石川敬大 2012年1月27日18時16分から2015年3月4日18時44分まで ---------------------------- [自由詩]雲と坂道のデッサン/石川敬大[2012年1月27日18時16分]   非定型な雲は生硬な定型でしかない   ぼくを尻目にとりとめがない   ぼくのO市   かのじょのN市   どちらも雲と坂が多い街であるから水っぽい   川が   なにかにむかって傾斜している   坂道の両端は   水っぽい空と海である   アクセサリー   付属品   展望台と港湾施設と船はそのようにある   きょうも概ね大過なく   ただ一度きりの雲がながれて   ぼくは   どうしようもなく水っぽい   抒情的な存在であることをやめることができない   ぐらりとぼくが傾くと   傾いた端からぼくを捉えにくるものがある   それが   定型の特徴だ   とりとめのない雲がそう告げる   坂道の尖端は   たぶんひややかな海峡   反対側は   どこまでいっても水っぽいあお空   稚拙な坂道で   ぼくは   とりとめのない雲をおもう ---------------------------- [自由詩]バリにて、カメラマンK氏は/石川敬大[2012年2月5日10時14分]   チャイ屋の少年ラムクマールは指先で   その裸の指先で   皿やカップの料理を食べる   コツをかれに教えてくれた   ふるくからの言い伝えだと話してくれた        *   しなびた乳房を子に与え子を喰らう老婆ランダと   全身に鏡の小片をつけた獅子いく度倒されても復活する聖獣バロン   ふたりの神の   いつ終わるとも知れない善悪の死闘を   島での   はてしない戦いを取り囲む群衆のくらしの   そのなかのひとりである   少年は   青年から壮年   年老いても   舞踊じみたその神の戦いをみるだろう   そしてついに   決着をみること叶わずに   見届けるものがだれなのか与り知らぬところで息をひきとるのだ   だれもがそうなのだとアッケラカンと話してくれたのだ        *   三年後   かれの記憶の地図にある   チャイ屋にラムクマールを訪ねるが   店のどこにも姿はなく   生死と   その後の行方   店主もボーイも   だれも杳としてわからないと口を閉ざし首を横にふるばかりで   残照のなか   茫洋としてカメラマンK氏は   テーブルに置かれた商売道具に寄り添ったティーカップの   あまいチャイを一気にのみほしたのだ ---------------------------- [自由詩]K氏の戦場にて/石川敬大[2012年2月5日12時31分]   猛々しい   雲の峰々をぬってながれるその川に見覚えがあった   なぜか   その子に見覚えがあった   林の奥の僻地の村へは行ったことないのに   そのおさない者の笑顔に   逢ったはずないのに   白い三角錐のヒマヤラがみえる   林のなかで   かのじょを誘って   これから   ぼくら   ジキジキするんだ    ――そう、楽しそうに   ひとなつっこい若者は   二度と会うことのない笑顔でK氏に言ったのだ        *   まだ地雷がのこる   ところどころぬかるんだ道の   犬と遊ぶ   子どもたちにまじって   若者の妹である女の子には腕がなかった   腕のない指先で   みらいの   なにかを   つかもうとしていた笑顔で   猛々しい村で   K氏には   そのことだけははっきりわかった ---------------------------- [自由詩]たまの春/石川敬大[2012年3月11日13時41分]   耳をすますときは   手と足が   とまる   だれにしたって表情が凝固して   仮面になる   手配写真のようにだ   音がするほうに   むける   意識を   ひと足踏みだす   ヒゲがアンテナになってキャッチする   かどうか   ぼくは知らないが   猫のたまがそうであるなら   ぼくだって似たようなものだろう   音もなくやってくるものが   這いだしてくるものが   季節だろうが   けな気で   か弱いものだろうが   率直   ぼくは嬉しい   無数に絡みあった   糸電話の   関係を断って   半透明な空きビンになってしまいたい   ぼくは   空きビンになって空を写し   道ばたにコロンと寝っ転がって   春に   耳をすませたい ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]辺見庸『眼の海』を読む/石川敬大[2012年3月19日16時28分]  詩には詩の体裁があり形式がある。散文詩など例外もあるが、詩とは行分けの韻文であり、韻律を重んじるリズム感や音感をもつ文体のことである。広辞苑で〈詩〉の項をみると「風景、人事など一切の事物について起こった感興や想像などを一種のリズムをもつ形式によって叙述したもの」とある。また〈散文〉とは対立項の〈韻文〉をみると、「詩の形式を有する文。すなわち、単語・文字の配列や音数に一定の規律のあるもの」となっている。したがって詩が詩として成立するには「リズムをもつ形式」をもって「感興や想像など」書き手の主観を「叙述」することこそが必須条件であるらしい。  なぜわたしが、こんな初歩的なことから書き出さねばならなかったのかといえば、辺見が書いた詩文のスタイルがもつ始源性や根源性の渦が、作者があずかり知ることか知らずか詩史と詩の現状に対して異を唱え、あるいは棹さすように出現したように思えたからだ。前詩集の『詩文集 生首』(毎日新聞社)は、まさしく痛快にして激烈にそうであった。詩の素人であると自ら卑下するかのようにタイトルに「詩文集」の文字を入れた姿勢もさることながら、詩の世界に精通する詩賞の選考委員である詩人たちを驚かせまた面白がらせ、著名な詩人の名を冠する賞を贈呈するシーンが詩史上において演じられることになったのも、その渦がもつ力が及ぼした衝撃の大きさを証するものであった。  