石川和広 2004年12月5日23時46分から2004年12月29日23時30分まで ---------------------------- [自由詩]まったなしに流れて朝/石川和広[2004年12月5日23時46分] 覚悟が さざめく朝陽のまえの胸のシメツケから 僕の喉元に つきあげている 愛している コンビニの尽きること無い、 子供の頃には なかった 変な灯り 愛している 歩く 誰の性でもない 流れる 方向のない流れへ 確かさのない 暖かさをだけを 求めて ぼくは ケダモノ 追いかける 信号は点滅する あなたが浮かび上がる 煙草を買う ばらばら ふらふら 何かへの はてしない かみちぎりたい しっかりしろ ここに ---------------------------- [自由詩]運送/石川和広[2004年12月6日18時36分] これだけに物申したいことがあっても、冷凍倉庫の中で、この三十年間、だろうか、それは幾筋もの、午後の曳航にも似た、時間の影像パックが、幾本も幾本も、まとまらないチューブ。 素手で、触ると張りついてしまう。 つめたいから つめたいから つめたいから 私から感じて、この傍観服を脱ぐと、私は、皮膚が凍りついって、ただれてしまう。 確かに、鍋を囲む、あなたたち血をわけあった似苦肉人たちよ。 私の魂は あなたたちは暖かいと信じているのが 着火する 煮込む 取り皿 わかるのだが、感覚は、空間に息をねじ締めるまで伝わりますよ、私は。こんな言い方、長にはしたくないもの。 だからって 私に暖かさは いつどこでだれとなにをしたかマトメラレナイ 全ては詰問なり 言葉は暴力なのに それで 火を囲み始めて したたらせあうツバキの 光 私はあなた方と同じではないもの そしてなんとしても似ていると思わなければ、同一性を確保しながら 離脱して行かねば 私が言葉を放棄した、この冷凍倉庫にはりつきつつある皮膚は あなたたちとともに見ながら、お互いが決定的に違う石の神に 願いを託していたので ある人は言った 人間は感覚の束だと しかし浮かぶ印象の潜水艦、あやめ池に浮かぶ若葉 スケートリンク、これらを一束にしている、この傍観服はもうほころんでいて 死んだ悲しみがチックとなりウメキとなり 喜びながら私は溶け 言葉を書き 違う 違いすぎること あなたが生み育てた心が、引き千切れる痛みの痒くなり往く だけれども あかしだてるのだ 殺し合う言葉の中で やはり言葉はネガフィルムではないのだから 私は「ことばなんて覚えなければよかった」とは やはり 思えないのだ なぜ暗がりの中に何もかも捨てたがる またメールを打った 三千世界から、よくわからない不法投棄場所を巡り さまざまな言葉状の液体の流入を 笑ってサーフしながら 私が染み出しても空っぽにはならない なぜだか、暖かい これだけを守って 陸海空 自転車を走らせてきた だからも けれどもない 私の魂なんかとりたくもないだろうが 歩き始める端から、汗がおちてくる 冬らしいのに 手渡すこの手に しなびた豆がただひとつ ---------------------------- [未詩・独白]冬の刹那/石川和広[2004年12月8日1時46分] き 軽々しく イズミヤで 千円のダウンを 買った 暗いのは闇でなく 僕の感応かなあ 建物 電線 いくら真剣なときめきを捕まえても それが道すがらで まあ 自信無いくらいで 街の人が 似て見えた日は なんだか 今日がしっくり来たんだ まだ不安定はマシ それを抜けると僕は ほんと くるっちまう だけど魂がバリンバリンに割れても、そのことが遠浅の海に歩くとき 流浪の北極星は瞬き狂い人は完全な氷結からあたたかい 死を選ぶとも そんな考え まばらに温い ---------------------------- [未詩・独白]柔らかい夜に/石川和広[2004年12月9日2時43分] さまよってたのではなかった 新しいダウンに袖を通したとき、包まれた、温もりに 軽くて安くて チャチで大切な 千円の この瞬間 わたしの迂回や迷妄は 大切なひとの 消えていく影に 捧げられていたこと きづいた わたしの中に ふうじられた骨折 嵐の中笑っていた 静かなとき しかし それも ふりかえっても 過ぎ越した 必然 神風なんて ふかない たくさんの苦の 人々の涙の中に 捧げられていた からだと ホンの少しの我欲 柔らかい夜よ ---------------------------- [自由詩]自己中心/石川和広[2004年12月9日3時00分] あなたのために あなたは夜から朝へ 書いては ちょいと死んでみる あーやりなおしたい 朝火 自己中心してくとね あなたが きっとはっきりする ぼくを忘れていって 温もりに 入る 最高! 