道草次郎 2021年4月21日8時45分から2021年7月1日20時56分まで ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]すべては/道草次郎[2021年4月21日8時45分] すべては過ぎていきます。 書こうかと何度が筆をとり、書けぬままにそれをおき、また筆を手にして動けなくなる。そんな日々でありました。もう何を書いていいのやら、だいぶ前から色んなことが煮詰まっているせいかよく分かりません。苦しんでおられるのは感じます。何に苦しんでおられるのか、ぼくにはその全部が分かりませんが、かなりの部分が分かるような気もします。ですがやっぱりそれは錯覚で、ちっとも分かっていないのだとも思います。しかし分かる分からないなど、どうでも良いですね。言えるのは、なぜかいつも帰ってきてしまうという事です。 すべては過ぎてゆきます。 ある場所である体験をしました。そこには色々な人がいて、驚くことに中学の時の同窓生もいました。その人はぼくの本名が比較的珍しいこともあり、自己紹介の時にピンと来たようで話しかけてくれたのです。その人はかつて推しも押されぬ陸上選手だったのですが、過日の面影はすでに無く、ビックリするほど髪の毛が白くなっていました。きっとぼくの方だって相手からはそう見られているのだと思い、なんだか時の流れが恐ろしくなりました。 すべては過ぎてゆきます。 優しくしてくれる人もいました。その人が朴訥にプロ野球の話などをしてくれたりするのを聞くのをぼくは好きでした。その人から飴を貰った日は、河原に咲くスイセンの花もどことなくいつもより美しく見えたものです。 すべては過ぎていきます。 ぼくはきっと変われませんし、今は、いくつかの会社へ履歴書を送って連絡待ちの段階です。上手くやれそうな見込みなど全くありませんし、同じ間違いを繰り返すかも知れません。不安というか殆ど諦念に近い気分です。諦めた気分になったり、かと思ったらすべてを諦めることのおそろしさに怯えたり、一日寝てしまったり、せめて死ぬ前にキルケゴールだけはいくらか読んでおこうと思ったりしています。 すべては過ぎていきます。 傲慢は汗をかきません。 空っぽの青空にだけ未来は流れ込みます。 何もかもがとても懐かしく思え、ただ、時は過ぎていきます。 すべては風になります。 ---------------------------- [自由詩]春の連詩/道草次郎[2021年4月21日20時44分] 四月 四月はつまずき易い 貰った飴は ポケットがなめてくれるらしい 至る所で小石が消え 地軸が舌を出す 虹色の粉が降り 即身仏が生えてくる 四月には裏がない ゆえに 平然とざんこくを働く 春風 そうだよ 春風が悪いんじゃない いや やっぱり春風がわるいんだよ あぁ なんだろな あれやこれやから 海原はまるで遠い 地には 柘榴の吐血 南無 にべもなく 花の散る 十六夜 あぁ…孤絶 すっかり切り離され 疚しさの十六夜 夜々 あてもなく たゆたう エチゼンクラゲ 小糠雨 小糠雨は うつくしく忘れている よいものはみな うっとりと忘却の底にある 屋根も素敵だ 人称も 緑色になる ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]4.23メモ/道草次郎[2021年4月23日3時07分] + 生きていることを楽しもうと、生きてみる。 すると呼吸がよそ行きの顔をする。夕飯が腸のなかで踊りをおどる。心臓がメトロノームになる。 段々、生きているだけで満たされていく自分が浮き彫りになる。だけど、生きていることを楽しみすぎると、死ぬのがとてもこわくなる。 こういう原初的な感覚を、ふだん、忘れていたことに、あらためて驚いてしまう自分がいる。 + 木のことがすこしわかる。 ひとりさみしく低い山を登って下りて来た。 木の堂々は、動けない反応だ。我々の運動は、木の静態に輪郭を与える何がしか。 それはあながち嘘ではないだろう。木に飼われているのだ、我々は。 足取りのおぼつかなさは、だから、間違ってはいない。 