れつら 2008年11月16日20時40分から2019年4月6日10時39分まで ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]ポエムのこと、を読んで思ったこと/れつら[2008年11月16日20時40分] 書くこと、について、ミハイル・バフチンというひとの本を読まざるをえなくなって、 でも楽しく読んでいます。 それはもう他の読者の方に怒られるかもしれないくらいざっくり言ってしまうと、 「小説って人生に影響しないどーでもいい部分を描写するもんじゃん?」 って話です。 なお、対置される概念は「叙事詩」でした。 ざっくり分けて、文芸はその二つのどっちかでしょ、 って話でした。 全体的にざっくりしまくってるので、あんまり信用しないでください。 気になる方は検索してください。ちゃんと読んでください。 --- http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=170903 白井明大さんがこのような文章を書かれて、ポイントがばしばし入ってます。 僕は全肯定とはいかないでも、部分部分首肯するところもあるし、 やっぱり白井さんは立派だなあ、と尊敬するところもあるのだけれど。 さて。 ・poemは、詩と訳すことができます。 ということと、 ・poemは、(日本語の発音になぞらえるなら)ポエム、と読みます。 ということ、それから ・今、ある書かれたものを、ポエム、と誰かが呼びます。 これらは各々、全く以って別の事象です。 僕の言いたいことはこれで全てなのですが、 これだと都合の良い読み方をされかねないので、ちょっと説明させてください。 つまらんかもしれませんが、勘弁してください。 この文章は詩ではないので。 ・poemは、詩と訳すことができます。 これは、翻訳の問題です。 ・poemは、(日本語の発音になぞらえるなら)ポエム、と読みます。 これは、発音の問題です。 ・今、ある書かれたものを、ポエム、と誰かが呼びます。 これは、感情と、ポエムについての思想と、関係性と、時代と、シーンと、 そのほかいろいろの問題です。 白井さんは、けっこうこの三つをぐちゃっとしたまま語ってしまっています。 別にこの話をしている段階は、白井さんの文章の主眼ではないようですし、 さらっと無視してもいいんですが、 僕は無視しません。なにしろ僕はいやなやつなんです。 たとえば、ポエマーという呼称を使うひとがいます。 僕はポエマーというやつについてはよくわからんのですが、 どうも詩人と同じ意味のような気がします。 これは白井さんがおっしゃっている、 「ポエム」と「現代詩」の問題と同じロジックです。 内実がそうなんだから一緒のことでしょ、っていう。 でも、僕はこの「ポエマー」という呼称がもんんんんのすごく嫌いです。 何故「詩人」では駄目なのか。 こんなこと言ってると頑固なおじいちゃんみたいですが、 別にそういう話ではないのです。 詩とはなんぞやー!みたいなところで、別に僕は腹を立てたりはしません。 ただただ、おもろい、とか、つまらん、とか思うだけです。 僕が腹立たしいのは、 「ポエマー」という名前を作ること、作られようとしていること、 そのいい加減さです。 こういう新しい言葉が生まれ出でていくのは一人ではできないことだし、 つまりこれは誰か一人の問題ではないのです、けれども。 何故新しい名前が必要なのか。 名前をつける、ということは、区別するということです。 ひとつの人格を生むということです。 お前と俺は違うんだぜ、ということです。 事実、違うんでしょう。 何が違うんですかね? 個のものに回収されない名付け、 往々にして、それは気分で行われます。 なんかこう呼んでみちゃうぜ☆みたいなかるーい気分や、 てめーらなんかと一緒にされてたまるか!みたいな重ーい気分です。 まあどっちでもいっしょのことですし、 僕は名付けそのものを否定するわけではありません。 問題は、詩においてそれが行われているということです。 だいぶ昔、僕は当然生まれてなかったころですが、 世の中の詩はおしなべて定型詩というやつでした。 そのもっと前はもっとゆるかったそうですが、 まだその頃は誰も詩についてまとめようとしたりしていませんでした。 それから僕が生まれるよりしばらく前に、 自由詩という運動が起こりました。 それから僕が生まれました。 僕にとって、ぼんやり詩としてイメージするのは自由詩のことです。 特に口語自由詩というやつがそのど真ん中にいます。 僕にとっては、です。 これは、詩とは何か、の問いの答えには、全然なりません。 あー話が長くなってきたうえにまたわかんなくなってきた。 もういいや、はっきり言う。言います。 「ポエマーって何する人なの?詩人とどう違うの?」 この問いと、白井さんのかの文章のなかで問われた、 「現代詩って何?ポエム(=poem=詩)とどう違うの?」 という問いは、同じ問題を孕んでいるのではないですか、と。 ピナ・バウシュは、結局はバレエの系譜を引くダンス作家です。 但し、作っているものはバレエとは言わないほうがよいでしょう。 それは彼女が明確に意図して「非バレエ的」なアプローチをしているからです。 かといって、彼女がやっているのは日舞でも舞踏でもジャズダンスでもない。 じゃあなんと呼べばいいんだね、ということになります。 彼女は自分のカンパニーを、「タンツ・テアター」と呼びます。 名前をつけたのが先か、そういう作品を作ったのが先かはわかりませんが、 「名付け」とは、僕はそうあってほしいと願います。 僕には、「ポエマー」という単語が、 どうもそういう誠実さといっしょに聞こえてこないのです。 別にポエマーと名乗る人が作品に対して誠実でないと言っているのではありません。 というかそもそも、作品を作るうえで誠実であるのが美徳かどうかさえ謎です。 でも、少なくとも、「名付けること」に関しては、誠実であるほうがいいと思います。 だって、僕はそんなのかっこわるいと思うもの。 コーヒーでえす、って言って、空のコーヒーカップ出されたら、 たぶん殆どの人が怒るか呆れるか、よくて笑うかでしょ。 狙ってやってるならまだしも、ですけど。 白井さんは、「抒情につっぱしることはたしかに、時に危険がつきまといます。ですが、その危険を知り、あえて、その危険のなか、抒情につっぱしることが、詩なのです。現代の詩なのです」といいます。 僕はそうかもなあ、とは思います。 でも、僕にこれが認められるのは、 「詩」が名付け得ない漠然とした総体に対して投げられた言だからです。 だから、そうかもなあ、とは思うけれども、そうではないかもなあ、とも思えます。 勿論、問い方が変われば、答えも変わります。 クエスチョン。 「面白い現代の詩って、どういう詩ですか?」 現在の僕の答えはこうです。 「抒情につっぱしることは、時に危険がつきまといます。ですが、その危険を知り、あえて、その危険のなか、抒情につっぱしったものが、おもしろい詩なのです。おもしろい現代の詩なのです」 そう。 詩人です。 そう名乗ることは、かっこいいと思います。 詩を書いています。 その矜持を持つひとは、潔く、美しいと感じます。 詩人だからかっこいいということではないです。 なんだかわかんないものに対して、 なんだかわかんないけど、そうとしか言えないからとにかく突っ走るぜ、 という強い意志を感じるときに、それがかっこいいと思うのです。 ポエマーです。 そう名乗るときに、これに比肩するかっこよさをいかにして身に着けるか。 