渦巻二三五 2006年12月18日10時14分から2008年3月17日10時39分まで ---------------------------- [短歌]冬月/渦巻二三五[2006年12月18日10時14分] 冬の月中天にさしかかるとき人魚は難破船を欲(ほ)りゐる 憎しみに冴えたるこころ煌々とはげましゐたり冬の満月 冬月が鉄橋の上に待ち伏せる窓にもたれる男の額           一九九八年一二月一三日 ---------------------------- [俳句]雪催/渦巻二三五[2006年12月18日11時26分] 大クレーンふいに傾く雪催(ゆきもよい)           一九九七年一一月三〇日 ---------------------------- [自由詩]大座法師池/渦巻二三五[2006年12月18日11時32分] 巨人の足跡に舟を浮かべ わたくしたちは向かい合う ここは空の真下 もう片方の足跡は はじめからなかった           一九九八年二月二四日 ---------------------------- [川柳]言い訳/渦巻二三五[2006年12月19日12時24分] 言い訳は「ほんとうのわたし」がします ---------------------------- [短歌]師走の鼠/渦巻二三五[2006年12月28日9時56分] なぶられて大鼠の尾やはらかに冬の地を打つ死してなほ打つ むざむざと引きずられゆく鼠の尾 師走の道をけものが渡る 人並みにもの購(あがな)ひて心安し師走の街の世間てふもの           一九九九年一二月二七日 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]詩に飽きたとき/渦巻二三五[2006年12月29日11時49分]  自分はもう詩歌の読み書きに飽きたんじゃないかと思う時期が繰り返しやってきます。何を読んでもおもしろくない、たのしめない、ある詩に幾人もの人が賛辞を送っているのを見てもそらぞらしく感じてしまう。  そんなときでもなんとなく詩歌に触れていると、「あっ」と思う作品に出会うことがあって、それで私はまた詩歌の読み書きに取り組んでみたりするのです。飽きたかのような私をぐいと引き留める詩。ああ私はまだ詩が読める、私は詩を読みたいと思っているのだ、と思わせてくれる詩。  短い詩が読みたいです。  短くて末広がりの詩。書かれた言葉が、書かれなかったその先の道標となるような詩。  書く者の胸の内で決着がついていることなら、詩にすることはないんじゃないか、と思うから、思ってしまうから。           二〇〇三年六月二六日 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]作品が人を傷つける/渦巻二三五[2006年12月29日12時31分]  昔、ネットである人の書いた作品を読んでいたく心傷ついたことがありました。  数首の短歌が書き込まれていて、一つは我が子の靴を見てその成長を思う、といった内容の歌だったのですが、そのすぐ次に書かれていたのが、はらりと散る木蓮の花弁を石女(うまずめ)の乳房に喩えたものでした。  どちらの歌も、それ一首のみであったなら、あるいは、私が目にするのがそれぞれ別の機会であったなら、自分の子を持たない私が読んでも傷つくことはなかったでしょう。こどもの靴を通して母の心情をうたった歌であり、木蓮の白い花弁を鮮烈に印象づける歌であり、それぞれに良い歌として鑑賞できたはずです。けれども、その二首が並べられていたことで、私には  「わたしの乳房は子を産み育ててきたが、無為の乳房は木蓮の花弁のように散るだけだ」  と読みとれてしまったのです。  その木蓮の歌は美しい歌でしたけれど、まるで自分の乳房をもぎとられたような気さえしました。たいへんなショックでした。  私は自分のそうした気持ちを作者に伝えたい思いにかられましたが、それはしませんでした。作者があえてそのような二首を並べたのではないとわかりましたし、その人は、私がそれを言えば困惑しながら詫びてくれたでしょう。  