梅昆布茶 2012年11月25日21時05分から2013年1月8日21時11分まで ---------------------------- [自由詩]タイトロープ/梅昆布茶[2012年11月25日21時05分] 張り詰めたもの 鋭く一文字に空間を切り開く 切ないもの 鬱々とした恋の綱渡り 儚いものばっかりを見てはいけないのだけれど 儚さばかりが心のよすがだった 国家が機能しない病気の国で 詩なんぞ転がしている馬鹿者ではある いまさら正気を問う気も無い 前例という虚しい壁があるのかもしれない たぶんマルクスは共産主義を 掲げてはいなかった ただ資本の概念と それの分配の有り方を わかりやすく図解してくれた エンゲルスはそれを補完する データをしめしたのかも すべて経済学という術的な世界だと思う 僕の次の嫁さんはファミレスのウエイトレスでやっと 正社員になれた アパートを追い出され友達の家で 子供四人でよく生き抜いてるなって 呆れた人 いいよ返さなくって いく度も言って 四人の子供たちにけっこう癒されていた 僕の恋した人はとても疲れていた 男と別れられなくて それでもその詐欺師の言葉に 怯えて 恫喝するものにとりこまれてしまう ぼくには助けられなかったこと でもいつも思っていること いつもすきであることが せめて 彼女に届けばと思っている ---------------------------- [自由詩]休日/梅昆布茶[2012年11月28日23時02分] 月曜日が休みになった 連休などありえない流通業で日曜の休日も 夕方は次の日の積み込みに時間を割かれる 小学校と中学校の転入手続きが残っているのだが 嫁さんとの勤務シフトがあわない まあいいや ちょっと小さな旅でもしようか 旅ってなんだろうなと思う 社員旅行って大嫌いだった 面倒くさいものがそのまま箱に入って ガイド付きの仕事みたいにおもえたもの でもたった一人の旅だって ただひたすら バイクを転がすだけだったかもしれない 野宿しながら富山の農家のおじさんに 泊まって行けとすすめられたり 青森の波止場で ちょい若の天理教の男子に コイバナ相談されたってそりゃ俺には無理だった やれやれ 東日本の震災により牡鹿半島が壊滅的で 半島の背骨を走るコバルトラインから望んだ輝く海を想う そんな事を考えながら北浦和公園のなか たまたまやっていた県立近代美術館のベン・シャーン展をのぞく シンプルな線描が主体の画風だ 庶民を題材にした社会性の感じられる作品群 ユダヤ系移民だった彼の感性に出会った 次はポール・デルヴォー展らしい また来れるとおもう 100ccのスクーターでも 家から一時間はかからないし ついでに常設展示も観て 売店のグッズを冷やかして それからところどころの光に浮かび上がる 薄暗くなった公園のなかまっすぐ空に伸びたまま紅葉したメタセコイアや いちょうなどに冬を感じながら歩く なんだか久しぶりに休日に浸った気がする たまにはこういうのもいいさ 馴染みの店のカウンターばかりが 世界じゃないんだ 時々は日常の中にだって なにかをちりばめる必要があるのさ ふとそう思った ---------------------------- [自由詩]チューブウエイアーミー/梅昆布茶[2012年12月2日9時43分] 僕達の世界は 連結された断片が 縫い閉じられた模様を織りなすタペストリー つぎはぎだらけの時間を つなぎ合わせて生きている 僕達の過去は 累積されない想いで満ち溢れ 飽和している 僕達の未来は チューブウエイで何処かに 繋がっている 存在には 唐子細工のように 違和が付き纏っている なにかを想うと なにかがするりと手のひらから 漏れ堕ちてゆく 言葉はときに体系を失って降り注いでくる だから つなぎあわせて修復しようとする 拝金主義ではない世界が見たかっただけなんだ 昨日もカラオケで氷雨を歌っていた僕は 明日は何を認識すれば生きて行けるのか 