ふるる 2019年3月26日23時46分から2021年11月30日19時01分まで ---------------------------- [自由詩]三月 はすむかい ベクターレイヤー/ふるる[2019年3月26日23時46分] 詩とかわいいイラストを融合できないかな〜と考えていました。 詩の説明のためのイラストではなく、 イラストの説明のための詩でもなく。 そういう補完的なものでなくて、両方とも響き合える? 全部で一つ? 組み合わせて面白い?みたいなのができないかな〜と。 何のことやらわからないかも知れませんが… ベクターレイヤーはお絵かきソフトの用語です。 ---------------------------- [自由詩]測候所 焦がれる ナナホシテントウ/ふるる[2019年4月20日19時15分] 詩とかわいいイラストを融合できないかな〜と考えていました。 詩の説明のためのイラストではなく、 イラストの説明のための詩でもなく。 そういう補完的なものでなくて、両方とも響き合える? 全部で一つ? 組み合わせて面白い?みたいなのができないかな〜と。 何を言ってるんだかわからないかも知れませんが… ---------------------------- [自由詩]オセンベイ キドウ エコーチェンバー/ふるる[2019年5月25日17時31分] 詩とかわいいイラストを融合できないかな〜と考えていました。 詩の説明のためのイラストではなく、 イラストの説明のための詩でもなく。 そういう補完的なものでなくて、両方とも響き合える? 全部で一つ? 組み合わせて面白い?みたいなのができないかな〜と。 何を言ってるんだかわからないかも知れませんが… 最近、昔のマッチラベルの絵が素朴でかわいいなーと思っていて、 色数の少なさ、印刷ずれた感じとか出してみました。 ちなみにエコーチェンバーは残響録音室のことですが、同じ意見の人々とのコミュニケーションを繰り返すことによって、自分の意見が増幅・強化される現象のことでもあります。 語感が好きというだけなんですが… ---------------------------- [自由詩]さるとりいばら ボタン 跳/ふるる[2019年7月3日22時44分] 詩とかわいいorかっこいいイラストを融合できないかな〜と考えていました。 詩の説明のためのイラストではなく、 イラストの説明のための詩でもなく。 そういう補完的なものでなくて、両方とも響き合える? 全部で一つ? 組み合わせて面白い?みたいなのができないかな〜と。 何を言ってるんだかわからないかも知れませんが… 組み合わせる言葉が、これがベストかと言われるとよく分からないんですが。 ほんとは、詩ってだいたい暗くなっちゃうから、明るくできないのかな〜と 思ったのがきっかけなんですが、暗いイラストになっちゃいましたね… すみません ---------------------------- [自由詩]散会 くじら オノマトペ/ふるる[2019年7月21日19時04分] 詩とかわいいイラストを融合できないかな〜と考えていました。 詩の説明のためのイラストではなく、 イラストの説明のための詩でもなく。 そういう補完的なものでなくて、両方とも響き合える? 全部で一つ? 組み合わせて面白い?みたいなのができないかな〜と。 何を言ってるんだかわからないかも知れませんが… ---------------------------- [自由詩]すばる タクトスイッチ 呼吸鎖複合体/ふるる[2019年8月29日22時38分] 詩とかわいいイラストを融合できないかな〜と考えていました。 詩の説明のためのイラストではなく、 イラストの説明のための詩でもなく。 そういう補完的なものでなくて、両方とも響き合える? 全部で一つ? 組み合わせて面白い?みたいなのができないかな〜と。 何を言ってるんだかわからないかも知れませんが… 画家マグリットは、自分の絵はみんなが普段見えてないものを見えるようにするもの。 と言っていて、それには絵の題名は邪魔。(見方が固定されちゃうから) で、言葉(題名)と絵の独立を考えていました。 それで、絵に全然関係ない題名を友達に考えてもらったりしていました。 簡単に言えば、みんな見た目を信じすぎ!言葉を鵜呑みにしすぎ!という主張です。 そんな感じで、詩にイラストをつけると、どうしても自動的に主従関係ができてしまうし、 読み方や見方を限定してしまう。あと、重めな詩と商業的イラストってテイストが 全然合わない。 詩+イラストのやり方を模索し、こうなりました。 まあ、言葉を3つ並べただけで詩と言えるのかっていうのはありますが、 言葉は音符のようなもので、意味もさることながら、置かれた場所、組み合わせも重要だと思います。 アンドレ・ブルトンが言ってたデペイズマン(用途や使用場所がかけ離れたものが異質な場所で組み合わさることで、日常性の消失と新たなイメージの生成)を拝借していますが、そんな衝撃的なものを目指してはいないので。あくまで軽めの感じ。 ちなみにタクトスイッチは押して戻るスイッチのことで、 呼吸鎖複合体は、生きるためのエネルギー源であるアデノシン三リン酸をつくる ために必要な巨大たんぱく質のことです。 このしくみはすごくって、酸素大事!命まじすごいってなります。 ってそんなに詳しくは知らないんだけど、なんかかっこいいなって… 深い意味はなく、語感で選んでます。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]義父が急に認知症?に/ふるる[2019年9月23日13時44分] 今月はじめ、10年前からピック病(初老認知症)の義母(72歳)の面倒をみながら二人暮らしていた義父(77歳)が、腰痛で苦しんでいるので様子見の電話をしたら、昼間家で転んで頭を打ったと言っていて、しかもろれつがまわらないので急いで救急車を呼んで病院へ行ってもらいました。CTやMRIで脳の出血は問題なしでしたが、言葉が全然でなくて、記憶もあいまい、こっちの言っていることも理解できない様子。担当医が週1しか病院に来れなくて、診断を待ってるうちに2週間たったらすっかり何もできなくなっていました。 そんなに急激に、認知症だか健忘症だかになってしまうのか… あんなに元気で、明朗で、快活で、健康おたくだった義父が…夫も私も呆然としてしまいました。 診断では、言葉や記憶がだめになったのは頭を打ったせいではなく、それ以外、少し脳が萎縮してるけど年齢並みとのこと。前行性健忘症?かもだけど、よく分からないとのこと。病院としては他にすることはなく、退院して施設に入るのを勧められましたが、そのままリハビリをしてもらう方向で今話を進めています。(リハビリしてくるれるかどうか、またリハビリ科での診断を待たないといけない) でも、不幸中の幸いというか何というか、義父はずっと原因不明の腰痛で悩んでいて、病院や整体を何軒も回ってて、各種痛み止めが全く効かず、最近は眠れない、死にたいくらい痛い、今からお母さんと一緒に死ぬから、通帳の場所とか教えるからすぐ来てくれ!と泣きながら夫を何度も呼びつけていて、夫はそのたびに会社休んだり父を病院に連れて行ったり、なかなかに大変でした。その腰が、記憶能力がなくなったせいか?死ぬほど痛くはなくなったということでした。 このまま病院にいたらやばいということで、2日間実家に一時帰宅しました。最初は歩けない、喋れない、だったけど、2日目には手すりをつたって歩けるし、意味不明ながら喋るようになってました。短期記憶がだめで、私を見て何度も「あれ、ふるるちゃん、いつきたの?!」と驚く義父でした。歩くのが危ないので急きょ、あちこちに手すりを夫と二人で打ち付けたりしました。食器棚にも。 夫は弟がくも膜下出血からの半身不自由と言語障害、母親のピック病、ついに父親もか!とショックを受けて泣いてました。 急にだったので、銀行カード番号や入院保険とか義母の自立支援医療費受給者証のこととか書類がわからない、どうしよう?となりました。でもきちんとまとめておいてあったので助かりました。 みなさんも是非、いつ何があってもいいように、書類の場所は分かりやすく、手続とか毎月の支払のこととか、どこかに書いておくことをおすすめします。後でお世話をする人のために。 あと、年をとったら難しいのだろうけど、家を清潔に、物を少なくして整頓しておくというのは、家族やヘルパーさんに動きやすさとか物の探しやすさを提供する意味で大事だなと思いました。 あとあと、動物を飼うのは良く考えて…自分が痴呆症になったら誰が飼うのかとか考えといて欲しいです。義父母の飼ってる猫、可愛いんだけど、抜け毛がすごくて掃除の手間とエサやり糞の後始末とか、介護に加えて余計な手間が…実家に泊まるとくしゃみで眠れないし。可愛いんだけども。 これからどうするのかは、ピック病の義母は無気力でぼんやりしてて毎日パックのお寿司しか食べない、というだけで、危なくはないのでヘルパーさんに毎日きてもらい、土日は実家へお世話しに。義父がリハビリをしてある程度危なげなく動けるなら自宅に戻り、だめそうなら施設か…猫はどうしよう???と話しています。 私の母(77歳)は、自分の母(96歳)を面倒見てて介護うつに、義父は義母の面倒を見てて腰痛で死にそうに。 思うのは、70歳過ぎたら認知症の人のお世話は無理…たとえヘルパーさんや家族の協力があっても、自分が主体となってやるのは無理なのかも、ということです。私は何度も、母や義父に、歳も歳だし、無理なのでは?施設に預けることを考えては?と言っていたのですが、二人とも「ご飯もトイレも自分でしてくれるから、世話はそんなに苦じゃない」と言ってたんです。なかなか、踏ん切りがつかないのは分かりますが、寄るとしには勝てない… ---------------------------- [自由詩]アイドルと武道館/ふるる[2019年9月25日0時13分] 言葉とイラストの組み合わせで詩を作る試みも結構増えてきました。…そして題名。 画家マグリットのことを調べてて、絵と題名(絵と全くあってない)について彼の考えはわかりました。 それとか、タイトルについての本(『タイトルの魔力』佐々木健一著)も読んで、絵のタイトルは、商品として便宜上のタグ →教養としての絵の鑑賞のための説明→作者のこう見るべしという意志の表明、という変遷を経て、 今やタイトルの拒否(ただの番号とか)というところまで行ってました。 つまり、タイトルにもそれなりの仕事があるということです。 ならば詩のタイトルにも仕事をしてもらいましょう。 言葉とイラスト=詩、っていうのは未だに無理があるのかもしれませんがまあご容赦下さい。 私としては、イラストと言葉が響き合って面白ければOKですし、さらに題名も変だったら なお良しとします。面白いとか、なんか変な感じとか味わって頂けたら… ---------------------------- [自由詩]空の計器/ふるる[2019年12月17日12時52分] 例によって言葉+イラストの組み合わせで詩をつくる試みです。題名も作品のうちになっております。 題名の役割は、昔は単なるラベル、中身の説明だったんですが、絵画では、画家が描いた絵をどう見て欲しいか、という指南書みたいになって、今はそれもなしで、自由に見て欲しいから番号だけ、というようなのもあります。私はどっちでもなくて、シュルレアリスムの画家マグリットが、絵と題名で何かしらの違和感とかを感じてもらいたい、と思っていたのに賛同して題名をつけてます。 つまり、内容と中身があんまり関係がない。(言葉+イラストの方も、両者に関係がないです。ちなみにコンデンサーとは、電子回路に組込んで電圧などを調整する機器ですが、語呂が好きなので入れました)異なるもの同士をくっつけて面白がるという、デペイズマン、コラージュ、(シュルレアリスムの変なあれ)です。 イラスト製作についてですが、いわゆる商業的な明るく軽くかわいらしさ全開みたいなのは、細かさと丁寧さが要求されて自分の性格に合ってないのがわかったので、やめることにしました。 今後はざっくり描いて、色も好きなように変えていって、線画は最後にさらっと描くことにしました。 ほんとは明るくてかわいいイラストを言葉とくっつけて詩にして、よくある詩の暗さ・真面目過ぎな感じを何とかしようと思ったのですが、いかんせん明るいイラストのタッチが性格に合わないので、暗めのイラスト+言葉で詩ということにしようと思います。 どっちかというと、イラストの暗さを、くっつけた言葉の意味のなさ、能天気さで救っているふうになりました。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]義父が急に認知症?に(その後)/ふるる[2019年12月17日16時31分] 9月のはじめに他県に住んでいた義父がいきなり動けない、しゃべれない、記憶ない、となり、原因不明で要介護度4ほどの認知症になり、夫も私も驚いてしまったのですが、検査入院の末、脳に髄液がたまっていて、それが原因で脳が委縮してそういう症状が出ているとのことでした。なぜ髄液がたまったのかは分からず。 病院としては治療は特にないと言われ、すすめられていたリハビリの病院は結局、怪我や肺炎で身体が動かなくなった人のためのもので、受け入れはできないと言われてしまい、介護老人保険施設(老健)に行って下さいと言われました。 介護老人保険施設(老健)とは、介護老人のリハビリを行う施設で、3ヶ月毎に審査があって、大丈夫そうなら自宅へ帰す、自宅復帰が目的の、公的施設です。 そういう施設の存在を初めて知りました。入って3ヶ月は週3回リハビリ、とかきまりがあるそうです。 入所は、家族と施設の人との面談と施設の見学、病院からの健康診断書提出、からの、施設側の会議でOKが出れば入れるという、なかなかに日数がかかるものでした。 でもって、手続をしていたら、病院側から、義父の身体から多剤耐性菌が出たというお知らせ・・・。義父はごく初期の食道がんの手術をしていて、その後飲んでいた抗生剤のせいかもと。原因はよくわからないそうですが。(抗生剤はきちんと量と回数を守って飲まないと、耐性菌を育てることになってしまうそうです。