海野小十郎 2008年2月6日16時12分から2008年6月8日15時56分まで ---------------------------- [自由詩]きみ子/海野小十郎[2008年2月6日16時12分] 海野小十郎 きみ子        宮房さのみ作曲            海野小十郎作詞 停留所、待っていた君の 横顔、どうしたの 待っていたんです さっきから とっても嬉しかったんだよ 土曜日も、待っていたきみ子 お風呂に、入ったの ぬれているでしょ 髪の毛が 茶色いオーバ着ていたよ きみ子は、勤めに行った あれから、二十年 定年になって 一人きり 今日もきみ子の帰り待つよ ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]ローラー式9輪駆動ソーラー水素自動車/海野小十郎[2008年2月7日10時24分] ローラー式9輪駆動ソラー水素自動車   テレビで車の走るのを見ながらふと上記の自動車を思いついた。つまり土地を平らにするローラーがヒントになった.前輪に4つの部分に分かれた一連のロラー状のタイヤ、後輪には5つつの部分に分かれた同じく駆動するローラタイア。前輪部分も後輪部分もちょうど起重機やトラクターのように車輪操縦盤で操縦される。どの部分車輪も操縦盤によって足のように上下に伸び縮みして凸凹の岩地や山地方向的走行ができる。前後輪全部そろえると安定感があり砂漠や雪上の運転が可能である。  弱電関係、電気系統はソーラーで電力を補い。、駆動力は水素エンジンである。水素は車体の中で水から電気分解により直接分離し、水素と酸素を得、エンジン内で化合燃焼すると再び集めて水タンクに戻すようにするならば、蒸発部分だけ補えば水をたびたび補うことはない。水は蒸留水が良いのではないかと思う。よく電気分解するように何かを加えることも必要かも。しかしこの車は、レジャー用であって、プロフェッショナルな目的あるいは軍事的もに使えるものではない。軽量小型である。水中だけ船舶を利用すれば、世界中どこでも走行旅行できるのではないか。 国際的協力で製作し,車体のスタイルのデザインはニッサンでエンジンや動力機械部部分はトヨタ、米国のフォードにも協力してもらうと良いのではないかと思う。 だれかこんな自動車造って見たい方は居られないか。 ---------------------------- [自由詩]たそがれの花束/海野小十郎[2008年2月13日13時30分] たそがれの花束  海野小十郎   月が出る まばらの雲より 昨日出会った あの少女 この花束を見ておくれ 誰ぞ彼 この山の上 かすむ月影 あの少女 この花束をあげたくて 何時の日か 月の上る夜 思い出だけが 残るけど 花束だけが匂ってる ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]The fallen Idols./海野小十郎[2008年2月15日15時19分]  The fallen Idols.  偶像の持つ力には計り知れないものがある。かって偶像の支配していない世界やサークルがあったであろうか。  二つの巨大なといえば言える偶像が,国民の手によって踏みにじられたことは、記憶に新しいことだ。ソ連のレーニン、イラクのフセインこの二人にすっかり飽きた国民は、これらを引きずり倒した。これら二つの悪い影響は誰の目にも明らかであろう。そのことにこれ以上あえて言及するまい。  剣を取るものは剣に倒れる。戦争は平和をもたらさない。神は血の報復を人々に求められると聖書にはある.預言者を石打にし、イエスを無残に殺害したイスラエルは、その報いを受けた。いまだに報いを受け続けている。  然るに、イスラエルはいまだ存在している。私は思う、イスラエルの国家が亡ぶことは決してあるまい。イスラエルが亡ぶことは神が亡ぶことだと思う。神の力と尊厳の象徴として、イスラエルは永遠に国たることをやめないだろう。  ユダヤ人は私のこれまで見聞するところでは、偶像を造らず、神の律法と神の力に頼った国だ。世界を陰で動かしているのはユダヤ人だという説もある。そうかもしれない。  アメリカの大統領選挙が近づいている。今度は民主党がとるらしい。マスコミはそのような動きをしている。このことは、the fallen IdolsのPart?に書こうと思う。結果が明らかになれば、論じるのも楽だ。私は預言者でも学者でもない。平凡な一市民として意見を述べるだけである。常識外れの、卓抜な意見はすまい。  ただ聖書の予言を信ずる。国連の壁にあるように、「そして、神は諸国民の中で必ず裁きを行い、多くの民に関して事を正される。そして、彼らはその剣を鋤の刃に、その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣を上げず、彼らはもはや戦いを学ばない。イザヤ2の4(新世界訳聖書)」これは人間の本質にかなった予言である。  ぜひ今年こそ、神に従って、人々よ世界に平和をもたらして欲しい。むなしい偶像に頼ることはもうやめようではないか!