いとう 2004年3月3日0時52分から2004年7月13日18時17分まで ---------------------------- [未詩・独白]メモリーカード/いとう[2004年3月3日0時52分] 私たちは一葉の記憶装置だ 生い茂る木々の端で 保存することのうしろめたさを 知りながら連なっている 陽光が差すその瞬間に 私たちはいつも照れている 風の戯れに私たちは くすぐったがり 疎ましがったり ときには揺られながら 朽ちてゆく様に思いを馳せる 夜の私たちはとても忙しい 見えないものと 見えないことに怯えながら ありのままをありのままに 捉えようとして失敗する 唇を噛む記憶だけが 保存されていく 葉脈と 不確かな茎を通して 私たちはつながっている 思い出を産み、浸り、 溺れていく姿を 私たちは共有する 保存することに疲れると 後を託し 自らを切り離す 形だけが朽ち その他のすべてのものは 受け継がれていく ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]レレレのレ所感 1/いとう[2004年3月3日16時17分] http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=8106 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=8192 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=8240 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=8256 ↑まだ終わってないみたいですが、 触発されたので俺なりに。 所感って言っても、たぶん全然別の話になると思う。 「文法」と言えばたいていの人は学校で教わった文法を思うのだろうけれど、学校で教わる文法は諸説ある文法論のひとつに過ぎず、一般には「橋本文法」と呼ばれてます。 橋本文法の特徴は、構文、あるいは文節を主体に“国語”を捉えていくものです。ひとつの文法体系として名のあるものでだからこそ教育の場にも採用されていますが、もちろん万能ではありません。橋本文法の欠点、矛盾についていろいろな人が述べています。 有名な例としては、「象は鼻が長い」、または喫茶店などで耳にする「僕はコーヒー」といった例文。こういうのは、橋本文法ではきちんと捉えきることができません。 「橋本文法」と双璧を為す文法論としては「時枝文法」が挙げられます。時枝、山田、渡辺といったグループがあったのかな? んー。勉強してたのはもう20年近く前になるのでうろ覚えです。で、この時枝文法ですが、これらは文節主体ではなく陳述主体で文法について論じます。時枝だったけ、山田だったけ、どっちか忘れたけど、文の構造内に「ゼロ構文」というものを入れることによって、上記の橋本文法における矛盾点をきちんと説明してたりする。確かそんな感じ(笑)。 陳述ベースの文法論では、特に渡辺文法にその色が強かったように思うけれど、まず、発話の意図がベースにあって、そこから何が(どんな語が)浮き上がるか、何が省略されるか、省略できるか、省略された文(というより陳述内容)内においてそれぞれの言葉がどのように関連付けられて受け止められるか、そういう流れで文法を捉える。 もちろんどっちの文法論がいいとか言う話ではなく、見る角度が違うから体系自体が異なっているだけの話で。そういう意味では、形から入る橋本文法のほうがわかりやすいので、採用されたのかもしれません。 話は変わって、国語学と日本語学ってのは、似てるように見えてもやってることは全然違うんですよね。国語学ってのは、日本語を母国語として研究するのに対し、日本語学は言語学の見地から日本語がどのような体系を持っていてどのような位置にたっているか、そういうのを研究します。日本語学の観点からみた日本語文法論ってのももちろんあって、それは国語文法とはまったく異なったアプローチをしている。日本語学校なんかでは橋本文法なんかやらない。日本語を知らない人に日本語の文法を認識してもらうためのアプローチ。たぶんいろいろ本が出てると思うので読んでみると面白いです。俺は専門外だったのでよく知らん(専攻は国語学だった)。学生の頃に斜め読みした程度。 疲れたので1はこのへんで。 2では方言の話をしたい。方言学と言語学の共通事項について。 ※シリーズ通してぜんぶうろ覚えで書くつもりなので、鵜呑みにしないでくださいね。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]レレレのレ所感2/いとう[2004年3月3日20時39分] 仕事も終わったので続きを書く。 方言へのアプローチは言語学的アプローチとよく似ている。 つまり、方言は、訛り、ではなく他の言語として認識したほうが 研究には都合が良い。方言は、日本語(標準語)とよく似た外国語なのだ。 