たま 2015年4月19日10時58分から2021年8月3日8時57分まで ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]あしたのりんご/たま[2015年4月19日10時58分]  テーブルの上に、あした買ってきたりんごを置いてあると言う。  もちろん、そんなもの私には見えない。母だけが見ることのできるりんごだった。  今朝も雨が降っていた。桜の季節はいつも雨に邪魔される。と言っても、花見は好きじゃなかった。久しぶりの休日だし、すべては雨のせいにして春眠を味わう。たまには御褒美がほしい発育不良の大人だったから。  九時すぎに目覚めた。 「かあさん、おはよう」  薄暗いリビングの灯りも点けないで、母は窓辺のテーブルに腰かけていた。 「……圭子、まだいたの?」 「今日は休みなの。ね、ゆうべ言わなかった?」 「ううん、聴かなかったわよ」  頑固なひとは痴呆になりやすいってほんとうだろうか。灯りを点けて母の顔を覗くと、うれしそうに目を細めて言った。 「ねぇ、圭子、今日はいい香りがするでしょう?」 「え、なんの香り?」 「あした買ってきたりんご。甘いわよ、きっと」 「かあさん……そんなのどこで買ってきたの?」 「ほら、あそこ。林果物店……」 「……」  林果物店は私が幼いころにすごした街にあって、果物の好きだった父のために母が通ったお店だった。いまはもうその街を訪ねても林果物店は見つからない。  久しぶりに母と食べるお昼ごはんは、私の遅い朝食になった。雨はもう止んでいる。午後は晴れそうだった。 「ね、かあさん、お買い物に行かない? なにかほしいものあるでしょう」 「んー、そうねぇ」  母はテーブルの上をじっと見つめてしばらく思案していた。 「りんごはもう買ったしねぇ……」 「果物じゃなくて、ほかにあるでしょう? 今夜のおかずとか」  食料はすべて私が用意したけれど、調理は安心して任すことができた。 「さ、行くわよ」  毎日の通勤には欠かせない黄色いラパンの助手席に母を乗せて街中をドライブする。 「ねぇ、かあさん、きのうはなに食べたか覚えてる?」 「ばかだね、おまえ。きのうのことなんかわかんないわよ。あした食べたものなら覚えてるけどさ」  五年前に父を亡くして、母の痴呆はそのころから始まったらしい。と言っても、母の痴呆はあしたと、きのうが、入れ変わっただけ。  ひとはいつもあしたを夢見て生きている。そのあしたの夢が叶って、きのうになるとき、ひとはこの世でいちばん幸せなひとときに巡り会うはず。母はもう一度、父に出会いたいのだ。父と生きたきのうが一巡りして、あしたになると信じているのだろうか。娘の夢見るあしたさえ、まだ来ないというのに。 「ねぇ、圭子。あしたは誰かと会ったのかい?」  信号待ちの交差点で母は唐突に言った。 「え……かあさん、知ってたの?」  七十をすぎた母とふたり暮らしだから、娘の歳は言わなくてもわかるはず。そんな私にようやく彼氏と呼べる男ができて、いつか母に打ち明けようと思っていた。 「ね、かあさん、会ってみる?」  「だれに?」 「私の彼氏……」 「いつ?」 「今日、これからよ」 「……」 「いやなの?」 「んー、きのうなら都合がいいんだけど……あたし」 「また、そんなへんなこと言って。ね、行きましょう」  街中を抜けて海岸通りに出ると、彼が営む喫茶店があった。白い小さなお店は潮風に吹かれて、いつもハミングしていた。どうしても、まっすぐ家に帰りたくなかったあの日、私は初めてこのお店に車を止めた。そして、彼と出会った。 「いらっしゃい!」  満面の笑みを浮かべて彼は、海の見える窓辺のテーブルに母を案内してくれた。 「ね、なにがいい? かあさんの好きなお汁粉もあるわよ」 「……あたしはミルクチィーでいい」  どことなく不機嫌そうだったけど仕方ないかも。お店には彼ひとりしかいない。バイトのひとは帰ったみたいだ。 「ねぇ、あのひとかい?」 「うん、そうよ」 「でも、圭子、あのひともう禿げてるよ。いいのかい?」 「うん、いいの」  私はもう生娘じゃないのに。なんだかおかしくて涙が出そうだった。 「お待たせしました」  アッサムの紅茶と白い小皿にのったアップルパイがテーブルに並んだ。母は紅茶を啜っただけでアップルパイには手をつけなかった。 「ね、かあさん。食べてあげて。これね、彼がつくったアップルパイよ」 「……」  拗ねたこどものような顔をして、アップルパイを見つめていた母は、何を思ったのか小皿を両手に持って鼻を近づけた。 「あらっ、これ……あしたのりんごだわ」  「えっ、ほんとに?」  一瞬、なんだかわけがわからなかったけれど、母はアップルパイをつまんでひと口齧ると、目を細めて笑った。 「うん、おいしい」  テーブルの上のあしたを母はおいしいと言って食べたのだ。カウンターの中の彼に思いっきりウィンクしたら、ほんの少し涙がこぼれてしまった。  初夏の香りに満ちた潮風に運ばれて、私の夢見たあしたが通りすぎて行く。  ね、かあさんもうれしい? ---------------------------- [自由詩]朝の日記 2015夏/たま[2015年9月5日12時22分] 六月の雨が 育ち盛りのスイカをいたずらに誘う でも、今年の梅雨は少々しつこくて 早くも冷夏の予感がした ナスビもトウモロコシも痩せたまま太らない 繁茂するのはスイカのツルと葉っぱばかり それでも虫まかせの受粉は思うように進まなくて ソフトボール大に育ったスイカは たった、ひとつだけ さすがのわたしもこれはマズイと思った スイカ栽培は十年ほどになる 人工授粉はしないでずっと、虫まかせにしてきた それでも多い年には三つとか五つとかとれた スイカのツルに黄色くてちいさな花がつく その花をよくみると雄花と雌花がある 雄花を指でちぎりとって、雌花の柱頭にこすりつける それで受粉は完了 すばらしく簡単なしくみだった 生殖にかかわるしくみは例外なくシンプルだという でも、何かひとつ欠けると成功しないらしい あの夏の日、 わたしの財布には産婦人科の診察券が入っていた 家内と通った産婦人科だった 何かひとつ欠けていたということになるだろう その何かが、 医学によって補われることもあるという 大きくて甘いスイカを育てるためには 人工授粉は必然のしくみだった でも、それをやらないで虫まかせにしたのは わたしの選択であって、誤りではない ひょっとして虫嫌いのスイカだったのかもしれない というか、たぶん 今年は虫が少なかったのだと思う 飛んできたのは虫ではなくて麦わら帽子だったのだ 七月下旬のこと スイカ畑には大玉スイカが六つも育っていた やれやれ、 これで今年は人工授粉の恩恵にあやかれると思った ところが、残念なことに雨が多すぎたのだ 大きくても甘味が足りない やはり、冷夏だった 夏は来ないといけない でも、夏が来ない年もある わたしの人生に夏はいくつあったのだろうか 足りないものはいくつあったのだろうか すばらしく簡単な夏 すばらしく簡単なしくみ 簡単に生きられないわたしは やはり、そんな夏が好きなんだと思う もう二度と帰らない夏たちが懐かしいけれど それでいい また来年、会えたらうれしい 畑はいつか枯れるもの 惜しむものは何ひとつない それがいい すばらしく簡単な人生がいい ---------------------------- [自由詩]山田さん/たま[2015年10月19日11時14分] 地下二階で 小説を書いている と、謂ったのは誰だったかしら すっかり忘れてしまった ね、詩人はどこで詩を書くの? 地上? 地下? 雲の上? あ、そうだ 地の底かしら 小説と謂えども地上の出来事を書くのだから、何も、地下二階で書くことないと思うけど、それは詩も同じだと謂えるはず そうかしら  わたしはもうそんなこと、どうでもよくなったの 地上で書くから薄っぺらくて、誰も認めてくれないとか 地下一階ではまだ浅いとか 地下二階まで降りて書かなきゃあ、小説とは謂えないよとか それで、詩も同じでしょって謂われても それは 違うでしょうって どう違うかは わからないけど だからもう そんなことどうでもいいの 地下二階で 童話は書きたくないでしょう  ね? 