渡 ひろこ 2009年8月19日20時02分から2013年12月2日20時02分まで ---------------------------- [自由詩]トルネード・トラジェディ/渡 ひろこ[2009年8月19日20時02分] それは黒い鍵爪だった 重く垂れた空からスッと湿った宙を引っ掻いては 狡猾に隠れる くり返される蹂躙 積乱雲はメデュ―サの含み笑いの唇をふちどり うすく開いた 生々しいクレバスを曝け出す空 目を背けるとジットリ肌を濡らす大気 大音響でクライシスを知らせる雷鳴 水分を吸った羽では ヒヨドリは飛び立てなかった 真実を暴こうとまっすぐ天を仰いだら 饒舌な言い訳が降りそそぐ 語気を荒げた白い礫は 赤いセダンのボンネットを凹ませ 地面に弾き飛ぶ 叩きつけられたアスファルトは 礫が融けても言葉を沁みこませない あまりに醜いので歌をうたった サディスティックでふしだらな舌を諭すために オーバーヒートして思いつめる情念を鎮めるために 一筋の歌が上昇気流に乗り 鍵爪の首にからみつく 歪んだ核心に触れられると それは怒り狂って正体を現した キリキリと身体をねじ曲げ 地上を目指して下りてくる ヒヨドリは暴風に殴られ震えた イビツな円錐の尖端についてる目は探している まさぐるように着地点を選んでいる ヒヨドリたちは見つからないように押し黙っている 尖端の目は狙っている わたしを…… 「やめて!」 叫ぼうにも怖くて声が出ない これからの惨劇を楽しむかのように 鍵爪の冷酷な意思がゆっくり着地する 凄まじい憎悪の渦のパレード 周りのものを巻き込み取り込み 放物線の影絵を描く すでにロック・オンされたわたしは 足が石になって動かない 逃げるすべもなく、あっという間に巻き込まれた 引きちぎられそうな痛み ヒステリックなテロの渦中では オーソドックスな言葉も 報復の礫に怯んでしまう 歯を食いしばり目をつぶって耐えているうちに 狂気のエネルギーはことごとく破壊しつくすと やがて満足したように呆気なく消えてしまった 朽ちた残骸の中に取り残され 茫然と立ちつくすわたしを すっかり晴れあがった青空が嘲笑う 脅えていたヒヨドリたちは 何事もなかったかのように飛び立ち 無邪気に囀りはじめる 青に隠れて浅く眠る、黒い鍵爪の耳元で ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]詩集『月光苑』大原鮎美/渡 ひろこ[2009年9月14日22時23分]  ページをめくると、150にも及ぶ短編が並んだ入り口に立たされる。 題名はなく整然と数字が打たれた下に展開される世界は、まるでエッシャーの騙し絵に迷いこんだようだ。 5 女の正体が実は額縁で/そこに描かれているのは海だと分かった夜/港の坂のBA    Rを一軒ずつさがしまわっている/女よ/僕の窓を返してくれと  作者が数行で完結する世界は、間口は狭くても奥行きは広くて深い。 この連続する摩訶不思議な断片に魅せられると、フラクタルな次元を彷徨っているような感覚にとらわれる。 3 まるまると熟した枇杷の実の下で/蛇はながながと寝ている/蛇の記憶は闇だらけ   /今晩はその上に/グラマラスな月がでる    ついアダムとイブの禁断の果実を連想しがちだが、それよりもふと、寺山修司が脳裏に浮かんだ。 彼が描く幻想的官能的で且つ、シュールな映像を切り取ったようでもある。 その断片が言葉と化して読み手の足を止め、その奥へと引き込むように手招きするようだ。  そうして翻弄されながら短編を渡っていくうちに、この「月光苑」の主である作者大原鮎美さんが、苑の奥深く棲んでいるのに気づくのである。 本書あとがきでも「わたしにとって「月光苑」は非常に居心地がいい」と述べている。 この「月光苑」は作者にとっては150の部屋を持つ王宮のようなものかもしれない。 これからもどんな作品が展開されるのか、大原鮎美さんの「月光苑」に招かれるのが今から楽しみである。                       「詩と思想」7月号掲載 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]詩集 『見ることから』 進 一男/渡 ひろこ[2009年9月28日21時12分] 感性は年齢に捕われない。あくまでも自由だ。そんな当たり前のことを あらためて認識させられる、そんな印象を持った。 あとがきには「八十四回目の春を迎えて」と記されている。勿論、高齢 に達っしているベテランの詩人の方は多く、珍しいことではない。只ふと 作中によぎる抒情性の初々しさに、年代を超えた「詩ごころ」というもの を感じずにはいられない。  雨である/小雨である/私はパリの街角で小雨に濡れる/夢の中でだか  ら/私にもこのようなことが起こる/私は小雨に濡れながらパリジェン  ヌを待っている                                     (「夢について」)   この作品の中ではほんの数行だが、しっとりとした甘やかさが醸し出さ れている。淡々と語る文章が多い中でだからこそ、立ちあがってくる。こ こに岩盤の隙間に咲く新鮮な花を発見したような気がした。 題名の『見ることから』はリルケの『マルテの手記』の影響などで「見 ることから始め、そして学んで行くことにしよう」と心に決めたとあとが きで述べられている。そうやって真摯な目がもたらすものは形となり、こ れまで数々の作品を生み出してきた所以なのであろう。 積み重ねられてきた年月の深みも加わり、詩集も今回で八冊目になる。 だが、それを感じさせないほどの意欲的で新鮮な感性の源泉が、今なおこ んこんと湧き出ている一冊なのである。 2009年『詩と思想』9月号掲載 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]新・日本現代詩文庫59『水野ひかる詩集』/渡 ひろこ[2009年10月7日21時51分] 著者二十代で刊行した第一詩集から第七詩集まで、 半世紀に渡る鋭利な感性の詩編とエッセイからなる一冊である。 この凝縮した水野ひかる氏の世界は、 幾重に年月を経ようとも衰えない「女性力」を感じる。 つまり女として魅了される感性が、娘、妻、母、祖母と 求められる役割が変わろうとも、 決して色褪せず段階を追うごとに深みを増してくる。 女性としてこんなに美しいグラデーションを、 詩集で描ける詩人はそういないのではないだろうか。  ことしもこんなにひどく/障子は愛を吸いとってしまった             (第一詩集『鋲』より「十二月のことば」 これはこの作品第一連冒頭の二行である。 ここに第一詩集ならではの若い陶酔を感じる。 惹きつけるような鮮やかな紅色をそこに見た思いだった。  