大村 浩一 2010年1月10日0時27分から2021年3月11日12時02分まで ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]【批評祭参加作品】日々のひび割れ −石川敬大『ある晩秋の週末のすごし方が女のおねだりで決まる』評−/大村 浩一[2010年1月10日0時27分] 日々のひび割れ  −石川敬大『ある晩秋の週末のすごし方が女のおねだりで決まる』評−  石川敬大さんは、現フォでは練達の詩人と言ってよい。  彼の近作に、私にとって妙に気になる作品があった。そういう詩に限って一 般の評価は控え目だったりする。作者にとってはこの作品でこういう取り上げ られ方をされるのは不本意かもしれなかったのだが、一応お声がけした上で敢 行した。二晩で書いた拙い文で恐縮だが、この詩に潜むものが多少でも読者の 方に見えてくるのなら幸いである。 ある晩秋の週末のすごし方が女のおねだりで決まる 石川敬大  どこかの紅葉を買いにゆこう  と、女がいった  言葉に  ぼくはまったくピンとこなかった  二歳にもならない  愛犬ミルクは車に弱い  夕方は早く暗くなるので留守番では  可哀想すぎる  ぼくの  こころの足もとが躓くのは  その一点においてなのだが  とても軽視できない一点でもあって  だ、けれど  女が  こんな風にきりだしてくるのは滅多にないことで  そのことだけは確かで  家事の疲れが滞留しているのかしらん  と、溜まった水槽の堆積を思う  ぼくだった  愛犬ミルクと女と究極の選択になれば  泣く泣く  ぼくは女をとるだろう  あしたの予定は  これでもう  決まったようなものだ     *  あした  空が晴れわたったなら  ぼくらは  ジャスコにでもゆくみたいに気軽に  意気揚々と  山へ  どこかの紅葉を買いにゆく  判りやすい詩なので、くだくだ解題する必要はない。  しかし何気なくやっているなかにも、実は注目すべき点が幾つかある。それ を拾えば、この詩の魅力や理由も見えてくる。  まずタイトルの異様な長さが目に入る。しかも何か穏やかではない。 「ある晩秋の週末のすごし方が女のおねだりで決まる」  普通なら「…すごし方」ぐらいまでに留めるところを「女のおねだり」とま で引っ張って、「決まる」と断言で突っぱねる。かなり不機嫌で不遜な感じだ。 ここがこの詩の敷居だ。 「女」という呼び方にもこだわっている。後半に「家事の疲れが」などと出て くるので、恐らくは「妻」であろうのに、妻でも恋人でも女房でもなく「女」 なのだ。呼び掛けの届く相手が随分と広がってしまう。  ふと先日の芥川賞の「終の住処」を思い出した。主人公が妻や母親、果ては 自分の娘や町行く見知らぬ女まで、実は同じ一人の女では、あるいは裏で示し 合わせているのでは、と妄想を抱く描写がある。この詩もタイトルで「女」と 大雑把に括ることで、主人公に身近な筈の女性を、彼には理解できない種類の 生き物へと変身させている。  第1連に進んでみよう。 # どこかの紅葉を買いにゆこう # と、女がいった # 言葉に # ぼくはまったくピンとこなかった  最初、「どこかの紅茶を」と誤読していた。疲れ目で時間に追われて批評な どするものではない(笑)と思ったが、確かにピンと来ない言葉だ。「どこか の」という言い方にはどこか投げやりで逃避の印象がある。意欲的な人間なら 「何々渓谷の紅葉がいま見ごろだから」とか具体性を帯びた提案が出てくるも のだろうから。  しかも紅葉を見るとは自然を愛でる行為であって、カネで買うものではない。 それを「買いに」とは、けっこう不遜なイヤミな言われ方である。  改行位置が意図的に変えてある。「と女がいったその言葉に」と1行に出来 るものをわざと分けてあるため、「言葉に」が前行にかかるのか後の行なのか、 一瞬迷うために異物感が醸成される。詩人だから「言葉」に引っ掛かりたいと いう意図があるのだろう。またこうすることで「女」も目立つ。ここでも呼び 方は当然「女」である。  主人公の当惑の理由が、第2連以降で明らかになる。主人公の幼い愛犬の立 場が、妻の要求でたちまち脅かされてしまうからだ。 # 二歳にもならない # 愛犬ミルクは車に弱い # 夕方は早く暗くなるので留守番では # 可哀想すぎる # ぼくの # こころの足もとが躓くのは # その一点においてなのだが # とても軽視できない一点でもあって # だ、けれど # 女が # こんな風にきりだしてくるのは滅多にないことで # そのことだけは確かで # 家事の疲れが滞留しているのかしらん # と、溜まった水槽の堆積を思う # ぼくだった  各行の長さはまちまちだか、作者固有の呼吸でリズムが形成されている。