風見鶏 2007年12月26日11時46分から2010年5月20日16時12分まで ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]チラシの裏/風見鶏[2007年12月26日11時46分] 最近何をやってもパっとしないので、詩でも書いてみようと思っても浮かばない。 仕方ないので何か散文を書こうとメモ帳を広げても5分ぐらいで飽きて消す。 小説を書こうと意気込んでみてもプロット段階の途中で何も浮かばなくなる。 やること成すこと全てがイマイチなのでゲームセンターで麻雀をするものの勝てやしない。 ゲームをやってもすぐに飽きるし、漫画を読んでてもすぐ飽きる。 DVDを何本か借りてきたけど見る気が起きない。ニコニコ動画も最近見てない。 忙しい時はあれほど娯楽に飢えていたというのに、いざ暇になると何もする気が起きない。 人間こうやって腐っていくんだなとしみじみ感じる。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]音楽的詩論 一限目 「君が代」/風見鶏[2008年3月30日0時56分]  1999年、アルバム『冬の十字架』に収録された忌野清志郎の『君が代』は、ユニバーサルミュージックから発売禁止処分を受け、結局インディーズレーベルのSWIM RECORDSから発売される事になった。  『君が代』という国歌を取り巻く状況は現在芳しいものではない。  戦後、この国歌は天皇を賛美する軍国主義の象徴であるとして大きな批判を受けたし、それが現在の左翼主義的な不起立・不斉唱などの問題に繋がっていると言っても良いだろう。  最近では、ある中学校の卒業式において一人を除いた生徒全員が国歌において不起立・不斉唱をするなどという異常な事態にまで発展してきている。  これに対しては色々な意見があるだろうが、個人的には教員がやる分には構わないと思う。  あらゆる主義・主張が存在する中で、個人の思想というものは限りなく自由であるべきだと信じているし、国歌を歌わないという事が教員の責務の放棄であるという自覚があり、それを踏まえて尚主張したい事があるのであれば勝手にやっていれば良いと思う。  ただ、子供を巻き込んで事態を拡大させようという姿勢は、これまた色々な意見があるだろうが自分は賛同できない。  というのも、たかだか14・15の人間的に幼い子供に『君が代』の経緯を語れば、多感な時期である子供達がそれに反発しようという動きになるのは当然だし、言ってしまえば自分達の主張のために子供を利用する悪質な扇動以外のなにものでもないからだ。  だいぶ話が逸れてしまったが、こんな感じで国歌の立ち位置は戦後微妙な立場にある。 最も、多くの人にとって国歌へのイメージは好きでも嫌いでもなく、どうでも良いだと思うが。  さて、そんな背景もあいまって忌野清志郎の『君が代』は反響を呼んだ。  パンクロックのバンドが国歌をアレンジして演奏するという事事態は実は珍しい事ではない。  彼らのそうした動きは、反社会的なものとして扱われるし、事実そういったものでもある。  保守的な人間には嫌われたし、反体制的な人間には無意味に迎合された。  (例えば清志郎の『君が代』は、売国奴と名高い筑紫哲也に意味も無く絶賛されていた。)  ロックが右か左かと問われれば、それは間違いなく左だし、パンクロックはアナキズムにも通じる。  ただ、そんな中で清志郎の『君が代』を、単なる反体制的な、或いは反国家的な思想と切り捨ててしまうのは、余りにも簡単で、そして余りにも安易な事であると言わざるをえない。  忌野清志郎の切り開いたパンクロックの舞台は、情けないほどの自己愛と自己肯定の上に成り立っているし、だからこそ彼は多くの人からリスペクトされ、そして愛されている。  そんな彼が安っぽい体制批判をして愉悦に浸るような人物かと言われれば答えはNOだ。  君が代の詩を振り返る ――君が代は 千代に八千代に ――細石の 巌となりて 苔の生すまで  「君」は古語において「単純な二人称」「君主」の二つの意味がある。  「君」を天皇として扱うなら、確かに「あなたの世はずっと続きますよ^^」という天皇賛美でしかない。  しかし、「君」を「君主」ではなく「単なる二人称」にしたならばその意味は大きく変わってくる。  