佐々宝砂 2014年2月16日8時52分から2021年7月13日12時29分まで ---------------------------- [自由詩]ここ、通れます/佐々宝砂[2014年2月16日8時52分] 伊栖摩への道? あそこは友だちがいるから行ったことはあるけど。 地元民に聞くのがいちばんよ。 地元で聞いたらルートがややこしすぎたって? ややこしいルートが正解なの。 近道しようとするとかえって時間がかかる。 ねえ。 私が伊栖摩で迷ったときの話をしてあげようか。 あれは冬の夕方のことでね。 伊栖摩の友だちんとこに遊びに行ったの。 帰り道、友だちが教えてくれたせせこまい道じゃなく 広い通りを走りたくなった。 教えてくれた道よりはるかに広い道があったの。 方角はあっていたはずよ。 ところが走るにつれ道が狭くなってゆく。 あたりは生け垣の高い民家ばかりで見通しもきかない。 おまけにそこいらじゅう一方通行の標識だらけ、 一方通行を無視したら小さな沼につきあたる始末。 あそこらは沼が多いのね。 沼に用はないもの。 もういちどいま来た道をとって返して 一方通行地獄から抜けだそうとよくよく見ると 白い看板にはっきりした読みやすい赤い字で 「ここ、通れます」と書いてあるの。 もちろんそこに入ってみた。 川沿いの茶畑のあいまの道。 男蛇川か女蛇川だなと思った。 一方通行の標識はなし。 走ってれば広い道に出るだろうと進んだ。 しかしそうはいかなかった。 道なりに走って行ったら民家が減っていき そのうちなんにもなくなり 鬱蒼と木が生えてると思ったら そこにまた白い看板があって赤い字で。 「マルミ霊園」って書いてあるのよ。 こりゃ変なところにきちまったわと 引き返して。 また男蛇川だか女蛇川だかの川沿いの道。 今度は違う道を行こうと思って あえて一方通行を無視してみたのね。 そしたらまた白い看板。 真っ赤な文字で「ここ、通れます」 もちろんそこには入らなかったわよ。 またあえて一方通行を無視して走ると 十字路に出たわ。 すると進行方向すべての道に看板が立ってるのよ。 いつものあの赤い字で、 「ここ、通れます」 怖くなって車をUターンさせたら またもそこには白い看板。 「ここ、通れます」 通るしかないから通ったわよ。 川沿いの広い道に出たわ。 道なりに走ってゆくと 夜道にぼんやり明かり。 ああ明かりがあると嬉しくて走ってゆくと。 「スミミ霊園」って看板が立っているの。 もちろん白い看板に赤い文字で。 マルミっていうならまだわかるけど スミミってなによ。 しかたないから友だちんちに電話したわよ。 正直に道に迷ったって。 スミミ霊園っていうところに着いちゃったって。 友だちはなんかわかってるみたいで、 そのまま待っててねって電話を切った。 震えながら待ってると五分もしないうちに友だちが来て。 とりあえず一服しようって変なこと言い出すの。 この子タバコなんて吸ったかしら。 ちょっと不思議に思ったけれど 二人でタバコを一服。 それから地図書いてもらって帰ったの。 そのあと? あとはなんにもなかったわ。 ---------------------------- [自由詩]ParaParaInferno/佐々宝砂[2014年2月16日8時55分] 野太い声が きれいな顔の整った唇から出ていた。 好きじゃなかったので 特に気に留めもしなかった。 ただ名前だけはちょっとイケてた。 死か、生か。 踊るのもあたしは好きじゃなくて 壁の花にすらにならなくて カウンターで飲みほすウオッカライム。 連中が踊ってるのはパラパラ。 そう確かに パラパラって言ったと思うけど。 記憶っていうのはいつも怪しい。 パラパラパラ。 結局みんな崩れてゆくのだ。 パラパラパラ。 野太い声の持ち主の顔も。 泡ぶくみたいな恋も。 泡ぶくみたいなお金も。 泡ぶくみたいに。 あんまりみんなそういうから あれは泡ってことになってるんだよね、 あああたしって凡庸だな。 パラパラ。 崩れてゆく顔から これだけはかわらない声がひびく。 死か、生か。 ああ結局 あのひとも生きているんだね。 (for Pete Burns) ---------------------------- [自由詩]世界の蝶番は音もなくゆるやかに動いて/佐々宝砂[2014年2月16日23時11分] 世界が裏返るとき 世界のどこかで蝶番がきしむだろうか それとも 世界は一瞬のうちに裏返るだろうか ほんのわずかな音も立てないで たまに飲むビールは いつもの発泡酒と違ってちょっとだけ甘い あくまでもちょっとだけ 世界は今日も基本的には苦くてちょっとだけ甘い ちょっとだけだなんて あまりにもつまんなさすぎるよな。 強風吹きすさび 砂塵が空を茶色に染めても 世界は裏返ろうとしない わたしひとりが あっちの側に突き抜けることさえ 簡単にはできない それでも わたしは確かに 世界の裏返し方を知っていて 自らの内臓をさらけだし その臭い内容物をさらけだし やわらかな皮膚の裏側を したたる血とともにさらけだし そうすることによって すくなくとも わたしの世界は裏返る 世界の蝶番は音もなくゆるやかに動いて くるん。 ---------------------------- [自由詩]痒い夜/佐々宝砂[2014年8月18日23時30分] アトピーを掻きむしることのほかに 何ができるわけでもない夜 手の甲をがりがりと掻けば 私がこぼれる 私であったものが はらはらと床に落ちて蓄積する 少し血の滲んだ指に絆創膏を貼って いざ寝ようと布団を敷いたが またも痒くて眠れない 指を掻いたがまだ痒い 足を掻いたがまだ痒い 顔も背中も胸もお腹も 肛門のまわりまで掻いたが それでもやっぱり痒くてたまらない どうやら痒いのは布団の下の床である しかたないので布団を片付け 布団の下のカーペットも片付け 板張りの床をがりがりと掻けば ぼろぼろと床板がはがれる ああ掻くってきもちいい 欲望のおもむくままに掻きまくる 掻いて掻いて血が滲むまで掻いて ふと思い出す 旧約聖書レビ記の一節 あわててぼろぼろになった板を布で覆い カーペットをもとに戻し 布団を敷いて 無理矢理に目を閉じてみたが 今度は夜が痒くてたまらない そこにここに あっちこっちにあって汲み取れない夜 その夜自体が痒くて眠れない さてどうしたものか レビ記には対処法が書いてあっただろうか ---------------------------- [自由詩]虫の定義/佐々宝砂[2014年9月15日0時42分] 虫とはなんぞやという定義からはじめたら いくら秋の夜が長くても朝が来てしまう かといって わたしもあなたも虫のようなものである 地球からみたらダニがたかっているようなもんだ と知ったふうなことを言ってみれば 隣の和室の障子でチャタテムシが騒ぐ 小豆研ごうか人とって食おかなどとはいわないが あるいは古代中国では虎まで虫扱いしたんだぜ と書棚の李徴が怒り出しそうなことをつぶやけば 荒れ果てたわたしの庭でアオマツムシが鳴く 以前はあんなもんいなかったのにいつのまにか住み着いた あやつらとわたしは間違いなくちがうイキモノだよ とホモ・サピエンスらしい意地を張って焼酎を含めば キーンと虫歯に沁みたりする 秋の夜の歯に沁み通る酒はイタイねえ ぜんぜん白玉の歯じゃあないからだね だいたい虫歯の虫ってなんだよ ミュータンス菌って虫なのか そういえば水虫も田虫も虫なわけだが つまり白癬菌も虫なのか かつて白癬菌の巣窟であった足指が痒い気がして ぼりぼりぼりと掻きむしる美しからざる秋の女は 薄汚れた壁を這ってゆくアシダカグモに目をとめる アシダカグモは昆虫ではない 昆虫ではないが疑いなく虫である ミュータンス菌や白癬菌よりはずっと虫である 虫度が高いとでもいおうか そして見た目とは裏腹に アシダカグモはきわめて清潔な生物である 彼らの主食は雑菌にまみれているが アシダカグモの消化液はそれら雑菌を抹殺できる 自らの脚も消化液で清潔にする そして清潔も不潔もどうでもよくなるほどに 彼らの眼は美しい 引き出しの中で忘れ去られたビーズのように美しい ああそうだ すべて美しい眼を持つものは虫なのだ 青空がひとつの美しい眼を持ち 夜空が無数の美しい眼を持つならば 空もまたひとつの虫なのだ この身もまた美しい眼を持つ虫でありたい などとがらにもなく嘆息すれば 机のうえにひょんと飛んできたハエトリグモの 丸く磨かれたジェットのような四つのまなこ ---------------------------- [自由詩]姉たち/佐々宝砂[2014年10月16日9時26分] 末の娘は末の娘なので どんな失敗をしても許されます 開けてはならない箱を開けてしまっても 池の水をうっかり飲んでしまっても くしゃみしたあと神の名を唱えなくても 閉じてはならない扉を閉じてしまっても ほら森の木陰から池の深みから たくさんの救いの手が 小さなミソサザイ 賢いカケス ノルウェーの茶色い熊 虹のうろこの小魚 夜空に光る月にいたるまで みんながみんな末の娘を助けることでしょう 姉たちは姉ですから どんなことをしても失敗します 開けてはならない箱を開けてしまう 池の水をうっかり飲んでしまう くしゃみしたあと神の名を唱えない 閉じてはならない扉を閉じてしまう それで姉たちは罰されます 姉たちは姉であるがゆえに ミソサザイに突かれ カケスには馬鹿にされ ノルウェーの茶色い熊に半殺しにされ 虹のうろこの小魚に水をひっかけられ 夜空の月は顔を隠し 姉たちは闇の中をうなだれて歩きます 姉たちはわたしの同胞です わたしも姉たちのひとりです 闇を歩くのはいたしかたありませんが せめて顔をあげてゆきましょう 姉たちのひとりとしてわたしは進みます 姉たちのひとり 足が大きすぎただけの普通の娘と腕を組み 姉たちのもうひとり 薔薇ではなくバイオリンをほしがっただけの普通の娘と声をあわせて 罰された姉であるわたしたち 成長しても 焼けた鉄の靴を履いたお妃になるわたしたち 顔をあげてほほえんで 進んでゆきましょう 昏い方へ 昏い 昏い方へ ---------------------------- [自由詩]タロットカードのいちまいめ/佐々宝砂[2014年12月12日21時35分] 無限大をよこちょにかぶって 生真面目な顔して散薬を調合する あるいは坩堝をかきまわす 半分だけ金に変わった銅貨が あなたの夢想を具現する それが真実の科学の結婚で あなたの欲するものであるとして 私がここでこうして いつまでも虚空に手を伸ばして つかもうとしているものは何だというの 私はあなたに対比されるものではない あなたは陽ではない 私は陰ではない そう私たちは結婚できない いかなる意味においても でも ああ それは つまらない妨害があるという意味ではない 障害があるという意味でもない 夢想の科学の結婚こそが 私たちには遠いのだ 薔薇十字の下 永遠に灯り続けるランプがあろうとも 永遠に錆びることのない鉄柱があろうとも 歓喜の声をあげて 七の三倍の世界が完結しようとも あなたは無限大をよこちょにかぶって 上目遣いでこっちをみる 私は無垢な振りして白いドレスを着てみるが あなたの横顔を盗みみることすらできない それでも かみあわぬ私たちを アンドロギュヌスの片割れ同士ではありえぬ私たちを 月と太陽は ときおりは同時に照らしたりもするのだ ---------------------------- [自由詩]アーカム・ハウスの詩の小部屋/佐々宝砂[2014年12月18日12時45分] 待っているうちに、 背筋がちりちりしてきた。 