桐ヶ谷忍 2013年1月18日21時28分から2019年1月23日8時34分まで ---------------------------- [自由詩]「痛みの記憶」/桐ヶ谷忍[2013年1月18日21時28分] 歯の神経を抜いても たまに何日間か痛みがある事があるという 神経は抜いたのに それは痛みの記憶 抜いた神経の周りの神経が痛みを覚えていて 少しの間痛みを訴え続けるのだという 神経はもう無いのに 車が走る 運転席にはあなた 助手席には誰か座っているだろうか 座っていると良い もし不在で、代わりに 死んだ私が座っていたとして あなたはいつまで私を座らせておくだろう それもまた、痛みの記憶、として あなたはいつまで その痛みを訴え続けるだろう 私はもう居ないのに ---------------------------- [自由詩]「花曇り」/桐ヶ谷忍[2013年6月5日21時53分] あたたかく降り積もった雪の下に埋めた 女になってしまう前の、 何でも言葉に出来ていた少女のわたしを 女になるというのは 自分が一番遠い他人のように感じる生き物に なる事なのだ 女になったわたしは 薄暗いさみだれを落としながら それを拾い上げてくれる誰かを いつも求めていた 呟きでも、言葉に出来るなら救われるのに 落とした思いを重苦しく引きずりながら 歩む道程で出会ったあなたには影があった あなたは光の真下にいた 影の出来ないわたしの空模様を面白がって わたしの背後にあなたはしゃがみこんだ 何の種だろう、と容易く拾い上げて 掌に転がしてわたしに見せてくれた わたしにも分からなかった つないだ手の熱で 自分がどれだけ凍えていたかを知った それもまた、女であるという証だった あなたの真上には青空が わたしの真上には曇天が それでも、つないだその手のあたたかさが あたたかさだけで あなたは幾つもの種をいじったり埋めたり 朽ちた空色の下でも、 花は言葉もなく咲く ---------------------------- [自由詩]「逆光」/桐ヶ谷忍[2013年9月6日7時23分] 餞別のように落ちる薄い黄金色 夕暮れの中、分かれ道で向き合う 明日の約束はしない それは暗黙のうちに行われるもの 実際に小指を絡ませて約束しても 安心には繋がらない また明日 そんな言葉 軽々しく言ってはいけない また会う日までさようなら 正しい挨拶 君は何も言わずただ手を振る それもまた正しい 私の顔が見えていたろうか 君から見て逆光の中で手を振り返した私を 私は笑ってなんかいなかった 君は笑っていた 薄い黄金色の笑みを 明日また 会えるのだろうか 明日もまた今日までのように 蹴り飛ばした石はいつかは確実に止まる 会えなくなる日もいつかは確実に来る もしまた明日があったら 私はまた、逆光の中で手を振るだろう ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]正常というのはつまらない/桐ヶ谷忍[2013年10月15日21時17分] 狂っている時に書けた詩が、書けなくなってきてしまった。 私はそれを、本当はものすごく、惜しんでいる。 正常な人間が書いた詩というものに、私はあまり惹かれない。 どこか狂っていて、病んでいる人が書いたものに惹かれる。 それは懐かしさであり、親近感であり、羨望である。 明日はニュースでいわく「十年に一度」の台風が関東に上陸する確率が高いらしい。 先月三連休最終日にちらっと横切った台風の日、私は手首を切った。 かかりつけの心療内科の先生いわく、台風の日、鬱病患者(私は躁鬱病であるが)は 死にたくなるそうだ。 実際、死亡率も高くなるらしい。 気圧が関係している、と言っていた。 よく分からないが、軽い躁鬱病患者の私は、明日まともに書くことを出来なくなるかもしれないので 今日たまたま書きたい気持ちになっているので、書きたいことを書くことにした。 狂っていた時に書いた詩の中で、自分が一番気に入っているのは「弔い人形」だ。 あの時書けていたものが、今は書けなくなっているということについて、私はそれを惜しんでいる。 あの時は、自分が正常なのか異常なのかなど関心外だった。 ただただひたすら、自分の(異常な)嘆きに身を浸していて、書いても書いても、書くことは尽きなかった。 逆に言うと、自分の抱えている嘆きの大きさを表現することが出来なかった。 あるいは、出来なかった、と思っていた。 別に私の拙作なんかどうでも良いのだ。 正常と異常では異常寄り、という人の書いたものに惹かれるのは、世界の果てが書かれているからだ。 こんな言い方では分からないなら、人間の「きわ」を覗き込んでいる人の内面と言おうか。 それはおよそ健全な詩を読むより、ものすごい訴求力がある。 