たもつ 2020年1月29日18時15分から2020年9月5日12時22分まで ---------------------------- [自由詩]夏のコラージュ2/たもつ[2020年1月29日18時15分] 自動販売機で「夏の海」を買った ペットボトルの海を一日中見て過ごした 水平線には夕日も沈んだ 家に帰り 何処に行っていたのか聞く妻に 海、と答えた 妻は、ウソ、と呟いた 出会った頃から 僕らの指の形はよく似ていた 本当は海なんて なかったのかもしれない ---------------------------- [自由詩]祖父/たもつ[2020年1月31日18時39分] 祖父の名前をふと思い出して 口にしてみると 聞こえてくる祖父の名前がある 祖父は他界する間際まで 新鮮な毛布にくるまれ 駆けつけた親戚たちは その周りで酒や水を飲んだ 酒も水も飲めない子どもたちは 祖父、祖父、と言いながら 乾いた口のまま眠ったりした 毛布のなかで祖父はウナギが食べたいと言い ウナギは祖父に食べられたいと言い どうしてウナギが祖父の好物を知っているのか もしかしたら側で聞いていたあれが ウナギだったのかもしれない 祖父が息を引き取ると 親戚たちは、また今度、と言って 一人また一人と玄関から出て行った その中には今頃 誰かの祖父をしている人もいたはずだった 祖父が他界して何年経つか 指を折って数えてみるけれど どうしたら祖父の名前になるのか またあやふやになっていく     ---------------------------- [自由詩]お通夜/たもつ[2020年2月2日19時52分]     お通夜があって みんな傘を忘れている 窓の外には古くからある市場 誰かの窓にもあるだろう 県管理国道から小道を進み みんな歩いて進み 本当に歩いているから 誰もが参列者になる 海の近くでは建物の維持費も大変だろう、と 訳知り顔で太った男の人が言う この男が何を知っているというのか 人の命は模造紙のように壊れる 模造紙の何を知っているのか 喪主の女性が呟く 側にいた子供がそれを再現するように 晴れて良かった、と言う みんな傘のことなど忘れている イミッジすらない     ---------------------------- [自由詩]改札口/たもつ[2020年2月6日21時54分] 改札口から人が出てくる そんなこと言って 出てくるのが人である 時々そんなことがる 自分の部屋が改札口に直結している人は便利な反面 人の出入が多くて大変だし、退屈もするし 僕はそんな時 一日中、自動改札機を触って過ごす そうしていると心の底から 自動改札機を触っていると思えてくる 上司はそういうところが気に入らないようで 注意事項が改札前の掲示板に掲示される 何が書いてあるか良く読むと 実は白紙で何も書いていないから 本当は上司なんて存在していないのかもしれない なんて思っていると 改札口から出てくる上司がいる 自動改札機を触っているのを見ても 注意事項は掲示されないから 違う種類の上司かもしれない 上司が僕の布団を踏みならして行く光景を見るたびに 僕の部屋は改札口に直結していなくて良かった と、安堵する 続いて僕が改札を出ると 守ってあげられなかった人が笑っている 一番良い笑顔で手を振っている もういいよ、と言って欲しかった 言って欲しかったことは 何一つ言ってあげられなかったのに ---------------------------- [自由詩]夏のコラージュ3/たもつ[2020年2月7日22時46分]     壊れて動かない入道雲の下 燃えつきた花火のために 僕らはお墓をつくる 昨夜なぞったでたらめな星座の名は 天文書に記されることもなく 忘れられていく つぎはぎだらけの不細工な幸せ これから どれだけ生きることができるのだろう 生きなければならないのだろう     ---------------------------- [自由詩]入水/たもつ[2020年2月9日21時47分]    大塚駅前で砂鉄を集め終えると 人がプールになる 僕がプールになる 水に、むしろ 水が、の話として 全体的に集まればプールだよ 小型犬もゆっくり通り過ぎて 日差しを浴びる 僕を待っている水溜りの 端っこに、この夏一番のプールに なるのだそうだ、ため息が出ちゃう 出ちゃうね そして水に馴染んでいく 僕もプールになる その一歩手前の話だけれど 都電荒川線に乗って 早稲田で高橋君と落ち合い 人事の話をする 