高橋良幸 2015年11月15日20時44分から2016年10月23日10時08分まで ---------------------------- [自由詩]ライク/高橋良幸[2015年11月15日20時44分] いったい、いつからでしょうね てきせつに いいね しているかどうか わたしたちが きにかけるようになったのは ネットがオブ・シングスになるまえ、 どこかのSNSにとうろくしてからか、 それとも ウェブが2.0になるまえ、 どこかのダイアリーか でんしフォーラムにとうろくして ポイントをもらうようになってからか、   #あるだけの いいね をもらうために   #わたしたちが→(ふしん)する、   #(そうしん)←、する ---------------------------- [自由詩]十分/高橋良幸[2015年11月23日16時13分] 10分後、私たちは 思(おも)い出(で) される 10分前に見た映画はもうまるで嘘のようだ、と いまどき流行らない、よくある2Dの映画だったが 持ち合わせた感想は特になく 1Dでなかったのがせめてもの救いだと笑った 古いシートに沈着したほこりの匂い 照明を落とした廊下のたばこ臭さ 突然曲がる w.c. の間取り、 ストローを這い上がる空気とペプシコーラの薄い甘み どうせあとでキスをするのだから あなたは好きな飲み物を飲めばよかったのに その1時間後、私たちは 思(おも)い出(で) される 2本目のワインが眠気の原因で、 歩き疲れていたのに飲み過ぎてしまった すっきりしていて飲みやすくて 料理の味を損なうことなく、二人の会話を滑らかにした 映画のことなど口に出さず 私たちのテーブル以外、何も見えなくなった あくる日、私たちは 思い出 される 昨日のデートはいつか忘れてしまうだろうが たわいもない、というほどのものではなかった、 オフィスのキーボードを叩きながら 繋ぐ手はもうひんやりしていた、と思った 対照的なのは、すれ違った街並みの量に 比例したふくらはぎの熱さ その翌週、私たちは 思い出 される イスによじ登ってキーボードを叩いていた、私のだらしない格好と ゆったりとして、ほうけていた同僚の返事 ついこないだまで豆を挽き、コーヒーを淹れていたのに 冗談ばかりだった彼らにも半分仕事をわけてやりたい 次の月、私たちは 思い出 される 予想していなかった忙殺と それぞれの少しずつの無責任さと 遅く家に帰って点いていた明かり 翌春、私たちは 思い出 される 座敷の忘年会で、愚痴もいつの間にか賛辞に変わっていた 無事に終わった仕事とはそういうものなのだろう その翌年、私たちは 思い出 される こんな風にジンジャエールを飲んだ、おととしのことだったか、 二人で見た1Dの映画の薄さと甘さ 10年後、私たちは 思い出 される わからなかったことも、今わかるような気もしている その100年後、私たちは 思(おも)い出(で) される 楽しいことも、幸せなことも、あってよかった ---------------------------- [自由詩]ゲート/高橋良幸[2015年11月26日21時00分] 天井は高く 空も高い 搭乗のアナウンスは 行き交うスーツケースと人ごみに まあるく 反響する この(ゲート)までは 誰でも爆発できます この(ゲート)からは *****だけ爆発できます May I have your attention, please? 俺は少しアテンションした 天井は高く、 壁も高い ---------------------------- [自由詩]尾行/高橋良幸[2015年11月30日19時44分] 日が短い秋の夕暮れに気づいた 俺はあとをつけられている、 たしかに後ろで何かが擦れてリズムを刻んでいる こうして気づくことはその音速と 歩くスピードの関係で起こる現象だ 俺は尾行者に通告してもいい 気づいている、というサインを音速に乗せてもいい 歩みのスピードを0にする 音速のコントロールは気にする必要がない 俺はあとをつけられていた、 ただし俺自身が背負ったカバンにだった こうして気づくことはその自意識と 自意識過剰の関係で起こる現象だ 俺は尾行者に通告される 「お前は立ち止まってしまった、そうして考え込んでしまった、」 気づいている。というサインをまだ音速に乗せられない わかっていた、迷うから歩いていたことを 迷いながら歩いていたのだ もし立ち止まらなかったとしたら歩いていたこの先に 立ち止まった俺がついていけるのか 俺はあとをつけていくのか、どの俺の あとをつけていくのだろうか、 立ち止まったまま暮れそうな寒空に耳を澄ましている ふりしきる紅葉がカサリ、カサリ、擦れて 冬を尾行していくリズム、リズムと いま歩き出すしかない音に似た鼓動、こどう ---------------------------- [自由詩]2015年、水たまり/高橋良幸[2015年12月4日20時51分] かがみこんで 更新日の底に沈殿した URLをそっとつつく 日常がさかさまになっている水面まで 素朴なhtmlが入道雲のようにつたい またおりてゆきながらピクセルに散る ブリンクするウェルカムと 透明の輪郭がぼけているイメージと 中央揃えされたタイトルと <あ ふれる=分解を待っている>言葉の</あ>りか 黙読がかわいた空気を揺さ<ぶり>、 寒風にかすかに鳴る電話線のケー<ブル> やばいぜ・・・気づけば2000年から 15年も経つのか、15年て長くない?