15 行目まで5行周期で、その1〜3行目が順番に長くなり、4・5行で順に短く なる。(11行目は例外)  そして「だ、けれど」「滅多に」「確か」「滞留」「溜まった」「堆積」と、 ポイントになる所や行の後半に「た」という音が入り調子を整えている。  この「だ、けれど」の読点も、前出の「と、女がいった/言葉に」と同様の、 意図的な言葉の躓きである。そしてここでも「女が」の意図的な際立たせが行 われている。そのほか「一点」を重ねたり、助詞によって各行をつないでいく ことで主人公の逡巡を上手く表現している。  生活の疲れの滞留を「溜まった水槽の堆積」のイメージに重ね合わせる鮮や かさは、最終連のジャスコ同様、この作者の優れた表現力の一端と見ていい。 # 愛犬ミルクと女と究極の選択になれば # 泣く泣く # ぼくは女をとるだろう # # あしたの予定は # これでもう # 決まったようなものだ  第3・4連はやや蛇足気味だが、これも主人公の逡巡の表現と思われる。 「究極の選択」は親切な言い方。それで泣く泣く「女」をとり、結果的に愛犬 は切り捨てられる。逡巡はどうあれ犬にとっては同じことだ。普段は「なにも なくさない」とか誓っていそうな主人公が、自分の利益のためにあっさり哲学 を変える。起きる事は小さいが思想の後退は大きい。ちょっと大袈裟すぎるか。 (笑)最後の「ようなものだ」の未練がましさが、苦笑いを誘う。 # あした # 空が晴れわたったなら # ぼくらは # ジャスコにでもゆくみたいに気軽に # 意気揚々と # 山へ # どこかの紅葉を買いにゆく  最終連。ただ「晴れた」ではなくわざわざ「空が晴れわたった」という言い 方に注意。これは空間に意識を置いた、映像的な描写だ。晩秋の深い青空の下 を、たぶん車に乗った男女が、遠くの山を目指してまっすぐ進んでいく。  この「ジャスコ」が、暗号の多い現代詩にあっては平文っぽい、洒落ッ気の ない言い方で良い。別にケータイがどうとか書かなくても現代の日常性を描く ことは出来る。郊外に乱立する巨大ショッピングセンターへの違和感は、同時 にこの詩を現代社会へと接続している。少なくもこの詩はジャスコの宣伝には 使われまい。西武ならまだしも。(笑) 「山へ/どこかの紅葉を買いにゆく」結局、地名は最後まで出てこない。最後 は女の台詞の復唱である。そして犬をどうするのかは1字も書かれない。  この詩はたぶん。当初はウィットを利かせたライト・ヴァース的な仕上げを 狙って書かれたのではと私は思った。けれども書いていくうちに、何か笑い事 で済まされないものを作者は感じたのではないか。それが遂にはタイトルに突 出した、と考えられないか。作者にとって誤算だったかもしれないが、私にと ってはその誤算のままに描かれたことで、却って印象に残る詩になったように 思う。ただのペーソスギャグだったら読み流していただろう。  この詩の「女」は、単純な生物学的な意味での女性を意味しない。むしろ社 会制度としての女、家計や経済を象徴し、男性に男性性を強いる存在としての 現代の女性である。  ポエトリーリーディングに馴染みのある方は、近藤洋一(1000番出版に詩集 アリ)の声をイメージしながらこの詩を読むといい。この詩に秘められた冷や やかな皮肉が、浮かび上がってくるのを感じるだろう。  最後に、自分の詩に対する考え方を少し書く。  詩や俳句の書き方を教える時「まず日常から書け」みたいな事を言う人が居 るが、あれを真に受けられては困る。いまどきただ平凡な日常や幸福を描かれ ても、そうでない人からの退屈や反感を買うだけだと私は思う。  「短歌研究」の1月号で、岡井隆との対談で松浦寿輝も「(この閉塞感のあ る時代に)明るい詩、明るい文学なんて、嘘臭いものにしかならない」と言っ ている。前後の文脈からそう導かれてもいるのだが、文学の現場にいる人の多 くは、このことを感じていると思う。明るい小奇麗な物件は、マンションでも 詩でもまず疑ってかかるのが、現代人のリアルな感覚ではないだろうか。  現代詩の詩人ならば、まずもって日常生活のなかに潜む矛盾や無常、人の残 酷さをこそ直視しえぐり出す能力が必要ではないか、と私は考える。  詩人の目とは、だから自分の関わるあらゆるものから矛盾や違和感を発見で きる目でなければならない。時には取材も必要だろう。  そしてそうした違和感の鍵を見つけられないまま書くとか、企画の方向性に 安易に従うとか(反戦詩なんかもそうだぞ)、そういうことをしてはいけない。 