飲んだり飲まなかったりが一番良くない) そんなわけで、介護老人保険施設(老健)への入所はできなくなり、ふりだしに・・・ と思ったらなんと驚くことに、発症から2ヶ月後、義父の症状が急激に良くなりました。どうやら髄液が身体に吸収されたので、脳の圧迫がなくなったせいらしい。それはよかったんですが、寝てばかりいたので筋力がすっかり落ちてしまい、夜中にトイレに起きてベッドから落ちたら危ない、ということで、夜中はベッドに拘束、昼間は車いすに拘束になってしまいました。こんなんじゃまた頭がおかしくなりそうだ、と訴えるので、ヘルパー派遣の手続途中でしたが、見切り発車で退院させることにしました。退院したら、わりとすぐに歩けるようになって、筋力もだんだんついてきました。よかった。ご飯も自分の好きなものを食べられるしね。 義父が倒れたのが9月はじめ、退院したのが11月はじめで、丁度2か月間、色々な知識を得ました。 リハビリ用の、介護老人保険施設(老健)というものの存在や、介護のバリアフリーリフォーム補助があるんですが、基本的に移動のためのスロープや手すりのリフォーム補助で、階段へ行かせない防止柵の補助は出ないとか、ゴミ出しを市が代わりにやってくれるサービスとか(これは、周りにゴミ出しのボランティアの人がいなければやります、と言われました。ゴミ出しボランティアも初めて知った。) 普段家事をぜんぜんしない夫が、すごく優しく両親のお世話をしていて、すごいなぁ〜偉いなぁ〜と感心しきりでした。 病院の社会福祉担当の方にもさんざんお世話になりました。ありがたや。 これは愚痴なんですが、義父母と24時間一緒にはいられないので、見守り用に監視カメラを買ったのですが、その設定ができないできない。 メーカーにいっぱい問い合わせしたところ、Android用のバージョンアップがしてなくて、さらにバージョンアップはiOS経由でしかできないとかふざけたことをおほざきになってて、なんだとう〜(怒)でした。結局、うちのルーターでは使えたけど、義父母の家では使えなくて、オークション行きかな… 現在は、ヘルパーさんが以前は週1だったのが、週5になり、義父が義母のお世話を一手に担っていたのが、負担が少し減って、悩みの種だった腰痛も少しよくなって、夫も週1度は実家に行くようになり(猫の毛が嫌だからというので、家の中で一人用テントで寝てる)結果的には良かったのかな。でした。 ---------------------------- [自由詩]スキヤキオブザデッド/ふるる[2019年12月26日15時11分] この時ー恐ろしい予感は当たっていたー すき焼きなのに肉がない! 先輩は突然ゲラゲラ笑いはじめ、急に真顔になって 「心配ないとも。すべてが上手くいく」と言った いくもんか… 豆腐だけのすき焼きなんて嫌だ 12月寒空の中、早足で肉を買いにいくと 月に照らされたすべての家のポーチでは藤のブランコが揺れていて 星空を背負った枯れ木はきらきらと震え 青白く浮かぶブランコに座るだけで安心できたのだけれども無視して駆け抜ける 急な場面転換のためには主人公は失神したらいいけど ホラー小説でなければそんなに簡単に失神はできないだろう すき焼きの時に失神なんかしてる場合じゃない この肉は俺のもの 運転免許を取ったのは万が一ゾンビに襲われたとき逃げるためだ 車のキーのありかは…わかるな? さあ早く走れ振り返るな 気がつくと見知らぬ場所に倒れていて 簡潔に説明すると 肉がないのは 連絡ミスと慌ただしさが重なったせいだ その複雑な経緯を 簡単には説明できそうもない 初めての都会はごちゃごちゃして ラッシュアワーも大変だったし 変な絵を買わされそうにもなった 「オブザデッド」というタイトルだった 絵画にタイトルがつけられるようになったのはわりと最近 なぜなのかは各自来週までに調べてくるように はいはいはーい みなさん静かになるまでに75秒かかりました! ネギが煮えるまではあともう少しかかりますから お箸をスタンバイ フライングはなしで 大きく目と口を開いた怯え方は全く大げさにすぎると言わざるを得ない つぶれたサンドイッチがリュックの底から見つかって ふられたばっかりみたいに元気のないサンドイッチを一口かじると猛烈にお腹が減っていた しかしこの空腹感は 簡単に満たせそうもない もう時間がないのに どのくらいの空腹感なのか 詳しいことはまだわかっていない様子です、は、 急ぎお伝えしました現場からは以上です 以上ですがここまでで何かご質問はありますか? なければ次へ 肉を買いにどこまで行ったんだ? なんか外が騒がしいな… と、つぶやいた先輩の後ろには ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]言葉とかについてつらつらと/ふるる[2020年1月19日18時03分] 言葉(文章)についての本を色々読んだので、つらつらと書きます。 ・言葉は人の身体にまあまあ合っている 言葉は、人の脳の容量とか、口の動かし方、息の出し方、書く動作、に、合っている。からこそ、多くの人に使われているのだと思います。 記憶や思考回路にもすごくかかわっているので、ある意味身体の一部かも。 (とはいえ、読み書きというのは、人にとっては不自然な行為らしい。ある程度の訓練がいる。) それぞれの個性、体質に合った言葉っていうのがあるのかも。 合ってない言葉で考えたり、使ったり、喋ったり、聴いたりしてると体調悪くなるとか、あったりして。 ・自分もそうだけど、意外とみんな言葉の扱い方を気にしていない 言葉は、思考、予測、判断、伝達、記憶、思想、など、社会生活の基本中の基本なのに、そのことを皆あまり気にかけていない。 自分の持っている語彙や言葉の組立方が記憶の仕方にも価値観にも関わってくるし、人間関係の作り方もそうだし、自分の全てと言えるのに、それを増やそうとかうまく使おうとかあんまり気にしない。 言葉が置かれた場所、媒体、発せられ方、書き方、によって、言葉の印象や集中度や理解度が変ってしまうのに、それにも無頓着。 ラブレター書く時は、便せんやペンなども厳選すると思うけど、それ以外はあんまり。 例えば、教科書も、最も理解しやすい、頭に入っていきやすいフォントやレイアウトってあると思うんだけど、そこまで考えられているのか、いないのか。 これは文句なんですが、面白そうな本があっても、フォントが癖がありすぎて読みづらいというのがあるんですが、どうにかならないのか。なんであんなの採用するんだろ。おしゃれだと思ってるのか。 ・簡単に言葉に騙されることを知っておいた方がいい 言葉は、貨幣と一緒で、ある約束を皆が守っているからこそ存在し、使うこともできる。共通の意味だったり、大前提として、「言葉を発している人は悪人ではなく、言うことは嘘ではない」ということだったり。 なので、詐欺にはころっと騙されるし、大げさな言い回しや盛り上がるような言い方で政治に利用できたりする。 それは、アンケート結果やグラフ、これとこれには因果関係がある、という一見論理的な根拠がありそうな言説にも騙されやすい、につながる。 (そのアンケート結果は、限定された人々の意見なのではないか?とか、肺がんと煙草の因果関係とか、他の要因もあるのかもと疑うのも大事) 私たちは言葉を信じているからこそ、簡単に騙されるということを知っておいて損はないです。その他、映像や言葉を発する人の見た目、態度にも騙されちゃうので、なんかもう素直ないい人って危ないですね。 ・言葉で差別意識を無意識に持ってしまうことも知っておいた方がいい 方言やカタコトは洗練されてない、標準語はきどってる、冷たい、みたいな価値観が一般化するのはよろしくありませんね。 方言女子かわいい!もだめなのかな。でも、音の印象でかわいらしさや力強さ、女性男性を感じてしまうのはしょうがないらしいんですよ…(濁音は発音がめんどくさいのでよい印象がないそうです。あと、口腔内空間が膨張するので、大きい、強いなどの印象も持たれるそうです。) ・言外を読み取っている 人には、行間を読む力もあって、言葉と、言葉で書いてない部分、合わせて一つの意味、ということです。 だから、文をどこで切って、次に何をつなげるか、行間にもよっぽど意味があります。 映画でモンタージュという、ある映像に別の映像をつないでいって、時間や空間の距離や、哀しみだったり恐怖だったりを表現する手法があるのですが、それも人の行間を読む力あってこそです。行間の読み方には、AとBの関係を想像したり、AとBを合わせて次に何が起きるか予測したり、何が起こったのか想像したり、色々あります。 憲法や法律の文章の一文が長いのは、なるべく文と文との切れ目、行間をなくして、余計な思惑を入れさせたくない、ということらしいです。 あと、辞書なんかの文が体言止めだったりするのも、書いている人の「個性」「思惑」を想像させないため、らしいです。 あと、日本語は言外の読みを促す言語らしく、それでいい事もあるんでしょうが、余計な忖度とか、あらぬ誤解とか、へんな空気に染まっちゃうとか、ありそうです。 ・言葉と現実の頭の中は違う 例えば、「〜はこう思った。」と文章を書くとして、誰しも、そんなに理路整然と思考していない。思考や思いは、好き嫌いやその時の状況により、常に乱雑に散らばり、あっちこっち行っている。言葉の文法にあてはめて、ちゃんと考えているように装っているだけだと思う。まあ言葉自体が、一般化、省略、要約、分類のための仕切り、だし、今使っている言葉は、昔誰かが考えた言葉で、今の時代にぴったり合っているわけでもない。まだその言葉が発明されてなくて、言い表せなさ、もどかしさ、というのが常にあると思う。だから、今文字で書いていることも100%ほんとって無理だと思う。50%くらいかな? あと、現実自体が常に流転、身体の細胞やくっついてる菌類もめまぐるしく生まれては死に、エネルギーも入れたり使ったり、まさに諸行無常でとっても忙しいのに、言葉はとても硬く、何かをそこに固定しようとする。 まあそういう意味では、言葉の真実度?リアルさ加減?は低いと言える。 ・本を読むということは… 本の文章には必ず、知覚、思考、情緒が入っていて、本の作者が、どういうふうに世界を認識し、自分の中で要約してるのかを追体験することで、読者は世界の認識の仕方、理解の仕方を学んでいる。偏った思想の本ばっか読んでたら、そうなっちゃうんだろうなー それプラス、読者の経験を思い出したり想像力を駆使しながら読むので、読書は一見受け身だけど、作者との共同作業でお話を新たに作りながら読んでいると言える。 今の時代の言葉の周辺 ・言葉との付き合い方が今までとは全く違う時代に突入 誰もが、気軽に、長々と、言葉を全世界に向けて発せられる時代って今までなかった。 昔は手書き、ガリ版、なんかで一生懸命書いていたから、みんなが文字を連ねる物理的な大変さを知っていたし、そういう点でも多分、作家は尊敬されていた。肉筆を読む編集さんも必死だったと思われる。 それが今じゃあねっころがりながら鼻歌まじりでぽちぽちやっても書けるしコピペの時代だから…編集さんのチェックが入っているのか怪しい本もいっぱいあるし。 言葉という、貨幣にも等しい生活基盤を、やろうと思えば誰もが無責任に放出し、浪費し、捨て、消去できる時代。 それがいいことなのか悪いことなのか。なんか、ぺらぺら〜で重みがなくなる気がするけど。 特にツイッターでは書く方も読む方も、責任感がゼロというか、ソースなしの間違った情報平気で乗せるしデマを書くし、それに賛同するし。 それに加えて、デジタル媒体での、映像付きの力強い言葉って感染力が高いらしい。人は見た物をすぐ信じる癖があるから。 くわばらくわばら… 媒体や発信のされ方によって、言葉(映像も)の信用度を上げ下げする時代ということかな。昔は、書籍として出版されているものにはある程度の信用度があったんだけど、今やSNSで評判のいいものがそのまま出版されているのもあるからな…題名詐欺も多いと感じる。〇○の科学とか〇○講義とか書いてあっても、作者の経歴が怪しかったり。 もちろん悪いばっかりでなく、いい言葉が必要な人に届いている可能性はある。 ・デジタル世界に言葉や知識がどんどこ蓄積されていくと… 集合的知性(個々の意見(人の意見は知らない)を平均すると、案外正しい解が得られる)みたく、人類の知がアップデートされるのか、されないのか。 ・デジタル書籍が頭に入ってこない デジタル書籍って全然頭に入ってこないんです。何故なのか?知りたいよ。一説によると、人は文字を風景の一部と認識してて、本は3次元的な地形だと思ってるらしい。デジタル書籍は平面だから、脳の使う場所が違っちゃうのかな?読めはするけど、記憶に残らない・・・ある程度記憶しながら読まないと筋が分からないのに、その記憶ができない。本だと、厚みで、だいたいの距離感が測れる。薄い本なら、そんな複雑な事書いてないだろうとなるし、厚い本だと、人がいっぱいでてくるんだろうなーと覚悟しながら読む。そう、本を読むっていうのは、常に予測しながら読むってことなので、デジタル書籍だと、ぜんぜん予測できないし(慣れればできるようになるのかな)あと、読み終わったあと、本なら真ん中らへんの右のページに書いてあったとか記憶できてるんだけど、デジタルだと、どこに何が書いてあったか、というのを思い出せない。結果、内容もよく思い出せない。 デジタルだと、すごい狭い1本道を歩いてる感じで、本だと、遠くまで見渡しつつ飛行してる感じ。確かに地上の道だけだと地理を覚えにくいかも。地図を見るのは苦手なんですけどね。 ・言葉について、現代の問題 今の若い人はテレビ、ラジオをつけないので、「ほぼ全員が普通に」知っている共通の語彙が少なくなっている。 子どもがデジタルの問題集になれちゃうと、板書できないとか、長文を批判的に読めないとかの弊害があるらしい。 デジタルの世界って、一見多様な意見あふれる寛容な世界と思いきや、自分の世界に閉じこもれる世界でもあり、自分に都合のよい情報だけに閉じこもる狭量な人もいっぱいいる。 紙に書いて記録・思考する派と、スマホに保存する派や、紙の本とデジタルの本のどっちに親しむか、で脳の記憶回路やそれに伴う思考回路が違ってくる可能性がある。 これらは、今後、どういうことになっていくんでしょう?