自爆は誰かを 死なせた わがままに わがままに あなたごのみ ぼくごのみ まあしかたないか 震えてねむったら 僕のすきとおる指先が細い筋の 脆い いきる てのひらになるなら ---------------------------- [自由詩]冬花火/石川和広[2004年12月9日19時55分] 暗い夜を しのぐには 必要なものがある そは またね (またね) 耳の草原へ小さくともる冬花火 布団にくるまり 明日へと 焼かれる ---------------------------- [自由詩]世界への欲望/石川和広[2004年12月9日23時53分] 自閉症って 変わったなまえだな でも、そう呼ばれて毎日。 病名とは関係のない、ある?家族はどんな気持ち? わかるなんて、ウソなんだ けど、偏見持ったままでも、顔が浮かぶよ。仲イイと僕が思ってる人もいたんだ! 辞めちゃった もういいじゃん でも何か 思い出す真空が あるよ あれも世界なんだ 孤独は選べないけど 勝手にガラス割る人 いたなあ 土曜なんで 開いてる硝子屋捜すの慌てた 汗かいた 旅だった 旅 言葉見振り手振り 旅もっと 旅を異言葉を ---------------------------- [未詩・独白]白いノイズ/石川和広[2004年12月11日19時03分] からみあう唇の なじるように 押し込めてしまいたい、それ ぼくの歩いてきた日々のワガママのクルミ こんなことを続けて 気持ちいい 後には 何も進まない つながりを確かに したい しかし 時間を進めたくない だから 台所の片隅で うずくまる渇き 吐気はしない 強風が強まり すべてノイズへ せめて 少しずつ 包みあい 冷たい水を感じながら 中くらいの 朝が来るといいのに こないなら 叫ぶんだ 遅すぎるから から だ 白 叫ぶしか ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評の愛/石川和広[2004年12月11日20時57分] 批評するときは、どんどん造語したいものです みんなに届く時は、届くので 各自、無自覚に日本語を変形したいね 定型詩批判とかね あのー定型詩って何? 自分で辞書書いても学問人の方が 金もらってるし 因業がらみになる恥の書き捨ては できますの 別に大丈夫 造語しなくても いいのよ 作品内現実と それに似合った服があれば ださジャージでもイイの 作品の中身を勝手に中身を作り変えるのも批評の愛よ そして批評家に自由はないの だって 作品なんてものが この世にないから 読んで作るしかない というほらを吹いてるんだかなんだかわかんないのも 批評? たとえば「誰も悪くない」 この作品http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=6359 石畑由紀子さん、この人の書くの、挑発的やなあ でも、壊しにくいように 出来ている だけど 壊す壊さないは、暴力だな しかし暴力されるすれすれで うまく、すり抜ける しかし 読まないなら読まないでも行ける ポイント入れてるよ 肯定して 壊さなくて 残酷ね 僕は そう言う気持ちにさせて、そこがサガの言葉選び 伸びの無い文体につながってる もう少しからだ柔らかく まあ、硬さがぬきたいのかなとも作品がウメイテルカナ ---------------------------- [自由詩]環状遊泳/石川和広[2004年12月13日8時48分] 出口がない そう感じたら 潜れ 潜れ 水死体みたいに 朝の空を流れる 昨日の夜 大阪環状線で 車両事故 ムナシイ 家と反対に 生まれた方へ 帰る 夜をとおりゃんせ 時環状をとおりゃんせ あやしい光と 気がフレてる鼓動 さや雨の 空間包囲 みんな なぜ 涙を正直に思うんか? 人間でなしくずしに 時間の束がほどけていく 裸体 このままねむりたい 抵抗するまぶた 朝靄の中に 環状はカーブ 終る朝が 玉結び からむ ---------------------------- [自由詩]主語はオレの日/石川和広[2004年12月13日11時15分] 昨日靴ぞこが半分はがれたー! アロンアルファでくっつけた がー!またトレタ 歩きにくいー 片足を引きずる。もうどこいきゃいいの? ぼくの育った街の 素敵な駅前でー! ああいかん 今日は主語はオレの日だったで しもたー! 西武前ー オレは男ではなく、ではなく、で、わからなく、それをー あー今日そら光ってる年末記念のー 浮かれ人は まぬけなツリーの前で浮気に かっこつけー たばこすう 燃やすぞ! このツリーめ! なぜに? ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]ふるさとを滅ぼされた難民、、、言葉の生まれる原風景へ(批評祭参加作)/石川和広[2004年12月14日19時04分] 頭の中で、たくさんの想念やら妄念が不定形に流れ、いつものもやもやがはじまる。 他者の作品を、それらが、絡めとり、作品の体液を、吸い取ろうとする。 リトアニア生まれの、ある哲学者は、セックスを食べる行為の模倣だといったが、読むとき、ぼくは、ぼくのしつこいまでの食らいつき方に、疲れてしまうようになった。 