田代深子 2003年10月24日10時57分から2020年5月9日20時06分まで ---------------------------- [自由詩]にぎわし日/田代深子[2003年10月24日10時57分] かな小父の通夜はにぎわい 三弦と木魚 お宮の龍笛をひきあいに かな小父の唄と三弦曲かれこれが寄って 大ざら酒瓶もたたかれる とむらいの夜 かな小父がわたしにくれる遺物 掌が その壺の肌に濡れ衣のようにすい着いて こよが隣で紅もなく赤い唇を締め息づく わたしを見ずに見ている 震えては ならなかった いろの濃い菓子を子どもらにわけては おまえは ほんとはおれの子だ おまえもおれの子だ こよもわたしも 言われた母親たちも父親たちも言われた わたしは笑う ならその壺をわたしに かな小父が死んだらその茶壺を その子のわたしに かな小父は三度うなづき茶壺を逆さに振る 黒い小さい手が板の目にころりと こよのひざの前に ほそい黒い指に爪がそろう親指のまるく曲がり よん本の指がゆるい空待つかたちの 小さい黒い手 わたしはその手を 壺に納めた震えてはならない かな小父は また三度うなづく おれのむすめは学問をしにでかける はじめて板間に額づいた こよの息づかいを避け お宮わきに板の間ひとつ 戦争が終わってひとり流れきた子が 七十年 親ゆずりの三弦を鳴らし あてがわれたなりわい薬まき獣とり土運び 三十年 背をいためて修繕と古物をさばいた 流れきた紅木棹の三弦 在の小母らのふるした衣にやわりとくるみ 蓋かけの志戸呂茶壺ひざに抱え肩をくゆらし 鳴らすのどの延年の唄 すべらかなる指かわきたるみひかる皮膚の 三弦をつかう指おとならす指の 空 にぎわうとむらいの音曲 かな小父に名残の三弦 おれは行かない おまえと同じには 行かない こよの むすめのような唇に紅を塗りたいと そのおもてに延ばす指の先の 空となれ影が震える              田代深子              2003.7.5 ---------------------------- [自由詩]オシラ/田代深子[2003年12月10日13時16分] プラズマ放電のなか生まれ落ちた ハイパーコダマこんじきの馬体 かの女の競馬熱は とどまるところを 知らない こんやも カクテルライトに浮き沈み ターフのへりにぶら下がっている あのこんじきの馬を追って 網羅した御託宣かきわけ 裸足でダッシュするこころ 中指のつまさきにだけチタンの 蹄鉄をはいて蔓薔薇のフェンスを 跳飛するそのこころ あのこんじきの馬を追って さあいま一番ハイパーコダマが 最内をついて 先頭をきって かの女ははためくローブになり こんじきの体をくるみ込み あの馬をさらいたい はるか西方の 草のはら続くつづく空 黒々とした空がプラズマ放電に 裂けていく こんやも 紙コップこんじきの泡に まみれ加速を こころまかせにあげていく はじけとぶゲートを 蹄からはねる土くれを かえりみずうちすてて走る あの馬の背骨のたわみを思い かろうじてぶら下がっている ターフのへりで沈み ときに浮く ---------------------------- [自由詩]不眠/田代深子[2004年3月18日6時58分] 薄い光が 瞼の縁からにじみ あまねく人々は夜をなくす かくも永き不眠 頭骨の隙にガムテープを貼り モジュラージャックから脊髄を 抜いて試みる 眠れない人々は言おうとするだろう 試みは 願いのありようだ が 試みるとき 願いは半ばついえているものだ と かつて 夜はひとえに輝き 融けかけた氷片だけが枕上を過ごした 眠らぬ私に懲罰を 長いまつげにゆらぐ影 に ともなうため毛布から 上半身を牽い た あしたには 鈍痛にあえぐとわかっていて いまは 氷片からしたたる水が温みながら こめかみをつたう くったくない着信音 選択によってしか消えない音 光源からのがれ歩く正面に 透過していく自転車の錆びきった 音 そのうしろから  密やかなものがある と いたわるかわいた声が きこえたようだ しかし どうしてそれを知りえるのか 不可視のものをどこに 夜の到来 を 待たねばならないひとえに 眠り 眠りにすべてを露わし すべてから切り離される そこで 願いが融け残るならばそれでも それだけで ---------------------------- [自由詩]パロールなど/田代深子[2004年6月11日12時36分] 口に押し込んで手でふさぐまま そんなむちゃも呑み込んでみた のどにかたく詰まったグルテン を流し込むのはみどりのボトル 氷にたらす焼け石の水にライム をふりかけた無敵の溶液ばかり ベルモットのかわりに涙とかさ どうよ? 興醒めをとり繕って 失する冗談も灰皿に折り重なる ショットグラスにシニフィアン をそそいで掌でおさえテーブル に叩きつけろそら恣意性が白く にごり揺らぐのを額つきあわせ 覗きこんでけっきょくまた腕を それぞれかきあわせるくり返し いずれは沈黙に耐えない誰かの しわぶき ---------------------------- [自由詩]塔/田代深子[2004年7月9日6時42分] おれだけならばあの塔までも行く がおまえが いて ああ見てみろ青あおく明けそめの空 がひとすじの月 に切れる うなだれた影たちが行く 塔へ (動くな) 影をおさえ て低くいぶきおまえがうなる アルミを噛む響き そんな 部分でおれたちは共振するばかり それは青の明かし空に切りたつ月へと電気を通し あの塔の頂頭から根方まで 撃ち崩す ふやけたおれのゆびにおまえの指はまぶたの うちからひき剥がした金のレンズ を嵌めた それきり響きは失せ 蹲るおまえのかたわらでレンズ を空にかざし 見ろよ ああ見てみろ空は明けやらずひとすじ の傷にたえ 塔はおのずと沈む ごとくゆらいでその響きもかすか に遠のく ---------------------------- [自由詩]フラッシュバック/田代深子[2004年7月9日6時45分] 誰にくれてやることもせずむさぼった 粗いフィルムの陰影を透しスカートから のぞくガーターの片りんを思う 音量は振動となり骨肉に伝う こんなときには ありがたい むさぼるだけ むさぼって誰の目も見ず帰りたい 水気のない塩気もないフリットをわしづかみ はみ出すほどつめこんで むせるまい ストッキングの上の白い ききすぎるエアコンで鳥肌をたて 鉛筆の尻を囓りとる むしり吐き捨て また囓る ジーンズとカットソーのすき間に たっぷりの背肉が剥き出してある むしる 囓る吐き捨てる サンダルの先は小指の割れた爪にペディキュア 木目に舌を這わせ炭素の 冷たさに ぬるい雨 こんなときはありがたい頭頂から こめかみに流れる一滴をなぞり 高すぎる歌をうたってみる裏返り 震えとぎれ踏みはずすペダル 植込に右足を つっこんで歌はとめず歌を うたいつづけて 抜いていった白い傘の白いふくらはぎ アスファルトにおう夜を とらえそこね ---------------------------- [自由詩]潮宿/田代深子[2004年7月29日0時51分] 赤土の皿に赤い身 濃い溜まり醤油と 潮気かおる雨宵 ここでしか漁れんもんやから 引き戸かたつく飯どころ左隅で ちらちら横目くれられビールを半分まで 流し込む わぁ美味しそう など身に馴染まぬ嬌声 箸でふれ その光る赤い身を醤黒に よごす そこは 岩むくろうちすえる潮の際 岬に切れ込む驟雨をものともせぬ時速 八〇キロの軽トラックに追われて ワイパーもうろたえた 二の腕がしびれ 弛緩する そのまに ガードレールをひき裂き跳ぶ一齣 が幾度かまたたく 逆光にすさむ海 の ひらける またとじ また ひらく あれは 浪か 墜ちれば喰いつくされる黒潮に ひきこまれ腕のつけね股のつけね 頸に脇腹に群がり喰らいつくすは 人魚たち いや 人魚に牙はない はず 南の海にはいないはず 牙があるのは あれは 〈人魚ではないのです〉                   * あれら不細工やし仏頂面やし 泣きもせん 童顔のおやじは小皿を差し出し 言わなかったか それ喰ろたら えらい長生きや 吹きすさむ潮の際の飯やで赤い身を 呑みくだす喉は潮闇に 点るのか赤く あるいはとも喰いの 苔色 そんな 酔いもたいがい 潮かおり 雨音か 浪音か ききもわけぬ陸者の箸先に なんの馳走 と きくもかなわず きょう宿る車中の潮闇で 喉を 撫で 紙巻を点す                  * 中原中也「北の海」より引用                         2004.5.25 ---------------------------- [自由詩]ripetere/田代深子[2004年8月22日11時50分] また まだ ほらまた 同じように 同じこと 同じことば 同じことばかり またかけたもう かけた ほらまたかけたし にかけのことばで もう忘れて 忘れている ぐるぐるのローブに ふたがれた耳と眼 口ばかり は思いもかけぬ物語 言っただろう、おれは気にしない。おまえはほの杳いクロゼットの 鬱蒼とした衣裳群の奥底で目ざめ、ただ天気を気にかけ毎日に没頭 して眠る前に浴びるほど飲んでは端から忘れてしまう幼女。