チアーヌ 2005年7月31日22時16分から2005年9月8日21時03分まで ---------------------------- [自由詩]便所童/チアーヌ[2005年7月31日22時16分] その駅のトイレには 便所童が住んでいる とても疲れて寂しい夜 わたしは酔っ払って その駅のトイレに寄る 3つある個室の真ん中に入ると そのうち 両脇から 声が聞こえてくる 「お兄ちゃん、このトイレ和式だよ!」 「こっちは洋式だったよ」 「おしっこしずらいなー」 「しょうがないだろ」 「お兄ちゃんは何してるの」 「今うんち終わって拭いてるところ」 わいわい わいわい しゃべってる 何歳くらいなんだろうな 幼児と小学校低学年のお兄ちゃんって感じかな わたしが個室を出ると 両脇はしんとして 誰もいやしない いつものことだ こどもたちが どこかへ行く前なのか どこかから帰って来たところなのか わたしにはわからない とても疲れて寂しい夜 わたしは便所童に会いに行く 声だけでも かまわない ---------------------------- [自由詩]夜が欲しい/チアーヌ[2005年8月1日19時42分] あっというま夜が暮れた 走り出したい 鎖 すべて断ち切って 踏みしめる大地も 漂う風も いらない 夜が あれば ---------------------------- [自由詩]猫と鼠/チアーヌ[2005年8月2日10時58分] わたしはあなたといると バカになる 何もしたくなくなるし 行きたいところもなくなるし 見たい映画も読みたい本もなくなる あなたは面白い あなたは最高の刺激 わたしを燃え上がらせて わたしはもうたまらない だから 飽きるまで小突き回す あなたが死ぬまで ---------------------------- [自由詩]月の夜/チアーヌ[2005年8月2日19時58分] 月の夜 わたしは犬と話す 板張りの部屋で 椅子に座り 大きな犬の頭を撫でながら 大きな窓から差し込む 月の光は優しく 犬とわたしを包む 指先に犬の体温 ---------------------------- [自由詩]走り抜ける/チアーヌ[2005年8月3日22時29分] 呼ばれていく わたしの行く場所は 今はもうない 小さな平屋の家 家々の裏をすり抜けるように駆け抜け 小さなコンクリートの階段を上がると カラカラと音がするサッシの引き戸 薄いガラスが嵌め込まれて あけるとそこには小さな玄関 お友達の靴がたくさん散らばって わたしも靴を脱ぎ上がる 板張りの廊下 玄関に入ってすぐ右側に 子供部屋 お友達がたくさんいる 色の黒い坊主頭のお兄ちゃん 赤いスカートを穿いたお姉ちゃん それからまだ小さい妹も お母さんの顔は覚えていない 首から上がどんな感じだったか 夕餉の煮物の匂いがどこからか漂って 遊んでいるうちに日が傾いていく 二段ベッドがうらやましかった 狭い 狭い楽園 子供部屋を出て 隣の部屋を覗くと 中くらいの大きさのテレビや 茶箪笥や 座椅子が置いてある 普通の茶の間 微かに大人の匂い よその家の大人の匂い すっかり暗くなった外を見て 急に不安になる もう帰らなくちゃ 玄関で靴を履いて 引き戸を開けて外に出る 夕暮れの風が頬に涼しく わたしは走り出す 家々の裏を通る 道路なんか走らない いろんな家の台所の匂い微かに風に紛れている 猫のように 犬のように 走り抜ける お友達の家は 今はもうない そこには 大きな看板が 立っている ---------------------------- [自由詩]空に手を伸ばすように/チアーヌ[2005年8月4日16時03分] まるで空に手を伸ばすように 咲いている マーガレット 欲しいものはなんだろう 太陽も 土も 暖かな空気も すべてあるのに ---------------------------- [自由詩]統合施設/チアーヌ[2005年8月6日15時03分] マッサージで気持ちよくなって