白糸雅樹 2005年7月23日23時15分から2017年11月11日3時43分まで ---------------------------- [短歌]をさなぶり/白糸雅樹[2005年7月23日23時15分] 会いに来て腕一杯の猫じゃらし花束にしてリボンをかけて うつせみやあなたの上着をだきしめてくんくんくんと息を吸いこむ 小枝とか石だとか夜空情報とかわたしのもとにもたらす人よ 朝風を浴びてごらんと我を呼ぶ声くりかえし聞きたくぐずる 君の夢ボーリング工事してあげる窓をいばらで包んであげる 愛情は信じられない閉じられた障子に映る兎と狐 いつか消え去りたいなどと言っていてドアを開けたら砂漠広がる 次々と金魚が死んで取り返しつかないことを初めて知った 指先をぴんと伸ばして手は斜め八十五度を指し空を往く ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]〈芝居〉『明日』 青年座 2005/08/13/白糸雅樹[2005年8月17日22時51分]  ベートーヴェンのピアノソナタ第8番『悲愴』の第2楽章がピアノ三重奏によって奏でられるうちに、静かに下手にひとりの男が現われる。やがて上手からもひとりの女が現われる。そうして次々と現われた登場人物たちは、中央の衝立の前の一段高くなったところで互いに挨拶を始める。始めはパントマイムで、そして音楽が弱まっていくにつれて、最初はごくごくかすかな声で、それが不自然ではなく徐々に大きくなっていき、音楽がやんでからは普通に挨拶が観客にも聞き取れるようになる。パントマイムの時点から、互いの正座してのとてもとても丁寧なお辞儀や、そのうちのひとりが留袖であることから、それが婚礼での顔合わせであることが判る。(芝居のチラシなどにあらかじめ、長崎に原爆が起きる前日、婚礼が行なわれる家の話であることが書かれているので、観客はそれを念頭において見ることとなる。)  婚礼の席には、花婿の母こそ留袖を着ているものの、花嫁は白いブラウスに紺のスカート、列席者はモンペなど、(花嫁の友人などは黄色のとても華やかな色で、晴れ着のモンペであることはうかがいしれるのだが。)戦時中のこととてけっして華美な婚礼ではない。後のほうの台詞で、花婿の両親がモーニングと留袖であったことが驚きと感心をもって語られるなど、細かいところで時代を描いている。  婚礼からは脇役で花嫁の友人を聖女のように憧れる青年が、隣にその女性が座ったからといってそわそわしている様子や、その女性が実は父親に認められない子を身ごもっており相手の家(留守宅)を訪ねていって相手の母親に門前払いされる場面、また純朴に憧れのラヴレターを書くその青年がこそこそと女郎屋を訪ねていく場面での卑屈な様子など、登場人物のひとりひとりのキャラクターがそれぞれに描きだされていた。婚礼の席で、花婿の父がいちはやく酒が空になったとっくりを逆さに振って横倒しに置く場面がとてもさりげなくうっかりすると見逃すように演じられたかと思うと、しばらくして花嫁の父が自分の手元のとっくりを持って挨拶がてら注ぎに行くところ。祝辞のさなかにもともすれば最近の大空襲の話や広島に落ちた新爆弾のうわさになるところ。それはたしかに一種の「日常」なのだ。  婚礼の日は、花嫁の姉が出産を控えており、その出産も演じられるが、「産みのくるしみ」というものがある意味、それだけではなく、戦争の終結というものにも重なるように思え、「原爆があったから早く戦争が終わった」などという理屈ではなく、正当化でもなく、そういう意見への批判でもなく、ただ一種のことがらとして描かれていた。  見ていて、あまりにも人物像や展開が類型的な点が最初気になったが、冒頭の登場から一貫して様式美的な演技を感じさせていることとあいまって、それは欠点ではなく、登場人物たちを、特定の個人ではなく、一種普遍的な「人物像」として描くためかもしれないと思われた。  といっても個性が書かれていないわけではない。人物の一面しか描かないで造形しているわけでもない。むしろ、婚礼祝辞のあまりに紋切り型な善意やおどけを目にすると、そのような類型でしか精確に描けないもの、に思いをはせずにはいられないのだ。  彼らはけっして特殊な個性は持っていない。しかし、平凡な庶民であるということは、それぞれに利己的だったり、卑しかったりということからも無縁ではない。卑小な人間をそれぞれお人よしであるなりにあさましくも卑小に描写しており、だからこそ彼らが語る「明日」の予定がどのように翻弄されるかに観客は気持ちを揺すぶられる。  登場人物のうちでは、花婿の父が特に巧く、とてもおもしろかった。知り合いの青年が出征するはなむけに元ホテルのコック長だった腕を振るってオムレツを作ろうと、卵をもらいに寄ったうちでのこと。翌日、死病の娘を訪ねて病院に行く時に持っていきたいからと自分たちにもオムレツと作ってくれと農家の夫婦に頼まれる場面は圧巻だった。オムレツは出来立てでなくてはおいしくないというのは当然で、最初そう言って断るのだが、かたちだけでもいいのだからと懇願されて、「明日の朝まではともかくそれから持っていくのではとてもとても」と断る。しかし、考えてもみてほしい。翌日の朝というのは、どう考えてもお腹を壊さない限度の時間であって、どう考えても元コックのプライドとしてはそんなに時間がたったものというのは普通譲歩できるものではない。それを譲歩してしまうのは、「かたちだけでも、宮さまのオムレツを作った人のオムレツを食べさせたい」という「かたちだけでも」くらいのことしかできない親のせつなさを察してしまうと、プライドなどはまったく存在しなくなってしまうからだろう。そして、その娘の為に作ることができない苦渋の表情と、「作り方を教えてくれ」と言われて、自分にしてやれることを見つけた時の嬉々とした様子。オムレツなどという、作り手によって全然味が違ってしまうものを、「宮さまのオムレツを作った人から直に教わったオムレツ」というだけでどんなに嬉しいかを、肌で判ってしまっているからだろう。  この「明日」いう芝居の原作は井上光晴で、同じ原作で、黒木和雄が「Tomorrow」という映画を撮っている。私は予定では8/5まで岩波ホールで上演していたこの映画も見るつもりだった。出かけそびれて見逃して、それは悔しかったのだが、芝居を先に見て良かったと思っている。同じ原作でも、おそらく演出は対極と言ってもよいほど違うだろうと思い、そして多分映画を先に見てしまったら、この芝居の演出の良さは判らなかっただろうからだ。青年座の芝居では、何を描きたいかの主張や描写が非常に明確なのだが、好みということでいえば、私は黒木和雄の方が好きだろうと思えたからである。 『明日---- 一九四五年八月八日・長崎』青年座 2005/08/11〜13  演出:鈴木完一郎 原作:井上光晴 出演:福田信昭、益富信孝、高橋幸子、他                             2005/08/16 ---------------------------- [自由詩]あまがえる/白糸雅樹[2005年8月19日1時38分] あまがえる あまがえる こんな午後にはあまがえる とろりとおひさま くびすじからせなかまで膜をかぶって どこにも行かれない午後 あまがえる   あまがえる あまがえる こんな午後にはあまがえる だれにも会えないあまがえる 汗のにおいまた汗のにおい とろりとおもいかえすきょねんのまぐわい 両生類でいる午後 あまがえる   あまがえる あまがえる きょうはしごとはしないんです ただとろとろとせなかのあせを たのしんでいるあまがえる                      2005.08.08 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]〈美術館〉『ドレスデン国立美術館展』(国立西洋美術館)2005/08/18/白糸雅樹[2005年8月19日3時09分]  集光器や地球儀が展示されている部屋の壁にデューラーの銅版画。『星図、南星天』はなんだかデューラーに対する私の今までのイメージをくつがえすかわいらしさ。『ネメシス』は顔が中年を過ぎたおばさんの顔で、体型などもなんだか古代の壁画や土偶の女性を思わせる素敵さ。  地球儀とかコンパスとかその他もろもろはかたちは好きだけれど、まぁひとつひとつ眺めたのみにて通過。オスマン帝国との関わりの部屋や、中国・日本の陶器などとそれを真似たマイセンを比較し易いよう隣り合わせずつに並べた部屋はまぁ興味深いが、これもひととおり見て通過。  『イタリア−芸術の理想像』の部屋のマルコ・リッチの四枚の絵がどれもとても好きな感じだった。特に『冬景色』は夜明けだろうか。空が明るくなっていて、手前の枝に絡んだ雪か霜がきらめいて、ひどくそれが固く凍りついて寒そうだ。リッチって今まで覚えていない名前だったが、一緒に並んでいたティツィアーノの人物画よりこっちの方が好きだな。  同じテーマの次の部屋のカナレットなどの絵は、なんというか、いい絵だけれど特に迫ってくるものもない。でも、こういう絵が部屋に一枚あると、でかい窓の向こうに素敵な風景があるみたいでいいだろうな。  