深水遊脚 2016年10月28日23時14分から2018年1月3日20時08分まで ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]Miz 23/深水遊脚[2016年10月28日23時14分] 「足はもっと高くあげて」 「まだやれるよ。今度のも一発で決めて。」 「手の動きにキレがなくなってる。リズムに合わせて。そこで回し蹴り。足を変えて踵落とし。駄目駄目。全然遅れてるよ。」 橋本さんのマミちゃんを叱咤する声が絶えることなく響く。入りたての頃あんなにバテていたマミちゃんとは別人のようなシャープな動きだ。マミちゃんは貪欲に課題にトライするし、橋本さんはその貪欲さに応えて情熱的に指導しつつもマミちゃんの状態をよくみている。最初こそ訓練の厳しさを削いで効果を減少させるのではないかと恐れた、計測機器による心身のコンディションの把握も、マミちゃんの潜在能力を引き出すツールとして見事に機能している。ここからどれ位の伸びしろがあるのか考えると、久しく忘れていた希望という言葉を実感する。癒しを求めた先刻までの私自身があまりに滑稽でつい独りで笑ってしまった。 「広夏さん、こんにちは。今日は来てくれましたね。」 青山くんがトレーニングルームに入ってきた。 「ええ。なかなかここに顔を出せなくてごめんね。これからはもっとここに来られるわ。」 「有り難いです。広夏さんがいたほうがやはり安心です。でも俺らも須田の指導でだいぶ認識を改めました。指導の奥深さを知った感じです。」 「それは頼もしいわね。私、いなくて大丈夫かしら。」 「来てくださいよ。お願いします。俺らも甘えてばかりでは仕方ないけれど、広夏さんにしか出来ないこと、いっぱいありますよ。何より須田がいちばん心を開いているのは広夏さんなんですから。」 曖昧に頷いたけれど、そこは当てにされると困る。人間関係はいい時も悪い時もあるから、一喜一憂せずにマミちゃんに向き合って第2ステージをクリアさせるように導いて欲しい。それに、マミちゃんが私に一番心を開いてくれているとは思っていない。誰に対しても、心を許してくれていると思った途端に、その人に対してとても粗雑になってしまう。そういうのは嫌だった。でもこれは個人的な価値観であり、他人に指導するような内容ではない。青山くんには伝えなかった。すべてを出しきらない会話は気を使うばかりでぎこちなかった。政志くんと柏木くんとの模擬戦のことで下手なことを言えないという考えが、そのぎこちなさを増した。もっとも青山くんは模擬戦のことを知っていたようだ。 「政志さんの具合はどうでしたか?」 そう聞かれたのだ。まあ隠すには大袈裟すぎ、人が多く動きすぎた。以前も政志くんと柏木くんの模擬戦では暴走があり、騒ぎの起こりかたも似ていた。おまけに政志くんが病院にいる。何が起こったかはもはや知らない人はいない。察しのいい人なら細部まで手に取るように分かることだろう。青山くんは鋭い。大まかな模擬戦の展開や、幸政くんや私が見舞いに行ったことまでお見通しだろう。どうせ隠しても無駄だ。普通に答えることにした。 「人間としては、命に別状はないといったところね。特殊能力は一度使いきった状態。回復するには特別な訓練が必要かもしれないわ。」 「なんだか、壮絶な戦いだったみたいですね。政志さんも、柏木さんも、興奮すると抑えが効きませんものね。模擬戦で戦わせないほうがいいですね。」 「皆そう考えるわ。たまに違う人がいるけれど。」 「いますね。」 悪戯っぽく青山くんが笑った。彼はとても素直で、春江さんも政志くんも柏木くんも、単純に尊敬している。それぞれの癖は見抜いた上で、信念を共有して行動をともにする仲間として安心して身を寄せている。私は彼が柏木くんについてどう思っているかが気になった。 「柏木さんもたぶん悪い人ではないんですよね。面倒見はすごくいいし、体の鍛え方や怪我をしたときのアドバイスなんか、本当に的確でしたよ。勘ではないんです。ちゃんと勉強していて、言うことには根拠がある。でも戦闘訓練のとき挑発するんですよ。そこまで言うかというくらい。あれが大抵の人には刷り込まれてしまう。挑発文句も、相手によって一番効果的に傷を抉ったり怒りに我を失わせたりする。案外文学のほうも勉強しているのかもしれませんね。 普段から表現に磨きをかけている。 」 青山くんは人の長所を発見するのが上手い。どんな人でも彼に語らせればいい人になり、有能な人になってしまう。そう考えてしまうのは私の人を見る目が曇っているのだろうか。 「ということは、青山くんも柏木くんを相手にして、傷を抉られたり、怒りに我を失ったことがあるの?」 