松本 涼 2007年12月17日22時41分から2012年5月17日23時47分まで ---------------------------- [自由詩]落陽/松本 涼[2007年12月17日22時41分] 在る様に見えた向かいのプラットホームに 止まる列車ばかりを待っていた 落ちかけた陽に照らされ 辺りの羽虫も塵も金色に飛び交う中 次第に此処へと近づく車輪の音を聴いていた けれどそれはただひと時の光の戯れ 私は背の高い草むらに佇み 秒針を手放した不明瞭な五感を携えて どこか遠い異国を走る車輪の音を聴いていたのだ そしてまるで何事もなかったようにあっさりと 見渡す限りに陽は落ちて 緩やかに私を夜に近い場所へと浮かび上がらせる 戦ぐ草たちに話しかけることもなく ---------------------------- [自由詩]証明写真/松本 涼[2007年12月22日0時38分] 君が僕の詩を待っている頃 僕は君の声を待っている 賑わう街では肩を擦らせながら 人々が振り返らずに先を急ぎ 増殖した三角ポールは 国道の硬いアスファルトを齧っている 橋を渡れば誰も居ない土手を横目に 川は黒い夜を悠々と流れる 滑りの悪い僕の引き出しの奥では まるで別人のような 十二月の証明写真が押し黙る 語れないことの中に 僕がいる 君が僕を信じる頃 僕は僕を裏切るのだろう ---------------------------- [自由詩]ちいさなかみさま/松本 涼[2007年12月25日22時23分] ぼくがいなくなっても さみしくないように きみのまくらもとに ちいさなかみさまを おいておくよ あるばんにだれにも はなせないことがあったら ちいさなこえで ちいさなかみさまに はなしかけてごらん もしもちいさなかみさまが なにもこたえなくても だいじょうぶ そのままじっと みみをすませていれば きみのなかに だいじなことばがそっと きこえてくる だからね こんやはもう おやすみ ---------------------------- [自由詩]迷い/松本 涼[2007年12月26日22時39分] 昔覚えたうたのような 還る記憶にうつ伏せて 包まる毛布の 裏葉色に眠ろう 小さな迷いがやがて 声を嗄らす前に 今宵のほつれた カーテンの隙間にも 人知れず月は失わず 夢の形に輝くのだから ---------------------------- [自由詩]プリズムホワイト/松本 涼[2007年12月28日0時23分] 水の中に両手を そっと差し入れ 泳ぐ魚の影を そのくねりを 掬ってみたいと 思うのです 光と私はいつでも とても遠い場所で 落ち合うけれど 必ずまた会えることを 知っています あなたに貸した 本のことなど どうでも それはただの モノなのです いま 夜を曲がったのが 朝へと連なる 風なのか それとも先走る 私の旋律だったのか 少し気になります けれど 私にとっては ちょうどよく 冬です ---------------------------- [自由詩]記号/松本 涼[2008年1月2日12時34分] 昨日哀しみを突き放し 今日の瞼は何も隔てない 地表を渡る細波を 裸足でなぞり 葉の無い枝のように 四方へと手指を広げている 数羽の鳥が羽を休める 屋根の上には ソーダ色の空が 深呼吸を繰り返す あの空に透けたなら 私も記号になれるだろうか ---------------------------- [自由詩]柔らかな手/松本 涼[2008年1月30日21時37分] 私の影がそろりと 地表から剥がれる時 私はやはり独りで 遠く空を見上げているのだろう そして夜毎夢の中で 出逢う死者たちは いつもと同じ柔らかな手を 差し伸べるだろう けれど彼らはいつだって 私の居場所を知っているのだ 瞬時に移ろう私の たましいの色までも 古びた剥き出しの配水管の中で 大通りのスーパーマーケットの屋上で 信号待ちの横断歩道の向かい側で 彼らは今日も静かに暖かく 私の影を見つめている ある日 私の影がそろりと 地表から剥がれる時 私は初めて彼らの柔らかな手に触れ 今日の日を鮮やかに 思い出すのだろう ---------------------------- [自由詩]あぶく/松本 涼[2008年2月9日13時59分] 渇いた瞼に浮かび上がる人影 昇り損ねた月が沈む辺りで ひと滴の涙も見当たらない ノックの響かない扉の向こう 風の通らない廊下で お皿に並べた低音のハミング 半透明が重なる花びらの中心 虚ろな夢へと繋がる入口で 見惚れるのは枯葉のシャッセ 行き止まりには小さなスイッチ 野良猫と顔を見合わせて チョークで囲むとパチンと消えた あぶくの世界 ---------------------------- [自由詩]昼の月/松本 涼[2008年2月14日21時28分] 昼に見上げた薄い月の その不確かな存在感とよく似た 獣が私に住んでいる 恐らくそれはずっと其処で 私に気付かれる事を 待っていたのだろう それにしても沈黙は余りに長く お互いの黒い瞳がただ 向かい合わせなまま 獣はもう言葉を覚えてはいない けれど獣の怒りはすぐ傍にある そしてそれは私のものだ 獣はいつしか更に薄くなり やがてその姿は見えなくなった そして私は今 獣の中で 昼の月を見上げている 一体これは いつの怒りなのだろう ---------------------------- [自由詩]時の影/松本 涼[2008年5月29日23時43分] カラリと渇いた道の上に立ち 待ち侘びた時間の束を そっと放つ その影の尾が 通りの向こうへと細く消えて往くのを 私は呼吸だけを携えて 一筋に見つめている 明らかに失ったことを 知るために ---------------------------- [自由詩]夢/松本 涼[2008年6月4日21時23分] たくさんの夢を見た それはまるでそこが故郷のような 戦時中の異国であったり 今はもういない家族と一緒に 得体の知れない大きな敵と戦ったり 全てを飲み込む水が押し寄せる街の中で 高い屋根から更に高い屋根へと飛び移ったり 同じ夢を繰り返しも 違う夢をその度にも たくさんの夢を見た 昔住んでいた家の庭を懐かしい犬と 噛み付き合いながら転げまわったり 優しい宇宙人といつまでも 時間について話をしたり 必要以上に煮詰め過ぎたスープが 信じられない位美味しく仕上がったり 可笑しな夢を何度でも 見知らぬ夢をその度にも たくさんの夢を見た そしてそこに居る僕はいつも 現実の僕よりもずっと 必死なようだった いや きっとそれが 僕という現実なのだろう ---------------------------- [自由詩]暖かな宇宙/松本 涼[2008年9月8日23時33分] からだがあって こころがあって たましいがあって ここに となりあって ふれあって かさなって いつも さいしょは しらない さいごも しらない つづく つづくのつぎは つづく そのつぎも つづく つづく つづく つづく それから つづく わたしたち あたたかな うちゅう ---------------------------- [自由詩]行先/松本 涼[2008年9月29日0時05分] 国道の上で 灰白色の雲たちが 渋滞している その下で 私の行先はどこにも 決められてはいない 恐らくそれは 初めから 私はひととき 歩みを止め 道の脇でそれぞれに 伸びることを止めない 木々たちの 生まれたばかりの 青い芽と 今にも燃え落ちそうな 焦げ茶色の葉を 見つめながら 音のない風に 凭れている どこへ 行こう ---------------------------- [自由詩]葉っぱ/松本 涼[2008年10月2日19時46分] 光と水と土だけで あとからあとからぴかぴかの 緑の葉っぱが生まれてくる その葉はつるつる美しくって どうしてわたしは 葉っぱに生まれなかったんだろ なんて思ったりもしちゃう だけど今日はいい日だった 葉っぱみたいにつるつると のびのび新しい一日だった だからいいんだ わたしで ---------------------------- [自由詩]雨/松本 涼[2008年10月16日1時40分] 知らないうちに 窓の外が雨になっていて そして知らないうちに 雨は止んでいて 私は変わらず 想っている 雨が生まれる 辺りのことを そこに住んでいるであろう 人たちのことを 美しく濡れながら 雨を見上げる 草木のことを 私の奥にいる 私のことを 浮かんでは消えていく 雫のような イノチの音を 想っている ---------------------------- [自由詩]夜のくぼみ/松本 涼[2008年12月28日23時49分] ねむたくて ねむたくて ほんのちょっとだけって 目をとじたら 夜のくぼみに ポチャンと落ちてしまった うす目をあけて まわりを見たら そこはとろんとした 夜がみちていて ぼくはもっと ねむたくなった もういいや ねてしまおう まだだれにも おやすみを 言ってないけれど ポチャンと となりに だれか落ちてこないかな ---------------------------- [自由詩]例えば/松本 涼[2009年2月3日22時29分] ほろりと私が手のひらを開くと ふわりと私の手のひらに 乗せられるものがある それは夕暮れの太陽の熱のように 網戸越しの風に靡くカーテンのように 何気なくふとする感触で 