フェルメールの『窓辺で手紙を読む若い女』は、チラシにも大きく使われている絵。手紙を手に、明るいところを求めて窓辺に寄って立ったまま読み耽っている女性。じっと見ているとなかなか妄想がかきたてられてくる。きっと細かい字でびっしり書かれているのだろうな。仕事かなんかでずっと遠くにいる夫からの便りかな。特に嬉しい知らせとか悲しい知らせという感じではないけれど、淋しそうだ。だけど、愛されている若妻なんだろうな。彼女の背後のカーテン(絵では右側)に反射した光がとても明るい。  レンブラントの『ガニュメデスの誘拐』を見て、ガニメデってギリシア神話だな、誰だっけ〜?と思い出せず苛立ったのでそこに置かれていたカタログの解説を読む。ああ、そうか。美少年だというのでネクタル注ぐ給仕にされちまった子だったか。ゼウスが鷲の姿でさらっていくとこね。だけど、この絵の男の子はどうみても赤ん坊で、神話とはだいぶ違うな。さらわれたことに責任がない無垢さをあらわすとかそういう意図があるのかしら。それにしてもこの構図、どうみてもレダやエウローパを題材にした絵と扱いが同じだなぁ。そうか、ゼウスってのは女と見れば口説きまくりさらいまくるだけじゃなくて、両刃使いだったのか(笑)  ダールの『満月のドレスデン』では、月の手前の雲がほんとうに左に流れていくみたい。こういうふうに描けるのってすげぇよなぁ。この最後の部屋の絵は画家の名前は覚えていないけれど好きなものってのが多いなぁ。  先日ここでやっていたラ・トゥールほど出色の展覧会ではなかったけれど、まぁ満足、満足。お腹も空いたしなんかここんとこ体力ないし、常設展たちには今日はご挨拶しないで帰ろうっと。                             2005/08/19 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)](ほぼ私的日記)〈美術館〉『竹中英太郎記念館』 2005/08/12/白糸雅樹[2005年8月20日10時59分]  甲府の観光案内所に置かれているチラシのなかにその絵はあった。沖縄風の少年とも少女ともつかぬ顔立ちの美しい横向きの人物像。服装や表題からは女性なのだろう。天野喜孝をさらにエロティックにしたような絵と言おうか。あるいは、刺青(これは絶対に「いれずみ」ではなく「ほりもの」と読んでほしい。)が人の肌の代りにチラシに描かれていると言ってもいい。  裏返せば、小さく載っている他の絵も、なんとも好みのものが多い。好みということでは、表に大きく刷られている絵より好きなものが多く、これはちゃんとほんものが見たいとチラシを取って帰った。その晩、宿で連れにチラシを見せると、「あなた、これ誰だか知っているの? 竹中労のお父さんだよ」と言う。竹中労といえば、連れから『断影−大杉栄』を借りて読んだ。それまで大杉栄に関する本を何冊か読んだなかに出てきていることと重複する部分も多かったが、書き方がとても良いな、と思って好きになり、図書館で『琉球共和国』を最近借りて読み、この人についてもっと知りたいと思っていた矢先のことだった。  その竹中労が、年譜によると『新青年』に描いていた竹中英太郎と親子だということも興味深かったし、なにより実物を見たいと思わせてくれる絵ばかりがチラシに載っていたので、翌日、県立美術館と県立文学館の見学を駆け足ですませて(とは言っても他の人から見ればしっかり時間かかっているんだろうな。)、とことことこの記念館のある湯村に出かけた。  チラシの地図とバスの路線図を見比べて、甲府の駅でバスを乗りかえる前に電話で、最寄のバス停や行き方を問い合わせた。昼飯を食べていないのではらぺこだったが、駅前で食べるよりまずバスに乗ってしまった方が時間のロスが少ないし、温泉街なら店はあるよという連れの意見で、ちょうど発車寸前だったバスに乗った。  ところがバスを降りて歩けども歩けども店がない。ないわけではないのだが、みんな閉まっている。うっかりしていたが、ちょうど時刻は昼食時は終わり、夕飯には早い中途半端なあたりで、東京と違い、みんな準備中なのだ。しかも、店を捜すのと同時に記念館に向かう道も確認しようとしていた連れが、どうも記念館に行く道が右に入る筈なのに道など見なかったという。迷子になっては困るので、連れがもう一度記念館に電話して、行き方を確認した。なんのことはない、店を捜すのに気を取られて、細い道を見落としていただけだった。  てくてくとかなりの距離を戻るとき連れが気づいたのだが、記念館の閉館は四時。ところが時間は三時をとうにすぎている。肝心の絵を見そびれては困るので、食事抜きで記念館に向かうことにするが、糖尿病を抱えた連れが低血糖で体調悪化しないか心配だ。ふと見れば私たちは病院の横を通りすぎたばかり。病院の売店にはなにか食い物を売っているだろうと思い、「先に行ってて!」と叫んで駆け戻り、病院に飛び込む。都心の病院と違っておにぎりやサンドイッチの類がなかったのはあてが外れたが、せんべいが何種類かあったので一袋買い、連れを追いかける。  と、連れが道を戻ってくるところではないか。病院の売店に行く時に、私が地図を持っていってしまっていたので、これは道を間違えたか見落としたのではなく、まっすぐ行けばいいのだと地図を見せながら主張して、どんどんと行くのだが、町名表示がチラシに記載されている所在地とは全然違う町になっている。「ごめん」と謝って引き返し、殆ど病院の近くまで戻って町名表示が記念館のある「湯村3丁目」になっているところから連れがまたもや問い合わせの電話をかける。  回りに見えるものなどを話して、横で聞いている私が、「あ、これなら道が判ったかな」と思った頃、横を通った一台の車が停車して、「竹中英太郎記念館にいらっしゃる方ですよね?」と尋ねてきた。なんでも、問い合わせから一時間たっても現われないので、道に迷っているのではないかと心配して話していたとか。  時刻がもう閉館の四時になっていたので、最初、職員の人が帰る途中でみつけて拾ってくれたのかと思いかけたのだが、車に乗って話すと、どうやらお客さんで、で、見おわって帰るところで、いかにも迷子の風情で電話しているのを見て声をかけてくれたらしい。  うーん、なんという親切さ。というかなんというアットホームな世界。  車ですぐ近くだった記念館まで送ってもらい、礼を言って降りると、入り口のところに大きく看板が出ているものの、小さな、まるで民家の風情。迎えに出てくれた女性に、遅くなった詫びを言いつつ大慌てであがりこむ。入り口では靴を脱いであがることにも最初気づかないぶざまさで。  もう閉館時間を過ぎているのに、「ゆっくり見ていいですよ」と親切に言ってくれる。最初に名刺をくれたので、もしかして竹中英太郎の関係者の人なのかな、とは思ったのだが、普段、画家や読んでいる本の作者にさんづけをしないので、その人の前でも「竹中英太郎」「竹中労」とさんをつけずに固有名詞として言葉を使ってしまい、その人(館長)が竹中労の妹さんであることを知って、なんだかひどく恥ずかしくなる。(だけど急にさんづけってできないんだよー)  「ゆっくりでいいですよ」というのは社交辞令ではなく、ほんとうにぜんぜんせかさないで見せてくれて、しかも見ているとその絵のエピソードを話してくれたり、椅子を勧めてコーヒーやお茶を出してくれたりしてとても恐縮だった。  もとは本当に住まいだったという建物の一階には私がチラシを見て惹かれた『花電車の女』など数点と『新青年』などのコピーのファイル、雑誌など。(これで、初出時どのような場面の隣に絵が出ていたのか判るのでむちゃくちゃ興味深い。挿画と組み合わされた小説も、挿画のあるページだけではなく全部読めるし。)  二階には二部屋。階段をあがってすぐの部屋は、やはり彩色のしてある絵が数点と、初出時のレコードジャケットや本などの展示。装丁された状態と、原画を見比べることができるという、なんとも贅沢な環境。長く筆を折っていた英太郎が、再び絵筆を取るようになったのは竹中労プロデュースのレコードジャケットや著作の装丁の為の絵を描くことからだったという。  二階の奥の部屋には、『新青年』時代の挿画。連れいわく、乱歩の作品にはずいぶんと話があらくてつまらないものが多いので、挿画が入っているほうがずっと面白かったのではないかとのこと。私もそう思う。今、乱歩を読むと、ストーリーや人物造形の荒さがめだって退屈することがあるのだけれど、乱歩のおもしろさはきっとあの世界を創り出すところにあるので、それを目に見えるかたちにした挿画があると、ずいぶん違ったろう。それほど妄想を掻きたてられる絵なのだ。  一階から二階の最初の部屋に上がっていった時に、私はぱっと、「新青年で有名だというけれど、この人の絵柄には乱歩より夢野久作のほうがより合っている気がする」と言ったのだが、奥の部屋の新青年時代の絵を見て、さらにそう思った。  二階手前の部屋にある作品の何点かは、『戒厳令の夜』という映画で使用するために描かれた絵だという。このうちの『少女像・a』は、サディズムマゾヒズムの性向のあまりない私でさえ、なにかそのような欲望をそそられずにはいられないエロティックな絵だ。