何度も 言ったはずだ。おれはすべての支度をもうしぶんなくこなそう。半 熟目玉焼きとブロッコリに岩塩、アイスクリームの融けたところか ら掬いとる。モスグリーンのフェラガモをつや消し気味に磨き、低 めのヒールに張りついたガムを綺麗に舐めとる。おまえがおれの背 に抱きついて肩ごし左頬へキスしてくれるのを待っている。キスの あと必ず耳と首筋に歯を立ててくれるのも。おまえを駅へ送ってし まうとおれの午前と午後はただ片づけるためだけのものになる。家 じゅう掃除機をかけ鉢に水をやり、おまえの絹の下着を専用洗剤で 手洗いする(おまえの衣類のことごとくを選ぶのはおれだ)。疲れ て帰ってきたおまえをカモマイルの湯に浸し、細かい泡の海綿でく まなく洗いあげよう。あばらの浮いた胸、脇の深い窪、小さなくる ぶし、もつれる薄い髪も。おまえをやわらかいローブにくるんで、 きつく冷やしたテーブルワインをついでやり、鰯の小骨をきれいに とって白アスパラとオレンジの薄皮を剥きおまえの皿に置く。おま えはそそがれるまましたたか飲んで眠ってしまう。その額にくちづ け抱きあげてクロゼットの奥底にしまいこみ、ひと巡りが済む。い いじゃないかそれで。クロゼットの奥底で紡ぎ出す物語に湿るドレ くりかえす物語 同じところを 同じように 同じきっかけ 饒舌 哄笑 油断 韜晦 嘲罵 こぼしてよごして べとついた指で キーを押し くりかえす 慰撫 の身ぶりにうんざりし ながら また ほら また もう不用意に 手をのばして 掌にプラスティックの 電話機 これが これを フローリングにたたき つけ なければまだ また くりかえす たたきつけ たたきつけ たたきつけ                          2004.8.14 ---------------------------- [自由詩]天根の辻/田代深子[2004年8月31日21時29分] 天根の辻で水をもらう 日の暮れるには早い刻で このまま休みたくもあり まだ行くかとも計り いつまでもたばこをのむ 新開通の鉄道がここいらを 過ぎ越してさびれた土産屋 小唄の焼かれた碗をとり あちらはどうだったと聞かれ こっちのほうはどうだと訊ね かたつく椅子をあそばせる おいてきた猫をおもい あずけた腕をおもう もどるわけにはいかないが とどまることはどうだろう  思いあぐねた夕よりも  恋うてこがれた明けよりも  はずみころげた夜やよし 宵の道中にわかの雨 たまり水に膝からくずおれる のどから高い息が出て 雨ともに吸われてしまえと 手足投げ頬を地へすりつける いずれ野花の床となるなら それもよろしかろう 瓶から水をつげば風が通る コンクリうちの足もとで荷が 丸くうずくまったまま おっとり眠っている ころあいかあきらめようか 手ばなしかけた間口に あたらしい客はおとのう ではこちらはこれでと碗をおき 半睡の荷を肩に薄暗がりを背に 天根の辻のうえ みわたせば黄昏ちかく ひかるばかりのまんなかで たち眩む         2004.6.11 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]山田せばすちゃん『ハンバーグをめぐる冒険』について/田代深子[2004年9月22日7時05分] 批評だ批評だ批評が必要だ−佐々宝砂  http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=12681&from=listdoc.php%3Fstart%3D210%26cat%3D5 (だが志向的/試行的/指向的・思考としての〈批評〉は、可能であるのか、為しうるの のか。批評としての行為、批評としての表現、批評としての運動−それもまた。が、とに かくは書こう。) 山田せばすちゃん『ハンバーグをめぐる冒険』について  http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=58&from=threadshow.php%3Fdid%3D16825  村上春樹の小説『羊をめぐる冒険』で、主人公がハンバーグを作る場面がある。人里離 れた山荘まで友人を捜しにきたものの姿はなく、無為のまま彼を、あるいは何か変化が起 きるのを、その山荘でひとり待つときだ。主人公はハンバーグをたいへんまっとうに作り ながら考える。 〈ここで山小屋風レストランが開けそうだ〉〈鼠が経営し、僕が料理を作る。羊男にも何 かできることはあるはずだ。〉〈ジェイ、もし彼がそこにいてくれたなら、いろんなこと はきっとうまくいくに違いない。全ては彼を中心に回転するべきなのだ。許すことと憐れ むことと受け入れることを中心に。〉  “約束の地”の「ほうへ」。ハンバーグはそのとき漠然とした希求の具象となる。  ファミリーレストランの看板メニューは昔からハンバーグなのであるが、これには理由 があって、子ども達の人気料理であるにもかかわらず、家庭で忙しく作るには、いささか 面倒なのである。複雑な調理が必要なわけではないものの、玉葱の処理は手間で、挽肉を こね丸めるには手が派手に汚れ、中まで巧く火を通すにもコツがいる。語り手は三児の父、 その妻は今日、夕食づくりにめげている。ファミレスに来て全員で、日常なかなか食卓に はのぼらないハンバーグ、家庭の夕飯と同様みなが同じものを食べる。これは悪くない選 択だ。しかし、せっかく色とりどりのメニューを前に、遊び心のないことではある。なに しろ父親=語り手にとって関心事は、いま別のところにある。  なかなか肉づきのいい腰をもった女性店員が口にする奇妙な一連の言葉遣い…〈お席の ほうご案内します〉〈こちらがお席の方になります〉…習慣的に使われている、多分に曖 昧な用語法の数々に、この語り手は気をとられている。「ほう」というのは大づかみな方 角や方面を指す語であって、確定した一所を指す場合には使わないのではないか? 偏執 的にも語り手は気になってしかたがない。さらに追い立てるように〈お水の方はセルフと なっております〉…〈今度ばかりは彼女が指差したその方角に〉給水機器があるが、店員 が言ったのは「水のある方向」ではないはずで、「お水は」と言えばいいところに余計な 修辞語として「ほう」を加えたのであるから、違和感はここにもついてくる。  しかし彼女の言葉遣いは果たして間違っているだろうか。広辞苑の記述を要約すると、  ほう【方】(1) 向き(方向・方角/方角の吉凶/話し手や聞き手がその話で関心を向け         ている方面/話そのものをぼやかしてその部面であることを言う語)       (2) 正しいこと/四角/平方/一定の土地       (3) 見当・てだて(しかた・やりかた/香や薬の調合法/医術などの道) となっている。店員が使ったのはいずれの場合も“話そのものをぼやかしてその部面であ ることを言う語”としての「ほう」であると考えられる。どの地域言語にも、断定的もの 言いを避け語調を和らげる語用法があるが、日本語標準語においてもそれは多様だ。客に 対して言語のみで明確な指示を出すより、実際に水のある方向を指し示しながら「お水の ほうは…」言ってしまうのは親切であり、後半部はなくていいくらいのものだ。むしろ大 間違いはこの後半部にひかえていて、〈セルフとなっております〉…「セルフサービスと なっておりますので、あちらからお持ちください」と言うのが、おそらく正確であろう。  ともかくも語り手は違和感に取り憑かれてしまった。そもそもこの人物にとって〈返事 もままならぬ〉状態からしてが違和のもとなのである。たたみかけられる商業用慣用句が コミュニケーション拒否の表明だからだ。ファミリーレストランの日曜・夕食時は混雑し、 店員は目も眩むほど慌ただしい。どんなに女性店員の表情がにこやかであろうとも、その 腰つきが魅惑的であろうとも、彼女は客からの反応など一切期待しておらず、それどころ か余計なことは何一つ言わせまいという構えである。語り手の感じる違和感は、実は店員 の「誤った言葉遣い」などに原因があるわけではない。言語の「正しい」用法などあっと いう間に変化してしまうものだ。そんなものではなく、忙しいなら「あちらの空いている お席へどうぞ」ですませてしまえばよいところ、マニュアルに従って客を案内しマニュア ルにある台詞を出任せに簡略化して言わなくてもわかるような要件を伝え、とっとと次の 仕事にとりかかろうとする、その身ぶりが、語り手に違和感と不快と孤独感を感じさせて いる。  そんなわけでこの語り手は、「また来ていただく必要なんてありません、俺たちが望ん でるのはただの夕飯なんですから」とばかり去ろうとする店員を呼び止め、家族の希望も 聞かず、最も日本ファミレス的な注文−ハンバーグ・コーンポタージュ・ご飯−を申し渡 す。これは言葉遣いの隅々ににひっかかりを求め、その違和をいちいち言い立てようとす る態度と根を同じくする。卑屈、そして偏屈な態度と言ってしまえるだろう。が、作品に ただようのはむしろ哀れげなユーモアだ。何故ならここまででは結局、彼は冷徹な資本主 義原理の勢いと流れに負け続けるしかなさそうだからなのである。   