梅昆布茶 2012年8月28日18時30分から2012年10月8日2時42分まで ---------------------------- [短歌]ただ愛のために/梅昆布茶[2012年8月28日18時30分] 愛ってたちのよい錯覚ならばそれも素敵な贈り物だね 愛にも慈悲にも権威なんて要らないんだとふと思う 愛なんてなかったという君を思い出にする僕のわがまま 彼女はいつも体と心を売り渡してそれを恋愛と呼んでいた 愛は世界から断絶するための安易な方便じゃあないよな エゴイストの企みをオブラートで包んでそれもひとつの愛 最近破れかけてきた屋根のすみからいくつかの星の降り注ぐ 愛のない親だからって愛のない子供たちでもなかったみたいだ はたして神の記した本の中に人は愛を学んだのだろうか 魚になって愛を食べて鳥になって空に溶け込んでゆくのもいいな ---------------------------- [自由詩]さいごの狙撃者/梅昆布茶[2012年9月1日2時25分] 散らかった新聞紙やカップヌードルの食べ残しに紛れて 暗号が見え隠れするこの部屋で心の銃をみがく狙撃手 ぼくらは思想をもたないトラブルメーカー いまさら乱数表でこの世界のキーワードがやりとりされるわけもないのだが スパイだらけの世の中でぼくらは正統派のならずもの 酒を浴びるほど飲んでそのあとに新しい世界が待っていると思うほど 無邪気な悪漢ではもういられないのだがそれでも 割れたガラスのきらめきの真実を読み取ろうとするそのせつなせつなに 零れ落ちるきみたちの血を忘れたくないと思うのだ 自らを検閲する魂の狙撃手は いまくもった眼鏡を磨き上げてかつて待っていたものの死骸を踏み越えながら 不穏な使命を全うするために窓をあける そこから見えるのはいつもの雲と空だった かなしいほどにいつもの空だったのだ 蔓延した地上の楽園は機械音をともなって 今日も回転を続けて時を破壊してゆく 撃てない狙撃手は今日も 見えない標的をさがしている 自分を狙撃手に産んだなつかしい匂いのする それでもいつかは撃たねばならない いとおしい混沌に向かって反逆する 最後の不穏分子であるために ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]短い季節たち/梅昆布茶[2012年9月2日7時00分]  クリスマス この街にはいつものように雪のないクリスマスがやってくる。 光のクリスマスツリーが恋人たちの想いをたかぶらせる季節だ。 レストランの窓越しのほかの世界の絵のように映し出されるざわめきと温もりは 冷えびえとした僕のこころにもいくばくかの慰めをわけてくれる。 僕は彼女のノルマに協力してクリスマスケーキをふたつ買った。 もちろん彼女といっしょに食べれるわけもないのだが。 恋の場面でいつもとり残される男子をパセリ君と言うらしい。 ぼくはパセリ君という詩をかいた。そしてパセリにふさわしいクリスマスを過ごすべく 安い赤ワインを買って古井戸の「ちどり足」の ひとりの祭りには 赤いぶどう酒飲み  というフレーズを思い出しながらローストチキンをかみしめていた。  サマー・イン・ザ・シティー CL72という中古のバイクを手に入れた夏。 僕はテントとシュラフといくばくかの食料を積んで旅に出た。 横浜からバイトで稼いだ金をポケットに甲州街道を京都にむかってのぼってゆく。 250ccの古いエンジンはパラパラという独特な排気音で山梨から長野の1000〜2000m 級の山の裾野を少々息切れしながらも駆け上ってゆく。 人っ子一人いない御母衣ダム湖の駐車場の片隅にテントを張りラーメンの夜食とウイスキー。 そして湖面に映る星空に吸い込まれそうになりながら酔って眠る。ほんとうに星だらけの夜だった。 でもどうしてサマー・イン・ザ・シティーかと言うと岐阜、富山、滋賀を通過。 タクシーと一般の車も驚くほど運転が荒っぽいと感じられた京都だったからだ。 歴史的風情よりもやたら人が多くて観光の顔した都会しか感じる暇がなかったのだろう。 でも「二十歳の原点」の高野悦子さんが通ったジャズ喫茶しあんくれーるにいきたかったのだ。 