私が、わたしに 謂い分けしなければ 新しい 小説も、 詩も、 生まれない きっと悔しいはずなのに それは誰にも謂えなくて 明日になればそんな謂い分けも色褪せてしまうから、幾日も眠って忘れてしまう 今までも  そうしてきた ずっと、そうしてきた 夜が 明けるまで それがもう、できない理由があると謂うならば せめて、このまま 地上で死にたい 地の底の虫たちには喰われたくはない きのう巣立った  鴎の餌になりたい そうしてずっと、遠くまで運ばれたい 海の上を ずっと、 ずっと、 恋も詩も育たない 火山島まで 山田さんに 会いたくて ---------------------------- [自由詩]もんじゅ/たま[2015年11月21日21時27分] 臨界に旅立った母は、すこし痩せたみたいだ もう、帰りたい。という ここには団欒がない。という 距てるものは何もないのに 働きすぎたのだろうか 午後十時二分の、電動歯ブラシは 鏡に映る、 オブジェクトの、 顔の、 わたしの、 位置を、見分けることができない 思い出せなかったのだ どうしても こんなところで、パスワードだなんて 出口はどこにもないの。 ここは非常口なの。と、 綺麗なお姐さんが、わたしのポケットに手をつっこむから あ、そこにはないよ。 こっちだよ。って、 気持ちいい方を指差す、 わたしは 暗い港に 夜明けを訪ねて 遅い舟を 漕ぐ もっと、充電しとけばよかった。 もっと。 今ごろ、母はどのあたりだろうか 塩っ辛い波が 夜の鏡にあふれて わたしの眼をあらう たしかに入力したはず 夢の入口で ヒツジさんを数えて でも、 非常口には、シマウマさんがいたんだ あの縞模様の中に パスワード? そんな気がしたけれど見つからない あ、そうか。 あれはバーコードなんだよ。 だったら、 レジのおばさんを探せばいいんだ それで、おばさんはすぐに見つかったけれど なぜか、 いじわるな魚みたいな顔してたから わたしは、近づけなかった 昨日まで、日本海にいたのだという そんなこと、 聴いてないのに ほんとに、どうかしてるよ ここまで来たのに 夢の中で パスワードだなんて 思い出したら帰してあげる。って、お姐さんが あ、どうしよう。 あ、あ、どうしよう。 もう、帰りたくないかもしれない 母のいない夢の外へ 傘も差さずに 帰るなんて あぶないよ。そんなの あぶないよ。 だから 動かない 動かない もう、動かない パスワード?       なかったんだよ、そんなもの はじめから ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)](ゐ)のひと/たま[2015年11月29日10時54分]  パソコンがなかったら仕事ができない。  年金詩人のわたしは今日もパソコンと睨めっこしている。正確にはマイクロソフトワードがなかったらということになる。その理由は文字を書く労力が半減することで、文章を書く(打つ)ことが好きになるということ。  このわたしのへたくそな字に呆れて、イメージが続かなくて、書き直しばかりで前に進まないという苦労から、開放されるというわけだ。  と云うのは正直にいうと、表向きの理由であって、ほんとうのところは、なんといっても漢字変換だろう。  もともと、読むことはできても書けない人間だったから、漢字を書く苦労って、とんでもない障害だったのだ。その障害があっさり解消されて、年金詩人の世界は一気に宇宙大になった。  な、なんと、小説まで書けるのだから。  それで、年金詩人は優雅に暮らしているかというとそうでもない。ときどき、ワードの深い落とし穴に嵌まってもがいている。たとえば、現フォはハンドルネームの世界なので、とんでもないハンネに遭遇することがある。  啜ねゐこさんもそのおひとりだ。まったく読めなかった。読めないということは書け(打て)ないとうことになる。啜さんの作品にコメントを書くにあたって、え? という感じでなんぎするのだ。  ワードの漢字変換は単漢字が基本だろうと思うけど、たとえば(い)の単漢字は非常に多い。その中に、啜さんの(ゐ)もあるわけで、それにたどり着くのに5分あまりかかってしまった。(たま)なんてハンネはいかに優しいかというのがよくわかる。漢字変換にはひらがなも数字もすべてが含まれるということだ。  それで、そんなことで、ときどきは苦労するけど、パソコンがあれば年金詩人はすこぶるご機嫌である。  ことしも残りひと月あまり、ふりかえればけっこう書いている。詩、エッセイ、小説、雑記、手紙、日記・・・何ひとつとしてまともなものはないし、小説なんかは文学賞に応募するけど、軒並み落とされたりして、でも、軒並みということはそれだけたくさん書いたということだから、わたしとしては、さあ、どうなんでしょうか。  え? 何それ?  まあ、買わなきゃあ当たらない宝くじとおなじだと思うのです。書いて応募しなきゃあ当たらないのだ。  ちなみにどんなところに応募しているかというと、「群像文学新人賞」「埼玉文学賞(小説部門)」「第一回藤本義一文学賞」「日産 童話と絵本のグランプリ」・・・いや、いや、いや、手当たり次第ということですね。  正直いうと恥ずかしいのです。公募ガイドを見たら、つい書きたくなっちゃって、もちろん賞金目当てなんだけど。三十枚書いて三十万、なんてのがあったら半月で書けちゃうから。視力ばかりが低下するのだ。ほんと、年金詩人の弱みにつけこむ公募って、罪だと思う。  そう、そう。問題はそこなんだ。  浅ましい年金詩人は嫌だなあって思うけど、毎日パートで稼いでも月九万あったらいいほうだし、地方の時給は安いし、なんかほかに手っ取り早いものはないかしらって、考えたら、そうだこの手があったのだなんて、だから年金詩人は、我が国の出版業界に大いに寄与していると思う。  まあ、それでも、死ぬときはひとりだし、家内を誘って死ぬわけにもいかないから、老後の足しになればと、がんばって書いてるけど、家内も犬も相手にしてくれない。もちろん、それでかまわないけど。  小説を書き始めたのは定年退職間際でした。六十歳を目の前にして、二十代の忘れ物を思い出したというか、後片付けしなきゃあというか、それにしてもまだ三十年は生きるだろうって。じゃあ、後片付けだけなら一年あったら十分だし、残りの二十九年はどうするのよ? って。  まず喰わなきゃいけない。喰うためには金がいるのはもちろんだけど、ほら、モチベーションとかゆうやつ、生きるためにもそんなものがいるんだって。それで、三年ほど過ぎちゃったから、残りは二十六年ある。まだ若いな。なんて、あした死んだらどうする。  まあ、それもあるでしょう。あしたのことはわからない。家内と犬一匹残して死んじゃうのもいいではないか。そんなことよりも、年金使い切って死ねなかったら、それこそ悔いが残る。だから、公募ガイドは手放せないのだ。モチベーションって、そのためなんだよ。  そうだ、詩の話もしなきゃいけない。現フォなんだからね。(し)の単漢字もけっこう多い。その中に(詩)があるのだけど、さすがにわたしのパソコンは一発で変換する。(詩を書き始めたのは三十歳のときだから)もう三十数年も詩を書き続けているけど、ワープロ、パソコンを手にしたのは二十年ほど前になるから、器用に生きたといえるかもしれない。  わたしの世代はちょっとややこしくて、世間でいう団塊世代でもない。昭和二十七年生まれというと、その世代から三年は外れている。その三年が微妙というか、年金をまともに貰えなくなった世代というか、兄貴たちを見送るために生まれてきた、出来のいい弟(もしくは出来の悪い弟)だったのかもしれない。その兄貴たちは捨てるほどいる。でも、わたしの弟たちは数少ない。おまえらだいじょうぶか? って、すごく心配になるけど、年金は残したくない。  うん。  あ、そうだ、詩の話だったっけ? でも、もう、そんなのやめとこう。年金詩人はこの季節の落葉みたいに掃いて捨てるほどいる。どんなに辛い状況であったとしても、生まれてくる詩は希望のことばであるはずだ。