つい眠ってしまった 目を覚まして慌てて会計に行けば どこかで見知った顔が 「ごめんなさいお会計お願いします」 わたしがそう言うと 「まだですよこれからですよ」 とその人が微笑む そういえばわたしどうしてここにいるんだっけ そういえばわたしの靴はどこ 必死に探すと靴はわたしがさっきから手に持っていた ああでもこの靴には見覚えが無い わたしは白いサンダルを玄関に置く 「そういえばわたしは最近 塊は覚えているのに その間に何をしていたか忘れてしまうんです」 わたしがそう言うと 会計の女の人が微笑んで 「わたしもですよ」 と言う わたしはふと気づく 会計の人はスーパーのレジの人だ 「女は大変ですね」 ふとそう言うと 「そうですね」 とその人は言った わたしはスーパーを出た ---------------------------- [自由詩]逃亡/チアーヌ[2005年8月6日15時14分] 上流から下流へ流れる川を工事して 上流に変な生け簀を作ったらしい わたしが見物に行くとそこには気味の悪い色をした鯰が 腹を見せたりしながら泳いでいる 流れるプールにしか見えないけれど そこはアスファルト道路に面しているから とても人工的 向かい側は住宅地 それなのにその狭い4メートル道路に打ち上げられたらしい 気味の悪い鯰が ああでもその鯰には腕や足がついていて おたまじゃくしが巨大になったもののようにも見えて そこを4WDのでかい車が通ろうとして 頭を潰す 血は出るが死んではいない 腕や足でこちらに向かって来ようとするから わたしは必死で逃げて 追いつかれないよう 追いつかれないよう でも足は鉛のよう ぬめぬめした巨大な手足のある鯰は頭から血を流しながら 腹を見せると気味の悪いぽっかりとした口をあけて そこには小さな歯が数え切れないほど生えて なんでこんなに歯って気持ち悪いんだろう 来ないで 来ないで そこに外国人の少年が通りかかる けれど言葉が通じないから助けを呼べない わたしは曲がり角までなんとか逃げようとする そこを曲がれば懐かしい家がある ---------------------------- [自由詩]端っこ/チアーヌ[2005年8月8日16時39分] うらやましそうに見ていたら 「じゃあ、少し上げる」 その人は言って 端っこのほうを千切って ちょっとだけくれた 辺りを見回すと 端っこのほうをもらって 喜んでいる人もいる わたしは端っこを口に入れ 噛まずに飲み込んだ そしてまた手を出した 「もっとちょうだい ぜんぶちょうだい 端っこじゃなくて 真ん中の おいしいところをちょうだい」 その人は困ったように微笑んだ わたしは黒いペンキをぶちまけて 家に帰った そして泣いた ---------------------------- [自由詩]次の日の電話/チアーヌ[2005年8月9日18時22分] 明け方に帰ったわたしに 次の日電話がかかってきた 留守電にする その次の日も 留守電にする その次の日も 一度だけって 約束したよね だから許したよ 酔ってたし でもそれだけだよ 電話をくれた君が 優しい子だって知ってるよ でもそれとこれとは 別なんだ ---------------------------- [自由詩]夢ばかり見ていた/チアーヌ[2005年8月9日21時03分] 暑いのに起きられない 体から噴出す汗で 寝巻きもベッドも布団も 何もかもびしょびしょ 電話が鳴っても 知らない チャイムが鳴っても 知らない そんな 一人の部屋で 夏 夜も昼も 朝も夕も 眠り続ける 枕もとの 水だけが生命線 ペットボトルに 口をつけて ひたすら飲む 何もいらない 何も欲しくない わたしを誘惑したもの すべて壊れた後 蝉の声が 蟋蟀の声に変わっても そしてまた朝が来ても ベッドが腐って 布団がカビて わたしに蛆が湧くまで