私はしばらくその場を読みに行かないことにしました。そして二首の歌を忘れようとしました。歌は忘れましたが、そのときの印象は強く残っています。  私はあのとき初めて、作品が人を傷つけるとはどういうことかを知りました。  あの人はどうしてあの二首を並べたのだろう、と時折思い返すことがあります。  自分のこどもが成長した安堵と誇りと少しの寂しさとを詠み、それからふと目を移して木蓮の花を見たとき、木蓮の白に無垢を感じ、子育てをしてきた自分の乳房との違いを思ったのかもしれません。  最近になってそう思い至りました。  そうであるならば、この二首が並べられたことも作者の内の無意識の必然であるでしょう。  これは私の勝手な解釈ですけれど、そのように思い至ったことで、なんとなく、こだわりから抜けて少し気持ちが軽くなったような気がしました。  そうしてやっと、私はこの二首の歌を今まで憎んでいたのだということに気がつきました。           二〇〇三年二月五日 ---------------------------- [自由詩]はる/渦巻二三五[2007年2月26日11時25分] 空からは 降りてくる 土からは 起きあがる 手をさしのべて のびをして あくびする 呼ぶ声にこたえる うつくしく わらう                     一九九五年二月二六日 ---------------------------- [俳句]春の水/渦巻二三五[2007年2月26日11時34分] 春の水濁れよ神の指触れん ---------------------------- [俳句]冴え返る/渦巻二三五[2007年2月26日11時46分] 電線の雪ぶつ切れて落ちて来し ポケットに凶器あたため暮れかぬる 妻を殺して帰る家 冴え返る 遺書などは無くとも二月の首縊り シクラメン呪いは無垢なこころから ---------------------------- [自由詩]おらあ悪党だすけ、/渦巻二三五[2007年2月26日13時16分] 「おらあ悪党だすけ、地獄の閻魔様にも嫌われてなかなかお迎えが来ねぇ」 と元気に遊びに来ては、父によくこぼしていた祖父だったが 晩年はながいこと寝たきりだった 曲がったまま固まっていた脚のせいで棺のふたが閉まらなかった なにか、たまらない気持ちになった 父が、ぐいとふたを押さえてようやく押し込めた 父はいつもそういう役目を引き受けてくれる人だ 閻魔様にも嫌われるような悪事とはいったいなんであったのか おとなたちはみんな知っていたのだろうか 誰かにだまされて家や土地を失ったらしい、とは おとなたちの会話からうすうす知っていた 呉服を商い田畑を耕し豚を飼っていた 田畑で鍛えた体は浅黒く仁王様のようにたくましかった 村の人たちの信頼篤く、世話役のようなこともしていたらしい 「わたしも満州に置き去りになったかもしない」 と、たった一度だけ母が言ったことがあった 祖父の口利きで何人もの人が満州へ渡ったらしい 土地がもらえて豊かに暮らせるから、と 祖父自身も心傾きかけていたところ、強く引き止めた人がいて 祖父は村に留まった 祖父はたくさんの人を満州に渡らせて、賞状をもらった という話を聞いたのは、そのときたった一度きり だからわたしの記憶ちがいかもしれない 「長岡の空襲の時は、みんな土手っ端へ逃げてねぇ。 でも、きれいだった。夜なのに、むこうが夕焼けのようにあかいんだよ。 あれは長岡のまちが燃えていたんだよねぇ。きれいだったねぇ」 と、そのとき子どもだった母は、これもたった一度だけ、わたしに語ったことがある 「おじいちゃんはねぇ、逃げるのがめんどくさい、といってうちで寝ていたよ」 おらあ悪党だすけ、 おらあ悪党だすけ、 祖父のはたらいた悪事とはなんだったのか わたしも胸苦しくつぶやく おらあ悪党だすけ、 おらあ悪党だすけ、 地獄の閻魔様にも嫌われて、生きのびる ---------------------------- [自由詩]墓/渦巻二三五[2007年3月4日0時54分] いっぽんの木は森にまぎれ ひとつの屍は累代の死にまぎれ かすれない文字が積み重なることばにまぎれ わすれることをゆるしながら 不意打ちのように