わたしはそう信じている。丸裸の欅の枝を見上げて、ひとつでもいい、そこに芽があったら、わたしは生きてゆける。  がんばれよ、おまえ。春までそこにしがみついてろよ。枯れたら死んじゃうぞ。  そうだよ、来年はきっと、いいことがある。  きみのパソコンにもね。 ---------------------------- [自由詩]オルガン/たま[2015年12月8日22時24分] 落ちては掃く 落ち葉の 落としては掃く 落ち葉の だれでもない わたし 日暮れの 空の 落とされては掃く 落ち葉の だれでもない わたし だれかが どこかで オルガンを弾いている 眠い空の 乾いた星の 教室の 色づいた四分音符 落ちてくるのは このわたし 掃いては捨てる このわたし だれかが どこかで オルガンを弾いている 十二月の だれでもない わたしの 色づいた日々を 掃いては捨てる ふるちんになりたくて ---------------------------- [自由詩]宇々のひと/たま[2016年2月17日20時24分] 藁葺きの小屋であれ コンクリートのビルであれ その四隅にはたぶん、 柱がある その柱の向こうは、果てがなくて やがてどこまでも丸い大地を離れ、成層圏をぬけだして 宇宙という名の空間をゆくことになる しかし、 宇宙にも果てがあるはずだから その宇宙の四隅にもたぶん、 柱があって その柱の向こうには 宇宙ではなくて 宇々という名の空間がある たぶん、 あるはずだ 宇々という名はわたしが名付けた そもそも、 宇宙という空間を、支える空間がなければ わたしは納得できない だから、 宇々という空間を創造し、 そのなかに宇宙をおいてみるとすっきり納得できるのだ と、いっても この宇々な話は、宇宙の誕生以前にむすびつくから 宇々は、宇宙が誕生するまえから そこに、存在していたことになる で、なければ、 佐藤勝彦先生のインフレーション理論にある 真空のエネルギーは、存在しないことになる そもそも、 ビッグ・バンを生み出した、真空のエネルギーの 真空とは、どこにあって その真空の存在を支えたものは、なんであったのか となると、 宇々という空間、もしくは、宇々という世界のなかに 真空が生まれたとみるべきだろう だから、 ビッグ・バン以後の宇宙が 一三八億光年の広さに膨張した いまも、 宇宙は、 宇々のなかにあるということだ 宇宙は生の世界である さまざまな生命体に満ち溢れている とすれば、 宇々は死の世界といえるだろう 生が先ではなく 死が先にあったのだ 光速に乗って移動する生命体が不死といえるのか ジョージ・ガモフの 不思議の国のトムキンスを、読むまでもない 相対性理論の、浦島効果には 納得できないものがある たとえ、 光速で移動したとしても わたしの肉体は老化するだろうし 百億光年を生きたとしても 宇宙の果てには 宇々の世界が待ち受けている 生が先ではなく 死が先にあったことを アイシュタインは予知したはずだ だから、 怖くはない わたしたちは 宇々に、 帰るだけだ ---------------------------- [自由詩]第九惑星 2016/たま[2016年2月25日20時59分] 知的だね、と呼ばれてみたい宇宙人明日来るかもBOSS買いに 母ひとり、具だくさん 猫の手の嘘つき 周りますとも公転周期二万年意固地すぎますプラネットナイン 破瓜を超えても月ひとつ ホンモノの川柳が読みたい伊藤さん アホウドリ数えても海は眠らず 往路があるとも知らず破瓜の路ゆく 会いたい人に会いたい昼下がり無印良品名も知らぬ人 父ひとり、寝袋 犬のしっぽの嘘つき 雪の峠轍消えてイタチ 雨の峠轍消えてカエル おさむくんの漢字三画まで 一ねん二くみ小川おさむ 祝杯の神を訊ねてしめすへん口を開けて立つ女は卑弥呼 テレビもラジオも百光年は届くという寂しくはないさ第九惑星 惑星の轍刻んで太陽系 僕ひとり、蚊取り線香 アイシュタインの嘘つき ---------------------------- [自由詩]七月の忘れ物/たま[2016年7月24日13時08分] ベランダを覆いつくすケヤキの枝に キジバトの巣がある 朝六時 キジバトの鳴き声で眼が醒める ジュウイチジニキテクダサイ ジュウイチジニキテクダサイ 十一時に? どこへ? 夢の出口で キジバトはたしかにそういった 梅雨が空けた 雨はもう降らない 乾ききった十一時の畑に立って わたしは如雨露を探しつづけている たっぷり六リットルの井戸水を呑みこんだ如雨露を わたしはどこかに置き忘れたのだ くったり萎れてしまったサツマイモやスイカの蔓を手繰り寄せて わたしは如雨露の行方を模索する 産卵の翌日 キジバトのオスは巣に突っ立ったまま たった一個の卵を抱こうとはしなかった どうしたの? 死んじゃうよ その卵 雨の日も 途方に暮れた顔をして 抱こうとはしなかった 忘れることは生きることだという 忘れなければ生きることはできないということだろうか それとも 忘れなければ死ぬこともできないということだろうか 三日目の朝 キジバトはようやく卵を抱き始めた だいじょうぶ? 無事に生まれるの? 雨はもう降らないけど 午前十一時の夏日の下で わたしは生きて忘れ物を探している いつものように 井戸水を如雨露に注いだのはいつの日だったか 早く見つけなければ わたしの野菜たちが死んでしまう 手繰り寄せた蔓の先に まっ黒に日焼けしたスイカがあった 六リットルの井戸水を呑みこんでずしりと重い ああ、おまえだったのか 忘れ物は姿かたちを変えて 十一時の畑で わたしを探していたのだろうか 二週間後 ヒナは無事に誕生した ---------------------------- [自由詩]八月のさようなら/たま[2016年8月6日20時20分] どこから、どこまでが いのちなのか そんなの、訊ねられても わかんないよね ましてや、人生なんて いつから、どこまでだなんて 微妙だからさ わかんないよね 考えるのもアホらしくって きっと、ほら まっ最中ってやつだよ いのちも 人生も いまがまっ最中なんだ それだけのこと きっと それだけのことなんだと思うよ だからさ 生きなよ それしかないよ いまはね 前をみても 後ろをみても いましかないんだから くやしい? うん。おれもだよ だからさ 生きなよ 覚えててやるからさ きみのこと いつまでも どこまでも 忘れたら おれが死ぬときだよ それが いのちかもしれないね だからさ 覚えててやるよ きみのこと ---------------------------- [自由詩]火の山峠 2016/たま[2016年9月11日20時25分] 次郎さんの家は、火の山峠へとつづく 坂道の途中にあって、そのちいさな車 は、登るときも下るときも、まるで不 機嫌な家畜のように、激しく四肢を踏 み鳴らすのだった。 直径八キロ余りの島の真ん中に、レコ ード盤の穴のような火口があって、ア ップダウンの勾配と、ゆるいカーブの つづく海辺の道は、この島の輪郭をほ ぼ正確に描いていた。次郎さんの案内 で半日かけて右回りに島を一周したあ と、翌日は左回りに半周して、そこか ら先は、右も左も同じであることに気 づく。さらにこの島には海のある方向 と山のある方向しかなくて、西も東も 見つからない不安を抱くことになる。 東京から一八〇キロ。かめりあ丸に乗 船して三宅島の次郎さんを訪ねた。団 魂世代の次郎さんが、たったひとりで 三宅島に移住したのは五年前のこと。 「山と海しかないとこだからね」でも、 山も海も、ひとつずつしかなくて、雄 山と呼ばれるその山は二十年に一度噴 火するという。 五日目の朝、火の山峠へとつづく林道 を次郎さんと歩く。平成十二年の噴火 で、白い骨と化したシダジイの原生林 が、皐月の空に蘇る。幾多の罪人がこ の峠を越えただろうか。右も左も、西 も東もなくて、さらに、今日という日 も、明日も見つからないとしたら、そ の昔、この島にひとが流された理由も わかる気がする。きっと、わたしは流 されたのだ。