが、(確信犯的に?)彼のやまい(宿業、因果と考えていたろうが)と響きあう。 それがモロに出てくる詩がある。 「鬼言(幻聴)」は傷ましくもあり、露悪的であるようにも思う。 三十六号! 左の眼は三! 右の眼は六! 班石をつかってやれ (春と修羅二集より) その前の「岩手軽便鉄道七月(ジャズ)」がジャズである。これは、賢治の一種の美しい鎮魂が終わっていくよに、悲しく「最後の下り列車である」で終わる。 ここには「第三集」に至る地上的汚れへの失墜、地べたからの詩を書く決意が秘められているようである。 「鬼言(幻聴)」は班石(ぶちいし)で、目を潰せ!というまさに「幻聴」の詩なのだけど。 ここまで病気を押し出されると「参りました」の見事さで、三と六で、さぶろうと読めたりして、音韻としても興味深いし、びっくりである。 そしてここから第三集の「春」の 「ぎちぎちと鳴る汚い掌を、おれはこれからもつことになる」 といってるあたり、喪の終わりから、動き出すのだけれど 「札幌市」に示されるように「湧き上がるかなしさをきれぎれ青い神話に変えて」 それを「楡の広場に力いっぱい撒いて」も 「小鳥はそれを啄まなかった」 というように、もう賢治の音楽の美しさが通用しない世界に来ている。それがまた「開墾地検察」に出てくる「はあ」と手応えのないあいづちが返ってきてしまう中を漂うように。 あたらしく詩を「開墾」=「悔恨」しても、ダメで、その辺りの途方のなさに共感します。 やっぱり、「これみよがし」の強さが病気として強調されちゃうところに、他の雑音を排そうとする野蛮と清潔なファシズムと入り混じったものも感じる。 善し悪しは別に詩人として、唐突な散逸稿を残す強さは、病理の形をとって、精神の複雑骨折から詩を鳴らしていたんだろう ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]井上陽水から見た賢治?宮沢賢治メモ2/石川和広[2005年2月27日21時12分] 僕の好きな井上陽水は、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の替え歌と言うより、返歌「ワカンナイ」を作っている。 雨にも風にも負けないでね 暑さや寒さに勝ちつづけて 一日、すこしのパンとミルクだけで カヤブキ屋根まで届く 電波を受けながら暮らせるかい? 南に貧しい子供が居る 東に病気の大人が泣く 今すぐそこまで行って夢を与え 未来の事ならなにも 心配するなと言えそうかい? 君の言葉は誰にもワカンナイ 君の静かな願いもワカンナイ 望むかたちが決まればつまんない 君の時代が今ではワカンナイ 日照りの都会を哀れんでも 流れる涙でうるおしても 誰にもほめられもせず、苦にもされず まわりの人からいつも デクノボウと呼ばれても笑えるかい? 君の言葉は誰にもワカンナイ 慎み深い願いもワカンナイ 明日の答えがわかればつまんない 君の時代のことまでワカンナイ 君の言葉は誰にもワカンナイ 君の静かな願いもワカンナイ 望むかたちが決まればつまんない 君の時代が今ではワカンナイ (井上陽水「ワカンナイ」)http://www5.ocn.ne.jp/〜loot/poem.html これが、なぜ作られたか、自分なりに考えてみる。 まず「ワカンナイ」とタイトルが賢治と同じ片仮名づかい。 時代と賢治そして今、賢治への共感的違和の感覚が見える。 そうして突き放しながら同じ仮名遣いと、平仮名を使い、賢治との距離と接近が同時並行に行われている。右記ホームページは、賢治と陽水の作品が並べられている。 賢治の「世界中の人が幸せにならない限り、自分は幸せにならない」的姿勢を僕自身も、そうかんがえるときが、あるけど、何か「そうかもしれないけど、ちがう」と感じる。 だから「ワカンナイ」と受ける井上はとても、共感しうる。 まず「ほんとうの」と賢治は、よく使うが、賢治の「ほんとう」が、私たちにあてはまってしまうのは、普通に変だ。当てはまるときもあるかもしれないけど、いつもそうだというわけじゃないという常識的感覚なしには受け取れない。 賢治は、ある種、つよいと言うより固い感じがして、それは、受け手に対して柔軟ではないから。もちろん、主張は曲げなくていいけど、受け手を集めると言うよりも、受け手に、耳を澄まさせる強制力なしに、賢治の詩は伝わらないのではないか? これまでの賢治の原稿の編集、校訂者も、バラバラな字さえたくさん抜けている間を、想像しながら編集したがそれでよかったのか? 