(平20・2・15PM2:00) ---------------------------- [自由詩]恋の流れ唄/海野小十郎[2008年2月26日7時56分] 恋の流れ唄 こんな寂びれた お店で 今夜も歌う 流れ唄 艶歌の歌手よ 昨日も今日も 歌うわ 流れに流れ ぶきっちょな バンドにあわせ キャバレー・ナイト 男の 膝で歌うわ 恋の歌 もう年なのよ バイ・バイ、トゥナイト キャバレー・ナイト ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]英訳・ハルダウン(1)/海野小十郎[2008年3月4日17時43分]   英訳・ハルダウン             原作・灰里真実             翻訳・海野小十郎 Land subsidence!  Crossing the other leg, I nipped cookies. Soft choko-chips. Roughly to say , they have any keen intention to sell these cookies putting such a weighty name as “CHOCO-CHIP-COOKIES”, haven’t they? Why not? As it is,I rather not thought it was a land subsidence. “ Zuooo it sounded. Truly it was a vibrating noise, because perhaps the neighbor roomer picked up the bathtub stopper. Tossing body over the bed, licking up food debris around lips, I saw, through the crossed legs, an electric bulb. This room expresses myself better or worse. Graduated from a professional school. Parents ordered me to go on living all myself. Since then I unified mine room in yellow and orange color to be continued for a while. There remains the trace of my transition in fancy-going hither and thither. They are yellow curtains, a carpet also yellow but a little larger for the room, an orange-color wastes-box, and strawberry-patterned hanging-curtains. My bed is mine favorite one bought as an unbranded goods that had been in parents’ house. Bought much today, ate the whole though. As to the cookies, I recommend soft ones.Speaking of okaki(baked rice-cake), I am for wet okaki. But ‘Non-fellow’ never failed to say, when I alluded to it,“It’s a perverted taste! ”and frowned face. The fixed reciprocations on getting ‘He.s’; each reacts differently. I enjoy the comparison between this and that. I am conscious of the fact and it is nothing but a perverted liking. Even though, Non-fellow’sreactions have been worst. He is a straight person. Entirely he is the one. Not a regular employee myself, but I came to know him while working at a bookstore whose manager he was. He was nearly as old as me, but it might not the reason why he treated me like a friend though he was the manager. We happened to be on intimate terms with each other. And often talked long over a cup of coffee loiteringly at the office after work. Naturally long time passed and it got dark and he drove me home; the office room stank that of coffee; the carpet of it was thin and had some lint-prutruding parts; the room was very small but cozy enough to sit as if in his own den. Me and he became a set