わたしは 夢ばかり見ていた ---------------------------- [自由詩]超高速道路/チアーヌ[2005年8月15日21時56分] 行きたい 夢にまで見た あの公園に 屋号 ぶら下がるプレート 呼ばれる過去 超高速 ピカ 落ちてくる 大音響 豪雨 超高速大音響 晴れ晴れとしてすっきりして 缶ビール 超高速道路で ---------------------------- [自由詩]奥羽本線/チアーヌ[2005年8月15日22時09分] 鬱蒼とした山々の間 引かれたレールの上を 走る 蘇る鉄橋の 下では おばあちゃんがこぼれる 谷川に近い公民館は オープン クーラーは無く 扇風機がぐるぐる 回っている まるでお伽話みたいな 家が幸福そうに 時折現れ消える トウモロコシ畑 庭は無く 花が植えられている 透明な窓を開け 腕をぶらんと下げ 誰かが煙草を吸ってる 新幹線もこの辺りでは ゆっくりと走る すこしほころびて ---------------------------- [自由詩]今日のデザート/チアーヌ[2005年8月17日20時42分] もう良いことなんか何も無いから デザートを食べよう 甘い 甘い デザートを食べよう 何がいいかな さあ並んでちょうだい プリンやゼリー(でも、少し物足りない) シフォンケーキ(ぼそぼそしていて途中で飽きる) チーズケーキ(定番だけどありきたり) ガトーショコラ(そういう気分じゃない) モンブラン(わたしがもう少し若ければね) いちごのショートケーキ(お子様向け) 洋ナシのタルト(・・・・・。) 今日は洋ナシのタルトに決めた 洋ナシのタルトは 懐かしい故郷のナシで出来ていて でもタルトに変身したの 素材の味だけじゃ物足りない こなれてなくちゃね わたしはもう 素材がいいだけなんて そんなものはいらないの 熱くて冷たくて柔らかいところと固いところがあって わたしを満足させてくれるような 洋ナシのタルト もう良いことなんか何も残っていない だからわたしはデザートが欲しいの 今日のデザートは 洋ナシのタルト ---------------------------- [自由詩]ベランダトロイ/チアーヌ[2005年8月18日14時59分] ベランダにおいてあるトロイは 食器棚の形をしている ガラスがはめ込まれ 割と質の良い木材が使われていて 中には食器が入っている その食器はぜんぶニセモノ ニセモノだけどウエッジウッドにしか見えませんよ 奥さん、 「そうね」 どろっとした熱気を吐き出して 大気は今日も元気です ---------------------------- [自由詩]さみしいのは/チアーヌ[2005年8月18日15時06分] さみしいことを言わないで 抱きしめて 撫で撫でしてあげたくなるから あまり甘えないで おっぱいの間に抱き込んで すりすり頬ずりしたくなるから どうせいつか足蹴にして 行ってしまうくせに ---------------------------- [自由詩]玄関/チアーヌ[2005年8月18日22時44分] 玄関の靴脱ぎ場で わたしはあなたと話をしていた あなたの欲しい不動産の話 わたしの欲しい不動産の話 玄関のドアは閉まっていた 肩にかけた鞄 夏の玄関は暑く隙間もない わたしは不動産を見る 間取り 間取り 間取り 今度はどの部屋にしようか そのうちに 鉛筆を持った男が 玄関のドアを開け 入ってきた 知らない男 夢を見ているのかもしれない 鉛筆を持った知らない男が 鉛筆を持ちながら 刃物を探してる わたしの家の中で わたしはすり抜けて玄関の外に出る 逃げる 物陰に隠れる すると 携帯電話を持ったあなたが 立っていた 何人もの私服を着た人が わたしの家の中に入っていく 男を捕まえるため わたしはほっとする そして誰もいなくなり わたしはドアを開け玄関に入る すると背中のほうで