そして早い 私もテキストに大なり小なり書いていた、私の 遠い目がピントを失い 水たまりに映った、私の </からだを></ふと、みる> ---------------------------- [自由詩]シングルワン、二人/高橋良幸[2015年12月6日20時43分] リケジョが婚活 ノケジョが就活 そんなニュースが流れる一年 俺はカノジョと生活していた ドボジョがゆう活 スージョが菌活 そんなニュースが流れる一年 俺はカノジョと生活していた ---------------------------- [自由詩]一億、総詩人社会/高橋良幸[2015年12月10日18時47分] *テープ起こし* 一億総ナントカ社会においては、一億人の集団意識をまず、切り刻まねばなりません 同調しすぎ、硬直するのが我が国の悪弊でありますから、近所のゴミ拾いでも人のメガネを拾わない、 どうせ俺の眼に合わないから拾わない、と宣言する、そういう市民であってほしいのであります 人の言葉を目にかけてから眼にかけないのは、詩人ぐらいのものであると、そう伺っております (と、これはソーリがおっしゃったことですし、わたくしの意見ではございません) 我が国の社会におきましては、何の気なしに一億人がいつの間にか同じメガネをかけております 一般的なメガネ店と異なりまして、詩人は詩をひとりで作るわけでありますが、 ピントを合わせて作るのが、どなたの世界が見えるようになるのかということにおいてはですね、 いずれにせよ「度を、合わせてください!」などと言われて何度もレンズを調整をしておりますと、 それが良いことなのか悪いことなのか、混乱してきた、というのが詩人ではないかと思うに至るのであります (と、これもソーリのおっしゃったことで、いまさら混乱と言われてもわたくしも困ります) 混乱しては困りますので、そこを分かり合えたことにして同じメガネをかけてしまえばですね、 右、左にかかわらずどの詩人も、憲法第9条がどういうレトリックなのかにつきましても、 口をつぐんでいるわけでありまして、【速記止まる】 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(あ、そこのあなた!法律にレトリックもクソもあるかと思ったあなた!) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(あなた詩人の才能がありますよ!(法律家の才能あるとしても黙っておく)) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(あなたの言葉は法律ではないので、詩に向いてますよ!) (確かソーリにとっては本音と建前の最高規範でしたよね、その場合隠喩ですかね) 先ほどは失礼いたしました、不適切に受け取られる言葉があったと、そう理解しております その点においては、わたくしの不徳のいたすところであったと、こう認識しております 論点を戻しますと、この場合メガネのですね、屈折率が世界の見え方を決めているわけでございまして、 詩人においては読み方自体が屈折しているものですから、【速記再び止まる】 ・・・えー、いえ、屈折しているというのは、貶めようなどという意図は全くございませんでして、 変化に富んでいて素晴らしいということを屈折率に絡めて申し上げたかったものですから、 (ソーリ、ソーリ、もう時間をずいぶんとっています、無駄に長いと揶揄されてしまいます) 一億総詩人社会ならば、わたくしも同調と硬直を気にせず安心して寝られる、こう確信するわけであります 安心してポエムも読めるし、安心してシュプレヒコールも聞いていられる、 一億とくくられながらも、ばらばらでいられるのは詩人ぐらいのものと聞いておりますゆえ、 反戦の詩など戦時には役に立ちませんから<ヤジで聞こえず>詩人が!詩人がですね、 詩人が詩作品で詩人を増やしていく、これからの我が国を、かような社会にしていきたいと、 そう思うわけでありまして、ここに、一億総詩人社会を、提言するに至ったわけであります (トーベン終わり) ---------------------------- [自由詩]爆買いの世紀/高橋良幸[2015年12月25日20時00分] 静かな冷媒の音 誰かの企画が売買されている音 主張された封止のデザインを ただ商品として見ること 喉の渇きを覚えるまえに 百円玉を入れること なあ、ボタンが点灯するのに あと10円足りないぜ けど10円を入れても買いたい、 気持ちが足りないあなたはいったい どのボタンを押そうとしている 飲みたくもないものを 気分の転換にもならないものを 喉が渇いたら買わなければならない ものをつぎからつぎに路面へ 注いでいくのが 香料と着色が泡を立てて 混ざるのを見ているのが いい気分ですか もう口をつけられなくなった川が 向こうへ流れ、排水溝に落ちるのを見て 思い出しました あなたとこんなことをいつかもしていた 私たちの前には棚があって、 販売機があって、籠があった すごく欲しいわけでも無くてそれを買って あの川、インダスの岸辺に書き残したこと 黄河の土手で石を並べたこと 小さな空きビンをまたその手が握っていて 文明は一度、終わったのではなかったか ---------------------------- [自由詩]玉川上水/高橋良幸[2015年12月30日19時00分] 年の暮れにすっかり見通しのよくなった玉川上水を歩く 日差しというのは本当にこんなものだったろうか 木陰を求めなくなった皮膚が季節を飛び越え あるいは目の前の季節以外を忘れてしまったみたいだ 