いまはもうないそうだし大切にしていた女性をあしらった素敵なマッチもいつのまにかなくしてしまったが。 いまでも彼女の聴いていたスティーブ・マーカスのTomorrow never knows は好きな曲のままだ。  コスモス高原 宅配便をやっていた頃担当していた小さな山懐の町は武蔵の小京都とも呼ばれる 江戸、川越、秩父を結ぶ往還の和紙と酒の里でもある。 もちろん秩父の豊かな水脈にはぐくまれての伝統の技術でもあろう。 近辺の清流にはまだ蛍もみられるという。 秩父往還をさらになだらかに上ってゆくとやがてその清流をわたって県内唯一の村に入ってゆく。 近くには旧東京天文台観測所があり今でも月数回の星空観望会がおこなわれている。 冬場にさらに奥の高原をめざして登ってゆくと各所に柚子の無人販売所があって たまには道端の柚子の木から零れ落ちた金色の実がころころと山道に散乱していたりもする。 かつて所属していた天文同好会の仲間と活動の一環として高原に観測所を手作りで建てたのはもう三十年いじょう前のことになる。 いまでは同様の観測所がちいさな群れをなして星の里とも呼ばれているらしい。 たまにぶらりと訪れてみるその場所は僕の懐かしい小宇宙への入り口でもある。 秋には一面にコスモスが咲き乱れているわけではないのだが僕は かってにこころのなかで近くを走るコスモス街道になぞらえてコスモス高原と名づけているのだ。 これからは空と風に会いにゆくのにはちょうどいい季節かもしれない。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]オートマトンの夢/梅昆布茶[2012年9月5日21時52分] それは遠い呼び声だった。 かすかに愁いを帯びた紙片の様にかさこそと空気のへりを伝わって忍び寄るなにかの気配がこのところ僕の耳元にすみついているみたいに。 五感に走る刺激がなければ自らを認識できないぼくらにとってそれは宇宙に遍満した背景放射のようにもかんじられる。 あるいは存在そのものをおびやかす微熱でもあるかのように時になにかに共鳴するように高まり鋭く震えてはまた去ってゆくのだ。 今朝の眠気がまだ晴れないまま僕はカプセルに入り頭の中で親しい友に話しかけるように半透明の繭の高密度に集積された魂に要求を伝える。 ほどよい温度の流れにからだを洗われるにまかせて柔らかな夢からさめてゆく。 繭はあたかも自分の精緻な働きを見せつけるかのようにかいがいしくすみずみまで僕の 体を衛生の見本よろしく仕立て上げる。 ただしそれはこの繭の仕事のほんの一部にすぎない。 それは遠い昔にあった一番小さな社会の構成単位であった家族と家庭というしくみのすべてを内包してときに自在にその姿を変容させながら つねにこの小さな世界の断片の小部屋を機能させかつさまざまな夢をもみさせてくれる身近な全能の天使なのだ。 すでに夢と絶望を見尽くした僕らはたぶんいつしかすべてのこの世界の調整をこのオートマトンに委ねることによって 恒久平和という免罪符を自らの創造した文明の結論として導き出し 彼らの安穏なしもべであることを選択したのかもしれない。 それは実現された胎内回帰願望なのだ。 僕はオートマトンの料理を食べ 適度な運動の指示に従い光のなかで瞑想に耽り オートマトンの喜びを感受し オートマトンの夢をみて かすかな社会や異性への思慕の残滓を残しながら 遠くに虫の羽音を聞くように静かに 眠りのなかに埋没してゆく それはとても穏やかで素敵な夢だろう いつか空が落ちて来る日に僕達は どういう夢から醒めるのだろうかそして あの呼び声はそのとき何かを答えてくれるのだろうか それとも夢の続きの夢を 紡いでくれるのだろうか ---------------------------- [自由詩]屈折点/梅昆布茶[2012年9月6日19時52分] 僕らのみている世界が正立像だなんて 根拠のない迷信なのかもしれない 大地は空で重々しく草も生えているし 空は大地で星が涼やかに流れている 僕達は倒立した空の道を車で走り回り 42.195キロの空の駆けっこをする そうなんだ屈折望遠鏡で世界をみると 街を歩くあの娘もこの娘も華やかに倒立してフレアースカートが 