がちゃ がちゃ がちゃ 簡単な鍵が 開けられようとしている うちの鍵は簡単だから 取り替えようと 何度も何度もあなたが言っていたのに わたしはのぞき窓からのぞく 歪んだ知らない男の顔 怖い わたしは必死で鍵を閉める チェーンをかける でも簡単な鍵はすぐに開けられる だから何度も閉める 開く 閉める 開く 閉める 開く ---------------------------- [自由詩]ロマンスカーの幽霊/チアーヌ[2005年8月22日11時56分] ふと声をかけてみた その外国人は 「ロマンスカー?」 と言って 少し笑った 新宿駅西口で そうなんですよ日本には ロマンスカーがあるんです ロマンスカーはみんなを乗せて ロマンスの国 箱根に連れて行ってくれるんです ロマンスカーは小田急線を通ります 小田急線は時々人身事故で電車が止まります 東京でも神奈川でも ふらふらと ふらっと 転げ落ちるように ほら よく 待たされるでしょ イライラしませんか 「早く帰りたいのに」 なんてね ごめんなさい みんなを乗せて ロマンスカーは ロマンスの国へ行くのです ロマンスの国には 温泉と 美術館があります 日本のカップルは 温泉でセックスして 美術館でデートして 楽しい休日を過ごすのです わたしたちだってもちろん 楽しめます そのあとは山へ行きましょう 死者は山を登り 天国へ行くのです 日本では わたしはもう何年も 新宿でぶらぶらしていますが それは 待っている人が 来ないから だからわたしと 乗りませんか 素敵なあなた 最前列の 指定席を 取ってあります まだ いいですか ところであなたはお国に 帰らないのですか あ これは 成田エキスプレスの指定席券じゃないですか なるほど あなたも 人を待ってる? そうか じゃあ 良いバーがあるので ちょっと飲みましょうよ そしてパークハイアットにでも 泊まりましょうか 今夜だけ ---------------------------- [自由詩]夏の終り/チアーヌ[2005年8月30日20時55分] 線香花火は 線香の匂いがするだろうか 水辺の淵でひっそりと 雨のように流れ落ちる火花 ---------------------------- [自由詩]原生林の夜/チアーヌ[2005年8月30日21時14分] 小さなことは気にしないでね どうせ先へ続く恋ではないのだから 恋はいつか終るものだし わたしたちはいつか終らせるつもりでこれを 始めてしまったのだから 安全な場所を 確保しながら 野生動物みたいに交わる ここは わたしたちの世界ではないから 月が沈むまで 一緒にいましょう 一瞬先だけを なぞりながら ---------------------------- [自由詩]循環/チアーヌ[2005年8月31日13時25分] あなたに会えないと 悲しくて あなたに会えた日は うれしくて こんなに好きで でも愛されていない いつもいつも 考えているのはわたしだけで たまにやってくるあなたを待って 日々は過ぎてゆく 今日もまた わたしはたくさん食べてしまう 菓子パン ポテトチップス ペプシコーラ コンビニの弁当 バナナオムレット だんご まんじゅう おにぎり カップやきそば 一日一日が とても長いのに 通り過ぎてしまうと あっという間 突放されたくなくて 必死に縋っている 醜い自分 食べるしかないの 鏡なんか見ないの わたし おいしいものも おいしくないものも 食べているときだけが 幸せ 太っても たまになら 抱いてくれるんだね 彼女じゃないから 気にならないの? きれいに痩せたら 愛してくれるの? だぶついたからだの肉も 目に入らないほど 毎日あなたを待ってる もう来ないなんて 言わないで きっと あなたを 切り刻んで 食べてしまう ---------------------------- [未詩・独白]わたしをかえして/チアーヌ[2005年8月31日19時41分] ときどき 