正常な時には分からない「きわ」を、同じレベルで見ようとしても、なかなか見られるものではない。 それでもその凄まじさ、陰惨さは感じ取れる。 彼岸に身を乗り出している人間の書いたものには、人としての領域を超えようとしているようなものを 感じてしまう。 もちろん、私が狂っていたあの時、自分が人の領域から外れかかっているなどどうでも良かった。 なのに、私はいまや、どこにでもいる軽い躁鬱患者だ。 もうあの「きわ」は覗き込めない。 正常であるということを、ひどくつまらないものに感じてしまう。 嘆きに全身全霊を傾けていたあの頃を、私はその嘆きの大きさゆえか薬の副作用ゆえか、 ほとんど覚えていない。 ただ感覚が少し残っている程度だ。 その僅かな感覚を、私は恐れているし、同時にもう一度深く浸ってみたくもある。 正常寄り、になってしまった、という嘆き。 もうあの狂気を、狂気のまま書けないという悲しみ。 鬼気迫るものが、自分から剥離してしまったという事実は、私を深く傷つける。 それがあった時は、厭うてすらいたのに。 自分が自分であるという苦しさは今もあるけれど。 私は正常だろうか、今、たった今のこの自分はおかしくないだろうか、と常に自身に問い続けている 程度には、私は少しおかしいのだろうが、正常だ、と答えが返ってくるのを私は落胆して聞いている。 こんなこと、おかしかった頃の私を知っている人間に言ったら怒られてしまうだろうけれど。 私のせいでどれだけ負担をかけられたと思っているのだ、と憤るだろう。 だから私は、好きな時にひとりでこっそり、またあの狂気を宿したり、外せたり出来れば良いのにな、 なんてことを考えている。 そんなことを考えるのは、自分の詩がつまらなくなってきた、と思うからだ。 最近「抒情文芸」という詩誌に投稿するようになって、自作未発表の詩しか受け付けてくれないから 詩が出来上がっても、すぐにはここに投稿できなくなってしまったのだけど、我ながら 自分の詩を読んで、ああこいつは至極まともになってしまったなあと感慨にふけってしまう。 まともな詩というのは、つまらんなあと思う。 だって、まともな人が持つ感覚と同じだから。 有象無象の群集のひとり。個々に見ていけば驚くほど違うのだろうけれど、一目瞭然の存在感は 群衆の中には居ない。 私はその群集の中に紛れ込めるようになったのに、いざそうなってみると、ひどく居心地悪い。 正常であるというのは、つまらないと同時に疲れる。 みんなと同じように振舞わなければならないから。 狂っていた時は、振舞わなくても許されていたのに。 明日は台風だ。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]甘い生活/桐ヶ谷忍[2013年12月9日10時22分] 昨夜飲み残したコーラの炭酸は 今朝にはもうすっかり気が抜けてしまった 愛妻家の夫を持つ私はしあわせだけど 結婚して十年以上経っても 私はいまだに夫に恋をしていて 目尻に皺を寄せいつくしむように笑われると 恋愛の寿命は夫の中では全うしたのだと そうちょうど、このコーラのように あのはぜる感覚がなくなってしまったのだ なんだか悔しくなる 私だけが、まだ 蓋を閉めたペットボトルにある炭酸気分で ただ甘いだけの液体を飲み干して 濃い目のコーヒーをいれた なんでか夫に ざまみろと思った。 ---------------------------- [俳句]冬の蝶/桐ヶ谷忍[2014年1月24日17時06分] キシキシと音立て羽ばたく凍蝶(いてちょう) ---------------------------- [自由詩]「コラージュ」/桐ヶ谷忍[2014年5月11日23時17分] いくつかの断片を繋ぎ合わせると 私達は深く愛し合っていた (それは思い違い) 記憶は時間を経るごとに 正しい記憶も思い違いもすり潰されて いくつかの断片しか残らない あなたに私の断片があるかどうか 疑わしくて 私のこの断片を押し付けたい (私達は深く愛し合っていた) ---------------------------- [自由詩]「ささくれ」/桐ヶ谷忍[2014年5月20日13時13分] 今日も誰とも口をきかなかった 一日が終わるころ 帰宅したあなたが ささくれの出来た指に唇を寄せ 舐めてくれる チクチクした少しの痛みと 往復する濡れた舌のやわらかさ やがてふやけて ささくれが取れる みつめあって ほほえむ 明日もあなたの帰りを待っていられる ---------------------------- [自由詩]「痛みのコラージュ」/桐ヶ谷忍[2014年5月29日21時06分] 断片を思い出しては吐息が悲鳴を上げる 痛みの記憶ばかりが鮮やかに焼き付いて 