少し意地の悪い質問を投げてみた。青山くんの顔が曇った。 「名前のこと、ですかね。」 そう言ったきり青山くんは黙りこんだ。 言葉を選んでいるのだろう。マミちゃんのシャープな体の動きを、真剣な目でみつめていた。 「広夏さんは気づいていますか?名前のほうが珍しいこともあってか、須田にはいろんな呼び名がありますが、柏木さんは彼女のことを名前では呼ばないんです。ほかの人が須田、真水さん、マミちゃんなどと呼んでいますが、柏木さんの場合はいつも小娘だったり、お嬢さんだったり、あの女だったり。柏木さんはたぶん意識してそれをやってます。私が柏木さんの指導を受けたとき、片桐希空も一緒でしたが、彼女のときもそうだったんです。小娘、お嬢さん、女、あるいは彼女が嫌がることを知っていて、ノアちゃん。私のこともリカルドと呼んだり。どこで調べたのか非公式のミドルネームを知っていたんですね。一番呼ばれたくない名前を、ミスをしたり精彩を欠いたりするときに呼ぶんですね。その場の闘志を引き出すためかもしれないんですけれど、言われた方はずっと残ります。仰るところの、傷を抉られたり怒りに我を忘れたりした経験はだいたいそれと結びついています。柏木さんがどの程度の気持ちで言ったのか、言ったことを覚えているのかは知りませんが、それで日本を守れるのかとか、フィリピンに帰るか、そう言ったことを私は生涯忘れませんよ。広夏さんはご存じですよね。両親は国際結婚しましたが、両親も私も日本人であることを選び、日本人としてずっと暮らしてきたんです。リカルドは、母方の親戚と関わるときの名前です。でも戸籍名ではありません。母の祖国を誇りに思う日本に暮らす日本人、青山新一。それが私です。母との所縁のない人たちにリカルドと呼ばれると、鍵付きの部屋がいつのまにか荒らされていたような戸惑いを感じるんです。日々のヘマとそれが結びつけられると、こちらが反論しにくいぶん余計にその戸惑いに逃げ場がなくなって、ダメージは溜まる一方でした。それが指揮命令の系統を守る意識を植え付けるための指導だということは、いまは分かります。当時はほとんど理不尽に対する怒りしかなかったんです。片桐に愚痴を聞いてもらっていなかったら、耐えられなかったと思いますよ。片桐は冷静でしたね。私の愚痴に同調も反論もせずに受け止めてくれた。」 静かで、でも心の底から燃え上がるような怒りを含んだ声だった。最初は探るような口調だったが、しだいに滑らかになり、そして激しくなっていった。低音を多く含んだ声も、こんなに長く話すことも、青山くんには珍しいことだった。何て返してよいかわからなかった。訓練時の挑発に差別的な言葉を混ぜることは、私は少なくとも悪いことだと考えていた。でも法も内部規則も直接それを禁止していなかった。せいぜい模擬戦の終わりに指導し、ひどい場合には警告を与えるくらいだった。柏木くんのような常習犯は何度でもそれを繰り返す。先日の模擬戦でライトストリングで拘束して拳で突いたのもそんな苛立ちからだった。本当はよくないことで、反省している。こんなふうにいちいち葛藤するのも鬱陶しい。私も春江さんのように、訓練時の必要悪と割りきればよいのだろうかとも時々考える。でもいまの青山くんをみていると、それはやはり間違いなのだと思う。こういう心のうちは誰彼構わず打ち明けるわけではない。だからあまり知られることはない。知る人があっても青山くんの悔しさをそのままに知るところまでは行かない。そうして多くの人にとって、痛みはなかったことになるのだ。  軽い気持ちの言葉で青山くんの傷を抉ってしまったことを私は詫びた。青山くんは、話すべき人にはきちんと話しておきたい、私は話すべき人のひとり、そう言ってくれた。 ---------------------------- [自由詩]栞/深水遊脚[2016年11月1日19時36分] 詩集が取引される市場の 絨毯が敷いてある休憩所に サイダーを飲みながら寝そべる 脇にはさっき買ってくれたお客さんたちと カフェラテと誰かが勝手に名前をつけた猫 もう売り場に戻らないと店主に大目玉を喰らう そんな私をじっとみて 「私と仕事とどっちが大事なの?」 