わすれたということを思い出させる ―――膨大さゆえにようやく朽ちてゆく記録 生きた証ではなく 確かに死にましたというしるし 金魚の墓 蝶の墓 猫の墓 小鳥の墓を たてなければならなかったように 森にまぎれるいっぽんの木のように 墓地のなかにわたしの墓を 生きてきたそのことをもてあまさないよう そしてわすれてしまうよう ただし 死はしっかりと記録されるよう それは定められている ---------------------------- [俳句]花冷/渦巻二三五[2007年3月30日10時39分] 人ふいに春の水から石拾ふ うららかや友うつくしく疎ましく 花冷や行方不明の恋敵 ボンネットに足跡残し春の猫 春嵐緑の騎士を連れて来よ 花冷のされど眩しき花並木 ---------------------------- [短歌]ときには悪に/渦巻二三五[2007年3月30日11時00分] 寄せ植えのパンジーの黄がまぶしくて日向のしあわせって感じね 紫のパンジー口につめこんで嘘つきの舌染める刑罰 うつむいたまま愛される菫草みたいな女友達のばか 摘むならば百合踏んづけるなら菫ときには悪になってみたいよ                     一九九八年四月二五日            ---------------------------- [短歌]麗らかなきのふ/渦巻二三五[2007年4月27日10時42分] うららかに風のかすめる真昼間を透きとほる茎ゆらゆら歩む いつぱいにひろげし指にうららなる光を溜めてさよなら少年 仰向けの蛹にうららなる日射し二度の誕生ゆるされてをり うららかな日の暮れかかりさはさはと色とりもどす脳もて帰る かがよへる水のうららや「死ぬなよ」と声かけられき十九のわれは 麗らかな一日髪をゆらしつつさらはれなかつた少女の背中           一九九九年四月一三日 現代詩フォーラム@@nifty ---------------------------- [短歌]木の芽立つ/渦巻二三五[2007年4月27日10時52分] 木々の芽の魚(うを)の頭のかたちして霞の谷に息ひそめゐる この冬も人失はれ残雪の谷さやさやと木の芽張り初む 断崖に身をよぢりたる一樹あり芽のあをあをときのふを忘れず 約束てふ言葉はあらず芽吹くときいつせいに水のぼりはじめる 木の芽立つ枝をふるはせけものめく森に夜の雨ぬるく注げり 木の芽立つ枝交はりて天地(あめつち)をめぐる争ひまたはじまりぬ           一九九九年四月二六日 現代詩フォーラム@nifty ---------------------------- [短歌]幸福の廃墟/渦巻二三五[2007年4月27日11時04分] 門(かど)ごとにあふるる花を競ひ合ふ住宅街を光貫く やはらかき茎裂けながら薔薇の芽のあたらしき肉色に生い出(い)づ 腐りつつ笑ふ黄の花雨受けてプラスチツクの鉢膨張す 恨まれてゐるかもしれず何色に咲くかわからぬ薔薇の芽の萌ゆ 王のゐることはあるいは安らけしいつか廃墟とならむ宮殿 一国をなしたるがごと薔薇の木の茂りゆたかに蕾ふふみぬ グラジオラス!滅びし王の名のごとく呼べばくるしき夏の野心よ 陽に焼けし王子かなしく微笑みてけふは王子のやうに手をふる ふさわしき花咲き出(い)でむ永久(とわ)の留守風と鳥とが種子をはこびて           一九九九年五月五日 現代詩フォーラム@nifty ---------------------------- [短歌]ぶらんこ/渦巻二三五[2007年5月2日12時43分] 一回転してしまえない飛び出せないからぶらんこの鎖がたわむ 靴だけを先に逃がしてぶらんこに繋がれたまま残ったわたし 順番を待ってから乗るぶらんこはつまらないからぎりぎりねじる ぶらんこに乗ればわたしに風が吹く愛してるならついておいでよ 母さんが悲鳴をあげるほど高くぶらんこ漕いで家出をしよう ぶらんこに腹這いに乗るさみしさは空を飛べない両手両足 弧を描き地面かすめる思い切りぶらんこ漕げれば恋はいらない あたたかい鎖だったねぶらんこに二人乗りしてちょっとこわくて 振り返るぶらんこはまだ揺れているわたくしはもうそこにはいない