詩史と詩の現状に対して「異を唱え」「棹さおよう」な始源性や根源性の渦をもっていたとはどういうことだったのかといえば、一つには彼の書く詩文が形式的には未成熟であったことがある。散文の側から詩に接近する文学者が書く、既成の形式に捉われない無手勝の流儀が、新鮮な魅力として受け取られたといえるかもしれない。だがもっとも大事な要素は、辺見という文学者が小説だけではなく、何冊もの社会派ノンフィクション作品を書いてきた経験値によって、透徹した視点と重層的で守備範囲の広範な、豊富な知識から齎された知性の思考スタイルをもった書き手として、主観者・主体者として、とてつもなく強者であったことが核心にあるのだと思う。さらにいうなら、詩や詩にしようとする事柄への思いの深さがよく読者に訴えかけていたのかもしれない。だから読後の印象として、圧倒的な存在感、筆力ゆたかな力感があったのだろう。彼には、文字で訴え得ること、言葉への揺るぎのない信頼性も、心的背景にあるのかもしれない。詩の形式に不慣れゆえの荒々しくゴツゴツした語感がマイナスにならずに個性になった。魅力になった。彼のライフワークとしての社会や国家に対する疑惑や疑念が、詩作品では同時に、私的に内向して、おのれの内部の癒されない傷痕に無骨で粗野な指先を触れさせ、あまりの痛さに呻き喚いて、呪詛が祈りになり願いともなって、読者の前に無造作に投げ出された。そんな読後の甘みのない苦い果汁がとてつもなく衝撃的で、それだけにいろいろな感想が頭に浮かんだ。これが詩であり詩集なのかという思いがその第一であったが、詩の形式を踏襲しているものの、主観者・主体者としての強者が書く詩の圧倒的な筆力は、皮相な思いつきに発した惰弱な現代詩群に対するアンチテーゼともなった。神話的、啓示的、あるいは読みようによればある禍の予感にふるえていた『詩文集 生首』をイントロダクションとするならば、静寂に満たされた事後の世界として詩集『眼の海』はあった。  そのスタイルは、前詩集に比べればずいぶんと荒々しさが薄れ、大人しくなった感が否めない。無手勝流の自在な流儀から、詩が詩としての形式を洗練させ、それゆえ詩史が保持するカテゴリー内に集束されかかった位置に守備位置をとっている。経験値が他流試合を経ることなしに和解を呼び込んだためとわたしは解釈する。その詩作品は、滅亡の予感に震える不安な光景の現出、顕在化であり、ある普遍性をめざして書かれているとも言えるし、自身の世界認識・宇宙認識上のデコンストラクション(脱構築)をめざして書かれていると言うこともできるだろう。いずれもひとつの側面を言い得ているということはいえるのではないだろうか。  内容はもちろん3.11東日本大震災による故郷喪失というショッキングな出来事を端緒としている。とはいえ詩作品が、決して皮相で道徳的、独善的で情緒的になりがちな天災の「希釈された」報道言語的なものにはならなかった。いや、なりえなかった。なるはずがなかった。それは直截的で皮相な表現を回避しているとも言えたが、物事の深部に到達しうる者がとる手法を彼が熟知しているためだとも言えるのかもしれない。あまりにもあまりにも悲惨で凄惨だったあの天災で、目を背けたい心理が働くからではなく現代の詩は、限定的にことさら声高に言わなくても、ひとがひととして根源的である生死の境域を手探りしてきたし、ときに希望や夢や願いや祈りを語ってきた。だ、けれど、あの故郷の惨状と対峙してどう言葉で対処するかが辺見の課題だった。NHKのTV番組「こころの時代」で彼が語っていた3.11は、同時に自作詩の解説ともなっていた。「宇宙的規模でいえば、宇宙の一瞬のクシャミのようなものかもしれない」「パラドキシカルな出来事」ではあったが、「世界認識論上、宇宙認識論上、根源的な認識論上の改変を迫る」大きな出来事だったし、その心的衝撃は生半可なものではなかった。「ありえないこと(the impossible)は、あるかもしれないこと(the probable)と、さけられないこと(the inevitable)」に修正され、あの天災の凄まじさを「言い表す言葉を持っていなかった」ことを「思い知らされ」「茫然自失とな」り、「不安で」「せつなくて」「苦しくて」「哀しくて」「虚しい」、「空漠として」いて、「生きていることが偶然で、死ぬことが当たり前」の世界に、「絶望という」ものを「深めてゆく」ことで、絶望から「這いあがる糸口になる」と、「彼(被災した死者)と同じ気持ちを味わおうと、行動や行為をなぞってみる」ことを思い立つ。そうすることで、「私(個的実存)が腑に落ちる内面を拵えることで」、はじめて「希望がうまれる」のじゃないかと考えるのだ。まさにあの場に身を置くことで、言葉が堰を切って溢れだしたのだろう、あのときの津波のように。あのときの津波に素手で抗うように。詩作品『死者にことばをあてがえ』は、詩作品『海を泳ぐ蒼い牛』とともに、まさに身近な死者の「行動や行為をなぞ」るように、鎮魂の歌を唄うように、情感を全開にして書かれ、それ故に直截性が顕在化した本詩集中でも稀有な詩作品だといえる。   わたしの死者ひとりびとりの肺に   ことなる それだけの歌をあてがえ   死者の唇ひとつひとつに   他とことなる それだけしかないことばを吸わせよ   類化しない 統べない かれやかのじょだけのことばを   百年かけて   海とその影から掬え   砂いっぱいの死者にどうかことばをあてがえ   水いっぱいの死者はそれまでどうか眠りにおちるな   石いっぱいの死者はそれまでどうか語れ   夜ふけの浜辺にあおむいて   わたしの死者よ   どうかひとりでうたえ   浜菊はまだ咲くな   畔唐菜はまだ悼むな   わたしの死者ひとりびとりの肺に   ことなる それだけのふさわしいことばが   あてがわれるまで          『死者にことばをあてがえ』全編より  それらのほかには、ひとと圧倒的な物品たちの平等な日常に言葉を与え静かに語らせたかの詩作品『常の壁』、空間の記憶に言葉をあてがった詩作品『それは似ていた』、また詩作品『わたしはあなたの左の小指をさがしている』のなかの「解かれたモノたちの割れ目が黒々とむきだされる」という箇所や、「黒いカモメたちがつぎつぎに石化して/空からふってくる」といった詩行に、被災地に注がれた辺見の痛恨の思いが伝わってくる思いがした。