銀猫 2008年9月9日10時26分から2016年2月14日17時03分まで ---------------------------- [自由詩]海蛍 (二)/銀猫[2008年9月9日10時26分] 渚のざわめきは ナトリウム灯のオレンジに溶けて消え 九月の海が わたしの名を呼んだ 絹を広げたように 滑らかな水面が 夜の底へと続くしろい道を見せる 爪先からそっと水を侵すと ひと足ごとに 身体は海蛍となって溶け始め 青白い光を放つかも知れない   (黄泉への入り口を見つけたがごとく) 散らばった、 わたしだった形は さざ波に翻弄されながら打ち寄せ 或いは 月に向かって跳ねる、 銀のさかなを縁取ったりする いのちの欠片を 青白く光らせては消え 静寂の在りかを求め 朽ちた実感も無く尽きてゆく 些細な刺激は 凪のなかにもあって わたしの指を仄かに光らせる 鼓動が遠くに退いてゆく ---------------------------- [自由詩]その空へ/銀猫[2008年9月26日23時53分] 裸足で海を確かめた後、 砂混じりに泡立つ波が残す 束の間の羊膜は 秋の曖昧な陽射しと融合して 反転の空を この地表に造り、 (黒く濡れた浜辺は秘密裏に水鏡) 空を歩く、という我儘を赦してくれるのだ。 到底届かぬ空の中へ 爪先を 靴擦れの残る踵を そろり、 そろり、 侵すように 揺るがぬように。 日常の螺旋は届かないのだ、 わたしが一本の髪さえ落とさなければ。 時間は止まり ただ空の懐に吸い込まれるばかり そういう開放を 或いは 実体を捨てた純粋な魂を 飲み込んでくれるところなど 滅多にあるものではない 九月、 ああ九月なのだ わたしには夏に戻る術などないから 安心して飲み込んで欲しい 足跡はつかない、つけない、 空を歩く。 満ちて、 そして。 ---------------------------- [自由詩]線路わきの子供とパフォーマーの体温〜ワークショップin武甲書店/銀猫[2008年10月15日9時52分] 制作方法について:(イダヅカマコト氏による説明を引用) http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=2620 2008年10月13日に秩父・ポエトリーカフェ武甲書店にて行った秩父お散歩ツアー&ポエトリーワークショップにて制作。 参加者がそれぞれ持参した写真2枚と今村知晃さんの朗読写真5枚より制作。(制限時間:10分) 制作後、参加メンバーで交換しあい、制作した詩を翻訳。(制限時間:5分〜7分) 翻訳した詩をさらに翻訳(制限時間:5分〜7分)。翻訳を繰り返す。 参加者全員によるの翻訳を元の作者本人が翻訳するまで繰り返す 参加者: イダヅカマコト、落合朱美、佐藤銀猫、白糸雅樹、(名称は50音順・敬称略) 元ネタの画像下記URLの今村知晃・イダヅカマコト元ネタ http://literture.jugem.jp/?eid=19 「レイルウェイ」 ふたりは幼くたって知っていたんだ この線路を辿って、辿って、 そうしても自分たちの桃源郷などないってことを。 けれど 夏が終わろうとする日 どちらともなく手を取って 歩き出してしまったんだ それは誰かの為とか 陽射しが眩しかったとか 理由ならいくらでもあるんだろう。 小石に足を取られながら あ・る・く・あ・る・く あるく、あるく、あるく、 生あることを世界中に知らしめるかのように、 歩く。            (原作・銀猫)           * あるく・あるく・あるく・あるく・A・R・U・K・U・アルク(→原文はハングル文字) Stand by me を今もつづける 秋が始まる日の昼から 電車が通るたびに道をよけて 石を線路からよけながら 歩く 歩く 歩く 歩く 歩く・・・・・あぁるぅくぅ あぁるぅくぅ 幼稚園の制服の 水色の 緑の 赤の ワッペンを 雨にとかしながら 今 目の前につづいているかぎり 先へ 先へ もぐってゆく           (銀猫→翻訳・イダヅカマコト)           * 人生はレールだとか道だとか そんなものにたとえられる ひたすら歩きつづけて来た 時々ふり返って見れば 幼い自分の影がうっすらと 忘れられようとしている けれど そんなことにはおかまいなしで