高橋君は入念に溺れる訓練を繰り返している 奥さんは元気にしているか尋ねると プールは僅かばかりの灯りを身にまとって 街の様子になる     ---------------------------- [自由詩]冷やし中華始めました/たもつ[2020年2月18日19時36分]     いつまでも、が終わらない 夏のいつまでも 冷やし中華始めました 写真より冷たくなっていく手 冷え性なもので、と 言い支えるせめてもの君 三丁目産まれの君 三丁目の人間はほとんど 一丁目に行く都合がない、と そんな君、一丁目は遠かったのかい 途中で力尽き 始まるものと 始まらないものとが ことごとく力尽き 冷え性が益々加速していく 膨張する麺 拡張するハム 薄いままやり過ごす錦糸卵 その他は冷やし中華界隈のこととして 手を温めれば終わっていく 冷やし中華始めました (君を愛しているのは内緒の話だ) 君にしかわからない言葉がある いつまでも、 引き止めない      ---------------------------- [自由詩]友人/たもつ[2020年2月20日19時23分]     窓の外に友人がいた 多分、窓などなかったのだ お茶菓子も随分と出さなかったが 窓がなかったのだから とても気は楽になっていく 何がそんなに友人なのだろう 適度なりに酒を酌み交わし 植物の栽培方法も嬉しそうに教わった 靴のサイズはほぼ同じで 他に比較するものはなかった それでも友人という言葉を聞けば 十人以内に思い出すのに そんなに友人がいるわけではなかった 生きることが得意で 生きることは大層に辛いと言っていた いくつもの輪郭と色で友人 形になって、その後だよ すべてが今日は言葉だった 崩れて何も残らない、と 手を取って笑った     ---------------------------- [自由詩]濡れタオル屋/たもつ[2020年2月21日19時38分]     水に濡れたまま 雨にうたれている 妻が傘の下からタオルをくれる いくら拭いても 濡れタオルだけが増えていく 妻は可愛い人 こんな時でも傘には入れてくれない 濡れタオル屋でもやろうかな と言うと それじゃあ私はタオル渡し係 と答えるから尚更可愛い いつまでたっても 雨にうたれるのは下手糞なのに 濡れタオルを作るのは 上手になっていく それでも可愛い妻は傘に入れてくれない 柄しかない傘に入れても 僕が傷つくだけだと知っているから また一枚 妻が濡れタオルを差し出す 水に濡れながら涙をこらえている妻は ほんのりと色気もある     ---------------------------- [自由詩]紙/たもつ[2020年2月25日23時29分]     苦い紙を足していく 食べ砕く 本当は駄目だって みんながそういう話をしている みんなは不特定多数 一様に挨拶をしていく 風に揺れて紙を足していく 誰も食べないし 砕かないし 僕は朝から紙以外のものは 食べ砕かないし 苦い カーブが甘く入りましたね、と 解説の◯◯さん ◯◯さんは不特定多数 挨拶など、丁寧にする 路地裏だって緩やかに歩く カーブは甘くもなるのに 紙はねえ、ならないんですよ、 と解説する◯◯さん そして足していく 食べ砕く僕の身体は 徐々に薄くなって 眠りに落ちていく 紙のまま、ずっと     ---------------------------- [自由詩]デス・スター/たもつ[2020年2月26日21時06分]     父と僕の妻が併走する 妻にとっては義理の父 僕にとっては実の父 父とはそういう人だった ダース・ベイダーにとってルークは実の子 ソロは義理の子 フォースも使えないし、 カーボン凍結で囮にするくらいしか 使い道のないならず者が義理の子になるなど ベイダー卿が御存命ならば大層お怒りになられただろう 僕が結婚して 両親は良い娘ができた、と大層喜んだ 妻とはそういう人はだった 今もそう 父は要介護となり痴呆も入った 体が動かなかったので徘徊はなかったけれど 心はいつも旅をしていた 心は走り続けた 妻は仕事を辞めて父と併走した デス・スターはまだかい 義父さん、デス・スターはもう破壊されたでしょ (俺達か破壊してやったんだけどね) ダース・ベイダーとはそういう人だった 父は僕が帰宅する前に他界した 最期を看取ることはできなかった 血の繋がりより 併走し続けてくれた僕の妻を選んだのだ 僕とはそういう人だった 今もそうなのか 恐くて妻には聞けない ---------------------------- [自由詩]待ち合わせ/たもつ[2020年2月27日20時33分]     待ち合せの間に珍しい植物を育てる 自転車に乗って行く 種は割と雑にして水は毎日あげる 毎日は確かにあって 待ち合せまではもう少し時間がある ついでに自転車の錆を落とす ホームセンターのフロアを歩き チェーンに差す油を買いに行く 準備が整っていると待ち合せ場所に 待ち合せの相手が来て やあ、と言って やあ、と言う この人が自分にとってどれくらい大切な人か 測るにしても皆と同じような言葉しか話さない せっかくなので、と相手から言われて 珍しい植物の果実を一緒に収穫する 待合せの間手塩に育てた植物の果実が この人に収穫されるのだと思うと 自分の何が悪かったのか 教えてくれる人はもう誰もいない それでも皮を剥いて食べれば 見た目以上に美味しいと 意見の一致がみられた ---------------------------- [自由詩]西陽/たもつ[2020年2月29日18時20分]     薄色の電車 駅に着くたびに 肋骨を触って 遊んだ 指先に水滴が集まって 見ていると きれいだった お父さんが、いい、 と言ったから 遊び続けた 手やその先が 優しい人だった お父さんを押すと 車窓からの西陽に 少し動いて 戻ってくる 電車に似た薄色の駅 お父さんは 一人降りた 捨てられた、とか 忘れられた、とか ではなく 置いていってくれた そう思う 何もかもが あの頃は すべてだった     ---------------------------- [自由詩]清水さあん/たもつ[2020年3月1日21時29分] 清水さあん、と声を掛けると 一斉に振り向く人たちがいる ざっと百人 ざざっと百人 鳥に換算すれば ざざざっと百羽 空も飛べる 清水さんはお裁縫が得意だった お裁縫が得意な清水さあん 一気に四十人くらいまで減る 犬猫が嫌いな清水さあん 右手の甲に黒子がある清水さあん 女性の清水さあん お父さんの名前がジロウさんの清水さあん 清水さん、久しぶり 最後に残った清水さん 意図した清水さんではなかったけれど 笑顔は清水さんそのものだ ---------------------------- [自由詩]駅に落ちていく/たもつ[2020年3月3日19時27分] 駅に落ちていく そう言って笑った父方の叔父 さっきから肩があたっている どうしたら落ちていくのだろう 父方の叔父、ねえ、叔父さん 夏の早朝の駅舎 点検する若い駅員 駅に落ちていく叔父 さっきから肩があたっている 駅から徒歩圏内の叔父の生家はいつも 消毒薬と人の匂いがしていた 父の生家もその生家だと思うと 父までもが駅に落ちていく おまえのお父さんはね いつもの三つ目くらいの話が始まり そこから先は可哀想に 父には何もない 駅ってそういうものだよ 美味しそうに、パフェ、食べてる 生きることばかりに詳しくなっていく さっきから肩があたっている ---------------------------- [自由詩]夏のお客様/たもつ[2020年3月4日18時12分] お客様が来て壊れた扇風機の話をする いつから動かない、とか 動かないから涼しくない、とか 壊れるようなことはしていない、とか その間にもお客様は松月堂のケーキを食べ 美味しい珈琲ですね、などと感想を述べ そういうことは電気屋か 家電量販店で言って欲しい 少なくともここは民家だし ローンだってきちんと数えれば あと十七年と三か月残ってるし そもそもお客様は左手を包帯で吊っているのに そのことにはまったく触れずに ひだ、と言った途端、ところでと また壊れた扇風機の話を続ける 壊れているのはお客様も同じなのに おかしいと思う 聞いた話を総合的に検証すると 扇風機を旅に連れて行きたいらしい 電源を探すのが大変そうだけれど 延長コードがあれば人はどこまでも行ける そうやって人は生きてきて これからも生きていく 話が終わったのだろうか 終わったような雰囲気で お客様が帰っていく そういえば 今日が夏の最終日だ ---------------------------- [自由詩]フォーエヴァー/たもつ[2020年3月7日8時53分]     フォーエヴァー 今日はね、フォーエヴァーについて勉強します 先生はね、勉強、教えちゃいます だってね、先生だもん あなたたち、生徒なんだもん 英語で書くと forever スペルは forever せっかくだから覚えて帰ってください だって、英語の授業なんだもん