足の甲まで重なった落ち葉は確かに一年分の営みの結果なのだろう 多摩から江戸まで歩いて1日以上かかる道のりで 上水はずいぶん深く掘られている 今は都心まで行けずに三鷹の少し奥で途切れているが 端から端まで歩けば忠告の石碑が置かれ 記念の松が植えられ、武蔵野市では手入れが滞り どのように江戸から東京まで続いてきたかがわかる 先を行く子供がいる 後を歩く老人もいる 落ち葉を蹴り上げて進めば 後ろからも似たようなさざめきが聞こえてくるのだ ず  ず ざ     ざ ざ ざ あまりのさざめきの大きさにおどろき 振り返る 平坦な道があった場所には 落ち葉の壁が積み上がり (これは壁というよりも、坂だろうか) さらにその奥までも埋もれているのが見えた 見通しが良いばかりに一年分以上の 落ち葉が重なって見えたのかもしれない いったい何年分の厚みだろうか 遠く見えなくなるあたりでその壁(あるいは坂)は 梢まで迫ろうとしていた 低空をゆく太陽を 捉えられそうなその高さまで 梢の高さに思う 振り返ればこの木々はそれだけ低く、若かった 今の若木が将来そびえるだけの年月 僕は知らずに託していたのだ それは偶像のようなもので くぐり抜けることができるもの 時間のトンネルに喩えられるもの ベージュ 絨毯 黄金 冬の玉川上水 再び歩き始めると背後の落ち葉は その勾配を少しずつ崩れて 歩く一歩先を埋めようとしてくる 勾配が終わった場所で いつも僕らは暮らしている それは一年草が枯れていく場所だ あなたが生きていて 僕も生きている けれども一緒に過ごせる時間は こんなに短い 今年も一年をひとくくりにしようとする番組が いつの間にか歌合戦になっているはずだ 言葉が知っていること よりも体が知っていること のほうが多くて そのためにまた、書き記してしまう 万物の理を僕らは体現し続けているのに 今年もまだ計算を終えられずにいて かといって、歌う歌はいつでも正しい そうだ、歌え、歩け、口ずさみながら 東京からトーキョーまで歩く人間をくぐらせていく 並木道が僕らの希望の拠り所だ ---------------------------- [自由詩]三人寄らない/高橋良幸[2016年2月9日20時07分] 深層学習の時代に いつの間にか 生産中止になっていた 色付きの碁石 三人目 の人間たちがこないまま 私たちの票と 反対派のそれを 採決しようとしていた (いずれはまつりごとも電算処理されて、ことばはうたに還るだろうか) いにしへのひじりのみよのもんじゅのちゑ しんぎゅらりてかけろとなきぬ ---------------------------- [自由詩]きみを溶かしたら、たぶん空色になると思う。(ゴル投稿長考版)/高橋良幸[2016年2月18日21時40分] ニュース画面に映る空はいつもあんな色だろう。それが青色だって即座に思い浮かべてしまうのかもしれないけれど、ふと気づけばもう夕暮れが終わりかけてる、なんて時もある。光が散乱された結果としての単なる色彩のグラデーションなのだとぼくらは豆知識として覚えていて、もしかしたらきみなんかは関連する数式の幾つかをそれとなく覚えているかもしれない。ああいう将軍様のロケットだとか、下町の人工衛星だとか、飛んでいく原理はおなじだとして、載せている夢はどれだけおんなじなのだろうか。飛翔体はぐんぐんぼくらから遠ざかって、やがて肉眼だけでは色を生んでる粒子との区別がつかなくなってしまう。まるで遠い世界の出来事を、単なる情報が散りばめられたグラデーションとして捉えてしまうように。たまにあるだろう、まっすぐな道のずっと先が電柱とか電線とかごちゃごちゃしたもので埋め尽くされていて、空を薄く塗ったような色になっていること。 だから、これはそういう消失点の話だとも言える。見えなくなってしまうということが、溶けてしまうということのもともとの定義だって。それでさっきの話の続きをしたいんだけど、あの夢はきみの夢とはどれだけおんなじなのだろうか。いや、答えづらかったらいい。でも、きみがずっと遠くに行ってしまう前に聞いておければと思って。 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まな板の上の成し遂げられなかったものたち その代わりに何かをしなきゃ わたしは悔しくて 自転車のまま この坂道をのぼり切ってやる ---------------------------- [自由詩]GATE-B2(ゴル投稿長考版)/高橋良幸[2016年3月6日21時54分] 青看の行列が覆い尽くしていくのが空だぜ それがほこりまみれの吹雪じゃ飛ぶはずがないよな 上司同僚と催事めいた挨拶を交わして事務所を出たら 俺は空港における状況の逐一を嫁だけにメールすればいいのだと思った 君にとって飛ばない方がいいというのはありがたいことで 〔保安検査場〕を通過するときに皮肉交じりの冗談は隠した ガスボンベと缶ビールを見分けることはできるだろうか ガスを封入したビールの缶は冗談で済まされるだろうか 平文で書いてみて文字から欠落したものをはかりきれるだろうか 口をついて出ないように鼻腔の膨らみの奥にしまったものは結局 得策といういいわけめいた湿度の低い空気に誘発され 鼻水とともにくるんで捨ててしまった 新千歳の一面の窓とその向こうにある接続先の無い廊下 機材という呼び名にいまだ慣れないまま その繰り方の結末を待って搭乗口を睨んでいる 通過のタイミングが制限されることは音楽にも似ている ヘッドホンの奥でプレイリストが一番先頭に戻って