石瀬琳々 2015年2月19日13時33分から2021年8月11日12時45分まで ---------------------------- [自由詩]白い馬(あるいは青い扉)/石瀬琳々[2015年2月19日13時33分] 青い扉の向こうに 雪原が広がっている かすかなノイズ そのなかに紛れるように 一頭の白い馬 あれはあなたが放した淋しい夢だ 指で触れて 夢だと知りながら その長い首を抱きしめる あなたの淋しさに触れた時から 私はあなたに恋をした 雪原に燃える一条の火のように 誰もいない 私たち二人だけの世界 雪がほろほろと降るなかを 馬は私を背に乗せて駆けていった どこまでも 私たちは燃え盛る炎だった 私たちは決して消えることのない 火だった (あいしている あいしている) いつか世界の果てにたどりつけるように 青い扉の向こうに 雪原が広がっていた 一頭の白い馬 まぼろしのようにまなざしを駆けていった 青い扉が静かに閉じて 私はひとり涙を流す ---------------------------- [短歌]楽園/石瀬琳々[2015年3月19日13時33分] 忘れてはまた思い出す白い馬スノードームをわたしの冬よ 赤い鳥、涙する日も喜びもわたしに巣食う淋しささえも  現世(うつしよ)を壊すくらいに濃青(こいあお)の翼が欲しい君との恋の そっと君齧った檸檬黄に染みていつかわたしの月となりゆく  来世(きたるよ)を見たいと漕ぎ出すみずうみに黒い瞳のさびしいあなた  夜想曲(ノクターン)薄紫の痣に似るすみれの花よ胸にまつわる 春の目覚め、風も言葉も脱ぎ捨てて森に散らばるみどりの鱗 くちびるをやがて重ねて薔薇色の暁君の愛も知らずに 花が咲いて笑う君の目のなかに楽園がある黄金がある ---------------------------- [自由詩]春の海の変容/石瀬琳々[2015年4月22日13時23分] 春の海はまぼろし 蜃気楼の楼閣さえ彼方に浮かんでいる わたしを呼んでいるように 遠い海鳥 緩慢な波 割れた貝殻 ただ砂にうずもれて あの子のか細い肩甲骨はもうさびしくなかった 両手を差し伸べると 背中でふるえる白い羽根 少年は涼しい目をして飛び立っていった 雲間の彼方 それとも一羽の鳥だったろうか 白い羽根が風に舞って 白い羽根のひかり 雲の切れ間のひかり 風はひかり ただ春の陽射しにながされて あのひとの美しい足は魚になってしまった 砂に濡れたと思われたのは きらきらと光り輝く鱗 少女は花のように微笑んで 長い髪をひるがえした それとも波間にはねる魚影だったろうか 花びらに似て 春の海はまぼろし 寄せてゆく幾重もの波が白馬の群れになる わたしもいつしか透過していくだろう 駆けてゆく 駆けてゆく 風を道連れとして ---------------------------- [自由詩]藤のからまる森で/石瀬琳々[2015年5月21日13時22分] 昼下がりの うすむらさきに藤がひかる 森で 少女は見知らぬ少女と出会った 目を閉じて 見知らぬひとと わたしの森を過ぎてゆく 風、 心臓の音だけが聞こえるでしょう 唇と唇が触れ合い 少女の長い髪が痛くって ね、    アナタハ一体誰デスカ  アナタガ何者カナンテドウデモイイヨウニ やがて黄昏が うすむらさきになって わたしたちの慕情をかくした 見知らぬひとと 指をからめて わたしの森をさまよう 夜、 何も知らなくてもいいのです 星はお互いの胸にひかって どこかせつなくって ね、 藤がゆれる うつくしくあるためだけに 少女たちはもうどこへも行けない 森で 明日もその次の日も ---------------------------- [短歌]シークレットガーデン/石瀬琳々[2015年6月24日13時16分] さくらさくら、さよならだけを待っていた花びら散ってエデンの彼方 はつなつの門をくぐってアルカディア永遠の君へ薔薇へ旅する  夏草を裸足で踏んで逢いにゆくシークレットガーデン君は くちびるに花びら咥え水の舟オフィーリアごっこ愛もたゆたう 森の奥眠れる塔に囚われてモリスの花柄夢の裾引く 