そんな辺見の詩作品のなかでも、故郷で過ごした風景や知人・友人・親戚の記憶の断片や切れ端が登場し、だからこそ神話的で叙事詩的、短編小説のようでもある散文で書かれた詩作品『赤い入江』の詩的世界は、まさに彼の脳内に現出したミクロコスモスであり、故郷の真の姿のデフォルメでもあった。脳内だったからこそ故郷は、現実ではありえない自在な姿をして現出したのだと思う。以下に、一連目と二連目、それから最終連を引用する。   かつてこの世にナンチ(Nanchi)というひとつの場所があった。世界でそこだけにしかない、ひとつのナンチだった。   ナンチは未来になにも約束されていなかった。ただ、かわたれどきのナンチでは青い矢車草がいっそう透明に青み、   ひとびとの吐息も青く澄んだ。コスモスも他の土地よりいちだんとうす青く、狂うほど美しく空を染め、風がその   青をはこんだ。それだけのことだ。   ナンチは南地と書くのかもしれなかったし難地なのかもしれなかった。サウスランド。サファリングランド。正   確なところはわからない。ナンチには正確なところなんかなにもなかった。だれもナンチの仔細を知らないふりを   していた。じっさい知らないのかもしれなかった。ひとびとは顔にはださず、たがいにうたぐりあいながら、いつ   までも船出しない小舟のようにたがいに舫いあっていた。ナンチにはまったく大したことのない現在があり、短か   すぎる過去となにもない未来を風景の緑ににじませていた。      ( 中略 )    冬場の未明、ナンチの赤い入江の上空は星々がもうすきまのないほどに増えて、万年前や千年先の気配に満ちるの   だった。わたしは円盤を見にいこうと家をぬけだした。入江に着くと、円盤はもう飛びたっていてひとつもなく、   星あかりにほのめく水際には、警察官の長女やジョロヤの女たち、カツヒコちゃん、髪ふりみだしたオイシさん、   松林で首を吊った青年、厩舎の大男や女、宣教師たちが入江をかこむようにぼうっと両手を垂らして葦の陰に立っ   ていて、よく見ると、みなびっくりするほどいたずらっぽく笑っているのだった。そうか、みんなもうなにか気づ   いているのだな。知っているのだな。わたしはそのときそう合点したことを、ナンチが消えさったいま、惘然とお   もいだして無人の入江のように哀しんでいる。わたしはすっかり肝をぬかれ、星々はわたしのなかの赤い入江をめ   ぐっている。  この散文詩では「ナンチ」という「ひとつの場所」が提出されているが、そこでの具体物であるべき名詞「矢車草」「コスモス」「ひとびとの吐息」「風」が、「透明に青み」「うす青く」「狂うほど美しく」染められ、抽象度が高くなる。ナンチは「南地」「難地」「サウスランド」「サファリングランド」なのか?と、解釈しようとすればするほど抽象度がさらに高まる。ナンチはもしかすると実在する場所ではないのかもしれない。いや実在するとかしないとかは取りに足りないことで、「ナンチ」を複層的・重層的に問うことで詩は、詩的実存を高め、顕在化することができることを知っているかのようなのである。なんといっても一連目の最後の「それだけのことだ。」のつきはなした距離感が、この作品を普遍性のある詩に昇華させている。そして最終連の、「万年前や千年先の気配に満ちる」ことで、最終的には自身の直截性を遠ざけ突き放した場所で、「星あかりにほのめく水際に」、「警察官の長女やジョロヤの女たち、カツヒコちゃん、髪ふりみだしたオイシさん、松林で首を吊った青年、厩舎の大男や女、宣教師たちが入江をかこむようにぼうっと両手を垂らして葦の陰に立っていて」、「みなびっくりするほどいたずらっぽく笑っている」のを、客観視するに至るのだ。「ナンチが消えさったいま」、わたしは、「無人の入江のように哀しんでいる」という、この宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に通底するかの哀切な、浄化された清らかな童話的世界は、慟哭の後の静寂にみたされることで、見事なまでに彼のミクロコスモスを完成させている。 ---------------------------- [自由詩]断章*空はからっぽだ /石川敬大[2012年4月2日17時39分]  空にはハエがいる      *  ナベブタでハエを捕らえようとする      *  からっぽだから空なんだ      *  からっぽのなかにはなんでもある  だから、不在とは  遍在すること      *  帰属する空に  つつまれる安心感は  どんなタマゴもうまない ---------------------------- [自由詩]千年樹/石川敬大[2012年5月1日12時57分]    樹木の幹を截ち割って    樹木がうまれてくる    ひとを截ち割って    ひとがうまれてくるように         *    きょだいな    ウロはぽっかりと    重力と浮力を孕んでいる    まるで    歳月の奥ゆきがある    そこから    瑞々しい若葉がうまれてくる    さいげんなく    わたしが    老いた手をかざすと    ながれてくる    冷気は    まだわかわかしい    だれかの霊気のようであった ---------------------------- [自由詩]音に棲む/石川敬大[2012年5月2日12時14分]    水々の声をきいたことがある    うめきに似た    くるしげな    声にならない    声になるまえのだれかの    花々の声をきいたことがある    耳なりかもしれなかった    虚空にあるひとの高さで電線がなっていた    地虫かともおもったが    おさないぼくが耳のなかで泣きつづけていたのかもしれなかった    あの初秋の蝉のせつなさで         *    かたい鍵盤を跳ね    五線譜の鉄路をゆくと    