皮相的な、月並みな安易なものしか出てこないのなら、そういう素材を選んで 書き始めたこと自体が間違いなのだ。 2010/1/8 大村浩一 ---------------------------- [自由詩]創書日和【祝】祝詞/大村 浩一[2010年2月28日22時32分] 神の言葉を携えた君は 膝のうえで不意に 遠くを見ながら喃語で話し始めた 何かを祝ぐための言葉 私が話せなくなった言葉 未来の君は 私の命日を知っているはずだ 判るなら教えてほしい その日付を その日の空模様を 2010/2/28 大村浩一 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]どどどどどど/大村 浩一[2010年3月12日12時42分]  ヒトはなんである種のコトについて、自分で失敗するまで学ばないのであろ うか。他人の失敗は笑うクセに。  大した事ではない。蛇口のことである。  小学校の頃。今は亡き親父が、風呂釜のガス管を、ねじれないように二股の 別の口に付け直した。なのにそれをよく分からない母が大気圧開放のほうのコ ックを開けて点火してしまい、風呂釜のある台所の土間から、トツジョ高さ2 メートルほどの火柱が「どぉ〜〜」と噴き上がるという椿事が起きた。 「ア〜レ〜、これどーなってるのおおお」(原文のまま)  と絶叫する母に、どどどと駆けつけた親父が冷静にコックを閉じて事なきを 得た。  就職2年目の頃。会社の寮の風呂で入浴中に、同じ精機サービス部の後輩が 蛇口の調子がおかしいと、何やらがちゃがちゃやっていた。 「お前サービスマンなんだから、そのくらい直せよ」と私がけしかけたので、 彼がむきになって、なおもがちゃがちゃやっていると、突然ハンドルの部分が はじけ飛び「どどどどどど」とお湯が高さ2メートルほど噴き出した。  どどどと飛んで来た寮の舎監さんと入れ違いに、桶で格闘する後輩を残して コソコソ風呂場を逃げ出した私。後日、当然のように謝らなかった。(笑)  そして先日、8月の末。登戸から中野島への引越しを終えた大村家では、無 理置きした7kg級重洗濯機にホースが繋ぐために、蛇口を付け直そうという事 になった。  まず古い長くて邪魔な蛇口を外そうと、私は玄関前に2つ並んだ水道のフタ の、手前のほうの元栓を我が家のものと思い定め、これを閉じると洗い場の古 い蛇口を外しにかかった。この時なんで、チョット蛇口を開けてみて水が出な いか確かめる、といったキホン的な事を思いつかなかったものか。  もしも水が漏れだしたらすぐ止められるようにと、慎重に緩めていった積り だったのだが、与圧された水の力というものを、私は甘く見ていた。  ポン。どどどどどど。  手応えが無くなったシュンカン水が噴き出し、慌てて蛇口を付け直そうにも 水圧で定まらない。ぷしゃああと溢れる水を浴びながらワタシは叫んだ。 「もとこぉ〜〜、早く来てぇぇ」(原文ママ) 「何やって…、うわぁぁ!」 「早く早く止めて、表の元栓、奥のほうぅ」  危機に陥るほど冷静になる、と普段から豪語する妻もとこさすがにクール、 忽ち表に出ると元栓をピタリ。噴出から15秒ほどで水は止まった。  床に溢れたのがそれほどの水量では無かったため、洗濯したばっかりのバス タオルを全滅させる程度で後始末は幸い済んだのだが、これが2階だったらど うするの床下に漏れたら全部弁償しなきゃなんないのよまたお金かかるでしょ う、とキーキー怒る妻もとこの前で、まるで絵に描いた様な失敗をやらかした 自分がおかしくて、私はクスクス笑いが止まらなかった。呆れた妻から、あな た工場では働かないほうが良いわよ、こういうので酸とか浴びて絶対死んじゃ うわよと脅かされた。もっともだと思った。  2007年10月05日 記  mixi日記から転載  大村 浩一 ---------------------------- [自由詩]創書日和【証】立証/大村 浩一[2010年3月30日22時12分]   女たち二人が男に言い立てている−− 女1:その言葉があなたのものである証を示しなさい 女2:言葉はあなたのためにあるのではない 女1:あなたが体験したものはあなたが体験したものではない 女2:あなたの言葉が体験したもの    あなたの体験そのものはあなたの中に留まり    決してあなた自身によって誰かに体験されたりはしない 女1:その言葉はあなたのために書かれたのではない    遠くの誰かが誰かに あるいは誰かが自分のために書いた 女2:だから私たちは読まなければならない    私にも分かるものだとして 女1:それが言葉 女2:そこに無限の誤解がある 女1:そもそもあなたは何かを書いていたのか 