r、は巻き舌で ヴァ、は下唇を噛んで とにかく噛んで、歯を食い込ませて、血が出るまで噛んで 唇に口内炎があっても噛んで それでは私に続けて発音してください フォーエヴァー 山下君、上唇噛んでたよ はい、先生、偽物のフォーエヴァー見つけちゃいました それは偽物のフォーエヴァー 世の中はね、偽物にあふれているの 騙されちゃダメ それでは先生に意味を教えてください 木下さん、フォーエヴァーの意味を教えてください 木下さん、欠席なの それじゃあ、いつまでたってもフォーエヴァーの意味、わからないなあ 知りたいなあ、先生、フォーエヴァーの意味、知りたいなあ みんなも知りたいよね、フォーエヴァーの意味 木下さん、欠席なんだ それじゃあわからないなあ、いつまでたってもわからないなあ 欠席なんだ、木下さん それじゃあ、先生、辞書引いちゃおう パラパラパラ 今のは辞書を引く音 なんか、それっぽいでしょ パラパラパラ これはトタンに落ちる雨の音 トタン屋根に落ちる雨音を聞いて 私は育った 育てていたのは父と母 偽物みたいに 時々、笑って 時々、優しさが可哀そうだった なんて言ってるうちに引けちゃいました 先生、引けちゃいました フォーエヴァーの意味、わかっちゃいました それじゃあ、木下さん、教えて フォーエヴァーの意味、教えて 木下さん、欠席なんだ いつから欠席なんだろう いつまで欠席なんだろう 木下さんはいつから木下さんで いつまで木下さんなんだろう 先生、永遠に知らなくて良いことがあると思うの フォーエヴァーの意味みたいに 父はいつから父で 母はいつから母だったのだろう いつも一人で泣いていた母が あの日は父と二人で泣いていた 永遠に知らなくて良いことがある やがて辞書は閉じられ 何もいらないことが 唯一の望みだった     ---------------------------- [自由詩]引き出し/たもつ[2020年3月10日17時27分] 午後が落ちている 歩くのに疲れて 坂道を歩く 人だと思う エンジンの音 やまない雨の音 降り積もる 昔みたいに 曜日のない暦 夏の数日 確かに生きた 覚えたての呼吸で 何も残らない すべてが愛しすぎて 朝の手 夜を触る 音のない言葉 共有の嘘 引き出しを開けてごらん 虹が入っている ---------------------------- [自由詩]追悼その他/たもつ[2020年3月12日18時19分] 鉄を歩く 乗りもの置場の跡地 人は生きる 舌の根が乾く 抱きしめられたまま 父などは逝った 公民館に隣接している朝市で 複数のものを見る 入れるものがないのに さっきからポケットが足りない 空に穴を開ければ 犬の通り道だ ただ走れ、犬 口ごもってはならない ---------------------------- [自由詩]生活/たもつ[2020年3月20日10時08分]     とり急ぎ、という言葉を初めて聞いたとき 鳥も急ぐのだと思った 正確に言うと へえ、鳥も急ぐんだ、と思った それはユウコの初めての言葉だった 今思えばあの頃 鳥は皆、急いでいたような気もする まだ急いでいるものなのだろうか ユウコは青白い顔色で 都会が良く似合った 生きる音がしていた 指は幾度となく紙をなぞり 影は指と紙との境目をつくり 指を辿れば そこにはいつもユウコがいたのだった ここは立地が良い、悪い、というのが好きで とりあえず、という珍妙な言葉を 生まれて初めて聞いたのもユウコからだった 鳥は会えないのか、和えないのか そこのところはわからなかったけれど ユウコの言葉の中で鳥は鳥として生きた ユウコにはユウコの十年があった ユウコとの十年があった たとえ息を吐くだけでも それは生活でよかった   ---------------------------- [自由詩]春に沈む/たもつ[2020年3月23日19時50分] 人が沈む 沈むのに言葉はいらない 臭い肉体が一欠片あれば良い 沈む先が行き先 水底ならばそれだけで幸せなことだ ただ沈め 美しい時代もある 酷い時代もある すべては時代が理解してくれる 吉田屋の水羊羹は食べたかい あれは美味しいよ 身体の一番遠い所まで甘さが行き渡る 生きている気持ちになる それなのに人はまだ 命の重さすら正確に量れない もうすっかり一面の春だ 乗り物置場に新しい乗り物が置かれていく 固く握ったそれが希望ならば 決して手放してはいけない どんなに小さくても いつか免罪符になるのだから 言葉など無くても 饒舌にただ沈め 