彼岸花に託せば常世に流してくれるだろうか けれどかなしみで形作られた私もまた消えるだろう つまりあなたが愛しているのは私の 痛みそのものなのだ ---------------------------- [自由詩]「雨ごい」/桐ヶ谷忍[2014年6月8日6時04分] 雨の日だけ訪れるひとがいる 水を滴らせながら、入れてもらっていいかな、と 私は玄関を大きく開け タオルとホットミルクを渡す 他愛無い話をぽつりぽつり このひとは愚痴や怒りを表さない ただ弱々しい笑みを浮かべ 時折窓の外に目を遣る そうして雨が止むと 来た時と同じように静かに 玄関を出てゆく 私は見送るだけ 晴れの日にあのひとが 誰とどんな表情で何を話しているのか 私は全く知らない それでも 雨の日だけは 多分私だけしか知らないあのひとが来る だから私は タオルには柔軟剤を欠かさないし ミルクはいつも買い置きしてある けれど このところ晴れてばかりいる あのひとが来ない 今朝もうらめしいほどの青空だ ベランダに出て 黒い雲はないかと睨むように探す 天気予報でもアナウンサーはにこやかに晴れを告げる あのひとの顔が見たい 訥々としたやさしい会話を交わしたい あの、不安そうな目に一抹宿るやすらぎがほしい 雨よ 雨よ、どうか降って ---------------------------- [自由詩]「こころのかたち」/桐ヶ谷忍[2014年6月12日10時56分] もうこのにこやかな仮面は 皮膚と同化しているのに 剥ごうとするひとがいる 剥いだらどうなるか わかっているだろうに それでもそれが私の素顔だと言って 変わらずキスをしてくれるだろうか ---------------------------- [自由詩]「サイクル」/桐ヶ谷忍[2014年8月9日22時40分] 蝶の道のように 川を遡る魚のように 潮が満ち引くように 陽が昇り落ちるように 鳥が巣に帰るように 私はこの家に帰ってくる もしもあなたがこの家から居なくなっても ここが私の戻る場所 あなたの飲み残した珈琲のカップと あなたのかたちにへこんだ布団がある家 ---------------------------- [自由詩]「ストロベリーキャンディーの心臓」/桐ヶ谷忍[2014年8月12日19時40分] たとえばこのストロベリーキャンディーが 私の心臓だと言ったら あなたは口に含んで舐めて溶かして 身体の一部にしてくれるだろうか それとも捨ててしまうだろうか 甘く感じてくれて 最後は噛み砕いて飲み込んでくれるか 包み袋すら 破いてはくれないか ふたつにひとつなんだ きっとそんなもんなんだ ねえこれが私の心臓だとしたら、と言って あなたに差し出してみたい ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]「地縛霊BBA」/桐ヶ谷忍[2014年8月21日10時55分] かしましいねェ。 ひとが気持ち良くうつらうつらしてたッてのに。 あたしは、よっこらせッと起き上がり上の階を覗いてみた。 幼い姉弟が鬼ごっこをしていた。 椅子を借りて子供たちの甲高い笑い声を聞いている内に母親が帰ってきた。 買い物に行ってたみたいだね。 今夜はカレーらしい。 そういえばこの間覗きに来た時もカレーだったねェ。 お気に入りのアニメが始まるらしく、姉弟はテレビの前に突進していった。 母親がトントンと包丁で野菜を刻む音を聞いている内にまた眠くなったので、あたしゃ下の階に戻ることにした。 還暦を過ぎて間もなく、亭主は死んじまッた。 優しかったけど病弱な人で、このひとが死んじまッたらあたしゃどうすりゃいいんだろうッて 伏せっていた亭主の枕元で泣いていたけど、やっぱりダメだったねェ。 いざ亭主が死んじまッたら、メシが喉を通らんのサ。 いッつも眠くて、亭主の夢見ちゃ独りでポトポト涙流して。 それで、いつものようにうつらうつらして、ふと気が付いたら あたしの死体が部屋から運び出されるところだった。 あたしゃホントに眠るように死んじまッた。 死んだら亭主と会えるものだとばかり思っていたのに、会えなくてサ。 どれだけ落胆したことか。 死んじまッてからも、大体うつらうつらしていて、時々上の階からの賑やかな笑い声に起こされて ひょいと天井をくぐって覗きに行く。 団地ってェのは年寄りか、若い家族が多いもんでね、今の家族の前の住人も幼い子連れの家族だったよ。 子供ってェのはかしましいもんだけど、いいもんだね。 あたしと亭主は、とうとう子宝に恵まれなかった。 どれだけ亭主の子供が欲しかったかしれないよ。 特に亭主が死んじまッてからはね。 おかげであたしゃ、今流行りの孤独死ッてやつサ。 まあ孤独死でもなんでもいいんだよ。 