ただひたすら歩いて歩きつづける その先が上ではないことに 地中へもぐっていることに 気付いているのにきづかないふり           (イダヅカマコト→翻訳・落合朱美)           * 人生というレール 人生という道 何だかわからないが、 私はただひたすら歩きつづけて来たのだ わたしの背後では 幼い影がうっすらと 忘れ去られようとしている だが 私は ひたすら歩きつづけるのみだ 上ではなく地中へと もぐっていくことに 気づいてはいるが 気づかぬふりで           (落合朱美→翻訳・白糸雅樹)           * 時には木漏れ陽のあふれる道 たとえば野良猫も通わぬ道 わたしのうしろに影はなく 靴底を通して触れる、 道の凸凹だけが かろうじてわたしの生を語る 空へ昇って行くのではない 羽根が生えるのでもない 地中にいつか埋もれてしまう、 わたしの足跡は 今立っているここにだけ残る            (白糸雅樹→翻訳・銀猫) ---------------------------- [自由詩]くもりの日/銀猫[2008年11月11日15時36分] 狭いベランダで 室外機に挟まれ 見上げる空は 今日も薄灰色 夏のあいだ、 日除けに育てた苦瓜が 絡んでいたネット くもの巣のかよわさで ふぅわ ふぅわ 揺れているのか しがみついているのか 見上げた空は 今日も狭くて とてもじゃないが せかいじゅうの動物が 同じ空を見ているなんて 信じられやしないよ けれどここで ぼやいているうちにも だれかが生まれ 真新しい 心肺呼吸を始めてるという 病院の閉鎖空間では キカイにがんじがらめになった、 枯れ枝みたいな腕が それを払いのけることもなく 平坦なグラフを、 描くのを待たれている そのどちらでもない、 生まれちまった存在は 鬱々愚痴をこぼしながら ベランダの狭さを 恨むんだ ---------------------------- [短歌]翼よ、青に向け/銀猫[2008年11月14日21時59分] 片方の翼の折れた失速を 取り戻すまで我生きるなり 置いてゆく荷物の重さは測らない 翼の先を大事に繕う 夜の風 羽根のひとひらも凍みてゆく 翼よ向こうに朝が待つ 失った夢は地表で砕けても 痩せた背中に翼残れる 現身(うつしみ)に黒き斑(まだら)を数えても 翼のちからは空の青に向く 初出・・・短歌ラジオ「SOUL☆31」http://www.voiceblog.jp/kazanagi/ ---------------------------- [自由詩]グリーン・アイズ/銀猫[2008年11月18日1時26分] 咳がふたつ 階段を上ってきた 夜の真ん中で ぽつり 行き場を失ったそれは 猫の眠りさえ奪わず 突き当たった扉の その向こうで 遠慮がちに消えていく 八十年余りを働いた生命は 雨が降ると 夜更かしをすると 約束事のように 風邪をひく 老いた魂が 濁ったみどりの眼でわたしを見る はう おぅるど あー ゆぅ? あい あむ のっと のっと おぅるど! ラムネびんにつっかえた、 びぃだまのごと 喉はびくついて 咳、 もうひとつ 薄い膜が その眼にかかりませぬように。 おそるおそる視線を返すと 闇の中でもみどりは はっきりと見て取れて 胸をなでおろす 朽ちてゆくのは 神々の取り決め 抗うきもちは誰のため? 明日はわたしもみどりの眼 ---------------------------- [自由詩]ハイブリッド・スピナッチ/銀猫[2008年11月27日10時56分] 「きちんとたべないとつよくなれないよ」 そう言われて 幼かったわたしは 他ならぬポパイに憧れ うっすら残る灰汁のえぐみに耐えながら ホウレンソウを頬張った ホウレンソウのお浸し ホウレンソウ胡麻和え ホウレンソウ味噌汁 とにもかくにも ホウレンソウ つよくなりたい一心で かなり食べたつもりだったけれど それでもまだまだ 足りなかったらしい そうだ、 ポパイのホウレンソウは 缶詰めだった! 大人になったわたしは あっちこっちの食料品店を探したが ないよ、 ない ホウレンソウの缶詰めなんて 売っていない このままでは ブルートに似た、 たちの悪いやつにやられてしまう ホウレンソウの缶詰めはどこにあるんだ! 