母になった女が娘にそっと差し出すちいさなひかる卵/生命を宿  す女の身体は水を湛えて/孵化し脱皮をくりかえす(中略)蛇を  踏みつづけてきた女の歴史      (第七詩集『抱卵期』より「snake・みずのおんな」 「産む」という性を通過し、役割を経てきた第七詩集からは、 深みのある落ち着いた朱色が、磨かれた艶を放っている。 女性詩人として成熟度の変遷が、詩集を重ねていく度に濃く深く沁みてくる、 読み応えのある詩集である。ぜひ一読していただきたい。 2009年『詩と思想』10月号掲載 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]山中以都子詩集『水奏』/渡 ひろこ[2010年1月5日19時26分]  詩集の表紙には闇夜に浮かぶ舟の漁火が、誘導するようにふわりと灯り、 誘われるまま詩集を開くと、霧の中に佇む一艘の小舟の写真が出迎えていた。 山中以都子さんの詩集『水奏』は、もうここから始まっている。 「ああ、このちいさな舟を操って、向こう岸から逢いにきてくれたのか…。」(作者あとがきより)  街角の画廊で一枚の写真に呼びとめられたことにより、 これまで出版された三冊の詩集から、父親への追悼をこめて編まれたアンソロジーである。    山すその火葬場に/ひっそりと いま/霊柩車が入ってゆく/棺  によりそうのは/とおい日の/わたしか/はす池のほとり/しん  と空をさす/桐の花/父よ/そちらからも/みえますか/                          (「桐の花」)  これからしめやかに奏でられる音楽のプロローグのように、 この詩集冒頭の作品は、ポツポツと置かれた言葉と行間の隙間から、 深い作者の思慕が滲み出ている。    わたしが撮ったこれがあなたの最後のスナップ/上半身だけ引き  伸ばして/きょう 黒いリボンで飾ります/                          (「リボン」)  父との別れを自分に潔く言い聞かせる様が、より切なく響く。 野辺の送りの痛みを、また作者自身も黒いリボンで包んでいるのだろう。 重ねた年月の記憶は時間を経るごとに、遺された者の胸に浸透してく。  一枚の写真から、作者は亡き父との邂逅を果たせたのではないだろうか。 黄泉の国から小舟に乗って、そっと娘に会いにきた父への思いを綴った鎮魂の一冊である。 『詩と思想』2009年11月号掲載 ---------------------------- [自由詩]ギムレットには早すぎる/渡 ひろこ[2010年2月2日19時21分] 厚い一枚板のカウンターに2杯目のカクテルが運ばれてくる。    君はウエイターに軽く会釈すると、すぐグラスに口をつけた。 鮮やかなライムグリーンのカクテル。グラスのふちについた唇 のグロスの跡を細い指先が拭う。長い爪の先にある小さなライ ンストーンが、バーのほの暗い光に反射している。ネイルサロ ンなんか行かないと言っていた君を変えたのは俺じゃなくてあ の男か…。 ブルガリの香水が甘い体臭と溶け合って鼻孔をくすぐる。それ だけでもう答えは明白だ。また君は恋に堕落している。 「彼が何を考えているのかわからない」すでに紅潮した頬で君 は嘆く。カウンターの向こうにある掛け時計はまだ午後8時を 回ったばかりだ。この時間に俺を呼び出したのは、差し詰め男 にドタキャンされたのだろう。ノコノコ出てくる俺も馬鹿だな と自嘲しながら、やはり綺麗な女と飲むのは悪くない。ただ、 そこに付加価値を求めようとするならば、聞き役に徹する演技 も必要だ。 君が好むカクテルはジンベースで、かなりアルコール度は強い。 たちまち充血して虚ろな目になった君は、重厚なカウンターの 上に「彼への想い」を溢し出した。ローズピンクの濡れた唇か らは次第に怨念となった言葉が連なり、崩れ落ちる。熱く湿っ た吐息は、怒りで跡形もなく蒸発していく。鎖骨の下の過呼吸 な水蜜桃は肌けた膨らみを大きく上下させ、アーモンド形の二 重の眦はキリキリとつり上がった。 形相を変えた君は、口から糸を吐く女郎蜘蛛だ。粘着質の糸を 次々とまき散らし、男を絡め取る。 男の周りに飛び交う蝶は尚のこと容赦なく捕らえ、その尖った 爪の先で止めを刺す。とりわけ美しい羽根の蝶にはますます残 忍となり、血に染まって羽根がもがれるまで繰り返し罠をしか けてなぶる。引き裂かれた蝶の生き血を啜ったその黒い腹には 獲物を求める底なしの徒花が、艶を増した花弁をパックリ開い て待っているはずだ。 引きずり込まれたら、二度と浮かび上がれない女の深淵。 泥沼よりも重い執着の横糸に足を取られ、必死に逃げだしたあ の男の顔が目に浮かぶ。 さっきまでの淡い期待は冷や汗に変わっていた。 そろそろ引き上げた方がいいだろう…。伝票を掴もうとしたが 、身体が痺れて動かない。気づいたら、もう右手に白い蜘蛛の 糸がネットリとまつわりついている。君はトロンとした目を鈍 く光らせ、含み笑いをしながら「ねえ、3杯目が欲しいの」と にじりよってきた。抗えばますます締め付ける蜘蛛の糸。この ままじゃ女郎蜘蛛の餌食になる。 直感的にある固有名詞を言わなければ、逃げられないと思った。 あの小説の中に出てくる一節だ。そう、さっきまで君の喉をす べり落ちていた液体の名前を。だけどなぜかその部分だけ記憶 から脱落している。 俺は背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、頭の中でレイモ ンド・チャンドラーの『長いお別れ』のセリフを必死に思い出 そうとしていた。         ※ギムレット ドライジンにライムを搾りシェークしたカクテル。 レイモンド・チャンドラーの小説『長いお別れ』の一節に 「ギムレットには早すぎる」という有名なセリフがある。 ---------------------------- [自由詩]かんばんむすめ/渡 ひろこ[2010年2月15日21時06分] 黒ずんだ木の床にそっと頬をよせる インクと機械油の匂いが染みついた床は 使いこまれた年月を なめらかな感触でつたえてくる 古い印刷工場をリノベーションしたと 誰かが言ってたっけ そのむかし松尾芭蕉も この地をホームとしたらしい 寝そべって床の木目をかぞえながら カフェに転身した居心地をたずねてみる 相変わらずフラットで寡黙なままだけど ブラジルジャズのミュージシャンが 演奏するとこの木造の建物自体が振動して ステレオのようによく響くと言っていたから きっとそれがこたえなんだろう コーヒーの香りにまじって キーマカレーのスパイシーな香りがただよってきた 挽き肉を炒める芳ばしい匂い 思わずよだれが出そうで鼻がヒクヒクした 営業中はおあずけだから そんなときはいつも ここを訪れた人たちが落としていった 音楽や朗読のかけらをひろって食べる ついでに窓際に積まれた ニーチェや島崎藤村もかじりたくなったけど カタそうなので 代わりに隅田川から流れてくる風を読んだ 昼下がり川面からの便り 天井裏からかすかな獣の匂い 店先で芭蕉の化身の蛙が跳ねた ガラガラとすり硝子の引き戸を開けて 詩人だという女のひとがやってきた わたしの頭を撫でて「看板娘だね」と言う いつからそう呼ばれるのか みんなわたしを撫でて可愛がってくれる 「でも目をるん、とつぶらにして見つめるのはママだけね」 と詩人の女のひとは笑った そう わたしはママが大好き いつもやさしく語りかけておやつもくれるから だからママが迎えにくるまで ここでいい子にしてじっと待っている 清州橋がライトアップして 隅田川に灯り 風が魚の寝息を運んでくる ママが帰ってきた 「ポチコ、おいで」    ワン! ---------------------------- [自由詩]armoire caprice/渡 ひろこ[2010年5月14日19時38分] 駆け上がったスケールの天辺で 頭にティアラを乗せられた途端 3オクターブ下の森へと転がり落ちた 黒鍵に打たれた身体に赤い痣が散る 地面に投げ出された ティアラの真直ぐで静謐な輝きは 脆い影を抱える私の周りをゆっくり蝕み始める 「アーモワールカプリス」 森の暗闇から梟が低い声で謎掛けをする 光を放つものはクローゼットへ  掲げてはいけない アンテナを巡らす蜘蛛たちの網に捕われてしまうから 「アーモワールカプリス」 小枝をすり抜ける蜜蜂が耳元で囁く 嘆きの呟きは寡黙な井戸の底へ  黒い言葉は吐いてはいけない サテュロスが匂いを嗅ぎつけ喰いにくるから  (赤い痣が疼く   剥き出しの苛立ちがピンポイントで襲ってくる   陰鬱なトゲを刺すネットの中でもがいて   嵌まってしまったスパイラルの出口はどこか)                                       身体中に咲いた赤が褪せたとき 森のアザミがそっと教えてくれた クローゼットの扉は開いている  閉じられないうちに仕舞って アーモワールカプリス  風向きが変わらないうちに                                                  素肌の痣が消えたころ 隠れた小道が現れた 森の出口へと足早に急ぐ後ろ姿を ティアラを呑んだクローゼットが 息を殺してじっと見つめる ※arnoire caprice (アーモワールカプリス)仏語で気まぐれなクローゼット            ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]ブリングル御田詩集『次 曲がります』/渡 ひろこ[2010年5月28日19時31分] 凝縮された思いが風船のように膨張して、弾けた飛沫が言葉になった。 そんな鮮烈なイメージが浮かんだ。それほど思わぬ角度から言葉が繰り出してくる。 凡庸に収まらない突き抜けた斬新さが、この詩集の魅力だ。 看護婦が差し出すその空豆のような形の皿に/わたしの中からカキダされたものが砂粒のように積もっていく。// 【ヘンジャギ】『家に火をつけた』/?よるを?/(小4の秋)【ハンジャギ】《しゅぼんぬ》(「迷子」) 次はどのような展開になるか、引き込まれていく言葉のマジックに 読み手はつい謎解きをしたくなってしまうだろう。 思い切りの良さが小気味いい。勿論、言葉のラビリンスを廻るようなフラクタルなイメージの作品ばかりではない。 身をよじり/絞るように/わたしは子供を産み直す/ぎこちない背骨は固く/わたしの産道にぎちぎちとひっかかり/ 固まった骨達が乾いた音をたてて/折れていくのがわかる//ぱきん/ぱこん/こきん/きりん/(「さんどう」) この詩集のもう一つの特徴でもあるオノマトペが、効果音として響く。 震撼とさせる迫力があるが、「子供」を「言葉」に置き換えると、 おそらく言葉を推敲している様を描いたのではないだろうか。 五感に響く謂わばブリングルワールドの震源地を見た気がした。 詩集タイトルは作品にはない。正に作品ごとにどう曲がっていくのか、 新感覚を期待して読み進める新進気鋭の第一詩集。ぜひご一読をお勧めする。 『詩と思想』6月号掲載 ---------------------------- [自由詩]renovation/渡 ひろこ[2010年6月29日21時19分] それは忽然と現れた。 スパニッシュブルーの空を突き刺してそびえ建つ、 研ぎ澄まされた円錐形のオブジェ。 傾斜角75度の強い意志が天を貫いている。 指し示す先はどこまでも高く その先端から曖昧な輪郭を許さない パルスを発生している。 芯のないレプリカを嫌う 磨かれたアートの揺るぎない屹立。 視界に入らないようにそっとすり抜けるつもりだった。 通りすがりの。忍び足で。 見つかってはいけない。隙間だらけの核心を。 気づかれぬようにと 畏怖で震える二足歩行がままならない。 そろりとおぼつかない一歩を踏み出す。 自信のない足元は途端につまづき、 思わず「poet」というノイズを吐き出してしまった。 ぐらりと重く傾くオブジェ。 ゆっくりと矛先が回りこちらを振り向く。 厳しい思念。怯えて立ち尽くす私。 鋭い切っ先の標的は定まっている。 目を見開き口を開けたまま叫び声も出せない。 それは躊躇なく爛れた私の患部へと容赦なく突き刺してきた。 突然の抉るような痛烈な衝撃に 神経が麻痺して身体が強張る。 螺旋に回転しながら尚も食い込んでくる先端からは 針のようなパルスが波状的に放たれた。 怠惰が詰まった胎内を破壊していく。                                        (もう充分だから許して…)                               串刺しにされて宙に浮いたまま、弱々しく喘ぐ。 ダラリと下がった両の足からは、 濁った緑色のスライムが流れ落ちていく。              触れずにおいた病巣からの滴り。 長く膿んでいたもの全てが流れ落ちた。                                      放心した私を見届けると 含み笑いを残して消えていったオブジェ。 痛みに堪えかねた私はそのままカオスの底に墜落した。                                                         真っ暗ながらんどうになった私の内部。                           