of lovers; the night of our experience was too artless to call it one. With a queer feeling along the throat by the choco-chip-cookies and to let the feeling be normal, I stepped toward the refrigerator which I prefer to the others. Had no fixed job, still a single freeter was I. Drinking icy orange juice with my surprising tongue, the liquid went down my throat like a snake creeping through the body tenderly and strangely.     ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]バッカスについて/海野小十郎[2008年3月12日7時47分] バッカスについて  ある日展覧会で奇妙な絵を見た。バッカスと題する絵である。中年過ぎの上半身だけ裸の小太りの男の絵。ダンディとか洒落とかいうところは少しもない。そして思ったこれこそバッカスだと。フランドルかあるいはバルビゾン絵画展であったように思うが、わたしもこれといって秩序もなく、絵を見るのだから、或るときには若冲や大観をゴッホを見、ある時には場末の小さな画廊で思いにふけることもある。といった具合に絵なら何でも見てやろうと言うわけだ。  とにかくそのバッカスの絵がいっまでも心に残る。今日も教会に出席してヘブライ書の講演を聴きながらこのバッカスの絵について、思いはめぐる。ヘブライ人への手紙も使徒パウロの傑作といえる書簡だが、不心得にもわたしはキリスト教から遠く離れて酒神バッカスのことなど考えている。別にヘブライ人への手紙が気に入らないのじゃない。  ヘブライ書は幾度も読んだ。今でもなおへブライ書はわたしにとって新鮮であり示唆に富み芸術の香りも高い。しかしギリシャ神話も見逃せないのではないかとも、少年のころ読んだ幼少向け「ギリシャ神話」がとても印象に残り続けている。  さて、そのバッカスの絵であるが。思うことは、誰かバッカスのことを真剣に考察する人であれば、こんなバッカス像を描き、そこへバッカスについて思い巡らす人が来て見るならば、わたしのような感慨を得て、いやこれこそバッカスだと考えたであろう。だがこの絵が誰が何時描いたものかも注意せず。だが絵だけは今もまざまざと思いに浮かべることができる。もし誰が描いたか何時ごろのものか知っている人があったら教えて欲しい。 ---------------------------- [自由詩]フウテンの辰旅日記/海野小十郎[2008年3月17日8時19分]  フウテンの辰旅日記(その一) おれは途中下車してよ その駅では もう列車はないてよ 夜だったよ 真夜中に違いねえ 腹が空いてよー 左の角に 一杯飲み屋 暖簾をくぐれば 女将さん もう閉店間際 「何にするの?」と おれは二級の酒を一杯 注文した 旨かった タバコはよく吸うのに 酒はあまり飲まない 酒頼んだら 「肴は何に」 て聞く 懐中3百円 「何でもいいよ」て答えると 「じゃあナマコなんかどう」 と女将さん ナマコの酢の物を出す 旨かったなあ、あの酒 とナマコ 生まれて初めて ナマコなるものを食う ナマコはほんとに旨かったぜ その晩は駅で寝て 始発で 当時のガッタン・ゴットン列車で 京都へ 向かったよ ---------------------------- [自由詩]窮理の唄(その2)/海野小十郎[2008年3月20日9時16分] 窮理の唄(その2)   ここに集まる皆の衆 さあさあ、今朝もまた言わん 良くぞ集うてくれたよぞ 窮理の唄のその謂れ その続き、これから語りて進ぜよう 近江の国の東に 三神山という山あり 尊き神の山にして 其のほとりに 二人なる,神の御子と巫女ぞ住む われは其の方の先触れにて 相者と名乗るものなりせば ただただただにただただに 其の方のみ使いにてあるのみぞ3月20日 この日ぞ真理は証せらるるぞ 本日正午、近江の国の湖の 西なる地なる町の 北西に,神の祭壇据えてあり 其の祭壇の上に 真っ白な花備えらるる故 皆の衆皆の衆 行きて其の祭壇に同じよう 白きバラ白き種々の花を供えてくだされよ おそらく神は其の花の 白き色を見てあなたの罪を 許しぞくれましょう 神は心をこめて言われます 何とも何とも何ともぞ かくなしてくだされよ かたがた何を言われます 神がそう言われます 神がそう言われます 神がそう言われます なにともなにともなにともぞ かくなしてくだされませ 相者はそういい終えたりき。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]売春禁止法について/海野小十郎[2008年3月27日12時32分] 売春禁止法について  もうすぐ喜寿にも手の届くわたしなのだが、青春時代の性の悩みにときおり思いをめぐらす。お殿様でも家来でも、貴婦人でも蓮っ葉乙女でも、せいの悩みは同じである、ある高貴な職についていた婦人の申されるには、わたしは売春婦にでもなっていた方が良かった、自分のいまの職業は窮屈といわれる。  