姿をなくしても列車の音は走りつづけた    寒い荒波をまえにした海岸で    キリの刃で腹といわず顔といわず斬りつけてくる風にふかれていた    五能線のどこかの駅舎から歩いてきたのだった    女の傍らに    息子は影すらみあたらなかった    感情のない空に音のない月    パウダー状の黄色い砂がふっていた    きこえない泣き声が    ふれられない天の高さからふってくるのだった     ――そのときだ    蝶の羽音がきこえてきたのは    だれかがふりかえる    砂はものの背後にあって    声はどんな熱も発することはなかった ---------------------------- [自由詩]もうひとつの夫婦の肖像画/石川敬大[2012年5月8日14時31分]    《鯉がたべたい》    と、言ってあまえ    まったく隙だらけ    そのくせ自意識は役者なみの    あのサムライ    かれは    前世のぼく    なのじゃないかとフッとおもう    おんなのため    おんなとふたりで店をやるため    と、見栄はって恰好つけて    剣を習い    新撰組に入隊    あげくのはてには斬り殺されてしまう    あわれなおとこ    《ソノ》    最期におんなの名をひと声つぶやき    いっしょにとるはずだった    夕餉の    鯉料理を    おもいうかべながら静かに果ててゆく    あれはまったく    ブザマこのうえない    ぼくの姿にちがいない         *    血まみれの夕陽が宵闇に置きかわるころ    夕餉をおえた    ぼくら    シンクの前で    現代の《ソノ》は水をつかう    次の世も    またその次の世も    愛するもののためと朝餉の支度をするだろう    シンクの前で    現在の≪ソノ≫は水をつかう ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]吉本隆明『芸術言語論』概説/石川敬大[2012年5月15日19時01分]  二〇〇八年七月一九日、昭和女子大学人見記念講堂に於いて八三歳の吉本が「自分がしてきた仕事が全部ひとつにつながるということを話してみたいんです」と希望して実現したのがこの講演会であり、至極当然のごとく「言語について」をテーマとして、タイトルを『芸術言語論』としたそのことは、吉本が没したいま、彼の生涯を俯瞰し概説するとき、とても象徴的な選択であったように思う。  戦時中、主戦主義者であった青年・吉本が、敗戦時の価値観が転覆する世相のなかで「世界を把握する方法をもてなかったら生きてく甲斐がない」、「わたしに足りなかったものがなにかと(略)考えぬ」き、「世界を知る方法として」選んだのがアダム・スミスの『国富論』からカール・マルクスの『資本論』までの、いわゆる古典経済学を検証することだったという事実は、吉本が目指した方向性、つまり詩批評や文芸批評に留まらず、家族や国家といった社会学、民俗学や哲学、宗教学に社会現象であるカルチャーやサブカルチャー、心的現象や人生論まで幅広く考察することになる、その後の思索遍歴とテーマの展開を示唆する重要な出来事であった。言い換えるならば、敗戦前までの価値観が転覆してしまった「精神と生活のどん底」にあった青年・吉本が、世界のどこに、どんな学問の分野に、世界を把握する価値あるものが存在するのか頭を巡らせたとき、社会学・哲学・心理学、政治学ですらなくて経済学の原理で、地に墜ちてしまった価値観の再構築を図り、世界を認識しようとしたそのことに驚かされる。経済学の原理や認識と、「それまでやってきた(略)おのれの文学的素養とを(略)直結・連結させようとした」と言うが、究極的には外部に対し経済学の原理をアイテムとして、既存のバリュー(価値)に戦いを挑むことであり、翻って文学青年であった自らの心の闇、正体、無意識、文学性や芸術性の価値を、生きる価値を測ろうとしたのだと思う。具体的に言うならば、カール・マルクスや『資本論』から学んだアイテムである、「あらゆるものごとを起源に遡って考えぬき、緻密な論理を組み立てるという方法論」と、「抽象的であり、同時に原理的である論理の発展」という思考原則で、傾倒し到達した古典の普遍的な価値と「時間の不可思議さに対する驚異の念」「永遠とは何であるのか」(『伊勢物語論』より)を融合させ、そして結実したのが一九五二年に私家版として発行した詩集『固有時との対話』であった。  吉本は、他人とコミュニケーションを交わすために言語はあるのだという考え方を第一に否定し、言語は二つに分けることができるとした。それが ・自己表出(表現)…心の動きが自然に表れた言葉 ・指示表出(表現)…対象を指示し、情報を伝達するコミュニケーションの  機能をはたす 自己表出を言語の「幹」や「根」となるもの、本質は沈黙、言語にならない沈黙こそ最も重要なものであると考えた。一方「情報を伝達するコミュニケーションの機能をはたす」指示表出は、「枝」「葉」の問題であり、言語にとっては本質的なものではないとした。さらに表出(表現)とはなにかと言えば、自然と人間との交通路のことであり、「あらゆる自分のやったこと、言ったこと、考えたこと、(略)他人に伝わっていないようにみえ(略)ひとりごとを言っているようにみえても」、「表現をすると自然は変化する」「自分の方も自然から表現され(変化させられ)てしまう」、そのような「人間と自然と(にある)相互作用」は重要な事柄であると吉本は言う。この「自然」とはなんだろう。字義通りのひとの手が加わらない天然のもの、という意味なのか。それとも表出(表現)者にとっての内面・精神性のことを指すのか。その概念がよく理解できなかった。第二章の『精神と表現の型』はさらに難解であった。具体的に森鴎外、夏目漱石の作品を例に「芸術言語はきわめて明瞭に宿命を指さす」と結語するのだが、作品、言葉に表された芸術言語、(作者の)生来の精神構造をつなぎあわせたときにそれは表われると言い、「文芸批評という領域がありうるとするならば、作品と作家の関係、言語と作者の精神関係とが強い糸で結ばれていると明瞭にできれば、そこ(結語)までゆく」とし、その方法論こそ「普遍的な(あらゆる)芸術の言葉に適合できる」と敷衍する。