北村 守通 2016年4月4日0時56分から2020年4月12日23時06分まで ---------------------------- [自由詩]研粒なくとも雨は削る/北村 守通[2016年4月4日0時56分] 雨が削る 雨が砕く 花を削る 花を砕く 石を削る 石を砕く 心を砕く 心を削る   足が重くなって   ふと歩くのを止める 雨が削る 雨が砕く 花を削る 花を砕く 砕かれた残骸が アスファルトにしがみつく 砕かれた残骸に 叩きつける 叩きつける 雨が叩きつける 雨が叩きつける   張り詰めていた心が   息を吸ったとき   叩きつけられるままに           心が削られる     心がたぶん砕かれている     心は痛みを感じなくなっている     心は痛みを与えたことに気付かなくなってしまっている     心は心とは呼べないものになってしまっている          もう     アスファルトに叩きつけられてしまった     花の残骸を     花とは呼べないように 雨が削る 雨が砕く 花を削る 花を砕く 石を削る 石を砕く アスファルトも 泥水の界面も 心も 界面も 界面を 削る 砕く 雨を 砕いている ---------------------------- [自由詩]停滞せざるを得ない社会/北村 守通[2016年4月30日20時49分] 王様は居る どんな世界にだって 王様が要る 様々な名前で あるいは 名を持たず 王様を倒すためにも 王様が要る 新しい王様を選ぶためにも 王様が居る あるときには DNA鑑定により説明可能な 血のつながりによって あるときには DNA鑑定の対象に収まらない 血のつながりによって それらは 受け継がれる 再生産される 製造元の名称が変わることはあるけれども 基本的な 製造方法は変わらないまま 王様は生産される 特許を気にする必要は もはやなく  皆が皆 どこかで どこかの 王様を生産して 細かいローカルルールに従って 王様を操作している 王様という盾で 王様という免罪符で 王様の後ろに隠れて   やる    やりたいように 上手くいかないことは ヒトの責任ではなく 王様の責任となる 王様の性能が理由となる 王様の製造元の責任が問われる    けれども    どの王様を使ったとしても    結局のところ    劇的に    何かが変わるということでも    ないのだけれどもね 大量消費に堪えかねて コスト削減の煽りを受けて 国民的な存在の 王様を 開発し 製造することは 今や なかなか 難しい ---------------------------- [自由詩]べんとう/北村 守通[2016年5月10日0時22分] 温めないでください ぼろが出てしまうんです ぼろぼろになってしまうんです 不必要に熱くなって 不必要に口の中でちくちくと刺しまくるんです 冷たいままにしておいてください それが 決しておいしいわけじゃぁありませんが 少なくとも それよりも まずくなることを防ぐことぐらいはできるわけです 放っておいてください さわらないでください 変な調味料でべとべとにしないでください あなたの好意を押し付けないでください あなたの好みを押し付けないでください あなたを押し付けないでください あなたを 不用意に 近づけすぎないでください 私には 冷たいくらいが 丁度よいのです 私は よりよくなることは望んでいませんが より悪くなる可能性はできるだけ避けたいのです    まぁ出されたら出されたで    がまんくらいはしますが    それは決して本意ではありませんからね ですから 温めないでください 私は あなたの人形ではないのですから    とは    面と向かっては言えず    うつむいて    できるだけ早く    飲み込もうと    口の中で    接触する時間を短くしようと    努力していたら    温めた弁当が気に入ったのだと    誤解されているが    真実は    面と向かっては言えないでいる     ---------------------------- [自由詩]夕立/北村 守通[2016年8月14日0時39分] 音がする 夕立の 音がする 慌てふためく 声が聞こえる 慌てふためく 足音が 雨の音にかき消される 無人の道に 雨が叩きつける 地上にたまっていた 堆積物を弾いて 空中にまきあげる 忘れてしまっていたものたちの匂いに はっとさせられる 忘れてきてしまっていたことを 思い出さされる   気がつけば 雨の音は いつしかやわらかく 雨の音に いつしか聴き入っている 蝉の声も いつしか戻っている 人の足音も いつしか戻っている やがて 人の声も戻ってくる 雨の後姿が 小さくなっていく 西の空は まだ白く 西の空は あと一息だけ まだ白く 西の空が 黄色く 