方言は語彙だけでなく、音韻、文法からしてまったく異なる場合がある。 むしろ、同じほうが珍しいかもしれない。 たとえば気仙沼方言では、はい、いいえの使い分けが英語と同じだ。 「君は万引きしてないよね?」「いいえ、やっていません」 こんなふうに使う。 学生時代に岩手南部と北部における方言分布の境界の研究旅行に行ったのだけれど、 この時に収集した事例がとても興味深かった。 「れる、られる」及び可能動詞による可能表現には、 状況的にできない場合の表現と能力的にできない場合の表現がある。 前者はたとえば、「スケジュールが詰まっているので遊べない」。 後者は、「100メートルを5秒で走れない」。 標準語ではこれらの使い分けはなされていないが、 収集事例ではこれを、活用の違いによって使い分けていた。 また、受身と可能を「られる」と「れる」で使い分ける方言もあった。 言語学の定説として、 「寒い地方の言葉は音節がどんどん短くなる」というのがある。 音声学の授業でアイルランド語やノルウェー語を少し見たのだけれど、明らかに短い。 語彙の変遷を見ても短くなっていく経緯がはっきりとわかる。 この現象はもちろん方言にも適用されていて、 たとえば津軽方言などは、極端に短い。 有名なのは、というか俺が知っているのは、 「か、と、く?」(母さん父さんご飯食べる?) 「どさ?」「ゆさ」(「どこいくの?」「お風呂」) など。 方言の変化、じゃないな、変奏が近いかな? 変奏は、このように、国語学的要因だけでなく、言語学的要因も多分に含まれている。 活用の単純化も、この言語学的要因のひとつ。日本語だけの傾向ではなく、 言語全体の傾向なのだ。すべからく言語は単純化へ向かう。 唐突に話は変わるが、言語は日々変化する。 厳密な意味で「間違った表現」「誤った使い方」は存在しない。 それはただ、変化の途上にあるだけだ。 たとえば万葉時代、日本語の母音は7種類存在した。 万葉人は7種の母音を使い分けていた。 平安時代の会話スピードはとても遅く、 現代のスピードにはとてもついていけないだろう。 また、古語における変格活用が現代の2種類ではなく4種類あったのは、 授業でも習うと思う。「蹴る」だけ下一段活用だったとか、そういうのも(笑)。 言語学的に、動詞の活用は単純化に向かうのだ。 ちなみに、尊敬を示す語彙はどんどん侮蔑語へ変化するのだ。上から下へ。 貴様、御前、しかり。「君」も最近、下がりつつある。次は「あなた」の番か? 貴様なんて戦前はまだ対等くらいの位置だった。50年もあれば変わるのだ。 室町時代、 ハ行の発音は現代のファ行で、 タ行の発音は現代のハ行だった。 明治以降にも大きく変わっている。 副詞句の「とても」は否定形以外には付かなかった。 あの時代に「とてもきれい」などと言ったら奇異な目で見られる。 現代ではすでに定着して、誰も間違った用法だとは感じない。 「全然OK」という用法が最近になって定着したように。 なんか所感というより雑感だな(笑)。 オチもない(笑)。 ところで実家の地方の方言には 「られない」という意味で「らん」というのがあった。 「られぬ→られん→らん」という音韻短化の現象だと思われる。 若い人がよく使っていたので、方言と言っても古くからのものではなく、 新進の用法だったかもしれない。 で、これ、可能動詞にも付くのだ。「らん」になるのだ(笑)。 食べられない→食べらん これは普通の用法。けれど、 会えない→会えらん できない→できらん 行けない→行けらん 見えない→見えらん こんなふうに付く。 ただし「会えん」「できん」「行けん」「見えん」の方が一般的な用法だった。 おそらく使用者は可能動詞を可能動詞として認識していないのだろう。 可能動詞は、用法的消滅に向かっていると思われる。 言葉は残る。が、それは可能の意味を持つ動詞として使用されない。 可能表現と受身表現の変化の影響で 可能動詞の役割が意味をなさなくなってきている。 なので可能動詞+「れる/られる」という用法が使用されていく。 レレレのレにもあるように、あるいはどこかの方言と同様に、 標準語は「可能→れる 受身→られる」という動きに向かっているのだろう。 これまでの文法体系、「5段→れる その他→られる」とは まったく異なる使用法に変化しつつあると思う。 と同時に動詞の活用の単純化が共鳴して、 現在、雑多な用法が同時存在してるんじゃないだろうか。 たぶん、数十年後には何らかの統一が図られているような気がする。 ---------------------------- [未詩・独白]ポスト/いとう[2004年3月5日0時55分] ある晴れた日 手紙を出しに行くとポストは 「秋だなぁ」と しみじみもらし それから私に気づくと 真っ赤になって 照れていた ---------------------------- [自由詩]サイレント、サイレント、サイレント、/いとう[2004年3月8日21時42分] 雲のない ブルー・スクリーンを仰ぎ見ても 語るべきものなど何も残されていない サイレント、ひとつ 崩れながら包み込まれる ネイティブ・アメリカンに インディアン・サマーという言葉は狩られたのかと訊ねると 少し考えて わからないと言う 興味ない 閉じていることと 分けられていることは 交わることではない 静寂こそが 語るべき場を持たない者の聖地であり墓標である サイレント、 私たちは何も語らない 私たちはすでに保護されている ビルのふりをしているあれは ほんの少しの刺激でも、ほら、あのように崩れ落ちていく どのような背景とも重なり合える私たちの 輪郭は歪んでいるので 境界がいつも 波のように揺れている サイレント、 ブルー・スクリーンの空の下 すべての私たちが何かのふりをしている 無数の顔写真の前で ストッキングのほつれを気にしながらシスターが祈る ネイティブ・アメリカンと名付け直され アメリカ人に分類された先住民族の末裔がその横を通り過ぎる 喧騒は力だ 言葉になれないざわめきが溢れるなか 空を突こうとした者が包み込まれ接点を失う サイレント、 静寂は武器になるのか サイレント、 私たちはいつも静かに サイレント、 うねっている 呼吸している 九月の 少し暑い朝の前で 保護されたままで ---------------------------- [未詩・独白]遠浅/いとう[2004年3月15日19時06分] 大陸棚の向こうで誰かが手招きしている 見慣れない服を着て、砂っぽく笑っている 傍らには、けだものがいて、何か囁いている 規則正しい波の音が 回転する灯と溶け合っていく 灯が波の引き際のみを照らし 海は夜の中どこまでも引いていく 手招きは、罪の証だ 大陸棚の先、海溝の奥の たくさんの死骸のことを考える 私はひとりだ どこまでもひとりだ ---------------------------- [自由詩]ジャングルの朝/いとう[2004年3月28日22時08分] 体温を逃がさないように 君は丸くなって僕の隣りで いつものように まだ寝息を立てている まるで小さな生き物が 昨日も生き抜きましたと 陽光に告げるように 寒い、寒い、いつもの朝 「おはよう」はまだ君に届かない 僕たちの寝ぐらの外ではもう いろいろなものたちが 今日に向かう気配を発し始めている その気になればこんな小さな場所など あっという間に潰されてしまうのだろう テレビのニュースでは 遠くの密林で何人死んだと いつものように流している 身を寄せ合い 体温を共有して 僕たちは生き抜いていく 一人ではできないことと 二人でしかできないことを 手探りで確認しながら ジャングルの中で 守り合うのではなく守られ合って 愛し合うのではなく愛され合って この、小さな場所で、寒い、いつもの朝を これからも迎え続けるのだろう 「おはよう」はまだ君に届かない ベッドの中の僕の抜け殻を抱える君を見つめながら 今日も愛されていることを確認する 愛されている、その高揚に守られて いつものように ジャングルへ続く扉を開く 今日を二人で 生き抜くために ---------------------------- [未詩・独白]卒業/いとう[2004年3月30日18時18分] 三月になるとクラスメイトのほとんどが濡れていた 雨、と言ってもいいのかもしれない、粒子のような 猿、なのかもしれない本当は猿なのかもしれないね と、語り合う口の中から粒が              粘り気を伴った                     皮膚の、 するするという音がする、ような気がする、最後の、 幾筋ものものもの       (なめくじって英語で何て言ったっけ)         痕跡が廊下に。痕跡が廊下の上に。 痕跡が廊下の皮膚の。痕跡、なのかもしれないねと、 語り合う君が代     (キリツしてセイショウ) 校門の外へ続く、あれはおそらく私たちなのだろう いつまでも濡れたままの私たちのままでいて、 春には、新しい私たちと入れ替わって、 ---------------------------- [未詩・独白]私に名前を授けてください/いとう[2004年4月1日22時08分] 夜の霧の街灯の脇から ほんとうに小さなものたちが湧いている きぃきぃと ほんとうに小さな声を上げている いられなくなったのだねと 手を差し伸べると 爪の先から入り込んで なんだか悲しくなるのだけれど それはたぶん ほんとうではない よくわからないことがときどき起こって そのたびに何か欠けていくような気がするのだけれど それは欠けていくのではなく 埋められていくのだろう 頭の中でふいに呼ばれて どこを向いていいのかわからず 首を傾げてみる どのような名で呼ばれたのか いくら考えても思い出せないので きぃきぃと つぶやいてみる ほんとうに 小さな声で ---------------------------- [自由詩]カラフルメリーダイヤモンド/いとう[2004年4月6日0時03分] カラフルメリーは自分の名前が大嫌い カラフルメリーを本当の名前と信じたがってる 唐辛子よりブラックペパー 