リーフレイン 2008年10月25日6時38分から2010年4月13日18時35分まで ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]詩とイメージ  −萩原朔太郎 蛙の死−/リーフレイン[2008年10月25日6時38分] 某所で、 >意味がわからんと言っていた軟弱者が何人かいましたが、 >意味を伝えるだけなら詩なんか必要なないじゃん。 >詩は作者と読者の共同作業であるべき。 >僕が1から10まで語ったら、読者はあと何をすればいいというんだい? という発言を見かけました。 そう、これだけ読んだら実に正しいと膝を打ちます。詩を読むときに、やたら説明くさい詩ぐらいあほくさいものはない。 嬉しい、美しい、悲しい、甘酸っぱい、そうした情感を直接説明せずに、読者に自然に喚起させてくれる詩のほうがはるかに嬉しい。 が、しかし、ここで問題があります。 「意味がわからん と言うとき、読者がいったい何を意図していたか?」 およそ詩を読むというとき読み手は1から10まで論理的な作品を期待しているわけではありません。(それを期待するのであれば散文を読むわけです)何を期待してるか?人それぞれではあるのですが、音楽を聴くときのような、絵画に浸るときのような、現実世界と一線を画したイメージを期待しているのではないでしょうか。 つまり、読者は「説明が足りない」と怒っていたのではなく、「イメージが喚起できない」と怒っていた可能性が高い。 じゃあ詩で喚起されうるイメージとは例えばどういうものか? ーーーーーーーーーーーーーーーー 蛙の死  萩原朔太郎  蛙が殺された、 子供がまるくなって手をあげた、 みんないっしょに、 かわゆらしい 血だらけの手をあげた、 月が出た、 丘の上に人が立っている。 帽子の下に顔がある。 ーーーーーーーーーーーーーーー 一切の説明がないといえば、この詩もないです。ワケはわからない。しかし読み手の中に凄みのあるイメージがわきあがります。  不協和音で作られた現代音楽に耽溺するときにように、あるいは、雑多な色を混ぜ合わせたような現代絵画に耽溺するときのように、それがたんなる落書きではなく、作品だと感じさせてしまうだけのエネルギーが焦点を結んでいるときに、初めて鑑賞者の内部にイメージが喚起されます。言い換えると、「詩のわかりやすさ」とは、イメージ喚起の容易さであり、「詩の質」は喚起されたイメージの質に通じると思ってもいいのではないでしょうか。 さて、萩原朔太郎の 蛙の死 からイメージ構築の手法を見てみます。 この作品は、大雑把に3つのシーンを描き出しています。 第一のシーン:蛙の死体とこどもたち  第二のシーン:月 第三のシーン:丘の上の人 秀逸だと思われるのは、シーンの連鎖が連続するために、読者の感情の動きをキーに使っていること。 第1のシーンで、ぎくっとした読者は、月という視点のジャンプをはさんで そのぎくっとした怪しい気分をそのまま凝縮したかのような帽子の男というシーンに導かれます。連想手法として通常使われる、ある一つの対象からさまざまに連想したものを書いていくのではなくて、シーンによって導かれる気分をさらにシーンにしたてていく この手法は短いながら詩がダイナミックに動き、かつ一つの作品としてのまとまりを確固たるものにしています。  余談ですが、この作品は大正六年に刊行された「月に吠える」に入っています。ということは、書かれたのはその前数年の間ということでしょうか?およそ90年前の作品なわけですが、この感覚は現代でも十分通用するのじゃあないかと思ったりします。 すごいことだなあとしみじみ思います。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]洗濯バサミで鼻をつまんで寝てたのよね、、/リーフレイン[2008年10月29日22時46分]  「とてもほしいものがあったとして、それは多分手に入らない。」 そういうときは、欲しそうな顔をしなければとりあえず軽蔑も同情もされないですむし、大きな落胆も感じないですむ。こいういうことを身に着けたのはいつだったのだろうか?よくわからないぐらい小さい時から、さまざまに諦めたそれは、飴であったり、好きな子であったり、ぬいぐるみであったり、高い鼻であったり、一人だけの部屋であったりした。欲望とか虚栄心とかまあ、そういうものとセットになっていることが多くて、わりと楽に無視できたのだけれど、頑張ればなんとかなったかもしれないとか、一生懸命説得すればなんとかなったかもしれない、というようなものだったときは、虚栄心とかいう範疇ではわりきれなくて、正直に欲しがらなかったことを後悔してしまったりする。  何なら欲しがってもよくて、何は欲しがるのはまずい かというのは案外と難しい判断で、人間誰しも、欲しがらないといけなかったものをやめてしまったことは多いんじゃないだろうか。とりわけ澱になるのは、本来自分だったはずのものを奪われたときで、抗議すらできなかったりすると、「抗議すらしなかった」自分に対して、罪悪感と後悔の念に襲われてしまう。しかも、それが我侭であるのか、ささやかな自己防衛であるのかという区別はやっぱりかなり難しく、悪心から発したものではないということを自分に問わないといけなかったりするのだ。  生命はエネルギーと時間で、自我をもった私はそれらに私の意味づけを求めてしまう。一方で生命は共有されるものでもあって、時間もエネルギーもさまざまに共有されていく。からみあい、奪い合い、与え、連鎖していく煩雑な時間の中でささやかな”私”はあまりにもささやかだし、それに意味を与えることすら本来ナンセンスなのかもという疑問も芽生えてしまう。怒涛のようなエネルギーの中で”私”をキープするためには、周囲よりももっと密度の高いエネルギーが必要なのだろうと思ったりもする。  こんがらがってしまったエネルギーをうまく循環させるために、柄谷は譲与性ということを説いていた。まあ、平たく言えば、「受けた恩を次の誰かに返す」ということかなと拙い理解をしている。ギブ&テイクの関係だと常に1対1で対応してしまうから、そこでエネルギーの循環が完結してしまうのだけれど、テイク&ギブ サムボディ ならば1対多となっていく。循環の系が広がるのだ。  私は我侭であるのだけれど、その我侭は小さい系の中にハメラレテしまっているときにより鮮明になってしまう。「ギブしてもらった何かをちゃんと循環させて存在の倫理的バランスを取りつつ、お互いに少し自由に生きる」という視点がみんなで得られると、もうちょっと「欲しい」といえるようになるかもしれないなあと思ったりする。 ---------------------------- [自由詩]逃げます、ひたすらにげますお願いします/リーフレイン[2008年11月1日20時25分] 冬眠   の猿 の尻尾  の 揺れてる 木のうろ の口 (猿は冬眠しません、ええ、わかってます、、しないんですけど、、、) ---------------------------- [自由詩]つり銭/リーフレイン[2008年11月10日21時01分] あかもん行きーー   この電車は赤門行きです。ご乗車の方はお急ぎくださいーー がっちゃん と音を立てて路面電車が動き始めた。  「あぁ、間に合った。車掌さんごめんなさいね。」 「どうぞ足元にお気をつけください。」 「ありがとうございます、おいくらですか?」 