赤く 青く 変わっていくのは まだ もう少し先のことなのだろう けれども 白の後姿も ゆっくりと 小さくなっているはずなのである ---------------------------- [自由詩]大山/北村 守通[2017年1月4日0時54分] 曇天の 暗い空の下 巨大な 双曲線が 空に食い込んでいる 領域は 黒く塗りつぶされている 漸近線は隠されている   漸近線の   その下に   ゆっくりとおろされた   平原に   一つ   二つと   道を切り   一つ   二つと   家を建てて   一つ   二つと   灯りをともし   集まって   空となる   集まって   星空となる 漸近線の その上に 星空が拡がっているはずである 漸近線の その下に 星空が拡がる 漸近線は ずっしりと 動かないで居る 漸近線は 空と 空とに 食い込んで 空と 空とを しっかと 掴んで 支えている   やがて   真っ暗になって   境界線が   見えなくなっても   漸近線は   空と   空とを   つないでいる ---------------------------- [自由詩]スポット自炊/北村 守通[2017年1月10日0時49分] 何年ぶりだろう 飯を炊くのは 湿った摩擦音が懐かしい 粉っぽい水の ぬるぬるとした 妙な 温かさが ありがたい かつて こうして 飯を 炊いたものだった 毎日というわけでもないが それなりに 頻繁に 食べてもらう 特定の相手はいなかったが それなりに 不特定多数に 弁当作ってやったり 差し入れに おにぎりこさえていったり くらいするだけの 人脈はあったのだった 今じゃぁ せっかく うまく作れたとしても 自慢するための 相手もいやしない 声をかける 相手もいやしない ---------------------------- [自由詩]分岐/北村 守通[2017年5月7日0時09分]   粘度の強い   溶液に   巻き込まれて   もみくちゃにされて   背中を押されて   バランスを   崩しながらも   前には進む   粘度の強い   溶液の   流れる速度は   見た目よりも   はるかに   かっ飛んでいて   手ごろな   岸まで   横切ろうとしても   あっという間に   すっ飛ばされて   いつしか   岸から   離れた方へと   どんどん   どんどん   流される     ズボンの     ポケットの中の     キーの感触はある     財布の     重みも     胸にしっかと     あって     何も     心配することは     ないのだ     ただ     岸に無事に     たどり着くことが     できさえすれば     このまま     流れに     飲み込まれてしまって     消化されて     海底に     排泄されることさえなければ      ---------------------------- [自由詩]余暇/北村 守通[2017年5月8日0時09分]   飲みに行こうかと   誘う相手がいない   飲みに行こうと   する時間がない   電話をしてみる   相手がいない   メールをしてみる   理由がない     結局     行きつく先は     港か     防波堤か     農業用のため池か     そんなところにしか       過ごす場所はない   もう少し   別の選択肢があっただろうに   その選択肢を   考えてみるためには     やはり     港か     防波堤か     農業用のため池か     そんなところにしか     向かうしかないのである ---------------------------- [自由詩]過労市/北村 守通[2017年8月26日0時47分]      ブラック企業      ホワイト街 熟睡することを 否定され 今日も 電源ケーブルが 悲鳴をあげている 熱を出して 膨れあがっている ツイストペアケーブルが ねじれてしまって パニックを起こしている こと 等々については 誰もが 見て 見ぬふりをしていて      ブラック企業      ホワイト街 夜は 昼よりもまぶしく それでも 飽きることなく 更なる明るさを求め 昼の 漆黒の中 密かに準備は行われている けれども 針の穴に糸を通すには やはり 不便な明るさでしかないのだが おそらく 根源的に あさっての方向を向いているのだろうが それを棚に上げて 効率化を叫び それらについては 誰もが 見て 見ぬふりをしていて      ブラック企業      ホワイト街 白い夜 際立つはずの影は 不鮮明で 不完全な明るさ あさってを照らす 明るさ 背伸びをしすぎて 足がつっているにもかかわらず 座ることを許されない 明るさ 高望みに