愛だけに目覚める夜明けこの胸に秘める百合花ソロモンの雅歌 君の目のステンドグラスに雨が降る誰も青い花探す巡礼 くちびるにメメント・モリを囁いて花摘みあそぶ夢の中でも ピルエット、わたしだけの裏庭で光と影が踊る永遠 ---------------------------- [自由詩]いつかわすれたうたが/石瀬琳々[2015年7月22日13時31分] いつかわすれたうたが 君のくちびるにのぼったら 一艘の舟がこぎだすだろう 夕陽の海へ 雲のかなたへ  (そして、振り返ることもなく) いつかわすれたうたが 君のなみだにかわったら 一羽の鳥がとびたつだろう 夕陽の海へ 白い羽根をこぼして  (ひとひら、まぶしく落ちていった) 戻っておいで わたしのこころよ 波濤はひかりを増してゆく それだけが痛みのように 戻っておいで かつて愛したものよ 目を閉じると 夕陽の海ははるかな君へとつづいている  (もえているのは あれは赤い花、   血のような赤い花、) いつかとばなくなった鳥が 君のつばさにかわったら いつかわすれたうたを 君はうたって ---------------------------- [自由詩]九月の少年/石瀬琳々[2015年9月15日13時34分] やがて九月、と声が耳もとをかすめてゆく 窓辺にはレースのカーテンがひるがえり 夏の少年が静かに微笑む 君はどこからか来て何も言わずに去って行った 知らない言葉だけがわたしをさみしくさせて 九月の慰めは夏の衰えを隠すように 少年はきらきらと水をしたたらせる 光りをくちびるに軽く含んでさえいる うつくしい、といつか囁いた日々 愛されていたその瞳に空を映しているの 雲がゆっくりと流れてゆく いいえ それは風だったろうか 君が溺れた、白い足を水草にからませて 音もなく流れてゆく わたしのこころを この風のように ---------------------------- [短歌]水辺の恋/石瀬琳々[2015年10月21日13時44分] 花一輪、波紋を作るみずうみにたゆたう心七月の舟 摘み捨てて赤い花ばかり選んでは水辺の恋の淋しいあそび 白い鳥飛び立つ果てに海がある君の涙をもとめて遠く いとしくて細い指さきのばしては摘み取る果実青い雨が降る 祭り前夜ツインソウルの見る夢に目覚めるあしたリボンをほどく 夏の終わり帽子を風に翻し君のカルナパルつばさひろげて 星月夜、見つめ返すは遠い窓カレイドスコープを覗くまなざし ただ君に寄せてゆく波いたずらに朱をこぼしつつ秋草の岸 水の重さ愛する罪はウンディーネ君の背中に雨音を聴く ---------------------------- [自由詩]レティシア 青い花を探して/石瀬琳々[2015年11月27日13時23分] 雨が降っている、と 長い髪を翻して駆けていった レティシア 君を探して見知らぬ夢をさまよっている あれは君だったの 夢のなかでそっとくちづけをかわした 誰もいない図書室で本をひらいて 陽だまりに読みふけった異国のものがたり それとも微睡にふたりで夢に見た青い花だったろうか 空の色を映した花、どこかに咲くその花を いつか想像してぼくたちは泉を飛び越えた 青い花、君の目のように、雨のように、 雨宿りをした木陰は君の心臓のように静かだったね レティシア 君は素知らぬふりで目のなかに愛を飼う かなしい時に君は泣かなくてうれしい時に涙をこぼす 小鳥のようにふるえてふたりは滴るしずくを見つめていた きれいだと、一瞬時がとまった あれは青い花だった?