ホロウ・シカエルボク 2021年4月19日22時29分から2021年10月19日14時13分まで ---------------------------- [自由詩]もしもあなたが詩人になるというのなら/ホロウ・シカエルボク[2021年4月19日22時29分] もしもあなたが詩人になるというのなら その時点で未来はすべて捨てなさい あわよくば名を上げて、などと 考えるのならはじめからやめておきなさい もしもあなたが詩人になるというのなら 恋人に蔑まれる覚悟をしておきなさい そのうえで書き続けることが出来ないというのなら いまのうちにやめておきなさい もしもあなたが詩人になるというのなら 社会の末端で泥を啜る覚悟をしておきなさい 詩の為に社会を断つ覚悟がないのなら 二着で幾らのスーツを買いに行きなさい 友達があなたの詩を読んで要らぬ誤解をしても あなたはその詩を取り下げてはなりません 独りになっても書き続ける覚悟がないのなら 友達と飲みにでも出かけるといいでしょう 同僚があなたの詩を見つけて 耐え難いほどに浅い解釈をぶつけてきたとしても 必ず新しい一行に手をつけなさい 調和が大事だというのなら大人しく蟻になりなさい そんなこと出来るわけない、と あなたは思うかもしれません けれど、わたしはそうして生きてきましたし 今でもこうして綴り続けています もしもあなたが詩を書き続けて わたしのように年月をかさねたあとで もしもわたしがこの世界にまだしがみついていたなら そのときは 美味しい珈琲を飲みながら あたらしい詩を 読ませてくださいね ---------------------------- [自由詩]かみさま、わたしは海を汚してしまった/ホロウ・シカエルボク[2021年4月24日15時07分] あぶくは、空襲の記録フィルムを、逆回転させているみたいに なだらかな曲線を描きながら、届かない水面へとのぼっていきました 遮断された現実の世界の中で、わたしは 眩しくない光というのはこんなにも美しいのだということをはじめて知りました 永遠にも思える落下、その途中で、迷子になってしまうのではないかと思えるほどの、緩慢な 魚たちの態度はあまりにも素っ気なく、もしかしたらこの子たちはこういうことにはすっかり慣れっこになってしまっているのではないかとわたしは考えて それはそれでなんだか世知辛い印象だ、などと、自分のしていることも忘れて ずっとなにか、目を覚ましなさいと身体を揺さぶられているみたいな感触があり それでもわたしは意固地になってにやにや笑っているのでした あれはいつのことだったか、ひとりで暮らすようになって間もないころだったように思います 溶けたアイスクリームを、浴槽に満たしたことがありました、甘い匂いを感じながら、わたしは 裸になってその中に浸かりました、剃刀で手首を切り裂くとどうなるのだろうか、確かそんなことを試したくなったのだったと思います 一見、そこでは何事も起こっていないように見えました、けれど、ひとたび切り裂いたほうの腕を持ち上げると、乳白色の海の中から真っ赤な塊が現れて、わたしは、ひどくびっくりして、同時にものすごく可笑しくなって 長いこと長いこと、そこで笑い続けていたことを覚えています、思えばあの時、どうして助かったのか、いくら思い出そうとしても思い出せないのです きっと、あの瞬間の記憶に比べればそれは、まるで取るに足らない下らない記憶だったということなのでしょう 人生を堅実に生きることが美徳だと言われます、特に最近は、神経症的にそんなことが囁かれている気がします、だからといって 道行く人の誰もが、まるでそんな風に生きているように見えないのはどうしてなのでしょうか 人間は記憶の砂地の上にどうにか立っているだけの生きものです、確かなものなどこの世の中にはなにひとつないのです、確信はただの自己満足です、それが理解出来ないのであれば、それはとても悲しいことのようにわたしには思えます わたしは頭を下へと入れ替えて、もっと沈んでいく感じにします、そう、なんというか、落ちていく感覚を強くしたかったのです ぼんやりと見つめながら、ああ、どうして、こんなになにもかもが口を閉ざしている世界で生きていくことが出来なかったのかと、そんなことを思います そうだね、思えばあなたは、と、わたしは鮫の背中に映った自分自身に話しかけます、あなたはいつでも自分の心で遊んでいるだけだったよね、と 喜びも悲しみも厭世観も焦燥も、すべて、笑いごとにして遊んでいるだけだったよね、と、それから、いいわけをしようとしましたが、鮫が行ってしまったせいで、わたしはなにも言い返すことが出来ませんでした、それは後悔といえばいえるものでしたが、でも、ほどなくどこかへ消え失せてしまう程度のものなのだと思います なにもすることがない日には、いつも、忘れられた公園の隅の公衆電話の中で受話器を耳に当てていました、お金も入れず、ダイヤルも押さず そもそも、それが生きているものなのかどうかすらもわたしは知りませんでした ただただ、冷たくて固い受話器の感触が心地よかっただけなのです、そんなものを気にする人がわたし以外に居るなんて思えませんでしたし わたしは次第にそれをするために用事を作らないようになりました、だからとてもとても退屈になって、そして公園に出かけるのでした ところがあるときその電話はわたしに話しかけてきたのでした、あなたはいったいなにをやっているのか、と、あなたのしていることが少しも理解出来ない、と わたしは必死になって説明をしましたが、到底わかってはもらえませんでした、当然のことです、だって、わたしにもそれがどういうことなのかはまるで理解出来ていませんでしたから わたしが公衆電話を離れて公園のベンチでうなだれていると表通りからサラリーマンがやってきました、高い香水の匂いをさせ、髪を妙な色に染めた、少し小太りの中年でした、どうしたのかい、と彼は優しい声で聞いてきましたが、目的は明らかでした こんな日向に居てはいけない、と、彼はわたしの手を引いて木陰へ連れて行こうとしました、わたしは大人しく従うふりをしながら、カバンの中から個人的に研げるだけ研いだペーパーナイフを取り出し、後ろから男の喉を切りました、ふっ、という声を出して男はよたよたと木にもたれ、そのまま座り込んで動かなくなりました、わたしは思っていたより上手く出来たことに嬉しくなりました、ペーパーナイフを鞘に戻し、カバンに入れました、それを持っていた右手にも血のあとがなかったので安心して公園をあとにしました サラリーマンはそれから三日ぐらい見つけてもらえなかったと記憶しています この世界はきっとつまらないんだ わたしはそれを悟りました マンボウがわたしを見つめながら死んでいきました、わたしは思わず吹き出してしまい… ---------------------------- [自由詩]ただ、風に揺らぐように/ホロウ・シカエルボク[2021年5月10日18時27分] 光線は不規則にそこかしこで歪み、まるで意識的になにかを照らすまいと決めているみたいに見えた、ガラス窓の抜け落ちた巨大な長方形の穴の外は無数の騎士たちが剣を翳しているかのような鋭角な木々の枝で遮られているのだ、断末魔のような声で鳴く鳥がその枝のどこかに居るようで、くっきりと浮かび上がる音といえばそんなものくらいだった、もとは木材かなにかの内装が施されていたのかもしれないが、途方もない年月が過ぎたのだろういまとなっては、ただただ剥き出しのコンクリートが手の込んだ墓標のように突き立って居るだけだった、時間はようやく夜から朝に完全に入れ替わったばかりで、初夏といえど山頂では肌寒さすら感じるほどだった、どこかから滲みだしているのか、水の滴る音が微かに聞こえていた、耳を澄ましているとそれはまるで無差別で無意識で無意味な催眠術のように聞こえてくるのだった、あとはただ、もはや明確な意識すら亡くした過去が、水族館の巨大水槽をゆっくりと泳ぐピラルクのようにがらんどうの空間を移動しているだけだった、そんなところに佇んでいると、今年の初め、アナフィラキシーショックで意識を失くしたときに見た夢のことを思い出した、その夢の中で、どこか、存在しない空間の中で、実際には居ない誰かと待ち合わせをしていた、そこに、偶然久しく会っていなかった、実際には居ない知人と出くわす、本当に久しぶりだね、なんて会話をして、このあとヒマかと尋ねられ、悪いんだけどいま待ち合わせをしているんだ、と答える、そうか、残念だな、と彼は答え、じゃあ、またどこかで、と言って去っていく、そんな夢だった、気付くと処置室のベッドの前で車椅子に乗せられていた、夢からすぐに帰ってこれず、一昔前のドラマで見る光景のように、わけがわからず狼狽えた、ああ、あれはとてもリアルな表現なんだな、とあとになって考えた、手摺も何もない二階への階段を上がりながら、あのとき、もしも待ち合わせの約束を反故にしてそいつについて行っていたら、と考えてみる、そのときは、こんな階段ではなくて天国への階段を上るハメになっていたのかもしれない、いや、もちろん、地獄への穴を真っ逆さまに落ちていたのかもしれないが、地獄か、清いものだけが穏やかに微笑みながらのんびりと過ごしているところより、無数の悲鳴がこだまするおぞましい光景のほうが落ち着くかもしれないな、それはいま住んでいる場所とあまり違いがないように思える、ただ、成り立ちがまるで違うだけなのだ、心の悲鳴か、実際に聞こえる悲鳴か、それだけのことだ、階段を上りきると、建物の内側をすべて使った広間が現れた、一階と同じようで違う光線が壁や床を切り裂いていた、床の一部分がへこみ、天井から落ちてきたらしい水が溜まっていた、あの音はここから聞こえていたのだろうか、けれど、どれだけ見上げてみてもそこから落ちてくる水滴は確認出来なかった、水滴にも意思があって、人間が見上げている間は落ちてこないのかもしれない、広場の一番奥にはステージのような空間があった、どこかの野外劇場のような殺風景なステージだった、そちらに向かって歩いていくと、空気に少し圧力のようなものが感じられた、目に見えるものはなにもないのに、なにかで満たされている、そんな感じだった、そういう感じがする場所というのはたまにある、こうした、かつて人が集う場所であったもの、あるいは、居住区、それから、大型家具店の、ソファーやベッドなんかを売っているスペースには、必ずそういう感じがする場所というのがある、ステージの脇に回ると数段の階段があった、そこを上るとさらに圧迫は強くなっていった、ステージの中央に立って、さっき歩いてきたところを見下ろした、足元が歪み、揺れるような不安定な感じがあった、どこにも繋がっていないところへ落ちるのではないかという不安が巻き起こった、けれど動かずにじっと立っていた、世界はきっと便宜的に実存を余儀なくされている、確かにそこに在るというものなど本当はひとつもありはしないのだ、そうだよな、とそこに集まっているなにかに思わず話しかける、窓であった空間からこちらを覗き込んでいる木の枝が、嘲笑するみたいに束の間かさかさと揺れた、ふらつきながら舞台を去り、一階へ戻ると、嘘のように空気は静かになった、目に見えるものばかりを信じるのは愚かだ、だけど、目に見えないものに踊らされ続けるのはもっと愚かかもしれない、確かにそこに在るというものなど本当はひとつもありはしないのだ、必要なことは多分、それらすべてをそのまま受け止めることなのだ、建物をあとにすると、途端に鳥たちが騒ぎ始めた、あいつらもきっと、自分だけにしか見えないものを見つめ、そしてそれをどこかへ吐き出したくてしかたがないのだ、そのときなぜかそんなことを思った、いつのまにか汗が滲むほどに気温は上がり始めていた。 ---------------------------- [自由詩]地上の三日月/ホロウ・シカエルボク[2021年5月14日21時49分] 嗄れた外気の中で、うたは旋律を失い、ポエジーは冬の蔦のように絡まったまま変色していた、ポラロイドカメラで写してみたが、案の定浮き上がった風景にそれらは残されてはいなかった、なのでそれを幻覚だと認識したー幻覚だと認識した?ふざけたフレーズだー空では黄砂が入れ過ぎた砂糖のように踊り、それが原因なのかどうかは分からないが目の端が痒くてしかたなかった、雨の続いた数日のあとの晴れ間、街は安堵と上がり始めた気温へのため息で陽炎のように揺れていた、放置された小さな公園では色の無い草が高く伸びて、ずっと眺めていると草むらに間違えて滑り台が生えてきたかのように思えた、数の多いものが正しい、この小さな世界の定説というやつだ…欲望は溜まり始めていたがピントが合っていなかった、まだしばらくは悶々とし続けるだろう、続けられるということは、続けられないことより不幸かもしれない、時々はそんな風に思ったりもする、けれど、続けられるのにやめてしまうのは幸や不幸ではなく愚かなのだ、長いこと、語り続けてきた、手を変え品を変え、ペンを走らせ、キーボードを叩きーたったひとつのことを貫くためには様々なものに手を付けなければならない、右へ行き、左へ折れ、時には戻り…求めるままに動いていてあるとき、必ず踏まれているラインに気付く、それが自分のスタンダードだと少しずつ知っていくのだ、スタイルもスタンスも要らない、ただあるがままに吐き出していけばいい、複雑に入り混じった曲線であったところで、それがその時の自分にとって一番差し出したいものならそれは素直さなのだ、テキストだけを妄信するものが生み出すのはいつだって良く出来た二番煎じだ、型枠にそって流し込まれるものなんてコンクリートだけで充分さ、そうだろ?俺はいつだって自由さを求めてきた、魂の拘束を解き、リズムに乗り、高みへと連れて行ってくれるものを求め続けてきた、その高度はずっとずっと高まり続けている、おそらく死ぬまでその頂上を見ることはないだろうーだけど、結局のところ、答えが欲しくてやっているわけじゃない、答えはすでに出ていると言ってもいい、結局のところ、そいつを選んだその時点で答えというのはすでにほとんど出ているのだ、だから、俺は特別それを欲しがるような真似はしない、必要なのは追い続けるという意志だけさ、そいつが人にいろいろなものを見せてくれるんだ、表通りに出て、車が途切れるのを待って対岸の歩道へと渡る、ポラロイドカメラに写せるものはあまりない、けれど、そこには手の込んだ真実が隠されている、アナログなものには手間が必要な分だけそういう小癪な要素がある、歩くリズムを少し早くする、アスファルトを積んだダンプがオイル臭い熱気を落としていく、口の中が汚れた気がして側溝に唾を落とす、もちろん、人の流れが途切れた瞬間を見計らってだ、幼いころにもこの通りを歩いた、車や、人の流れからある時、自分だけが薄い膜に包まれて隔離されたみたいな不思議な感覚があった、思えばあの頃からずっと同じ景色を見ようとし続けているのかもしれない、真っ当な大人なら、厭世観とでも呼ぶようなものかもしれない、なんだっていい、ネガだのポジだの区分けしてどうこう言ったところでなんの意味もない、所詮ひとりの人間の感情というだけのことだ、社会にとって都合のいい人間になれるだけのセラピーなんかに騙されちゃいけない、内に宿るものがどんなに綺麗なものであれおぞましいものであれ、それが自分を突き動かすなら黙って勢いに乗ればいい、肉食動物の捕食シーンみたいなものだ、美も理由もおぞましさも…生きるために必要なものはすべてそこにあるということだ、この俺が持つべき牙は?この俺が食らいつくものは?この俺の生きるべき理由は?俺はいつだって自分自身を敵に回す、そうさ、俺にとっちゃフレーズってのは、自分自身を切り刻む刃物みたいなものなんだ、余分なものを削ぎ落して必要なものを残していくのさ、なにが余分なものなのかって?柔らかくてすぐに剥がれ落ちてしまう部分のことさ、もっともーそっちの方を大事にしてる人間のほうが圧倒的に多いんだけどねー昔からそれが不思議でしょうがないんだ、きっとあいつらにゃ、他に信じるようなものを見つけられないんだろうな…本当に値打ちのあるものは探さなければ見つけられないってことさ、トンネルのほうへ歩く、トンネルの入口の横にある、封鎖された道路の先には防空壕の跡があるという話だ、確かめたことはないけどねー破れたビニール傘が歩道の真ん中に捨ててあった、足でそいつを隅へ寄せながら歩いていると、ありがとう、と声が聞こえたんだ、俺は振り返った、けれど、そこにはKOされたボクサーみたいにくの字になって転がっているビニール傘がいるだけだったんだ。 ---------------------------- [自由詩]飢えた魂は余計な肉をつけない(リロード)/ホロウ・シカエルボク[2021年5月16日21時54分] 廃れた通り、その先の名前のない草たちが太陽へと貪欲に伸びる荒地のさらにその向こうに、梅雨の晴間の太陽を受けて存分に輝く海があった、水平線の近くでいくつかの船が、運命を見定めようとしているかのように漂っていた、今日目にした世界のすべてだった、時間は巨大な和車が回転するかのように流れ、晩飯を掻き込んだあとはぼんやりと音楽を聴いている、誇りとこだわり、自意識と世界観、そんなものは社会では何の役にも立たない、おまけに妙な病を頂き、汚れ仕事で泡銭を稼ぐこの頃だ、意地だけが俺を生かし続けている、言葉を殴り書き、脳を研ぎ澄ませる、存在を語るには途方もないフレーズが必要だ、どれだけ並べてもそれは足りないと分かっている、だから躍起になって書こうとするのだ、口先の小競合いで目先の勝ちを拾い合うような、間の抜けた真似など出来るわけがない、そんなことを続けてもどこにも行けないぜ、満足出来ないものになんて俺は興味ないんだ、満たされる、とは、どういうことか分かるかい、それはなみなみと注がれるイマジネーションだ、そしてそれは、俺自身の奥底の血が、フレーズとのまぐわいによってかたちを変えたものなのさ、いいかい、世界は物差しで測れなどしない、その尺度は目盛りなどで知ることは出来ない、お前はいつだって世の中を簡単に考え過ぎてる、真実は、考え過ぎてはいけないということはない、どれだけの要素を投げ込んでもかまわないものさ、つまりそれは理論でもない、感覚でもない、それらすべてで構成されるべきものなのさ、ただ、同じ言葉を繰り返すなんて愚の骨頂だ、この世界には使いきれないほど言葉が溢れているというのにね、最近俺は思うんだ、言葉は、それによって構成されるフレーズ、文章は、それ自体が書いたやつの人生を語っていなければならないってね、どんなに本を読んでいようが、しかるべきところで学ぼうが、たくさんの語彙があろうが、そいつを自分の言葉として使えないのならまったくどんな意味もありはしないのさ、ただ出来のいいものが出来る、それだけのことさ、いいかい、俺がやりたいのはスノッブな連中の暇潰しとはわけが違う、内奥で咆哮する野性を静めるための儀式、神聖な行為なのさ、おっと、勘違いするなよ、俺はどんな宗教も信じてはいない、俺が信じているのは神様だけさ、それはしいていえば、教義を行うものでも、奇跡を見せるものでもない、なにか、巨大な、超自然的な意識体のようなものさ、それが俺が感じている神の姿だ、俺は時計を見る、あと数時間もすれば眠らなければならない、この頃やたらくっきりとした夢を見るんだ、もしかしたらそれは、これまでよりも多少身近に死を感じているせいかもしれないね、いや、危ない話じゃないよ、少し危ないレベルにまで体調を崩したことがあったってだけの話さ、なあ、こんなこと言うとどんなふうに思われるのか想像もつかないけれど、死の力って凄いんだ、なにかこう、なし崩しにすべてを奪っていくんだよ、ああ、これは死んでしまってもしかたがないかもしれないな、そんな風にいつの間にか考えてしまう、あの時までは、そろそろもう病気か何かで死んでしまってもそれはそれでいいのかななんて考えてた、でも、いざそんな目に遭ってみたら、こいつは絶対に認めたくないなと思ったよ、なにがなんでも生き続けたいってね、自分には気付かないところで、少し草臥れていたのかもしれないな、下らない街でもがきながら人生を書き殴る暮らしにね、だけどね、いつかも書いたことだけど、新しいことってどこからでも始まるんだ、現に俺はいまでも、なにかしら見つけているし、なにかしら知り続けている、こいつには終わりがないぜ、感覚的な終わりのことさ、本当の終わりは死ぬことにしかないのかもしれない、そして死だってもしかしたら、新しい始まりなのかもしれない、いいかい、生活に慣れたらいけない、そこに慣れてしまったら、人間はそこまでのことしか考えなくなる、それはもう巨大な蟻とか蜂みたいなもんだぜ、そして一分一秒が、一時間が、一日が、ただただ過ぎていくだけになってしまう、ぞっとするぜ、俺はごめんだね、常に新しい世界を求めて、知っていくんだ、その上で、やるべきことをやり続けるのさ、世界はフレーズに溢れている、それを無視して生きるなんて出来っこない、俺はいつだって飢えている、求めて、探している、幾つになろうが同じことさ、なんで歳を取ったからって変わらなくちゃいけない?そんなのは大人でもなんでもないぜ、そんな世界で得られるものになんて何の興味もない、なあ、若さを売りにする君は、歳を取ったら口を噤むのかい、きっと、年の功を武器に喋り続けるに違いないぜ、俺は俺なのさ、ごらんよ、俺はまだ、書き始めた時とほとんど変わっちゃいない、成長とは本来、純化のことなのさ、俺はそいつを身をもって知っている、そして昔よりも、多少は上手くそれについて語ることが出来ていると思うぜ…。 ---------------------------- [自由詩]神経組織の夢/ホロウ・シカエルボク[2021年5月23日21時16分] 夜を埋め尽くす雨音、夢は断続的に切り取られ、現実は枕の塵と同じだけの…薄っぺらい欠片となって息も絶え絶えだった、寝床の中で、やがてやって来るはずの睡魔を待ちながら、もう数時間が経っていた、かまわない、と俺はひとりごちた、眠れないことに悩むほどもう子供じゃない、小さなころからそんなことは幾度もあった、甲状腺を壊したときなんかもうまったく眠りなんてものとは程遠い状態で、真夜中に墓地ばかりの山に登って一周したりしたこともあった、俺はある意味で眠り方を忘れる天才だった、何度出来るはずだと信じてトライしてみたけれど、いつだってそれは失敗に終わった、眠れない夜には、眠る必要がないのだと思わなければまた同じ夜が始まってしまうだけだ、そして音楽は途絶えなかった、薄っぺらいハードディスクの中に無数のデータが詰め込まれていた、それはこれからも増え続けるだろう、容量にはまだ充分に余裕があった、その未使用区間を示す表示が意味するところは、もしかしたら眠れない理由と同じものなのかもしれない、類似、比例、様々な感覚が様々な誤差を持つ言葉で語られる、太い木の枝を細いナイフで少しずつ削るように、物言わぬ夜は時を回転させていく、そんなイメージは骸骨を連想させる、削がれて、削がれて、削がれ切ったあとのシルエット、骸骨になっても立ち続けていられるように俺は詩を書いている、虫に食われた跡を掻き毟って出来た瘡蓋を爪の先で剥いだら、驚くほどに赤い血液が静かに頭をもたげた、その血を舐めて、水を飲んだ、血は、身体の中で血に還るだろうか、それとも、まるで関係のない別の何かになってしまうのだろうか、俺はぼんやりと考え込んだ、頭の中を虚無が支配していた、きっと俺はそいつの居場所を作るためだけに脳の中を空っぽにしようとしているんだろう、望もうと望むまいと、すべては更新され続ける、知力、体力、視力、張力、容姿、ひとつとて同じところに留まりはしない、変わり続けようとしているのか、それとも変わらずに居続けようとしているのか、正直なところ俺自身にも分からない、けれど、そんな願望の内訳を知ることが人生の目的ではない、例えば強い波が自分を巻き込もうとするなら、そのまま流れに任せるか、抗うかを決めるだけだ、そこに、妙に考え込んだ動機など用意するべきではない、そんなものを揃えていたらあっという間に時間切れだ、運命とは瞬間的なゲームだ、選択、それ自体が重要なものではない、そのあとに動き出すためにたくさんの時間が必要なのだ、俺の言ってること分かるか?選択は、入口のドアを開けるだけのことで、重要なのはそのあとの行動だということだ、夜はまだ生き続けている、おそらくは俺よりも鮮やかに黒く、黒だけがすべてを塗り潰せる、だからこそ、夜の中で生きることには意味がある、思考がそのまま命を持つ、何に遮られることもない、眠らなければいけないことなどもう気にする必要はないのだ、そのことで明日の幾つかを失うかもしれない、だが、得ることの裏では必ず何かを失っているものだ、俺が間違ったことを言っていると思うか?心当たりは幾つだってあるはずだよ、本当はその比率は、いつだってイーブンのはずだ、どちらかに印象が偏ってしまって、気付けていないだけのことなのさ、いつだってね、そうでなけりゃ肉体と精神のバランスは崩れてしまう、生きるためのテンションが狂ってしまうんだ、剥がれて、?がれて、剥がれ切ったあとのシルエット、生きている骸骨にならない限り本当のことは歌えない、だからこそ人生は一瞬の夢なのさ、俺は人生を賭けて無数の言葉を、無数の嘘っぱちを排水溝に垂れ流す、なぜなら真実は点滅に過ぎない、真実であり続けることなど誰にも出来やしない、確信を語るなよ、それは何よりも恥ずべきことだ、再び体内に取り入れられた血液は、はらわたで沸き立ちながら最も実感を持った言葉たちに変わる、それを語れなければ嘘にもなれない、嘘にもなれないのだ、生きている骸骨にならない限り本当のことは歌えない、もしかしたら俺は、死んだ後に得るものに焦がれているのかもしれない、あるいは、死の瞬間にこの目に映るものに、死の瞬間、人は惑わされるのだという、脳の機能が低下して、在りもしないものを目にするのだという、ならば、生きているさなかに人が目にするものは真実だというのか?脳味噌がまともに機能したところで、人間は真実など見ることは出来ないのだ、そう、見たような気になっているやつはたくさん居るけどね、すべては無意味だ、だから、俺は意味を求める、それは決して手に入れることが出来ないものだ、そう、だから俺はそれを求める、あるとかないとか、そんなことは問題ではない、どうでもいいのだ、ほんの僅か、瞬きの瞬間にそいつを垣間見ることが出来たら、生き残ったことを後悔しなくて済むだろう、人生とは樹木だ、切り落とした方がいい枝にも、そうしてはならない理由というのが必ず存在している。 ---------------------------- [自由詩]適切な靴を履いて歩いている薄汚い夜の現象/ホロウ・シカエルボク[2021年6月6日22時09分] ねじられ、路肩の排水溝のそばに横たわった煙草の空箱が、人類はもう賢くなることはないのだと告げている、六月の夜は湿気のヴェールをまとって、レオス・カラックスの映画みたいな色をしている、そしてこの街に、ジュリエット・ビノシュなど居ないのだ…あえて言葉にして語ろうとするならそんな気分だった、そしてもうご存じの通り、それは言葉にするほどのものでもなかった、同じ夜、もの心ついたときから幾度となく繰り返してきた、同じ夜、同じ風景、俺は年端も行かぬうちから疲れ果てていて、ウンザリしていた、ウォホールの未整理のフィルムを延々と見せられているような気分だった、そしてそこにウォホールの目線など存在しやしないのだ…駄目だ、妙な遊びが始まってしまっている、安物の靴は軽くて丈夫で、おまけに歩き疲れなかった、そしてどれだけ強く踏みしめても、葉を撫でるみたいな足音しかしなかった、それだけでも気分は少しだけマシだった、そもそも俺は靴を買わな過ぎるのだ、こいつにしたって、散歩中に突然、それまで履いていた靴のソールがパカッと外れたせいで慌てて買ったものだった、そういえばーいま身に着けている服はいつ買ったものだったろう?もう二年か、三年は前に買ったものに違いなかった、服もそうだった、買わな過ぎるのだ…だからなんだ?別に困ることもない、ハナから流行など関係ないようなものしか持っていない、洋服などあれこれ凝ったところでなんになるというのだ?「俺は服を着ている」ただそれだけのことだー外灯の光が湿気のせいで丸く膨らんでいる、二十三時にそんなものを眺めていると、地球の内部の図解を思い出す、地殻とマントルと核…だったっけ?「地球の中には別の文明がある」って話のほうが俺は好きだけどねー近頃は感染を恐れて、うろついて飲むぐらいしかやることのない連中も流石にちらほらとしか見かけない、誰とつるむこともなく、黙って、そんな通りを歩いていると、これはとことんシンプルに表現された俺の人生だという気がした、でももう、そんな考えに一喜一憂するような時間は過ぎた、なるほどね、と適当に納得しておけばそれでいい、なにもかも落ち着くところに落ち着く…生きて、何かを見て、何かを感じて、そこに自分なりの見解というものがあればそれでいい、世間にばら撒かれているものを鵜呑みにするほどに馬鹿には生まれなかった、それだけでも良しとするべきだ、ふと、友達がピアノで弾いてたビリー・ジョエルのナンバーが頭の中で鳴る、あれ、なんて曲だっけな?そんなことを気にしていると信号をひとつ無視した、けたたましいホーンを鳴らしながら悪趣味な装飾を施した軽が背中を通り過ぎる、テールライトをギザギザにして、タイヤを少しハの字にするという美意識、多分一生理解出来ることはないだろう、あれはボンタンと同じ美学だ、下品な魚が好んで食べるおぞましい生きものみたいなものだ…だけどさ、そんなものばかり食ってるやつらのほうが多ければ、そいつらが正しいみたいな空気が自然に出来ちまう、群れて騒げば何とかなる、愚者の思想はいつだって同じところに行き着くのさ、それが正しいか間違ってるかなんてことはどうでもいいんだー真夜中の駅に辿り着く、最終便はもう出てしまって、ほとんどの灯りが落ちている、良かった、と俺はひとりごちる、こんな夜にまだ、どこかに行ける便が残っていたとしたら、俺は衝動的に乗り込んでしまっていたかもしれない、そういう感情は説明がつかないものだ、人間はおそらく、自分の本質の為に生まれ、生かされる、選択するかどうかは自由だ、もの凄く分厚い本を見せられて、それを読むかどうか問われるのだ、面倒臭いと読まない方を選択したら、そこからの人生は実質空っぽだ、ただひたすら自己満足を追いかけるだけの人生だ、読み始めたところで、それはすんなりとは進みはしない、文章として整理されておらず、字も小さく、表現としても難解で読み辛い、けれどー読み進めれば必ず何かは得ることが出来る、そして、何かを考えることが出来る、面倒臭い方へ、難解な方へと踏み込んでいかなければ、本当に身になるものを掴むことは出来ない、即決は避けることだ、ひとつの事象に、三つ以上の見解を必ず持つべきだ、バリエーションの中から一番しっくりくるものを見つけ出す、その繰り返しが居心地のいい場所へと自分自身を連れていく、そうーこんな薄汚い通りを歩きながらでもね…捨てられたのか盗まれたのか、それとも忘れられたのか、歩道の真ん中に自転車が横倒しになっていた、そいつを起こして、道の端に寄せる、そんなことをしている俺を見て、二人の若い女が馬鹿にしたように笑いながら去っていく、それが彼女たちの美学なのだ、俺は首を横に振る、彼女らも誰かから生まれてきて、百年近い人生を与えられたものたちの二人なのだ。 ---------------------------- [自由詩]ヘイ・ヘイ・マイ・マイ/ホロウ・シカエルボク[2021年6月8日22時50分] おまえの首筋は、薄氷のような 心もとない血管を浮き上がらせて 口もとはうわ言のように ニール・ヤングの古いメロディを口ずさんでいた 空はどぶねずみの 毛並みと同じ色をして 悲しみにくれたおんなのように いまにも ぼろぼろとこぼしてしまいそうに見えた どうしようもない焦燥のルーズ 使いみちのない板に戯れに打ち込んだ錆びた釘は 飾り終えた生首みたいにうなだれていた 色の無い注射の午後 路上駐車をめぐって 男女が諍いをしている ラジオは折悪しくニルヴァーナを流していて まるでカート・コバーンのせいみたいになってる 大きな流れはどこかで砕かれて 四方八方で断続的に吹く 弱い風のようなものになった おれはオペラグラスを手にして そのくせ覗いてみようとはしなかった マットなグリーンのメルセデス・ベンツ 運転手がハンドルに突っ伏している あとで分かったことだが 持病が災いしてそのまま死んだそうだ 甘いコーンフレーク、そのあとの 機銃掃射のように浮き上がる蕁麻疹 あちこち弛んだみすぼらしい連中が おれの肩甲骨のあたりになにごとか囁いている あるいは、遠くで 遠慮すんな、ここまで来い、おれの目の前に ま そんな度胸があるとも思えないけどな 悲鳴が上がる 路上で揉めてたどちらかが刃物を使ったらしい 男のほうか、女のほうか? 血を流しているほうが被害者とは限らない おまえは かさぶたのように崩れ落ちる おれは 気付かないふりをしてパールジャムを聴いてる ---------------------------- [自由詩]深い夜の砂漠/ホロウ・シカエルボク[2021年6月13日21時53分] 回転体のオブジェの間を潜り抜けて、濃紺の闇の中で和音の乱れた子守唄を聞いた、心の中に忍び込んだそいつらの感触は夕暮れに似ていて、ノスタルジーは現在と比べられた途端に苛立ちへと変わる、犬のように牙を剥き出しにして、だけどフレーズとして生まれようとする衝動だから、進化を求めることが出来る、アドレセンスの扉は閉ざされることはない、共通概念や社会通念を言い訳にはしない、逃げ道を用意する人間たちのみがそんなものの中に溶け込んでいく、貨幣価値と同じレベルのイズム、彼らの人生は鮮やかにデータ化されることが出来るだろう、数十年をルーティン化して生きるなんて、能動的な洗脳にも似た悍ましさを何故に誇らしく生きることが出来るだろう、現状維持だけが命題の人生の中でどんな器を満たすことが出来るだろう、パースのおかしな小動物が何匹か寄って来る、彼らはおそらく餌を欲しがっている、手を高く差し出して爪を切って見せると、彼らはアリクイのようにとんがった唇でつんつんと突っついたのち興味を失くして去っていった、一匹だけが居残ってその欠片を啄んだが、静かに、座り込んで、春の窓辺の眠りのように穏やかに死んでいった、そいつらのことを何も知らなくて良かったと思った、知らないやつの死はそれほど悲しくはない、たとえそれが人間であってもね、歩き続けると次第に子守唄は聞こえなくなった、単に遠ざかっただけか、あるいは歌っていた誰かがどこかへと行ってしまったのか、とにかくその世界は静寂に包まれた、歩いている俺が立てる音以外どんな音もなかった、フィルムの色褪せた砂漠のような光景だった、足元の砂の深さでもう生きものが居ないだろうことを知った、さっきの小動物はもしや、もともとは誰でも知ってる生きものだったかもしれない、いまさらのようにそんなことを考えた、でもなにもかもがもう遅かった、もしそうだとしても彼らは形が変わり続けていたし、こちらはこちらで気まぐれが過ぎたのだ、わずかな隆起のほかはなにもなかった、歩いている理由も理解出来なかった、けれどそんなことはもう問題にはならなかった、理由ありきで進行する出来事など本当は数えるほどもありはしないのだ、要は、そこに後付けが出来るかどうかという話なのだ、だから、もう理由にはこだわらなかった、わけのわからない場所だろうと、存在の為に行動することは同じなのだ、疲れは感じなかった、見慣れない風景がそうさせるのだろう、自分ではそれほど明確な衝撃を感じてはいないつもりでも、身体のどこかが高揚しているのだ、景色、景色が変わることは大事だ、そうは思わないか?