正面の壁には食屍鬼の絵。 出されたコーヒーはいやに薄くて、 いつもは入れない角砂糖をひとつ落としたが、 ぜんぜん味がしない。 窓のむこう風がフルートのようにきこえる。 あれは風だ、風だ、ただの風だ。 風に決まっている。 ドアにノックの音、 それから、 顎の長い妙な顔したおちょぼぐちの男が、 するり音もなくはいってくる。 私は深く深くこれ以上ないくらい深く頭を下げて、 許しを乞い、 秘儀への参入を乞い、 イア! シュブ=ニグラス! と叫んでみたがどうやらこれは違ったらしい。 狂えるバストの司祭ラヴェ・ケラフは、 馬面を憂鬱そうに横に振り、 おもむろに、 自分の腕と、 顔を、 外した。 ――ないしょだ、ないしょ! なんで倒れたのかよくわからない。 私はじゅうたんに伸びていて、 目の前に椅子があった。 椅子のうえには、 二本の腕、 皺くちゃになった白い顔の皮膚。 さすがに怖いが、これはゲームだ。 たぶんゲームだ。 「闇に囁くもの」そのままの情景じゃないか、 これはやっぱりただ私を試してるんだ。 頭を働かせなくちゃならない。 私はあたりを見回す。 椅子の横には銀色の円筒がある。 あれがポイントだろうか? 銀色の円筒に触れると、 くらり、 私は、 地球から消えた。 ――ないしょだ、ないしょ! さて私は冷気の中に目覚め、 かぼそいフルートの響きに耳を澄ました。 もちろんあれは風なんかじゃない。 疑いなくフルートだ。 私はそれから書類に署名し、 ラヴェ・ケラフと力強い握手を交わし、 輝くトラペゾヘドロンを媒介に、 ナイアルラトホテップの姿を垣間見たが、 それ以上のことは、 あなたに教えるわけにいかない。 ないしょだ、ないしょ! 知りたかったら、 アーカム・ハウスの詩の小部屋においで。 銀色の円筒を持って待っている。 ---------------------------- [自由詩]Another Kiss/佐々宝砂[2015年1月3日18時04分] 一杯のお茶と読みさしの本と 夫と娘の寝息と膝のうえの一匹の猫 それが私には相応なものなのだと 私は知っていたしまた満足もしておりました そんなとき それは私の額に堕ちてきたのです 祝祭も戦争も宗教もない国から 恋も家族も不倫もない時間から 味噌汁も指輪も酒もアイロンも選挙権も 一切無関係な次元から それはまっすぐに堕ちてきて 私の頬をさっとかすめたのです でも かるく首をよこにふって いまはだめ まだだめ とつぶやくと 気配は消えました それでどうなったかってあなた それから長い長い年月が過ぎました 夫は十二年前に逝き 娘は四年前に嫁ぎ 私は白髪頭の婆さんになって 今でも信じて待っているのですよ ええ今度は くちびるに堕ちてくるでしょう きっと ---------------------------- [自由詩]ひとり/佐々宝砂[2015年6月15日1時06分] ひとり、は飛べるが、 ふたり、は飛べない。 雨のなかに手を伸ばすと雨姫の声が聴こえる、 きゃっきゃと笑いながら、 誰かをダンスに誘っている。 眠ったままのこどもが浮き上がる。 雨姫のところへ。 雨姫のドレスは暗い。 流れるしずくが 見えるか見えないかのくらさで。 どこかあまり遠くないところで鳧(けり)が鳴く。 夜に鳴く鳥は夜を飛ぶだろうか。 雨姫のダンスにはリズムがない。 あるいはひどい変拍子なので私にはリズムがわからない。 夜鳴く鳥が合いの手を入れる。 私にはわからないリズムで。 浮き上がったこどもが両手を天に伸ばす。 雨姫がその手を取る。 連れていかないで。 ううん。 連れていっちゃって。 その子が飛べるうちに。 ひとり、は飛べるが、 ふたり、は飛べない。 私は目を閉じて眠ろうとする、 そのまぶたに、 圧倒的な波が押し寄せる、 ふたり、でも 溺れることはできるかもしれない。 ---------------------------- [自由詩]ベテルギウスは突然に/佐々宝砂[2015年9月15日1時19分] 彼岸前に咲いた彼岸花 十日も早くやってしまった敬老の日 もう動いてない扇風機 時が早く行き過ぎるように思うのは 忙しいからでも年をとったからでもなくて たぶん 昨日の空と 今日の空に 違いがないのだと感じてしまう病のせいで 昼の空は知らんが 夜の空はめぐる いまは天頂に白鳥座 朝を待たずに ベテルギウスがその赤い顔を見せるだろう 昨年の夏と 今年の夏と 来年の夏に 違いがないわけがない 来年の夏 明け方の空で ベテルギウスは突然に ということがないとは誰にも言えない 恐怖の大王が支配しなくても アンゴルモアの大王が降りてこなくても 静寂にほど遠く イキモノたちが騒ぐ夜の庭で 空を見上げる 首が痛くなるほど空を見上げる 