昔は、こっそり、雑誌に載ってるものから、音楽、映画と様々なものに食らいついて、最近、現代詩手帳にまで原稿を送っていたものが古いダンボール箱に入っていた。ちょうど五年近く前、介護の仕事を始める前だった。大学を出て三年は、総計で一年も働いていない。履歴書には空欄だらけ。 やとってくれるはずも無い。何度も面接したのだが、顰蹙を買ったり、そんなことでは、社会に出れんぞと今は燃えた中座のもぎりの面接のとき、説教されたことも覚えている。たぶん、予感としては、ダメ人間になるための修行だったのだが。 家にいるのも怖くて、図書館で、ボーっとしたりして、その時、メモ帳3冊分に、哲学、エッセイ、自然科学、音楽批評、小説、文明論、子供の本、働く事への逃避と圧力の観念が、もう充ち満ちて、いつも忙しく、仕事どころではないぜい沢者だった.。 三日で陰気な海遊館の中でなく、外回りの清掃バイトを辞めたとき、親に告げず、なぜか、吉本隆明(詩人、批評家)の文句、「ぼくが真実を告げると、世界は崩壊する」(?)だったけ、そんな気持ちがした。モノ書きになりたいと想っていたようだ、他人事のようだが、 オヤジは働き者だったので、もうそんなこと考えること自体、自分の内部で禁じられていたわりに、ロッキングオンに何度か原稿を送り全て落ちた。 いつも、自分の原風景がかわらのようなところのような気がして、あそこは、いったい何処だろうと思う、坂口安吾は「文学のふるさと」といっているが、文学というより、戯作者という言葉が最近気になっている。河原乞食が、芝居者の呼び名だったから、堅気ではない、戯言が書くことの根源というか風景だろう。 ぺちゃくちゃしゃべり、謎めいた暗号。しかし、安吾にならっていうならば、そこには、放浪の民とも言え、検地の側、戸籍の側、国体の側からすると、住所不定のもの、というか、居所不定の難民めいたものが、選び取らなければならないので、というか、履歴書が 書けないものとして、現実との不定感、精神医学では境界例ともいい得る人間が、根拠とする孤独の原風景を書いてきたものが、これまでの詩人といえよう。 現実の位置する場所に、来歴の不明を対置することがどういうことになっていくかわからない。 僕は、その当時、梶井基次郎と、花田清輝が好きだった。いまも敬愛しているが、少し遠くなっている。 梶井は、詩でも散文とも呼べる不思議な規格外の書き手だ。ひどい躁鬱病と結核に苦しんでいたが、宇野千代によると、急にいなくなったりするが、けして内心を明かしたことがなくいつも飄々としていたらしい、大阪の人なので、 上方の上品さを持っていた人だと感じた。やはり、そんな減らず口が好きではないし、恥ずかしいのだ。 文学者にしては、体のがっしりした梶井は、結核の第3期に入っても、宇野には、元気に見えたらしい。というか、そこをださないのが、何らかの狂うほどの熱さを感じる。 実際、大阪で再会した梶井は、宇野に 「僕が死ぬとき、手を握ってくれますか?」といったそうだ。 僕は、宇野に恋心をうちあけず、気丈に彼女の前で振舞ったところに、宇野は後年済まない気持ちになったといったそうだが、彼の詩があり、得体の知れない死に、流されていく 遭難した自分をつなぎとめて欲しいという心を読み込む。しかし、結局、母に看取られ実家で亡くなった梶井は、その時、生きざるをえない現実に出る前の溝に、落ちて、その不穏の風景を書いていたようで、今、彼を読んでいた私の心境をある意味で批評しているかのようだ。 仕事をしてないことがバレタ日、父は呆然とした、その前、私は冬の雪降りつむ河原に 倒れこんで、もう逃げ場所が無いと思った。 精神科へ行きたいといったが、父は「病気ではない」と明言した。 ある意味で、彼の答えは正解だった。母の忠言もあり、いった精神科で私は何とも無いといわれた。 もう働くしかない、それで、いれてくれたのが、重度心身障害者グループホームの週二、三回の夜勤。 花田のことは、今回は疲れたので書かないが、そこは、花田の盟友、岡本太郎が見たピカソなんぞどうでも良くなるくらい、ふつーに、シュールな人物がシュールでない日常、シュール過ぎる日常を送る、正体不明な人たちに、僕らも素顔で接することしか出来ない、 あまりに、現実的な世界だった。しかし、生きることのむずかしさをまだ自分ごととして感じられず、それは、未だに大きな問題の影くらいしか見えていない。 花田は僕の生まれた年に死んだ、ある批評家である。 たぶん批評家は、目を見開いてみたために、目が壊れてしまい手探りでしかはじめられない、花田は小林秀雄に最初にゆった人だと思う。彼は安吾の晩年、安吾を涙もろい人だといった。落ちて死んだ小雀に涙するような。 それは、安吾が、空襲の中、もっと爆弾が落ちろといった言葉と意外な形で、つながっている気がする。ふるさとを滅ぼされた難民としての作家、、、、 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]風のなかの詩人たち/石川和広[2004年12月15日17時49分] 僕は以前、このフォーラムの雑談スレ5で、風さんが、幾度か発言されていたのを見た。 