同じ景色は人間を麻痺させる、その麻痺は始末が悪い、相当な毒だが、不思議なほどに疑問を抱かせないのだ、余程巧妙なシステムか、あるいはトラディショナルがあるのだろう、気付くとその場所で人間は人間ではなくなる、もはや洋服屋の中に立っているマネキンと同じくらいの存在意義しかなくなる、御覧、マネキンの束だ、のっぺりとした表情で立ち尽くしている、悍ましい光景だ、さっきもそんなことを思った気がする、関りがループしている、比較対象が明確になり過ぎている、それはブラフだ、ただふたつの世界が比べられているだけに過ぎない、現象としての認識が甘すぎるのだ、いわば、見えるものにとらわれすぎてその奥にあるものを感じ取ることが出来ないでいるのだ、少しの間なにも考えることがないようにと努めて歩いた、リセットというわけじゃないが、一度対象との距離を取ってみることはとても大事だ、最初に感じたことに夢中になってばかりいると大きなものを見落としてしまう、それで少しの間、頭を空っぽにして歩いた、そうしてどれだけの時が経ったのだろうか、やはり疲れは感じていなかった、興奮や体調のせいではない、そこには何か別の原因があるのだ、これは観念的な世界の中での出来事なのかもしれない、簡単にいうと明晰夢のようなものを見ている状態なのかもしれない、けれど、それはしかし、観念的というフィルターを通してみるとあまりにも死のにおいが立ち込めていた、俺は初めて混乱した、俺自身になにかあったのではないかと不安になったのだ、けれど、ここに来るまでのことは思い出せなかった、だから、その問題は後回しにすることにした、そうしなければなにも片付かないだろう、歩いているうちに、そういえば砂地の上など歩いたのはどれくらい前のことだろう、とふと考えた、大人になってからはもう何年もそんなことをしていなかったように思えた、もしかしたら、幾つかの出来事を忘れているだけかもしれない、一度記憶に不信感を抱くとそんな考えが当たり前のように頭をもたげてくる、そのままこだわらないで歩き続けることも出来た、けれどなぜかどうしてもそのことについてはもう少し考えたかった、砂上に座り込んで、脳味噌の中を掻き回した、やがて俺の身体はさらさらと砂のように崩れ落ち、それまでそこにあったものたちとなんら変わらないものになった、ほんの一瞬、ささやかな風が吹いて、底に誰かが腰を下ろしていたかもしれないと思えるような小さな窪みも初めから無かったかのように消え失せていた。 ---------------------------- [自由詩]サンデー・モーニング(ダンス)/ホロウ・シカエルボク[2021年6月20日9時20分] おまえはやわらかなうたを抱いて 音のない振幅をくりかえす サンデー・モーニング、ディランは60年代のまま 新しい世紀にまた産声をあげる 高圧電線のそばで甲高い鳴声をばらまく鳥たちには きっと終末の景色が見えているのだろう トーストとコーヒーを胃袋にとどけながら 人生の最期の食事はきっと こんなものになるんじゃないかなんて考えた そこにどんな気分も存在しなかったけど それは取れない腫瘍のように心臓まで沈み込んだ 夏は光の沼 すでに溺れかけている 13日の金曜日、一作目を見たことがある? 野暮ったい映画だけど ラストのクリスタル・レイクが残酷なほどうつくしいんだ おれは夏になるとあの光景を思い出す まるで自分があのときそこに立っていたかのようにね ジェイソンは存在する、だれの心のなかにだって でなきゃスプラッタ・ブームなんてなかったはずさ 朝食が消化器官で搾り上げられて断末魔の声をあげる おれは排水管の詩が書けないかなどと考えている ニュースは病的なまでに今日の感染者数を報じ 医者だの政府だのの見解をくりかえす 人間はふるいにかけられるんだ、いつだって 肺はきれいにしておくべきだよ、こんなときじゃなくてもね 路面電車がけたたましい音を立てる 「皆様おはようございます、公共交通機関でございます」 おれにはやつがそう言っているみたいに聞こえる 長すぎた眠りの気怠さと 脳味噌にハリ治療を施すインスタントコーヒーのカフェインが 「さあ、目を覚ませ、表に出て新しいことを始めよう」と叫ぶ ダンス、だったっけ、あの曲 朝食の皿をキッチンに連行すると その日の予定はなにもなくなった つまりなんだってやっていいってことさ おまえ、いまなにしてる? イエー ---------------------------- [自由詩]ボロ布のようなマリア/ホロウ・シカエルボク[2021年6月20日21時30分] 雨こそ降りはしなかったが、街はどんよりとした雲と湿気に満ちていた、人と擦れ違うのが煩わしくなり、小さな道へと逃げ込んだ、歩いているうちに、その先に昔、数十年は前に、死に絶えた通りがあることを思い出した、数十メートルの間を数軒の商店の廃墟が並び、最後は潰れた家屋で行き止まりになっている、どちらにせよ、家屋の向こうで厳重に封鎖されているのだけれどー確かこちら側の入口も封鎖されていたように記憶していたが、もう何年もそのあたりを歩いていなかったのでよく思い出せなかった、あちら側とこちら側の風景が混在しているのかもしれない、そしてそれはいまとなってはもう確かめようもない、向こう側の封鎖ゲートのその先は、大手車メーカーの工場が聳えている、昔はメインストリートだったが、街が広がり始めたときにあっさりと切り落とされた、たいした理由はない、持主の半分が死んでいたことと、街の一番端にあった通りだったということ、そんな程度の理由しか…なぜいままでそこに行ったことがなかったのだろう?これもたいした理由はなかった、思い出すことすらなかったせいだ、はした仕事の合間の休日に、たまたまそこを通りがかることがなければ、きっと思い出せないままでいただろう、といって、思い出したところでそこになにかがあるわけでもないのだがーただ、なにもないだけだ、そこには、徹底的になにもないだけなのだ、行ってみようと思った、そこには誰も居ない、もう三十年は前のことだ、このあたりを歩いている奴らは誰もそんな道のことは知らないのだ、道とすら認識されてすらいない…俺は行ってみることにした、どの道何の用事もありはしないのだー俺が子供の頃までは、そこは生きていた、駄菓子屋と、金物屋と、喫茶店と、本屋ーそんな並びだったはずだ、ドストエフスキーの初版本がたくさん置いてある妙な本屋だった、表に平積みにしてある週刊誌以外は古本より汚いものばかりだった、俺はドストエフスキーの名をあそこで覚えたのだ、なんというか、気になる語感だったからね…そう、あとはガソリンスタンドが一軒あるだけだった、一台分の給油スペースしかない、田舎でよく見るタイプのスタンドだ、座れる椅子があったら腰を下ろして少しのんびりしよう、建物がかたちを留めているかわからないけれどー四十分程度でそれは姿を現した、驚いたことにほとんど記憶にあるままだった、ただ人がおらず、ひどく汚れているだけだ、一軒一軒を覗いて回った、どれもこれも懐かしい光景ばかりだった、本屋の本はすべて朽ちていた、これが時の流れだよとその店の神のようなドストエフスキー全集が言っている気がした、店主の居住スペースまで入るのは気が引けたので、ガソリンスタンドの小さな従業員控室を借りようと思い、そこまで歩いたときに、敷地の奥にあるタンクの裏側に、ぼんやりと突っ立ってこちらを見ている黒い影に気付いた、「あ」とお互いが口にした、それでおそらく意思の疎通が出来るだろうと踏んで俺は話しかけた、「こんなところでなにをしているんだ?」はぐれたの、とその影は言った、「父さんと母さんと、はぐれたの、ずっと前、ここで」そう言いながら影は全身を覆っているごわごわした髪の毛を掻き分けた、見えづらく、話しづらかったのだろう、髪の毛の中に居たのは二十代後半くらいの女だった、「それはいつの時?」うーん、女は顔をしかめて唸り、「ずっと前、ちっちゃい時」と言った、捨てられたのか、と俺は思った、「それからずっとここに居たのか?」うん、と頷く、「ご飯とか、どうしてた?」女は駄菓子屋を指さした「飴とかね、なんか、硬い…クッキーみたいなのとか、たくさんあるの、その食べ物はあまり臭くならないの、だから食べられたの、でも、大きくなったからね、たくさん食べるようになって…下に降りると川があるの、そこで魚を捕まえたりね、水を飲んだり…」俺は頷いた、女の話し方は五才くらいの感じだった、怖くなかったのか、と俺は訊いた、女は首をぶんぶんと横に振った、「父さんと、母さんの方が、ずっと怖かったから」今度は俺が顔をしかめる番だった、座ろうか、と俺はスタンドの椅子を指さした、うん、と頷いて女は俺についてきた、それで俺たちはスタンドの椅子に座ってのんびりした、いろいろな話をした、名前はマリアだと言った、話しているうちに、俺はこの女になにかしてやりたいという気持ちになってきた、「うちに来るか?お風呂に入れて、美味いもん食わせてやるぞ」マリアはニコッと笑ったが首を横に振った、「じゃあ、施設に連れてってやろうか?お前のような人を保護してくれるところがある、部屋を与えてくれて、着替えも用意してくれる」マリアはやっぱり首を横に振った、「わたし、ここがいいの、ここがわたしの家」それは、愛着にも見えたし、怖れのようにも思えた、病気になったりしたらどうするんだ、と俺は訊いた、平気、とマリアは答えた、「わたし、丈夫だから、寝てたら治るの、ほんとよ」それに、と急に調子を変えてぽつりと言った、「わたし、ふつうの人じゃないから、ここに居る方がいいの、わたしが一緒に居ると、みんなが、いやな気持になるって」「それ、誰が言ったんだ?」「父さんと母さん」俺はなんだか悲しくなった、「普通の人じゃないなんて、そんなことはない…人間は、普通で居なきゃいけないなんて決まりのほうがおかしいんだ」マリアは困ったように笑った、きっと、俺の言っていることは難し過ぎるのだ…「それに」俺は構わず続けた、「普通じゃないわけじゃない、お前はまだなにも知らないだけなんだ」俺がそう言うとマリアはまた笑った、「うん、知らない…でも、知らないままでいい、わたし、ここに居るとわたしのままで居られるの」そうか、と俺はそれきり言葉を失くした、どうすればいいのかわからなかった、彼女がそう言う以上、俺に出来ることはないのだろう、ここから連れ出すことは、彼女にとっては幸せと言えないのかもしれない、けれど、ここに居るよりはずっといいかもしれない…「心配してくれて、ありがとう」マリアは最後に、少しだけ真面目な調子でそう言った、そして、眠いから寝るね、と言って駄菓子屋のほうへと走って行った、もしよかったらまた遊びに来てね、と言い残してー俺はそれから何度かマリアに会った、彼女はいつも同じ調子で迎えてくれた、そして、少しすると眠いからと言って駄菓子屋へと引っ込んで行った、そしてある夏の日、駄菓子屋の住居スペースで蝉のように死んでいた、黒い髪に包まれて、おそらく腐敗しているだろうそれは、一目では人間だとわからなかった、まるで、丸めて捨てられた毛足の長い絨毯のようだった。 ---------------------------- [自由詩]ごく限られた世界の夜から昼への移動距離を並べて/ホロウ・シカエルボク[2021年6月27日21時50分] きちがいじみた雨の夜に骨まで濡れた俺は自然公園の多目的トイレを占拠して身体に張り付いた衣服をすべて剥ぎ取り蛇口だのなんだのに引っ掛けて便座に腰を下ろして朝までを過ごした、当然寝つきは良くなかったしそれほどいい夢も見れなかったけれどそれでもたぶん先週の週末よりはずっと良かったような気がする、先週のことなんかもうほとんど思い出せもしないがそう思ったということはそういうことなのだろう、そもそもそんなことどうだっていい、過去と過去を比較してどちらがどうと決めるようなことにどれほどの意味があるだろう?無意味だとは言えない、おそらくそれなりの意味はあるだろう、けれど、もう変えられないことにこだわることは賢い行為だとは思えなかった、教えてくれる過去は必ず知らない間に身体に植え付けている、取り立ててこちらから動くような必要などない、そういうものじゃないか、長い夜だった、二度と明ける時は来ないのではないかと不安になるくらいの長い夜だった、おまけにあちこちに掛けた服はおよそ乾いたとは言えなかったがそれでもここに潜り込んだ時よりはずっとましだった、少なくとも家に帰るまではこれで我慢しようという納得だけは出来た、俺はなにも文句を口にしなかった、これはずっといい方なのだ、ツイていたと思うべきなのだ、顔を洗い、鏡で髪の毛を直してから、古代の城門を思わせる大げさな金属の鍵を持ち上げて外へ出た、朝早い公園にはまだ誰の姿もなかった、もう夏も近いというのに少し寒ささえ感じた、風邪なんか引かなきゃいいけどな、なんて思いながら少しの間ベンチに横になってまともな眠りが得られるかどうか試してはみたけれど、そんな時に限って太陽がそそくさと顔を出すのだった、俺は眠るのを諦めて服を完全に乾かすことに専念した、雨続きの近頃にしては奇跡的なくらいのきちんとした晴天だった、二時間で服はカラッカラになった、俺はひとつため息をついてから家に帰ることを再開した、あとどれくらい歩けばいいのか見当もつかなかった、いつもは電車を使うからだ、でもまだ電車の動く時間じゃなかった、人並みの人間が人並みに動き始める時間になるまではまだしばらくあったのでこの際開き直って歩こうと考えたのだ、一時間半から二時間はかかるだろうなと見当をつけて公園のそばの自動販売機で缶コーヒーを買って飲んだ、とにかく一度家に帰らなければいけない、シャワーを浴びて身体を綺麗にしてのんびりと寝直したかった、人並みの週末にどっぷりと浸かりたかった、すべての物事を円滑に動かすためにどうしても一度家に帰らなければならなかった、口を拭って歩き始めるとすでに太陽の光はその力を存分に発揮し始めていた、今日は怖ろしいくらい暑くなりそうだ、そんな天気予報どこかに出ていたかな、けれどここ最近天気予報を目にした記憶がなかった、それが本当のことなのかそれともなんらかの理由で記憶を無くしているのか判断がつかなかった、でも家までの道も自分の名前も年齢もきちんと覚えていて生きていくには困らないのでもうそこにこだわるのはやめにした、人間の感覚なんて簡単に疑える、嘘だと思うなら一晩多目的トイレで過ごしてみればいい、家には難なく帰りつくことが出来た、歩いて一時間くらいのことなら昨夜のうちに帰ればよかったのだとふと頭に浮かんだけれど歩いてどれくらいかかるのかはっきりとはわからなかったとにかく濡鼠だった自分をどうにかしたくて断念したのだ、早速服を脱いで洗濯物の籠にぶちこみ浴室へ飛び込み長い時間をかけてシャワーを浴びて洗い身体をほぐした、それからインスタントコーヒーを入れて急ぎ気味に飲み干した、喉の中を熱い感覚が通過する、炎を飲み込んだみたいだと思いながら深呼吸をすると蒸気がこめかみから出て行くような感じがした、それから歯を磨いてベッドに潜り込み三時間眠った、なにか奇妙な夢を見ていたはずだったが内容はまるで思い出せなかった、昼前だったので簡単なものを作って食べた、人間はシンプルな生きものだ、シンプルに生きることは難しくない、でもそれはまるで重要な事項だと思えない、あらゆる現象が送り込まれる世界でシンプルさだけを追求するのはある意味で逃避に過ぎない、俺はもう一度外に出ることに決めた、特別目的も理由もなかったけれど、移動することには必ず意味が生じるー少なくとも俺のような人間にはね。 ---------------------------- [自由詩]蜃気楼に傷口/ホロウ・シカエルボク[2021年7月5日15時35分] 時の流れに飲み込まれていく生命の波動をこぼすまいともがき、足掻き、意味の判らぬ声を発する、その刹那、常識と限界を飛び越えた者だけが新しい詩を得るだろう、漆黒の闇の中でも、微かな火種さえあれば光は生まれる、刃となって空間を真っ二つにする、慰めや安心の為の言葉になどなんの意味もない、不安や怖れの中で目を見開いてこそ本当の言葉は生まれる、睡魔に負けそうなら薄皮を切り破り己が血を啜ればいい、痛みと緩やかな背徳の中で命は渦巻き、向かうべき場所へと疾走を始めるだろう、たったひとつの、確かな言葉の為にどれほどの人間が人生を棒に振るのだろう、砂から金を作り出す術を信じてしまったみたいに目を血走らせて、書き留めた幾つもの閃きの中に埋もれ、自ら作り上げた迷路の中で行先を失くしてしまう、滑稽が込み入り過ぎた笑えない冗談のようだ、それでも新しい足跡は絶えない、真実を求める人々は必ずどこかからそこに現れ、その中で死に絶えていく、ああ、俺の中にある歌、お前にその旋律を伝えることが出来ればいいのに、口に出したとたんにそれは姿を変えてしまう、意味を変え、または失くし、効力を失った古代魔術の呪文のように漂うだけになってしまう、神であるには至らな過ぎる、けれども人であるには自覚的であり過ぎるのだ、社会はひとりの人生を手に入れることが出来ない連中の為の松葉杖、だから見ろ、そこに居る連中は誰かの足を引っ張り続けている、蜘蛛の糸に群がる亡者のようにね、鼓動にはまだ見つけられていない言葉がある、それはひとつ鳴る度に更新される、アップデートされていくのだ、俺たちの感覚では間に合わない、ログにすら残されない、瞬間瞬間によって、偶然こぼれたもの、吐き出されたものを拾い上げて飲み込んでいくしかない、それはとても巧妙な文字であり、とても巧妙な文節であり、とても難解な意味がまるで一本一本の糸となって、タペストリーのように織られている、それを解き、知ろうとし過ぎると次に来るものを見落としてしまう、それぞれの意味を抱きしめることは出来ない、すべては打ち寄せて去っていく波のように素気ない、砂浜に立ってそのすべてを漠然と受け止めること以外に俺たちに出来ることはないだろう、でもそれは何もしないよりずっとマシなことには違いない、どんな矛盾が生じても構わない、辻褄を合せる為に生きているわけではないのだ、生命のすべては矛盾の中で息をしている、それを息苦しいと感じるのか、それとも心地いいと感じるのか、それはすべての、すべての歌を求める者たちの感性による、例えば俺がそれはこういうわけだと決めてしまうわけにはいかないものだ、たとえそうしてみせたところで、なるほどそうかと腑に落ちるようなものなどひとりも居やしないだろう、それは俺のあらゆる認識を越えているものなのだ、もちろん、お前にとってもそうだ、その本質は誰に見えるものでもない、たかだか百年の人生の為に生を受ける生きものになど、何度転生したところで理解出来るものではないだろう、、ああ、俺はずっと、死のないものになりたいと考えている、そうすればずっと、自分のフレーズがどこへ向かっているのか知り続けていくことが出来るのに、幾つか目にした棺桶たちが火の中から語り掛けてきたもの、その真っ白な骨が灰の中で語り掛けてきたもの、それは耳鳴りのような音になって今も鳴り続けている、アデュー、意味を失った者たちよ、後は俺に任せて何も考える必要のない世界に行けばいい、それが天国だろうが地獄だろうが俺にとっては最も怖ろしい場所だということになんら違いはない、窓に張り付いて外を眺める、このところずっと空には黒雲がなにかもの言いたげに留まっていて、人々はイラついたり細やかに絶望したりしながら生きている、雨でも晴れでもやつらがやることなんかそんなに変わりはしないのに、俺はカッターを取り出し、ソファーの革張りを切り裂く、綿や、木材の欠片が飛び散り、床に散乱する、まるで不器用な血液のように、俺は道化師のような笑みと殺意を持ってそれを執り行う、休日の午後が切り刻まれて散らばっていく、あまり気に留めるなよ、詩人はいつだって種をばら撒き過ぎる傾向があるものだ、狂気じゃない、それは日常と同じものだ、そして日常よりもずっと、したたかな意志を持っているなにかだ、「ザ・ウォール」っていう映画、観たことがあるかい?俺はいま、それに近いなにかについて話し続けているんだよ、なあ、俺は出来ることなら意志をもって壁を築きあげたい、時は心臓を削りながら一刻、また一刻と過ぎていく、俺は概念の血に塗れながらまた新しい死の中で薄ら笑いを浮かべている。 ---------------------------- [自由詩]そしておそらくはそれだけが在ることにより/ホロウ・シカエルボク[2021年7月11日21時55分] それは古いコンクリート建築で、ステージを取っ払ったライブハウスか、あるいは陳列棚を置き忘れたマーケットのように見えた。俺は入口付近にぼんやりと立っていて、手ぶらだった。左手側の壁面が俺の腰の高さ辺りから腕を頭上に掲げたその指先辺りの高さまで、少々の衝撃では破壊することは不可能だろうと思わせる厚く巨大なガラスがはめ込まれていたが、その向こうにあるはずの景色はうかがい知ることは出来なかった。オープンワールドゲームのバグ空間のような奇妙な色をした虚無が広がっているばかりで、従って今が朝なのか昼なのか夜なのかすら見当をつけることが出来なかった。俺はずっとその窓を見つめていたらしい。視線を逸らし、だだっ広いスペースを眺めてみると、ちょうど真ん中辺りに棺のようなものが置かれているのに気付いた。さっきまでそんなものは存在していなかった。誰が持ち込むでもなく、屋根を突き破って落ちてきたわけでもなく、それはある瞬間に突然そこに存在していたのだ。それは、今の俺にとってそれが必要なものだということかもしれなかったし、あるいはまるで何の関係もない、それこそ世界のバグか気まぐれによって在るはずのないものが在ることになったのかもしれなかった。俺はしばらくその棺らしきものを眺めていたが、突然蓋が開いて何かが現れるというような現象は起こらなかった。まあ、だからといって、中が空っぽかどうかは開けてみなければ分からない。棺を後回しにして、壁にそって一周してみた。入口から一番遠いところに手洗い場がひとつあるだけだった。蛇口を捻ってみたが水は流れ出さなかった。水が止められている、というよりは、形式的に存在しているというだけであって、水が流れるという概念がすっぽり抜け落ちているかのような手応えの無さだった。入口に戻り、再び物言わぬ棺と対峙した。開けるしかないような気がする。もしかしたらすでに釘で止められているかもしれない、それでも絶対に開けなければならないのだろう。いってみればフラグだ。この棺に関わってなんらかの結果を出さないことにはネクストが用意されない。そんな気がした。試しに入口の自動ドアらしきものが開くかどうかみてみたが、やはりそれは開くことはなかったし、ガラス戸の向こうの景色は割愛されていた。こんな外界に出ようなんてとても思えない。棺へと歩いていく。コンクリ打ちっぱなしの冷たい床でスニーカーのソールが歯ぎしりのような音を立てる。棺を開いて、そこに花に囲まれた自分自身が横たわっていたらどうする?安物のホラー映画みたいな妄想が頭を過る。けれど、それは本当かもしれないという渇きがその空間には確かに存在していた。蓋に手をかけ、縁を眺めてみた。釘が打たれた形跡はなかった。棺の目につく部分にはそれぞれ、趣向を凝らした彫物があった、作られてから随分な時間が経っているのだろうか、境界線があまりにも薄くなっていて確かにこんな場面だとにんしきするのはちょっと困難だった。蓋に手をかけ、静かに横に押し出す。白い布が敷き詰められた内部には誰も寝ていなかった。つまりそれは、俺がそこに横たわらなければいけないということなのだろうか?それとも、ここに横たわるためにまた新しい誰かがここに現れるのだろうか?棺が現れた時と同じように、唐突に、音もなく。けれど俺はもう悩まなかった。ハナから訳が分からないままでここに居るのだ、事態が動くのであればもう何でもやってやろうと覚悟を決めていた。白い布がなるべくずれないように気を使いながら、もしかしたらついさっきまで死体が眠っていたかもしれないその中に身を横たえる。天井には、電球を捻じ込む為の穴があった。けれどそれはあの蛇口と同じで、もしどこかから電球を探してきてそこに捻じ込んだとしても、そこに光が灯ることはないのではないかという気がした。一度目を閉じた。再び目を開けるとそこには暗闇が広がっていた。誰かが棺の蓋を閉めたのだ。音もなく、瞬時に。これは死だ、と俺は考えた。概念上の死なのだ。誰かが俺をここに連れてきたかったのだ。何のために?俺はこのままで居るとなにかしらの変化が自分に訪れるのだろうかと少しの間待ってみた。けれど、どれだけ待ってもどんなことも起こらなかった。長いことそうして限定された暗闇の中に横たわっていると、次第に恐怖が湧き上がり、そのうちに蓋を内側から持ち上げようとしていた、しかし、それは少しも動かなかった。釘を打たれたのかもしれない。瞬間的に存在する釘、と俺は考えた。人の心を葬るのにこれほどのものがあるだろうかと。そうしてムキになって蓋を蹴飛ばした。何度か蹴飛ばしていると次第に動くようになってきた。いいぞ、勢いづいて追い打ちをかけた。やがて蓋は横に落ち、音もなく消えた。おそらく消えたのだ、現れた時と同じように。コンクリの床に這い出し、たった一つの出入り口に向かって走った。床に点々と血が落ちていった。手のひらが切れているようだ。中々の裂傷のようで、実に鈍い痛みを立てた。確認は後にして、入口に体当たりした。何度目かに凄い音がして、ガラス戸の欠片とともに俺は外に投げ出された。そこは普通に人の流れがある歩道で、近くのコンビニから出てきた車の運転手が驚いた顔で俺を見た。俺は左手で顔を拭った。どろりとした感触が顔を襲った。手のひらを眺めてみると中指の下から小指の付根にかけて酷く切り裂かれていて、そこにだけはきちんと赤い血が存在していた。 ---------------------------- [自由詩]go back on/ホロウ・シカエルボク[2021年7月18日15時53分] 三つの錠剤とヴァイオリン・ソナタ、かすれた窓の前で漂っていた、身に着けたシャツの細やかな汚れが、人生を語るみたいに揺れている午後、それは心電図を連想させる、無目的の…指が少し痺れているのは眠り過ぎたせいかもしれない、現在時刻を確認するのはやめようと思った、カフェインが消化試合のように淡々と脳味噌に染み込む、常にその先を得ようとする人間が目にするものはいつだって過度なくらいのプレッシャーだ、シューティング・クラブのターゲットみたいに数限りなく、矢継ぎ早に、目の前に現れる、そして決まって、俺は引鉄にかけた指に力を込め過ぎる、審判の瞳には見慣れた現象に対する無関心が映し出されている、銃を捨てる気にならない理由なんかずっと前から知っている、もしも自分に銃口を向けるならそれはこめかみがいい、口に咥えるなんてもっての他、顎の下?ショットガンじゃないんだぜ…銃口を当てる時に自己紹介に見える構図なんてそれくらいしかない、マナーだ、なんて言ってしまえばそうかもしれない、断続的な雨の日が続いていて、休日のほとんどがうなだれている、空中にばらまかれた塵を数え続けているかのような平日があと半日もすれば訪れる、出来事にいちいちタグをつけたりするような真似はもうやめた、ほとんどの場合それは区別する必要などないものだ、コンビニエンス・ストアの不自然な行列、誤解を恐れずに言わせてもらうなら、彼らはおそらく人生にあまり価値を求めたりしないのだろう、腫れの記憶を持つ肌が余計な不安を植え付けている、出来ることならこのまま枯れてはもらえないものか、空気は煤けている、角を曲がればセメントのドームに大口を開けただけの焼却炉が現れる、こんな空の下の路地ではそんな幻想に取り憑かれる、もしもなにもかも燃やして終わりに出来るならその方がずっといい、けれど簡潔な処理は人生を単純にする、それ人混みの中でぐるりと見渡してみればすぐにわかることだ、道の向かいのゲーム・センターから怒声が聞こえる、躾のなってない犬が数匹吠えているだけだった、あいつらはいつだって喧嘩をするふりだけが上出来だ、また雨が降り始める、傘すら持っていない連中が軒下に移動している、ビニール傘を打つ雨粒が立てる音は悪足掻きに聞こえる、そんな音があたりを支配してしまうから、世界はほんの少しだけ穏やかに見える、スティングのヒット曲が小さな電化店のラジカセが受信しているラジオ電波から流れてくる、彼はきっと故郷に居たってそんな思いを感じ続けているだろう、記号の羅列が真実を語るなんて夢物語のようなもの、なのに人はこぞって言葉ですべてを片付けようとする、爪楊枝で剣劇をするようなものだ、命を賭けるような闘いなどない、時間が経てば指が痛くなるくらいのことはあるかもしれない、駅前の観光客はまばら、満たされる土地へと特急が滑り出す、八社のアナウンスにはこちらの心を急かすような不思議な力がある、駅によって辿り着ける場所、目的がそんなものなら人生はイージーだ、もちろんそんなものだって、嫌いではないけどね、列車が走り去ってしまうと、「ああ、行ってしまった」という空気が辺りに漂う、けれど見送る連中は誰一人そのことに気付いては居ない、臆病さと堅実さは同列には並ばない、もしかしたらその二つの列はとても近くで連なっているのかもしれないけれど、まるで真っ白い霧に向かって何発も銃をぶっ放しているみたいだ、悲鳴も鳴声も、理由もよくわからないままに、痙攣する右目の瞼を気にし過ぎているうちに数分が過ぎていた、世界は一秒ごとにかたちを変え続けている、俺は幸せな人間じゃない、それを享受したら人間はきっと馬鹿になってしまう、爪先が濡れながら景色を更新している、ヴァイオリン・ソナタはもう、はるか後方で曲目をチェンジしているだろう、音楽も、文学も、風に消えない足跡が欲しいと願ったものたちが血眼で追い続けた結果だ、遠雷が聞こえている、スマートフォンが地震速報をキャッチする、路面電車が恐竜の鳴声のような車輪の軋みを聞かせながら通り過ぎる、雨はほんの一時、長い息を吐き出すみたいに降り続いてすぐに止んだ、水溜りに灰色の空が写る、音楽を聴きたいと思ったけれどイヤホンを持ち合わせていなかった、けたたましいサイレンを鳴らして救急車が交差点を通り過ぎる、目を凝らしてみたけれどそこに寄り添っているかもしれない死神の姿は見えなかった、狂ったように人が行きかっていた、少し早足過ぎると思った、ほんの少し太陽が覗いたけれど、雲は去って行かなかった、誰もがすべてを喋りきらないまま進行している、俺はすでに明日のことを考え始めていた、けれど、それは目的ですらなかったし、俺自身に関係があることかどうかすらもよくわからないままだった。 ---------------------------- [自由詩]とはいえ瞬く間に喉は渇きを覚えるだろう/ホロウ・シカエルボク[2021年7月25日16時15分] 午後の朦朧はおそらくは暑さのせいだけではなく、俺はその理由を知りながらまるで見当もつかないといったていを装っていた、それは意地とも言えたし逃避とも言えた、目を逸らしたいようなおぞましい出来事ほど避けて通ることは出来ないとしたものだ、通りは閑散としていて、とても休日とは思えなかった、誰もが家でオリンピックに齧りついてるなんて到底考えられなかったし、それは途方もない時間の無駄遣いに思えた、まあ、世間様は俺よりもきっとそういう浪費は得意なんだろうけど、それでもだ、炭酸水を飲みながらいつものように人気のない路地を歩く、年老いた旦那が妻を絞め殺した家の脇を通る、少し前には庭で雑草が暴れていたが、そんな事実はなかったというように整然と片付いている、誰かが手入れを続けているのだ、けれど、建物に染み付いた記憶はそう簡単に消えることはない、俺はそんな出来事を知る前から、ここにはなにかまともじゃないものがあると感じていた、無人の存在と言えばわかるだろうか?それは場に焼き付けられた絶対的な現象だ、そういう種類の存在というものがこの世界には確かに見受けられるのだ、なにも、ここだけに限られた話ではない、居住者の居なくなった建物が妙に心を引き付けるのは、そいつが持っている記憶が寝言のように終始垂れ流されるようになるからだ、壊されるでも売りに出されるでもなく、ただひっそりと佇んでいるものたち、もしも彼らが口をきくことが出来たなら、いったいどのような言葉を口にするのだろう?俺は足を止めることなく通り過ぎた、あの窓には確かに尋常ならざる視線がある、窓の向こうにはきっと、断ち切られた幸せが転がっているだろう、信号を渡り、コンビニの前を通り過ぎ、火災現場へと急ぐ消防車と擦れ違う、誰かが死んだだろうか、消防車の赤色はなぜかそんな疑問符を脳裏に漂わせる、真直ぐに続いた古い路の彼方には、絶対に追いつくことが出来ない水溜りが見える、どこかで赤ん坊が泣いている、あやすものの声はない、ほんの少し家を空けているのだろうか、それとも洗濯かなにか、すぐに駆け付けられない用事に手を付けているのだろうか?