戦争を知らない時代に生 きて、償うすべのない罪を重ねて、わ たしというささやかな流罪人の、残さ れた明日と、わずかな希望を、この手 に授かるために。 「あした帰るの?たぶん、飛行機は飛 ばないよ」明日も西の風が吹くという。 次郎さんはもうすっかり島のひと。火 の山峠の展望台を過ぎて林道を下る。 人恋しげなカーブ・ミラーの前に立っ て、ふたりの記念写真はカーブ・ミラ ーの瞳の中に。次郎さん、ありがとう。 三池港の桟橋に向う日、そのちいさな 車は、物静かな牛のように坂道を下る のだった。     ---------------------------- [自由詩]ことばを灯す/たま[2016年12月11日15時59分] 十二月、空はひくい。 落ち葉の季節も過ぎた。 竹箒を立てたようなケヤキの並木がつづく国道。 鳥の巣が傾いたまま、 ケヤキの梢にひっかかっている。 いつ落ちてもふしぎではない、そんな気がする。 あれは、不器用なキジバトの巣。 介護ホームの母を訪ねる。 母の部屋の扉の鍵は、十円玉一枚あれば開く。 まるで幼稚園児の隠れ家みたいだった。 北の窓がひとつ、 ベッドがひとつ、 洗面台がひとつ、 テレビと、簡易トイレと、 車椅子がひとつ、 室温二十一度のエアコンと、 天井のあかりがひとつ、消えたまま、 母はひとり、 午後の部屋に横たわる。  みぞれ、ふってるわ。  そうか、さぶいか? 窓のカーテンを開けて、ことばを灯す。  きょうは休みか?  うん、土曜日や。  そうか、きょうは土曜日か。 白い壁には師走のカレンダーが一枚。 火曜日と、金曜日の赤いマルはデイサービスの日。  大きな数字のカレンダーないかなあ。  うん、わかった。 お正月が来ても、母がほしいものはそれひとつ。 元旦は母の誕生日だった。  八十四になるんやなあ。  だれや、わたいか?  うん、あんたや。 三十五歳で逝った父の歳を数えているのだろうか。 三人の幼子を抱えて、 母は不器用に生きた。 職と、衣服と、あかりを求めて、 母が架けつづけた、梢の巣は数えきれない。  岐阜のおばあちゃんは産婆さんしてたん?  そうや、満州でな、中国人の村までお産に行ったんや。  引き揚げてくるとき、村の人みんな泣いてなあ。 母とわたしのふるさとはどこにあるのか、 なんて、 想う年頃になったとしても、 そんなことはもう、どうでもいい。 いつ、どこで、年の瀬を迎えても、 母のいる場所が、 わたしのふるさとだった。 ---------------------------- [自由詩]あの日を越えて。/たま[2017年3月12日9時21分] 今日は。 昨日の。 明日ではない。 明日は。 永遠に。 やってこない。 時の果て。 まあるい。 星の。 いのちは。 今日を生きる。 だけ。 あの日を。 越えて。 ---------------------------- [自由詩]朝の日記 2017夏/たま[2017年9月14日15時04分] 八月に入って 夏の子が孵化した 春の子はカラスにやられて しばらく空き家になっていたキジバトの巣 避暑に出かけたカラスがいない間に 夏の子はすくすくと育った キジバトの巣は我が家のケヤキの枝にある 樹齢三十年余りのケヤキの 苗木を植え付けたわたしは六十五になって この夏ようやく長い夏休みを手にした カラスはもういない 思いっきり羽をのばしてどこへでも行ける そう思ったのに 朝夕にベランダに立って夏の子の子守をしている ひと月あれば夏の子は巣立つ このわたしもぼちぼち巣立つ歳になった 親に追われ 自我に追われ 北の亡者のことばに追われしながら生きてきた あとはもう追いかけるばかりの余白が残された とりあえず家事を覚えなければいけない 雨戸の開け閉めと布団干し 洗濯物のあと片付けと風呂洗い 炊事洗濯はちょっと無理かも……まあいいか 九月に入って夏の子はふいにいなくなった あくる朝の枝には子をさがす親がいた 元気に飛び立つそのすがたを見送ったわけでないけれど 夏の子は風に追われ 自我に追われ 晩夏のことばに追われて一気に巣立ったはずだ もう二度と出会えないだろうし 紅い瞳になったら見分けることもできないだろうし でも夏の子は覚えているかもしれない 生まれたままのわたしの瞳の色を 残された余白にちいさく誠実と書く ただそれだけを追いかけて 今日を生きるひとでありたい カラスは、もういない ---------------------------- [自由詩]朝の日記 2018夏/たま[2018年9月7日14時47分] 私の 主語を探している 大風の通り過ぎた日の 夜半の 灯りの絶えた あはれなる街を歩けば たれかそこに居て ついて来ないか、と 私を誘う気がしてならない 夜に旅する 物の怪の その姿を見ることもなく 今生の主語を語ってはいけない それは 私の すこやかな朝に立つ夢 まどろみの夢のつづき 真闇の辻に いのちを運ぶ 物の怪の あれは 主語のない物語 格助詞の 「の」に閉ざされた 私の いのちの物語 だからこうして 今朝も 私の 主語を探している ---------------------------- [自由詩]文体/たま[2018年12月6日10時50分] 文体は作家の生理だという。 なるほどね。 じゃあ、詩人はどうなのか。 詩は文体であって、文体ではない。 詩人のことばは生理そのものだ。 物語ではない。 詩だ。 生身のからだを担保にして詩人は詩を書く。 酷だとおもう。 否定されたらたまらない。 でも、負けないのが詩人だ。 酷を承知している。 七年余り小説を書いてきた。 詩なんていつでも書ける。 と、高を括っていたら、詩が書けなくなった。 生理を見失ったのだ。 詩人の生理を。 こうしてあなたたちの詩を読めば、みんな輝いている。 なんのことはない。 道草しただけだった。 夢はいつか、からだとともに滅ぶ。 詩を担保にして小説を書くことはできない。 いじくり回しただけの文体はわたしのからだだった。 それも生理だとしたら、悔やむことはないだろう。 人間なのだから。 歳とともに生理は変化する。 そういうことなのだ。 ふみのからだ。 それがわたしたちのからだ。 幸を呼ぶ。 負けない詩人のからだ。 祝福しよう。 初雪の舞う空の下で。 ---------------------------- [自由詩]航路/たま[2019年1月9日14時12分] 海は 海でしかなく ひとは ひとでしかないはずなのに 定期船に乗って 航路に出ると なにもかも 忘れ物したみたいで 空っぽになったわたしは 地球ではない地球のどこかへと まっすぐ 流されて行く それが あの日の 約束であったとしても あの日が いつであったのか だれと交わした約束であったのか 思い出そうとする 意思さえも 海は 拒んで わたしだけが 流されて行くかもしれない 航路は でこぼことした 波のうえにあって とてつもなくおおきな 生きものの 背中であったとしても 尋ねようのない不安は 風にちぎれて 海は 海でしかなく わたしは わたしでしかないはずなのに 日が射した水平線に ことばは 生まれて 約束した日の日記とか 忘れ物した日の伝言とかは もういちど 捨てなければいけないみたいな くぐもった声が 聴こえるから それはいやだと拒んでみても いま こうして 意識の片隅で 奪われて行く体温が あなたのものであったことに 気づいて わたしは ようやく 海の正体を知る ---------------------------- [自由詩]ひりひり痛い/たま[2019年2月4日9時58分] ひりひり痛いあなたの詩 きょうもひとつ読みました ズキズキ ズキンズキン ヒリヒリ ピリピリ そんなことばはベトナムにはないという 家族の痛みも 親子の痛みも どこの国へ行ってもおなじはずなのに 日本人はおかしいね ひりひり痛いあなたの詩 ひりひり痛い痛みの上にまたひとつ重ねて ズキズキが ズキンズキンになって ひりひりを忘れるために ズキンズキンが必要みたいに ひりひり痛いうちに ふっと一息 傷口に愛を重ねてくれるひとが必要なのに いつまでも翻訳できない痛みを抱えて ひとり生きて行くのですか