……とある蛙 2016年4月1日16時27分から2021年9月10日10時03分まで ---------------------------- [自由詩]白い雨/……とある蛙[2016年4月1日16時27分] 黒猫 サッシ窓の外の白い雨 買い主のベッドの上 端正な座り方をしたまま 黒猫は夜の雨を眺めている 飼い主が死んで一年 じっと外を見ている 黒い瞳に映っているのは 寒い線なのか 白い水滴なのか 首を傾げるでもなく 首を伸ばすでもなく じっと外を眺めている。 寝室の扉を開けたとき 一声鳴いたっきり 黒猫はベッドの上 外を眺めている。 保護者の喪失から 一年 サッシ窓の外の白い雨 まだ降り止まない。 ---------------------------- [自由詩]桜並木/……とある蛙[2016年4月7日10時58分] 心弾む春の息吹を感じられる今 街中にぽつりぽつりと桜色が見える。 昨年 駅から病院へのだらだらとした並木道 物言わぬ君に逢うため、毎日歩く桜並木 春はもう来ていて、桜は花弁を散らしていたが、 沈んだ心のまま毎日が過ぎていった。 一縷の期待をかけて呼びかけてみるが、 君の眼の焦点は病室のどこかへ消えてゆく。 藤の花が咲く頃、 君は、この世と僕からおさらばした。 ほんの1年前。 そのあと、僕は梶井基次郎の「桜の木の下に」を読んだのだ。 ---------------------------- [自由詩]その男 どの男/……とある蛙[2016年6月22日14時07分] その男 生まれたときは貧相で、猿にも似た面立ちで 決して可愛い泣き方もせず、 その男 幼児となって生意気に おさがりは嫌だと駄々をこね その男 友も作らず師も知らず 世話をかけるのは父母ばかり その男 そのうち母死に父も死に、唯一好きな姉も死に 妻死に 最後は一人きり その男のその昔 親父の八ミリに写っている 誰が写したか親父と二人 満面の笑みを浮かべていたが、 親父に髪を引っ張られ 味噌っ歯をむき出しで痛がって、 そのまま別の場面へ転換 その男のその昔 いつまでたっても 僻みっぽく、友人のふりをして仲間入り 知らず知らすにずれはじめ 遊びはいつも鬼の役 もういいやとは思っても 日が暮れるまでは オニの役 その男のその昔 いつもいつだって、いろいろ言われ 心が折れても仏頂面 人前で泣くことも無いくせに そのくせホントは泣き虫で 泣き顔下向き家路をたどる、 その男はいま たとえば気持ちは弱くなり 考えるほどに辛くなる。 誰も知らない  誰にも言えない惨めさ辛さ ごまかす積もりは無いのだが 忘れるために歩きだす。 残り少しの坂道を その先にある青空に ぽっかり浮かぶ雲を追いかけ 少しはましなエンディング もし会えるものなら会いたくて ---------------------------- [自由詩]蛙の愉しみ/……とある蛙[2016年7月27日15時16分] 梅雨晴れの下 ビール腹を揺らし 何處に行くか?蛙一匹 ゲコゲコと鳴きながら 生ビールを求め 下戸下戸と鳴く また、どんよりとした空の下 ゲコゲコと鳴きながら 舌なめずりして 今日も一杯の生ビールを 若鶏の唐揚げと一緒に ゴクゴクと胃に流し込む もう忘れることなど とうになくなったのに ---------------------------- [自由詩]二人の朝/……とある蛙[2016年8月17日16時55分] 八月一五日、僕は早朝仏壇の前で線香を上げ 手を合わせ、妻の位牌に向かって詩の息を吹きかける。 随分長い間詩を書かなくなった僕は肺の中にたくさんの思いが膨らんでしまい 他人様には気づかれないよう、そっと、ふーうっと息を吐きながら生き長らえていたのだ。 それでも時々頭の隅にあぐらをかいている妻が僕に向かって息を吹きかける。 そのたびに僕の肺はたくさんの思いが膨らんでしまい 息苦しくなってしまうのだった。