それでも耳を澄ますと                                 化学反応を起こして生まれたわずかな光が                        今静かに闇を照らしてスパークする音が聴こえる。            ---------------------------- [自由詩]重力加速度/渡 ひろこ[2010年8月17日20時46分] また背中にGがかかる いや、重力ではなく塊りが押して圧迫している 左の肩甲骨の上に乗るコンフュージョン 緊張が高まり首筋まで凝ってくる あまりの重さに頭の中で コットンフラワーが咲き乱れ もう何カ月も思考が停止したままだ 放っておくといずれ脳幹まで  綿が詰まってしまうだろう 切り割いて 1tのコンフュージョン それは解凍された保冷剤の感触 ぬぺりと肌に張りつく 憑かれた感情 ジャンクなパワーストーンでは守れない うつぶせのまま重みでズブズブ沈んでいく 堕ちていく 誰か助けて 浮上させて ふと何かが頬をかすめる 耳元で囁く スピリチュアルな言葉で斬りなさい、と          ああ でも 加速して 落下 していく (F,G7,C=完全終止形、2度、5度、1度、(ツ―・ファイブ・ワン)スタンスが違うから弾けないんだ  先行詩人って?遮断される睡眠、メンソールの匂い、睨んでくる白眼、 男友達なんて幻影、一匹狼ではなくただのハグレ狼、握ったままのメール…)                        摩擦熱で膨張してひび割れたクレバスから                      飛び散るカオス 浅はかなつぶやき                         内包された石榴のような深層には まだ到達していない                                                          そう、背中に錘をつけられたワタシは                        未だ水底に潜ったままだ                              囁きの音源を求めて水面を見上げている                       痛いほど首を曲げて                                                                               ※コンフュージョン(confusion)昏迷                               ---------------------------- [自由詩]sweet wedding sweets(祝福の歌)/渡 ひろこ[2010年9月21日22時06分] チャペルの鐘の音  ハレルヤのゴスペルの響き 祝福の音色を浴びてキラキラ輝くのは 淡いパステル色の金平糖 小さな羽根を羽ばたかせ あなたのキューピッドが運んでくる。 甘い砂糖菓子一粒  そっと口に含めば 夢の世界の扉が開く スィート・ウェディング・スィーツ 噛まないで 溶けて消えるまで 時間をかけて味わって あの人と二人 同じ時間 同じ方向 ずっと優しい気持でいれるから スイート・ウエディング・スィーツ つないだ手 薄紅色に染まった頬 潤んだ瞳 酔いしれる時を刻んで そろそろ魔法が解けた頃 ブーケの影から見つめるキューピッドが あなたの耳元でそっと囁く 「ほら、出航のベルが鳴っている」 長い船出  本当の人生の幕開けはこれから スィート・ウェディング・スィーツ 波が荒い時は、思いだして 二人で誓った 煌めく金平糖の時間を ---------------------------- [自由詩]恋愛遊戯/渡 ひろこ[2010年9月27日23時54分] 「貴女はご自分に酔っていらっしゃるのです」 思いがけない言葉に顔を上げた 彼は静かに私を見つめて煙草に火をつけた (どういうこと?) いぶかしげな眼差しの私に彼はこう言った 「貴女は恋をしていると錯覚している  ご自身に酔っているのです  僕との関係はまやかしにしか過ぎない  これ以上深みにはまると遊びが遊びでなくなる  ご自分を追いつめることになりますよ」 ゆっくりと吐き出す紫煙に 少し目をしばたたせながら 彼は私の言葉を待っている 目の前に置かれているコーヒーは とっくに冷めきっていた (違う・・・そうじゃない) 声に出そうとしても 身体がかたくなって何も言えない (どうしてそんなこと言うの?) 心の中で必死に抵抗を試みる 押し黙る重い空間 彼はそんな私を半ば楽しんで 観察しているように見える (何か言わなくちゃ・・・) 焦れば焦るほどこの状況を打破する 適当な言葉が見つからない 気を落ち着かせるために 手をつけるつもりのなかった コーヒーを啜る 手が震えてソーサーとスプーンが カチャカチャ鳴った 冷たさと苦さが喉を下りていく 何かを暗示しているように カップについた口紅を 指でそっと拭うと それが合図のように 彼は最後の煙草を灰皿にもみ消し 伝票を握りしめて立ち上がった 慌てて私も後を追う 外は師走の寒さが身にしみた 早足の彼にいつも私は 追いつくのに苦労する 小走りになりながら やっと私の口から出た言葉は 「今夜は帰らなくていいんだけど・・・」 振り向きざまに少し笑った彼は いきなり肩を抱き 唇を奪おうと顔を寄せた 突然の彼の行為に 思わず顔をそむける自分に 遊戯の終わりを見てしまった… ---------------------------- [自由詩]GRADUATION/渡 ひろこ[2010年10月12日19時50分] ずっと寄りかかっていた 揺るぎない背もたれとして安心しきって あなたが感じている重たさも 慈愛で受け入れて 融かしてくれているのだと思っていた いま、青に導かれて去ろうとしている 異国のスピリチュアルなアイスブルーの言葉に 真理を見つけたのだという オポノポノという不思議な響きの ジコケイハツのチケットを手にいれて 出帆しようとしている 私にもそっとチケットを渡してくれたのに どうしてかその帆船には乗れなかった いや、乗ってはみたが そこに在るあまりにも澄んだ青い水が 身体に浸透しなかった いつしか肌は潤って艶めき 目は爛々と見開き 魂のステージを上がっていくあなた 内なる潜在意識に向かって次々とクリーニングを行い ネガティブな記憶も温かなメモリーも消し きっと私もクリーニングされて 消されてしまったのだろう 手をのばして求めても ゆらりとかわす青のドレープ 尚もつかもうとすると 柔らかく包んで押し戻される (周りに光を照らしていくことは苦しかったのですね   自らを照らし輝く楽園を見つけてしまった、のですね…)   大事に握りしめていたチケットは あなたからの卒業証書と変わり 独りで立つことを覚えた私は 揺らめく青いオーロラの奥の奥 追い風を受けて出帆し 水平線に見え隠れするあなたを その灯が消えるまで 爪先立って見送る            ※オポノポノ ハワイ発祥の伝統的な問題解決法 ---------------------------- [自由詩]カクテルのための三篇/渡 ひろこ[2010年11月9日22時07分] <ブラッディ・マリ―> ブラッディ・マリーと君の唇の色が同じだから、 どちらに口をつけようか迷っている。 