だったらもう 思いっきりひとりになればいい なにもかも脱ぎ捨てて ふっと一息 あなた自身の愛を ひりひり痛いあなたの詩 きょうもひとつ読みました ---------------------------- [自由詩]火宅の猫/たま[2019年4月6日9時55分] 姉の家のミィが死んだ 二十年生きて死んだ 遠い町に就職した甥が結婚して離婚して ミィを連れて帰ってきた 甥はまた遠くの町へ行き ミィは姉の家で暮らすことになった ときどき別れた嫁がやってきて 姉の家の居間で ミィと酒を呑んでいた 造り酒屋の娘だったという あれから二十年 ミィが生きた歳月は  姉と甥と別れた嫁の二十年だった ミィ、ありがとう みんな感謝しているよ ミィ、また会おうね ---------------------------- [自由詩]朝の日記 2042夏/たま[2019年4月24日17時20分] 九十歳になった 築五十年の家にしがみついて まだ生きている 妻はもういない  子もいないからもちろん独居老人だ  介護施設には入らない 煙草が吸えないから 死ぬまでこの家にいる 死に方は決めてある 餓死がいい 財産はこの家だけだから欲しい奴にやる 葬式はいらない 適当に焼いてくれ 終活は何度もやったから 家財はもうほとんど残っていない 涼しい廊下に  雌犬が一匹いる 俺より先に死ぬなと言い聞かせているが もう十六歳だから 俺と同い年かふたつ若い 九十歳になれば ひとも犬も同じ 喰うことと 寝ることと 排便 身体が動くうちはいい 動けなくなったら 歩けなくなったら 這うしかない 一日中這いつくばって 生きている 楽しみはパソコン 世間の動きもよくわかる Windows16はテレビみたいなもの ベッドに寝転がって リモコンタブレットをいじる 現代詩フォーラムはもうないけど 似たようなサイトはいくつかある 知らない詩人ばかり 昔の人たちは死んじゃったのかも 戦争があって死んだ若者や 日本から逃げ出した人たちが大勢いた ほんの十年ほどで 日本の人口は半分になった その人口も半分は外国人だ いま国内に政府はない 日本の政府はワシントンにある まあそれは 俺が生まれたときからずっとだから わかりやすくていいけど 昭和平成と生きて令和で死ぬつもりだった 元号のない日本なんて どこの国だかわからない 名のない時代に死ぬなんて この歳まで生きて たったひとつ心残りだけどしかたない ここは日本人居留地だ 築五十年の だから餓死がいい 適当に焼いてくれ 家は外国人にくれてやる 日が射す部屋に ゴムの木を一本残しておく 妻と結婚した年に買った鉢植えだ 部屋中に枝を伸ばして動こうとはしない 部屋の窓をぶち破って 屋根まで伸びている 遠くから見ると大きなゴムの木に見えるだろう 築五十年の 俺の家 もう誰も 俺を動かすことはできない 飛行石なんて アニメーターの嘘だったけど 夢は 嘘じゃなかった ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]たまです。/たま[2019年5月4日10時12分] 五時に目覚めた。 やはり、痛む。 連休前に宮本先生にもらった錠剤は四日分だから、昨日の朝に一錠飲んでなくなってしまった。 五月一日だった。連休のど真ん中だから宮本先生には診てもらえない。 困った。 まだ、痛む。 朝食をとって、レンといつものコースを散歩する。痛み止めの頓服はまだあるけど、頓服は治療薬とは言えないし、あまり飲みたくはなかった。 それで、ダメ元で検索してみることにした。 /連休中の診療機関 waka…ya…ma……。 救急センターは避けたい。 患者が大勢いるだろうし、この私が急患かというと、急患でもない気がする。それに救急センターで「たまが痛くて……。」なんて恥ずかしくて言えない。私が診てもらいたいのは泌尿器科の先生だけだ。 しかし、そんなこと言っても我慢できる状態ではない。 十分ばかり検索してみると、隣の町の医療センターで、泌尿器科の診察のみ受け付けているみたいだった。 え、ほんとに……? 嘘みたいだなと思いつつ電話してみる。 呼び出し音があって、休館を伝える機械的な案内音声があって、 あ、やっぱし嘘か……。と思ったら、野暮な男の声に切り替わった。 どうやら医療センターの守衛らしい。 泌尿器科の診察を受けたいと伝えると、 「八時半に先生が来ますから、もう一度電話してください。」と言う。 時計を見ると八時五分だった。 「お名前は?」と野暮な男が聴く。 「たまです……。」と答える。 隣の町まで車で三十分ほどかかる。 雨が降り出した。 痛みの発生源は直径一センチ余りの部位だけど、その痛みが臀部に広がって、車の運転は苦痛としか言いようがない。 ジクジクと痛む。 目の前のワイパーの動きがその痛みをさらに助長する。信号で止まる度に尻を浮かせて痛みを放逐するが、そんなこと気休めに過ぎない。 やれやれ……。蒼いため息が出る。 たどり着いた医療センターは真新しくて立派な建物だった。 当たり前だけど、がら空きの駐車場にラパンを止めて、傘はささずに正面玄関に向かう。玄関の左手に守衛室があった。 「あの、たまです。」と名を告げる。 「あ、たまさんですね。中へどうぞ。」 守衛さんはふたりいた。ふたりとも六十は過ぎているだろうか。私と同世代かもしれない。 八時半過ぎにもう一度電話して、看護師に症状は伝えていたが、診察の受付はまだ済んでいない。その受付をどうやら守衛室の窓口でやるみたいだった。 医療センターは休館日だから、普段の受付カウンターは閉ざされてひっそりしている。 守衛さんに保険証を渡す。 狭い守衛室のディスクトップパソコンに向かって、背の高い守衛さんが慣れない手つきで苦戦している。私の名前が変換できないらしい。 「須磨海岸の須です……。」と助け舟を出すが、余計なお世話だったかもしれない。 「ああ、あった、あった……。」 こんな日の守衛さんもたいへんだ。 ちなみに、たまの漢字表記は、霊魂(たま)と決めてある。 驚いたことに守衛さんが四苦八苦して、私の診察券を発行してくれたのだった。 あ、申し訳ない……。と心から感謝するしかなかった。 雨の日の暗い廊下に灯りはなく、泌尿器科の診察室まで、背の低い守衛さんが案内してくれる。 総合病院と比べたら規模は小さいが、それでも診療科はほとんど揃っているのに、今日は泌尿器科だけが診察を受け付けているのだ。 あとで知ったことだけど、明日は内科の診療日で、明後日は耳鼻科だという。十連休に対応するためにそうなったのだろうけど、守衛さんにはとんでもない連休になる。 泌尿器科の診察室はふたつあって、診察室の前の廊下に椅子が並んで、ふたりというか、二組の患者が腰かけていた。地元の人だろうか。診察室のドアが開いて担架で運ばれる老婦人もいて、やはり急患ばかりなのだろう。緊迫した空気が流れている。 私は尻が痛くて、椅子に座れないから立って待っていたら、 椅子で待つ二組が呼ばれる前に私の名が呼ばれた。どうやら電話で受け付けた順番らしい。ということは、もう一度守衛さんに感謝するしかない。 白衣の先生は無精髭が似合う若い男だった。 かなり男前だ。テレビドラマで売り出し中の若手俳優みたいで、少なからずオーラを感じさせる。 「どうされました?」とその俳優が聴く。 「あ、はい。ちょっと、たまが……。」 患者役の私は口ごもりながら、手短に症状を伝えると、宮本先生とこでもらった薬袋を見せて、これと同じ薬が欲しいと伝える。 すると、看護師が部屋にある診察ベッドに横になれという。やはり、先生にたまを見せなければ薬はもらえないのだろう。ジャージのズボンを下ろして、先生にたまを診てもらう。 左側が痛む。 薄いゴム手袋をした先生が、たまを摘まんで、 「痛いですか?」と聴く。 「たまは痛くないけど、たまの下が痛いんです。」と私は曖昧に答える。 「小さいですね。」と先生が言う。 私のたまは左側が小さくて、右はふつうに大きい。原因はよくわからないが、三十歳の頃におたふく風邪にかかって、左側がパンパンに腫れて、高熱でカサカサになったふぐりの皮が二枚も剥がれ落ちた。