今年もクリスマスになったら 小百合姉さんと茜さんがサンタクロースのコスチューム 駅前のお店で 親父の悲哀を原さんとか加藤君に 語っているのだろうか 22日にはマスターの店でアマチュアライブ セミプロも来るから来てねってマスターが言う でも売れないプロの茜さんは ボイストレーナーとスナックと バイトばっかしの毎日で ちなみにクリスタルチェリーというデュオなので よろしく 53番街の秋はもうとうに過ぎて 木枯らしのストリートが 口笛を吹いているさ 僕はといえばゲイリーニューマンとチューブウエイアーミーに連行されて この荒れ果てたテクノポリスの 何処へ行こうとしてるんだろう ---------------------------- [自由詩]火星の銀色の月/梅昆布茶[2012年12月2日23時00分] フレドリック・ブラウンの死にいたる火星人の扉という創元社の文庫本 推理小説だが 彼には火星人ゴーホームという超絶な作品もある 火星年代記というレイ・ブラッドベリの名作 火星の赤い砂はアーサー・C・クラークだったっけ 大好きなE・R・バローズの火星シリーズはトム・クルーズの ジョン・カーターにて映像化された オーソン・ウエルズがラジオ放送で火星人来襲のパニックを引き起こしたように 火星はつねに太陽系のなかで地球外生命体の原初のイメージを 抱える紅く燃える軍神マースの惑星 フォボスとダイモスというふたつの月がどのような色で 輝いているのか僕は知らない 多分アメリカの探査機がその映像をすでに送ってきているとおもうのだが 外宇宙は遠すぎる だってとなりのマゼラン雲だって 我々の銀河の伴星雲ながらその距離たぶん 数十万光年 隣のアンドロメダ星雲は239万光年 僕の地球ではラグビーの早明戦があって明治が14年ぶりに優勝 ラグビーやってた知り合いが スクラム組むと 仲間の汗とケツの匂いが最悪だって言ってたっけ たぶん古豪 行田工業のバックスだったみたい ぼくは宇宙の何処かから蛋白質の原型を貰って 遠浅の海で陸に上がることを覚えた海牛なんだな クリオネみたいな妖精の兄妹なんだぜ 火星には月が二つもあって 俳句を詠むにも 季語とかどうするのか そんな太陽系の歳時記っていいかもな でもぼくはあいかわらず 人を詩にする もちろん火星とかその一族を ポーの一族もだいすきだが 萩尾望都の隠れファンなんだ でもさ 地球は廻る 宇宙もものすごい速度で変化している そんなのわかっているさ 火星の銀の月が好き でもね 見えないものを 見ようとする人達が けっこう大好きなんだな ---------------------------- [自由詩]えせ漢詩/梅昆布茶[2012年12月3日6時08分] 寒中恋酒女 壊中金銭薄 身中満妄念 偲遠過去多々罪障 望月落涙虚 残少人生希清廉 要身辺整理整頓 遥山冠雪語狭小我 宇宙大深志更遠 自由何処在問 朝聴小鳥不惑鳴 諦念観照何己教 唯鏡以湖面静謐 ---------------------------- [自由詩]フォーム スタイル モード/梅昆布茶[2012年12月4日22時50分] たまたま進化考古学という謳い文句の本で 出会った言葉 物の形の変化を三つのレベルで示している 時代地域を超えて普遍かつ不変な要素をフォーム スタイルとはフォームの機能を満たしながらも 時代や地域で社会の要請を反映しながら 変化してゆくもの モードとは全体像を崩さないままの微細な変化 過去の人間の造型を詩や文学も含めて それを 認知心理学的側面から 美を人はどう認識醸成してきたのかってこと 哲学は最終回は何を売りにするのか 人から離れて常に発酵し続ける人間を 捉え切れないこと 僕は多分美学も大昔單位落としたような記憶はあるが 社会と乖離した美は無いと思っている 意味を与えるもの その別名が何であっても それは美しいと思えるのだ それは庶民のそばにいなければならない それができないことは 怠慢という 自己正当化だと思っている 