山田せばすちゃん 2003年8月5日0時29分から2004年11月9日1時56分まで ---------------------------- [自由詩]味噌汁大爆発/山田せばすちゃん[2003年8月5日0時29分] さらばわかめよ さいの目の豆腐よ 鰹よりも昆布よりも煮干のだし汁が 行平の片手鍋の中で 煮えくり返るその様よ 天然ガス13Aは ハイカロリーバーナーより青白く燃え盛り 今まさに妻は夕餉の支度の真っ最中 ホウレン草は胡麻よごし 絹さやは卵とじ 焼き魚は味醂漬けのキンキ IH方式圧力だき炊飯釜の中で ふつふつと踊る米は県内産ササニシキ 三人の子らはテーブルを拭き箸を並べ テレビの「なつかしのアニメ大特集」に 見とれながらも 夕餉の準備は着々と進む 味噌は麦ではなく米麹 煮えばなにそっと落とす葱の小口切り ふたをしてあと少し 煮過ぎてはならない味噌汁の火を弱める テーブルの真ん中の亭主の座るべき席に 塗り箸を置き取り皿を置いてから 鼻歌交じりの末娘はつい浮かれて 言ってはならぬ一言を口にする 「お父さん、今夜は帰ってくるのかなあ」 凍りつく台所の妻の背中に 少しだけ事情を察した長兄が あわてて末っ子を目で制する 訪れる沈黙の中 テレビから流れる勇ましきマーチは 「宇宙戦艦ヤマト」のテーマ お調子者の次男は ささきいさおにならって口ずさむ お父さんも必ずここへ帰ってくると そのとき 32インチハイビジョンフラットブラウン管に 映し出された 雄雄しくも宇宙空間を進む「ヤマト」の船首より 轟音とともに白い光が ガスコンロの上の味噌汁の鍋へとほとばしる これぞエネルギー充填120パーセント 「宇宙戦艦ヤマト」の最終兵器「波動砲」! わかめとさいの目の豆腐 煮干のだしに米麹の味噌 吸い口に小口切りの葱を浮かべた 今夜の味噌汁が 愛人のもとに入り浸って 家庭を顧みなくなった亭主への 怨みつらみがさらに味に磨きをかけた 今夜の味噌汁が ガスコンロの上で爆発炎上する ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]山田せばすちゃんショウ番外編「やんのかこら、現代詩手帖?」/山田せばすちゃん[2003年8月13日3時04分] 何年かぶりに現代詩手帖を買ってみたのは、85年からこっちの詩を振り返ってみようという特集に惹かれたからなのだけれど、それはちょうど、俺が詩を書くのを休んでいた25歳から35歳までの10年間の空白期間にほぼ対応するのだし、前回も書いた通り「詩をめぐる議論」に関するアーカイブがインターネット上には俺の知る限り殆どないので、ならば大枚1200円も恐れる事は何もない、品のないピンクの表紙にちょっとだけ周囲の人々の目を気にしながらも、俺は現代詩手帖8月号を掴んでとっととレジまで歩いて、今朝妻の財布からそっとちょろまかしてきた10000円札の、お釣りを受け取るのさえもどかしく俺は書店を出てすぐに駐車場にとめた車に戻ってページを開いたのだ。 北川透/稲川方人/井坂洋子/城戸朱理の対談はそれなりにまとまっていて面白く(実はまだ全部読めていませんが)彼らが選んだアンソロジーにもなるほどなるほどと(それにしてもこの作者の顔ぶれ・・・知ってる名前の少ないことったらありゃしない、ああ、俺って本当に無知なのね・・・) 冷房をちょいとばかり効かせすぎて、窓の外側が曇ってしまった車内で、煙草を喫い、本日朝から3本目の缶コーヒーを飲みながら、俺は空白の10年を少しでも埋めるべく、仕事の予定時間がとうに来てるのをちょっと気にしながらも、「職業人であるよりはいま少しだけでいいから、神様、俺を詩人でいさせてね」とページを繰っていたのだった。 そんでもって「現代詩のキーワード」とかいう名の小コラム。 「市場原理とサブカルチャー」だの、「女性詩」だの、「ポストモダン」だの、俺にも少しはわかる80年代キーワードの(そのそれぞれにも異論はあるんだ、あるんだけれど、ここで全部やるのはやっぱり前置きとしてはいくらなんでも長すぎるので、割愛する、などといいつつ前置きはまだ続くのだけれども)むこうっかわにやってきましたお待ちかねの90年代、「定型詩論争」・・・おおそんなことがあったのか、「湾岸戦争詩論争」・・・これはこの前のイラク戦争のときにちょびっと話題になってたっけか、「ディスコミュニケーション論」、「詩の朗読現象」と続いてついにたどり着きました、「インターネットの影響」です。 もうのっけからこの筆者(横木徳久)、インターネットに対する悪意に満ち満ちております(苦笑) 「新種のメディアや表現形態の登場によって時代の流れが変わり始めるとき、つねに大量のゴミも一緒にその方向に向かい、移動することになる。 はいもうこの通り、冒頭よりネット詩、すでに「ゴミ」扱いです(苦笑) 鈴木志郎康や清水哲男がホームページを開設した事例を並べておいてすぐに「詩人といってもセミプロ級が数えるほどで、あとは圧倒的にアマチュアが占めている」と来た日にゃあ、そんなら鈴木や清水は「セミプロ」かい(笑)いったい、あんたの言う「プロ」の詩人って言うのは誰のことなんだい、と名実ともにアマチュアである俺は突っ込んでみたくもなるのだが、横木氏、よっぽど「アマチュア」の跳梁跋扈が気に入らないらしく「個人的な遊びとして完結しているならまだしも」はい、この「まだしも」怒りに満ちております(笑)「インターネット詩に着手している事の自負から、すぐにもペーパーレスの時代が到来して、自分たちの作品が主流になるような錯覚とデマを撒き散らしていた。」わははは、「錯覚とデマ」だってよ、誰だよ、そんなもん「撒き散らし」たやつは(笑) インターネットが従来の紙メディアに取って代わるなんてことはもちろんありえるわけがなく、本気でそんなことを考えていよくるやつがもし今この文章を読んでいるのだったら、すぐに浴室に行って冷水を洗面器に3杯かぶって頭をよく冷やすように(笑) ネットの詩はネットの詩として発展し成熟していくだろうけれど、それはあくまでもネットの世界という閉じた中で発展・成熟していくだけの事で、それと紙メディアの隆盛、もしくは荒廃とは、はっきりいってあんまり関係は無いことだと俺は思ってるし、もし、「ペーパーレスの時代が到来して自分たちの作品が主流になる」日が来るとしたら、それは紙メディアが勝手に自壊、荒廃して、結果的にインターネットの中でしか「詩」を探せなくなってしまった時でしかないだろうし、おそらくそういうことはありえない。インターネットというメディアと紙メディアとが上手に交流していけばいいなあ、なんてことを言うと、まるでいとうさんみたいだけれど、俺は相互の交流はありえるだろうし、現にあるんだし、それで「詩」そのものが面白くなっていく事には何の異論もないんだけれど、「集合としてのインターネット詩」みたいな概念は、多分、紙メディアとは無縁のところにあって、勝手に生成発展していくんじゃないか、などと、俺はそんなふうなことをうすぼんやりとだけれど思っていたりする。 むしろ、こういうふうに紙メディアの側がインターネットというメディアを口を極めてののしりたくなるのは、実はそれなりに紙メディア側に「危機感」みたいなのがあるからじゃないの?なんていうのは下衆のかんぐりでしょうか(笑)「すぐにもペーパーレスの時代が到来して、自分たちの作品が主流になるような錯覚とデマ」を流しているのは実はあんたたちのほうじゃないの?なんてね。 だいたい、この人、ネット詩読んでるのかね?読む値打ちもないと頭ッから決めてかかってるみたいだけれどいったいどこのどの時点でどんなもん読んでネット詩は「ゴミ」だと決めたのか、それを聞いてみたい気がするのって俺だけ?確かにネット詩は「玉石混交」の状態というか、あるいはもしかしたら「砂浜に砂金一粒」の状態であるかもしれないし、それはいとうさんがかつて「詩学」の2002年の2月号で書いた論考「ネット詩人は電気詩壇の夢を見るか」にあるように、ネットという場の特質である「淘汰システム構築の困難さ」(いとうさん)によるものであって、だったらてめえんところの詩手帖に送られてきてるはずの「今月の作品」911編全部見せてみろ、はしにもぼうにもかかんないような作品だって絶対その中にはあるはずだし、それ読んで俺が「紙メディア?ゴミだよ」なんていってもいいのか?などと聞いてみたくなっちゃうじゃないか、まったく。 誰一人として(もちろん俺だって)ネット上に散在するすべての詩を読んではいないわけだけれども、それでも確かにネット詩のなかにも「玉」もしくは「砂金」は確固としてあるわけで、そういうものを探そうとする努力というものをだね、一応ポーズだけでもいいからして見せてほしい、などと俺はこの横木氏にはいいたい、小一時間問い詰めたい(笑) そんな偏見のせいなのかどうなのか、横木氏はネットを作品が生成する場であるとは金輪際思っていないらしく、次の段落から延々と書かれている彼のネットに対する「苦情」はただひたすらに「検索」に関する問題であり、なんのことはない、「お前らゴミどもがむやみやたらにゴミサイトを作ってるもんだから、俺は検索が非常にやりにくいんだよ、忙しいんだよ、こっちは」だし、「だいたい俺の欲しい情報がネット上には転がってないんだよ、不便だよな、まったく」だったりするわけで、実は横木氏にとってはネットとはひたすらに情報を仕入れるところであって、それ以外のもんだとはちっとも思ってなかったりするわけだ、これが(笑) 挙句の果てにブロードバンド化の恩恵を「つまらないインターネット詩やホームページをのんびりと閲覧するヒマな人種」(って、つまり俺らのことだよな、ヒマな人種だったらしいよ、俺たちって、これ読んでるあなたたちも含めて、の話だけれど)「だけでなく、手早く必要な情報を入手したい多忙なユーザー」(って言うのが横木氏なわけね、どうでもいいけど、俺らは「人種」であんたらは「ユーザー」かよ、そういうのは「人種差別」って言わないのか?