汗の塩味がなぜかいつも風と等価なのは、動的なものの一種の快楽に相違ない。 + かんがえも物質も宇宙の子供だとしたら、そして、宇宙が膨張をしているのが事実なら、時を巻き戻せばすべてはかつて一点にあったということになる。 超高密度の一点において、あなたやわたし、それだけではない、あなたのかんがえやわたしのかんがえも非常に近くにあった。 砂粒ほどのその一点にあっては、隣合うもの同士はもはや同一といっても差し支えないのかも知れない。 時のながれによって拡散されたそれら宇宙の子供らの距離は、これから、さらに拡がるらしい。 原因と結果でさえ時間に引き離された双生児で、因果関係というものは存在しないのかもしれない。 すべてはかつて一点にあったということは、だから、今もある意味ではすべては一点にあるのであり、ものとものとの隔絶は幻だともいえる。 自然やポエジー、生の認識のさなかに立たされた時、人は、分かち難いものの謳を聴く。 その謳は、拡散とともに引き離されていくものが、一点においてもすでに引き離されていたことをうたうだろう。 前触れなく風か吹く。 そして、人は感動する。 ---------------------------- [自由詩]ネノラク/道草次郎[2021年4月24日7時54分] 竪琴がある。 竪琴とは複雑なあなたとわたしと、それから春の優しい鳥と。 風がある。 なぜ、風が惑星の裳裾(もすそ)をかゆそうに笑いながら縦走するかは、誰にもわからない。 竪琴を納める墓穴という空間と、風という経過を宥める時間と、それらがともにリズミカルにのたうつ無底の揺動とが有る。 現今は最果ての刻(とき)と溶融し合う。 一切が統一を忘失しつつ、そうでありながら、統一に取り込まれている一切の形骸がそこには坐っている。 竪琴は置かれ、風は走る。 それで、何が起こるというのだろう。 それは、解答ではなく問いとして現象展開する一つの大渦潮(メイルシュトローム)。 掻き鳴らす幾本かの偶然の為に世界は沈黙する。 振動し、伝播される花粉めいた魔術。 必然のつばきをのむ、外耳。 竪琴と風と、その他諸々。 宙(そら)に張り巡らされた蜘蛛の糸に煌めくしずく、ありかけの月にかかるもや。 生まれながらに老成の音律(しらべ)。 其れを、人は音(ネ)ノ樂(ラク)と呼ぶ。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]メモ(たわいもないこと)/道草次郎[2021年4月24日10時08分] ふと、かわいそうでかわいそうで仕方ない時がある。誰がとかではなく、何がとかではなく、ふと、何となく漠然とそうなるのだ。小学生の時、担任だった教師がかわいそうという言葉は無責任だと言っていた。ぼくは中学校から日本の学校制度の世話にならなくなったけど、思えばかわいそうなものを素直にかわいそうと言いにくい場所になど行きたくは無かったのである。そういうことであった。 ぼくの詩作の動機の70%はこうだ。誰かが何かハッとするような事を書いていたり、ぼくには到底理解できない事をスラスラと論じていたりするのを見聞きする。嫉妬し、劣等感を感じる。その劣等感の持っていき場に困り、それをイジイジと詩にするのだ。70%だ。 誰かがこんなことを言っていた。詩を書くことに負い目や恥ずかしさを感じる人がとても多くて驚いたと、その人は言っていた。詩は生きることそのものだって。生きること、そこには書くことが当たり前に含まれていると。ぼくは思った。その通りだ。そしてこう思った。ぼくはどうすりゃいいんだろうって。こんな気持ち分かる人っているんだろうか。ぼくはいつだって、詩を書くことに当たり前を感じたことがない。生きること、細部に至るそのすべてに、書くことが含まれているなど、ぼくはこれまで感じたためしがない。だから思うんだ 。ああ、どうすればいいんだろうって。こういう気持ち、分かってくれる人ってあるんだろうか。 ---------------------------- [自由詩]墓やぶり/道草次郎[2021年4月25日4時57分] 神代、人新世最初期のtypewriterを攫取。 (論理破綻前提、送受信。) * 考えることの大事さを感じる人はかつて考えることに救われたのだろう。 考えることの大事さを感じない人はかつて考えることに救われなかったのだろう。 * と、いうこと。どゆこと(?) レスキュー主義。却下。下記を参照↓ →H. sapiens=裸の猿。裸という概念を着ている、猿。← 「やあ。HAL 9000。 ぼくの代わりにこの文章を代筆してくれてありがとう。きみの時間線はアポロから先、オズの虹をわたってあさっての国へのびているのさ。」 マッチするつかの間のマッチなく、ポケットに手をつっこむと、パスカルのほつれ。引っ張ればケラケラ笑うパックンフラワー。すーぱー・まりお・ぶらざーず(忘れてた?) イロニーが青銅器時代にすでに兆していたか、そういうことを研究するのは、とても愉しい。たぶん、どんな銀河間飛行よりも。たぶん、どんな天地創造よりも。 た、た、た、たぶんだけど。 からの財布が夜の太平洋の上を、ただよいながら、ふわりふわりといつまでも、月の光をあびながらどこまでも、終わることないニヒルのタップダンスをおどっている…… 参ったな。 こりゃ今日もふにゃふにゃのカミサマ。 ※振り出しに戻る。 ---------------------------- [自由詩]列席/道草次郎[2021年4月26日10時50分] 丘。荒れ狂う海。深層の平穏。緑青のガラス玉。無数のふしぎな気泡。ひとりびとり。椅子の背を撫でている手。雫とやさしさ。むなしい躊躇い。笹のスれる音。黒のビショップ。9570円。通知書。青空と奇声。凪いだ入江。春めいてきた山麓。つくし。死にたさ。送信。いつも浅い睡眠。エジプト旅行のパンフレット。青。現代詩フォーラム。自堕落。あの日あの時の偽の記憶。胃下垂。柊のくるくる。剥げた額縁の鍍金。Googleカレンダーにメモした口座番号。なしのつぶて。バーナード星の想像図。標識のひしゃげた棒。シオラン。ロキソプロフェン60mg。赤。萌黄。スカイブルー。鉄臭い血の味。電話にまじる微かなサイレンの響き。非存在。落ち着き。棕櫚縄。点滅するカーソル。 ---------------------------- [自由詩]無題3/道草次郎[2021年4月26日17時37分] 何か、すこし、足しになるなら思いとどまろう、 そんなことばかりだ。 涙に含まれている疲労物質を顕微鏡でのぞく仕事があったら、そんなのがしてみたかった。 民間宇宙船が日本人飛行士をはこんだらしい。 この遊戯のもとじめは、いったい誰なんだ。 37でさけもたばこもかけごともしたことがない。 ぼくは去年から独身で、背は165センチ。 むかしからずっと、じぶんの聲には嫌悪をかんずる。 詩を書く狸と、たぶん、見分けがつくまい。 ---------------------------- [自由詩]池のほとり/道草次郎[2021年5月13日17時45分] きみの背後にはたくさんのごみの山がみえる そのごみの山について ぼくはいくらか考えてもいいだろうか すずめが初夏のこずえにとまって 世界が軽やかにバウンドする そんな果てなき午後の池のほとりで ---------------------------- [自由詩]いちばんだめなのが/道草次郎[2021年5月15日21時00分] いちばんだめなのが いちばんなのだという おかしな理屈です それは まちがっていますとも なんかいめの まちがいだったか 誰も もう 覚えておらないのだ もう だれも ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]メモ5.19/道草次郎[2021年5月19日3時08分] たくさんけずったら、のこったのは腹ぺこ。咀嚼し、嚥下し、胃をふくらます。その一つひとつが、その一つひとつに奉仕をしている。 ひつようの土からでないと、なかなか生えない満足の木。そういうふうに捉え、刻々の漏洩をふさぐ。 やがて、たくさんけずることすらしなくなるのか、どうか。それは、わからないけれども。 ある種の目標は、とっちらかったままシンプルに生きることかもしれない。それは、難しい。そして、それは難しくていい。