デジタルネイティブとそうでない人との断然、無理解、恐怖、からの差別がはじまるのか… ・その他、言葉に望むこと 標準語も通じる言葉としてはあっていいんだけど、標準語では表せない言葉で、方言では言える言葉は積極的に取り入れてもらいたい。 沈殿物が下にたまってることを言う方言があったんだけど、なんだったっけな。 とにもかくにも… ・伝達、交流などなど、言葉はめちゃくちゃ便利な道具だな〜 想像や空想の世界を広げられる=想像したものは作れるらしいし=想像力は人の心の痛みを想像にもつながるし 時間と空間を超えられる(昔の外国の小説とか面白いし!) ラベルになる、情報を短くして記入しておける(探す手間が省ける) ありとあらゆるものを言葉で短くすることで、記憶したり思い出したりできる(脳がすごいともいえる。思い出す力も使うから、読書は面白い) 伝えるのが難しいものでも、比喩を使うと、皆が知っているもので代用するから、伝わる。考える時も比喩を使ってるのだそうです。心が「広い」とか愛情を「注ぐ」とか、物に例えると抽象概念のことを考えやすい。 違う言語でも、翻訳があるから、国を越えて、世代も越えて、まあまあ通じ合える。 言葉の組み合わせだけで、面白いこと、感動すること、色々創作できて…お金かからなくていいよね… ↓読んだ本です。 『本を読むときに何が起きているのか ことばとビジュアルの間、目と頭の間』ピーター・メンデルサンド(著)フィルムアート社 『タイトルの魔力 作品・人名・商品の名前学』佐々木 健一 (著)中央公論新社 『文体の科学』山本 貴光 (著)新潮社 『ことばの力学 応用言語学への招待』白井 恭弘 (著)岩波書店 『日本語とコミュニケーション』滝浦真人(著) 大橋理枝(著)放送大学教育振興会 『「あ」は「い」より大きい!?音象徴で学ぶ音声学入門』川原繁人 (著)ひつじ書房 『新記号論 脳とメディアが出会うとき』石田 英敬 (著), 東 浩紀 (著)ゲンロン 新記号論〜以外はやさしく書かれた本なのでご興味あるかたは是非〜 ---------------------------- [自由詩]あなたがわたしの近くや遠くにいる (長いので途中からでも途中でやめてもOKで.../ふるる[2020年4月14日0時40分] あなたがわたしの近くや遠くにいる 騒がしいので目を塞いでいた、 この暗くて曖昧な場所に 午後の日差しがようやく届き始める 長い時間がかかって 忘れ物はないかとポケットを確かめる 駅の時刻表には時間ではないものが書いてあり じっと見ているとそれが感じられる あなたが近くにいる 砂漠の終わりであなたが言った言葉 遠くにいてもきっと分かるだろう ぼくらは、、、 砂が幾重にもわたしたちを包み、隔て、 閉じた目をひらいた時にはもう 駅が来ていて、わたしははじまっていて、 あなたは遠くに連れ去られて、自ら連れていかれて、 わたしは駅で買った飲み物を置いてきてしまったのだけれども きっとまだあそこにあるのでしょう、 さようならは言えなかった 言わなかった 今度、、、 と言ったきり時刻表を見つめた横顔がきれいだった 寂しい翳にふちどられて 橋が見えるよとあなたは言いました 離ればなれの陸をつなぐ橋 橋があるから手を繋いでいるみたいに見える 陸を隔てる海は世界中に広がっているけれども 小さな橋があるから あなたが近いと感じられた 波がもし橋を掴んでさらっていっても あの小さな橋がと指さした手や懐かしい声はそのままで 眺めた、あの午後の日差しがようやく届きはじめる 髪に 冷たい指を差し込んで もうしばらくこうしていようか 歩きながら話そうか お互い目を合わせずに手をつないで あなたはわたしの近くや遠くにいて 見守ったりそっけなくなったりする わたしの駅がまたやってきて あなたの橋を遠ざけようとする 河原でこちどりを見つけたの 小さな卵を守っていた 一生懸命に 読もうと思って持ってきた本なのにあなたは 表紙の絵のことばかり気にしていた 心配になる そんな表紙のついた本なんて読んで なにか責める気持ちがあったのかも 非が非でないことが嫌なのかも グラスに水を入れて持ってきてくれましたね 美味しい水でした、 あなたがくんでくれたから 水を通した光が天井で揺れ あの砂漠の風景が今でもここにあって 際限なく渇いていたわたしとあなたがいた 電車の窓から 飛べたらどんなにいいかと手を離した もう遅い、とあなたは言うのでした 遅いから眠った方がいいと わたしはこちどりの心配を あなたは本の表紙の心配をしながら眠りに落ちました。 朝に起こしてくれる鳥はいなくなり わたしたちを起こそうとゆするのは列車のベル 座席は暖かく 鼓動に近いから眠ってしまうんだと 優しくゆすられて多分もう眠い 途方もない力がわたしたちを生かそうとしまた奪い なすすべはなく ほおずきのように朱色の夕陽を全ての窓に四角く入れて あなたを乗せ わたしを降ろし ここだ 雪のせいでおかしな場所で停まっている 雪に抱かれた光る細長い箱 静かで外も暗く冷えて まだ、動く気配はない 雪の匂いのせいで眠れもしない 虚無の指先のような匂い 手を繋ぐことで約束したような気持ちになった 言葉では表すことのできない約束をした よいものをあげよう 渇いた喉を潤すものをきっと それが何か今となってはわからない ずいぶんと待ちました 遅くなってすまなかった いつも遅れてしまうのは橋があるからだ 渡るときは身体が浮いているので いつもおぼつかない 目覚めと夢の間を渡るときもそんなふう 夢で見る君はいつも微笑んでいる こちらは見ないで 君が僕の近くや遠くにいる 想像もできなかった、窓におでこをくっつけて外を見ていた君 怒った顔で許していた君が 忘れていく、約束を 指の暖かさが遠くに、時刻表は白くほころびなら消えて もうすぐ、やわらかな季節がくれば 惑わず話せる日が来るのかもしれない 今はまだ雪に抱かれた明るい箱は 儚いものを積もるままにしていて やがてはうずもれるその前に 手紙を書いてみたいけれど 封筒も便箋も切手も捨ててきてしまった それがあなたの落とし物なの 捨てたものを落とし物とは言わないよ それは丁寧にしるされた楽譜でもあるの いまだ爪弾かれることのないかすかな旋律 かすれている音譜のひとつひとつが 鼓動に似ているのでみんな眠りについてしまう あの人たちは追いかけるとか追いつくなどと言ってはぐるぐると回っているのに気がついていない 五度ずつあげていくと輪ができるのでしょう わたしはこの音を担当しましょう 何を奏でているのかは決してわからないけれど 素敵な旋律に出会ったあの時に 君の耳は花開いた もう少し眠ったら重たい身体を起こして 手の上に芽吹く物を眺めましょう 緑は揺れて 懐かしいリズムに記憶が乗っかっている おんぶされたり抱っこされたり あしたはどこいくの 明日、は明るいいい響き 磨いた窓の明るい 特別な予感を許された日 今日を供物として捧げたからもう大丈夫 いつかよみがえるから 身体の細胞は死に生まれ続けているのに わたしたちは変わらず同じところを回って探し続ける お互いを、あるいは違う人を 今日が明日を両腕で迎え あとは忘れてと振り返らない 駅があなたを迎えに来て さらわれていく、あなたは自ら フードで顔を隠し白いマスクもつけて 誰だかわからないようにしてしまっているあなたは わたしでもあるし知らない誰かでもある そんなふうに言葉少なで あなたなの? 君こそ顔を隠している 騒がしいので目を閉じた このまま何も持たずに列車に揺られていこうとしても 降りていく人が置いていってしまう 花や石、本や時刻表、黒いかばん、そして 手紙 よく見せて 封をしていない手紙をあけると 言葉がこぼれる 硝子の山、金の靴、銀の竪琴、ミルクの川、、、 お伽噺のお姫様が竜をねだるので 王子様が旅に出る話 それは手紙でしょうか 紺色のインクが迷ったりにじんだりするのではらはらする 遠くの国の父から子への物語 様々な願いが便箋を埋めるけれど 子どもはおもてに遊びに行ったまま大人になり ぼんやりとした父と手を繋いで橋を渡る ミルクの川と父がつぶやいて そんな手紙もあったよね 幼い自分が父と自分のあいだを走りまわり風がよぎる ぼくは子どもを持てなかった 大したことじゃないとかつての父が笑う 見えているものにこだわることはない 見えていないものをどうやって見るの 硝子の山、金の靴、銀の竪琴 そういえば、時刻表の時間も見えなかった かわりにあったのはきみの横顔 ぼんやりとして 大きな木の根本にタイムカプセルを埋めてそのまま忘れた 未来への手紙は光で綴られて眠る 水族館という文字だけ読める 水族館は好き 暗くて静かだから 海はそんなふうかな 海底では沢山の白いものが沈んでいくというよ 列車を閉じ込めた雪のように 可愛そうな虫たちを隠す落ち葉のように ひとところにはおさまっていない魚たち 自由がある とじこもった中にだって 内側の硝子を厚くして 外はにじんだ風景 水槽の中で手紙を書き続けている 紺色のインクで 降りしきるものの中で きしむような声が喉から逃げる そんな無口の悪癖や クレーンの影が地面に落ちていること 冬の日暮れは早いよ 最後にかけだしたのはいつだろう いつからか列車には飛び乗らなくなった 灰色の鳩がたくさんいる灰色のホーム 人を怖がらないのは忘れっぽいから くりくりした黒い目で歩いている 扉が開くと はっとするような色のスカートが 祭のリズムで揺れて 女性は花や羊みたいな服が着れるからいいね ひらひらやもこもこ すぐに列車の中へ吸い込まれてしまう 夢かと思ったんだ そんな素敵な夢が降るのなら 長い夜も好きになれるのかも 僕は謝らないよ 君が望んだように言っただけだから じっと手のひらに落ちるものを見つめていた 歌がきっかけで鮮やかに思い出す 色あせたと思ったのは気のせいで きちんとしまわれ過ぎていていただけ 勝手なことばかり言う人だった それでいて愛すべき明るさがあり みんな笑いながら困っていた 測量の機械が足りなくても 精練な分度器と方位磁石があればいい それでも肌身離さず持っているものはやはり 記憶 たまに取り出しては作りなおしてまた戸棚へ 奥には何がしまってあるのかきっともうわかんない 今度ちゃんと見てみよう 部屋が夕闇の青みがかった紫に染まり 海の底みたいにゆっくりと揺れた プラムやマスカットをたたえた皿が出されて 水もたくさん ここの水は飲める 僕らが満足できるようにと最大限の配慮がなされた 高い塔のてっぺんから見下ろす街は風で揺れていて 丘の上には無数の白く巨大な風車 一本は折れ曲がっていてそのまま 彼の最後の言葉はなんだっただろう 凧の糸のように釣り糸のように 確かな手応えが嬉しかったのに 急にぶらんとなった 古い公園のブランコに座ってぼんやりとなった ふらここ、ふらここ、と君は繰り返したかわいい声で きしんだ音があちこちから聞こえて 曇った空からは錆が降ってきた シーソーもブランコも鉄棒も 遊んだ手のひらは鉄の匂いがしてくんくん嗅いでみた 剥がれかかった塗装を熱心に剥がしたり どろだんごを何日もかけてぴかぴかに磨いたり崩したり いい模様の石をたからものといって握りしめて帰る 多分タイムカプセルにいれたはず あの石は普通の石じゃなかった ほんとうに 小さくひび割れかけた石鹸で手を一人で洗う まだ鉄の匂いがしている 見えないからといって 失われたとは思わないで かつてあったものは 今もあなたの近くに 握りしめた手の形が覚えていた 今はもう本当に遠くなってしまった二人が ふりかえる道は重く こんなふうに同じところを回りながらも 昇ったり降りたりできるのは螺旋階段のしくみ かりそめの繋がりでもあればいいのだと言う 想像もしていなかったことが次々と起こり みんなはかわいそうだったけれど 耳をすませば 夜が溶けていく音が聞こえた 優しい音だった 雪が自らの重みでゆっくり落ちるような いつもどうりで良かったのに怖がってしまった 私たちの微かな寝言はほとんど聞き取とれず ぱらぱらと散らばって行ったけど それでよかったのも 不安ばかりつのって身体は小さくなって ハンカチに包まれるほど 紺色のハンカチには星たちが描かれていて 顔に乗せれば宇宙に浮かぶ 冷たいほうき星や赤く燃える星 垂直に落ちる銀河 一つ一つに緑の森やまばゆい湖があってほしい 小さな花もあったら見たい 深海魚みたいな宇宙船の中で 涙は熱いと知ったのはいつだった ぼやけた瞳で見るのは苦しかった だろう 君を泣かせたのがまさかぼくだなんて 後で叱っておく ほんとうにひどいやつだ 君を置いていくなんて ほんとうに 散らばった不安はみんな集めて持っていってあげる それが約束だったのだ 生まれてくるはずだった妹や弟がぼくらを罵りに手を繋いでやって来る あるいは嗤うために それから救うために 負けないで でも勝つ必要もない 冷えた地面に触れている手のひら 脈打っているのはどちらだろう いつ終わるとも知れない生業の中で 存在を感じられる時がある 匂いや空気の動き 遠慮がちな音で アクセサリーをそっと外す 眠るために 身体が沈んでゆく 頼りなくたゆたうのはいつものこと あの可哀想な恐竜も眠ったのかな寒くてこんなふうに 目を閉じて ここで 目を 閉じて 私が昔小さな動物だった頃 喜びという感情はまだなかったと思う なんとなくあたたかい この胸の当たりが そうやって手を当てているうちに いていいのだと分かった そして 午後の日差しがようやく届き始める とても 長い時間がかかった ---------------------------- [短歌]コロナ十首/ふるる[2020年6月18日17時20分]    二月 この頃はわりと気楽に構えてた若者は平気と思ってた 備蓄品増やしといてと夫言う海外見たら笑ってられない    三月 フラダンス教室なくなり暇になりだからといって練習しない ネットのありがたみを痛感するね仕事、買い物、娯楽、おしゃべり    四月 夜ご飯作る気なくて出前取るお花見っぽく飾るテーブル 息子は3DCGの在宅研修はぁーこうやるのかぁー    五月 薔薇園の蕾がすべてありません人来ないよう剪定されて 図書館に行けないからとあつ森で図書館作って寝ころんでみる    六月 長い夢終わったように街目覚めたぶん悪夢は終わりじゃないが 薔薇園に久々行ってすごい数好きに勝手に咲いてて笑う ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]詩画集みたいな変な冊子「イラハポ」についてのご説明/ふるる[2020年7月24日19時12分] 「イラハポ」は、「イラストレーション+ことのは=ポエム」の略(イラ は ポ)です。 