突然に ベテルギウスは突然に こころに満ちて爆発する ---------------------------- [自由詩]おまえが生まれた年に/佐々宝砂[2016年3月11日9時30分] おまえが生まれた年に 菜の花が庭にはびこって それはそれはたいへんだったよ おまえはまだ二ヶ月だか三ヶ月だかで はじめてみる菜の花に はじめて嗅ぐ菜の花に 目をまるくしたりぱちくりしたりした おまえが生まれた年に おまえのとうさんが 庭の杉の木を切った 大きな木だったから 切り倒したときは大きな音がしたよ おまえはまだ二ヶ月だか三ヶ月だかで 大きな音にびっくりして 両腕をつきだしてあたふたするから わたしはおかしくって笑ったものだった おまえが生まれた年に おおきな地震があって おおきな津波がきて おまえはまだ二ヶ月だか三ヶ月だかで 何もわかっていなかった わたしも 何もわかっていなかった わかっていないということだけわかってた おまえが生まれた年にも 春はきて 庭にはいつになくたくさんの 菜の花がきいろく咲き誇っていたのだけれども (2011.4月に書いたもの) ---------------------------- [自由詩]遊泳禁止区域/佐々宝砂[2016年6月14日9時02分] 白い波に足をひたして 海に走り込もうとするこどもをつかまえる 波に洗われる砂のうえ 何かの記念の石碑みたいに ぽつんと残される丸い石 背の立たない輝く水に浮かび ようやく息を継ぎながら ずんずん遠くなる岸をみていた あの記憶は まだふくらはぎのあたりに残っている 誰が招くのか 何が招くのか 遊泳禁止区域の看板の下 忘れられたまんまのサンダル 干からびたカジメ へこんだペットボトル ツメタガイが穴を開けた二枚貝 さほど美しくもない砂浜で わたしたちは確かに何者かに 招かれていることを悟りながら わたしはやっぱり 海に走り込もうとするこどもをつかまえる ---------------------------- [自由詩]大皿の日々/佐々宝砂[2016年6月19日10時53分] わたしたちは一枚の大皿に住んだ 皿は基本的に何の模様もなく 真っ白な大地にところどころ土が盛られた わたしたちはテントを張り ひまわりを植え にわとりを飼い 真っ白な地平線をながめた 地平のむこうには常に巨大な何かが霞んだ 大皿の生活は平穏で たまに地震があっても テントはテントに過ぎないので 恐ろしくはない 雨が降るほうが大変で わたしたちは大雨が降るたびに 禁断の地平線近くに避難した どうしてこの世界には地平線があるのか 地平線とはなんなのか 誰も疑問には思わなかったが 記憶に重大な穴があるのはみんなが知っていて 地平線に危なっかしく腰掛けるとき うっすらと何かを思い出すのだった 地平のむこうには今日も巨大な何かが動き わたしたちは大皿の上で生活に忙しい ---------------------------- [自由詩]夢の中で墓からでてきた黒人女が歌った歌/佐々宝砂[2016年6月19日12時45分] あいつはいつも金がなくて いつでも誰かに金をたかった 嫌われ者の ジョン・ホーミ・ウォーター! あいつはあいつでいいとこもあって 優しかった、野良犬にも、あたしにも ひとりぼっちの ジョン・ホーミ・ウォーター! あたしがいるのにあたしがいるのに おれはひとりだと笑う さみしすぎる ジョン・ホーミ・ウォーター! あいつはある日連れてゆかれて あと十五年は帰ってこない 檻のなかの ジョン・ホーミ・ウォーター! あたしはいつまでも若くてはいられない きれいでもいられない でも あたしは待ってる ジョン・ホーミ・ウォーター! 絶対に待ってる ジョン・ホーミ・ウォーター! ---------------------------- [自由詩]ちあらのはし/佐々宝砂[2016年7月15日1時12分] 牛が不思議に騒ぐ夜があるの。 台風の夜でもないし地震の前触れでもない。 乳に血が混じったりもしない。 虫が多いわけでもない。 まあ牛舎なんてのはいつも虫だらけだけど。 夜なのにもぐもぐ反芻している牛たち、 眠りもしないでどこかを凝視している牛たち、 しかたないから御札持ってでかけるわけよ。 家の裏手の。 ちあらの橋へ。 血を洗う、と書いて、ちあらと読む。 誰が名付けたか知らない。 いつからそう呼ばれているか知らない。 なんてことない田舎の橋。 自動車一台がやっと通れるような欄干もない橋。 そんな橋のまんなかあたりにしゃがんで。 持ってきた御札を 背中越しにぽーんと投げる。 家に帰ると牛は静かになっている。 それだけの話。 私の家ではそんなことを数十年は続けてる。 