と言って欲しいような欲しくないような 値段のつかない空想としばし戯れながら 鳴き真似でカフェラテの気を引くけれど ふいと顔をそむけて本棚の隅に歩き出す いいかげん戻りなよとお客さんたちの目 了解 今日も忙しいのだ ---------------------------- [短歌]街路樹の靴音/深水遊脚[2016年11月20日23時25分] 夜の車窓灯りが近くトンネルに入ったのだと知る一人旅 先月の世相説く記事下に敷くガス台の上今夜はシチュー マンドリン弓道着物ユニフォームあふれる朝の上りのホーム 汚れてたあれこれ嬉々として並べ楽しむ君に収集される 風もなく眠りたいほど穏やかに銀杏並木に西陽が差して ---------------------------- [短歌]時計の針に塗った毒薬/深水遊脚[2016年11月27日19時57分] ビル街の鋭利な光透き通る床を叩いて近づく殺意 折り畳み傘をもちあげ吊るしてる私に人に触れないように ふと触れたヤスリのような掌を思い味わう白菜キムチ 釣り針に向かう魚の群れのよう高速道路の先の眉月 いつの日か螺旋の底にたどり着くふたつ残して沈みこむ浮き ---------------------------- [短歌]しかめ面でライフスタイル/深水遊脚[2016年11月29日8時12分] 鋭さはカツオノエボシほどもない言葉で水着を評する男 情報とお守りのような言葉といきたい場所と今日のごはんと base って入力したら仮名で「ばせ」違うよ be-su カタカナ変換 自販機は給水所のよう走りながら電子マネーでコーヒーを買う しかめ面したくてしてるはずの君しかめ面して辛口批評 ---------------------------- [短歌]ひとり/深水遊脚[2016年12月2日20時04分] 即席のロマンスの跡残さずに冬陽のなかで握る珈琲 休日は黒を身につけバスに乗る猫なで声の断定のがれ あたたかいときに限って曇り空今夜も星はみないで眠る 珈琲を溢さず運ぶのに馴れた心いまさら揺らせるとでも お弁当みかんの皮のリモネンが香る掌あたためる午後 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]褐色の濃いあたりに/深水遊脚[2016年12月8日18時44分]  クリスマスソングを嫌いな理由について考えを巡らせている。なぜそんなことを考えるのかわからない。嫌いなものについてなど考えなければそれで済むし、実際に多くのことはそうしてやり過ごしている。でも嫌いなものであっても、考えずにはいられないものもあるのだ。油断すれば一日の大半がそれで塗り潰されてしまうものがあるのだ。それにいちいちその日の主導権を渡さないためのディフェンスには戦略がいる。嫌いな理由を考えてしまう理由は、言葉にしてみればそんなところ。もっとも理由があって思考があるわけではなく、理由のないことを決してやらないというほどに私は合理的ではないのだけれど。  嫌いであることに間違いはない。以前はそうでもなかった。それなりに暮らし向きのいいときは聴こえてくる曲を歌っているシンガーを気にかけたりはしていた。そのシンガーの別の曲を探して聴いてみようという好奇心もあったし、そのように音楽にお金や時間をかけたり、クリスマスソングが一端を担う物欲刺激装置に、それと知りながら乗っていろいろ要らぬものを買い揃えたりしていた。どちらかといえば非モテ、コミュ障と片付けられるめんどくさい性格が災いしてクリスマスには小さな恨みこそあれ、それは数時間単位で湧いては消える物欲と同じレベルのもので、買い物の満足とともに消えていた。そういう気晴らしの仕方は、もうできない。収入は減り、大事なものに気持ちを絞ってそれだけで満たされて暮らしたいと思うのに、本当に必要でお金を出していいと思えるものがわからないのだ。今更自分探しを始めようと悠長なことはいえないし第一かけるお金がない。詩でも読もうかと思って手にした雑誌では、頑固じじい気取りの批評家があれはダメこれはダメと貶している。いいことばかり言えばいいというわけではないのはわかる。何も考えていない誉め言葉というのもあるのだ。いま街に溢れている飾りつけやイルミネーションのように。でも何も考えていない貶し言葉というのもある。  過剰な音を避けたいときいつも入る喫茶店があった。珈琲しか出さない、ごく小さなお店だった。この時期はクリスマスツリーを飾っているのだけれど、不思議なことにこのツリーにはそれほど苛立たないのだった。飾りつけが細部まで行き届き、多すぎもせず少なすぎもせず、お店とも調和がとれていた。お店全体の雰囲気はあくまで珈琲の褐色が中心。上質な珈琲の香りがほのかに漂うけれど空気はとても清潔。聞き取ろうとしてわかるくらいの音量で流れるジャズ。すべてに気が配られていてこころゆくまで落ち着くことのできる空間だった。なかなか読み進まない本もここでなら静かに深く入り込み、いつのまに読み終えるということが多かった。でも今日は読書はあきらめることになるかもしれない。先客がいて軽く会釈をした。