ポエケットで販売しようと思って詩画集みたいなよくわからない冊子を作ったのですが、コロナ自粛で参加できなかったので、こちらで紹介させていただきます。 何でそんなものを作ったのかをご説明します。 以前からデジタルの明るくてかわいいイラストがいいなーと思っていて、それと詩をくっつけるとどうかな?と思い、趣味で絵を描いていたので、やってみました。 が、明るいイラストと詩(真面目っぽい)はあんまり合わないし、どちらかが主でどちらかが従になってしまってもったいない。 どちらも主で、イラストと言葉、ふたつでひとつの詩、というふうにできないかな?と思いました。 そこでうーんと考えて、画家のルネ・マグリットの作品にヒントを得ました。 マグリットは自身の絵画に、絵とは関係ない題名をわざとつけて、一つの作品としていることがあります。 これは、シュルレアリスムのデペイズマン(普通のもの同士を意外な感じで組み合わせて、非日常を作り出す)という手法で、文学で言う異化(作用)というやつです。異化は、日常的なものを普通でない使い方をしたり、違った視点で語る方法です。それにより、当たり前を疑ったり、見直したり、違う価値観があることを知ったりします。 マグリットの絵画を例にすると、青空の絵の題名が「呪い」となっていたり、女性の絵の題名が「世界大戦」だったりします。 ところで詩というのは、だいたいにおいて、新しい比喩や擬音を使ったり、いつもと違う言葉使いや視点により、今まで気づいていなかったものを気づかせてくれる、異化のかたまりのようなものです。 それならば、言葉とイラスト(意味を伝える記号と言う点では言葉とも言える)を合わせて普段とは違う何かを感じられたら、それは「詩」といってもいいのではないかな?と思いました。 そんなわけで、イラストに言葉をプラスすることで「ちょっと普通ではない感じ」になるように作ってみました。 造語や数式も言葉のうちということで採用しています。 まぁそんな話はおいといて、イラスト+言葉で詩的な何か、奇妙さ、面白さを感じて頂ければ幸いです。 (呼び名は「イラハポ」にしました) 以下に、作った冊子の写真を載せます。 画像の大きさ制限があって、画質が荒くてすみません。荒くないのはpixivというイラスト投稿サイトhttps://www.pixiv.net/users/7863615 にあります。 (nonoko555=ふるるです。ど下手なイラストが色々ありますが目をつぶって下さい…!) 表紙です。 地図なんだかなんだか。 数式も言葉のうち。 造語を反転上下逆さに。 取扱説明書っぽい何か。 ことわざなど。 映画のポスターっぽくしてみた。 それっぽいナレーション。 疑問形で? 言わせてみた。 看板で言葉とコラボ。。。 お読みいただきありがとうございました。 pixivには、イラハポ文字なしバージョンも載せているので、よろしかったらお好きな文字をのっけて遊んでみて下さい。 個人使用はフリーです。 ---------------------------- [自由詩]手探りで/ふるる[2020年8月13日21時48分] 大きな山だった 立ちはだかったまま青く動かないで 汚れたままの靴と 広くて深い空 その空に追突していった ま白い鳥が 置いていった羽をくるくるもてあそびながら 雲の上や切れ間を流れる風に見とれていた 見えなくても動いてある あそこや ああ あそこにも 叔父のよく動く口 話を聞きながら頷いていたけれど 半分しかわからなかった 墨をするときの静かな気持ちで どんな質問に答えよう どんな答えを編みだそう 予想ができないから 正しくあることはできない ここからここまでの感覚と言えるだろうか 直感を信じる あの大きな山を前に ばらけた木々のざわめき 降ってきた木の実を 両手で受け止めてからすべもなく捨てた 少しだけつらいような出来事 ただ、想像するだけだからなんてことはない その周りを回ることだって 拗ねて首を曲げた その近くに風は吹いて 閉じこもって考えていても仕方がない 外に出ればまたあの山だ 向こうには何があるかって 考えないのか 気が向いたら遊びにおいでと言っていたのに 叔父は消えてしまい レコードのアルバムが沢山遺されて物置の中に カビの匂いとしめった木の匂い すぐにお腹が痛くなる場所 二三枚レコードを抱えて外へ出る 電線のたくさん交差しているあたりで曲がり叔父の足跡はそこまで レコードのビニールカバーは破れて飛んでいった 最後にかけたのはどれだったのか 中身がないものや ジャケットと違うレコードが入っていたり 立派な黒くてつやつやした円盤に 刻んであるのは若き叔父の姿 拗ねたように首を曲げて 下を見ている 猫背の人から漂うのは拒絶 話しかけてもらえる期待と絶望感 会話はあまりしなかった 聞けば何でも答えてくれた 半分しか理解できなかったけれど ガイネンという言葉を初めて知った 質問の仕方がよければ 質問者は答えに近づいている 質問にも色々あってね ふっとそれまでの空気と世界が途切れ 世界も自分も何度でも塗り替えられる そう言った顔は思い出せない 光にのまれていた 闇が覆っていた どちらか 霞んでいる叔父の顔は穏やかに見えた 母の事を姉さんと呼ぶ唯一の人 いつもノートにむつかしい呪文を書き込み おそらく数式だった ねだって手の甲に書いてもらった 肘から手首までの長いもの 小指におさまるもの くすぐったくても我慢した 母に見せると 誰に似たんだか変な子になっちゃって 困ったような声 何も為さずに消えた横顔は真面目 それは消えた足跡 まっすぐで 答えを探る瞳孔 嘘を許さない背中 たまには陽を浴びたらいい あの山を見ると嫌になる いま抱えている問題を思い出す 目の色が不思議で 太陽の下では濃くなる 茶色い猫が歩いてころりと寝転んだ くわえていたのは靴の片方で せっせと飼い主に貢いでいるのだった 片方だけの靴が だから叔父の家の前には並べてあった 彼のいた場所には穴があいて そんな穴がどこにでもある そこに触れると冷たくなったり 暖かくなったりする 乾いた音楽がいい 演奏家もウェットなのは苦手 淡々と奏でられるバッハ ゴルトベルク という響きも教わった たまに頭に手を置いてなでるでもなく少し待つ 手を繋いだことはなかった 嘘の何がいけないのよ 母の怒った声は震えていて なだめてあげたいほどだった ごめんとつぶやいたのは誰だったのか 誰もいなかったのか そびえ立つ大きな固まりが空を持ち上げて 山は大きな人だった 夕焼けは毎回燃え夜へと消え 叔父はあの向こうへ 多くの疑問を残し 黒い雲を沸かせ 雷を呼び 先の大雨で山肌はただれ 河は壊れた 呆然と見つめる横顔の中で そんな時はうつむいてしまえばいいのだと知っていた いないのに必要なときは蘇る 風や雲とともに 切れるほど青い空にすっと雲がかかり 嫌な思い出もあんな色に塗れたらいいなと叔父は形のよい唇でつぶやいた 淡々とした叔父にも嫌な思い出がかぶさっていたのかと 今驚いている イチ、と猫を呼ぶ声は低く 姉さん、と呼ぶ声は少し高く なんとなく過ごしているうちに年を取り 恋も愛もなく通りすぎ 今は老いた母と二人暮らし 昨日介護退職をし とても深くて青いような困難が立ちふさがり 叔父ならどう答えるか うつむくのか 淡々と書き付けるのか すりきれた記憶から 手探りで思い出している 母は毎日誰もいない玄関に向かって おかえり と言う ---------------------------- [自由詩]真面目なあの人を笑わせたい/ふるる[2020年9月19日21時24分] 真面目なあの人を笑わせたい そう思ってたくさんの嘘を用意した 花を摘むよりも簡単 お箸を並べるよりも 宇宙人の話は全然だめで にこりともしてくれない 幽霊も金縛りもだめ 好きなものを知らなければ 笑わせることなんかできない だから知りたかった 髪の一部分だけが白い理由など 信じているものはあるのか など 難しい顔で川なんか見て そういう顔してたら許されるのか 捨てたことを 沢山捨てている人は 軽々と階段を降りるけれど 雨が苦手 古い階段のような音がするので振り向くと 雨で体がきしんでいるという ゆっくりとバスに乗る ガラス窓に雨粒が砕け 泣くのか、洗うのか迷っている 小さな子供が眠っているのにも気づかない いつまででも見ていられる頬 梅雨入りの匂いは好きなものの一つ 墓にも持っていきたいくらい さっきメールを打つ指に見とれた 伸ばし気味の指 無駄がなくて良かった 長文のメールは誰宛なのか 教えてくれないし 言っても分からないという 難しい事は分からない 子供には難しい そうやって目を塞ぐから 一人で歩けなくなったんだ 慣れた道と慣れた階段でも 迷ったり踏み外したりできるのは 才能の一つ なかなかできることじゃないし 誰も真似してくれない 偶然同じバスに乗ったけれど うつむいてメールばかり打っていて 落とし物でも探してるのか 何かの歌の歌詞が落ちた こうして見るとすごく恥ずかしい言葉が 歌にするとすごく素敵 するどくとがった言葉も するすると優しいメロディーで骨抜きに むかし 急に思い出話が始まった 銭湯には洗い終わった赤ん坊に服を着せてくれる人がいた 銭湯は知ってるかな今の若い人は それから 風呂がない者は知り合いのうちに風呂を借りに行ったりもした 湯気の中では皆赤ん坊のような顔になる 気の抜けたつるりとした顔 集めていたのはレコード 私は消しゴム コーラとか芋ようかんの匂いのがありました あの集めたのはどこにいってしまったのかな 捨てたのかあげたのかさえ思い出せない 海馬は捨てるのが得意 寝ているうちにせっせと捨てるらしい また母がうつ病で入院しました 今回は早めに病院だったので回復は早いのかも 打ち込める何もない可愛そうな人 この世にはいくらでも 美しい音楽や小説の中の一文がある 獣のような一句や 雷のような音だってあるのに 何なら夕暮れ時に外に出てみればいい 替えがたく美しいものがあふれ 空ですら抱えきれぬほど広がり 誰のものでもなくやがて失われ 別れの星が控えめに飾られる 音楽の宇宙を散歩しているような指揮者がいた とても楽しそうに 彼の燕尾服の袖から手のひらがひらひらと踊る 何十人ものプロフェッショナルが一つの音楽を作る それは身体の臓器が連携して一つの命を作るようなものかな ばらばらだけど一つ 聞いたこともない拍手が止まない 君の思い出話も聞いてみようか お絵かきといえばタブレットに指で描いていたので いざ紙に描くとなるとしりごみしてました タブレットの絵は嫌ならすぐ消せるので それから前に戻るボタンがなくて不便でした 間違った線がすぐ消せないのは困ります すぐ消せるのがいいのか いいですね もうすぐにでも 消したくなります 本も全て電子書籍を読むので 紙の本て苦手ですね 頭に入ってこない 明るさが足りないのかも 五十も年が離れていればずいぶんと変わるものだ 昔は小説なんか読んでるとバカになると言われた 今は 動画ばかり見てるとバカになるよと言われます 他人の楽しみを破壊したり知らないことを無闇に恐れることを愚かという 急に涼しい風 雨は去り誰かが窓を開けてくれた 蒸し暑い夜は寝苦しく 何度も寝返りをうっては いるべき場所を探していた たぶんここではない 不安が大きい人はなかなかそれを手放さない 不安を手放すことすら恐れている むかし 姉とその子供がいて 二人にまじわるのは とても居心地が良かった その子の腕に数式を書いてやったこともあった 変わった子ですね 今急に思い出したよ あの子の名前を 掃除機を買おうと思ったんです とうとう動かなくなりました 色々ネットで調べ過ぎて 今なら何でも答えられますよ 掃除機について 一段式サイクロンと二段式サイクロンの違いなどどうですか 吸込仕事率とか いるべき場所はどこだろう そこに山や河はあるのだろうか 時が来ればそうすべき時にふさわしい場所へ行くだろう 今はその時ではないけれど ただいまと言えるだろうか 残していった物はまだあるだろうか 迷いますよ紙パック式かコードレスかとか 君は何の話をしているんだ 好きなものの話ですよ こんなに色々な事を話しているのに 真面目なあの人がどうやったら笑うのかまだわからない ---------------------------- [自由詩]雷を髪に飾ることはできる/ふるる[2020年10月28日9時37分] 雷を髪に飾ることはできる、とあの人は言いました。 