今食べなくちゃだめなんだ もうすぐ一話が終わってしまう ホウレンソウの 缶詰め、缶詰め! 明日は東京の 紀ノ国屋まで行ってみよう 「きちんとたべないとつよくなれないよ」 ---------------------------- [自由詩]ふゆの背中/銀猫[2009年1月4日6時01分] オリオンが その名前を残して隠れ 朝は針のような空気で 小鳥の声を迎えうつ わたしは 昨日と今日の境目にいるらしく まだ影が無い 太古より繰り返す冬の日 あたたかい巣箱から 掴み出される予感が 背中を震わせる (朝はまだすこし遠くにいる) 車両基地に並んだ列車が 轍を軋ませ 仄暗い街の中へ 悲鳴を放つ この凍える次元の 希望はどこに隠れている? かろうじて 温もっている獣の背中に 或いは さっき抜け出した毛布の中に 見落としてしまったろうか 星の名前より、水 暁いろより、風 靴音の気配 そういうものの中にだけ 蹲っているのかもしれない わたしの影は まだ無い ---------------------------- [自由詩]美しいひと/銀猫[2009年1月28日16時56分] 白梅も微睡む夜明けに あなたしか呼ばない呼びかたの、 わたしの名前が 幾度も鼓膜を揺さぶる それは 何処か黄昏色を、 かなしみの予感を引き寄せるようで 嗚咽が止まらず あなた、との 始まりの記憶を手繰り寄せてみる   そっと触れると   その深くなった額の皺が   川、という文字を描いて   あなたの潔さや   懐の深さで   豊かな水の流れをつくっている   薄くなるまで使ったてのひらには   ささやかな歴史が   花びらのように握られ   しろい冬の匂いを放って   あなたの安らぎを約束する 明日あなたが風になるとき なみだはきっと不似合いだろう こんなにも 美しいひとが 空に溶けるのだ 傍らで 風は子守唄を唄い続ける 語り継がれる血の 温もりを護るように あなたが指差していた先には 幸福のかたちが見え隠れしている      (二〇〇八年一月、友の愛するご家族の追悼のために) ---------------------------- [自由詩]さびしい幽霊/銀猫[2009年3月5日22時52分] 沈丁花の、 高音域の匂いがした 夜半から降り出した雨に 気づくものはなく ひたひたと地面に染み 羊水となって桜を産む   きっと   そこには寂しい幽霊がいる 咲いてしまった菜の花、 埃に霞んだやわやわの土、 そこは花畑ではない 縮れた葉おもてに、 まだ霜は降る   きっと   そこには寂しい幽霊がいる それら 早すぎたかなしみは 彼岸へと流れ着き 時を隔て 半透明の未練たらしく ゆうれいになるのだ 宿主を探して見つからぬまま しろさを奪われて かと言って 逃げもせず 物陰からじっと春を見据える (透明が近づいてくる) ---------------------------- [自由詩]あまのじゃく/銀猫[2009年3月24日11時38分] むしろ、さくらではなく 今朝の濁った空色が 薄灰色の風となって じんわり染みこんでくるのを わたしは待っているようだ 三寒四温の春は寡黙に地を這って あたらしい芽吹きを迫る 枯れ枝に不似合いな、 やわい感触のみどり、みどり 黄砂に眼を閉じ じっと待っているのは何?     子供のはしゃぐ声              ささやかな川原のアブラナ      埃の匂い           雨の気配が近づく               クローバーに四枚の葉はあるか                  猫の冬毛が浮き立つ 繚乱の春はいらない もっと原始の温もりがいい 朝が来るのは遅くていい ただ温かければ それでいい ---------------------------- [自由詩]無情の浜辺/銀猫[2009年3月27日22時12分] 晴れて 水平線のまるみが遠い 海岸通りに迫る波は テトラポッドに砕かれて 泡ばかりたてている その水は まだ冷たかろ けれど青、 翡翠いろならば 思わず爪先で冒したくなる 散らばった巻き貝の角は ちくりと足を刺すのだろ 浜では千鳥が糧を探して ちちり、ちり 幾何学模様を残す 海、 今日なぜ濁りいろ わたしは 東の風と此処へ来た ひとりぼっちの 漁船の鼓動を聴くためでなく。 