手のひらを眺めても それがどこからやってきたのか 私には分からない それでもしばらくは 私は手のひらを閉じない ありがとう と想う ごめんね と想う ピアノの連弾のように 私は重ねる 願うときにはそれは 違う姿で現れるのかもしれない 例えば季節のように 例えば君のように ---------------------------- [自由詩]手紙/松本 涼[2009年7月27日22時53分] 暦を焦がすようにして 君を忘れていきます 久しぶりに私の想像するところ 君は今でも顔の前で手のひらを上に広げて 風を乗せたり散らしたり 不明瞭な気配を集めたりして 今日を楽しんでいるのでしょう 穏やかな街に越しました 辺りはそれぞれに静かです 夕暮れの色が変わりました 昔にも見なかった色です あちらへこちらへと 矢印の先を動かしたりもしてみます それでも軸はびくともしないで 人というのは頑固なものだなあと思います 私の部屋では今 小さな植物が育っています いくつかの鉢が枯れた後でも 生き残った綺麗な緑です 機会があれば その葉を想像してみて下さい それではまた 一緒に坂を登れたらいつか それから 久しぶりに というのは嘘です ---------------------------- [自由詩]ボール/松本 涼[2009年8月19日21時22分] 子供が蹴りあうボールのように 想う度に僕らは不器用に 必死にそれを届けあう 色 形 音 感触 重さ 揺らぎ 届くとき その全てが僕の思惑とはまるで 違うものだろう そしてその全てが 僕自身なのだろう 君のもそう 日が暮れても僕らはまだ投げ合う 夜が明けてもまだ 君が 僕が それぞれに届くまで ---------------------------- [自由詩]残像/松本 涼[2009年11月11日21時35分] わずか一小節程の残像を残して 君は飛び立ってしまった それは砂粒のように粉々に散らばり 私の生きる所々にふと 瞬間を運んでくる まるで他愛もない他人との会話の中に あてずっぽうに出かけた景色の中に 余り物で作ったメニューの中に 通りすがりの歌の中に 君はもう穏やかな場所まで 辿り着いただろうか それともまだ裏路地あたりを 宛てなくうろついているのだろうか どちらにしても 今度はもう少し 自分に優しく 生まれておいで ---------------------------- [自由詩]チビ/松本 涼[2010年1月27日23時19分] 小さな音で聞く 古い音楽のように 今日の何処かに住むような 哀しみであればいい 何より大切な光だと 思えた瞬間を ふいっとこの手のひらに 思い出せればいい 東の窓を仰ぐ チビな仙人掌のように ---------------------------- [自由詩]やさしいひと/松本 涼[2010年4月9日21時32分] やさしいひとの やさしくあろうと どりょくしているひとの たましいにふれた それはなにより やわらくて ここちいい しごとができるとか くちがうまいとか おかねがあるとか かっこいいとか そんなことより やさしいひとの やさしくあろうと いきているひとの たましいは なによりやわらかくて ここちよくて うれしい つかいふるしの タオルケット みたいに ---------------------------- [自由詩]おんなじきもち/松本 涼[2010年4月27日1時32分] こどものわたしの ちいさなきもちは いつもひとり だれといても どこにいても おんなじきもちが みつからない おんなじきもちに あいたいな すこしおおきくなった わたしのきもちは おんなじきもちと ばったりであった ふたつのきもちは びっくりしちゃって いっしょにないた それからはじめて いっぱいわらった おとなになった わたしのきもちは ちがうきもちと いっしょがおおくて おんなじきもちと なかなかあえない だけどときどき あえたりすれば どこでもいつでも おんなじきもち てじなみたいに あっというまに ふたつのきもちが ひとつのきもち おんなじきもち いちばんしあわせ ---------------------------- [自由詩]浅い夜/松本 涼[2010年4月27日22時53分] 浅い夜の沖の辺りに 目を凝らせば 深い場所にじんわりと 普段は誰にも気づかれず 隠れてるものが 見えてくる 柔らかな 月の明かりの下でも 眩しい 日差しの真ん中でも 浮かび上がらない ものたちが 重たい土を押し上げる 芽のように その姿を そろそろと現し始める 怒りに見えた それらはみんな もっと素直な 痛みだったり 哀しみに思えた それらは実は とても激しい 情熱だったり 諦めと嘆いた それらはなんて なんて深い 愛情だったり 浅い夜の沖の辺りに 目を凝らせば 静かで確かな そのままが見えてくる 在りのままの 私が ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]ジリとキリカ/松本 涼[2010年6月4日20時21分]  ジリが山手通りを自転車で飛ばしている頃、キリカは水を張ったバスタブに腰まで浸かってぼんやり天井を見上げていた。 