そもそも君が代は国歌として成立する以前は一介の和歌であった事も注視するべきだろう。  芸能として存在した和歌において、折によって多重的な解釈ができるよう作られたと考える事は極自然な事であり、そこに一元的な解釈を加えること事態がそもそもナンセンスである。  第一、古今集の賀歌には聖代を寿ぐ意識よりも、長寿を祝い、祈る意識のほうが遥かに強い。  なにより、マスコミュニケーションの発達していないこの当時の民衆にとって、君主とは手の届かない、想像も付かない、雲の上の神や大昔の伝説、おとぎ話に近い概念であった事も注目するべきで、これを踏まえると、当時の『君が代』における「君の長生」を祈る歌詞は、民衆にとって忠誠心や尊王とは切り離された「祝福」に近い意味で捉えられていたと考えられるだろう。  それを踏まえた上で清志郎の『君が代』を振り返る。 ――俺の目の前にいる君がよ ――今日よ大阪城ホールによ ――来てくれてよ盛り上がってくれてよ ――俺がよ君がよ大好きだぜ ――大阪城ホール演奏中のMCより抜粋  清志郎の『君が代』が曲を卑下するだけのアレンジであったのならば、こんな言葉は出ないだろう。  演奏中に清志郎は『君がよ』という言葉をオーディエンスを指差して言い、『大好きだぜ』という言葉で締めた。  だからこれは国歌に対する中傷でも卑下でも無く、純粋な和歌『君が代』のカヴァーなのだ。  清志郎は左翼的思想とは無縁に『君が代』本来の意義の一つを掘り返したに過ぎない。  少なくとも明治政府の成立以降、国歌として制定された『君が代』の中には天皇を賛美する意義が多分に含まれているのは事実で、軍国主義の体制下に利用された象徴である事も事実ではあるだろう。  ただ、本来この歌が愛すべき人の長生を願い、繁栄と平和を祈る曲であったという側面がある事もまた事実だ。  だから、必要以上にナショナリズムを煽って愛国心を掻き立てる必要は無いし、必要以上に軍国主義の、或いはカルト的な天皇崇拝の象徴として毛嫌いする必要も無い。後は、自分で考えて判断すれば良い。  義務教育を終えて、高校も卒業した今となっては再びこの曲を歌う機会があるかどうかはわからない。  それでも、いずれまたこの曲を歌う事があるとするならば、その時は玉座で踏ん反り返ってる誰かのためではなく、喜びを分かち合える誰かのためにこの曲を歌おうと思う。 http://www.youtube.com/watch?v=UwodtldRCuQ&feature=related 著作権? なにそれ美味しいの? ---------------------------- [自由詩]ペペロンチーノ/風見鶏[2008年3月30日1時59分] ペペロンチーノ ペペロンチーノ アーリオ・オリオ・ペペロンチーノ 貴方に昼時の空腹を何度助けられたかわからない アーリオ・オリオ・ペペロンチーノ 肉と一緒に炒めて食うのは邪道と頭でわかっていても アーリオ・オリオ・ペペロンチーノ 僕は明日もペペロンチーノ 唐辛子と油を絡めたアーリオ・オリオ・ペペロンチーノ 明日の昼のお茶漬け代わりに3束ぐらいならいけるよね ペペロンチーノ ペペロンチーノ 食べたら帰るが京都の礼儀よ ペペロンチーノ ペペロンチーノ みんな大好きペペロンチーノ ペペロンチーノ ペペロンチーノ アーリオ・オリオ・ペペロンチーノ ペペロンチーノ ペペロンチーノ アーリオ・オリオ・ペペロンチーノ ペペロンチーノ ペペロンチーノ アーリオ・オリオ・ペペロンチーノ お茶漬け代わりにまた逢おう ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]疑う者は救われる/風見鶏[2008年4月5日23時33分] 一限目 世界史 『パンが無いならケーキを食べればいいじゃない』 この歴史的な名台詞を誰が言ったかは定かではない。 少なくともマリー・アントワネットでない事だけは確かな事実である。 バスティーユ牢獄は政治犯の収容所ではあったが、待遇が格別に悲惨だったわけでもない。 全てのイメージは政治的なプロパガンダの生み出した幻想である事を多くの人は知らない。 彼女の浪費癖が国の財政を傾けたほど激しかったという事は誰でも知っている事だろう。 