若いときのわたしの悩みもまったくこの悩みに似ていた。成年になるのが18歳に下げられたのはいいが今の若者が18歳で責任をになえるかどうかは疑わしいのではないか。体や頭脳は成長の早い現代であるが、悟りや良識は責任を担えるほど発達しているとはっきり言える人が誰かいるだろうか。  凶悪犯や変質者などの増加は低年齢層の劣悪化と繋がっているのに、罰則だけに其の解決を求めても大いに空しい。性欲の問題はもっときめこまやかな接し方をしなければいけないのではないか。私が青春を終えようとしていたころに日本では売春禁止法は成立した。そのころある識者がテレビ会談で、若者のどうにもならない性に対してこの法律は有効であろうかとおっしゃっておられた。私もそう思った。  売春禁止法成立以来私はそのような場所に出入りすることはなかった。性はもうそんなに私にとって問題ではなかったからだ。  しかし今売春禁止法施行約半世紀を経た今、これを振り返り果たしてこの法律が大いに効果を発揮したかどうか考えてみるのは良いことだと思う。  自由を与えるという意味では18歳よりもっと下げるべきである。性交は低年齢層に及んでいる。10歳以下でも可であり、地位や名誉のある人が変質者として検挙されることおびただしく、マスコミを賑わすことになっている。このような状態の解決が何かあるであろうか。現代の犯罪の原因の主たるものは性にある。誰にもこれを取り除くことは不可能であろう。では流れを変えていくより仕方があるまい。  私の言いたいことをずばり言おう、売春防止法の内容を変えたほうがいい。トルコやホスト・クラブやこれに類するものを政府が公に認め、管理し、これにまつわる暗い事件や印象を払底し、アダムとイブ以来の性に対する罪悪感を取り除くよう政府それは日本のみならず各国政府も協力されればよい。 ---------------------------- [自由詩]トーマス/海野小十郎[2008年3月31日13時23分] トーマス 機関車トーマス 機関車トーマス 独りぼっち 今日もまた機関車トーマス ソファーに身をゆだねて ウト・ウトとする 御心が天のごとく 地に成りますように ---------------------------- [自由詩]朝陽/海野小十郎[2008年4月1日13時09分]  朝陽 ご来光輝く 太陽が輝きをます 御神の顔、いっそう輝きて 御神の神殿は如何ならむ この窓に、この窓辺に 神を誉む花を絶えさじ 紅葉の木,来光の光 小鳥飛び交い 枝の間より祈れり 世の幸と、この家に 光留まりて去らず とわに祝福したまえ 黒き雲ふえて 来光は隠る 心に憂い 輝きたまえ 輝きたまえと願えば また一つ、いっそう輝けり ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]面白人生講話(9)/海野小十郎[2008年5月20日16時02分] 面白人生講話(その9)  今日は関東風と関西風について、一杯呑みたいと思います。なんか話をするて言うことは、まあいわば一杯やることなので。自分で酒をこしらえて、まあ飲んでいるということなんです。私は関西でも関東でもなく、まったくの別派なのでその違いがよくわかるんです。はじめて関西に来たときは,それあ困りましたよ。一番困ったのは、人の家に行ったときです。ほかの子供はみんな、上がらしてやといってから人の家の座敷に上がる。ほんの小さなことですが、それがとっても気になった。私の住んでいた所は、荒っぽいところで、人の家にいったってそんなこと言ったこともない。  そしてもっと気になつたことは、人に会うと挨拶をしなければならないことです。5歳から関西は京都ですから、挨拶をするということが大切なことであることは、長い間身につかなかった、結婚して妻に教えられて初めてその大切さに気づいたと言うことです。  関西はとにかく丁寧なところです。それなので体裁ばかりで実がない、と言われるところです。でも別に実のない人ばかりとはいまにになっても思いません。いろんな人に世話になったし、関西は世話好きな人が多いとも十分に言えるのです。  二十歳代に関東それは東京でしたが、行ったときも、ショックばかり受けました。つまりカルチャー・ショックというやつですね。東京はあまり長くなかったので、それほどでなくて、まあ東京は蕎麦屋が多くて、京大阪はうどん屋が多いということが気づいたことの一番目立った点です。饂飩と蕎麦、その違いがそもそも両者を分けるところの大きな違いではないかと思うのです。関東は蕎麦的で関西は饂飩的である。さっぱりした蕎麦とつるつるした饂飩、そういう違いがあるのではないでしょうか。  とにかく相当な距離で昔から離れているのですから、それぞれ独特な文化があることはべっにいうまでもない事です。こう書いてくるともうこれ以上関西関東について特に変わったところがあるわけはないのです。  福岡県・京都市・奈良市・兵庫県。滋賀県この五つに住みましたが、今の滋賀県が一番いいですね。住めば都で人生の半分を滋賀県で過ごしましたが、もうどこにも行きません。 この滋賀で妻にめぐり会い子を育て、キリスト教の伝道者になり、すんでいる周りをくまなく訪れ、インターネットで調べると私の先祖は、この滋賀の近江にあったとのことです。  関東風でも関西風でもない、滋賀は私にぴったりです。自分の住んでいるところを最も愛する。これですそれが一番幸福なのではないですか。 ---------------------------- [俳句]貧乏物語/海野小十郎[2008年5月22日16時31分] 妻昼寝毛布かけてやりけり 妻のショール予約皐月の金 スーパー歩く春日金はなし ---------------------------- [俳句]昼下がり/海野小十郎[2008年5月26日17時26分] 卯の花の咲く花折れの峠道 皐月末心の中の昔かな 静かなりカラコロと妻の風鈴 ---------------------------- [自由詩]午後の呟き/海野小十郎[2008年5月28日13時19分] ワタシタチハ、烏賊ノヨウナモノ タダオヨイデイルダケ モクテキガアッテモ オシツケラレタダケ ワタシタチノ正体ハ ミズノ濃イトコロニ カルシウムガアッテ ミンナデサワイデイルノデス オトコ、オンナ?オナジナノデス セッキョクテキナヒト ヒセッキョクテキナヒト カワッテイルノハソレダケ  ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]The fallen Idols.(part 2)/海野小十郎[2008年6月3日8時25分] The fallen Idols(part2).  人物の偶像は死去という単純なことによって堕ちるが、物という偶像もあることを、昨今のニュース等で身近に知った。石油という物品による支配である。一定の石油しか世界にはないがこれを操作することによって、政治・経済の根底に影響が出る。  例えば単価3.5ドルぐらいのガソリンが小売のスタンドではそのうち10セントぐらいしか利益がないという。であるので米国では販売機械の設置費用を取り戻すことができず、ガソリン小売御者が次々と破産するという。  日本にも同じ影響が出るのではないかと懸念される、早急にこの問題に手を打たねば、社会の存続にさえ非常に悪い影響があるのではないか。  BC3世紀の末の中国で、初めて統一した秦が滅び、漢が起こって再統一を果たしたとき、、 均輸・平準という施策ガ提案され、又塩鉄専売制も同時に出され、これを議した後、国家規模において施行したという。  今日偶然に、テレビの教育番組でこの史実の解説を観て、当時の塩鉄専売制に着目した。石油を政府管理下におき専売制に等しい制限を加えなければ。この問題は解決しないだろう。電車やバスはがら空きで、自家用自動車ばっかり増え続ける日本。そして世界的な旅行ブーム、地球温暖化もガソリンの過剰な使用に大きな原因があるのではないか。石油企業の暴走と専横を観察しつつ、そう思った。  均輸・平準というのも、物流の運搬と流れを規制する約束事の定立であった。温故知新とも言う、グローバル化した地球は、いちおう統一されていると言ってもよいのではないか、地球の主導産物も適正に管理して欲しい。石油も一種の偶像になっているのではないか、かくの如き物にわれわれは支配を受けてはならない。 ---------------------------- [俳句]夏はきぬ/海野小十郎[2008年6月3日15時25分] 花売り場蝶々が来て妻笑う 夕暮れて初夏の花揺れ連れ立ちて 雨の日の初夏の坂本うすらさむ ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]空中炭素固定法/海野小十郎[2008年6月8日15時56分]  空中炭素固定法  私は長い間、空気中の炭酸ガス除去法を考え続けていたが、今日いちおうのアイデアだけを獲得した。これは日ごろ信仰している神の知恵をお借りしたものであると、確信している。  つまりこうである、大きな希塩酸の溶液の中に空気をくぐらせるという方法である、空気は風力によって吸入する。  塩化炭素というウキペディアの項目をクリックすると、不燃性であり消火剤として用いられる4塩化炭素というものがあった。毒性がありオゾン層の破壊に影響するということである。しかしこの物質ができるとは考えられない。空気中には窒素も酸素もある。実験してみなければわからないが、とにかく炭素を固定する役割があることが想像される。 しかし待てよと考えた、塩化炭素は燃えないが、炭化窒素は燃えるかもしれない、ひょっとすると炭化水素も取れることができるとも考えられる。炭化水素はアルコールではないか。アルコールが空中から得られるまたとないチャンスではないか。 そしてさらに、溶媒液について酢酸や硝酸や硫酸にも考えを及ばした.そのうち硝酸液がもっともうよいのではないか、それも希硝酸ではなく濃硝酸がよいと思う、そのほうが反応が早く、効果的と考える。 この薬剤を用いる装置は各家庭の換気扇につなぎ硝酸液と吸気の混交を図り世界の炭化酸素を取り除き空気を正常化することができる。地球の未来はかくして守られるのではないか。またこの装置は発電所やそのほか2酸化炭素の排出の最も多い場所に設置を義務づけるとよいと思う。簡単なアイディアに過ぎないが。誰か真剣に取り組む人はいないものか。 それから一日が過ぎた、私の作ったこの論文の断片を友人である東大で量子化学をやった友人にみせた。友人は言う。グッドアイディアだと、確かに塩酸水に空気を吹き込めば、空気中の炭酸ガスと塩酸が作用して炭酸ができるというのであった。 私のアイディアはいちおうここまでである。炭酸から炭化水素をどのように取り出せるかこれさえできればこの方法は成功である。 読者の皆さんこの方法を考えて欲しい。エネルギー保存の法則、質量不変の法則この二つの原理に感謝せねばならない。これこそ人類に与えられた大きな知恵である。  ---------------------------- (ファイルの終わり)