せめて八月一五日くらいは盛大に息を吐かねば きっと僕はあの蛙のように肺を爆発させて死んでしまうのだろう。 僕はこの日だけは妻の位牌に息を吹きかける。 その息はへたくそな詩になってしまっているが、 でも、妻はその日だけは僕の頭の隅っこであぐらをかいてはいない 二人っきりの夏の朝のセレモニー ---------------------------- [自由詩]九月の残暑/……とある蛙[2016年9月13日14時33分] 天気が良いなどという言い回しは誰が考えたんだか。 九月の晴れ渡る青空は凶暴としか言いようの無い 殺人熱光線の矢を地上に叩き込む。 しかも肌に纏わり付くスチーム爆弾を抱え込んで アスファルトが歪んで見え 路上は空気がゆらゆらと揺れている いくらかの食い扶持目当ての 職安を通さない労働者たちが 暗い目をした手配師を待って ターミナルビル手前の歩道の一角に行儀よく並んでいる 爪を噛みながら、ターミナルビルの向かいのビルから それを眺めている実態の無い自分は 腕時計を忘れたためいつまでたっても午後1時40分 道は次第にメルトダウンし始め、うねり出し クラクラする目眩ましは夢ではなく クラクラドキドキ クラクラドキドキ クラクラドキドキ 心臓の鼓動が嫌に大きく耳の中 クラクラドキドキ どっくんどっくん クラクラドキドキ どっくんどっくん クラクラドキドキ どっくんどっくん 空を見ているとまた クラクラドキドキ どっくんどっくん クラクラドキドキ どっくんどっくん クラクラドキドキ どっくんどっくん 目的も無く歩き出すとき 目的も無い自分が歩道に溶解し出す 地面に有毒地下水として染みこんでゆく。 ---------------------------- [自由詩]少女ー川端康成的/……とある蛙[2016年10月5日16時25分] 川端康成的なもの 左手の小指薬指の 欠けた少女よ 僕は君に恋をする。 君に微笑むことは出来ても 結ばれない 約束すらできない少女よ 僕は君に恋をする。 そして、夕暮れの濡れ縁で 第四、第五指の欠けた左手に そっと接吻をするのだ。 ---------------------------- [自由詩]あんこう鍋/……とある蛙[2016年12月8日14時44分] 弁慶が大口開けて鍋の中 曇天月隠す湯気あんこうの鍋 煮凝りやぷるんとする皿皮の裏 舌鼓おやじに高笑いでも無く福笑い 角の老舗の佇まい ガラス戸を開けると顔を出す ぬっと顔出す親父の顔は のっぺりとした大口で 舌なめずりしてご挨拶 「いらっしゃいませ」 「ご予約のお客様ですか」 二階の座敷に案内され との予想に反して階の下 打ちっ放しのコンクリに 水が打たれて吊されて それから揃う七つ道具 (閑話休題) 自分の顔が鍋から覗く 悪食を喰らう悪食の肌は艶やかで 湯気とともに立ちこめる ゲヒな笑いと酒の香に 今年もそろそろ仕舞い支度 などと言わせるコートの襟 ---------------------------- [自由詩]鮟鱇の独白/……とある蛙[2017年1月25日11時58分] 座敷の鍋の中から窓越しに雲が見える。雲に隠れた月がぼんやりと 少し前の地震で己が実を揺すられ、少し味が出汁に溶け出したかもしれない。 食欲満々の座敷の客たちは鍋の火加減を気にしている。 解体前の姿を見せてやりたいものだが、店の軒先に飾られているもののさほど目立たない。 海底に潜んで食い物を窺っていた時、このような事態を誰が想像していたのだろうか。 俺を食らう奴なんか俺の海にはそんなにいるものではない。 底曳き網漁船の気配さえ注意していればグルメな俺は一生食いたいものを食って眠りたい時に眠り, 暑くも無い寒くも無い俺の海で暮らして行くはずだった。 たまには鴎だって喰らうさ。 