空に向かってひらひらなびいているんだもの ルネ・マグリットも吃驚だね すべては光の進む速度が物質によって異なるせいで 人間の網膜に映る世界も本当は倒立しているんだって でも今度は視神経が逆立ちしてそれをもとに戻してるんだって ではどっちが上なんだろう 本当はピサの斜塔は5.5度の角度で空にめり込んでいて ガリレオは鉄の玉を空に向かって魔法のように舞い上げたのだろうか 時代によって場面によって時の速度が変わるように 様々な角度で僕達は様々な密度の世界をすり抜けて生きてゆく ときに反射して照り返し 屈折してあらぬ方向へとばされてはまたはね返って ときに収束して炎のように何かを焼き尽くして それでも万華鏡のようにくるくると巡る世界の断片となって 日々小さな模様を織り成してゆく光のように 時代が屈折しても世界が反転してもそうやって 自分の時を刻んでゆく無邪気な魚なのかもしれない 泳ぎきったさきも知らぬげに まるで光と戯れるように 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じゃんけんに負けたら明日が来ないならわざと負けよう君と一緒に 最終電車に乗り遅れ明日への切符また買いそびれそう ちょっと疲れてうたたねしても明日の君からメールがとどく いつも思う僕には夕暮れよそよそしくて世間話もかわせぬままに きょうも夕暮れじょうずにくれて忘れ物さえ置きはぐれ ---------------------------- [自由詩]修復/梅昆布茶[2012年9月13日2時19分] 僕たちはかつての関係を修復することはできない それは時間に奪われたから 関係は必ずしも修復を望まない ときに修復は困難をともないその努力を裏切るもの すべてのものすべての凍った息を溶かすことはできない せめて敗北主義の息吹を遠ざけること せつない恋の成就も喜ばしいもの それでも成就は永遠を知らない 言葉ははかなくて意味を語れない つまずいてはじめて僕たちはあるきはじめる ---------------------------- [自由詩]密着/梅昆布茶[2012年9月13日2時34分] 僕たちの隙間を埋めるもの 呼吸という反抗 理性という堕落 そしてしなやかな悪意 ---------------------------- [川柳]漬物生活/梅昆布茶[2012年9月15日2時05分] 浅漬けのみずみずしさに添えた愛 藍色のなすの深みに更ける夜 やさしい夜芋焼酎に月映る 月わたりゆずの香りの君が居て 君知らず白菜のしろのしたたかさ 米麹べったら漬けとなじむ秋 納骨の位牌のそばに蝶あそぶ しゃりしゃりと夏の終わりか新生姜 コールスローモダンに混ぜる塩麹 梅の香にはんなり染まった京菜漬け ---------------------------- [自由詩]サイボーグの秋/梅昆布茶[2012年9月15日3時23分] 世界はやわらかにほほえむ 鋼の構築物は弾力の支点 ぼくたちの内骨格は紅色のスプリングで飾られて 秋の街を歩く 体の直線軸上で世界は右と左に分かれ 感覚器は集中制御室の周辺に配置され 排泄は後方に隠され 立体視された街はおだやかな午後に色づく 進化のターミネーターは かつて競った生き物たちに別れをつげて はるかな航続距離を歩みはじめる ぼくたちは食事を楽しみ 食べる生物としての世界観を持ち 酸素を燃焼させて強靭なエネルギーを得る そうぼくたちのからだは消化器と呼吸器と神経系とが 骨格におさまりよく配置された 地球ブランドのちょっと不出来なサイボーグ 抽象という魔法で いつの日かほんとうの事を発掘しようとしている 無邪気な考古学者なのかもしれない そろそろ細胞たちも 秋の支度をはじめるころだ ---------------------------- [川柳]ゆるやかに/梅昆布茶[2012年9月16日2時59分] にわか雨待つ軒下にいっしょのこおろぎ 銭湯のコーヒー牛乳遠いなつそして母 小さな手つないだ先の忘れていた秋 あくびして見上げたそらのわたぼうし 変化するじぶんにつかれてハーブティー やさしくてジョージのギターの聴こえそうな夜 際限もなく来るものを逐わず生きてゆく