白井さんも引用されている、タッキーの超かっこいい一行があります。 「全人類よ、軽々しく詩人と名乗りなさい」 でも、その後には、こう続くんです。 「そして落とし前をつけなさい」 やっぱりポエマーも詩人と同じだと思うんです。僕は。 ---------------------------- [自由詩]My Favorite Things/れつら[2008年12月12日21時29分]  クァルテットも今日はテナーサックスが休みで、席のひとつ空いたスタジオでは三本の糸がしなりながら折り重なり、それでもこの編曲が傑出したものだと思わせるのは、欠けた旋律の在り処がそこここに顔を出し、鳴っていない音を思わせるからだ。白く、浮かび上がる点はかつての四角形の頂点、けれどそこから一点を除けば三角形になるというのは、いかにも早計だ、四角形にはならない。欠けた三角形はその手を宙に伸ばし、やり場のなくなった指先をふらふらさせている。かつて内側だった面が剥き出しになり、外側だった面はそのぶん所在なさげに、スタジオの残響のなかで折り合いを欠いている。なにぶん足りてないわけだからね、と頭では納得させようとしている残りの頂点はただ直線の折れ目、今となってはその背と腹に迷いを擦り付けてどちらかに凹んでしまっているようにしか見えない。  仕方なく繋ぐのか、手を。アルトの管体がふるえ、誰よりも速く駆けるメロディーとベースラインの合間。バリトンはべそをかきそうになっている。閉じかけた圧で空気は吹き零れ、音となってその飛沫が重なり合う。三角形。閉じた弁を開けかけて黙ることを恐れた指貝のひらめき。歪に線の整わない三角が転げて坂道を下る。角を落とし始めてちっちゃくって、まあるくって、さんかく。アレ好きだったのよあたし小さい頃、アレでももう三角じゃないよね、まあるかったら三角じゃないじゃない、そりゃそうだけどもさ、あのころは、わたしとても好きだったのよ。甘い味が舌先に広がってタンギング、弾けるリード、振動、気温の変化。トーンホールのゆるい曲線をなぞって奔流がだらしなくあけた朝顔から吹きこぼれる。ちっちゃくって、まあるくって、  三角形は面だ。滞りなく寝そべればそこから動くこともないのに。削れた頂点はなんとかその折り目を保とうと拡散し、摩擦する面を広げていく。絡まった指先は解けついて、けれどもその上の、朝顔の上の滴。震える髭先。銅製の管体、暖かいウールの絨毯。スタジオの毛羽立ちは上空へ、仰ぎ見れば天井はなくて空、夜を飛ぶ雁は月を欠いてその輪郭が見えない。わたしが思い出すお気に入りのありさまがへらべったく空に張り付いて首筋が重い。手をきゅっと結びながら寝そべったわたしたちが立ち上がれないのはどうして?悲しい気持ちになるときは  ごめーん、おそくなったあ、もう遅いよ、どこいってたの、なんとなく疎外感、けれど浮き立つ白い点に指を重ね合わせて閉じる、白い睫毛に落ちる雪、溶けかけて春、ドレスのようにしなだれかかる青い渦、空。閉じるなっていったじゃーん、遅いからだよ、三角形にひとつ点を加えたら?四角形、ではない、それは早計だ。組みあがった三角にひとつの点。中空に浮かびあがる真っ直ぐなソプラノの管。多面の彩りは触れる広さ。わたしが思い出したのは塔、三角形にひとつ加えたら三角錐。きりたちのぼる朝の山のちらつき。ちっちゃくって、まあるく削れていくいくつものさんかくの折り重なりおにぎり、ピクニックに出かけたくなるような空模様に立ち上がる膝から腰。よっつあたまがでこぼこに揺れている。わたしはただ、おきにいりを思い出す。  そういえば、あのころからずっとかわらなかったのはあたまのおおきさ。体はずんずん伸びて、どんなひとでもあたまよりおなかのほうがおおきいの。わたしたちはずっとひとつの塔になっていった。伸びながら突き刺さる朝顔が錘の先では笑い。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]ことばのさんすう・序/れつら[2008年12月23日23時53分] これから書くのは、詩をつくる際に僕が行っているごくごく基本的な操作についてである。 何故そんなことを書こうと思ったのか、について、まず一義的な理由を述べるなら、スタジオイマイチの大脇理智氏に「谷君もなんか本出せばいいのに」と言われたからである。いや、もっとはっきり言うならば、それに対して僕自身が、「や、でも僕にはまだ書き残すような明確な方法論はないんで」と言ってしまったからである。 果たして本当に方法論はないのか? いや、あるのだ。実際は。 今ざっと眺めるだけでも、現在のパソコンの中のpoetのフォルダには、200を超えるテキストファイルが存在している。更にそれとは別に、20近い上演台本として構成されたものがあり、記憶する限りでも30を超える随筆・エッセイの要請に答えてきた。明確にテキストを作品として考え始めてから約6年だから、他人に読まれるためのものを書くということに関して言うならば、それほど多いとは言えないのかもしれない。しかし、この単純計算でも250本のテキストを生産してきた中には、何らかの因果を持って言葉を支配するものがあり、それを意識的に、あるいは無意識的に使用してきた自分を、僕は知っている。 これから書き記すことが、いかほどの意義があるものか、というのは知れない。だが、チェルフィッチュの岡田利規氏はその演劇論の序文で、「方法論の体系化にもし意義があるとすれば、それは逃走する対象を明確に把握するため、それによりはっきりと逃走できるようにするため、にほかならないのではないか」と述べている。まさしく第一のこの文章の目的は、これである。ここから鮮やかに逃走するために、僕は書く。 あるいは、大変初歩的な、つまらない言説に堕するかもしれない。 しかし、使ってきたと自身が明瞭に言えるものを記していくことにする。この道は、もう二度と歩まぬ道になるかもしれないし、何度も往復せざるを得ない道になるかもしれない。それはまだわからない。 ただ、歩いた後がすなわち道になるわけではない、それだけはわかる。道として歩ける、そう思われたものこそが道なのだ。僕は、道草をするために、道を作ろうと思っている。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]ことばのさんすう・1/れつら[2008年12月24日0時29分] 今回はタイトルにもあるように、時折算数を引き合いに出す。何故なら、僕は算数が苦手だからだ。通れない場所に隣接したほうが、通れる道は明瞭になる。僕が自信を持ってできるのは、せいぜい四則演算の程度なので、これは中学生くらいなら全員出来ることだろう。時折出来ない範囲の話も出てくるだろうが、それは出来ないということを確認するために過ぎないので、ひとまずは無視してもらっても構わない。 では、はじめよう。 まず、ひとつ、ということについて、考える。 ひとつ、というのはどういうことだろうか。 1+1=2 これはおそらく、全日本人が真っ先に学ぶ演算だろう。 「ひとつ」と、「ひとつ」。これで、「ふたつ」。 実に明瞭である。しかし、「ふたつ」とは本当に、「ひとつ」と「ひとつ」が合わさったものなのだろうか?「ふたつ」は、ひとつの単語である。この意味では、1と1を演算した結果、別の意味を持つ1が生成される。今回の文章の主眼は数学ではないので、こう言いきってしまっても問題はあるまい。 また別の操作を考える。 「ひとつ」と、「ひとつ」。 これを直接、連結する。