ぶらんこに腰掛けているシンデレラ少女のころの靴跡を履く           一九九八年四月二九日 @nifty 文学フォーラム ---------------------------- [自由詩]先端は求めよ/渦巻二三五[2007年5月2日13時01分] 蔓の先はしがみつくあてをもとめている ひょろひょろと風にあおられるのも策略 つるりぬるりと小鉢の中を逃げ回る里芋を こどもの箸が突き刺す 突き刺すのだ! もとめるかたちはとがっている 切実さに細ってゆく その先はもとめずにいられない ついにはヒトの卵子さえぷつりと 突き刺してしまった! 欲深く細りながら生きねばならない 細るほどにたくらみはとがり その先をひょろひょろとあおられて 細々と暮らしています と言いながら ぎりぎりと押されながら ネジの先は自分のおさまる穴をこしらえ 沈みゆく船の舳先は天をさす           二〇〇一年一二月五日 @nifty 現代詩フォーラム ---------------------------- [自由詩]おっぱい(地)/渦巻二三五[2007年6月7日11時59分] 外から帰ると乳房がつめたい それは脂肪のかたまりだからだ 血の通わない、けれども ゆたかに潤し育むことができるふくらみ 「脂肪のかたまり」と呼ばれた女は 蔑まれながら 馬車のなかで飢えた人々に 惜しみなくパンを与え けれどもその身に通うあたたかな血は黙殺され 今は、渡り鳥も渡らない鳥も 子育ての真っ最中 鳥の胸は筋肉だ はばたくための筋肉でみっしりと堅い 鳥の胸は血の熱がこもっている 鳥の親は胸をひらく代わりに口をひらく 美しい胸を見よ 人もけものも その奥にこそ血の源がある ---------------------------- [自由詩]おっぱい(天)/渦巻二三五[2007年6月7日12時00分] 娘の胸が次第にふくらんでいくのを 心ひそかに嬉しく思っていた。 と、母が告白する だけど、ついには大きくならなくて ちょっとがっかり。 などと、母め シャツのボタンを上から順に はずしても はずしても すっきりと月のようだ 鏡の前で、わたしはもう 生々しくはない 自分の乳房を「おっぱい」と 呼ぶことも呼ばれることもなく わたしはもう、お月さまのような胸だ ひんやりと気持ちよい ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]パソコン通信の思い出/渦巻二三五[2007年6月18日11時51分]  私がニフティサーブに入会してパソコン通信を始めたのは、一九九五年。  その頃、プロバイダは二つか三つの中からしか選べなかった。  ニフティにはさまざまな「フォーラム」があった。今でいえば、サイトのようなもの。ただ、インターネットのサイトと違うところは、「フォーラム」はすべてプロバイダが設置したものだということ。  「フォーラム」の管理人は有志がボランティアで務め、その人は「シスオペ」あるいは「フォーラムマネージャー」と呼ばれていた。  私は、ニフティのなかにある『文学フォーラム』というところに入会した。  電話回線を使ってネットに繋ぐ。  電話代と接続料金がかかる。接続料金は定額制を選べたが、電話代は従量制だった。書くにも読むにも接続時間に応じてお金がかかる。だから、たいていは、読みたいところを一旦ダウンロードしてから接続を切って読んでいた。書き込みをするときはあらかじめ文章を作成しておいてから接続し、アップロードする。  そのころのコンピュータの処理速度は今と比べるととてもとても遅かった。どれくらい遅かったかというと、テキストをダウンロードしている最中にモニタを流れていく文を読めるくらい遅かった。  だから、つまらない書き込みがあると、直ちに文句が出た。  「無駄な金を払わされた」  と。  一ヶ月かそこら、私は読むだけだった。  その場所に書き込むということがどういうことなのか、理解するのに時間がかかった。  「もし、書き込みするんなら、よくよく考えてからするんだよ。新聞の投稿欄みたいに大勢が見るものなんだから。しかも、新聞の投稿と違うのは編集が一切入らないということだ。