円谷幸吉さんの遺書について紹介していたのをよく覚えている。 事情により退会されたが、独特の文体は異彩を放っていた。正直僕には、よみにくいところもあったが、多く秘めたる意志が竜巻のごとく、文体のうねりを作っていた。 さまざまな立場の方がいることだろう。ただ僕は、風さんのことを、ぼんやりと想いながら、この評文をかいている。 自然界の風は、不思議なものだ。 遠くから様々なものをもたらす 例えば、台風などが そして何か 空をちがう模様にしたりして 僕らに新鮮な空気を感じさせるころには とうに去っている。 詩や歌の中で、 風は例えば ボブディランなら 世界に何が起ころうとも 確かさを感じさせる、 ひとつの証しとして、用いられ 多くの人に、その歌は国を越えて、愛されてきただろう。 反戦(主にベトナム戦争)の文脈で 歌われた頃もあるが、 様々なもの、事象が過ぎ去ること。 しかし、そこには絶えず、新しい風が吹いていること。 そういう、世界の確かさの感触とともに、 風の中にいる人間の孤独を浮き彫りにさせる力がある。 その力について、歌われた先の大戦の最中にいたユンドンジュの詩を引いてみたい。   風が吹いて  風がどこから吹いてきて  どこへ吹かれていくのだろうか  風が吹いているのに  私の苦しみには理由がない。  私の苦しみには理由がないのだろうか、  たった一人の女を愛したこともない。  時代をはかなんだことすらない。  風がしきりに吹いているのに  私の脚は岩の上に立っている。  江がしきりに流れているのに  私の脚は坂の上でとどまっている。 朝鮮半島から日本へ留学したり、なかなか、その立場は複雑なものを感じさせる。 金時鐘氏による力のこもった訳、いたましい詩である。 僕は以前、麦朝夫という詩人を「生の通行人」と云ったが、 ユンは、風は前に歩くことすらできない。 生の途絶… もうひとつ 佐々宝砂さんや、斗宿さんにも 読むことをすすめたことがあるのが これも、先の大戦の中。一兵卒として戦死した竹内浩三の「骨のうたう」     骨のうたう  戦死やあわれ/兵隊の死ぬるや あわれ  遠い他国で ひょんと死ぬるや/だまって だれもいないところで  ひょんと死ぬるや/ふるさとの風や  こいびとの眼や/ひょんと消えるや  国のため/大君のため  死んでしまうや/その心や  白い箱にて 故国をながめる/音もなく なんにもなく  帰っては きましたけれど/故国の人のよそよそしさや  自分の事務や女のみだしなみが大切で/骨は骨 骨を愛する人もなし  骨は骨として 勲章をもらい/高く崇められ ほまれは高し  なれど 骨はききたかった/絶大な愛情のひびきをききたかった  がらがらどんどんと事務と常識が流れ/故国は発展にいそがしかった  女は 化粧にいそがしかった  ああ 戦死やあわれ/兵隊の死ぬるや あわれ  こらえきれないさびしさや  国のため/大君のため  死んでしまうや/その心や 彼は三重の出身で、23で戦死している。出兵の前日、チャイコフスキーの「悲愴」 を聞き、部屋にこもっていたそうだ。 この詩には天皇が「大君」という古い言葉で、あらわれてくる。抵抗のある方も多いと思うが、当時の兵士にしかわからない感覚だと思う。 しかし、それが戦後、転換することを、「白い箱」になって、眺めるところに 恐るべき明察がある。 あっけなく死に往く哀切の予感が、 「ひゅん」という弾丸が風を切る音として、とても身に沁みる形で使われている。 驚くのは、出兵前に書かれ戦死したのに、戦後の光景が透視されていることだ。 ユンの詩にも、通底したものがあるかもしれない。残念ながら、ユンのことは詳しくないのだが、それでも、微かに、風化していく、骨となる、そして、消滅していくときに、聞こえる魂の詩は、風が耳にあたるように、吹かれるまま遠く馳せていくのだろうか… 彼らは、僕らに風のように、時に優しく、暖かく、凍みてさえ、形のないまま、ゆるやかに そして、強く語りかける。 だから、言葉は古くともいつも読む人に新しい。 「風が吹いているのに 私の苦しみには理由がない。」 そして本当に 「理由がないのだろうか、」 ここには誰もが感じるのだろう、 自分が何か大切なものと通じ合えていないことが、 見えない痛覚とともに うたわれている。 そういう時、僕らは風を手にするのだろう そして、かろうじて、大切なものの感触が 感じられるだろう それは、世界とのかかわりの、にんげんに、再生する細い風の音か *参考、引用文献 ◎ユンドンジュについて 「纜」3号 もず工房2002 ◎竹内浩三について 竹内浩三著、小林察(編)「戦死やあわれ」岩波書店2003 *批評祭参加作品 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]「サナギ」について、ひとことだけ…消費社会で生きている詩(批評祭参加作)/石川和広[2004年12月16日20時32分] 家畜に名前がないように あなたの名前を忘れてしまうの 思い出して泣いてしまうよりも あなた自体を消してしまうの これはスガシカオの曲「サナギ」の一節だ。