社会学の大好きなブログを見ると 自明性を疑う事が学的基本みたいだ もちろん僕たちはいつも枠組み スキームと言うらしいが 一つのまとまったモジュールというらしい まとまった單位のなかだけで計られる平民で 僕は有りたい ---------------------------- [自由詩]パティ・スミスのように/梅昆布茶[2012年12月5日20時38分] 君は少年のような頬と 薄い胸をしていた 感情が高まった時に 鋭く視線をさまよわせては まるで炎を吐くように絶叫するんだ 震える肩からは 幾筋かの血が流れ 世界を汚していった そう バックステージパスは 誰にも発行されないんだ ただ無数のぬめぬめとした光を放つ 蛇たちが こちらをじっとうかがっているだけさ 魂の上昇気流は僕たちを 遥かな高みにまで押し上げる やがてあの開放された場所が待っているんだ だからその拳を振り上げるんだ とじられた扉にむかって あるいは突き刺さる風にあらがって 卑猥な言葉のひとつもなげかえしてやるんだ 僕たちは去勢された兎ではないし 耳をぴんと立ててよく聞いてくれ 僕たちは 唄わなければならない たとえ髑髏の山たちが嘲笑しようと パティ・スミスのように 薄い唇と 突き立つような魂で 唄わなければならないのだ ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]器楽女子的幻想/梅昆布茶[2012年12月6日15時41分] 女子十二楽坊のはなしではない。 もちろん彼女たちもまるで天女のごとく神々しく映るのではあるが。 僕の中学時代のマドンナはピッコロを吹いていた。 紛れも無くルノアールの美少女にも似た麗しのいとしのニンフ。 愛らしい木管楽器と彼女の唇との柔らかな邂逅は操る白い指とともに悩ましく いつもただの一瞥で萌え尽きてしまう僕はすでに当時から病気だったらしい。 まあ女子に想いを寄せること自体はごく一般的な男子の生理であろう。 ただそれが楽器と相乗して魔的に誘引するところに僕の変態性が仄見える気がするのだ、 古くはジョーン・バエズが高らかに歌う反戦歌に撃たれ 日本においては森山良子にさとうきび畑の悲しみを教えてもらい 加藤登紀子に女子の強さを教えられ 秋吉敏子や矢野顕子に驚かされこの前はスタンリー・クラーク レニー・ホワイトとトリオでやっている上原ひとみという女子の戦闘力にやられてしまったし。 ギターを弾く女子では古くは山崎ハコ。 サウスポーの矢井田瞳やYUIも魅力的だ。 ミシェル・ブランチのギターとメロディーラインも好きで。 中島みゆきだけは別格だが。僕の中では彼女は一級の詩人だ。 なぜこんな事を想ったかって。 実は真夜中の東京をエフエムNACK5を聴いてはしっていてパーソナリティーのサイレント・サイレンという ガールズバンドや辻詩音というアコースティックギター弾き語りのシンガーソングライターがミシェル・ブランチの名前とかに触れたことで こんな一連の想いがずらずらと出てきた訳なんだ。 最近のけいおんとかスウィングガールズに萌えを覚えるのと同じようなサブカルっぽいノリなのかもしれない。 僕はこれからもこれらの魅力的な女性達と遊んでもらって生きてゆく。 たぶん彼女らに永遠の恋心にも似た憧れをを抱きながら生きてゆきたいと感じているからなんだろうと思ってしまうのだが。 ---------------------------- [自由詩]月 桑田のおまけの歌/梅昆布茶[2012年12月7日2時37分] 遠く遠く僕たちは白い道を歩いてきた 乾いた地面だけが妙に優しくていつも言葉を交わしていた ロードムービーのしらけた優しさが僕のはじめての街の外だったのかもしれない 泣く場面さえ無い役者はただただ旅を続ける 果てにあるものが予想できる歳になったってあいかわらずさ 人は人を時に評価するけれども 互いの人間的な了解がなければ重大な誤解をも産むし ただ生きている限りはその粗雑なセンサーと 