君の言葉は誰にもワカンナイ 君の静かな願いもワカンナイ 望むかたちが決まればつまんない 君の時代が今ではワカンナイ (引用) 三行目が大事だと思う。賢治の断定句だけでなく、「つまんない」といってるのも、本当につまんなかったら曲は作らない。賢治の詩がこわばった形で残って、あるドグマ(絶対的な教え)に近い形をとっている。そういう状況が「つまんない」と平仮名で書かれているのはまさに詩情がいい形で残ってないことへの嘆きだ。 「ワカンナイ」は、僕はヨウスイのうたでは、好きではないが、それは、陽水が本気の実験の中で、賢治の圧倒的なテキストの磁場に飲み込まれているからだろう。 作家の沢木耕太郎に取材したらしいから、相当しんどい作業の中で「ララララララララララルン」という歌い上げでかろうじて賢治のドグマ化に抵抗しているのだ。 僕もどうゆっていいか、賢治に対して、わからないので、そこに共感するのです。 南に貧しい子供が居る 東に病気の大人が泣く 今すぐそこまで行って夢を与え 未来の事ならなにも 心配するなと言えそうかい? (引用) ここは、賢治が今生きていても何か云いそうですが、自分たちの未来も不確かだと言うところで、ヨウスイもためらっているけど、「なにも心配するなと言えそう」でなくても、何かそんなこと気にしなくても、不安な未来や、その中の自分を考えることは、自分たちなりに可能じゃないのかと楽観の勇気を確かめたい僕です ---------------------------- [未詩・独白]花いちもんめ/石川和広[2005年2月27日22時18分] 人を殺すのは 言葉と沈黙と ナタと細い針と 1パックのインシュリンや わずかな水や 砂漠 山 何でもどこでも凶器 笑われていろ 泣いてやる 勘弁してやる 許されない 開き直る 穴を掘る 地球の丸みに沿って イエスの木片を落とす 大気圏で燃える一瞬 小さな陰に 十才の少年がビビる 閃光め ドラえもんめ 花いちもんめしてる 負けて嬉しき ややこしもんめ こないだ 段ボールを家にした おっちゃんが きゅうきゅうしゃ乗った 赤ランプが痛かったの ---------------------------- [未詩・独白]嘴/石川和広[2005年3月2日15時30分] 笑ってる イライラしてる 電車にのる 意味なく運命から逃げて京橋を通りすぎ 光が刺して来る きもちいい 何かが静まり 次の川をわたりながら 女の子の高くいきる声に、おののく 電車の中でなく 人が沢山いなければ 「うちのお母さん、お母さんらしいこと何もせえへん」なんて聞かずに済んだかもしれない もう大阪に着いたので女の子はいなくなった 一緒に降りたのに離れ離れ それでいい 久しぶりに実家の方向へ微妙に滑るコンコース大阪駅を歩いて だ、けども「お母さんらしいこと]なんて一番怖いことだ 愛されないことがあり 愛し合うことでより愛が綻んでいくことがある 水をやりすぎたらくさってしまうみたいに乾くことで、握られるものがある 今あわない 会わないという全ては死なせないためだ それを憎しみというのか 大阪から京都方面の電車を待つ もう来る 人殺しの固まりは 三月はじめの風邪を吹き付けて止まる 人が狭い穴から蒸れて歩いてくる 押し込めてくもになって、おからだの不自由な人という椅子に座る 僕は育った町の画廊に絵を見に行くんだな ねえ、昼下がり諸君は異臭に怯える僕のチックをどう思う? 小さきもの震え 車体傾く チックにはヒヨコという意味があるそうだよ ヒヨコは怪鳥の幼い姿で 引き連れるくちばしは固い血管のようにぶすぶすさしこむ 私は口の羽をひきつらすチック! ---------------------------- [未詩・独白]作文デカルト/石川和広[2005年3月5日17時59分] からだが水の中で抵抗を感じたある日 少年は何か変だなあと感じた 水ってきもちいいのに プール好きなのに 水って重たいのかなあ うまく進めないなあ 帰りアイスを買いながら気味の悪い寒気を感じた ぼくのからだが重いんや なんか運ぶのしんどい鞄みたい ランドセルを投げて狭い木の廊下をわたる間カレンダーがまだめくられてないから お母さんに怒ったら 自分でめくれと言い返された 今日はイライラしてる お母さんが? ぼく? 