この世でもっとも手軽な孤独、それはベビーベッドの上にあるのだ、自販機のゴミ箱に炭酸のボトルを捨てる、ここに来るまでにあとふたつ自動販売機を見かけたけれどそのどちらもゴミ箱は溢れかえっていて捨てる余地がなかった、「家庭ごみを捨てないでください」とゴミ箱には貼ってあった、きっと誰も言うことを聞いてはいないのだ、守ることよりも裏切ること、それがホットだと考えている人間は想像もつかないほどたくさん居る、出来ないことを美徳のように吹聴するのは自分自身を出来ない側だと認めたくないからだ、現在地を容認する、それが賢い生き方だと心から信じている、そしてそんな人間が溢れかえれば、社会は自然とそいつらとの為のシステムとして成り立っていく、圧倒的多数の松葉杖的アイデンティティ、生産性など期待出来るはずもなく、あたりは年々みすぼらしくなるばかり、アイデアを持ち込むのはいつだって余所から来た若いやつら、まあ、どうだってい話だけど…堤防の下に降りようと思った、涼しさは期待出来なかったけれど、川の流れを見つめてほんの少しのんびりするのも悪くない、日向の水面は太陽の真下にあたる部分がスパンコールのように輝いていた、俺はいくつか小石を拾って、その輝きの中へ投げ込んだ、いっとき水面が乱れ、波紋が混ざり、崩れながら広がった、そしてあっという間にもとの穏やかさを取り戻した、こういうものだ、小石を投げるだけのことでは変化は望めない、そんな話を俺たちはもう少し学ばなければならない、人生は川の水面を見つめるようなものではない、その流れの中に飛び込んでどこに向かうのかと絶えず頭を悩ませるものだ、俺は水面に飽きて、小さな階段を上り、堤防の上に戻った、堤防の上は、昔はずっと先まで一直線に歩いていくことが出来た、けれど今はマンションの敷地内になり、一区間がフェンスで仕切られている、それが正しい手続きによって行われたものなのかどうか俺は知らない、まあでももちろん、底に部屋があるのなら庭先を赤の他人がウロウロするのはちょっと嫌だろう、それが流れというものなら俺は文句を言うべきじゃない、堤防に沿って歩かなければどこにもたどり着かないというわけでもない、腕で額の汗を拭い、入道雲とそうでない雲が折り重なった空を見上げる、どこかへ向かう飛行機が長い尻尾を垂れながら高度を上げていく、風景はなにも語ることはない、それらすべてがなにかひどく空虚な遊戯に思えるのは、きっと―。 ---------------------------- [自由詩]カオス・アンド・ディスオーダー/ホロウ・シカエルボク[2021年8月1日18時32分] 光線の行方の向こうに、ねじくれた俺の鼓動が放置されていた、俺は震える手でそれを拾い上げ、正しいリズムを言い聞かせたが、そいつはいうことをきかなかった、「それは医学的見解に過ぎない」とそいつは言うのだ、標準的真実と自身の真実の違い、同じ真実でありながら決して相入ることのない二つの座標、俺は口にしたい言葉のなにもかもを飲み込んだ、こうなってしまうと俺自身にももうどうしようもない、なぜなら俺にはどちらの正しさも理解出来てしまうからだ、あちらの真実が正しいと思うならあちらに沿えばいい、こちらが正しいと思うならこちらに沿えばいい、真実なんて所詮それだけのものに過ぎない、もしもそこに優劣が生じるとすれば、どうやってそれを語るかという部分になるだろう、主張ばかりに気持ちを奪われて、内容がおろそかになってしまってはいけない、もちろんそんなことは少しも珍しいことではないけれど、見たことあるだろ、やたらと同じ言葉を繰り返しているだけの連中、あれだよ、中身がない、あるいは語れないとそんなザマになる、そんなものは脇にどけておけばいい、掘っても何も出てこないならばそれは良くない土地だ、足を踏み下ろす価値などない、鼓動は、主張はともかく俺の体内に戻りたがっていた、心臓はからっぽでイズムのない動きを繰り返していた、鼓動は心臓の主張なのだ、俺は鼓動を飲み込んだがそれはいままでのものとは少し違っていた、完全に身体に馴染むまで結構な時間がかかった、その間俺は肩で息をしていなければならなかった、ふざけるな、と俺は悪態をついた、ふん、と鼓動は鼻を鳴らした、意外に思えるかもしれないが、本当は自分自身のことだって自分の意のままにはならない、死を避けることが出来ないのと同じように、だから断定などは愚かしい行為だと俺はよく口にしている、真実は不確実で不明瞭な領域にこそある、答えてはならない問、それが真実に関する問だ、イヤホンを耳に突っ込んで、ビッチェズ・ブリューを流し込む、緩やかな、けれど、張り詰めたビートが浸透していく、どうやって語るのか、重要なのはそこだけだと思っていていい、自転車のような速度で雲が流れていく、夏に起こるすべてはまぼろしのようだ、それがもっともおさまりのいい実感であることを俺は知っている、まぼろしの実感、まるでゴダールの映画のようだが、俺に言わせればそれがこちら側の真実というやつだ、新しい詩が書きたい、いままでずっと使ってきた言葉で、いままで一度も書いたことがないような詩を、思えばいつもそんなことばかり考えているような気がする、それがきっと日常のあらゆるもののフォーカスをぼやけさせるのだろう、真実は分かる、けれど、現実は分からない、そういうことだ、高架を電車が通り過ぎる、穏やかな戦争のような振動、アスファルトの照り返しで視界はいつだって揺らいでいる、死の直前のような景色、夏は威勢のいい断末魔だ、だから俺は夏を好きになれない、そんなもの、わざわざ誰かに見せてもらう必要などないのだ、西日を反射しながら、どこかへ向かう飛行機が長い長い足跡を残していく、足跡は永遠には残せない、飛行機雲がいつまでも空にあったら、俺たちはそれを無粋だと感じるだろう、ああ、どんな理屈を重ねようが人生は結局のところ刹那的だ、瞬間の連続に過ぎない、それは堆積ではない、生まれてすぐに消えていく現象の連続だ、だから俺はここに居る、だから俺はここに居る、痛みながら、澱みながら、スピードにとり憑かれて、詩情を嘔吐している、喉の奥に痛みが走るまで、喉の奥に痛みが走るまでさ、それで初めて自分自身に気付くことが出来る、だから俺はここに居る、新しい詩はまた生まれる、だから俺は、だから俺は…横断歩道で妙な混雑を目にする、轢き逃げらしい、中年の女が横向きに倒れている、意識がないようだ、心得のあるらしい若い女が対応している、遠くで救急車のサイレンが聞こえる、救急車に合図を送っている青年の他はみんなただの野次馬だ、目立たぬようにスマートフォンを持ち上げている男もいる、指が動いていないところを見ると動画を撮っているようだ、野次馬だらけだな、俺は思わず呟く、一番近くにいた女が俺を睨み、舌打ちをする、分かってるよ、野次馬が一番正しいのが近頃じゃトレンドだ、俺はそう返す、女はあまり理解出来なかったみたいで、一瞬困惑の表情を浮かべて自分の役割に戻る、被害者は助かるだろうか、とその場を離れながら俺は考える、いつだって誰もが、死と隣り合わせで生きている、どこかでそれに怯えながら、真っ向から向き合うか、気付かぬふりをするか、あるいは本当に気付いてはいないのか、赤信号に足止めを食いながら、俺は明日の自分のことを考える、それがどこかで断ち切られない保証などどこにもありはしないのだ。 ---------------------------- [自由詩]光を避け/ホロウ・シカエルボク[2021年8月8日16時53分] あとは標的を見つけるのみ、といった感じの鋭角的な光線は、ちょうど天井の一角を貫こうとでもするみたいに壁を走っていた、がらんとした部屋の中に突然展開されたそんな光景は、時代錯誤なパンク・ロックバンドのジャケット・アートを想像させた、尖ったものは摩耗し尽くした後に笑われて終わるだけだ、そんなフレーズが脳裏をよぎる、退屈な午後の一幕だった、俺は部屋を出て、街の喧騒の中へ己を紛れ込ませた、感染拡大、という言葉がトレンド商品のようにあたりの店先で飛び交ってる、ウィルスくらい簡単に致命的なほどの無意識も予防出来りゃいいのにな、と思う、あれぐらい根強く人々を侵し続けているコンテンツもそうはない、すれ違った女が小さな声で何かを呟いた、きっとそれが現代社会の自意識というものなのだ、奇形肥大した防衛本能のメルトダウン、空っぽの卵の殻が一番強固なのさ、俺は野良犬を掃うように左手を二度振る、台風が近づいているせいでアメーバのような湿気がアスファルトをのたうち回っている、道路標識に誰かの落とし物らしいファンシーなキーホルダーのついた鍵がガムテープで張り付けられている、家の鍵のようだが、その後なんとかなったのだろうか、そのまま、ホームレスになったりしたら面白いかもな、素敵じゃないか、残酷な詩情に塗れている、もしもそんな現実がこの世に存在するのなら、俺は間違いなく時々、そいつにバスルームを提供するだろう、公園のベンチで一休みする、ついこの間まで高校生だった、そんな感じの男女がやって来て、トイレ前のベンチにぴったりくっついて座る、暑くないのかね、女の方が時々、男と話しながら横目で俺の様子を窺っている、ああ、と俺はなんとなく感づく、この公園の多目的トイレには、時々使用済みの避妊具が落ちている、俺は一度背伸びをして、二人の居るところからは遠い出口から出る、彼らがいつかヘマをやらかしたとき(それは近いうち必ずあるだろうけど)、八つ当たりの対象になりたくはなかった、まあ、今日が過ぎればお互いに、こんなことは記憶の片隅にも残りはしないだろうけど、そのまま近くのコンビニに潜り込む、話好きな年寄りがレジの娘を困らせていたので、何を買うつもりもなかったけれど飲物を買って話を終わらせてやった、俺がレジに立つと娘はホッとした様子になった、随分長いこと捕まっていたのだろう、偶然なのかどうかはわからないが、ああいった連中は必ず暇な時間にやって来る、コンビニを出て、ごみ箱の近くで買ったものを胃袋に移し、空の容器を捨てた、水分がある程度満たされると、余計に暑くなるような気がするのは何故だ?どうでもいい問だし、答えが欲しいわけでもなかった、無意味な疑問符が年がら年中渦巻いてる、その中の無視出来ないものを摘み上げて捏ね回していたら、いつの間にか髪の毛に白髪が目立つ歳になった、ワクチン接種のお知らせは開封すらしていない、「どっちで死ぬか」という選択に過ぎない気がする、まあ、あえて言葉にするならという話だけど、賛成、反対、どちらの側に立つものも仲間じゃない連中を見下し、罵り、蔑む、「正解」の中には決して含まれないボキャブラリーのオンパレード、せめて口もとの唾を拭きとるくらいのマナーを身に着けてから意見を言うべきだ、癇癪や敵意が根底にあるような程度なら、最初からわかってるような顔なんかするべきじゃない、人生は名前のない舞台かもしれない、けれど、自らモブキャストの中へ潜り込んでいくなんて救いようがないくらいの笑い話だ、川原のベンチに腰を下ろして、少しの間川の流れを見つめていた、満潮時にはこの川は逆に流れる、海が近いからそうなるのだと最近知った、「川を下る」とよく言われるが、あれは「海へ上る」と言った方が正しいのかもしれない、少なくともその時の俺にはそう思えた、まあ、ただの言葉遊びだ、それでなにかが変わるわけじゃない、けれど、イマジンには必ず、あらゆる方向からの表現があるべきだ、どうしてみんなああも、テンプレ通りの言い回しが好きなんだろうな?舞台には舞台の、ドラマにはドラマの、音楽には音楽の、ウンザリするほど繰り返されたフレーズ、きっといまは、自分で考えることなんて時代遅れなんだろう、大昔から、確固たる共通概念に手を引いてもらうだけの世界、そんな場所で俺が生存している理由、こうして、詩を書き続ける理由、昔はそんなことが俺を立ち止まらせていた、どうしてこんなことが、どうしてそんなものが、と…けれどそんなことについて考え込んだところで仕方がないのだ、原因が、理由がどんなものでも、動きを止めなければ必ずなにかしらの結果に辿り着く、その場所で今度はもう一度行く先を考えればいい、俺は部屋に戻ることにした、数時間が過ぎた、あの鋭角な光線が、俺を狙うことは少なくとももう今日はないだろう。 ---------------------------- [自由詩]火炙りの朝/ホロウ・シカエルボク[2021年8月15日21時36分] 擦れ合うふたつの金属のような 疫病の女の叫び声が 複雑に入り組んだ路地で反響を繰り返し 縺れ合っては消えていく雨交じりの夜明け前 悪夢から滑落した俺は 自分がまだ生きているのか確かめているところだった ブレイクビーツな静寂 時間は切り刻まれていて 時計の概念が滑稽なほどだった 視覚や聴覚が何の役にも立たない そんな世界の中に 存在したことがあるか? 外界と内界の混在、または互換 電話機は最後の案内の為に待機している 窓は絶対的な領域の 具現的なものとして枠に張り付いている 一番近くで聞こえる 呼吸すら歪んでいる これは現実ではない、日常がそうだというのなら これは現実ではない けれど、細胞の隅々まで汚染するかのような この痛みは、怖気は、 リアル以外にどんな呼称も思わせはしない ひとつの乱れのあと、繰り返される同じビート 緊張を解くように首を動かすと 椎間板の辺りで肉を潰すような音がする 枕元に転がっている昨日の遺言 もはや判読出来るような代物ではなかった 灯りを点ければここから逃れることは出来るけど どうしてもそうすることは出来なかった 清潔な腐乱死体の 死後硬直が起こす振動 シーツは地震計のように それを記録する 例えばそれを文字に変換したとしたなら いま俺が一番話したい言葉になるだろう もしも夜が 平穏だけに沈むものであったとしたら 詩人は長生きすることは出来ないだろう 内面の動乱に掻き毟られるときにだけ 奴らの目はギラギラと輝く それは俺とて例外ではない 思考は水滴のように 水面に波紋を起こし 生まれたヴァイブレーションは水底に到達する それをキャッチして頭を持ち上げるのは いつだって 鋭い牙を口腔に敷き詰めた獰猛な魚だ 姿見の前で 入念に研いだ刃物で吾身を掻っ捌く 悲鳴を上げながら 骨、内臓、筋肉と 見事に切り分けられたそれは 墓地の片隅で腐り灰になるまで捨て置かれる 君よ、もしも俺の言葉が 君の中に何かを残したとしたら そんな愚行に精を出す素質があるということだ 悪ふざけは自分を殺さない程度にやるんだよ この見極めは非常に難しい 本当に死んでしまったやつも数限りない 詩人は狂気に首輪をつけて ものの見事に連れ回す 好きものどもが群れ集って 「可愛いですね」とお世辞を言う 俺は狂気にこっそりと 「食い漁れ」と耳打ちする 見てくれよ、こいつが暴れ過ぎるせいで 俺の腕は奇妙な形に捻れてしまっている ペンを取るのも一苦労だぜ 字を書くのなんてもっての他だ それでも脂汗をかきながら ディスプレイを睨んでいるとなんだか笑いがこぼれてくる ふたつの目と、それから どこかに 自分を見つめるための目を いつでも隠し持っている 確かな照準のような視線 いつでも俺の眉間に真直ぐに合わせられている 刹那的なこと、悲劇的なこと 破壊的なこと、暴力的なこと あるいは幸福感や至福感 愛や慈悲といった、それらすべてを いっぺんに語るならノイズのように発するしかない 俺はいつでもそれが自然なことだと感じている 見てくれよ、もう夜が明けようとしている 夜に放り出されたときにそれを畏怖しないために 俺たちはきっとフレーズに取り憑かれている 君だって本当はそうじゃないのか すべてのことに決着をつけられなければ 誰だって安らかに眠ることなど出来るわけがないんだ 俺は狂気に首輪をつけて 長いこと説き伏せる 狂気はありえないほどの血を吐き 俺は生温い血に溺れそうになる 血の中に、血の中に、血の中に 言葉にしなければならない温度が隠れている 誰がそれを成し遂げるだろう 誰がそれを掬うだろう 誰がそれを抱きしめるだろう 誰がそれを浄化するだろう 夜明けに染められて弱気になるカーテンの向こうに きっと本当の狂気が牙を?いて待っている ---------------------------- [自由詩]いつか声をあげるときに/ホロウ・シカエルボク[2021年8月23日21時11分] あなたは冷たい水に手を浸して、至高の果実はきっと血の混じった奇妙な味がするでしょう、わたしの心は茨の蔓で情け容赦なくくるまれて、わずかな動作で果てしなく食い込む痛みで朦朧とするでしょう、時はもはや意味をなさず、わたしたちは、生存の隙間に落ち込んだものたち、原罪を抱き、やつれ血走った網膜に、燃え盛る炎のような夕暮れを焼き付けたまま、次のペシミズムの理由を貪欲に漁るでしょう、足元は真っ赤なぬかるみ、まるで内臓の上を歩いているようだ、と、わたしたちは思うに違いありません、風は冷たく、なのに不快な湿気を孕んでいて、それはとてつもなく神経を消耗する元凶になるでしょう、讃美歌は不協和音に彩られ、鼓膜は硫酸の雨を浴びたかのように傷むでしょう、世界にはもう、穏やかな場所などないのではないだろうか、と、わたしは度々考えました、ひとの心は地に落ち、ごみ捨て場を掻き回してわずかな食べ物を探すような卑しいものたちが当たり前のように生きている、上面の清潔さと真面目さを振りかざし、下劣な笑みを浮かべているのです、このようなものたちとともに生活を繰り返せば、ほどなく泉は枯れ果ててしまうことでしょう、わたしはあなたのあとで泉に手を浸し、その冷たさに愕然とし、しかしどこか安堵した、一見矛盾とも思えるそんな感覚を覚えながら、静かに、静かに、心の底へと沈殿していきます、まるで、稼働を止めた原子力発電所の中に降る灰のように、そしてそれは、底に到達したとき、低い小さな、音叉のような音を一瞬立てるでしょう、そして、その音を聞くことが出来たものはひとりもいないでしょう、しかし音は、たとえ聞くことが出来なくとも身体で感じているものです、その音は教えてくれるでしょう、いまの心の状態について、無意識化で察知する感覚は、身体の中にそれまで存在しなかったなにかを生み出すはずです、それは成長であり、進化の始まりです、日常の中で覚えた余分なものがすべて?