だが、フランス革命後にフランスの国民総生産が三分の一も減った事はあまり語られない。 フランス革命においてキリスト教が弾圧されていた事も、あまり知る人はいない。 フランス革命の生み出したものは、共産主義的な恐怖政治と数十年に及ぶ混乱のみだった。 これを正義のための革命と称するには、少しばかり無理がある。 ニ限目 日本史 そういえば、明治維新が日本の近代化を急速に推し進めたのは誰もが知るところである。 この国に民主主義をもたらし、文明を発展させた功績は確かに偉大なものであるだろう。 しかし、その裏で天皇崇拝というカルト宗教を樹立した事について触れる人間は少ない。 『踏み絵』と呼ばれる江戸幕府のキリスト教弾圧は恐らく殆どの人が知っているだろう。 しかし、明治政府が国家神道に反する神話の多くを焼き払った事は余り知られていない。 尊皇攘夷の元に政教一致を目指した事も、それに失敗した事も、大抵の場合語られない。 現代においても、政教分離を謳いながらも、しっかりと宮内庁は存在する。 ましてや、どこかの与党は新興宗教と深い繋がりを持っている、というかそのものである。 ちなみに創価学会はフランスにおいて『セクト(カルト)教団』として認定されている。 北朝鮮は絶対におかしいと断じれるのに、自分達はそういった現状に甘んじているのだから笑い話にすらならない。 三限目 公民 貴方の一票が日本を変えるなどという嘘八百に騙されるような人はたぶんいないだろう。 選挙などというものは、個人の勝敗はともかくとして大抵の場合勝敗は決まっている。 例えば、前回の参議院で民主党が大勝するのはわかりきっていたのと同じ事である。 多分、次の選挙では自民党が大勝するだろう。後10年もすれば、また元に戻る話である。 ちなみに、公明党は自民が勝っても民主が勝っても与党に君臨できるのは言うまでも無い。 なんせ『P献金』の話題が出た途端に、国会中継が止まるほどである。 そういえば、ホワイトカラーエグゼプションなるものがる。 知ってる人も多いだろうが、要するに管理職の残業代を免除する法律である。 これに賛成しているのは与党で、反対しているのは野党というのは実にありきたり。 そして、事実として自民党は経団連から毎年20億を超える政治献金を受けている。 ちなみに、経団連のトップは御手洗冨士夫である。デスノートに書くなら今のうち。 かといって、民主党の上のほうは売国奴なので間違っても図に乗らせてはいけない。 共産党みたいなソ連の亡霊も、個人的には好きだけどあまりお薦めしない。 一番無難なのが国民新党。基本的に自民党なので力を持ったら面白いかもしれない。 ただ、国民新党は最悪の場合は普通に自民党に懐柔される危険性もあるのでそこはまぁ。 四限目 地理 さて、堅苦しい文章疲れたのでラフにいきます。 最近じゃ中国でチベットの事が話題になってますね。 先生そろそろだるくなってきたので、ここでも見て勉強してみてください。 http://urasoku.blog106.fc2.com/blog-entry-338.html 第三次世界大戦が起こるとすれば、たぶん引き金は中国になるでしょうね。 恐らくは台湾を巡って米中戦争が起きて、高確率で日本が巻き込まれる事になります。 そうなったらどうしようもありませんが、せいぜい死なないように頑張りましょう。 五限目 自習 先生そろそろ眠くなってきたので自習にします。 後は、wikipedeiaなりgoogleなり使って好きに調べてください。 まぁ、なんせメディアも教科書も本当の事なんて教えてくれません。 特に朝日新聞とTBSテレビは嘘八百しか言わないので信じないようにしましょう。 かといって、ネット上の情報を鵜呑みにするのは一番危険極まりない事です。 wikipedeiaなんて、その気になれば誰でも編集できますから情報の信頼性に欠けます。 googleで検索したサイトで取り扱っている情報も真実であるとは限りません。 そもそもgoogleが絶対的に信頼するに足るかと言われればそうでもありません。 2chも面白いですし勉強になりますが、あれだけで正否を判断するのも愚行です。 大丈夫です。日本最古の書籍である『古事記』ですら改変の嵐があるそうですから。 貴方の周りにある情報は、8割が嘘で2割が他人の目を通した事実です。 