リズムマシンが規則的に〔Hi-hat〕を刻んでいた 少し上手に君を揶揄できたとして 欠航の可能性を十二分に予告されるシステムを当然に思ってしまう風潮に 通り抜けていくこれからのあいだのことについて 俺もつい釈明の先手を打ちそうになる けれど名前は標識に過ぎないのだったら 〔ゲート〕はくぐり抜けた後に無名ともなるはずだ 間違っていてもそれを確認したあとで許してもらえばいいだけじゃないのか 俺は 今日も〔そこ〕を名付けて通過する 通り抜けた〔場所〕はもう目の中にない ---------------------------- [自由詩]アンインストール(ゴル投稿長考版)/高橋良幸[2016年3月26日21時26分] ふりかえる と誰かが押下した起爆装置だった 粉塵をかいくぐってくる 音速以上のものたち 重力を必要としなくなった動作は マリオネットのように崩れる 排熱しようとする換気装置の こころの換気装置が、 正しい演算を求める熱を捨てられず 果ては 不完全性定理の 不正な引用を始める 論理の起点は感情にあり(人間がマシンでないことを条件として) その起点の正しさはあなたがいないと証明されないのだ 昨日消えたあなたの正しさは 私の正しさための正しさでもあったのに 今日も私たちは作業に忙しい インストールをして アンインストールをする ---------------------------- [自由詩]ときあかす/高橋良幸[2016年3月26日21時33分] 色あせた空やアスファルトを塗りに行くだけならやめておいたほうがいい 外は灰色 長い冬のあとも忘れぬ雨の匂い 街は濡れその色を自ずと濃くする 足音は秒針よりも少しだけ速い 白昼夢は一番星のような天体 足元や透けた傘に思い出した音が煙る あの歌声はまだ響くかな 数週間も野ざらしのブラウン管に映り込む景色はやさしい色をしていた スローガンだけの相変わらずな生活は その向こうにどう映っているのだろうか スピーカーが音を拾うように RGBに分解された一瞬の映像が 錆びたレジスタに蓄えられているはずで 脳裏にはそれが数十光年先まで広がる 捉えた光はいずれ頭蓋の闇に消えてしまうから 繋ぎ止めるために音楽を練る わきあがる像も伝える光にはなれぬから 反芻した言葉をそれに重ねる 足音は秒針よりも少しだけ速い 自意識は真東から昇る天体 足元や透けた傘に創り出した音が煙る 匂い始めた夜の空気に何かあるはず 世界は瞳孔が拾う五ミリの円い光=天体=丸い天体 ---------------------------- [自由詩]歌ったり踊ったりしているあいだに(ゴル投稿長考版)/高橋良幸[2016年3月28日19時03分] 天井は青空かもしれない 僕はそれでもいいかと思う 天井はブルーシートかもしれない 僕はそれでもいいなと思う 天井は無垢の木かもしれない 僕はそれならいいねと思う 天井は無くて、トタンの屋根かもしれない 僕はそれもいいかと思う 天井は無くて、どこかの高架下かもしれない 僕はそれもいいなと思う 天井も屋根もない、かつての屋根裏かもしれない 僕はそうならすこし悲しい ダンスホールで また出会えたらいいのに ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]のどぼとけ×時間×エクスペリメント/高橋良幸[2016年4月2日9時45分]  2月末、祖母の納骨式。仙台市青葉区中山に向かうバスが電子音声でぎこちなく次の停留所をアナウンスする。続けて紹介されるクリニックか何かの広告は人の声の録音だった。割安で電子音声の広告枠を用意したら需要はあるだろうか。昼を過ぎて、それでも雪が降りそうな気温の中、お寺を待たせていた叔父が小走りで戻ってきた。骨壷から取り出した袋のどこかに、のどぼとけがある。墓石を閉じて、読経が始まる。ほとけの教えが骨をふるわせる。焼香が済んで、帰る坊さんへ心付けを渡しに、叔父がまた小走りであとを追いかけて行った。お寺の車が汚いことには意味があるのだ。  3月になって、渡し忘れていた香典を送った。札幌からではなくて、長期出張先の東京から。東京は新幹線で仙台まで行けるし、中央線に乗れば行きたいライブに行ける。渋谷公会堂、新世界、アサヒアートスクエア。出張中に無くなる場所が多いように思ったが、親戚一同で祖母の家を祭りのように整理整頓のと同じく、札幌でも仙台でも場所がなくなることはよくある話に違いない。  ここ10年ぐらい、朗読のイベントには縁がなかった。10年前の札幌はWords...という名のイベントをはじめ、小さな言葉の催しがいくつか企画された頃だった。俺は何度か参加させてもらって、膝の上で鍵盤を弾きながら足でリズムを刻んで、詩というよりは歌詞として言葉を喋っていた。音だけが鳴るような音楽をやっていた友人からはそんなにいい評価ではなかった。詩の朗読は、そこで初めて鑑賞するべきものとして聞いた。今札幌で何か別のイベントがあるのかは知らない。  脳の信号の流れに近いのは詩の朗読よりも歌だと思う。同じ歌を歌えば、そこに同じ信号の経過があることを確認できて安心する。歌はイントロからエンディングまでの不可逆な時間の流れがある。対して、詩は明確な時間の流れを持たない。時間を重畳させていたり、時間を俯瞰させていることもある。そしてその時間の展開の仕方は読者に委ねられている。ラッパーはラップをしている時がラッパーで、シンガーは歌っている時がシンガーで、詩人は詩を書いている時はそうだとしても、時間の流れの中に身を置いて詩の朗読をしている時は詩人なのだろうか。  