ところが一本の釣り針がキラリと光った瞬間俺は口の端に釣り針を引っかけられ妙に明るい海上へ引きずり出された。 その晩始めて月を見た。それは妙にくっきりとした水母だった。 月に見下ろされて俺はホロホロと涙が出た。 俺は親の顔も兄弟の顔も知らないのにこんなところへ引きずり出され 水を無理やり飲まされて、ぬるりとした体はバラバラにされた。 たっぷりある肝も取り出され、舌なめずりした親父たちの胃袋に放り込まれる。 こんなことがずいぶん昔から行われてきたと 仲間から遠い昔に聞いたことがある。 人という妖怪変化がいなければ こんなに仲間が減ることもなかったろうに 一度気を失ってからずっと 俺は俺のされることを天井の上から あるいは体の淵からずっと見ている 何ともやりきれない気分だが、 人にすべてしゃぶりつくされたころ きっと真上にある光の中に消えてゆくんだろうよ それは俺が頭につるしている提灯とは違って ずいぶん明るい光でしかもどこから発せられているか見当がつかないが、 ---------------------------- [自由詩]月の砂漠/……とある蛙[2017年2月6日15時21分] 奇妙な絵だった。 空には赤い月 青いグラディエーションの夜空に星はない。 地平線は白く 大きな駱駝が1頭 太い大きな足は象のようだ。 蹄はなく 指が三本 駱駝の顔は大きい。 近づくと遠近感が微妙に狂ってくる。 顔のでかい駱駝は ゆっくり歩いているようでありながら 実は人を食らっている。 駱駝の暗い情動と視点が 夜空のグラディエーションに 朱色の帯を入れている。 濁った朱色の帯 砂漠の端に生き残った子供が 胡乱な眼で 夜空を見上げている。 僕はこの絵を見ているうちに 子供と一緒に夜空を見上げていた。 そして、 二人して赤い月に吸い込まれていった。 絵を見ていたはずの僕は 今、裏側から子供と一緒に 自分の部屋を眺めている。 大人になった息子と一緒に 自分の部屋を眺めている。 ---------------------------- [自由詩]朝の微睡み/……とある蛙[2017年2月10日11時48分] 朝の微睡みの中 腹の上に行儀良く座っている黒猫 薄く開けた眼の先には 彼女の瞳がある。 夢と現(うつつ)を行き来するうち そのまま抜け出した僕の意識は 彼女の瞳の中に落下する。 猫の吐息と寝息の外に 分厚い日常の空気の層が 僕の意識を潰そうとする。 起きてしまえば日常の空気の層に のめり込むでもなく 入り込む。 そこから時計の針が何ごともなく正確に動き出すのだ。 一日が終わって酒の中におぼれた 自分が瞼を閉じるまで。 ---------------------------- [自由詩]標高2600メートルのティエンブー/……とある蛙[2017年2月14日16時04分] 幸せの街、幸せの国 グロスナショナルハッピネス GNHが世界一 何が幸せの基準なのか GDPは156番目 民主主義には程遠い 民族衣装の着用義務 何をするにも許可がいる それでもみんなハッピネス 何かを知るのは幸せなのか 何かをもつのは幸せなのか 結局みんな家族のように 父さんかぁさん僕妹 じいちゃんばぁちゃん となりのおばちゃん 年に数度のお祝いと それに出されるごちそうと 家族が増えたり減ったりする 大きな大きな安心感 それがずーっと続いて行く 家から見える山のように それがずーっと続いて行く 家から見える空のように それが本当の幸せで 他人が羨む家をもち 他人が羨む地位をもち 他人が羨む嫁をもち 他人が羨む金をもつ その時々の欲望に 満足しては繰り返し そのうちすべては飽きてきて 死ぬ直前には何も無い 何も無い空のよう 何も見えない夜の森のよう 山肌からは死の匂い 森からは死の気配 ---------------------------- [自由詩]思い出/……とある蛙[2017年2月21日16時10分] 哀しいこと 思い出一つ 沈んでゆく 猫が降りてくる きみを探しに 二つの命と六つの思い出 あやめが咲く頃 三回忌です ---------------------------- [自由詩]道∞/……とある蛙[2017年4月14日14時48分] ? 