ぎ取られたとき、わたしたちは確かにそれを感じることが出来るはずです、わかりますか?血を理解するためには、いったんそこから遥かに遠ざかる必要があります、都会を離れ、雄大な自然を訪れて初めて、都会というものを知るみたいに、極から極へと、一瞬で飛び去ることは得策ではありません、そこに至るまでのすべての道の上にも受け取るべき現象はたくさんあるのです、必要な事柄をいくつか飲み込んだとき、血のぬくもりが初めて体内を駆け巡っているかのように感じるはずです、わたしは泉から手を放し、そのまますべての現象から離れてしまったみたいに感じます、体感している温度の変化によるものかもしれません、あるいはもっと精神的な要因があるのかもしれません、でもそれについて知ることはわたしの目的ではありません、わたしたちは寄り道を止めてまた歩き始めます、相変わらず、朝も昼も夜もない、四季もない、時間もない世界です、あなたは敷き詰められた内臓のような地面の上に、自分の生首があるのを見つけます、わたしも同じく、私自身の生首を見つけます、あなたはしばらくそれを見下ろしたあと、ひどく腹を立ててそれを蹴り飛ばします、それは毬のように弾み、それから地面に沈んでいきます、つくりものだ、とあなたは吐き捨てます、そしてそのまま地面に飲み込まれていきます、あっというまに、わたしは呆気にとられ、あなたの消えた地面と、わたしの生首をしばらくの間見つめます、わたしの生首はなぜか、自分が死して身体から切り離されたことにほっとしているような表情を浮かべています、わたしはそれを両手で広い、しっかりと抱きます、そしてたったひとりで歩くことを再開します、ひとりで歩くことになった、とわたしは考えます、けれど不思議なことに、怖れも心細さもそこにはないのです、ただやるべきことをやるだけだ、とわたしは考えています、あのひとの行動はあまりにも軽率に過ぎました、しかたのないことです、そんなふうに思い、それから、これはいったいなんなんだろう、と。首をひねるのです、あれは確かにあのひとの落度だった、そしてわたしはあのひとのそんな姿を初めて見たのです、そういうことだったのです、わたしたちはみな原罪を抱いています、そしてそれを、どうしようかと考えながらこうして歩き続けるのです、おそらく、永遠に歩き続けることが出来るだろうというほどの大地の上です、ふと、わたしは、夕焼けの感覚が薄れているように感じました、自分の生首を持って、わたしはぼんやりとこれから向かうのであろう方向を見つめます、そのときふと、もしかしたらこの先この風景を見ることはないのかもしれないと思います、それは正しくもあり、間違っているともいえる感覚です、現象はすべて心が作り出すものだ、ふとそんなフレーズが脳裏をよぎった刹那、空が真っ二つに割れ、閃光が注ぎ込まれます、わたしはその裂け目にとてつもないスピードで飲み込まれていったのです―。 ---------------------------- [自由詩]標準ジャップ/ホロウ・シカエルボク[2021年8月29日22時36分] 標準ジャップ、標準ジャップ 標準ジャップ、標準ジャップ オンギャと生まれたその瞬間、だけは 天使のようないい子でした 家に帰ったその瞬間から、乳くれ早くくれ今くれと 朝と泣く昼と泣く夜と泣く、うら若き母親疲労困憊 歩き始めたら無法地帯、オモチャに洋服おやつの散乱 掃除しても掃除してもなお片付かず 夫婦喧嘩も後を絶たず 豆だろうとペンだろうとなんでも食う、襖だろうと障子だろうとなんでも破く 幼さゆえの残酷さ 母親はキッチンでため息を繰り返す、幸せってなんだっけ いまはなんだか分からない 標準ジャップ、標準ジャップ 標準ジャップ。標準ジャップ 小学校で覚えた読み書き、ジャンプなコミックに入れ込んで 愛と友情、平和と冒険、テンプレの嵐に心を躍らせ プロを目指し始めた野球にサッカー、バスケットボール 上手くなったのは先輩面だけ ジュース買え、パン買え、肩を揉め、パワーボムかけさせろ 精神修行と称してやりたい放題 酒に煙草女に深夜俳諧 ルールになんて従わねえと嘯くわりにゃ 留年を怖れて試験勉強、ギリギリの成績で難を逃れ パイセンのコネで就職はオールライト 標準ジャップ、標準ジャップ 標準ジャップ、標準ジャップ なんだかんだ卒業して就職したその会社 合理性ガン無視の根性だけの体育会系 「頑張れば出来る」と謎の言葉真に受けて 頑張って褒められて鼻高々、出世コースまっしぐらで意気揚々 週末は同僚と遅くまで飲み歩き 呑み屋の女と適当にやっちゃって イッちゃって出来ちゃって詰め寄られてウェディングベル 住む家も内装も女房の思いのまま 新婚旅行の真っ最中から、一夜だけの過ちを悔やみまくる始末 ベランダだけで許される煙草を吸って 星を見上げて終わる毎日 標準ジャップ、標準ジャップ 標準ジャップ、標準ジャップ 息の詰まるマイホームに嫌気がさし 友達や同僚、先輩に後輩と夜毎練り歩く歓楽街 女房とさほど変わらぬ程度のねーちゃんと 適当にやっちゃってバレちゃって針の筵 関係修復に半年を費やし 物で釣っておだてあげてようやく改善 心入れ替えるかと思いきや バレぬように巧みに趣向を凝らし、スマートフォンにゃたんまりお楽しみの記録 そんな日々の積み重ねが身体を弛ませ ニコチンに塗れた肌はまるでダンボール 水面下でじわじわと蔓延る成人病 忙しさにかまけて気付いた時にゃ手遅れ 標準ジャップ、標準ジャップ 標準ジャップ、標準ジャップ 病室のベッドで寝ては起きて寝ては起きて 味気のない飯を食って検査をしてもがき足掻き こんなことならもっと健康的に生きればよかった、なんて 後悔するもなんもかんも後の祭り ぶら下がる点滴のリズムで続く なにひとつままならぬ肉塊の毎日 程なく告げられるもってあと数年 自棄になって暴れたくても身体は動かず (俺の人生はいったいなんだったんだ)と 天井に問いかけるも答えもない ついに弱気になって涙なんか流しちゃって 可哀想ぶってみるも所詮は自業自得 標準ジャップ、標準ジャップ 標準ジャップ、標準ジャップ ヘイヨー、標準ジャップ!当たり障りのない闘いしか出来ない、いかつい顔の腑抜け野郎どもよ お前らの人生なんて生まれた時から全部見えてる どうすればそこから抜け出せるか知ってるか?いや、知らねえからそんなとこに居るんだろうけどさ すべてを疑ってかかることだよ、これは真実じゃないかも知れないって そばにある定説のすべてを疑ってかかることだ 疑問符がなければ思考回路は起動しない、在りもんに乗っかって欠伸してるだけじゃあね あらゆる現象に自分だけの解釈を持つことだ、人生のあらゆる場面に 自分だけが感じてきたものを積み重ねていくことだ 結果、なにひとつ確かなものを手に入れることなく年老いてしまうかもしれない だけどそんなこと恐れたところでなんになる、結局のところ そこに飛び込んでみるかどうかさ、そこに飛び込んでみるかどうかなんだ 棺桶の中で駄々をこねるような人生を送りたくなければな いいか、人間は社会に制限されるべきではない お前たちは社会に作り上げられた人間もどきに過ぎない、俺を御覧 俺には俺にしか使えない言葉がある それは預金残高や肩書や職種やなんかとは比べ物にならない尊い財産さ それは長い長い時を経て築き上げた俺自身の 存在証明なんだ これには終わりがない、一度下りてしまえば、もう二度と上がることが出来ない 俺は一生、ここから下りたりしない、クソみたいな言葉をダラダラと垂れ流して 息絶える瞬間まで叫び続けてやるさ 標準ジャップ!標準ジャップ! てめえらは、ただ 黙って笑っているがいいさ! https://www.youtube.com/watch?v=-Dueq0Ekel4&t=5s ---------------------------- [自由詩]あぶれもの/ホロウ・シカエルボク[2021年9月5日14時58分] 世界の糊代に迷い込み、四方八方、己の居場所とはまるで違う有様で、色の薄い一日が繰り返される、精神異常者が見る見境の無い夢のような日常の中で、思考は数十年放置された廃屋の窓ガラスのようにひび割れ、所々欠損していた、吾身を殴り、気を吐き、理由の分らない衝動の渦の中で、極彩色の幻を見ていた、あぶれ児、他人の知らぬ詩を知り、他人の知らぬ旋律に踊り、他人の知らぬ生き様に焦がれた、地べたを這い、擦り切れた皮膚から滲む血のにおいを嗅ぎながら、それでも世界は、それでも世界は、己と共に在った、何を喰らっているのか分らないまま顎を動かし、知を得て、血を得て、要領を失った、それが生きるということだった、擦れ、壊れ、痛み、傷を受けるのは、同じ血がそこに無いからだった、他人の世界では同じ話が出来ることがすべてだった、糊代はその足が、自分以外の何かを踏みしめることは良しとしなかった、生活は、生命は、生存は、変換されなければならなかった、鼓動がもっとも確かに反響する真夜中に、それは書き綴られた、路は変換され、足を止めた場所で変換され吐き出され続けた、意味は求められなかった、それは重要ではなかった、理性は野性のように人の中にあるべきで、だからこそ理由は求められなかった、というより、それを求めるのに使う時が勿体なかった、時には呟き、時には叫び、時には咆哮だった、変換され織成されるものは、すべてを語ることがないままに明らかにした、例えば水が流れるように、朝には陽が、夜には月が空にあるように、あぶれ児はあらゆる時を、どこか現実感を欠いたその時の中を、夢遊病者のようにぼんやりとした目で彷徨い、その足取りが変換される時にだけしっかりとした態度で臨んだ、あぶれ児はやがて年月を経てあぶれものになり、より遠退き、より余計に、より確かに、誤差の中を徘徊した、これなのだ、これなのだと、熟した実を手に取るようにひとつひとつの現象に解釈を添えていった、それは時には同じものにたいして何度も行われ、挙句まるで違うものになるときもあったし、右往左往したのち結局同じところに戻って来る時もあった、あぶれものは気が済むまでそれを繰り返し、やがて満足げに何処かへと興味の方向を変えていった、幼いころよりも断層は複雑さを増し、進むことは容易ではなかったが、あぶれものは知るほどに妙に楽し気に歩みを続けた、自分がそんな運命を気に入っていることをとうに知っていた、ただまれに、血の近い誰かがそのそばで、要らぬ傷を受けた時などにその胸は痛んだ、それはあまりないことだったが、そんな記憶はなかなか薄れることがなかった、同じ目、同じ言葉、同じ感情、子供用の漫画映画を見ているような気分で、あぶれものは日常を歩き、時には認識を改め、時にはやはりそうかとため息をついた、もはや糊代の外の世界になどたいした興味は持てなかった、それはただ粗雑に整えられたからくりに過ぎなかった、あぶれものはそれをつまらないことだと思った、しきたりのために生きることは出来なかった、たとえそれがある程度人生を保証してくれるようなものだったとしても、あぶれものにとってそれは人生ではなかった、あぶれものは時々狂ったように綴り、叫んだ、その反響が自分の中で新たな命を生み出すのが楽しかった、インスピレーションは幾度も繰り返されて研磨されていくのだ、あぶれものが綴り続けるものはある意味ではたったひとつであり、己が生きる世界のすべてだった、あぶれものはもはや他のどんなものも必要としなかった、いまだ覚束ない世界の中を、内奥の堆積を引っ掻き回すことで折り合いをつけ、次の行方を模索し続けた、それでも時々は周辺にばらまかれた紙片にどれほどの意味があるのだろうかという考えにとらわれることがあった、けれどそれが不安や、失望や絶望の種にならぬほどには時を重ねていたし、それがどんなものであれただただ全うするだけだという覚悟はとうに決めていた、血を騒がせる以外のものは真実ではない、それが唯一の確信と言えば確信だった、あぶれものは生命に新たな色を付け続けた、あぶれものは同じ言葉でも違うように話すことが出来た、すべてのものには表裏一体の意味があるのだと知っていた、同時に、知っていることを信じないようにした、たったひとつの生命の端くれが知っていると自惚れた時点で、それは嘘になると信じていた、あくまでそれは、身をかすめていく風の感触のように感じていなければならないことだった、あるひとつの流れが一段落したとき、あぶれものは燃えるように暮れていく空を眺め、自分が最期に綴るものはどんな色をしているだろう、と、ふと考えた、それを思えばますます死ねなくなったし、生そのものをどこまでも追い詰めてやろうという気になるのだった、あぶれものは空を睨み薄ら笑い、こいつは今夜俺の机に並べられるだろう、と考えた、そして揺れながら静かにそこを離れていったのだ。 ---------------------------- [自由詩]カゲロウたちは永遠の詩編の中で/ホロウ・シカエルボク[2021年9月12日22時46分] 手頃な刃物で踝に刻んだ言葉は小さく、それは告白でも独白でもなく ただただ痛みと、意味と共に在り どうぞ私の手をお取りください、苦しみと、悲しみに潜む言葉たちの種よ 大衆食堂の裏側、排気ダクトから生活が吐き捨てられている 野良猫たちの会合、彼らはきっと 食事における私たちの、大仰な成り立ちを馬鹿にしているだろう 生ごみ用の、数個の巨大なペールのそばで ぺったりと道に腹をつけているのはきっと偶然ではないはず 湿地帯で楽し気に駆け回る亡霊、どこか撲殺を思わせる粘度で 蹴り上げた足が泥を撥ねる、彼らはまだ、死の中を生きている 廃車置き場越しに沈む夕暮れ、いくつかの狂騒のシンフォニー 指先の傷はいつの間にか、美しい痣に変わっていましたね 賛美歌をうたうように、信者たちは 涼やかな表情で、殺戮を繰り返す、崇める心はまるで 免罪符 ころして、ころさないで、ころしたくて、ころすことに 結末を急げばどこかに向けて銃口が持ち上がる ほんの少し、指先に力を入れるだけでよかったから みんな革命なんてことを考えるのでしょう 雨のあとの、汚れ、駆け足の水の流れを見つめながら 私は人としての穢れを、すべてその流れに任せてしまいたくて また大時計ががちりと時間を進めるのです 温かいうちにだけ血は流れ 冷たい床を菓子職人の細工のように染めるでしょう どうぞ私の手をお取りください、あなたにはもうそうするしかないはずです 死体は死に方を問わず同じところに集められ 高い温度の炎で骨になる、その、一部始終を どこかから忍び込んだ子供たちがいつだって見ている―見ている 木々の葉に残った雨粒たちが、強い風に煽られて夏よりも早く散る 机の引出の詩編はおそろくもう読まれることはないだろう 夜の中で目を凝らして、おかしな歌をうたうものたちに耳を貸しては駄目 路地裏をひとりでに歩く自動人形は、きっとゼンマイを直してくれるものを探している 短く小さく鳴く虫が潜む草むらを、狂気に慣れてしまったものたちの靴底が踏みつける 水平線のところで友達は見えなくなりました、おおい、おおいと、喜んでいるみたいに手を挙げて、いま思えばあれはさよならのつもりだったのかもしれません いくつかの夏には痛みばかりでした、ちょうどこの夏のような 少しずつ皮膚を削いでいるかのようなじりじりとした痛みばかりでした 振り子時計の振り子を見つめているうちに自分自身ではないものになれそうな気がしていた十五、長い廊下の先には巨大な蜥蜴がいて 私たちを飲み込もうと口を開けているのではないかという気がした放課後、ねえ いつだってこの世界には目には見えぬものが棲んでいるのです 授業中のノートの片隅の空白に、私はいつもそれを見ようとしていた、それに繋がる複雑な回路を 見つけようとしているうちにいつしか大人になっていたのです いつか私たちを取り囲んだ赤蜻蛉の群れが 網膜に残していった眩しい光のあとの残像のような軌道のことを覚えていますか あの夏、私のほとんどのものが死んだのです 果てしない森の奥で聞いた 豪雨のような蝉の声の中で ああ、何故、罵倒のような激しい夕立の中で、その痛みを嬉しいと感じたのだろう あの日が私を生かせ続けている、あの激しさが、冷たさが、喜びが いつまでも忘れることのない一番鮮烈な夢のように あの夕立は何故あんなにも私のことを打ち続けたのだろう 出来ることなら私は雲に上り 夕立のようにあなたを打ちたかったのです 夜に乗じてやって来るかたちのないものたち、私の頬を撫でて、思い出せと、許すなと―息の根を止めろと、そんな感情を、脳髄に溶かし込もうと枕を揺らし、私は顔を隠し、どんな心も見とがめられぬようにきつく目を閉じて、それらいっさいをやり過ごそうと必死になるのです、しかし彼らはなかなかに強情で、時には寝入りばなにやって来て、明け方近くまでそうしていることもあるので、私はあまりにしつこい時には枕の下に隠している縫い針を彼らに突き刺して遊ぶのです、すると彼らは悲鳴を上げて逃げていきます、その夜はもう戻ってくることはないのでのんびりと眠ることが出来ます、戦うことなく怒りだけをまくしたてるようなものに私はなりたくないのです、そんな夜の眠りには美しい、居心地のいい夢を見ることが多い気がします、でも、それは私の思い違いかもしれません 朝の光の中に、あなたはどんな詩編を見つけるのでしょうか、朝日は詩人を焼き尽くすための光だと、いつか、笑って言ったことがありましたね、私は、ベランダに立って、あの激しい光の中になにが隠れているのかと見つめてみるのです、そう 時々は、そんなものがいつの間にか綴りたい言葉に変わっていることもあったりするのです。 ---------------------------- [自由詩]静寂の裏側の出来事/ホロウ・シカエルボク[2021年9月17日18時02分] 怒りとも悲しみともつかない咆哮が脳裏でずっと続いていた、目蓋と眼球の間に、書き上げることが出来ない手紙が、皺にならないように丁寧に慎重に差し込まれているみたいで、そんな行場のない思いは瘡蓋の下でじくじくと膿んでいる古い傷のように僕の心情に爪痕のような上書きをいくつも刻みつけた、まるで心だけが吹雪にさらされているみたいだ、感想にはなんの意味もなかった、秋口の山肌を枯葉が風に弄ばれて転げ落ちているようなものだった、だから僕は感覚について言葉で確認することの一切を取りやめた、一方通行でしかない時間はまるで融通が利かなくて、ペットボトルの水はそいつに引っ張られてだんだんと温くなる、同じリズムだ、と僕は思った、生まれたときからずっと、肉体の周りで蠢いている限定されたジャンルのリズム、そいつには名前のつけようがなかった、といっても、あくまで、感情という部分でということだけど―強いて言うならばそれはいらだちとでも呼ぶべきものだったかもしれない、でもそれはそんな冠を乗せるには少し緩慢に過ぎたし、いらだちという感覚自身、僕にとって馴染みのあるものなのかどうかというのは非常に繊細で微妙な問題だった、それがどこから始まったのかは自分でもよくわからないのだけど、ある種の人間たちがこぞって人間らしさと呼びたがる様々な感情を、僕はどこかに置き忘れてきたらしかった、僕はどちらかというとそういった人間らしさというものを無残なものだと考えていて、そんな項目に手を付けることを出来る限り避けていた、だから、僕が人間らしくないという見解については自分自身完全に同意せざるを得ない、僕はそういった種類の定義が大嫌いなのだ、虫唾が走るくらいに?だから、もしかしたら、そういった種類の人たちならばこんな感覚をもっと上手く説明出来るのかもしれない、と考えなくもない、でも、そういった種類の人間たちは得てして、語るという行為において致命的な欠陥を持っている、それについては僕がわざわざ説明するまでもないことだ、それがどういうことなのかということについてはみんな、おのずと理解出来るはずだ?神経症的に、機械工学的に完璧な円のまま穿たれた洞穴の中を咆哮は反響している、ものすごくゆっくりに設定したディレイ・エコーみたいに語尾が弛んでいる、マシンガンが欲しいな、と僕は考える、あの語尾の尻尾を皆殺しにしたいのだ、全弾撃ち尽くすまで撃って、弛んだ語尾を撲滅したいのだ、そうすれば不快な耳鳴りに悩まされることもないだろうに、記憶が刻まれた脳味噌の皺について、バグがいくつかの障害を囁く、どちらが本当だろう、と僕は考える、そもそも僕は生身のバグのようなものだ、あくまで僕以外の標準的ななにかを基準にした場合ということだけど、それについては僕はひたすら反省を繰り返す以外にない、僕は、あらゆる誤差を本能的に理解していながら、どこかでそれを出来る限り修正していこうとしていたのだ、恥ずべきことだ、それは生命としての終焉のようなものだ、そう、そんなことは、別にどうだっていいことなのだ、誰かと手を繋いで棺桶に横たわるわけではないのだから?ねえ君、台風が近づいている、と、スマートフォンがやたらに話しかけてくる、いいんだよ、と僕はその度に返事をする、でも、やつはそれを決して聞こうとはしない、でも、とか、だけど、とかいう調子で、ひたすら情報を垂れ流してくる、誰も彼も勘違いしてやがるんだ、情報量が多いことが文明社会の証だって、でもそれは圧倒的に間違っている、電波に乗ってやってくる真実は肉体に刻まれはしない、皆画面をスクロールすることに慣れ過ぎてそのことを忘れているのだ、そうだろ、そう思わないか、何度目かの通知のあと、僕はスマートフォンにそう話しかける、うるさいな、とやつはいらいらした調子で答える、君が言ってるのはあくまで受信者としての問題なんだ、と口調をさらに荒げる、僕にどうこう言うようなことじゃない、そうだろ?君はいつもそうだ、と僕は返す、自身のスペックをフル稼働してあらゆるものをこちらに押し付けてあとは知らん顔、こちらがそれに乗っかれば当然みたいな顔をして、出来なければ見下した目をしてみせる、だからなんだ、これが僕の役目なんだ、とやつは叫ぶ、君はそうやって、面倒臭いことを言って誰かと違う自分がそこに生きているって信じたいだけなんだ、まったくうんざりするよ、朝から番まで僕を撫で回して陰鬱な比喩ばっかり書きやがってさ、あのさ、と僕は作為的な冷たさを演じながら言う、君は随分優しく撫でてもらうことに慣れているんだろうね、やつは顔を真っ赤にして、搭載されている様々なサウンドを次々に鳴らす、そして、もう知らない、勝手にしなよとそっぽを向く、僕はやつのホームボタンを何度も押してからかい、ゲタゲタと笑う、そんなことをしている間に語尾はもっと弛んで、どこまであるのかわからない洞穴のずっと奥の方に足を伸ばしていた。 ---------------------------- [自由詩]核/ホロウ・シカエルボク[2021年9月26日11時33分] 砂利道に零れ落ちた戯言は瞬く間に無に還り、舌癌の男の歌声がドラム缶に飲み込まれる、機能食品の後味だけが喉笛の入口でオシログラフの針を揺らす、ボトルネックプレイのブルース、環状線の高架の脚で錆びのような染みに変わる、町工場の廃墟の割れ落ちた窓の中からグラインダーの残響、狂気は路地裏の羊歯に張り付いた芋虫に憑依し、しゃれこうべ模様の羽を持つ蝶になる、ミクロネシアの流行病の話、暑い国のバグは決まって表皮を焼き尽くす、通り過ぎた散歩中の老人が大音量で鳴らしていたトランジスタ・ラジオからは、得体のしれないワクチンの効能について繰り広げられる議論、熱心な無関心を押し売りする関係者、矛先を間違える被害者の群れ、ヒス・ノイズの出所はいつだって不明、寝ている間に、鼓膜に書き殴られた醜悪な呪詛の言葉、大型電化店の液晶テレビに映し出される、見るも鮮やかなスモール・パッケージ・ホールド、貸本屋の火事のあと、燃えるだけ燃えた店主の死骸、ザクロがトレスされたポップアート、インスタ映えのストリート、鍵の掛かる、ファーストフードの生ごみ廃棄場、巨大な人工池のほとりで時に浸食された自転車、木枠にトタンを打ち付けただけの家に暮らすものたち、さざ波のようにやって来る夜明け、ブライト・ライツ・ビッグ・シティ、君の思い出は古い小説の数行の中に、明け方の為だけのサングラス、巨大な業務用洗剤の空缶に箒やらモップやらを詰め込んだものを乗せた台車を押しながらどこかの清掃係があちらからこちらへ、カーブミラーと同じくらいの関心と心情で海岸線の近く、四号線にはもやが立ち込めている、砂浜ではしゃぐベースボールクラブ・キッズ、彼らの声はいつだって高く擦れている、ブートレッグ・コンピレーションの、本人すら意図しないリアル、そんなものに憧れたエイティーズのファントムペイン、まるで航空機事故の死体みたいにばらばらに散らばりながら、確かな輪郭を失くしていく明日、慣れてしまえば喪失すらそうとは感じなくなる、泥沼を泳ぐスイマー、次々と沈んでいく、粘度の高い泡を水面に残しながら、彼らは水底で保存されるだろう、いつか、それを必要とする誰かが現れる時まで、この世は悲鳴で出来ている、俺が有限な限り、君が有限な限り、果てしなく続く古いブロック塀に書き殴られたスプレーの散文、苛立ちと、破壊願望と、お手軽な自由、そのすべてが中途半端なままだらだらと綴られている、歩道と側溝の間に伸びている雑草を踏みにじる、踏まれても伸びることが彼らのステイタスらしいよ、ボトルに入ったタブレットサイズのガムの奇妙なほどに清潔な味、人が道を歩くときに、そこに残していくのは決して足跡などではない、それは瞬間の生、瞬間の感情、言葉にする暇もないくらいの、瞬き程度の感情、心臓麻痺の老人は今際の際に無意味な羅列を残す、悔恨、悔恨、悔恨だらけの混沌、目を見開いてみたところで見えるものは限られている、路傍の石の草枕、飛ぶの飛ばないの以前に飛び方を知らない、コントラバスの乱れ打ちみたいな心拍、レッツグルーブ、魂の燃え滓、どうぞ取りこぼし無きよう、傍若無人、暴力反対、バーニングハンマー、溶岩の痛み、運命が糾う縄なら、片方ばかりが焼き付けられるのは何故なのか、俺の痛みは、君の痛みは、記憶として居座ろうとする魂の意地なのか、烙印のように紡ぐしかないのか、張り詰めた糸は触れれば切れるだけか、辿り着く場所などあるのか、穏やかな人生は夢物語か、俺は幸せなのか、君は幸せなのか、けたたましいサイレンを鳴らして何台かの消防車が通り過ぎる刹那、焼け焦げて燃え落ちる人々のモノローグは風に舞い道端で煤に塗れるのみか、それは詩か、それは詩じゃないのか、その線引きを決めるのは誰なのか、目に見えるものと見えないものの境界はどこにあるのか、見ることと知ることは同じものなのか、生と死は、上昇と落下は、幸と不幸は、同じ終焉に向かって突き進むのみか、ブリリアントデイズ、高速回転する幾つもの車輪の軋み、交響曲のような軋み、速くなれ、どんどんと早くなれ、もっともっと速く、もっともっと速く、呼吸があるから限界を知ることが出来る、限界は広がる、生を望む限り、命が先を望む限り、その先を知りたい、その先を見たい、その先を見せてくれ、その先を教えてくれ、どこまでも行こう、手に手を取り、だけど遅れたら置いていく、労う余裕はない、人生は速過ぎる、もうこんなところまで来てしまった、歩んだ道のりは焦土だ、だけどそれだけではなかったことは、胸の奥で渦巻く幾つもの痛みが教えてくれる、俺はキチガイで病人でまともだ、誰も俺のことなど決められやしない、一度掴んだものは手放してはならない、たとえそれがブスブスと手の中で猛烈な温度に変わり始めても、どうせ一度の人生、消し炭で終わるならそれもまた良しさ…。 ---------------------------- [自由詩]悪い飲みかたの話/ホロウ・シカエルボク[2021年10月3日22時08分] 悲鳴の在り方を、お前は、事細かに説明する、無意味だ、喋る価値もないようなものだ、俺はそんなものに興味はない、お前のそんな話を聞いていても仕方がない、けれどお前は喋り続ける、何かにとり憑かれたみたいに、それについて良く知っている、お前以外の別の意識に、身体を乗っ取られてでもいるように…一時間、二時間、三時間と、その話は延々続いている、まるで終わる気配がない、俺は諦めてソファーに横になる、話はまだ続いている、俺は苛立ち、寝返りを打つ、それでもお前は止まることがない、もはや、口を閉じるという選択肢をどこかへ落としてきたみたいに、瞳孔をいっぱいに開いて話し続けている、こいつをどうしたものだろう、と俺は考える、まったく、気でも違ってしまったのだろうか、それにしてもいい加減、口を閉じてもらえないものだろうか、俺はクタクタに疲れているというのに…俺の願いは届かない、俺の願いは決して届くことがない、俺はウィスキーのボトルに手を伸ばす、そいつを思い切りお前の頭に振り下ろす、ズドム、という鈍い音がして、お前の頭部が激しく一度傾く、それからお前は体勢を立て直し、とち狂った声でまた話し始める、二度、三度と俺は便を振り下ろす、割れるまで打ち付けてもお前は話すことを止めなかった、俺は砕けた部分を使ってお前の頭を削り始めた、氷の彫刻を作るみたいにさ…ざっく、ざっく、ストロベリーシロップをかけたかき氷みたいな破片がそこら中に飛び散る、お前は話し続けている、俺はさらに削る、俺はさらに削る、お前は話を止めることはなかった、頭を半分欠損して欠けた月みたいになってもお前は話し続けていた、駄目だ、と俺は思った、こいつを止めることは出来ない、俺は真っ赤な部屋をほったらかして外へ出た、様々な人間が悲鳴について話していた、俺は割れたボトルを手に持ったままだった、割れたところが真っ赤に染まった…夜でなければそれはあっという間に誰かに気付かれただろう、都合がいいことに、このあたりの外灯はすべて壊れていた、おかげで、そこらの窓のカーテンの隙間からぼんやりと漏れている灯りだけが、やりたくないけどしかたなくといった調子で路面を照らしているだけだった、そんなこともあって俺はただの割れたボトルを持った少々飲み過ぎた酔っ払いだった、俺はあてもなくふらふらと歩いた、ただ自分の部屋から遠ざかりたいだけだった、時が過ぎ、夜が更け、すれ違う人間がどこかへつまんで投げ捨てられたみたいにがくんと減って、気持ちはようやく落ち着いてきた、あの部屋に戻りたくないな、と俺は憂鬱な気持ちになった、あいつは今頃喋りやんでいるかもしれない、そして天国の階段を上っているころかもしれない、脳味噌をぶちまけて床に転がっているあいつを見て自分がどんなことを考えるのかまるで見当がつかなかった、でもそれはとても怖いことだという気がした、俺はだんだんと人の消えた街の片隅へと歩いて行った、パトロール・カーが後をつけてきているのに気付いたときにはもう遅かった、俺は諦めて彼らの呼ぶ声に振り向いた、彼らは銃を持っていた、銃口を俺に向けていた、俺は荷物を捨てて両手を上に持っていった、二人の警官が下りてきて、一人が俺を押さえつけ、壁に手をつかせた、もう一人が俺がまだなにか持っていないかとボディチェックをした、ボクシングのそれよりはずっと入念なチェックだった、よお、旦那、と若い方の警官が言った、「まず、あんたが持ってた血まみれのボトルについて話してもらおうか?」女を殺したんだ、と俺は答えた、若い警官は緊張したが、もう一人の警官が首を横に振った、「返り血を浴びてない」「手のひらを上にしてこちらに見せてみろ」俺は言われるがままにした、うわっ、と警官が低い声を上げた、「左手が血まみれだ」「自傷癖があるのか?」そんなものはない、と俺は答えた、ドラッグは?と警官は続けた、俺がなんて答えるか知っているみたいな聞き方だった、「やってないよ」と俺は答えた、警官は頷いた、それについてはもう追求されなかった、とにかく病院に行くべきだ、と彼は言った、財布を持って来ていないからいいと俺は答えた、気にするな、と警官は答えて、俺をパトカーに押し込んだ、女を殺したんだ、と俺はもう一度言ってみた、「その話はあとだ」警官はパトカーを静かに走らせた、救急でクソ痛い麻酔注射を打たれ、クッションでも縫うみたいに傷を縫い合わされ、ガーゼで覆われたあと、包帯でぐるぐるにまかれた、コメディ映画で見るような大袈裟な巻き方だった、お金は気にしなくていいから明後日また来なさいと医者は言った、それから、警官の方を向いて、三週間くらいだね、と言った、警官は頷き、治療費は俺に言ってくれ、と答えた、医者は頷き、今は会計がやっていないから明日また来てくれと言ってすべて済んだ、「さあ、家に送ってやる」と警官が言い、俺をまたパトカーに押し込んだ「いやだ」俺は押し込まれながら言った、「死体がある、女の死体が」ふー、と警官が短い息をついてこう言った、「なあ、よく聞け」犬に言い聞かすみたいに俺の顔を両手で挟んだ、「あんたがあの家で女を殺したのは今から二十年前だ」「殺されても仕方のない女だった、みんながあんたに同情して、あんたは五年間ぶち込まれて帰ってきた」「それから何度も俺たちはこうしてあんたを病院に連れて行ってる」「思い出せよ、俺たちはすごく大事な話をしているんだぞ」俺は予想もしない言葉に目をぱちくりさせた、それから、いいさ、と話を切り上げた、「俺の部屋に行けばすべてわかるだろう?上がっていってくれよ、死体と一緒にコーヒーでも飲んで行ってくれ、今日の礼としては安いけどな」ああ、と警官はまるでそんな風に誘われたのが初めてじゃないみたいに、表情を動かさずにそう答えた、俺はなんだか自分のしたことに自信がなくなっていった、部屋には僅かな血痕があるだけだった、俺は狼狽した警官たちを見た、「どうかね」わからない、と俺は答えた、やれやれ、と警官たちは首を横に振った、「とにかく早くベッドに入るんだな、一晩眠れば気分も良くなるさ」そう言って彼らはパトカーに乗って帰って行った、俺はしばらく部屋の中に立っていたが、突然無性に悲しくなり、キッチンの引出に入れてあるオートマチックを取りに走った、でも引出の中にはなにも入っていなかった、「畜生」俺はそう呟いた、警官たちが俺に黙って持って行ったに違いない、眠れるわけがなかった、俺はキッチンの蛇口を捻り、冷たい水を浴びながら一晩中泣き続けた、そのせいで風邪を引いて酷い熱が出たけれど、酔っぱらって変な夢を見るよりはよっぽどマシなことだった、傷はそのあと医者に見せることはなかったけれど、包帯が汚くなるころには勝手に治っていた。 ---------------------------- [自由詩]ありがとう、おやすみ/ホロウ・シカエルボク[2021年10月7日9時40分] ときおり 訪れる 叫びの衝動 だけど そいつを 信じてしまったら たぶん 終わりの始まりだろう 暖かいとも 冷たいとも 言いがたい どっちつかずの夜 寝床の中で 狂人のように 霞んだ目を見開いて そこからの景色は いつまでも変わらない いくつになろうと どこに住もうと 本当のさよならを言うときが来る 望むと望むまいと そんなときがきっとやってくる 最後に目にする背中が きみじゃなければいいな ぼくたちは勝手だ 自分のパズルに 誰かを当てはめて 一枚の絵が出来るって 真面目に信じてる ぼくはいびつだ いつだってそう言ってきた でも、ぼくもきみも そんな言葉に すっかり慣れてしまって いつかしら そんなこと 本当だって思わなくなっていたのかもな ぼくらはみんな それが叶わないと知りながら だれかを信じようとする さようなら、さようなら ほどよい右手の振りかただけが 妙に上手になってしまったと気づいた夕方 あのとき、ぼくのそばに どんな武器も見当たらなくて本当によかった いつからだろう 音楽が流れていないと 眠ることが出来なくなったのは しんとすると 余計な音が聞こえてしまうから 連れて行ってくれるものを求めてしまう 表通りを走り過ぎる車の ちょっと非常識なボリュームで流れているラジオが 午前零時を告げながら遠くなって行った そういうのって、ちょっと 珍しい出来事だと思うんだけど いつの日か 懐かしい絵画のように 語れるといいね 眠りはまだ遠いみたいだけど もしか言いそびれたりしないように おやすみを言うことにするよ そう 黙って 右手を静かに振るみたいにね ---------------------------- [自由詩]The Root Waste Disposer/ホロウ・シカエルボク[2021年10月10日21時57分] 滑落し、転がり、露出した幾つもの岩石に研磨されながら、激突し、砕かれ、折れ、失い、果てしない距離を、途方もない時間を、次第に確固たる死へと導かれてゆく、ただの夜に迎える感情のおおよそにはそんなビジョンがある、それは正面では上映されない、スクリーンは、隠れるように、けれど確実に、微かにとらえられる、そんなポジションを常に維持している、そして、繰り返される、同じ衝撃、同じ痛み、誰かが人生は糾う縄だと言った、必ずしもそうではないと言い切れるのはこんな夜の我が身をおいて他にないだろう、人生、悪いことばかりじゃないよ、なんて、そんなおためごかしを本気で信じることが出来るのは、所詮枠内で生きている人間ばかりだ、どういう意味か分かるかな、「人生」「幸運」「不運」「夢」「希望」「絶望」そういったカテゴリの中で泣いたり笑ったりしてる連中だってことさ、本当の滑落の途中、人はいったいどんな景色を見るのだろうか、ただただ死のスピードで動いていく、さっきまで穏やかだった景色をただ見つめるだけかもしれない、そこには思考する隙間など存在しないかもしれない、そう考えるのが普通だ、それなのにすんなりとそれを受け入れられないのはそうしたビジョンに慣れ過ぎたせいなのか、滑落を生きている、いつだって滑落の中を―そこから抜け出す手段を探すのがきっと人生の目的なのだとそう思っていた、でもそれは間違いだった、どんな手応えがあろうと、足掻きの中で何を手中に収めようと、それは必ずやってきた、何度目かの夜に、これは間違いなのだと気づいた、これがそうなのだ、この景色こそが…地獄のステージのひとつめにこんな地獄がある、人減同士で殺し合いをし、食らう、食われたものは食われ終わるとまた蘇り、また同じ闘いの中に身を投じる―これはそれと同じだ、滑落の中で、そのスピードと、痛みと、衝撃の中で、出来る限りのものを見なくてはならないのだ、どんなものを見つけても景色は変わらなかった、これにはきっと確実な意味があるだろう、そんなものを見つけてもそれは必ず始まったし、どこかで止まるというようなこともなかった、それは決して動かないものなのだ、必ず起こるというのはそういうことだ、必ず起こるというのは変化しえないということなのだ、それはある意味で約束された出来事といえた、約束された出来事の中で、受け止め続けることだけがルールのように思われた、そもそも、滑落である以上どんな抵抗も成り立つわけはないのだ、もしもそんなことが成り立つならそれは滑落なんて言葉で語られることすらないだろう、その中をじっと見つめていると時々、赤いものや白いものが見えた、身体が削られているのだ、自分の破片がそこらにばらまかれているのだ、その認識は、痛みをこれまで以上に確実なものに変えた、理由が生まれると現象は力を増すのだ、耳を澄ましてみた、地面の上を滑る音、激突音、折れる音、砕ける音、特に音には様々な種類があった、じっと耳を澄ましていると、どこからその音がしているのか聞き分けることが出来るようになった、それからは痛みの知覚の仕方も随分と確実なものになった、そうして知ることをひとつひとつ増やしていくと、初めはどこかで朦朧として失われていた意識も、次第に長く保たれるようになった、現象そのものは変えられない、しかし感覚はある程度変えることが出来るのだ、それが収穫といえば収穫だった、それは突き詰めようと思えば幾らでも突き詰めることが出来た、肉体のどのあたりの損傷なのか、どのあたりの血管から流れている血なのか、かすり傷か、それとも致命傷か―「滑落」という現象について一冊の本を書きあげているみたいな感覚だった、どんどんと、どんどんと、そのページは増えていった、滑落について書かれた本は、図書館の奥で埃をかぶっている、取り出すことにも苦労しそうな百科事典によく似ていた、そのうちに、滑落しながら笑うようになった、ちょっとした笑みではない、げたげたと笑いながら滑り落ちていくのだ、その滑落について、分からないことはもうほとんどなかった、新しいことを知るのにも大して苦労はしなかった、ただひとつ、どうしても分からないことがあった、それは、どこかで止まった時、身体は、精神は、いったいどうなっているのだろうということだった、そのビジョンはいつも、必ず途中でカットアウトされていた、その先はもうないのかもしれない、あるいは、まだ知るときではないのかもしれない、もしかしたら、本当に命が潰えるその瞬間になって初めて見えるものなのかもしれない―けれどそれはすでに恐れるようなことではなかった、だってそうだろう?少なくともそれは必ず、幾つかの新しい何かをこちらに教えてくれるに違いないのだから―。 ---------------------------- [自由詩]「あなたを待っていたのよ」なんて、退屈している女ならみんな口にするものだ/ホロウ・シカエルボク[2021年10月12日22時37分] 街外れの巨大な交差点に遺構のように居座っている歩道橋の橋脚に点在するこびりついたある種の伝染病による斑点を思わせる赤錆は、それが置き去られた無機物に歌える唯一の詩だとでも叫んでいるみたいに見えた、かつては数えきれない人々が逸りながらそこを渡って行ったかもしれない、でもいまそのあたりを行き過ぎているものは、いつかなにもかもを薙ぎ倒してしまおうと目論んでいるかのような郊外特有の猛烈な風ばかりだった、吹きすさぶ風の中に居るとまるで何かを誤魔化されているような気分になる、隠していることを悟られまいとのべつ幕なしに喋り続ける詐欺師と対峙しているみたいな、そういう気分、もしもこの風をバイクのカバーを外すみたいにベコッと取り外して隅に追いやることが出来たらこの目には何が映るのだろう、この耳には何が聞こえるのだろう、そんなことを考えてはみたけれど、でもそれは今すぐ宇宙空間に行きたいと願うのとさほど変わらない無意味な願いだった、歩道橋のステップは見た目ほど心許なくはなく、むしろ安心感さえ覚えるほどの確かな硬質でスニーカーのソールを受け止めた、歩道橋の中央で立ち止まると、片側三車線の道がただただ前後に、虚ろとも呼べるほどの感覚で伸びているのが見えた、歩道橋の上から見る景色は悪くない、それがどんな種類のものであろうと、それはきっと歩道橋の上からしか見ることが出来ないものなのだ、靴底がとらえる感触には少し砂が混じったようなノイズがあった、しゃがんで撫ぜてみると確かに微かに細かい砂が積もっているようだった、このあたりには砂地などない、いったいこれはどこからやってきたのだろう?塵や埃が湿気などで固まり、こういった感触を作り出しているのだろうか?考えても答えが出ないことは分かっていた、だから、それきり靴底の感触のことは忘れて歩道橋を渡り終えた、渡り終えたところで振り返ると、上るときと全く同じデザインの階段が同じ角度で伸びていた、閑散とした景色の中で歩道橋の両端をしげしげと眺めてみたことがあるだろうか、一度やってみるといい、それはパラレルワールドの存在を納得するのに十分なくらいの感想にはなる、昔、このあたりには巨大な遊園地とショッピングモールがあった、誰もがここを訪れ、娯楽や買物、食事を楽しんでは帰って行った、ある時彼らは帰ったきり二度と戻っては来なかった、ここはすべての居住区から遠過ぎたのだ、だからこそ出来た巨大な施設ではあった、でも、だから、あっという間に廃れる羽目になった、それがあった場所はいまただの固められたアスファルトになっている、一見すると駐車場のようだし、実際そこに車を止めたところで誰かに文句を言われることはない、常駐したって全然問題はない、でも、ここに車が止まることはない、誰に踏まれたこともあまりない黒々としたアスファルトを眺めていると、遙か昔ここで無残な争いでもあったのだろうかという気がしてくる、整地されただけのだだっ広い空間というのは、どこか忌わしい連想を呼び起こすものだとこの土地は教えてくれる、野球の試合が同時に4ゲームくらいは出来そうな広い敷地の中央まで歩き、腰を下ろす、じっとしているとたった一人の生き残りになったような感じがする、それは想像していた以上に奇妙な感覚だった、気味が悪い、と同時に、このままその感覚に身を任せていたいと思うような何かが潜んでいた、それは、苦しまない死への恋慕のようなものかもしれない、もしもそんなものが存在するのなら、人間の数がこれほど増えることはなかっただろう、居心地がいいわけでも悪いわけでもなかった、だからこそ何時間でも座っていられるだろう、そんな気がした、だからさっさと退散することにした、そこに座り続けることを覚えてしまったら、もう現実世界には戻れないかもしれないと思ったからだ、景色は動かず、車道には車の影もなく、もはや写真のようだと言っても差し支えなかった、風と、光の蠢きがなければ本当にそのまま、その異常さの中に取り込まれてしまうに違いない、二軒の家が、ガリバーがのんびり横になれるくらいの間隔を開けて建っていた、どちらの家にも住人が居ないことは明らかだった、ここが栄えることを信じて飛びついた誰かが居たのだろう、遠目にもそこが住処として使われたことがないらしいことは見て取れた、バースデーケーキの食べられない飾りみたいな悲しみを二つの建物は秘めていた、その家に向かって歩いた、それを見物したら現実に帰ろう、そう思いながら、近づくにつれその薄ら寒い空気に震えさえ覚えた、一つ目の家にはすべて鍵が掛かっていて入ることは出来なかった、その鍵はいつか開かれることはあるのだろうか、そう思いながら二軒目に向かった、そのころにはどうせ駄目だろうという気持ちになっていたが、そんな予想に反して玄関のドアはなんなく開いた、家具の全く置かれていない屋内には埃だけが積もっていた、一人で内見に来た客のように一つ一つの部屋をゆっくりと見て回った、一階には何も無かった、家具どころか、語るべき特徴すらない、標準的日本人がなんの疑問も持たずに住む、そんなつまらない家だった、二階への階段を上る途中、変に空気が重くなったような気がした、きっと、締め切られていたせいで籠っているのだろう、そう思って先へ進んだ、二階には三室あった、やはり、何の変哲もない部屋だった、まあ、入れただけでも…そう思いながら最後の部屋のドアを開けて、思わず立ち竦んだ、そこにはキッチンのテーブルセットのような凝った細工の椅子が一脚だけ置かれてあり、その椅子には実際の子供くらいの大きさの、煌びやかなドレスを着た外人の少女の人形が腰を下ろしていた、近づくと、彼女は礼でもするかのようにぺこりと頭を下げて、それからこちらの目の中を覗き込んだ、こんなところに寄らずに早く帰るべきだったのだ―少女の人形はそれからにこりと笑い、甘えるようにこちらの手を取った。 ---------------------------- [自由詩]それは日向の路上でふと頬をかすめる雨粒に似て/ホロウ・シカエルボク[2021年10月19日14時13分] もう数十年のキャリアを誇るだろう生ゴミ用のポリバケツには今日も腹を存分に膨らませたビニール袋が蓋が少し持ち上がるくらいにまで詰め込まれていた、俺にはそれが薄笑いを浮かべ、帽子を持ち上げて挨拶をする気障野郎に見えて仕方がなかった、明方の裏通りは高さだけは一丁前のビルディングに囲まれてそこだけ時の流れから取り残されたかのようにまだ闇を抱えていた、物陰で己を過信した野良犬がこちらを警戒して唸り声を上げていた、俺はそれを黙認して通り過ぎた、いずれ誰かに棒切れで殴り殺されてしまうだろう、もしかしたらそのまま解体されてそいつの腹の中で消化されてしまうかもしれない、なんにせよ俺の知ったことではない、雨の匂いがした、でもそれは気のせいかもしれない、ビルの根元に染み付いた誰かの小便の匂いかもしれない、どちらにせよやはり俺の知ったことではなかった、雨に濡れることよりも不幸なことはこの世にはごまんとあるのだから…約束の時間はもう過ぎていたけれど気にしてはいなかった、向こうにその気があるかどうかも定かではないのだ、少なくともそこまで歩く間は退屈な思いをしなくて済む、だから歩いているだけのことだ、追われているのか脅されているのかタクシーが物凄いスピードで走り去っていった、誰も道路を横断しようとしていなければいいけどな、と俺は余計な心配をした、ジャックダニエルの角瓶が道に転がっていた、時代錯誤な髭の野郎は何故か誇らしげに見えた、シグナルは壊れていた、ショー・ウィンドウの割れた閉店したスーパーの中で誰かが眠っているのが見えた、どんな理由があってそんなところで眠っているのか、酒かドラッグで前後不覚になってしまっているのかもしれない、目立たない建物の中で眠っているという点では、まあまあ賢い方だと言えるのかもしれない、そんなレベルで良し悪しを競うことにどれだけの価値があるのかはわからないけれども…存在価値の無くなった建物の中で眠るとき、人はどんな夢を見るのだろう?ふとそんなことを考えた、その瞬間にはどうでもいいことに思えたが、そのささやかな疑問符はどういうわけかしばらく頭から出ていかなかった、もしかしたらこれからもことあるごとに脳裏を彷徨き回るかもしれない、そんなふうにまで思わせてしまう何かがその疑問符の中には潜んでいた、廃墟の中で眠るー俺は廃墟の中で眠りたいのだろうか?それはこの疑問符に対する問いかけとしては適当でない気がした、といって、他に何も問うべきことを思いつけなかった、だから俺は廃墟の中で眠ることを想像してみることにした、それはなかなかに大変なことのように思えた、まずどこで横になればいいのかすらわからなかった、中にベッドがあればそこで眠るべきなのだろうけど、埃や虫のことを考えると到底出来そうになかった、まだソファーか何かにもたれて、とかの方が受け入れやすい感じがした、寝床は決定した、あとは、上手く眠れるかどうかだ、それは可能な気がした、きっと出来るだろうと思った、誰しも授業中にぐっすりと眠ったことがあるはずだ、人間は意外と、どんな姿勢でだって熟睡出来るいきものだーと、そこまで考えたところで、自分が基本的にそれをたった一度の、気まぐれのようなものとして考えていることに気がついた、どうやら向いていないらしい、俺はそれについて考えることをやめた、ところで夜は本当に明ける気があるのだろうか?もう随分と歩いているのに通りは一向に明るくはならなかった、ラジオが言うには今日は一日気持ち良く晴れるはずだ、表通りは白み始めていた、いくら裏ぶれた通りだからって既に明るくなっていなければおかしい…けれど実際のところ、それほどの時間が経過したわけではなかった、俺はもの思いに耽っていたので、途方もない時間が経ったと勘違いしただけだったのだ、何もかもが嘘のようだ、そんな感じがしたが別にそんなのいまに限ったことではなかった、ただいまが、そういったことを感じるのにちょっと適している時間だというだけのことだった、この世界は常に嘘のようなもので満ちている、その原因はあまりにも不確かな、不確実な自分自身の存在に寄るものだ、不確かな存在を抱えて世界を生きていくにはどうすればいいのか?そんな存在である自分自身にどこまでもこだわり続けていくことだ、そこには間違いもたくさん生じるだろうし、ひどい遠回りになることも頻繁にある、だけど、人間なんて正解のために生きているものじゃない、行動と結果の連鎖の中で、何を見つけ、自分のものにしていくのか、それだけだ、俺は自分を正しい人間だなんて思ったことはない、ただ、この俺を生きるのにこの俺以上のいきものなど存在しないということを知っているだけなのだ、暗闇の中にゆっくりと、頬を撫でるように新しい空気が立ち込めていく、ようやく、この裏ぶれた通りの誤差は修正されるらしい、少しずつ風が吹き抜け始める、世界は確かに動いていた、俺は表通りへと向かって歩みを進めた、1日が始まる、誰のものでもない自分自身だけがずっと誇りだった、そして、これからもそれは、決して変わることがないだろう。 ---------------------------- (ファイルの終わり)