沈もう ---------------------------- [自由詩]日向/たもつ[2020年3月25日20時58分]     電柱を数えていると 母にはしたないと叱られた 数える以外、電柱の用途など知らないから 何で、と聞いてしまった 何で、と二回聞いてしまった 風景の端っこを小型犬を連れて婦人が横切る すべては日向で起こっている こんにちは、いらっしゃいませ 日向の挨拶としてはありふれているが 遺書でこれを書いた人はどのような心だったか  質問があれば書面にて  という事務連絡が母から渡される  何で、と書いてしまった  何で、と二回書いてしまった  今現在までこのことについて  母からの書面による回答はない 母が電柱を片付けていく 電柱を抜く 線のようなものを巻き取る トラック、来てください(大きい声で)(小さい声で) 回収業者を呼ぶ 風景の端っこを小型犬を連れて婦人が横切る 母は日向でこのようなことをする人ではなかった 何で、と思って 何で、と数回思って 聞きたいことが増えていく 次々と書面も増えていく 日向では紙に困らないのだ 飲む水にも困らないのだ 風景の端っこを小型犬を連れて婦人が横切る 何度目の婦人になったのですか そのことも漏れずに書く 水も併せて飲む 酸素が安いわね 優しい値段だね 母と業者が話し込んでいる  最後に一番聞きたかったことを書く  「私の名前は何ですか」  このことについても今現在のところ  母からの書面による回答はない こんにちは、いらっしゃいませ 日向で提出した書面は 無記名のまま綴られる 遺書に他ならなかった     ---------------------------- [自由詩]憧憬/たもつ[2020年3月26日23時18分]     ニュージーランド、アイルランド、ポーランド、フィンランド すべてのランドが良い所ならいいなあ 世界中の船乗りがそう思っているころ、光雄も例外ではなかった 光雄は数えで十五歳 まだろくに海図も読めなければ機器も扱えない あだ名はペロ、幼少の頃からそう呼ばれているが 周囲にはその由来を覚えている者も少なくなった 光雄は決して船乗りではない けれど世界中の船乗りがそのあだ名の由来を知っていて 光雄を見る度に ペロだ、俺はその由来を知っている!と思うのだった 船で行けない所はない それが光雄の口癖だった、そして続けるのだった すべてのランドが良い所ならいいなあ もちろん例外なく世界中の船乗りがそう思っている 光雄は海の無い街で産まれ育ち時々海へ行くこともある 光雄を見かけた船乗りは思う 海の無い街で産まれた育った光雄だ、あだ名はペロだ、 俺はそのあだ名の由来を知っている! そして続けて思うのだ すべてのランドが良い所ならいいなあ 光雄には三つ上の腹違いの姉がいる 小学生の時、新しい母親にゆっくりと連れられて来た 光雄のあだ名はペロ、でも姉だけは、みっちゃんと呼ぶ 風のような実態のない声で呼ぶ みっちゃん、朝よ、起きなさい みっちゃん、昼よ、起きなさい みっちゃん、夜よ、起きなさい そしてある日、姉は光雄に言ったのだった みっちゃん、髭が生えてるよ! 船でいけない所はない そう言うと光雄はいつも海側に座る 海が見えない所でも海側に座る 船で行けないランドはない すべてのランドが良い所ならいいなあ すっかり声変わりした声で光雄は思う 「それならみっちゃんも船乗りになればいいのに」 「ばかだなあ、船乗りは心の中にあるもの  実在しないんだ  実在しないものにどうなれというんだい」 光雄は今日も風と話している むしろ光雄は風となり風といつまでも戯れている     ---------------------------- [自由詩]明滅/たもつ[2020年4月2日22時17分] お言葉ですが、と言った男 確かに言葉に違いない うまく喋る 来年の言葉も昨年のように喋る 言葉は耳で聞くものではなく目で見るもの 肉体だからね、目で見る  山下君、山下君だったね  はい、山下です、お言葉ですが 細い首にネクタイが結ばれて歪んでいる 肉でも体でもないのに 自分自身であるかのように直す 山下君は街を歩く肉体のひとつ 街には縦に川が流れ 丹念に探せば階段もある 生きているものしか上り下りできないから 山下君、今日は どれだけ上り下りしてきたのだろう  階段ですね、お言葉ですが うまく喋る 三日後の階段について喋る 肉体への愛が見てとれる 愛は一人で支えるもの 誰もが一度はそう思う 明滅する魂たちの遊び