胡麻油よりオリーブオイル テーブルの上の醤油が死ぬほど恥ずかしい 天国のパパとママには内緒の話 カラフルメリーはシャネルもグッチも馬鹿にする カルバンクラインはちょっと許す ベネトンにあこがれて この前コンドームを探したけど売ってなくて しょうがないからミチコロンドンで我慢 カラフルメリーは高島屋で買い物なんかしない 渋谷109でショッピング エゴイスト好き好き愛してる 新宿タイムズスクウェアも好きだけど 高島屋だから行かないことにしてる カラフルメリーは男の子大好き 近所のタクヤ君は渋くてステキ コクったらもう彼女がいるって聞いてシクシク でも今度一緒にお茶するつもり センター街ウロウロしてナンパもOK 年下の子なら逆ナンもOK カラフルメリーは夜遊びもしてみたい でもお肌に悪いので夜はスヤスヤ 最近化粧のノリが悪くて我慢ガマガマ みんなでオールする夢を見る さてここで問題。 カラフルメリーは今年で何歳? カラフルメリーは今年で還暦おばあちゃん でも自分の歳なんか忘れて 毎日きらきら光っている ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]兵隊さん観察日記(即興)/いとう[2004年4月14日19時10分] ○月○日 家に帰ると兵隊さんが押入れでもぞもぞしている。目が合うとピシッと敬礼しながら、「人道支援です」と言う。人道支援なら仕方ないのだろう。たぶん。兵隊さんは押入れでずっともぞもぞしていた。 ○月○日 「一緒にご飯食べる?」と声をかけると、「ありがとうございます。しかし安全性をはかるため現地の食物は口にしないように命令されておりますので」と丁寧に断られる。少しムカつくが命令なら仕方ないのだろう。たぶん。2人分をもぞもぞ食べる。 ○月○日 部屋中が水浸しになっている。兵隊さんがやったらしい。「給水」というそうだ。迷惑な話だ。しかしいったい、誰を人道支援してるんだろう。 ○月○日 夜、近所で変な音がする。兵隊さんは押入れに閉じこもっている。 ○月○日 兵隊さんは押入れに閉じこもったまま出てこない。昼間にも変な音が聞こえた。 ○月○日 兵隊さんは押入れに閉じこもったまま出てこない。「どうしたの?」と聞くと、「命令ですので」と返ってくる。 ○月○日 兵隊さんが押入れに閉じこもったまま出てこないのにも慣れた。ニュースでやってた。とうぶん出てこないらしい。 ○月○日 押入れをノックすると、ノックが返ってくる。 いてもいなくても同じかもしれないと思う。 あんな狭い場所に閉じこもってたいへんだとも思う。 ○月○日 知らない間にいなくなってるかもと思いながら寝る。 そしたら夢を見た。どんな夢かは書かない。 ---------------------------- [自由詩]かぜ・こえ・かくれな/いとう[2004年4月27日17時49分] 風が私の輪郭をなぞる 私は風によって顕れる その刹那 私は世界だ 世界が終わるとも 声は続く 風の意志は続く 世界は風によって名付けられ 名は風に隠されている 声は名に隠されている 風の揺らぎで私も揺らぐが 私の名は揺らがない 名は風だけが知っている 名は風に隠されている 現象は輪郭に過ぎない 内実は輪郭の中にない 私は世界だ 世界の声は とてもかすかだ ---------------------------- [未詩・独白]ライカ/いとう[2004年4月28日2時47分] 影と 影が 重なり合うので 夜でなくても うずくまりながら なにかしらの気配が ぐるぐると周回する 忘れられたまま 中心もないのに ライカ 私の声が聞こえますか 地球の影と重なり合うので ここからは 君の姿が見えません ライカ そこは寒いですか 応えのない問いかけは とても寒いです ここは寒いです ライカ 君のように はぐれています ---------------------------- [自由詩]あばら家/いとう[2004年4月29日22時19分] とかげの足音を拾っていくと 「かげろう」と呼ばれる庭で行き詰まった 兄さん あれは生き別れの兄さん いいえ 姉さんだったかもしれない が、 見えたりもする 通りすがりの犬に 犬ころと名前をつける 犬ころ 犬畜生でも良かったかもしれない 猫なんて名前はつけない 自由ではないから あばら家は何かの手違いのように 窓のようなもので区切られていて その揺らぐ影から 臭い立つものの名前を 聞いたことがあるような 気がしているような 自由と臭い消しはよく似ている 兄さんがそう言っている 姉さん だったかもしれない も、 揺らぎ始めていて とかげは最初から とかげの足音でしかなく 犬ころもやはり 揺らぎ始めていて 私の足には根が 生え始めていて 私の足音が 拾われるのを 待っている そこにいる 根を生やしている とかげのように ---------------------------- [未詩・独白]要冷凍/いとう[2004年5月7日1時48分] 触れてしまうと 消えていくものがある まなざしに耐えられず 溶けていくものがある 凍えるべきは 私の手だ 蔑むべきは 私の目だ 暗闇の中 独り 閉じ篭って 見据えるべきものを夢想する ここには何もない まだ何もない ---------------------------- [未詩・独白]表現の道具・詩の言葉(独白)/いとう[2004年5月7日11時10分] ダンサーが表現行為において用いるものは身体だ。 