例えば、ラーメン屋を見てください。 新商品のラーメンには漏れなく『大人気』とか『話題沸騰』とか書いてあります。 発売前から『話題沸騰』で『大人気』です。凄いことこの上ありません。 例えば、お店の人気商品エリアには在庫処分をしたそうなものが結構並んでます。 例えば、国産だと思ってた牛肉は、実は海外の牛肉をケミカルクッキングしたものです。 例えば、賞味期限のラベルは正規のものでは無く、さっき張り替えたものです。 例えば、求人広告の『月収30万以上可』は、ほとんどが残業代で出来ています。 例えば、B'zがこの前受賞したのは本物の『ロックの殿堂』ではなかったりします。 例えば、ニートや引きこもりは世間が言うほど増えていません。 例えば、少年犯罪は増えてるどころか昔から結構ありました。 何にせよ、何かに対して意見を持ちたいのであれば自分なりに調べて考える事です。 自分にとって都合の良い情報ばかり集めるのでは無く、常に疑う心を持ちましょう。 世の中の人達は、皆が皆嘘吐きだと思ってるぐらいがちょうど良いです。 信じる者は天国には行けるかもしれませんが、こんな時勢なので高確率で救われません。 信じる事は幸せな事です。なので、騙される事もきっと幸せな事です。 でも、騙されたく無いのだったら頑張って人を疑いましょう。 それじゃ、僕は寝ます。 ---------------------------- [自由詩]比較テスト/風見鶏[2008年4月18日0時30分] 純文学>大衆文学 大衆文学>ライトノベル ライトノベル>芥川賞 芥川賞≧ケータイ小説 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]バッドトリップ/風見鶏[2008年5月2日4時24分]  アルコールは好きだが普段あまり能動的に飲むような事はしない。だから、そんな自分にとって友人との小さな飲み会というのは貴重な時間の一つだったりする。ただ、その場が楽しいからこそ、後になって訪れる反動というのもまた大きいものだったりする。その日は財布に少し余裕があったのでグリーン車に乗って帰った。物思いに浸りたかったわけでもないが、ただその日は真っ直ぐ歩けない程度にはふらついていたし、なによりも終電近くのあの人ごみというのが自分はどうにも不慣れだったからだ。  車内は予想通り静かで、電車のカタカタと揺れる音だけが特に意味も無く響いていた。 それに加えて酔いが手伝って気分が上ずっていたわりには意識ははっきりしていたので眠ろうとも思わなかった。だから、特にそれを狙ったわけでもないが、どうでも良い事を思い出すにはお誂えの状況だったのかもしれない。  自分はいわゆる母子家庭という環境で育った。自分の記憶が正しければ兄の高校受験の時期だったので、たぶん小学二年生の時だったと思う。小学校の運動会の帰りの車の中だったと記憶している。両親の会話の内容はよく覚えていないが、それきり父が家に帰ってくる事は無かった。わけのわからない自分はただその出来事を無感動に受け入れた。  成長するにつれて自分の家庭が特殊である事も離婚がどういったものであるかも理解していったし、両親の離婚の直接的な原因が父の不倫にあり、その根底には同居していた母方の祖母との確執があったという事も漠然と分かっていった。  ただ、その過程で誰かの評価を変えようなどという考えにも至らなかったし、誰かを憎んだり恨んだりするような事も無かった。事態の全てを把握する頃には自分にとってはそれは全て過去の誰かの話になっていたのかもしれない。ちょうどブラウン管ごしにテレビドラマを見るような感覚で、当時の自分の生活にとっては余りに乖離した出来事だった。  かといって格別に不幸な境遇というわけでも無かった。人並みに友人もいたし、人並みにゲームに興じたり、人並みに部活に励んだりもしていた。祖父が国鉄職員だった事もあり、その遺族年金もあって母子家庭特有の金銭的な問題に直面したのはむしろ最近になってからだと言っても良い。  父と離婚してからも、母は臨時採用の教員として働き口があったのだが、それも体調を崩して全ての計算がご破算になった。肝臓を駄目にしてとても以前のようには働けなくなったし、祖母の体調も年々悪化していった。杖をつけば外でも歩けていた祖母が、いつしか一日の大半を椅子で過ごすようになり、それも出来なくなると今度はベッドと車椅子を往復するだけになった。