きちんと黒っぽい服を着て、髪をきっちり乱れのない三つ編みにした少女が、なにかに耐えているかのような表情でこちらを見つめているだけの絵なのだから、これにエロを感じるのは私がいやらしいからだと言われてもしかたがない。実際、縮小された絵葉書やチラシからは、そういうものは感じられない。しかし、実際にこの絵の前に立つと、この黒っぽいマントに似た服の下で、この少女が何に耐えているのかと、もっといじめてみたいような、あるいはこの少女になりかわって誰かに責め苛まれたいような、葛湯のようなぬるりとした欲望がみぞおちを這いあがってくるのを感じずにいられないのだ。   (この部分、遺族であるこの記念館の館長さんには絶対言えないなぁ。だいたい、わたし、『戒厳令の夜』って映画は見てないし(見たい!)、原作は図書館で今日借りてきたけれど未読だし、映画撮影にあたっての絵の扱いに関しては、作者の意に染まぬ部分があったらしいとプロフィールに書かれているし。(具体的には、損傷された絵があったという点に関してだそうだ。)でもまぁ、作品なんてものは作者の意図を離れて妄想を膨らませるのよね。これは、ネットという誰でも読めてしまう場に発表するからの、私の見苦しいイイワケね(笑))  おなじく『戒厳令の夜』の為に描かれたという『哀しみのマリア』からは、私は幼時に虐待を受けた人の話を読んでいるときと同じ印象を受けた。  よく見ると、新青年時代の絵と、後年描かれた彩色画で作風は違うのは勿論、戒厳令の夜の為に描かれたものと、同じころに他の用途で描かれた絵では微妙だが大きな作風の違いがあるし、乱歩の作品への挿画の土臭さと、沖縄を題材にした後年の彩色画の繊細さまで、幅広い作風を使い分けることができる人なのだな、と感じた。  一階の、『あやかしの鱗粉』という絵に見入っていると、「これはもともとこういうポスターに使う為に描かれたんですよ」と、館長さんが額に入ったポスターを出してきてくれた。『あやかしの鱗粉』は黒い地に白っぽい虹色の蝶が斜めに描かれた絵で、その触角の毛の感触まで判るような感触に引き寄せられていたのだ。ポスターは、マレーネ・ディートリッヒが来日したときのディナーショーのポスターで、白黒のディートリッヒの写真の、白っぽいハイヒールを履いて片足だけ腿から下が白くあざやかにむきだしになっているその付け根のところに蝶がカラーで描かれている。  蝶の色合いと位置が、ディートリッヒの脚線をひきたてていて、とても素敵なポスターだった。こうしていろいろ話してくれたりすることも含めて、美術館に行ったというよりは、個人のお宅にお邪魔して絵を見せてもらうという感じだった。実は、連れが食事を記念館の近くでと主張した理由のひとつに、食事でお酒を呑んで適度に酔って見ると殊に味わいが深まる絵たちだから、という理由があったのだが、つくづく店が見つからず素面で行って良かったとほっとした。  いくら気兼ねなく閉館時間過ぎて見せてくれると言っても、おのずと限度があるので、心を残しつつ帰ってきた。一階の自由に見られる資料で読み耽りたいものも、新青年のコピーだけでなく竹中労の出ている雑誌もあったし、絵も何時間見ていても飽きないし、いろいろ読んでふと目をあげたらあの絵たちがあるというのもとても楽しみ。  次回甲府に行くときはここで一日使うつもりで行こうと思っている。  所在地や電話番号など、他のサイトにも随分出ているので、転載してしまってもだいじょうぶそうだな。 『湯村の杜 竹中英太郎記念館』10:00〜16:00 火曜水曜休館  入館料:高校生以上300円 小中学生200円  甲府駅南口より山梨交通バス利用15分(湯村温泉方面)  〒400-0073 山梨県甲府市湯村3−9−1  tel.055−252−5560                             2005/08/18 追記:  先程、五木寛之の『戒厳令の夜』を読み終えた。パブロ・ロペスという架空の画家の絵が出てくるので、竹中英太郎の絵はそれに使われたのだろう。ピカソと同列に並べてもよい画家として登場。私が妄想に駆られた少女像は、小説と読み合わせると、どうやらジプシーの少女らしい。とすると私がマントだと思ったのはショールで、あの表情は民族の苦しみをあらわしているんだろか。                             2005/08/20 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]こんな詩を書きたいと思った/白糸雅樹[2005年8月24日3時31分]  幼い我が子に虐待を繰り返し、死に至らしめてしまう父親の一人称の詩を書きたいと思った。その父親自身が過去に受けた(かもしれない)虐待の話は書かず、でも徹頭徹尾主観で、どうして自分が虐待をしてしまうのかも、どうして周りがいつも自分を虐待に追いこむかのように理不尽に責めたててくるかも判らず苛立つ男の話を書きたいと思った。 なるべくぐじぐじと、具体的に。言葉にならないどろどろを塗りたくるように。でもうまくできない。  どうしてもなついてくれない子ども。なついてくれればかわいがる気はあるのにと思うのだが、いつも自分にさからい、隅でいじけているような我が子。物心がついてから引き取ったのがいけないのだろうか。だけどそれは事情があったのだし、引き取った当初はちゃんとかわいがろうとアイスクリームも買ってやったし動物園だって行ったのに、嬉しがるどころかむっつりしていた子ども。  卑屈におどおどと母親にも父親にもなつかない、鬼っ子。そして、ヒステリーを起こす妻。最近保育園の保母だの児童相談所職員だのと世間知らずの癖に偉そうにお説教を繰り返す他人までがずかずかと家庭に入り込んでくる。  俺がつくりたいのは温かい家庭なのに。なんでみんなじゃまばかりして、他人までが邪魔するためだけに関わってこようとするんだ。俺の家庭だ。邪魔するな。  明日は家にいろだと? 家庭訪問だと? 俺の子を俺の家庭から引き離して施設に入れろだと?  ほっといてくれ!  ああ、また飯を残してぐずぐずと。早く食え! 食わせてやると言っているんだぞ!  こいつさえ保育園で俺の悪口を言わなければ、こんな面倒なことにはならなかったんだ。こいつが家族の悪口を言って虐待児づらなんかしやがるから、虐待防止法だのなんだのと変な法律がはやるから、なんの問題もない俺の家庭までおかしくなったんだ。  こいつさえまともな子どもらしくしていてくれれば。  ああ、明日がめんどくさい。他人に偉そうに説教されて口出しされて、で、俺の家庭なのに俺には何も言わせないんだろ? ぶっ壊そうとするんだろ? こいつさえまともにしていてくれればこんなことにならなかったのに。  ・・・・とまぁこんな内容の詩を書きたかったのだが、うまく書けなかった。具体的な些細な出来事をつくりあげることができない。気持ちの吐露が、既成の観念で作り上げた嘘でしかない。私の中にも毒はある筈なのだが、うまく吐けない。  これは、http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=39092で紹介した、児童相談所職員が家庭訪問を予約していた前日に、継父が四歳児を床に投げつけて死に至らしめたという記事を読んで浮かんだものだ。どうも私は嫌な気持ちを書くのが苦手だ。妄想力も詩人としては弱すぎる。ならばきっかけを作ったという罪悪感に駆られる児童相談所職員の視点なら書けるかと思ったが、これは偽善臭がしてやはりうまくいかなかった。  なので、類型で作品には纏まらなかったが、やはり父親の視点でのプロットのみ、こうして書いて公開しておこうと思う。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 注:この書かれなかった詩は、実際に起きた事件の記事をきっかけにして思いついたものですが、細部はあくまで虐待に関する他の記事、本や、私自身の想像によるもので、父親の気持ちや事件のきっかけなどは、実際におきた事件と、私のこの詩の未定稿とはなんら関わりがないことを明記しておきます。書くまでもなく自明のことなのですが、やはり実際の事件に関わった方や、この事件でなくても虐待に関わった方の気持ちや事件の原因、きっかけを他人が「こうである」と書いてはいけないと思うので、少しでもそのような誤解を生じさせるような余地を残してはいけないと思うので。                              2005/08/19 ---------------------------- [短歌]塑像/白糸雅樹[2005年9月12日22時52分] 変動を予見する者微熱持ちひとはひそかに囁き交わす  自爆テロ現場に残る指先の紅あざやかに風を掴みぬ メッセージカードいちまい落ちている楽屋にランプシェードの黄色 柔弱でありつづけること難しく防衛法案じわじわと来る 自らの精神の根に穴うがつどこまでゆけるのかは知らないが  いまだ見ぬ風紋描く言の葉を弄う(いらう)手の不確かさを以って 横たわる詩人に砂を投げ入れよテロリストのかなしみ知らぬなら わたくしよ先輩詩人の言説のはしからこぼれる米粒であれ        初出:かばん2005年9月号 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]美しきサバイバー 〈映画〉『玉割り人ゆき』 2005/09/19/白糸雅樹[2005年9月20日22時58分]  ラピュタ阿佐ヶ谷(東京都)のレイトショーで、劇画原作のシリーズを上映している一環にこの作品があり、昨日見てきた。