すると、「ひとつひとつ」という慣用表現が出来上がる。 「ひとつひとつ」は、2だろうか?いや、そうではない。「ひとつひとつ」は、ひとつの単語(あるいは連語、と言うべきだろうか?)である。また、「ひとつひとつ」の内実は、1の集合である。1ではない。が、1以上の複数であって、それがいくつあるかはわからない。この二重の意味で、「ひとつひとつ」は(必ずしも)、2、ではない。 話を一度、詩に返す。 詩をつくる、というのはどういうことだろうか。 なにも哲学的な問いかけをしたいわけではない。詩をつくる、というのは、まずは、「一編の詩作品をつくる」ということである。ふたつ以上の詩を、ひとりの書き手が同時につくることはできない。私たちは、製作の際には、常にひとつの作品を作っている。 では、「ひとつの詩」とはなんだろう? 狭義での詩は、幾種類かの語の連結である。この連結の操作を行い、定着させるのが書き手の仕事であることは、ひとまずご了解いただけるかと思う。その時に、私たちは、「ひとつの詩」を書くことしかできない。言い換えるならば、書くときに、私たちは「ひとつの詩」にせざるを得ないのだ。 ここで先ほど述べた1のことを思い返してほしい。単純に言葉を連結させた時点で、2以上は1に回収される可能性を孕んでいる。つまり、私たちが常に取り扱っているものは、1なのだ。少なくとも、1の可能性を孕む複数なのだ。 ここで初めて、作家の意思があらわれる。 純然たる1を目指すのか?それとも、複数を孕む1を目指すのか? これは各々で操作すればいい事項である。好きにしてくれ。ただし、「ひとつの詩」を書くことしかできない、ということは、書くプロセスにおいて演繹的にか帰納的にかは知れないが、常に1を纏っている。そのうえで、集中したり、拡散したりする。まずこのことは意識の端に置くべきだ。 まとめる。 詩を書くということは、複数の言葉(記号、と言い換えてもいいだろう)を、1を内包する性質の群にすることだ。 それから、当然ご了解かとは思うが、今後読み進めていく上でのこともある、一応、このあたりで断っておく。 全ての事項には、例外がある。 (勿論、続く。) ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]ことばのさんすう・1・1/れつら[2008年12月24日3時34分] 僕は元来多くの詩を覚えているほうではないが、「ひとつ」ということを考えるうえで、忘れられない詩がいくつかある。今回の論考ではこうした例を取りながら考えることも必要となるだろう。 りんご   山村暮鳥 両手をどんなに 大きく大きく ひろげても かかへきれないこの気持 林檎が一つ 日あたりにころがつてゐる 事物、に着目するならば、この短い詩のなかに明示されているのはたったふたつ「気持」と「林檎」である(無論「気持」を事物であると断言できるかと言われると、若干の留保がありはするのだが)。前段で論じたように、詩は1を孕むということを考慮に入れるならば、改行を挟んで真横に置かれた「気持」と「林檎」がいかに結ばれているか、ということがこの詩の最大の跳躍であると考えられる。 「気持」に至るまでの、それにかかる大きさの描写。 「林檎」にはじまる、それの置かれた状態の描写。 前者はその大きさを示し、「気持」の範囲を限定できない点で、拡散的である。対して後者は「日あたり」という環境に遊ぶ一個の転がりとして、全体の中の点を示す。 さて、ここで「気持」が事物であるか、である。 言うまでもなく「気持」は五感で感知し得ないものであり、語弊を恐れず言うならば、それは即ち概念である(シュレディンガーの猫がうんたらという話はひとまず置いてください)。概念はその質・量・様態の解釈が実に多岐に渡っている。単純に言い換えるならば、僕の考える「気持」の像と、あなたの考える「気持」の像は違う、ということだ。これが「林檎」であれば、ひとまず「林檎」を提出することは可能である。「これが林檎だよ」と教えることもできるであろう。しかし「気持」はそうではない。 (余談だが、恐るべきことに、と言わざるを得ないが、この手の単語は数多ある。そのうえ、五感で感知し得ない以上、いくらでもその虚の実態を仮定し、新しい単語を生成可能である。そしてそれが詩をつくることと密接に関わってくるが、これも後にまわす) 「気持」は、事物ではないかもしれない。 例えば、範囲かもしれない。すると結ばれ方は変化する。「気持」のなかに転がる個としての「林檎」。これが素直な解釈か否かは別として、その可能性は孕んでいる。1でありながら複数を孕む、ということは、例えばこういう現われかたをする。 ともあれ「林檎」は「一つ」である。 しかし、その前の「気持」と絡み合うことで、「林檎」を取り巻く風景はどこまでも広がりを見せる。「林檎」と「気持」を同一とみなすにせよ、「林檎」を取り巻く全体が「気持」であるにせよ、「気持」をあらわすために書き手によって広げられた範囲、その収束点として「一つ」の「林檎」がある。決定不可能な「気持」のかたちを、「林檎」の転がりは決定しないまま、しかし「林檎」は日の光を受けている。 「ひとつの詩」とは、例えばこういうことだ。 ---------------------------- [自由詩]はるのゆめ/れつら[2008年12月27日5時57分] ひとつところに立って 夢をみている 春の夢をどうして 春を知らぬあなたに伝えようかと しらじらしく足元はうろついて 煙のように立ち消えていく 春なんてあったの、どこに、なんて 一切を思い出して朗々と語っても今は冬 その冬も照りつけるままに散り失せて ところで、雪、ってなに あなたは問う それも難しいはなしだ 髪をかきむしって ひとまず、はるのゆめ、について 語るからだを、投げ出す、あなたに 「いま、わたしのからだはあたたかいけれど あなたには触れられない、そういうことだと、 ひとまず、 ---------------------------- [自由詩]ひとつずつことばじゃないけどにゅるにゅる/れつら[2009年1月2日3時03分] おかあさん、を呼ぶときにいつもおかあさんは一りなのだった、いちめんに町風景が広がっていても、こわいのは夜帰る道、たんぼのなかでにゅるにゅる光っているものがあればそれはヤバいからやめり、といわれるのが遅い畦の中、おののきながらカタクチイワシのかたまりを頬張ると甘めの雨、雪になる前。 クラウチングスタートのほうがずっしりと重い短距離のなごりで、伸びていく同級生の脚力をみていた。メートルからメートルをわたしてキロメートルになるのが落ち着かないのだった。痛ましいやぶさめが破れた的めがけ駆ける途中放たれる洟垂れを眺めると転寝、コロンでは消せない入念な体臭が鼻からは香り。 にゅるにゅる、の正体をあばく隊はうごめいてなくなっていくのだった、街角から右折すると田舎で、その通りで。柿かけた秋の残した雪がなくなってから春、の酔いのころには二十歳を過ぎて母を呼ぶこともなくなる博学のあたまの灰色。ハイイロといえばアスファルトなのだった。あしもとのにゅるにゅるは全く怖くもなく、にゅる、というよりはみみみみみみみみみみみみ ---------------------------- [自由詩]音楽/れつら[2009年1月3日7時28分] 虫がとび、手を打つ手を打つ。三つ目を打つと拍手。聞かなかった旋律を賞賛するようで眉をひそめ。 ---------------------------- [自由詩]メシもうまく食えない/れつら[2009年1月5日10時20分] 足に土がつかなくて困るな 酩酊すればふわふわ笑って なんぼかの時間は踊るけど 靴を脱ぐほど馬鹿じゃない 馬鹿になってもいいわけを しないでいいほど賢くない 蹉跌みたいにあたまには髪 そんな感じで知性が燃えて ぱちぱちと音をたてている 引力のありかはわからない ただ毛が突き抜けてくのが 怖くて頭を振ってはいるが メシを食っても吐いて 上からも下からも垂れ流して 一本道ならよかったが ここは地平だ 空に帰り地に帰り 体は離散する あらがわず手足を伸ばすが 千切れもせず元気ってどうだ 日々死に続けながらまだ 生きてるってことはどうだ こころの在り処を問うほど 何も知らないってのはどうだ 酔ってるだけと笑うが 君はどうだ ---------------------------- [自由詩]しかんたざ/れつら[2009年1月13日13時09分] 古い夢を見た ドアの向こう側は赤く塗られていて こちら側でノブに触れている 覗き穴からは配達夫のノックが肘から先だけ宙に浮いていて 振りかぶったところで細かく震えている メトロノームを拡大したような時計の音が残響で 断面は見えないが刻まれていることだけは分かる ドアノブは球状で余りに大きく握ることが出来ない 突き通る軸に任せて回そうとするが X-Yが逆転した独楽にすぎない 空転する 空転する地面で古い夢を見た 私は立っているか座っているか横になっているかしかできないが 彼らは違う 腰を下ろしかけている者は撃ち抜かれ 立ち上がりかけている者は尻を蹴り上げられる それ以外の者は既に四肢が散り散りなので 立つでもなく寝るでもなくそこにあることが分かるだけだ そこにあることが分かるだけで それは人ではない 古い夢を見た 視線を水平に取れば行く先はどこまでも遠い 肝心から離れて透き通る未来のもうひとつ先 ぶつかる者もいるが ぶつからない者もいる ドアは垂直に屹立して低くその徒手で天井を突き刺す 血の滲まないことを嘆く者に傷口はなく 傷口がある者は既に口がない 流れる川の赤さを聞くのは生きている者だけで ここには生きている者しかいない それ以外は夢のようにある それは古い夢だった 知ってる 今日テレビで見た ---------------------------- [自由詩]雪ならいい/れつら[2009年2月10日23時25分] とっくに詩人でなんかなかったことを ようやく認めようとしている  もういらない飽きた  雪でもいい 食べたい とっくに凍えて死ねてしまうのに 肌の強さで生きてしまえる 身体は絶えず冷たいと愚痴るのに 心のほうがにやにや笑えというのだ できそこないの思いがくやしい みじめに散っていく飛沫 水が轍を覆い、冷たくなれば凍る おりてくるのが雪なら 足跡も残せたろうに 雨だからできない 順序がまずかった 出会うやりかたを、やりかたが、 差し替わっていたならば 「寒いの、平気なの、私は、雪国の生れで、ほんものの北国のひとだから、 お茶とか、飲みます?あったかいの、淹れますけど」 やさしい彼女は友達 なんかおもろいこと言おうと思って 口先がべとつく こんなに寒い日でも 雪なら冷たいだけで済んだ 肩からはたき、落として、 歩けばよかったのだけれど ---------------------------- [自由詩]秘密基地(草稿)/れつら[2009年2月16日14時26分] やることがないからネットしてる 何時間もクリックとスクロールを繰り返している 途切れたリンク先で後ろ向きの矢印を叩く ここはいつか歩いた 糸くずが指先に絡まっている ここはどこだろう デスクトップに打ち捨てられたURLを貼り付けて 画面の奥を見る ノットファウンド ほんの数十バイトに要約されてしまった粒子が ディスプレイと眼球の合間で跳ね返り続けて 視力を削り取っていく むしょうに誰かと話がしたくなって 出会い系の宣伝ばかりが流れている掲示板に文字を叩き込む ハロー、ハロー、 携帯電話を掴んで電話帳をまさぐる かける先がなくって適当に番号を押す パルス音が鳴って、表示されている友達の名前があまりに昔で おもわず電話をきってしまう 指先は正直だ 文字を書くことが少なくなっても にほんごはいつでも呼び出せる 挨拶だってできるよ、どこにも届かない手紙でいいなら ドアを開ける 歩き出したのはいいけど行く宛てはないし このまま知らない路地で折れてみようか すれ違う人と合わせた視線もすぐに切ってしまう 知らない目玉がまとわりついている気がして 振り返ると誰もいない (中断) ---------------------------- [自由詩]リリーフ/れつら[2009年2月16日15時25分] ぼくはもう駄目だからあとは頼んだ。このゲームがいつまで続くのかはわからないけど、行けるとこまで行ってくれ、投げたくなったら投げればいい。一度降りたら戻れないのは分かってるし、それなのに君に任せるっていうのもなんだか無責任に思うかもしれないけれども、いいかい、責任は生まれるものだからね、ぼくや君がどう感じていようがそれは問題じゃないんだ。ほら、ごらん。魔物がいるよ。手を振っている。楽器を吹き鳴らしている。手を振り返してあげな。彼らはゲームから降りたんだ。うらやましいんだよ、君が。 たぶん、そろそろ最終電車が出る。ここから出て行く奴もいるだろう。君も帰りたいかもしれない、申し訳ない。どこへ帰るのかはぼくは知らないが、随分いいところなんだろうね、目を見ればわかるよ、少なくともここよりは。切符はあるのかい、あるね、君のポケットの中に、いつでも仕舞ってある。失くしてないかな、気になるだろうけれど、今は確かめないほうがいい。砂埃で汚れてしまう。汚れたら受け取ってくれないよ、皆気にするんだ、そういうのを意外と。 サインを決めよう。指一本で真っ直ぐ、二本で曲がる、三本と四本は使わない、五本でもう勘弁してくれ、これだ。遠くになるから分かるように高く、高く上げてくれ。それでも見えるかどうかは分からないが、手を高く上げたら肩から脇にかけてのストレッチにもなるから気にするな。急にあげるんじゃないよ、ゆっくり時間をかけて、でも決めたらもう変えるな。どうせ君が決めたことだ、色々言うやつはいるだろうがサインは3つだからたかが66.6パーセントだ、3割打てば上等なんだから分の悪い話じゃない。とにかく、高く、高く上げる。頼んだぜ。 今まで一度も言ったことがなかったと思うけど、君の球は魅力的だ。思わず抱きしめたいくらいに美しい。だからきっと受け止めてくれると思うよ、彼は、どこへ行っても。好きなほうを向いて投げればいい。君の仕事は向こうまで届ける、それだけだ。簡単に思えるだろう?けれど、それが時々すごく難しく感じられることもあるんだ。打ち返そうとしてくる奴が気になるかい?ぼくも気になった、けれども居るんだ、奴らは。いつもそこに居る。君の隣にいつも居るけれど、だが、よく考えてくれ。奴らも振ったり振らなかったりする。怖いんだ、風を切るのが、手もつけられない速さに身体が持っていかれて、空を泳ぐのが。ぼくだって怖かったさ、だから、ちゃんと受け止めてもらえるようにしておくんだぜ、高く、高くだ。 よく見てくれよ、ぼくはもう無理だ、腕がない。飛んでっちまったんだ、向こう側に。吹っ飛んだ腕はそのうち地面に落ちるだろう。砂埃で汚れて、壊死してしまっている。サインが出せないんだ、左手はグラブがあるから。グラブを外せばいいって?無茶言うなよ、球が受けられなくなるじゃないか。あんまりぼくの楽しみを奪ってくれるなよ。