がっちゃんごー、がっちゃんごーと揺れる一両しかない電車。 車両幅が狭く、向かい合わせの長椅子には人が隙間なく座っている。 丸い白いつり革が電車の横揺れにつられて揺れている。 次はさんちょうめー、さんちょうめー、  お降りの方はブザーを押してお知らせくださいーー 「きいちゃん、きいちゃん、ああよかった、かあさんの分も払ってくれる?お財布忘れちゃったのよ」 突然、母の声が聞こえた。見るといつもの着物姿の母が困ったような顔で佇んでいる。 「かあさん、何やってんのよーーー 車掌さんお幾らですか?」 「ええと、お母さんの分は8900円になります。お客さんのは240円ですね。」 「え?」 「そうなのよ、きいちゃん8900円だって、かあさん困っちゃって。」 「え、そうなの。」 「じゃあとりあえず240円っと、」 次は・・・・・・まえーー ・・・・・・まえーーー おおりのかたは・・・・・・ 「あ、もうすぐ着くわ、ボタンボタン」 「ええと、一万円、一万円・・・・・・」 「ありがとうございます。」 「車掌さん、おつりおつり」 出口の方まで先に行ってたかあさんが 「きいちゃん、かあさん一人じゃ降りられそうもないのよ、一緒に降りて家まで連れてってくれる?」と たよりない声。 「え、一人じゃ無理なの?しょうがないなあ・・・・・・・車掌さん、お釣りくださいな。」 お釣りを中々くれない車掌はほほ笑みながら口に人差し指をあて、小さい声で 「お客さんは生きてらっしゃるからここにいらっしゃい。」とささやいた。 不思議に思うまもなく電車がガタンと止まり、母は出口に吸い込まれていく。 車掌さんもほほ笑みながら消えていった。 路面電車も消えてしまった。 ---------------------------- [自由詩]六花/リーフレイン[2008年11月13日8時44分] 六花は冬に生まれた。 濃いグレーの背中に白い斑点が6つ散らばって りっか と呼ぶ。 六花はすっきり背を伸ばして、両足を揃えて座った。 爪を出すような不様は見せなかった。 新しい水が好きで、洗面台の端っこにあがって、 洗面桶の水を替えてくれるのを待っていた。 六花の母猫がそうした作法を教えていった。 六花は仏間の縁側が好きだった。 日当たりが良く、専用のさぶとんと祖母がいた。 祖母の茶箪笥にはいつもお茶うけのにぼしが入っていて、 祖母と六花は一緒におやつをしていた。 祖母が老いていき、 六花も老いていき、 しまいには祖母の方が先に 老い病んで 仏間にのべられた布団の横で 六花が凛と座っていた。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]生成されていく意識ーWeb詩の動的構築の可能性ー/リーフレイン[2008年12月12日21時11分]  まずは、アマモリトオルさんのテキスポ詩集「夜はいつも旅のはじまり」を紹介させてください。(少々宣伝込みで申し訳ない) http://texpo.jp/texpo_book/toc/2822/  この作品でのリンクは、もともと、現代詩フォーラムや極道に投稿されている詩人さんの、石黒さんのサイトを参考にしています。 http://www.interpoet.net/p3.htm  石黒さんのサイト内では、javaで記述してあるそうで、オンマウスで動きます。画面の部分の表示が変わっていくので、一つの詩が動的に変化していく様子が非常に素敵です。  テキスポでも近いものができるんじゃあないかってことで、やってみたかったんですが、あたしの詩は連想に向いていないので、雨森さんの詩を構成させてもらえないかとお願いしてみました。 「連想で重ねられていく詩句が、樹形になった記憶をたどるように構築されていく」という感じに作れたらと思っていました。テキスト単位で要素を作成しておいて、単語でのリンクはテキストへとびます。これは、テキスポのシステム上の限界ですね。テキストあるいは画像が最小のリンク先のポインター単位なので。(テキスト内部の表示を動的に変更させることはちょとできないっぽい。あと外部への動的リンクもできないっぽいです。URL直書きなら可能なんですが表面にアドレスが出てしまって美しくない、、)  詩をシーケンシャルに読むのではなくて、立体的に接してもらえるんじゃあないかと期待していたりいます。  さて、彼等の形式は、文学極道にも 書簡集 という作品で投稿されました。 http://www.interpoet.net/sere-moni/ (石黒さんのサイトinterpoetで製作。URL張りという形での画期的な投稿でした。と同時に、一人の書き手ではなく複数の書き手による連作が極道に一つの作品として投稿されたという形をとったという意味でもまた画期的な投稿でした。) それぞれの構成要素は、現代詩フォーラムの11月9日付近の散文カテゴリーで散見できます。 index  祝祭 (いかいか) http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=170229 瞳 (石黒) http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=170255 アクマ(いかいか) http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=170360 緑 (石黒) http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=170481 カーテン(構造) http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=170653 名前のない(いかいか) http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=170239 降っている (石黒) http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=170243 等々、、、ああ、追っかけてくのが疲れてしまった。。。(まだまだあります。)書簡集と名づけられたこの一群の散文詩が一つの作品として成立している大きな要因に、彼等が互いに実力の伯仲した優れた技術を持ち、しかも連詩であることを十二分に意識して書かれていることで、夢と現実の境目のような世界観をキープしているという点も見逃せないわけですが、それにもまして、”リンク”という手法で連続していく形態はWeb詩なればこその実現可能性として、非常に興味深いです。  石黒さんたちの試みは、一人の詩人の内部世界の立体表現のみならず、詩人たちそのものが構成単位となって、動的に構築されていく世界への広がりでもあります。 詩的世界の樹状構築であると同時に、ゆるやかに溶解、生成されていく”世界意識”とでもいうような美しさの可能性を示しているようで、ものすごく心が踊ります。 ---------------------------- [自由詩]虹色のマフラー/リーフレイン[2008年12月20日19時39分] 駅のホームでマフラーをほどきました。 きつくひっぱって、ピンと伸びた毛糸が 指から指へ。  一本の毛糸のレールがするするとのびていって地球を一周します。 「メーデー・メーデー ガラス細工の雲が地上に降り注ぐでしょう。」 