書いた物がそっくりそのまま掲載されるんだからね。これがどういうことだかわかるね?」  と夫は私に忠告した。  ようやく私は、少々怖じけながらも、新入会員歓迎用会議室に書き込みをした。  「はじめまして。  いかれぽんちの文学青年とお友達になりたいです… 」 つづく ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]パソコン通信の思い出 2/渦巻二三五[2007年6月21日11時31分] collector さんから以下のコメント頂きました。ありがとうございます。 いっこ訂正っす。または便乗裏話と取っていただければ幸い。 フォーラムは、例えて言えば、楽天のショップをシンプルにしたようなものです。 「こういうフォーラムを開きたい」と思った人が企画書をニフティサーブに提出すると、面接を含む審査があって、許可が下り、有名なSDIで始まるシスオペIDをもらえます。>その前にニフティサーブの会員であることが条件なので、会費は支払います。楽天みた>いなといったのは、ボランティアでないというところを強調したかったので、物を売るわけではないです。まぁニフティサーブが課金を売るのをサポートする役目を負っていたというところです。 1995年の時点では時間課金があったので、メンバー数ではなくフォーラムのアクセス時間の総計に対して一定の割合で報酬がシスオペに対して支払われていたはずです。この頃、海外では「プロのシスオペ」という人がいて、人気の出そうな「フォーラム」(Special Interest Groupを略してSIGと読んでいたパソ通会社もありましたね)を複数作って人を呼び込み、それで食っていた人もいたと噂に聞きました。 「フォーラムって誰でも開けるものなんだ」ということを発見するまたは思いが至る人がごく少数だったので、シスオペはボランティアであるという噂が流れていたのも事実です。 ---2007/06/18 15:53追記---  自分の記憶を頼りに書いているので、こういうコメント頂けるととても嬉しいです。  シスオペがなんらかの報酬を得ている、というのを知ったのはいつだったか、Fポエム(詩のフォーラム)でそうしたことを言う人があって、どうもそういうことらしいと知っただけで、はっきりとどこかに明記してあったのを目にしたことはありませんでした。  実際はcollector さんのおっしゃる通りでしたが、どちらかというと、「シスオペが報酬を得ている」という方が「噂」のように囁かれていた感じだったと思います。  それと、私が参加していたのは、文学フォーラムと詩のフォーラムでしたが、シスオペが報酬を得ていたにしても、フォーラムの運営という労力に見合う額であったのか、と考えると、どうも割りに合うものではないんじゃないかという憶測があって、あえて「ボランティア」との言葉を使ってしまいました。  ですから、collector さんのコメント、ほんとに有難かったです。  さて、F文学(文学フォーラム)に入会した私は、おずおずと、しかし怖い物知らずに書き込みを始めました。最初は、雑談用会議室に書き込みをしました。  自分の文章が、手書き文字ではなくきっちりと活字になって表示される、そのこと自体、快いものでした。そしてそれが大勢の目に触れることを思うと、ただ自分のノートに書き綴るのでは味わえない高揚感のようなものがありました。  さらに、自分の書いた文章に対してリプライがあると、ただもう何か不思議な出来事に出会ったような気持ちになって、浮かれていたように思います。今思うと笑ってしまいますが、リプライをしてくれるその人たちを現実に存在する人として実感することができず、なにかの仕掛けのように感じてしまう。もちろん、理屈ではちゃんとわかっているつもりでしたが、実際私にはとても奇妙で不思議な感じがしてしまったものでした。  そのことを雑談会議室に書いたところ、  「私たちが機械の中に棲んでいるかのように感じているような人とはまともなやりとりはできない」  と言われてしまいました。  そう言われて、私はびっくりして考え込んでしまいましたが、おかげでその人の言ったことを理解できるようになって、正しいことをはっきりと言ってくれたその人に今はとても感謝しています。  