僕は、こんなフレーズに詩を感じる。いとう氏が消費に身を晒す勇気という言葉を使って浜崎あゆみを評価したが、そこには詩をまだ違うジャンルと区別する思考が働いてる感じがする。スガも消費に晒されるが、彼の言葉は色々な人の視線に揺るがされない意味と感覚を持ち、買う側はそれを感じて買う。何を?自分の精神が壊れそうな時に感じる生き残った事の残酷さと悲しみを ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)](批評祭参加作品)観察することば/石川和広[2004年12月18日21時01分] 僕は北村太郎という詩人が好きだ。 1922年東京生まれ。下町生まれで、友人の田村隆一と先の大戦の後、「荒地派」という、戦後詩の一時代を画した。 しかし、他の鮎川信夫や田村隆一となにかちがうのは、田村たちも外国文学の翻訳を多数行っている点は同じなのだが、どこか、前の二人がエリートの臭いが強く漂うのに、一風 違う感じがすることだ。 他の二人は詩人として書いていたような気がするのだが、北村は洒落っ気はあるものの、場末のジャズバーの経営者のような、現実を見つめている透徹した目が感じられる。 もちろん、いつも冷静なんではなく、むしろ、とても感情的な人に感じる。例えば「悲しき夢」の一節。  ひどい夢を五つ以上みて  そのたびに目ざめ  舌打ちしてまた眠る  だるくてふきげんでよろよろ起きる朝   歯をみがいて口を漱いで水を吐くと  泡ができて  そのたくさん泡のひとつひとつが眼のように  おれをにらんでいる そして最後の節を引用する  交差点の信号の雪の舞うなかの  赤  そんな夢をみたいものだよ   ここには、感情的になりながら、その自分を「観察」しつつ、生きる、そのいきていることを見つめ続ける激しい情熱を感じる。ただし海軍で彼は敵軍の通信傍受がかりだった事実も、そこに付け加えておかねばなるまい それは、彼が、妻と子を失ってからの生をどう維持し世を渡る必要から「観察」だろう。 彼は「猫について」というエッセイの終わりに自作を引いている。   わたくしは「k」という詩で    われわれはどこから来ないで    どこへ    行かないのか    唯一者としての猫を    観察しつづけて一生をすごしたほうが    まだましだ      問うよりまえに    問われるよりは……  と書いたが、これは変わらぬ信念である。 僕はこの信念を理解できるといえば嘘になる。 別離は僕も何度か体験したことがある。 北村氏とまったくちがう理由で 僕も熱くなりながら「観察」が必要な時期に来ていると考えている。 ただ、ぼーっとしたり、振り回されるだけでなく 当面は、詩を書きながら生きつづけるために つまり、生きていく必要のための観察… しばらく、ぼくの呟きにお付き合いくだされば これ幸甚なり。          * 最近、親との関係をはっきり、させていきたいと考えている。 僕は、それほど自信のある人間ではないから、いや、たとえあったとしても、親に甘えたいという気持ちも、たくさんある。 だから、そんなに立派な考えでもなく、でも、もう親と暮らすのは、なんだかしんどいという気持ちだ。 もちろん、僕は感情的になることが多く、そのことで、精神科から、お薬を、処方されている。医療制度を利用している。 だとして、常に常に、猛り狂っていたり、沈んでいたりするわけではない。 相手のある程度の支援は、必要な時が多い。結局、ある程度の客観性を、相手に求めてしまう場合も多く、また、結局、リアルな話をするためには、ある程度の信頼関係あるいは、距離、つまり、お互いが、お互いの立場を適度に見つめられていれば、あんまり不毛な言い争いにはなり難いというのが、僕の実感だ。 ものすごく普通に困ったときに、人が助けを求めるときに求められる条件についてはなしているようだ。ほとんど、そうだなといってもいい。 しかし、なかなか、それが出来にくいのが、感情つまり、愛情や平静や憎悪が、衣食住という生活の中で、それなりの歴史が出来ていて、親子の経済的社会的な関係の問題が「わしは、お前のことを心配してるのに」とか、子の側も「そう云う話じゃないんだ!俺の人生の話だ」とかいった、ある意味、世に言う「腹を割って話す」ことにはなるが、年老いた親と、いい年している息子の不毛に近い論争の実態だ。 互いが互いの気持ちを、大切に出来ない。気持ちというか、まともな目で、年金暮らしのオヤジのこれからの身の振り方、つまり、生活に必要なこと、金だとか、死に往く存在であること、そして、働くのは、かなり辛い僕の生計やこれからの世の中における関係の作り方、、こう云ったことが歴史的な感情の絡み合いによって、いつまでたっても、話が進まないことが多くなり、この停滞がお互いの感情を更にぐちゃぐちゃにする。お互いの生の条件についての真摯な話ができんくなる。 