「ジリのヤツ遅いなあ。」  ジリは山手通りを右折して、かむろ坂を登り始めたところだった。 「あっつい!あっつい!」  八月ハ日晴れ。ジリのTシャツはすでに汗でびっしょりだった。坂を登って二つ目の角を曲がるとキリカのアパートが見えてくる。  喪服姿の集団が前からゾロゾロとやって来たので、ジリは自転車を降りて歩くことにした。近くに斎場があるため、この辺りに来るとよく喪服姿の人と擦れ違う。自転車を降りて歩くと更に熱い。 (キリカんちでシャワー浴びよう。)  ジリは自転車を引きながらキリカのアパートまで歩いた。  キリカの部屋は二階の一番奥だ。インターホンを続けて三回押したが予想通り返事はなかった。ジリは仕方なくいつものように合鍵でドアを開けた。 「おーい!キリカ、いるんだろ。」  けれど返事は無い。ジリは諦めて部屋に上がったがキリカの姿は無かった。ふと思いついてジリは風呂場を覗いてみることにした。  風呂場のドアを開けるとそこにキリカが居た。 「遅かったじゃないの。一時に来るって言わなかった?」  ジリは一瞬固まったがすぐ我に返ってキリカに聞いた。 「お前…何で服着たまま風呂入ってるの?」  するとキリカは「風呂じゃないわよ。水風呂よ。」と平然と言った。 「水とかお湯とかの問題じゃないだろ…」  ため息混じりにジリがそう言うと、キリカは「何でって、決まってるじゃない。あんたのその顔が見たかったからよ。」とあたりまえのように言ってニコリと笑った。 「おかげですっかり冷えたわよ。ジリも入る?」  楽しそうにキリカは言う。ジリも諦め「…そうだな…驚いてすっかり汗も引いたけど、入るか。」とTシャツを脱ぎ始めた。  するとキリカが「あー脱いじゃダメよ。そのまま、そのまま。」と言った。  ジリは驚いて「なんでだよ、オレはいいだろ。」と言った。 「たまにはいいじゃない、服着たまま入るとなんか自由よー。」  ワケの分からないキリカの言葉にジリは言い返す気力も失せ、仕方なくそのまま水風呂に浸かるのであった。 「ね、自由でしょ?」 「…ああ、そうかもな…」 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]カバとキリカ/松本 涼[2010年6月4日20時31分]  その日ジリはキリカの部屋の近所の居酒屋で、キリカと一緒に夕食がてらビールを飲んでいた。  近くに住む常連客が集まる、気取りの無い賑やかな店だ。 「なあ、キリカ一緒に住まないか?」  アルコールの勢いもあって、ジリは唐突にキリカに切り出した。 「なんで?」  そんなジリの質問にもキリカはチューハイを傾けながら、表情も変えずに問い返した。 「あたしカバより大きなイビキをかくのよ。」 「・・カバってイビキかくのか?」 「そりゃあ、あんなに大きいんだもの。イビキだってかくでしょ。」  ジリはそういう問題じゃないと思ったが、キリカはお構い無しに続けた。 「それにね、あたし夜中に原稿用紙二枚分くらいの寝言を言うの。ジリはそれに耐えられるの?」 「ホントに・・?」  するとキリカは笑いながら「あはは。まっさか。原稿用紙二枚分寝言を言ってることに気づいてたら、それってもう寝言じゃないでしょ。」と悪びれもせずに言った。  つまりはジリは遠まわしに断れたわけだ。  しかしキリカはその後も話し続けた。 「でもね、あたしこの間『カバの肉って食べられるの!?』って言う自分の寝言で起きたの。」 「・・・へえ。きっと変な夢を見てたんだね。」 「ううん。違うわ。」  妙に確信に満ちた表情でキリカは話し始めた。 「それはね、あたしの前世の記憶なの。」 「何?・・前世・・?」 「あたしの前世の前世の前世の前世のあたしがね、石器時代にいるわけよ。」 「・・・・・。」  ジリはいつものように、また話がおかしな方向へ行ってるなと思いながら、取り合えず黙って聞く事にした。 「それでね、あたしが温泉に入ってると・・」 「ちょ、ちょっと待って。石器時代に温泉があるわけ?」 「もちろん。マンモスの骨を埋めようとして、地面を掘ってたら温泉が出たの。」 「・・・あ、そう。」 「それでね、あたしが気持ち良く温泉に浸かってると、どこからともなくドスドスという音が聞こえてくるわけ。」 