婆ちゃんの歴史的な指摘をやはり指針としてゆこうと思う 言葉の前に涙がでる人 あるいはその言葉も持たない人 或いは体が表現を持たないままはかなく逝った命たちの でもそれって僕たちが 今在ることのなかにさすべて含まれているんだなって こと想ったりしてさ ---------------------------- [自由詩]自殺志願の犬/梅昆布茶[2012年12月7日22時31分] 彼はどちらかといえば 常識的な犬であった 子犬の時代には無邪気さがそのまま 天衣無縫な彼らしさとして愛された けれど訓練士によって人間の基準を 与えられた代わりに彼は常識的な成犬になった かつてきらきらしたりぱちぱちはぜたり ぴいぷう吹いたりして彼を喜ばしてくれたものたちが なんだか遠ざかっていってしまって ただ彼はそれがなんであるかを認識し 表現するための言葉をもたなかった そこはかとない哀しみだけが 月の綺麗な夜にはながく尾を引く遠吠えとなって そらを駆けるのだ つぎにくるものを待っていた瞳には 懐旧という色がにじみだしてときにからっぽの 食事の皿の上をさまよった 僕は彼に言った どうせ死んでしまうのに迷うことなんて無いさ 単に早いか遅いかの違いがあるだけさ 君はかつて無垢な心で世界を感受していた 真実を直感して生きていた筈さ いちいち理由をつけなくても 物事は向こうから種をあかしてくれただろう あるいは種なんていらなかったんだ 君という自由な規範があったんだもの 君は河原を駆け回るのが好きだった筈だ 好きなことには理由なんて要らないんだ ただ喜びに飛び込めばいいだけなのに 人間の教える常識なんて曖昧でどうでもいいことが多いのさ かたくなにそれをしょいこんではいけないのさ まるで鎧のように理由だけで自分を満たしてはいけないんだ 大好きなものにレッテルを貼ってはいけないんだ そのレッテルはいずれ剥がれなくなってしまうんだもの どうせいつかは死ぬんだから もう少しいきてみればいいさ なにものにもレッテルを貼らずに いずれにしてもだめもとなんだからさ 彼がなんとこたえたかはさだかでない あるいはその失踪は 彼がかれであるための旅というこたえであったのかもしれない 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そういう彼もちょい好きだった彼女との浮気がばれてえらい事だったのだが サルトルやニーチェはよくわからないが 彼らのいうことは みにしみてよく分かるのだ これからも僕はそんな哲学を学びながら 生きてゆくのかと思うのだ ---------------------------- [自由詩]あいびき/梅昆布茶[2012年12月12日0時27分] 僕はだれにもあいたくはなかった きみいがいのだれにも 僕にはうたさえなかった でもちんもくにもたえきれずに ことばをさがしていた 絶望なんてぜいたくななやみだった くうきょよりはましさ 僕はただあいびきがしたかっただけなんだ じかんやくうかんにはばまれないものがひつようだった 何処であおうかいつもかんがえていた なにをしようかいつもかんがえていた かんがえるばかりであわがはじけていった オレンジ色のいすがわらっているほら へやのすみで 沢山のつぎはぎざいくでできたじぶんなんてもういやだとおもったが よけいなおせわのつきよはぼくをかんがえさせた 選ばれないものにしたがおうとおもった それがすなおさならそれでいいとおもった 決められたっていいんだ たとえきめられなくたって 僕はゆだねようとおもったんだ あまり重要ではないなにかいがいのものに それをどう名付けるかはきみのじゆうだが ---------------------------- [自由詩]槇原みたいには歌えないが/梅昆布茶[2012年12月14日1時53分] 優しくできないことを辛く思わないんで欲しいんだ どうせ人間はいつかは干物だ 乾いた挙句火に焼かれるのだ 