左が小さい原因があるとしたらそれしか思い浮かばない。 十年ほど前に宮本先生に指摘されて私は初めて気づいたのだ。 でも、痛む原因はそれではないような気がする。たぶん、まだ若いこの先生にもわからないはずだから、私もそれについてはどうでもよくて、とにかく薬がほしい。 診察は十五分ほどで終わった。一週間分の薬をもらうことになった。 宮本先生とこでもらった薬がなくて、それに似たような抗生物質だった。 再び守衛室に戻って、診察が終わったことを伝えると、今日は休館日なので会計ができないから支払いは後日ということになった。 支払いを約束する念書に一筆サインしたが、日付欄は平成と印刷されたままだから、平成31年5月1日と書き込むと、守衛さんが「あ、それや……」と言って困った顔をする。 令和1年5月1日と、しなければいけないのだ。 「あとで訂正しときますから。」 「あ、すみません。」 医療センターを出る前にオシッコがしたかった。 「あの、トイレへ行きたいんですけど。」 「こちらです。」 なんと親切な守衛さんだ。トイレまで案内してくれるなんて、と思ったら、背の低い守衛さんは、私と並んでオシッコをするのだった。 男はどうしても前立腺の病いに悩まされる。 前立腺は精液の精錬所みたいなとこで、これがなかったら男は子孫を残せない。 前立腺肥大とか、前立腺炎症とか、症状はいくつかあるが最悪は前立腺癌だろう。八十過ぎてからの癌であればショックも少ないが、四十、五十代だとかなりショックを受けることになる。 昨年、文芸誌「群像」に、四元康祐の前立腺癌闘病記「前立腺歌日記」が掲載された。「群像」は私の愛読書なのでその連作はきっちり読んでいた。 四元はドイツ在住の詩人だから、その闘病記の舞台もドイツになる。現地で前立腺癌の摘出手術を受けたのだ。 小説としてのその闘病記はあまり高い評価は受けていない。私の感想も、詩人が小説を書けばこうなるだろうという程度だった。しかし、興味深い小説であることは間違いなかった。 場所がドイツとはいえ、前立腺癌の治療について事細かく書き綴ってある。それは日本であっても同じことだろう。 前立腺を失った詩人の姿は、私にとって他人事ではない。いつか私も失うかもしれないし、その確率はかなり高い。 私の場合、もう二十年ほど前から漢方薬を服用しているし、宮本先生に勧められて年に一度血液検査も受けている。前立腺癌は血液検査で簡単に見つけることができるらしい。つまり早期発見につながる。 そんなわけで、今日はもう五月四日。 嘘みたいな医療センターの先生と、親切な守衛さんに助けられて、薬を手に入れた私のたまは、少し回復したみたいだ。 令和元年の祝福の日に、私はたまの痛みをこらえて隣の町まで走った。 私にとっての、令和という時代が始まったのだという、ちょっぴり苦い想いが、切実に込み上げてくる令和の幕開けだった。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]オカリナを吹く/たま[2019年7月11日10時40分] 気まぐれにオカリナを吹く 郊外にある運転免許証センターの駐車場で これが最後だという妻の免許更新の日だった ペーパードライバーの妻は 当然、無事故無違反だから 更新は二時間ほどで終わる 薄曇りの駐車場に止めたラパンの運転席で待つわたしは オカリナを吹く 今日の練習曲は 「コンドルは飛んで行く」と 「マイ・フェバリット・シンクス」の二曲 「コンドルは飛んで行く」はオカリナの定番だけど まともに練習したことがなかったから 気を入れ直して丁寧に譜面を読むことにした 「マイ・フェバリット・シンクス」は 二十歳の頃に聴いたコルトレーンの名演が忘れられなくて コルトレーンを真似して吹いてみたかったのだが 練習用の譜面は村地佳織のギター譜を用意した 村地佳織の奏でる主旋律とアドリブ譜を参考に コルトレーンのあの鳥肌の立つアドリブに 一歩でも近づきたいという魂胆だが オカリナでそれをやるのは無謀というものか まあ、それもいい 音楽は憧れから始まるのだから いつまでも追いかけていたいのだ あと何年、車の運転ができるだろうか 妻もわたしももうそんな歳になった できることであれば生涯免許証は持っていたい もちろん、そのための心構えは必要だ ギターを弾いたり オカリナを吹いたり すべてはわたしの希望する人生を生き抜くための訓練に過ぎない 加齢とともに 追いかけるものたちはますます速度を上げて わたしのラパンはもう追いつけないだろう でも、それを承知で 気まぐれにオカリナを吹くのだ ささやかな わたしの人生を更新するために ---------------------------- [自由詩]光を嗅ぐ/たま[2019年12月9日15時30分] 冬の入口で RENの骨を拾った 十六年のいのちだった 夏毛のまま 逝ってしまったRENの 体温が残るこの手が淋しくて 白い子犬を抱いた DANSKE、と名付けた も吉と歩いたあの道を RENと歩いたあの道を もういちど DANSKEと歩くつもりだ でも、これが最後の道だよ――。 そう言って 北の亡者は笑うだろうか まったく、懲りない男だ いつもの公園の 朱色した桜葉の 幾重にも塗りつぶされた歓びと悲しみを 白い子犬は踏みしめて 芯まで冷えた 光を嗅ぐ DANSKE、これが冬なんだよ――。 北の亡者の声を真似て 懲りない男はそう言うのだ できることであれば いや、 どうしても、生きなければいけない 残された時間がどうであれ 朱赤に染まるまで 生きなければいけない 冬の光を嗅ぐ者だけが 幾重にも染め上げられた枯れ衣を この空に 解き放つことができる それができないわたしには この子のいのちが必要なのだ 色づき始めた人生の すべてを解き放つために DANSKEと歩く 残り僅かな、冬が必要なのだ ---------------------------- [自由詩]散歩/たま[2020年2月29日10時12分] 今日のぼくは 地獄に居るみたいだよ でも、 地獄ってのが、天国の手前にあるとしたら ちょっぴり希望が沸くよね 問題は、 地図がないってことだろ? だからさ、 散歩みたいなものだよ 人生って ねえ、 きみはどうおもう? そんなのは地獄じゃないよ! って キレるかな? キレてもいいけど ぼくも地獄に居るからさ どう? 一緒に散歩しないか ---------------------------- [自由詩]終の犬 1。/たま[2020年11月6日18時10分] 彼は。男の子だった。 十一月も残り少ないある日。ペットショップの。ゲージの中で。 怠惰な昼寝をしていた。彼は。失業中の。Kと。眼が合った。彼 は。生後四ヶ月の。赤札の付いた売れ残りだった。が。どことな く厭世的な。幼い眼は。なにひとつ媚びることなく。Kを。無視 した。たまたま。Kは。白い犬を求めていた。Kの。視線が。彼 を。捉えたのは。彼が。白い犬だったからだ。 あくる日。Kの。家に同居した。彼は。虫ピンみたいな。とんが った乳歯で。なんでもかんでも噛みつくのだった。が。とりあえ ず。それが。彼の。仕事だった。Kも。とりあえず。彼に。名を 付けた。それが飼い主である。Kの。仕事だったからだ。彼の名 は。DANSKE。横文字で書けばドイツ語になるが。漢字で書 くと。団助。だった。真新しいモップのような。毛の長い犬だっ たが。事実。彼は。リビングの床を。舐めまくった。ひもじかっ たのだ。口に入るものは。なんでも食べた。スコットランド人は。 いつもひもじいのだろうか。いや。そんなことはない。スコット ランドで。生まれた。彼が。いつもひもじいのだ。まだ。満腹感 というものを。知らなかった。 彼の。犬種としての名は。ウエストハイランド・ホワイトテリア。 愛称は。ウェスティ。成犬の体重は七キロ前後。犬種としての寿 命は十三年余り。けっして長寿とはいえない。Kに。とっては。 三頭目の犬になるが。先々代は。十五年。先代は。十六年生きて。 つい先月。他界したばかりだった。彼が。額面通り十三年生きた としたら。Kは。八十歳になる。仕事を持たない。Kは。出不精 の年金詩人だったから。彼とは。