君の球は増えるんだ、何十個、何百個、何千、何万。手伝わないといけないからね、ぼくも、魔物になるんだ。球拾いをするから。サインを、頼んだぜ。上げられるところまででいい。高く、高く。 ---------------------------- [自由詩]フレア/れつら[2009年2月18日5時04分] ねえ、ごめん、 なさい目の痛みがないのは、 まっすぐ見た、見て、いる、はずなのに。 ある、ひ、かり、に、 踊るように広がって、白く、 飛んでいる、魔法、に、なって、 触れたもの全部消してしまう、としたら。 輪郭の一部、なぞる、ときにはもう、無く、 時間だからな、消えたんだ、もう。とっくに。                    光源は。           フレア、わ、わたしの、の、             名残、わたし、見た、星の           ひかり、わ、なぞり、          わたし、みたの、わたし、の、       わ、と、わ、が、か、さ、な った、た、ま     、まる、                    。 ちへーいせーーーーんーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、 の、延長線上にも点、 ごめん、なさい、見てなかった、わたし、何も。 レンズは滲んで、こぼれた 散る、飛沫、痛みを うつくしいと思った、 りした、 ねぇフレア、 うそつき。 わたしたちを焼く閃光も、 遠すぎて、あたたかい過去。 ---------------------------- [自由詩]motodori/れつら[2009年2月21日3時09分] みじかく切れてしまった糸を 玉結びするみたいに ほつれた布を縫い合わすのは むずかしいことだね 夜のあいだじゅう意識を失わずに きみを待ち続けられればいいのに グラスでは焼けた酒が溶けて ひとりでに回りだす かきかけた手紙を丸める インクが切れたのか 文字はてんてんとして 耳たぶが赤くほどけるときには 昔のことは思い出さぬように これから、電話するから それだけでよしとしてね 強張った頬を腫らして笑ってたら つめたい右手で冷やしてあげる 虫歯の痛みみたいな思い出は 甘いチョコレートを溶かして飲み込んでしまおう そしてふたり昔みたいに のらりくらりまぶた落として、もとどおり ---------------------------- [自由詩]らいこう24(春の心臓)/れつら[2009年2月21日18時13分] わたしたちは、 とても多くのものを、 知りすぎてしまったと思うの、 彼女は言った。 短い晴れ間に雲がさすこと 宇宙は青緑に澄んで 見えない星をあるものにした わたしたちは、 目をつむればつむるほど、 よく見えるようになってしまったと、 彼は言った。 心は握りつぶせること 音はたわみ消えゆくこと すべてのものは息をころし そのまま朽ちていくことも 川辺にいて、 鳥の囀りを聞いたのと らいこうを見たのは同時か、 でもそれもわたしの頭の中 遅れてきたひかりが こころに追いついたとき 身体は動けずに 走り去る気持ちを目で追っている わたしは日が昇りきってから、 ねむることに決めて、 でもそれがどこかはわからない この朝が一瞬で どこかに動いてしまって まぶたの裏が白いまま こびりついたらいこう 心臓が脈打って ねむれなくなってしまう ---------------------------- [自由詩]ゼブ/れつら[2009年2月27日3時18分] ぜぶんなよ、あんまり分け隔てるモザイクの。渡る道すがらアスファルトの熱あつい、夏だから。冬場はあたたかい温泉に入ります。細かく震える装飾音符です。せんぶん、イレブンPMを過ぎて立ち寄るコンビニエンスストアの陳列。ちかちかしますね。目が点から線、を発して切れますブラウン管、電源みたいに。 がぜるなよ、と言いましたあなたはでも保護色でしょう?サバンナみたいな我慢がならない野蛮な土地柄、トイザラス。やはり棚には色彩、記載の文字列もバーゲンセールでライオンキングの玩具も体温ピンクになるサーモグラフィーかも。目にもとまらぬスピードで分析、来た道戻るチーター。どんどん温度は低下中、残り物に福はおろか鈴の音も聞けぬクリスマスの雪に。 ゆき、帰りみちのり、あわせて転々とするカーゴの中。高速突っ切って分かれ道探す友人と。群れからはぐれ、紛れ込むなら雪の中だよねーって。コタツ恋しい。通り過ぎた道のりは白黒に分け隔て、路肩のべしゃった水まがいの泥にまみれて横断できない歩道、さてどこを歩こう? 手ぶらで歩く自分ら、まもなく分かれ道。 ---------------------------- [自由詩]アンティーク、アンティーク/れつら[2009年2月27日21時12分] 年をとる、っていうことが、 リアルに想像できない ランプの光がゆるい喫茶店で 丸太造りの壁にもたれかかってて 木の息遣いを感じる、と あなたは言った 色艶はニスで光って 皮膚呼吸を止められている もう二度と蘇ることがないよう 美しく殺されたまま わたしたちは店を出て 川べりの道を歩いた 街路は手足を時折もがれながら それでも伸びかけている木々に覆われていて 時々こうやって、枝を落としてやらないと 美しい花を咲かせることはできないのだ その口ぶりが得意げに聞こえて なんとなく彼を許すことができない 生きている間にしか 生きているものには会えない 死んだことはないからわからないけどね きっとそう、 わたしは頷いた でもそれはきっと、死んだものでも同じこと その木に触れるのが躊躇われて わたしは今 うまく息をつげないでいる ---------------------------- [自由詩]祝辞/れつら[2009年3月24日0時08分] たくさん たくさんたくさん たくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさん の、はな * 汚れた雑巾で机を拭きながら それでも掃除をしてるつもりなのだ 滴り落ちる泥水は目から 見つめるとぼやけて乱視だから 霞んだ水流の強さに負けて 目を擦って煙草をふかす 休憩しよ、ね、きゅうけい また空が磨れていく ** どれだけ愛したにせよ どれだけ愛されたにせよ そんなことは胸のうち 下着以下、裸未満で抱き合い たくさん言葉を交わした 裸婦のスケッチみたいに手触り 木炭は削れ落ちて指の上 *** 春の色、っつってピンクって安直 寒色じゃなく、でも肌寒い夜は黒 浮かぶのは宇宙、真空 ってことは距離がないってこと? 違います それは全然ちがいます **** こめかみにまで心臓があるから 触れると赤かった頬は冷えてしまって 指の付け根で断ち切れた選択肢 ごほん、じっぽん、にじっぽん なんだかたくさん選んでるみたいだけど、そうだよ、たくさん そしてその隙間に空 たとえば花びら ずいぶん時間がかかったなぁ、綺麗になるまで 睫毛の輝きは涙のせい 無限に無碍に別れよ手と手のつながり ふたりならじっぽん、にじっぽん、よんじっぽん ***** せーの、で さよなら できなかったのは なんでかね? 