歩いて 歩いて 歩いて 歩いた 道の先には丘があり、その先めざして、 歩いて 歩いた。 会える何かをめざして歩いた。 丘の先には空があり、空の中にはぽっかり雲が 歩いて 歩いて 歩いて 歩いた。 つかむことない雲を めざして、 テクテク歩いて 歩いた ---------------------------- [自由詩]薔薇の蕾/……とある蛙[2017年4月26日16時30分] 朝露に濡れた薔薇のつぼみよ 蕾の持つ美しさ それは未来(あした)という一瞬の輝き 過去(きのう)は蓄積され そして、沈澱してゆく 現在(いま)は消費され そして、過去の薄っぺらな層の一枚になるかもしれない それでも可能性という未来(あした)は 膨らみ始めたことだけで 見ている者をわくわくさせる 薔薇の蕾の美しさは色ではなく形でもなく 一瞬の想像力(あした)への期待だ。朝露に濡れた薔薇のつぼみよ 蕾の持つ美しさ それは未来(あした)という一瞬の輝き 過去(きのう)は蓄積され そして、沈澱してゆく 現在(いま)は消費され 過去の薄っぺらな層の一枚になるかもしれない それでも可能性という未来(あした)は 膨らみ始めたことだけで 見ている者をわくわくさせる 薔薇の蕾の美しさは色ではなく形でもなく 一瞬の想像力(あした)への期待だ。 ---------------------------- [自由詩]ホワイトノイズ/……とある蛙[2017年7月1日14時21分] 白濁した海に混濁した意識が漂う 二年漂った結果は 表面がぶよぶよした海月状の肉体 漂うままに また、意識が突然回復する 白濁した海の彼方の水平線は 鈍色の空に溶け込んで その先にあるのは雲では無く 灰褐色の黄昏か 耳に届く音はサーッとした ホワイトノイズ 海中の音ゴボゴボとした空気の音は 全く聞こえず、混濁した意識の中 ザーッという砂嵐のようなホワイトノイズ 海月状の肉体は 寄り添う海月を求めて 白濁した海を漂う 海は凪だが大きく畝って ぷよぷよした肉体は 波間に浮かんでは消え浮かんでは消え 覚醒した意識は 海の音も風の音も聞こえないまま また、漂ってゆく ---------------------------- [自由詩]桜並木のその先で/……とある蛙[2017年9月12日11時34分] 桜並木のその先にある病院で大事な人は死んじまった。 二年も前の出来事で、 桜並木のその先で大事な人が死んじまった 最後に見つめる瞳は 俺に一言 助けて だった。 桜の花散るその先で 大事な人が死んじまった。 ほんに二年前の出来事だった。 空に焦がれた二人の心は うまく上ることもなく 光を抱いたまま 一個になっちまった。 ---------------------------- [自由詩]春の日/……とある蛙[2018年1月31日20時44分] 木の間に覗く風景は子供の頃の思い出 溢れ落ちる春の光に きっと明日を眺めている 春の光は淡く優しく それでも二人を包んでいる 春の光に想いを込めて それでも景色を眺めている。 春の光に包まれた二人は木の間の景色に佇んでいる。 そして二人は大人になって行く 木の間の景色は消えて行く。 ---------------------------- [俳句]独りぽっちの自由律/……とある蛙[2018年2月7日21時54分] 寂しさを忘れ忙しがる 言葉笑い 言葉失う 一人 一人女房泣く くもなくさみしい晴れの空 友は猫ウォヲシュレット だからなんだとテレビのニュース ---------------------------- [自由詩]いきている/……とある蛙[2018年5月7日16時30分] そろりそろり 五分前からの右手 ふるえふるえている 一〇分前からの右足 動かせなくなり そろーりそろーり 言葉にした声 言いたいことが唸り声になり うーうーうーうー 嘘で 歩く歩く歩く歩く 美しい何かは 言葉ではなく ふぁわふわふわふぁわふわふわ 動かない足を そーろりそーろり 足がが滑ってゆく 重さを支えているのは足ではなく 手でもなく、まして言葉ではない 生きるというバランスだけ 生きるというバランスだけ バランスの中で 生きてゆく 支えてゆく 人には見せられない 涙の陰に逼塞する 生きているだけの苦しさ 苦しさを理解しようとするバランスだけで 体を支え一緒に呻く日々 ほんの三年半前 ---------------------------- [自由詩]猫のなで肩の背中越しに/……とある蛙[2018年8月31日14時34分] ネコのなで肩の背中越しに ぽっかりと雲の浮かんだ空を見た。 一輪挿しの花瓶のように 首を伸ばしたネコは 空を眺めて何を思う 雲は肴の形をしているのか 雲はキャットフードの形をしているのか 雲は鼠の形をしているのか キャットフードの形をしている雲はあり得ないと思うか ネコはなで肩の肩越しに こちらを振り返り ニャーと笑った。 ネコは笑うか 人間が笑っているのか そんなことはどうでもよいが ネコの肩越しに 飼い主が見える。 猫の肩越しに 自分の過去が見える。 雲のない青空って言う嘘 ---------------------------- [自由詩]ケン玉/……とある蛙[2018年9月3日16時57分] あの時代に街を彷徨う男は 夜の気配のする街角で 剣玉を所在なげに操る 夕暮れの街灯の下 足を組んで剣玉する男一人 街灯から降り注ぐ まやかしの光の粒は ぼーっとした色を男に与え 髪の中で虫を飼う 髪の毛の色は赤の碧 大きな白ぶちのサングラス 細身のズボンとハーフブーツ およそ夕闇の街角には 似合わない剣玉 玉の色は緑で 奇妙に巧みな腕前で霊(たま)を捌く 降られた玉は宙を舞い 大皿小皿剣に収まる だれに見せるわけもなく 玉が踊って宙を舞う まるで何かに取り憑かれたように 辺りの闇から浮き上がって 霊が踊って宙を舞う 拡散しない光の粒に重さは無く その空間との摩擦のみが その重さの実体であること それとなしに感じさせる 空間の外側にいる心の有り様は その光の粒を取り込もうと足掻いている 街灯の下 別世界 二色に色分けされた男の身体の前で 剣玉が浮遊している 水に浮かぶ木の葉のようであったり 風に吹かれた風向計であったり 目を離した隙に、剣玉は消えて 黒と赤の二色が、街灯に反射する。 男は逆立ちして数歩 こちらに顔を向け、にやっと笑った。 そして、口から黄金の光の粒を吐き出しながら こう言った あっという間だったな。 あっという間だったな 俺は逆立ちに目の前にいる男に こう言った あっという間だったな あっという間 ---------------------------- [自由詩]仮定的自分に関する論考/……とある蛙[2018年11月7日10時59分] 「もし」という言葉を使わず 今の紅葉を見たなら 過去の幻影を胸に確実に幻滅するだろう。 「もし」という言葉を使わず 自分の日常生活を描写すれば 過去の自分が皆輝いて見え 確実に気分が落ち込むだろう。 「もし」という言葉を使わず 愛する人と会話するなら 想像以上に退屈なことに気づき 確実に幻滅するだろう。 「もし」という言葉を使わず 世界で起きている出来事を見るなら 焦燥感だけがつのってくるだけでなく 確実に人類の滅亡を予感するだろう。 