蘭の会月例詩集より https://t.co/8QAxYFMI6s ---------------------------- [自由詩]蕪の葉/佐々宝砂[2016年11月15日0時40分] わたくしの心にだって情念の火くらいはありますのよと 微笑んで密集した蕪を抜く 抜いても抜いても蕪は密集していて 今日も明日もあさっても蕪の抜き菜がおかずですねと やっぱり微笑んで蕪を抜く 微笑みを返してもらえないのはわかっていますのよと 蕪の泥をざっと手で落として蕪を洗う 小さな蕪を切り落としでも捨てるのはもったいないから 橙醤油に漬ける 蕪の葉はざくざくと刻む フライパンに胡麻油をひいて シラス干しがカリカリするまで火を入れて 切り刻んだ蕪の葉を手早く炒める ほんのちょっとだけ塩 入れ過ぎたらシラスも蕪の葉も負けてしまいますのよと 青菜に塩みたいになってる人に向かって微笑んで (ああわたくしは微笑んでばかりいる) 今日もお肉がなくって申し訳ありません うちの財布にはお金がありません 食品棚だっていつもからっぽです わたくしはどうやって火を維持したらいいのでしょうか いえ維持しようと思わなくても火は燃え上がるものなのです などとわたくしは申し上げたりはしなくて かわりに食卓にどんと焼酎の瓶を置く ---------------------------- [自由詩]したたれ/佐々宝砂[2017年6月15日8時48分] 生ぬるい湯が入ったゴムの風船、 それがわたしだ。 熱々だったことなんかないし、 凍りついたこともない。 手の届くところに何もかもがある。 肩こりの塗り薬(インドメタシン入り)、 豆乳で割ったウィスキー、 メンソールの煙草、 灰色のくたびれたカーディガン、 パンツ、 スマートフォン、 茶色な帽子がひとつ、 たくさんの本、本、本、本、 ニ穴パンチ、 それからこれはなに? 千枚通しだ。 木製の持ち手部分は油で黒ずんでいるが、 金属でできた部分はぎらぎらの銀色。 この部屋に誰かきたことがあっただろうか? わたしの意志に関係なく、 この部屋にものが増えたことがあっただろうか? ない。 そんなことはなかった。 ではこの千枚通しは、なに? したたれ、と声がする。 わたしはわたしの指に千枚通しを突き刺す。 てのひらに突き刺す。 太ももに突き刺す。 抗えない命令に従って。 生ぬるい湯が入ったゴムの風船、 それがわたしだと思っていた。 でも。 わたしがしたたる、 赤いしずくがいくつもいくつも、 ぺちゃんこになったゴム風船から這い出して、 はじめての外の空気を胸いっぱいに吸い込む。 ---------------------------- [自由詩]血と百合の遁走曲/佐々宝砂[2017年12月13日22時21分] 墓所 朝な夕な花を捧げる、 深紅の薔薇ではなく、 白い百合を。 ただひとつだけ、 海に背を向けたその墓。 没年は百年前かあるいは二百年前か、 墓石の文字は薄れて読めない。 なぜ心惹かれるか知らず、 疑いも覚えず、 ただ心惹かれるままに、 彼女は花を捧げる、 刈りとったばかりの、新鮮な、 露に濡れた白い百合を。 早朝の弥撒(ミサ) 賛美歌を耳にしたとたん、 彼女は叫び声ひとつあげずに倒れた。 明け方前の弥撒ははじまったばかり、 彼はまだ説教台にあがっていなかった。 床に落ちた聖書と百合。 抱き起こそうとする腕。 首筋にくっきりと刻印された紫の傷跡。 彼女から少しずつ離れてゆく信徒たち。 ざわめき。 まき散らされた百合は拾い集められ、 捨てられた。 彼は弥撒を中断し、 人々に口止めをした、 しかし今日のうちに噂は広まるだろう。 村は小さく人々は娯楽に飢えている。 誘惑 しかし私はあれを拒めません。 むしろ毎夜私はあれを待っているのです、 あれがやってきてはじめて生きていると感じるほどに。 まず犬の遠吠えで目が覚めます。 それから胸が悪くなるような臭いがするのです。 息苦しい、と思うと同時に、 胸に重みを感じます。 それから首に冷たいものが触ります。 すると私は何がなんだかわからなくなります、 いろいろなことが突然に変わってしまいます、 むかつくようだった臭いは甘く重い薔薇の香に、 喉に押された冷たいものは甘く熱いくちづけに、 そしてそのあと私は泥のように眠ってしまいます、 朝がきても目眩がして起きることができません。 今朝は無理矢理に起きてみたのです。 このところずっと弥撒に出られませんでしたから。 夜に目覚めるようになったのは、 あの墓に百合を捧げてからです。 海に背を向けたあの墓です。 なんとはなしに私はあの墓が気になっていました。 小さなころからです。 けれど百合を捧げたのはつい最近のことでした。 ねえ、神父さま、 淋しい墓に百合を捧げることがいけないことでしょうか? 私にはどうしてもそうは思われないのです。 どうか、お願いです、神父さま、 私を愛しているとおっしゃるのなら、 その首筋にキスをさせてください。 祈祷室 夜の祈祷室。 野イバラの蔦にいましめられて木のベンチに眠る彼女。 蝋燭の明かり。 窓辺にイチイの暗いざわめき。 彼は待っている。 流れる赤い血を持たぬ屍が、 なぜ血生臭い霧とともに現れるか? 死して久しい屍が、 なぜこれほどにひとりの女を魅惑するか? 彼は待っている。 用意するべきものは用意した。 大ぶりのナイフ、生のニンニク、 祈祷書、聖水、ケシの実、 そして鋭く尖らせたサンザシの杭。 彼は待っている。 誘惑のときを? 対決のときを? 否、拒絶のときを。 再び、墓所 母親の嘆きを彼は慰め得なかった。 どうしたら信じられよう、 桜色の頬と深紅のくちびるを持ち、 しかも夜になれば目覚める娘、 その娘がもうこの世の者でなかったと。 彼はすべてをひとりでやってのけたので、 疑う者も多かったのだ。 しかし彼は根気よく語りみなを納得させ、 海に背を向けた墓を暴いた。 そこには一人の男が眠っていた、 たった今死んだばかりのような顔色で、 深紅のくちびるから赤い糸をひいて。 だから彼はまたサンザシを削らねばならなかった。 みたび、墓所 彼女は古い墓所に小さな地下の室をみつけた。 埃に埋もれてふたつの柩があった。 長たらしい墓碑銘は彼女の手に余った。 