言わないだろうけれど)「にも対応できるようになった」って、どんなパソコン使ってるんだか知らんがいまどきテキストサイト表示するのにブロードバンドの恩恵がそんなにあるとは思えんぞ、もしかしたら横木氏ってつい最近までアナログ回線使ってたわけじゃあんめえな、まあそれだったら膨大な詩のサイトめぐりしてたら電話代いくらあっても足りないだろうからあんまり詩のサイト見てないのも理解できない話じゃないぞ、そうなれば上記の「つまらないインターネット詩やホームページをのんびりと閲覧するヒマな人種」という言葉に込められた悪意にもほんの少し根拠はあったわけだ、なんだ、貧乏人の僻みだったのか(笑)ちなみに俺は光入れてるもんね、やーい。でもテキスト表示する分にはちっとも100Mの恩恵感じてないんですけど・・・ しょうがないから横木氏の代わりに「作品が生成される場」としてのネットの特質についても、ほんの少し書いておいちゃおうかしら。つってもほぼいとうさんが前出の論考で書いちゃってることの焼き直しになってしまうのかもしれないけれど。 ネット上で生成される詩がまず一番に恩恵にあずかれることは,その作品に対するレスポンスの速さで、これはこのサイトを利用している皆さんにはよくご理解いただけるところじゃないかと俺は思う。例えばさっきの詩手帖の「今月の作品」という投稿欄の911編は6月20日に締め切った分なのだそうで、要は結果が出るまで約二月、その間何の音沙汰もなし(w現代詩フォーラムだったら早いときには投稿して10分後にはなんか評価されてるときもあるというのに(w しかしながらこのスピードゆえにネット上の詩は凄く寿命が短い、あっという間に掲示板の外に押し流されて、次に見たいときにはもうな探せなくなってたりすることもあるわけで、そういう意味では詩人ギルドhttp://www17.big.or.jp/〜kinro/index.shtmlやPJ http://www.poetry.ne.jp/の詩のアーカイブとしての役割はすごく大きかったりする。 そいでもってこのレスポンスの速さは、時に詩を目的じゃなくて手段にしちゃったりする事もあるので注意が必要だ、と俺は思う。確かに自作に何らかの評価、コメントを貰うのは作者としてうれしい事であるには違いないけれど、だからといってそのコメントの一つ一つにまで丁寧に再レス付けちゃうのは詩をコミュニケーションのツールにしちゃってるようで俺はあんまり好きじゃない。好きじゃないので、よっぽどこたえるコメントや評価にしか返事はしないし、それもできれば公開の場ではなく、個々人間のメールででもやるべき事ではないか、などと考えちゃったりもしてるわけだ。(というわけで俺はここ現代詩フォーラムにおいても、自作に頂いたコメントに関してはなるべくお返事をしないように自らを律しております、いやいや、画面のこちら側ではありがたいなあ、うれしいなあ、などとちゃんと両手を合わせて、時には滂沱の涙でディスプレイをにじませながら、コメントを拝読いたしております、などと、誰もみていないのをいい事にまたいい加減な事を書いたりもする) さてさて、インターネットを作品生成の場ではなく、ただの資料集であるとしか認識してない横木氏の(だったら冒頭で書いた「新種のメディアや表現形態の登場によって時代の流れが変わり始めるとき」というフレーズはなんだったんでしょう?ちっとも表現形態として認めてはいないじゃないですか,まったく、その気もないくせに懐の広さというか、物分りのよさを詐称しようとするから、こういう首尾一貫してない文章を平気で書いちゃうんだろうなあ、バッカみてえ)結論はやっぱり「インターネット詩はいずれ淘汰されるであろうが、有益な詩情報を提供するインターネットそのものは今後も充分期待できる。」とか言うスカタンであった(苦笑)「淘汰されるであろうが」って淘汰したいのはあんたでしょうが(笑)それも自分の見える範囲からネット詩を駆逐しておいて、「俺には見えないからネット詩は淘汰されたのだ」とか、勝手にいってればいいよ、砂の中に頭突っ込むダチョウ並みの知性でね。 心配しなくても、ネット詩はネット詩で勝手にやってくから、あんたはせいぜい文句言いながら資料収集にのみネットを活用して頂戴。 ---------------------------- [自由詩]9月の傾斜/山田せばすちゃん[2003年8月14日1時48分] 10月には花嫁になる予定の女からの電話に 秋晴れの連休でどこかへ連れて行ってもらいたそうな子供たちと 布団干しを手伝ってもらいたそうな妻の目を盗んで ガレージから車を出す            きみのてをひいてくるまにひかれたぼくのいぬを            じゅういさんまでおみまいにいったにちようのごご            おりにはいったぼくのいぬはぼくをみても            よわよわしくしっぽをふってみせるだけで            もうたちあがることはできないんだよと            しろいうわぎのじゅういさんはそらにむかってつぶやく もう会えないと思っていたのに どんな顔をすればいいのかも分からないまま 国道に出れば連休の渋滞 CDは妻の好きな福山雅治で FMに変えてもやっぱり福山雅治が何か喋っている            おとうさんはもうあきらめなさいといって            あたらしいいぬをかってあげるからといったけれど            きみのてをにぎりしめながらぼくは            もうたちあがることはできないいぬはいきていてはいけないのですかと            じゅういさんにきいてみようとおもうけれどくちはうごかない 待ち合わせた場所はどこの街にも 必ず一つや二つはあるファミレスで 無愛想なウエイトレスと 煮詰まったコーヒーをお代わりする苦痛に耐えられれば あとはどうということもなく 窓際の席で女を待つだけ            そのいぬはぼくをさがそうとしてぼくをおいかけて            かあさんがくさりをはずしたそのすきにいえをとびだして            ぼくとよくさんぽにいったこうえんにはしっていくとちゅうで            みちにとびだしてくるまにひかれたのです            ぼくがおうだんほどうのわたりかたをおしえていなかったのです 言い忘れた事がひとつだけあったからとだけ言って 女は席についてからメニューも見ないでアイスコーヒーを頼む 柔らかい生地の長袖のシャツはすみれの色で 胸元にうっすらと汗が浮かんでいるのは きっと駐車場からここまで小走りに来たせいだろうか 傾きかけていても日差しはまだ強い            そのいぬのめんどうをきみはいっしょうみられますかと            しろいふくのじゅういさんはぼくにきいた            さんぽにもいけない、おしっこやうんこもそこでするしかない            そんないぬをきみはがっこうにもいかないでめんどうをみられますか            きみはぼくのてをにぎりかえしながらそっとみみもとでささやいた            かわいそうだけれど、と 「このひとでなし」 笑いながらそういった女はそのあと急にうつむいたきり しばらく嗚咽を噛み殺していたけれど なんと答えていいやら分からないままに間抜けな顔で煙草をふかす僕に あきれたのかあきらめたのか けたけたと笑いながらアイスコーヒーを 氷ごと僕の顔にぶっ掛けて そのまま席を立ってしまった            きみらはみんなひとでなしだ、ぼくのいぬをよってたかってころしてしまうんだ            それからぼくもひとでなしだ、ぼくをたよってぼくのかわりにひかれたぼくのいぬを            ぼくはたすけることもできないで、きみのてをにぎっているだけでせいいいっぱいだ 気がつけば            きがつけば 九月の空だ            くがつのそらだ ---------------------------- [自由詩]縁 Flashバージョン    山田せばすちゃん/赤木虫太/山田せばすちゃん[2003年8月26日0時13分] http://www10.big.or.jp/〜akagi/flash/index.html# 騙されたと思ってクリックしてね。 この詩を見るのにはフラッシュプレーヤーが必要です。 http://www.macromedia.com/shockwave/download/index.cgi?P1_Prod_Version=ShockwaveFlash ついでに言うとブロードバンドだとすこぶる快適です。 それから、こういうものが「ネット詩」なのかも知れないなどと、 うかつにも思ってしまったそこのあなた、 それは早合点というものです。 ---------------------------- [自由詩]みのもんたさんにお願い/山田せばすちゃん[2003年10月7日0時09分] 夕べどうしても読みたかった本があって確か俺は持っていたはずなんだけれど今思い出してみると、別れた女に貸しっぱなしになったままであったりする。もう15年も前の話になるので時効は成立しているんだろうか?その本を返してくれと要求することは出来ないんだろうかなどとみのもんたさんに頼んで弁護士に聞いてみたい気がする。もっともこっちもかなりひどいことをその女にしたようではあるのでみのもんたさんにお願いして時効が成立してくれて助かるのはこちらの方かもしれないけれど。