ようは亭主が死んだ後でも、生きる支えになり得るものが欲しかった。 亭主が早死にするのは、生前から分かっていたことだからね。 こんな優しい人が長生きできるはずがないッてね。 あたしまで早死にするとは思ってなかったし、亭主とも会えないし、でもまあ今の生活もなかなかいいもんだよ。 他人様ンちの子とはいえ、気軽に覗きに行けるしね。 かしましいねェ。 ああ、あたしゃまた寝てたのか。 今度はどれくらい眠っていたんだろ。 また上の階の子たちがキャアキャア遊びまわっているね。 よっこらせッと起き上がって、天井をくぐってみたら、段ボールだらけだった。 あらら・・・引っ越すのかい。 団地から若い夫婦が引っ越すのは大概マイホームを持ッた時なんだよねェ。 よかったねェ。 おや。 よく見たらおかあさん、お腹大きいじゃないかい。 3人目かい。 あたしゃ随分眠っていたみたいだ。 ああそうか、ここじゃ手狭になっちまったんだな。それで一念発起してマイホームっていうわけかね。 おねえちゃんがおかあさんのお腹にぴっとりくッ付いて耳を押し当てている。 新しいきょうだいが出来るんだ、あんた嬉しいだろ。 あたしも嬉しいよ。 おねえちゃんとして頑張んな。 段ボールだらけの部屋から下の階に戻ってきて、あたしゃため息が出るのを抑えられなかった。 あたしゃぁ、なんで死んじまッたのに、こんな生活送ってンのかねェ。 さっきのおねえちゃんの姿を見て、思い出しちまッたよ。 そういえばあたしの若い頃、亭主がああやって腹に耳をくッ付けたことがあった。 生理が来なくて、こりゃ妊娠したんだと思ったんだよ。 亭主はそりゃあ喜んでくれてねェ。 ぼくがおとうさんになるのかいッて、あんな嬉しそうな顔見たのは初めてだったよ。 あたしも嬉しくて嬉しくて。 でも数日後、生理が来ちまッた。 なんのこたァない、ちょっと遅れただけだったのサ。 亭主は、なに、今度は本当にぼくたちの子供が生まれるよって笑っていた。 ・・・ああ、なんであたしがホントに死ねないのか今やっと分かったよ。 あたしゃ、子が産めなかったッていう未練があったんだねェ。 それでいつまでも他人様ンちの子供を見ては子が欲しかった欲しかった、ってグジグジと・・・。 あたしは死んでから初めて泣いた。 欲しかったよ、そうだよ欲しかったよ。 愛する亭主の子が。 どんな子に育つだろうって、名前は男の子だったらとか女の子だったらとかもう決めてあって 亭主の先が長くはないッて若い頃から分かっていたから、ホントに欲しかったんだよ。 どうしてかねェ。 どうしてあたしたちには子が生まれなかッたんだろ。 ああでも今は、それより亭主に会いたいよ。 亭主に会って、今の気持ちをぶつけて、そうしたら生前そうしてくれたように あたしの髪を撫でてくれて、そうだねえッてやさしく頷いてほしい。 涙で滲んだ視界に、西日の中に白い光の線が見えて、あたしゃ、おや死んじまってからも 視力が落ちるのかねって、ぼんやりその白い光を見てた。 白い光の線はどんどん大きくなっていく。 あたしは腕で涙をこすッて、よく見てみた。 あら、ホントに目がおかしくなッちまったのかしら。 橙色の光の中に、まぶしい白い光があるよ。 あたしは窓の外の夕陽を見てみた。 夕陽のしたに、なにやらもうひとつ太陽があるような、そこから白い光が来ている。 あたしは急になにもかも了解した。 この白い光を目指して歩いていけば、亭主に会えると。 あたしは死んでから初めて、窓の外に、団地の外に出た。 ---------------------------- [自由詩]「片恋/表」/桐ヶ谷忍[2014年8月25日21時21分] 君の影を拾った 西日を真っ向から受ける君の背後で 手を差し伸べたら 君の影を拾えたんだ 君の影は薄暗く、少しつめたかった 私の影は 君には決して拾ってもらえない位置にある ---------------------------- [自由詩]「片恋/裏」/桐ヶ谷忍[2014年8月28日9時55分] だからあなたは ひかりへ向っていて下さい あなたの その肉を流れる血液を脈打つ鼓動を 私はこの手で感じられない それでも こうしてあなたの後ろに立った時 あなたの影の中にいる私は まるで抱きしめているかのような 泣きたいほどのあたたかさにこの身がふるえる だからあなたは いつもひかりを受けていて下さい 触れる事も叶わない片恋の 背徳的な歓びに浸りながら あなたの背中越しにこうして 密かに掻き抱いていることを あなたは知らなくていい (知ってほしい) ただただ あなたの正面にいつも ひかりがあることを祈る あなたの為に (私の為に) ---------------------------- [自由詩]「蓋をする」/桐ヶ谷忍[2014年9月6日23時27分] あなたについて 