ただ女の名だけが読みとれた。 私と同じ名前だわ! 小さく叫んで、 彼女は百合を捧げる。 彼女に手をひかれてやってきて、 まだ若い神父が墓碑銘を読んだ、 彼女は内容をとても知りたがっていたのだけれど、 彼はどうしてもそれを伝えることができなかった。 墓碑銘 死者のために、また、生者のために、 なんぴともこの者らに触るることなかれ。 キリスト再臨のとき到るとも、 清き百合を捧ぐるなかれ。 父と子と精霊の御名によりて。 エピローグ、彼 象徴的に屹立する塔の先端、 閉ざされた部屋に彼は横たわる。 寝床にはやわらかな布も肌もなく、 ただ冷たく並ぶ鉄の針。 灰色の壁、灰色の床、 目を楽しませるものは何もない、 無機的な空間で彼は祈る。 死語で。文字通り、死んだ言葉で。   赤く濡れた傷口から流れ出す、   生命の潮よ、   約束を口にするな!   それは神にのみ許されてあるもの。   ただ簒奪することしか知らぬくちびるよ。   キリスト再臨の時到るまで、   目覚めることなかれ、   父と子と精霊の御名において!   薄明の墓所の地下、   暗黒の柩に眠る青ざめた頬よ。   おまえは死ぬことがない。   しかしおまえは生きたことがあったか? いずれにせよ百合は冒される運命にある。 彼が敬虔に祈るとしても。 聖書を掲げ、聖水を撒き、 サンザシの杭を尖らせるとしても。 さて、読者よ、物語も終わりに近い、 お気づきかも知れぬが秘密を告げておこう。 さよう、サンザシの杭は牙と同じものなのだ。 彼がそれを知ろうと知るまいと。   私は眠りたいのだ。神よ。   平安を。眠りを。   この私に。 濃い霧のなか誰かが嘲笑う。 インキュバスか? 悪魔か? 魔女か? ラミアか? いや、違う、   彼女だ。 ――吸血鬼たちへのオマージュ、あるいはある詩人への挑発的恋文 ---------------------------- [自由詩]プロメーテウスのおバカさん/佐々宝砂[2018年2月17日22時18分] 火を盗ってきたから ここで炎が燃えているのだと プロメーテウスは言うのだけれど プロメーテウスはおバカさんだから 火から離れて星を見ている もちろん星はたいてい火なのだけれど そうじゃない星もあるけどそれはさておき とりあえず星はとっても遠い 遠い火 近い火 火にもいろいろあるけれど プロメーテウスのおバカさんは 遠い火が好き 手に入らない火が好き がんばらないと手に入らない火が好き プロメーテウスのおバカさんはきっと知らない 私たちにごく近いところで いえ私の内部で 火が燃え盛っていることを知らない 生まれたばかりのほかほかの赤ん坊でなくても なにか知り染めたばかりの若いのでなくても 熱意などなくても ここにはいつも火がある 私たちの細胞は常に 私たちが生きている限り燃え続け プロメーテウスのおバカさんは星を見る 私だって 火の番をしなくていいなら星を見る ---------------------------- [自由詩]黒の下のパーティー/佐々宝砂[2018年3月18日13時29分] 跳ね上がる、湧き上がる、躍り上がる、 歌う、歌う、歌う、歌う、 躍動感にみちみちた空気、 あちこちに飛び交う音符の羽虫たち、 唐突に鳴るクラッカー、 輝かしい照明は目も眩む、白、 白のなかの白、 白のうえの白、 このうえない白、 狂い踊る色彩、 見えるはずもない遊色、 あるはずもない構造色、 そして鼻がおかしくなるような臭い、 石油の、泥水の、糞尿の、 揚げたてポテトの臭い、 腐った牛乳の臭い、 ひとすじ香る沈丁花のピンク、 ごったがえすパーティー会場の、 カクテルパーティー効果なんか効き目がない空間の、 音と色彩と臭いを、 とじこめる黒。 静かに、ひそやかに、 華やかなパーティーを封印して、 黒い謎が黒く四角く切り取られる。          -------カジミール・マレーヴィチ「黒の正方形」に寄せて ---------------------------- [自由詩]木の芽どきのソネット/佐々宝砂[2018年3月23日9時08分] それは気の迷いだろうどっちかというと と書き込みたい気持ちを抑えて眺める 空が青くて明るすぎるので私はすっかり腹を立て こども部屋の真ん中に黒のクレヨンで魔法陣を書く 逆さの五芒星の真ん中にやにや笑いが落ちてきて VTuberになってみたいなどとアホを言うからぶん殴る 悪魔もぜんぜん役にたたない三月の窓辺は輝かしいが これが散文でない証拠について考察する薄雲は退屈で 庭のさくらんぼの樹はもうすっかり葉桜で その根元には私が殺した死体がいっぱい なんというお決まりのつまらないありきたりな それは気の迷いだろうどっちかというと と書き込んでも真実は真実のまま私の庭に眠り 悪魔は私の書棚にあるしょうもない本を読み耽る ---------------------------- [自由詩]桜の樹の下では/佐々宝砂[2018年3月23日23時16分] そのみえすぎる目で満開の桜の花の下をみて ひとがみてはいけないものさえみたくせに あなたったら全然気づかないんだから鈍感でもう 待ちくたびれてあたしとっくに腐っちゃったのよでも きらきらと光る筋をひいてなめくじが愛撫してくれるし とろとろと透きとおる屍蝋がきれいでしょうほら あたしたちの愛の巣をつつむ桜の毛根は あたしたちをねっとりとりまく腐汁を吸いあげる そうしてあたしたちは桜になるのだわ これは信じていいことなのよ 桜の花はいついつまでも満開であたしはその下で あなたと腐ってゆくの二匹のみみずみたいにからみあって ---------------------------- [自由詩]ゴシック的断片/佐々宝砂[2019年8月9日19時38分] お姉さま。 