それにしてもみのもんたさんにお願いしたいことというのは実は他にもいっぱいあってうちの近所の蕎麦屋がこれがまた実に旨くない上に客もまばらなので近所に旨い蕎麦屋があったらいいなあなどと考える俺としてはこの件もぜひみのもんたさんにお願いしてどこぞの達人仕込みの旨い蕎麦が食べられるようにはならないだろうか?あるいはみのもんたさんにお願いしてマイナスイオンつきの扇風機は実に体にいいなどとほんと嘘でもいいから一言お昼のテレビでみのもんたさんに言っていただければお盆も過ぎてこのままでは滞留持ち越しになってしまいそうなわが社のマイナスイオン発生機能付扇風機もあるいは、爆発的に捌けることが起きるかもしれない。はたまた夕べわが阪神タイガースの星野監督と田淵バッティングコーチがそれぞれ審判への暴言と暴力行為とで退場になって挙句の果てに阪神タイガースは逆転負けしちゃったりするのだけれどみのもんたさんにお願いしてこの悲しい出来事にもユーモラスなナレーションの一つもつけてもらえれば全国の阪神ファンの溜飲も少しは下がろうというもんじゃないか。もしくはみのもんたさんにお願いして奥さんと別れてくれないなら私奥さんにお会いしてすべてを打ち明けてあなたをくださいってお願いしますなどと泣きじゃくる困った女子社員にあの黒くて怖いみのもんたさんの顔をぐっとアップに近づけた上で「ファイナルアンサー?」などとみのもんたさんに脅迫していただければあるいは彼女も考え直してくれるかもしれないじゃないか。みのもんたさんにお願いして毎朝「トクダネ!」の司会をしている小倉さんが実はかつらである事をカミングアウトしてもらって欲しいしみのもんたさんにお願いして「走れ!歌謡曲!」をもう一度やってもらいたいしみのもんたさんにお願いして「セイヤング!」も聞いてみのもんたさんにお願いしてうちの年甲斐もなく若作りをする母親に一度でいいから「そこのお嬢さん」と呼びかけてもらってみのもんたさんにお願いして一度でいいから「朝まで生テレビ」の司会をやってみてもらってみのもんたさんにお願いして現代詩が体にいいんだリーディングなんかやった日には血液さらさらになりますよとおおっぴらに嘘をついてもらってみのもんたさんにお願いして死ぬときには天国の門を俺の分だけ少しい大きめに開けておいてもらえたりなんかしたならばきっと笑って死ねる気がする。 ---------------------------- [自由詩]天使の遠足/山田せばすちゃん[2003年10月12日2時17分] 言葉をなくした二人の間には 天使が通る道が出来るのだと 教えてくれたのは確か君だった さっきからずっと何も話さないでいる 僕と君の間を ほら 天使が団体で通り過ぎていく 天使が通る ひとりめの天使は少し緊張した面持ちで ふたりめの天使は笑顔で さんにんめの天使はスキップしながら よにんめの天使は僕に手をふりながら 天使が通る カウンターで急に泣き出した君は 人目も気にしないでしゃくりあげつづけ 弱ってしまった僕は君の手を引いて 店を出てそれからタクシーを拾った 行く当てもないのに口を付いて出た行き先は 「というわけで」というあいまいな名前の 君と来たことのあるラブホテル 一つだけ灯の点いていたご休憩2時間で5800円の 部屋のパネルを「というわけで」押してみる 床に座りこんでガラステーブルに頬をくっつけたままの君と ベッドに寝転がって天井のクロスの模様を数えている 僕の間を ほら 天使が団体で通り過ぎていく 天使が通る ごにんめの天使は君の方を気遣うように見ながら ろくにんめの天使はよそ見をして しちにんめの天使に手を引かれながら はちにんめの天使は僕にウインクをして きゅうにんめの天使が黒い尻尾をしごきながらそっと僕に囁く 「ソンナモン、優シク抱キシメテ押シ倒シテシマエヨ」 「ソウシタラ彼女ノゴ機嫌ナンテスグニ直ルサ」 ・・・ときおりは悪魔だって通っていくものらしい 枕もとのスイッチパネルを触っているうちに 部屋は深海のような青一色に染まってしまう ブラックライトに光る君の白いブラウス いっそこのまま二人の上に マリンスノウでも降ってくれればいい 言葉が出ないのは水圧のせいだなんて そんな言い訳だってできるかもしれないじゃないか 青白く光る君の背中と 有線のボリュームを下げようとしている 僕の間の深海を ほら 天使が団体で通り過ぎていく 天使が通る じゅうにんめの天使は引率の先生で 八人の天使と一人の悪魔が通り過ぎたのを確認した後で 困った顔で僕にお説教を始めた 「そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。愛は忍耐強い。愛は情け深い・・・」 天使の遠足が通り過ぎてしまったあとには 今度は一体何が通り過ぎていくのか それを確かめるためにだなんて 自分に言い訳をしながら 僕はベッドから降りて 深海を君の方に泳ぎ始めることにする 文中の聖句はコリントの信徒への手紙・ 13章4節より ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]山田せばすちゃんショウ・・・何回目か忘れた(苦笑)「酷評の彼方に」/山田せばすちゃん[2003年10月22日2時48分] 山田でございます。 さて今回のお題は「酷評を超えて」お前が言うなというディスプレイ越しの突っ込みの罵声やら果ては手近なものを投げてぶつける皆様のお姿が、なにやらこの耳に聞こえ、はたまたこの目に浮かぶようではありますが(笑) (念のために申し添えておきますが実際にディスプレイになんか投げつけて結果ディスプレイが回復不能な状態に陥ったとしてもそれは俺のせいではないので悪しからずご了承くださいませ、いやいやとにもかくにもディスプレイの故障、特にノートパソコンのディスプレイの損傷は高くつきます、他愛のない夫婦喧嘩の口論の挙句、憤然と勢いよく立ち上がったところまではよかったものの足に電源コード引っ掛けて、あおりを食らって机より落下した私が2年連れ添ったノートパソコンのビブロ君は、そのままディスプレイが事切れて修理見積もり代金が10万と4800円、まだローンが1年残っているのに泣く泣く廃棄の憂き目にあいました。現在は型落ちのデスクトップタイプにウインドウズXP突っ込んでどうやらこうやら過ごしておりますがいずれメモリ増設は避けられそうもなく、ひたすら妻に恭順の意を示す日々でございます、近況報告終わり、というのもバックアップとってなかったもんだから(間抜け)日記サイト「エンピツ」のIDもパスワードもなくしちゃったし新規募集は停止中らしいしこういうことを書くところをなくしちゃったのさ、ってでも俺の近況を知りたい人がいったいどれだけいるのか、俺はいまだに謎なんだけれどさ) さてわが若年ながらも尊敬する(というか現代詩フォーラム関係では俺よりも年長の方を探すほうが難しいのだけれど)畏友原口君のご指摘どおり、批評をめぐる議論よりもまずはよい批評を!というスローガン(つか原口はそんなスローガン叫んだつもりはないかもしれないけれど)にも拘らず、今回も俺は声高に吠えながらもぐるぐるとその周囲を走って回るにとどまる愚かな犬のごとく批評そのものではなく批評論を繰り広げるしかないのだが、だって俺が批評を書きたくなるような魅惑的な作品に最近つとお目にかかった例がないんだもーんって、でもそれってただ単に俺の勉強不足、努力不足なのかもしれないけどさ。 というわけで酷評である。 某サイトではわざわざ「禁止」と大きく断り書きされている禁断の批評である。はたまた某サイトではわざわざ俺のこと名指しで「あんたの批評はいらん!」と注釈を入れられたりもした酷評である。某サイトではわざわざ俺のIP調べた上でアクセス禁止処分にしやがって悔しいからこっちも夜中にわざわざネットカフェまで出張って思いっきり書いてやったその酷評である。某サイトではわざわざ変名まで使って書いたのにその口調からすぐ「山田だな」とばれた上に「山田がいるんならこのサイトには投稿しない」とわざわざサイト主に直訴したやつがいるらしく、サイト主からその旨「申し訳ないがご遠慮願いたい、これは失礼ながら、お納め願えれば」などとウエブマネーを包んでメールが届き、その返信に「では看板はもらっていくぞ」と書いてサイトバナーを持ち帰ってきた、その酷評である。(すいません途中あたりから嘘です。) では酷評とは何か。 酷評とは基本的にこの詩はだめである、ということを述べた批評のことなのらしいのだが(書いてる本人にはあんまりそういう自覚はないのだが)もちろん批評であるからして単にだめだ、とか、つまんない、とか書いて終わりなのではなく、どこがどうだめなのか、どうしてつまんないのかについて詳細に批評者の視点、もしくは詩の理論的立脚点から理路整然と述べられる必要があるのだけれど、実はそれってもしかしたら「共感しました」とか「すごくいい詩ですね」とかの毒にも薬にもならんような「感想コメント」に比べればひどく書き手にとっては手間のかかる作業であり、本音を言えば何でわざわざここまで手間隙かけた挙句に嫌われちゃったりするのだろうと、その不毛さに思わず窓の外に覗く半分だけのお月様を見ながら弱気にも涙流しちゃったりすることもあったりするのだけれど、そういうことって多分作者の皆様の想像力のおよそ範疇外なんだろうなあ、まあ酷評されてため息つきながら窓の外に光る火星を見上げながら泣いちゃう作者というのも、俺にとっては想像力の範疇外なんだから、おあいこといえばおあいこなんだろうけどさ。 