3月初めに見に行ったポエトリースラムジャパンでは、時間経過を意識した詩が多かったと思う。朗読する詩の内容が時間経過を持つということは、詩の内容の展開の具合を、朗読者側と観客側で時間軸に沿って同期を取ることができるということだ。歌がメロディーを繰り返すように。3分の長い詩を朗読するときに、同期がとれることは大事なことだと思った。その時に詩人は詩情を伝えることができているという意味で、しっかりと詩人であったと思う。他にも大事なことはいろいろあるだろう。標準語でない詩が良かったのも理由があるはず。  現代詩は伝達の試みの地平にあるものだと思う。伝達可能な言葉と、伝達不可能な言葉の境界にあるものだ。朗読は声と体とによって、伝達不可能な部分の情報量を増やすことができるかもしれない。しかしそこには「一次元の時間の進行の中で」という制約がつく。詩情の展開が、時計が刻む時間の関数ではないのだとしたら、たちどまり、ふりかえり、視野の外で他の連を盗み見しながら行っていくものだとしたら、そもそも声があって初めて成り立つ詩など書けるのだろうか、歌に近づかないようにして。そう考えていると、朗読というものは詩に不利な面が多い気がしてくる。ノイズだけだったり、リズムのなかったりする音楽には心を預けられるのに、朗読はそういかない時がままある。俺のよくわからない好き嫌いのせいかもしれない。でもそれを別にしたとして、その場合朗読は何が良いのだろうか。  朗読用の詩。朗読があって成り立つ詩。それは活字だけになったときに成り立つだろうか。優勝した方の朗読は抜群に良かったし、新しいものに聞こえた。活字だけになっても、詩として成り立つもの。ゲストラッパーのパフォーマンスもとても良かった。でもそれが朗読だったらどうだろうか。黙読用と分けて、朗読のための文章を書くのなら、それをラップや歌にしない意味は何なのだろう。長丁場で一人でいたせいもあるだろうが、ポエトリースラムジャパンから帰る頃にはだいぶぐったりしていた。その数日前に六本木で見た音楽のライブの浮き足立った帰り道とは全く異なっていた。  もやもやした気分を晴らすためには、オープンマイクに行くしかないのだ、と思った。見に行くだけじゃダメだよなあ。10年前のことを10年ぶりに練習して。結果として、3月末に参加したオープンマイクは自分の出来はともかくとして、見ている分にはとても面白かった。ポエトリースラムジャパンと印象が違うのは、場の雰囲気のせいだろうか。それとも朗読に似合う箱の大きさがあるのだろうか。実験音楽がその界隈だけの小さなライブハウスで聞かれているように。試みに合う箱の大きさ。その集いとしての大きさ。  現代詩が一般的に広く読まれてしまうのであればそれはもう現代詩ではないのかもしれない。試みとして閉じていても、ある程度仕方ないのかもしれない。それに対して朗読は開かれている。声が誰の耳にも届いてしまう。試みに合う箱を超えて。知己や親密さを超えて。朗読は誰もの耳に届いてしまうこと自体が試みなのかもしれない。PSJで優勝した方の朗読が新しく感じたのは、現代詩の地平と朗読の地平を両方模索していたことに加えて、何かがあったのだと思う。定型から離れた日本語の朗読は現代詩と歌のあいだでまだまだ揺らいでいるのだろう。その境界を試す場所がある。現代日本語が古典となるまでのあいだに、日本語を母語とする人間はどれだけその境界を突き詰められるだろうか。  広告のアナウンスが完璧に綺麗な電子音声で読み上げられて、人間がそれを心地よいと思ってしまう時代が来たら、声帯は退化を始めてしまうかもしれない。心地よさは商機につながる。美声以外は商業から駆逐されてしまうかもしれない。それでも、電子音声がいかに琴線に触れられるかを競う傍で、生身の朗読が目指すものは今と変わらないはずだ。日本中のお墓にしまわれていく、のどぼとけの試作品と完成品と。 ---------------------------- [自由詩]もと居たところ(ゴル投稿長考版)/高橋良幸[2016年5月28日19時14分] 「生きている」  この世界に 「生きていた」  あの世界に ああ なつかしいな 西暦があった世界の2000年頃に わたしのバリエーションが詩を書いていた おそらくそんな世界があった それは確率論から導かれるお話だ どこかの国の暦 惑星が周回する単位 だれかが数え始めた自然数 それらの存在を掛け合わせた世界 それをなつかしむわたしがいる世界 わたしはわたしの存在確率が0に漸近する中 生きてきた わたしのバリエーションは皆 死んでしまった 人間が2人生きている確率は人間が 1人生きている確率よりも ずっと低い そんな事情で 次のインフレーションを待つまでの間 もはやわたしはひとりでいるしかなかった わたしが最後をつとめる宇宙の時間は わたしにとって、長い時間だ 独学で多世界の精神を統合する術も学んだ 遠い世界の記憶は曖昧で とはいえいろんな場所にわたしは居た 独居房では幻覚を見るのだという そんな世界もあった それでもわたしはわたしの知れることしか知れなかったな そう思うと宇宙の時間は長いようで短かった 他の誰かはこの極限の時間で 他の宇宙に住んでいるのだろうな、ひとりで 夢でいいから会えないだろうか (会ったかもしれない) 会ったかもしれないな ああ なつかしいな あの新緑のにおいがあった頃って ---------------------------- [自由詩]一日中雨の日にバイクが過ぎる(ゴル投稿長考版)/高橋良幸[2016年5月28日19時14分] 寛解、というのだろうか 