23日まで。  「玉割り人」とは遊郭で、娼妓になる女に性技を教える師匠のこと。この映画、ゆきという玉割り人の主人公が、あまりに美しく、いさぎよく、見ていて、おいおい、こんなに美しく描いてしまっていいのか、という疑問や、加害者として生きることへの考察などが脳裏に渦を巻いてしまい、純粋に娯楽として愉しむことができなかった。しかし、勿論、本来なら娯楽映画として徹底しているからこそ、そのように描かれているので、私のような見方は邪道にちがいない。  遊女に足抜きをそそのかした男と遊女への裁きを行なって、雪のちらつく光景を眺めながらの回想シーンに出てくる、ゆきの過去など、人間の描き方にふくらみがある。そして画面が美しい。  無政府主義者の幼馴染を持つ娼妓のたまごが、水揚げの際、処女を装う為に渡された血袋の箱を、敢えて枕元に置き放しにしておく場面など、主人公以外の人物たちの性格描写、気持ちのゆれうごきも見ていてせつなくなる。  若い男の子に、ポルノとして是非鑑賞してほしい一作。原作は劇画。牧口雄二監督。1975年/東映京都/カラー/64分。  ラピュタのHPはこちら。 http://www.laputa-jp.com/  レイトショーの情報はここ。 http://www.laputa-jp.com/laputa/program/70returns/  上映スケジュールはここ。 http://www.laputa-jp.com/laputa/main/index.html#2                                2005/09/20 白糸雅樹 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]ポップで泥臭い人情劇 〈芝居〉『カラフト伯父さん』 2005/06/16/白糸雅樹[2005年9月20日23時47分]  ぼろっちぃ鉄工所にひとり帰ってきて、カップラーメンを食べようとしている青年。そこに中年男が「カラフト伯父さん、だよーん」とおどけながら入ってくる。また迷惑をかけに来たのかとばかりに邪険にする青年。東京で借金だらけになって逃げ込んできて、とりあえず金を貸してくれと頼む中年。「金なんかあるかいや」と突き放す青年。おかまいなしに、妊娠しているストリッパーの女を連れて、でかい荷物を持ち込む中年。ドタバタの挙句に、青年に金が入るまでぬけぬけと居座りを決めこんでしまう。  ひたすらおどけ、時に青年に父親ぶって説教しようとする男と、ただ軽蔑し、迷惑がっているだけに見える青年。しかし、話が進むにつれ、もしかしてこれは、青年が何かで拗ねているのではないかと感じさせる部分がちらちらと見えてくる。そして如何にも嘘っぽくみえる男の説教ぶろうとする試みもまた、なんらかの呵責がなせる業として見えてくる。  それが決定的になるのは、「震災の時にあんたはどこに居た?」と爆発する青年の叫びだ。ドラム缶をひっくり返して暴れまわる青年とそれにつづく、トラックの荷台を舞台に聖母子像(いや、この場合は父子だが。)のような二人に降り注いでくる、崇高な天井からの照明。「遅くなりましたが、カラフト伯父さんは、ただいま君のもとに帰って参りました」  さて、ここで終われば感動的にメデタシメデタシなところだが、21世紀の現代っ子のリアリティを持った話としてはそうはいかない。またしてもギャグを交えつつ、軽快に物語は進む。  かつて、純粋になつき尊敬していた大人がいつしか期待を裏切る時。そんな古典的なテーマ、そして震災をきっかけに多くの人が引越しを余儀なくされ消えゆく下町。コテコテのギャグで味付けされた、泥臭い人情劇。役者の演技力もあいまって、非常に楽しめた。  吉祥寺シアターのこけら落とし公演の一環の上演で鑑賞。こんどの日曜にテレビで放送されるそうです。 【作・演出】鄭義信(チョン ウイシン) 【出演】岡田義徳,冨樫真,ベンガル ------------------------------------------------------ ★『カラフト伯父さん』BSで放送! 今年6月に吉祥寺シアター他で公演した『カラフト伯父さん』が 9/25(日)0:55〜NHK衛生第2放送で放映されます。 ------------------------------------------------------                                  2005/09/20 ---------------------------- [自由詩]なまず/白糸雅樹[2006年4月4日0時09分] なまず なます なまず なめす なまず なかす なまず ながす なまず なまみ なまず なかす なまず なめす なまず なおす なまず なくす なまえ なくす なまず なけず なまず なさず 鯰なめせば鯰を名指す 名指され名もなき鯰を泣かす なまず生身の生血を流す なまずなまこのなます合わせ酢 生麩生煮え海鼠の膾 ナチス泣かしたなまずを撫でず なまずの生煮 なまずのなます なまず生木を裂かれて泣けず なまず鳴らして訛りをなおす なまず なくす なまず なせず なまず なさず なまず なれず なまず ならず なまず なかす なまず なおす なまず ならす                     2005/10/14 ---------------------------- [自由詩]娼少女/白糸雅樹[2006年4月12日23時08分] こころをすてればいくらでもやさしくなれるわ わたしはあらうの つかれたおとこを   ひとやまいくらのあいがほしい? おのぞみのままに こちらのあいはひとふくろ5000円 こちらのあいはひとやま20000円 ほんとのあいはひとかけら100円のちょこれーとでうってあげる   こころをすてればいくらでもやさしくなれるの あせのにおいのからだを舌できよめるの わきがのくぼみにはなおしつけてあまえるの ちゅうじつなハープのようにあなたのうたをうたうの   あなたがわたしをしんじずに ほんとはかれしいるんだろ? とか いやだとおもってだかれているんだろ? なんてききほじってもおこらない にこにこわらって、そんなことないよぉってごびをのばすの わたしはあなたをあいしているの いつだってわたしはめのまえにいるひとをあいするの   こころをすてればいくらでもやさしくなれるわ いたみにこえをあげさせたければこえをあげるわ ぺにすがおおきすぎるだけならがまんするわ らんぼうにされたってあまえてやさしくしてっておねがいするだけよ   ひとやまいくらのあいがほしい? こころをすてればいくらでもあいがうれるの まるで無尽蔵の金鉱のようよ あなたがわたしのあいをしんじなくてもきずつかない だってわたしにはこころがないのだもの   もてあそびたいひとにはすきなだけもてあそばせるの しりのあなをなめろといわれたらなめるの したをさしいれたりもするの のどのおくに肉塊をおしこまれて吐きそうになってもへんなこえはださないわ   べたべたとあいのことばをなすりつけられてもだいじょうぶ あまいそらごとでうらぎられてもだいじょうぶ こころをすてればいくらでもやさしくなれるわ   こころをすてればいくらでもやさしくなれるの わたしはあらうの つかれたおとこたちを わたしのまえではどれだけいやなおとこになってみせてもへいきよ わたしあなたをあいしているわ                          2005/08/19                        2005/10/14 改稿 ---------------------------- [俳句]秋の蚊/白糸雅樹[2006年9月28日23時58分] 秋の蚊を容赦なく打つ重さかな ---------------------------- [俳句]初秋/白糸雅樹[2006年9月28日23時59分] 大風が秋の雫を散らすかな ---------------------------- [伝統定型各種]連句:半歌仙「山肌」の巻  上原輝男&白糸雅樹/白糸雅樹[2008年10月8日21時45分]   半歌仙【山肌】の巻 平成20年10月4日(於:武甲書店) 発句  秋澄むや山肌さらす武甲山        白鴉 三秋  脇   猿の声聴く宵の明月          虚空 仲秋 第三  濁酒まずは主人にお酌して         鴉 晩秋      仕事終われば町内会長          空 雑     若き日は甲種合格その脚は         鴉 雑 折端   一茶と同じ風にさらされ         空 雑 折立  はつはるに終の住処を寿げば        空 初春      遊女の化粧紅梅の脇           鴉 仲春     嬌態にお蚕さまも身をよじる        空 晩春      結婚式の客かまびすし          鴉 雑     親戚の親戚もみな浅賀さん         空 雑      池の群にもはぐれ鴨あり         鴉 三冬     月冴ゆる腕におぼえの一刀流        空 三冬      氷柱の雫首筋に受く           鴉 晩冬     はしゃぐ子のぶらさげている枕カヴァー   鴉 雑      地蔵菩薩を掻く風車           空 三春     爛漫と花の粧 友集う           鴉 晩春 挙句   やえやまぶきが滝を彩る         空 晩春                       虚空(上原輝男)                       白鴉(白糸雅樹) ---------------------------- [自由詩]猫と折れた傘から始まった試み 〜武甲書店におけるワークショップ〜/白糸雅樹[2008年10月14日21時51分] 制作方法について: 2008年10月13日に秩父・ポエトリーカフェ武甲書店にて行った秩父お散歩ツアー&ポエトリーワークショップにて制作。