倉橋いつきさん。ここでよくみかける顔見知りの常連だった。  名前を知ったのは先週。終売間近のルワンダのコーヒー豆を私が200g買おうとしてマスターにお願いしたそのとき、ただならぬ気配を感じて後ろを振り向くと、彼女が明らかに動揺していたのだった。当人は隠しているつもりだったかもしれない。すぐに注文をキャンセルして、マンデリンに変えた。 「ルワンダ、お好きなんですね。美味しいですものね」 「あなたもお好きならキャンセルすることなんてないのに」 「違っていたらごめんなさい。でもあなたのほうが切実にルワンダを必要としていた気がしたのです」 マスターの手もとには計量を終えたルワンダとマンデリンがあった。気を利かせたのか、このあとの展開を楽しむ遊び心からか。 「名前も名乗らず不躾にごめんなさい。私は深沢みのるといいます」 「私は倉橋いつきです。お店ではよくお会いしますね」 そんな会話のあとお店の話、珈琲の話などをした。言葉の接続が徐々に滑らかになっていく感覚だった。マスターの思惑通り、計量したまま置いたルワンダは無駄にはならず、彼女が購入した。なにも聞かないうちからパッキングまで終えていた。  軽い会釈のあとカウンターの2つとなりの席に座った。お互い静かに過ごすことが好きなのは言葉を交わす前から知っている。彼女のぶんの余白をあけるために、詩集を選んで読み始めた。倉橋さんはタブレットの上に指を滑らせていた。詩はある程度自分から読み取りに行かなければ、わずかな偶然を除いては読む私のなかに入ってくることはない。文字よりも、彼女のためにあけた余白のほうが賑やかになり始めていた。それでも、空想の型を固定してそれに現実の思い人をあてはめたり、あてはまる人ばかりを探したりすることが、どれほど滑稽で、その滑稽さに気づかないでいることがどれほど傲慢なことかは、知っているつもりだった。となりに倉橋さんがいる、その幸福感を私にも、そしてたぶん倉橋さんにも優しいこのお店の雰囲気のなかで感じられることが、いまは嬉しかった。余白の騒めきはしだいにお店の時の流れによって鎮められ、文字のほうに心が移っていた。感じとらなくても私に流れ込んでくるのに、少しも不愉快ではない。お店の雰囲気も、珈琲の香りも、彼女の存在も、魂の自由な往来を支えてくれるものだった。頼んでいたケニアを口に含み、褐色で再構築された心地よさのなかで少しずつ文字を辿った。  このお店にしては珍しく、ヒットソングのジャズピアノによるカバーで、Saving All My Love For You が流れてきた。2つ隣に座っている倉橋さんの息づかいが少し乱れる気配がしたが気のせいかもしれない。ただの偶然とも思えないが、またマスターの悪戯か。そうであってもなくても構わない、と私は文字が語るクラゲの性愛の世界観に戻っていった。それでも、余白がまた騒ぎ出していることに気づいていた。ちらりと横をみると、先ほどとくらべて彼女が明らかに前屈みになっていた。目は食い入るようにタブレットを追い、指は忙しく叩くような動作を繰り返していた。 「お手洗いをお借りします」 マスターに伝えて席を離れた。彼女のしぐさをみた途端に、自分でも理解不能なくらいに動揺してしまったのだ。尿意も便意もなく入ったお手洗いで、大きな鏡に映る自分の顔をみていた。彼女に関係あるかわからないのに、私の脳裏に浮かんで離れないのは、私の言葉が原因でインターネットの上から、あるいはこの世から、消え去ったかもしれない人たちのことだった。倉橋さんはなにか問題を抱えているかもしれない。抱えていないかもしれない。でもとにかく聞いてみよう。いまそんな気持ちになっている。でもかつて同じように声をかけ、相手の言葉を待って聞き取って、出来る限りの答えを伝えて、仲良くなった気分になって、それでもどんどん相手が追い詰められて行くようにみえて、その原因が私にあるような気がして、そうしているうちに相手が消えてしまって。そんなことが重なると、関係を築こうとする最初の一言がでなくなってしまう。人を追い込みそうで、出逢うことが怖い。だから、丁寧な言葉遣いを崩さずにたいていの人との関わりをこなす。端からみれば表面的な関わりにみえるかもしれないし実際そうなのだけれど、表面的な関わりすら大事にしなくなったら駄目になってしまう気がして必死にそこだけ守っているところもある。いつも用を足すときは露出して大きな鏡に映っている間の抜けた太股に目がいった。さすがに股をノーガードで晒すわけには行かないけれど、もう少し私もガードを外して倉橋さんに向き合おう、そんな気分になった。インターネットと違って言葉ですべてのことを伝える必要はない。