つるし上げられ どこまでで線引きするかを 見失い あれよ これよと 悩み 悩むうちに 電源ケーブルは 悲鳴をあげる 汗もかけずに 熱を出して 膨れあがる ツイストペアケーブルが 混乱する ねじれる パニックを起こす はた迷惑な 眩しさに 瞳の上の遮断機が 自動的に落ちる   まっくらになる      ブラック企業      ホワイト街      街は      熟睡することを許されない      街は      希望退職することを選択できない      街には      福利厚生はない      街には      退職金はない      賞与もない      街には      相談すべき相手もなく             当然のこととして        街には        加入すべき組合もない ---------------------------- [自由詩]防波堤の暗転/北村 守通[2017年11月15日0時59分] 船は急ぐ 港への帰路を 引き波たてて 薄暗くなった 海岸に 一つ 二つと 明かりが灯る 薄暗くなった 空の中 一つ 二つと 星が灯る 引き波が 音をたてて 通り過ぎるたびに 灯浮標は 上へ 下へ 喰らい続ける 衝撃にもめげす 薄暗い 海に取り残されても それでも 明かりを 打ち続ける      真っ暗になった      世界の中で      星々の      明かりだけが      取り残されている かつて 海岸だったところに 空だったところに 海だったところに 星々の 明かりだけが 取り残されている ---------------------------- [自由詩]大学時代の先輩と飲む/北村 守通[2017年11月22日1時40分] かつて ともに歌った 歌の 楽譜のページが にじんで 黄ばんで ぼやけたとしても 私のことを 呼び捨ててくれる あなたの声は 変わらぬ 大きさで 私の背中叩く かつて ともに 風呂に入って 洗った 二人の髪が 今では 見る影も なくなったとしても 私のグラスに 酒をついでくる あなたの顔には 今でも 変わらない 満面の笑みが浮かぶ 今では 変わった家族のことや 今では 変わった住処のことや 今では 変わった趣味のことや あれや これや 肴にして 夜は進む 今では 泊まれなくなった 大学を通り過ぎて 今でも 大きな背中の後ろ 歩く 語る言葉が少なくなっても 語るべき言葉が見つからなくなっても 駅までの距離が短くなっても ふらつく足元の 記憶があいまいでも あなたの背中はくっきりと見える 忘れ去られそうに なっていた記憶のかけら 忘れ去られそうに なっていた自分自身 引っ張りあげて 思い出させてくれた 最後の 最後まで 面倒見てもらった やっぱり あなたの背中は広い やっぱり あなたにはかないやしない やっぱり あなたの顔 まっすぐ見据えられない やっぱり あなたが 先輩でよかった この次は いつか 会えるでしょうか この次が いつか 来る日を信じます この次は もっと もっと 話をします この次は 必ず有給休暇とります   明日はたぶん   二日酔いなんでしょう   明日はたぶん   頭が痛むのでしょう   けれども   それは   あなたと会えた証し   消えないでいて欲しい   あなたと会えた証し ---------------------------- [自由詩]マイクロプラスティック/北村 守通[2017年11月24日11時23分] 紫外線に 焼かれ続けて 色褪せた 生活の数々が 焼かれ続けて ぼやけた 台詞の数々が   流れ着いて   さらされて   流され出されて   打ちつけられて   砕かれる 縮重されていた 一粒 一粒が 再び ばらばらになって こちらに あちらに 散らばってゆく あちらに こちらに 足元に 散らばってゆく ---------------------------- [自由詩]   浸食作用/北村 守通[2018年4月26日0時37分] 雨水 泥水 ダダダダダ 削って まいて 絡まって 雨水 泥水 ダダダダダ 叩いて はがして ダダダダダ あれが これが 流される 削られ 剥がされ 流される ダダダダダダダ ダダダダダ 界面の下も ダダダダダ   ぼんやり   ぽつねん   立っている   俺の脂肪は   削られず   削ってほしい   思い出は   むしろ   はっきり   くっきりと   削りだされて   ダダダダダ   叫んでみせた   声だけど   ダダダダ   雨に   削られる ---------------------------- [自由詩]蘇る用水路/北村 守通[2018年5月2日10時41分]   乾いて   ひび割れていた   土の上に   種子の上に 待っていた 待っていた   水が 待っていた 待ち望んでいた 水が 