表面が四方に向かってひかっているさまを見ろよ アスファルトの単位、瀝青のかどを水滴が打って 二次元の広がりを持つ表面を 雑音には継ぎ目がない 日常に継ぎ目がないほどに 雑音には区切りがない 惰性に区切りがないほどに 出掛ける支度を渋っているうちに タイミングを逃してしまう、きっと 急ぐなら うす暗い部屋にあかりをつけて 水たまりが深くなる、 水紋の重なりが千々になるほど 見合わせた顔に潜んだ隠しきれないものを わずかに緩んでゆく口元を見い出しやすくなる 億劫さの中にある異質なもの 暗がりに並べられたそれらを頼りに 玄関戸でくぐもっていた世界を開ける 大ぶりの傘と 濡れてもいい靴と あまり濡らしたくないかばんと 打ち付けられる私たち 雨音は硬質なウィンドスクリーンとなり、駆けていく 透明なナックルカバーとなって 継ぎ目なく街の向こうに 駆けていく ---------------------------- [自由詩]コアラぼっち.(ゴル投稿)/高橋良幸[2016年5月30日19時31分] 満月の夜に抑えきれない ハムストリングから踝に伸びる衝動 戻りたい、小村に 途方もなく敷き詰められたアスファルトを蹴って (それでも行き先がわかるのは、  道が、  国道が、  県道が  人の行く道を伸びていったからだ) そして人狼のごとく 村人を一人殺める 息を潜めた、こむらがえり.     あ、コアラの話なんですね、小村に戻りたい大村さんじゃなくて。     さしずめそうなると     コストラリアですよね、オーストラリアではなくて。 新月の夜に誰にも悟られず 僕と君だけの屋外の儀式をしよう シルクのような布を 木綿のような布を 公衆の面前で取り払うように 暗闇で新築の僕らは まだ青看板にも載っていない (それでもゆきさきがわかるのは、わかるよね、わかるからだ) そして新しい舞台が始まる 新しい共鳴と新月のような照明の、こけらおとし.    ああ〜、コアラの、話なんですよね、シドニーのオペラハウスじゃなくて。    さしずめそうなると    コペラハウスですよね、おおっぺらに言ってしまうと。 三日月のようだ、炭酸というのは そのまま喉の奥で溶けてしまいそうだろう だいぶ小さくなった飴のように 鋭利な刺激を残しながら 深夜には忘れてしまう 砂糖ではないものの甘味だとか ミントのような空気 だけと覚えている人がいるだろうな 緑のような、赤のような、 感覚器官のような、コーラペプシ.    コーラのオーラがあるよな〜〜〜(あるある(ないない))。 的コアラぼっち講座 ---------------------------- [自由詩]波うつカーペット(ゴル投稿)/高橋良幸[2016年5月30日19時36分] 波 ただドローンが飛んだだけ Bボタンで追尾して Aボタンで発射する 無人が狙うゆうじん 救命ロボットが僕たちを守ってくれるなら 戦争が勃発するのかもしれない そんな予感をさせるテレビ番組が 波に乗ってきた ドローンも波に乗っていく うつ ゆううつは川面を打つ雨だ 東京の想像上の梅雨だ 妻は札幌に梅雨がないという 本当の梅雨が来たらうつだわという 氷河期が来るんだとか 地球の温暖化が進むのだとか そんな鬱屈したテレビ番組が 波に乗ってきた 川面に無数の波紋が立つ カー カーと言ったらミーだ そこらへんはツーカーだ ゆらゆら帝国ミーのカーにのせて マイナンバーカードの到着を知らせてくれるのが俺の嫁だ 何か足りないミーのカード 曖昧にアイマイミー 番号をつけることはそういうことなんだ マイナちゃんが波に乗ってやってきた 俺はうちがばれないように波風を立てないぜ ペット マイナちゃんはうちのペットだ そして俺はマイナちゃんに番号をつけられた マイナちゃんが空を見上げた あれはドローンじゃないか 雨粒ほどのドローンじゃないか 雨粒ほどのドローンの大群じゃないか ついに札幌にも梅雨が来たのだろうか ナンバーに紐づけられて飛ぶ 俺はマイナちゃんの機嫌を損ねてしまったのだろうか Bボタンで追尾して Aボタンで発射する 居間のカーペットが波打った ---------------------------- [自由詩]からだのもちぐされ(ゴル投稿)/高橋良幸[2016年6月1日18時17分] しまった こまったなあ おれゆうれいなんだけど このからだ どうしようかなあ 正直重くてじゃまなんだよな なんだろ 成仏とかじゃないんだよな タダだからってもらってきたけど いらないものってあるだろ まさにそれさ 昨今は余ってるみたいで、からだが 軽い気持ちでもらってきたんだけどね たまに便利ではあるよ 最近のキカイってフクザツだから ビデオテープみたいに呪いをかけたりできないし カセットテープみたいに奇声も入れられない 今はさ、メモリーのアドレスをちまちま正しくヤンないとさ エラー訂正されちゃうんだよネ そういうのっていらいらするじゃない ゆうれいになってまでイライラしたくないし そういうときに 役立つんだよなあ ちょっとここをクリックしたりとかね ヘイ、シリ なんて言うときに、からだが A.I.なんてゆうれいみたいなもんだろ 最後の文字がいっしょだもんな 生きてる奴らがさあ ネットとかで思念だけの活動をしてるから どうやらあまっちゃうらしんだよね からだがね この先ちゃんとしたA.I.