声の大きさ、表情、視線などでも伝わるし、気持ちが彼女に向いていたらそれらは自然についてくる。そんな気がした。洗った手をペーパータオルで拭いてお手洗いの外に出た。もとの席に座ってからマスターに話しかけた。 「ルワンダはもう終わってしまいましたね」 「はい。残念ながら」 「よく似た味と香りの珈琲豆はありますか?」 「それならば、こちらのニカラグアが味の傾向としては近いですよ。華やかでフルーティーなのですが、甘味も豊かで」 「それではニカラグアを」 一呼吸おいて切り出した。 「倉橋さんにお願いします。勘定は私につけてください」 「かしこまりました」 倉橋さんは驚いて困惑している。当然だ。何を傲慢なことをしているのだ、という内なる声は聞こえたが振り切って意図を伝えようとした。 「元気になってもらいたいなと思って私からのプレゼントです。本当はルワンダがよかったのですが、なかったので、それに近い味のニカラグアにしてみました」 なんか変だ。でももう言ってしまった。気持ちとしてはそうなのだからよいのと、ものすごく恥ずかしいのとで、慌ただしくいろんなことを考えて、そして、恐る恐る彼女のほうをみた。 「ありがとう」 吹き出しそうな顔でこっちをみている。やはり相当変だったのだろうか。マスターなど露骨に背中で笑っているし。余計な言葉や無遠慮な視線を挟まなかったことには感謝するけれど。でも彼女はこう言ってくれた。 「ニカラグアも好き。それより、こんなふうに奢ってもらったの初めてよ。プレゼント、ありがたくいただくわ」 そして席をひとつ移動して私のとなりに来てくれた。ちょっとびっくりしたけれど、嬉しさでいっぱいになった。心理的な距離もだいぶ近くなれた気がした。少しずつカジュアルな言葉づかいになって行き、それでもこれまでの私のことを思い修正したり、そんな不格好な話し方になってしまった。でも彼女の意外な話も聞けたし、私も語るつもりのなかったことまで語ってしまった。この人になら話してもいい、そう思えたのは久しぶりだった。彼女はそう思ってくれただろうか。一つ席が近づくと見えてしまうものも多い。実をいえばタブレットで開いたメッセージが、彼女あてのどちらかといえば辛辣なトーンの言葉で埋め尽くされていたのを見た。それについてはなにも話さなかったし、話せるほど内容を読み取っているわけではなかった。逆に彼女のほうでも私が読んでいた詩集が気になったみたいで、よくは分からないけれど言葉でこんなふうにも伝えることができるんだね、そんな感想を私に伝えてくれた。身の上を少し掘り下げただけで、そんなに深く互いにたどり着く会話でもなかったと思う。彼女は結婚していて、旦那さん以外にも彼氏がいるみたいだった。そんな話を言いふらさないと思う程度には私を信じてくれたみたいで、ちょっと嬉しかった。私は私で、よかれと思ってした行動が人を追い込んだり、性的に奔放な人と知り合ったけれど結局1回もセックスしないで関係を切った話などをした。理屈っぽい子ね、と呆れられながら。どちらの話題も、それだけで人のことを判断できない類いのものだし、もっと倉橋さんの近くにいていろんなことを知りたいと思った。彼女がポツリとこう言ったのはいつまでも残った。 「私のほうが甘えること、あるかもしれない。そのときは1回は私に付き合ってね。2回目から無視しても構わないけれど、1回だけ」 2回目も無視しないよ、そう私は伝えたけれど、その約束はいらないと返された。大事にするもの、しないものについて、曖昧なまま生きている私のことを倉橋さんは見透かしているのかもしれない。  お店をでて少し一緒に散歩することにした。倉橋さんはマスターの点てたニカラグアの、珈琲豆と、ドリップバッグを2つ注文していた。彼女が受け取ったドリップバッグをみたら、あからさまなクリスマス仕様、それも恋人同士向けのパッケージで、私は思わずマスターに視線を投げた。どういうつもりかと。 「いや、パッケージがこれしかなくてね。いいじゃないですか。お似合いですよ、彼女に」 1つめは嘘だろう。棚の右上に通常パターンのドリップバッグの素材がたくさんあるのが見えていた。でも2つめはどうか。彼女と誰にお似合いなのだろう。旦那さん?彼氏?私?そんな気持ちにしばらく揺れながら、クリスマスの飾りであふれる通りを倉橋さんと一緒に歩いた。来たときの苛立ちは消えていた。褐色の濃淡で世界を捉え直したとき、その濃いあたりを私は避けて知らずにきていたのかもしれない。でも倉橋さんが隣にいることで、違う風景が少しみられる気がした。街に、あるいは倉橋さんのなかに。 ---------------------------- [短歌]動け/深水遊脚[2016年12月19日10時41分] 新聞をめくる規則正しい音が削るとなりの席の肉塊 この瞬間足を引っ張る言葉かよ作戦会議のいい人仮面 渾身のアシスト無駄にしておいて誰の目線で戦術を説く 迷っても出来なくてもいい誇りが大事なのあんただけじゃないというか動け 改札に一番近い扉から洗練された動きで去った ---------------------------- [短歌]優しさ/深水遊脚[2016年12月20日12時04分] 優しさがかこむ教室誰だって乱れたなにか探して消して 優しさのつもりで混ぜた女子力はいらない焼酎そのままちょうだい 優しさの影に潜んだ絶望をみせてごはんを一緒に食べる 優しさで問いもお詫びも拒絶するそんなさよなら貴方らしくて 優しさを人に私に求めてた秘密はなせず手が震えてた ---------------------------- [川柳]スクールデイズ/深水遊脚[2016年12月25日1時00分] 小テストカレーが匂う4時限目 給食でポール・モーリア刷り込まれ 犯人をみつけ吊るした学級会 男子女子第4次大戦勃発す 勉強の邪魔するあいつテスト前 おかっぴースペル覚える語呂合わせ チコ電と呼ばれる電車降り爆走 タオル巻くてるてる坊主着替え中 歌われない歌詞考えて辞書めくる 先輩の卒業に泣く思い人 ---------------------------- [短歌]帰路の混線/深水遊脚[2016年12月30日23時23分] 酒臭いヨッパライ雌ともだちがいないのか俺にもたれて眠る 手放さず握りしめてるコーンスープ吐瀉物の香に似て覗き込む ついさっき一緒に飲んでいたような雑なタメ口右から左 降りる駅十秒前から声かける着くよ立てるの一人で行けるの 降りる駅一緒にでたが嘘のように馴れた階段ふつうに昇る ---------------------------- [自由詩]かけるくんの空/深水遊脚[2017年1月15日8時27分] かけるくんは 呼ばれてもいつも返事をしない 返事だけではなく 一言も喋らない いつの頃からだろう 皆がどんどん言葉を覚えて いろいろ喋るようになって かけるくんの言葉がないことに 気づいていったのかもしれない かけるくんは変わらずに 今日のかけるくんは カフェラテと仲良くしている ここによく来る薄茶色の猫で みんなはコーヒーよりも先に この猫でその言葉を覚えた カフェラテはかけるくんによくなついた かけるくんもカフェラテに笑っていた いろいろな笑いかたがみられるので みんなカフェラテと一緒にいるかけるくんが好きだった かけるくんはみんなが嫌いではなかった みんなよりも空が好きで猫のカフェラテが好きで それを隠すことを知らないだけだった 喋らないというだけで遊ぶことはみんなと一緒だった 誰かがいじめようとすることはよくある でもほかの誰かがそれに乗らなかったり ときにはかけるくんを庇ったりした なによりかけるくんが敏感に察して いつのまにかいなくなってしまっていた かけるくんは言葉から自由だった 理恵先生の呼ぶ声にかけるくんが元気に はい と答えた みんなびっくりした その日以来かけるくんは人気者になった 言葉から自由になり そのうえで自由に言葉を操れる人気者のかけるくん 空よりもみんなが好きになったけれど 空の色や雲のかたちのことを だんだんと忘れていった そしていつのまにか カフェラテはもうここに来なくなった ---------------------------- [川柳]スクールデイズ 2/深水遊脚[2017年1月20日13時35分] 放課後のラーメン替え玉二つ三つ 「失恋後」プレイリストに名前つけ 登校はメヌエットじゃないロックだぜ 席替えのたびに隣の女子むくれ 恋ネタの伝達速度2秒なり 卓球台バレーボールが迷い込む 保健室けがの手当てでボタンとる 図書室で育む夢と支配欲 女装する俺に制服貸してくれ 理科室の私物化バレた珈琲香 ---------------------------- [川柳]スクールデイズ 3/深水遊脚[2017年1月21日8時11分] ディーゼルカー一両うちらの生徒だけ テレビ局の取材先生おちついて パッキャマラドの歌おっぱいで歌い終え バレンタイン監視と取材掻い潜り 虫めづる姫君に惚れ図書室に 先生に惚れた友人の相談 黒板の相合い傘を消し授業 体験の相手の友が刺す視線 気まずさを囲み給食もくもくと アルペッジオ響く夕べの部室棟 ---------------------------- [川柳]スクールデイズ 4/深水遊脚[2017年1月23日12時59分] 