今年も やってきた 乾いて 硬くなっていた 土の床は やわらかく ほぐれて アオミドロの ジャングルを取り戻し 小さな住民たちが 帰ってくる 小さな住民たちで 通りはにぎわう   さみしくなった   この界隈の   忘れ去られそうな   小さな   用水路に    細い 浅い 地区に 小さな住民たちが 今年も帰ってきて 盛大に 土煙をあげている ---------------------------- [自由詩]再開発/北村 守通[2018年8月16日12時18分]  老舗の店が  建っていた  老舗の店で  買い物をした  老舗の歯医者で  口の中を血だらけにした  はずであった  ように思う  が   赤土が   むき出しになった   猫の額ほどの区画の   土地の上に   果たして   どのような   模様の   臭いの   肌触りの   密度の   建物があったのかは   完全に   私の頭の中でも   取り壊されて   再建できないでいる ---------------------------- [自由詩]過程についての説明的文章/北村 守通[2018年8月24日1時15分] 面倒くさがりの 私は 車の運転中も ラジオもつけず あるいは 機器媒体を用いて 音楽をかけることもない 家に帰っても 音楽や あるいは 音声関係の類を聴くために スイッチを入れる習慣はないものだから そういった ものを買う習慣もないし そういった ものに関する 情報を仕入れようとする習慣も身についていない   そんなこんなで   生きてきたから    好きな音楽のことについて 楽しく語り合っている姿は 異質な文化であって 根源について 理解することができていないから 会話に参加することもできない   そんなこんなで   生きてきたから   音楽に関するイベントに関して   興味も抱かないし   ありがたみも   感じることはない      だから   音声に   ありがたみを感じることもなく   当然のこととして   私は   会話をつなげることが   きわめて   下手になっており      そんなこんなで   会話することを   忘れる様になっていた ---------------------------- [自由詩]道草/北村 守通[2018年10月18日1時46分] たまには こっそり 味噌ラーメン 一人 かくれて 味噌ラーメン 仕事の合間に 移動の途中に 立ち寄り すする たのむのは いつも 同じメニューのはずなのに メニューブック とにらめっこ かかるは 五分 あちこち 目線がうつって 相談して 結局 結論同じと わかっちゃいるけれど やめられないのよ この五分 いつもと おんなじ たいした 味でもないはずなのに わかっちゃいるけど やめられないのよ この店 立ち寄り わざわざ 立ち寄る このひと手間が たまには こっそり 味噌ラーメン で なくちゃいけなくもないけれど なくて 七癖 味噌ラーメン ---------------------------- [自由詩]墓掃除にて/北村 守通[2018年12月31日0時56分] 直七が 転がっている 道をぬける ぽっかりと あいた 筍の跡地は そのままになっている 五月からずっと ちらほらと 落ちた つつじの花弁は じっとりと しみている ぽつん ぽつんと 転がっている 暮石に刻まれた 名前は 不鮮明で 暮石の下に 眠っている人々の 物語は もっと 不鮮明で 私との 関連性も 不鮮明で ここに 私を 埋めてくれる人が いるのか ということも もっと もっと 不鮮明で うわの空で 短くなってきた 竹ぼうきを それまで通りに 動かしている 今年も もう 終わろうとしている ---------------------------- [自由詩]室戸岬/北村 守通[2018年12月31日1時06分] 室戸岬の 先端に 向かって手を ふってみた 室戸岬の 先端からは ぜったい 見えやしない この ちっぽけな 沖堤防から 恥ずかしいから 声は出せないが こころの こころの おくそこでは どうにも どうにも 飛び跳ねながら おーい おーいと 手を振ってみる 手を振ってみる 振ってみる 振ってみる 振ってみる ---------------------------- [自由詩]夜メバル乗り合い船にて/北村 守通[2019年1月14日21時33分] 細い 溝のような水路から 船に乗せられ どんぶらこっこ どんぶらこ 狭くて 広い 黒い ダンジョンの様な海 初めての 魚を求めて どんぶらこっこ どんぶらこ 青イソメの 頭を狙う 針の先 かわして 指の先 狙って音立てる 青イソメの 鋭い口ばし なんとか交わして チョンがけし なんとか交わして チョンがけし なんとか終わって 投入し 空に星はない 陸の光はどこかしら 