ああ 砂浜から水際へ 誘われて同化しても 密かな粒子は粗いままだ 春の海 気紛れに波打ち なにも洗い流してくれず わたしは砂に 俯くばかりで ---------------------------- [自由詩]雨の日のおるすばん/銀猫[2009年4月25日1時57分] 予報どおりに 夜半から雨 街灯に照らされた水滴の連なりは、 白く 夜の一部をかたちにしてみせる 舗道の片隅ムスカリは 秘密を蓄え 雨に味方する さわ、わ さわさわ風に 雨糸揺れて 季節の目盛りよ、一ミリ進め さわ、 さわわ 夜更けに降るのは 散ったさくらのお弔い いつかの宴はもう遠く 花びら集めた冠は 枯れて散りちり、 もう枯れて 摘んだてのひら 冷たくなった 細かい静かな雨粒は 若葉の葉脈に隠れて 明日晴れるを 恨んでいる さわわ、 わたしはこころに傘さして 今夜の夢見を願ってる (だれか髪を (そっと撫でてください ---------------------------- [自由詩]しかられて/銀猫[2009年5月1日21時31分] 野良猫を叱るために 名前をつけた せっかく咲いた花の匂いを ふるびたさかなの骨で 台無しにしたからね 眠れるはずの夜は 色が薄くて もう愛想が尽きた 昨日歩いた川べりで 干からびていたハルジョオン たぶん ゆめの成分に似ている みず、 水 ゆめ、 見ず 眠らなければ 失くしたことに気づかない きっと みず、 見ない 野良猫は明日も来る さかなのゆめを 毎日見ているのだろう その土くれに さかなはいないよ ひとつだけしか 名前は用意できなかったんだ (春と夏に挟まった (今日にはなまえが無い ---------------------------- [自由詩]トマトジュース/銀猫[2009年5月14日21時48分] 目覚めのひと呼吸が かなしかった日は ふい、と 砂漠に連れて行かれるようだ そこは盛り上がった砂地/育ちかけたトマト/の/墓標が整列/黄色い花が手向けられている/生ぬるい南風が/背中/を突つく/急かされる/左足/初夏のサンダル/小指が破れる/時折/人魚姫の痛みが走る くろい尾びれを残したまま ひとまわり小さくなったわたしは 歩幅をまた縮めて (すこし前へ) 海だった場所は とっくに消えているだろう (すこし前へ) きらめく鱗/いちまいずつ剥がれ/うぶ毛の葉/掠めて/舞い落ちる/これがかなしみの正体ではない/それを知っている/トマトの墓標が続く/続くのだ 尾びれにまだ 血が滲んでいる ---------------------------- [自由詩]初夏のメルヘン/銀猫[2009年5月27日12時47分] 晴れた日の自転車は ちりちりと 陽射しが痛くて 風を切ると 明るいシャツに羽虫のシミがぽつり 白や黄色の 果実の予感を湛えた花は 土埃の上で 清しく開き 匂いを放つでもなく ただじっと ちからを溜めて 夏に向かう そういう季節のめぐりに きみは周到に隠れて 乾いた洗濯物の感触や ありふれたいのちのやわらかさで わたしを 夏に運んで行く それはおそらく 少しも珍しくない光景で とりとめもなく過ぎ去る、 風に似た一瞬 (日向の焦げくささ) (海岸通りの干からびた海草の匂い) きみの匂いは もっと太陽に近かった ---------------------------- [自由詩]雨音/銀猫[2009年5月28日23時28分] 雨の匂いがする 埃っぽい陽射しの名残りを弔って 闇に隠れ 秘密裏に行われる洗礼は いつしか もっと内側まで注がれるはず、 そんなことを どこか信じている 陰音階の音だけ降らせ 目に見えない雨粒は 飽和、 それから氾濫 濁流となって わたしを飲み込み 行方不明の感情のもとへ 流れ着かせてくれるだろう 雨の匂いがする チャコールグレイの空は 雲ひとつ隔て 星が瞬く宙空を 等しく誰からも消し去り 明日の希望が 思いつかないことや 眠りが浅いことを 甘く赦してくれるのだ 雨の、匂い すべて 遮る 夜 ---------------------------- [自由詩]とかげ/銀猫[2009年6月22日18時23分] うすい水の膜を通して いちにちの過ぎるのを待つ 泳ぐに泳げない、 不器用な蜥蜴の成れの果ては にんげんに良く似ているらしい わたしは髪を切る 意地の悪い快感をもって 不運の絡んだ毛先を切り落とす 背中はすうっと軽くなり 背後に捨てた茶褐色が ひくひくと打ち震えている 風が冷たい首筋も 明日には慣れてしまうだろうが きっと不幸のくちばしは そこに留まり わたしの行方を追えないはずだ 窮地を逃げ去る、 髪を切る 銀のはさみで 再び伸びた尻尾を さくり、 切ってしまえば いくらかずつ厄介は離れてゆくのだろ? 