レティシア 君の目のなかに咲く いいえ それはもう出会ったことさえない遠いむかし 遠いおはなし なのに 何遍も何遍も ほらこんなふうに愛しく わたしのなかにあなたが降りそそぐ 雨のように、わたしを駆け抜けていった レティシア 君を探して見知らぬ夢をさまよっている あれは君だったの 夢のなかでそっと耳もとにささやいた 雨が降っている、と ぼくたちの目のなかにいつまでも ---------------------------- [自由詩]雪が降る、一月に言葉は/石瀬琳々[2016年1月27日12時54分] きみは、ぼくの、愛の痛み そして誰も知らない言葉だった 忘れたことのない言葉だった でももう遠い 舌の上に転がしても 口にすることさえ遙かで 雪が降る、雪が降る、ぼくのさびしい昼に 一月の太陽は輝き こうしてあたらしい夢に 熱情はまだ続いている 雪が降る、まるで 炎に似たセツナサデ 静かにそっと燃えている 振り返ってもいい 誰もいない冷たい道に 陶器の手触りだけが指先に残っている 触れたこともないのに この指に残るあざやかな あれは、痛みだったろうか ふいに割ったら指に突き刺さり 血が音もなくしたたるだけの 雪は降る、雪は降る、それとも忘れるというやさしさで ぼくの、愛の痛み、きみは 言葉はもう思い出してはいけない 残された傷のまま きみのなまえを ずっと願っていたかった こぼれるのはただ雪、雪が降る、声もなくして ---------------------------- [短歌]夜明けのサティ/石瀬琳々[2016年3月26日12時58分] まなざしを夢に見るまで耳奥に遠い旋律夜明けのサティ 君だけを知っている記憶、冬風に燃える炎よいつか雪片 いつの日かめぐり来る日のグノシエンヌ海にピアノを置きざりにして さすらいは窓を過ぎ行く頬杖の遠い汽笛を聞く夜昼の 雪の馬駆けてゆくごと抱きしめてジュトゥヴ君のうつくしい冬 いつまでも待っていると囁いた、木立のなかの静かなる月 まどろみの踊る爪先すべる指ジムノペディの春は近づく 雨音が叩く鍵盤胸にあそびやさしいことを独りかぞえる おもいでに唇(くち)に含ます角砂糖誰も知らないノクチュルヌでも ---------------------------- [自由詩]春のたまご/石瀬琳々[2016年4月25日13時16分] 春はまあるいのです まあるくて秘密を抱えているのです 淡い色で揺れている わたしの胸のうち やわらかくて抱きしめてしまいたくなるもの それともきつく抱きしめて壊したくなるもの 本当は好きって言いたいのに 口をつぐんで 海があるのかも知れない あのひとの心が打ち寄せる波打ち際があって わたしは宝物のように大事にしまっている 耳を寄せて聞いてみるのです もしかあのひとの鼓動かも知れなくて ひとしずく、こぼれたら溺れてしまいそうで 海はときどきこわくなる 小鳥が眠っているのかも知れない いつか飛び立ってしまうあのひとの心を閉じ込めて わたしのために鳴いてくれる日を夢見ている ふるえているのは誰? いいえ、わたしの心臓かも知れなくて 恋しさに突かれて胸の奥が痛くなる 小鳥はときどきさみしくなる 抱きしめていたいからいつまでも たまごのままで そっと壊れないようにいつまでも 生まれないままで ああ、春はまあるいのです まあるくてやさしいのです そして意地悪な指先で わたしをつかまえてしまう だから逃げようとしても追いかけてくる 生まれようとしている あふれようとしている わたしの心を ---------------------------- [自由詩]赤い糸を君に/石瀬琳々[2016年6月24日12時43分] あなたの小指に糸を巻きつけました 赤い色をした糸を 風にふるえて揺れている その糸の先にわたしの小指 (ねえ きれいでしょう この世界は  心でしか見えないものがある) どこか遠い場所で鳩が飛んだ わたしたちのことを誰も知らない ほつれ毛をなびかせて花のように 夏草のなか静かに微笑みを交わす 二人の幸福は川のようだった 小指と小指に赤い糸を絡ませて 知らない林に横たわり目を閉じる そんな恋だ あなたとわたし このままはなれられないように (ねえ きれいでしょう この世界は  こんなにか細い糸だとしても) 行方知れずになってそれでも こぼれてゆく時間があるのです なつかしい歌をいつか思い出す なつかしいあなたをいつか心に描く そしてどこかでまた鳩が飛んで 小指と小指の赤い糸は約束のしるし また逢えますように 意地悪な夢にはぐれてしまっても 何度でもたどりつけますように あなたとわたし 永遠と一瞬は同じ速さで過ぎる