バージン・アンゴラウール &アンゴラマーク入り 虹色に染まった 雲は 泣き出しそうな指先です。 「メリーさんの羊、羊、羊 メリーさんの羊、かわいいな」 アンゴラ地方の山の上に棲んでいるアンゴラ羊のアーシャは、 泣きながら自分の毛を刈り取って、 泣きながら自分の毛を洗って、 泣きながら漉いて、 泣きながら紡いで、 ずっとためていた自分の涙で糸を染めました。 アンゴラ地方に住む羊たちは、そうやって毛糸を売って暮らしています。 あなたは、まっすぐでピカピカに光っていて、どこまでもどこまでもどこまでも続いています。 くるくる回転するあなたの体には鋭い群青色の声がつきささっていました。 マフラーをまきませんか?群青色の声を包み込んで痛くないように。メリーさんの祝福を。 「メリーさんの羊 ひつじ ひつじ」 だけどメリーさんは魔法使いだったのです。だから、ほどいて もう一度地球を一周します。 「メーデー・メーデー 虹色のふわふわ雲。」 だんだんゆっくり ていねいに、まきなおしていく毛糸の玉がまあるく  ふんわりと ふんわりと、まあるく まあるく ゆっくりと、 虹色のふわふわが ふわふわ玉になったころに、 ほうっと 毛糸が浮かびました。 「さようなら、メリーさん。 さようならアーシャ。」 ---------------------------- [自由詩]荒川通り3丁目/リーフレイン[2009年1月10日22時57分] やっさん やっさんは九州から中卒でやってきた人だった。 工場に勤めて、結婚しそこなったまんまで55になった。 なんかの副職長という肩書きがついていたけど、給料は安いまんまで、九州から出てきたとき入った6畳一間に3畳の台所がついた部屋にずっと暮らしていた。 酒が強く、上手な酒飲みだった。炭坑節を歌うのがうまかった。  9月の連休明けの火曜日、やっさんは工場にでてこなかった。心配したカネさんがちょっと抜けて見に行くと、ちゃぶ台の横でパンツ一丁で倒れていた。もう冷たくて、臭かった。やっさんは3年前から癌になっいて、遠からずこうなるはずだった。そうなるだろうと思ったからか、戸口の鍵はいつも開けっ放しだった。  九州から甥だと名乗る人が骨を迎えにきてくれた。ちょうど前の年にたまたま町内の組長を務めていたやっさんは、市の掛け捨て共済保険に入った。100万円が下りて。葬式はそれで賄えた。 やっさんが住んでいた部屋は、綺麗に清掃されて5千円家賃を下げて貸し出されている。  口入屋 背戸の古い借家3軒は、40年来、口入屋がまとめて借りて使っている。 6畳二間と台所と風呂のついたそれぞれの平屋に、二人ずつ人が入っているらしいのだが、みな一様にこっそりと住み、破れたカーテンは破れたまま。ややもすれば雨戸も閉めたままだった。2台の古い乗用車が出たり入ったりしているので、ようやくいるのが分かる。洗濯物も、一度もみたことがない。 松山さまのお宮  三角形の小さい敷地に、赤いお社が建っている。 昔、このあたり一体の長者さまだった松山様のお社だ。 100年前には10町歩のお屋敷があって、河川をずっとくだったところにある大きな材木問屋から嫁ごをもらった。 そのときの嫁入り行列は、今でも口に上るほどに立派で、大八車にたんすやら、長持ちやら山のように積み上げられた桐の箱やら、大きな座敷机やら、立派なお道具を乗せた行列が1町歩にわたって続いた。お道具お披露目はすばらしいもので、化粧品ひとつとっても、ざるいっぱいの口紅やら、ざるいっぱいの白粉やら、どかどかと並べられ、「お披露目はするけれど、盗られては大変」とばかりに、大勢のおなご衆がにこやかに見張りに立っていたそうだ。  松山様は戦後の農地解放で没落してしまい、今ではその赤いお社だけがぽつんと残るばかり。 嫁ごのご実家だった材木問屋もとうに左前となり、晩年の奥様は借家住まいで亡くなった。お手伝いさんが一人、ずっと一緒に暮らしていた。 敬三さんの家の前 杉さんという名の男が毎日立って見張っている。 敬三さんの息子は医者で、杉さんは息子を敬三さんの息子の病院で診てもらっているときに亡くした。 たった一人の息子で、大学を出してやって、立派に就職して、かわいい嫁さんをもらって、かわいい孫が産まれた時だった。杉さんの息子は1週間高熱が続いて死んでしまった。 ただの風邪だと言われていたのに。 嫁さんは実家にもどってしまい、孫もつれていってしまい、杉さんの家は火が消えたように寂しく、悔しくて、どうにも気持ちをもてあましたあげくに、敬三さんの家の前で怖い顔をして立つことにしたらしい。 1年すぎて、2年すぎて、7年たってもまだ、敬三さんは杉さんの怖い顔をみて暮らしている。 ---------------------------- [自由詩]春酩酊/リーフレイン[2009年4月9日22時43分] ガラスの目玉はなお黒々と 烏鳴かずに むくろをつばむ ささくれた嘴 朱に染めて 過ぎし唄声 かすかにきこゆ 朧な月よ 頬染めよ 柿の若葉の柔らかな 木の香まといて いずこにいくや 黄檗の月よ ここや来たれよ 春の御酒を酌み交わそうや ちらり ちりちり ゆれる波 浮かぶ笹舟 だれが乗る 曙色の 雲のまに 浪漫ガラスの酒をくむ 琥珀のしずく 舌の端を しびれしびれてまた酩酊 ああ、花の酒 春の酒 あけぼのの酒 夜の酒 さくら さくら ああ さくら 花びら溶かして また酩酊 ---------------------------- [自由詩]京さん −荒川通り3丁目ー/リーフレイン[2009年8月13日3時57分] 京さんは今年七十四だ。 京さんのおとっつあんとおかっさんはほんとの親じゃあなかった。 京さんが産まれる前の話、おとっつあんとおかっさんに女の子が生まれたそうだ。おとっつあんは大喜びで汽車乗って、いそいで東京まで雛人形を買いに行ったそうだ。帰ってきたら、赤んぼうは死んどった。最初の子だしするしで、ふたありとも、悲しんだことは悲しんだんだけんど、次があるさとも思ったそうだ。二年経って、今度は男の子。おとっつあんはほんまに飛び上がって喜んで、やっぱし汽車乗って東京へ鯉のぼりを買いに行った。かえってきたらやっぱし死んどった。ほんでもって産婆さんに、もう子供は作っちゃあなんねえと引導も渡された。母体がもたんそうだった。 ふたありとも身も世もないと悲しんで泣き暮らしていたところ、おとっつあんのあにさんが、「わしゃがんとこはもう子供もたんといるし、次がまたおなごやったらおんしんとこにやろう」と言うた。「あにさん、ありがとうございます。おらあ大事にするでよお。蝶よ花よって育てるよお。でもって三国一の婿さんもろってこのうち継いでもらうよお。ああ、ありがたやありがたや。ああ、ありがたや」と涙をながしてあにさんの手をにぎり、よろこんだ。 次の年、あにさんとこに女の子が生まれた。四人目の女の子で色白で髪も黒くてかあいらしい赤んぼだった。お七夜のお祝いの夜、あにさんはおとっつあんをちょっとはばかるような顔でみてた。「こないだの話だけんど、ちょっと考えさせてくれんかの? まだお七夜じゃあけん」っと切り出した。「そりゃあ話がちごうとりゃせんか、おらんとこにくれるってことじゃあ」 「まだお七夜じゃけんのう、こないにちっさいのはのう、乳もはっとるしするしのう」 おとっつあんは黙って引き下がったけんど、こっそり隙を見て赤んぼを抱きかかえ、3輪バス乗り継いで家に帰ってきてしまった。この赤んぼが京さんだ。 