女2:書いたものがあなたのものである証はあるか 女1:あなたは花 と書いた 女2:あなたは花 と書いた 女1:花を見たから書いたのか 女2:違う書けばそこに花は現れる 女1:それはあなたの言う花で 女2:別のひとが口にする花 とは違う 女1:語彙に特徴がある 女2:語彙には限りがある 女1:署名がある 女2:誰かが似せて書いたのかもしれない 女1:筆致がある 女2:筆致をなくしたからこそここまで届いた    Fontになったからここに届いたのではないか 女1:根拠は何もない 女2:暗い箱のなかから届いた 女1:違う誰かの言葉だったのかも知れない 女2:私の言葉だったのかも知れない 女1:その言葉はあなたの中で孵って遠くへ行った 女2:その言葉は遠くから来てあなたの中で孵った 女1:誰の花なんだろう 女2:あなたは花 と書いた 2010/3/29 大村浩一 ---------------------------- [自由詩]創書日和【清】拭清/大村 浩一[2010年4月30日12時50分] 死んだ後もしばらく 髭は伸び 爪は伸びた 倒産会社の残務整理のように 皮膚はとまどいながら惰性で仕事をした 死が内側から行き渡るには 相応の時間がかかった この人の腹を拭う 動かなくなった腸の中で 腐敗が始まっている これまでとは逆に 別の生き物がこの人を 食い始めている 守れなかった約束が どうでもよくなる時が来る とは知らなかった 取り戻しようのない時間が この皮膚のなかを過ぎていった くり返し何度も擦ったが 死を拭うことは できなかった 2010/4/29 大村浩一 ---------------------------- [自由詩]創書日和【清】清水/大村 浩一[2010年4月30日12時52分] 清水には時々出掛けた 中学から高校を卒業する頃までは 静岡に最も近い隣の市(し)だったから 中学の時 清水港線や静鉄清水市内線に一人で乗りに出掛けた 母親の買ってくれたコニカのカメラに 怪しい銘柄の18枚撮り白黒フィルム 鉄道マニアであることがクラスでの存在理由だったから どちらの路線も高校に入るまでに廃止された 高校の頃は他校の友達と自転車で強行突破 輸入モノのプラモを置く模型屋があって 電車代が惜しい それだけの理由 体力だけはあったが片道一時間かかった 行ったのは模型屋だけ 港も見なかったし次郎長の事も知ろうとしなかった ただ一度きり見た袖師の うら淋しい路面電車の車庫を思った 大学以降は素通りする街 ついには合併され同じ静岡市になった つい5日前にも日帰り帰省で通ったが インター手前のGSとコンビニに寄っただけ コンビニの奥に小洒落たレストランがあったが 入ってみる前に店主が脳溢血で倒れて閉店 建物だけが残っている こんな風にしか関われないまま 全て終わる公算がいよいよ高まった この後何か大事が起こって 忘れられない街になるかもしれないが それはあくまでも後の話 何も知らない後ろめたさのままに また通り過ぎていく 2010/4/29 大村浩一 ---------------------------- [自由詩]創書日和【結】結線/大村 浩一[2010年5月21日22時29分] 妻が組紐を編んだ 寿ぎの色の紐を選び 清めの石を結わえた 結び目はゆらゆらと 日々を遠ざかっていく 思わぬ梢を揺らしながら 見えない網は遥かな岬にまで届いた 自分が結び目だとは思わなかった 僅かな瞬きの合間に 無から現れ 無へ帰っていく 結び目 終わりの時は 死ぬのが先なのか 別れるのが先なのか 目の前に居るのに 「別れる」というのも 妙だ どこからほどけるか判らない 娘が私の紐を引っ張る 諦めかけていた言葉を もう一度 結び直す 古犬は応えようと 老いぼれた身体を揺すり起こした 2010/5/20 大村浩一 ---------------------------- [自由詩]映らないんデス/大村 浩一[2010年5月28日21時01分] 脳軟化症の徳三爺さんは 丸めた古新聞で家のTVを叩く 偉そうな人が映る度に ウーウー言いながら 丸めた古新聞でTVを叩く 以前は政党とか見分けをつけて叩いていたのだが 近頃はマイクの束や街宣車の上らしい画面と見れば 誰でも叩くようになった 徳三爺さんがおかしくなったのはつい最近 地味な会社を勤めあげて定年 TVの番人ばかりして半年 家族が気づいた時には 自分の名前も言えなくなっていた そのうちTVもおかしくなり 叩かないと映らなくなった 徳三爺さん独特の ある角度、ある強さ、あるリズムで叩かないと 画面が復活しない 画面が乱れるたびに殴打一発 戻ってくる画像はお昼の暇つぶしやTVショッピング はたまた料理や静かな座談会や騒々しい歌番組 やがてのべつまくなしに叩かないと 映らなくなってきた 歌のリズムに合わせて乱れる画面 そのリズムに合わせて徳三爺さんが叩く 張りつめた関係が維持されれば TVは美しく映り続けるが 家族やヘルパーが背後に迫るだけで 画像は乱れた TVが古くなったからだと 家族は買い替えようとしたが 片付けようとするたびに 徳三爺さん半狂乱になるので ご近所の手前体裁が悪いと諦められた そうこうするうち地上波はデジタル化 アナログの電波は送信を止めた もはや何の番組も映っていないのだが 叩けば画像が乱れるので それを徳三爺さんは番組だと思っているらしい 初稿 2008/7/5 大村浩一 ---------------------------- [自由詩]創書日和【雨】距離/大村 浩一[2010年6月29日17時43分] 地下鉄の窓に 乳母車の娘の顔が 蛍光灯に照らされてぼんやり映る 背景はグレーの壁で 配管が横殴りの雨のように流れる 全体が切れかかったTVのような眺めだ 帰れなくなった宇宙飛行士が 「最後に家族の様子を中継してくれ」と頼んで 娘の顔を見ている そんな物語を想像してみる 2010/6/28 大村浩一 ---------------------------- [短歌]残夢2010/大村 浩一[2010年7月16日20時55分] 産まれ生き苦しみそして死んでゆく  たった一行闘病短歌 日赤の病棟入り口掲示板  嘆歌とあって朝顔も書く これからは口語短歌の詩人です  出来損ないの痛みを堪え 銀色に輝け外科の中庭の  リハビリ用の純粋階段 くるしみを並べるうたはもうやめだ  君の前では恥でしかない ここからは我の屍を越えてゆけ  街道上の怪物が問う     ※       ※「街道上の怪物」…小林源文の戦場劇画から 2010/7/15 大村浩一 ---------------------------- [自由詩]創書日和【離】離床/大村 浩一[2010年7月30日22時27分] いいんだ、もういいんだ これまでのことは 産まれてきて、居場所はなくって どうしようもない日々ばかり続いて 気がついたら 何処でもないここへと辿りついて でもいいんだ 次のひかりは見えていて ここまでの生はひとまず終わりで 次のところへ 別の命 のようなものになって歩いていく いいんだ、もういいんだ これまでのことは 2010/7/29 大村 浩一 ---------------------------- [自由詩]創書日和【箱】小石の棺/大村 浩一[2010年8月27日21時09分] 小さな木の箱に 青灰色の小石が入っている 特別な宝石や鉱石ではなく 河原に幾らでもある 丸っこいありふれた石 箱の中に白い布が敷かれ その上に置かれている 箱は石の為の棺だ あの人の石 なのだそうだ あの人が探して 自分をなぞらえた石    ※ 写真も文字も無しに 「これが私」と結ばれた石 滑らかな手触り 鎮まった重み 託されたものは 三万日の昼と夜を越えて ここにある 石だった人は居なくなった これから この石を託す木を 探しに森へ行く ※ 映画『おくりびと』より 2010/8/27 大村浩一 ---------------------------- [自由詩]創書日和【熱】潜熱/大村 浩一[2010年9月29日12時46分] ろうそくの明かりに 手をかざしながら 彼女の詩を聞いていた 途方もなく遠くへ 来てしまったけれど あの時あの熱の中で 自分の手は自由に生きていた 熱を求めては 焼かれて弾かれる 炎はその度に揺れて 影はなおさら揺れて ちいさな熱は 記憶のなかでずっと 手の甲と手のひらにある 2010/9/29 大村浩一 ---------------------------- [自由詩]創書日和【揺】樹の記憶/大村 浩一[2010年10月31日22時57分] 遠いちいさな丘のうえで 初夏の梢が水草みたいに揺れていた 命あるもので揺れていないものは無かった 揺れながら皆まっすぐ天を指していた ひとつとして同じ形の枝は無かった ところどころ折れて歪んだ枝もあった それでも同じ名の木だと分かるのが不思議だった 這い這いが精一杯の子供と眺めていた 戻れない日々だとは思ってもみなかった 立ちあがった私の顔に 木陰がゆっくりと揺れていた 2010/10/31 大村浩一 ---------------------------- [自由詩]創書日和【拒】Point of know Return/大村 浩一[2010年11月26日19時44分] 拒まれて 塔の傍らに一人 