しかしてここに〈正真正銘ハンバーグそのもの〉が登場する。〈正真正銘ハンバーグそ のもの〉であるはずのものが。それは待ち続けた家族のもとに、混雑をかき分け美味しそ うな匂いと音を立てやってくる。が、さあ食べよう、というそのとき、   ハンバーグに   なります 語り手は捕らわれてしまう。かねてよりの言語へのこだわりと違和感に。   これがハンバーグに   なります   いつ?  その言語へのこだわりを捨て、一口を食べてしまえば、あるいは目前のハンバーグらし きものは〈正真正銘ハンバーグそのもの〉である明証性を得ることになるかもしれないの である。いや、無限の語を費やしても到達できないであろうハンバーグであることの明証 は、食べてしまうことでしか得られない。しかし語り手は捕らわれることを、むしろ選ぶ。 そして資本主義原理に則ってさっさと食べさっさと席を空け家に帰ってテレビを見るとい う、彼の住む馴染みの世界から逸脱して、この資本主義的違和的ハンバーグが〈正真正銘 ハンバーグそのもの〉〈になる〉〈そのときを〉〈待つ〉ことになる。  目前の未ハンバーグに導かれ、〈正真正銘ハンバーグそのもの〉があるはずの茫漠たる 世界の「ほうへ」、彼は足を踏み入れる。いや、足を踏み外したというべきか。そこに温 かい会話のあるレストランが? 妻の疲れをいやすゆったりしたテーブルが? 子ども達 の夢を叶えてくれる驚くべきドリンク・バーが? そんなことはわからない。それでも、 その世界の「ほう」を指向し続けることを、選び続けていく。  空腹と孤独に耐え、執拗に。                                    2004.9.20 ---------------------------- [自由詩]混線させる者/田代深子[2004年12月3日0時07分] 蒼天つくだんだら赤白鉄塔の てっぺんクレーン釣り針の 先端に に脚ぐみしてぶらさがる 誰? 誰なんだあいつは 宙をささむけに削ぐ切望の伝播 を適当にちぎっては投げ掴んでは いいかげんに結び そら混線うちつづく地上の の騒ぎは一顧だにせず笑いも せずくそまじめに ほら吹く北風にときおり なやましげ眉を 寄せなにやらぶつくさ肩に とまる雀らに愚痴っている ようだ ああ久々に メルロ=ポンティでも読もうか か なぞ言っているわけではない だろうがどうせたいしたことでは あるまいし けれど混線はあてどなく うちつづく誰もクレーンの先 なんぞ見やしない掌に 降りる 混みいった記号あるかなしかの なしかの明滅ばかり伏し目がちに 求めそれが誰の記号であっても ほんとはかまやしないあやかし だと気づいたり 気づかなかったり誰にあいつが 何を 降らせようと発信元不明も脈絡も ない独白も告白も物語も ああ久々にいい月が見れそうだ なんぞ誰が送っても誰に 降ってもかまやせず着信拒否の の掌に むりやり呼出音を送りつけ 蒼天あてどない切望の伝播 を誰からか 誰からへ誰ともしれぬ誰か か あいつが 適当にいいかげんに そらもうひとつ         2004.11.24 ---------------------------- [自由詩]花蒔き/田代深子[2004年12月3日0時09分] 祭りのごとく花を蒔き 塩を蒔き くうとなき空飛ぶ鳥に 豆を蒔き米を蒔き 菓子を蒔き食うや食わずの 子らには餅を蒔き 子らは走りきて掴みあい 奪いあい わらうか 視子は 空掻く声で 毛羽だった錦ひき 傘鉾かかげたやまぐるま のなかで わらいさわぐ路の子らは くるまをかこみ 手にてに 餅を握り土まじる米と豆を あつめ化粧紙を裂いて菓子を ほおばり 花は くるまの小窓に投げ入れて 視子はいま足もなえ 瞼はれ耳ただれおち 乾きささむける くるまの揺れも骨を打つ いっこの痩せた根塊のごと 冥がりで 綿の床にうずもれ みている 真白の路傍に崩れはてる 頭の大きな子その においかぐ枯犬 車牽く身重馬がぐうといなる 大人し馬に路の子らは こわごわ触れわらい 飼葉を持たせば馬は食む こうして強い陽に路が 白々かがやくとき 視子 御前には 白い路の先へつづく 緑黒の深山その先の 砂地と海と芳醇な国々の港 星ばかりの氷原 鉄と硝子の小路も みえるのだろう那辺にも わらう子らはおり御前は 御前に似た子を探し経巡る 空掻く息を吐き はしる風のごと四肢ひろげ 路端に思わしげな母たち さしむかわぬよう待つ 子らはいずれいさかいし 誰かがかすめ誰かが 小突き引き倒される 多く持つもの 少なく持つもの 馬が前足で白い土を掻いて くるまはしたがう 視子の息が細く流れでて さわぐ子らにまとい残る 御前を乗せやまぐるまは お宮へ参る 視子 御前を乗せ傘鉾かかげ お宮でなくば那辺へゆこう 水青い河の流れるところ 苔生す岩の間に稀花が 咲くところ否 御前は 子らを探すのだろう わらいいさかいし路はしる 子らの群を追い巡る ついにその足で 路に立つことないまま ゆくか ゆこうか傘鉾かかげ錦ひき くうとなき空飛ぶ鳥の ゆくかたばかりに 花 蒔いて         2004.9.23 ---------------------------- [自由詩]鳴 動/田代深子[2005年1月31日8時02分] 後頭部のかさぶたかきむしって かきむしってはじき出したコンテンポラリー都々逸 雷鳴のごときフレーズ こいつをひっさげ天京ツアー 俺たちの前で 広大なクレーターは激揺れ 無音だ 無音が おまえの肥大しちまった心臓をかみつぶす 聴けヨシアキ! 壁を駆け昇り天井から宙返り戸を蹴りつけてスロープにこけまろぶ ランチカートに激突しいつもの昼飯が跳ね上がる 艶やかなプレーンオムレツ 軟らかきゼロGともに漂う ああ 懐かしいおふくろのオムレツ 鳴りわたる風 あのときも俺は走っていた 俺の耳の中ではまだ真に新なるフレーズが爆竹のごとし 火をつけて投げるんだ 涙をつめたビール瓶とともに 俺は裸足で走る この円形スロープを カツミ! おまえに 聴かせてやりたい聴かせてやる聴いてくれ 眼底叩くビートとともに 俺の前に立ちふさがるランチカートランチカートときどきクリーニングカート洗浄液を吹き上げろ 俺は泡にまみれる 走れ鳴れ ここにいないおまえのために俺は歌う ここにいないおまえのために 俺は鳴りわたる 2004.10.12 ---------------------------- [短歌]冬のおわり苺を摘みに/田代深子[2005年2月10日21時36分] 今日だけの花 さわぎの水のふりかけて かじり抱きして朝にしおらす しょうちのうえで怒らせて 悪気もありで涙なら さじもなげる身もなげる 君 泥となり眠る あまい泥なら手でつかみ 掘りてなお足りぬいくらでも沈む 割れたれば朱 裂きたれば黒 指先にしたたりて横一閃 冬柘榴 落ちる影 横切る影よ 窓のむこう あけはなっても寒の空 ほら 泣き明けて瓶も空きたる酔い焼けの 細月や眉根に残したる痕 高鳴りて売笑婦 日々の糧なるエロスたれ そもさんせっぱのかけひきもあり 耳そぎの 鼻そぎの罰 瞼そぎ爪もそぎして禊ぎなするか あかあかと 火照る苺の歯にしみて 見まいと見つつ 君が背の広 ---------------------------- [自由詩]散乱/田代深子[2005年2月22日21時40分] 液晶が 関東平野を東へ走る青年 を映す 速度にまつわる素朴な 感嘆は冷気にあてるとしぼむ はずだから「ああ」という呼気をふ くらまさず口のなか でビールと混ぜてのんでいる 速度よりも  距離を驚いているのだとわかるのはその後で 距離をものする慨嘆 も酸素にあたり黒くしおれてしまわぬよう軽く 抑え て正月の朝  陽射す炬燵のうえ やけにすがしい切り子のグラスをならべ つ ぎわける 泡ふくら む 黄金いろ窓ごし光が散らばっている冷え た缶を わたしたちはあけなめらかに 膨潤する 水ふくむ身体は 走り過ぎてきたカーブの向こう側でリレーされ  中途半端 な表情のまま五千頁分ほどのタオルにくるまれ 乾き きった関東平野 冬の土中 によこたわり微睡んでいる誰にも気づ かれないよう四千年もそのまま いま父の膝に納まっているのは妹 が きっと どこかの凍土 から掘り出しせっせと滋養を与え湯浴 みし髪をすき用便をおしえいつくしみこしらえている かつてわた したちが そのようにあらしめられたような母をスプーンでそぎ とって食べてきたひたすら うながされ充填されていく 身体まだ  黒髪さえ光り透けるような わたしたちはめずらしく目を合わせる おはよう 節会の食を炬燵 にはこぶ柑橘のしぶきをあげ て果肉をほぐす小振りな指 みかん 蜜 柑 の香 朝の酔い に驚いている走り 続ける青年の様態は フレームの中央から動くことはない ただ 陽の傾きだけうつろう この身体もいつかどこかでリレーされるのか おめでとう時間は  あけていく つぎ へつぎのところへ グラスを干してまたつぎ  またあけわたしたちは新ためた衣服と身体をまとう 加速と減速の くりかえしをついで息は白くやはり 光り透けるのだろう ゆきとどかない些末の一筋が足指を刺しつらぬ き凍土に血がかよ いしっとりとぬくもり延長が身体を超えていって も声を抑え て しまう声を惜しみ陽の散乱 わたしたちは朝の酔いに驚きぬくもっ た絨毯に微睡みよこたわってかまわない 走る 速度も距離も裡へ と延長するえんえん カーブの遠心力はつづく身体は外へ 外へと 牽かれながら中心で 眠りにつなぎとめ られ ている おはよう  おめでとう冷えたビールの 黄金いろ液晶を映す切り子のグラス につぎたされふくらみあふれ ああ という呼気もどうやらついに  あふれ 光り膨潤しながら 透けていく 2005.1.16 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]【プレ批評対象作品】あほん『釣り人』 について/田代深子[2005年2月27日9時35分] http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=31081  なにはともあれ難点を言わなければならない。