君は何のためらいもなく赤い液体を飲み干す。 重なったその色が乾く前に、僕も味わってもいいかい…? <X-Y-Z> 君は都合よく俺の傍にいてくれると思っていた バーテンダーのステアと同じように ゆっくりと君はかぶりをふって、オレンジ色のカクテルを指差す 「X-Y-Z」。これで最後か…。 やけに甘ったるい味が、君の髪の香りと混ざり合い ピリオドを打つ位置がいまでも定まらない <kiss of fire> 温められた皿がテーブルに置かれている 「私を彩って。そして汚して…。」と上気した白さで語りかけてくる アンティパストはまだ出来あがらない 徐々に冷めて青白くなっていくなめらかな手触り 思わず飲みかけのkiss of fireで、赤い抱擁を注いでしまった…。 ---------------------------- [自由詩]メインディッシュ/渡 ひろこ[2010年12月13日20時29分] 温められた皿が食卓に置かれている 「私を彩って。そして汚して…。」と 上気した白さで語りかけてくる アンティパストでは物足りないと言いたげな光沢で ゆるやかなフォルムの輪郭を際立たせている メインまで待てないもどかしさが ツルンとした表情にあらわれて 徐々に人肌の温度まで落ちていく なめらかな手ざわり 冷めてしまう前にいそいそと 鮮やかなマゼンダに仕上がった鴨フィレ肉を盛る まわりにはボルドーの甘酸っぱいカシスソース 果実の香りがフワっと立ち上った ドラクロワの絵のように描かれて 誇らしげな余白が笑みをこぼす 途端に堪えきれなくなったナイフが 赤黒いソースで艶やかな白を塗りつぶし フォークは鈍く光る銀の切っ先で やわらかなミディアムの断面を貫く ふと微かに皿が軋む音が聞えた ヒリヒリとした悲鳴を上げている 隠しておいた薄いヒビ割れに フル―ティなソースが沁みて 磨いた表面に潜んでいた凹凸に ナイフが引っ掻き傷をつけている 飽食の下で触れ合う食器が いつもより半音上げた音を響かせ鳴いた 盛られたメインに応える クオリティの高さは 持ち合わせていない 見てくれだけで選ばれた器 すでに半分乾きかけたソースは ドス黒い血と変わり果て 汚れた残骸として置かれた皿は 鴨フィレ肉の確かな重みと カシスソースの温もりだけを 回想している おそらくこれが最後の彩り 一時の泡のような記憶が 執着となってこびり付かないように 急いで洗い流して食器棚の奥深くしまい ガラスの扉を閉じた 誰もいなくなったダイニング いつの日かウエッジウッドのようにと 次の出番に焦がれる ガラス越しの熱い視線が 片づけられた食卓の上に 影のないゆるやかな輪郭を作る ---------------------------- [自由詩]Days of Wine and Roses/渡 ひろこ[2011年1月19日19時57分] 琥珀色のサウンドトラックが、 頭蓋骨の内側を濡らしていく すっかり皺が減り、ツルンとした私の大脳皮質 鼓膜までねじこむイヤホンや タイムラインを流れる電子文字で 刻まれたものが薄れ、腫れあがってしまった 指先は切れそうなページの手触りや 硬直したペンの握り方を忘れて戸惑っている 最初は赤茶けた髪一本の危機感のつもりが いつの間にか束ねたシニヨンになって もう肩にまで重く垂れ下がってきているようだ そう、シナプスがつながらない 言葉が沈んでいく 『ノルウェイの森』では入り口で迷子になり 寺山修司の編んだ詩編がほどけず ひとひらの名前さえも拾えない はらはらと剥がれ落ちる記憶たち 重ねた年月の言い訳と 麻痺した回路を曝け出す上から メイプルシロップとなって降り注ぐのは 重苦しい映画とは裏腹な 華やかなタイトルのサウンドトラック Days of Wine and Roses 享受し続ける日々  それは何かを失っていく予兆 艶やかな旋律の裏に潜む堕落が うすら笑いを投げかける セピア色の時代から 現在(いま)を見つめたかのように歌う 薔薇色の下にある、怖さ 新しい蜜の一滴を味わった瞬間から 光のスピードで走っていく街 追いつこうとしても もたつく足元 回転数が合わない琥珀色のメロディは ゆっくり滴りながら キーボードをたたく指先を とろり、と濡らしていった ※Days of Wine and Roses 「酒と薔薇の日々」という1962年制作のアメリカ映画の主題曲 徐々にアルコールに溺れていくカップルを描いている。 ---------------------------- [自由詩]クローゼットの秘密/渡 ひろこ[2011年2月15日19時19分] 私がよく行くインポート専門のブティックがある。 ショップ名は「armoire caprice」 (アーモワール・カプリス) もしかしたら御記憶の方もいらっしゃるかもしれないが、 以前この現代詩フォーラムに投稿した作品と同じ名前である。 実はこの英語にはないアーモワール・カプリスという響きが ちょっと小洒落ていて、以前から気になっていたのだ。 そこで思い切ってショップのスタッフに意味を聞いてみると、 フランス語で気まぐれなクローゼットだと教えてくれた。 その瞬間「気まぐれなクローゼット」というフレーズにピンと閃いて、 これは詩になる言葉だとインスピレーションを受け、 作品を書くまでに至ったのである。 フランス語のタイトルということもあり、同人誌に発表する前に、 ノルウェーに在住するフランス語の堪能な同人にも送って見て戴いた。 海外在住故、日本語に飢えているということもあるせいか、 拙詩を興味深く読んで下さった上に 返礼としてフランスの間男の小話を送って下さった。 これがエスプリが効いていて、 かなり私の中では印象が残るものだった。 ある男が人妻との浮気の最中、帰宅した夫に踏み込まれ、 慌てて傍にあったクローゼットに隠れた。 だが怒った夫はたまたま外を走って行く 別の男を浮気相手と思い込み、 男が隠れているクローゼットごとバルコニーから 外の男に向かって投げ、 昇天してしまった男達が、 天国の入り口で問答を受けるという小話。 一見なんの変哲もないよくある小話に思えるかもしれないが、 私の中でクローゼットと結び付けると、 また違った角度から見えてくるものがある。 そう、クローゼットは洋服以外にも、 色々なものを押し込められるのだ。 例えるならば日本の押し入れにも似ているかもしれない。 