切ってやる 切ってやる わたしはいつでも蜥蜴になって 尻尾を掴まれるその日まで (今日も青い朝顔が見張っている) ---------------------------- [自由詩]あおむし/銀猫[2009年7月6日23時13分] 草いきれと湿った地面の匂いがする (夏だ) こっそり張られた蜘蛛の巣を 黙って許すことにした いのち、を 思ったわけではないのだが 今日はこの国や 内包する宇宙にも とりわけ関心がなく 眠りを貪っているうち 羽根を失い アオムシになったらしい きっぱり残った触角で 棘をよけながら からだを伸縮し この世を這っていくのが (ゆるり) (のらりくらり) 約束事だったように ごくふつうのことだ アオムシは思わない しあわせについて あるいは明日について (ゆるり) (へたり) 不意を突き、 鳥に呑み込まれても きっとそれも約束のうち アオムシ、短く、夏。 ---------------------------- [自由詩]夏の軌跡/銀猫[2009年8月27日21時28分] 眩しい舗道に 蝉、おちた 鳴くのをやめて 飛ぶのをやめて 褐色の羽根に ちりちりと熱が這い上っても 黙って空を仰ぐ      湿った真昼をまとい   木陰にくっきり分けられた、   アスファルトの白黒を辿ると   燃え残った蝉時雨が降り注ぎ   髪の奥まで濡れそぼる   わたしには   蝉ほどの潔さもなく   夏を葬る風から   後ずさり   後ずさり 小さなからだは 間もなく轍のあとかた そうして時が止まれば 夏を失うこともない 樹液より緩やかに滴る、 単調な音色は 刹那の七日 それ限り かなしみはない 永遠もない 次の夏を待つばかり  (待つ、ばかり) ---------------------------- [自由詩]安曇野/銀猫[2009年9月1日22時01分] 海より遠い、 安曇野を思う 穂高の山々を わさび田の清流を あるいは ただその空を思う 閉め切った窓の硝子に反射する、 ピアノ曲に誘われ ふっと解けた封印は 気付けばとっくに色褪せて その内側に何を凍らせていたのか よく覚えてさえいなかった きっとわたしのことだから だれかの思い出が さびしい夜にはしゃがないよう、 無かったことにしたのだろう めぐった月日は今日になって いとしさに眩暈がする 列車を乗り継いで行ったことはない 地図を買った覚えも無い ただこの旋律が わたしをのせて安曇野へ流れる 海より遠い、 安曇野の空が僅かに切り取られ ここへ落ちてきた ただその空を思う ---------------------------- [自由詩]オルゴールの夜/銀猫[2009年11月5日21時41分] ねじを巻くのは 走れなくなったから アスファルトのざらついた感触が 踵に痛くて 右足と左足の交差が作る 不確定なアルファベットが 読めなくなってからでは遅いのだ きり、きりり かつり、きりり 錆びかけたねじが ちからを込めて抵抗し 指に赤い幾何学模様を残す きり、きりり 歩幅はすこし拡がって 血液の巡る音が軽くなる もう少し もう少し かり、き、きりり ちから加減に欲がわく と その途端 ねじの溝、哀れに崩壊 かりかりと暢気な音をたて 空回り 空回り いっそ走れぬ方が良かったか 踵は一気に重くなり そろりと下ろす爪先は 陸に上がった人魚姫のごと 貝の破片が突き刺さる 声にならない夜想曲を連れ ぱたりと哀しく蓋を閉める 走れぬならば ゆっくり歩けば良かったと 誰もがきっと笑うのだろう けれどわたし ねじをきつく巻きたかった きり、きりり かり、かりり 長い夜にはもう飽きたから、 からさ ---------------------------- [自由詩]手を離せば/銀猫[2009年11月26日23時16分] 冬が背中のうしろまで来ている 今夜の雨は仄かにぬるく 地上のものの体温をすべて奪う雨ではない むしろ ささくれ立った地表を磨き 