私が見たもの聞いたもの、感触、熱、味 ぜんぶ 私の中に入れて蓋をする 逃げ出そうとされて嘔吐感がこみ上げるけれど 音を立てて飲み下し腹におさめ 唇を閉じたままニィと微笑む あなたを喰らう時以外は 私は、唇で蓋をする ---------------------------- [自由詩]「ハンプティダンプティ」/桐ヶ谷忍[2014年10月7日18時43分] 私はわたしの重みだけで倒れて割れる 痛みの断片を寄せ集めて 出来上がったわたしを私は消したいのに 身体の内側から鋭い切っ先に刺されて 抜けた髪の毛の断面からすら血がしたたる 私の中身はわたしに占拠されている 私が私に成る為にはわたしが必要だった 痛みの伴わない成長なんてないでしょう でももう十分私は傷ついて 私は私に満足している、のに わたしは未だに身悶えている 痛みにこそ存在意義のあるわたしは むしろ嬉しげに痛苦を噛みしめている これは誰の顔 それは私 これは誰の身 それは私 これは誰の肉 それはわたし これは誰の骨 それはわたし 血走ったこの目はどちらの目 薄皮一枚の私に成るために わたしを覆い隠したわけではない 私はうまくやっている 妻として女として人として だけど私は わたしの重みに耐えかねて いつかきっと倒れて割れる うまくやっているつもりでも 生きることは痛むことだから わたしは私の中で膨張し続ける ---------------------------- [自由詩]「メビウス」/桐ヶ谷忍[2014年10月29日17時25分] 長く白い廊下を歩いている 窓のない、一人分の幅しかない廊下を 私はただ延々と無言で歩いている 平易な路程ではなかった ある時は出口を求め走りに走り またある時は壁にすがり壁を壊そうと叩き体当たりし 幾日も屍のように横たわっていた事もある けれども結局 廊下は変わらず続いているし 私は歩いていかなければならなかった 出口があると 信じて 廊下の壁越しに 何度か他人の気配を感じることがあった 彼らはどのような路程を歩んでいるのだろう 彼らの行く道に窓はあるのだろうか 出口は見えているのだろうか 独りなのか連れ合いがいるのか 俯瞰図がほしいと 何度願った事だろう つるりとした白く続く廊下を どこまで行けば 誰かに出会えるだろうか どこまで歩めば 出口が見出せるだろうか そもそも出口はあるのかないのか あるとすればどこに出られるのか 何より なぜ私はこんな所を歩いているのか ともかくも 私は独りだったし 今も独りだ 歩きすぎて擦り切れた血の足跡を残しながら 私は、もうどうしようもなく 絶叫した その声すら、まだまだ続く廊下に吸い込まれていった ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]排出の快感/桐ヶ谷忍[2014年11月8日12時00分] 何事においても、排出する事に快感を覚える。 排泄行為は言うまでもない。 お風呂も毎日一時間以上入って、汗をダラダラ流す。 風邪をひいたらラッキーだと喜ぶ。 鼻水を出す喜び、咳をして腹筋使って、わずかなりと脂肪を落とせる嬉しさ。 そして、当然ながら、一作出来上がった時の例えようもないほどの快楽。 カラッポに、なりたいのだと思う。 この身の内には、私を悩ませる重石がドンと腹の中心に据えられていて その重石を取り除きたくて、少しでも削りたくて、排出を試みている。 私が自分を正確に語れる人間だったら、詩は書いてない。 私の思った事、感じた事は全てその重石に吸い取られてしまっているようなものだ。 私はいつだって自分を語れる才能に恵まれていない。 詩を書いて、読んでも、しばらくはその詩が自分の何を表しているのか 分からないほどだ。 心理分析のようにつらつらと眺めている時間がある。 もっとも、そんな難解な詩など書いた事は一度もないので、たいてい なんだそんな簡単な事言うのに、これだけの文字数を使ったのか、 という結果に終わる。 「圧倒的な個」というものを書きたかった。それは今でももちろん書きたい。 他の追随を許さない、誰にも真似できない圧倒的な個性。 でも最近気が付いてきている。 私には「圧倒的な個」の資質はない。 どこまで行っても平凡で、有象無象の群集の一人でしかないという現実。 自分に期待をかけ過ぎたらしくて、気が付くのが遅れた。 そんな思いは中二で捨てるべきだったのだ。 他方、私は私という平平凡凡な個を通して、そこら辺に溢れている平平凡凡の人たちの 代弁者になりたいとも思っている。 おこがましい願望かもしけないけれど、圧倒的な個のない人間には そのくらいの野望は許されてよいだろうと誰にともなく弁明している。 けれど、重石がある。 