「もし」と言う言葉を使わずに 自分が生きていると誤解するならば 自分が蚤ほどの大きさもないことに気づき 死という現実に直面する前に消滅するだろう 「もし」 ---------------------------- [自由詩]鬼と桜/……とある蛙[2019年4月9日14時46分] 駅から続く桜並木 だらだら坂のドン詰まり 君がいた病院があります。 桜並木の木の下には 死体と狂気が 埋まっています。 もう四年も前の想い出ひとつ 今年も桜の木の下で 散りゆく花弁ひらひらと 桜並木の真ん中を 足早にすぎる風一陣 鬼になった君の風 桜並木の木の下には 別れの想いが 淀んでいます。 もう四年も前の想い出ひとつ 今年も桜の木の下で 散りゆく絆ひらひらと 桜並木の真ん中を 人の間に冷たい風が 鬼になった君の風 見上げる花は真っ盛り 冷え冷えとした足元ばかり 冷え冷えとした君との思い 桜並木の木の下には 積み残した恨みが 沈んでいます。 今年も桜の木の下で 届かぬ想いひらひらと 桜並木の真ん中を 空しい時間が吹き抜ける 鬼の風も吹き抜ける 見上げる花は真っ盛り 涙にぬれたこの地べた 桜並木の木の下には 人の心の奥底の 鬼がひっそり佇んでいます。 ---------------------------- [自由詩]病/……とある蛙[2019年6月19日14時48分] 脳の病って、人間の一部が次第に失われてゆく過程なのです。 その傍で過ごす自分も失われてゆく過程をただ見ているだけではなく 一緒に自分の一部が失われてゆきます。 君は 次第に右手がきかなくなり、 次第に右足が効かなくなり、 歩いてゆく方向が右に縒(よ)れてゆき それを支える僕は心が縒れてゆく。 箸で食べていた君は 次第に箸ではご飯が食べられなくなり、 匙で口の飯を運ぶ。 そのうち飯を口に運ぶのは 自分ではない誰かになってゆく 一口一口おいしいかと問いかける僕に おいしいと呟くように答える。 夜はトイレが近くなり、 2時間おきに僕を起こす。 私は眠い目をこすり、君を階段に連れてゆく 中2階から2階のトイレに連れてゆく そのときも左足から、まず、あげて 右足は足の土踏まずに手をねじ込んで 右足を1段上まで運ぶ それの繰り返しを何度もしている間に君は漏らしてしまう あ〜っと悲しそうな声を出して君は僕に訴える。 トイレにつくとズボンとおむつを脱がし とりあえず便座に座らせて用を済ます。 君は悲しげだ。 僕は気にするな、病気じゃないかと励ますが、 君は首を横に振る。 そのころ毎晩繰り返す夫婦の会話 声を失った日、君は音のない声で助けて!と言った。 それが最後の夫婦の会話。 ---------------------------- [自由詩]雨で/……とある蛙[2019年8月29日10時32分] 雨の中を歩く人 雨の中を急ぐ人 雨の中をゆったりと 雨は霧のようにとりとめもなく 雨は上から落ちてくる 上が空とは限らない 無数の穴があいている 無数の裂け目が開いている 無数の涎が垂れている 雨に向かって顔を向け 空に向かって顔を上げ 雲に向かって顔を向け 嫌みの一つも言おうとしている そのうち笑顔に変わってしまい 絞り出るのは唸り声 雨の交差点に突っ込む老人 軽自動車のアクセル軽く ブレーキほどの抵抗もなく 人の列は横断歩道で マネキン人形のように飛び上がる 老人の死に場所はココくらいしかないと 年金担当の 厚生労働大臣のたまう 世界は皆憎しみたがる 世界は皆殴りたがる 世界は皆殺したがる 防衛のためとの大義名分 先制攻撃の反復拡大 揚げ足取りの自己満足 分かっちゃいるけどやめられぬ ---------------------------- [自由詩]幸せの玉/……とある蛙[2019年10月4日5時30分] 幸せは昔掴むことの出来る玉だった。 それは時間が経つと色褪せ、 ついには砂つぶになってしまい 指の隙間からこぼれ落ちるようになった。 それは最初気づかないほど僅かで。 しかも気付いた時にはもう掴めないほど 手の中に砂つぶは残っていなかった。 