身体が道具だ。 踊っているときの体の使い方と、 普段生活しているときの体の使い方は “原則として”異なる。 同じ身体でも、使い方が違う。 あるいは同じ動作でも、使用に際しての意識の持ち方が違う。 詩人が用いるのは言葉だ。言葉が道具だ。 詩に用いるときの言葉と 日常の中での言葉は、 同じ言葉でも、使い方が違う。 同じ使い方でも、使用に際しての意識の持ち方が違う。 (もちろん異論はある。自身の中にもある。  自身の中に論がひとつしか存在しないほうが不自然だ) ---------------------------- [未詩・独白]詩で女性を口説くためのマーケティング論/いとう[2004年5月11日23時38分] この原稿を依頼されたときの特集名、 「女を口説く為の詩」でした。 じつはこの、「女を口説く為の詩」ってのが、 すでに口説くという行為から外れてるんですね(爆)。 「女」ではなく、せめて「女性」、できれば「女の子」。 このくらい柔らかくないといけません。 個人的には「為」ではなく「ため」のほうがいいとも思う。 「女を口説く為の詩」と「女の子を口説くための詩」。 イメージ全然違うでしょ? 女性から見てどちらがより好意的に写るかは自明です。 で、まずは二点ほど。 1.全然モテない人は口説いても意味ありません。あきらめましょう。 2.詩で口説くヒマがあるなら他の手段で口説いたほうが早いです。 モテない人及び他の方法で口説ける人は、これ以降読んでも意味ありません。 で、めんどくさいんで結論を先に言ってしまおう。 恋愛において詩は、手編みのセーターと同じ位置にあります。 ここに「詩=手編みセーター論」を提唱します。 扱いづらいアイテムなのです。 なので、逆に考えましょう。 手編みのセーターをもらって嬉しい状況。 これについて考察していきます。 自分の好きな相手なら何もらったって嬉しいです。 好きでもない相手に手編みのセーターをもらっても困ります。 セクハラと同じですね(ニッコリ)。 好きな相手にお尻を触られてもセクハラになりませんが、 好きでもない相手に触られたら蹴りが入るくらいじゃ済みません。 また、好きな相手でも触られたくないときに触られたら、 それもセクハラになります。 すなわち、相手の女性がこちらを向いていない場合、 詩の内容以前に、詩を贈るという行為自体が、セクハラに相当します。 そういうときに詩で口説くのはやめたほうがいいです。 キモイ、キショイ、しゅーりょー、で終わります。完全終了。 ある種、犯罪です。気をつけましょう。 「自分の好きな相手」について、もう少し考えてみます。 たとえば自分の好きな芸能人が詩を贈ってきたら? 詩を嗜む人なら好きな詩人でもいいです。 谷川俊太郎という、えっちなお爺ちゃんがいるのですが、 彼が詩を贈ってきたらどうだろう? 悪い気はしないんじゃないかな? さて。 ここにどんな作用が働いているかというと、 詩、または詩を贈る人のブランド化がなされているのですね。 手編みのセーターがブランドのセーターとなっているわけです。 手編みとブランド。この差は大きいです。大きいというか、全然違います。 突破口はここにあります。 自分の手編み、あるいは自分自身を、ブランドにしてしまうのです。 「女を口説く為の詩」は自作詩のブランド化と直結しています。 詩のブランド化、これが詩で女性を口説くため方法論です。 ブランド化がなされていない場合、 まったく同じ詩でも口説くことはできません。 ブランド化して初めて、自分の詩が口説くための詩となります。 女性心理は不思議がいっぱいなのでございます。 そして、ブランドなら何でもいいわけではありません。 女性を口説くために適したブランドを構築する必要があります。 では、どんなブランドが女性を口説くのに適しているのでしょう。 ここでようやく、「どんな詩を書けばいいのか」に辿り着きます。 「どんな詩を書けばいいのか」について考えることは、 「詩を通して自分をどのように見せるか」だけでなく、 同時に、「どんな女性を想定するのか」ともつながります。 猫にシャネルを見せてもシャネルの価値などわかりません。 シャネルというブランドが力を持つ女性層があるように、 自分の詩が力を持つ層を把握する必要があります。 「女性」というターゲットを分類し、 それぞれの層に好まれる要素(ベネフィット)を抽出し、 そのベネフィットに適合する要素を散りばめるのです。 でまぁ、ターゲット分類とそれぞれのベネフィットの抽出とその対処法をやっ てると本一冊書けてしまうので、個々のターゲットにほぼ共通するベネフィッ トをいくつか挙げてお茶を濁します(笑)。 ●恋愛詩であること あくまでも「恋愛詩」であって「ラブポエ」ではありません。 ス○ップのライ○ンハートみたいなのを書いても気持ち悪がられるだけです。 反面、ラブポエで口説ける層もありますが、 後々たいへんなことになることが多いのでオススメしません(謎)。 ●セックス描写はさりげなくあたりまえであること まず童貞さん(素人童貞を含む)はここでアウト。 きちんと経験を積んでいないと詩なんかで口説けるわけありません。 で、「さりげなくあたりまえである」ことは、とても難しいです。 むやみにセックス描写が出てくるのは単なるセクハラです。 クドイ描写も、一発芸ならまだしもそれがウリとなるようでは、 ヘンな人を通り越してアブナイ人だと思われます。 ●自分の願望を詩にしない 作中の女性を自分の願望(あるいは妄想)に忠実に動かすのは禁物。 女性は、なんかよくわかんないけど、 そういうのを匂いで感じ取ります。そして嫌がります。 あたりまえですが、男性の願望充足の道具にされるのを嫌がるので、 女性がそのように扱われている作品はマイナスポイントとなります。 ●シチュエーションを細かく 女性は概してシチュエーション萌えです。 細かなシチュエーションほど萌えるようです。 ●作中の話者を女性にしない してはいけないというより、上級テクです。 慣れない人はほとんどの場合自爆するのでやめたほうがいいです。 以上、テキトーに書いてみましたが、結局のところ、 詩で口説けるかどうかってのは、 詩の資質以前に、その人の資質に負うところが大きいです。 どのような詩を書いても、その詩には、 作者がどのように生きてきたかが入り込みます。 そしてそれはもちろん、見透かされます。 ま、頑張ってください(笑)。 ---------------------------- [未詩・独白]年中無休/いとう[2004年5月17日11時55分] 生きていくことに休みの日などない 僕たちは精一杯呼吸しながら いつも何かを犠牲にしていく 手を翳す その行為が そこにある空間を削いでいく 僕たちは何も生み出してはいない それは錯覚に過ぎない 存在の本質は瞬間に失われていく いつも僕たちが消していく 呼吸するたび それは休みなく消えていく ---------------------------- [おすすめリンク]詩についての簡易な断章/いとう[2004年5月25日14時28分] 清水鱗造さんのサイトから。 http://www.shimirin.net/kani.html ---------------------------- [未詩・独白]らぶとか らぶとか/いとう[2004年5月26日0時13分] 風邪引いて 喉が痛いくらいの咳で ふらふらしながら 煙草吸って 酒飲んで 関節も痛いや みしりって音するや 壊れそうで 壊れないもんだな けっこう丈夫にできてるもんだな らぶとか らぶとか 詰まってんじゃねーの? 肉詰めみたいにさ あっちも風邪でさ こっちより重症みたいで しょうがないから えっちら買出しにいくのさ ふらふらしてさ 病人がスーパーで白菜探してるよ ネギは買ったよ なんか体に詰まってるよ 鼻水や鼻糞じゃなくてさ 食って寝るのが基本だよ 昨日は4回食ったよ 起きたら食うよ 食ったら寝るよ そりゃ詰まるわ 詰まりっ放しだわ らぶとか らぶとか 捻り出してみるよ 病人が台所で料理するよ そしたら頭痛いってほとんど食わねーんだよ しょうがないな 俺が食うよ また詰まっちゃうね 鼻水や鼻糞じゃなくてさ ---------------------------- [未詩・独白]物理学/いとう[2004年5月27日1時47分] −計測− 重さではなく 距離を測りたい 大きさではなく 熱さを測りたい 姿ではなく 真意を測りたい −引力− ひかれあうのではなくひきあうのだ ふたり ほしとほしが ほほえみあうように −質量− 気持ちに重さがあったら あなた 動けなくなっちゃうでしょ? −摩擦係数− 乾いているとできないよ ほら 摩擦がなくなる するすると ほら するすると こんなにも 湿らせて もっと 湿らせて するする −光速− わたしの目に映るあなたは 今、この瞬間のあなたではない 光速の なんという遅さ −不確定性原理− 観測すると わからなくなる すべては 素粒子 確定 できない 空も 風も 街も 人も 私も ---------------------------- [未詩・独白]名前/いとう[2004年6月9日0時14分] 朝起きたら 田中だった 田中くんおはよう よう田中 あ 田中君だ 田中の言うことなら間違いない 田中さんこれ受け取ってください 下駄箱で告白までされる 本当の事を云おうか 田中のふりはしてるが 私は田中ではない そんなこと 言えるわけない ---------------------------- [未詩・独白]ジャックナイフ/いとう[2004年6月16日1時05分] 王様は爪を研ぐ 家来は昼寝 子供たちは目隠し 数え歌を歌う 