私は本当に、何を思い何を感じたのか言葉にするのが 致命的に下手糞なのだ。 日常生活は上っ面で生きている。 自分が話さなくても良いようにお喋りな人をそばに置く。 こうして書く時だけ、自分のペースで重石に向き合えるので 書くのは好きだ。 ただ、詩を書く時は重石はあまり関係ない。 数行の言葉の連なりであったり、情景が、降ってきて、それを書き留めている。 私はそれを詩と呼んでいる。 詩を自分で、何が言いたかったのか読み解けた時、重石は少し削られた感じがする。 そうすると、腹の中がわずかに軽くなる。 軽くなるという事はつまり、カラッポに近づいているのだ。 排出した快感が生まれる。 もっとたくさん、詩が書きたいなあと思いつつ。 オチもなくてすみません。 ---------------------------- [自由詩]「祈りの残骸」/桐ヶ谷忍[2018年8月19日7時21分] 雑木林の奥の崖まで行く癖がある そんな時に偶然見つけたのがこの教会だった 天井近くには鳥の巣まであるほど廃れていて キリストは取り外されたのか 薄汚れた大きな十字架があるだけだった 軋む長椅子にぼんやり座っていると ここには、息苦しいくらい密度の濃い 叶わなかった祈りが充満しているのを感じる かつてこの場で救いを求めた人々の想いで 窒息しそうなのに それがやけに心地良い 私にも、なにかにすがってでも 叶えたくて、叶えられなかった願いがある かつてここを訪れた人々も そうした願いを抱えてやって来たのだろう 全ての祈りの根底には かなしみがある だからここは寂れてしまったのではないか 祈ることは かなしみを直視することだから 鳥の巣はカラだった 無事に巣立ったのだろう 来年またここへ帰ってきたら この場に満ちた祈りの残骸を 餌と一緒にわずかでも飲み込んで また飛び立ってくれるといい 私の遣る瀬ない想いも含めて 人々が祈って届かなかった先の 天へ 割れたステンドグラスから西日が射して 埃のつもった床に ゆらぎのうつくしい模様が落ちている それはまるで 祈りのかたちのようだった ---------------------------- [自由詩]「最後の花」/桐ヶ谷忍[2018年8月24日19時15分] 地上で最後に咲いた花には 目がありました かつて生存したあらゆるものが死滅し 文明の残骸さえ塵になった地上で とうとう最後のいのちになった花は 青黒い雨に打たれながら 薄汚れた白い花弁を見、 空を仰ぎました 目に入る雨は有害物質を含んでおり 当たると激痛がありましたが 花は最後の生命として、凛と 荒涼たる天地を見詰めました 花は、愛でられてこそ、花 けれど自分を見てくれるのは もはや誰も、何もありません 口があれば嘆いたでしょう けれど花は目を見開く以外 何も出来ません 毒液そのものの雨を一身に受け 花は泣きました ひとりぼっちを泣きました 朽ちていく我が身を泣きました 花としてうまれたのに 何者にも愛でられないまま 死んでいくことを泣きました 花は最期まで目を見開いたまま 絶えました うつくしい、と囁いてくれる何者かを 最期まで探し求めて地に倒れました 地上最後の花は これまであまた咲いたどんな花より 花としてのいのちを全うしたのです ---------------------------- [自由詩]「空蝉」/桐ヶ谷忍[2018年9月10日20時50分] 道の端に蝉が転がっていた 壁の影にひっそりと 炎天下の中へ這い出て 求愛を啼き叫んだおまえの夏は 一生が、 ここで終わったのか あなたを思い出にするにはただ時間をかける しかないのかますます鮮明になるあなたの仕 草や一言一句をどんなに舐め尽しても薄れる どころかいつまでも舌に残る甘苦い粉薬のよ うなのにこの恋は短命だと予め判っていたあ んな恋長続きするわけない極彩色を見せる花 火が唐突に消えるようにあなたはきっともう 私の事など思い出しもしないだろう人生のあ のタイミングでしか一緒にいられなかった人 そういう人は誰しにも訪れるものかもしれな い出逢えるかどうかだけで私は出逢えたそし て今はもうあなたを必要としていないなのに 何故こんなにも甘苦しくあなたの事ばかりを 突然、死体だと思っていた蝉が動いた あっという間に空に向かって高く 高く飛んでいった 生きていたのか そうか、生きていたのか ---------------------------- [自由詩]「薔薇の下」/桐ヶ谷忍[2018年10月4日7時22分] 薔薇の下から 少女の唄声が聴こえる 庭の片隅に植えられている その深紅の薔薇の下から聴こえる少女の唄声は 私にしか届かない それが惜しいほどに、華麗に、時に遣る瀬なく 見事な唄を唄う 言葉はないが思いの丈が胸にせまるほどに