世に言う。ひきこもりや、障害者の自立、だけでなく、普通の自立をも、厄介にしている普遍的な現象が、そうだ!僕にも来ていると意識するまで、大学でてから、九年たって、 やっと僕にも、実感されてきた。冷静に文章を書いているように見えるが、僕は相応に、この事に目を向けがたかったし、父親も、そうなのかもしれない。 わかんないが、たぶんそうだ。 以前僕は、重度心身障害者施設で働いていた、精神的に葛藤を抱えながらだが、働いた。 そもそも、僕や他の職員が、障害者の自立を勧める前に、僕らが、そのことをどう考えてきたか議論しにくく感じた。しかし、自分が考えることが出来ないままに、障害者の自立なんて偉そうに社会に訴えたり、出来るのか?という持論を持っていた。 しかし、そういうことも、ズルズルに、なっていき、グループホームの雑務にのめり込み、 その頃、一緒に暮らしていた女の子との関係も、どうして良い川からなくなりかけて往くとき、強迫神経症が来た。ウツ状態とも云われた。 しかも、その当時の彼女に連れていってもらった病院で、休職するなら、いつでも診断書を書きますよと云われても、仕事を続けて、そのうち辞めるしかないと思いつめ始めるほど、そして、なんの見込みもないまま辞めてしまうほど、なんもわかってなかった。自分の状態を。 今考えると自分の状態を、そしてあり方を、見つめることがたぶん、自分の感情や正体不明な変化と付き合う、最大の方法であると感じつつある。 以前、「うつ依存症の女」という本の紹介されている本に「中間の平静さ」という言葉があったのを、よく覚えている。 これは、実は、危機をしのいで行く処方に求められる、精神論ではない事実の感覚を失わないための言葉なのではなかろうか。 日本に「世間」という言葉があり、しかし、詩を書くということは、食えないことであるにもかかわらず、僕は今のところ詩を書いていくのが今の現状だから、そこから「渡世」という、とても当たり前な生活のやり方を、つまり、生きていくのには、金が必要で、それを手に入れるためには今のところ「世間」を相手に様々な関係の網の目について、考えくぐっていかざるをえない。 そういう時、大学の職を辞して、民間の新聞に小説を書き始めた夏目漱石が、生きる困難さの実感として、非常に虚構的な小説「草枕」に、 兎角此の世は住みにくい と書かせた事情があったのだろうと僕は想像する。 官僚から、商人へ、文を売る商人として歩き始めた漱石。 彼はスィフトなどの英文学に、イギリスに留学し打ちのめされ、しかし漢詩を書き、当時の俳諧の変革者、正岡子規とも友であり、漱石という名自体、俳号である。 漢詩も数多く書いた。 彼は、留学したとき、幻聴や幻覚の症状があったという。彼は実際、異世界との触れ合いの中で、過酷な自己形成の途上にあった。 まさに、自分がミクロになった逆ガリバーとして、しかし、世間に出ていく前に 世間を形成している江戸の戯作者の感覚や、漢詩の伝統つまり、日本の世間を構成する巨大な言語体系を引っさげていた。自己の中心軸を引き裂かれ、西洋文学の、教科書で学んだものとまったく異なる英文学や風にまともに吹きつけられた。 ここで、その異類の文学の間で、自分自身の文学を、懸命にうちたてようとした時、猛烈なアイデンティティーの危機が、彼の育ちかけのひ弱な自己に打撃を与えたことは想像に硬くはない。 彼は、その危機から、なんとか帰環したのか? なんとも云えないが、異言語を翻訳することは、両言語の、使われ方、つまりそれぞれの国に生きる人々の行き方を観察しながら、置き返ることが必要だ。 この観察が彼を救ったのかもしれないと僕は考える。 なぜか? 僕は以前知的障害の人と、遊びに出る仕事、ガイドヘルプをやっていた。 知的障害者のことを知らない、異世界の人と考える人は多いが、それは、事実、訳がわからなかったりするからだ。単に差別だけ問題と思ってたら、たとえば、知的障害者の親とて、世間のおじさん、おばさんであり、別に障害者について研究しておやになったのではない。だから、彼らの中にも偏見はあるが、僕がその職場で思ったのは、障害者も親も、それぞれ障害という事実を、生まれたときから、手探りで付き合ってきた者達だ。しかし、 それを生きる人と、例えその親であれ、それを育てる側では、共有している部分と明白に 断絶する部分があること。 そして、その間には、親には親の、障害者には障害者の、それぞれの生存、言語の理解のし方に、違いがありながら生活を共有していること。 つまり、そして、その周りを包む世間があり、そこへ、遊びに出るとき、僕はまず、障害者と、僕とで共有しなければならない言語があり、障害者の人が切符の買い方が分かりにくいとき、その分かりにくさの言語と、世に使われる言語の仲立ちをしないと切符は買えない。 ここで必要なのが、世間で使われる言語と、それがわかりがたい人の言語を等価に見て、確実に切符を買うという行動を遂行させること。でないと、目的地にはたどり着けない。 もちろん失敗もした。 