プラスチックの黄色い髪留めのことかと思いました あるいは単なる冗談なのかと 朝食は取らない主義で それはお腹が弱いから 薄紫の傘が立て掛けてあり 雨の日は思い出します 話の前後がわからない 話がよく飛ぶ それだけで疎まれた マフラーは黄色が似合っていた 冬は何かと寒いので おでんの煮たまごが嬉しい 正解はここにある 温かいおいしさの上に 小さい頃から知っているとはいえ 空白が長い 共通の思い出をもてあましている 子供の単なる冗談など 風が囁きから嘆きにかわり また冬でした 冬になると思い出します 小石を蹴りながら帰る癖 今はどこかにいってしまった癖 手を繋ぐのをためらったのはどちらから 工場夜景見学に誘われて 重たいカメラに触らせてくれた 誘える人が他にいなくて 夜は怖いから 夜をいつまでも怖がる 震える手を繋いで少しだけ 歩きたかった 今度はこちらから誘おうかな 理由は何がいいだろう 一人ではだめな理由 二人三脚とか ぐらついた三脚を押さえてもらって 天井に星をぶら下げた 文化祭はお化け屋敷が人気 うちのクラスには閑古鳥が鳴くけれど 別にそれでよかった 学食のおにぎりは唐揚げにぎりがおすすめ ご飯に唐揚げの味がうつって美味しいから 絶対に食べてね それから 缶のココアを間違えて買ったからと言ってくれた 好きだけど 缶のココアはめちゃくちゃ甘い 残りが残ったまま持って帰った 冬なので息も白く マフラーに半分顔が隠れて話しやすい 目をそらしがちだけど 見ていたかった 世界史の教科書 生物の図解 電子辞書 出ない赤ペン 一緒に居眠りしている 後になって気づく 穏やかな時間だったと よく思い出せないけれど マフラーは黄色で 口が埋もれて見えなかったのが 良かった 泣き顔を見たときに 親しい関係でないことがこれほどつらいとは知らなかった すぐに触れて慰めることができない 理不尽な不自由 ココアの缶がまだとってあって べつにプレゼントされたわけでなし 捨てればいいのに いつでも捨てられるから なんて だって温かいからね そういう気持ちとかは 誰にでもは無理で 多分ずっとあって だから捨てない 多分この困難を乗り越えたら ずっと成長できているだろう 悲しみの中でも笑えることを覚えて 少し もう少し ここは観光地で秋はにぎやか バス停に人だかりができて 乗れない人は呆然とする なんてことは地元の人なら知ってる 何度聞いても内容が分からなかった 電子工学を新しくするための研究の研究って 役に立つのかどうかは きっと生きているうちはわからない でもするんだ 誰ががやらないとね マフラーについた雪の結晶が すぐに消えてしまう 思い出はそんなふうだから 何度も思い出して作り直さないと でもどこかには残っているから 引っ張られるのだと思う 触れていい許可を得るために告白するんだろうけれど 一番は泣いているときに慰めたい その役目を担いたい 何故そんなふうに思うんだろう 自分ではない人なのに ただ知っている人で 笑いかけてくれるというだけなのに 大学も就職も離れた場所で 久しぶり過ぎるくらい久しぶり 変わっていなかったのは 嬉しいし不思議 相変わらずお腹は弱いのかな 約束の雷 と言ってあの人はわたしの髪に触れました。 ---------------------------- [自由詩]栗のスープ/ふるる[2020年11月14日22時51分] いつしか、 日は暮れていて足元は寒くなった ももに置いた手は静かに落ちた しばらく眠っていたらしく 目の前で遊んでいた子たちも いなかった こうして一人の時間が増えたかわりに 雨や落ち葉が隙間を埋めに来る なかなか上手くできていて 窓辺に座って黒ぐろと光るカラスを見たり 夕陽を薄い頭で受けたりして 退屈はしていない ほとんど何も考えずに夕食の支度はできる 毎日作っている 気がついたらできていることもある 少なからず できる料理は増え ケチャップやマヨネーズなど足してみては やめてみたり 来る日も来る日も不足のことで困るけれど 劇的な変化や改善策はなく 日が落ちれば 生きる仕事はとりあえずこなしたといえる 身体は老いの盛りの登り坂 中身はがらがら 焦りや不安がいまだに寄りそって 欠けた茶碗が気に入っていて捨てられない 笑い 泣くたびに 激しさはなくなりほわほわと幼子の髪のよう 小さな君が何かよく分からないものをプレゼントしてくれて 分からないなりに嬉しいことが嬉しく 熟練の技という感じ 生まれて初めて生の栗から、 モンブランを作ってみた ゆでて、くりぬいて、混ぜて、木べらで裏ごしして こんなに頑張ったのにまだ 木の実の味しかしない ラム酒を入れてやっとモンブラン あの味ラム酒だったのか 買いすぎた栗にも発見の二文字 何十年生きてもやったことがないことには初めての沸き返り つくづく見る栗はつやつやのカブトムシの良さ 栗のスープとやらも作りたい そうこうしているうちに十一月 と思っているうちに十二月 よくわからなかったプレゼントは 逆さにして後ろから見たら人だった 焦り、不安、おびえ、 雪山を凍りながら下る川の水のように 鋭利で駿烈な感情 それらは今しかない 無駄なことは浴びるほどしたらよくて 後悔しても忘れる時が来る 生きる仕事といえば 食べ物、言葉、自分自身を 入れては出す単調な作業 シンプルな中に熟練の技を光らせ 生ゴミは夏場は凍らせておき プラゴミは細かく切り 楽しめるのかどうか 今は何も楽しくないだろうけど 羨ましい その 自らを否定し斬りまた縛る力の強さなどは 自分のことばかり考えるというのは 叶わぬ恋をしつつも希望は捨てていないようなもの 君の身体は光っている 暗闇だとよく分かる 言わなければ分からなかったか 悲しみで身体を包んでいる 贈り物みたいにしていたら 誰かに届いただろうか 喜んでもらえただろうか 記念日のように きれいな人の心を読みきれずに とんちんかんな受け答えで笑われた そんなようなものが 心に残っているからいつまでも眺めている 健康診断の途中で帰って来た そういう人でいっぱい 街は健康とは関係がなく 赤と緑の点滅が震える やがて 白く凍る 胡桃もひとりでに落ちる 幼い君には重すぎる願いだろう 忘れないで欲しい 何かを 何であるかとたずねたこと その疑問符 よくわからない人の形 いつしか、 秋は暮れきった 冬がまた始まる 君と同じくらいの頃は毎冬 バケツの水に張った丸い氷を外して 叩き割ってから学校へ行った 毎日だった やらなくなったのはいつだか 何故だか 診断の結果に興味はない 目が年々しぼんでいくのは困る そのうち閉じて枯れ落ちる まぶたの 花びら 数少ない友人にとり残されて 残された日々 足りないものを埋めようとして歩いている人の側へ行く 誰もが無言だよと 誰かが言う ---------------------------- [自由詩]書くことを恐れてはいけないと誰かが言った/ふるる[2020年12月17日11時39分] 私はある事件の参考人だった 様々な人がありとあらゆることを聞き 黄色い疑いの目で私を見るのだった 私は何も見ていないし知らないのに そんなはずはないと言うのだった 都合のいい事を言えたら良かったが 私はほとんど食事をしない その事だけでも充分におかしいのだった 叶えなければならない望みがいくつかあり それは忘れてはならない 電車は定刻どおりには来なかった、 私はそれに乗らなかった 終わらせなければならい仕事があり 漆黒の検察官は厳しく責め立てるのだ 真実を述べよと 真実はかなり前から高額商品で 庶民の手には届かない 諦めてもらいたいのだが 参考人としての立場に揺るぎはなく さりとて進展はないのだった 私しか現場にはおらず Aさんはとても重要な立場の人らしかった Aさんは知り合いだったが 普通に話すだけの人 ただ天気や体調のことなど Aさんは実はという話を聞いて 小さい頃を思い出した 石ころをサイコロがわりに振って どちらが先に進むか決める Aさんはとても先に行ってしまい見えない そういう友達がいた気がする 望みを叶えようとするといつも邪魔が 入って、 ままならないのだった 単にあの電車に乗りたいそれも定刻どおりにという望みさえ 仕事はいつもうまくいった 私にしかできない仕事なのだから当然 重宝されたし特別扱いもあったが Aさんほどではないようだった 知れば知るほどAさんは遠くなってゆく 私の知り合いAさんはもうどこにもおらず ただ無人の駅に冷たい風が吹いては荒れ 荒れては吹き 仕事に行きたいのだが だんだんそれもできなくなっ ていった 参考人であることが唯一の望みとなり 自己紹介もそうなったし それで好ましいのだと言われた Aさんは影となりしみとなり どこまでもついてきては私の邪魔をしたいようだった Aさんとはただの知り合いだけども 幸せを感じてはいけない気がする とAさんはふともらし その言葉の意味をいつも考えている そういうのはどういう関係と言うのだろう 田舎から大量に野菜が送られてきて困っていたAさんはいない 重要な立場とはどういうのだろう 心で呼び掛けても答えず 現実でも眠ったままだ ここは冬になっても暖かく 雪などは何年も見ていない 仕事などしなくても生きていける 食事もしないし趣味もないし 仕事だけが私のことわりだったのに 参考人だからという理由でさせてもらえない Aさんが倒れていたあたりに倒れてみる 第一発見者にめでたくなれたのだと思うといいかもしれない 変だけれど あるワクチンを作っていたらしいAさんは 食事をあまり取らない私を羨ましそうに見ていた 面倒だし野菜ばかりだし 聞かれても出てくるのはそんなことばかり 余計なことだらけで だからこそ 私が第一発見者でよかったのだと思う Aさんに任せておいた何かを失って みんな困っているという きっと頼りになる人だったのだろうけれど Aさんがそうなろうとしたわけではなさそう 検事とはすっかり顔見知りになり 天気や体調の話まで出てきた なんとなく 気が合う人だと思った これまでの経緯を書いておいたらいいと言う人がいて そんなことをしたらますますAさんがこぼれていくと思うけれど 書くことを恐れてはいけないとAさんも言うのだった ---------------------------- [自由詩]思いやり/ふるる[2021年3月17日11時15分] どちらか好きな方 をせよ。と声がした 冬晴れがそこかしこを粉々にしてゆくようだった 寒くて… とてつもなくクリーン。 澄んでいるので電車の音がよく聞こえた 一キロは離れていて坂もあって この街はかつて一面の田畑であった ゆえに地盤が沈下しやすいとの話 容赦なくからみつく木枯し 独りの背中にしばし留まり その比喩の使い方はそわそわする、と言われた 言葉というものに厳しい人だった それと対峙するときクリーンかどうか 努めて真剣であれ、と言うのだった あまりにも礼を欠きすぎているから ふと洩らすなどもっての他 好きな方を 無理に選ぶ必要はない 言葉どおりの意味ではない 使えば使うほど不明瞭になるのが当たり前 しかし沈黙など 許されない 常に 発していなければいないも同然というわけ 我々は粉々になった冬の空をかき集めて袋に入れて口をしばり ぐるぐる振り回しながら遊びに行った 招かれて嬉しくて浮かれていて なのに怒られた 怒る人は大抵決まっていて あなたは 怒るよりもほんとは 泣きたいのかなと 少し思った ともかく、ここにこうして集まってしまったのだから、やるしかない 我々は選ばれなかった者同士で ほんの少しはにかみや照れ笑いが許される 同じ頃 とても大事な会議や決定がなされていて 誰も何も知らないまま何もかもが進んでゆく ここは一体どこなんだろう どこに連れていかれているんだろう そわそわする わからないから面白いし 大抵の不安はそういうところから来る 行き先が分からないものに いつの間にか乗ってるだなんて 夢でもそうそうない話。 面倒なことを押し付けられて 逃げ回ってるうちにこんなクリーンで寒い所に来た 期待してたほど酷くはなかった 前はもっとだったわ もっと楽しいかわりに酷さも相当だったの 愛想笑いって本当に削られるよ プライドとか時間が 変な話、と言うのか癖の人がいて 普通の話でも変な話になってしまうのだった 本当に変な話が聞きたいけど 無理そうだ 聞き流す技術の鍛練に磨きをかける ピカピカするキラリと一瞬光る 空の破片たち そんなにすぐばれるような嘘をついて一体何になるんだろう 嘘を息するようにつくのは本人は嘘の国で幸せに暮らしてるんだろう 嘘の国には休まる場所がない 煙草を吸ったことがないのに 吸殻入れを持ち歩くなんてナンセンス ドングリを入れるためだと言う ドングリはきれいだけど さぞかしおめでたい風景だろうね 大勢が集まってお祝いをするだなんて 嫌味のつもりはないんだが 意図がないからいいというわけではない 騙される方は悪いのかな 善良というよりは愚鈍で蒙昧おまけに独善的で楽天的 それだけ揃っていれば充分なのに さらに短絡的 ほらまた奪われる なおそれ以上、 恥の上塗りはやめたいが やめ方がどこにも書いていなくて 溢れんばかり 我々がこうしていても誰にも迷惑でないし困りはしないから もうしばらくいてもよさそうだ もちろん、 疑問符はそのままで 大勢が集まれば 言葉が溢れたりつまったり 堰を切ったりよどんだり 飲み込むものだし水掛け論などと びしょ濡れな事になるけれど 口火を切ったり口吻を飛ばしたり 檄も飛ばすし非難はごうごう まあとにかく踊り狂ってることは動かしがたい事実 遊びは一緒にやらなきゃ始まらないし終わらない 演舞のようだと言うわけ ともあれ ばらばらになった美しいものをかき集めたり まとめたりまたばら蒔いたりするのには それなりの訓練が必要とされる なので大切なのは 思いやり、という話らしい ---------------------------- [川柳]ささやきがやさしい/ふるる[2021年5月24日23時41分] 星光るタンスの奥に猫の国 風の夜メロンの飴を売りに来る ねじれてる瞳の中のお菓子箱 裁縫を教わる度に消えてゆく 梅雨のこと傷つけて後悔してる 眠るひとレモン両手に握ってる 綿菓子を飼っているよな自慢顔 明後日もてるてる坊主桃のまま 素焼きのお皿で地球が大ピンチ ささやきがやさしい人の口の中 ---------------------------- [自由詩]サカガミ/ふるる[2021年6月18日14時28分] サカガミが猶予はないと言うのだった 彼はいつも唐突な喋り方をした そして黙るので沈黙を料理しそこねた我々はつらい気持ちになるのだった サカガミの母親は彼を随分と気に入っていて 息子なのにさんづけで呼んでいたが あまり気にする者はいなかった 彼や彼女の事情は気にならなかったが 父親が不在なのはいかにも演じられた不在で 何故だか分からなかったのが困りものだった サカガミの姉上とやらが遠路はるばる上京してきて 彼の悪口を散々言って帰った 我々はただ頷きながら聞いていたが それしか話題がないからなのだと 誰がが呟いた サカガミの気の毒さは我々の共通認識で 生まれつきなのだから本人は気にしていないと言われても 気になるのだったまるで 我々のかわり 全てのかわりに 肩代わりを申し出ているかのようなのだから 誰かが幸せになるとやはり サカガミに申し訳ないと思うのであり 気にするなよと言える彼を すこし妬んだりした サカガミの幸福を誰もが願ったが 何が彼にとっての幸福なのかは図りかねた 彼は何も望まないので 同時に全てを 望むので サカガミの出自が問題になった 母親は何も覚えていないのであてにはできない 戸籍を取り寄せたらと誰がが言うが 言うそばから無意味なことが分かるのだった