「・・・・・・。」 「ふと顔を上げると、遠くから一直線に大きなカバが走ってくるのよ。」 「・・カバが?どうして?」 「きっとカバは温泉が大好きで、その匂いを遠くから感じたのね。」 「・・ふーん。」 「それでね、あたしはびっくりしちゃって、ただ近づいてくるカバのことを見ているしかなかったの。でも近くにいたお父さんがね・・」 「お父さん?」 「そう、石器時代のあたしのお父さんがね、『あぶない!』ってそばにあった大きな石を持ち上げて、あたしに近づいて来てるカバに向かって投げたの。」 「・・それで?」 「見事その石はカバに命中して、カバはドスンて音を立てて倒れたのね。それで何だかあたしはカバの事が急にかわいそうになっちゃって、お父さんに『ねえ、このカバどうするの?』って聞いたの。そしたらお父さんが『今日の晩ご飯に今から腹を裂いて焼くんだよ。』って言ったの!そこであたしはお父さんに『カバの肉って食べられるの!?』って聞くわけよ!」  満足げなキリカの顔を見ながらジリは何とか「・・・よくそんな妄想が思いつくね・・。」と言った。 「妄想?違うわよ。これは本当にあったことなの。前世の前世の前世の前世のあたしがね、夢の力を借りて現代のあたしに太古の記憶を思い出させたんだと、あたしは思うわ。」  ジリは一体何の話をしていたんだっけと思いながら、ビールのお代わりを頼んだ。   キリカはしばらく一人何か納得した様子でいたが、突然 「ねえ、あたし砂肝もう一本頼んでもいい?ジリはいる?」と聞いてきたので、ジリはいらないと答えた。 「それじゃあ、お兄さん!砂肝三本下さい!」 「え?一本って言わなかった?」 「うん。言葉のあやよ。」  アヤ?  ジリは、絶対言葉の使い方間違ってるよなあと思いながら、冷たいビールを流し込んだ。  それから一時間ほどして、ほどよく酔った二人は居酒屋を出て、キリカのアパートへと向かっていた。  気がつくと何やら小さな声で、キリカが歌を口ずさんでいたのでジリは「何の歌?」と聞いてみた。  キリカは何で分からないの?とでも言うようなキョトンとした顔で「西島三重子の『池上線』をJAZZ風に歌ってんのよ。」と言って続きをまた歌い出だした。  ジリにはその歌が、まるでJAZZにも『池上線』にも聴こえなかったが、キリカがとても楽しそうに歌っていたので、敢えて何も言わないことにした。  それからジリは、ご機嫌なキリカを部屋まで送り、キリカのアパートの下にとめてあった自転車で、自分の家まで帰った。  部屋に帰ったジリは、冷蔵庫から冷えた麦茶をグラスに入れて飲み、服を着替えて布団に潜り込んだ。  キリカはもう眠ったかな。今日はどんな時代に行っているのだろうとジリは思った。  何にしてもいい時代だといい。  温泉に浸かったカバのイビキを遠くに聞きながら、間も無くジリも眠りについた。 ---------------------------- [自由詩]分厚い波/松本 涼[2010年9月13日23時04分] 不器用な視線で 私の背中をなぞる人 その深海の底までひとすじに 繋がる台詞が浮かぶなら今 けれど ただのひとつの言葉を 手繰るよりもずっと早く 分厚い波が途切れず鈍く 激しい重力で私の身体を 逃さず運んでいく せめてもと足を捨て そこを尾に変えてもまだ 私は上手く泳げない 波間に顔を上げ 途方に暮れる私を尻目に 夕暮れは重たく熱く 汗ばむ空の彼方へ 今ひと時は と沈んでいく ---------------------------- [自由詩]恋/松本 涼[2010年9月15日22時11分] 真空に飽和している 我に返ればそんな筈がないことも その後でまた我を失うことも 繰り返し繰り返しまた 繰り返しに知るばかり 私は何処へ往ったのか それとも此処が私なのか 夢よりも夢に近く 現実よりも現実に似た空間に 私はのたまう だけど 答えはシンプルだ それが怖い ---------------------------- [自由詩]狭間/松本 涼[2011年2月2日21時02分] 相も変わらず 寂しさは私の身体を硬くし 時折に溢れる愛情は それを許さない 狭間という地点で 一呼吸つけたらいいけれど 見つからない まだ ---------------------------- [自由詩]五月/松本 涼[2012年5月17日23時47分] 五月に生まれた その時私はたくさん泣いただろうか 明るい小さな窓のそばで この身体に優しさの種を植えただろうか 育つたびに変わらない 心の水たまりは やがてゆっくりと輪郭までを映すようになってはきたけれど 五月に立つ私は まだ少しこの空と馴染まない ---------------------------- (ファイルの終わり)