丸一日。顔を突き合わせること になる。が。そうなると。彼と。Kの。主従関係は。あってない ようなものになる。気が。する。 ところで。ドイツに。HOLGER・DANSKEという。銘柄 の煙草がある。いや。あった。彼が。Kの。家に同居したころ。 Kは。その煙草を愛飲していた。彼が。男の子だったので。Kは。 DANSKE。という名を。思いついたのだった。が。何事も。 自ら決めたことを守らない性格の。Kは。いつも。彼を。DAN。 と。呼んだ。彼が。同居して。一月が経たぬうちに。Kの。家の。 カーペット二枚と。座椅子と。スリッパ二足と。Kの。カーディ ガンが。ボロボロになった。そのついでに。彼は。Kと。Kの妻 の。手足を傷だらけにした。 「ちょっと待て。話しが違う。こいつは詩人の犬ではない……」 と。Kは。途方に暮れるのだった。が。彼に。とっては。詩人の 犬になるつもりは。全然。なかったのだ。ただひたすらに。彼は。 自己を主張し。Kは。そんな。彼の。幼い気持ちが読めなかった。 のだ。畑仕事を終えた午後。Kの。膝の上で眠る。彼は。Kの。 右手の親指を咥えたまま。離そうとはしなかった。深夜。寝床に つくと。Kは。夜具の中に。彼の。臭いを嗅ぐのだった。が。ひ ょっとして。それは。自分の体臭ではないか。と。まどろむ夢の 入口で。考え込むのだった。                   ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]146号編集後記/たま[2020年12月1日13時05分]  世の中は日々変化します。  私が長年愛用してきたガラケー(ガラパゴス化したケイタイ電話)も、 あと二年ほどで使えなくなるそうです。それで、「早く買い換えてくだ さい」という催促が、ケイタイ会社からしょっちゅうやって来て、仕方 なくというか、ようやく、私もスマホに買い換えることにしました。  ケイタイもスマホも、買い換えるとなると当然のこと、少なからず出 費が伴いますが、私の歳になると、あれやこれやと特典(割引)がつい てきて、なんと0円で、お気に入りのスマホを手に入れることができま した。と、そこまではラッキーというか、すこぶる上機嫌でした。残り 物には福があるというか。ところが、いざスマホを手にしてみると、さ っぱり使い方がわからないのです。  購入したスマホが、お年寄り向けの「簡単スマホ」ではなく、アップ ルの「iPhone」でしたから尚更のこと、わりません。予備知識なんて一 切ない状態での買い換えだったです。というのは、自宅のプリンターの インクを買うつもりで、ケーズデンキに立ち寄ったら、そこに0円の、 「iPhone」があったものだから、その場で購入してしまった結果、心の 準備ができていなかったというわけです。  最近はあまり聴かなくなりましたが、「年寄りの冷や水」という諺が あります。私のスマホはまさしくそれだったのですが、そう思うと実に 恥ずかしいというか、阿呆なことをしたと反省するしかありません。そ れで、しばらく落ち込んでいたのですが、意外なところに救世主が隠れ ていたのです。  それはスマホの音声でした。最近の私はずいぶん耳が遠く、ケイタイ の声がほとんど聴こえなくて、一月前に補聴器を購入したばかりでした。 補聴器は片耳で十万円もしますが、それでも一番安価なものです。それ でケイタイの声も少しは聴き取りやすくなったと、安堵していた矢先に スマホを購入したのですが、なんと、スマホだったら補聴器がなくても、 実によく聴こえるのです。  私はようやく気づくことになります。長年愛用したガラケーが劣化し て、最大ボリュームに設定していた音声が、小さくなっていたのです。 もちろん、スマホの音質も素晴らしいのだと思います。スマホを手にし た若者を見ますと、耳から遠く離して通話しています。私はあれが不思 議で仕方なかったのですが、すっかり納得できました。そんなわけで、 せっかく買った補聴器は出番がなく、妻の愚痴ばかりを聴いています。  さて、今年も暮れようとしていますが、私の半生に特筆すべき年とな りました。コロナ過の真最中だった五月に母が逝き、さらに七月に叔母 が、九月に叔父が、相次いで逝ってしまいます。母は九十歳でした。  世の中の変化も、私たちが日々年を重ねることも、眼には見えないも のです。その見えないものに気づいたとき、ひとは年を重ねます。ひと は明日を知らず生きるものです。時代の先端を行くスマホを手にしたか らといって、明日が見えるわけではありませんが、ほんの少し、心強い 気がして、スマホを学ぶ私がいます。  今号も長い編集後記になりましたが、同人の皆さまからの「エッセイ」 をお待ちしております。表3のスペースに掲載しますので、どうか遠慮 なく投稿してください。  では、年の瀬の皆さまのご健康と、ご多幸を祈念して筆を置きます。  どうかお元気で。                                          (た) ---------------------------- [自由詩]終の犬 2。/たま[2021年6月15日9時54分] 今日という日を。ひとは見ることができない。 今日という日が。とおい過去になるまで。今日という日は。 見えないのだ。積み重ねた。今日と。昨日の。狭間には。 年輪のような行間が生まれる。が。行間を読まなくなった。 日本人は。それさえも。読まなくなるのだろうか。今日も。 昨日も。見えなくなって。その先にあるのは。亡国。とい う名の。未来だけだとしたら。君は。悔しくはないか。 小春日和の午後。生後八ヶ月の。彼を。抱っこして。Kは。 体重計に乗る。足下の数字は。57キロ。Kの。体重は5 2・5キロだから。彼は。まだ5キロに満たない。ひどい 下痢が続いたのだ。なにを食べても下痢が止まらない。薬 も効かなかった。開業したばかりの。若い獣医は。アレル ギー性消化器疾患かもしれないから。と。ドクターケアの 高価な。ドッグフードを勧めた。Kは。半信半疑で。その ドッグフードを。彼に。与える。と。下痢はピタリと止ん だ。ドッグフードの主成分は。カンガルーの肉と。オーツ だった。 一袋3キロ入り。税込みで六千円余りの。カンガルーは。 毎月一袋では足りなかった。年金詩人の。Kに。とって。 それは痛いというか。想定外の出費だった。が。想定外 の痛い出費は。それで終わらなかった。彼の。下痢が止 んで。ひと息ついたころ。彼の。お腹や。手足が。赤く。 染まり始めた。 この子。アトピーです。と。若い獣医は。こともなげに 宣告した。アレルギー性皮膚疾患だった。のだ。Kが。 たまに眼科でもらう目薬のような。小さな容器に入った。 その塗り薬は。ひとつ。二千二百円。さすがによく効く 塗り薬だった。が。塗ったからといって。アトピーは。 完治するものでもなく。その塗り薬は。彼の。常備薬に なった。毎月。ひとつでは足りなかった。想定外の出費 が嵩んで。さすがに困り果てた。Kは。アルバイトを探 すことにした。が。六十八才になった。Kの。週三日。 一日三時間。という。都合の良い職場は。当然のこと。 見つからなかった。それで。Kは。コロナ対策として。 政府が支給した。特別定額給付金を貯金して。彼の。当 面の養育費にした。妻には。拒否された。が。五月に他 界した。母の十万円と。Kの。分を。合わせて二十万円。 なんとなく気まずさはあったが。コロナ禍が。彼と。K の。ピンチを救ったのだった。 夏の盛り。彼は。満一歳になった。が。地球がおかしい。 オーストラリアの山火事で。カンガルーがたくさん死ん だ。らしい。彼の。ドッグフードが。販売中止になった 。それで。Kは。もひとつ高価なドッグフードを。与え ることになった。が。ずしりと重くなった。彼を。抱っ こして体重を計る。と。足下の数字は。57キロのまま だった。それはつまり。彼が。太って。Kが。痩せたと いうこと。Kの。体重は51・5キロだった。が。二十 歳のころの。Kに。戻っただけで。なにひとつ問題はな く。あるとすれば。一日四回の。彼の。散歩だった。 一日が。