紙皿のお菓子とジュース分けあった 折り紙でつくるチェーンとくす玉と ご当地の体操腰をトントンと 縄跳びを振りランバラルの名セリフ 紅白帽セブンを真似て鍔立てて 暗室に星を映して文化祭 合唱で歌う歌わぬ探り合い 眠れない名札の色が変わる明日 蓋につくアイスは食わぬ友の前 たまに出るケーキのフイルムなめるやつ ---------------------------- [短歌]速読/深水遊脚[2017年1月24日18時02分] ストーブとほどよい距離を保てずに暖めてなお求めて焼かれ 孤独から言葉は生まれ孤独へと人を導く罠を仕掛ける ダイエット全裸写した姿見をみつめ己の嘘に向き合う 雪の日に立ち食いそばでかっ込んだかき揚げそばのように恋した 速読は早送り?ボタン押しながら溜まった録画みるのにも似て ---------------------------- [川柳]スクールデイズ 5/深水遊脚[2017年1月24日18時20分] 大富豪クラスのルール知るゲーム おとなしいグループなりの喧嘩沙汰 愛読書机に貼られ破られて 朝の事故もうあのひとのみない空 僕の詩が伝言ゲームにされている 喋らずに握る手綱の三つ四つ いい過去を集め嘘つく三学期 離任式計算された泣き所 殴られた痕を逆撫で美辞麗句 生徒会選挙空虚をコピーして ---------------------------- [川柳]スクールデイズ 6/深水遊脚[2017年1月25日7時46分] ソフト麺先割れスプーン文化圏 ピーナッツハニーごはんによく合った あげパンと食べたおかずを忘れ去る ごはんの日牛乳を飲むタイミング 眠気去れ冷凍ミカン一気食い 黒糖パンの深み知るほど生きてない 初恋は麦芽ゼリーの甘い味 コッペパンあなたと半分ほっぺパン メルルーサうちで買ってと駄々こねる 牛乳瓶忘れられずにとる宅配 ---------------------------- [川柳]スクールデイズ 7/深水遊脚[2017年1月27日9時57分] 一夜漬けローマ帝国建ち滅び 答案に書けない思い暗記する サボタージュ単語帳から探す空 積乱雲みあげる窓辺テスト中 コツコツと鉛筆刻む残り時間 落書きがみえて「イ」に○つけといた テスト明け午後の公園の陽だまり 丸暗記出荷後の脳響くソロ 世界史のアップデートは明日の記事 化学式知らない反面教師たち ---------------------------- [川柳]スクールデイズ 8/深水遊脚[2017年1月28日7時16分] 「えい」などと誰も歌わぬ始業式 校歌の詞生徒に何を求めてた 少しだけ洒落たノートに埋めた歌詞 ブルースにあわせて背伸び自作歌詞 告白の日のノートだけ記載なし お喋りのノイズ自分のこととして刺さる 病院から登校静かな陽を浴びて 無茶ぶりに応えた曲が受け継がれ 恋文の折り方いまも覚えてる 日記帳意味がわかるの私だけ ---------------------------- [川柳]スクールデイズ 9/深水遊脚[2017年1月29日0時33分] 卒業後ファミレス先生太っ腹 卒業後「嫌な奴だった」遠い人 卒業後「いい奴だった」近い人 「行儀よく真面目」隠した腐乱死体 「行儀よく真面目」は嫌われつつも勝つ 卒業後壊し損ねたガラス割る 卒業が急かす告白流行病 卒業のトラウマ痛いサイン帳 卒業後自由しんどい自己管理 卒業後自由だったと世間云い ---------------------------- [川柳]スクールデイズ 10/深水遊脚[2017年2月4日11時54分] 消しゴムをよく落としてた隣の子 指がふれ不意に2倍の反発力 盛り上がる噂につられ恋と知る 抜けない傘抜いてドヤ顔控え目に 告白の手紙夢中で記憶ない 友達でいてね友達とは何か 会話しないそれでも想う貴女だけ 似たような片想いだけ繰り返し 今もまだ自問友達とは何か 恋文の書き出し今日の始まりは ---------------------------- [短歌]向かい風/深水遊脚[2017年2月4日21時17分] 折れた芯囲む分厚いダウンから私をみては首引っ込める 嫌われることが嫌いな君いつも人から嫌う自由を奪う 坂道をペダル漕がずに下ってく向かい風には慣れて久しい 嘘だけで世界ができてることにして自分の時間必死に集め その影を影たらしめる光あり影が憎いと英雄気取り ---------------------------- [短歌]充電姫/深水遊脚[2017年2月19日15時03分] もう死にたいつらい呟くトークみて相槌充電スポットさがす コンセント空かず咄嗟に御手洗3パーセント入れエコメロディ 