祖母の介護と、自分の体の事もあり母はまともに働ける状況では無くなった。今思うと自分は部活動に勤しんでる場合じゃなかったのかもしれない。  だから思春期の自分の家というのはとてもじゃないが人に自慢できるものではなかった。父との離婚が尾を引いて祖母と母の関係はとても良好であったとは言えなかったし、兄もそんな状態に嫌気が差していたのかほとんど家に寄り付かないようになっていた。自分の意思で自由に体を動かせなくなっていった祖母は必然的に鬱気を帯び始めて、祖母の恨み言のような叫び声を毎晩のように聞きながら眠ったものだった。  ただ、良い思い出が全く無いというわけでもない。両親が祖母を頼って同居し始めた頃はまだ目に見えて仲が悪かったわけでは無いし、少なくとも当時幼い自分にとっては平穏な生活だった。祖父が亡くなってからもそれはしばらく続いていたように思う。その頃、祖母はよく自分を近所の健康ランドへ連れて行ってくれた。ボリショイサーカスも二人で見に行ったし、そこで虎の子供と一緒に写真を摂ったりもした。基本的に祖母はいわゆる古いタイプの人間だったのでその分厳格ではあったが、自分の思い上がりでないのならば良好な関係であったと思う。それがいつからか、そうではなくなってしまった。  全て昔の話だ。今となっては自分と祖母の関係は一言では語れるものでは無い。根底ではお互いを疎ましく思っている部分もあるだろうし、根底では肉親に対する親愛の情のようなものを持っている部分もある。どちらがより深い場所にあるかは自分自身にも分からないし、だからきっとそれはそこまで意味の無い事なのだろう。酷く歪なものであるとは思うが、自分にとってはそうなるより他無かったと思うし、仮にここまで歪ませずに済んだ可能性があったとしても、なってしまったものは仕方が無いようにも思う。  こんな風に余分な思考をそぎ落として普段考えないような事に頭が回ってしまう。たぶん自分はそれを心のどこかで自覚しているからこそ、能動的に酒を好もうとはしないのだろう。この長いバッドトリップが終われば、ふと思い至ったこの想念をも忘れて、自分の日常へ帰っていければ良い。そうあるべきだと思うし、そうであって欲しいと思う。 ---------------------------- [自由詩]奈落/風見鶏[2008年5月2日4時53分] 此処が不幸の奈落であるのなら刃向かう事も出来るでしょうに 其処が絶望の奈落であるのなら違ってしまう事も出来るでしょうに それは大層甘美な響きに聞こえるでしょうに 貴方は誰かの気まぐれな優しさに気おされて それを捨てる事すら叶わない 貴方は誰かの気まぐれな優しさに縛られて それを求める事すら叶わない それは大層幸せな事なのでしょうに 貴方にとってはそれすら疎ましく 貴方にとってはそれすら妬ましく 貴方にとってはそれすら忌み嫌うような事なのでしょう なんとも罪の深き事です なんとも咎の深き事です それでも貴方はこの場所で生きていくしかないのでしょう 蜘蛛の糸さえ見失い 奈落の底さえ見失い 貴方は此処で静かに生きていくしかないのでしょう 誰かを呪うことすら許されず 誰かを求めることすら許されず それでも貴方は全てを捨ててしまう事もできずにいる それはきっと貴方にとってはなんとも愚かな想念であるのでしょう それはきっと貴方にとってはなんとも歪な想念であるのでしょう 此処が奈落の深淵であったなら貴方はそうある事もできたでしょうに 其処が奈落の深淵であったなら貴方はそうある事もできたでしょうに ---------------------------- [自由詩]/風見鶏[2008年5月11日8時00分] 酷く安っぽいナイフを研ぎながら それでもろくでもないことを考える 何処に刺せば確実に相手を殺せるだろうか どのように刺せば相手に苦痛を与えられるだろうか 死に至らせる事ができるだろうか 逆に自分が殺されたりはしないだろうか どのように振舞うのが一番効率が良いのだろうか 場所を考えなければならない 時間を考えなければならない 方法を考えなければならない 恐怖を与えるなら恐怖を告知する方法を考えなければならない 自分の身を守る術も考えなくてはならない 逆にこちらがただ殺されて終わってしまうのは我慢がならない