人目に触れさせたくないものを放り込み、 あるいは昔はお仕置きと称して、 悪戯する子をその罪と一緒に閉じ込めた。 一旦閉めるとそこは闇になる点では同じだ。 謂わば隠蔽の扉でもある。 そして誰しもがそんなクローゼットを胸の内に、 一つは持っているのだと思う。 背徳の薫りが染み付いたコートをしまうだけではなく、 人からの羨望や嫉妬の念、逆恨み、 あるいは自己嫌悪や諦め、逃避、 または密やかな慕情や新たな希望、祈りなど、 数多の感情を呑み込んで、 闇に閉じ込めているのである。 表に曝さないことを美徳として、 闇の奥で埋もれた秘密をゆっくり蒼白い炎で、 浄化している。 忍耐強く、唯一の美意識によって 炎上しないように閉ざされている。 呑み込んだものが消えるまで、 クローゼットの扉を開いてはいけない。 ---------------------------- [自由詩]紅い尾鰭/渡 ひろこ[2011年4月13日20時07分] 上澄みの中を泳いでいた 透明ではなく薄く白濁した温い水の中を 紅い尾鰭をゆらゆら振って 指差すふくみ笑いを払い退けて 腹の下に感じる見えない水底の冷たさに慄きながら ゆるんだ流れに身をまかせて食い潰す時間 ダラリとしなだれる紅い尾鰭 ドスン!  いきなり下からの衝撃波に突き上げられた その瞬間凄まじい勢いで飛ばされた 目に見えない巨大な力で掻き回され 気づくと辺り一面、混沌とした濁り水になっていた 隠れ家だった元の場所へ戻ろうと必死でもがいても 上澄みの中で真珠と信じて掴んだのは 鉛の玉と変わり果て 止まり木だと思って縋ったのは ただの流木にすぎなかった 温い水はまやかし 居場所など元からなかった 残されたのは怠惰と逃避で汚れた茶色い水 嗚呼、息が苦しい 水面で口をパクパクさせて呼吸する いっそのこと深く潜って 静かに横たわる寡黙な流線型になって このまま誰にも知られず朽ちようか それでも身体がふわりと浮いてしまうのは                      覚悟がない中身が薄っぺらなせいだろう                                                               そう、留まるとますます濁って先が見えない                    前に進むには自分の鰓で 濾過しなければならないのだ               循環しなくてはいけない 自分の中の爛れた淀みも                ふと見やると もうすでに力強く泳いで                       濾過した透明な水を吐きだしている魚影が                      遥か下の方に映る                                                                        大きく息を吸い込む 少し褪せた紅い尾鰭は、水面をピシャッと叩き 冷たい水底を目指して、青の闇に消えていった ---------------------------- [自由詩]囀り/渡 ひろこ[2011年5月12日21時03分] 声高に叫べないから 文字の裏にスルリと隠す ほとばしる感情をメタファーにゆだねて 苦く噛みしめる思いをほどいて昇華していく そうやって幾つ言葉を散らしてきたのだろうか 押し黙っていると苦しくて 出口のないラビリンスの中を 喉元を押さえて 廻り続けてしまう いつの間にか遠く置き去りにしてしまった年月は もう懺悔の手を差し出すことを赦さないから 自らを救済するために綴った一枚一枚が ぎこちなく歩いてきた後に はらり、はらりと落ちていく 躓きながら、そこかしこに 未完の私はそのままで 重ねるひとひら 息を呑み込み 震える多面体の私を平面に映す イビツな形の収まりがつかなくても その輪郭をなぞってもらえたらと もしその断片をあなたが拾ったのなら 指先に伝わる小刻みな揺らぎに しばらく耳を澄まして 一行の裏で小さくあえぐ吐息が 美しく響くか否かと 脈打つ鼓動の在りかを見つけたら 行間の谷底に潜む 何も纏わない裸のわたしを そっと拾い上げて 手のひらに乗せて わずかでも濁った声で囀り 黒く曲がった旋律を見透かしたなら そのまま黙ってギュッと握り潰して もしも、もしも 受け入れてくれるなら 私はあなたの手の中で 詩のベクトルに向かって 止まない蒼の歌を囀り続ける 今夜作られる物語のためにも これがプロローグだということも これからさきも、ずっと ---------------------------- [自由詩]罹災者/渡 ひろこ[2011年7月25日20時18分] 「リサイシャです。」  突然の呼びかけにハッと顔を上げる カウンター越しにその女性は佇んでいた  小さな女の子を二人連れている  一瞬 何と声をかけようか戸惑う 胸の底に沈殿している深い澱が ズン とした重量で静かに迫ってくる 暗い海を纏っていて 腰から下は未だ海に浸かったままだ 小さな女の子たちは波間にあどけない顔をのぞかせ じっとこちらを見つめている 「大変でしたね。どちらからですか?」 「フクシマからです。 主人はまだ向こうで働いていて帰れなくて…。」 生身の痛みを目の前にして どの言葉も虚しく消えそうで 慌ててあらゆるポケットを探っても 底が浅くて見つからない リビングの画面からは伝わらない現実が、其処にある   (あの日から世界が変わった    垂れ流す時間のスポイトは日常を希釈し続ける  上手く開かない唇はマニュアル通りの残骸を落とす) 「あ、罹災者証明書は…。」                             「いえ、よろしいですよ。口頭の申請でも無料で入館戴けますから。 どうぞごゆっくりご覧ください。」                                                                                                              