誰も僕の替わりをしてくれないことってあたりまえのこと いつか誰かに会えるってのも素敵な夢だし 言葉の片鱗で遊ぶ変人だって とても知ってるつもりなんだが 言葉にはできないけれどもでも 何も語らないよりはまだ変人であったほうが 正直なんだって思った いつも悲しみだけでもなく そこそこの喜びをたぶんせめてもの自分の 選択のなかで見つけてきた気はするんだ もちろん槇原にはなれないしそれは当然なんだけれども ---------------------------- [自由詩]ファンタスマゴリア(たむらしげるの絵本)によせて/梅昆布茶[2012年12月16日7時15分] 沈黙の惑星は 能弁なのかもしれない その星の水際にはとりどりの 言葉の端くれが堆積しているという それを採集することが 盲目の考古学者たちの日々の務めなのだという 中央の大陸には 累積した悲しみの伽藍があって それを測定する器械が設置されているが その統計が何処へ報告されるのかを 僕は知らない その星には母性局があって つねに母が母であるための放送を流している 或いは病んだ父のためのカプセルが無数にあって 常にそれは満杯らしいのだが 子供たちは水溜りに映った影たちと遊び戯れて 飽きることをしらない 街には無数のベクトルが交差し それぞれの方向をめざしながら 微熱をともなった電磁音を発信し続けて 空気はそれによって満たされている 野外に設置された巨大な幻燈機は 様々なニュースや恋愛物や喜劇や活劇も放映するのだが ちいさな快楽や愉悦とともに 本当はこの世界そのものを 投影しているのかもしれないのだ ---------------------------- [自由詩]母の行方/梅昆布茶[2012年12月16日9時50分] おそらく僕の知らない 無数のははがいたのだろうと思う まあ今も昔も聞いたってこたえないだろうが 母の遺品を整理している 書道用具 浦和のなんとか堂とかいうところで購入した そこそこ良い筆もあるらしいが僕にはわからないし いまさら書道家になるつもりもない 卓上ミシン 嫁が使う気がないのかあるいは使えないので たぶん友人の中二のお姉ちゃんのところにゆくことになると思う 押し花の額はさしつかえないので飾っておくことにする 沢山あった備蓄食料はほぼ僕が食べつくしてしまったので もう数十年前の缶詰が出てくることもなくなった 電子ピアノは団地の八百屋さんに貰われていった 楽譜が残っていても僕は読めないのでひくこともできない 自転車は免許の無い嫁が乗り回しているが 電車賃を浮かすために何駅分も遠出するのだという そのわりには太いのだが ちかじか自動車学校も卒検だそうだ 母の骨を姉に分骨するために 骨壷から頭蓋骨とおもわれる断片や いくつかの白いものを小さな袋に入れる 父の骨もそうやって姉のところに行った 今は母はB5サイズの白いプラスチックのフォトフレームのなか 姉が撮った一年ぐらい前の写メのなかで微笑んでいるように見える 家族葬も火葬もすべてそれですました もうすぐ来る勉強机や子供たちのために すこしづつ母を整理してゆかなければならないとおもっている ---------------------------- [川柳]もやもや川柳/梅昆布茶[2012年12月20日12時31分] お友だちあつめて内閣つくるなよ パパくれた国という名のおもちゃ箱 棚ぼたを民意と言い換えほくそ笑む 某首相尖閣諸島に島流し 変わり身のオセロを凌ぐ鮮やかさ 日銀を悪魔に渡すか平蔵案 お互いを先生と呼んでなに学ぶ 日章旗そのうち捕まるサポーター 法人税を手厚く支える消費税 選挙の度の鉄槌を屁とも思わぬ潔さ ---------------------------- [自由詩]良い人/梅昆布茶[2012年12月21日0時35分] 良い人は扱いやすさで軽んじられる 良い人は時に利用されて捨てられる 良い人はもてない分だけ深みが増す 男女交際において 良い人という呼称は決定的なダメージの象徴だが 