リーダーイダヅカマコト。 参加者がそれぞれ持参した写真2枚と今村知晃さんの朗読写真5枚より制作。(制限時間:10分) 制作後、参加メンバーで交換しあい、制作した詩を翻訳。(制限時間:5分〜7分) 翻訳した詩をさらに翻訳(制限時間:5分〜7分)。翻訳を繰り返す。 参加者全員による翻訳を元の作者本人が翻訳するまで繰り返す 参加者: イダヅカマコト、落合朱美、佐藤銀猫、白糸雅樹、(名称は50音順・敬称略) 元ネタの画像下記URLの今村知晃・白糸雅樹元ネタ http://literture.jugem.jp/?eid=19 --------------------------------------------------------------- (1)  銀猫持参の猫の写真および奥主榮提供による傘の写真から。                            白糸雅樹 猫はエロだ 傘はエロだ カーペットの上でごろごろするんじゃねぇ コンドームみたいな皮膚を風にさらすんじゃねぇ しっかり縛ったロープの先が地面にたれさがっているのが ちょっといかすじゃねぇか 目を細めてひとを誘う その鼻づらをちょいとつついてやろう 両手をあげて天までのびて おまえにおれを刻みこんでやろう 猫はエロだ 傘はエロだ 折れてひしゃげた骨の枠組み ---------------------------------------------------------- (2)  (1)を銀猫が翻訳 長靴を履いた猫なら 傘はささないだろう 縛られたロープなど何処吹く風で 笑ったように目を細めるのは 結構よくあることなのさ それより猫背をうーんと伸ばし ココニワレアリ それをオマエに知らせる方が ずっとずっとむずかしい 折れてひしゃげた心のオマエに。 ---------------------------------------------------------- (3)  (2)をイダヅカマコトが翻訳 ななめうしろから近づいていく 泣いている背中を見せて うつむいて 声が走りつかれた息だけになった あなたに 首だけをいっぱいにのばして くちびるをゆっくりひらき おはようと 今日も朝のように 呼びかけている ---------------------------------------------------------- (4)  (3)を落合朱美が翻訳 うちひしがれた人に とりもどしてほしいから 私がかけることばは いつでも朝 いつかきっと返してくれる ことばを待っているから いつまでもいつまでも おはよう と 発しつづける さわやかな朝になりたい ---------------------------------------------------------- (5)  (4)を白糸雅樹が翻訳 おはよう わたしはさわやかな朝そのものになりたい いつまでも曇天の下にいて ずぶぬれになっているような人に この朝をあげたい おはよう わたしは言う おはよう くりかえし、毎日 答えがなくても おはよう いつかは言葉が返ってくるだろう おはよう、と ---------------------------- [短歌]うつうつうつ/白糸雅樹[2008年10月24日22時57分] 容赦なく不機嫌であるまなうらにひろがる無数の鶏頭の赤 いちにちを作業療法すると言いビーズ細工にこめるかなしみ いけないよ爪を噛む癖孤独癖マニュキア塗って待ち合わせしよ 右足をアンクレットで縛られて冬風早く吹く街を行く 世の中に小粋な詐欺師減りたればそぞろ寒くて早足になる 明日から仕事行くから今晩はピアノソナタを弾いて、グレアム   したたかにあれ疎んぜられていることに気づいていても気づかぬふりで ---------------------------- [自由詩]家出したくなる時/白糸雅樹[2009年3月17日0時27分] 欠けた皿や茶碗を もったいないから、とそのまま使う いっそまっぷたつに割れてしまえば いや、こなみじんになってしまえば諦めもつくのだが 普段使いには支障ないから、と、貧乏性   荒れた生活そのままの その象徴のような欠けた皿 もう見たくない と 台所をあとにして もう、二度と帰りたくない   皿を洗う 皿を洗う 欠けた箇所で怪我をしないように注意しながら 皿を洗う                             2009.3.16 ---------------------------- [短歌]兵士の歌/白糸雅樹[2009年3月19日2時49分] 沸きいずる誇りを胸に抑えかね晴れ上がった日に甲種合格 われ一人屋根に上ればコーリャンの畑に数十人の敵兵 しゅっしゅっと弾はかすめる身をかがめもぐらのように進むわれらに じゃがいもと思えば馬糞きりきりと身をしめあげる飢えにせまられ 凍る石、灼けた煉瓦にさらされた我の指紋は消えてもどらず 五年間 満州シベリア日本へと巡りし体のなかの銃弾 支邦人の寄せ来るを見てとび起きる夜明けのしじま鳴くほととぎす 武甲書店の店主の父君に取材してこの連作ができた。貴重なお話が伺えたことに感謝します、 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]詩に嘘を書くということ/白糸雅樹[2009年3月19日3時01分]  「家出したくなる時」という詩を書いてアップした時、夫は私との生活ののろけを随筆で書いているのに私が珍しくアップするとなったらこんなのだと不公平で可笑しいな、とおもしろがってはいたものの、これが人に心配をかけるとは思っていなかった。アップしてしばらくして、この詩を事実だと受け止められてしまったら、ずいぶんと知り合いの人に心配をかけてしまったかなと、たいへん申し訳なく思った。 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=181079&filter=cat&from=listdoc.php%3Fstart%3D90%26cat%3D1  この詩を書いている時に事実だったのは、この詩を思いついた時に食器を洗っていたことと、我が家では欠けたどんぶりや急須をそのまま使っているということであって、私はまったく家出したくなってはいなかったし、「荒れた生活」を送ってもいない。よくできた夫と一緒に、いたって幸福にくらしている。欠けた皿と荒れた生活を結びつけたのは、単なる思いつきというやつである。  先日、畏友の日記で、詩を描くということに関して信条としていることとして、「事実に反しないこと」を挙げているのを見てかなり驚き、人によって詩を書く信条というのはずいぶん違うものだと感じ入った。私は、詩が事実そのままであれば、たんなる心情の吐露ではないかと後ろめたさを感じ、嘘を書けば人を騙しているようで後ろめたさを感じ、いつも後ろめたさのなかでふらふらしながらものを書いているが、おおむね、詩とは嘘であるという方を信条としている。  しかし確かに、作品の主張するところのものが自分を離れて一人歩きしてしまったら怖いなと思ったり、逆にこれが私の主張するところのものだと思われたら嫌だなという理由でアップしなかった作品もある。いい機会だからこれもアップしようと思う。 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=181231&filter=cat&from=listdoc.php%3Fstart%3D0%26cat%3D2  去年、谷川俊太郎さんへ質問する機会を武甲書店で得たときに、「詩を書いていてご自分の言葉に後ろめたい気持ちになることはないですかか?」と伺った。谷川さんは即座に、「ないです」と否定し、その後少し補足してくださった。「言葉は共有のものだから、読み手に対して責任はとれない。