吉本のこのような類推する力、飛躍力や直観力には敬服するのだが、この強引とも思える恣意に基づく展開は難解で手強いものだった。  最後の四章は『芸術の価値』、言ってしまえば芸術は、文明的価値や経済的価値をもたない。「自己表出と自己表出とが出会うところにしか求められない(略)偶然以外には、芸術は価値を共有することも否定することもできない」ものであるらしい。経済学の原理である労働価値論で言えば、「(作品に手を加える時間の)労働価値を増せば増すほど良い作品ができる」わけではない。むしろこういう「近代初期の見方(価値観)は危うい」と吉本は指摘する。状況論的に言えばそれは、近代初期の問題ではなく現代や現在においても同じだ。自己表出と指示表出を、縦糸と横糸の巧みに編まれたものとして横光利一やドストエフスキィの作品を例示するのだが、自己表出をシカトし疎外して、指示表出であるコミュニケーション言語を、ポップで明るくウケの良いものと全面肯定するのが現代・現在の文化的風潮であり、合理主義・ファンクショナリズム(機能主義)を価値あるものとするのが、現在進行形の経済中心の社会原理ではなかったか。吉本の戦闘アイテムであった経済原理と、戦時中「詩は遺書として」と考えた文学青年・吉本の、自己表出である沈黙との間にあった遠い射程、その距離の広大な沃野こそ吉本〈学〉の業績だったし、極論すれば、思想界のみならず社会的な名声は、吉本をして数少ない芸術・文学に対する擁護者、いや両サイドに軸足を置いた文化人だったと言えるのかもしれない。戦後、かれの言説の出発点に『転向』問題があったが、それは敗戦前、主戦主義者だった吉本自身の問題でもあったし、吉本〈学〉の暗い闇の原点は「精神と生活のどん底」の時代にこそあったのだと言えるだろう。 ---------------------------- [自由詩]ダウンズタウン is freedom/石川敬大[2012年6月23日18時38分]  ゆきちゃんは あさ  かさをさし 長靴をはいて  雨のなかの花にあいさつする  話しかける  おじぎをする  おはよう さようなら  きょうなにたべるってたずねている  ゆきちゃんは ときどき  えんちょうのわたしに訊く  おとなになったらなんになるの  赤ん坊のいるおとなのおんななのに  じぶんとおなじ子どもだとおもっているみたい  だから こんにちはを言わない  おとなのひとにだけ  こんにちはを言う  ゆきちゃんは一心不乱に絵を描く  ピカソばりの色彩感覚 バラバラの目鼻  ゆきちゃんは文字を書く  いっしょうけんめい いっぱしの書家みたいに  とは いかないけれど味がある       *  子どもとわたしのあいだにはカベがあるんですよ  よそのお母さんたちは  かなしそうに言うのだけれど  ゆきちゃんたちにカベはない  かわいいユーレイみたいに ひとなつっこくそばにいる  カベがあるのは  お母さんたちのほうだ  子イヌ 子ネコ ゆきちゃんたちが  りょううで ブルンブルンふりまわして  ニコニコ笑ってゆききする  ひとがひとを傷つけることを 言わないから知らない  そんな街で  はじめての  ゆきちゃんにあいたい ---------------------------- [自由詩]フリーハンドのくろい線/石川敬大[2012年8月10日18時48分]  褪色したかこはモノクロ  セピアのくすむ  鉄錆の  あかがね色  ふくざつに入り組んだそら  四角い工場群がある昭和のはじめは卵の  ちいさな箱  筒状のえんとつ  にごった運河にかかる橋のうえを  くろいシルエットがゆく  じてんしゃ  にぐるま  しおかぜにせなか押されて  だれもが  じだいの入墨からのがれられない  ひじり橋  ニコライ堂  Y市の橋  なんどもくりかえされたスケッチの断片  バラバラのものをキャンバスにかきあつめて  むこう側とこちら側をつなごうとする橋のらんかん  磁力のある風景  と、いってみてもなにもわからない  と、いってみてもなにもつたわらない  フリーハンドのくろい線が  じゆうに   の   び    て     ゆ     く  じだいのかぜにあらがうデフォルメされた自画像  シュンスケ  三十六年の歳月だった ---------------------------- [自由詩]失語症から/石川敬大[2012年9月12日15時00分]  掠れた息をつくように  ベッドにそっと  言葉にならないものを吐いたとき  その言葉にならないものはすぐ露のように朝の陽にきえた  あの日のあの雲にはもうであえない  とりかえしがつかないこと  わかっている  わかっているけど  なんどでも  身体はでかけてゆこうとする  しっかりしてと叱るだれかがいて       *  いないはずのひとがいた  すわっていた  あたたかい冬の縁側で日ざしを浴びていた  カゲがのびて  あのひとだとおもった  カーテンがゆれていた  子どもらのかんだかい笑い声  だれかのくしゃみ  だれかの咳きこみ  くるまの音  とおくからの雑沓がもどる  いないはずのひとは  やっぱりいなかった       *  朝のマクラがぬれていた ---------------------------- [自由詩]石の気分で/石川敬大[2012年9月12日17時49分]  柄のとれたモップの毛先から滴りおちてくるのは  汚れた雨だれ  きっと  津波だってそうだね  津波なんて言葉ききたくもないけどね  月なみだってそうだよ  邪気がないからやっかいだ  西方浄土から  黒い雲がおしよせてくる  ああ、もう  すっかり角ゴシックの  ゴツゴツした石になった気分  ふいにたぶんさり気なく踝のあたり  耳もとでささやくように  ハデな  波状になった紙ではなく  たやすくにぎり潰せない皮革みたいなものとして  メランコリーは居つくにちがいない       *  ファブリーズを撒いてもとれないの  