良い人が好きだ たぶん彼等はあまり対価を求めないのだろう 直截的なやりとりが意味なくて ボーっとしている人種なのだと思うのだが 宮沢賢治から学んだのは恋愛ではなく 基本的な生きることと大地と 或いは自分の中のせめてもの敬虔な部分に気付くこと 詩は力を持つのだろうが 美はあくまで抽象的なもの なにを訴えるかは自由だし 美は倫理も含めて ひじょうに個人的な感性による 少なくとも僕も含めて 民衆の言葉が流通し響く世であって欲しい 夢というのは 実現をつかまなければいつも夢なのだと思う 挫折という言葉が嫌いです いつも途上だと言いたいのです 人はときにマニュアルに従うことに安堵を見出します しかしマニュアル化しないあなたが 産業用ロボットでは代用のきかない 感覚し考え判断するあなたであること 考えることを省いてはいけない 感情においてさえそれは言えるのだ マニュアル化の波に飲み込まれてはいけない せめて常に詩を紡いでゆくように生きたいのだ 大好きな良い人よ ---------------------------- [自由詩]ムーンフェイズ/梅昆布茶[2012年12月23日8時15分] 月はあなたのように 影をしたがえて夜を照らす 夜はあなたのように昼をしたがえて 星のもとに戻す 愛は醸成された悲しみの塊で いつもその貌を変える 僕の道程は幅広く豊かで優しい表情をしているだろう たとえ虚偽という異物が混じっていようと 言葉で語れるものはとても少ないのかもしれないが そのなかに花をさがす 手探りの感触を確かめるように 生きて行けたらよいと思う 人生という平面は遠近感を超えて 多数の分岐や起伏や僕や君の吐息を支える でも記憶だけは正直でとても優しい ぼくは月にしたがう僕にしたがうのだろう いつも月齢は僕に影を落として 移ろってゆくんだもの ---------------------------- [自由詩]子供の哲学/梅昆布茶[2012年12月23日9時14分] 子供はお菓子でできている あるいは機関車トーマスとか仮面ライダーとか おとなは憂鬱でできている 打算と愛がごちゃ混ぜの変な生き物だ 一本の鉛筆の語る世界は広くて遠くて 芯の通ったその単純な世界観はとても凛々しい 僕たちは踏み違え踏み迷い 迷路を壊しながら生きてきた たとえ遠くてもまわり道の楽しみは大切なのだと思う それが真実に近いなら 大切な誤解だって人生にはあるさ たとえ永遠に役にたたなくても自分を生きさせるのに じゅうぶんならば 子供の哲学はたぶん生命に近い 呼吸することにもちかいのだろう 僕たちはいつも 野原でれんげを摘んで だれかのために花輪をつくるように 生きていったほうがいいような気がするんだ ---------------------------- [自由詩]泉/梅昆布茶[2012年12月23日10時06分] いつもとっても自分を限定しないんで欲しいんだ つかの間の優しさだって信じて欲しいんだ 不毛を嘆くまえにかんがえて欲しいんだ あなた自身が井戸だってこと ぼくはいつもあなたに勇気付けられていて それはあなたに井戸があるから 星の王子様がたぶん言ってたこと 砂漠が美しいのはそこに泉をかくしているからなんだって 間違ってたらごめんなさい 納得しなくてもいいんだ 生はいつも中途半端なものさ でも僕はとっても あなたの泉が知りたいんだ ---------------------------- [自由詩]金魚屋古書店のクリスマス/梅昆布茶[2012年12月25日22時29分] 会社の発送所に荷物がいっぱいでフォークリフトも空いてないし 積むのを諦めて明日にまわす 帰りにブックオフによって金魚屋古書店のコミックを買った 105円のコーナーだからきわめて安上がりなクリスマスだ 僕はなにでできているのか それはたぶん貸本屋のゲゲゲの鬼太郎とかDr.