京さんに、蝶よ花よと育てられた? と聞いてみると、どうも時代のめぐりあわせが悪かってそうはいかなんだよ と笑ってた。 ---------------------------- [自由詩]梨畑のAMラジオ/リーフレイン[2009年8月17日14時51分] 梨畑の湿った雑草がひんやり茂る足元に、いくつもの虫穴が口をあけ、樹液を狙う甲虫が幹の洞にたごまっていた。木の枝にいつも架かっていたのは黒い小さなAMラジオで、夏はひたすら甲子園の、歓声とブラスバンドとアナウンサーの絶叫が 緑の葉をさやさやと吹く風にのって梨畑の中を駆け抜けていた。じんじんと耳に響く蝉の声がラジオの音をかき消さんばかりにつんざくのだが、不思議と聞きたい声は輝いて、蝉音を超えて首筋を伝う汗の中にもぐりこんできたのだ。 ---------------------------- [自由詩]丑三つ時の街に足音/リーフレイン[2009年8月22日17時10分] 丑三つ時には月も冷たく 小さな路地の片隅に  眠る女神に訪れる客もない 丑三つ時の街のあるじは 月の明かりの灰色の影 闇を連ねるビルの狭間を だまったまんまで踊り続ける 丑三つ時に出かけた少年 お気に入りの帽子をかぶり スニーカーの足音たてた  2度と家には戻らないのだ 丑三つ時に 草眠り 風が静かに吹きすさぶ たった一つ残った星が 冷たい月のギターを弾いて 少年の帽子をじっと見てた ---------------------------- [自由詩]まだ大丈夫だろと呟きながら/リーフレイン[2009年8月25日10時41分] 盆がすぎ、まだ青々と立つ稲の 鈴花が まだ咲かぬのかと歯軋りする歯は黄色く毀れ 甘みが乗らなかった梨の実をもぎ 浅く掘った穴に震える足で踏みつけていく 「来年はがんばれよ」 と 呟きながら 鍬の刃を継ぎかえる楔 打つ腹に力が入らない 雑木草はかわらず繁茂し 空なお高く 雲白く 風飄々と通り抜け 野分け後、赤く染まった夕日を見るにつけ 「まだ大丈夫だろ」 と 呟きながら 今年は豆を4回に分けて蒔いた 「きっとどれかは おてんとさんに合っとる」 と 呟きながら ---------------------------- [自由詩]堆積する言葉/リーフレイン[2009年9月7日21時41分] 一 あたし 十 だったら、指で数えて 百 コの飴玉ためてたよ 千 街角に風船飛んで 万 まんぼうっておいしいの? 億 一億円宝くじ買ってた 今日のおやつはなしだって 兆 2009年国債残高 8,60兆2,557億円! 京 都って意味なんだよね、古いの 垓 咳してる こんこんこん 世界中で風ひきの人 ? 読めないから聞いてみた じょ だって ジョジョ 穰 韓国の夜空に月 雁が飛ぶ 溝 こうのとりが赤ちゃんをつれてきてくれますように 澗 お父さんの晩酌は赤いんだよ 正 正しいってこんなに大きい 載 掲載されて僕のおじいちゃんは白くなった 極 北極の氷が溶けてしまったら、海面はどこまで上がるのかしら 恒河沙 美しい織物の河に船を浮かべて 阿僧祇 僧侶になる旅に 小ねずみが 那由他 なゆた たゆたう 星の空 不可思議 扉が開く どこへ行く? 無量大数 の言葉が0と1になって地球の空を駆け巡る、 洛叉  倶胝 阿ゆ多 頻波羅 矜羯羅 阿伽羅 最勝 摩婆羅 阿婆羅 多婆羅 界分 普摩 禰摩 阿婆? 弥伽婆 毘ら伽  毘伽婆 僧羯邏摩 毘薩羅 毘贍婆 毘盛伽 ああ、疲れちゃった まだあるね 多すぎるのって大事にできなくなるから嫌い 少ないと足らなくなるかもしれないし 丁度いいだけ あるといいのに 毘素陀 毘婆訶 毘薄底(びばてい) びきゃたん しょうりょう いちじ いろ てんどう さんまや びとら けいばら しさつ しゅうこう こうしゅつ さいみょう 世界中に降る雨の雨粒の 運動する水素と酸素のように 言葉は満ちてあふれて こなごなに砕け散っていく ---------------------------- [自由詩]あなたと僕と猫と猫/リーフレイン[2009年9月14日13時13分] 僕のアパートは猫が飼えない 窓から見えるのは隣の物置と、アルミのベランダの裏側だけ コンビニのビニール袋が 風にふかれてカサカサ笑い 忘れられた洗濯物が 雨に打たれてしおしお泣いてる あなたは いない ね、明日、僕らの家を探しにいこう まあるい陽だまりと、ちいさな隅っこがある家がいいよ 猫専用の物見台があって、 とりそこないの雑草が生えて 星が見える窓と、朝日が射す窓がある 夜、玄関に小さな明かりが灯されて、 夕飯のパイが一人分残ってて あなたが本を読みながら待っている あなたと僕と猫と猫 ね、明日、僕らの家を探しにいこう コンクリートの箱が積み上げられて、お仕着せの四角い間取り 見た目はきれいな安物の壁 定番になった部屋って嫌気がさすのさ 同じ部屋に同じようなカップルが住んで 同じご飯を食べて、同じ車に乗って だけどあなたは いない ね、明日、扉を探そう どこにもない、どこにも繋がっていない扉をさ 堅くて厚い木製で 不思議な模様が刻んであるんだ ある日、そのドアを開けたなら どこにも咲いてなかった花が咲いて 僕らだけの空が広がる あなたと僕と猫と猫 ---------------------------- [自由詩]白と黒 そのあいだにある色彩/リーフレイン[2009年9月23日5時15分] 産院で生まれた赤ん坊の毛はやわらかいです その傍らでは、生まれない子を待つ若い夫婦がいて さらに外では破産した親たちが立ちすくんでいます 銀のスプーンをくわえた少女の色褪せたリボンを 昔のお手伝いさんが丁寧に洗っていました 少女のお人形遊びは手術シーンばかりです 空にすずめの群れが舞い上がりました 人の手が入らなくなった森の 崖の縁には古いサンダルがそろえてありました 道端にはエサを探す猿と まっすぐにはりめぐらされた電線と  伝染していくインフルエンザ 私は息子に 諦めることしか教えてあげられなかった 2世帯住宅の煉獄に焼かれて 家族の時計の針はダリの絵のように溶けだします 破綻した住宅ローンが見ている電気羊の夢の中で セックスの無限なバリエーションあるいは陳腐な結末を繰り返しましょう 果てしなく続く 白から黒 黒から白の ---------------------------- [自由詩]窓辺にて/リーフレイン[2009年9月25日16時53分] 窓辺で ゆれる雲南萩の花 の木陰で金玉をほこらしげに見せている狸 の金玉の下 にアリが巣を作っている さぞや痒かろ  と なにやらくるしげにみえてきた狸 の傘が 風で廻った ---------------------------- [自由詩]孔雀の森/リーフレイン[2009年9月29日12時40分] アラフォー美女軍団が集う とあるアスレチックジムの昼下がり 美しさを競い、年収を競い、つかの間の恋人を競う彼女達の今日の関心はチーズだった 丸チーズですわね 赤いセルロイドに入ったのですか? 臭くないとね トムとジェリーで穴あきチーズがでてましたでしょ? 青カビタイプ やっぱりカマンベール ブリーのナチュラルでもよろしいわよ ヤギのチーズもオネガイ 溶かしてパンにかけて あ、ジャガイモでもいいわねえ ケーキも シカゴチーズケーキ もちろんフォンディユ パスタとピッツア 中国のチーズって試したことあります? ああ、脂肪が、、、、 夢ですわねえ。 ああ、そういえば、手ごろな集合マンションの1棟売りが出ましたよ。 