びしょ濡れのそんな夏をすごしたかった いつも秋僕になつを教えてください ゆるやかな時の傾斜を触ってみる ---------------------------- [川柳]秋の風鈴/梅昆布茶[2012年9月16日3時47分] 鳴っている時の谷間に銀の風鈴 指とゆびはかった遠さに秋深まる いまだって氷河時代とナウマン象 秋待たず逝った母の置手紙 自由という名の束縛それが恋 テクノポリス独り歩くてくのぽりす 独りでは居られなくてでもちょっとうれしい どん底の底をのぞいた人に会いたい 人としてお馬鹿の限度をおしえてよ 秋の風鈴ただ時をはらんでちりちりと ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]ちょっと思うこと/梅昆布茶[2012年9月16日13時33分] 詩って詩の手引き書読んでもあんまりわかりませんよね。 漠然とした想いをのせたメッセージかと僕は思っています。 絶望と希望の振幅の間のすべてが、詩に思えます。 できれば排斥とか限定とかあまりないほうがいいかなとおもっています。 かたまってなんかやることも嫌いではないけれども部活とか苦手かも。 もちろん自由と責任とか義務とか規律とかが天秤の両側でバランスをとっていることも承知なので、 ゆるく集まって出入り自由でもちょっとおしりずらして場所空けてくれる、 そんな集まりがすきです。 詩人って特殊な人間とかジャンルではないと思うので。 でもこういうごたくをならべる世界が好きなので。 まだ居ますがごめんなさい。 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---------------------------- [自由詩]とぐろのなまえ/梅昆布茶[2012年9月23日7時10分] それぞれの許されない世界は こまるかもしれない パートのないオーケストラは ハーモニーを奏でない ぼくは遇いたくない人間にはあいたくないと 思っている動物 話したくないのはぼくが話したくないという ぼくの主観だ 主観にコメントされてもこまるし コメントを強制されるのもごめんだが とぐろを巻いていかくするとぐろには 対処法をもたないばか者だ とぐろになまえをつけてもとぐろだし ぼくも(笑い)ていどのくくりのとぐろではある わたしの正論どうしがいくら打ち合っても 刃こぼれするばかり こどものころのちゃんばらは とうに忘れたし 世の中にはわたしが溢れているのだから とぐろはとぐろ いさぎよくわたしと言うとぐろになって 眠りこけたいとぼくは 思っている ---------------------------- [川柳]へっぽこ川柳/梅昆布茶[2012年9月23日10時25分] 政争を清掃したい総選挙 いっそのこと水曜どうでしょうを党名に 迷走を瞑想している居眠り議員 お互いを先生と呼ぶ別世界 復興の名前に隠れ無駄遣い 国の首締めても官僚生きてゆく ありんこの気持ちになって払う税 ---------------------------- [自由詩]脱皮の記憶/梅昆布茶[2012年9月26日21時48分] 一枚一枚じぶんをひきはがしてゆく 夜の電車の窓に映った つり革にぶら下がった幽体 遊隊を離脱し こんなところに居たのか 勘違いした片恋の記憶 まだ薄皮がひりひりと痛むが おわらいぐさだ とうせんぼしている明日に てを振りながら枝道を歩く 自分に舌打ちしてぐっと飲み干したコーラの 泡立った夏もまた赤と白の記憶になってゆく 空き缶がころころと 風にころがってそして秋 雲の上の空はいつも晴れているのだろうね 雨のそのまたうえの空 機関車が長い貨車たちを牽いて丘をのぼってゆく それはいつの風景だろう またちりちりと 脱皮の予兆が午後の日差しのなかで コーヒーカップのミルクの渦のように 予定調和のなかにしのびこんでくる いつかこうしてまた一枚淡緑色やラベンダーや ときに薄墨色の紗が 風に剥がれてゆく なにもかわらないふりして その実こうやって脱皮することで ぼくらは生きてゆけるのかもしれない また一枚 君の色が風に溶けてゆく ---------------------------- [携帯写真+詩]霊園の蝶/梅昆布茶[2012年9月27日0時09分] 浅い秋の山麓にはまだ夏が僅かに匂いを留めている 霊園のなか 木漏れ日に似て かすかな静謐の羽音を伝えるもの 誰かの魂の代償としてここにやすむメタモルフォーゼの しるし 霊園の空は高く 夏をとむらうように ほのかな秋のいきづかいが蝶となり またどこか澄んだ水場の畔へと 帰ってゆくのに 違いない それを 鎮魂と思っていたい 気がするのだ ---------------------------- [短歌]秋の日誌/梅昆布茶[2012年9月29日15時51分] ざわざわと森のゆれるこの夜に月のまにまの生命誌 魂を細胞膜で包んでよ触れ得ぬもののかたち見たくて ちいさなエゴで組み立てられたものおもちゃの国の総裁となる こころを巡る海流の漂着地点に旗をたてる 遥かなる索をたどってゆく果のもやいの解けた岸辺に佇む 墓参する日足みじかい午後の坂道彼岸の花のほのかに匂う 東国の防人のうたの聴こえそうな刈入れの稲穂光の海 適当に作ったすき焼それなりに生きれるものだと教えてくれる からっぽの理念埋める墓も無い国に遺骨のままの兵士が嗤う デジタルの造型の美女の微笑みの皮肉にもとれて電子立国 いびつにも想える自分をゆるくして青い高みへときはなつ秋 ---------------------------- [川柳]彼女の箴言集/梅昆布茶[2012年9月29日16時31分] 責任とってあたしをお嫁にもらってよ こんどは男と女になってみましょうか? どうせ恋愛も結婚もあきらめていたから 男運がわるいっていつも言われてた いいの一時でもあたしを必要としてくれるなら 一緒に温泉行きましょうね 男を泥沼に引きずり込むの。きをつけてね。 幸せってなんでしょうね 気晴らしでもいいじゃない楽しければ いなくなってはあたしが困るのです まあ居ないよりはましかなあ・・・ ---------------------------- [自由詩]昭和遺文/梅昆布茶[2012年9月30日11時53分] 浜川崎から羽田線に乗る 古い高速道路はそのまま川崎大師の大鳥居をくぐり モースの大森貝塚を三周程して 干し網の漁師たちを驚かす ようやく京浜急行が高架になり環八がスムーズになっても 森永キャラメルやラムネや ソースいかの匂いのする町並み ステテコおじさんなんちゅうゆるキャラが似合いそうな 懐かしい僕の中の昭和史 洟垂れ小僧たちが路地裏を占拠し 世界は怪人とヒーローが活躍する舞台だった まだ函館に居た頃親父の実家が貸し本屋をやっていて いとこたちと遊ぶよりもぼくは ゲゲゲの鬼太郎と多くあそんだ 一家はやがて北から南下し 漫画の買えなかったぼくはともだちの家で アトムや鉄人や様々なロボットやサイボーグや 眼を見張る科学兵器たちの洗礼をうけたのだ ぼくは急速に近代化した 行く手を定めぬものそれが民衆の 意思であると否とにかかわらず日本列島とともに 隆起し海没したのかもしれない 極東の少年はやがて 洋楽や珈琲をおぼえ 酒や女に憧れ星空のしたで バイクのオイルの焼けるにおいと 首都圏のかわいたハイウエイの神経束のうえを ざらざらの空気を吸い込みながら 風に飛びそうな自分を確かめながら 壁のないたかみさえ 存在の邪魔だとでも言うように 時に肩をそびやかして 煙草をふかしたりも してみたのだ そしていかにも知ったフリをしてこう言ったものだ まんざら生きるのもわるくないみたいだな なんてね そしてバイクのタンクでリズムを刻んで 似合いの音楽を さがしてみたりもしたんだ やがて時間が時間を呑み込み 時計の針が風化し ぜんまい仕掛けの人生がゆっくりと 動きを止めるまで ときどき凪いだ時間が 熱をさましている 間だけでも アスファルトに記された 僕たちの記憶を 消さないで欲しいと思うのだ ---------------------------- [短歌]浸透圧の恋/梅昆布茶[2012年10月3日2時03分] やさぐれた溶液中の異分子の半透膜越し無垢への憧れ 直下型で僕を揺らすものってきみいがいはこの世にいないよね 骨格って素敵なトロピカルドレスの隙間からのぞく吐息さ 