聞き流すだけの返信中味なし裏では必死電源確保 五軒目のカフェで充電できたけどトークがなくてそれも心配 「聞いてくれてさっきはどうもありがとう」充電姫と秘かに呼ぼう ---------------------------- [短歌]胃袋奇譚/深水遊脚[2017年3月18日22時13分] 引き込み線等身大のマシュマロを三日愛してまだ出られない 競泳用プールほどある揚げ油かきあげの具を誰も語らず 食えるわけねーだろと去る人間を内と外から麺が食い荒らす 隠れんぼバンズとパティの間に入り食べられてなお意地で隠れる 飴が降りまだ降りやまずこの街は果実酒の酔い会議は踊る ---------------------------- [短歌]おっぱい短歌 1/深水遊脚[2017年4月15日15時33分] 米糠に触れた滑らかな掌ボタンを外しおっぱいに置く ともに入る風呂で見慣れたおっぱいを愛でて二人で歳を重ねる 乳首ないあのおっぱいに触りたい願い叶わずお店をあとに 覗き見でなくおっぱいをみてみたいそう告げるには遠い関係 ブラウスのボタンの隙間おっぱいを探してしまう視線はずした ---------------------------- [短歌]おっぱい短歌 2/深水遊脚[2017年4月15日15時36分] 膝枕みあげる視線おっぱいの向こうの笑顔変わらずにいて おっぱいが胴回りより細くてもそれが貴方で触れていたくて おっぱいをみるためならば筋トレをすべきと固く信じてた頃 おっぱいを日々作り出すブラジャーに敬意を込めて箪笥にしまう グラビアのおっぱい片乳ずつ貼った単語カードで神経衰弱 ---------------------------- [自由詩]唐揚げに/深水遊脚[2017年9月6日19時54分] 唐揚げにレモンをかけていいですか 唐揚げに醤油をかけていいですか 唐揚げにポン酢をかけていいですか 唐揚げにソースをかけていいですか 唐揚げに辛子をかけていいですか 唐揚げに山葵をかけていいですか 唐揚げに生姜をかけていいですか 唐揚げに胡椒をかけていいですか 唐揚げにラー油をかけていいですか 唐揚げにタバスコかけていいですか 唐揚げにユズスコかけていいですか 唐揚げにかんずりかけていいですか 唐揚げにハバネロかけていいですか 唐揚げにパクチーかけていいですか 唐揚げにゆかりをかけていいですか 唐揚げにのりたまかけていいですか 唐揚げにほんだしかけていいですか 唐揚げにカレーをかけていいですか 唐揚げにシチューをかけていいですか 唐揚げにハヤシをかけていいですか 唐揚げにチーズをかけていいですか 唐揚げに塩辛かけていいですか 唐揚げになめたけかけていいですか 唐揚げに小麦粉かけていいですか 唐揚げに洗剤かけていいですか 唐揚げに媚薬をかけていいですか 唐揚げにヨダレをかけていいですか 唐揚げにミルクをかけていいですか 唐揚げに力をかけていいですか 唐揚げにエンジンかけていいですか 唐揚げに音楽かけていいですか 唐揚げに財産かけていいですか 唐揚げに生命かけていいですか 唐揚げにその首かけていいですか 唐揚げに布団をかけていいですか 唐揚げに呪いをかけていいですか 唐揚げに死 ---------------------------- [自由詩]ブレックファーストソーセージ/深水遊脚[2017年11月18日14時41分] 薔薇の花弁の縁から橙が染みて みえないくらい細い管を伝っていく 酔いが芯に伝わる頃合いに目覚める ことは望んでいなかったのに 考えるのを許さぬ身体は誰のもの やはり私のものであり でも私のものでなくて つまり氷点下の痛みを求める嗜好に溺れ またはレンジから取り出すカップの熱に蕩け 傷つけた瞳の流す黄色い涙を啜り 滑りで満たされた孔を掻き回し それらすべてに対する批評を これが私であるとして拒み 汚れは洗浄機に押し込めて においまでなかったことにする 今日の束縛に最適化された身体を 刻んで粗雑なソーセージにする 望んだのか望まなかったのか 答えは先に延ばして曖昧なまま 誰かがざらついたマフィンを頬張る ---------------------------- [短歌]ピストルの音/深水遊脚[2018年1月3日20時08分] 走り終え仲間のタオルに包まれてカメラから解き放たれる息 疾走の速度繰り上げスタートのピストルの音聞くも緩めず 無事タスキ渡したあとに受け取った走者の肩をポンとたたいた 一か零ではない走り焼き付ける忘れ去られたあとも私は 給水のゼッケンつけて並走しほんの一瞬だけ笑い合う ---------------------------- (ファイルの終わり)