王様の爪は三本爪 三つに分かれて何でも殺す 一つは矢に 一つは槍に 残り一つは秘密のナイフ 弱いもの貫き 小さいもの刺し 見えないもの壊し 家来は昼寝 目隠し取るな きらきら光る 王様の爪 映ってるのはだれ? きらきら光る 王様の爪 映ってるのは ---------------------------- [未詩・独白]こときり/いとう[2004年6月25日6時02分] こときり それは一片の山が独りの溜息でさらりと崩されていくような! こときり それは深海の底の一握の砂が自重で潰れながらマリンスノーの夢を見るような! こときり それは小指の爪が出会う麒麟にも似たイマジナルな物質の浮遊に匹敵するような! こときり それは小高い丘の果てで人知れず枯れていく草々が想うまだ見ぬ星々の煌きと瞬きのような! こときり それはファンダメンタリストが自身の手の皺を見て思わず口ずさむ遠い日の母の歌のような! 僕たちが未だ僕たちを超えられないことを思へ! 僕たちが未だ超えられない世界に浮遊することを思へ! 僕たちが未だ浮遊するが故に上昇も下降も同等であることを思へ! 軌道エレベーターの描く直線は憧れと拒絶とをない交ぜにしたアイナメに舐められたナメクジの触覚が慟哭とともに相克する盲目の興国と刻等の透谷、コクトー! ジャン・コクトー! 神秘の事故、天の誤算、 僕がそれを利用したのは事実だ。 それが僕の詩の全部だ、つまり僕は 不可視(君らにとっての不可視)を敷写(しきうつし)するわけだ。 こときり! それは未だ成されざる理(ことわり)を切り裂く雨情にも似た それは未だ成され得ぬ理(ことわり)に注がれる無上の霧にも似た それは未だ利用されざる神秘の事故、天の誤算、僕の詩、以外のすべてにも似た こときり! 不可視(僕にとっての不可視) 敷写(しきうつし)されるべき不可視 未だ切ることのない、 未だ毟り取ることのない、 神秘の事故、 天の誤算、 そして、 詩人の血よ ※三連「神秘の事故、天の誤算、〜」…ジャン・コクトー作「自画像」より ---------------------------- [未詩・独白]ねったいぎょ/いとう[2004年6月28日17時44分] ∧表∨ やぼったい ねったいぎょ やっぱりぜったい やりたいさかり さっぱりばっさり しっぱいばっかり やぼったい ねったいぎょ ていたいてったい ふんだりけったり いっさいがっさい くそったれ ∧裏∨ ねったいぎょねたい ねったいうりんでねったねた ネタとねたいねったいぎょ ねったいぎょねれない ねれねれねった ネタとねったり ねたいのねったいぎょ ねったいぎょねた ネタとねたねったいぎょ ねったらねるねる ねったいのねったいぎょ ---------------------------- [未詩・独白]スカート/いとう[2004年7月2日16時08分] のーずそーすのナムはスカートを知らない わーずぐーすの到来にアラートの鳴り響き さいろ さいろ  るっく らっく うーかむーたの時 手を休め ひらひら さーくみーとの夢 ナムの目 ちらちら ナムわーーーーーず はしゃぐ〜〜〜〜〜〜すわ〜〜〜〜〜ず (わーーーずっずぐ〜〜〜 ひらひら   〜〜〜〜〜す) さいろ ちらちら るっく (わわ〜〜〜ず らっくさいろらっくらっく        ぐすぐす〜す) ナムの目 ナムの目の前 ナムの目の前の ひらと わーずぐーすの ひらと 触ること知らない スカートを知らない ナムの ナムの目の前に ちらと ---------------------------- [未詩・独白]雪江さん/いとう[2004年7月2日16時31分] 母方の祖母の雪江さんは 70歳くらいでガンで死んで お通夜の次の日に突然生き返った その時なぜか僕1人しかいなくて 雪江さんは自分の死化粧を見て 「えらい別嬪さんやなぁ」となぜか関西弁を喋った なんか鼻に栓があって喋りづらいわ 私死んでもうたのか? うん でもこげん(こんなに)ピンピンしとるでぇ なんでやろ?(僕にも関西弁が移った) なんぞ思い残したことでもおうたんかいな? さぁ? ま、ええわ。えろう吃驚させてすんまへんな。自分 生き返ったのはしゃあないわ。みんなに知らせとこか? アカンアカン。その前に○○旅館行かせてえな 自分、生き返ったそうそうソレかい 生前の彼女がこんなに活発だったかどうか ほとんど会ったこともなかった僕はよく知らない 記憶の中では とても清楚で無口だったように思う 「○○旅館」は近所にある大きな高級温泉旅館で 歩いて10分程度 彼女がなぜここに行きたがったのかは 道すがらに教えてくれた なんやこの辺もえろう変わったなぁ 自分の近所やないか。何言うとんねん 私、家からあんま出かけへんかったから なら旅館も初めてかい 何言うとんねん。あそこは私の実家や。縁切れとるけどな おじいさんとは幼なじみでな、大恋愛やったんよ でもな、うちは老舗の旅館の娘やろ 格が合わん言うて祝言に反対されたんや でもうちはおじいさんと結ばれたかったから 「なら縁を切ってください。