前後があまりにも分断されている、ということだ。1連目と2連目に有機的なつながりがまったくなく、かみあわない両連が相殺を働き、そのため読者は全体を貫く印象を持つことができない。作者に勧めたいのは、両連をそれぞれ別作品として仕上げるか、もしくは明確にシークエンス扱いすることである。試みとして以下のように、連の間を5行あけ中央に「*」など入れてみるとよい。たったそれだけのことで相当に印象が変わるだろう。 (作品改編をここで勝手に行うのは本来まずいと思うのだが…まあちょっと) - - - - - - - - - 「釣り人」 白い波がうねり 風がストロボして まぶたの上をながれていく 皮という皮 その表面だけがしめっている 水波がひっそりとみち 生ぬるい缶ビールと おなじ水位になったような 軽薄な酔いで 堤防からほうったルアーの 浮きのまわりだけ しんとして 欲がある   * ポケットに 女の髪があまっていたので そいつを釣り糸にして いどんだのだが これは釣れるものではない それでも髪の毛は 毎秒のびつづけ 浮きの呪詛をきくともなく ひとつづきほうり投げれば テトラポットの中の、もうひとつの潮が さいげつの砂をくみだし 女の髪はのびていった 腐りながら、百年成長した白さ きれぎれと、のびおちる 雲よ - - - - - - - - -  開けてびっくりである。たんに1連目と2連目を、それぞれ腰据えて読めるというだけのことなのだが、ずいぶん味わいが深くなったものだ。いささか強引に、とりあえずこれで読みなおしてみる。  1連目。   浮きのまわりだけ   しんとして   欲がある 釣りを能くしない者が見る釣り人の静まりは、むろん期待を押さえ込む力の働きによる。期待が騒げば水面はすぐにも反応し、魚たちの知るところとなってしまう。力みを伝えてはならない。  しかもこの詩を読むと、釣りする人は、おのずから水の中にいるようでもある(生ぬるい缶ビールと/おなじ水位になったような)。水の中というよりはちょうど水面の上と下に身をわたしている、つまり〈浮き〉のように。凧揚げする人が実は自ら宙に浮いているのと同様、釣りする人は水面に浮いて、抑え静まり魚を待っている。  もちろん欲はある。この欲は、何かが針にかかり薄い酩酊から突如として水面下に引き込まれたときには、瞬間なりと脅えかえるのではないか。先を予測するものではない、わずかな期待を押しやるように諦めようとする隠った欲であり、しかもその抑制をも楽しみとしているたちの悪さだ。それに自ら気づく。  2連目。  釣りする人が浮きに移相して、しかもそれは欲である。そこで女の長い髪が糸になりうる。   これは釣れるものではない そもそも釣りではなくなってしまうのだ。これで一時的には、浮きは水面下に引きずり込まれる危険から救われるだろうが、むしろ水上につなぎ止める女が問題だ。気づいた途端に生々しさから逃れたくなっている。  しかし髪は潮に向かってのびおちつづけ、浮きは、まさに浮いている。水面にか、あるいは未だ着水することなく飛び続けているのか。浮きの向かうべきベクトルというのは決まっており、もちろん下へ向かう。浮きながら、女の髪を引き、下へ向かう。ここでも諦めながら、雲に憧れ呼びかける。    *  ところで「詩にするべきテーマ」という言葉をきいた。詩にすべき題材など決まっているわけではないし、だから何でも詩にすることは可能であるし、それどころか「何もかもが詩である」という乱暴な修辞も可能ではある。しかしもちろんこれは言い過ぎで、詩は、詩的であるという判断を読者が経験によって為し、初めて詩となるにすぎない。だから「詩にするべきテーマ」がどのようなものであるかは、誰もが言うことはできても、他と同定することはできない。同定することはできないながら、われわれはやはり経験によって大雑把な共通認識を措定し、詩ということを語っているだけなのだ。  ということを、断っておく。  さて作品「釣り人」は、充分に詩的な題材であり、充分な叙情を醸して書かれている、ということができる。用いられる語は淡々としてけれんみがなく、そっけないようであるがよく選ばれ、よく考慮して配置されている。釣りすることと同様、表現する欲を抑制しながら書かれていると言ってよい。まだ水上にだけ視点があるのだ。それは休日に、光る波を眺めビールを飲む時間の描写であり、実体なく思い出されるだけの女を想起する時間である。  魚はかからない。水面より下のことが何も思われていないのである。だから引き合う力もなく浮いていられるにすぎない。これはこれで詩となるにはいい瞬間なのだが、だが「欲がある」という一言を持つならば、欲が導いていくはずの黒く冷たい水面下に、せめて想念だけでも潜らせてみてほしいものだ。そしてそのあと見渡せば、晴れた光る海は、なおしんと静やかであろう。 2005.2.27 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]【批評ギルド】原口昇平「とりあう手」について/田代深子[2005年3月12日11時57分] 「とりあう手」 原口昇平 こぼれた兵隊のおもちゃがあって はらはらとねじがまかれているこの世の誰にも知られないように手にとる手をとる 写真にとられるのをきらった友人の顔に似ている朝に つづいている内乱で右足を失った兵士と彼の仕掛けた地雷で左足を失った少女があるとき出会って肩を抱き合いながらそれぞれ一本ずつしかない足を交互に前へ踏み出した」 物語ははじまることも終わることもなくこぼれているのをひろいはじめるその はらはらとねじをまくこの世の  物語はどこから生まれてくるのか。  たとえば〈歴史〉も物語である。そして〈歴史〉=物語になりえなかった、こぼれおちていった出来事が、この世の出来事のほとんどだということも、あながちな修辞ではない。物語を生みだすのは語りうる者にだけ許された特権だとする人もある。それを暴力であると。  暴力かもしれない。「右足を失った兵士と彼の仕掛けた地雷で左足を失った少女」は〈歴史〉=物語からこぼれおち、「この世の誰にも知られない」、忘却の暴力にさらされる。しかし物語る者は誰か。さもしくさびしい者同士がわずかに時を共にすれば、そこに物語は語られる。家も宿もなく火だけを囲む夜が白むころ名も知らぬ者同士がしたたか酔って、衝くような悲しみに押し出され「俺の知ってるやつの話でね…」上記の詩を、この言葉の後に続けるのもいい。だがその物語からは、兵士と少女のほかの、やはり何かがこぼれおちているだろう。なにかを選んで手にすくいとれば、必ず指の隙間からこぼれるものがある。いくらひろっても。  いささか物語する者を容赦したい心持ちがある。それはわれわれ自身のことであるからだ。待て、物語は、傲慢ではなく絶望から生まれてくるのだ、と。物語はどれもよく似ている。それ自体が自律し、人をして語らしめるかのようだ。だがそうではなく、われわれの、結末を想定し留保なしの意味づけを行わなければやっていけない、という絶望が、かなしく美しい物語を生みだす。変えることのできない過去に向かって、それを意味づけする作業をやめることができず、〈歴史〉が生みだされるのと同様に、われわれの語る思い出話とあらゆる物語は「そういうものだ、そうでなければ」と思いたい絶望が生みだしている。だからわれわれはかなしく美しい物語をこよなく愛してしまう。むしろ、つくりあげた物語の円環の中に隠れ棲もうとするかのように。  だが一方で、物語がなければやっていけない、その中に隠りおりたいという安逸への憤りが、自ずから起きることもままある。安易に削り落とすなかれ、整然と語るなかれ、閉じるなかれ。移動し、ずらし、脱臼させ、固着しようとする意味をつき崩し、自らを脅かしても、ひろいきれずこぼれおちていく外部を、物語より〈他〉なるものを常に志向/指向/思考せよ。絶望だと? 甘ったれるな。物語の地平の向こうにある〈他〉を指向するとき、われわれの語る言葉は無惨なものだ。とりとめなく、なんども前言撤回し、謝罪し、言い訳し、結末など思いも及ばず七転八倒する。矛盾だらけで一貫性も統一感もあったものではない。そして徹底的に〈他〉なるものたちに打ちのめされ続ける。