後ろからの 船の光が 眩しすぎる   これが東京湾か   これが夜の乗合船か 興奮のあまり イソメをさんざんもてあそんだ 指先を 洗うことも忘れて 握り飯を手に取る その味が 脳に伝わる前に   来る   来た   き   来た   来た 竿先といわず 竿尻にも 東京湾の 魚の 生体反応が 伝わってきた   これが    これが   これが    これが   夜の東京湾なのだ ---------------------------- [自由詩]鰈乗合船/北村 守通[2019年1月17日12時38分] トモに だるまが鎮座している 友はなく お互い 一人で じっと 鎮座している お互い なにも 語らずに じっと 灰色の 海面の 糸が沈んでいるであろう 方向を じっと 眺めながら 鎮座している おそらく 海底では 泥布団の上で 天秤は 眠りこけている ついついと こづかれても それにこたえることもなく 眠りこけている ---------------------------- [自由詩]忙殺/北村 守通[2019年3月18日0時34分] 必然を失っていた 逃げ水を 振り返ることも なくなっていた 明日やってくる 昨日に なにがあったのかも 思い出せないようになっていた なにがあったのかも 気にならないようになっていた 明日 しあげなければいけない 書類の 変更内容だけは 家に帰りついても いつまでたっても 頭の中にまとわりついている 家で 済ませてしまえば いくらかは楽になるような気もしているが 重い体は 動かない それでも 布団に入るでもなく 机の中に くるまっている ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]入道雲が立ち去る頃/北村 守通[2019年6月27日11時52分] 入道雲が街を洗う準備に追い立てられている頃、彼女は無言でテーブルに向かった。まるで決められていたように奥のテーブルにまっすぐ向かうと、パーテーション代わりのプランターを背にして座った。後からわかったことだが濃い緑のワンピースにどのような顔があったのか誰も覚えている者はいなかった。髪はどうやら黒色で肩までおろしていたらしかったが、それとて怪しいものだった。彼女はごく当たり前に彼女であって、それゆえにごく当たり前の光景であったから、誰一人として注視する者はいなかったのである。  さて、彼女が席について少しすると、入道雲は自分の仕事を始めた。定刻通りのことだった。阿鼻叫喚は大粒の水滴によって路上に積もっていた細かい土砂と一緒に流し出された。  センセイと呼ばれる男が入ってきたのはそれから五分くらいたった頃だった。雀の巣のような頭から雨水を滴り落としながら彼はいつもの自分の席に座ろうとした。そこは先ほどの彼女の席の右隣りであった。センセイが腰かけようとしたとき、彼女が立ち上がり二言三言話しかけた。最初要領を得なかったようなセンセイの顔はぱっと明るくなり、上機嫌で給仕を呼んだ。そしていつもの自分の席ではなく、彼女の席の前に座り直すと、やってきた給仕に二人分の飲み物を注文した。二人は乾杯し、しばらく話し込んでいた。やがて入道雲が自分の仕事を終えて帰路につく頃、二人は連れ立って店を出た。彼女の顔はセンセイの影になってみることができなかった。センセイは終始上機嫌だった。それが生きているセンセイの姿が目撃された最後だった。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]再び巻き始めた釣意/北村 守通[2019年7月14日14時00分]  エイヴォン川のグレイリング達のことを想うと抑えきれなくなって、私は竹竿を手に取った。フランク・ソーヤーは嫌っていたが、私は彼女たちの妖美な姿に骨抜きになっていた。  いつかバイカモ達が茂る川辺に立って。大きな背鰭をいっぱいに広げた彼女達の目の前に偽物の羽虫を送り込んで驚かせてやるのだ。 私は竿にリールを付け、実際に継いでみた。心地よい重さだった。更に色褪せたベストを羽織り、バウアーの帽子で爆発していた頭を覆った。パスポートはなかった。溜息を三度ついた。私はデスクに向き直るとカレンダーと対峙した。  エイヴォン川は無理だとしても。  忍野八海のバイカモ達も劣らず美しいのだ。グレイリングこそいないものの、決して引けを取らない美しい鱒たちが泳ぎ回っている筈なのだった。けれどもまだ解禁したての今は早すぎた。5月の末、その位には素晴らしいコンディションが整っている筈だった。その時期が私も好きだった。  去年もそうだった。夕まずめ、どこからともなく現れ私の毛鉤をためらうことなく吸い込んだ立派なマス。彼の鼻先は雄々しくしゃくれていた。魂を真っ白にして、無我夢中で寄せて。いざ取り込む、という段に迷いが生じた。彼は見逃さなかった。