顔のひだりがわは笑い事に怯えて みぎがわは悲しみにくすぐられてる はなはどっちに行ったら良いかわからずぴくぴく 口ではあうあう 舌が唾液にまみれてひとりでフレンチキスするみたいに 霞を食ってまた何事か呟く それにしてもいまだ からっぽの体内転がしながら 明日には発つって不思議ね 夜でも、夜じゃなくても 光が跳ね返って目が痛い 目だけじゃなくからだじゅう痛い それよりいちばん遠くで なにより輝く星が痛いよ ****** 一応、想定してた未来では 僕はあなたを置き去りにして行く予定で その残酷さに泣いたことも幾度も けれども実際はといえば どこへ旅立っても、置いてけぼりを食うのは僕 なるべく遠くにいこう でももうあきらめた ここから宇宙の果てですから、とかなんとか 呟きながら中指で窓を開けて 薬指は水滴まみれ ほかの指は? あいかわらずふらふら、よかった 指輪をしてたのは一本だけだった ******* 明日も 無事に心臓が動いているなら ひどいって思う リアルタイムに道端の草いきれが伸び行くのとか見えまくり なんていうか超ポジティブ! マジあがるーとか言いながらその葉っぱ吸ってるひと 脳は鈍化 煮こごった血流で単語三つくらいしか出ない まじはんぱねー はんぱねーよ はんぱねーなんなんだよ おれ おれから抜けろ、おれのいちばん大事なアレとか 連れてってよ あげるよ心臓 いらんから、マジで ******* いつでも 何度でもはじめられるってことは いつも ずっと終わってるってこと ぁたしすっごぃムカつくことあって〜 やうやうしろくなりゆく 旅は千代の過客 隣の客はよく欠く空 吐く吸う繰り返す音が鳴る 胎が仰け反りまた押し出すぐうの音 あるいはちょき、ぱー もう何も大事にするもんか だって全部だ、これからが全部 これまでも、今も ******** 希望について。 色々いいお話がありましたね。 信じていますよ。 目は潰れてても目を見て。 いつしか、 いつしか。 ********** 細かく震えるだけなら自由だ まだ冷たい風に先走って花は揺れる 五つの花弁がばらけては落ちて 地面、地面以外 瞬間で捉えるならどこへでもいけそう なのに重力がきついね ひと雨きそうだ けれども今なら まだやりようはあるよ 泣く、泣く、みんな泣くけど ずっと気持ちいいの知ってる 笑う、って才能のこと 唇も散り落ちる ---------------------------- [自由詩]ぼくは仕事ができない/れつら[2009年3月30日17時30分] ぼくは仕事ができない ぴかぴかしたのとつやつやしたのの区別ができない 鈍色の玉が転がるのを捕まえることができない 持たされた白い機械の置き場がわからない 箱を左手に札を右手に持って 一歩下がったら箱を差し出すつもりで 気がついたら札を渡しそうになっている あわててもう一歩下がって荷物にけつまづく 転がり落としそうな身体をなんとか支える 大声で笑われながら 誰もぼくが笑われていることを気にしてはいない と言い聞かせるながら 身体を起こす 顔が青白いのは体調がわるいのではなくって 頭がわるいのです 要領がわるいのです ぼくは仕事ができない 休憩所でみんなが煙草に火をつけるのを見てから ようやくぼくも咥える だからいつも3分の1くらいは吸えないで 揉み消す 上手くできなかった仕事が 灰皿の上で棒状に折り重なっていく ぼくは仕事ができない 一礼して、荷物を下ろし、札をつけ、あるべき場所へ運ぶ 誰にでもできる簡単な仕事が ぼくはできない 店中の音がきらきらと跳ねて汗腺を埋める 片耳だけつけたイヤホンから聞こえるノイズで 頭が左に傾いていく しまいに真っ直ぐ立てなくなって ぼくを動かす画面の色が見えなくなる もうすぐ転ぶだろうというところで手が着けてしまう 立ち直れてしまうぼくは 間違えました、と傾いた唇を上げて目じりを下げて 間違えました、とくるりと向き直り 間違えました こんなところに立っていて 涙を落としそうになっているのもたぶん 何かの間違いです また巡回路を歩きながら 間違い探しをしている ぼくの頭が間違いです ---------------------------- [自由詩]冬/れつら[2009年12月5日17時44分] 水の中のほうがあたたかいの、というので、 手をひたすが、爪の間を刺す冷たさ 違うからよ肌の面積が、先に言えよ、思う。その前に手を引く これから踊るというのに、着替もしない。 人魚だった。 怜悧な眼はまばたける。 ほのかに違えている体温をなじませるように、 呼気と吸気を気遣うのどぼとけ。 それを見て笑う。ああ、 何時間か経つだろう。 鱗は?忘れてきた。事もなげにころころと 踊る水滴も髪から落ちぬようになったそのころ。 今日は何時間残ってる? まだまだ。 もうちょっと。 日のあるうちに空気と混じれ。 そして分かつように。今日のうちに。 夜にはさかいめもないのでね。 海そら。見る間のさまもなく打ち寄せるよ、とばり。 ---------------------------- [自由詩]冬以外/れつら[2009年12月5日18時00分] 確かにchiにあしをつけずにきたのに 髪の毛をkaくのに取り掛かった途端に彼女nanoだった (ローマ字部分はダブルミーニングであって音声上の問題  ローマ人がローマ字を使わな「かった」ように/使わな「い」(?)ように   (想像上のいきものは生きる    斜め上などではない    想像下を生きる)) 開ききると窓にせよ釦にせよ風で冬だった 凪いで凪いで凪いで凪いでけれどもそこから先は冬 だから僕が冬以外 着替のないクローゼットも             (ないということでは冬だしー             (ていうかいつのまにかCD終わった               (いいや終わったのは時間               (終わったというのに再生する音楽 ほだしてゆくな、情よ。今日という日に対してあまりにも保存性が 高すぎるではないか?いくら朽ちるとはいうものの何万回も流れる ポリカーボネイト、あるいはもっとデジタれ。デジタっていけよ。 気持ち乗せるな、寿司ネタのように甘く解けるな。冬のばあい、 煮凍ってしまう肉汁のように数日もほっとかれたならば。 それも冬の一分とkasukanikasuかすかに、かす、粕、蟹、食べたい。 甘い海の殻、皮、削ぎ、、割り。 とりま、 冷蔵庫はまだ冷たいし なんでかっていうと冬以外 中身なんて全部持たんけど考えるからいちおう(ぶーん云うてる え、ぜんぶ、ぜんぶ持たんよそんなもん 持つわけない ---------------------------- [自由詩]片野さん/れつら[2010年3月6日6時36分] 片野さんはシステムで 片野さんはその前には詩を書いていた 片野さんがシステムを書き出したので 片野さん、システムですね と言うと 片野さんは、詩ですね、と答えたのだった 片野さんの最終ログインは4年前に終わっていて 東京の飲み会に、どうしてだかぼくを誘ってくれてそれきりなのだった 駅地下で、よくわからないひとたちが話していて そのコンテンツが明るいのだか暗いのだかすらわからんのが 飲み屋を出てからもしばらくは続いていたのがおぼわっている 確かぼくは、ひとりで電車に乗った 地下鉄が揺れる間もぼくは詩のことなど考えず けれどもその間も揺れる吊り革を眺めていた どうしてだか電車が止まっても 誰も握らない吊り革はぶらんぶらんと余韻を残していて 苦々しくおもい、隣の吊り革をひん掴むと電車がまた発車した ぼくは揺られた 中央線はある地点を境に地上に吹き出すのが特徴的で けれども酩酊した頭ではそれがいつなのかよくわからなかった ぼくはわりにしっかりした足取りで電車を乗り換えていた さらには新幹線の切符を改札に通し 路線図を嫌うようにしょぼくれた無人駅で降りた そのまま4年ほど暮らした ある日、片野さんがやってきたので 片野さん、詩ですね