電話回線でつながるその向こうに、人、人、人、がいて、私と同じようにモニタに向き合って文字を打ち込んでいる。そのことを自然に思えるまでには少し時間がかかりました。 こどもの頃から、すでに携帯電話のメールやりとりや、インターネットの利用が一般的だった若い人たちは、おそらく私が抱いたような感覚はあまりなかったのではないかと思います。  つづく ---------------------------- [短歌]蛍/渦巻二三五[2007年6月21日12時06分] 蛍火の点滅そろふ魔の息はさうしてわれらの耳をかすめる あれは蛍だつたのかしら言ひそびれ秘密となりしことの幾つか           一九九八年七月一七日 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]パソコン通信の思い出 3/渦巻二三五[2007年6月29日11時28分]  ニフティのF文学(文学フォーラム)には、『いまのは倶楽部』という短歌・俳句の会議室があり、私はそこで読み書きをしていました。  私が参加しはじめたころは、発言数は一日四つか五つくらいだったでしょうか。十には満たなかったと思います。皆、淡々と投稿をしておいででした。  感想コメントが寄せられることは多くはありませんでしたが、「あ、これは面白い」と思うものに私がコメントしてみようと思うと、それより先に話題にしている人がいたりして、普段静かなところでも、「読まれている」という緊張感がありました。  『いまのは倶楽部』では、毎週「お題」を出してくださる方がいて、今週のお題は何々、と書き込まれると、題詠の歌や句が会議室に投稿され、一週間後にそれらの作品がまとめられていました。その間、社交辞令的挨拶書き込みは一切なし、という実にすっきりしたものでした。  その他に、毎月「たまには歌句会」とい歌句会が催されていました。名伏せで作品を投稿し、それぞれが持ち点を評とともに投票するのです。歌句会を取り仕切る役は参加者有志の持ち回りでした。  毎月、自分の作品に何点いただけるかと、どきどきわくわく。そして、自分の選は他の人とどう違うのか、自分の「読み」も試される面白さがありました。  毎月投稿の締め切りまで、あれこれと自作を選び、ときには「ああ、書けない!」と思い悩むのも、今にして思えば楽しい時間でした。  作品一覧が名伏せで発表されると、いつも「これは、とてもかなわない!」と打ちのめされるのですが、すぐに気をとりなおして、選にとりかかります。一つ一つ鑑賞し、歌や句の一文字まで、しゃぶりつくすように読みました。短歌や俳句といった短い詩形だから、そのように読むことが必要なのだと自然とそう思っていましたが、私が詩を読む読み方はこのときからあまり変わっていないと思います。  助詞一つで意味が違ってしまう作品に時間をかけて向き合うことができた、このときの経験は実にありがたいものだったと思います。  歌句会の結果発表はそれはそれは待ち遠しいものでした。  歌句会の醍醐味は自作の点数の多寡ではありません。発表の後に行なわれる参加者のやりとりなのです。  自分の作品について他の人の評を読んで気づかされたり、選をした作品でも自分の読みの浅はかさや誤読が明らかになったり、あるいは、逆に自分が推す作品の良さを主張することもありました。  私は、作品を読んでもらう嬉しさとともに、他の人の作品を鑑賞する面白さを知ったのでした。 つづく ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]『最果て』を読む/渦巻二三五[2007年7月13日23時11分]  『最果て』水在らあらあ  http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=123658  ワタナベさんがこの詩について述べた文章http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=125635を読んだけれど、正直、私には、ワタナベさんがこの詩の何にどう感動したのか、よくわからなかった。