部屋数が6個 一部屋がオーナー仕様になってまして、広いです。 とりあえずオーナーチェンジ物件ですが追々開きがでてくるかと。 皆さん一緒にというと魔女の塔みたいになってしまいそうですわねえ。 一人では寂しいのと プライバシーも確保したいのと、揺れちゃいますね。 結婚したらどうしましょうか。 区分所有権を売って退去したらいいのよ。 つまり他人さんが入居している状態がデフォルトですわね。 丁度いい距離感ができるのじゃないかしらね。 うまく売れるかしらねえ? さあねえ、半額以下になると思っていればなんとかじゃないかしら。 大きな無駄遣いになるかもですね。 借りたほうがリスクが少ない? そうです。 リスクだけならそうですね。 あたしは木造が好きよ。木立に囲まれて、庭とテラスと、犬と。。 今なら土地を買って建てられますわ。 小さい家なら案外安いですわね。 コンクリと木造と混構造にして、コミュニティを作ったら面白いかもですよ。 ああ、そういえばあなたは建築家さんでしたね。 ええ、プラン作ってみましょうか。 それなら私はSOHOにしたいです。 喫茶店もオネガイします。 ああ、、、   夢ですわねえ。 、、、プロセスチーズって好きですよ、地味で。安心します。 ああ、 夢ですわねえ、、、 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]「詩と詩論」(冬至書房新社 昭和55年発行)を読んで B氏との会話/リーフレイン[2009年9月29日23時13分] 昭和55年に冬至書房新社より発行された詩論の本、「詩と詩論」は 、吟遊別冊79年6月刊の「モダニズム50年史」を改題して発行されたものでした。 内容は、昭和3年発行の季刊誌「詩と詩論」で何が成され、その結果何が日本の詩に起きたか? を「詩と詩論」を支えた数人の詩人に論じていただいているものです。 非常に良い本ですので、もし可能だったらぜひ直に読んでいただけるとよいかと。 とはいえ、なにげに古い本なのでつまみ食いのように抜粋しつつ感想をはさんでみようかと思います。 冒頭に春山行夫の「ポエジー論の出発」という文章があります、非常に簡潔に「詩と詩論」当時の意志が伝わってきます。実際にこの文章が書かれたのは昭和53年。春山は昭和3年当時、「詩と詩論」のメインとなって主知運動を展開していた詩人でした。論考は50年を振り返ったという形でしょうか。当時、彼らが何を理想としていたかが非常によくわかります。 ーーーー引用 春山行夫 「ポエジー論の出発」よりーーーー 「詩と詩論」は日本の近代詩に二つの主要な足跡を残した。その第一は若々しいモダニズムで、第二は詩の理論的な解明であった。「詩と詩論」があらわれるまで、「詩」と「詩論」とは別物とみられていて「理論で詩は書けない」という先入観念は絶対的な真実だと思われてた。 事実、他人の詩についてつべこべ口を出したり難癖をつけたりするやからに、「おまえさんは、おまえさんの理論どうりの詩を書いてみたまえ」というと、 彼らはグウの音も出せなかった。ところが、まったく新しい詩の理論をかかげ、その理論どおり詩を書く詩人たちがあらわれたのだから、同時代の詩人たちはびっくり仰天した。これが「詩と詩論」が日本の詩の認識に与えた根本的な革命で、それから日本の詩のモダニズムの歴史がはじまったとみてよい。 詩を書くには詩の理論を知らねばならない。それは当然の原則で、それの第一歩は詩を書くことは。ぽえーむ(いわゆる詩)とポエジー(詩的思考)という二つの次元から成り立っていることを認識することにある。「詩と詩論」が日本ではじめて明確にしたのはポエジー論への主知で、この時代の詩人ほど 自分の書く詩を主知しょうとして、各人がそれぞれのポエジーを追及した時代はかつてなかった。 ーーーーー引用終わりー この時代に詩と詩論を舞台に活躍した詩人として彼が頭においているのは、西脇順三郎、吉田一穂、上田、滝口、堀辰雄、竹中郁、安西冬衛、北川冬彦、北園克衛、春山行夫、左川ちか、等々です。 現代から見れば、およそあらゆる流派が含まれているような気がするわけですが、、春山はあえて ひとつの観点(主知的に詩を創造する)でくくっています。 単一の観念やムードの集団ではなく、 それぞれのオリジナルな思考で対象を分解し再構成する詩人たちだという定義でした。途中に主知の端的な説明としてベルクソンの「なんらかの法則によって分解し、ついでなんらかの体系によって再構成する能力として特徴づけられる」がひいてあります。  上の総論にくわえて テクニックの扱いという点で分かりやすく説明してあった段落をさらに引用すると、、 ーーーーー再び引用ーー おそらく大部分の詩人たちは、テクニックで詩は書けないと、固く信じ、テクニックにつよい抵抗感をいだいているとみてよい。しかしこれは全く見当違いの認識で、ごく特殊な場合を除いて、今日のあらゆる詩は、なんらかのテクニックによって書かれている。問題を自分が詩を書くという「行動」にあてはめて考えてみるとよい。今日の詩人たちがおそらく芸術とは考えていないような 流行歌の作詞家でも、いくつかの条件に適応するための受身のテクニックを使用しているし、 他人の作詞とはちがった効果を出すために、「意識的」にテクニックを考えている流行歌作詞家もいるはずである。テクニックを拒絶する精神は、自分が詩を書く場合のテクニックを自覚せず、他人の(次元が違う、あるいは異質の)詩のテクニックに拒絶反応を示すという本能によって 構成されているだけのことで、それを意識するかしないかで、その詩人は主知的であるか主知的でないかに分類される。 大部分の詩人が、自分が詩を書く場合にテクニックを感じないのは、彼らのテクニックが類型化して、たんに模倣するだけの操作に なっているためという原因にもよっている。 ーーーーーーーーー引用終わりー つまり、彼が言っているのは、詩と詩論の詩人達は、テクニックでもって詩を書き、そこで一番重要であったのは、そのテクニックそのものを主知的にかつ独創性をもって 創造していた、ということです。(この論が本当かどうかは個別にあたってみないといけないかもです。) ただし、この後、最後の段落で、リードの「芸術作品のテクニックやその他の要素を分析的にみてよろこぶ読者は、せいぜい世界で数百人だ」という言葉をひいていて、「詩という芸術で先鋭的な作品を作ったとしても、一般には受けない」だろうと暗にほのめかして終わってるんですよ。つまり、難解な現代詩であり続けるというスキームをこの時点で用意しちゃっていた。 自分は、日本の現代詩は現在にいたるまで実のところ春山のこのスキームの上にのっかっちゃってたんじゃないかと思います。  で、シュールレアリズムの話です。 春山の論に乗っかれば、テクニックとしてのシュールレアリズムといえるかもしれません。 同じ本に 阪本越郎の 「シュールレアリスムと文章改革」という論考がありまして、その中にジャック・バシェの「戦時の手紙」の引用として ーーーーーーーーー 「そうだ、ぼくはこれを溢れさす二つの方法を知っている。稀有の言葉の燃え上がるような衝突の助けによって個性的な感動を構成することだーまたは瞬間ーそれは自然であるー における感情の明確な三角や正方形を巧みに描くことだーぼくらは論理的正直を見捨てる。ー矛盾することを条件としてー世間が凡てそうであるように。」 ーーーーーーーーーーーー これでいいんじゃないかなと思います。 