と言ったら 片野さんはシステムだった そんなことはあるまい 片野さんはそう言って笑ったが ぼくにはそう見えた そんなことはあるまい ぼくは残りのビールをぐいと呷り 切符を買う ---------------------------- [自由詩]そして、最初のはなし/れつら[2010年4月21日0時26分] そして、最初のはなしをしよう、 どうして始めたのか、どうやって始まったのか、 それがわからないから、お父さんと、 お母さんの、名前をじゅんぐりにつぶやいて、 そのなかにはまったくぼくがいなくて、どうして、 と聞いたら、お父さんは、 にやりと笑って、お母さんは、 なんだかだんだん、お父さんに、 似てきたねえ、なんて言ってくれる、 おねえちゃんも、にやにやしていて、 あんたのほうがにてるよ、ってぼくは言って、 鏡の前で、なんでか左右はさかさまにするけど、 上下はそのままだ、手を伸ばすと、 突き当たって、こつん、 ってぶつかったのが、最初なのかもしれない、 けれど、かたく音をたてたのが、 骨なら、それよりはやくぶつかった肉は、 どこへいったの、皮は、 ぼくは、またたき、 その、あいまで、 それがたぶん、最初のはなし、 ---------------------------- [自由詩]3月3日は家族の日(未完)/れつら[2014年3月10日6時08分] かつてハムレットは答えた 「元気だ、元気だ、元気だ」 オフィーリアに加減を問われたときに このときのハムレットが病気であるにせよ、ないにせよ オフィーリアがどうであるか オフィーリアは水に流れ ハムレットは機械になっており 元気だ、と繰り返すのはらくちん。 gのキイを打てば予測変換する 元気だ、 ↓、エンターキイを三度 元気だ、元気だ、 さっぱりして 蛇口をひねっと 顔を洗うんば、肌がやっ、と声をあげぬる 水はいたい。 湯加減はどうだ、 父は尋ねるが馬鹿 水はひびわれ。 3月3日は家族の日 おとうとは帽子を目深にかぶったように見ている空を 空を見ているようにビルを。雪吊の屋根を。 きれぎれの前髪から。 やっとこ父を、兄を背丈を抜き、とうに祖父も だれより高いぢべたから つまらなそうに箒をかけた昼間のあと 埃が天にかえるような時間に。 せなかは丸まっている。 ずいぶん太ったと笑いながら男どもは たとえば焼香のじゅんばんがまわって 大きな背を、 小さく小さく丸め。 男どもはその背中をさするように知っている。 骨がすっくと撓っていること。 白い竹。 棒切れを振って歩いた山。 うちのオフィーリアは。 嫁に行ったのだが、愛想はなく。 名古屋で、金屏風の前で。 紅いドレスを着て。ぶさいくで。 わらっていて。 わらっているときは大抵こまっていて。 ハムレットは半分はげていて。 眼鏡がずっていて。 むかしオセロをしていて、姉に負けるたびにくやしくてしくしく泣いた。 こいつは手加減というものをしらないで、 わざと負ける器用さもなく。 つまりかわいらしくもなく。 そのくせこまっていっしょに泣いた。 このきちがいが、自分のことでは泣いたのをついに見たことがない。 金屏風の前でもやはり、呆けていたので。 げはげはと母と笑った。 新幹線に流されながら、レアティーズは泣いたか。 ポローニアスは漸く、ちいさく丸まっていたが? むかしうちにはくろねこがいて ちちがひろってきたやつで ひざうえにほくろのようにちょんとして かつてわたしもすわっていた そのくろいあなぼこをみている くろはとうぜんいまはしんで やまにうわって そのやまのへにちちは 未だすんでる ははも 3月3日は家族の日。 風に目を細めては投げると 父は茶髪にしてやがつた。 このやろう。 元気だ。 元気だ、元気だ、元気だ。 ---------------------------- [自由詩]しおくみざか/れつら[2014年5月28日2時53分] それで、 雪が降ると。 山口の人は、はしゃぐ。 福井の人は、溜息をつく。 福島の人は、目を細めて。なにか、思い出すように。 ―3月10日。昼過ぎにホテルのロビーで新聞を読んだが。いっこうに頭に入らず参った。macbookを膝に載せた男や、子どもがおもちゃやさん行く、と言っているのすら、何の話をしているのか理解できない。ああ福島に自動車が走っているな、ゲームセンターがあるな、まさかないとでも思っていたのか? ―新聞の、あたらしい連載記事を、一文字ずつ米粒を噛むように読み、それでも意味がわからず、かろうじて、汐見坂という坂を彼らが歩いてはのぼった、という部分にようやく引っかかりを得た。 ―わたしの郷里にある汐汲峠、もっとも小さい頃はしおくみざか、とよんでいたのだがそれは、思い出された。手水を持っては浜から上がる衣擦れの重さ。 しおくみざか 自転車で 峠からそろりと、ブレーキを 離しながら降りていたことを うねるように山肌を切る道を おもいかえしながら 見ていた 坂を登るひとを、幾人か そぞろに花や、塩や、お手水や それぞれの荷物を、それぞれにかかえて 歩く人を いつだったか、トラックで下りながら まだ若い祖父が言ったのには ずうっとこの坂道をな、売りもん持って歩いたんや、 海から、街へ 街から、海へ 街、のこともしらない男の子たちは 大きなものを動かすことにばかりかんがえて。 トラックやら、電車やら。 雪の日なんかは、特に やたらに大玉をこしらえて。 坂の上から転がして。 これで家をつくるんだ、とかなんとか 大きなことを言って。 送電線を伸ばして。接続し、 海のない街にきて。接続し、 道の辺に波打ちのあとをさがして、みつからず、 桃の花をさがしたら、2月は空に溶けて、 溶けた、3月を新芽の色をした新幹線が、溶接する、 知りもしない思い出まで、 わたしたちを運んでいく、今日。 雲を引っ掻いて溶け残った雪。 わたしは歩くたびに、それも 汚してしまう。 たったひとつの街に、 生きられなくなったばらばらのわたしたちの部分は、 あんまりにも集まれずに、 けれど庭にわの花、時どきの花、ところにより、雪、  ――あなたの自由はそれだけ、そう、ない。まったくない!      (E.イェリネク『光のない。(プロローグ?)』) たったひとつの街で、 たとえば――横浜に汐汲坂という坂があり、蕎麦屋があり、ネイルサロンがあり、中華を出す店があり、歩くほどに勾配はきつくなり、わっせ、わっせ、歩いて、山手通りを西へ、女子校があり、女子校の反対側には女子校があり、街には外国人が入ってきて、高台に乗って、海を見て、液状の記憶を埋め立てて、雲にのって、福島の風が、届くまで、もう少し、かかる、のだが、  こんなことがなければ  (この街)に来るなんて思わなかったなあ   と、向かいに越してきたカレー屋の奥さんは言った。  そんなもんですかねえ   でも、いいところですね  そうですかねえ、夏暑いし、冬寒いし   それはこっちだって同じよ  (けれどあの時見返した海は今日と同じだったろうか) たったひとつの街に、 わたしたちは別々の場所で、別々のからだを生きる 雪が溶けて、そのことを忘れて、忘れても  忘れがたない、雪と、花   (霙は溶けて、虹に、、?)  そんなもんですかねえ   (そんなこと、考へるの馬鹿) 終わってしまったと思っていた桃の花は、まだ始まってもいなかった。 時間をひとつ、またぐたびに 季節は遅れて、花の香も遅れて、 届く。そして遅れ気味に(電気よりはだいぶん遅れて)、 いのりも。まぬけた顔で、 届く。春に、 ようやくこの街は手をかけたところ 祖父は、(つぎの春に死ぬのだが、)坂をのぼっていく。