「作品」というものは実は作者によってのみ成立するのではなく、(そりゃ作者が書かなきゃ何も始まりはしないけどさ)読者がいて初めて成立するものなのではないかなどと、実は俺は思っているわけで、たとえばその伝でいけばいまだ作者以外の目に触れたことのないいわゆる未発表の作品なんぞというものは実は「作品」ではなかったりするのかもしれない。もちろん作者が作品の第一の読者である以上、作者=読者という関係においてはその作品は「作品」として成立してはいるのだろうけれども、たとえばいまだその作品を読んだことのない俺との間では、その作品は「作品」として成立していないのではないか。それはつまり逆に言えば、たった一つの作品は無数の読者の目に触れ、読まれることによって無数の「作品」として成立するということでもあるのだけれど。そしてその読者も、一度目に読んだときと二度目に読んだときとのあいだにもし「作品」の印象が変わることがあったりしたら、一度目に読んだときの「作品」と二度目に読んだときの「作品」は実は違うものであるということになるのかもしれない。もちろん、二度目、三度目はそれまでに成立した過去の「作品」の印象をいやおうなしに引きずるものであるだろうけれども。「作品」はそのときその場所でのみ成立する一回きりの体験としてある、したがってひとつの作品によって成立する「作品」の数は無限であるが、読者はその一回きりの体験としての「作品」を余すことなく堪能する義務がある、なんて考え方は、魅力的に聞こえないかい?(俺にはとっても魅力的なんだけどさ) そんな風にして「作品」が作者と読者によるただ一度きりの共同作業の結果であるとしたならば、その「作品」が酷評されたときの責任も一方的に作者の側が負うべきものであるとはいえなくなるよね?だって共同作業の結果だもんね、「うちの子供が馬鹿で不細工なのはあんたのせいよ、」「いや、お前のせいだよ、」「いやいや二人の子供だもの、二人とも何かしら責任があるのよ、」なんてそう考えれば、酷評された時の落ち込みも今までの半分になる、とかそう都合よくはいかないもんだろうかね(笑)んでもってその酷評も無数に生まれる「作品」のただひとつだけの結果である、なんてことになれば、作者が今まで味わってきた酷評されたときの哀しみは、二分の一のそのまた無数分の一…なんだよ、それって数学的には限りなくゼロに近くないかい?いやそれでもまったくのゼロじゃないってあたりに実はちょっとした味わい深さなんかも感じてもらいたいところではあるけれどもね。作者にも読者にも一回きりの経験は、一回きり故に極限まで体験しつくされるべきであるというあたりのこともちょっと考えておいてほしかったりもするし。 酷評されると落ち込んだり切れたりするのはなぜなんだろう? そりゃあ誰だって自分の作品をけなされてそれがとてもうれしいというわけはないだろうけれど、時々てめえの人格丸ごと否定されたかのように烈火のごとく怒るやつがいたりするんだよね。俺宛のメールにやたらわけのわからない出会い系サイトからの広告メールが増えたり、知らない外人からのやたらに重いんだけれど開けてみたら何にも書いてないメールやら謎の添付ファイルのついたメールやらがどんどんやってきたりするのはなぜだろうという疑問と、それはおそらく対を成す現象なのじゃないかと俺は時々思うんだけれど(笑)(あ、ちなみに、俺が公開してるメールアドレスはホットメールだし、怪しげなメールは一切触れることなくゴミ箱行きなので、もしかしたら大事なメールを流してる可能性もほんの少し、無きにしも非ずではあるけれど、そういう類のいたずらは無意味に無駄だからね、などと一応書いておく) 他の人はともかく、というか他人のことまで責任持っちゃいられないやというのが本音だけれど俺は作品を丸ごと否定したことは、悪いけれど死ぬほど記憶はあるのだけれど、作者の人格のすべてを丸ごと否定した記憶は一回もないんだよね、いやそれってただ単に俺の記憶が都合のいいことしか覚えてないだけのことかもしれないけれど(笑)つか、「作品」=作者ではあるかもしれないけれど、作者=「作品」ではないんじゃないの?ついでに言うと作者=あなたかもしれないけれど、あなた=作者ではないんじゃないかな、などとも考えてしまったりするのだけれどね。俺は山田せばすちゃんだけれども山田せばすちゃんだけじゃないし、山田の馬鹿野郎!といわれても山田じゃない部分の俺は言われてないわけじゃないか?(まあ別の部分は別の部分で馬鹿だの人でなしだの言われたりもするんだけどね)そういう意味で作品を酷評されても全人格を否定されたように思う必要はなかったりするんじゃないの? などと書きつつ、今夜はそろそろスタミナ切れである。(この項どう続けよう?) ---------------------------- [自由詩]Please Mr. Postman/山田せばすちゃん[2003年10月28日2時05分] 料金が足りませんからと 窓口の向こうの若い局員は不機嫌そうな顔で 茶筒みたいにふくれた封筒をつき返した そりゃあ、足りないのは僕の落ち度ではあるし 深夜勤務の彼にはちょうど今頃が 一番眠たいころだったのかもしれないけれど 仕方がないので封筒を開けて この前君と晩御飯を食べたときに貸してもらった 8358円(小銭はセロテープでまとめてある)を取り出す 現金は困りますよと言いながら 局員はもう一度手紙をはかりに載せて まだ駄目ですと封筒をつき返した 仕方がないので封筒を開けて 君に送る愛の歌特別編の原稿用紙12枚を取り出す 局員はもう一度手紙をはかりに載せて まだ駄目ですと封筒をつき返した 仕方がないので封筒を開けて 夕べ君がなくしてしまったと大騒ぎしていた パールのピアスのかたっぽが ベッドの枕に下から出てきたのを取り出す 局員はもう一度手紙をはかりに載せて まだ駄目ですと封筒をつき返した あの、郵便物のはかりなら 窓口の外にもありますから ちゃんと料金どおりになったら 受け付けますからいいですかと 局員は片手であくびの大口を抑えて もう片手で窓口のシャッターを下ろして 蛍光灯の明かりがこうこうと差す 深夜の郵便局の受付ロビーに 僕は独りぼっちにされて 君への手紙を持って途方にくれている 仕方がないので封筒を開けて 君に送る愛の歌特別編その2原稿用紙24枚を取り出して 君に読んだほうがいいよと言ったっきりの ハイデガーの「存在と時間」岩波文庫版を取り出して 今年の夏にベランダでいっぱいに花を咲かせた 朝顔から取れた種を3粒取り出して そっとはかりに載せてみるのだけれど まだ料金不足は解消していない 仕方がないので封筒を開けて 君がなくしてしまった僕の部屋の合鍵と オートロックの暗証番号を書いたメモ用紙と キャッシュカードの暗証番号を書いたメモ用紙と 死後の臓器移植に同意しますとサインした臓器提供カードを取り出して そっとはかりに載せてみるのだけれど まだ料金不足は解消していない 仕方がないので封筒を開けて もう便箋のほかには何も入っていないことに気がついた僕は 悲しげに首を振りながら消しゴムを取り出し 「愛してる」以外の文字を全部消して それから 「明日会いたい」と一行だけ付け加えてから そっとそっとはかりに載せてみる ---------------------------- [自由詩]はためくもの/山田せばすちゃん[2003年11月4日13時43分] ■ poem5 山田せばすちゃん seba_yamada@hotmail.com はためくもの ネパールの いや、みんながよく知ってるサガルマタとは反対のほう トリスリ・コーラーをこえて ナムチェバザールのまだ向こうっかわ ずっと中国って言うかチベットに近いほう なんだけど 海抜3000メートルくらいだったかな ランタン谷って言う場所があって とりあえずそこで1週間くらい テント張って暮らしてたことが あって 本当に何もないところで 僕の一日は テントからずるずると起き出しては 垢だらけだけどとても人懐っこい子供たちと遊んでるか ゴンパへ行って壁いっぱいのタンカと向き合っているか テントの中でうろ覚えのマントラ唱えながら 瞑想の真似事しているか とりあえず日が暮れてしまえば 焚き火で焼いた小さなジャガイモに たっぷりの唐辛子とにんにくをつけて 強い蒸留酒飲んで寝てしまう チベット仏教の村でさ 村の入り口の小川では 中に経典を入れたマニ車がいくつも 水車にくっついてくるくると回っている 一回回れば一回お経を読んだのとおんなじだけの功徳が あるんだってさ 石積みの塔の上には 五色の旗が ランタン・リルンから吹き付けている風に はためいている 抜けるような ほんとうに 寝転がって空を見ていると そのまま空に向かって落ちていきそうな 青い空の下で 五色の旗はちぎれそうにはためいているのさ 風の音しか聞こえない 片言のネパール語しか話せない僕の中で こみ上げてくるたくさんの言葉 たくさんの意味 でもそれも強い風の中では 砂よりも軽く飛ばされていってしまう 静かな静かな日々 そこにあった詩は 言葉や思いなんかじゃなかった 回りつづけるマニ車 ただ風にはためく 五色の旗 そして すべての生はここからはじまり ここへかえる はためくものの元へと ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]山田せばすちゃんショウたぶん番外のけたらその5 再びいつの日か酷評を超えて/山田せばすちゃん[2003年11月24日1時01分] 山田でございます。 