いかに美しく人をだますかというのが問題で、真偽についてうしろめたいというのはないです。」  これこそ職業詩人ならではの言葉だと感じ入った。同時に、自分の信条と離れたところで、キャラクターに憑依して詩を扱い続けたら、行き着く果ては、戦中の戦意高揚詩ではないかとも思い、私は拙作「兵士の歌」に対して、後ろめたさをぬぐえなかった。  これからも私は、相反する二つの後ろめたさを感じながら書き続けていくのだろうと思う。                               2009.3.19 谷川俊太郎さんの言葉に関しては、詩誌「詩悠」より部分引用 ---------------------------- [自由詩]初恋の人からの手紙/白糸雅樹[2009年3月20日2時12分] ゆうと、ひさしぶり。元気にしていますか? 恋人はできましたか? まだあのアパートに住んでいるってことは結婚はしてないんだよね。   あたしがゆうとを手ひどく裏切って別れてから、もう十年がたちましたね。あの頃の猜疑心からだんだん絶望へと変わっていくゆうとの表情を思うと、手紙なんて迷惑かなと思ったのだけれど。   あ、手紙を書いたのは、とくに理由はないんです。あえていえば春だからなのかな。おどろいた?   おもえばあのころのゆうとはすごくがむしゃらで、あたしはずいぶんふりまわされたな、となつかしく思い出します。でもあたしもまだまだこどもで、自分流にしかふるまえないから、ずいぶん喧嘩しましたね。   あたしがこどもだったってことでいえば、ケチャップ味のオムライスを作ってあげられなかったことだけは、申し訳ないなと思っています。まだまだあたしもこどもだったから、自分流の味付けの料理しかできなくて、スパイスたっぷりのオムライスを出した時のあなたの怒りようを理解することができませんでした。今のあたしだったら、ゆうとが好きな味付けの料理もしたのにな。ごめんなさいね。裏切ったことに関しては謝れないけれど、オムライスのことだけは謝りたいと思います。 ゆうととつきあってよかったなぁって思うのは、ともかくなんにでも一生懸命なゆうとを見ていて、やればなんだってできるんだ、って思えるようになったことです。あと、すごくあたしを愛してくれたから、あたしも自分に自信が持てるようになったかも。ほんとうにありがとう。   そういえばゆうとにとってはあたしが初恋だったのかな? あたしが一人でどこか行こうとすると、すごく拗ねていましたよね。あのころのあたしたちを見ていた人で別れるって思っていた人はいないんじゃないかってくらい、いつもべったりと一緒にいたよね。「絶対浮気しないよね」って言われて、「うん」ってうなずいた時から、あたしの裏切りははじまっていたのかもしれません。でもこんなこといまさら言われても困るよね。   そうそう、エッチの時にぬがせたパンツの匂いをかぐ癖はやめた方がいいと思います。あれ、あたし笑っていたけれど、内心けっこうひいていたよ。   「もう女なんて信じられない」って言ってないで、はやく幸せになってくれるといいな、と思っています。ゆうとにひどい仕打ちをしたあたしだけれど、ほんとうに、ゆうとの幸せは祈っているんだよ。この手紙も読んだら破いて捨てて、恋人作って結婚してこどもの沢山いる家庭を築いてね。   追伸 だぶだぶだって喜んであたしが着ていたゆうとの上着とズボン、そろそろ捨てていいですか?                                 2009.3.20 http://letter.hanihoh.com/ ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]作品に固有名詞を入れる難しさ(お詫び)/白糸雅樹[2009年3月28日23時06分]  先日、私はhttp://letter.hanihoh.com/のスタイルを利用して、手紙形式の詩を書いた。作品のなかで、手紙の相手の名前を連呼するスタイルだった。  固有名詞を作品中に用いて、他の人がモデルではないと示す為には、三つの方法がある。「A」など抽象的なアルファベットを使う方法、「太郎」「一郎」など、公式文書などで書き方の事例として用いられることの多い名前を使う方法、自分自身の名前を使う方法。  この詩を思いついたときに頭にあったのは、私がかつててひどい裏切り方をした恋人への悔恨だった。なので、私から、「誰か」へ宛てた手紙ということで、「雅樹」という名前を宛先に使うことはできなかった。また、作品のリアリティを高める為には、仮名として使われがちな名前やアルファベットも使いたくなかった。  そこで、私は、そのモデルになった恋人(といっても、作品中で本当なのは相手好みの料理を作れなかったくだりだけで、あとの部分はすべて創作で、もしも彼がこれを読んだら事実無根の名誉毀損だといって不快になるような内容なのだが。)に似ていない名前、友人知人にも似ていない名前で、いくらかのオリジナリティが得られるような名前を考えて詩を書いた。  ところが、投稿した後で、その名前とまったく同名の方が、私よりもアクティヴに、このフォーラムで活動しておられることに気づいた。困ったな、と思ったが、もう投稿してしまった後で、いまさら名前を差し替えても、あらぬ勘繰りをされそうである。  その方が、私の詩を読んだかどうかは知らない。読んでいないとよいな、と思う。私だって、「白糸雅樹さん」と詩の中で名前を出されて、しかもそれが私と無関係な架空の人物だったら、ずいぶんと妙な気分になると思う。なにもわざわざ不快な思いをすることはない。  しかし、その方を知っている人で、私の詩を読んで、「え?」と思った方の為に、「私の詩で出されている固有名詞は完全に架空のもので、このフォーラムに同名の方がいらっしゃるのはまったく偶然で、何の関係もその方とは関係ありませんよ」ということを、作品は創作だという立場にたてば言わでものこととはいえ、公言しておく必要を感じた。  固有名詞を使う前に、フォーラムをしっかり読んで、主な参加者の名前を把握しておかなかったのは、まったく私の軽率としかいいようがなく、申し訳なく思う。ほんとうにごめんなさい。 ---------------------------- [自由詩]終わることのない舞踏/白糸雅樹[2009年7月9日23時07分] 終わることのない歌がある 地虫のように地を這うつぶやき 泥の纏のようなボレロ リズムを踏んで女たちは集い 韻を踏んで男たちは散る 引き裂かれた舞踏の群は紙人形にも似て 伽藍にて響きだけをいつまでも増幅し続ける      2009.7.9     奇数行:しろう 偶数行:白糸雅樹 ---------------------------- [自由詩]うみのものがたり/白糸雅樹[2009年7月30日22時36分] 泡からうまれたヴィーナスは 実はまほうつかいのおばあさんだったので 大きなホタテ貝の上で 少女に脚を与えます   少女を好きだった生きものたちが ヴィーナスをうらんだので 少女の恋はかないませんでした   大きなホタテ貝が ぱくんと口を閉じて ヴィーナスを閉じこめた時 美しい泡が天上へとのぼっていったのです                     2009.5月? イダヅカマコト氏のワークショップにて ---------------------------- [自由詩]カナシミビトの森/白糸雅樹[2009年10月24日2時10分] すべての人はかならず一度は行ったことのある場所 そこがカナシミビトの森 そこに行き着く道は誰も知らないが ふかくふかく哀しい時 いつのまにか辿りついている森   そこにはカナシミビトが住んでいる 人が哀しむ時 傍らにはカナシミビトが現れる そして不器用に 歌ったり踊ったりしてその人を慰めようとするのだが あまりにも不器用で下手な歌と踊りなので、ちっとも慰めにはならないのだ   カナシミビトが現れた場所は すなわちカナシミビトの森になる 人は気がつけばそこにいる だからそこに行く道は知らなくてもいい ふかく哀しい時に必ず辿りつく森   しずかで深い針葉樹 ゆれる薄い色の花 おだやかな池の色 甲高く響きわたるカナシミビトの歌   へたくそなその歌と踊りの一生懸命さに 人がふと 自分の哀しみをよそにくすっと笑ってしまった時 その時   人はもう カナシミビトの森にはいない カナシミビトは消滅する なぜならば人が深い哀しみにひたってはいないから   カナシミビトは知っている 自分が一生懸命歌って踊れば それが成功すれば 自分は消滅することを   それでも歌わずにはいられない それでも踊らずにはいられない それがカナシミビト                             2009.10.21                           (原案:奥主榮) ---------------------------- [自由詩]ひび割れた琥珀/白糸雅樹[2009年11月11日22時16分] キャベツ畑に雨がざわめく夜更けにひたひたと 歩める老いた木こりのひび割れた手のひらを染める 煙草のヤニは深く沈殿し 猫目石のように闇の中のわずかな光を集める 暖炉にかかったスープ鍋はふつふつと 爆ぜる薪とひそやかに雨を喜ぶ鈴虫との短三和音を奏でて 煙草の煙はゆらゆらとト音記号を描き 瓦斯灯が若き日の輝きすぎた太陽の残影をしっとりと床に落とす ここを訪なうものの姿は絶えてなく 等しく分け与えられる祈りのように彼は傅く 光と闇との融合が行われる 祭壇の前で赦しを請うことはない−なぜならば 彼はただ彼として存在しそれ以上でもそれ以下でもなく ひび割れた琥珀を見つめつつ刻を終えるのだから                    2009.11.11                    奇数行:白糸雅樹  偶数行:しろう ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]秩父の三峰神社のとばくちで/白糸雅樹[2010年2月24日3時37分]  先日、2月14日日曜に夫と二人で秩父に行ってきたのでした。