瞬間、竿はだらしなく真っすぐになった。すれ違いざまに目が合った。3日間寝込んだ。会社も休んだ。これまでの半世紀で味わったことのない悲しみにのたうち回った。どのような女との別れもこれほどの喪失感と絶望感を与えたことはなかった。  ソーヤー爺さんならどうしたろう?祖父というものを知らない私には、彼こそが祖父であり導きだった。私は彼の書を手に取った。けれども彼は答えてくれなかった。溜息を三度ついた。そしてフォーレのリクイエムをかけて、乾燥したトウモロコシを頬張るとウィスキーで流し込んだ。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]次郎狸/北村 守通[2019年8月8日1時01分] むかし、むかぁし ある山に与一郎という木こりが住んでいた。 さびしい森の中に家を建て、家族もなく一人で暮らしていた。 ある日のこと。与一郎が仕事を終えて山を下っていると。一匹の若い狸が道にうずくまっていた。狸は与一郎を見ると、慌てて立ち上がろうとしたが、すぐにその場にへたりこんでしまった。どうやら怪我をしているらしい。近寄って覗きこんでみると、何かの獣に襲われたのか体中が傷だらけであった。狸は弱り切ってしまっているのか、もう立ち上がる気配もなく、ただ目をうるませながら与一郎のことをじっと見上げているだけだった。不憫に思った与一郎はその狸を家に連れて帰って手当をしてやることにした。 「怖がることはない。さ・・・」 与一郎は狸を怖がらせないようにやさしくそっと抱きかかえた。与一郎の気持ちが伝わったのか、狸はすっかり安心した様子で与一郎の腕におさまった。 家に連れ帰られた狸は、慣れない場所に最初はぶるぶると震えていたが、しだいに打ち解けていき、怪我が治る頃には一人と一匹はすっかり仲良くなっていた。 そういったわけで、山に戻してやってからもこの狸はたびたび与一郎の家に遊びにくるようになった。与一郎にとって、さびしい山の中のくらしで初めてできた友達だった。いつしか与一郎は毎晩必ず狸のために晩飯を用意してやるようになっていた。そして今日一日の出来事、楽しかったことやうれしかったこと悲しかったこと、なんでも話して過ごすのが日課となった。 「そうじゃ、お前に名前をつけてやろう。わしは与一郎じゃから・・・お前は・・・次郎!次郎でどうじゃ?」 狸は自分の名前が気に入ったのか与一郎の前をくるくるくるくる、それは嬉しそうに走り回った。その様子を見て与一郎もたいそう喜んだ。  与一郎が次郎と出会ってから半年も経ったある日。  いつものように次郎を見送ってさぁ、寝ようかと思っていたときだった。  コンコンコン・・・コンコンコン・・・  誰かが戸を叩く音がする。こんな時刻にどうしたものか、と思っていると 「こんばんは。すみません。どなたかいらっしゃいませんでしょうか?」 と女の声がするではないか。 急いで戸を開けてみると。そこには色白の美しい娘が一人震えながら立っていた。 「いかがなさいましたかな?」 「旅の者でございますが、道に迷ってあちこち彷徨っているうちに日が暮れてしまいました。どうしたものかと心細く思っておりましたら、こちらの灯りが見えましたので、それをたよりにここまで来させていただいた次第です。お願いです。どんな場所でも構いません。一晩泊めていただけないでしょうか?」 「うちは物置みたいな場所で、本当に雨風がしのげるだけのようなもんですけんど、そんな場所でも構いませんかな。」 「いえ、本当にどんな場所でも構いません。土間をお借りするだけでも結構です。お願いします。」 こんなさびしい山の中、ましてや夜にか弱い娘を外に放り出すこともできず、与一郎は娘を家にあげてやった。 「明日、朝一番に道を案内して差し上げましょう。ごらんの通りなにもございませんが、今日はどうぞこちらでゆっくりお休みください。」 そして自分は土間にござを敷き、娘に背を向けてごろんと寝転がった。 「ありがとうございます。ありがとうございます。」 娘は何度も礼を言った。が、やがてたまっていた疲れがどっと出たのか、ぐったりと横になるとすやすやと眠り始めた。 「かわいそうに、さぞかし怖かったんじゃろうなぁ」 そうして与一郎も眠りについた。 それから どのくらい経っただろうか? ぐっすりと眠っていたはずの娘がむっくと起き上がると。その体はどんどん伸びてゆき、やがては天井にまで届かんばかりとなった。口はぱっくりと耳元まで裂け、愛らしかった目はみるみる吊り上がり怪しい光を放つようになっていた。そして開いた口から長い舌を伸ばすとそれが動くたびにシュルシュルと怪しい音をたてた。  異様な気配を感じ取ったか、与一郎はなんとはなしに目が覚めた。そのとき与一郎が目にしたのは。大蛇のような化け物と化した娘がくわっと大きく口を開けて今にも自分にとびかからんとする姿であった。 