切ってくれなければこの場で死にます」 そう言うてしぶしぶ承知してもらったのよ だから旅館には全然近づかなかったけれど まだ許してもらえないかなぁ もう死んだのになぁ なんかドキドキしてきた もう死んでるのになぁ 彼女の言葉が共通語に戻っているのが 悪い予兆のようで 旅館の入り口で 「ここでしょ?」とぶっきらぼうに すると 「許してくれるかなぁ」と聞こえた直後 “バシャーッ”とバケツをひっくり返したような音がして 振り返ると雪江さんは トロトロに融けていた いきなり体が崩壊して そこにはトロトロの水たまりができていた 耳の奥がチリチリと とても熱い 水たまりを掻き集めて 「もう少しだから。もう少しで帰れるから」 雪江さんは融けてしまってもまだ 「許してくれるかなぁ」とつぶやいている 僕は泣きながら旅館に駆け込んで 雪江さんでトロトロになった服のまま駆け込んで そして当然のごとく追い出されてしまったけれど 彼女の魂はそこにある 彼女の魂は帰ることができた たぶん許してもらっている そうじゃないと そう思わないと 彼女が浮かばれないじゃないか 泣きながら雪江さんの家に帰ると 死体がなくなったと大騒ぎになっていた みんなで 出棺をどうしようかと 話し合っていた ---------------------------- [未詩・独白]遠い朝、泣かない夜/いとう[2004年7月5日0時05分] 苫小牧の少女が一篇の詩を書き上げる頃 渋谷の未成年たちは今日の居場所を探す 小さなハコで鮨詰めになって揺れながら 沖縄の夜の珊瑚礁を思う 糸井川の漁村の少年は 明日の朝の漁を邪魔しないよう 小さな自分の部屋に閉じ込められ 暗闇の中、昼間に聴いた流行歌を口ずさむ すべての人に すべての夜を 夢を見るには早く あきらめるには ほど遠く 病院の地下の霊安室で 実習生が泊り込みの番をする ホルマリンの臭いの奥で 生きてきた人々の気配が消えていく すべての人に すべての夜が ときどきには 訪れないまま 眠らない人々の溜息と吐息が 紫煙のように目的もなく立ち上り それはまるで 愛しいものを知らない嘆きのように 呪いとなって降り積もる すべての人と すべての夜に ---------------------------- [未詩・独白]朝の烏/いとう[2004年7月7日0時38分] 君に語る言葉が見つからないので 女を買った 入浴料1万円 サービス料2万5千円 女と談笑する 女と語る言葉はある 女に伝わる言葉はある 路上で浮遊している 誰か轢かれないかなと思う 誰も轢かれないけれど 誰か死なないかなと思う 誰もが女たちと語り合う 君に語る言葉が見つからない 俺が死んでもいいと思う ひとつ気付いたこと 朝の烏はよく鳴く うるさいくらい鳴く 誰と語ることもなく 烏たちは鳴く 女は声を上げる 挿入すると声を上げる サービス料2万5千円の 声を上げる 君に語る言葉が見つからない 君に語る言葉が見つからない 食欲がない でも食べる 君に語る言葉のために 女も買う メシも食う 君に語る言葉が見つからない その隣で浮浪者が糞をしている 烏が鳴く ---------------------------- [未詩・独白]昼、ネギを持った男が/いとう[2004年7月13日18時17分] 男の昼はネギで始まると信じているわけでもなかろうに 君は駅のホームでネギを振り回している 君が普段ネギを買えるほどの暮らしをしていないのは 君のその身なりからすぐに推察できるけれど 駅員は遠目から苦々しく観察しているだけで 決して君を排除しようとはしない その態度が意味することはおそらく 君が金銭授受を伴う正規の手続きによって そこにいることを許される権利を獲得したということ 今の君には自由が約束されている ネギを振り回す自由さえ今の君は手に入れている 他人から奇異な眼差しで見詰められる自由さえ 君は享受している 薄汚れた生のネギを食べる自由さえ 手に入れようとしている 君がそのネギをどこで手に入れたのか それは推測の域を出ない事柄のひとつ ホームの柱にもたれかかりうずくまり 薄汚れた生のネギの汚れを 薄汚れた君の手の甲で落とす つもりでさらに薄汚れていくそのネギを 少しずつ 一口ずつ 君は口に含んでゆく 君の目にうっすらと涙が見えるのは 揮発する催涙性刺激物によるものか それともまったく別の理由によるものか それも推測の域を出ない事柄のひとつ 長い時間をかけて 君はネギを食べ終わる 駅員を含むすべての他人はすでに君への興味を失い 自分たちの職務及び生活の維持に翻弄されている (彼らは基本的に実害がなければたいていの事象を受け入れる) 君はゆっくりと立ち上がり 食べられない部分をきちんと燃えるゴミ用のゴミ箱に捨て そして ホームがさらに混雑し始める夕暮れ 奇声を発しながら電車へ飛び乗る君へ 彼らは声をかけることができない 声をかける自由を奪われていることに気づかない ---------------------------- (ファイルの終わり)