と、表の顔で女がいう  においがふかいところまで到達しているからだ  うちの  風呂場のタイル目地が  磨いてもみがいてもきれいにならないの  と、化粧の顔で女がいう  よごれが  ふかいところまで到達しているからなのだ  のがれるのでも  迂回するのでもなく  ひとが  ふかいところにまで到達するには  メランコリーよりもっと  どれほどの分量のふあんを所持する必要があるのだろう ---------------------------- [自由詩]丘にいる兵隊/石川敬大[2012年12月1日15時42分]  かけおりてくる兵隊がいる  指揮だけがあって四季のない顔のない  丘のうえから  いっせいに声があがる  雲がわく  あがる声には  責任がないから自主性がない  身体がないから表情がない  むだな熱気と勢い  それだけ  丘のうえには緑にもえる草木がある  個々の主権  個々の感情  犬の家族制度をないがしろにした  王権による集団とその系統によって銃で隠蔽されている  兵隊がくらす兵舎は丘のうえにある  丘のうえで  兵隊はヒゲをはやしている  穴があいた靴下をはいてあきらめきっている  丘は月の歴史である  丘は弓なりにつづく四季のない国の四季である  丘はひとの掌だ  太陽だってうけとめている  兵隊は  ひとつの命令にしたがう  数的人数になって黒いドットになる  声もなく  ホロつきのトラックの荷台にならんで座り  隊列を組んだトラックが丘をくだってくる  そうして  民草と民主化を殺しに  犬が逃げ惑う市街地にはいってゆく ---------------------------- [自由詩]さいごの一枚/石川敬大[2013年2月6日14時54分]  しぬなんておもいもしなかった  ひとが  海をみていた  くっきりカゲを増した  夕映えの  不知火干潟で  たぶん夢中で  ファインダーをのぞいていたにちがいない  もえのこる野心と情熱とが  干潟といっしょに撮りこんでいたから  しぬなんておもいもしなかった  ひとが  きれいな夕映えの干潟から出社して  嬉しい月曜日になりました  Hさん  テーブルに飾られたいくつかの写真を  ぼうぜんとみつめ  角島  南阿蘇  高千穂峡  中島川の眼鏡橋  錦帯橋の夜景  春には桜を愛でる旅  にほんじゅうだんしてみたい  喜々として出かけていたんですよ 父は  うつむきがちの  娘さんの横顔がむねにせまって  おもわずいきをのみました  Hさん  カメラを奨め  果たせなかった約束の  ぼくのこと  おぼえていてくれていますか  またいっしょに酒でも酌みかわしましょう ---------------------------- [自由詩]春一番がふいた日に/石川敬大[2013年2月9日18時41分]  まだ肌寒い春の  朝が  ひかりのプリズムに屈折して  すきとおっている  とおくに海をのぞむ  住宅団地の縁をめぐる遊歩道を  愛犬といっしょに回遊しているとき  かぜが  ふっとやさしく感じられて  ひかりがふんわりやわらかく感じられて   ――そんなときだ     エスがあらわれるのは  ぼくらのふき矢がつき刺さったエス  テレポーテーションする  メタモルフォーゼする  なんども死んで  なんども生きかえってきた  エス  じしんが歴史であるような  夏のにげ水であるような  エスをおって  きょうまで  確信がないままに  よくここまでおいつめたものだとおもう  きっとだれにもみえないだろうけれど  感じることすらできないだろうけれど  エスは  いる  かぜのなかに  すきとおってやわらかい  ひかりのプリズムの屈折のなかに ---------------------------- [自由詩]すてるものはすてられるもの/石川敬大[2013年2月10日13時54分]  つめで  つめを切った  むしり取るように千切った  千切られたつめは  たちまち丸まって  干からびて  ちいさく萎びて不要なものになった   ――そのようにして     なん人もの従業員を切った  いや、ほんとうは  そんな過程をじっとみているほど暇じゃなかった  不要とおもえたらゴミ箱に捨てる  それだけ  不要なゴミになる  ぼくは  幼いころから中学生になるころまで  大人になったらなにになりたい  と  よく母に訊かれたものだ  大人になったら、と  ぼくは  なにになったのだろう  なにになることができなかったのだろう  生贄のように身をささげ時間を切り売りした  会社から  不要物のようにリストラされ  捨てられた  ぼく  すてるものはすてられるもの ---------------------------- [自由詩]神の前で/石川敬大[2013年2月20日10時44分]  龍は問うた  ことばではなく  ことばにならないことばで  胸の暗がりで蹲るあらぶるものに  なぜ  龍の子は  ひとを殺めたのかと  水晶に映される  流血の惨劇は  くりかえし  くりかえされて  龍は言う  この律令体制下では  結果だけが問われ裁かれるのだが  殺された側に  なんの非もなかったのか  と  応えずに  龍の子は問う  ひとを殺めたら青褪めた顔で  もう笑うことは許されないのかと  洗ってもおちない汚れた手で女を抱いてはいけないのかと  涙をながして問うた  ひとを殺めたら  群衆のまえで  全裸になって跪かねばならないのかと  龍は  なにひとつ答えられず  老いて聞こえない耳をふさぎ  遠くを見る目つきをしただけだった ---------------------------- [自由詩]本のチカラ/石川敬大[2013年2月26日14時51分]  気難しい顔で、本を読んでいた  犬が  ニッと笑った。   ――それには訳がある。  犬の気難しさより  笑いの  その意味の落差のほうが  カクッと おもしろかったのであり  気難しさに  笑いが  まさったのであって  もう笑いが誘発して  とまらない。とまらない。  わらう。わらう。  