「ひやぁっ!」 声にもならない悲鳴がのど元までこみあげたそのとき。 ズドン!と雨戸が吹き飛ばされるとそこから黒い塊が飛びこんで来て化け物にぶつかっていった。不意をつかれた化け物は大きくのけぞった。黒い塊はむくむくと大きくなるとやがて真っ黒な大入道に変化していった。 「グワォン!」 と大入道が太く鈍い咆哮をあげた。真っ黒な頭の中に真っ赤な大きな口が開いた。  怒った化け物が大入道に襲いかかった。大入道も負けじと化け物をたたきつけた。二匹は一進一退を繰り返しながら激しく戦い続けたが、ついに大入道の大きな口が化け物の喉笛に噛みついた。 化け物は悲鳴をあげ、苦しみ、のたうち回った。やがて最後の力を振り絞って大入道を引きはがすと壁を破って外に転がり出た。それを見届けた入道も、その場にばたりと倒れ込んだ。そして大きな体がみるみるしぼんでいった。  与一郎がおそるおそる外に出てみると。  先ほど化け物が出ていったところに喉元を食いちぎられた白い大蛇の死骸が転がっておった。  そして家に戻ってみると。  大入道が倒れ込んだあたりには力尽きた一匹の若い狸が横たわっていた。 「次郎・・・」 けれども次郎が与一郎の呼びかけに応えることはなかった。 翌日。与一郎は次郎も大蛇も手厚く葬ってやった。与一郎はそれからも山を下りることはなく、一人で木を伐り続けた。いつまでもいつまでも一人で木を伐り続けた。山には与一郎が斧をふるう音がいつまでもいつまでも響いていた。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]颱風と怪獣/北村 守通[2019年8月14日11時48分]  台風というやつは不思議なやつである。その風雨の強さは恐怖を感じさせるとともに、何かしら神秘的な力の強大さを感じさせるものがある。  だからなのであろうか、台風は特撮映画や番組においても重要な役割を与えられることが少なくない。  例えば『ゴジラ』の第一作において初代のゴジラは大戸島に台風とともに上陸し、村を蹂躙した。台風が真夜中に上陸し通過していく際の不気味さはなんとも言えないものがある。雨戸を締め切って、外の世界の様子から完全に遮断された中で伝わってくる音や振動は、閉じ込められた者の不安を必要以上に倍増させる。その壁一枚隔てた外の世界には人智を超えた巨大な魔物が潜んでいても不思議ではない。そんな魔物を具現化したのが、このゴジラでの大戸島上陸のシーンだったとも言える。 一方でシリーズ4作目となる『モスラ対ゴジラ』においてはモスラの卵は台風によってインファント島から静岡県に運ばれてきてしまう。この突然現れる異世界の漂着物、というのも台風にとってなくてはならないものである。一夜明けて外に出てみた時に広がる雲一つない青空や、どこからか運ばれてきた出所不明の残骸を見たときの驚き、その様なものがこのシーンの中に閉じ込められているように思う。また、このシーンは怪獣というやはり人智を超えた存在ですらも台風という自然現象に抗う術もなかった、ということを表していて大変興味深い。 もちろん、この台風と怪獣との力関係は『モスラ対ゴジラ』の時点ではもはや『怪獣』という存在が人間にとって身近な存在になっており、その存在が徐々に恐怖の対象から外れつつあった、ということも無関係ではないだろう。本来、台風と同じように『存在の原理についてわかっていつつもどうすることもできない魔物』として存在していた筈の『怪獣』はいつしか『人間のそばにいて特殊能力で助けてくれる便利な隣人』に変わってしまっていたのである。結果、怪獣はも台風の中に潜むことはできなくなってしまった。  その後台風に潜めなくなった怪獣という存在は、自ら台風を発生させることによって(帰ってきたウルトラマン第28話の台風怪獣バリケーン、ウルトラマンガイア第7話の自然コントロールマシン天界等)原点に回帰しようとしたりもした。けれどもそれは作り物でしかなかった。  こうした中で一つ特異な話がある。 それは『ウルトラQ』第11話『バルンガ』のエピソードである。表題のバルンガとは土星探査ロケットに付着してやってきた『宇宙胞子』という存在で本来は太陽のエネルギーを吸収して成長する、という設定である。この胞子はあらゆるエネルギーを吸収することができ、エンジンのような内燃機関の発するエネルギーから、ミサイルの爆発のエネルギーまで手当たり次第に吸収し無限に巨大化していく。人間の力では排除できず東京はエネルギー供給が止まってさぁ、どうする、というときに台風が上陸する。主人公たちは台風の力によってバルンガがどこか遠くに運ばれることを願うのだが、なんとこのバルンガ、台風のエネルギーさえも吸収してさらに巨大化してしまうのだ。最終的にバルンガは人工太陽を打ち上げることによって、それを追って移動を始め地球圏を離れることになる。