取られたような気持ちになって 「わたしを返して」 と 思う または 「わたしを帰して」 かな ---------------------------- [自由詩]肌色の夕方/チアーヌ[2005年9月2日13時10分] 夕方は肌色 わたしは溶けて行く 空気が肌色になって行く 境界が見えなくなる そして夜になって 影も形も無くなる ---------------------------- [自由詩]シャワータイム/チアーヌ[2005年9月5日10時06分] 東京にスコールが降った夜 叩きつける車窓から わたしは外を見ていた 欲しいものを手に入れたら 価値は等間隔で あなたはきっとあの大きな家で 床上浸水 大変ね タクシー横浜から午前2時 新宿まで飛ばした夜 大雨が降ってた あれはいつのことだっけ? もう恋はしていない 何もかも流れちゃったよ ---------------------------- [自由詩]音楽が流れる/チアーヌ[2005年9月5日13時46分] ミュージック たぶんそれ それ そうそうそれそれ 「ここ」に ぶち込んで 意味の無いものを 流れる ミュージック 体中を抜けてゆく 内側から変容する どうだっていい感情 今すぐ ぶち壊して ミュージック すべての完成品を 今すぐ 壊してしまおう そして 張り裂けよう 底が抜けたみたいに 大音響のガラクタ ---------------------------- [自由詩]おいでよ/チアーヌ[2005年9月5日14時10分] おいでよ ここに 夕日のきれいに見える この部屋に あなたが好きな あのお茶も 用意してあるよ もしも飽きたら コンビニにでも 行けばいい きっと何か売ってる あと一時間だけでもいいから 体を合わせていようよ 大丈夫 愛してなんかいないから あなたと 同じ気持ち もしも飽きたら バーにでも 行けばいいじゃない ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]黒頭巾ちゃんにかかってくる電話/チアーヌ[2005年9月5日22時43分] ある日、黒頭巾ちゃんがお掃除の終ったきれいなお部屋でひとりぽつんと座って泣いていたら、携帯が鳴りました。 「はい、もしもし」 「僕だよ。黒頭巾ちゃん、また泣いていたの」 「どうしてわかったの」 「僕には黒頭巾ちゃんのことはなんでもわかるんだよ」 「あなたは誰なの」 「わかるだろう。僕は君のかみさまだよ」 黒頭巾ちゃんは息を止めて、しばらくじっと携帯に耳を押し付けていました。 黒いかみさまの声は、こんな声だっただろうか。 黒頭巾ちゃんは、どうしても思い出せませんでした。 でも、ちがう、と思いました。 「さあ、わかっただろう。じゃあ、黒頭巾ちゃん、今すぐに下着を取ってあそこに指を入れてみてごらん」 「あなたなんか知らないわ」 「何を言うんだ黒頭巾ちゃん。昔よくこんな風にやったじゃないか」 「もう忘れたわ。それに、かみさまだったら今すぐわたしに会ってくれるわ」 「じゃあ今すぐに会おう。出てこられるのかい?」 「あなたになんか会いたくないわ」 黒頭巾ちゃんは電話を切って、再び泣き始めました。 きれいに片付いたお部屋を、夕日が赤く染めました。 ---------------------------- [自由詩]しぶとく生きる/チアーヌ[2005年9月6日11時22分] ずしん と 頭の上に何かが落っこちてきたみたい どうすればいいか わからなくて 押しつぶされそう 地面にめり込んでしまいそう でも どんなに 形を変えても 絶対に 潰れたり 壊れたり しない と 思う 病むのが普通で 壊れたほうが 美談 そういう世界で 誰かの都合のために 生きたくなんかないから 平気な顔して さらっと言うよ 酷いこと そして 何も信じない 甘えたりもしない それを しぶとい とか ずうずうしい とか 言いたければ 言えばいいじゃん ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]トイレの男たち/チアーヌ[2005年9月7日14時32分] それは、下北沢を過ぎたあたりでのことだった。 