そのまだ成熟し切れていない声は伝えてくる 女になってから 切り捨て、或いは忘れ去った多くの感情を 初夏が来て、毎年その唄声が響き始めると思い出す うつくしい紅薔薇が咲くと歓喜の唄声が 散れば悲しみ嘆く唄声が 晴れの日に、雨の日に、曇りの日に 同じ唄は唄わない 少女は少女の特権としてその気分次第で唄う 薔薇の下に何が埋まっているのか 私は知っている というより 私しか知らないものが埋まっている ある霧雨の日 月のものの憂鬱と痛みを堪えていた時 そのあまりの無邪気な唄声を聴いているうちに 言葉にならない激しい怒りが沸き上がり 衝動的にその薔薇の下を掘り返そうとし 両手でほじくり掻き出し 汚泥が爪の間にぐちゃりと挟まったのを見て 私はその場にしゃがみこんでしまった 全ての指の爪の間に挟まれた泥 これが、私だ 私はこんなにもあの少女の時から遠ざかり 汚くなった 人はそれを成長と呼ぶだろう けれど私には少女の唄声を聴くと これが成長かと自嘲することが多々あった 悲鳴のような少女の唄声を聴きながら 私はほじくり返そうとした泥をまた埋め直し 庭の水道で爪の間の泥を丁寧に流し また薔薇の下にしゃがみこんだ 唄声は子守唄のように変わっていた しずくに濡れて水滴まで紅色に見える薔薇の下には 私が幼い時に埋めた人形が埋まっている 女に成る前に埋めた、大切にしていた人形 毎日なにがしかの感情を覚えていったあの懐かしい日々 今の私の感情を 少女はついに知らぬままに埋められた それでいいと思った あどけなく唄う声を聴きながら 私はいつまでも雨降る庭の片隅にしゃがみこんだ 薔薇の下から 少女の声は絶えることなく唄い続けられた ---------------------------- [自由詩]「春を待つ」/桐ヶ谷忍[2018年10月16日15時58分] 雪が降っている感覚に、薄目を開けた 凍りつく湿度と、ほのかな光を感じる 雪の一片一片には 冬の陽がほんのわずか宿っているのだという だから真白く淡く輝いているのだと 幼い頃、母が聞かせてくれた 地中深くに眠る自分のところまで その感触が届くということは 地上はよほど吹雪いているのかもしれない 土に沁み込んできたつめたさは いのちを氷らせる残酷さと させまいとするような、光の温み 母の最期はこういうものではないかと思う 為す術なく亡くなるのを看取る苦悶と 死に際に浮かべられた精一杯の微笑のような 雪は、そんな両極を突きつけてくるようだ 思って、哂った 幻想だ 母は自分に向けて微笑んでくれなどしない 代わりに、死なれる嘆きもないだろう そうさせたのも、そうなったのも、仕方ない 仕方ないと、諦めはついていたはずだ まどろみに見た、ただの夢だ 手足をいっそう縮ませ、かたく目を閉じる まだ眠らなければ 雪の下のこの暗い土中でただただ眠るのだ 春になったら土を掻いて、掻いて掻いて 地上へと這い出るのだ 春の陽は 自分を生んだ時に見せてくれた、母の微笑のようだろう それだけは、きっと間違いないだろう ---------------------------- [自由詩]「曇天に舞う」/桐ヶ谷忍[2018年11月19日17時18分] 六月のアナウンサーの言う通り 私達は毎日カサを持って出かけている 高い降水確率を証拠として煽られては 保険を持ち歩かないといけない気になる けれど外出先から帰宅した夜 カサは朝のまま乾いている 毎日、毎日だ 今日こそ雨が降る 何故なら梅雨時なのだから 降って当たり前なのだ なのに降らないのだ 埃っぽい空気を呑みながら かさついた肌を時々掻きむしる 渇きっぱなしの唇を濡らすため ペットボトルを常に携帯している 毎日、毎日だ 日々しおれて 遂に伏した植物を虫を 一体誰がそれが私達に訪れる前兆でないと 否定できるだろう 雨は降らない 光は射さない 曇り空の下で 今日も私達は 役立たずのカサを持って歩き そうしていつの間にか どこかに姿を消してしまうのだ それすら気付かないほど 今日もまた開かれなかったカサは 人知れず、曇天に舞い上がってゆく ---------------------------- [自由詩]「左手の蒼穹」/桐ヶ谷忍[2018年12月17日12時40分] あの日 骨ごと断つ勢いで斬りつけた左手首に 病院のベッドの上であなたは 切り取った雲一つない青空を 私の傷口に深く埋めてくれた 重い曇天に覆われてる毎日の 奇跡的に雲が途切れた瞬間の 陽光に輝く空をあなたは 心臓に据えて その断片の半分を私に 傷が塞がったと同時に 私のこころは左手首に固定された 傷に障らないように 泣き笑いしながら 移植してくれた どれほどの暗がりにいようと 蒼穹は私の中にあるからと 黒々とした雲の上の世界の 脈打つピースを忘れないでくれと 嗚咽に変わるまで言い聞かされ 傷跡は一生消えないだろう けれどそれは埋められた空を 忘却されない意味になる これは数年前の話 行って来ます、とあなたは朝玄関を開ける 私は左手を振る 行ってらっしゃい、と笑顔で ---------------------------- [自由詩]「ままごと」/桐ヶ谷忍[2018年12月25日10時39分] 母がこどもの手を引いて、楽しそうにスーパーで買い物をしている。 