スランプなのかもしれない アルフォンソミュシャでもあるしサイボーグ009なのかもしれないのだ 高校の時バンドを組むのが夢だったが 自分がヘボで無理だったこと とっても好きなあの娘を泣かせたこと 星を眺めていたことをいまさら思い出している なんでクリスマスの夜に浮かんで来るのか 僕は小さな歴史や感情やその微細なかけらでできているような気はする 固定されたものなんて無いのは気づいていたさ 僕は破片の集まりでそれが生意気に個体のふりして 人格なんて語ったりするんだ あきれ返る話だが他に生きようもないので 雪鳥月花に遊ぶのかもしれない その自由だけは せめて許してほしいのだが 僕はたぶん意図するしないにかかわらず変わってゆく そう希望もしているのだが 誰かの拍手も欲しいが 誰かに精一杯拍手できる自分でありたいとおもった 固執するより拡がりを願った 仲間よりも深い人間とあいたかった 素敵なことは いつも僕のかけらを取り出し教えてくれる人がいること 僕はぼくだけれども照らしてくれる灯りが必要なこと そんな人がいる限り 生きていたいとも思うのだ ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]なぎら健壱の時代/梅昆布茶[2012年12月29日20時22分] なぎらさんは僕より一個上ででも若者が変革を実感した時代の証言者及び旗手として、悲惨な戦いという名曲のシンガーとしていまだに東京下町のヒーローとして 卵焼き屋さんの息子テリー伊藤さんと並びおっちゃんカリスマの代名詞だが。 たまたま今「日本フォーク私的大全」というちくま文庫の本を開いて冒頭にオーバーオールを巡る若者文化論があってそこから全共闘世代やそれに近いぼくらの精神性にもなんとなく思い及んだわけである。 蛾兆さんが文極さんに言及してたのでついかきたくなったのだが。 言葉は財産権もない基本的な人間の機能だと思っている。 そしてそれが伝達機能のすべてではないことを思うのだ。 手話の方が綜合的にはコミュニケーションの手段としては有効だとする意見もある。 言語論ならソシュールとかそれに啓発されたであろう レヴィストロースの構造主義とか。 想いをめぐらすことは誰にとっても考えうる限り最大の自由だとおもっている。 いつの時代も言葉を私物化してはいけないと思う。 詩壇なんて文壇なんてもっての他で せめて民意をまとめて文学や詩として伝えるぐらいがいいと思うのだ。 ただ僕は知らないが2チャンネル化 しないで欲しいが でも2チャンネルってどんなだったの? ---------------------------- [自由詩]百一個の画鋲/梅昆布茶[2012年12月30日9時01分] あなたが望む世界がひとつ 彼氏が望む世界がひとつ 親兄弟とか仲間とか他人とか でも同じコルクボードに鋲で留められる 百個は許しても一個はあなたのものだ その一個が 大好きなんだね ---------------------------- [自由詩]お弁当ってとっても/梅昆布茶[2013年1月3日1時39分] 大好きな人よりも本当は お弁当の方が好き はっきり言ってももちろん愛は消えないさ 僕の方のね でもさ愛がはっきり確かめられるんだ たとえ見栄え悪くてもね おかずはいいさはっきり言ってね 僕の月給の範囲内でつましく素敵な君がいて アホの限度を知らない僕 お弁当とってもありがとう とても美味しくて ちょっと切なくて 大好きなんだな これからもよろしくね ---------------------------- [自由詩]バーバリアン/梅昆布茶[2013年1月4日8時56分] 強さとは野蛮とは何 研ぎ澄まされた刃で誰を斬るのか 姑息な闇はもういいとおもった 死がもたらすものの方が正直だと 首を刎ね八つ裂きにしても僕は生きるのだろうか キンメリアのコナンのように 程よく調律された人生なんてごめんだともおもう でもさ嵐も嫌いな情けなさったら 銀河の果てにとべない哀しみがいっぱいで でもさCGで模写された世界の方が よっぽどリアルなんだな 