言ってることは、野村喜和夫さんが書かれている「混沌からの再構築・・・」と近似だろうと思うのです、、 現在では 矛盾あるいは混沌としたイメージの混入という手法はすでに手法として一般に知られていて、読者も十分に練れていると思います。無意識に利用されうるテクニックのひとつになってるんじゃないでしょうか? さらに、手法としての行き詰まりという話が 同じ本の百田宗治「季刊の詩人たちは何をしたか」という論考の中にありました。 主知の詩人たちが詩と詩論から各論の派閥へと分かれていった経緯をみながら ーーーーーーーー引用ー ただ総括して言えることは、所謂新精神による詩人たちが殆んど一通りのスタイルを示し尽くした今日、更にそれを破って出ることの困難さがそれらの新しい詩人たちの前に共通に置かれていることである。季刊の詩人達およびそれと時代をひとつにして活躍した(現にそれをつづけている)詩人たちは、ほぼかれらの新建築を構成しつくしてしまった。それ以後の詩人達はどこへいっても天井また天井である。そして彼らの大部分は殆んど共通に自分達の前に構築されたそれらの建物の精神と技術を習得してしまった。彼らの強みはただちにその時代の構築の上に自分自身を打建てればよいことであって、その前々代の魅力はかれらから最早失われている、。それほどにかれらの詩の伝統は新しい。が、それが新しいだけにかれらのユニークなものは(もしそれがあるとするならば)ただちに露骨な独創を要求されている。(昭和23年)  これで引用は終わりです。既に昭和23年にしてこの状況だったわけです。  このあたりから荒地派がくるわけですが、思うに荒地ってなあ、「テクニックより中身だよ」っていう話だったんじゃないかなってちょっと思いました。 もちろんテクニックもありなんですが、、、、 たまに、戦中派の書いたもの読んでて思うんですが、戦争っていう大ダメージの後で「英知の扉」が少し開いたんじゃないかなって、、日本なんか大して人口がいたわけじゃあないのにめちゃ大勢の兵隊さんが大陸に渡ったんですよね、帰ってこれたときに、行く前と一緒の人間がそのまま 帰ってこれたとは思えないんですよ。戦争がなかったらもしかして県外に出ることもなかった人が多かったんじゃないかとも思うんです。例えば吉岡実の瓜のような頭をした中国人が馬を走らせている詩なんかも思い出すんですが、あれは彼が大陸に渡らなかったら産まれなかった。  言いたい事が溢れてたある意味稀有な時代の必然の吐露が、荒地だったような気がするわけです。   ---------------------------- [自由詩]ごめん/リーフレイン[2009年10月2日10時19分] 学生の頃 日本はバブルの全盛で 就職できないなんて考えもしなかったよ 授業も出ないでバイトして、飛行機チケットを買ったのさ バックパックかついで、足の向くまま気の向くままに 羽の扇ふりながら、ボディコン姿でお立ち台 一気飲みして救急車 普通の人が株でもうけて 家を買うのも当たり前 地価が下がるなんて思わなかった だからごめん いつか、ひどい目にあうなんて思わなかったんだ 鮪は日本の食べもので 蝦も日本が買い占めて ニューヨークのアパートメントと、ハワイのコンドミニアム 余生はスペインで暮らそうかなんて 親はそんな話をしていたよ 日本の山にスキー場が林立してさ 土日使って疲れきるまでスキー行脚さ だからごめん 年金資金がなくなってくなんて気がつかなかったんだ グリーンピアや厚生会館 公共施設が林立してね ゴルフ場も林立してさ 会員権も買ったのさ 立派な病院も建てちゃった 立派な橋も作ったさ 飛行場も、港もダムも高速道路 電車 地下鉄 美術館 みんなみんな立派な出来だ だからごめん 維持費が出ないなんて思わなかった 倒産するなんて思わなかった リストラなんて思わなかった 住む家までなくなるなんて思わなかった ごめん 全然思わなかったんだ いつか、ひどい目にあうなんて思わなかったんだ ---------------------------- [自由詩]空の階段/リーフレイン[2009年10月7日8時27分] 空の階段をかけあがって 風に乗って遊ぼう 笑い声が輪になってまわるよ 雲の上で寝転がって やさしい雨に触ろう あなたの頬に太陽がキスをするよ 星のあかちゃんが生まれたよ そーっとそーっと静かにね そーっとそーっと抱きしめて ---------------------------- [自由詩]ちんすこう/リーフレイン[2009年10月13日6時24分] あんた、うれしいね あたしにかい? 沖縄いったんかい?暑かったろうまだ 泳いできたかい? ああ、まずは一個 おとっちゃんに上げさせてもらうよ おとっちゃんも好きだったよ甘いもんがさ、 お茶淹れるからちょっと座ってきなよ あ、自分で淹れるからいいって?じゃああたしのも頼むよ ほんとにね、うれしいね あたしにかい ふふ、何年ぶりだろうね この薄紫の むらさきいもって、直に食べるとあんまりうまくないんだよね お菓子にすると旨いってのが不思議だよねえ あ、新茶だね いいお茶ってなあ ちょっとぬるめの湯でゆっくりださないとねえ、 茶碗に汲替えてさ そういや、いぎりすの紅茶もできるだけ高いところから湯をそそぐんだってね 空気をお茶に入れ込むんだと そんな派手なことはしなくたって、そうやって湯をそそぎかえるだけでも十分だよねえ ほらお飲みよ、で、元気にやってるかい ああ、かしこまったことはいいよ、みんな息災ならさ そうだよね、健康が一番さね あたしかい?見ての通りさね 人様の手は借りないですんでるからまあまあってとこかね うれしいねえ。 ---------------------------- [自由詩]北極の机/リーフレイン[2009年10月13日6時28分] 北極の机で白熊の母が経理伝票をつくっているとき 広い机の端ではトルコ美人がベリーダンスを踊っていた それをかぶりつきでみていたのはペンギンの群れで 白黒の頬をうっすら紅に染める すかさず流れる 「踊り子さんに手を触れないでください」 いつのまにか机はまな板に そのまな板の上にあがったのは恋のカゲロウ 包丁を持った天狗のお面 フラッシュがたかれまくった 「ああ、お姑さん どうか覗かないでください」 北極の机で白熊の母が鮭を料理しているとき 広い机の端では白アリが行列を作っていた 延々と運ぶクッキーの欠片ごと 南米の大アリクイが口を差し伸ばして食べる食べる延々と 「つまみ食いはご法度だよ」 いつのまにかアリの列は鉄道模型に 「主人の鉄道模型を処分してしまったら主人がおかしくなってしまったんです」 鉄道模型に乗って、泣きながら廻る廻る若嫁がまわる まわってまわって北極の机を溶かしてしまうまで 「ああ、ご主人 どうか彼女にお許しを」 悔恨の涙で北極の机が溶けてなくなってしまう前に ---------------------------- [自由詩]けんけん/リーフレイン[2009年10月17日6時03分] 神様に「左足を使ったら負け」といわれた日から けんけんで歩いている 杖はない 負けたらだめなのかな 負けてもいいんじゃないのかな ---------------------------- [自由詩]星巡夢梯子/リーフレイン[2009年10月20日15時06分] やったら星のきれいな夜でさ、満天の星が落っこちてきそうだったんだよね。