作文の宿題? 漢字は好きだ 生き物はお母さんが怖がるし僕も苦手です やだなあ 書くのより なんか友達と仲良くなりたいの 自分嫌いって言われた 自分って僕のことやけど あいつもいつもイライラして生き物壊している ワレオモウワレアリ ワレは自分のことやとお父さんが言った 僕は 自分では ワレではない 僕は僕と思ったら 何か 水の中みたいに うまく進めないのである ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]宮沢賢治メモ3?「答える」という在り方/石川和広[2005年3月8日8時25分]  「森のゲリラ宮沢賢治」という本の中で、西成彦は、宮沢賢治の創作スタンスとして「注文」を受けると言う在り方が「キーワード」だと述べている。 前回、井上陽水の「ワカンナイ」でも、「雨ニモマケズ」の「心配するな」という賢治の答え方への違和を取り上げた。何でも自分の位置から注文に「答える」というあり方の問題。  ネットでも、答えのない呻きや問いがある。そうしたことに対して自分のことを自分で考えてもらう言葉の隙間がなければ、相手の「考える時間」を奪ってしまう。「答え」を与えてしまう。日常生活にもよくありがちなことだと思う。  賢治は鋭敏だったので、「答えたい」という気持ちが強すぎただろう。 しかし「永訣の朝」で、妹に「アメユジュトテチテケンジヤ」=「賢治、雪をとってきて」と言われて「さいごのたべものをもらっていこう」と「答える」詩を書くとき微妙である。 というのは、これは「死人にくちなし」の詩で、ふたりの関係で閉じているからだ。独白に近い祈りとも取れ、「かなしみ」もわかる。しかし、妹は「雪」をとってきてもらうのではなく、何かもっと賢治の想像するのとは違う、言葉の交わし方がしたかったのかもしれない。もっと云えば、死の床にいて、もう死にゆく現在を「外に出られない」という否定形ではなく、「賢治外に出て行って」という別離の挨拶だったかもしれない。  賢治もそう思っている節があるようだ。それは、タイトルの「永訣」=永遠の別れにも表れている。別れの辛さも表れている。しかし、それを、雪を取ってくるという言葉どおりの「注文」をうける形で表現するところに賢治の独自性と共にディスコミュニケーションが現われては来はしないだろうか? ここは、不思議に「愛するものが死んだときには…」と「春日狂想」で歌う中原中也との違いが現われてくる。なぜなら「奉仕の気持ちにならなけあならない。」と賢治と同じ地点に立ちながら  奉仕の気持になりはなつたが  さて格別の、ことも出来ない。 と続ける。 ここで賢治のように「すべてのさいわいをかけてねがう」と崇高化させない。といって、こたえていないわけではないのは  そこで以前より、本なら熟読。  そこで以前より、人には丁寧。 と、つづけて、先立たれたものの倫理が露呈してくるのである。 これは、痛切かつ平凡だが、「喪」を感じさせるのは、何とか生活に戻ろうとして出来ないことが歌われているからだ。 しかし、賢治が初期、「答える」在り方に疑問を持っているのは「春と修羅第一集」の始まりにあらわれている。「屈折率」では このでこぼこの雪をふみ 向ふの縮れた亜鉛の雲へ 陰気な郵便脚夫のやうに   (またアラッディン、洋燈とり) 急がなければならないのか 急がなければならないのかと「反語的に」現われている。 本当に、「注文」を届けるために「急がなければならないのか」 ここに、雲にも「信号」を見つけながら、佇んでいる、よい「問い」を持った賢治がいると感じるのは 私だけだろうか? 「答えのない問い」=言葉の多義性に、向き合おうとして向き合えず「信ずる」の一方通行の詩人として読まれても仕方ないが、その読み方も止めたい。こうしか生きられなかったといえる賢治を読みたいところだ。言葉を「関係」から考えられなかった賢治。しかし、それを疑っていた賢治の姿もあるのではないか。そう読みたい。 *参考、引用文献 中村稔編「新編宮沢賢治詩集」角川文庫 現代詩文庫「中原中也詩集」思潮社 西成彦「新編森のゲリラ宮沢賢治」平凡社ライブラリー ---------------------------- [未詩・独白]かわいい雨の中で/石川和広[2005年3月11日16時00分] 何を書こうか分からんチン 電子レンジで言葉を焼いて 食え喰えなんて、もういやだなあ なあバイト君 僕はバイト君じゃないさ、しがない詩を書くアホさ アホは関西弁では、いいことで バイトはドイツ語でアルバイト 「はたらく」ってことや はたらくって、何やって考えてみ 世の中さまに、良くも悪くも役に立つ生態系生き物や 生き物はええ 昔はきらいやったけどな 病気病気と騒いでる身には うっすらわかる かわいい雨の中 白いサギが河原で水底ついばんでいる こんなことでなくもんじゃないかもしれんが 河原は涙を流しやすい ---------------------------- [自由詩]海岸/石川和広[2005年3月30日12時47分] 受け止めかねる日々が 一日の中にいっぱい 押し寄せてくる あるいは、波の中にもみくだされ 僕は 思い出の中のせいぶつになるように ウニャウニャと日々を漂う 生き生きした面影を失った画面のような顔 カンバスの上に垂らすロウソク ロウソク 赤い火のぬくもり黒い闇の中で ぼくは、よだれを垂らしながら昼寝している よだれを垂らしながら昼寝している ないようで 在り続ける涙 その波頭 頭をたれる、うなだれ進む この日々の角度 快楽の落下速度 ちらちら燃えながら 進む ---------------------------- [自由詩]によると/石川和広[2005年4月11日13時02分] ハジメ 空から 電波 によると によると よると よるとに よるとにい よるとにいち よるとにいちゃ 夜とにいちゃんがたたかって たたかっているにいちゃん負けながら 負けながら夜に吸いこまれていっている 笑っていない寝汗もかいてない か弱いにいちゃんが僕の 中でたたかっている たたかってもしょうがないのに たたかう カッコイイ ---------------------------- [自由詩]寝息は立てない/石川和広[2005年5月8日15時44分] どこに どこへ? 見あたらない確かなものって何? 環状線で、きた 絶望のままにか よれよれのTシャツで ふらふら歩く 悲惨の影も見当たらない曇り空の遠く 頬がピクピクけいれんする 指先もどこかを求めて脱力したまま そしてまた空と地の間を 居心地悪くもぞもぞ寝る 今に閉じ込められたまま (本当は今は開かれているはずなのに) 遠望する未来 とおくどこかにあるようなワタシの ワタシの雨 今雨が降っている 緑の葉を濡らしながら 雨の音と粒の境にワタシのいる場所がある 家はあるけどおぼろに濃密に 静かに静かに 寝息は立てない 旋回する夜空にまたひとつ痙攣が加わった 今は雨 今は雨 雨は遠くワタシに近い ---------------------------- [自由詩]たどる/石川和広[2005年5月30日17時06分] 落っこちたのに 僕は生きていた 確かめるものはなく 暗い陥没点から深く 上空 光の一点を見つめていた ねじれない空気 透き通る闇 すすけた壁 恐いのにただぼんやりしている 生きてきた道をたどる 幾百ものストーリーの束がねじれている ここへ落っこちたのははどういうわけだ わからない 考える考える いくつもの悔い 閉じられた時間 広がる瞬間 収縮する思い出の手のひら 美しいときは忘れ去ったわけではない ねじれている束 ねじれている中 何も間違いない 何もかも間違っていた ぼくは生きていた 透き通る暗闇に取り囲まれて ぼんやりと ---------------------------- [自由詩]うた/石川和広[2005年6月4日19時48分] 窓のお外は夕景 意味なき歌が流れる 書くことは一度死ぬこと それを生きること またたいた瞬間 カラスが鳴いた 時計がうめいている 時間が泣いている もう廃人かもしれないと思う僕は 僕は途方もない暗黒からたちのぼるタバコの煙 みたいなもので あやふやな実在である僕は 夕食を待っている形ある矛盾 窓のお外は夕景 意味なき歌が流れる 書くことは一度死ぬこと それを生きること ---------------------------- [自由詩]夜を飲む/石川和広[2005年6月22日0時12分] 夜を飲む 悲しみから 夜を飲む とてつもない失敗から 失敗などないのかもしれないが 粗末にしてはならないものがある ぎりぎりに追い詰められる毎日でもそれは勝手な僕の事情で ゆるやかな何かが星と星の間を通り抜けていく ああきっと粗末にしてはならないんだよなあ 命という表現ではなくもっと形あるものだ ネオンの明かりのなか僕は夜を飲む 検討違いな朝日を待ちながら 静かに夜を飲むか 空色のグラスで ---------------------------- [自由詩]青/石川和広[2005年6月30日19時05分] 昼寝から目覚めるとぐるり真っ青になっていて 真っ青になっていてでんぐりがえった僕の眼球 眼球から涙は流れず一滴の血もこぼれない かなしみ 僕は何しているんだろう?