となりの犬  あっちの犬  そっちの犬  こっちの犬  歯茎をみせて  クックッわらう  狼煙のような遠吠え  ならぬ  笑いの連鎖が、つながってゆく  犬族たちに。       *  ぼくは  犬が読んでいた  あの、本を  むちゃくちゃ手にいれて  むさぼり読んでみたくなる。  本の  正体を知りたくなる。   ――それが     本のチカラ。 ---------------------------- [自由詩]《冬の星座》にあのひとをさがす/石川敬大[2013年3月1日12時19分]  こがらししとだえてさゆる空より  地上にふりしくくすしきひかりよ  埠頭の水たまりに  月がこごえはじめている  真夜中には  かげもまた針のようにゆっくりと動いてゆく  すてられた犬の子がいっぴき  きょう一日  ありつけなかった食べものをもとめて  魚くさい路地をはいかいしている   ものみないこえるしじまのなかに  きらめきゆれつつ星座はめぐる  電柱はおろか  家も屋根もねむる漁師まちに  ひとの声はない  まるでべつの世界にきたように犬の子はひとりだ  月あかりがたえ  いっそう鬱蒼としてくる雑木林に  どうやら  雪がふりはじめたらしい       *   ほのぼのあかりてながるる銀河  オリオンまいたちスバルはさざめく  めぐりめぐる  天球のどこかにあのひとはいる  みえなくても感じられる こころの  仰角の空のどこかに  そのことにおもい至ったなら  ひとはもっともっとやさしくなれるはずなのに  世界のどこかで  血がながれない日はない   むきゅうをゆびさす北斗の針と  きらめきゆれつつ星座はめぐる  むきゅうという永遠を指さす北斗七星の  空にも  地上のどこにも  どんな悪意もないはずなのに  殉教した聖職者たちがそうだったように  さゆるこころで  空のどこかの 波に浚われた  あのひとをさがす      引用は、堀内敬三訳詩の《冬の星座》一番と二番 ---------------------------- [自由詩]かくれるところのない空には/石川敬大[2013年5月30日17時38分]  耳のなかに  あらぶる海波が音をたてて打ちよせる  波うちぎわがあって  すぐにきえる影をつくって  雲の列車がゆく  武器をにぎりしめている  ビルのうえには  どこにもかくれるところのない  どこにも角ばったところのない  五月  の  空があって  まもなくやってくる  雨期を  首をながくしてまっている  ビルのような馬の影がのびている  島がある  から  鳥がいる  花が咲いて  草が生えている  虫がいる  にがいものをのみこんだ  ひとを  むかえて  臨終まぎわの心電図の裏がわを  のぞきこむ  犬がいる  にがいひと  いじょうににがいかおの玄関先で  ぼくの  犬が  とほうにくれている ---------------------------- [自由詩]龍のいない青空/石川敬大[2014年2月14日9時58分]   ――夕映えがきれいだった あのころ   もし自転車にのれていたなら   ほかの街で ほかの暮らしをしていたのかもしれない  すでに滅びた高句麗の  釘のように錆びた川がながれる  ふるい案内板がこの街にある  古名《コマ》  ハングル読み《コグリョ》という架空の  博多湾はその朝 霧がふかくて  貨物船が接岸する人工湾岸の岸壁で潮風にふかれボーゼンとつっ立っていた  杭のように誘導灯のように   ――英雄ヘモスの子、建国王チュモンから韓流の物語をひらいた  かれの海は  くだける波頭であり  もろく崩れおちる橋であるけれど  高句麗とこの街を隔て  高句麗とこの街をつなぐ  ガントリークレーンが虚空に巨人の手をさしのべていた   アパートに帰ったら 母と妹がいなくなっていた   ――それで 自転車どころではなくなった   家族が消滅したのだから  痕跡のない波をトレースした朧な  新羅行のフェリーが突堤の先をきっちり曲がるところだ  きょうも龍頭山では  甲冑を着た眼光するどいイ・スンシン将軍が日本を睨んでいるだろう  あたりまえの朝の光景のように  雑然とした裏通りの食堂の勝手口あたり  女たちがおしゃべりしながら自家製キムチをしこんでいるはずだ   ――かれがフッと   虚空に目をやると   龍のいない青空がひろがっている  一〇〇年がすぎると敵味方なく  一〇〇〇年すぎると祖国すらないかもしれないのに  すでに滅びた高句麗の  半島の鏃の尖はいきている  かれの深いかなしみの霧に突き刺さったままだ ---------------------------- [自由詩]亡国の指先/石川敬大[2014年3月6日18時38分]  枯色の空洞をのぞく  と、もうひとつ空洞があって  にげてゆく  母国には顔がない  まぼろしの、川がない  オルガンの音がひびく鍵盤の荒野でこごえた兵隊が  身をよせあって俯いている  音符が西風にカサカサふきはらわれている  ほこりまみれの旅装の兵隊は虫の声音  ほろほろほつれて  残らず無音に帰ろうとする       *  ハサミをふるい地層につきさす  と、はげしかった  戦闘の日の土埃と火薬のにおいをかぐ  つかれ切った虫たちを  あの夏はどうしてそんなにも急きたてていたのか  ほろびるべきものがのこらずほろび  自壊する自然は瓦礫という木片の大河に  まぼろしの川に背をむけた  蘆原で  身をおこした兵隊をのせた鋼鉄船が出航する  弓なりの  島の湾岸から  きらめく夜光虫を配した  メタリックの海の  漆黒の岬をまわり  ふあんな舳先を手折って逝く  亡国を生きる  こごえる荒野のオルガンにも  ショパンに似た繊細な指先がほしい ---------------------------- [自由詩]ひぐちさんはどこか鬼ガニの、/石川敬大[2014年3月7日13時18分]  トランプやサイコロをさっと取りだす  マジックのように風景  という手ごたえのない空間をてのひらにのせて  ひぐちさんは  ほら  ここよ  この部分が大好きなの  