だから、私も読んでみようと思う。  「最果て」という言葉から私がイメージするのは、 滅亡後の風景だ。あるいは、未だ何も生まれていない始まりの風景。   この詩に描かれているのは異国の出来事で、私はその場所を知らない。  「巡礼」というと、四国のお遍路さんを真っ先に思い浮かべる。  白装束で杖を突いて歩く姿。  八十八カ所を巡り終えた結願の寺で、涙を流しながら御詠歌をうたう人々の映像を観たことがあるが、あの涙はどういう涙なのだろう。  四国八十八カ所を巡るのは、本来、個人の願掛けよりも、かつて遍路の途中で命落とした人たちを弔う旅なのだと聞いた。遍路とは、社会からはぐれた者、村社会で養われなくなってしまった者がなかば死に場所をもとめて身をやつすものでもあったそうな。  この詩に描かれている巡礼たちは、いにしえの四国のお遍路さんのような、世を捨て世に捨てられた、枯れた姿はしていない。現代の、観光がてら「自分探しの旅」をしている遍路姿の旅人とも違う。この生き生きとした生臭さはどうだろう! 健康な肉体と血と、さらに野心さえも持っているかのような、力強さを感じさせる。まるで伝説の宝探しに来た屈強の若者たちといった趣だ。  この「最果て」とは彼らにとって何であろうか。「最果て」への旅とは何であったのだろうか。  ともかく、彼らは長い道のりを経て、たどりついた。「最果て」にたどりついたことをよろこんでいる。  そして、生きていることを確かめ合っている。暗い荒れた海を前に、火を焚いて、おどって、うたって。  お互いをさがしながら、ついに再会できたよろこびは、お前も生きてたどりついたか、というよろこびだろう。  「血をもらってくれ」  とは驚く台詞だが、これは何かこの地の「巡礼」の儀式のようなものなのだろうかと思う。  あるいは、そう呼びかけずにいられないほどに、そこに至るまでが苦難の道であったのかもしれない、とも思う。どれほどのことがあったのかはわからないが、同じ「最果て」を目指したどりついた同志であるという気持ちとともに、お互いの「生命」を具体的に確かめ合いたいという衝動が自然と生まれるほどの何かが、あったのかもしれない。四国のお遍路さんとは違う、自らのたくましさから出る衝動でもって「最果て」を目指したのであれば。  「最果て」は滅亡後の風景であろうか。それとも、まだ生まれない始まりの風景だろうか。  荒れた海の上の月、そのさらに上の宇宙を見上げて、「心」が「世界」を愛するという、その「世界」とは何を指しているのだろうか。  自分が生かされてある自然、という意味の「世界」なのか、それとも、生き残っていた仲間たち(と自分)とが立ち上げていく「世界」、これから始まろうとする「世界」なのか。  私は、ここで話者の言う「世界」に、「世界を愛して」という言葉に、生々しい人の熱を、野心に似た肉の猛りが込められているように感じてしまう。  この詩は、私には、謎の多い詩だ。  謎であるのは、私の問題なのか、忌憚ないコメントお待ちしています。 ---------------------------- [自由詩]夏の終わり/渦巻二三五[2007年9月10日13時09分] 油蝉の断末魔に ふりむくと 老婆がひとり まどろんでいた 石段にひろげられた紙の上に 硬貨をひとつ 投げてやった 老婆は顔を上げると おれの目を じっと見つめた あくる日 老女はおれを待っていた 硬貨をふたつ 投げてやった 老女はおれの耳をつかみ 乾いた唇でささやいた つぎの日 女はおれを見上げて ほほえんだ 硬貨をみっつ 握らせてやった 女はおれの頬にふれ かすかな声でつぶやいた 四日目 彼女とおれは言葉を交わした 紙幣を一枚くれてやった 彼女は 石段にひろげていた紙を 折りたたんで おれの内ポケットに すべり込ませた 五日目 女はどこにもいなかった さがしてもさがしても どこにもいなかった わたされた手紙には 別れの言葉がつづられていた おれは途方にくれて 石段に腰かけていた きょうもまた おれは石段に腰かけていた どこへ行ってしまったのか もう二度と逢えないのか 目を閉じると