前回はスタミナ切れでと言う誤魔化し方で何とかお茶を濁してみたのだけれど、実はそこから先に進まないとあのままじゃただの俺の言い訳だけだったりしたような気がすごくしていて(最もこっから先だって言い訳に終始しないと言う保証はどこにもないんだけれど)すでに濁したお茶は宵越しのお茶になってるのだから、おばあちゃんの知恵に言われるように、そんなもんは飲まない方がいいんじゃないかと言う話もあるのだけれど、こっから先は、もしあなたがどこかのサイトに詩を投稿したところ、幸か不幸か酷評をしたがるろくでもないやつの目にとまっちゃたりなんかして、レス、感想に身をやつした酷評と言う名の不幸の手紙(笑)なんかが、果たして来てしまったまさにそのときに、さてその得体の知れない評者からの悪口にも見えかねない酷評に対して「詩人としての正しい立ち向かい方」(嘘)はどうあるべきかと言うことをお教えしたい、いや、遠慮はいらないからお教えしたい、間に合ってますと言われてもしたい、いやだと言ってもしたい、聞きたくないと言っても聞かせたい、とまあそういうわけで、今回もだらだらとした前置きとともに、山田せばすちゃんショウは始まるのだった。 (なお濁した宵越しのお茶の内容を知りたいと言う人はどうぞこちら http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=2513&from=listdoc.php%3Fstart%3D30%26cat%3D5 読んだついでに感動のあまりポイント入れてしまうようなことに関しては俺は一切関知しないから遠慮なくどうぞ、とかね) さてついにあなたはさして望んでもいないのについに自分の作品が酷評されると言う立場に立ってしまった。この期に及んで「自分は何にも悪いことをしていないのに」「(あんたはともかくも詩を書いてそこに投稿したじゃないか)だとか「こんな目にあうのも三代前の先祖がきっとこの評者の先祖に何かひどいことをした因縁に違いない」(あんたの代でカルマ落しができてよかったじゃないか……しまったこれでは麻原彰晃になってしまう)だとかわが身の不幸を嘆く前に、まずその酷評を読んでみること、そこから物事のすべては始まるのだった。 と言うわけで読みなさい。 読んでまず確認しなくちゃいけないことは、この評者はあなたの詩について何をどういう風に語っているのか、それがあなたに理解できたのかどうか、と言うことだったりします。具体的に言うとするならば「こいつが何を言ってるのかわからないけれどこれが自分の詩に対する悪口であることだけはなんとなくわかる」だとか「こいつ何をすかたんな所に目をつけて、重箱の隅をつついて鬼の首とったみたいにはしゃいでいやがるのか」だとか「ちきしょう、悔しいけれどこいつの言うことはもっともだ」だとか、ともかくまずは酷評されているその内容が自分に理解できるのかどうか、それを冷静に判断するところから始めていただきたい。ちなみに一番最初は「わからなかった」場合の一例であと二つは「ともかくも内容はわかった」場合の例です。(ってそこまで言ってしまう俺って実は読者に対して親切なのか、はたまたこれがいわゆる慇懃無礼というやつなのかは、もはや俺自身にもよくわかんなくなってきたりなんかする。) もしあなたが最初の例のように、酷評であることしかわからなかったならば、その批評に関しては無視すればいいです、忘れなさい、道歩いていたら野良犬にかまれた、その程度の不幸だと思って(笑) 実はこの場合にもさらに事態は二つに分かれたりなんかするわけで、読んでわかんなかったあなたが馬鹿なのか、書いてわからせることができなかったそいつが馬鹿なのか、多分そのどっちかに事は収まるわけですけれど、どっちにしたって、その批評は「今のあなたには必要がない」と言う一点において、無視してしまうに限ります。えてしてこういうときに「真面目な」、いや「素直な」、いやもしかしたら「馬鹿正直な」作者であるかもしれないあなたは、「なんか悪口が書いてあるけれどその内容が理解できないのはきっと私がお馬鹿さんなんだからだわ」などとその酷評のそこここに見える自分には意味のわからない難しい専門用語のように思える単語の数々(いや実際、書いてるほうだってそんな単語の意味をわかってつかってるのかどうかははなはだ疑わしかったりもするようなもんなんだけれど)について学ぶべく、「現代詩手帖」だとか「詩と思想」だとか「ユリイカ」だとかはては「現代思想」だとか(「詩学」はあんまり難しくないです、それがいいところなのかどうかは別にして)手当たり次第に読み散らかしてせっかくのあなた自身のポエジーをどこかにやってしまったりしてしまった悲しい例を、私は何人も何人も知っています。 「何のことだかわからない」のは、実は「今の自分には必要がない」のだということ、それさえわかっていればわからなかったからと言って別にうろたえることも心配することもありません、平気で無視してください。ただし、ここで間違えてはいけないのは必要がないのは「あなた」ではなくて「今のあなた」である、と言うことだったりします。あなたがずっと「今のままでいいや」とか思ってたりなんかしたら即座にあなたはどんどん駄目になっていくのですから。もしかしたらその批評は「今のあなた」には必要がなくっても、「これから先のあなた」にはすごく重要なものになるはずのものであったかもしれません、ただ、出会いの時期が悪すぎた、と言う不幸な出来事で、それはことさらに詩の世界だけではなくって、あなたが生きていく間には何度も何度も繰り返し訪れちゃったりすることはいうまでもないこと、であるような気がしますけれど、如何でしょう?(とここまで書いたらおのが身につまされて遠くを見つめてタバコの一本もすってしまいたくなった俺はが今思い返しているのはもちろん、「批評との出会い」ではないところでの「出会い」であることは言うまでもありません……あの子はどうしているのだろう……) ---------------------------- [自由詩]凪沙の歌/山田せばすちゃん[2003年11月24日17時42分] 凪沙の歌 ぱぱ ぱぱはきのうおそくにかえってきましたか あたしとままがねてるおふとんのよこに もうふだけおしいれからだして おきがえもしないでねましたか ぱぱ ぱぱはきのうばんごはんのじかんどこにいましたか あたしとおにいちゃんたちはぱぱがいないときは ばんごはんのときにてれびがみれません ままはてれびをつけたらごはんをたべないから てれびをつけちゃだめだっていいます ぱぱ ぱぱはどうしていつもあさはおさけくさいのですか たまにはやくかえってきてあたしとおふろにはいって なぎちゃん、ぱぱといっしょにねようかって ぱぱはいうけれど ぱぱはいつもねてるときおさけくさいので あたしはぱぱとねるのはいやです ぱぱ ぱぱはどうしてままとけんかばっかりするのですか ままとけんかしてぱぱがでていったあと ままはいつもあたしとおにいちゃんたちをだいて なきながらいうのです ぱぱはあたしたちをすててどこかにいってしまうのよ、って まんなかのおにいちゃんはなきむしなのでいつも ままがそういうといっしょになってないちゃいます ぱぱ ぱぱはけさはやくあたしとままのねがおをみて ないていませんでしたか あたしはすこしだけめをあけてないているぱぱをみました それからぱぱはあたしのあたまをごしごしってなぜて おしいれからもうふをだして またおきがえもせずにねましたね ぱぱ ぱぱ ぱぱ あたしはほいくえんにいくじかんです ---------------------------- [未詩・独白]日記代わり/山田せばすちゃん[2003年11月25日23時02分] 軽トラックの荷台にかけてあった 銀色のビニルシートにしみとおったあめは 半日積みっぱなしの石油ファンヒータの箱を湿らせて 納品書と保証書を湿らせて 取扱説明書までがくたっと湿っていた  すみません、箱どうしましょうか?と聞いた僕に まあ、上がれ、箱から出してしまえやと 社長は食べかけの夕ご飯の茶碗を重ねて 台所の奥さんに声をかける おおい、 ファンヒータだ こっち来てよく説明を聞いておけ 石油タンクに石油を入れて う、重いな  大丈夫ですか? これくらいいっぺんにはいらないと 毎日毎日石油を入れるのがかなわん 社長は一抱えもある石油タンクを抱えて戻ると どれ、とスイッチに手を伸ばす あんまりボタンがいっぱいあるのはわしらには向かんのだ どれとどれを押せばいいんだ? あとはお前適当に調整してってくれ 乾いた音を立てて石油ファンヒータが温風を吹き出す これでいいのか?  いいです、社長、後は片つけるときに呼んでください  このクリーニングボタンの使い方をお教えしますから そうだな、今聞いてもどうせ忘れるからな 社長はにやりと笑うと お茶飲んでいけよ、おい、お茶入れろと ファンヒータの前の奥さんに声をかける  すいません、少ししけってますが  これが納品書と保証書で  こっちが取扱説明書です おう、と社長は老眼鏡をかけなおす なんだ、これっぽっちしか値引きしてないじゃないか 俺はお前の高校の先輩になるんだぞ  いや、社長、勘弁してください、いっぱいいっぱいですから  それからこれ、と僕は自分の所属している同人誌の最新号を手渡した おう、富山のYさんのところに入ったのか 金沢からはIさんと、お前と、なんだT君もいるじゃないか お茶を持ってきた奥さんが、あらあなたも何か書き物を?