切り花を背負って。 わたしも今から、また新幹線に乗る。 ---------------------------- [自由詩]なんでもいいから尖ったものをかせ/れつら[2014年7月3日7時08分] なんでもいいから尖ったものをかせ さっきから、昨晩から、頭がわれるようにいたい 原因はわかっている 酒のせいだ 酒を飲みすぎたのになにもしなかったせいだ 酒を飲みすぎるようなことをしたせいだ 酒を飲みすぎたのになにもしたくなかったせいだ 酒を飲みすぎるようなことをしたくもないのに 気がついたらさせられていたせいだ そのことを自分のことだと 思うのに時間をかけすぎたせいだ 右斜め上から鋭く白い直線が差している なんでもいいから尖ったものを突き刺してこれを止めたい こめかみで反射して頭蓋骨が泣いている 防音がきいていて外からは聞こえない 部屋内では扇風機がまわっており なんでもいいから尖ったものを突き刺してこれを止めたい 湿度はぐんぐん上がっていく 風を入れ替えようと夏で この国はいつからかこんなにもへばりつくよう 皮膚と空気のわかれめがない なんでもいいから尖ったものを用意して 突き刺す先がないので板を貼り付けて マジックで、極太のマジックが細いので何度も書き重ねて いく言葉が見当たらなくて、下書きを するための紙がコーヒーの 座ったまま飲み重ねたコーヒーの、 跡がついている紙は白いとは言えない その紙をわたしは縫う 針と糸で縫う やぶれても構わないので、針で 太さもなんでもいい細くてもかまわないので 百円均一の店に行って 裁縫セットを買う 105円払うことを 忘れてポケットにしまう そうして肌に張り付いて 張り付いた肌のなかでも いちばん骨が突き出たところで わたしはこの国を殴る この国といってもこの部屋の空気だ 隣人に泣かれないように ゆっくり静かにわたしは殴る ---------------------------- [自由詩]プレイヤーズ・ピアノ/れつら[2018年11月19日0時46分] とにかく大谷はすごい 生きてるうちに夢を叶えてくれる 動物たちがみな 肉食でも草食でもありたいように ピッチャーでもバッターでもありたいのだ あなたがそう言うので じゃあ、ロボットの私はどうしましょう と言われてしまったのだ そこまで優秀なAIなら 夢を見ることも簡単なんじゃないの と あなたはコマンド入力する 夢を見ることはできます しかし ただしく夢をみることは難しいのです あなたは人間だ あなたはただしくもない夢をみて たまにはサボったり 寝過ごしたりもできる あなたはそのことをAIに、 やさしく語りかける すると彼は すみません、よく聞き取れませんでした と言う 木曜日の午後 それは退屈な会話だった とにかく あなたが叶えられない夢を オオタニに期待するのは間違っています とAIが言うので 機械が人間に不完全さや、あふれる感情を 勝手に夢みるんじゃないよ とあなたは言う とにかく 大谷は投げる、打つ、走る 大谷は野球サイボーグだ あなたは飲む、打つ、買う あなたは人間のクズだ すみません、よく聞き取れませんでした 大谷 野球 サイボーグ で検索しますか いや、それより ロサンゼルスまでのエアチケットと、 スタジアムの手頃な席を確保してくれ わかりました それから旅の支度をしよう わかりました あなたは あなたを呼ぶ小さな声にも耳をかたむけ そして時々まちがえたふりをする すみません、よく聞き取れませんでした あなたには足がないから 僕が背負っていこう わかりました あなたは Spotifyでいい感じの音楽を流してくれ ---------------------------- [自由詩]常識のコレクション・序2/れつら[2019年4月6日10時37分] あなたは朝起きたら歯を磨く あなたは人に出会うと元気に挨拶をする あなたは他人の迷惑になることはしない あなたは常に他人を気遣う あなたは道の右側を歩く あなたは平均的な人間だ あなたは法を守る あなたは老人や子ども、病人や怪我人に親切にする あなたはエスカレーターの左側を開けて立つ あなたは順番をぬかしたりしない あなたは時間に遅刻しない あなたは猫がかわいいと思う あなたは人を差別しない あなたはこの国を愛している あなたは家族を愛している あなたは平均的な収入を得て、他人に迷惑をかけることなく暮らしている あなたは平和を愛している あなたは戦争を望まない あなたは右耳が聞こえない あなたは一つくらいは誰にも言えない秘密があり、それを隠したまま死にたい あなたは何かを期待されることをプレッシャーに感じる あなたは波風立てずに生きていきたい あなたは目が見えない あなたは孤独だ あなたはひとりでは歩行できない あなたは感情をうまく表現できない あなたは自分の人生に呪われていて、けっして他人にはなれない あなたは自分の選択肢を自分で選ぶことくらいしかできない あなたは列に並んでいる、決して追い抜かしたりはしない あなたは誰かが暴力をはたらいているときにも、冷静に判断する あなたは街中で急に気が動転したりしない あなたはいつも自分が正しいと思うことをする あなたは常識的な人間だ あなたは普通に生きていて、あなたはそれでいい ---------------------------- [自由詩]銀河ヒッチハイクガイド/れつら[2019年4月6日10時39分] なるべく大きな声でこう宣言しなさい 〜〜予定ではこのへんで地球は終了です〜〜 銀河ヒッチハイクガイド まだ未来のことなんて話してんのか、お前は 馬鹿にしやがって 昨日からの予定通りのストーリーでは すでに完成していたはずのホテルに 47光年以内の観光客はすべて押し寄せ 京都はいまに星間系でもっともボンヤリした都市になっている 京都はマジでいいらしい 紅葉がすごいらしい アンドロメダとか目じゃない 何億光年も先の観光名所 参考程度に開いたガイド なんど繰っても あらわれるのは難読漢字 まるで読めない メッセージはエッセイ程度の軽い感じで 周囲に注意を促す 裏返して読むとやっと意味が通った トークした内容がなんども、上滑りしたナンパ橋 三条で弾くオーラリー おおらかに 大手を振って歩く それでオーケー これでほんとに終わり? と何度も聞き返した夜更け 航空券握りしめてそろそろ帰りの時間だ 機関車、いまじゃ骨董品だが走るには走る なんでそんなのに乗ってんのって聞かれても なんとなくだ 感情じゃなく感覚だ マルかバツかでいうならサンカクだ 思い返せば乱雑な みちゆきだったが なんなく越えてきたような それなりに苦労もあったような 今となっては思い出せないし、思い出す必要も感じない 世界の秘密を42に集約して 今週中に片づけるタスク 芸は身を助く ゲイバーではきみにタックルする 男性と女性の中間の人物 週刊少年マージナルマン 新連載はまた新しいストーリーを始めやがった 高校最初のインターハイが終わるまで10年もかかったってのに まだ希望を持てって言いたいらしい それしか言うことがないらしい 次の10年も旅するつもりなら 次はなるべく意味のないことを書くといい かつてのフェネガンズウェイクを 文脈という牢獄から解き放つように とにかくぜんぶ 宇宙の全部を書き込んだら きみはかってにやれ きみたちが勝手に生きていくのがいちばんいい 途中までなら、いっしょにいくのもそれはそれでいい ---------------------------- (ファイルの終わり)