だいたい、5つよか多い星が見えるなんてこと、そもそも稀じゃありませんか。なのに満点、いやさ満天 南天じゃあないよ満天 天の川なんざちょろいってえぐらいに夜空一面にべたべた星がひかってたんですわ。 口ぽかーんと上むいてたら、するするってなんか細いもんがおれんちの猫の額ぐらいしきゃあない、それでも手入れしてありゃあ見れるんだが かかあもおれも不精っもんだもんだから伸び放題の雑草と割れた植木鉢がほかってあるちっさい庭めがけておりてくる。 いや、長い文だねこりゃあ すわ、蜘蛛の糸かとおもいきゃあそれがそれ 現代人の体力を考慮してだかなんか、きいらきいらと光る縄梯子! なんだねこれが。おらぁ急いで、小3の息子と ちょいと考えたんだけどやっぱしここは一緒だろと連れ合い起こしてさ 「おい、登るぞ」 むすこが足滑らせてもいいよに先にむすこ登らせて、おれが落っこちてもいいよにかかあは後ろにまわして、えっちらおっちら登り始めたわけだよ。 二度とかえれんかもしれん なんてこてゃちらっとかすめたけどが、 「ここで登らんでどうする」てなもんだ。 「おとおちゃん、なんか下が揺れなくなったよ」 「あ 山田さんちのおばあさんがのぼっとる」 下にいるかかあが言いよる。 「そっか、まあ切れたときゃあそんときだ、ほかっとこ」 「せやね」 てな名作「蜘蛛の糸」を学習したような会話がかわされつつ、、、 せっせ せっせと・・・ 雲の上 「とおちゃん、この雲、歩けそうだよ」 「天国ってここかね」 「神様がおられるんかいな」 「うちら日本人やし、お釈迦様とちゃう?」 「そんなら極楽?」 「おまえらそんなに信心深かったか?」 「せやかて おとうちゃんかて うちの仏壇にチーンぐらいはするけどが、アーメンなんて唱えたこともないやんか」 「比較的仏教徒?」 「なにえらそうな単語つかってんの」 「あ、あっこ 誰か倒れてるよ」 「白い服」 「しょうがねえ、ちょいと途中下車して見に行くわ」 「おい、あんた、大丈夫か?」 て、いつも尻ポケットにいれっぱなしな酒瓶   「あ、おとぉちゃん またそんなもんもっとって」   「モットッテよかったじゃあねえか」 からぐいっと一口。 いやおれのくちじゃなくて倒れてるやつにね。 「げぼぼっ」 「ああ、ありがとうございます」 「あんた、大丈夫かい?」 「はい、一応不老不死ですので・・・ 少々ダメージが重なりまして。。。」 「あれかい、あんた神様ってやつかい?」 「そうみたいですね」なんかちらちら光がやつのまわりについて、ありゃあオーラってやつかい?それがなんか 切れかけの蛍光管みたいに点滅してんのよね ついたり消えたり、、細ぼそと、、、 「大変そうだけど、なんかおれにできることがあるかい?」 「とりあえずその梯子登っててください」 「お墨付きってえわきえだ。そりゃあうれしい」 「御説明はできないのでもうしわけないですが」 「じゃあ行ってくるよ」 で むすことかかあと また縄梯子。 「ねえ おとぉちゃん なんであたしが一番後ろなん?」 「そりゃあ決まってるじゃあねえか、俺が落ちた時にお前で止まるからよ」 「あたしが落ちたらどうすんのよ」 「だってお前、おまえの体重は俺じゃあ無理だ」 だまっちまったかかあを後ろにせっせ せっせと あたりはすっかり宇宙空間。 「空気あるね」 「おぉ」 「重力もあるね」 「おぉ」 「まあなんだ、事実は小説より奇なりってやつだな」 「・・・」 月にやってまいりました。 「ウサギいるかね」 「おまえありゃあおとぎ話だ、かぐや姫だろいるんなら」 「とおちゃんそれもおとぎ話だよ」 「アメリカ国旗がたってるんとちゃう?」 「そういうやこないだインパクト爆弾落してなかったっけ?」 「クレーターん中だろ」 「ウサギいるじゃあねえか」 「あれまぁ」 宴会をしていたウサギが手招き いや前足まねき。 「いっぱいどうぞ 餅もどうぞ」これがまた旨い。 「かあちゃん、なんぞお礼もってないか?」 「チロルチョコでいい?」 「あ、またそんな太る菓子を隠し持ってやがって」 「何こまかいこといっとんの、持っててよかったやん」 白い兎がチョコ食って  「うまいねえ」 ほんのり黒ウサギ。 でまた せっせ せっせと縄梯子 「とおちゃん、どこまで登るのかな」 「まあ、ありったけ登ろうじゃないか」 「ほれ、あそこに見えるのはオリオン座」 「宇宙まであがるとなんか星座の感じちがうね」 「そんなに変わるほど動いちゃいねえだろ」 「土星のわっか肉眼で見れたのはじめてだ」 「そういや、月にウサギさんがおったんなら金星にはさぞかし美女が(ry」 「あんた、あたしの眼を盗んでいったい何をしようと」 「いやまだなにもしてねえよ」 金星だけに御禁制 おあとがよろしいようでーーー ---------------------------- [自由詩]透/リーフレイン[2009年10月30日5時33分] 嵐が過ぎて  透きとおった夜空に 透きとおった月が浮かんでた やあ きみ 今夜は凄いね ああ、ありがとう 今夜は100年前の夜空だね ---------------------------- [自由詩]ひだまりにいる幽霊/リーフレイン[2009年11月10日14時13分] ひだまりにいる幽霊は追憶 見つめているのは幸福の面影 黄金に香る金木犀の花 抜ける青空 ひだまりにいる幽霊は憧憬 秋の透明な輪郭の中に浮かびあがって 冬の始まりの風が 茜色に染まった落ち葉を吹き飛ばす ひだまりにいる幽霊は約束 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]【批評祭り参加作品】現代詩手帳散見/リーフレイン[2010年1月11日6時40分]  2009年9月号の現代詩手帳の裏表紙は、第一回「鮎川信男賞」募集のお知らせでした。 その募集文の中に 「歌う詩」から「考える詩」「感じる詩」へと展開してきた現代詩の今日から明日を予見する「詩」と「詩論」 という言葉があり、なるほどなあと思ったものです。進化ではなく展開であるところがまことに頷ける話です。歌う詩が古いものというわけではなく、詩作の重心のバリエーションが少し広がっているということではないかと感じるのです。(もしかしたら「流行り」ということかもしれないですが。)今は、様々な音律が流れる時代であるのだろうなあと思いをはせたりします。 「新人欄の半世紀」という特集でしたのは現代詩手帳の2009年の11月号です。 ずいぶんとお得感のある号で、50年の年月を一気に駆け抜けていくような爽快さを感じました。 で、2003年のピックアップは 伊藤伸太郎さんの「銭湯」という詩で、非常に素直に日常のなかから自殺を思い留まる姿が浮き彫りにされていました。実際のところ、この作品は新人欄特集の中でも異色な存在で、イメージのカオスをまったく含まない、素直で逸脱のない描写です。心が惹かれました。こうした詩を好む自分の嗜好をかえりみるにつれ、(象徴性の強い作品よりも、物語がある、平易な詩が好きだったりするわけですよ。奇妙なメロディーがあればさらにツボだったりします。)「読み手は様々なのだから。こういう詩がもっとあってもいいのになあ。」と詩手帳の時代性に逆行しそうなことを考えたりしました。  話はもどって音律といえば、2010年の新年号。 四元さんの「マダガスカル紀行」が載っていたのですが、四元さんの音がちょっと好みです。四元さんは散文(詩ではなく)でも結構リズミカルに描かれます。 