彼と。ともに暮れた。それが。Kの。今日とい う日だった。が。彼と。Kの。今日という日は。見るこ とができた。Kは。彼と。ともに。とおい過去であるか もしれない。今日という日を。生きているのだ。と。思 った。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]147号編集後記/たま[2021年6月21日13時30分]  毎年、三月末になると拙宅の「書斎開き」をします。  南窓のある二階の書斎は、陽当たりが良くて、冬場は観葉 植物や、屋外では越冬できない植木鉢(ハイビスカスなど) の越冬地となります。二畳半ほどの板間の床や、机上を彼ら に占領されて、書斎には立ち入ることができません。もっと も書斎にはエアコンがありませんから、冬場は寒くて、使い ものにならないのですが。  今年の三月は温暖化の影響か、記録ずくめの暖かさとなり ました。いつもより早く、書斎の彼らには、元の位置に戻っ てもらって、解放された書斎の机に向かうと、年越しの仕事 (といっても雑用です)が、どっさりあることに気付きます。 もうすぐ四月だというのに、この冬は、いや、この冬も。すっ かり怠けていたのです。  二月に眼鏡を新調しました。十年ぶりです。遠近両用の老 眼鏡ですが、乱視も少し入っています。歳をとると顔が暗く なります。つまり、小皺も増えて皮膚がくすんでくるわけで す。わたしの場合は性格も暗い方なので、余計に顔が暗くな ります。それで、なるべく明るい眼鏡を購入することにして、 馴染みの眼鏡店で二時間ばかりかけて探しました。予算は二 万円です。  ようやく見つけた眼鏡は、半透明の明るいブルーと鼈甲柄 のフレームでした。定価は一万三千円でしたが、レンズを淡 いグリーンに着色したので、一万六千五百円になりました。 それでも、予算内でお気に入りの眼鏡を買うことができて、 私はすこぶるご機嫌です。眼鏡が明るくなって、くすんだ顔 も心もすっかり明るくなりました。  ところが、レンズの度数を少し上げたので、ものはよく見 えるのですが、足下がとても不安定で歩きづらいのです。と てもじゃないが、このままではだめだと思い、また眼鏡店に 行きました。眼鏡を購入して三ヶ月以内であれば、もう一度 レンズの調整をしてもらえるのです。それで、上げた度数を 少し元に戻して、ようやく歩きやすくなったのですが、よく 考えて見ると、レンズそのものは以前の眼鏡と、少しも変わ らない気がするのです。  歳をとると何もかもが、ややこしくなるばかりなのでしょ うか。何ひとつ元に戻ることはないのです。  眼鏡を新調して、どうしても片付けないといけない、年越 しの仕事がありました。その仕事はもう三年も、年を越して いたからです。  三年前のこと、わたしは職場の親しい同僚ふたりと呑み会 をしました。わたしの定年退職(六十五歳の)慰労会だった のですが、その席で、同僚ふたりから「似顔絵」を描いてほ しいと頼まれたのです。わたしが若いころに、漫画を描いて いたことを知っていたからです。わたしとしても、お世話に なった同僚への感謝の気持ちになればと、快く引き受けたの ですが、定年後も雑用の多いわたしは、気にはしつつも筆を 取ることができなかったのです。  数年ぶりに絵筆を手にして、広々とした(といっても二畳 半です)書斎で、同僚ふたりの似顔絵を描きました。パソコ ン相手の仕事(執筆)は肩が凝りますが、悪戦苦闘はしても、 絵筆を持つ仕事はふしぎと肩が凝りません。それはきっと、 わたしの心が、喜んでいるからだと思うのです。それでわた しは気付いたのです。畑仕事は肩が凝りません。ということ は、わたしにとって、絵を描くことも、畑仕事も、心の喜び だったのです。  さて、今年のわたしの詩作は、心の喜びを伴う仕事となる でしょうか。詩作の喜びなんて、もうすっかり失くしていた 気がするのです。それはたぶん、この辺りで、初心に還らな ければいけないという、天の声かもしれません。  三十五年余り所属する『新○魚』に巡り会ったころのわた しの喜びを思い出し、できることであれば、絵筆を持つよう に詩を書きたいなと思うのです。                        (た) ---------------------------- [自由詩]浜辺のひと/たま[2021年7月19日15時07分] 海水浴場でバイトしている 七月の偶数日と 八月の奇数日が出勤日 つまり、各日ってこと 主な仕事は 海水浴場のトイレ掃除と 浜辺のゴミ拾い 朝八時から午後三時まで 三十分仕事して、三十分休憩する というのは シルバー人材センターの仕事だから 無理はできないのだ もう五十年前のこと 高三の夏休みに 海水浴場でバイトしたことがある 住み込みだったから ひと月余り家には帰らなかったが 『COM』の発売日には 二両編成の紅い電車に乗って 街中の書店に行った 九月号の表紙は 和田誠のイラストだったと思う 家には『COM』のバックナンバーが すべて揃っていた 二ヶ月バイトして 稼いだ金は愛犬の養育費になる わたしの年金だけでは アトピーの薬代も ドクターケアの高価な餌代も とうていひねり出せない じつに、涙ぐましい話しだが そうではない 五十年ぶりのバイトを与えてくれた 愛犬に 感謝している けど、 夏はまだ始まったばかりだし 『COM』はもう書店にはないし 浜辺のわたしは 退屈でしかたがない たぶん、 顔ばかりが日焼けしたわたしは 年輪のない 炭になるのだ ---------------------------- [自由詩]一次審査のひと/たま[2021年8月3日8時57分] 昨年のこと とある詩のコンクールの審査を依頼されて はい、はい。と気軽に引き受けた どうせボランティアなんだから 身構えるほどの責任もないだろうし 兎にも角にも 年金詩人は暇だったのだ 七月の下旬 海水浴場のバイトを終えて帰宅すると ズシリと重い レターパックが届いていた え、何これ? 開封すると詩のコンクールの応募作品が ドッサリ出てきた その数、一五三編 バイトの疲れもあって 思わず発熱しそうだった コンクールは 小学生部門、中学高校生部門、一般部門の 三部門だった わたしは 小学生部門の担当になったらしい というのはコロナ禍の影響で 審査に係わる連絡会議は一度もなく すべて事後承諾だったし レターパックに同封されていた 依頼書を読むまでは 審査のやり方さえ知らなかったのだ 一次審査のわたしは 当然のこと 応募作品をすべて読むことになる そうして二〇編の入選候補作を選出し 一〇点満点で採点したあと それぞれの選考理由を書くことになるが 採点については大雑把でいい そもそも、詩の評価を採点方式でやるなんて おかしいではないか いかにもお役所がらみのコンクールだと思うが 問題は、選考理由なのだった バイトを一日休むことにした 各日のバイトだから一日休むと三連休になる しかし、審査は三日で終わらなかった とにかく、 小学生の詩は面白すぎる 大人さえもついてゆけない、シュールな物語や 豊かな発想に支えられた、確かな詩や たどたどしいことばで綴られた 生まれたばかりの詩、と呼べるものなど それらはすべて、詩の宝物なのだと思った それぞれの詩にひそむ それぞれの作者の秘密を読み解くことに わたしは没頭した 小学生部門を担当できたのは幸いであった 字を書くのは苦手だから 二〇編の選考理由をパソコンに打ち込んで プリントしたものを一作ごと採点表に切り貼りして ようやく審査を終える 採点表だけを投函すると 応募作品はわたしの手元に残ることになる 作品には作者名がない 作品だけを読んで審査するのは ほんとうに公平なんだろうかと思う おそらく 審査に漏れた一三三編の作者名を わたしは、永遠に知ることはない どうしても歯がゆい想いがする それが、 一次審査のひとなのだろうか レターパックには 謝金振込依頼書が一通混じっていた なんと 審査料がもらえるのだ 海水浴場の一〇日分もあった ---------------------------- (ファイルの終わり)