受付カウンターを境界線に 対岸の乾いた高台から声をかけても               赤土がほろほろ崩れるだけで                            溜まった澱を少しも零せなかった諦めの視線が                    斜めに私の身体を斬って、展示室に消えていく                                                               差し伸べたかった手が宙に浮いて                          気づいたらカウンターの上に散乱した プラスチックの言の葉を 只々、拾い集めていた ---------------------------- [自由詩]ジャズ・ピアノ/渡 ひろこ[2011年9月1日21時43分] 走るトリル 軽快な鍵盤の連打を聴くうちに 視界が開けて広大な一本の道が現れる どこまでも追いかけてくるスケール トップスピードの旋律に 併走したくて意識を集中させる Gコードを蹴散らし または操りながら行軍していく 逞しい指先 八十八鍵の音色を率いて 今彼はカナダの森林を縫う マッケンジー川を描いて見せてくれている 曲の中に景色を描き 音符の言葉を散らして私に投げかける 甘い響きなどない 一分の隙もなく 彼が愛しているのは音楽だけだ クールで端正な音を拾いながら 競りあがるリズムの稜線をたどると 眼下にはロッキー山脈の渓谷が広がる そのままクレッシェンドに乗り 頂上まで昇りつめた 心臓の鼓動が鳴り響き 裏返った拍子を取り続ける                  力強いグリッサンド うなじから背中に下りる音階 ビリッと電流が走り 鳥肌が立つ                                                         ふと 転調した風が下から吹き抜け 一拍遅れた和音が 突然デューダッと 背中を押す                         谷底に墜落する瞬間                                                         描いた映像を見失わないよう                            素早くヘッドホンを外した  ---------------------------- [自由詩]立方体/渡 ひろこ[2011年10月17日19時23分] いま、立方体の中で手足を折り曲げている きっちり蓋を閉めて 一分の隙もないように それでもはみ出しまう「私」が漏れ出て 側面を綴りながら、ゆっくり滴っていく シジン、と名乗っているうちに いつの間にか変換キーが ヘンジン、としか表示しなくなったのだ きっと似非(えせ)、という冠を頭に乗せて お道化てばかりいるからだろう 行く先々で出会う 似非(えせ)シジン じゃないまっとうな人たちは 正確に計られた立方体に 収まることが身についている そしてどんな場面でも目測を誤らない すばやく相手の雰囲気を察知して 距離感を測る 言葉の種類と位置を確認して 適切な間合いと整った所作で さりげなく置いていく おそらく恋に狂って自分を見失う なんていうことさえなければ はみ出さない人たち 私も寸分の狂いもない 立方体に収まりたいが なぜかはみ出す ピッタリとハマって 身体が馴染むように押し込んでも 途端にピョンと外に弾け出る そう、玩具屋で見かけるあれだ 蓋を開けたら飛び出す 満面の笑みに涙を描いた道化師                                                             このままだと弾き出たまま路上に放置され                      ヘンジン、のままで錆びついてしまうだろう                     すでに周りには嘲笑する観客すらいない                                                                いま、私の中で蠢くものを封印しようと                       息を殺し、喰いしばっている                            形状記憶した神経が、内側からガタガタっと 立方体を揺らし始めた ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]「コクリコ坂から」を見て/渡 ひろこ[2011年11月14日22時13分] 久しぶりにジブリ映画を映画館で観た。この夏封切りの 「コクリコ坂から」。急遽予定が変更になり、時間に余裕 が出来たからだ。当初は他の洋画を観るつもりだったが、 ちょうど良い時間帯のものがなく、期せずしてアニメとい う選択になったがこれが予想外に良かった。 主人公は昭和30年代の女子高生で、良き昭和の時代の 青春アニメ映画だ。昔のジブリ映画「風の谷のナウシカ」 のような壮大なスケールはないが、その代わり一点に集約 して繊細に制作されている。忘れかけていた日本人の生活 の中にあった情緒や、品性を保ちながらも揺れ動く若い男 女の心情の機微を丁寧に描いている。 奇しくもこの映画を観た当日の夜、NHKで宮崎駿氏と 今回「コクリコ坂から」の監督をやった息子の宮崎吾朗氏 に、焦点を当てた番組をやっていた。 構想から具体的に絵コンテとして着手し、映画として成 す長い制作過程には、当然ながらあの3月11日も通過し ている。例外なくジブリも計画停電を余儀なくさせられた。 締め切りが迫る中、混乱を避けるため作業を三日間休みに するという、やむを得ない選択を翻したのは宮崎駿氏だっ た。最初はスタッフの事情を推し測れないワンマンな言動 かとも思ったが、こういう事態だからこそ、神話を作るの だという。非常事態だからこそ、頑張る。窮地に陥った時 に出る底力は団結力も更に増す。そんな長年のキャリアか ら来る判断が、息子の吾朗監督にとっても、良い映画とし て結果を出すことに繋がっていったのだと思う。 ジブリ映画「コクリコ坂から」。多少こじんまりとはして いるが、監督第一作目果敢に挑戦した「ゲド戦記」と同じ 轍を踏んでない。吾朗監督の努力と情熱と父親譲りの天分 が、早くも二作目で実を結んだのだろう。 詩誌「馬車」45号掲載 ---------------------------- [携帯写真+詩]水際/渡 ひろこ[2012年1月17日19時48分] 「水際」 水際、を考える。 ボーダーラインを越したり、引いたり。 波打ち際の刹那。 それは躊躇するもどかしさにも似て。 繰り返し訪れる人生の選択にもなぞらえる。 過ち、を恐れる必要はない。 たとえ業を抱えたとしても 甘んじて受け入れる、覚悟さえあればいい。 その時に必然として 己が導き出した答えならば…。 ---------------------------- [自由詩]ケ・セラ・セラ/渡 ひろこ[2012年4月9日19時30分] 私のDNAの塩基配列に 「ケ・セラ・セラ」という 遺伝子情報が組み込まれている 膨大な螺旋構造の宇宙には 母から降ってきた星屑が潜んでいる 突然の父の入院で しばらくぶりに会った母の身体は いくつもの諦めを纏い、すっかり縮んでいた 梅干し のようだった 干からびてしまった母を元にもどしたくて 実家近くの温泉スパに誘う うつろな表情に光が欲しくて しなびた背中をていねいに流す 「どう?気持ちいい?久しぶりでしょ?」 