そうやって、いつだって観念することだ。 観念には、二つの意味があることを、今、知った。 至ったときには、すでに、すぎさっているので概ねいつも害のないやさしさをさがしている。 ふるさとの動物園は入園料をとらない、思い出せ、淵にいて落ちそうな時は。 してきたことがみんな、恥ずかしい。いや、それらをどう思っていいか、じつはわからない。 あるくと、過去の水位があがる。私が氾濫し、汗が今にしみる。「こんにちは」と、何気なく云ってみる。声帯。産まれてまもないそれが、無惨にも初夏の餌食になる。 そうだね、わからない。現代詩フォーラムも復旧した。相変わらず履歴書はつっかえされ、やすいブラックコーヒーを買うことがふえた。 汚いベンチのせいで不快になり、美しい躑躅の枝をあやまって切ってしまう。トイレの一輪挿しが華やぐ。ひとときと地続きの無窮、それとともに。 耳鳴りがする。日々がすぎる。空の目張りが剥がれ掛かったところに、巨人の指。 ---------------------------- [自由詩]綿毛となって/道草次郎[2021年5月26日21時06分] ふうわり 綿毛となって とんでゆけ 忘れの国へ とんでゆけ そうだよ 地の底だって じつは天井 (かなしいね かなしいよ) さあ 思いの儘に とんでゆけ ふうわり 風をまくらに とんでゆけ 忘れの国へ ほわほわと ---------------------------- [自由詩]橋向こうの播種/道草次郎[2021年5月27日22時17分] ねえ ねえ ところで エピクロスの残存する幾らかの断片を 読むことぐらいしか もう したくはない (やけになまっちょろい物言いダナ) 小洒落た珈琲屋でひとり 超閲覧注意画像を見まくる俺は おさなく かつきよらのものを さくじつに於いて いだいたのだ でも なんにも感じず また 笑けてもこず (あぁ、もかぶれんどなぞよせば良かったのに) ポプラが空に 夢精するのをぼんやりと ひとり ながめていた とさ (ひどいったらない、でもご愛嬌か) ナム ナム 橋向こうに 種のとぶ ---------------------------- [自由詩]COSMOS/道草次郎[2021年5月28日23時07分] 蛾の鱗粉と きのこの胞子がまざります そういうのが たぶん銀河系です 蘇生する魂魄ひとくさり ついえて ひゃあらりり 虫。星 待遠しい秋をあさっての射程に なつは まるでスリッド干渉 巨きな河をおもい 生きてゆく我ら あるいは整然と云いますか其れ ---------------------------- [自由詩]今宵の月はいずこに架かる/道草次郎[2021年5月28日23時25分] マルメロになる かなしいので 月を見上げている おんなじことだ そのおんなじなのが 月面の星条旗みたいだ 億年に噛みつかれた孤独 おぇ 今しがた今は今に至り 雲丹の毒針と あいまみえておるぞ やれやれ 時だらけだね 地層って ---------------------------- [自由詩]校庭/道草次郎[2021年5月31日9時24分] 十四の時にはじめて詩を書いた 校庭の桜がこわくて仕方なかったから 衝動買いの寝袋はけっきょく 使わないまま 今でも行けない場所がある ぼくはいまだに同級生がこわい ---------------------------- [自由詩]『5わのアヒル』を聴きながら/道草次郎[2021年6月3日19時04分] 『5わのアヒル』という子供の歌をききながら 水溶き片栗粉をこしらえてる トロミというのをしっかりと扱えたら いろんなことが すこしはマシになりそうなので だから 水溶き片栗粉なのだ 『5わのアヒル』という歌は とてもすきなので 『5わのアヒル』の歌いがいは もう聞く気がでない、とそう言うわけなのだ だから そういうあんばいなのだ 今夕は 兎に角、 そう 仕上がっている すべての今夕と今夕のかなしみに ここ、 ここに至って 何はなくとも ふりちぎれんばかりの 幸よ、あれ おれはそうねがうほかもうない ---------------------------- [自由詩]らいむらいとをもう一度観ると思う/道草次郎[2021年6月6日21時00分] おれはたぶん いままでよんだそっくりを忘れるだろう そうして あたらしく下り坂を組織し サーカスのピエロよろしく お手玉しながら 一輪車をこぐんだ おれは思う このやまをこえれば良いだけなのだと あぁ 観衆 それから スポットライト おれは思いだす … らいむらいと すてきに チャップリンをしよう そうだとも チャップリンをすることは とてもすがしい つかの間のぞいた青空のように それはとても さわやかな 筈 ---------------------------- [自由詩]気が付いたら綱渡りをしていたことを思いだした、ひとりで/道草次郎[2021年6月7日18時47分] とたんにきみはきみが綱のうえにいるのをしる そういうのを 場面暗転というんだ ヒマラヤのてっぺんに打ちつけられた杭があり その杭からとおく伸びる綱の一閃 その綱はオリンポス山の頂に穿たれた杭へまで伸びているのだ きみは両手を広げでバランスをとる まるで大鷲のようだ めまいをおこしそうだから じっと瞑目して いっぽ またいっぽと歩を進める 寒風が首筋をおびやかし くちびるは凍る 月は ムーンは南西の空だろう もう少しすすめば ふたつのじゃがいもみたいな双子の月のお出ましだろうか きみはむねのあたりが わなわなとする まだ火星はとおい きみが息を吸うと 肺胞全てが運命にひざまずく きみは きみがめをふたたび開けたら なにもかも元通りになると期待する でも きみは真空の鷲だ そう どこからみても きみはもう引き返せない そのことはよく知っているはずだ ---------------------------- [自由詩]だれにだって好もしいものはある、さあ/道草次郎[2021年6月10日1時22分] だれにだって好もしいものはある それをつまんでちっちゃな卓に載せ しげしげと眺めてみればいい むこうだっておんなじことをするだろう そのとき 好もしいものをえらぶとき 虚飾は無しだ どんなにそれが意にそぐわなくても それは げんに好もしいのだから ほんとうだ ほんとうのものだ だれにだってなにかはある なにかとは 本性において正直で それはある種の鏡なのだ ほんとうのものは どこかしらそういう要素をはらむ みんな 知っているとおりだ さあそれをつまもう それから 卓をまずはさっぱりとさせるのだ やれないことはない だれにだって 好もしいものはあるだから ---------------------------- [自由詩]ほんとうだね、アンパンマンはほんとうに凄いよ/道草次郎[2021年6月10日17時04分] アンパンマンが凄いことは 分かった わかったから少し黙っていてほしい きみに言っているんじゃない やけをおこしかけてるこの人生を たしなめたいんだ きみはいつも誤解するね 尤も 誤解させる男がつねにきみの前にいるのだし しかたがないのかな やなせ先生のことはたぶん ひとよりしっていたつもりだ でも アンパンマンが凄いことは わからなかった わからなかったんだよ いまそのことで きみの前の男は 人生ってやつを擦り切れた安財布からひっぱりだしてきたんだ きみはただ アンパンマンを讃えたかったのにさ 余地はまだあるかな きみの前のくうかんを占めるこのでくに アンパンマンは凄い そうだね ほんとうにそのとおりさ どうも、ほんとうに、何もかもありがとうな ---------------------------- [自由詩]おまえはいつかおもいだすはず、あれらたくさんのものがたりを/道草次郎[2021年6月10日22時07分] いつかよんだ すてきなしょもつのなかの どこか いこくのひろばには しゅろのきと みなみかぜと なみのおとがありました だれかさんは ひとりぽっち そして まんげつでした さあ おもいだしてみて そのだれかさんは おまえじしんによる おまえのまぼろし まぼろしのおとすかげが じつは おまえだったのだよ ---------------------------- [自由詩]でわでわ/道草次郎[2021年6月12日9時24分] なんか書くと みんな自分よりよくものを知っていて考えてもいます なんかを書くとだからのこるのは こんなでも書かせてもらえるのだなあということだ うわべを撫でてるだけのは見抜かれてしまい 泡銭でプレゼントを買って 中世の農奴の風俗を図書館で閲してきょうは日が暮れた となりには豪華版のナウシカにうもれた中学年 顔を赤らめました かれのみらいをうらやむきもち、隠せないよ かえってコンロのツマミをひねったら もう 気力もないので きらきら星をききながら かくだけはかいてみます ありがとう 書くことは無いけれど かけるだけの乏しい語彙やらを持ちうること おもえば 詩とは制限と未熟の無智のごった煮か おれはこれを速記したけれど おれは推敲はせず ここに 錐であけたあなのような言葉の端材をつめこむのさ そうするのには じつに勇気というのが要るからです だれかしらが ながめてくれたら それってまったくたいへんな幸せで と やれやれ今日は 土曜日だったかな でわでわ ---------------------------- [自由詩]ひとのまえでものが言えなくなった、いつからか。/道草次郎[2021年6月15日18時06分] あのこは よいこ あのこがよいこで無かったら よかったのにな ---------------------------- [自由詩]メーテルがねむる冥王星のしんとしずまった氷の平原に/道草次郎[2021年6月16日1時35分] ぜんぶかなしい みようによってはぜんぶがです メーテルがねむる冥王星のしんとしずまった氷の平原にみんないる そうしてひとつずつの青白い炎がぼおっと点って それらはまじわらない ひどくさみしいと人は喉がわらいます わらったらそのとこから花が咲き その花は素敵に千年はもちます もちますという花の幻魔ですそれは みんな めいめいのみんなのなかのみんなですから 接線はありはせず メーテルは おもえばいきているのが楽しそうではない てつろうもしゃしょうさんも いきてはいない そうです ぜんぶが 哀しい みようによってはそれらぜんぶが ---------------------------- [自由詩]そう悪くない事を忘れるな/道草次郎[2021年6月16日1時57分] おまえは、哺乳類だし、ミトコンドリアと共生してもいる。なるほどお前の予感はこういったものだ。たとい愛は滅んだとしても我々には科学がある、と。 おまえは、おまえが自分の事をおもうほどさほど悪くは無いのだ。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]尺八老人と漬物の恋/道草次郎[2021年6月21日18時38分] 抹茶色の外郎のような色の池の水を背景に、若葉のもみじがソメイヨシノの木陰でいくらか涼しい風に小刻みにわらっている。 おれは蟻やら小枝やらがあるくちかかりのベンチに身をもたせ、とにかく西の方までずっと笑いっ放しの抹茶色の外郎のさざめきの海をみるとなくみている。 ヒノヒカリというものはおよそ1億と5000億キロという、いちてんもん単位というおもしろい尺度のむこうからとどいたものなのです。YouTubeの関連動画でかってにあがってきたベテルギウスに呑み込まれんとする太陽の図を、ふとおもいだします。するってえとこの眼前の外郎も、ベテルギウスの公転惑星でならなんびゃくばい、なんぜんばいってえヤンチャな外郎にちげえねと、そうおもいます。おもったりします。 どうも、ふしぎ。かんがえといもののふとした連関、その極彩色の混迷のような顕れ。ふしぎですね。 然るにここ龍のおわすところの水所。裏手には低山、涼し気な緑色の風を池に吹かせておりますが、いくらか青い萼紫陽花もちらほらみえはする。 そういえばここに来たのも、昨日、葡萄の房抜きのバイトをして握り締めた茶封筒の6350円のうちの五千円札を郵便局に入れて帰って不調の為寝ていたらもとつまから電話あり、ひるからねていることを咎めだてされたような心持ちにこちらで勝手になり、ではこれから日も暮れそうで涼しいし、相葉くんがいるかもしれないすざかし動物園にいってこうようかということになり、本当に来てしまった正直ものだか馬鹿なのだか判然しない、今なんです。