通勤電車はいつも通り満員で、向ヶ丘遊園から小田急線に乗り込む俺は当然のように急行電車に乗っていて、で、その電車がどんな状態かというと、本厚木あたりから乗り込んでくるオヤジどもで朝から臭いのなんのって。ま、俺だってあと10年もしたら人に言えない状態になるんだと思うけど、今は遠慮なく言わせてもらうぞ、お前ら、臭い。昨日は風呂に入ったのか?夜じゃだめだ、朝に入って来い! まぁそんなことはいい。 下北沢を過ぎた辺りから急に・・・。ってゆーかこれかなりヤバイ。 東北沢の駅の看板が見える。っていうことは俺の乗換駅でもある代々木上原が近いって言うことだ。 は、腹、痛え。それも、半端じゃなく痛え。これヤバイよマジで。 俺は胃腸が弱い。で、昨夜はなんかどうだっていいような社内の飲み会で、なぜか俺は相当に飲んだらしいのだ。ちなみに、店は韓国焼肉屋。キムチ旨かったなあ。ってゆーか、俺、キムチ食べると毎回腹が下るんだった。 必死に堪えたが、脂汗が出てきた。 なんだってこんな時に、急に来るんだ。 次の停車駅、代々木上原の駅に着くと、俺はドアが開くのももどかしくダッシュした。階段を下りると公衆トイレがあったような気がする。俺は駆け下りた。しかし。階段がまずかったのだろうか。尻のあたりに嫌な感触が。あああああああ。 男子トイレの看板が見え、俺は必死に走り込む。しかし、状況としてはもう、取り返しのつかないことになっていることを俺は頭のどこかで理解していた。 もう、ダメだ。 いわゆる、水状便ってやつなんだよな。 俺は、煙草に火をつけながらぼんやりと考えていた。 人間、我慢していたものを出した後って言うのは、ほんとぼんやりするよな。 最近、ハイライトからマルボロライトメンソールに変えたばかりの俺。しかし、今の気分にはロングピースが似合うぜ畜生。 しかしさあ、どうすりゃいいんだよ。とりあえず俺、このままじゃ会社に行けないじゃん。 俺の足元には、下痢便だらけになったスーツのズボンが転がっている。 この小汚い公衆トイレの中で、俺のズボンが一番汚いという事実。当然、トランクスも糞だらけだ。 そんなこんなで、俺は下半身裸のままで便器に座り、一服してる訳だ。 これ、女は呼べないよな。 俺は最近付き合い始めたばかりのユリのことを思い浮かべた。まだ3回くらいしかやってないって言うのに、こんなところに呼んだら、まず、振られるよな。 でもまあ、3回くらいしかやってないのに早速彼女ヅラするところがちょっと鬱陶しいから、この際、いいか。ここに呼んで、さ・・・・。 この窮状を、救ってもらうか。 しかし、俺だってまだ、あと10回くらいはユリとセックスしたいと思っているのだ。派遣社員のユリはまだあと半年は契約が残っていると言っていたし、やっぱり、やめとこう。それに、別れた後に、会社でこんなこと言いふらされたらちょっと嫌じゃん、俺。 俺は必死に、なんとか頼れそうな人材を考えてみた。 会社の同僚は・・・ダメだろ。だってもう会社に着いてるころだよな。親は青森だし。かあちゃん来てくれ、っていうわけにも行かないし。友達、ねえ。つーか今日はみんな仕事に行ってるよ。 使えねえヤツしかいねえじゃん。 俺は携帯を取り出すと、まず、会社に電話を入れた。幸い、同期のヤツが出たので、腹が痛いので午前中休む、と伝えた。 「へー、大丈夫?お前昨日調子良かったからなぁ。3次会のカラオケで延々部長に『ハゲ!ハゲ!』って言ってたぞ」 「あ、そう・・・」 そうなのか。ずいぶんいい調子だったんだな、俺。まぁいいか。過去のことで悩んだってしょうがない。俺は常に前向きな男だぜ。 しかし・・・。