こどもは無機質な笑顔をはりつけて、母に引きずり回されている。 (おかあさんその子は) (人形だよ) 結婚して家を出てから、母がおかしくなったと聞いていた。 人形を私の名で呼び、片時も離さなくなったと。 渋々実家に帰ってみれば、母は今買い物に行ったばかりだという。 その目で母の様子を確認してくれと、やつれた父が言う。 そして。 見たことのない笑顔の母がいた。 おぞましいほど干渉してくるか、全く無視するかの両極端だった母が怖く 実家を出てようやく呼吸が楽になった。 のに、人形を抱き上げ、母はなにごとか話しかけ、ひとりで笑っている、 幸せそうに。 私はのろのろと母の後ろを歩く。 買い物カゴにはハンバーグの食材。私が好きだったメニュー。 菓子コーナーで、おもちゃ付きの箱をカゴに入れてまたひとしきり 人形に話しかけている。 子連れの婦人が慌てて逃げた。 こどもがほしがるような菓子は体に悪いと私には与えられなかったものが 人形には与えられる。 怒りと嫉妬で睨みつけるが、母は人形しか眼中にないようで、ずっと後ろを つけ回している私には、一瞥すらない。 カゴを持ち会計待ちの列に並ぶと、母の前後の人がサッと消えていく。 レジのおばさんが母を見ずに、神経質な素早さで合計金額を言う。 「さあお家に帰ろうね」 片手に人形を抱き上げ、片手で二つの買い物袋を持つ。 私は、荷物を持ちましょうか、と声をかけた。 母はニッコリ笑い、ご親切にどうも、大丈夫です、と謝辞してきた。 私の顔を正面から見たのに、全くの他人に対する笑顔で。 「親切なお姉さんねぇ」 人形に話しかけながら遠ざかっていく。 母のこどもは無表情に笑い返している。 私は、母に憎まれていたのだろうか。 愛されすぎていたのだろうか。 うまく呼吸が出来ない。 (帰ろう) 夫の待っている家まで。 ただしく愛してくれる人のもとまで。 ---------------------------- [自由詩]「約束をしないで会えたら僥倖」/桐ヶ谷忍[2019年1月2日6時39分] またね、とは言わない また会える前提で手を振った幾人かが 二度と会えなくなったから 立ち去るとき そういう人は足音をたてない 寸、寸、寸、と離れていく 私もまたそうしてきた いかにもまた楽しい時間をすごそうと 暗黙の約束を結んだ笑顔で じっと影を踏まれない所まで離れてから もうそれきりにした人たち 泣いたり泣かせたりして 花びらを一枚ずつ散らし だんだん花芯だけになっていくように 私の知らないところで あなたの知らないところで 共有出来ていたかなしみを たったひとりで持て余す夕方に どんなに引き伸ばしても もう誰にも届かないのに この影の内に誰かいないかと 探してしまう癖を きっと誰もが抱えている 我が儘な私たちは臆病でもあり 立ち去る理由を告げず決別する さようならと言って別れる優しさを 持てないまま ---------------------------- [自由詩]「骨の魚」/桐ヶ谷忍[2019年1月23日8時34分] 昨夜の夕飯に頭と骨だけ残して食べた魚が ゆうゆうと空を泳いでいる 綺麗に身だけ食べられた魚のみが 泳げる資格を与えられるので 私たちは神経質に箸を使う 骨の魚にはもはや天敵もいないから いつ見ても楽しげな余生を送ってるようだが 七日程で空の上の天に召される 私も、そしてきっと多くの人々も 死んだらあのようになりたいと思うが 人間の身体は複雑すぎて いまだに火葬場止まりで 第二の人生への扉は開かれない 死んだ人は直接天に向かうのか 謎は解明されないままだが 私たち大人は幼子を叱るとき あのおさかなさんみたいになれないよ、と 効果てきめんな脅し文句を言う 今日は雨なので 我が子の手をひいて公園に向かう すでにたくさんの親子が来ている 雨の日は特別に骨の魚が元気だから 間近で鑑賞させてやるのだ たったひとりでいいから 誰かの血肉になるような うつくしい生き方をすれば おまえもあのようにいずれは、と 親たちはこどもに訓戒を垂れる こどもたちは口をあけたまま空を仰いで うんうん、と何度も頷く その白い骨を真白く光らせて 魚は手の届かない空で 優美に身をひるがえした ---------------------------- (ファイルの終わり)