サカガミに恋人ができて すぐにいなくなり あれは幻だったのかと我々が首をひねる頃 あの子が海外でとても有名になっているという話がもちあがり さすがにサカガミの恋人だと言い合った たとえ一時でも とにもかくにもサカガミは我々が友人だと思っている数少ない者の一人 たまに忘れ去られたりもするが いなければやはり寂しい 困ったことがあるなら相談に乗ると サカガミが言ってくれた事があるが 彼の前では困り事など普通の事で 話すことなどなくなるのだった サカガミは確かに孤独を生きるものだったが それは我々も同じなのだと 嫌でも分からせてくれる存在 サカガミの好きな乗り物は台車 風に吹かれるから気持ちいいのだという タンポポの気持ちだという そんなことを教えてくれる 歯みがき粉を買わなければならない また唐突に言うサカガミ ところで猶予がないとはどういうことだろう サカガミに聞いてみたいが多分 教えてはくれない ---------------------------- [自由詩]みちゆき(ブラウザにより意味不明になりますすみません)/ふるる[2021年7月20日17時45分]  一段下がったこの一行目を歩くみちゆき 二行目には何かの展開が来るはずで 三行目ははなから期待してなかったけど 四行目の隣に        かわいらしい花が咲いている のを見ていたら六行目に辿り着き     それから     それから    さらさら川は流れ    それからの橋 を渡ったところに 十行目で待つと言っていたKがいて Kはいつでも作者の都合よく 微笑んだり悩んだりしているので 次の行で仲良く連れだって行こうよと言うと いいよと返事 あ 二人で   ぴ  ょ   水たまりを   ん    越えて よろけて笑ったりなどしてもう 二十六行目についたはるか遠くには同じ形で  山   山   山 がそびえている  青緑  緑   深緑 といった具合でさわやかな風も吹              く 角を曲   が   り   ついたところは最後の行ではなくまだ韻を踏みながら行く   バク   スカンク   バイクで   スイカを買いに行くのか二匹白黒同士で仲がいい私たちは何台も来たから   バ   ス   に乗る         この停留所には停まりません   あと二行後に停まります  ここで降りるまだまだ行くあしひきの山 本さんちはすぐそこだからぬばたまの黒 瀬さんちも隣だしちはやふる神 名さんちは次の行せをはやみ岩 田さんちはここから十七行先でここではちはやふる神名さんが回覧板をくるくる回している道は交差していて     ド  ク ー   ロ  ー ス ド を渡りひとまずロード……の時間が長いといらいらするねゲームの話 まだロード中……(このフィールドはどれだけ広いのかというゲームの話) 岩田さんちはここで オープンガーデンがあるので入ると 素敵な花 花 ハーブ 花とあり 奇妙な段     差                  が                            ああっ                   穴に                  落ちた                   じめ                    ん                  誰かー       いませんかー?                   ああ          深い穴でじめっぽく不快          一緒に落ちたKを見ると そろそろ他の詩や小説に戻らなければならないんだけど出られなかったらどうしよう             どうしようもなく               Kと二人絶望                   感が                   あっ                横穴がある                    ず                     っ                   と                    横                  を                  進                 ん                 で                出               る              と            外だ       右が散文で左が詩とある こちら詩の方は海辺で星の砂と思ったら 歌の砂 歌は沢山ある 浜辺では 猫がおわああと鳴いているし 四人の僧侶が手を振っている 無表情で体操をしている人もいる 赤い手押し車が輝いているし 一つの波が来て これは不可解な船旅になりそうでも 行く     波にゆら  れて      私と         K   の中では       不安と                 期待が      みちて         ゆきて              みち ゆき        ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]哲学入門備忘録/ふるる[2021年7月20日18時24分] 数年前に戸田山和久著『哲学入門』ちくま新書 を読んだ備忘録です。PCあさっていたら出てきました。前半は自分用の疑問をはさみつつのまとめなのでスルーしちゃって最後らへんの感想などご興味ありましたらお読みください。 意味→目的→表象(目に映るもの)→表象が意味を持ち、かつ間違えることがあるのはなぜか→意味を持っているのは、生きるのに必要だから。 情報とは、つながってるものである。そのつながりの一つを選択して意味のある情報として受け取っている。 第1章 意味 意味はあるのか、何か、どういう仕方であるのか =意味は、「目的」と密接な関係を持っている。 「目的」なくして、「意味」は存在できない。 ロボと人との違いのように。 ロボ自身には自分の欲求に基づいた目的がないので、「意味」を理解できない…というか、意味を理解している証拠=自分の欲求に基づいた目的があって何か行動している、という論法 目的があって何か行動している=意味を理解している、と言える。言えるのか??? 確かに、植物人間が意味を理解しているか、いないか、というのは、その人が、何か欲求があって、何か行動(返事するとか、声を出すとか)しないかぎりは、心とか、意志とか、あるって分からない。 動物が捕食する時も、「自分のやってることの意味を理解している」と言える。 それじゃあ、生き物が何かをやってるというのはどういうことかっていうと、まず、何かを認識し、判断し、っていうことになる。 認識=表象について、表象の本来の機能を進化的に、物理の中で説明してみる。ここから第二章。つまり、生き物はいつ、どこらへんで、獲物を獲物として認識できるようになったのか、ということ?? ↓ 意味を理解するロボットまたはコンピューターを作るにはどうしたらいいか 物理法則にしたがう機械に「意味の理解」ができるのなら、物理的世界に書き込めるのではないか。 ・チューリングテスト 自分が人間であることを審判に分からせるのが役割のコンピューター このコンピューターの勝率は50%でよい。審判がどっちが人間か判断がついてないということだから。 このテストにコンピューターが合格するのは難しい。 イライザはいい線いった。うまく相槌をうてるから。 しかしイライザは「わかっているふり」をしているだけである。 知能を振る舞いのパターンと考えるべきか、その背後にある何かと考えるべきか。 知能、知性というのはふるまいと分けて考えるのが難しい。 イライザは形式的記号操作をしているだけである。我々の意味の理解とは違う ↓ 「中国語の部屋」サールの主張 英語しかできない人が部屋に入ってる。ジョンは中国語を理解していないけど、マニュアルにしたがって中国語の文を作ることができる。 プログラムは統語論的でしかないが、心はそれ以上のもの「内容」を持っている。 (統語論=文法を守れ、ということ。意味は関係ない) サールは、心は文法を守って文を作ってるんじゃなくて意味を理解して作ってると言う。 そもそも計算システムは知能を持てない。計算とは記号操作でしかないから。 サールへの反論 サールはカテゴリー錯誤をしている。サールはジョンと中国語の部屋を一緒に考えているが、二つは別物。中国語の部屋はひとつのシステムで、システムとしては中国語を理解している、と言えなくもない。 サールの反論。ジョンの頭の中にマニュアルがあったとしても、ジョンは中国語を理解していないし、それに準じた行動も起こせない。 ジョンやイライザが意味を理解していないと言えるのは、行動に移さないから。 会話以外何もしないということが、意味を理解していない、ということにつながってしまう。 では、体を与えると? それでも、ロボットは理解して体を動かしているとは言えない。ジョンが出した命令通りに動き、ジョンは出した命令の意味を知らない。 信原幸弘「人間は問題解決の主体だが、ロボットはそうではない」 欲求や欲求にもとづく信念は、環境適応への手段だが、ロボットにはそれが必要ない ゆえにロボットには欲求も信念も心もない。 自分のために、何かを要求するロボット、機械が自分自身の問題を持つようになったら、「心を持つ」と言ってよい。 ロボットに心を持たせるためには 1、何かしないと存続できない仕組み 2、自分のプログラムを書き換えて行動の幅を広げられる 3、自己を存続させたとき、同じものを複製できる ロボは、心を持ち、意味の理解をもつ前に、まず生きなければならない(そうなの???) ○意味という概念が、目的という概念と密接な関係を持つ 意味とは何か、意味を理解するとはどういうことか=論じるフィールドとしては、生き物が生き残るために何かをする、という場面でこそ問われるべきである。 ○生き物が何かをする=○情報を取り入れ、行動するプロセス=認知科学っていう 認知科学での認知観・人間観とは 「古典的計算主義」 表象(なんかあるっぽいもの、目に映って脳で認識された何か) 頭の中の表象はどんな形をしているか。統語論的構造を持っている=部分から組み立てられて、組み換えが自由で、部分と構造で全体の意味が決まる、ということ。 「林檎とお皿と赤いと青い」はバラバラで組立自由。 思考の言語仮説という。あくまでも仮説。(コネクショ二ズムというのもある) しかしこれでいくと、我々も機械とおんなじようにものを考えてるとなる。 我々の認識してる表象自体に意味があるってことなんじゃないの? ★では、そもそも表象が意味を持つとはいかなることか。 表象が他の解釈者なしで何かを意味するとはどういうことか。 =ミリカンによれば、進化の過程で生存に有利だったから、捕食者にとってネズミはネズミを意味するようになった。 「因果意味論」=ネズミが出てきたら「ネズミだ」と思う。ネズミ以外では思わない。 モグラが出てきても「ネズミだ」と思う場合、猫の思う「ネズミだ」はモグラとネズミのこととなる。 ??? 「意味する」=正解と間違いの区別を前提としている。しかし、因果意味論では、正解と間違いの区別がなくなる。間違いが正解の中に取り込まれてしまう・・・??? だれが正解と不正解を区別しているのか??? 「ターゲット固定問題」 何故特定の対象であるネズミを、「表象の原因」として取り出せるのか??という問題。ネズミこそが表象の原因であり、表象の意味するところだとする決めてが何か、という答えを「因果意味論」は出すことができない。 ミリカンの「目的論的意味論」=要するに、進化や歴史の過程で、猫にとって、ネズミの本来の機能(ネズミをネズミと認識させるような本来の機能がネズミ自身の外見やらなにやらにそなわった)が定着した、みたいな感じ。 第一段階「本来の機能」 表象間違いとは、本来ネズミを表象するための表象がモグラによっておこされた。 鋏の本来の機能は切ることだ。 ネズミ表象=「ネズミを意味することが本来の機能であるような表象のこと」 表象間違い=表象の本来の機能(ネズミを意味する)と不適切な因果プロセス(見間違えとか)の二つによって分析できる つーことで、「本来の機能」の概念を自然化すれば、その特殊ケースとして表象の意味も自然化できそう(自然化=物理的なところに埋め込むってこと) 第二段階「本来の機能」を因果関係に還元(自然化)する 本来の機能を自然化するのはむつかしい。本来の機能には「製作者の意図」があるっぽいから。ミリカンは、「生きるのに有利だったから」という説明に頼る。 第三段階「本来の機能の自然化を意味の自然化に当てはめる」 ネズミ表象は何のために使われるのか? そもそも「意味する」とは生き物が何かをするという場面ではじめて生じるものだからこれはOk。 トムの表象Xがネズミを意味する=トムの先祖がネズミを食べて有利だった トムのネズミ表象は「捕食」という機能ゆえに存在している。だから、因果連鎖の中の「ネズミ個体」だけをピックアップできる。(ターゲット固定問題に解答できている) 批判1 人間のもつ表象全部にもあてはめられるのか? 人間の持つすべての表象に同じ意味論が与えられなければならない、という決まりはない。 人間の使っている表象は、原始的なものから言語を会するようなものまでさまざまだから。まずは原始的なものからはじめようか。 批判2 ミュータント・キムは赤いものを「赤」とはせず「スノーフのいないところ」と表象する?(その世界に赤いものが他になければそうだけども、議論にならない) 批判3 目的論的意味論では、カエルが小さくて動くものを何と表象しているのか区別できない。ハエとBB弾。反論。カエルの神経系を調べればできなくもない。あと、ハエとBB弾の区別ができたとして、何の説明ができるのか。 批判4 スワンプ・マン 脳細胞までまったく同じだが、歴史を持たないレプリカの「表象」は何も意味していない。(歴史を持たないレプリカが表象を持つとは全然思えないんだけど…) 本来の機能が自然化できれば、意味も自然化できる。 本来の機能を自然化するために、ミリカンの進化に訴えた議論がある。 第2章 機能(いま、そこにないもの=本来の機能は、いつ、どこで生まれたの?) ○「本来の機能」とは、意味、目的、自由、価値、のハブである。 