しかし、その状況に関わりながらも 「観察」を怠ると、非常に不毛な迷宮を歩くだけで、疲れながら、障害者の、行きたいところ、そして僕の仕事という現実にはたどり着けない。 だから、観察するということは、冷たいことでも、単に遠巻きに見ることでもなく、違う世界を、生きていく困難を共にする、あるいは、一人で渡っていくために、とても大切なことで、漱石が精神分裂の危機を何とか逃れたのも、生きていく現実を見失わないために 異言語の生活や、言語を丹念に「観察」するしか、生き延びる術がなく、そして、世間というものがその後に異世界として再び現れたとき 兎角此の世は住みにくい という故郷が異空間だったという哀切だろうし、そこからの溜息なのに違いない。 僕は、20世紀の二人の観察者に深く 敬意を抱く。 しかし諦念は、僕の土台になりうるか わからない。 北村と、漱石はまったく違う 漱石は「吾が輩は猫である」といい、 猫を見つめ続けるといったのが北村である. そして、しかし、そういう営みの中から、 彼らとは違う渡世があるかもしれない。 そこに比較は、あるが、 言葉を扱う人としての、 言葉を未知のものとして扱う僕の、世界を、 築くための「観察」。 素敵なローマ皇帝の言葉を引く。  「人生はみのり豊かなる穂のごとく刈り入れられる」 * 引用文献       北村太郎詩集 思潮社1975       マルクス・アウレリーウス「自省録」岩波書店1956  ---------------------------- [自由詩]変なきもち/石川和広[2004年12月19日8時09分] 顔にベタベタ 張り付いているようにしか みえんぞ! あんたの鼻は 目は 口は 別に整形を疑ってるんでは ありません! 変な顔も 慣れるよ けどな あんたの笑いは さっきから変なんだ 僕のこと キライ? キライ? キライ? キライ? キライ? ちょっと好きかなと 煙草をふかして ホホが 引きつれた! 僕の どうしたらいい? なんか オシリかゆい あの店員は 変な笑いだ そしてあなたの顔はバラバラに裂ける デニーズで ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)](批評祭参加作)住宅顕信を知っていますか?/石川和広[2004年12月19日20時33分] 住宅顕信 これは人名 僕は最初「じゅうたく」と読んでしまった しかし「すみたく」さん 不思議な名前だなと思う 「顕信」は僧名。本名は「住宅春美」 男性。手元の本の後書きは息子の春樹氏が書いてる 87年白血病で死去、25才だった 生前、母が「こんな五七五でないの俳句か」と聞く。彼は「これも俳句、俺死んだらテレビ来る」というと母「そん時は逆立ちして歩いてやる」と 夭折のみの注目でない ひと歩く 引用 考えこんでいる影も歩く (住宅顕信全俳句集全実像、小学館2003より) ---------------------------- [自由詩]画廊で不思議/石川和広[2004年12月21日16時25分] すてきな 漆塗りの木の椅子に 画廊で座る ご主人は魔法使い みたい 椅子はお尻の部分が 固い木で 柔らかい不思議 肩が凝りがちな僕 でも 背筋に 木の中を水が通るよう 涼しい あたたかい 足が しっかり すべて魔法みたい となりから ゲームショップノイズ 魔法 指し物師の木を 気が 利く 椅子に 画廊のご主人の おばさんが 魔法をかける 賑やかだが しずかな気持ちと 木の匂いが つながる 僕ひっそり 木の形になる ---------------------------- [自由詩]ペライ/石川和広[2004年12月21日20時37分] おれはペライ あたたかい毛布 うずくまる温もり 運ばれるフェリーの 中 波立つ夜 弟と王国について 語る古代より来たり ペライ オレ ペライ 沈黙は苦しい オレはペライ 何の相談? しゃべったら 泡食う オレはペライ パサパサの 荒れた手のシワは モストマーベラス オモイ だす よ オレをつなぎとめる あなた深く オレ 重たいからだに 大切な言葉 たたえながら ペライ 何を云う 云わずもペライ あの船の夜より ---------------------------- [自由詩]錐通し/石川和広[2004年12月22日17時32分] 考えすぎと、たれか云う しかし、霧の中に一度 入ったもの 考えすぎないと むしろ、僕の霧の触れるままに いきる それ歩みつづけること はっきりと 終わりのない坂の眺望 辿り着くまでは 考察、たとえ交錯しても 考え歩きつづける影のあゆみの形 素朴の美にならぬ 一本の錐通しで たこ焼きにも おれの石頭にも いい風と光の吹き込むイイ穴を つくる そしてそこから 千年分の 縄文杉の ひとりごとを 盗聴してやる 水の音の暗号に まるままの ひろがりの地図 書かれてたらいいな ね そう思う ---------------------------- [自由詩]面/石川和広[2004年12月23日14時06分] 昼だ 