その時、僕は砂つぶが時間そのものだとは気づかなかった。 つまるところ 幸せも時間の塊が光り輝いて たまに見えたものだったのだ だから手の中に砂つぶのなくなった今 床に落下した時間という砂つぶで山を作って 想い出と呼んで眺めている。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]大岡信の評伝について/……とある蛙[2021年8月30日9時35分] ※ほぼ感想文です。 どうも、私は彼のとても薄い教え子の一人のようです。  明治大学法学部の一般教養課程の「国語」で彼に教わっていたようです。  それも一年生の時で一、二回しか授業を受けていません。  同級生から有名な詩人なのだと言われましたが、その当時は然程興味は持ちませんでした。  今回、岩波新書の「大岡信ー架橋する詩人」大井浩一著を読んで、今自分が問題意識を持っている「個と集団における文学」について、大岡自身かなり問題意識を持って取り組んでいたことを認識した。  同書ではもともと大岡はそのスタートにおいて、文芸批評において評価を得たとしている。特に吉本?明が規定し、批判した第三期の詩人たちを「蕩児の家系」において五〇年代の詩人として「感受性の祝祭」の時代として、詩の主題からの脱却を肯定的に評価した。 詩自体が主題となり、詩は手段では無く、対象とってなってゆく。詩は感受性の実体化といえるのでは無いか?大岡流に言えば「詩は想像性の形象化」といえるのかもしれない ※実際には谷川俊太郎の「死んだ男の残したものは」など必ずしもすべてが主題性から脱却したものだけでは無いが。    それはさておき、本書で個人的に注目したのは大岡信の連句、連詩などの集団創作活動とその位置づけである。  私自身俳諧の連歌などには大変興味があり、それに関連する書籍なども読んでいる。  本書では詩人からスタートした大岡信が日本の詩歌の伝統としての連歌、連詩、ひいては歌合の伝統ある和歌をどのように見得ているか興味があったのでやり始めたという経緯がある。  詩の世界における政治との距離は、大岡の生きた時代は大変難しく、何らかの党派制を持たざるを得ない状況があった。  しかし、大岡は党派制の無い減速した生き方を選んだ。詩においても主題性を減速し、詩自体を主題とした感受性を中心においた詩を肯定した。そのことは個のみが詩歌の主題となり、矮小化することを示すものでは無い。 個を圧殺する集団の論理は否定するが、個を発展させる、あるいは個を拡張させる集団創作は当然肯定されてしかるべきであろう。  そこから連句、連詩の世界に大岡は注目する。 連詩における規則は個人の才能を圧殺するのでは無く、関係者との関連で個人の才能に害を与えないように整理するための規則として捉え直した上で、共同作業としての芸術に消化させようとしている。戦後(このような言葉も雰囲気も良く理解していないが、)、いや、明治以降、個も拡充、個を見直すことこそ文学としていたような日本文学の方向性とは異なる芸術感を持って芸術感を捉え直そうとしている。  大岡自身、和歌、古来の歌謡、短歌俳句などの伝統文学の系譜の先に現代詩も置こうとしている。  そこに連詩の思想も生まれてくる。  と言ってしまうと難しくなってしまう(大岡の最も嫌うところ「文芸評論などが過度に武張って難解になること」であるが)。 むしろ、大岡は現代詩が独りよがりの袋小路に陥ったことを救う対象療法としての連句、連氏を考えていたようである。。六〇年代、七〇年代を経て益々現代詩はその表現の自由度から、言葉と言葉の間の関連性を不明なまま書かれることを多くなり、小児的になってきてしまった。大人的な対応としては書かれたも言葉の関連性は、読むもの一に関連性を無視しては書かれ得ない。 