「ああ、極楽 こういう親孝行したなと ワタシがいなくなったら、いい思い出になるよ」 自分が鬼籍に入ったあとのことまで 冗談まじりにサラリと言う 湯煙りの中、母の口から ドリス・デイの歌がこぼれる 「ケ・セラ・セラ なるようになるさ」 終戦直後、京城から引き揚げてきた時も そんなふうに苦難をかわしてきたのだろうか もう一歩高みに踏み出すことも煩わしくて 我がままな父と連れ添うためにも この呪文でやりすごしてきたのかもしれない   ねじれた螺旋構造は私にも受け継がれている 旬を過ぎた返信の溜まり水に溺れ 吐きすぎた言葉の残骸に顔を覆っても 最後はケ・セラ・セラで葬り去ってきた いま、目の前にある ふたまわりも小さくなった背中が なすがまま 流れに身をまかせてきた果てを 無言で諭す 窓からの陽射しが 立ちこめる湯気と肌をさらに白くする 湯上がりの母は ふっくらした梅の実となって笑った ---------------------------- [自由詩]乙女椿/渡 ひろこ[2012年7月2日20時01分] 向き合った途端、一瞬たじろいでしまった あまりにも真っ直ぐに見つめられて ファインダー越しに覗いた 淡いピンクの大輪 千重咲きの奥に守られている花芯は 何か語りた気に 唇をうすくほころばせている その秘められた思いを手繰ろうと 小さい芯のあわいを剥いても 雄しべは無いという 結ばれぬ乙女の夢は 隠されたままに 薄曇りの切れ間から射す光 翳した小枝 葉脈が透けて見える 無垢な微笑み まろく花弁を撫でる風 盛りをはにかむように微かに揺れた (エッジの効かないこの大気にも ガイガーカウンターでしか測れない 何かしらの線量が含まれているのだろう いつか容赦ない平手打ちを喰らうかもしれない) それでも今日出会った可憐な花は 巡ってきた季節と 柔らかな接吻を交わしていた 彼女は散り際まで凛と咲き誇る どんな贖罪を纏うとも 唯々、美しく開花したことに打ち震えて ---------------------------- [自由詩]斬る/渡 ひろこ[2012年10月10日19時38分] シュッと宙に向けて突き出した切っ先が 目に飛び込んできた 暗い展示室にひときわ輝く一振り 研ぎ澄まされた刀身が 強いスポットライトを跳ね返して 銀色の光を放っている 思わず吸い込まれるように近づく 蛇行する刃文の文様がくっきり浮かび上がる そのゆるやかな刃文の曲線を尖端までたどると 「痛っ」 鋭利な刃先にスパッと視線を斬られた 凛とした真新しい太刀は 鬱屈した私のていたらくを斬る (己の怠惰を血筋のせいにしてはならぬ、と) 見抜かれてしまった自分への口実 いや、斬られたかったのかもしれない 責め纏わりつく血のしがらみを 手を尽くしても 自己満足の徒労に終わったあの夏から 胸の底に黒い塊が棲みついてしまった 打ち鍛えられた鉄は邪念さえ祓うのだろうか まだ血の汚れを知らない 無垢な地がねの肌 ガラス一枚隔てての対峙 そっと横にならぶ しなやかに反る切っ先が 指し示す方向を見た ---------------------------- [自由詩]午前三時/渡 ひろこ[2012年11月14日19時16分] 地図を広げて電話を片手に話している 相手は叔父だ ある地名の場所がわからないという 三文字の漢字で表す地名 「興味の興、という字がつくの?何?聞き取れないの?」 歳老いた叔父の声はしゃがれ、耳も遠い 苦しげに何度も聞き返す叔父を気遣い 「調べてからまた電話するね」と電話を切ってふと顔を上げると ソファーに母が座っていた 風呂上がりで上半身裸だった 重たげな乳房を晒し 肉付きのいい二の腕 青白い肌から水滴が流れてる 「珍しいことに叔父さんから電話だったよ」と声をかけると それには答えず、頭が痛いと言う 目を落ち窪ませて、握りこぶしで自分の頭を押さえている 頭痛の時はいつもこの表情だった  キツいパーマの洗い髪から、ポタポタ滴が落ちる 「大丈夫?早く乾かしたら?風邪引くよ」 途端にパッとそこですべてが消えた 煌々と明るいリビングの電灯 開けたままの窓  レースのカーテンが風で揺れている 壁の掛け時計は午前三時を指していた 叔父は、すでに十五年前に亡くなっていた  九州弁交じりの濁声 息遣いまで鮮明な残像 しばし夢と現実との境目に指をかけてぶらさがっていた 黄泉の国へと通じる時間に迷い込んだのだろうか 叔父はどこに行きたかったんだろう  行き先の地名はもう思い出せない 母は・・・三十年程前の若い時の姿だった 求める母親の印象だけが記憶に残るのだろうか                   いまはもうすっかり 萎びて 縮んで 小さくなって           いつの間にか、窓の外が白々と闇を追いやる まんじりとしない夜明け  翌日慌ててケア・マネージャーに電話をした           「お母さんお元気ですよ」                      責めぎ合ったものが一気に堰を切り、いつまでも嗚咽し続けた  ---------------------------- [自由詩]最後の紅/渡 ひろこ[2013年12月2日20時02分] やっと会えた母は、とても穏やかな顔をして眠っていた 真新しい白装束 解剖の痕跡も知らず すでに身体は綺麗に浄められて 「コロっと死にたい」 いつもの口癖通り、突然の呆気ない最後だった 入浴中の脳梗塞 肺にいっぱい水が入り 蘇生の心臓マッサージにも ぐにゃりと脱力した上半身を 揺らすだけだったという母は 「もういいから。向こうに逝かせて」 と願っていたのかもしれない 「焼いて灰にならなきゃ、治らない」 ことある度に、父の「我儘」という病を そうやって自分に言い聞かせていた母 明治生まれの祖母に、長男というだけで かしずかれて育った父と連れ添うのには 忍従より諦めの方が楽だったのだろう そんな母のために、手を尽くした介護の環境も 娘としての人の道も、この「我儘」の前に翻されて 心ならずも会えなくなって一年 再会を果たした時には、母の方が焼かれてしまうとは… 苦渋の選択を強いられた月日は ままならない痛みが破裂しないように 私の中でふくらむ黒い塊を いつの間にか薄い皮膜で覆っていた 祭壇のろうそくの火が 長い大きい炎になって、ゆらゆら立ち昇る 「ママ、いま此処に来ているの?遅くなってごめんね」 不思議と心は無風で凪いでいた 母は望み通りに逝ったのだ 今頃どうしているのだろうと、もう思い悩むこともない ついこの間、夢の中に風呂上がりの母が現れて 別れを告げにきてくれたからだろう 涙と懺悔で目覚めたその日から なぜか覚悟は出来ていた 棺の中、すべてを赦したように目を閉じる母 小指でくちびるに、そっと最後の紅を差した ---------------------------- (ファイルの終わり)