と聞く 現代詩だよ、こいつは あらそれじゃお父さんと同じじゃないですか  社長がね、入れてくれないんですよ、同じ雑誌に  お前は駄目だって こんなもんはなあ、顔見知りとやるもんじゃねえよ ストーブの値引きと詩の話が一緒にできるか  それからお茶を飲み終えて僕が家を出るまで  社長は一言も詩の話はしなかった  雨が降っているのにわざわざ傘を差して  玄関の外まで見送ってはくれたのだけれど  一言だって詩の話はしなかったのだった   ---------------------------- [自由詩]猫の出家/山田せばすちゃん[2003年12月20日1時56分] 暑中お見舞い申し上げます  今年は母さんの新盆だから  せめて墓参りにくらいは帰ってきなさい                   父より    追伸    そういえばクロがおとといの夜出家した    あんな奴でもいなくなると寂しいものだ 昨日届いた父からの葉書によれば 実家の猫は「出家」したらしい 可愛がってくれた母の菩提を弔うためか はたまた煩悩あふれる己が身をはかなんだのか いずれにしろ黒猫なのだから 墨染めの衣だけは自前で済むというものだ 出家した猫はなんと鳴くのだろう ニャンまんだぶと鳴くのだろうか それともニャンみょうほうれんげきょうなのか いくら猫だからといって 般ニャー心経ならできすぎというものか これクロよ いくら畜生とはいえ出家の身となったからは 徒な殺生はなるまいぞ お前の好きな尻尾のないトカゲも 時々くわえてきた雀なんかも もはや今のお前には縁なき衆生 飢え死にするかもしれないが それはそれで立派な即身成仏というものさ ところでクロよ いったいお前は出家して 何をもって仏道修行とするのかね? 山伏なんぞになろうものなら それより早く山猫になっちまうだろうし 座禅をするにはお前の背中は いささか姿勢が悪すぎる やはりあれかい、焼けたトタン屋根の上で 踊る姿は念仏踊り なるほど時宗ならば遊行三昧 猫のお前にはあい相応しいというものさ 「もしもし父さん?  俺だよ、今駅についた。  ああ、車でなんか迎えに来なくていいよ  もうじきバスが来る。  バス停から少しだけ歩いてみたいんだ、  母さんの墓まで。  ところでクロはどうしてる?  夕べ帰って来たのかい?  よかったじゃないか、少しは  寂しさが紛れるだろうってもんじゃないか」 電話によると我が家の猫は 夕べ還俗あそばされたらしい 今頃は家の中で一番涼しい 玄関のコンクリートの三和土の上で 目を細めて三昧の境地かもしれない ---------------------------- [自由詩]一月八日 白山郷共同斎場にて/山田せばすちゃん[2003年12月20日2時13分] 骨壷をもうひとつと 父親は頼みました 寒い寒い一月の斎場で 白い骨になってしまった 母親を乗せた 鉄板をみんなで囲みながら 葬儀屋が用意してくれたのは 大きな骨壷がひとつと 小さな骨壷がひとつ 小さな骨壷には 指の骨や歯やのどの骨を 大きな骨壷には 大きな骨を それでもまだ母親の骨は 鉄板の上に余りありました 「そりゃあここにもおいてはありますよ」 斎場の人が少し困ったような顔で 答えました それから僕を部屋の隅にそっと呼んで 「お父さんのお気持ちはわかりますが   そんなにいっぱい持って帰られても…」 「好きにさせてやってください」 と答えた僕は それから 鉄板を覗き込むようにしながら骨を集めようとする 父親の背中を見やりました        お母さん        今年の夏も暑くなりそうな気がします        あなたが死んでしまったときから        お父さんの世界は止まりました        お父さんはいまだにずっとあなたと一緒です        あなたの歌声の残ったカセットテープを繰り返し        音が止まってしまうときには必ず        泣きながら寝入ってしまいます        僕の子供たちも        弟の子供たちも        誰一人も        あなたがいなくなった事実を        まだちゃんと受け止めてはいません        うちの次男坊はあなたの祭壇に        見よう見まねでお焼香をしながら        「おばあちゃんが早く帰ってますように」と        お祈りしていました        僕はすっかり生花のにおいが嫌いになり        妻は父親に優しくなりました 大きな骨壷二つでも 母の骨の全部は 納まりませんでした それでも父親は ようやく満足したのでしょう 遺影を僕に 小さな骨壷を弟に任せて 自分は骨壷を二つ両脇に抱えて それで母親は すっかり我が家に戻ってきました かさかさと鳴る 小さくて軽い母親は 来月 父親の立てた墓に入る予定です ---------------------------- [自由詩]輪郭だけが残っている/山田せばすちゃん[2004年1月14日1時09分] たとえばそれは 黄色と黒の表紙がついた どこにでもあるスケッチブックで 軟らかい鉛筆を握って 記憶の底の君の笑顔を なぞってみる のだけれど たとえばそれは 終電を逃しちゃった お前の部屋に泊めてくれと 無理やりに押しかけていった 君のアパートで初めて見た 困ったような笑顔 なのだけれど たとえばそれは 風呂無しの俺のアパートに泊りにきて 二人で洗面器抱えて近所の銭湯に行く途中 たまたま出くわした俺の友人に ああ、この子が、そうなんだと言われたときの はにかんだような笑顔 なのだけれど たとえばそれは 深夜勤務のバイトが終わって 部屋に帰りついたとき 台所では炊飯器がことことと もうすぐ炊き上がりの湯気を吹きだしていて 待ちくたびれてこたつでうたた寝していた 君の寝顔を覗き込んだときの かすかな寝息まじりの笑顔 なのだけれど たとえばそれは 最近電話出てくれないよねと 何週間ぶりかの喫茶店でそう言った君に バイト忙しくてさ、なんて 見え透いた嘘をついたときの テーブルの向こう側の 少しさびしそうな笑顔 なのだけれど たとえばそれは 三条大橋のたもとで 雪混じりの風が吹く晩 俺、お前といると気持ちが安らぐんだけれど あの女といると気持ちがわくわくするんだ だからどうしてもあの女のことを思い切れなくって、なんて 手前勝手なことを一息に言い捨ててから 振り返って見た 前髪に雪のかけらをつけたままの君の 涙を流しながら必死に笑おうとしている 最後の笑顔 なのだけれど 輪郭だけが残っている ---------------------------- [未詩・独白]仮タイトル「おそうしき」/山田せばすちゃん[2004年1月18日13時20分] この度は思いもかけないことでなどと 気休めを言うものではありません 死ぬことは生きている限り必然で むしろ生きていることこそが偶然なのだと 私たちは本当は知っているからです 眼前の笑いかける写真に 安らかに眠ってくださいなどと 言うべきではありません 安らかな日々を 送れないでいるのはむしろ 私たちの方だからです 眼を閉じて固く手を結んだ亡骸に 迷わず成仏してくださいなどと 言うべきではありません 迷っているのはむしろ 生きている私たちの方だからです 私たちは死者を悼むために ここにこうして 集まったのではありません 生きている私たちこそが 恐れおののき悲しんで とても一人ではいられなかった からなのです ---------------------------- [自由詩]闘牛士/山田せばすちゃん[2004年2月3日0時14分] 月曜の夜のことだ 遅番の妻を待って 一人で留守番をしている 俺の部屋のドアを 誰かがノックした のぞき窓の向こうに立っているのは 刺繍と金モールもあでやかに 何を考えたものだか バラの花まで口にくわえた まごうかたなき闘牛士じゃないか チェーンをかけたまま 恐る恐るドアを開けると 闘牛士は恭しく俺にお辞儀をして 金を貸してほしいと言い出した   私はスペインから日本に   闘牛を教えにやってきた   日系スペイン三世なのだけれど   誤って狂牛病の牛に   角で傷をつけられてしまった   きっと私も脳が萎縮して死ぬに違いない   だが私も闘牛士だ   誇り高き男だから   死ぬのは怖くない   怖くはないのだけれど   せめて   せめて故郷アンダルシアで死にたいのだ   だから旅費を貸してほしい   君が日本とスペインの国際友好親善に   少しでも貢献しようという気持ちがあるのなら   お願いだから   少しお金を都合してくれはしないか 本当にスペイン人なのだろうか どこからどう見てもその闘牛士は 日本人にしか見えないのだけれど   だから私のおじいさんはハポンの人なのだ   私はおじいさんの国にも闘牛があると聞いて   はるばる壱岐という島まで出かけたのだが   そこで行われていた闘牛は   牛と牛の相撲だったのだ   私は失望したよ、アミーゴ   その挙句にいまや狂牛病で死にかけているのさ   アミーゴ、信じてほしい   このケープと刀にかけて   アンダルシアからお金を送るよ 闘牛士は腰に下げた剣を抜き 携えた赤いケープを軽やかに振って オレ! オレ! マンションの廊下で闘牛の身振りを始める 本当にスペイン人なのだろうか あのフラメンコは歌えますか? お安い御用だと闘牛士は ポケットからカスタネットを取り出して 歌いだし始めたのだけれど どうしてもそれは 西郷輝彦の歌によく似ているのだった オレ! オレ! わかりましたわかりました貸します貸します 一万円でいいですか? 足りなかったらよそ行ってください 俺は財布から一万円札を抜き出して 半開きのドア越しに闘牛士に手渡した そういえばまだ 俺はあなたの名前を聞いていませんでした 失礼ですが、お金を貸すんだ 名前を教えてもらってもいいでしょう   ありがとう、アミーゴ   君の事は死ぬまで忘れない   私の名前?   私の名前はだな   アントニオ、というのだ   アントニオといっても猪木じゃないぞ、アミーゴ   私の名前は   アントニオ・カルロス・ヨセ・メンドーダ   またどこかであおう、アディオス! 