辿りつけなかった人だってきっと多い 命あることはそれだけで幸甚だ ひと気のないはいいろ硝子の塔へと 電梯にせり上げられていく この眺めだって 十分に「上海的」だ 東京に居ながら 帰る家が無いなんて不思議 距離の見当を失いそうになって 身震いする おいとま乞いは間もなく わたくしのほうから 2010/11/26 大村浩一 ---------------------------- [短歌]デっど ・オあ・あらいヴ/大村 浩一[2011年1月12日0時54分] こんなにも多量の糞が出るのなら  俺は当分死にそうにない 食当たり何を食っても粘土味  油あげ一枚で死ぬかと思った 自転車のオカンがスロープ落ちてきて  駐輪場で死ぬかと思った 通勤鞄に「ふたりエッチ」忍ばせる  社会的には死に急いでる 親不知抜いた夜半に大出血  開院前で震えつつ待つ 素人が蛇口いじってどどどどど  これが酸なら死ぬよと素子 こんなにも多量の糞が出るのなら  やっぱり俺は死ぬかも知れない おさな児の80年後を想像す  その時俺はどこにも居ない 明産の田原会長かく語る 「生きてりゃ致死率100%」 会長の妹倒れかく語る 「癌では死なぬ寿命にて死ぬ」 おさな児に「どこから来たの」と問いかける 少し考え首をふるふる 母親が便秘で入院諦めた  まだまだ俺は死ねそうにない その母が熱中症で虫の息  赤子の様にプリンを食わす 死の顎逃れて老いた伯父眠る  酒で散らしたいものばかりだ アトピーもヘルニアも皆「気のせいや」 「夢や」と言って気合いで直す こんなにも多量の糞が出るのなら  君は当分死にそうにない 2010/7/15〜2011/1/11 大村浩一 ---------------------------- [自由詩]創書日和【涙】ティアドロップス/大村 浩一[2011年1月31日23時17分] ティアドロップの降る音に包まれて 静かに空を見上げてみよう ティアドロップの降る音に包まれて 傘から腕を伸ばしてみよう ティアドロップの透明な殻に包まれて 大事な天使が降りてくる ティアドロップの透明な殻に包まれて 僕等の街へと降りてくる 昇ってみよう 降りてみよう ティアドロップに包まれて 昇ってみよう 降りてみよう 見上げた空へ 僕等の街へ 静かに腕を伸ばしてみよう 傘のなかから伸ばしてみよう 冷たい雫で濡れるけど それは君の涙じゃない 君はとっても泣き虫だけど そんなに悲しまなくていい 一人くるしむ君の代わりに 空が泣いてくれるから 2011/1/31 大村浩一 ---------------------------- [自由詩]マニフェスト −No More Fukushima−/大村 浩一[2011年3月23日21時31分] 「この戦いが終わったら」 とか言うのは何とかフラグなので(笑) 縁起でもないのだが この戦いが終わったなら 今度こそ子供らが安心して眠れる国にしよう 子供の親たちが汚染で途方に暮れたり しないで済むような国に (この国がそんな風になるとは思わなかった  3月11日までは) 俺たちは脅えるために産まれて来たのではない シートンのぎざ耳兎だって もっと積極的に自分を生きてきた こんな国に誰がした と生贄を探しても仕方ない 49 という自分の年齢を考えるなら この国をこんな風にしてしたのは 他ならぬ私たちだ 嫌な事には目をそむけ 涼しい部屋で自分の腹だけは満たして 地上波TVで娯楽番組が流れる 恐怖をまぎらわす事も必要だが ここまで日常化させては 現実逃避と思えてならない 原爆の時はもっと大勢が助けに行った筈だ 怖さを知らなかったと言えばそれまでだが いまの福島は私らにとって 余りにもよそごとではないか 命を削った人たちが虚しくなるような空騒ぎが 無事な地域で続いている (そこで私はまた脅えてしまう) でも俺たちは脅えるために産まれて来たのではない シートンのぎざ耳兎だって もっと積極的に自分を生きてきた 気づいたら この場を切り抜けられたとしても 元気で居られるのはせいぜい20年 自分もそんな年齢になった 富豪ハワード・ヒューズのように 脅えて無菌室に閉じこもっていても その中で老い朽ちてしまうことからは 逃げられない でも俺たちは脅えるために産まれて来たのではない シートンのぎざ耳兎だって もっと積極的に自分を生きてきた 命のある限り精一杯生きよう 明日の太陽を信じて 生きられる限り 生に踏み留まって生きよう 2011/3/22 大村浩一 ---------------------------- [自由詩]創書日和【蒸】ライブスチーム/大村 浩一[2011年7月31日22時14分] 日曜日の11時 