この館に逗留してまだ一ヶ月足らずですが、 私はもうお姉さまとの暮らしを恋しく思っております。 お父さまはたいへんお優しいのに、お兄さまは恐ろしい。 いつも地下に引きこもっていらして、 ときどき顔をお見せになると、 それはそれは沈鬱なお顔をなさって、 イザベラ、お前はなんと哀れな!と力弱くお叫びになります。 それからお父さまに向かって、 凄惨ににやりとお笑いになるのです。 愛しいお姉さま、あなたのお力と勇気をお貸し下さいまし。 あなたのイザベラは恐怖におののいております。  若き修道女は手紙を受け取り石の寝台に坐る。  爪を噛む癖が戻っている。 医師ベックフォードによる所見。 患者は十九歳の女性、未婚。 発作は幼児期から見られたが十二歳でいったん快癒し、 十九歳になってから発作が再開した。 発作前兆期には体液貯留が見られ、 患者は視野右側の視覚異常と被帽感を訴える。 発作がはじまると顔面は蒼白となり呼吸は浅く荒くなり、 唇に強いしびれと錯感覚が生じ激しい頭痛がはじまる。 頭痛は三時間ほど持続する。 発作終息期には体液の放出が甚だしい。 嘔吐、大量の薄い尿の排泄、流涙、流涎、下痢ののち、 しつこい不自然な眠気が襲い、患者は昏睡に近い眠りに落ちる。 発作は周期的なヒステリー性のものと推測され、 蛭によって胆汁質の体液を抜く治療が有効と考えられるが、 家族の同意が得られぬため治療は断念。  早朝のミサもまだ始まらぬ空は全き闇。  修道女の背は小刻みに震える。 館の地下室にある覚え書きからの抜粋。 "彼"を隠匿された場所より呼び出すために必要なもの。 ひとつ、水晶(新月に聖水で洗っておくこと)。 ひとつ、"彼"の肖像画。 ひとつ、緻密に慎重に描かれた魔法陣。 ひとつ、トネリコの枝で燻した白布。 ひとつ、処女の血を満たしたヴェネツィアン・グラス。  若き修道女は賛美歌を歌う。  すべて逆さまな世界を逆さまな言葉で讃美して。 愛しいイザベラ。 昨夜私が語ったことは嘘ではない。 君はこの館にいるべきひとではない。 どうか私を信じて私とともにきてほしい。 君の病のことなら恥ずかしく思う必要はない。 気にする必要もない。私は医師だ。 君のお父上と兄上の病は医学では治せぬが、 君の病は私が治してみせる。 愛しいイザベラ、 この世のものとも思われぬ儚いイザベラ、 愛と信仰こそは最上の医薬ではないか?  修道女は手紙を破り去る。  それは明日ひそかに竈で焼かれるだろう。 ええ。あの夜は凄まじい騒ぎでございました。 けれど館がすっかり燃え尽きるまで、 誰も気づかなかったんでございます。 私どもが気がつきましたとき館はもう黒い煙をあげるばかりで、 門柱のそばに伯爵さまと若さまが倒れていらっしゃいました。 それからイザベラさまのお姿は見えず、 ベックフォードさまは、ほら、あのとおり、 すっかり赤ん坊にかえってしまわれました。  修道女は微笑んで妹を迎える。  痛みに耐えいまや"彼"を虜にした美しいイザベラを。 ---------------------------- [自由詩]鉈を振り下ろす/佐々宝砂[2020年4月5日0時23分] 少しばかりいい気になったので ちょいとばかし言葉を放ってみる 蝙蝠の羽はあくまでも灰色 カモノハシのくちばしはあくまでもやくたたず うん そういう問題はさておいて モノクロの映像のフラスコは美しく紫 さて大きく伸びをして 赤錆びた鉈をふるえば きちんと正しく飛び散ってくれる血液 ああ いつものように退屈ね ここにいないのはわかっている ずっといないのはわかっている 明日もいないのはわかっている 焦っても急いでも無意味なので ゆったりと振り下ろす鉈の下に それがないのはわかっている 春の風のなか 遠雷が光り 私はそれでも鉈を振り下ろす ---------------------------- [自由詩]壁の向こうに/佐々宝砂[2020年11月10日20時01分] 白い壁がありました 白い壁に沿って私は歩きました 私には足がありました 私の足は交互に動きます 私はそれを動かしています 白い壁があります 白い壁に沿って草が生えています 私は草をむしります 私には手があります それは私の意図する通りに動きます 白い壁が見えます 白い壁の向こうは見えません 壁の向こうには町があって そこにはあのひとが住んでいます 私には夢がありました それは私の心のなか紡がれました 私は壁の向こうの町であのひとと暮らす 白い壁が立っていました 私の目の前にはいつも 白い壁がありました ---------------------------- [自由詩]SF/佐々宝砂[2020年11月10日23時57分] からっぽで何にもなかったので 手元に落ちてきたSFを入れてみた SFの尻尾はもう古ぼけていて 埃をかぶっていたけれど 頭のほうは元気で活きがよくて これならからっぽも何とかなるかしらと 一時的に充たされた気分になったが SFの奥にはブラックホールが眠っていて 尻尾も頭も全部飲みこんでしまった ウロボロスの蛇かよ と誰に言ったらいいものか さてどうしようとあたりを見回すと