おそらく魂は肉体に甘え過ぎでしまった すべては夜になる 親戚のように世界は寡黙になり 山下君の夜のお言葉だけが続く ---------------------------- [自由詩]停車場線/たもつ[2020年4月7日20時43分]     駅が眠っている 私たちと同じ格好をして そのおかげかと思う 狭くなる 窮屈になる 駅の隙間に挟まったしおり紐 五十六頁、大切なことは書いていない 早朝の停車場線を人が歩いて来る 何かを相談するように列車に乗る 空になったホームで 今日の駅にとって大切なことが決まる しおり紐が動く 「お父さん、駅はいつ目が覚めるの」 「坊や、駅はね、いつまでも眠っているんだよ」 父親は嘘をつかない 以降、七十八で他界するまで 坊やはそう信じ続けた 父親より二歳ほど長生きした 坊やの鼓動を抱いて 駅はいつまでも眠り続けた 「お父さん、狭いね」 「坊や、坊やも同じ格好で寝ているよ」 「そう、窮屈になるね、でもありがとう」 駅の寝言で私たちは目覚め 停車場線を駅へ向かう 途中、ぽっかりと天気だけがある 特別急行が通過する 通過出来ない列車だけが停まる 土産など渡せるものは何もないけれど 人はいつまでも笑っていてほしい     ---------------------------- [自由詩]記憶/たもつ[2020年4月10日18時47分] まぶたの裏に アパート 小人が住んでいる 相談する 今日という 暦のあり方を 雲の一部が 化石になる真昼 小人と言葉 シーソーをすれば 壊れていく 物と事 取り戻すことは 容易い 私たちの優しさは いつも狡いから 空気いっぱいの ヒヤシンスを積んで バスは行く 後はもう 誰も知らない記憶 記憶と名付けられた 記憶 ---------------------------- [自由詩]その海から(あとがき)/たもつ[2020年4月15日21時46分]     カメラが無くなってから 鞄が手放せなくなった 窓を開けると 春の風とともに入ってくる 都市の景色 潮風のように笑うけれど 指紋はすべて失効してしまった 鞄の中を探れば手に触れるのは 柔らかい工場たちの背中だ 眠れないまま終わった睡眠の続きだ 毎日の争いにも慣れ 洋菓子店のショーケースに並ぶ 動物性何某の皆さん スタンプカードには 希望、のハンコが押されていく 手で海の水をすくう 新たな海が生まれる その海から始まった この海で終わる     ---------------------------- [自由詩]ドライブ/たもつ[2020年5月17日11時37分]     妻は昨日より少し細長くなって 収まる場所がまだ見つからない その隣では去年より手足の短くなった娘が 似合わないチェックの服ではしゃいでいる 息子はといえば三日前からトランクに入ったきりで どこがどうなっているのかよくわからない ハンドルを握る両手に浮かんだ静脈の青さを舐めていると 市街地の渋滞を抜けるのに数時間かかった その間大安売りという看板をいくつか見たが 僕らに必要なものはいつものように何一つ大安売りではない それでも、今日はお乗換えをしなくていいのね、と お乗換えが嫌いな娘はますます楽しくなる 妻はやっと収まる場所を見つけ 静かな寝息をたてている お得意の身体の一部が消えるマジックを 息子は行った先で見せてくれればいい ありったけのお握りやサンドイッチをバスケットにつめて 早春の海岸通りを走るころになると それはそれは ピクニックのようなドライブである     ---------------------------- [自由詩]終戦/たもつ[2020年8月7日8時14分] 肩幅で生きる 肩に幅があって良かった 夏は草の履歴と 雲の墓場 ただいま おかえりなさい 言葉が影になる 初めてできた影だ 子供たちに見せてあげよう 昨日いた犬にも見せてあげよう 昼休みの建物から人が出てくる 汗をかいているだろう ---------------------------- [自由詩]長雨/たもつ[2020年9月5日12時22分] 部屋に雲が入って 雨に濡れていく、色も形も音も 僕らはどこにも繋がらない二つの心臓 匂いもたくさん嗅いだ かつては他の何かだったものが また他の何かになっていく 記憶に触れればいつも 僕らは優しい嘘つきでいられる 昨日より少し衰えた僕が 昨日より少し衰えた君を愛しく思う 明日も これからもずっとだ   ---------------------------- (ファイルの終わり)