そうでなくても後々の自分の生活に支障をきたしてはならない 計画性が必要だ 知識が必要だ 冷酷さが必要だ 衝動が必要だ 冷静になる事が肝要だ だがこの殺意は失ってはならない ---------------------------- [自由詩]birthday/風見鶏[2008年6月28日5時42分] 枯葉 風に抜け落ちたその羽を一枚一枚引き裂いて 枯葉で紡いだその色は一体どんな景色を描くのだろう 知りたいような知ってはいけないような たまにはそんな背徳的な感慨にふけるのも悪くは無い そこにはきっと何か建設的な意味などなくて 他に喩えようの無い価値が転がっているだろうから 骸 恍惚の森の道化師は枯木のようなその腕に あの娘の頭蓋を抱いていた 砂漠の泉の畔には烏が群れを成していて 乾いた声でカラカラと嬉しそうに呟いた 窓の外には紅の景色がとても鮮やかで 無意味に重ねた吐息だけ硝煙のように揺れていた それなら僕は群青に染まる夕日を閉じ込めて 夜に輝くあの星をあの娘の骸に捧げよう 雨 あの日ぼくらは堤防で枯れてく月を眺めていた 泉の先には透き通る風がいつでも吹いていて 雨に汚れて乾いた髪を血溜まりの中で潤した 砂漠のピエロの歌声は空の小鳥のそれに似て 降りしきる雨は日溜まりに小さな花を咲かせて消えた 猫 アルスターのテールライト窓の向こうに霞んでいく 陽だまりに眠る黒猫は甘い匂いに誘われて ロックスターのしゃがれた声をいつも飽きずに聞いていた 今でもそれに変わりはなくて 色褪せてしまった写真の中でそれを何度も繰り返す 赤いレコード 黒いスーツ 常夏の夜 紅の豚 犬 birthday 言葉が生まれる瞬間がきっと僕には愛しくて 言葉を繋ぐその時は何度も味わっていたいような 何時までも味わっていたいような高揚に晒される 一度描いたその色を再び塗りつぶしていくのは きっと油絵を描くような感覚に似ているんだと思う 止められるはずもない 僕にとってそれはきっと新たな誕生の瞬間だから ---------------------------- [自由詩]宝くじ/風見鶏[2008年11月2日6時43分] 当たりもしない宝くじを買う 予想通りはずれて事も無く毎日は過ぎていく 夢を見る 叶えるだけの気力も覚悟も無く無意識のうちに忘れていく 歳をとる だんだんと自分の現在地がわかってくる ある日ふと 昔夢見た自分の未来図との違いを比べて愕然とする 次の日になればそんな驚きも忘れる それでもなんとなく生きている 当たりもしない宝くじを買いながら ---------------------------- [自由詩]瞬/風見鶏[2009年1月2日0時21分] 世を儚む一瞬は顕著にその暴発を堪えるのだ 連綿たる道のりの中で妄想と確執を掲げてその道程に刻みつけ 乱雑な雑踏を踏み仕切る乱暴な贖罪のなかにおいて尚 その食材を掲げ頭蓋を砕くかのような仕草を真似て ポジティブに循環する連動の地軸に反旗を翻すように その笑顔を塗りつぶしながら煩雑し その笑顔を食いつぶしながら繁殖し その笑顔を踏みつぶしながら瓦解する 地下鉄のホームに繰り返す流動を眺めて そのバイタルに埋もれ 朽ちてしまえ ---------------------------- [自由詩]雨の日の昼下がり/風見鶏[2009年3月16日16時08分] 傘をさす 煙草に火をつける いつもより少し苦い煙を肺に入れる 春の風はまだ少し冷たい ---------------------------- [自由詩]ビジネスとCPAP装置と缶コーヒー/風見鶏[2009年3月16日16時17分] 在宅療養のための装置が家に届いた 自分の担当をしている青年とは何度か顔を合わせていたが しばらく会う事も無さそうなので缶コーヒーを手渡した わざわざありがとうございますとそう言って 青年は缶コーヒーを受け取った 日本は良い国だと思った ---------------------------- [自由詩]エイトビート/風見鶏[2009年4月15日15時06分] 高校三年のある夏の日の昼下がり。 あの日、僕は最高のロックンロールに出会ったのだと今でも信じて疑わない。 鋼鉄のミサイルに乗り込んで、流れるような景色の中で、色々なものを見つけてきた。 