生き延びた僕らは 模型機関車の運転会に出かけた 会場のツインメッセは 石炭や油の排気ガスの臭いが立ち込めてきつかったが 子供達を乗せたC56型やロケット号が快走し それなりに楽しかった やたら汽笛が鳴らされうるさいのに 娘が乳母車で寝入ってしまったので 妻と私は露店でビールを一杯 会場には模型メーカーも出展しており お約束のゼロ戦や戦艦大和もあった そう言えば復元したC61型のTVドキュメンタリーで 監督は「機械が人類の希望だった時代の象徴」などと 機関車をたたえていたが 同形式が製造されたのは昭和22年以降 機械文明が人類を絶滅し得ると分かってからの製造 つまり片目をつむったまま繁栄を驀進してきた 彼女ら機関車が走った常磐線は いまも断たれたままだが さし当たり生き延びた僕らは 陽光の下でこれからの事を思いながら 娘が目覚めるのを待っている 2011/7/31 大村浩一 ---------------------------- [自由詩]興津の庭/大村 浩一[2013年8月7日22時18分] 興津駅の手前 山側 人家が不意に途切れて 現れる 庭みたいに小さな畑 柿や夏蜜柑の樹 小さなブランコ うつくしい朝 空は西から吹き払われ (生き延びてここに戻るとは  思っていなかった) 海沿いを東へ走る 津波や高潮で通行止めになる 住むのに相応の覚悟が要る土地 そこで囲まれて護られて わたしへ投げかけられた 景色 2011/10/3〜2013/8/7 大村浩一 ---------------------------- [自由詩]仮宿/大村 浩一[2014年2月5日17時07分] 娘の家が 我が家の居間に出来た 中国製のコート段ボールの切妻の家 白い壁にはクレヨンで好きな絵を描いた 飾りだが煙突もある 塞がっているから狼は入れない ひょうたんライトを灯せば中は別世界 ご満悦の娘は扉からTVを見ている この家もこの居間も 十年後には残らない 娘が 引っ越したくないと言う 会社借り上げのアパート ほんとうの実家は北西2キロのぼろ家 母が戻れなくなって一年半 取り壊しと売却を日曜日に決めてきた 1984年の詩誌もビックリハウスも 処分しなければならない 月曜の朝 南沼上の清掃工場へ 段ボール4箱の瀬戸物を持ち込んだ パッカー車で噛み砕かれる音を 背いて聞いていた 2014年2月3日・記 大村浩一 ---------------------------- [自由詩]帰宅/大村 浩一[2020年3月10日23時07分] 夕暮れの柳新田 家路の車窓から 不意に 更地になって 更地になった場所に気づく 確かに低木を植えた 黒板塀の民家か何かが あったのだが 家路を辿る人たちを見て 娘がたどたどしく言う ミンナ オウチ カエル おうちのお家は どこにあるのだろう 2011/10/31 記 ---------------------------- [自由詩]シンフォニア/大村 浩一[2020年3月11日23時13分] 厳しい夏の終わり ずぶ濡れで見上げた黒雲が 不意に吹き散らされ 見る間に西日に 真っ直ぐ照らし出された 濡れて光る道の先に 垂直に 虹 誰かへ知らせよ バッハのポリフォニー 窮することなく広がれ どれほど声を重ねても 乱れず調和して 喜びのまま 光のもとからあふれ 「この世は人のものならず」 橋へ導くもの 導かれるもの 世界は輝き続ける 2018/9/14 初稿 2020/3/11 改稿 #参考楽曲 J.S.バッハ (1685 - 1750) カンタータ「神よ、あなたに感謝をささげます」BWV29 ― シンフォニア 初演:1731年8月31日 ---------------------------- [自由詩]泡、あるいはテンペスト/大村 浩一[2020年3月15日22時51分] 瓶の壁を 静かに登る泡 幾つも 幾つも ためらいながら 少しずつ 飲むか、 と言うと 欲しい と答える グラスへ注いで 渡す ありがとうと 小さな声 あなたが居て 私が居て ここまでを繰り返した ここで 掻き消されても いまここに ある なにもない 青空 この夏を 凌ぐ事が出来たら 2020/3/15 ---------------------------- [自由詩]Exchange/大村 浩一[2020年3月25日22時58分] 元日に歌番組見て笑った男が 2月発症して傷害で拘束 3月には物言わぬ骸に 嬉しげに報じる記者と 嘲り溜飲を下げる視聴者らが 彼に支払う対価は幾らだ 2月節分の豆を撒き 3月雛祭りを祝った娘が 11日の津波で帰らない 親でも代理人でもない 視聴者らが教師をなじる 教師に支払う対価は幾らだ 敬老会の会場で右足骨折した母 4月施設の居室で下腿をまた骨折 この3月は左足を5針縫った 医者通いのタクシーや怪しい薬代 散財を強いる世間と私に 母が支払える対価はあと幾らだ 岩を殴れば拳が裂ける 痣を笑えば痣付けられる 作用と反作用が分かるなら 支払いは当然 用意してるね? 