もう一年半以上前の紅葉の頃、一人で三峰山に登ってきました。秩父鉄道の三峰口という駅からバスに乗り、大輪というバス停で降りると、以前はロープウェイがあった登り口に出ます。まだロープウェイが動いていた頃、ロープウェイで結婚前の夫と三峰神社へ行ったことがありました。ロープウェイまでの道が、たしか夏だったのに霧が出ていて寒くて、でも風情があってよかったのを覚えています。江戸時代から昭和まで、さまざまな時代の、講の人たちが記念に立てた碑がロープウェイの駅までの道にも沢山ありました。  その、ロープウェイに乗った時に、ロープウェイの駅の近くに登山道の入り口があるのを見つけて、ずっと登りたいと思っていたのです。何度も運休を繰り返していたロープウェイがとうとう廃止になってまもなくの秋、大輪で降り、ロープウェイの駅に向かう橋で息をのみました。写真がないのが残念ですが、川を渡る橋からの景色はそれはそれは見事な紅葉でした。  登山道を登っていくと、ちょうど半ばのあたりで、桜もみじと楓もみじが散り敷いている地点があります。むかし、山が女人禁制だった頃、そこまでは女性も登れ、そこに昔はあった小屋で、男性の代参者が降りてくるのを待っていたのでしょう。そのような案内が書いてありました。見晴らしもよいのですが、それ以上にその桜と楓が、女人禁制の山で、せめても女人のこころをなぐさめようとする感があり、なごみました。  私が単に登山道だと思っていたのは、本来、三峰神社の表参道だったコースだったのです。  大輪のバス停から参道に向かう、橋のたもとにある茶屋が、ロープウェイが稼動している時は賑わっていたのに、半ば戸を下ろしていました。下山した時、ちょうど茶屋の前の落葉を掃いているおばあさんがいらしたので、立ち話をして、親切に厠を貸していただいたのですが、ロープウェイが閉鎖されて以来、めっきり客が減り、閉店したわけではないのですが、土産物も新しくは仕入れることがあまりできず、食事や酒を出すことも休んでしまっているとのことでした。  登山道が神社の参道だった話も、そのおばあさんから聞きました。店を、止めたわけではなく、ただ休んでいるだけで、厠が必要な人が居れば貸し、橋のまわりを掃除して、いわば、お接待の気持ちだけは続けている、という話に、長年参道を守ってきた方の矜持を感じました。  五月には橋の下にある石楠花園がよいですよ、という話を聞いて少し歩いてみました。季節はずれではありましたが、沢山の石楠花が植わっており、季節には夫と訪れたい、と思いました。  なかなか夫と予定が合わず、そこを訪れることができないまま、その店が続いていることを願っていました。  若葉の頃には新緑が、五月には石楠花が、秋には紅葉が、冬には凍った滝が見られます。  最近、鉄道会社の観光パンフレットに、「三十柱の氷柱」というキャッチフレーズで、その大輪の先にある、つららが名物として紹介されていることを知り、ようやく夫と一緒に三峰口の方へと行かれました。  三十柱の氷柱があるのは、大輪からさらにバスでずっと進んだところにありました。mixi日記に写真を載せました。 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1415227581&owner_id=868027  川の対岸の崖一面に、氷柱が下がっており、観光客が沢山、此方岸から眺めていました。ひとしきり眺めた後で、歩いたり、途中からバスに乗ったりして、再び大輪で降りてロープウェイの乗車駅があったあたりへ行きました。  橋のたもとの茶屋は完全にシャッターを下ろしており、少しがっかりしながらもロープウェイのあったあたりまで歩くと、小さな滝が、ここも氷柱をたらしておりました。以前紅葉の時期に訪れた時は工事中で立ち入り禁止だったロープウェイの跡形もなく、ただ駐車場のようなところから見あげる、巨大な獣道のような線がありし日のロープウェイを髣髴とさせるのみでした。  橋まで戻ってくると、茶屋の前で掃除をしているおばあさんの姿が見えました。挨拶をして、以前厠を借りた礼を言い、夫とともに再び立ち話をしました。  行政は、巨額の金を使ってヘリコプターでロープウェイの支柱を撤去することはしても、橋のメンテナンスはしてくれず、心ある人がボランティアで、橋の塗装の直しをしてくれた、といった話など、秩父の武甲書店でのイベントに来て話してくれないかなぁ、と思ったことでした。  まだ、茶屋は、閉店はしていないそうです。  今はまだ、凍結が怖くて参道を登って三峰神社へ行くことはできませんが、一度登ってとても変化に富み休むところも適度にある良いハイキングコースでしたし、登山ができない人と共に行くなら、参道を登らなくても石楠花や橋からの新緑や紅葉を見るのもなごむし、お勧めの場所です。     ロープウェイがなくなって、すっかり観光客が減ってしまったそうですが、いつまでもあの参道や石楠花園が、荒れて人が入れない場所になりませんように。                                   2010.2.24 白糸雅樹 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]「がんばるな、ひとよ」(3331 Arts Ciyodaにて2011.4.3に/白糸雅樹[2011年4月5日0時02分] 「がんばるな、ひとよ」    (3331 Arts Ciyodaにて2011.4.3に行われたパフォーマンス・アクトにて私が行ったこと。)  はい、行ってきました。参加してきました。どういう集まりかも知らず、ただ、時間と場所だけを聞いて。  東北地方太平洋沖地震復興支援アートアクション「いま、わたしになにができるのか?─3331から考える」の参加作品として、2011.4.3の15:30-15:50:「万城目純+ホワイトダイス」に飛び入りで。 http://www.3331.jp/schedule/000896.html  3331というのは、場所の名前です。建物と、それを運営している団体の名前のようです。 http://www.3331.jp/  はい、書かないつもりでした。パフォーマンスの全容を覚えているわけではない(それどころか自分のしたことさえ全部は覚えていない)し、私は飛び入りの一参加者だし、なのに自慢めくし。  でも。でも。  今日、友人の詩人のmixi日記で、「がんばろう東北!」ってポスターが東北在住の彼女の目にするスーパーに貼ってあって、「迷惑。見るのが苦痛」って主旨のことを書いているのを読んで。  「がんばろう」という人ばかりではないよ、「がんばるな」と昨日、ちゃんと首都圏の、それも東京の上野神田界隈で呼びかけてきたよ、とそれだけを伝えたくて、はい、します。自慢します。手前味噌します。  パフォーマンスは二十分。会場には、他の出品者やワークショップを行っている人々の作品、人、が散在していました。会場の中央近くはやはりチャリティー出品者であるカフェのテーブルが並んでいました。テーブルの周りには、物販ブースの机が、販売者が中心に背を向け、買い手が中心を見られる形に配置されていました。壁際にもワークショップを行っているスペースなどがありました。  その会場で、午後3時半。ふと気がつくと、中央近くのテーブルの間にいつのまに現れたか、ダンサーの万城目純さんと相良ゆみさんが、静かに動いていました。  手渡される、開かれた、白い透明なビニール傘。  そして始まる、男の人の能の朗詠(謡)。私はカリンバを弾き、どこかから重なってくるトライアングルの音。その謡にかぶせるように、私は、アア、アア、と高めの音程で発声を始めました。  そして。言葉でない声は、言葉になり、呼びかけるように、祈るように、「がんばるな。ひとよ。がんばるな。うみよ。」と繰り返し始めました。  演者はみな、白い服(デザインはばらばら。ただ、白い、ということだけが共通項。)を身につけ、何人もの人が、舞踏、舞踊、などをしていました。  そして、野田秀樹の、演劇の上演再開のアナウンス ( 「劇場の安全確認の点検を含めて、4日間、劇場の灯を消しました。私は、その間、本当に居心地悪く暮らしました。