といって頬笑む  あの手つきは  図書館の書架の奥にある果樹園から  一顆を選びとって利用者の眼前にそっと差し出すことをしていた  まだ若い司書だったときの  手つきだ  ひぐちさんは  カメレオンと雲が好きなので  世界を旅する  図書館という季節のないジャケットを着て  とおい漁村から出て岬をひとまわりした福祉バスにゆられてやってくる  だからね ねこなで声で  個性を失くしてタブレットに閉じこもった  都会のこわもての  ビルの横顔  とは相いれないのは当然なの  こまった顔のファミリーレストランの奥から  ずぶぬれの女の子をつれてくる  ひぐちさんは  かくばったものを川にながす男たちの狡さが許せないのである  だからね 苦笑いする  どこか鬼ガニのわらい顔になっているの ---------------------------- [自由詩]ぼくのサキソホン/石川敬大[2014年4月5日22時30分]  これは きのう  こっちは きょう  どうしてこんなにささくれが多いのだろう  ぼくの  サキソホンから  そんな  ぼやきの声がきこえてくる       *  ゆうべの午前三時にうまれた  ぼくの初孫が  ひるにはもう  小学校にあがるらしい  ランドセルをせおい  まんかいのさくらにぐるりととりかこまれた  写真が  ぼくのパソコンにおくられてきた  このちょうしだと  ゆうがたには  ウエディング姿がみられるかもしれない  とれたての  オレンジみたいな  あのときの娘とおなじ笑顔の  カンナが       *  またひとつ  そだったみたいね  空のおくから  母の声がふいにおちてきた ---------------------------- [自由詩]わすれられない日/石川敬大[2014年5月15日10時05分]  あの日は  特別ではない日  アニバーサルではない  だれもが気にもとめない  ただやりすごしてゆくだけの日  デモ  だれも触れない  端折られた日なんてあるだろうか  端折られた日  カラ  草が生えて  名も知らない雑草が生えて  頬をなぜるゆるやかな風が吹いて  陽射しがふりそそいで……    いつものように疲れて  家に帰ったら  くらい電灯のしたで  あなたが泣いていた  どうしたらいいのかわからない  と  あなたが泣いていた  そのとき  ぼくの風鈴がなって  ぼくのセミがコロリと横たわって  雨がふってきて……  デモ  アニバーサリなどではないけれど  あの日は  娘にも  息子にも  なにも語らない  だれにも触れさせない  ぼくのなかの  わすれられない日 ---------------------------- [自由詩]さくらの笑み/石川敬大[2014年5月15日10時31分]  凪いだ水面のしずかさで  花のように老いてゆく  女がいる  さくら  と よばれた  ひとりの女は  ひとりの男の  妹で  おまえのよろこぶような  えらいアニキになりたい  と いいながら  京成電車に乗って 帰らない  兄は  いまの妹に  どんな言葉をかけるのだろう  にいちゃんなぁ  という枕詞のあとをどうつづけるのだろう       *  兄の年齢を  はるかにこえ  うつむきがちに女はおもう  とし若くして逝ったものはいいと  だが そのくちは  なにも語らず  ただ 花のしずかさで  絵画の笑みを  うかべるだけで ---------------------------- [自由詩]都心に雪がふると/石川敬大[2015年2月12日14時52分]  都心に雪がふると  もう あともどりができない  地方都市は  いよいよ寡黙になる  川を  はさんで  魚たちは遡及する  ときおり鋭利な水性植物になって川底でひかる  風の攻勢が強まる  と  海波はさらに香りを増して  港湾施設を  イナゴの大群のように襲うだろう  メタリックを軋ませる刺客がふいに斬りつけてくるように  博多湾は  双つの翼をひろげる  島影を  額に淡く写しとっている  商店街はすでに南北にのびきってしまったので  あした  の  昏睡を迎える支度に忙しい  博多ラーメンの店先では暖簾がしきりにうなだれて  影のようなカラスが鳴き交わし  ひとが  呼吸をととのえる前にせわしない雲に  急かされて  ゆく  書き記した言葉なら  ずっと記憶にとどめておこう  と  おもう  都心に雪がふると  つめたく鋭利な海風が頬を斬りつけてくる  きみは  そんな日も  ある覚悟をもって  定められた  きょうのバスにのってゆく ---------------------------- [自由詩]渡良瀬川の石/石川敬大[2015年3月4日18時44分] 川でひろった この石は 世界でたったひとつの石 と 田中正造が新田サチに語った後いく枚の暦がめくられただろう 古典的ロマン主義と反駁しても意味はないが 世界にはたくさんの川 たくさんの川原に たくさんの石がころがっていて どれひとつとしておなじものはない その単純な事実だけがある 近代文明の完成形の 電車には 失くした耳をさがしあるく挙動不審の兵士がいて 帰る家がないと泣きじゃくる若い女 自暴自棄になって何度も自殺未遂する売れない小説家 動かなくなった蒼白の赤ん坊に乳房をふくませる母親 スマホから目がはなせない女学生 ネクタイをゆるめてバカヤローとつぶやく酒くさいサラリーマン なにかを失くしたひと なくしたことすら気づかないひとを乗せて 電車は にぎやかな街をぬけ 時代をぬけ いつくるとも知れない朝にむかって走っていた やがて電車から ひとり降り またひとり降りて 最後のひとりが降りると 電車は 寝静まった街のへりをながれる川をわたった それが渡良瀬川であり その川にかかる橋であった いや わたったのはポスト近代であったのかもしれない ともあれ煌々と灯を点した電車はからっぽで だれの仕業か つめたくなった座席に ひとの替わりの石がただひっそりと座っていた ---------------------------- (ファイルの終わり)