せつない気持ちがこみ上げてきた ある日 ひろげたままの手紙の上に 硬貨がひとつ 投げられた 顔を上げると 若い女が立っていた あくる日 おれは女を待っていた 女が硬貨を投げると おれは女の耳に しわがれ声で ささやいた 「あんたはきっと恋をする」 油蝉の断末魔が 聞こえていた           初出:一九九六年 八月一日 @nifty 詩のフォーラム          ---------------------------- [自由詩]イナゴ/渦巻二三五[2007年9月10日13時31分] わたしは新参者だから とにかくにっこりと会釈する 「こんにちは」 と声をかける するとにっこり が返ってくる けれどもそれは 返ってくるばかりで 声をかけるのはいつもわたし それでもふいに葱をくれたりする 道の向こうからやってきた人に にっこり こちらが挨拶すると 「あんた、これあげようか。ほう。たくさんとれたから」 使い古したコンビニエンスストアの袋 に、イナゴ イナゴをくれることもあるのか 生きてますね。 「生きてるさあ。ほぅ。今とってきたとこだから」 かかげた袋がもぞもぞ動く 「このまま置いておけばいいよ」 はあ。それで。 「ふんを出すから」 そうでしょうねぇ。 「なんだ、知らないんだね」 「袋ごとじゃっと湯につけるんだよ」 お鍋に入れるんですか。 「上から湯をかけてもいいよ。袋を開けたら飛び出るからね」 あっはっはあと笑う わたしも笑う 「死んだら洗って」 シンダラワラッテと聞こえてしまう わたしにはできない が、ついつい聞いてしまう 「脚のさきっぽのところは取るんだよ。ほう、ここんとこ…」 イナゴをつまみ出そうとする ああ、はい。脚の先ですね、わかります、わかります。 (まだ袋に入っていて姿は見えないが、たくさんの脚) あの、こんなに、わたし。 「そうだね、あんたんちは二人だから 少しでいいね?」 うちの人が。 と、つい口に出た イナゴだめなんです。 こんなときは便利に夫を言い訳にする ふ、とおばさんが笑った 「ああ、そうかい」 すみません。 あっはっはあ、だめかい。 と笑って 「じゃあ、またなぁ」 と去って行った (あしたには甘辛く煮られるイナゴ) もしかしたら からかわれたのかもしれない いやいや、そうではない そうではないのだ いつからか、 夕方には 「おかえり」 と声をかけられるようになって そんなときは ちょっぴり恥ずかしくもあり 踏み入ってしまった場所を見回してしまう ちょっと奥さん、これ持ってかない? と呼び止められたら リンゴだった ということもある よくある キズついて市場へ出せないリンゴ(ハネ出し) が、ダンボール箱いっぱいになって (どこの家でも) 冬のあいだじゅうそれを食べて過ごします           初出:一九九六年八月一日 @nifty 詩のフォーラム ---------------------------- [俳句]怪談俳句/渦巻二三五[2007年9月10日13時46分] 炎昼を赤子の声で鳴く蝉や 誘蛾灯十枚の爪かかりけり 泳ぎきし手足を埋めて砂の城 真夜中の汗つま先へ到達す 扇風機ふいに大きく頷けり 蟹踏みし踵より蟹生まれ出(い)づ 黄金虫(こがねむし)額に割れてしまひけり 蟻の道一直線に臍の穴 地下道の死体ちひさき虹刺さる 木下闇百年前から婆が居る           初出:一九九八年七月六日 @nifty 現代詩フォーラム ---------------------------- [自由詩]花あそび/渦巻二三五[2008年3月17日10時39分] これではない、 これではない、と言いながら なにも指し示すことができず しかしそれは確かにあるのだと言う 散り敷いた花びらかきあつめ その手をかかげあげても ばからしいと言う 見上げる花のまぶしさを どうやって手に入れよう せめてもと 花びらを風に流してあそんだら 埃が目に入って痛い 土まみれだ それではない、それではないのだよ と、土まみれを嘲笑うおまえ ちがう、ちがう、 と涼しく言いつづけて 握りこぶしを隠している ---------------------------- (ファイルの終わり)