あの孤独な鳩のように あなたと繋ぐ糸を憶えている この心をずっと知っていた ---------------------------- [自由詩]あいしているの舟/石瀬琳々[2016年9月27日12時34分] 誰も知らない海でした、(けしてあなたのほかには) 舟は出てゆく 夏の入り江、あなたの瞳の奥を 白い鳥は羽根を休めることなく 空にすべる手紙 返事はいらない、ただひとことのさよならを    * 誰かをおぼえて湖になる、(それがあなただとしても) 舟は出てゆく 秋のさざ波、あなたの吐息の影を 赤い落葉は誰にも知られず 水面にこぼれる告白 口に出していえない、あいしているのすべて ---------------------------- [短歌]飛ぶ鳥を探す日/石瀬琳々[2016年11月21日20時41分] 青いってくちにして街は海になる花びら泳ぐ彼方の岸を まぶた濡らす緑雨は君に降りやまず海の果てに飛ぶ鳥を探す日 永遠に待ちぼうけです目を閉じて探して君の赤い夕焼け いくたびか甦る夢窓向こう回遊してゆく紫陽花の雨 野の果てにさびしく燃える火、橙(だいだい)にワスレグサ咲き誰を忘れて 風の音それともあれは鳥の声海を思えば白い航跡 また秋に触れるさびしさ金色の穂を揺らしては風の旅人 銀笛は遠く流れて待合室おもいでだけの鳥籠を抱く 飛ぶ鳥をいくつ見送る季節かとまた群青の海になる日々 ---------------------------- [自由詩]夜毎の蝶/石瀬琳々[2017年1月25日20時33分] 誰も知らない そんな夜、 少女のぽっちり開いたくちから一羽の蝶が それはすみれいろの 夢見るひとのうすい涙のような 蝶が飛んでいった 音もなく (恍惚めいた ひみつの儀式) 少女はそんなふうに夜毎に蝶を吐き出した  目覚めることのない眠りに包まれて  朝も昼もあどけない瞳を閉じたまま (まるであえかな人形のよう です) 蝶は窓の向こうで燃え上がり夜明けとなった 羽根の向こうに知らないくにがある 行きたくて 指をのばしてつかまえたくて そこですべて燃えてしまう前に 蝶は花のように燃え上がり夜明けとなった たくさんの色彩が奏でる音楽のような けれど一瞬で消えてしまう美しいもののいのち (その一瞬に 確かにある永遠を) 羽根の向こうの知らないくにを きっとすみれいろから黄金色に燃えるそのくにを 夢のまた夢に見ている (わたしのなかに眠っている ひみつの少女) いつか少女を揺り起こしてそのかぼそい手を握り 窓を越えて飛んでいくだろう たくさんの蝶が形作る夜明けのその羽根の向こう 心は (たましいは) 燃え上がり ひとつの炎となる ---------------------------- [自由詩]水中花もしくはオフィーリア/石瀬琳々[2017年4月25日20時24分] それはひとつの水だった ある日流れるようにわたしに注ぎ込んだ それはひとつの風だった 吹き過ぎてなお心を揺さぶるのは 少女は春の花を摘む 長い髪を肩に垂らし何にも乱されることもなく 少女は白い花を摘む そして川は流れていた 雪解け水が冷たくて 光ははかなく移ろっていく乾いた水 そこに流れようとしていた 水ではない激流が 花はけなげにも今を盛りに咲こうとして その花束はその花冠は誰のためのもの  あなたに逢うためにわたしは水を渡った 少女は見知らぬおとこのひとを見るだろう 彼の瞳の奥にはふるえる死の光がある 傷を負って赤い血はまるで花のように その花束はその花冠はあなたのためのもの その花を真っ赤に染めて川は流れる その花が白いのは誰かのための祈りに似ている その花を捧げるようにわたし自身を投げて 見つめ合って ずっとそれを待っていたと知るだろう  あなたを愛するためにわたしは水を渡った おとこのひとは少女をやさしく抱きしめて 少女は彼にくちづけをした そしてそのままふたりは水のなかに溺れた 絡み合う長い髪 まるで恋に溺れるように  水のなかにこぼれる花  静かに落ちてゆく花  約束された婚姻の   それはひとつの水だった 流れるようにわたしに注ぎ込む