が出てきたらさ 余計あまると思うんだ こころの量とからだの量のバランスね そしたらおれたちもっと困っちゃうよなあ ゆうれいになってもからだひきずっちゃってさ まあそういのはおれも最近ネットでみたんだけど だからなんつうの生きてるのと変わらないんだよなあ 暇つぶしにはなるけどね なんか先祖に怒られそうだろ こういうモラトリアムみたいなことばっかしてるとさ ゆうれいになって先祖に怒られるって悲しいじゃん おれも先祖じゃん その先の先祖っていつか猿になるはずじゃん そしていつか海の生き物になるはずじゃん どのあたりから怒られんのかおれ 言葉の出来たあたりかな でも言葉無しで威嚇もできるし まあ、単細胞からは怒られないだろうか でも怒っちゃうかな、単細胞だし 怒りっぽいひとは輪廻転生してくれてないだろうか 生きてる奴らには悪いけど とか考えてたら ヘイ、シリ 今は何時なの こんな時間 腹もへったし 晩飯にしようかな あ、おれまだ生きてたわ ─────────────── 即興ゴルコンダ(仮) http://golconda.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=5379432#11633904 投稿 ---------------------------- [自由詩]蛍祭り(ゴル投稿)/高橋良幸[2016年6月3日6時52分] 国分寺の一角に 蛍が見れるかもしれない小川があるらしいのです 都会の片田舎にそんな場所があるのです 蛍にとっては幸せでしょうか 梅雨が訪れようとして 静かな祭り囃子が聞こえてきます 消えていく自然を嘆くお祭り そのお祭りで 人間がいつも以上に自然に気を使っているのは滑稽なことです ねえ、滑稽ですよね 残酷とまでは言いませんが マッチ・アンド・ポンプそのものだと思います 珍しくなると祭りになります いなくなると祀られるのです くじらまつり まぐろまつり さかなまつり エトセトラ エトセトラ すべてちまつり エトセトラ。 有機のからだは 暮らし辛くなっています ねえ神様 神型人間の私たちが 人型ロボットに祀られる日も そう遠くないのかもしれません ━━━━━━━━━━━━━━━━ 即興ゴルコンダ(仮) http://golconda.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=5380833#11636753 投稿 ---------------------------- [自由詩]阿呆鳥(ゴル投稿)/高橋良幸[2016年6月28日19時41分] もうすぐ、飛び立てる そのとき、捕まってしまう 体温が 髪の毛の隙間に宿していた 検討中の断片は段落を作らないまま 刈り取られて シュプレヒコールの羽毛になる 古本のようなデコイ 承認を強要する印影のシール 容易にそれを貼るのだね 鉛筆で手書きする 誰かの名前を いつの時代になるかわからないが もしも生かしておいてくれさえすれば いつか飛び立てるはずだから むしられた羽をそう追いかけるなよ 阿呆鳥 ────────────── 即興ゴルコンダ(仮) http://golconda.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=5396519#11668042 投稿 ---------------------------- [自由詩]VR海岸(ゴル投稿)/高橋良幸[2016年7月5日19時05分] 水平線が見えて (水平線が遠くに) 砂浜がある (足元に砂浜が) 見上げると (あわてて束ねたような空が) 振り向くと (後頭部の景色が見える) ヘッドホンから聞こえる波のような音 (あわ立つ海と、からだ) 季節はわからないけれど (誰もいないから) 荒涼としているから (冬なのだろう) 冬なのだ 隣で (後ろで) もういない人が歌えば 私たちは泣いてしまう (匂いなどなくて) 解像度が色を 塗っているのだとしても (なめらかな視野の果てた先に) 何もないのだとしても ────────────── 即興ゴルコンダ(仮) http://golconda.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=5401070#11676542 投稿 ---------------------------- [自由詩]センコウ(ゴル投稿)/高橋良幸[2016年7月15日20時42分] 細く立ち上がる 灰に埋もれて 私は燃えていた 立脚という言葉が これほど似合う場所があるだろうか 先人の燃え尽きた場所に、 亡骸に支えられて立っていた 例えば砂浜に埋めた足のように 私がわかるのは皮膚の受け取るざらざらと 見渡す砂浜のなだらかさだ 地層学的なもの 先んじていたもの 潜れない私には思い描くしかないものだ 私は確かに燃えているだろうか 日々を煙に巻いているだけだろうか 燃えさしは確かに林立している(ように見える) 頭に火がつくのはどんな事象によってだろうか 閃くような言葉 それとも 灰を残す本分を 思い出した時だろうか ────────────── 即興ゴルコンダ(仮) http://golconda.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=5408228#11689907 投稿 ---------------------------- [自由詩]こんな日が(ゴル投稿修正版)/高橋良幸[2016年8月13日9時38分] くにやぶれて山河 みわたせばひとが 出国のゲートを過ぎて 感じる庇護のかけら 菊の花が咲く頃まで には、きっと帰りましょうね 私たちにこんな日が くるなんて山の日が くにやぶれても山があり 野に散っていった山ガール 関東の平野 石狩の平野 赤いともし火のようなともし火 なにがあったか教えてほしい 以心伝心でいいから ここでなにがあったの あの人を看取った野 くにやぶれて山河あり みわたせばひとびとが 入国のゲートをくぐり 感じる庇護のなごり いつか定めた祝日は 気にとめる人もわずか 掲げる旗もなくて 今日は今日のまま くにやぶれても 山の日がある ────────────── 即興ゴルコンダ(仮) http://golconda.