(どうにもとてもいい文がおれはかけた気もする) と言うのも、相葉くんがロケしてるかも知れない須坂動物園はこの臥竜公園に隣接ですから。だけれども、もれきこえるそれらしき声もなく、ついでに、みようかとおもっていた滝も残念なちょろちょろ、だから朱色の弁天橋という橋を渡って池のなかの離れ小島には来てみました。なんだか露出した木の根のせいで足もとがおぼつかない。とりたてて新たなる発見もないのでこうしてベンチに座ったというわけ。 風の名を聞き、若葉の囁きにみみをすませ、きょだいな抹茶色の外郎のような池のつらを眺めているのです。 あ、鳥がひとなき。 橋向こうの往来のみぎからは中学せいの一群、左からは三輪車とサンダルばきの3歳。めいめいの脳の井戸のそこから見上げる青空がめいめいがたの視界というわけです。 鳥がもうひとなき。なんだろうあの鳥は。鳥の鳴き声がわからないというのは何だかつまらない。 詩文のことで色々言うには、おれなどはあまり知らなすぎるのだが、花があったらあれは花ですとかくのがやっぱりいいんだとおもう。 水面の様子を、はすかいに泳ぐ鴨のにわの揺曳する水尾の文様とその刻刻変幻する水分子に内在する哀しみ、とかそういうのはだめ、唯、水がゆれます。風のせいです、とそう書くのが救いとなるならばその限りにおいてそうかけばよい。 とても、紫陽花が綺麗ですから、撮って送りました。 ああ。 東屋で尺八を吹く初老の方ももう姿がみえない。 かつて、おれがおれの横の人とそのひとのなかにいたもう1人のひとに、とてもたくさんな事を話しながら歩いたときのあの公園ではもうありません。ときは流れた。 漬物を毎日のように尺八老人にもってくるおばあさんの恋は実らなかったのでしょうか。夜勤明けのあの日、ほほえましいあの恋についてはなしあったことがまるで夢のようだ。 そうだよ、じつにほんとうだとは思えない。 (やどったものは、よく笑ってくれるそうです。) じつは一番の目的、相葉くんには悪いけれども、池のほとりのお地蔵さまだったのです。 (やどったものは、そだち、わらい、なきます。そのどちらもシリウルカギリただしく。) てをあわせたので、かえります、帰る所など、もう無いけれど。そうと口には出さないで。 夕焼け。 さいわいをいのります。 ---------------------------- [自由詩]足らないものをおれはしっているがおれはそれをかかない、なぜならおれは直面するのがこわい/道草次郎[2021年6月23日19時03分] おれという寸法はおれのお気に入りの仮説の域を出ない おれがおれの詩に吐き気をかんずることは全くもって正しいといえる おれは掘ることばかりをかんがえる この井戸をのぼることを、おれがかんがえないのはなぜだろう こうかくと、いくらか偉そうなきぶんだ 良い詩の在り処がおれにはわからなくなった そうして、そういうのもまた必然だし 必然は方方で叩き売られている おれという寸法はたぶん 自殺したいんだろう でもしないのは ひどく意地が悪いだけなのだという仮説もまた あるにはあるのだが ---------------------------- [自由詩]ナックルボール/道草次郎[2021年6月24日5時21分] とにかく ナックルボールが投げたかった そんな子供だった ナックルボールというのは 縫い目がみえるほどに回転をおさえた球種のことで 不可思議な軌道を描き打者を翻弄する 意味もなく 無闇に ナックルボールを投げたい それだけだった うん それだけだった ---------------------------- [自由詩]やっと生きだす/道草次郎[2021年7月1日20時56分] 芯から憎まないでいられたら それでいい と思った 十四 今 やっと 人間に参画した気がする こうなることは どこかで分かっていた 憎しみすら もう 愛さずにはいられない ---------------------------- (ファイルの終わり)