何もしていない僕のほころびと動くあなた ああ何をしているんだろう? 真っ青な時間がもっと変わっていけばいいのに しかし青は血をこれ以上流さないための知らせだ あなたに届くために あせらないことだ 焦燥の音楽の中で あせらないことだ ゆっくりと花をちぎることだ 僕の真っ青な漂いの中で時間だけが僕の着地点だ ---------------------------- [自由詩]ふひゅーんあおあお/石川和広[2005年7月4日19時22分] 夕景風が鳴る ふひゅーんあおあお さざめくざさささ ふひゅーんあおあおは彼方からの信号で 信号を窓の中から感じている僕は 木のように揺れている頭のなかを巻いて 片頬をうちぬかれたおじいちゃんと歩いていた畦道 たんぼの端に立っているお墓はカビていた 暗い陰ゆらめいて 風の鳴る音で思い出す あの曇った空が永遠に続きそうな感じ なぜか戦争の影 おじいちゃんは戦争に行く前貨物船に乗っていた 船乗り 船倉の影 おじいちゃんは死んだように昼寝 畳の上をふひゅーんあおあお ふひゅーんあおあおは僕の頭のなかを 吹き荒れて時間を巻き戻そうとする ---------------------------- [自由詩]祈り/石川和広[2005年7月6日22時38分] 覚えていること 今日覚えていること 財布の整理をしたこと アロエの葉っぱの伸びように驚いたこと 死ななかったこと 皿を割らなかったこと 急ぐことはないということ いずれいろんなものがおとずれるということ そして全てを明日まで持ちきれないこと、それだけが確かなこと 日記をつけようとして詩を書いてしまっている 日記をつけようとして詩を書いてしまっている どうしてなのか? どうしてなのか? 今ここにいるということ ボタンを押していて女は寝ているということ 静かに静かにわなないている 静かに静かにわなないている 泣いているのかもしれない 自分の感情が自分で分からない 今日も眠るということ 祈りって思い出しては立ち止まることかもしれない                             ※S=汰介さんのスレッド用 ---------------------------- [自由詩]いい言葉/石川和広[2005年7月18日0時31分] 出会いがしらに、 さようならっていい言葉やね とあなたは云った 空は低く銀杏の木だけが一本高く見える 出会いがしらにいってくれて助けられた気がして 知り合いへの手紙を破った、日 ---------------------------- [自由詩]見られている/石川和広[2005年8月4日18時46分] 苦労を取り戻す日々 網戸に半日も止まったセミをみる 見られている セミの鳴き声に囲まれてそのセミは哭かない なぜだろう なぜ止まっているんだろう 網戸ごしにつついてみる。 死んでいない 足が微かに動いている 鳴かない 鳴かない なぜ鳴かない 飛び出さない 静かだ 脳裏は静かではない 今までのこと考えている 現実は化け物で逃げ切れなかった自分 逃げようとして 逃げられなくて良かった というところで不意にたたずんでいる ここはどこ セミは明日までいきているだろうか 短い命 自分の有限な生 見られている 何かが気持ちに ああそれは 帰ってこようとしている 予感 ---------------------------- [自由詩]オウラ/石川和広[2005年8月6日15時37分] 雷鳴につぐ 雷鳴 つづいて豪雨 駐車場のトタン屋根を白い煙のように走っていく 風 風が目に見える 家人は北斗の拳のオウラみたいという 風がまとうオウラ 雨 窓の外を走る 鳥が飛んでいる こんな雨の中を なにかの仕事のようだ 仕事、オウラ、ぼくらを包む何か 眉間を割るようなイカヅチ 気を失ったように時間がしらない間に経ち 嘘のような 素敵な 白の光の中 セミがないている 今 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]「詩」さんは何を求めているのかー「詩と”私”を切り離せ」を読んで/石川和広[2005年8月8日19時06分] 「詩と”私”を切り離せ」こういう大胆なタイトルはなかなか書けないものだし、あざとく見える危険もある。