もうからっぽですらなかった つまり 殻なり袋なり境界なり 外界とからっぽを区別するものが 確かにあったはずなのだが もうそんなものもなくなっていた からっぽですらない わけのわからないふわふわ ですらない 吐き出そうにも吐くものとてなく そもそも吐き出す口もなく からっぽだったときのほうがまだ 少なくとも何かではあったのではないか 逡巡していたら SFがまた落ちてきた サイエンスのSじゃないですよ スペキュレイティブのSですよと宣うのだが それだってもう古いだろ 知ってるぞとつぶやいたら ならSci FiのSですよとにっこり笑う いや違うだろ Sは私の頭文字だ 少し寒くなってきた夜半の窓に 眼鏡をかけた顔が映っている あれは誰だ からっぽですらないはずの しかしそこには肉体があって SFはこんなとき役に立つのだろうか 立つだろうよ SFはまだ死にはしないだろうよ この肉体が機能を停止するときも ---------------------------- [自由詩]世界の破壊者/佐々宝砂[2020年11月11日1時09分] 世界の破壊者は片手を上げ まわりに誰もいないのに気づくと 片手をおろした 海は波の触手を伸ばして陸に襲いかかり さらには沸騰し 現在は塩酸になるか硫酸になるか悩んでおり 山はもちろんのこと噴火し 火砕流を起こすのと 溶岩をどろどろと流すのと どちらが楽しいかで議論が紛糾している 世界の破壊者は 地球の表面をどうにかするのに飽いたので 小惑星を落としてみようかと思ったが それも前世紀にやった手だと思い出して むかしむかしのスポンサーが ラジオで伝えたように 「戦え」と一言告げようとしてみたが 動き出した死者たちが 生者そっちのけで戦いあうものだから うんざりしてまた手をあげる 人々よ 本当に終わりだ 終わるのだ 世界は終わる 毎日終わる おまえがそれに気づかぬだけだ 世界の破壊者はためいきをつき あげていた左手を再びおろす 世界は今日もいくたびも終わり いくたびも生まれ 世界の破壊者は労働に疲れた腕を ゆるゆるとさすって椅子に座り込む ---------------------------- [自由詩]アルビノ/佐々宝砂[2021年3月17日23時26分] そのとき私は十六歳で まだ何も罪は犯していないと思っていた 電車に乗って席に座ろうとしても空いていなかったので つり革をつかんだ そして 向き合った席にいる人の姿に 私は驚いて 目が離せなくなった その人の髪はまっしろだった 肌も白かった まつげまで白かった まっしろなのに日本人の顔をしていた その人は男の人で 眠っていて うっすらといびきをかいていた 知らない人をこんなに注視してはいけないだろう ということは私にもわかっていた でもその人は美しかった その人は眠っているので じっくり見ても怒られないだろうと思って 私は自分が降りる駅までずっと その人の白いまつげを見ていた 罪だったと思っている 罪であろう 私は罪人である あの人はとても美しかった それはあの人の罪ではない そして私はあの人の瞳の色を知らない ---------------------------- [自由詩]暗い道/佐々宝砂[2021年7月13日12時29分] 急がなきゃ。 と思うのだけど暗い。 思うように進めない。  あたりはいちめんの草むら、猫じゃらし、  ときどきひょいとバッタが飛ぶ、  川の向こうには何かが明滅している、しかし  その光は全く地を照らすことがない。 帰らなくては。 でも。 家はどこだろう。 わからないけど歩いてゆく。 暗い道だ。 くらあい道だ。  星も月もない空は曇っているのか、  それとも月も星もどこか遠くに去ってしまったのか、  しかし、闇に閉ざされた空には  確かに何かがある、か、いる、か、する気配。 寒い。 半袖から覗く腕には蚊の食い跡。 いまはきっと夏だと思う。 でも寒い。 さむいさむいさむいさむい。  暗い空に、  群青の山のシルエットが浮かびあがる。  青い光が  山より大きい異様な入道の姿を浮かびあがらせる。  でもこの光も地を照らさない。  続いて現れる夜空の半分を埋め尽くす女頭の蛇、  螺旋を描くその胴体に刻まれた紋様は唐草。 手が冷たい。 自分の息を吐きかける。 すこしもあたたかくない。 おんなへびはきらいだ、 あいつの舌はつめたいし、 息はなまぐさい。  群青の山の背後にまた光が射す。  今度の光は炎の舌のように不安定に揺らぎ、  光に照らされた入道は  おろおろと姿を山のうしろに隠し、  女頭の蛇は顔色変えて光に向かって息を吹き、  光は一瞬暗くなったが、  勢いを取り戻して蛇を焼き尽くし、  女蛇の断末魔。しかし音は一切きこえない。 ああ、思い出したよ。 思い出したよ。 そうなんだ、 そうなんだよ。 山がくらりと焼け落ちるねえ。 おんなへびも燃えてゆくねえ。 ありがとう。 ありがとう。  山の向こうほのぼのと光がみえ、  地を照らし、旅人を導き。  それはやがて小さいが確かなひとつの灯りとなり。 かあさん、 待っていてね。 もうすぐ行くから。  暗い道で、老女が古鍋のなか木ぎれを焼いている。  夏の夜はまだ浅く街の喧噪が遠くきこえる。  皓々と明るい玄関の戸がからりひらき、  続いて「かあさん、俺も迎え火を焚くよ」と、  壮年の男の声がする。 ---------------------------- (ファイルの終わり)