それはひとつの歌だった くちずさんでなお心を揺さぶるのは 或いはたましいさえも ---------------------------- [自由詩]アルカディア/石瀬琳々[2017年7月21日21時02分] 風の行方を知らないままで、 君は風を探している 風は君の唇にさえ宿っているというのに それとも、それはどこか見知らぬ世界の風で 光がここに射してくる 草の穂の襞にも 僕の心の内側にも 光が、ここに射してく、る、 まるでアルカディア 光を溜める睫毛の先も 君の震える心の淵も まぶしそうに目を細めてどこか上の空で 君は風を探している このとき、この瞬間の気持ちを  キット僕タチハ、コウシテイラレル、  キット何モ持タナクテ、言葉サエモ、 そっと君の手に手のひらを重ねる午後 僕も風を探している 風にその唇をやさしく許されたままで 光が、ここに射してく、る、 ---------------------------- [短歌]夢の手触り/石瀬琳々[2017年10月14日20時45分] 冬の城明け渡すとき水中で愛を交わしてウンディーネのように 雨そして夢から醒めた余白には君のではない愛の降りしきる 君の目に春を捧げる、遠い日に誰かに焦がれ散りし花びら 海鳴りを聞いて一夜の契りとして花をちぎって含む眠りを 夢の花白くていっそ目を閉じる抱きしめられて海の果てまで 砂浜にさびしく光るガラス片破船の旅を君を夢見る 夏は行く忘れ去られた塔の影窓越しに見た輪回しの少女 幾千のひかりに打たれて口づけるほろびいくものなつかしいもの たぐり寄せる夢の手触り近づいて遠のいてゆく秋草の果て ---------------------------- [自由詩]十二月の本/石瀬琳々[2017年12月17日10時23分] 十二月の本を静かにひらく 革表紙を少し湿らせて 窓の外には雨が降っている 雫が滴り落ちる またひとつずつ わたしの頬にこぼれた涙 どこかで流したはずの涙 向こう側にすこしずつ落ちて 波紋を浮かべる遙かなみずうみになって 十二月の本の向こうに 裸木が一本雪原に佇んでいる 誰かの目印になるように いつか森になることを夢見るように 白い素足で走る森 あなたがまるくなって眠る森 夢のなかで抱きしめていた ひるがえる梢があなたであるように 十二月の本は音もなくひろがる 凍った空に鳥が一羽飛んでゆく すべてを越えて届くように わたしの胸に線を引くように 風を切る翼は遠い  思う心も願いもきっと彼方にあるようで 十二月の本にいつしか囚われて ガラスのなかの一途な世界 閉じ込められて 飾られてなお あえかな羽毛の祝福で覆われる あなたを埋めてゆく わたしを埋めてゆく冷たい愛撫 一瞬でくずおれる何か 触れられそうで触れられない永遠に似て 十二月の本がゆっくり閉じる 何枚もの扉のそのうちがわに ただひとつのものがたりを隠しながら 鼓動は同調するだろう ふたたびの 鐘の音のように  口ずさむ韻律のようにひそやかに ---------------------------- [自由詩]レイン/石瀬琳々[2018年6月13日21時02分] 海鳴りとは違う何か 僕の胸の裡で雲のように高まり やがて激しく満ちてゆくもの――レイン 耳を澄ませば走ってゆく 樹々の隙間から見た青い空に 今しも雲が 鳥が羽ばたき まるで君の心のように触れてゆく 指先が濡れてゆく あれは君の瞳か――レイン 手を伸ばしても届かない 海鳴りに似た何か とても遠い何か きっと溺れてしまう前に 僕は息継ぎをする 僕は目を閉じる ---------------------------- [自由詩]七月の睡蓮の庭/石瀬琳々[2018年7月23日20時59分] いつかわたしが殺したあなたは真夏の池に眠っている 水天井を睡蓮の花で彩られ 綾なされあなたは わたしが逢いに来るのをずっと待っている その白い咽喉をのけぞらせ(わたしが愛したその咽喉仏) しなやかな四肢をのばしている朝夕を 誰にも知られない あなたは秘密の水脈 繰り返されるアラベスク模様のひとつの装飾のように