ひるがえって俳句の世界では、正岡子規という巨人が、偶然とはいえ写生という表現の方法論を提案したことから、古典の膨大な知識や素養なくだれでも俳句(まさに俳句という大衆文芸を創設した)。 高浜虚子に至って、客観的写生を提唱し、有季定型というわかりやすいフォームを提供することによって、俳句の大衆化を進めた。  しかし、俳諧の世界の持つ伝統を継承することによって、この表現を充実させることも可能であろう。この点さらに考察する必要はあると個人的には考えている。 ---------------------------- [自由詩]朝の列車/……とある蛙[2021年8月31日10時10分] 吊革につかまる リュックを背負った妄想の列 モノクロフイルムの 買い出し列車 一応に皆、リュックを背負い 何があってもリュックを手放さない 網棚には何も無い 大したものが入っているわけも無く 後生大事に抱えている 座席には寝ているか、寝たふり 目を開けている者は スマホを一様に見ている そこには、 知らない誰かが得する情報はあるが、 自分が得する情報は無い、 しかし、 貪るように目を通す 遅れないように もう、何十周も遅れているのに 賢い君は分かっている筈だ。 スマホが何も産まず、 貧しい君から、 幾ばくの無駄金と 考える種を奪っていることを 指示があるまで 何もしない 何も考えない 何も約束しない 何も無い自由だ 同じ顔して 同じ頭で 同じ格好をして 同じ物を食べている 友達がいれば? 友達は妄想の自分 それ以外は敵だ 気に入らなければ 匿名という鎧を着てクレームだ どうせ友達は皆同じ顔だ 匿名という名の友達だ リアルに人を莫迦にする 言葉は空中に消えてゆく スマホの中の妄想のリアル 朝の列車の中は 妄想が リュックを背負って揺れている ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]岩手軽便鉄道 七月 ジャズ について/……とある蛙[2021年9月10日10時03分] ※感想と雑文です。 宮沢賢治の詩的リズムの推移 ?57577短歌 ?734短歌的終止 ?3443俗謡系 ?337わらべうた系 ?447仏教歌系 ?十五音=律 77の俗謡 当時のジャズの特徴 ?シンコペーション(ラグタイム) ?インプロビゼーション(アドリブ) スコットジョプリン ラグタイムピアノの王様 ずれたシンコペーションがジャズの特徴 宮沢賢治の言葉にもパノラマ的 ラグタイムが感じられる。 ダダイストの辻潤や 中原中也が絶賛 二人共賢治と違い過ぎる 辻潤はアルプスに行くなら「ツアラトウストラ」を持ってゆかず「春と修羅」を持ってゆくとしている。 中也と賢治の奇妙な関係。 二人とも名辞(概念)以前の現識 言葉など概念以前の心象を言葉によって表現しようとしている矛盾。 草野心平 同人誌銅鑼当時からの賢治の理解者 死んだ後も賢治を絶賛 しかも将来性があるとかそのような半端なほめ方ではない 天才と呼ばれる者としている。 岩手軽便鉄道七月(ジャズ)において 賢治はソロでインプロヴィゼーションをしていて、 岩手軽便鉄道はリズムセクション イーハト−ヴの風景や風、北上山地は伴奏者だ。 とする。 東京の浅草や銀座でモボ、モガが盛んに歌うジャズは 歌詞ではジャズジャズと叫びながらジャズでは決してないようだ。 詩の中でジャズという言葉を使用しないが、 賢治の詩はジャズ的なものである。 アフタービートのラグタイム→ざらついた質感の言葉 インプロヴィゼーションの言葉のパノラマ本当に突然歌がなくなり、 声がなくなり、音がなくなり 音楽がなくなった 音楽がなくなっただけではなく 人とのおしゃべりがなくなり 無言の誤解レター     ※宮沢賢治の詩は嫌いではないが、熱狂的にはなれない。宗教観の違いかなぁ ---------------------------- (ファイルの終わり)