とりあえず、今の現実はなんとかしねえとな。 電話を切ると、俺は外の様子を探った。見ると、誰もいない。ちょうど、ラッシュの時間が過ぎたようだ。今しかない。 俺はズボンとトランクスを床から拾うと、手洗い場へ行き、とりあえず汚れものを洗い始めた。なんにせよ、そのままでは穿けないし、臭いし・・・・・。 俺はイライラしていた。朝からかみさんとケンカして、家を飛び出してきたからだ。 かみさんとケンカして、家を飛び出すなんて情けないと人は思うだろう。が、しかし、出勤時間が過ぎていたのだからしょうがない。 しかしあいつの、今朝の言い草はなんだ!言うにことかいて、あんなこと言うヤツがいるだろうか。 「あー、ヤダヤダ。なんでわたしったら、小田急の駅員なんかと結婚しちゃったのかしら。お見合いの話は一杯あったのにさ!せめて京王電鉄にすれば良かった。ってゆーか、JRか営団地下鉄にすれば良かった!ヤダヤダ、小田急の駅員なんか!あなたなんかキライ、サイテー」 うちのかみさんは、生理前になるとイライラするらしく、まるで機嫌の悪い猛獣のようになり、全く手がつけられない。言っていることにも、理論は一切通っておらず、理屈抜きの悪態をこれでもかとばかりに繰り出してくるのだ。これが、泣かずにいられようか。俺だって、あんな女と知っていたら、結婚なんかしなかった。お見合いの話は俺にだって一杯あったのに・・・・。 というわけで、俺は朝からイライラしている。しているんだ。イライラしてるって言ってるだろ! 俺がむっとした顔で駅構内を歩いていると、乗客らしい男が寄ってきた。俺は立ち止まった。 「あのー、すみません」 「どうしました?」 「あのー、ちょっと外から見ただけなんですけど、そこのトイレに、下半身裸のヤツがいるんですよ。なんか様子がおかしいなと思って・・・」 「そうですか、わかりました」 俺はそう言いながらうなずくと、公衆トイレをにらんだ。こんな朝っぱらから下半身裸だと?しかも男子トイレで?変態行為も大概にしろっていうんだ。 乗客の後姿を見送り、俺は公衆トイレに向かった。なんにせよ、すぐに現状を確認しなければ。 トイレに一歩入ると、異臭が鼻をついた。 く、臭い。 まさか。 見ると、洗面所で、若い男が下半身剥き出しで、なにやら洗っているようだ。 「ちょっと。どうしたんですか」 「あっ。あのー、腹が痛くなっちゃって・・・」 こいつ。なんと朝から糞をもらしやがったんだな。 見ると、スーツのズボンとパンツを水につけている。 俺は個室を覗いてみた。床まで糞だらけだ。 まぁでも、普段の俺なら、親切に対応したかもしれない。俺はこれでも優しい駅員さんとして勤続15年になる男だ。 が、しかし、今日の俺はいつもと違うぞ!虫の居所ってやつが違うんだ! 「ちょっと、困るんですよね。それになんですか、その格好は。あんたね、トイレの個室以外で下半身剥き出しにするのは、軽犯罪法違反ですよ」 「だって、じゃ、どうすりゃいいんですか」 「それに、トイレの床を必要以上に汚す行為も禁じられています」 「だって、俺だってわざとじゃないんですよ」 「ご家族の方に着替えを持って来ていただかないと」 「俺、一人暮らしですよ」 「じゃ、どなたか責任者の方を呼んでください」 「責任者って、俺の??」 「当たり前でしょ。こんなに床を糞だらけにして。こんな行為は許されません。あんたみたいな人がたくさんいるから駅はどんどん汚れて行くんだ!」 「ちょ、ちょっと落ち着いてくださいよ」 「いや、この際だからはっきり言おう。俺はこの仕事に誇りを持っている!お前に何を言われようとも!」 「ってゆーか、それ誰に言ってんですか?駅員さん」 若い男にそういわれて、俺は我に返った。そうだ、いかんいかん。つい興奮してしまった。俺としたことが。が、しかし、こいつを許すわけにはいかん。こういうのがいるから日本の公衆道徳というのが乱れて行くのだ。・・・なんだかちょっと違うかもしれない。