朝が来る前に つるりとした球体に変えようとしている 古びたトタン屋根を叩く硬い水玉 窓硝子を斜めに流れる雨粒は 細心な角度を作ってみせる  音が少し止んだ 遅れて 銀杏の葉から滴が落下する その下に ウォータークラウンが弾け 誰の額も飾らずに消えてゆく 夜が淵にさしかかり 夢魔の悪戯が加速すると 灰色の朝がもうやって来ないことだったり 来るはずの無い便りが届いたり 目覚めに思わず肩を落とす悲しさが潜んでいる 夢はいつも残酷であるのかも知れない わたしは時折 身体がぽかりと宙に浮いてしまう夢を見る ごく見慣れた部屋の中で 自分ばかりが異質だと自覚しながら 手当たり次第に家具の取っ手や柱に摑まってみるのだが それより浮力のほうが大きく ガスの少ない風船のように ぽわんと尻から浮かんでしまうのだ 足先はいつか頭の高さと逆転し ほとんど逆立ちのように浮かんだまま 無力に手のひらは掴んだ取っ手にすがっている 手を離して空を掻き分けてみれば すい、と滑空できるのかも知れない だが いつも決まってそれはせず 異質である自分を気づかれまいと 必死でもがいているのだ 憧れである空を飛ぶことより 日常からはみ出さぬことを望んでいるらしい それは目覚めると不思議でもあり 手を離したときに何処まで上昇するのか それを何故試さないのか悔いてみたりもする 普通であることの難しさ 約束を裏切らずに生きること 理屈にならない言葉が喉の奥でつっかえ ただひとりの反逆者は生まれない 爪先が更に上へと引っ張られ 浮き上がろうとしている ---------------------------- [自由詩]凪/銀猫[2009年12月28日8時36分] 風が 静かになりました 背骨が曲がったまま 切り取られそうな 刃物を持った風が 止みました 世界では 他愛ないことですが いまのうちに 背筋を伸ばして、 伸ばして 僕のこころの中心から きみの肌色の 少し奥までの距離を 縮められたらと思います 僕はまだ黙りこんだり ひがんでみたり 不安の虜になっていますが 行くあても道も 僕の前にあるようです ただ 地図が破れてしまったので 迷うことは許してください 時々してしまう舌打ちも 気付かずにいてください 風が止みました 切れた唇にしみるので 塩辛いなみだは 忘れていてください 風が止んで 頑なな僕の鳩も 羽根を繕い始めました 寒い空のなかへ 溶けて行けるよう 急いでいます 夜に眠ればあした 明日に眠れば またあした 静かに風が 止みました ---------------------------- [自由詩]青空/銀猫[2010年1月13日2時22分] 冷たいゆびで 摘まんだ雪は わずかにかなしい方へと傾斜し 山裾の町は 湖の名前で呼ぶと 青い空の下で黙って わたしの声を聞いている 凍った坂の途中から 見渡すと 連なる峰の稜線が 町中を影で包み 薄く宵の気配を 漂わせて 気持ちを急かす ここからは 戻る列車のレイルは見えず わずかに 灯油の燃える匂いが こころもとなさを緩めて きみの背中を思い出した 過ぎた駅を こころの隅に置いて 毛布のなかで 体温を探ろう わたしのかたちを 覚えておくために 地図はきっと もういらない ---------------------------- [自由詩]お弁当箱/銀猫[2010年12月21日2時49分] せんせいの言いつけ通り いちにちに三度 色とりどりのくすりを飲んでいます そのせいか 痩せこけたカラダもふっくりとし わたしは死ななくなりました (服用後は車などの運転をしないでください) そうでしたか 眠くなるのですね 心臓のまわりでぎくぎくとする神経も 騙されて眠るのですね こっそり舐めるキャンディーのように 噛み殺せばいいのですね そうですか どんな祈りも通用しない、 世の中を儚んでいましたが 眠りは あっちとこっちの境目あたり 嫌っていたかみさまも わたしを気遣ってくださるようで エーデルワイスが聞こえてきます 天国にいちばんちかい時間でしょうか 朝が来てしまったら 色とりどりのくすりを ピルケースに詰め合わせ わたしは外に向かいます そうして 発泡スチロールをむしったような 米つぶを食べながら きちん、 きちんと くすりを飲みます ほんとうにやめ! にしたいとき あっちに届くくらいのくすりを 天使のようにもらえる術も知りましたが せんせいの言いつけ通り いちにちに三度 色とりどりのくすりを飲んでいます いつでもきちんと三回分 くすりを詰めて わたしは外に向かいます ちいさなちいさなおべんと持って。 ---------------------------- [自由詩]静かなスクランブル/銀猫[2012年1月4日3時14分] かこぉん・・・と靴音 軋む、非常階段 感情を言葉に変えた瞬間から わたしは 燃えないゴミのように無機質な 存在に変わってしまうのだろう 語りすぎるのは 良くないことだ 見つめすぎるのも 良くないに違いない 伸ばした髪を 細心にシャンプーしてみる きう、っと音たてて 毛先から滴が落ちると そこには名付けようのない湖が出来て 半透明のさかなが泳いで見える 軋む髪 痛む左の胸 鎖骨から下は 何を考えて暮らしているのだろう 四月になっても咲かない桜と いちにち違いの早生まれは 何処か底のほうで 繋がっているのかも知れない わたしのからだに残る痣は 今日も紅く花咲き 誰かに探してもらいたがっている だからきっと 拒まれる、眠り そこに雪柳が枝垂れて わたしは階段を下りて行けない ---------------------------- [自由詩]祈り 〜八月生まれの母へ〜/銀猫[2012年8月15日15時56分] おかあさん おかあさーん わたしを産んだ日は 晴れていたと聞きました 満開のサクラ 初夏のような西陽のなかで 汗をかきながら わたしを産み落としたと。 産院の名前を覚えていますか あの、お寺の裏手に 今も建っているようです おかあさん 先月も先週も そして、ついさっきも わたしに通帳の在りかを尋ねたこと わたしが今 何処に住んでいるのかと 何度も(何度も繰り返し) 電話番号をメモしては失くし・・・・・ そんなことは 忘れていいのです そして もっと忘れて欲しいのは あなたがまだ少女だった頃に サイレンに怯えた日々や お腹が空いても 金魚鉢の、 ああ、夜店で掬った金魚、 それくらいしか固まりの泳いでいない、 すいとんしかなかったこと 疎開っ子と言われ いじめられた悔し涙 あなたは もう子どもを やり直しているのですから 辛いことは 忘れてしまって下さい 代わりに あなたから聞かされた、 怖い怖い戦争のこと わたしがここに ね、書いておきますから どうぞもう一度 少女に戻って れんげ畑で 花かんむりを編んで、 編んで それから 白いドレスのお嫁さんになって わたしを産んでくれた、 それだけを覚えていて下さい 怖い人はもう来ないから 日本の国の、 みんなと、わたしが あなたを怖い目には遭わせませんから この頃は夜まで蝉が鳴いていますね 黒い八月には どうしていたのでしょう? ---------------------------- [自由詩]サイレント/銀猫[2014年3月11日20時31分] 夜中 叫ぶ蝉 かなしい程 我を嘆かない 例えばサイレン そうして来る災禍 気付いていないのか 誰に聞かせたい? 誰を救いたい? 七年の歳月に 何を知った 痛むのは 何処だ (お前) 森に 透明な くろい雨 が、滴る時 諦めが滅びが ひたひたと迫る 希望の意味を知る 有限の訳を知る 立ち入り禁止 の、ロープ 風に揺れ 揺らぐ (日々) 遠く 流れて 行くもの 腐蝕を持ち 空に舞い散り 再び地に落ちて 次の夏に羽化する 蝉の眠りを蝕む 異郷の樹液を 味わうとき サイレン 響いて いる サイレン鳴り止むとき訪れるサイレント                             * 同人詩誌「反射熱」第九号に掲載。 ---------------------------- [自由詩]愛するものへ/銀猫[2016年2月14日17時03分] 一緒にいよう、いつも一緒にいよう お互いの頼りはいつも傍にいること 冷たい風が強い町でも 海の匂いが切通しを下りてくるここでも 痛くても悲しくても朝は必ずきてしまうから だからね、だから 運命が少し意地悪をしても いつも始まりの日に帰って 一緒に何処までもいこう 結末は無いのだよ 寄り添う魂には。            ※2016.02.14 神奈川新聞に掲載・筆名 佐藤銀猫 ---------------------------- (ファイルの終わり)