不定愁訴を身にまとい経絡図指す人体予報が好きな君のつぼ 絶景しかないと故郷こき下ろす言葉にいとおしさもらうよる 僕と君のカレンダー13番目の月置忘れめくられてゆく 窓を開ければ中天の月に満たされて更けゆく秋とモンゴロイドの街 踏みにじられるものの声届かぬまま地球はきょうもころがりつづける 手術終え運ばれてゆく娘とわかれふと孤独に気づく秋の盲腸 言葉ならそっと意味をおしえてよはなれた指のあいだの会話の ---------------------------- [自由詩]所属しないうた/梅昆布茶[2012年10月3日3時23分] なんでもない詩人たちがけっこう好きなのです ごく私的でもよいのです ときに詩的でさえなくとも ぼくのちっぽけな世界をあたためてくれる ひとひらの言葉たちがたぶん ぼくがなんとなくたいせつに感じているものに ちかいと思えるのです 文部省や詩壇のことは よくわかりません ぼくはただひとの人生や 感情や日々の息遣いが身近に かんじられることが 心地よいのです そんな言葉たちと交わりながら 生きていたいと思っています もやいを解かれた 船のように漂って こころの繋留地点を さがしているのかもしれません ---------------------------- [自由詩]目覚めゆく街/梅昆布茶[2012年10月4日23時18分]   真夜中のいきものたち 真夜中の市場にはすでに 大都会の胃袋を満たすための供物が 続々と魁偉な動物のような巨大車両や あるいは中型や小型のさまざまな甲虫たちによって 到着し並びはじめている 轟音をともなって 怪鳥の跋扈し摩天楼の林立するあかるい昼の世界を避けて あえて夜行性を身に着けたいきものたちは傍目には その夜の荷役を嬉々として引き受けているようにも見える 昼間の銀座の瀟洒な雑踏は 今は飛び交う早口のジョークやら 小型の運搬機のエンジン音などにとって替わられ 築地はエネルギッシュに 都会の朝を引き寄せてゆく 芝公園で高速を降り 三田や麻布 新橋とがらんどうの街を駆け抜けると ここは人々という血流で構成された シュールリアリズムの巨大なモニュメントにも思えてくる 個々の人生は抽象されて経済学や社会学によって 数値化され概念化され取り扱い容易な パッケージとして計量される でも僕達は捨象されたものの温もりの中でしか 生きてはゆけないでくの坊に過ぎなくて そんな想いを抱きながら街とともに目覚めてゆく もうはね上がることも無い勝どき橋がやわらかいアーチを 夜の海にむかって講和を求める敗戦国のように伸ばしている その先にもはみだした下町の生活たちがひしめいているのだけれど いまはただ暗い海の気配だけが支配しているのだ   朝のキャンバス 築地から浜沿いに高速の下をあみだに縫ってゆけばやがて 大田市場にたどり着く その頃には空も白み始め町並みも 朝の呼吸をはじめてそろって散歩の老夫婦や 忙しく犬をひっぱってゆくあるいは ひっぱられてゆく飼い主たちがちらほら やがて早いつとめの人々がちょっと前かがみの早足で 歩道をときどきならして通ってゆく しだいに学生やアパレルっぽい若い女性 道具入れや弁当をたずさえたガテン系のあんちゃん そしていかにもなサラリーマンやOLの姿も増えて 集団登校の黄色い旗も通りすぎてゆく 様々の窓があき様々なドアのノブに触れる手に 朝のひかりがみなぎり運ばれて街はとりどりに 息を吹き込まれてゆく ぼくはそれを眺めていた それは目覚めの時間の毎日違う趣向の断片詩 ときにそれぞれの歌が聴こえそうなほど めまぐるしく表現された世界の色 今日もまたあたらしいキャンバスに はじめての色彩ではじめての構図が塗り重なりはじめる そして僕達はその風景の中に細めの絵筆で描かれる 背景のなかの小さな人影のひとつになる 一日がそっと歩き出してゆく きっとだれかがどこかでねじを巻いているのに ちがいないのだろう ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]生活者のうた/梅昆布茶[2012年10月6日20時04分] いつもMDのラフマニノフは家に帰ると鳴りっぱなしで乾いた道と渇いた人にちょっと疲れた心をなぐさめてくれるのだが。 