見た事も無い土地に足を運んだりもしたし、出会うはずの無い人とも知り合った。 宇宙旅行のおみやげに持ってきた月の欠片を眺めながらそんな事を思い出す。 1985年に切り出された生身の岩石はミサイルとしての長い宇宙旅行を終えて、 今は鋼の軟体動物としてよろしくやっているようだ。 もう自分があの熱狂の中に入る事は無いかもしれないけれども。 それでもやはり少し安心するのだ。 変わらぬものなどありはしないけれど、 あの日感じた衝動だけは本物だったと信じる事ができるから。 ---------------------------- [自由詩]ばーむくーへん/風見鶏[2009年6月25日7時25分] オブラートに包まれたものを 一つ残らず剥ぎ取ってみる 綺麗に加工された宝石から 生身の原石など取り出しても 美しさを損なうだけだと言うのに 某の背徳を感じつつも 衝動片手に掘り進めたりする そこに何かがあろうとなかろうと 良くわからないが多分関係無い 今日もぽえとりーに墓荒らし ---------------------------- [自由詩]ばーむくえへん/風見鶏[2009年6月25日7時34分] ふいに思いついたタイトルを そのまま即興書き下ろし 綺麗に飾りつけたおばさんよりも ノーメイクのおねーさん 化粧の濃い香水香るおばさんよりも ノーメイクのおねーさん もしくは縁側で猫と戯れる 白髪おばーちゃん そういうものに私はなりたい ---------------------------- [自由詩]メイドin秋葉原/風見鶏[2009年7月13日8時27分] いわゆる秋葉系のサブカルチャーを楽しめる事は幸せなのか不幸なのか よくわからないがその分人生を楽しめる要素は多いような気もしないでもない 時々そういったサブカルチャーを楽しんでいる自分を客観的に見てみると 俺は一体何をやっているんだろうと虚しくなってみたり しかしながらそういったサブカルチャーを楽しめる自分に満足してみたり だけどなにかしらのしこりが心に残ったりするものである 人間の心情というのはどうにも複雑怪奇に出来ているものらしい 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源氏物語の原文において直接的な性描写は描かれていないにも関わらずポルノ作品として定義する見解に対して多くの有識者から反発が出たが、これに対して児童ポルノ対策委員会は直接描写があるかどうかは問題では無く、性的な交渉が前提として作品が描かれている事に問題があると結論づけ、児童ポルノ指定を解除するまでには至らなかった。 その後も、表現の自由の侵害であり法を拡大解釈した悪質な越権行為であるとの主張や、過去の世情や文化そのものを否定する行為であるとの批判が打ち出されたがいずれも黙殺されており、現在においてはこれらの批判も風化し下火になっている。 これらの動向に対し、児童ポルノ対策委員会は「古代ローマに行われたコロシアムのように過去に生まれた文化の全てが現在も肯定されているわけではない」との見解を示している。 (中略) ※1 最も、多くのオマージュ作品は源氏物語のオマージュである事を名言していない。これは源氏物語が児童ポルノ法に抵触するとの解釈が打ち出された際に、それまで存在した多くのオマージュ作品が公開禁止の処分を受けた経緯のためである。 【関連項目】  ・日本の中古文学史  ・物語 / 作り物語 / (王朝物語)  ・国風文化  ・紫式部  ・源融  ・児童ポルノ禁止法  ・児童ポルノ規制適用作品一覧  ・http://www.nicovideo.jp/watch/sm7610111 ---------------------------- [自由詩]鬼へ/風見鶏[2009年7月23日1時58分] 俺はあんたの事をよく知らないし あんたも俺の事なんて知らないだろうけど 一つだけわかってる事があるんだ それを言葉にするのはすごく難しいけど だから細かいことは言わない事にするよ おやすみ 今までありがとう ---------------------------- [自由詩]挨拶/風見鶏[2009年8月7日6時14分] こんにちは おはよう おやすみなさい 空はどうにも青いのだけど 僕には少し眩しいらしい 少し退屈を持て余す位が 