が、虫の居所がいつもと違うから、いいんだ。 「お・ま・え・だ」 俺はゆっくりと息を吐き出しながら言った。 俺と若い男は、まるで銅像のように立ち尽くしながら、静かに睨み合った。 「ってゆーか」 若い男が言い始めた。さっきよりもワントーン声が低い。 「ひどくないですか?これって不慮の事故でしょ。俺別にわざとこんなことしたわけじゃないですよ」 「だからなんだって言うんだ。こんなにトイレを臭くして。恥ずかしくないのか。お天道様に申し訳ないと思わないのか」 若い男は逆ギレしたらしく、わなわなと体を震わせた。 「なんだよ、うるせえな!駅のトイレなんかもともと臭いじゃねえかよ。あんたにそこまで言われる筋合いはねえよ」 「もともと臭いとはなんだ!だったら来るな!」 「しょうがないだろ、ここは俺が乗り換える駅なんだから!ここ通らないと俺は会社に行けないんだ!」 「乗り換えるだと!まさか千代田線じゃないだろうな!」 「千代田線に決まってるだろ!俺は大手町まで行くんだよ!」 「だからなんだ!」 「なんだってなんだよ!うるせーな、糞もらしたぐらいでなんだって言うんだよ!」 「いい年して糞なんかもらすな、バカ!」 「バカって言ったな、なんだこの糞オヤジ!」 「糞はお前だ!この糞野郎!」 「なんだよ畜生!」 洗いかけでまだ汚いズボンが思い切り投げられ、俺の顔面に当たった。 ゴングが鳴った。 「千代田線がなんだっていうんだ!そんなに京王やJRがいいのか!うおおおおおお」 俺は思い切りとび蹴りを食らわせてやった。 他の駅員が来て止めてくれるまで、殴る蹴るの乱闘は15分ほども続いたのだろうか。 トイレの外から眺めていた乗客の一人が、他の駅員を呼びに行ってくれたようだ。 俺は駅の中の応接室で、着替えを貸してもらえることになった。タオルやお絞りもたくさん貸してもらうことができ、俺はすっかり清潔になった。 ってゆーか、俺はあの駅員に負けたのだ。いやぁ、すごい迫力だったなあ。 つーか、あの人、一体なんだってあんなに暴れてたんだろうな? 扉が開いて、上役らしいオヤジがやってきた。 「いや、ほんとにどうもすみません。お怪我はありませんか」 「いえ、こっちこそ、トイレを汚してしまって・・・」 「そんなとんでもない。不慮の事故ですから、それは。それよりも、大丈夫ですか」 「いや、大丈夫ですよ。別に、ケガもないし。それより、さっきの駅員さん、大丈夫なんですか」 「それはもう・・・。いや、本当に申し訳ありません」 「俺はいいっすよ。服も貸してもらえたし。家に帰って着替えて会社に行きますから」 俺は煙草を取り出して火をつけた。 ちょうど目の前にデカイ灰皿があったのだ。 一服して一休みすると、俺は小田急線に乗って家に帰った。 次の日の朝、俺はまた小田急に乗った。代々木上原に着くとダッシュして向かいに待っている千代田線に乗るのが俺の日課だ。千代田線に乗り込み、一息つくと、駅のホームに昨日殴り合いになった駅員が立っているのが見えた。そいつは申し訳なさそうに目礼をしてきた。 俺も軽く挨拶して、つい笑ってしまった。 飲みすぎには気をつけないといけねえな。 ---------------------------- [自由詩]クールな大介/チアーヌ[2005年9月8日21時03分] 雨の夜は大介を思い出す 悲しくて悔しくて 泣いてしまった夜は ずっと側にいてくれた 大介はわたしを 甘やかさず 突き放しもしないで 絶妙なバランスで 一緒の布団に寝てくれた そして いつも朝になれば いなくなっていた ちょっとクールで だけど優しい 大人でダンディな大介 そんな大介は もう いない おじいちゃんになって 死んじゃった そして みかん箱に入って お花とキャットフードに囲まれて 女を全員泣かせて 最後まで ダンディだった 尻尾の長い 白黒のぶち ---------------------------- (ファイルの終わり)