日頃『ろうそく1本があれば、どんな時でもやれる。それが演劇だ』と言っていたからです。現実にはそのろうそく1本も危険だと思いこみ、自分の首をしめるような自主規制下におかれている気がします」と語り出した。  「音楽や美術や演劇が不自由になった時代がどれだけ人間にとって不幸な時代であったか、それは誰もが知っていることです。劇場で守るココロというのは、人間の営みに欠かせないものです。日常の営みを消してはならないように、劇場の灯も消してはいけない。だから一日でも早く、再開したかった」  と、抜粋がこちらhttp://www.asahi.com/showbiz/stage/theater/TKY201103210146.htmlに引用されている、 ) の全文の朗読を始めた女性がいました。  その間も、私は、発声、カリンバ、言葉、を続け、身体を動かし、床に身体を投げ出し、うつ伏せに倒れた私の背後には、「がんばろう、日本」のたすきをかけた人形様の人体が立ち尽くしていました(この人体を演じていたのは、ホワイト・ダイスとは別の芸人さんですが。)。そして、どん、どん、と響く音。床を、怒りのように踏み鳴らす音が私の背後で聞こえ(足音を立てていたのは、ホワイト・ダイスの参加者の女性演者)、私は振り返ることができず、ただ、カリンバをつまびき、がんばるな、と祈り続けました。  野田秀樹のアナウンスの朗読は続き、謡も続き、けらけらけら、と笑い出す女性演者がいました。  ときおり穏やかに響く、オカリナの音。  ふ、と何をきっかけにしたのか、私は物販ブースとカフェのテーブルの間を走りぬけ、会場の、最初演じ始めた場所から200度くらい回転した位置にいました。その時です。「おかあさーん、楽しいことしたいよぉ」と発語した女性演者。彼女の言葉を受け、私は、「おかあさーん、楽しいことしたいよぉ。」と繰り返し、「おかあさーん、楽しいことしたいよー。アニメを見ようよー。おかーさーん。わらってよぉ。おかあさーん、おかあさーん。」と声を高め、次第に言葉はただ、「おかーさーん、おかーさーん」という叫びになり、「おかーさーん、おかーさーん、どこにいるのぉー、おかあさーん、ままー、ままー、ままー」と繰り返しました。  そのあいだ演者たちの半数ほどは踊り続け、観客のうちのこどもがふたりほど、おかあさんを呼び続ける私をまじまじと見つめていました。  そしてまた繰り返す、「がんばるな、ひとよ。がんばるな。日本。」という祈り。  またしても床に倒れこんだまま、カリンバを弾き続ける私から、静かにカリンバを取り、爪弾き始める女性演者。私は倒れたままでした。  その頃、時刻は3時50分となり、しずかに演目は終了しました。  最後に、万城目さんが、「みなさま、おさわがわせしました。よろしければこの箱に義捐金をお願いします」と挨拶し、会場をまわりました。                           2011.4.4 白糸雅樹 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]売名上等/白糸雅樹[2011年4月10日1時23分]  先日アップした、「がんばるな、ひとよ」への補足です。  表現者が、パフォーマンスをする、文章を書く、絵を描く、そのような行為に、自己満足や自慰の要素がないことがあるだろうか。人を傷つける可能性なしに、表現、というものをすることができるのだろうか。  少なくとも、私にはできない。  人は、認められて、はじめて生きられる。「認められる」というのは、なにも「高く評価される」という意味ではない。ただ、「存在を認識される」という意味だ。存在を認識されない人間は、自分だけをたよりに存在を続けることができるだろうか。「私はここにいる。私はこういう存在だ」という主張なしに、他者の、「ああ、あんたはこういう存在だね」というレスポンスなしに、生き延びることは可能だろうか。  少なくとも、私には無理だ。  もしかしたら、誰にも存在を主張することなく、ただ、淡々と生きていられる人もいるかもしれない。だが、私は、赤子が泣くように、「私を認めてくれ」と叫ばずにはいられない。私はそういう人種だ。  生き物が、人間も、植物や動物の命を断って、それをいただいて生きているように、表現者も、他者の存在や不幸をネタにして、踏みにじって生きている。それをエゴと呼びたければ呼ぶがよい。そのとおりだ。エゴだ。  エゴ上等。売名上等。  「がんばるな、ひとよ」の本文中にあるように、私は、最初は、このパフォーマンス・アクトの報告を、ネット上に書くつもりはなかった。パフォーマンス・アクトの会場には、深刻な被災者の身内がいる可能性はあっても、深刻な被災者自身がそれを目にする可能性はうすいと思われて、行ったパフォーマンスだった。もしも、福島や宮城での公演だったならば、きっと、また違ったものを演じたことと思う。(それは、私だけでなく、ホワイト・ダイスに参加した演者みながそうであろうと思う。)  それが一転して、自己宣伝を書こうと思ったのは、パフォーマンス・アクトだけでは、会場にその時居合わせた、僅かな人にしか届かない、ということに気づかされたからだ。それはそれでよい。パフォーマンスはなまものなので、その時その場所にいるわずかな人間にしか届かないものだからだ。だが、私は届けたくなった。その時その場に居合わせることができなかった、被災者である友人に、メッセージを。被災者でない人々にも、メッセージを。  さいわいなことに、そのメッセージは届いたようだ。よくもわるくも。  同文を同時掲載したmixi日記には、好意的なコメントやイイネをいただいた。同時に、反論もいただいた。また、この現代詩フォーラムでは、激烈な反論をいただいた。(その激烈な反論は、現在、反論なさった方自身によって削除されているので、私はlogを取っていたのでそれを参照しつつこの文章を書いているが、読者のみなさまが、今、それを読むことはできない。)  インターネットという、公の場、それも、被災者や被災者の身内が読んでしまう、このような場所で、「がんばるな、ひとよ」のような種の文章を公開したのは、残酷な仕打ちだったと思う。傷つけた相手には、傷つけてごめんなさい、と心から詫びたい。  だが、後悔はできない。傷つけてしまうことがわかってなお、私は再び同じことを繰り返すことだろう。  義捐金を募って、募金したからよいのではなく、届けたいのはメッセージだ。届けたいのは想像力だ。募金は、その手段である。募金をつのるという約束で見物人から預かったお金なので、約束どおり義捐金として募金したまでだ。  お金は表現より役にたつ。たしかにそれは役に立つ。表現では、腹は満たせないし、表現では、うんこを拭けないし、表現では、命を救えない。お金はたしかに役に立つ。お金を使えば、食い物が送れる。トイレットペーパーが送れる。まだ生きている人体の上の瓦礫をどける機械が送れる。お金はフィジカルだ。  我々のパフォーマンスも、それが直接的に義捐金として寄付されるという名目がなければ、あの金額を集めることは不可能だっただろう。観客は、我々のパフォーマンスに対して投じるのと同時に、それが義捐金として被災地に投げるロープになるという、フィジカルな効用を信じて、我々にあの金を預けてくれたのだ。  だから、我々は約束どおり、義捐金箱に投ぜられた金は一円残らず寄付したし、パフォーマンスにかかった経費は演者それぞれ自分持ちだ。それが、手弁当というものだから。  これは美談ではない。売名行為である。  そして、この、「売名上等」という文章は、もちろん、自己弁護である。この文章によって、私は再び、多くの人を傷つけることだろう。  それでも。  自己弁護上等。                               2011.4.10 白糸雅樹 ---------------------------- [自由詩]のっぺらぼう/白糸雅樹[2011年10月4日23時50分] のっぺらぼう なのです   あるひ かがみをみてみたら のっぺらぼう だったのです   どおりで、そとにでても、だれにもあいてにされないわけだ。と。   ファウンデーションで陰影をつけ 眉墨、口紅、シャドウ、アイライナーと ありったけの道具を使って顔を描いてみたのですが   それでも のっぺらぼう であることは   ばれてしまうみたいで   いごこちがわるいのです   のっぺらぼうならのっぺらぼうらしくいようと   そう おもいます                                 2011.10.4 ---------------------------- [短歌]立秋/白糸雅樹[2017年11月11日3時43分] 「なんで時が止まったような食べ方を」「だってかき氷だもん冷たい」 蜩の真昼間に鳴く大社ちいさなちいさなもみじわくらば 利根川の岸を洗うばかりにて我を呑み込むこともせぬ波 立秋の陽が背を焼くそのままに尽きることなく話し続けた 小野川のほとりで鰻ほろほろとほどけるからむあとあじのこる ---------------------------- (ファイルの終わり)