僕は、また光に、一枚ペルソナを 削がれた 僕に 肉の顔が帰ってくる あの朝は ガラスでしか なかったのに ---------------------------- [自由詩]ほるもん(無限のことば)/石川和広[2004年12月24日18時54分] しゃあないこと いうても な しかたない こっちゃ けど な わしにも いわして な てんのじにな まあながいこと な くらしとる というか ほれ あれや あれ やけだされて な あ たばこ か すまん なええ てんき やな まぶしいな ひかりがな おてんとさん や な そうやった はなし なん やった わしらな ぎょうせいの な もん に な わしら も な なかまとな いっしょに な やって うた あ ---------------------------- [自由詩]わたし/石川和広[2004年12月25日0時22分] 凍えるわたしのか らだには 血が通ってる とがる まがる 川べりに出る前に 無限のでこぼこ ぢめんがあるの せめてものおおいなる恩寵 セーターの匂いは まぎれもないわたし だ が 感じるわたし くも あられもない姿 あられは吹かない 重すぎて軽くなり 暖房をつけて きまじめなざれごと どうしたことだ キメの細かいか わたしの感受 窓がくもる 息が通う 息詰まり いきしに 安息に どんぞこ 天井の染み はたして幸せの 煉獄 宇宙だし ---------------------------- [自由詩]おとかげろうし/石川和広[2004年12月25日17時00分] 若干 死ぬ気持ちが 薄れるときがある なんとなく 変な感じである こぼれそうな雲の厚い切れ間から母の頭が うなだれている ソウルケージとはスティングの曲だったか たましいの鳥籠の隙間を そっと 抜けたような たぶん いきものの じぶんに 還っている また明るい死にたい気持ちが 昼寝する ある男の鼻の穴に 入りつつある ---------------------------- [自由詩]ひかりの後ろ姿/石川和広[2004年12月26日22時57分] かたちがない雲の のんのんした響き 缶 コロ しばし倒れて鉄塔 はめられたんだ 生きる鋳型に はめられたんだ 被害者意識それ わたし 受け身をとれない 打撲ひどい 半身挫滅 いくたびか この世を離れたいと思ったが この世がそこには 感じられず ここからだ いつも そこに 心は なきぬれど ノーサイン 何度投げ返しても この世にあらざれば 雲かたち じじじとはりつめて いけない いけない あ あ 明るい ---------------------------- [未詩・独白]はやりやまい/石川和広[2004年12月27日14時18分] カナリヤ 時限発火 たたたた この廊下をはしるな 年金は払えない 道祖神 産まれた足 やわらかい ヒヅメが伸びていく うつくしき慎重さ 裂目 忘れたよ忘れ物 山道 ここは もう呪われた 抗うつ薬管理人 定めなき フラットな山道を 鈍足 枯れ葉踏む ---------------------------- [自由詩]ぜいたくな人/石川和広[2004年12月28日0時31分] ぼくはマジメだと 云われることがある たぶん、そうではないと云いたいし 否ありがたいなんて ゆってくれる人の手を握りたいのだが たぶん僕は何度も嘘吐きなので、実績はものをいうもので、 そーすか? て、ゆって かなり震えて 悪い笑いで 天井が揺れて 耳鳴りがするので そう云う方には その方の思いは大切にしたいところだが 駄目や しんどい でもゆってほしい 京都の夜空の下 あんぐりしてる つづく ふあん、たのしい たくさん覚えてる 不服はなおさらだ ---------------------------- [川柳]コペルニクス/石川和広[2004年12月29日0時32分] 曲がり角は変だれもが魔 お試しのクリームで肌荒れ田 塩をまけ塩が巻け首列車 階段を何回昇った人類よ 白い粉空を掃く鳥が死にレレレのレ タイタンもしくは遊ぶ指 崩れゆく橋の上にて深くくちづけ ---------------------------- [自由詩]波の兆し/石川和広[2004年12月29日23時21分] シビレエイに さわったことはない 海のふくらむ昨日 しらないことは ありすぎる とおりすぎても とおりすぎても 新しい ---------------------------- [自由詩]まもる、弱さで/石川和広[2004年12月29日23時30分] わたし 生意気な オトナ? ガキよりタチが悪い いやらしいかも 餓鬼よりさらに、飢えている かわいやらしいかも たぶん親父ほど稼げないが わたしはエロい ほっぺたをつついて、まるくコロコロ 触れられないと消えてしまうもの にぎりしめて 壊したら いやや 大切な人の小鳥が キュウって つつんで すこし震える手つきで (はにゃ) ---------------------------- (ファイルの終わり)