マダガスカルの場合はあっさりと書かれている短文の中に、忙しい3の音節の連なりを作っておいて、少し長めの音節で破調するっていうパターンが隠されているような感じがします。 音ってなあ、どうも繰り返すことでリズムが生まれるみたいで、たとえば ぐん ぐん ぐん ぐん ぐん ぐん ぐん ぐん という2拍子の連続はこれだけで強いリズムを生みます。(3でも4でも連続によってリズムが生まれますね) この連続だけだといつにか単調に陥ってしまうところですが、割と早めに破調させることで調和しすぎないバランスを取っているような感じです。3,3,5、とか3,3,6とか3,3,9とか。スピードあります。 そこまで考えると、そもそも5,7の調というのはリズムバランスを複合的にとってる形式だったりするのかなと思ったりもします。7の音節はたいがい3や4の短音節で構成されているんですが、全体での調和の中で短音節をうまく埋め込んでまとめあげてしまいます。  現代詩でもよく読むと7、5の音節が利用されている場合は多いです。あれも好きなんですが、崩した音律がある詩はどことなくスイングするジャズを聴いているようです。 あぁ しばらくまじめな詩手帳の中にこもっていると、なにやら人間がまじめになりすぎるような気がしてきました。 あんまりまじめだと血尿が出ちゃいます。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]詩集評 国道四号線のブルース 構造 1000番出版555シリーズ /リーフレイン[2010年3月19日21時42分] 国道四号線のブルース   作者 構造   1000番出版555シリーズ   作者の構造氏は1977年に生まれた。(と、後書きに書いてある)作品のほとんどは学生時代から2008年あたりにかけて書かれたものなのだが、彼はその当時も今も就職氷河期の真っ只中で翻弄されている。彼の詩は、現代の男の詩なのだと思う。 2ch詩板の住人として彼と話を交わし始めたのは2005年で、彼は大学の最終学年で求職中だった。やや やけっぱちだが、よくいる普通の学生さんだった。就職氷河期の真っ只中で、地方の中堅大学だった彼の大学へは、ひとつ上のランクの大学から学生たちが求職情報を漁りにきていたそうだ。 2007年の彼はフリーターで、安部内閣の自衛隊予備役に応募していた。2009年の彼は派遣で仕事をしていた。今もその仕事は続いているが、正社員になれる見込みはないのだと言っている。 結婚の見込みもいまのところないらしい。  詩を読むと、精子がどかんどかんと音をたて、目の前にぶちまけられていくのを感じる。 イカ臭い、ネバネバした精液が黄色なカビカビになってページの上にこびりついていく。 生命があてもなく消費されていくような徒労感がぬぐえない。  希望はーー 国道四号線のブルース 四号から 四人目の女から僕は生まれた ひき殺された蛙のつぶれた 腹の中から僕の声がきこえた 泥藁がべばりついたアスファルト 僕は車を止められなかった そうしてひしゃげてしまった ボンネット みんな通り過ぎて 幾夜もたって 過ぎ行く季節はもう秋で 稲穂がすっかり錆付いた 掻き混ぜろ、苦い苦い 米 詩集の題にもなった詩である。ストレートに、誕生と同時にひしゃげた蛙は本人であり、彼が思うところの詩集の象徴なのだろう。蛙は潰れている。誰にもかえりみられることもない。ただ、米を掻き混ぜる自分のみがその光景を噛み締める。いやしかし、詩は書かれ、こうして読まれているのだ。つまるところ詩に書く行為そのものが米を掻き混ぜることなのだろう。 もうひとつ。 あるけ やめろ やめた やめた から やめろと さけぶ やめろ やめろ おれは そうで あること を やめた やめた やめた なにもかも すべてを やめた あるけ あるけ あるけ はしれ はしれ ぼくは ほくに めいれい して それには したがい たくは ない あるけ いきろ はしれ しね と やめた やめた なにもかも やめた おれは おれは おれは おれは おれは おれた おれた ゆるした って ことだ やめた おれは やめた おれた ゆるしたた  って ことだ おれは おれは すべてを ゆるした すべてに おれて やめた やめた やめた あげくに やんだ ああ もう やんだ おめれら ほっだら こと いっても もう おれは やんだ おめえらが ほっだら こと いっても おれは もう やんだ あめも くももも おひさまも さけべ つぶれて はらが いてえ いてえ つぶれろ めまいで ぐあいがわりいから どこにも いきたくも なんとも ない やめろ やめろ すべて すべて ほっだら ことは もう どこにも ない ない ない ない ない ない ない ないない づくし の なかで あるけ あるけ あるけ はしれ はしれ はしれ そうして おめえは あるけ  淡々と続く三拍子のリズムが、おれた心をおれたまま、まだ歩かせている。 希望はない。しかし潔い。 野原のさらし台の上にささった潔いさらし首に、潔い太陽の光がまんべんなくそそいでいるような爽快さがあるのだ。 なにもかも 一切合財 さらけ出して、 汚いものも、恨みもつらみも、希望も憧憬も 内臓の裏までひっくりかえしたあげくに、なにもかも公平に平等にさらされて干されて白く爽快だ。 この爽快さが赤裸々な言葉を連ねた詩に麻薬のような魅力を与えている。  そして、もちろん美しい。 神君徳川家康公 いえやす公 幕府をひらいてください いにしえということばがすっかりと きえさったあとで誰もが 赤いカーテンや黒いカーテンのむこうで からごころのうたをうたっています しかたがないのでぼくたちは 石竹でつくられたさくらの顔料の 女の肌をみつめながら たたきつけられた きえいるころがねのひびきが 急転下して流麗になる計算された さけびのなかで 恋のうたをうたっています ーーーー後略ーーーー  実のところ、彼の詩を、15年先に生まれた自分は、後ろめたさなしには読めない。 自分は そこそこ普通にしかれたレールをはずすこともなく、のほほんと生きてきた。そしてそれは、運が良かったからであると同時に、なにがしか彼の(あるいは彼ら若者の世代の)不運につけをまわしてしまっているように感じるからだった。 彼を含めてこれからの世代に、自分も含めた老人たちはいったい何ものかを用意することができるだろうか?  最後を飾った詩は aaa という詩だった。 結句は てめえらの子々孫々にいたるまで 祝ってやる  祝ってやる  呪いともみえる言葉だが、決して呪いではなかった。 呪いではなかったということに一抹の安堵を覚えてしまうのである。  多分、どのような世代のヒトであれ、一度は読んだほうがいいと思う詩集だった。 ---------------------------- [自由詩]風が吹いて桜が散る/リーフレイン[2010年4月13日18時35分] あてのない新婚生活と花嫁がにぎりしめたこぶし 祝宴に集う躁うつ病患者たち (あぁぁ、花婿がっ) 酔っ払いの戯言は 亡者の群れに滴り落ちていく生酒(なまざけ) 長い春が凍って震えていた だらだらと伸びた島の端には雪がつもる (季節は、はがれて落ちた) 大風のあとに蒸し暑い陽が照りつけて 実を結ばなくなった梨 広場の端に住みついた年老いた犬に、凍った食パンを投げてやろうじゃないか ---------------------------- (ファイルの終わり)