…そこにあるのは切望のはずなのだが。  さあ。  「とりあう手」は、かなしく美しい物語を語る者の詩である。こぼれおちた、傷ついた者をひろいあげ物語る者がいて、彼自身もまた傷つきこぼれ絶望しており、かなしく美しい物語を求めずにはおれない。そして彼もさらなる入れ籠の、かなしく美しい詩の中に隠る。ひたすらに閉じていこうとする幾重もの円環。だが、   写真にとられるのをきらった友人の顔に似ている朝に この1行はある。「とる」という能動の動詞が、受動「とられる」となり、しかも友人が「きらった」ことを言う。物語にとりこまれることをきらい、語ろうとする者の視線から顔を背ける友人=他者「に似ている」おそらくは同質の〈他〉である「朝」の中で、物語は語られている。どこまでも〈他〉である「朝」だ(朝は物語の地平の向こう側からやってくる)。この1行によって、閉じた円環にはかろうじて綻びがあく。いやむしろ、いかんともしがたく物語は綻びなければならない宿命にある。なぜなら〈他〉がなければ物語はない、〈他〉こそが物語の素材ではなかったか。物語は〈他〉という綻びを、生まれながらに内包している。そしてその内なる綻びから風化はすすみ、物語だったものもやがてはらはらと、再び崩れこぼれおちるだろう。ひろっても、ひろっても。  繰り返し、性懲りもなく、おもちゃを玩ぶ無心で、われわれは物語を語っている。書くということは、その無心な絶望を刻み記してしまうことなのだ。自らに絶望を知らしめよ。そしてその先に生まれてくるものは、物語なのか、そうでないものなのか。 2005.3.12 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]ロボウティー「天動説の子ども」について/田代深子[2005年3月20日10時09分] 「天動説の子ども」 ロボウティー http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=32950  この詩を読んで感じる苛立ちはなんだろうかと考えた。初めは何故なのかよくわからず、親子関係を扱うナイーヴさゆえなのかなどとも考えたのだが、どうやらそうではなく、たんに技術の問題であるらしい。  ひとつには、行の長さに差があることが気にかかってしまう。はじめのほうに長い行がまとまってあるが、後半にはない。また行開けの頻度が後半にいくにつれ短くなる。このアンバランスが意図的に配されたものだと思える効果も感じられない。おそらくは作者の気分、作者にとっては必然かもしれない「なりゆき」に任された行運びであって、それがストレスをもたらす。言葉運びのリズムがまったくつかめず、流れに乗っていくことも難しい。  いまひとつ、  それはまったく自然なことです  それはとても不自然なことです  それはまったく不自然なことです  それはまるで自然なことです  それはまるで自然なことです という、定型フレーズを意識的に繰り返すにもかかわらず、その挿入の仕方に規則性がなく、かといって不規則がもたらす効果もないため、むしろ小手先の技法に感じられてもどかしい。  上記二点を検討し書き直せば、大幅に洗練されてくるだろうと思われる。内容を重んじていると推測しうる作品であっても、言葉のリズムを軽視しているならば読むことすら困難だし、なくてもいい韻を踏めば稚拙というより安直に陥ってしまうのだということを、作者に強く意識しておいてほしい。  少し内容に接する部分の問題として、モチーフの扱い、そのつながりの悪さについても指摘しておく。  天動説/地動説  魚  箱船  骨  肺呼吸  走る/泳ぐ  自然/不自然 いずれもいささかずつ関連していることは読みとれる。だが有機的にはつながっていない。これはリズムの問題とも関わっていて、よいリズムで読めば、およそつながりそうもないモチーフが理屈抜きにちりばめられた場所で光ってくるものだ。この作品においてのつながりの悪さは違和感を狙ってのこととも思えないので、たんに運び方がよくないだけなのだと言えるだろう。とりあえず、なぜ天動説でなければならないのか、それが理屈でなくするりと得心できるようにしてほしい。これはいい言葉なのである。  さて、こうまで苦言を呈してから言うのもなんだが、この作品は悪い作品ではありえない。なにしろ題材が特別で、場面がいい。「母の死」を扱うとき、真摯にならざるをえないのは当然であろうが、その真摯さのみが伝わってくる。  だが、作品を書く、「母の死」を作品にし他人の目に晒す、という行為に際し、持つべき真摯さはもっと冷厳なものとならねば、題材に見合う作品は生まれてこないのではなかろうか。読者の同情や共感の涙を誘えばいいというものではないだろう。それは「母の死」を、自らのうちで意味づける行為なのだ。作品を書くことによって、「母の死」は作者の中に、そのようなものとして構築される。もっと言うならば、作品化しなければその女性の死は彼にとって「母の死」とならない。「母の死」を書くのに5年10年かかるのは、むしろ当たり前であるようにも思う。  この作者は発表後の改訂をいとわないのであるから、ぜひこれからも推敲を繰り返して継続的に改訂し、読ませてほしいと思う。言葉の配し方、行の開き、長さ、韻。推敲し推敲し推敲し、大幅な書き直しを加え、けっきょく一番最初の形にもどったり、破れを破れとして残さざるをえなかったり、というような。そのように変化し続ける作品があってもいいではないか。  われわれにとって「母の死」は、完成することなどないはずなのだから。 2005.3.20 ---------------------------- [自由詩]水鳥/田代深子[2005年4月2日14時01分] 指でつなぎとめ 奥にひろがるはずの 水をかくした葦の 叢で わらい戯れてひそみ その口をふたぎあって ちいさな音に身を寄せ ぬくもる鳥となった あたたかい日に歩こう の約束は遠くからの 寒空が隔つ遠くからの けっして 叶わないだろう と知ってとり交わす はかない文字のようで 指をきつくしめた はかなさに冷たく 石となってしまうなら つないだままそのまま の骸で ほかの名を刻まれて こまやかな震えよ 声よ 風化する石の文字より 奥にひろがる水へ 溶けてくれ 葦の叢にぬくもる 鳥であったあかし 2005.4.2 ---------------------------- [自由詩]下野/田代深子[2005年5月22日6時30分] めぐりきた この日はなぜやら 決まって晴れる 蒼い 冥い中天に垂れなびく布帯 黄 紫 緑 八方の声明 太鼓と鉦 衆生の足は土をたたく たたく 肉焼くにおい 黒ずみはじめた果実の甘露 巡礼たちの饐えた衣服 香木香油の焚きこもる におい においを 俺はひとたび逃れ路地にすべり入る 三日前の雨でぬかるみ汚濁に滑る隘路 猫たちは忌み二階からビニール幕を辿って まろび降りてくる塵桶を蹴倒して跳びここから 消えゆく 俺もまたしばし この日をわざわざにえらんで いまだ 逡巡と声明薫香に身をまかせ足音のうすら伝う 軒先の丸椅子に腰かけ 濁酒を一献 さらに一献 さらに さらにも 線香灯る路傍の祠へも一献 累ねがさね幾十年の失敬を詫び 手を合わす 股ひらげ腕くねらした ふたなり神の 一身に兼ねる陽物と陰所の充足をうらやむ 懐し初めての女の 荒れた皮膚を掌におもう あるかなしかの乳房 黒い乳首をのせた肋を いくたり指で舌で擦りたてた そのにおい 天蝶の鱗粉かくのごと と感じむせた香油の 胸つく 誰かを待っている 誰であっても いじましく 乾いた空言も尽き ただ顔を俺は ゆるりと 見わたすだろう誰かれなく抱くやもしれず そうしながら俺みずからに 別れを惜しむまい 告げよう ここに来た その心根ばかりがうれしい と いじましさも今さら 涙も惜しまず流すまま 走り降り 衆生の群に身を擦れば におう息もて さだかならず足の ほつれるまま 下へ 下へと 冥く虚空の透ける蒼日天を背に負い 土へと 走る俺のうしろを 鼓をうち鳴らし見送ってくれ ともがら めぐりきた この日 駈け降りる石くれの勾配 巡礼衆生の群を掻き分け ひたすらに降れば 甘露の香もうすれ涙は乾き去るだろう 額は蒼く透け 知らず頬笑み 足は土をたたく たたく 2005.5.22 ---------------------------- [自由詩]回 帰/田代深子[2005年9月3日14時46分] 錆こする      蝉 が赤土の 踊り場を囲い 哉  哉哉哉哉 といにしえの 合 唱をまねび叫ぶ      哉 哉哉哉 哉 橡の木の下で錆び        た旋盤機が 抱え込む影塊は夕立の日に   家を失せた  叔母 おさなくして          「ああ やっぱり    そこにいたの」誰も 確かめにいかない で   ごめんね 母は小声で そこに  いたのわかった それで 充分    丈高い         夏草の叢 にかがみこんだまま まだだ よまだ      動いちゃ 錆が   新しいシャツをよごす じゃない   哉 哉哉哉 哉 ご馳走は        とってある 橡が かしぎ旋盤機を覆う          百年も   