あなたとわたしだけの時間がそこにある 乱反射する光にわたしは眩暈を感じる あなたの指先がわたしの足首を這い  キスして  そこから顔を上げて  睡蓮の葉陰にあなたの切れ長の目が覗く わたしは岸辺からあなたを見下ろして あなたの唇がわたしの唇に触れるのを待っている (そのまま窒息しても 水に引き込まれてもいいとさえ) けれどあなたは水のなかでずっと黙して語らない わたしをあの時のまなざしで静かに見つめ返し   それとも日々の泡  あなたの唇がかすかに動いたような気がしたのは ああその池がどこにあるのかすでに思い出せない 七月の光を浴びながら睡蓮の花が咲いている 怖いくらいに美しいのはあなたを隠しているからだ 水のやわらかなうねりに今もそっと抱かれているように わたしだけの夢を永遠に見ているように ---------------------------- [自由詩]遠い集会/石瀬琳々[2018年10月17日5時33分] 遠い声を聞いた 海の底のようなはるかな声だ 耳に残る 今はおぼろげな記憶のようだと 貝殻の奥にある秘密の旋律のようだと 遠い道を歩いて抱いてしまった憧れに逢いに行く 人々が集って来る 草を踏みしだき あるいは土の上を嬉々として踏み固め どこからともなく湧く水の泡にも似た胡乱だ どこまでも辿り着かない夢だ けれど もう少しで指先が触れるだろうという渇望が 前へ前へと突き動かしている わたしたちはみな同じ夢を見ている 遠い手触り それとも遠いまなざし ただそれを知りたいというささやかな欲望だけで ---------------------------- [自由詩]わたしたちのもうひとつの翼/石瀬琳々[2019年2月11日5時43分] ミハイルには翼が四つある バーン=ジョーンズの絵画のように美しい優雅な翼だ けれど目には見えない その背中には何もない ミチルは三つ ミーチャは二つある わたしの翼はひとつだけ 片翼だけど 大きくてしなやかに抱いてくれる翼だ 空を飛ぶことはかなわない 鳥ではないのだから ただどこかへ連れて行ってくれる翼を  風に吹かれたい時は風に  花になりたい時は花に わたしたちは秘密の踊り場でステップを踏む わたしたちは遊び足りない気もしている 手をつなぎ合って 輪になって あるいは数えきれないほどの言葉を わたしたちは別の時間を生きている わたしたちの王国は手をのばせばすぐそこにある そこでは誰もがほんとうに飛ぶことができる それぞれのかたちの 思い思いの翼で ミハイルは空を飛ぶことを夢見ている 遠く遠く 高く高く わたしはいつか落ちてくる彼を受け止めることを 夢に見ている ---------------------------- [自由詩]Equus/石瀬琳々[2019年5月18日12時57分] ある日突然 少女たちは愛に目覚める 砂漠の朝 あるいは雪山の夜に 一頭の馬のように私のもとへ 走って来る そして駆け抜ける愛の痛み 運命だと知るには遅すぎるだろうか 少女たちは祭壇に祈る あるいは燈火に跪き  花々が咲いて枯れてしまう前にどうか 一頭の馬のように私のもとへ 走って来て 愛を抱いたまままっすぐに 砂嵐の通り過ぎたあとで抱きしめられたように 雪降る森林のはざまに倒れ込むように あのひとは私を見つめている 遠く谷山の彼方 オアシスに 凍りついた湖に 夢のくちづけは熱く滴る蜜 夜明けはこぼれていつか翼をもがれた鳥になり 雲になり風になり散って血のように赤くなる それは秘められた契りのようなもの 少女たちは薄絹に目を閉じ 毛皮に沈黙を守る 愛だけを目印にして駆けてゆく 一頭の馬のように私のもとへどうか 待っている 待っている とこしえにあなたを ---------------------------- [自由詩]みずうみ/石瀬琳々[2019年9月14日12時01分] 草原の彼方にあなたを見た 昨日の夢のように意味もなさずに 草の葉だけが知っているこの遠い既視 足もとがおぼつかなくなる 一羽の鳥が飛び立って空は青く (わたしは行方知れずの夢です) (それとも一羽の迷い鳥) わたしに手招きする燃えるみずうみ まぼろしだったのか あなたが顔を沈めて髪を広げた 日々はいつか燃える 後ろ姿も探さずに影法師だけがのびて 今もふいに新しくわたしはわたしのあなたを知る あなたのための湖面はすでに凪いで わたしのための簡素なボートだけが 岸辺に寄せてゆくみずうみ いつか足指を濡らして渡ってゆく 漕ぎ出してゆく 旅するようにあなたのもとへ (そうしてこの夢から放たれるために) ここではない草原の彼方にあなたを見る 明日の予感のように唐突にきっと 一羽の鳥が戻ってくる この掌のなか ---------------------------- [自由詩]眠レナイ夜二/石瀬琳々[2019年12月7日5時21分] 月だ 月の光がさしている やがて窓からこぼれるように 羊はいくつ柵を越えただろう 少年は薄目をあけて天井を見る 白いかたまりは柵からあふれて 容赦のない瞳でじっと見つめ返す 人形は口を利かない 抱きしめても青い目は遠くを見るばかりだ トランプ遊びにももう飽きた むかし荊の城に閉じ込められた姫は 今も百年の眠りをむさぼっているだろうか それとも林檎を齧った赤いくちびる 姫のまぶたには青い月の光がさしている   S`il vous plait. 月の光が やがて手に届く 指先にからみつくように 眠れない夜には待ち続けよう あのひとのやさしいくちづけと 真夜中に転がる一個の林檎 ---------------------------- [自由詩]アナザーバード/石瀬琳々[2020年5月15日5時11分] 緑の扉口(とぐち)で世界がはじまる アナザーバード ありふれた季節に 誰でもない名前を探していた 初めて逢うひとのような 遠い 横顔を 朝露に濡れた 葉裏がひるがえる 風の道 ためらいながらも 腕のなかに抱かれて そっとその頬に指をすべらせた さびしく燃えてゆく鳥の声 心臓をついばむように 花ひらく 明日 生まれ変わって円環する 時も粒子も越えながら しずかな色彩で呼んでいる それとも アナザーバード 何気ないしぐさで 誰でもない名前を口にふくんでいた 風の行く先を見つめる いつかのまなざしを どうか ---------------------------- [自由詩]冬のシネマ/石瀬琳々[2020年12月12日11時45分] ガラス越し ひとつの思い出が横切る午後 指をのばしてももう届かない影よ その横顔はいつか見たシネマ 唇が動いて――と言った          蒼いカモメの夢を見た     夜明けの波濤を翼で風切る姿を     微笑みだけが慰めのはずだった     今はあなたのまなざしだけが 風のドアをひらいて かかとを鳴らし歩いてゆく 革の手袋をはめる淋しげな背中よ その後姿はいつか見たシネマ 指が動いて――と言った     記憶の海ははるか     蒼いカモメを胸のうちで飛ばした     あの歌をいつも口ずさんでいた     雑踏のなか 光射すほうへ ---------------------------- [自由詩]八月のドラゴンフライ/石瀬琳々[2021年8月11日12時45分] 振り向くと、 肩先をかすめて飛んでいった 風のまにまに光って小さきもの 僕をもう追い越して それは八月のまばゆい光のなかへ ドラゴンフライ そのうすい羽の向こうに少女が見える 夏の陽射しははるか緑をしたたらせて いつかの廃線駅の日盛りで少女が微笑む 洗いざらしの黒髪が揺れている 僕の好きだった少女 曇りガラスに指で書いた「アイシテル」という言葉 笑って逃げていった空色のサマードレスが 羽のようにひるがえって 今また僕を通り過ぎてゆく (少女はピルエットをまわる 世界ごと、ふくらんで) 僕のまなざしの向こう ひとつの楽園があるように やさしく繰り返す 君のなまえ 僕のなまえ もう来ない列車をずっと待っていた、あれは遠い夏 ドラゴンフライ 手も触れずに行ってしまうの なつかしい風のように のばす指先にほら ただ光っては消えてゆく ---------------------------- (ファイルの終わり)