闘牛士はケープをなびかせながら エレベーターホールに消えていった 妻が帰ってきても おそらくは信じてはくれないだろう だが俺の財布から1万円は確かに消えている 一週間分の昼飯代だったのだが そういえばさっき見たニュースショーで 今日は牛丼最後の日です、と あの闘牛士によく似たニュースキャスターが 確かに喋っていたっけ ---------------------------- [自由詩]阿弥陀来迎/山田せばすちゃん[2004年3月10日2時24分] あさはまだくらいうちから うしうまにえさをやり いどでみずをくんで ひえつぶのういたしるをすする ひがのぼれば たはたにでて はるはあぜぬり なつはくさとり あきはかりとり せいいっぱいつくったこめも ひとつぶとてわがくちにはいらず だれのためになんのために あせをながしなみだをながし まがったこしをのばして ろうくをかみしめる ゆうぐれに うつくしいにしのそらをみる ゆうひにはえて きんいろにかがやく あのくもにのって きっとあみださまはけんぞくをひきつれて おむかえにきてくれるからと きょうもなむあみだぶつと くちのなかでとなえて ひとひはおわる ---------------------------- [自由詩]饒舌な三遊間/山田せばすちゃん[2004年3月12日3時00分] マウンド上で大きく振りかぶった 金田正一の投げたストレートを 牛若丸といわれた吉田義男が 小気味よく弾き返すと 白球は強いゴロになって 三遊間を抜けようとする あらかじめ心持ち三塁よりに守っていた 広岡達郎がニ三歩ステップして バウンドに合わせてグラブを構えて 四つ目のバウンドで捕球しようと体勢を整えた まさにそのとき 三つ目のバウンドに合わせて 逆シングルで体ごと飛び込んできた 長嶋茂雄がそのボールを捕球しざまに 体をひるがえして 一塁手王貞治めがけて座ったまま送球する 俊足吉田義男が一塁ベースを駆け抜ける寸前に 大きく体を伸ばした王貞治のファーストミットに ボールが吸い込まれて塁審の手が上がる アウト 後楽園球場の喝采を一身に浴びて 長嶋茂雄はユニホームについた泥を払いながら 定位置に戻る前にファンに向かって 軽く手を上げて答えてみせる しかし あのボールが広岡の守備範囲だったことに 間違いは無かった ---------------------------- [未詩・独白]書簡/山田せばすちゃん[2004年4月7日11時56分] こんばんわ 白山ひめ神社はシラヤマヒメノミコトをお祭りしている日本中の白山神社の総本社で加賀の国の一宮でもあったりします。桜並木を横目に見ながら旧国道を警察署の前で左に折れて車で山のほうへ山のほうへと登っていくとそのうちに昆虫館を過ぎ、青年の家の入り口を通り過ぎると大きな鳥居があってそこが駐車場の入り口になっています。駐車場の片隅にはまだとけ残った雪の塊が泥と排気ガスで黒く汚れて残っています。駐車場から手水舎を通って本殿前に行くときに、僕は必ず遠回りをして表参道の側に一回回って神馬舎のほうから門をくぐることにしています。表参道の上り口の階段の終点からは眼下に鶴来の街なみが広がり、その向こうには手取川が青緑色の水をたたえてゆったりと流れているのが見えます。 町並みのちょうどおしまいに当たるところと手取川の間には単線の小さな電車の線路が走っています。今は鶴来の街で終点になってしまうその北陸鉄道石川総線は、かつてはここからずっと山のほうに回りこんで白山につながる村々まで小さな電車はことことと走っていました。今は石川総線という名前になっているこの路線はその昔金名線と呼ばれ、実は僕の住む金沢から白山を越えて岐阜県を通ってあなたの住む名古屋まで通じる予定なのでした。 だからどうだということではありません。 ちょっとだけあなたに今日僕が見てきたものを教えたかった、それだけの手紙でした。 お元気で、これからもいい詩を書いてください。 ---------------------------- [自由詩]落首その1/山田せばすちゃん[2004年4月9日1時01分] 一人の命は地球よりも重いのです ましてやそれが三つもあるのに 地球は一個しかありませんよ 命だけは助けてくださいと あやまりなさい お願いなさい 土下座もなさい 裸踊りもなさい 命は何かと引き換えにしても いいもんじゃないのですからと 引き換えの条件には触れないままで 命だけは助けてくださいと あやまりなさい お願いなさい 土下座もなさい 裸踊りもなさい アメリカのえらい人が 有難うと言ったそうだけれど あんたがたのためじゃありませんからと うわべだけでも言っときなさい 命だけは助けてくださいと あやまりなさい お願いなさい 土下座もなさい 裸踊りもなさい ---------------------------- [自由詩]宇宙犬ライカ/山田せばすちゃん[2004年4月26日12時59分] 宇宙犬ライカは 本当は「クドリャフカ」という名前で ロシアの犬だからなんとなく 大きな犬なんか想像しちゃいそうだけど 彼女が実は体重5キロくらいのきわめて小さい犬だったのは (言い忘れてたけど「クドリャフカ」は女の子の名前だ) 大きな声ではいえないけれど 当時のソ連のロケットが甲斐性なしで あんまり重いと飛べなかったからに決まってる とりあえずロケットで大気圏の外に飛び出した「クドリャフカ」には (以下めんどくさいので「クーちゃん」で統一) 実は今で言う「バウリンガル」のような音声解読装置が レーニンの英知とスターリンの威光の 輝くべき共産主義科学の勝利の証として 取り付けられていたのだがそのとき 「クーちゃん」は実は小声で「ヤーライカ」(私はライカ犬です)と つぶやいたのだけれどもその声は 通信機器のおそらくは米帝の卑劣な妨害工作に邪魔されて 「ヤーチャイカ」(私は鴎です)と伝送されてしまったらしく 「君君、君は鴎ちゃうやん、犬やん」と 地上管制局から突っ込みを入れたのが誰だったのかは ソ連邦崩壊後のドサクサで記録は残ってはいないのだけれど おそらくはその口ぶりからして ソビエトの西の方の出身の技師だったと思われる さて「クーちゃん」には大気圏外を飛行しながら 後にやってくる有人宇宙船を待ち その後有史以来初めての宇宙空間における犬の散歩という まさに共産主義の勝利を宇宙的に知らしめるはずの歴史的任務が 期待されてはいたのだけれど その期待を満たせる技術も資金も当時のソビエトに あるわけがなく 「クーちゃん」は哀れにもその命の火が消えるまで 大気圏外を周回しながらまだ見ぬ主人を待つことになるのだが 実はその時点で「クーちゃん」は「宇宙犬ライカ」ではなくって 「忠犬ライカ」と名前を変えられるべきだったのかもしれない あるいはもし もしかして「人類初の女性宇宙飛行士」が「クーちゃん」の宇宙船を発見し 厳しい宇宙空間を生き抜いた「クーちゃん」と 感動的な一年ぶりの再会なぞを果たしたりした暁には われわれは高倉健と荻野目啓子による角川映画のそれよりも早く エイゼンシュテイン監督によるソビエト映画「大気圏外物語」に 涙流していたのかもしれないけれど ともかくも「クーちゃん」の後に 宇宙を飛んだソビエトの女性宇宙飛行士は 地上に向けて「ヤーチャイカ」と送ってよこした それは管制局でのやり取りをあるいは小耳に挟んだ テレシコワの精一杯の思いやりだったのかもしれないけれど ---------------------------- [短歌]「穂村弘の夜」/山田せばすちゃん[2004年6月30日4時11分] 駅前のパチンコ屋は新装開店です CRフィーバー「穂村弘」 慎重に「穂村弘」の臍の穴狙って「弘」をまわしてください 「リーチ!」って「穂村弘」の声がしてまみ群出たらチャンス拡大! まみのうさぎ赤ければ大あたりはかくていです 「穂村弘」もわらっています 景品に「穂村弘」のうたあります 31個で一首と交換 「酔ってるの?あたしが誰かわかってる?」「穂村弘の前の恋人?」 ちきしょうめ「穂村弘」になりたいよう。酔った勢いでつぶやいてみた。 2アウト満塁九回裏三点差 「ホムラヒロシ」の「サヨナラホームラン」 歌人にはならない。「俺」は「俺」だしね、「穂村弘」は「穂村弘」さ 「せばすちゃん、最愛の人は君だよ」って「穂村弘」は絶対言わない 「穂村弘」の夢を見た「穂村弘」は笑ってたつられて笑った 今夜二時東南東に降るでしょう「穂村弘座大流星群」 ここ昔プラネタリウムだったんだ 「穂村弘」が瞬いている サイダーのつぶつぶ気泡に跨って「穂村弘」よ急浮上せよ! ラムネ壜のビー玉を押しているのは「穂村弘」だ、ぜったい サイダーの壜ごとラッパ飲みなんて「穂村弘」に似合ってるかなあ? 柔軟剤は使ってません「穂村弘」に頬摺りする夕暮れ  「穂村弘」が泣きじゃくるワンルーム「部屋干しトップ」は匂わないから アフリカの夜空にも「穂村弘」はきらめきますか?またたきますか? アフリカの夜空に光る「穂村弘」は一人でも寂しくないの? もし君が泣きたい夜も大丈夫「穂村弘」に電話をかけてね 「ファイナルアンサー?」 みのさんちょっと待って「穂村弘」に電話をさせて 僕は選び取る権利を留保する 「ティファニーのダイヤ」か「穂村弘」か 痴情の縺れや怨恨が動機なら「穂村弘」に殺されましょう 「穂村弘取締法」違反容疑で懲役二年の実刑判決 夕日の差す裏庭にしゃがみこんで「穂村弘」をねだやしにする 「穂村弘」を爆破せよ!「穂村弘」を爆破せよ!