眠れるよう に あわてないでまだ         まだだよ 蝉が鳴きやむまで哉哉哉哉 日が 暮れきって叔母と       橡と旋盤機が    入り口の穴になって 空いて     おかえり おかえり  さあ          お食べ    なさい今日はご馳走 錆で真っ赤な 手を洗って        いえこれは     百合の   花粉  哉 哉哉哉哉      赤土に落ちた蝉 を囲み     旋盤機が またかしぐ 2005.9.3 ---------------------------- [自由詩]ろみじゅり/田代深子[2005年12月4日21時11分] あの家は娘が男と死んで 父親は耄け録でなし倅に 譲るつもりのなかった家督を譲り 母親は髪を落として家を離れ隠ったまま 思えば娘は母親似だった あの家は息子が女と死んで 親夫婦は教会に西の荘園を寄進し なかよく喪服のまま巡礼へ出た 慰みか先々で貧者病者に施して 棺が黒黴に覆われるまでもどるまい そういう後日譚 なにはともあれ若いふたりの物語 覚えているのはふたりして 国道脇のサイゼリア深夜に逢い引きを 変装か真っ青なジーンズに紺のパーカー 着慣れず物慣れず眼を泳がせる こちらは首をひっこめ衝立にはりつく ふたりは銀座でするように目配せで マイトレ招き非の打ち所のない微笑 良家の子女はこうでなけりゃ 空のコーヒー碗にも気づかぬ粗忽者が 一流リストランテの給仕長気どりで アンティパストプリモセコンドおふたりに ドルチェエスプレッソまでたっぷり三時間 ああスローフードの宵は更けゆく 語らうのはささやかなことばかり いつかある晴れた日に 公園でランチバスケットを広げ 鳥にパンを投げながら過ごせたら なにがしとやらの舞台を観て あのプリマにふたり花を届けたり 長い休暇には高原でテニスと乗馬 彼にはすばらしい栗毛と青毛がいる 風の午後に窓を開け抱き合って眠れたら 言葉みじかく沈黙はながい かわりに語らうは指どうし 軽やかにからまりあい ときにきつくしめあう いつかある晴れた日に その夜の白むころ初霜の降りた朝 ふたりは死んでいた十六と十四の齢に ほんとうはもうなにもいらなかったのだ ほかにもうなにもけっして容れまい もう冬をこらえることもするまい その先に咲きこぼれる春があっても もういらない と 俺などが詩を詠んでいる俺などに なにがわかるかわかっていたのは 息子がお袋のお人形だったってことと 娘が親父の女だったってことと おふたりが俺の詩を好いてくれてたこと おふたかた聴いてください慰み者の せめてもの 2005.12.4 卒論中に ---------------------------- [自由詩]おけら街道/田代深子[2006年2月5日20時22分] 叶いっこないと言いきかされて育った期待が破れんばかりの心臓をおさえつけ 明滅する。おまえなんかいないほうがいいのだと言い聞かせて育てた期待が、 かじりつこうとしている一〇〇〇円ばかりの分け前。額は肝心じゃない、俺の 身代だとフェンスの前で震え待っている。もはや無いも同然の着差に順をつけ る掲示板、あんなもんは如何様だ予定調和だとなじりながらおびえ、誰もアテ にはならない誰にも助けは求めないとつぶやきながら肩で息している。 おっかさん、おっかさんは芽生えてくる期待を摘んでは捨てていた。親父が新 聞片手に俺を引っぱって日曜の朝から握り飯と小瓶に焼酎仕込み勇んで行くの を送るたびに。 干涸らびかけた期待が分け前を欲しがっている、掲示板に跪かんばかりに願っ ている、そのくらい報われたっていいじゃないかとせがんでいる。俺は止めろ と歯を食いしばる。一〇〇〇円ばかりの分け前に縋りついて、俺がおまえが浮 かばれるものか。思い出せ、おっかさんはすごかった。親父の財布が空になっ て日曜の夕刻を迎えるたび、鰺を刺身におろしてビールの瓶を膳に置いた。お まえなんかいなければ、俺はあのひとの息子のままで。 掲示板に明滅する番号のどっちが上でどっちが下で、着順をつけられるのは俺 たちじゃなくて力づくの奴らで、その尻っぺたに張りついて一〇〇〇円ばかり の分け前を貰おうとしている。それが悪いか、金を出すのは俺たちだ、俺たち が俺たちの真摯さに見あう褒美を貰うのが、なんで惨めなことなんだ、と期待 は呻るが目は掲示板をちらちらとしか見ることができない。そんな惨めな期待 を育てたのは俺だった。 明滅は、いつまで続くわけじゃない、こんなことは長くは続かない。おっかさ んが鰺を三枚におろして腹わたと一緒に期待を捨てちまったように、空っぽの 目ん玉になって掲示板を見てみろ。最後の期待の細い声は、ぴたりと止まった 数字が引っこ抜いてしまうだろう。俺はおっかさんの息子にもどる。日曜の夕 刻、両手を空にかざしたら尻ポケットにつっこんで、歩いて帰る。 2006.2.5 ---------------------------- [自由詩]猿精/田代深子[2006年2月19日20時21分] 鉄柵に囲われた駐車場 夜の水溜まりより黒い わだかまり うごめい たようだ 眉根しかめ眼を 夜より黒い水溜まり よりもっと 濁りまじる ぬらり 猫背のましら 互い気づかれ アスファルトにすりついて 出会ったからには 眼をそらしては 長くねじれた腕が いびつな胴と 頭をひきずり 鉄柵に寄ろうとする 来るな! ましらは止まり水を吐く   おまえのつれあいは   おまえのせいで   みなに責められ耳かされず   仕事はとりあげられ   おまえと一緒に路頭に迷う   みなしていることであるのに   おまえのつれあいだけが   責められ傷められる   みながおまえたちを嫌い嘲る   絶対にそうなる ましらは痰の からんだ喉で こちらを見 ず猫背より丸く折れ 腕を 長くねじらせ吐き こぼす 夜よりも黒く濁る 水と一緒に 抱える桶を 鉄柵ごし投げつけた 桶に張った水 と鯉を駐車場に 打ちつけ 桶はましらの尾に当たっ たようだ 啼! ましら 啼々と 出会ったからには 眼をそらしては   その鯉を   おまえにやろう   代わりにおまえ   うちにおいで   おまえに   羽入りの絹布団   青磁の皿をやろう   ほぐした魚を   毎日盛って ましらの猫背は ますます丸く 長い腕と鯉を巻きこんで丸く 尾だけ くねる 水すする音しばし膨れ萎んで 小さく丸く 濡れそぼった猫と なり 鉄柵をすり抜け来て 足にすりついて   魚はほぐさなくてよろしい ましら猫を抱え 夜より黒い水溜まりを 蹴って 水しぶきたてて 駆け帰る 2006.2.19 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]野田秀樹『贋作 罪と罰』を観る/田代深子[2006年3月7日19時34分]  この作品を観るのは初演以来2度目になるのだが、前回はドストエフスキーの原作を読んでいなかった。今回は読んでいる。そうすると、もちろん両者を引き比べざるを得なくなる。しかし意外なほどに、野田の『贋作』は原作に忠実だということがわかったのだった。ラスコーリニコフが女だったり舞台設定が幕末の江戸だったりするのも、さして違和感を感じることなく、『罪と罰』を観ている、という気がする。これはやはり原作の強さなのだろうと思う。  一緒に観た連れに感想をたずねると「自分が一番期待していたのは、ラスコーリニコフが罪を認める場面を、キリスト教文化から離れてどう表現するかだったのだが、そのときの台詞は原作そのままだったので少し残念だった」という。〈十字路に跪いて大地に接吻〉のところだ。彼は「十字路」を当然十字架のメタファとして考えていたし、他の翻訳作品を読むときでも、いつもキリスト教圏の文学を本当に理解はできていないと感じるのだそうだ。『罪と罰』において最も重要なテーマは「なぜ人を殺してはならないのか」という問いかけそのもので、ドストエフスキーにおいてはそれがキリスト教的世界観の中で突きつめられていくのだが、野田秀樹の『贋作』では、するりとかわされてしまった感があるのだと。  わたしはドストエフスキーの問いかけや一応の結論が、キリスト教的世界観でのみ適用されるものではないと感じている。しかし野田の『贋作』が、やけにスマートだというのは同感だ。あの長い小説を2時間ばかりに整理し再構築するのだから当然だが、原作にある些末なエピソード群がいかに全体を意味深くしているか、逆説的に証明してくれたようでもある。  『贋作』においては、主人公の殺人と革命(=明治維新)をあまりにもきれいに重ねすぎ、ラスコーリニコフの理論に作品全体が陥ってしまいかねないほどだ。すなわち、個人の殺人が社会変革の象徴に、まさになってしまっているのが野田の『贋作』だと言ってしまうことさえできる。原作でラスコーリニコフが犯すのは、まったく無意味な殺人としてしかありえないが、『贋作』のほうでは机上の理念を踏みこえて殺人=行動を為していくことそのものが、ときに評価されてしまっている。しかも、それが男でなく女だからできたこと、とも受け取りかねない表現である。これを危うく止めているのは、じつにまっとうで徹底的な主人公の苦しみしかないのであって、松たか子の演技力はともかく、慟哭と嗚咽はストレートに胸を打ってくるようになっているが。  原作においてラスコーリニコフを改心させたソーニャが、『贋作』において不在であるということは、キリスト教的〈愛〉の不在をも意味しており、『罪と罰』の根幹に関わるのではないか、と、酒も交えているうちに話は移行した。しかしソーニャは、たんにキリスト教的〈愛〉の表象なのだろうか。そんなことはないだろう、とわたしは主張した。彼女はキリスト自身に通じる徹底的な自己犠牲、無私の象徴ではあるが、なにも自己犠牲はキリスト教にのみ存在する美徳ではないはずだ(たとえば日本の〈武士道〉も無私の精神において評価されるべきものだ)。ソーニャはむしろ、ラスコーリニコフが求めたような“正しい理論に裏打ちされた行動により導き出される、正当な結果”を、根元から否定する存在として考えるべきなのではないだろうか。彼女が払う過酷な自己犠牲行為は、父母を救い得ず、自身をさらに苦しめていくばかりで、それに見あう成果をもたらしはしなかった。それを見てラスコーリニコフは「だから君は間違っているのだ」と言いつのるわけだが、彼女は行動を改めるわけもなく泣くばかりだ。理論など通じない相手なのである。ラスコーリニコフが〈大地に接吻〉したのは、ソーニャに説得され彼女を正しいと思ってしたわけではなかった。自分が自分の理論に正しく従わない行為によって道を踏み外し、敗北したからだと考えてのことだ。そしてあまりに苦しみが強かったからでもある。ソーニャは理論的に“正当な結果”など見通さず、自己犠牲行為にのみ没入する、苦しみを苦しみのまま丸飲みする人間である。そして結局その在り方だけが、苦しみを自己と同化して沈静させ、自身の世界を変えうるのだとラスコーリニコフが気づくのは、シベリアに行ってからのことだった。  『贋作』にはソーニャがいない。生臭く非合理的で見苦しいほどの自己犠牲は描かれることがない。これは野田秀樹の作風としては一貫している。しかし〈罪−罰〉の即時的・論理的な因果関係、その二元論を無に帰すべき不条理である〈罪なき自己犠牲〉が存在しないことにより、〈革命−犠牲〉という応用もまた安易に物語へ導入される。『贋作』においてラズミーヒンとソーニャを兼ねる“坂本龍馬”は、「血の代わりに金を流す」ため奔走したが、最終的には主人公の罪に対する罰として、そして革命のために血を流す犠牲として、描かれるしかなくなるのである。  野田演劇の魅力として、シンプルで美しく静動の対比が生かされた舞台演出、韻律や比喩を生かした詩的言語による台詞まわしがある。これらが骨のある構造に支えられている。『贋作・罪と罰』においては、この構造の堅牢さが原作の煩雑さを整理し観やすくした一方で、煩雑さの中にあった豊かで多様な想念が削りとられてしまったとも言える。野田秀樹自身の演劇家としての成熟が、そこに集約されるのだとしたらありがちなことであろう。 ---------------------------- [自由詩]桃源歌/田代深子[2006年5月4日2時19分] まっていたおもいすらする懐かしい驚きは 鼻の奥から桃の実の香をともなって 額のさきへとつきぬけふきだした 馴染みぶかいあの痛苦のみなもと 乳白と鮮赤の漿と沫がまじりあい 桃色の滴となって地に蒔かれた 金輪際の痛苦は消えたのだ さらにわたしは君にこいねがう その一抱えの岩であまさず砕いてくれ ていねいに眼球のガラス片も残さずに 頭蓋をつぶしながら土へ擦りこみ 唱えてくれ  春に咲く花々のなかに吾はなし  その実の種の仁の憶へと沈澱す そうだ わたしの頭部をきれいに砕き終えたら 二本の腕と脚を関節ごとにもいで分け 小さな部分は鳥と爬虫類に 大きな部分は哺乳類に 腹を割いて臓腑を水生のものたちに それでも残るものを微小の虫たちに 撒いてまかせてしまえあまさず すまないが手間なのはそこまでだから わたしの頭を砕いた君よ泣くことはない 痛苦を分泌する部位は失せ素軽く ほらこのように話しもできる これまでは顔があり口があり耳があり 眼を合わせていながら話せずにいた君と 話をしよういまこそ多くを あの新しい唄や君の好きな娘のことを いま眼の失せたわたしに視えている暁光は 清涼な桃の実の香である 耳なきわたしに聞こえる音は淡い甘み 歌いたいのだ君の喉を借り  土籠もり頓服されめくるめき飛ぶ  いずこの種の場も吾がところなり そうだ 君のゆくところも 2006.5.4 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]清野無果「■批評祭参加作品■ネット詩fについて」を読んで、インターネットにおける言語表現について/田代深子[2007年1月31日2時03分] http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=100523  〈ネット詩f〉という語に託し、インターネット上における新しい文学としての「ネット詩」に可能性を求めたこの論考は、対象があまりにも膨大かつ玉石混淆であり、またまさに現在進行形であるため、分析としてはいささか説得力に欠けるものとなってしまった。しかし清野自身も身を置く、この新しいメディアにおける言語表現を「対象」化しようとした試みそれ自体は、もちろん我々に示唆を与えてくれる。  先日、とある講演会において小説家の高橋源一郎が述べていたことであるが、現代の若い小説家たちには(文学の)歴史がない、という。彼らには、いわゆる古典作品の読解(評価)について共通認識がなく、そればかりか読書経験がまずない。このことは、「ネット詩」についてさまざまに述べられてきたのと同様である。彼らは手本となる先行作品群をほとんど知ることもないまま、書き方を学ぶ要請もまたなく、インターネットにおいて書くことを始められた。そこでは文学的に何の準備もなくても、ただ「いつも話すような感じで」もしくは「なんとなく聞いたことのあるように」書けばよかったからからである。  「話すように書く」「聞いたように書く」。清野も引き合いに出したように、ここで明治期の言文一致運動とインターネットの言語表現の共通性を想起することができる。しかし清野が展開したのは言文一致運動の多大な担い手として近代文学(内/外の葛藤)が誕生し発展したのと同様、インターネットにおける言語表現も新たな文学(新たな内/外の葛藤)の担い手となるべきであろう、という、いわば彼の希望論であった。対して私が思うのは、清野が気づき指摘していながら「メディア特性」として言及を止めてしまった、インターネットにおける言語表現、文体のあり方そのものについてなのである。  さて、明治期の言文一致運動は、まず何をおいても近代日本の国語を作る必要性にかられたものだった。  日本の文章は、漢字渡来以後中国文化の影響を強く受けたので、漢文が男子の側で公私にわたり広く用いられ、一方 かな の発明により平安時代に女子中心の口語体の かな文がおこり栄えたが、鎌倉時代ごろから口語と文章の差が大きくなって言文二途に分かれて言文不一致になり、以後和漢混合のさまざまの文語文体が次々と現れて江戸末期に至った。明治維新後の日本の近代化にあたって、言語文化の面で直面した困難な問題は、近代的な人間の思想や感情を、自由に十分に表現できる近代口語文体をどうして確立するかということであった。しかも日本語の場合には、元来外国の文章である漢文体と、古語の文法に拠って民衆には通じがたい和漢混合の文語文と、この二種の前近代的な文章の克服が必要であった。 (山本正秀「言文一致体」『岩波講座日本語10 文体』1977) 言フ所書ク所ト其法ヲ同ウス以テ書クヘシ以テ言ウヘシ……アベセ二十六字ヲ知リ苟モ綴字ノ法ト呼法トヲ学ヘハ児女モ亦男子ノ書ヲ読ミ鄙夫モ書ヲ読ミ且自ラ書クヲ得ヘシ (西周「洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論」、1874)  江戸期において都市住民などの識字率が高かったことは一般に言われるところであるが、それは明治期に求められた近代国民の国語とは違っていた。為政者にとってみれば、新しい国語によって普く国民は教育され、近代国家日本の人的資源とならなければならない――そのための言文一致という側面が強くあったのである。公文書の合理化という意味でも、表記統一と簡易化が求められていた。もちろん江戸期から口語において「共通語」の自然な形成はあったが、特に書き言葉、すなわち文章の表記規則の統一は、教科書・新聞・小説などでそれぞれ意図的に試みられ、取捨選択されていくことになる。明治期の言文一致運動は文学においてのみあったわけではないし、まして文学に資するためにあったのでもない。とはいえ文学の、ことに小説の文体が、近代日本語文章表現の実験場となったのは疑いもないことである(スガ秀美『日本近代文学の〈誕生〉』〔1995〕では、そこに潜在する政治性も指摘されている )。  漢字廃止さえ提案された言文一致運動の具体的試行錯誤は、結局のところ語尾の用法に帰着する、とも指摘されている。二葉亭四迷は下品で俗とされる終助詞「ダ」を敢えて選びとり、「いかにも下品であるが、併しポエチカル」(余が言文一致の由来)な小説文体を目指した。