詩は造らないで欲しいのだ 創造と模造は違うのだから ほんとうにうたったときに響くものだと バーバリアンの戯言だが ---------------------------- [自由詩]空白/梅昆布茶[2013年1月6日9時05分] 人がいないことのかなしさ 戻ってこない哀しみがおおう 巻貝の自由だってもうちょっとましかもしれない ただ居ても伝わらないかなしさが一番だったかもしれない いつも人を否定しながらそれを求めている気がしている 自己分裂もいいとこだが あの人の 優しいうなじは幻像の中にしか 僕のはかない決意は砂の城で 彼女に幸せって何ってきかれたってこたえられなかったこと ニーチェ みたいにせいびょうで惑乱するほど進化してないんだ 風はすべてを運んで来る きづかないだけだ そしてきみの言葉がぼくを今日もかるく撃つ ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]世界/梅昆布茶[2013年1月7日3時34分] なんでこんな夜中に書いてるんだろうとつくづく自分を馬鹿だと思う。 トルコのセダトとムスタファがけっこう好きだった。 日本の大証上場をうたい文句の中企業で一緒に現場をやっていたのだが さすがに頭のいい民族だとおもった 仕事は僕より数倍速かった 戦闘民族オスマントルコの末裔だもの 当時離婚したてでもともと孤独な人間が彼らに言われたこと 僕たちは国や家族と離れて孤独だけれど あなたはもっと孤独だと そう外国の友の孤独は異邦の地で暮らす違和がけっこうで イスラムの彼らには豚肉を供さないよう気を使ったが かたやブラジリアンのビエイラとも2人でアキバにデジカメを買いに行ったり 彼の日本の彼女なんかと東松山でカラオケしたり フランキーというちっともブラジルらしくないヤンキーなケツだし男とフリマをやったり 竹内君というパラグアイの日系二世貧農の息子 町に出るには車で何時間もかかるそうだ コロンビアの名前忘れちゃったが 夜はゲリラが怖くて外出できないって言ってた彼 ペルーの小林君にはお世話になったし大好きだったが 一本歯が欠けてファンキーだったが優しいんで 女の子のファンがいっぱいいたらしい ボリビア辺りは世界一の美人の生産地と言われるが、確かにそうだ 知り合いのボリビア妻はめいっぱい美しい 僕の大好きな百合子さんは沖縄のブラジル移民の末裔ででも二世か三世だが とってもジーンズのヒップの似合うひとだった。 妄想と妄念が半分だがたぶん半分ぐらいは事実かもなんでごめんなさい。 ---------------------------- [自由詩]神様/梅昆布茶[2013年1月8日21時11分] 永遠の生命ってよくSF なんかに出てくるが退屈だろうなっって思ってしまう もちろん駄作でも良いから 詩みたいなものを書こうとも思わないだろうし 有限な物の限界を嗤っても 生命の実感はないだろうな 神様って重労働かもしれないんだ だから無理なお願いは神様にはしないようにしている 多分ぼくは神の子ではないし せめて仏弟子の末席になんてあり得ないし 仏弟子でもないな ただ仏陀が菩提樹のしたで入滅したように 人生は苦だって説きながら 静かに逝ける人ってやっぱ凄いと思ってしまうのだが オプチミズムは良いと思うのだ 自己閉塞よりは ただ失敗してもそれを糧にできるのは きちんと整理して受け止めた人の言葉で やはり成功あるいは 詩みたいなものをであれば成熟は たぶんきちんとした失敗の認識の上にあるものと 思ってしまう 別に起業家ではないので その枠の言葉たちが大好きなのだが 皮肉も結構だがそこそこでいいし それもいいさ ただときに 僕だって仏説を外れて 闘う貌を見せるかもしれないが ただそれは戦友としての駄文だとおもって欲しいのだ ある意味今は 詩集の冊数を 誇っている場合ではないと 思っているのだが ---------------------------- (ファイルの終わり)