「今そこに無いもの」へのかかわりは、生命を特徴づける重要な性質だとみなすことができる。遺伝とか、免疫とか。 本来の機能の自然化=いまそこにないものへのかかわりが自然界の中でどう湧いて出てくるのか、きうるのか、というお話。 ミリカンは、本来の機能は今何をしてるかでなくその歴史が大事っていった でも歴史(進化論)を知らんでも本来の機能は分かるじゃない?っていう反論があるとして… ミリカンは概念分析じゃなくて理論的定義なんだから反論は成り立たないと言っている。 ミリカンは我々が持っている機能概念の分析はしていない。 そもそも分析哲学は、哲学者の判断に基づいて概念を分析しているから、なんだかなー それに対するのが「実験哲学」というもの。アンケートとったりして。 哲学者の直観てあてにならないよね、ということが分かった。そりゃそうだ。その時の流行とかあるだろうし。 分析哲学はつきつめると、「どっかに真の概念がある」みたいな話になっちゃう。これはいただけませんねー そもそも哲学は、色々考えた上で理論展開していき、さらに新しい概念を作るのに従事すること。 哲学は概念ではなくそのものを探求すべきである。新しい定義をやり直すのが「理論的定義」ということ。 理論的定義が良いかどうかはそのものの目的に照らして判断される。 自然界の中にある「本来の機能」そのものについて、新しい概念を定義したい・・・作者 ミリカンはどんな理論を作ろうとしてるの?? 機能カテゴリーの特徴 1、素材・性質は共有されなくてよい 2、機能を果たしているか、可能か、は要求しない 3、本来の機能に訴えて定義される。壊れててもよし。 ミリカンの目標は、機能カテゴリーを統一的に(起源論的に)説明してくれる理論。しかも自然化できるし。雑多な現象が統合的に説明されるようになるって。なるの? 第3章 情報(情報の流れの中に、表象はどうやってあらわれるのか?○まず情報ってどういうものかおさらいしよう)情報とは、情報同士がくっついているものである。 あれがおきるとこれがおきる、というひとつながりのもの。 情報はただある出来事が起きた、というもの。解読者は後から。 情報の流れは、あれが起きたからこれが起きた、という仕方で結びついておきる。 知識は情報を信念で切り取った一断面である。 解読者を前提しない情報 大昔の隕石とか。調べたら分かるけど、人がいてもいなくてもそれは何かしらを伝える。 情報とは何か」とは何か? 情報を一つの概念に統合し・・・または複数のものの相互関係を明確にし・・・情報概念がもつ有用性と限界を考える。 情報A 知識 情報B 内容を含まない、量としての情報(意味抜き平均情報) 情報C 複雑なメッセージほど情報豊か その列のアルゴリズム的複雑さで定義したい。これは本書では扱わない。 AとBをくっつけて情報概念を作る。 Bシャノンの情報理論とは 「通信の数学的理論」を発表した人ね。 通信システムの定義 発信源、送信機、通信路、雑音源、受信機、受信者 確立pの事象Aが実際に生起したことを伝える情報に含まれている情報量を I(A)=-logpとする。対数の底は2、単位はビット すごく珍しいことが起きたことに含まれる情報量はp=1/1024  ごく当たり前ならばp=1/1=0 この情報量は「自己情報量」という 情報源が平均として生み出す情報の量を定義する。情報源のエントロピーと呼ばれる量 コインを情報源と見た時に、それが生成するメッセージの平均量を単位として決めたい。情報源が情報を生み出す確率を調べて全部足す。 フェアなコインのエントロピーは1ビット、偏ったコイン(表しか出ない)のエントロピーは0.6ビット。フェアな方が情報量は多い。 シャノンは情報源ではなく通信路に関心があった。 通信路容量ビット/秒を考える。 情報を効率よく信号にできると(符号化)たくさんの文字を送れる。 シャノンは符号化に関する2つの定理を証明した。 1、符号化をがんばれば通信速度を上限に近づけられるが超えることはない 2、符号化をがんばれば雑音による誤りの頻度をいくらでも小さくできる ハリーナイキスト データ伝送の最大速度を決める要因は信号の形(短形波がよい)と符号化の仕方と見出した。 ハートレーすべての記号列は可能な列であるとした(モールスも英語も一緒。意味でなく記号と考える) 情報量と可能性は逆の関係にある。片方増えると片方減る。他の語を選択するという可能性を狭めると情報が生まれる。 そんなこんなで「確率メカニズムによる選択が情報を生む」という発想が生まれた。 情報を「内容」ではなく確率で生まれる記号と考えた。=「意味抜き平均情報」 何かが起これば情報となる、ということになる。観測者はいらない。 ドレツキの仕事 知識は情報の流れのなかの一部とした 知覚や知識は情報が先にあって、その後で生まれたもの。 この情報の意味論はシャノンの理論を下敷きにできる。 ゼロックス原理 AがBを伝えBがCを伝えるならAはCを伝える。 ということは、SがFであるという情報の内容=SがFであることを生み出した情報量 となる。なるらしい・・・私にはわかりませんでしたー 要件」 1、もし、ある信号がSがFであるという情報を伝えるなら、SがFであることによって生じたのと同じ量の情報をその信号は伝えなくてはならない。 2、現にSがFでなければならない。(間違ったお知らせは情報ではないと考える) 3、信号がsについて運ぶ情報の量は、SがFであることによって生み出されたその量でなくてはならない。 情報内容の定義 「信号rがsはFであるという情報を伝える⇔rという条件のもとでの「sがFである条件つき確率」が1である。 この定義の重要な帰結は、一つの信号はいっぺんにいくつもの情報を伝えることができる。それどころか、いっぺんに無数の情報を伝える。 rのもとで条件付き確率が1になる事象はいくらでもある。そうなの? 信号がある情報を伝えるなら、その信号はそれに入れ子になっているあらゆる情報を伝える。それは「意味を含んでいる」こととは別のもの。 ○情報は、出来事から出来事へと流れていく。 1、情報の担い手(信号)となるためには、何かを表すという機能をもっているもの(表象)である必要はない 2、情報の内容は、受け手による解釈とは独立して、情報源と信号という二つの出来事間の客観的関係によってきまっている。 ドレツキは情報の流れとしてみた世界の中に「知識」を位置づけようとする。 知識の定義 AがPということを知っている⇔AのPという信念がPという情報いよって因果的に引き起こされた つまり、知識は情報によって生み出された「信念」である、てこと。 知るってことは、信念という形で切り取られた情報の流れの一断面なんである。 情報の流れがあるためには、出来事同士が「あれが起きているならこれも起きている」という仕方で互いに結びついている必要がある。 我々の認識する因果的世界は、そのままで情報の流れる世界でもある。 ○情報の流れとしての世界には、出来事はいまそこに起きていない別の出来事「について」の情報を担うことができる。これは「意味の素」となりうる。 第4章 表象 記号や心的表象は、自分以外の何ものかを志向する。「志向性」という。 間違いがおこるのは、そこにないものを志向できるから。 「志向性」は「について性」「間違い可能性」によって特徴づけられる。 両方持ってるのを「志向性」について性しかないドレツキの情報みたいなのは「志向性モドキ」と呼ぶ。 どうやって自然界から志向性モドキからの志向性への進化があったのか? 自然界を流れる情報がいかにして志向的表象にまで進化するのか? をたどる。モノからココロがどうやって発生したのかなってこと。 「自然的記号」間違わない。暗雲の後には雨が降る。 「志向的記号」間違いのありうる記号 どうやって無数の自然的情報から一部をよりわけて志向的記号に変換してるのか? 生き物が利用できる自然的記号については、記号とそれが表すものとのつながりが自然法則である必要はない。これを「局地的情報」とミリカンは呼ぶ。普遍的法則を要求するドレツキの情報概念は「文脈自由な情報」である。 情報同士につながりがあればよく、偶然ではなく普遍法則でもなく、まあまあつながっていればよい。 そんで「局地的反復自然記号」であればよい。この繰り返しが成立する領域を「準拠領域」と呼ぶ。 記号生産者の本来の機能は、消費者がうまく利用できるような真なる表象を生み出すことであって、自然的記号を生み出すのはその副産物ないしはそのための手段である。 どんな出来事も何かの自然的記号なのだから、使い道のある記号を生み出すから、特定の自然的記号が志向的記号になるのだ。 では、間違いうるような形で表象(志向的記号)をもつことにどのような利点があるのか。なんで我々は間違えるのか。 生き物も自然的情報の流れの中にあるのだが、その情報のうちあるものを独特仕方で利用する。 第5章 目的 間違いとは、表象していることがらが現実に成り立っていないということ= いまそこにないものの表象、志向的表象= 目的・目標を心に抱くことができる。 人はどうして「目的手段推論」を身に着けたのか? いろんな選択肢の中から一番目的に合ったものを選択するということ。 そのためには、現実にはない、間違いうる表象が必要になる。 ではそれは、どのようにしてあらわれたのか??? 目的手段推論は、指令オシツと行為オサレツが存在して、それが分離されて自由に組み合わせ可能ということを要求する。 オシツオサレツ動物にできないこと ・可能な行動を新しい仕方で組み合わせできない。 ・使い道のない情報を保持しておいて、いざというときそれを使うことができない。 延々と巣穴チェックを繰り返すハチは、今さっきチェックした、からもうやらなくてよい、ということができない。 どうすれば実現できるのかわからない目的を持つことができるためには、人間の表象能力はどのようなものでなければならないか。どうやって生まれたのか。 オシツオサレツ動物の賢いものは、対象や縄張りの空間配置や事象の時間的随伴関係を表象し組合すことができる。 人間は、いかなる特定の用途ももたない表象を持てる。なぜか。 未来への準備のため。 未来が予測できることと、それを目標に持つこととは違う。 未来が予測できても、工夫はできない。しっぽを挟まれないように早く走る 目標を持つと、工夫ができる。しっぽを挟まれないようにしっぽを立てて通る 未来の予測を、いまここで制御するための導きとして用いることができるかどうか。 が目標を持つか持たないかである。 目標が実現されるように行動を調整し導く表象 目標に達しているかどうか判断できるためには、目標と自分の行為結果を比べることができなければならない。どちらも同じ言語でコード化されている必要がある。 事実はこうなってますという信念を持つことの意味、どうすればそれが持てるのか。 使い道のない情報・信念を形成できることにどんな利点があるのだろうか。 心の中でシュミレーションができる(ポパー型生物である)ためには、表象と行動に「タメ」が必要。 「タメ」がないと、表象が出たらすぐに行動となってしまうから。 その「タメ」がとりあえずの、無駄な信念を持てるってこと どんなシュミレーションシステムが必要か。 ・内容に拘束されない自由な推論が可能である そのためには、表象の一様なコード化が必要 (コード化していないと、命令が行動に専用化しちゃって、バラバラに組み合わせられない) ・主語と述語に分節化され、否定形をつくることができる(ような表象 表象同士のつじつまが合っているかどうか。というのが、シュミレーションのチェック方法になる。矛盾してなければOKみたいな。 文に似た構造をもつ必要がある。 シュミレーションしてみて、矛盾していたり、間違っていたりしたら、やってみる必要はなくなる。 ・ホンマもんの目的手段推論 ホンマもんとは、欲求と事実的表象(信念表象)を組み合わせて目的に適った行動を生み出すシステムのこと。 著者はこういう複雑なシステムも、原始的なものから進化したのだ、と言いたい。 この能力は、それ自体に適応的価値があったために選ばれて進化してきたというより、他の一般的な能力がその利点のために選択され、その副産物として手に入った、という考えもアリ。 277からよくわからん 「人間は、目的手段推論というちょっとした拡張機能つきのオシツオサレツ動物」なのである。 この拡張機能は、人間らしさのルーツになっている。「自由」とか「道徳」とか… 自由 人間の自由は、反省的自由である。というか色々あるけど、それが持つに値する自由である。これは、先の表象の進化のたまもので、自分の目的・欲求と信念についての表象を持つことができたり組み合わせて目的手段推論ができるようになる。 反省的理由は、自分自身の目的をコントロールすることを可能にした。 しかし、これだけでは、機械の持っている「自由」とさほど変わらない。 人間はその他に「道徳」を持っている。 道徳 自己は実態というより組織のされ方であり・・・ 自己があって物語を語るのではなく話が自己を作っている。 自己と呼ばれる組織化を経由している行為が、責任ある自由な行為なのである。 (自分のキャラに一貫性があり、そのキャラのように行動するってこと) 道徳的に重要な自由の持ち主として認めてもらえるかどうかは、その人が責任を負わせたり引き受けたりするゲームに参加しているかどうかによる。 行動に責任をとるという実践が、ホンマもんの自由意思を生み出しているということになる。見かけ上は。 反省し、責任をとろうとするとき、次は失敗しないように、自分を再プログラミングしている。そういう自由を持っているし、持ってしかるべき。 とても一言では言い表せない。心っていうのは、進化の過程で生まれた「あれが来たらこれをしろ」の進化バージョンのシュミレーション能力の機能が拡張されたもの。っていうことかな。 シュミレーションできないと、あれが来たらあれを捕まえる、という単純な行動しかできないし、イレギュラーなことに対応できないし、あれがきたら、の「あれ」を別な何かに変更もできない。 このシュミレーション能力が人間の持つ「自由」や「道徳」にも関わっていて・・・。 