このように台風という地球自身の力すら吸収してしまう怪獣というのはこのバルンガが最初で最後であっただろうといえる。もちろんそれはバルンガが宇宙生物であり、一個の生物であれども小型の惑星を凌駕しうるという、宇宙という可能性の巨大さの表れでもあるのだが、この発想の大きさは私を大きく驚かせた。  バルンガの話では少々逸脱してしまったが、こうした特撮映画・番組における台風というのものの描かれ方は二つの要素を表しているように思う。 1つはは削り取っていき、その過程で破壊していくもの。そして2つ目は異界の物を運んでくる、伝導するものとしての要素。相反するもののようであるが、削り取られてきたからこそ、私たちの目の前に運ばれてくるのである。一方で削られた私たちはそのいくつかがどこかに流れ着く。ともに私たちの眼前に広げられた新たな可能性の種ともいえるのかもしれない。そこにはもちろん恐怖もあるが、期待感もあるのである。    これを書いている8月某日、台風10号が迫りつつある。海は茶色くかき乱されてはいるが、陸の方ではまだその兆候は見えない。10号が通り過ぎる下で、そして通り過ぎた後にどのような世界が広がることになるのか、不謹慎は承知しつつも私は楽しみでならない。 ---------------------------- [自由詩]流れ星/北村 守通[2019年8月15日15時31分]  流れ星  ひとしずく  ほほを伝わり  落ちてった  鈍い光  ちかりと  咲いて  掌の上  どん  ぴっちゃん  流れ星  ひとしずく  爆ぜて  飛び散り  ここ  あそこ  大気に  砕かれ  弾かれて  見えなくなって    とん  ぴっしゃん  鼻腔をくすぐる  残り香に  静かに  ゆっくり  さよならをする  閉まった  扉に背を向けて  どこに向かうか  どん  ぴっしゃん ---------------------------- [自由詩]肉うどん/北村 守通[2019年9月10日10時11分]  その人は  肉うどんだった    いつも    どんなに  美しい  品々が  お品書きを  彩っていたとしても  頑なに  力こぶよりも  頑なに    磨き忘れられていた  眼球が  輝きを取り戻し  おそらくは  少年時代の  輝きを取り戻し  映し出そうとしていたのは  どこの  道  どこの  屋根  どこの  誰それ  だったのか  その人が  アイスクリームを食べたいと  つぶやいたのだった  ぽつんと  つぶやいたのだった  私が発つ前の日  私が訪れた最期の日  力こぶが小さくなっていた日  医師に止められていた  それを  私は買ってやることができなかった      と記憶している    さびしそうな顔して  どこか遠くを見つめていた      と記憶している      と記憶している    と記憶している    と記憶している      だけであって      確かめる術はない  その人は  結局  アイスクリームは食べれなかった    筈だ    食べられないまま  送り出された    筈だ  私は  もう  彼に聞くことはできなくなった  彼が  どうして  頑ななまでに肉うどんだったのか  ついに  聞くことはできなかった  いつしか  私も  肉うどんだった  ぼやけていく  父の輪郭を  懐から取り出して  忘れた頃に  忘れないように  肉うどんで  なぞっているのだった ---------------------------- [自由詩]アオムシ/北村 守通[2020年4月4日19時34分]  殻光る  殻光る  アブラナの  葉の裏で  すっくと  立った  米粒が  濡れている  光っている  きらめいている  殻光る  殻光る  陽の光の  裏側で  路地裏で  重なり合った  風紋の  はるかに上で  重なり合った  花びらの  重なり合った  鱗粉の  重なり合った  残骸たちの  はるかに上で  カルマン渦の  裏側で  震えている  震えている  二ミリの  大爆発のための  脈動が  躍動が  殻にぶつかって  揺れている  揺れている  揺れている     ピシッと        音がする           殻ひらく ---------------------------- [自由詩] 雨乞い/北村 守通[2020年4月12日23時06分]  雨粒よ  溶かしこんでおくれ  流して  運び去っておくれ  塵状となって  わたしたちを取り囲む  不安や哀しみの全てを    肺胞の奥底に  堆積させて  その重みに  身動きがとれなくなってしまう前に  その重みに  耐えかねて  息をすることを  破棄せざるをえなくなってしまうまえに ---------------------------- (ファイルの終わり)