よく書いたと思う。http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=42653 その大覚アキラさんの批評が今見ただけでも、75点獲得して月間ランキングの1位を獲得している。批評が75点とるのは初めてではないかな。こういう事態に反応するのはむずかしい。僕は点をいれてないけど、たくさんの人が点を入れている。こういう事態が、生じるのは何でかな?どうしてポイントを入れているんだろう。いろいろ考えるが、なかなか答えは出てこない。点入れた人にも色々考えがあったり、面白いなと思って入れたり、引っかかりを感じたり、、、 この批評の目立った点は、まず「こういう詩を書きたい」、そういう観点から書かれている点だと思う。徹頭徹尾個人的意見として。「方法」から入っている。 それが、フェアさ、難しくなさを文章に与えている。 第二に「こう読まれたい」、が書かれている点である。当然書き手としては「読まれ方」がきになる。「読まれたい」書き手の気持ちをつつく刺激的な批評だ。 というわけで、この批評は純粋に一書き手の立場から書かれていて、批評が難しいものと思っている方々、あるいはそうでなくとも、清新な批評だ。 僕は詩集を作ったが、どう読まれるか楽しみである。というか死活問題だ。しかし、読み手に 「詩」の既成のイメージがある限り、詩はそうよまれるものとなってしまう。そこを打破しようと呼びかけている点で、この批評は新しい。書き手=読み手のネット詩界では、効果的だ。 ただ、この批評も読み手の自由を奪ってしまう可能性がないとはいえない。 読みというのは、心の中の奥深い作用がそうさせているのであって、よめないものだ。それが文章を育てることもある。もっと広い普通の世界では、考えさせられる読みが無数にあることもわすれてはならないだろう。 しかし宣言しないやり方もある。黙って詩を書いて結果を出すのだ。僕自身は、別に「フィクショナル」な詩を意図して書くのでもなく、とにかく出て来てのお楽しみという自分の可能性をさぐりたいというか、そういう感じなので、大覚さんとは、ちがうかもしれない。 それに、単純に云って、詩が読まれない理由は「書き方」「読まれ方」の問題だけではないと思っているからだ。詩の市場性は、小さい。売れない。簡単にはわからない内部事情もある。 今、「詩」はその命を繋ごうとして、もがいている。過渡的状況といえよう。詩がたくさん読まれたい、そうなるためにはと誰もが考える。だって読まれたいもの。よりわかりやすく力強いことばを求めて書く人もあるし、今までの伝統にのっとって、詩を構築する人もあろう。 しかし、「詩」さんは読まれることを今のぞんでいるんだろうか? そんな人為だけでどうにでもなるものだろうか? 詩人が読まれたがっていても、「詩」さんは一体何を求めて、あるいは求めていないんだろう。 ことばのもつ力を大覚さんはいうが、ここは難しいところだ。ことばは誰のものでもない。 そういう意味で大覚さんのいうとおり「私」性からもっとも程遠い。 ただし無力な私たちは、自分という通路を通してしか「ことば」に触れられない。しかし、「ことば」は「私」を遠く連れ去る瞬間がある。それを僕のやり方では丹念に書いていくしかなかろうと思ってる。 そういう意味で「ことば」という誰のものでもないものに、静かに身をゆだねるとき「詩」は生れてくるのだろう。のん気に聞こえるかもしれないが、そういう方法が一番遠くて近いと思われる。 もちろん大覚さんのやり方もあるし、僕はいろんな方法で「ことば」と自分との関係を探っていきたいと思う。大覚さんの詩には、彼自身の批評にはあらわれない良さもあるかもしれない。 ともかく、詩人は読まれたがっている。そこをつついてて、刺激的である。僕も批評を書く気が起きた。 ---------------------------- (ファイルの終わり)