「穂村弘」を 「穂村弘」の「ほむらひろし」の「ホムラヒロシ」の「HOMURAHIROSHI」の「焔比呂志」の死 たまらなく「ほむらひろし」な気分です「穂村弘」の夜が明けたから 台風一過澄みわたる夏の青空に「穂村弘」がはためいている ---------------------------- [自由詩]今朝早く君は物憂げにぼくのベッドから流離する/山田せばすちゃん[2004年7月26日12時25分] 白いシーツにくるまって 裸の足を少しのぞかせながら 「帰るところがないのぉ」って まるでローティーンの家出少女みたいな 口調でさ そう言ってみな きみの横に滑りこんだぼくは 不器用にきみの肩を抱きしめながら 「帰るって言うのはどう言う意味なのだろう・・」って まるでものわかりのよくない詩人みたいな 口調でさ 訊きかえしてあげるから そうしてぼくの隣で朝まで眠ればいい きみは可愛いハタチの娘で ぼくの友達で 悪い夢を見てうなされている ぼくのことなんかほったらかして 「ありがとう、もう行くねぇ」って まるで夕べのことなんかなかったみたいな 口調でさ そう言ってみな きみの細い手首を掴んで 日向みたいな匂いのする髪に顔をうずめながら 「今夜はどこのベッドで眠る予定ですか?」って まるできみのスケジュールを管理するマネージャーみたいな 口調でさ 訊きかえしてあげるから なにも答えずにベッドから抜け出せばいい 手を振り払って 出ていけばそれでいいよ 枕をきみの代わりに抱きしめながら ぼくはもう一度眠るから きみに話しかける そのつもりで           ぼくのともだちは           行くところがいっぱいあって           帰るところがない           こんなに朝早くにぼくのベッドを抜け出して           今夜はまたどこかよその男のベッドへと流離する そう きみは流離する 死ぬまで 死んでも ---------------------------- [携帯写真+詩]10万キロメートル/山田せばすちゃん[2004年7月26日19時48分] 家族と走った8万キロ 一人で走った1万5千キロ 家族に内緒の5千キロのうちわけは 君だけが知っている ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]アバンなギャルについて/山田せばすちゃん[2004年9月2日12時30分] 昔女友達とお茶してたときに、その子が溜息をつきながら俺に聞いたことがある。 「アバンギャルドって何語か知ってる?」 「へ?」 「アバンギャルド」 「フ・・・フランス語」 「やっぱりねぇ。。。」 彼女はストローでアイスコーヒーの溶けかけた氷をかき回しながら窓の外を見た。 「なんやねんな」 「今付き合ってる男がね、京大の工学部なんやけど・・・」 「うん」 「アバンギャルドは英語だと思ってたんよ」 「ほお」 「アーバンなギャルだと思ってたんやって」 「都会的な女の子という意味か?」 「そうみたい」 「都会的な女の子は前衛やったんか。。。第一、ギャルって英語ちゃうやろ?」 「うん。。。」 彼女は僕の煙草を一本取り上げて、くわえた。 ライターで火をつけようとする僕を手で制して、お店のマッチで煙草に火をつけて、深々と一息すうと 「やっぱりあかんかなぁ。。。工学部は。。。」 「文学部にしといたらええねん」 「文学部の男なんて人間やと思ってへんもん」 18の年からずっと、男運の無さを嘆きながらも彼女は絶対に俺になびこうとはしなかったのだけれど、そしてそれはいまだにそうで、今年40になるって言うのに、まだ結婚もしないでうだうだと彼女は一人でやっているのだけれど、それはそれでまた別の話だ。 ---------------------------- [自由詩]ハンバーグをめぐる冒険/山田せばすちゃん[2004年9月3日0時57分] 今日は外食にしてくださいと妻が言うので 日曜日の夜、家族でファミレスに出かける いらっしゃいませ、何名様ですか、お煙草はお吸いになられますか 矢継ぎ早にウエイトレスのお姉ちゃんに聞かれて 返事もままならぬうちに お席のほうご案内します、といわれてのこのこと 膝丈までの黒のスカートの腰のあたりの肉のつき方を観察しながら それでも妻にどこを見ているかを悟られまいと おさおさ油断なく こちらがお席の方になります、といわれて お席の方がどちらなのかふと考える 南なのか北なのか しかし彼女が指差すのは方角ではなくて 壁際に半円のテーブルがしつらえられた紛うことなき「お席そのもの」 ご注文がお決まりの頃また参ります お水の方はセルフとなっております 今度ばかりは彼女が指差したその方角には 並んでいるガラスコップとディスペンサーマシーン うむとうなづいておもむろにメニューを開き 帰りかける彼女を呼び止める ハンバーグを5つ、コーンポタージュを5つ、ご飯を5つ お待たせしました、こちらハンバーグになります、と 彼女は僕の前に焼けた鉄板の上でじゅうじゅうと音を立てるハンバーグを置く ハンバーグに なります 焼けた鉄板の上でじゅうじゅうと音を立てて 茶色いソースが泡立っている その横には付け合せのコーンとジャガイモとにんじんが 同じく細かな泡を立ててじゅうじゅうと 白いたまねぎの薄切りが敷かれたその上に 鎮座まします、ひき肉の固まりは 間違いなく正真正銘ハンバーグそのもの これがハンバーグに なります いつ? これはまだハンバーグではないのか? どこがどのようにこれがハンバーグになるのか これのどこがまだハンバーグではないのかを 仔細に観察しながら 待つ ハンバーグになる そのときを やがて子供たちがハンバーグを食べ終わり 妻が会計を済ませて立ち上がろうとも ここは24時間営業のファミリーレストラン 僕は壁際にしつらえられた狭い狭い半円形のテーブルの上でただひたすらに 空腹を抱えながらもひたすらに 待ち続けるのだ ---------------------------- [自由詩]愛人狩り/山田せばすちゃん[2004年10月1日2時56分] そこかしこで俺の愛人ちゃん、俺の愛人ちゃんと書き散らしたおかげで 今度愛人比べをしようぜ、日時は10月の10日、場所は京都のぽえざる会場、 くれぐれも逃げたりなんかするなよ、と 見ず知らずの詩人から私信で挑戦状が届いた 挑戦されたからには受けて立たずばなるまい それであわてて俺は今夜から 愛人ちゃんの調達に出かけなければならない破目になったのだ 実は本当は俺には愛人ちゃんなんてもんはただの一人もいなくって 結婚この方十数年、妻一筋に愛情を注いできたりしたもんだから おかげで子供は小学校六年生を頭にして きちんと計算どおりに三つ違いで三人いるのみならず 計算違いで来年の春には四人目が生まれてしまうという おまけに銀行の口車に乗せられてほいと1000万円借りてしまった このなにかと物心ともに大変な時期に どこでどうやって愛人ちゃんを調達すればいいのだ とりあえず現代詩フォーラムの知り合いという知り合いに 誰か愛人ちゃんを知らないか、と声をかけてみるけれど 誰もどこに行けば愛人ちゃんを得られるのか知らないという まったく以ってこういう肝心な時に 詩人というのは世間知らずで頼りにならんのだと 日ごろ自分を詩人だと僭称してることは棚にあげて ちょっとばかりモニターの前で憤慨して見せたりもするのだが それどころではなく愛人ちゃんはどこにいるのだ それでも中には聞きかじりの知識を披露して 愛人ちゃんというのはオフィスラブとセットのものじゃないのかなどと 示唆してくれるやつもいたりもするのだが そもそも零細そもそも今や風前の灯の俺の会社には うちの妻以外に女性がいなかったりするので 身重の妻を愛人ちゃんにするほど 俺は倒錯していないはずだと妙な自負を持ってみたりするのだが それどころではなく愛人ちゃんを捜さねばならないのだ ならば出会い系掲示板はどうだと 飲み友達の中小企業経営(二代目のバカ社長)が 自分がそれで何度も痛い目にあっているのを言わないまま たった一回だけどこかの人妻ちゃんとホテルにしけこんだのを あとでクラミジアを伝染されたのも内緒にしたまま 鬼の首とったみたいに吹聴しやがったのだが あいにく俺が探しているのは 援助交際もとめてる小娘でもなければ 旦那にほっとかれて不満のたまった人妻でもなく まごうかたなき愛人ちゃん、純粋なる愛人ちゃん 一点の曇りなき愛人ちゃんだったりするのだ 愛人ちゃんはどこだ 愛人ちゃんはどこだ 見知らぬ詩人との愛人比べに勝てるような どこに出しても恥ずかしくない愛人ちゃんはどこにいるのだ 仕方がないので 何でわしがこんなことせねばならんのや、わしは詩集を売りに来たのにと 不満で口を尖らせるわが盟友佐々宝砂に うるさい、協力しなければお前を愛人ちゃんだということにして その旨世間に公表するぞ、と 恐喝まがいの言辞で脅しを一発入れてから 網の片一方を持たせて もう片一方を俺が持って 20メートル離れてからせーの、で一斉に駆け出して ぽえざるの会場中を地引網よろしくさらってみせることにするので 当日ぽえざるに来場される婦女子の方々には くれぐれもお洒落してできれば下着は新しいものにとっかえて やって来るようにと 一応お願いだけはしておくことにする ---------------------------- [短歌]調子に乗って(なぜ乗ったのかは秘密)続穂村弘の夜(炊飯器取扱説明書篇)/山田せばすちゃん[2004年10月22日17時24分] フッ素皮膜守りたいから内なべを穂村弘でこすらないでね 故障かな?まず電源を抜いてお近くの穂村弘にご相談ください できるだけ早く(30分以内)穂村弘をほぐして保温 白米の炊き分け方を知るためのページをめくる『ラインマーカーズ』 ---------------------------- [短歌]回転木馬/山田せばすちゃん[2004年11月9日1時56分] 思い出は美しかったと過去形で静かにきしめ回転木馬 さようならまたこんにちわ結局はどこにも行けない回転木馬 夕べから眠れませんという君に回転木馬の歌を聞かせよう ---------------------------- (ファイルの終わり)