多分ちょうど良いのだ ---------------------------- [自由詩]民主党バブル/風見鶏[2009年8月29日18時18分] 自民党政権では何もできないと声高々に言い張り マスコミがそれに便乗して与党批判を煽る マスコミに煽られた国民が簡単に票を投じる 自民党政権の政策をことごとく妨害し ほれ見ろ自民党はやっぱり何もできやしないと言い張る マスコミがそれに便乗して与党批判を煽る マスコミに煽られた国民が簡単に票を投じる かたや老朽化したマンション かたや着工も始まっていない設計図すらあやふやな新築マンション(仮) 外は嵐 バブルが弾けた後ではもう遅い ---------------------------- [自由詩]雲の色/風見鶏[2009年9月13日16時09分] 白くて深い雲の色 ゆらゆら揺れて流れていった カラカラカラと鳴り響く 雲の音あれは色 白くて深い雲の色 ---------------------------- [自由詩]いらないもの/風見鶏[2009年9月13日16時25分] ゴミ箱に詰め込んで火をつける 灰になったらそのうち土に還る 巡り巡って僕になる ---------------------------- [自由詩]蝉の抜け殻/風見鶏[2009年9月13日16時31分] 七年ぐらい土にいて 一週間だけ空にいて 今は何処を飛んでいるんだろう 部屋に落ちていた蝉の抜け殻 そんなこんなに想いを馳せる ---------------------------- [自由詩]人殺し/風見鶏[2009年10月4日6時29分] 白い手に染み込んだ赤い血で喉を潤して 鮮やかに描かれた絵画のような貴方の横顔を 飽きもせずにずっと見ていた そっと頬を寄せる薄い口紅の色が跡に残る 街の喧騒から遠く離れて子供達の笑い声が聞こえた 貴方の胸の中に抱かれてそのままうとうとと眠りにつく このまま時が止まってしまえば良いのになんて思いながら ---------------------------- [自由詩]朝10時/風見鶏[2009年11月25日10時04分] 何も捨ててしまいたくないから 全てを捨ててしまいたいと思う時がある 何かを得るという事は何かを捨てるという事であるという この言葉の意味が最近になってようやくわかり始めた気がする 全てを手に入れようと頑張るのは疲れるし無理がある それでも若い頃はなんでも出来たような気がするから不思議なものだ これが歳をとるという事か ---------------------------- [自由詩]恋文/風見鶏[2010年1月5日19時46分] 恋をすると女は美しくなると申しますが 恋をすると男は醜くなるのです それはそれは醜く浅ましくなるのです そして男はそんな自分を愛して欲しいと願うのです 貴方が悲しみに暮れている時に涙を拭う事もできない 貴方が寂しさに震えているときに寄り添う事もできない それはきっと私にとって何より辛い事なのです だから私は何よりも貴方の側にいたいのです 共に在りたいと願うのです ---------------------------- [自由詩]恋文/風見鶏[2010年1月29日19時27分] それはきっと他愛の無い事ではあるのです 貴方の側に誰かがいれるという事はきっと素晴らしい事なのです むしろ貴方が何時も孤独の最中にいないのであれば それはおそらく私にとって実に喜ばしいことではあるのです それでもどうやらこの体の中に蠢く濁流は どうやらどうやら私にとって実に耐え難いものとなっているのです けれども尚、踏み出すことも立ち去ることもできない臆病者の私は やはり何時ものように平静を装って貴方の元へと向かうのです ---------------------------- [自由詩]もやしさん/風見鶏[2010年5月20日16時12分] 最近微妙に値上がったけど まだまだお財布に優しいもやしさん 1パック24円のもやしさん 二つぐらい買ってお肉を絡めてサッっと炒めて食卓へ べっ、べつに手抜きじゃないんだからねっ! なんて一人ツンデレごっこもできる優れもの コショウの量はお好みで 炒めすぎるとしなしなに なったらなったで食えるけど ---------------------------- (ファイルの終わり)