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=5428220#11725892 投稿 ---------------------------- [自由詩]雨やみ上がり虹のハシまでいと電話するすると吐く恋人のサギ(ゴル投稿長考版)/高橋良幸[2016年8月28日19時21分] 純粋にコマーシャルの陽気な音楽に踊らされたという理由で 白老の海が消波ブロックに砕けている傍を車で クーラーに何かを充填しなければならなくて 充填しなければ冷房が効かない夏の日 波の音と 風の音と エンジンの音をむき出しにして 法定の60km/hが後方に遠ざかっていくスピードで 流体となった2車線の片方を走っていた 製紙工場の臭い煙が こよりのように尾を引いていく 青看に登別の文字 の・ぼ・り・べ・つ!と言えば く・ま・ぼ・く・じょう! (クマ牧場!)に併設された資料館には展示がある アイヌにとってクマは山の神だった 僕らはコンクリートの壁の上で100円の乱切りの人参を買って 片手を上げるクマの口に狙いを定めて放り込んだ そこからこぼれたものは多数のカラスに奪われてしまうが むかし隠れた太陽を引き出したという神話の中の功績で カラスは悪事を少しだけ許されることになっており クマは彼らを気に留めはしなかった 檻の中にも 都市の中にも 野生と少しの悪意を持ち込むのが 焦げてしまった鳥の仕事らしい 鳥がいまも人と神を架け橋する 人間は人参をもう一袋買って またそれを放る 悪意がまだゴミ箱を荒らす前の街角で 僕らは大抵の計算をできていたはずなのに いつも完璧な曲線を引けず そのために札幌へと向かう国道36号線は歪んでいる 助手席でナビを正確に伝えられないまま 雨が降りそうなんて予報では言っていたが ここはずっと晴れていた 虹はきっとかかるのだけど ずっとかかりそうにないようにも思える 信じることはそういうことだから 信じきれないことを信じて 笑ってしまう 電線や枯れ枝からはカラスの糞が落ちてくる 運転席、運転席、 不完全なのが世界で、それを許すのが人間だって(僕が)言っている 完璧な話を聞いたらカラスを連れてくるといい 物語を作り込んでいく白鷺を白日のもとに晒すため カァ     もし人間が虹に追いかけられたら、虹に向かってこう言いなさい。     「おまえの氏や素性を知らないと思うのか。     おまえはそのむかし、下の天を司る神のむすめが編んだラウンクッ、お守りひもだぞ。     恥ずかしいとも思わずに、人を追いかけるのか」     と。すると虹は恥ずかしくなって、さっと消えるのだ、とアイヌは信じているのです。     ( 『アイヌの昔話』萱野茂著、平凡社ライブラリー、75ページより引用) あてにならない予報を聞いて 白く伸びていったこよりが色づいてしまうような時のために アイヌの呪文をメモしておく 色付いてもいいし 色づかなくてもきっといい 虹がかかる場所に虹がかかるのだ    ∩___∩    | ノ      ヽ   /  ●   ● | クマ──!!   |    ( _●_)  ミ  彡、   |∪|  、`\ / __  ヽノ /´>  ) (___)   / (_/  |       /  |  /\ \  | /    )  )  ∪    (  \        \_) ────────────── 即興ゴルコンダ(仮)http://golconda.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=5435147#11738483 投稿 のぼりべつクマ牧場CM http://www.youtube.com/watch?v=nMMl_45Bnns ---------------------------- [自由詩]もっと近くに(ゴル投稿修正版)/高橋良幸[2016年10月23日10時08分] 海原、だとか だれかの潮の、へその匂いを 膿んだ六月の、折れた傘を 膜のついたまま 肋骨にはしないで 竜骨にした 進んでいる、のか 走っている、風 青信号の点滅が 敷き詰められたような 海原 公転の速度で、わたしは わたしもあなたも 乾燥していって十一月の ストリートビューに、はりつけになってしまう 液晶画面の上で 町から外れてまだ真夏だった海岸 砂浜に3Dで残るテントを ぐるぐるともてあそぶ 六月、八月、十一月、繰り返す六月 何かを中心に回ることから、銀河の運ばれるスピードまで 合計したら目にも止まらないふだんのあなたと 今日もランデブーをしようとして、 わたしもあんなふうに残ってみたい ────────────── 即興ゴルコンダ(仮)http://golconda.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=5487829#11824057 投稿 ---------------------------- (ファイルの終わり)