また彼はロシア文学の翻訳経験から、自らの小説に「!」「?」などの記号を用いて、後に続く小説家たちに、そしてその読者たちにも大いに刺激を与えた。こうした「新鮮な」小説文体による日本語表現全体への影響は、インターネット時代である現在にもなお続く。たとえば村上春樹や町田康などの文体は、それ以降の若い作家たちと読者たち、彼らの書き散らすインターネットの言語表現に、抗いがたく影響を与えている。だが二葉亭四迷に連なり変成し続けるこれらの文体は、はたして「言文一致」した言語表現であったろうか。そもそも、このようにわたしが書いている「論文調の」文章など、話すように書かれたものではあり得ない。  文語文は、中国の文体を日本語として読み解く外国語である。それに比べれば現代の書き言葉と話し言葉の文法は一応同一であり、書かれた文体をそのまま日本語として音読することが可能だ。しかし書き言葉と話し言葉は本質的に違っている。それは文体が含有する時間量の違いであると言えるだろう。話すとき、われわれは感嘆詞や擬態語を突発的に多く用い、名詞一語で終わることもあれば、動詞から始まるバラバラな語の並びを投げ出しもする。文章を書くときのように、あらかじめ語順や用語をよく吟味して話し出すことは、そうあるものではない。逆に言えば、書き言葉とはすなわち吟味の時間をあらかじめ含有している言語表現なのである(しかしその「時間」即ち「内面」なのではない)。  インターネットにおける言語表現が特殊性を帯びるのは、話す時間のうちで書かねばならないからではないだろうか。話し言葉のように、他者との交渉に曝され、徹底して他者に委ねられる、「時間のない」書き言葉。時間がないために、語尾や用語はいっそう使い慣れて簡易な話し言葉に接近していく。それでも肉声で話すよりキーボードを叩くほうが人間の反射としては時間がかかるわけで、さらに言葉を簡略化してしまわなければ、話すほどの速さで書くことができない。語尾につける「w」などのように、略記号でもあれば形象記号でもあるような文字の使い方は、そうした「時間のなさ」から生まれてくる。  インターネットにおいて「話すように書く」ということは、「話す代わりに書く」に近く、またそのつもりで書いている者が非常に多い。だから膨大な数の人々が、読むことよりも書くことを選ぶのである。対話しているとき、我々は相手の話を聞かねばならず、その介入によって次に出す言語は初め意図したものからずれていく。それこそが対話の意義である。しかしインターネット上で書かれる文章は、遮られることや方向変換を迫られることのない独語として、延々と続けることが可能だ。逆にチャットや掲示板など、コミュニケーションの「流れに乗る」のであれば、独語は無視されるか必然的に攻撃される。そのときの言語表現は、文体・言語体系として遺漏なく成立しているものよりも、全体の流れに即したものであることが優先される。そこでわれわれが書き、読んでいるのは、それぞれの文章や思考体系などでない。その場で執り行われている複数人による交渉の経緯、状況の流れそのものなのである。  こうした中で、一塊りの作品として言語表現を書き著すことにどんな意味があるのだろう。それを清野は模索しようとしている。清野自身の言うとおり「インターネットに特有の文学」といった存在は、現在においてはなおフィクションである。清野がとりあげた たもつの詩に関して言うならば、確かにインターネットという媒体がなければ世に発表されることはなかったかもしれない。  インターネットのホームページ上で詩を書き始めて間もなく四年が経とうとしています。最初は自作プログラム発表の場として立ち上げたホームページでしたが、更新頻度の高いコンテンツが必要だということで思いついたのが詩でした。以来、一ヶ月に十〜二十ほどの詩を書き、発表しています。  「ネット詩」という括り方があるのであれば、それは「ジャンル」としてではなく「文化」としてあると思っています。インターネットの特徴である双方向性と即時性を最大限に活用し、詩は鍛えられ、育て上げられていきます。しかし、その双方向性と即時性により、詩は劣化もすることもあるし、閉塞的にもなっていきます。 (たけだたもつ『こっそりとショルダー・クロー』2005 「あとがき」より) しかし彼の作品群は、「近代的自我」を俯瞰する視線が優れて「ポストモダン的な詩」であるとは言えるが、インターネットにこそ現れるべき作品だったかと問われれば、そうとは思われない。たもつ自身は自らの作品がインターネットの「双方向性と即時性により」「鍛えられ、育て上げられ」たと言うが、それは発表した作品の爆発的な広まり方、他者を介してから再度自作と邂逅するまでの速度の速さを言っている。彼の作品の自律性は、高速な反応によって鍛えられ強化されこそすれ、変質するものではなく、その意味でインターネット特有の言語表現からはほど遠いところにある。  インターネットの高速さが言語表現のみならず表現主体にまで影響をもたらし、その様相がさらに作品にフィードバックする。言文一致運動のうちで文学によって逆説的に内面が発見されたようにである。それが「インターネットに特有の文学」なのだとすれば、未だ「文学」として形成されないまま、無数のブログや掲示板に書きつけられる言語表現がこそが、すべてそうだとも言える。とりあえずそうした極論はおくとして、ここで思い浮かぶのは最果タヒの作品群である。彼女の作品は、柔弱なゲル状の粒を集めたような、とりとめのない語の集合体として表されながら、その質感によって一体であり、かつ質感のみが作品の本質である。彼女自身のインターネット上での振る舞いと同期するように、その言語表現は他との関係性と影響に怯えおののいている。怯えおののきながら関係性を飲み込み、それにより変化しているようでいながら、徹底的に独語としてある。独語であるということがどういうことか、と改めて問うならば、自我が自我であることを認識しないまま漏れ出る言語表現であろう。インターネットの速度が、そのような言語表現をあらしめている。げんに最果タヒがどのような制作過程をたどっているかが問題なのではない。最果タヒが発見した言語表現の可能性は、すでにしてインターネットにあふれる無数の独語の先にあったということだ。  インターネットにおいて「話すように書く」ということはすなわち、他者と自我とが、同時にその表現と出会うような速さで書く、ということになっていくのだろうか。だとすれば、現在ポピュラリティの高い小説群が、紋切り型の言語表現の集積となっていることも、逆説的にうなづける。インターネットで書くことを始めた若い作家たちは、数少ない文章経験の中から拾い上げてくる紋切り型の表現を自動書記的に並べることから始めるしかないのだろう。しかし、やがて速度はもっと速くなる。紋切り型を整えることすらできないほどに。そこに記号が登場し、印象と質感だけを基調とする言語群が表現として現れる。それが文学の可能性と、言えないことがあるだろうか。 ---------------------------- [自由詩]春とおっぱい/田代深子[2007年6月9日21時23分] 鳥のため おおきなおっぱいが ほしいとおもう 春さかり 右のほうが 小さいと気づいてから 左おっぱいの下に 空袋があって そこに鳥が棲む とっととっとなくつがい 一羽とびたちもどっては 一羽でかけてまたもどる 左おっぱいの春は いそがしい 雛が飛び立つまで とっととっとさかんに 話しているのらしい とっととっとの 左おっぱいを 右掌で包み少し小さい 右おっぱいも左掌で包む もう少しおおきければ 右おっぱいの下にも 空袋があったら 春は静かだろうか ---------------------------- [自由詩]空の箱/田代深子[2007年8月17日23時34分] 足から入り腕を出すと ダンボールのほかは空ばかりで おれは首のばし 下をのぞきこんでも からり晴れわたり風鳴る底なしの しまった あれも連れてくればよかったと ポケットの小瓶をあおるが ああ携帯もないし ダンボールは揺れもせず ただぽかんと口を空け どこかへとしょんべんを放った ---------------------------- [おすすめリンク]東京パーラー同人PDF公開しました/田代深子[2020年5月9日20時06分] ご無沙汰しております。 田代です。 このたび2017年に発行した同人誌『東京パーラー同人』をPDFでオンライン公開いたしました。 どうぞお楽しみください。 【東京パーラー同人 目次】 こうだたけみ:アイスクリームネオンサイン 軽谷佑子:都下 田代深子:未生 岡 実:東京ゲンジ 桐壺の巻 こうだたけみ:パぁとラぁとの幸福論 軽谷佑子:進軍 岡 実:この道は大海に繋がっている https://www.dropbox.com/s/4ewr045nchg2pmm/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC%E5%90%8C%E4%BA%BA.pdf?dl=0 ---------------------------- (ファイルの終わり)