自由って色々種類があるけど、我々が持つに値するとして採用している「自由」は、好きなように目標を設定して、それに向かったり、失敗したら目標を変えてみたりやり方工夫したり、っていうもの。これはシュミレーション能力がないとできないこと。 で、「道徳」は「その人が自由かどうかの指標」みたいなことを言ってて・・・ つまり、「その人が自由にふるまえているかどうか」=「その人が、自分を客観的に見れて、反省したり、目標に向けてがんばっている」ってことで、「反省する」ってことは「より善き自分になるように反省する」ってこと=「道徳的な行動」ってことだから。 自由とは、行為の結果から反省することができること。 行為の結果から反省することができるということは、「自分のしたことの責任を取ろうとしている」ということで、それって「道徳的」ってことらしい。 自由で道徳的というのは、つまり、過去の経験から学んで良い道を選べて、自分のしたことに責任が持てる。ということ。 まとめみたいな感想みたいな・・・・・・・・・・・・ ロボットに心があると言えるのはどんな時か。とか、情報って何かとか、人はどうして目的手段推論を身に着けたのか、とか、「持つに値する自由」ってどんなかとか、「道徳」っていつごろ生まれて、何なのか、とか書いてあった。 なるほど、人に特有のものと思われている「自分を客観視できる力」や「それによって目標を立てて努力できる能力」も、生物にもとからある機能が拡張されたものなんだと、一応納得できます。著者は、「心」と「生物としての機能」を分けるのではなく、心も進化の過程で生まれた機能の一つなんだ、というふうにしたくて、丁寧に分かりやすくゆっくり説明しています。 ここには無いものを心に描いて、目標にして、やり方を色々とシュミレーションする、といういたずらっ子でも持っている能力って、もとからある機能の拡張版とはいえ素敵だなーと思います。 まず、ないものを心に描くっていうことが結構難しい。さらに、それを色々に組み合わせるっていうのも、虫にはできかねる。 普段気にも留めないようなことがすごく不思議に思えてきます。 心があるって何?意味って何?意味と機能が関係してるなら、機能って何?いつどんな風にしてあらわれたの? 例えば、間違いうるような形で表象(志向的記号)をもつことにどのような利点があるのか。なんで我々は間違えるのか。(猫を見て狸と勘違いしたりってこと) 間違いとは、表象していることがらが現実に成り立っていないということ= いまそこにないものの表象、志向的表象= 目的・目標を心に抱くことができる。 人はどうして「目的手段推論」を身に着けたのか? いろんな選択肢の中から一番目的に合ったものを選択するということ。 そのためには、現実にはない、間違いうる表象が必要になる。 ではそれは、どのようにしてあらわれたのか??? 未来への準備のため。 目標が実現されるように行動を調整し導く表象が必要だった。 また、手段のシュミレーションのために、「タメ」の時間が必要。間違いうる、ということは「タメ」がある、ということである。 サンデルさんが正義論は「幸福の最大化」「自由の尊重」「美徳の促進」を中心に展開されると言っていて、色々な訴訟問題の例から君ならどっちを正しいとするか、という問いかけをしているんですが、どっちが正解か、正義か、というより、選んだという行為に責任を持つとか、選んだ道が最善ではないと分かった時、反省したり、謝ったり、次失敗しないようにする、っていう態度こそが正解で正義なのかなあと思ったりした。 自分勝手な道ばっかり選んで後悔するもよし。それで一生幸せならそれも正解。でも、協力体制を推している人類の中にあって、一生自分勝手で幸せを保つってむつかしいと思うけどな。 概念を力技で頑張って進化の過程に組み込もうとしているので、この概念が現れたのはこの時で、その時生物はああでこうで、というのをとても丁寧にしています。 例えば「情報」はいつ現れたのか。人がいなけりゃ情報も存在しないのか。ある、と著者の説明。「情報」は出来事と出来事がつながっていたらもう情報なんですって。それが情報学の定義なんだそうです。なので、ぴかっと光って雷が鳴ったら、人がいようがいまいがそれは情報として存在し、流れている。でもって生物は生きるためにそれを利用し始めた… その「情報」が「受け取られ」「○○である」と心に描かれるようになったのはいつごろで、その時生物の中では何が起こっていたのか。 「○○である」には「間違い」がある時があるけど、それって何のために間違えるのか。 結論から言えば、「間違い」っていうのは「ここには実際にないものがぽんぽん浮かんじゃう」ことで、何の役に立っているかと言うと、行動→結果のシュミレーションをするため。 「ここには実際にないものがぽんぽん浮かんじゃう」能力は、人間を人間らしくしている「自由」や「道徳」にも関わっていて。 我々が持つに値する自由は、過去から反省して、より良い道を探れる、自己をコントロールし、オペレーションできるっていう自由。いくらお金持ちだって、親に人生のレールを敷かれてたら嫌だもんね。 そして道徳とは、過去から反省して、より良い道を探れる、自己をコントロールし、オペレーションできるっていう自由をもち、なおかつ、自分のしたことに責任を持とうとする態度(私は良い人です、人間社会の協力体制にコミットしていますよ、という態度)のこと。 一番面白かったのは、私たちが賞賛したり非難したり、同情したりしなかったりの基準が、相手に選ぶ自由があったか否かだということ。 やむを得なく悪いことをしたら、許しちゃうし、逆に自分の意思で自由に選んだ悪いことだと、非難する。 偶然いいことをしたらあまりほめられないし、自分の意思でしたいいことなら褒められる。 寄付の対象もそう。自分の意思でニートならお金をあげたくないけど、不慮の事故に合った人ならお金をあげる。 こう、自由意志で行ったかどうか、というのは社会の価値観にがっちり組み込まれているんですが、自由意志は実はないんじゃないの?という証明を現代科学はしていってるから、(まったく同じものでも、右にあるものが良いものだとしてしまう癖が人にはあるらしい)いつか「自由意志はない!!悪いこともいいことも、本人のあずかり知らぬところでされる!!」ってことになっちゃって、そうすると我々の社会はどうなっちゃうんだろ?というシュミレーションもしています。 人には自由意思がないとしても、アイスどれを食べるかの自由はある。っていうのが良かった。 なんで、自由意志と価値観ががっちりなんですかね?自己責任とか。自分で選んだ道には自分で責任とりなさいよ。っていう??? 自己責任と言えば、これは株の取引にだけ使える言葉なんだって。リスクを説明してもらった上で選ぶなら、自分の責任ですよ。って言う。でも、人生とか会社とか結婚、働く場所、なんでもだけど、未来が分かっててリスク説明してくれる人なんていない。だから選んだ自分の責任でしょっていうのおかしいよね。 ---------------------------- [自由詩]夏声/ふるる[2021年9月14日11時32分] そうやっていつも気づかないふりで逃げる 上手く逃げたと思っていても いつかは対峙する時が来るものだ ひとり 佇んでいたプールサイドは 夏の光に汚れて立つのがやっとだった きみが 手のひらを開いて見せたのは 何の合図だったのか もう終わるのよということかそれとも 始まりの 蝉の声が切断され 夏は一度きりだったと気づいた 特にきみのいた夏などは 失くして初めて気づくもののたぐいだった 宿題を忘れていた きみからの宿題 この気持ちは何なのかどう説明がつくのか はっきりさせないといけない 青い正方形に優しく線をひく飛行機雲 よりはっきり 開いた手がだらりと下がり きみは大きくうなだれた 助けがいるようなら言って欲しい 誰か大人の人 全てを叶えられる人 きみを 救ってくれる人 それは僕ではな  く 裸足がもうつらい季節 靴が合わなくて探し回る 近くの店では取り扱っていない では遠くは 遠くとはどこだ 遠くに行っても戻ってきてしまう地球は丸いから いずれは ここへきっと 僕の(きみの)ところへ 僕はいつも間違えた 後から見れば大抵の事は間違っていて たまに正解だとしても偶然の産物だった 諦めの悪いやつだと罵られた 失うことは誰でも怖いけれど 前を見るために目はここにあるのだ 理想というよい響きの言葉が手の中にあり 陽に透かすとかすかに光った いい歳をしてと言われて怯むのだが いい歳とはどんな歳だろうかと真面目に考える どんな歳だろうとも同じように生きていて 同じように悲しんでいて 痛みというものがわかっているなら それでいいのだと確かにきみは言った ---------------------------- [自由詩]財産/ふるる[2021年11月13日22時29分] 随分と明け暮れた 袖が長くなった 言葉は短く 体毛は薄く白く はかないものに近づいていく そんな母に高齢の魔女たちが詰め寄り うらみつらみの思い出話に花は咲かずに散りしきる というような話を 紅く燃え盛る山々を見ながら叔父とする 遺産とは生を受け守り育てられた行為なのではないかお金ではなく ならば皆平等に生かされて今では よく転がりそうな樽 枯れ木じみた魔女などに見えるが 健康ではある母の妹たち 現金は即株につぎ込んで数字を睥睨していた祖母は 床が腐って抜けるほど質素だった 広大な土地を持っていたのは叔父しか知らなかった 姉たちの狂騒を予測し 早々に相続権を放棄した叔父は相変わらず宇宙人じみている あどけない母を相手取り 調停や訴訟がおそらく始まり ありとあらゆる手続きが私にのしかかるだろうと言ってみる それが生きるという事で 戦っていないものなど一人もいない と叔父は言う リングから降りるのも手だが お金は大事だからね ほとんど物を持たない叔父は 広大かつ深遠な数の宇宙と関係を持ち 常に忙しく世界の成り立ちを演算している 整然よりも渾沌よりのい出立ちだが 訪ねてくる卒業生は多いらしい 財産とは形あるものだけでない 叔父は持てる者 幼い母は持てないで幸せ 現金は全て寄越せと昨日も長々と魔女たちが呪文を述べていった 少しでも少ないと嫌なのは何故だろう ねたんだり、うらやんだりするのは何故だろう 脳がそういうふうにできているらしい それをなだめるにはどう、 とここで強い風が吹き もう帰ろうと叔父が言う つまらない話を 宇宙人じみた叔父が 意外とよく聞いてくれる それもこうなっているから得られた財産なのだろう 綺麗な落ち葉だと拾う姿を見ながら 静かに思う ---------------------------- [自由詩]記憶の部屋/ふるる[2021年11月22日16時26分] 秋の雨が窓を打つ 静かな音の中 君の寝顔を間近で見ていた 冬の厳しさがすぐそこにあり 空気は冷たく 一向に縮まらない距離に悩んでいた 近付けば逃げるのに 留まると残念そうな顔なのは何故 その頃には君の癖は分かっていた すぐに 人を試す悪い癖 こめかみが痛いと怖い顔もする しかめつらのまま眠る ひどく幼く 限りなく優しくなる睫毛 雪のように正しく、やさしくあれと皆が君に言う (僕だけは言わないように気を付けていた)(君はうつむいてばかりいた) 責任とか義務って何のこと わたしは何も知らずに産まれたのに みんなそうだよ みんなの話なんかしていない 穏やかだった流れを切るように横を向いた君の厳しさ(美しさに) 僕はとても とても困っていた 別にもう好きじゃないとどうしても言えない どうして言えないんだろう 難しい顔で果物を選ぶ そのわりにはすぐに食べないで 傷んでしまってから嫌々食べる あふれるほど覚えている 泣くと筋肉を使うと言って笑った 喧嘩とか、したくないけどするかもねと言ってはふるふる泣いた 許可を得たのは一度だけだった それで充分だった 沢山の時と日があの赤銅色の落ち葉たちのように逝った 思い(取り)出すたび少し傷む 君と同じこめかみが痛むようになっていた 君の声 身体の動かしかた 思案する 泣き 笑う声 切ない間 と名がついた 記憶の部屋にはそれが大切に保存されていた 確かに、いや、 多分 それで充分のはずだった こんなにも時が散りつもりなお 君を救うのは僕でありたいと強く願う いくつもの楔が打ち込まれて錆びているからか いいや 君のための特別な部屋があって そこには君しか 入ることが許されないからだ すぐに人を試すようなことをして すぐに後悔してしょんぼりする 子供みたい 子供はでもこんなふうに 根気のいる細かい作業はできないし 昔に作られたものに嫉妬したりもしない 壊したりも ふいにありがとうと言ったりも ごめんねはあるかな ごめんね 赤いコートで雪の中に立つ君は本当に 孤独でかわいそうできれいで きれいで切なくて 君しか入ることを許されない部屋ばかり 増える ---------------------------- [川柳]ムンク/ふるる[2021年11月28日0時17分] 月があるから地球はまだいい星 ビニールで包んだプレゼント丸見え 川があっちからこっちへ流れてく 星は動いてるんだろうけど分からん 太陽当たり前過ぎて感謝できん 内臓に意識を向けても寒いまま 右脳と左脳分けてないけど二人 ブックカバー脱がしてから読みたい派 ご飯炊けた匂いは正直微妙 ムンクって力んでるよね むん、クッて ---------------------------- [自由詩]写真/ふるる[2021年11月30日19時01分] コインランドリーの特徴的な匂いが彼の持ち味。 君は綺麗だとは言うものの斜め後方から。 日曜日の午後はいつも小雨の降る街で手を繋ぐの。 そんな決まった天候のある街などないと言う常識人。 あの人は知らないだろうが日曜の午後は感光しがちで孤独のあまり街は泣いてしまう。 写真家である彼の匂いは現像液だったのかもしれない。 現像液に次第に浮かび上がる私の裸体は綺麗だろうか。 彼はそんなにまで背が高く抱きしめあうと無防備に抱き上げられる。 わたしのかかとが果てしなく落ちてゆく。 あなたの心はあなたのもの。 愛してるという簡素な言葉には一瞬の真実くらいは多分ある。 感情が写ってしまう白い写真と同じように。 ---------------------------- (ファイルの終わり)