現実派ではもともと無いのではあるが独りの家計はあらためて可処分所得の少なさをしっかりと認識させてくれる。 銀行口座の引き落とし日にあわせてやりくりする生活にも慣れたがたまにはスナック道の小百合姉さんや茜ちゃんたちと御馬鹿に盛り上がりたいときもある。 機会があったらPAZUのアマチュアライブに詩か音楽でエントリーしてみたい気もする。 給料のかなりの部分が家賃と納税者の義務の遂行に消えてゆく。 鑑別所帰りの加藤君は一人で仕事を始めて彼なりにがんばり中だ。 なつえ嬢は以前からの詐欺男との生活から抜けられないようだ。 売れないユニットのクリスタルチェリーの茜さんもいまだ売れていない。 友人のジェロは肛門におできができて運転できず救急車で病院に運ばれた。 同僚の庄司くんは退社して次の仕事の返事待ちの四人の子持ちだ。 個々の人生は時々交錯はするがその根っこは自分で支えなければならない。 皆人を助けられるほどには裕福ではないのだ。 僕は僕でまだ別世帯ではあるが四人の子持ちの嫁さんの生活に多くを割かなければならない。長女が盲腸で入院しその費用も未払いのままなのだが。 とりあえず僕は生活者であることを自分の身に染み込ませて生きようと思っているしいつも姉にばかり負担をかけるろくでなしの弟ばかりではいられない訳なのだ。 その認識のうえで表現したい伝えたい想いが浮かんだら詩のようなものあるいは時に音楽のあるいは絵画のようなかたちであらわしていきたいとも思っている。 国家は堅実な納税者を歓迎はするが返礼を求められればそそくさと席をはずしてしまうものらしい。 僕は冷蔵庫の残り物でレシピを考えるのが好きになった。 インドアでお金を使わずに現フォの詩を読んだり音楽を聴きながら図書館で借りた新潮選書とか筑摩叢書とかちょっと自分では買えない値段の本で時間を満たすのが上手くなった。 会社を辞めてゆく人の仕事が僕に廻ってくる。 僕は今の仕事を新人に教え引継ぎをする。 部長からは車両の管理をうるさく言われる。 出向先の社員さんたちとたわいないジョークで笑う。 そんな日常の輪郭を感じながら生きてゆく。 その周りにぽっかり浮かんでくるうたがあればそれでいいと思っている。 アイパッドで久しぶりにJackson Browneの歌のコード譜を検索してみる。 FuseとかThe Pritenderとかゆるく適当に弾いて歌ってそんな他人から見ればほとんど意味の無い時間が僕を保っているのかもしれない。 僕は生活者であっても時々蛇の尻尾を持ったり亀の手足で這ってみたりあるいはJackson Browneになってもいいと思っている。 ---------------------------- [自由詩]世界のなまえ/梅昆布茶[2012年10月8日2時42分] 遠い海を思う日 すべての手足が色あせて見えた 博物館に展示された金飾の棺のように 自我という幻が何かを閉じ込めているようだ 風化させるままに人生を問えば その答えもまたかさこそと音をたてる 千日の昼を生きて夜に裏切られる 質問箱はもういっぱいで君の返答を待っている 回答者は列を成して質問という配給を望み 疑問という貨幣はとうに錆びついてわずかに 権力者のレリーフだけがしるしを残す 街路という街路にはひしめきあう流行が すばやく目配せしあって夜に消えてゆく 遠近法の消失点にはただ疑問符だけが風に揺らいでいる 今日もまた素敵なゆで卵をくつくつと音をたてて 疑問符の温度で茹でては見るのだが君は好きだろうか 今月いっぱいって何か約束した気がするのだが 君の顔と約束が思い出せないんだ それはみんな時が奪ってしまった痛みなのかもしれない もう極東は秋だ 無言の海岸線が波にえぐられて空と会話する それを僕達は翻訳できないうただと知るのかもしれない 皮膚に突き刺さったガラスの破片は遠くきらめいて見えるのかい 砂浜にはこころの化石の断片が無数に埋まっているのさ 僕達は本当にこの世界の子供なのだろうか いまだに親の名前も知らずに 僕らはその回答をさがしているのだろうか ---------------------------- (ファイルの終わり)