9年前の11月 1才の娘と妻とともに故郷へ 震災や被爆を運良く逃れ 9年続いた静かな安寧に いま濃い影が忍び寄ってくる こんど私が支払う対価は 一体幾らだ 2020/3/25 初稿 大村浩一 ---------------------------- [自由詩]話しつづけて/大村 浩一[2020年4月5日22時24分] 話して 話しつづけて 話しても仕方の無いことを 病院の屋上から見えるもの 遊ぶ犬たちのことや 食べられてしまった飼い兎のこと 売薬の無駄遣いで喧嘩しても すぐにほぐれて 直らない足の痛痺れのこと 食事時に隣に座る パーキンソン病の人のこと 岩合さんの猫のテレビのこと 話して 話しつづけて 眠れない未明のラジオのこと 朝が来れば 子どもには新しい一日が始まり 私たちの寿命は 一日縮む それでも空は晴れ 電車は走り 私達はお腹がすく 話して 話し続けて 話しても話しても仕方の無いことを それでも 2020/4/5 大村浩一 ---------------------------- [自由詩]Withdraw/大村 浩一[2020年7月29日23時01分] たそがれて いちにちが終わる いつかは このくるしみも終わる すくなくも わたしが終われば終わるだろう その時は 世界が終わる のではなく 世界のなかで わたしが終わる わたしが見ている夢のなかで わたしが終わるのではなくて くりかえし朝 あらわれることで 見せてくれた ひかり そのなかで わたしがあげた声はふるえ わたしがうたう歌は続き わたしであった骨はしばし残る 響いて くり返しくり返し 未来への接線を描いて わたしが終わるというのは わたしが消えるのではない 世界が終わるのでもない 確かな球体の手触りから わたしが離れて 立ち去るだけだ 輝いて たそがれていく いつのひかの いちにち 2020年7月11日初稿 7月29日改稿 大村浩一 ---------------------------- [自由詩]立会/大村 浩一[2020年11月28日17時54分] 11月の今頃になって ハムスターが死にかけている 妻が巣箱の入り口に芋を置いても 出てくる様子がない ペットショップで買って1年半 秋から急に痩せてきて 数日前から餌を食べなくなった 廻し車で騒々しかった熱帯夜が嘘のよう まるで別の生物になりたくて走っているようで この冬を越せると思ったが 声をかけている妻も内心 予期している 静かな夜が過ぎていく 最期を待つだけの時間が これから私たちに何度も来る 例えば次は母かもしれない 病院の長椅子で 残される者同士で話をしたり 腹が減ればパン位齧って そのうちに決着が来てしまう 奇跡のような緩解を信じてはいるが 来ればやり残しは諦めるほかない 寄り添えなくてごめん 寄り添えなくてごめん、と思いながら 夜の部屋で 遠のいていくお互いの命の 距離を測っている 2020/11/28 大村浩一 ---------------------------- [自由詩]変針/大村 浩一[2021年1月27日23時33分] だしぬけに 一枚羽根が吹き飛び 鳥は少しバランスを崩した 何喰わぬ顔で引き起こしながら 無限には飛べないことに 今更ながら気づいた 強い北風 空は底抜けの好天 その果てに まだ見ぬ大陸があった 知る限りの行程を瞬時に組み立て 彼ははじめての事のように 自分の意志で翼を動かしてみた 身体が応えて 空中でするりと進路を変えた あまりにあからさまで いささか鼻白んだが これで敵意は誰にも知れたので はじめからそうだったふりで 悠々と飛び始めた 「日詩」2021/1/24 大村浩一 ※末尾は旧作「ネウストラシムイ」から部分引用 ---------------------------- [自由詩]十年忌/大村 浩一[2021年3月11日12時02分] 誰も帰らない家が在った 十年ぶりに男が一人帰った その家を壊す支度に 雑草に覆われ 壁は罅割れ色褪せ 繁栄の代償に 突然選ばれた家族 怒りは擦れ違う 日々が過ぎても これで癒えたと言うのか 罅割れた建屋 溢れる汚染水 未だ揺れる度に慄く プリピャチのように まさかの日本に出来た 損なわれた場所 2021年3月11日初稿(完全版) 大村浩一 ---------------------------- (ファイルの終わり)